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テクスチュアとタイムレスなメロディ──『Inferno』のサウンド
前編からの続き……小林:新作『Inferno』について話していきましょう。いちばん最初に聴いたときは、タイトルとあの怖いヴィジュアルに引っ張られて、全体的にかなりダークだと思ったんですが、旧譜を復習してから聴くと、ちゃんとこれまでのボーズ・オブ・カナダの延長にある。ただ民族音楽的な要素のある7曲目 “Naraka” は、たぶんこれまでになかった路線じゃないかなと。
till:東洋的な女性のヴォーカルが入っている曲ですね。あれが聴こえてきたときは少し驚きました。ある程度意味合いや役割をぼやかしたサウンドを混ぜ合わせることで、存在しない風景を描いていくような、そこまでのアプローチとは明らかにやり方も狙いも大きく違っている気がして。彼らのサウンドの場合、ああいうはっきりとした目的のあるサウンドをぶち込むっていうのはともすれば作品自体の説得力が失われる可能性があるんですよね。例えば、「こういうムード」という一点の狙いがある状態でその周辺に接続可能な要素を添えて空間を埋めていくのが従来のやり方だとしたら、この曲ではどうしても主役になってしまうような、すでに大胆な手触りを持ったものをそこにグイッと押し込んでいる。思いついたからにはやらずにはいられなかったのか、とにかく意外とこれは結構なチャレンジだな、という印象を受けました。
野田:5曲目 “Father And Son” のラップのように聞こえるサンプリング、これはすでに「Hi Scores」でやってるんだよね。自分たちでエディットして。
小林: “The Word Becomes Flesh” もおなじ路線、ラップを偽装した声ネタの曲ですね。
till:「Peel Session」の “Aquarius (Version 3)” に近かったりもするんですよ。そこがさらにいっぱい喋っているような。だからやってることはずっとおなじではあるんですけど、なんというか、おなじボールで投球フォームを変えている感じはしますね。
小林:やっぱり『Inferno』は、先入観をもってしまうタイトルですよね。先ほど話に出た自然への強烈な憧れが変わってしまったんでしょうか。
野田:表裏じゃないかな。反転すればダークサイドにも行くかという。
小林:あの女の子のヴィジュアルがとにかく怖くて。白目むいてるのが。
till:今作はたぶんこれまででいちばん宗教的ですよね。キリスト教という意味でもなければどこかの特定の新興宗教のイメージを丸々敷衍するようなことはしていなくて、あくまで彼らの興味の対象を混ぜ合わせたものという意味での「宗教的」ですけど。
小林:『Geogaddi』にもその気はあったよね。
till:ありましたね。「In A Beautiful Place~」もブランチ・ダヴィディアンという新興宗教団体をテーマにしていました。今回『Inferno』には “The Process” という曲がありますが、これはもしかしたらプロセス教会のことかもなと。もちろんぼくの推測ですが、プロセス教会はあのチャールズ・マンソンと結びつけられたりもするイギリスの宗教団体で、そこが出していた機関紙の名前も『ザ・プロセス』です。ダイレクトに1960年代の新興宗教がリファレンスになっている。
野田:サイケデリック・カルチャーの裏側だね。ホドロフスキーの映画みたいとは言わないまでも、でも、“Aquarius” のなかにも「不気味さ」はあるわけで、彼らのそういう部分が前面に出されているよね、今回のヴィジュアルなんかはとくに。ちょっとやり過ぎだなと思ったけど。マッシヴ・アタックもそうだけど、ボーズ・オブ・カナダみたいに “型” を作ってしまうと、その “型” を水で薄めたフォロアーたちが多数出てくるものじゃん。そういうフォロアーたちの音楽とは完璧に一線を画していたいっていうのはあるんだろうな。
till:先行シングルの2曲目 “Prophecy at 1420 MHz” はMVが出た翌日に早速サンプリング元が特定されていましたが、ある神学者のスピーチだったんですよね。キリスト教の。それをカット&チョップしていて。5曲目 “Father And Son” なんかはストレートに「神と子」ですし、10曲目 “The Word Becomes Flesh” はことばの受肉だから、やはりキリストのことだと思います。
小林:かなりきな臭いですね……
till:でも直接的に「ゴッド」とか「クライスト」とは曲名では言わない。これ、ダンテの『神曲』の「地獄篇」(=インフェルノ)とおなじなんですよね。あれは地獄のなかを巡る話ですが、地獄のなかでその言葉を口にするのはよろしくない、ということで一度も「神」とは言われないんです。
