Home > Columns > Boards of Canada- ボーズ・オブ・カナダの帰還
謎めいたプロモーションが世界各地で注目を集めてから1か月半ほど。いよいよ本日、ボーズ・オブ・カナダによる13年ぶりのオリジナル・アルバムの全貌が明らかになった。
そもそもボーズ・オブ・カナダとはどういう文脈からあらわれてきたのか? 彼らの音楽を特徴づけるサイケデリアとは何なのか? そして新作『Inferno』はこれまでの彼らとどう違い、あるいはどう変わっていないのか? カクバリズムからアルバムをリリースしている若手プロデューサー/DJのtillを編集部に招いて、3人で話しました。
ボーズ・オブ・カナダが登場してきた背景
小林:まずはボーズ・オブ・カナダとは何者かというところから話をはじめていければと思います。
野田:人はなぜ夢見ることを夢見るのかってことだよね。
小林:なるほど。
野田:よく勘違いされているけど、ボーズ・オブ・カナダって最初はたいして騒がれなかったんだよ。いちばん最初にそのレコードを目にしたのは、テクノ・リスナーだったんだけど、なぜならテクノ系のレコ店にしか置いてなかったから。でも、スクエアプッシャーやμ‐Ziqが出てきたときのように、大勢がいっきに「おお~!」みたいな反応じゃなかった。最初は、少数の枚数しか輸入されなかったと思うし。
大手メディアもたいして騒がなかったけど、『ジョッキー・スラット』のような熱心な小メディアだけは賞賛していたかも。とにかく、当時の状況を最初に説明しておくと、〈Warp〉というレーベルは、1992年くらいから90年代後半にかけて、テクノ・ファンのためのテクノ・レーベルとしての絶対的な信頼と人気があって、いまとは比較にならないぐらいに求心力があったのね。〈Warp〉から新しい12インチがレコ屋に入れば、それだけで、「今日、入ってたよ」って口コミで伝わるみたいな。
小林:良い時代ですね。
野田:でも、1998年ぐらいになると、シーンもずいぶん細分化していて、エレクトロニック・ミュージックのファンもいろいろ分かれていたよね。
小林:その頃、中学生でした。
野田:あの頃は、気になっている音楽は買うしかないし、ファンもそうだし、俺みたいなテクノ好きの音楽ライターもね。それでも、当時の〈Warp〉は圧倒的な人気レーベルだったから、〈Skam〉との合同リリースだったとはいえ、そこから出たという理由だけで『Music Has the Right to Children』を買った。日本盤も出なかったし、でも、その感想が徐々に口コミで広がっていって……。
小林:レコ店に入ってきたのは『Music Has the Right to Children』からですよね? あたかも「Twoism」(1995年)から評価されていたような書き方をしているオンライン記事を目にしましたが、2002年時点で800ポンド(当時15万円)で取引されていたそうですから、本国でさえ入手困難だったはずですし、「Hi Scores」(1996年)も入ってきていませんよね。
野田:毎週、2回以上は輸入盤店に通っていたけど、「Twoism」も「Hi Scores」もリアルタイムで見たことがなかったなー。三田(格)さんみたいな人は知っていたかもしれないけど、そもそも〈Skam〉というレーベル自体が当時はマニアックで、いまもそうか。俺は小林くんにあげたコンピ(1997年の『0161』)を買ったぐらいで、レゴ・フィートなんて誰も知らなかったから(笑)。小林くんにあげたあのコンピ、あれはね、当時はファンのあいだで騒がれたものでね、監視カメラの映像がジャケットで、参加アーティストにゲスコム(オウテカの別名義)に混じって、V/VMとザ・フォールがいるって、すごいでしょ。あげるんじゃなかったな。どうせ聴いてないだろうから、返してくれよ!
