Home > Reviews > Album Reviews > Black Decelerant- Reflections Vol 2: Black Deceler…
先週末は奇妙で、狂っていて、混乱した2日間だった。トランプ前大統領の暗殺未遂事件、その結末とその報道写真。「青空の下、はためく星条旗が見えるかな? もう夏の気配がしている」──かつて皮肉たっぷりに “ナショナル・アンセム” なる曲を歌ったのはラナ・デル・レイだったが(MVではエイサップ・ロッキーがJFKに扮したのだった)、それを遙かに上回るかのような恐ろしい現実、夏の青空を背景に星条旗、流血と勇ましい拳……。その日ぼくは河村祐介監修の『DUB入門』のために、リントン・クウェシ・ジョンソンの『ベース・カルチャー』を聴きながらUKダブに関する原稿を書いた。ビールを飲みながらJリーグの試合を観て、夜には大久保祐子が書いたライヴ評をポストした。月曜日の早朝にはEURO決勝戦を観た。その日も昼はビールを飲みながらマトゥンビやマッド・プロフェッサーを聴いたり、持っていたつもりのレコードが見つからずがっかりしたり、完成させた原稿を河村に送ったあとは現実逃避したくて本を読んだりした。
サイモン・レイノルズのざっくりとした要約によれば、加速主義とは「とことん悪くならないと良くはならないのだから、もっと悪くしよう」。これはニック・ランドの「資本主義自らを破滅へと激化させる」という、いまなら右派加速主義に括られる考え方のことだと思われる。対して、加速主義にも左派があり、早い話、ランドの「無慈悲で攻撃的な非人間主義に対する反応」だ。しかしこれがまたマーク・フィッシャーに反論されるなど議論があるようで、気になる人は『ポスト資本主義の欲望』を参照。ぼくが本稿で言いたいのは、加速主義に関心を持つ者のなかから「黒い加速主義(blacceleration)」という言葉も生まれているよ、ということ。ほほぉ、ブラックセラレイション?
黒い加速主義に影響されたというBlack Decelerant(黒い減速)なるプロジェクトのアルバムは、しかし、その名の通り遅く、タグ付けするならアンビエントだ。「このレコードは、資本主義や白人至上主義に付随する休息やケアについて商品化されたり美徳とされたりするものから離れ、心身の栄養となることをしようとする自然な気持ちに寄り添っている。生き方への入口であり鏡である」、これが作者であるふたりのアフリカ系アメリカ人、カリ・ルーカスとオマリ・ジャズによる説明だ。ルーカスは言う。「実存的なストレスに対する救済策のようなものだった。ことにアメリカでは、パンデミックの真っ只中、迫り来るファシズムと反黒人主義について考えざるをえなかった。レコードの制作はとても瞑想的で、私たちにグラウンディングを提供するように感じた」
面白いのは、このふたりが「スロウネスをめぐるアイデア」に注力したことだ。「速さ」ではなく「遅さ」、それはアンビエントにありがちな人の良さそうな中立性を意味しない。それはふたりにとっては、歴史的に黒人に休息を与えてこなかった世界への抵抗としての「遅さ」なのだ。ブラック・ディセレラントのアルバムは、ぼくにもすばらしい安らぎを与えてくれる。エレクトロニクスによる幽玄さは、抽象的だが、9曲(+1曲)それぞれには表情がある。生のベース演奏が入る“one”やトランペットが入る“two”のような曲では彼らのジャズ的なアプローチが聴ける。ときに物憂げなピアノ演奏やスペイシーなシンセサイザーも、すべてが優しく響いている。
EUROに限らず、ずいぶん前から、現代フットボールとは「速さ」の勝負だ。ぼくがこの競技を好きになった時代とは、もはや対極にあると言っていい。速くて強くないと勝てないフットボールをぼくはあまり好まない。ま、ぼくが好もうが好まなかろうが状況にはなんの影響もないわけだが(笑)。とにかく、現代フットボールの戦術工房はスペインで、加速装置はプレミア・リーグだ。ぼくは、リントン・クウェシ・ジョンソンの “Inglan is a Bitch” のような曲を聴きながら、どちらかと言えばイングランド代表を応援するという、重層的な矛盾のなかにいた。まあ、一度くらいは優勝してもいいんじゃないかという軽い理由だが、ハリー・ケインに多少なりとも好感を抱いたのは元スパーズだったということもあるし、自己犠牲を厭わないプレイも、速くもないのに賢さでなんとかやれているところも老兵には響くのだ。
だから週末、意志を持った「遅さ」の音楽=UKダブを聴いたことは自分の精神安定上、重要だった。昔の同僚、河村に感謝しよう。彼からのオファーがなければ、混乱した2日間、いったい何を聴けば良かったのかわからなかったかもしれない。ただし、ぼくの手元にはブラック・ディセレラントのこのアルバムがあった。いまアメリカ(あるいは日本)で起きているような状況に、「遅さ」をもって抵抗しているアンビエント作品などほかにない。
野田努