Home > News > RIP > R.I.P. Amp Fiddler - 追悼:アンプ・フィドラー
デトロイトが生んだ偉大なミュージシャンのひとり、アンプ・フィドラーことジョセフ・アンソニー・フィドラーの訃報が12月17日に届いた。1958年5月17日デトロイト生まれの享年65才。巨大なアフロ・ヘアとヒゲがトレードマークのキーボード奏者/シンガー/作曲家だが、2022年より原因不明の病に罹って闘病生活を送っており、地元デトロイトでは12月10日より治療費を賄うためのクラウド・ファンディングが開始されたばかりだったが、その矢先のことだった。
彼の訃報はジョージ・クリントン(Pファンク)やクエストラヴ(ザ・ルーツ)などのSNSで伝えられたのだが、誰もが知る著名なミュージシャンというわけではなく、ソロ・アーティストとして活躍するよりも、スタジオ・ミュージシャンとかバック・ミュージシャンといった仕事で力を発揮するタイプだった。デトロイトにはモータウンの昔からそうした裏方仕事をするミュージシャンが多くいたのだが、アンプも音楽仲間の間で評価の高いミュージシャンズ・ミュージシャンだったのだろう。カリブ海のセント・トーマス島出身の父親を持つ彼は、幼い頃からピアノを習い、オークランド大学とウェイン州立大学に入学してジャズ・ピアニトのハロルド・マッキニーに師事した。マッキニーと言えば〈トライブ〉の一員としてデトロイトのジャズ・シーンを支えた人物。同時に音楽教師や芸術会館での音楽監督なども務め、晩年は音楽教育に力を注いできた。そうした人からの教えを受け、アンプも自身が脚光を浴びるよりも、音楽シーンを支えることのほうに興味があったのかもしれない。
大学卒業後のアンプは、ドゥー・ワップ・グループのエンチャントメントのツアー・ミュージシャンを務めるなどしていたが、そうした中で彼の演奏の入ったテープがPファンクのキーボード奏者のバーニー・ウォレルの手に渡り、それを聴いたジョージ・クリントンが大いに気に入ったという。バーニーは丁度Pファンクを脱退するタイミングにあり、1984年にその後任としてアンプは招かれた。10年ほどPファンクの一員として活動する中、兄のバブズとミスター・フィドラーというグループも結成している。1990年にアルバムをリリースするも販売は芳しくなく、その後はセッション・ミュージシャンとして生計を立てていった。彼が関わったセッションやレコーディングには、プリンス、ワズ(ノット・ワズ)、ジャミロクワイ、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、フィッシュボーン、シール、ステファニー・マッケイ、コリーヌ・ベイリー・レイなどのミュージシャンが挙がるが、なかでもマックスウェルのデビュー・アルバム『アーバン・ハング・スイーツ』(1996年)への参加が名高いだろう。当時はマックスウェルのようなネオ・ソウルが出はじめた頃で、そうしたムーヴメントにアンプも関わっていたと言える。
アンプの関わったミュージシャンはソウルやファンク、ヒップホップからハウスやテクノと幅広く、例えばJディラやQティップ(ア・トライブ・コールド・クエスト)にサンプラーのアカイMPCの使い方を教えたのは彼だった。一方、ムーディーマン、セオ・パリッシュたちと共演し、アンプ・ドッグ・ナイト名義で “アイム・ドゥーイング・ファイン” (2002年)など、ハウスのレコードをムーディーマンの〈マホガニー・ミュージック〉からリリースしている。カール・クレイグの発案によるプロジェクトにも参加し、ジャズ、ソウル、ファンクなどが連なるデトロイトという街の音楽を表現した『ザ・デトロイト・エクスペリメント』(2002年)も発表した。また、〈ストラット〉のミュージシャンのセッション・シリーズとして知られる『インスピレーション・インフォメーション』の第一回を飾ったのは、アンプとスライ&ロビーだった。2010年代に入ってからは、ウィル・セッションズというデトロイトのジャズ・グループと何度か共演し、数枚のアルバムもリリースしている。アンプの人生にはあらゆる音楽が存在していたのだ。
長年の多彩な活動の割に、功名心がそれほど強くなかったのか、アンプのソロ名義の作品は多くはない。初めてのソロ・アルバム『ワルツ・オブ・ア・ゲットー・フライ』(2003年)がリリースされたのも、彼が43才のときだ。ジョージ・クリントン、Jディラ、ラファエル・サディーク、ジョン・アーノルドから兄のバブズまで参加したこの遅咲きのソロ・アルバムは、Pファンクでの経験を生かしたファンクやソウル・ナンバーから、ムーディーマンとのセッションから生まれたようなハウス・ナンバーの “スーパーフィシャル”、そしてジャズ、ヒップホップ、R&Bと彼が通過してきた良質な音楽のエッセンスが詰まった素晴らしいものだ。なかでも個人的にもっとも好きなナンバーはゴスペルの影響を感じさせる “アイ・ビリーヴ・イン・ユー”。女性コーラスをバックにピアノの弾き語りで切々と歌う曲で、スライ・ストーンを思わせる枯れた歌声がとても染みる。彼のミュージシャンシップや人となりがダイレクトに伝わってくる楽曲だ。
なお、生前にレッド・ブルでおこなわれたアンプの講義が、彼の人生やキャリア、音楽観などを伝えてくれるインタヴューとなっているので、興味のある方は読んでみるといいだろう。
Amp Fiddler | Red Bull Music Academy
小川充