小林:そんな貴重だったんですね。
野田:あのコンピが店頭に並んだときのほうがバズがあったんだよ。〈Skam〉っオウテカが関わっているレーベルだから、やっぱ作品を出したら気になるじゃん。「Twoism」も「Hi Scores」も、入ってきたのは『Music~』の人気が出てきてから数年後のことだよ。俺が『remix』に入ってからだね。「入ったよ」ってレコ店の店長さんから言われて、当時の『remix』編集部のスタッフと一緒に買いに行ったのを覚えている。
だから、日本では、2002年にビートインクがセカンドをプロモートするまでは、最初はテクノ・ファンと、クラバーと、一部のDJだけだったね、ボーズ・オブ・カナダを好んでいた人たちは。でも、作品が良いから、けっこうアンダーグラウンドでは人気が上昇していって、2000年くらいには地方のクラブでも人気あったんだよね。
小林:『SNOOZER』も取り上げてましたね。
野田:『Geogaddi』のときにね。あれがロック・メディアからの最初の反応だったね。
小林:あのときインタヴューが載ったのは、『remix』と『SNOOZER』だけでした。あの記事には衝撃を受けましたが。
野田:はははは、貴重だよね(笑)。
小林:いま思えば、よく取材に応じたましたよね。
野田:では、なぜボーズ・オブ・カナダは、テクノ・ファンのためのテクノ・レーベルとしての絶対的な信頼をもっていた当時の〈Warp〉から出たのにもかかわらず、すぐに火が点かなかったか、当時、なぜ〈Warp〉をライセンスしていたソニーは日本盤を見送ったのかという話がここでは重要なんだよ。ケミカル・ブラザースみたいなデジロック(ロック調のエレクトロニック・ミュージック)全盛で、そんな時期に〈Warp〉はブロードキャストみたいなインディ・ロックに手を出して、テクノ・ピュアリストたちのヒンシュクを買いはじめていた矢先でもあったんだけど、ボーズ・オブ・カナダは完璧にエレクトロニック・ミュージックでありながら、当時のエレクトロニック・ミュージックのどの潮流にも属さなかったからなんだよ。
当時の〈Warp〉系は——エイフェックス・ツインとオウテカがその典型だけど、複雑な構造の複雑なリズムのほうに腐心していたじゃん。スクエアプッシャーもそうだけど、あの頃は、フロア寄りの単純な4つ打ちから離れることが「良し」と思われて、〈Warp〉系はそっちに走った。マイケル・パラディナスにしても、ルーク・ヴァイバートにしてもそう。とくに重要だったのは、エイフェックス・ツインの “Come to Daddy” と “Girl/Boy Song”、そしてあれですよ、オウテカの『LP5』と「EP7」ね。あのワケわからない実験的なサウンドが、初めてシーンのなかでファンたちから評価されていった時期でもあったのね。
小林:かたやデトロイトはカール・クレイグのジャズや……
野田:ドレクシアのエレクトロも同時代の日本では理解されていなかったけど、ムーディーマンとセオ・パリッシュはアンダーグラウンドで火が付いていった頃だね。URの『Interstellar Fugitives』も1998年だったね。
小林:そんなときに『Music~』が……
野田:オウテカをメイン・アクトとして最初に日本に呼んだのは田中フミヤだったけど、彼は当時、日本のテクノDJのなかでもっともそのときのUKのアンダーグラウンドで起きていることを知っているDJでもあったのね。レディオヘッドがその名を影響源として挙げる数年前から、UKのアンダーグラウンドでいちばん評価が高かったのはオウテカだったの。
小林:へー。
野田:ようやくオウテカの時代が来たっていうときで。で、そういうなかでさ、『Music~』が店頭に並ぶ。ぜんぜん違うじゃない? 『Music~』におけるリズムの構造はものすごくシンプルで、メロディがあって、当時のテクノ・キッズが「すごい」って思いはじめていたオウテカやエイフェックスたちとは真逆のアプローチだったんだよ。あの時代は、それこそエイフェックス・ツインがあまりにも突出していたし、オウテカもいよいよその真価を発揮しはじめてきてて。『LP5』を聴いて、『Music~』を聴いてもらえれば、その違いにびっくりとする思うよ。
bpmにしてもさ、ハウスやテクノのそれではなかったじゃん。むしろ、DJプレミア、DJ KRUSH以降のミニマルなヒップホップ・ビートにハマるダウンテンポだったわけで、そのサウンドも、〈Warp〉系たちが構造的な複雑さに部分に注視するのとは真逆で、構造よりも質感、すなわちテクスチュアの創造に注力していた[*クラシックにおける構造的なテクスチュアとは別に、エレクトロニック・ミュージックでは、その音の質感をそのように呼んでいる]。もちろんボーズ・オブ・カナダがその先駆者というわけではない。エイフェックスの『Ambient Works Vol.ll』なんかテクスチュアの作品だったし、シーフィールの諸作にもベーシック・チャンネルにもテクスチュアはあった。ボーズ・オブ・カナダの場合は、そのテクスチュアに個性があって、とくにかくあの、色褪せた、霞んだような音像だよね。いまでこそ、それは珍しくないけれど、当時としては独特だったんだよ。だから、当時のエレクトロニック・ミュージックのほかのどれかと同じように括れなかったのよ。後からそれは、エイフェックスよりもコクトー・ツインズやケヴィン・シールズがやってきたことに近かったと言えなくもないけど、決定的に違ってもいるよね、ビートが。だから、そのときは、これがなんなのか、わかってなかったよね。
小林:なるほど。
野田:オウテカみたいなのを聴いているなかでボーズに出会ったときは、あまりにもシンプル過ぎて。だってあの時代は、グリッチがあって、ブレイクコアみたいなのがすでに控えていたんだよ。そんなときにね、あの素朴なビートなわけで。でも、それこそが新たな起点になるわけだからね。結局、あれが2000年代に向けてのひとつの回路をつくったんだよ。
小林:感動的ですね!