小林:なるほど。ぼくはストレートに現代社会を描いたのかなって思ったんですけど。もちろん制作時期がいつかはわからないけど。
till:すごく時間をかけてつくるのが自分たちのやり方だと言っていましたね。ぼくは全体が3パートに分かれているような印象を受けました。5曲目 “Father And Son” までと、真ん中の部分と、『The Campfire Headphase』っぽい13曲目 “Deep Time” 以降のパートです。それに加えて、1曲目 “Introit” と2曲目 “Prophecy at 1420 MHz”、8曲目 “Acts Of Magic” と9曲目 “Memory Death” のように、楽曲のパーツがすごく似ていて、2曲で1セットになっているものもあります。だから、それぞれタイミングのいいときに制作して、あとでアルバムとしての形につなげたのかなという気がしました。パートごとに明らかに要素がちがうのが聴いていて面白かったですね。で、それにひとつなぎの作品としての強度を持たせられちゃうのがボーズ・オブ・カナダの作品性の特別さなんだな、と。だからこそ、このアルバムはある種すごくメタに、ボーズ・オブ・カナダの音楽、というフォーマットをこれまで以上に彼ら自身が認識して使いこなしているような気もしますね。
小林:終盤はたしかに『The Campfire Headphase』っぽい。
野田:ダンテの『神曲』っていう解釈は面白いね。それは本当にあるかもしれない。ただ、ボーズ・オブ・カナダらしくないアルバム名の直球さがずっと気になってるんだよね。ストレートすぎるじゃん。そういえば、『Music Has~』のとき、彼らは先住民の思想から影響を受けていたんだよね。カナダは先住民が多いじゃない。
小林:なるほど。となると、今回15曲目が “Arena Americanada” という曲で、そこに本来のアメリカ(北米)という概念、先住民の含意を読みこむこともできる。7曲目のように、音としてそうした民族的要素があるわけではないけれど。
野田:そうしたネイティヴとのつながりも、ある意味では神秘思想といえる。
till:“Arena Americanada” は細かくパーカションが鳴ってる曲ですね。リズムがくっきりしていて、メロディもはっきりあって聴きやすい曲です。別名義のヘル・インターフェイスみたいな、少し80年代趣味というか、どこかうっすらとディスコ趣味みたいなところを覗かせているような気もしましたね。個人的にはすごく好きな曲です。
小林:ディスコではないけど、音響がたしかに80年代っぽい。でもこれはたとえばヴェイパーウェイヴ以降のフェイクな80年代の音のイメージだと思う。そういう意味では、これもメタだし、さっき話に出た「ない」ものへの強烈な衝動というか。
野田:サウンドでいえば、ボーズ・オブ・カナダはケヴィン・シールズから影響を受けているって言われるじゃん。ケヴィン・シールズのギター・サウンドって、いわゆるギタリストの演奏というよりも、いろんな音の重ね方というか、その幻惑的なサウンドの塊というか、何かをペイントする感覚に近いでしょう。音を塗っていく感じ。ボーズ・オブ・カナダの音づくりもそれに近い。キャンバスに向かってテクスチュアを重ねていく、絵画的な方向。オウテカの音響彫刻とはまったく異なる。
小林:なるほど。
野田:マイブラほど官能的ではないけど、マイブラ以上に幻覚性は高い。
till:“Arena Americanada” は、当然ですがボーズ・オブ・カナダはアメリカ人でもカナダ人でもないから、外側から見ての「アメリカナダ」ですよね。「インフェルノ」というモチーフがすごくヨーロッパ的なのに、そこにある種強引にも「アメリカナダ」と入れてくるのは何かありますよね。それと、「ない」ものへの衝動という話でいえば「ボーズ・オブ・カナダ」という名称自体がそもそもその最たるところですしね。彼らにとってのカナダは幼少期を過ごした、ある種幻想化されている時間や場所を含めたもののことであって、それはおそらく現実のそれとはかなり違っているでしょう。彼らが見た「アメリカナダ」はそもそもそうした大きく歪んだレンズを通したものである、ということは重要なんじゃないかと思います。
野田:なるほどなるほど。
小林:アメリカ絡みで言うと、『The Campfire Headphase』に “Dayvan Cowboy” という曲があって。
till:ロック寄りの曲ですよね。前半と後半に分かれていて。