野田:いや、そうでもなかったんだけど、でも、シーンに新たなキーワードを投げたことはたしかだよ。なぜなら彼らの本質は、「サイケデリック」ということなんだから。俺個人のリスニング史でいえば、エレクトロニック・ミュージックからアニマル・コレクティヴに早く関心を向けられたのも、ボーズ・オブ・カナダを聴いていたからだったと思うよ。もっといえばヴァシュティ・バニヤンのリヴァイヴァルもね、初期のフォー・テットはもちろん、ティコとかさ、ボーズ・オブ・カナダがいなかったら生まれたなかった作品は多いと思うよ。たとえば、具体的に影響を受けているかどうか知らないけど、音の質感の粒子の粗さを面白がるのって、フライローのファーストなんかのヒスノイズっぽい質感とか、それはBurialにもあるし、ヴェイパーウェイヴにもそれはあるし。劣化しているからこそ美しいみたいな倒錯の美学がさ。
小林:サイケデリックといえば、彼らの曲には “1969” など60年代を指示しているようにとれる曲がちょこちょこあります。
野田:彼らには “Nothing Is Real(リアルなものは何もない)” という曲があって(『Tomorrow's Harvest』収録)、これはザ・ビートルズ “Strawberry Fields Forever” の有名な一節で、サイケデリックを象徴することばだよね。『Music~』の人気曲 “Aquarius” で繰り返される「オレンジ」という言葉も、オレンジ・サンシャインっていうサイケデリック革命時の最強のLSDがあって、明らかにそれを仄めかしている。
小林:曲名の「アクエリアス」自体が水瓶座ですから、「水瓶座の時代」ですよね。
野田:「アクエリアス」とは、サマー・オブ・ラヴを象徴する大ヒットしたロック・ミュージカル『ヘアー』の主題歌で、その歌詞は、ヒッピー精神のマニフェストと言えるものだったんだよね。「水瓶座」は、ものすごく重要な、60年代的なキーワードだよ。『ヘアー』のなかで歌われる60年代の “Aquarius” は、資本主義/物質主義の否定から自然回帰的な思想が説かれているんだけど、『Music~』の頃のボーズ・オブ・カナダにも、そういう無垢なものに対する強烈な飢餓、自然に対する大いなるシンパシーが露骨ではないけど、出ていたよね。
小林:そこもほかの当時のエレクトロニカとは一線を画しますね。
野田:いや、まったく。それは、ボーズ・オブ・カナダというユニット名からも読み取れる。ボーズ・オブ・カナダという奇妙な名前は、そもそも、彼らが子どもの頃に見ていたカナダ国立映画制作庁(National Film Board of Canada)の教育映画やドキュメンタリー番組に由来している。ふたりはスコットランド出身だけど、幼少期の一時期、父親の仕事の関係でカナダのアルバータ州の自然のなかで暮らしているんだよね。
小林:その自然への憧れは『The Campfire Headphase』(2005年)にもつながっていきます。
野田:『Music Has the Right to Children』という題名もそうだよね。直訳すると「音楽は子どもたちに権利を持つ」だけど、意訳すれば、「音楽とは、そもそも子どものような無垢な魂に向けられたもの」ということになるか、もしくは、「ハーメルンの笛吹き男」的な、音楽が子どもたちを誘惑できるというニュアンスにも読めなくもない。それから、ロッキー山脈をバックに撮影した家族写真には、表情がない。だから、牧歌的な心地よさともまた違うんだよね。tillくんはどう思った?
till:ぼくはまったくもってリアルタイムではないので……生まれたのが2001年です。ダフト・パンクの『Discovery』が出た年。
野田:『Discovery』のとき、俺はもう30後半だったよ。
小林:ちょうど今日の3人は20ずつくらい歳が離れていて、きれいに3世代に分かれています。
野田:いいね、儒教的じゃなくて。ところでtillくんがボーズ・オブ・カナダを知ったきっかけは?
till:ぼくは先にマウント・キンビーにハマって。すごいかっこいいなと思って。
野田:たしかに、似てるね。初期のマウント・キンビーは。
till:そこから〈Warp〉の人たちを聴くようになって。レーベル設立30周年のとき、「Peel Session」(2019年盤)を聴いてボーズ・オブ・カナダを知りました。
小林:未発表だった “XYZ” が追加されたヴァージョンだよね。
till:そう、それがすごくよくて、何回も聴いて。それが最初の出会いでしたね。2019年。そこから「Hi Scores」を聴いたりして、かっこいいと思って……という流れでしたね。
小林:野田さんが言った、彼らが新しいサイケデリックの道をつくって、その流れのさらに先のところで出会った感じですね。
till:ほんとうに逆の順番で。それこそフォー・テットがいたバンドのフリッジも先に聴いていて。すごく好きでした。そのうえでのボーズ・オブ・カナダだったので。
野田:さっきも言ったけど、『Music~』が日本に最初に入ってきて、しばらく経ってから反応したのがヒップホップ系で、DJ KRUSHの影響を受けたDK KENSEIやDJ KLOCKあたりがボーズ・オブ・カナダをよくかけたんだよ。だって俺、“Aquarius” を完璧に覚えたのは、クラブのフロアだったもん。
小林:たしかにボーズ・オブ・カナダはビートがヒップホップですよね。
野田:トリップホップとも近いところがあるよね。でも、それを言ったら、その数年前にはマッシヴ・アタックとトリッキーみたいな超強力なのがあったりして。だから、ボーズ・オブ・カナダは時期的にも、トリップホップ系がもうひと段落してしばらくしてからの登場だった。でも、ヒップホップとの相性は良かったことはたしかだよ。cLOUDDEADとか、ずっとあとになってWhy?とかOdd Nosdam とか、アンチコン系のリミックスをやっていたから、やっぱアメリカでもそっちの流れで受けていたんだろうね。
小林:あの頃の、アメリカのオルタナティヴなヒップホップとの交流は面白いですね。ボーズ・オブ・カナダ=マイブラと言ってしまいたいところからも逸れていたことの証左なわけだし。
野田:それもそうだし、いまもそうかもだけど、そもそもヒップホップのDJが〈Warp〉の音源までチェックするなんてことは、まずないわけですよ。〈Warp〉ってテクノだし、ある意味、ヒップホップのDJがいちばんアプローチしづらいジャンルなんだよね。そこを横断して、まずはボーズ・オブ・カナダを見つけて、それがヒップホップのミックスのなかでも通用すると思えた彼らのセンスがすばらしかったよね。リキッドルームであれがかかると「うぉー!」って歓声が沸いたんだから。
小林:良いですね。
野田:ああ、すごく良かったよ。
小林:『Music~』は98年当時は日本盤が出なかったという話ですが、ぼくがリアルタイムで聴いた最初のアルバムが『Geogaddi』(2002年)で、「In a Beautiful Place Out in the Country」(2000年)は長崎のタワレコに入っていたのでその前に聴いたおぼえがありますけど、そもそもエレクトロニック・ミュージック自体を聴きはじめたのが2001年だったのでリアルタイムではなかったです。『Geogaddi』と同時発売でようやく『Music~』も日本盤が出て、そのときはもうわりと大物感があったような気がします。
野田:まだ大物感はぜんぜんなかったけどね。〈Warp〉といえば、エイフェックスで、オウテカで、トゥー・ローン・ソーズメンで、やや玄人好みでナイトメアズ・オン・ワックスやプラッドって時代だったし。さっきから同じこと言ってるけど、ボーズ・オブ・カナダは草の根的に、好きになったファンが口コミで評価を高めていった人たちの代表みたいな感じだよね。