小林:そう、ギター主体の曲。「ダイヴァン」って何かというと、背もたれのないソファとか長椅子のことらしいんです。つまり「ダイヴァン・カウボーイ」って、「安楽椅子探偵」のイメージに近くて、自分自身は動かないでいるカウボーイのこと。それでMVも、成層圏からダイヴしてサーフィンするという現実には不可能な、むちゃくちゃなものだった。2005年という当時のタイミングで解釈すると、これはもうブッシュ・ジュニアのことだとしか考えられなかったんです。ホワイトハウスで「大量破壊兵器があるから爆撃してこい」ってむちゃぶりするカウボーイ。
till:ヴィンス・ステイプルズの新作『Cry Baby』のジャケットが、泣きわめいている赤ちゃんにアメリカの国旗を着せていて。トランプですよね。それとも少し似ていますね。
小林:そういう仄めかしで言えば、やっぱり今回の「インフェルノ」は現代の比喩だとしか思えないんですよね。あまりにむちゃくちゃな時代だから。[追記:くしくもこの座談会の前編を公開した前日の5月28日、ホワイトハウスが15秒の自身のプロモーション動画をXで公開、そこで今回のボース・オブ・カナダ新作の楽曲が使用され、ファンのひんしゅくを買っている]
野田:それでもアルバムの後半には、温かみのある展開があるし、決して、その「地獄」という言葉からイメージに支配されている内容ではないと思う。
小林:ところで、ボーズ・オブ・カナダのアルバムはいつもCDの尺が前提で、長いです。今回も18曲で70分ある。毎度この長さはなんなんだろう。
till:たぶん「70」に意味があるんだと思います。彼らのレーベルは〈Music 70〉ですし。
小林:なるほど。一見60年代の10年間を指しているように見える『Music Has~』の “Sixtyten” も、じつはフランス語の数え方を英語に置きかえていて、「70」の意味らしい。
till:おそらく数秘術ですね。
小林:『Geogaddi』には “Music Is Math” という曲もありました。
till:数字に意味をこめるところは、90年代の一部のヒップホップを想起させます。ネイション・オブ・イスラームから影響を受けた5パーセンターズとも通じるような。
野田:長いのは、彼らの音楽はエレクトロニック・ミュージックに多い、いわゆるヴァーティカル志向のものじゃない、物語性があるからじゃないの。つまり、最初から最後まで聴かないとわからんよ、みたいな。
till:なるほど。ボーズ・オブ・カナダの音楽は映画的でもありますよね。ただ漂う雰囲気だけを提供しているというより、しっかりと注目させるようなフレーズや要素があって、そこにフレームを合わせ、じっくりとストーリーテリングを行っていく感じ。
野田:映像的な感覚は、エイフェックスやオウテカにはないもんね。
till:彼らのメロディ主義みたいな部分の根底もそこにあると思います。ヴァンゲリスというか。
野田:ヴァンゲリスからは彼らは影響受けているよ。
till:やっぱりそうですよね。最近『ブレードランナー』をすごく聴いてるんですが、ボーズ・オブ・カナダにはそれと通じる感覚があります。とくに “Memories of Green”。
野田:あと、冨田勲も彼らは好きだそうで。やっぱロマン主義だよね、そしてテクスチュアとメロディ重視。ボーズ・オブ・カナダのビートの話だけど、リズムは時代がわかっちゃうでしょ。これはディスコ(70年代)、これはハウス(80年代~90年代)、これはテクノ(90年代)、これはダブステップ(00年代)とか。だからリズムはシンプルにしているらしいよ、時代的な属性から解放するために。
till:新作も、最初は素朴なアルペジオからはじまりますよね。メロディにおいてタイムレスさを追求しているのは面白いですね。
野田:そういえば、ホース・ローズの新作が、今回のボーズ・オブ・カナダとはまた対極のコンセプトで面白かったね。現世という地獄を天国にせよっていうのがホース・ローズのアルバム名なんだけど、おそらくその制作の起点にある現状認識は共通しているんだと思う。ただ、作品の構築の仕方も、その表現の仕方も真逆なんだよね。
小林:スリーフォード・モッズの新作も現状認識は共通しているかも。
野田:俺なんか、ボーズ・オブ・カナダには徹底的な逃避主義を期待していたんだけどね。
小林:でも、その役目もある意味では果たしているのでは?
野田:ある意味、そうだね。ただ、今回の話題をきっかけに、初めて聴く人には、まずは『Music Has~』から聴いて欲しいし、愉快な気持ちになりたかったら、“Aquarius” を何回も聴けばいい。俺はまだ、新作を1回しか聴いてないけど、何回も聴いたらもっと好きになるかもれないし、あとさ、tillくんみたいなDJがアルバムのどれかを選んでフロアでかけて、そして「なにこれ?」ってヒットさせてほしい。彼らのルーツはクラブ・ミュージックではないけど、少なくとも日本で彼らの音楽を最初に広めたのは、メディアでもライターでもなく、DJとそれを聴いた人たちだったわけだからね。
小林:たしかに、フロアで聴いたらまた印象が変わりそう。