小林:2002年に〈Skam〉が「Hi Scores」をリプレスして、〈Warp〉も「Twoism」をライセンスして、ようやく初期作が手軽に聴けるようになりました。ボーズ・オブ・カナダの音楽の核は、この2枚と『Music~』でもう確立されていますね。
野田:稲垣足穂の『一千一秒物語』じゃないけれど、『Music~』以降の作品はその解説というか。
小林:ヴァリエーションのような感じはありますよね。更新はされていますが。
野田:あと “Happy Cycling” (『Peel Session』1999年盤収録)も東京では人気だった。あれもクラブで聴くと圧倒的なんだよなー。
till:いまもファンのウィキみたいなところで自然と評価が上がっていく音楽ってありますけど、それをそうとう早い段階で体現していたんですね。
野田:そうね、リアルな現場でね。
ボーズ・オブ・カナダのサイケデリア
野田:90年代初頭からクラブ・ミュージックに入った人たちは、1990年代後半になると、そろそろサイケデリックに疲れはじめてきてて。もう何年間もサイケデリックな音楽ばかりを聴いていたから、もうサイケはいいや! って。
小林:レイヴやテクノですよね。
野田:俺なんか一時期は、サイケデリックではない音楽は全部切り捨てていたくらいで。だってさ、ロックが面白くなったのは、サイケデリックを通過したからでしょ。ジミヘンがいないロックなんて……。
小林:サウンドを拡張したわけですからね。
野田:サイケデリックとは何かを考えるに、サイケデリックではないものは何かを考えるとわかりやすいんだけど、サイケデリックでない音楽とは、歌謡曲やJポップだったりするわけじゃん。サイケデリックって、感情移入でも癒しでもない。夢見るための音楽であり、言うなれば、正気だと思っている認識を否定する音楽。ひどい話だね(笑)。
till:面白いですね。ぼくが「Peel Session」の2019年盤を聴いてびっくりした理由も、そこにある気がします。もうポスト・ダブステップも終わっていた時代ですが、つくり手でもある側としては、聴いているとDAWのボックス上でどうなっているかが透けてみえるようなものも、ポスト・ダブステップの曲にはありました。サンプルがどう並べられているかとか。でも音楽はそうしたPCのインターフェイス上の面白さではないというか、いま話されたような正気じゃいられなくなる、いられなくするものを求めていたから、それが “XYZ” にびっくりした要因だったのかもしれないと思いました。
小林:2019年といえば、UKジャズに勢いがあって、ロンドンからは新しいインディ・バンドがたくさん出てきて、Spotifyがハイパーポップをつくった時期です。
till:EDM的なものが鳴りを潜めていた時期だった気がします。ディスクロージャーも少し活動休止していたようなタイミングで、みんなが次の何かを探しているじゃないですけど、どうなるのかなって思ってる時期だった気がします。ぼくの体感としてはですけど。ハイパーポップがガーッとなるのはその直後というか。
野田:2000年代初頭のエレクトロニック・ミュージックの状況をいえば、グリッチ(エレクトロニカ)があった一方で、エレクトロクラッシュがあった。だからちょっといまの状況と似ているかもしれないよね。エレクトロクラッシュをハイパーポップだとすると。
till:その後コロナ・パンデミックでぜんぶ変わっちゃうんですけど。
野田:ボーズ・オブ・カナダが出てきた90年代後半って、そろそろサイケに疲れて、レイヴ・カルチャーにも飽きてきた時期でもあったんだよね。だから、90年代後半の思い出を言えば、友だちの家に行ってお互いが好きな音楽をいっしょに聴くとか、そんな感じだったの。言うなれば、コーネリアスの『ファンタズマ』の世界だね。しかし、そこもボーズ・オブ・カナダが変えたよね。ボーズ・オブ・カナダのもうひとつの隠された功績は、かつて外に出かけていた人たちに、でもまた外に出てみようかなって気持ちにさせたこと。それがサイケデリアってことじゃない。
小林:なるほど。
野田:彼らは幼い頃カナダの自然の近くに住んでいたんだよね。ボーズ・オブ・カナダには明らかにそうした無垢な何かをとり戻したい欲望がある。
till:メディアとの距離の置き方にもそれが出ているかもしれませんね。すごくアーティスティックなところがある。
小林:そうした憧れがとりわけ大きく出たのが『The Campfire Headphase』かなと、聴きかえして思いました。あからさまな鳥の鳴き声とか、アコースティック・ギターの感じが。
野田:そこはいかにも英国的なロマン主義を感じるよ。ボーズ・オブ・カナダが台頭してから数年後に、ジ・インクレディブル・ストリング・バンドみたいな英国フォーク・リヴァイヴァルがクラブ世代のなかでリヴァイヴァルしたのは明らかにつながりがあったよね。
till:ロマンティックですよね。それはすごく思います。『The Campfire Headphase』から明確にバンド・サウンドになっていきますよね。ギターがわりと前に出てきて。
野田:もともとバンドをやっていたんだよね。でもさ、影響を受けたのがディーヴォって言ってるのが、音楽的にも見た目にも信じられないんだけど(笑)。でも、ボーズ・オブ・カナダがディーヴォなんだよ! ディーヴォって、アメリカのアクロンっていう、タイヤで有名な都市から出てきた、文明に対するクリティックでもあって、そこがボーズ・オブ・カナダとつながってると言えなくもないのか。
till:そうしたロマンティックな部分は新作の『Inferno』っていうタイトルにもつながってきます。
野田:ディーヴォはまったくロマンティックじゃないけどね。アンチ・ロマンだな。
小林:彼らはほのめかすようなタイトルが多いですよね。
野田:さっきも言ったけど、『Music Has the Right to Children』もちょっと変なことばだよね。主語が逆転している感じがあって。「子どもたちこそ音楽を聴く権利がある」くらいだと通りはいいのに、「音楽は子どもたちに権利をもつ」って。
till:なんかアンデルセンっぽくないですか。ヨーロッパ的というか。
野田:サイモン・レイノルズは『Music~』を「時間のエキゾティシズム」って言っているんだよね。ようは、失われた子ども時代、終わってしまった子ども時代、かつてあっていまはなきもの。
小林:ボーズ・オブ・カナダのサウンドには、心地いい意味での懐かしい感じと、他方でそこにずっと浸りつづけていたいわけではない、ホラーっぽい部分もありますよね。すごく不思議な感覚。
till:ボーズ・オブ・カナダはよくノスタルジーと絡めて語られることが多いですけど、ノスタルジアということばには注意が必要だなと思っていて。彼らのノスタルジアの対象って、存在しないんですよね。そんな時代も、そんなモノもない、その「ない」ものに対するノスタルジアなんです。そもそもノスタルジアということばが地理的な意味ではなく時間的な意味をもちはじめたのが、たしか第一次世界大戦の頃からなんですよ。
小林:その頃「郷愁」ではなく「懐古」のニュアンスが出てきた、と。
till:そう。だから時間のノスタルジアは比較的新しいんです。1950年代や60年代の頃、ノスタルジアは、「ない」ところに向かって何かを思い描いて、「いまではないほうがよかった」というような思いを馳せるもので、それはボーズ・オブ・カナダがやってることと近い。それぐらい心地よさ、エクスタシーを求めているということなんでしょうけど。ただその気持ちよさの追求には危険なところもあって。「Make America Great Again」だってノスタルジーで、快感を与えるものだから。
小林:なるほど。その「ない」は、さっき野田さんが言ったジャケット写真の顔の欠如とつながりますね。
till:顔ハメ看板みたいなものですからね。任意のものを当てはめられる。
野田:だから、ノスタルジーではなく、ホーントロジーという言葉が重要になってくるよね。「いまは亡きものたちが現在を侵食する」みたいな感覚。「過去の亡霊が現在に生きる」、これはBurialの、「いまは再開発などで変わり果ててしまった、しかしかつてそこではレイヴがあった場所」なんかに感じる感覚とも似ている。Burialほどの悲しみはないけどね。いずれにしても、「いま亡きものたちの存在」「失われた未来」をテーマにした音楽が2000年代なかばから2010年代にかけて台頭する。ザ・ケアテイカーみたいなやつね。その先陣を切ったのが、ボーズ・オブ・カナダだった。この記事の俺の発言もホーントロジーということで(笑)。
※後編につづく