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RIP

R.I.P. Brian Wilson

R.I.P. Brian Wilson

追悼:ブライアン・ウィルソン

野田努 Jun 16,2025 UP

 ぼくがブライアン・ウィルソンを悼むのなら、 “グッド・ヴァイブレーション” という、1966年10月10日にリリースされたシングル曲にまずは絞りたい。この曲を、ひとがまっさらな状態で初めて聴いたら、洗練された、じつにキャッチーなポップスだと思うだろう。リリース前からほとんどのラジオDJたちが、確実にナンバー・ワンになると太鼓判を押したほどだ。ビーチ・ボーイズ特有のファルセット、そして広い音域のハーモニーが滑らかに流れ、ときに沈み、ときにたたみかける。祝祭と高揚感が駆け抜けていくようだ。「ぼくは彼女のカラフルな服が大好きさ」、カール・ウィルソンの歌い出しだ。「そして太陽の光が彼女の髪に戯れる、そんなところもね」。曲は、2ヴァース目からギアを入れ替え、魔法のジェットコースターさながら突き進んだかと思えば、止まり、また空に上がっていく。「グッド・ヴァイブレーションを感じるんだ」
 だが、この曲を2回目、3回目と、より深く聴いてみると、その奇妙さに気が付くかもしれない。歌の下地では変な音が鳴っているし、だいたいこの(テルミンを使った)電子音による不気味なエンディングはなんなんだ? 声にはテキスチュアがあり(つまり、声も楽器だ)、生演奏ではあり得ない展開を見せている。そうか、そういうことか、3分35秒に圧縮された濃密なこのサイケデリアは、じつに複雑な構成をもったテープ編集による芸術品なのである。アート・ロックなどという色気のないジャンル用語で括られる音楽の初期型にしてその傑作、その未来だった。
 『ペット・サウンズ』の制作費が7万ドル、そして “グッド・ヴァイブレーション”たった1曲には5万ドル(あるいはそれ以上)が費やされたと言われている。ポップ・ミュージックは、スタジオを3時間おさえてシングル1枚分の2曲録る。これが当時の標準的なやり方だった。“グッド・ヴァイブレーション”は1966年2月に構想をはじめて、そして……。もちろん、ビートルズやビーチ・ボーイズのようなバンドは、すでにこの頃、高額を要するスタジオをある程度自由に、時間を気にせず使える立場にあったとはいえ、ブライアンは、スタジオでさまざまなモジュールを4月から3か月かけて録音し、そして途中どうしたらいいのか混乱し、自信をなくし、投げ出したりもしている。
 ブライアンがビートルズ(あるいはフィル・スペクター)に対して異常なライヴァル心を抱いていたことは後年よく語られていることだ(のちにビートルズの敏腕宣伝担当者を招聘したほどだった)。しかもバンド名が「The Bea——」まで同じで、アメリカにおいてはレコード会社も同じ〈キャピトル〉。『ペット・サウンズ』が『ラバー・ソウル』に触発された話も有名だ。“グッド・ヴァイブレーション”に注がれた狂おしい情熱もまたビートルズを超えることに向けられていた。ブライアンは、『リボルバー』が発売された1ヶ月後の9月にスタジオに入って、 “グッド・ヴァイブレーション”を完成させたのだった。

 この曲は(というかビーチ・ボーイズは)、1990年初頭、いわゆる渋谷系の時代にそれまでニューウェイヴを聴いていたリスナーのあいだでリヴァイヴァルしている。あの頃、2台のターンテーブルを手に入れたぼくたちは、家のなかで“グッド・ヴァイブレーション”を聴いては旅をして、『オール・サマー・ロング』や『トゥデイ』、そしてあまり評価の高くない『ビーチ・ボーイズ・パーティ』のようなアルバムを聴いては上がっていた。ぼくたちはぼくたちのためにそれらを聴いた。名盤だから聴いたわけではない。欲していたものがそこにあったから、聴いた。ビーチ・ボーイズは、身体的でもあり感情的でもあり、試しさえすれば何でもできるんだというあの時代の前向きな気風に合っていたし、と同時に、そんな楽しい時間は長くは続きやしないということも、『ペット・サウンズ』を通して語ってもいた。言うまでもないことだが、ビーチ・ボーイズはビートルズがそうであるように、複雑で奥深い。

 さて、もうひとつ、ぼくに何か書けるとしたら、その音楽が21世紀のインディに多大な影響を与えているということになる。それは『ペット・サウンズ』の、“スループ・ジョン・B”のような多幸感やサウンド面におけるLA的な混合——ハーモニー、サーフ、ラウンジ、エキゾティカ等々——といっしょに聴こえる美しさとメランコリア、すなわち“ドント・トーク”や“キャロライン・ノー”から立ち上がる悲しみ、儚さ、ブライアンの弱さのようなものが1966年当時よりも共感を得やすいからではないだろうか。
 ブライアン・ウィルソンの音楽は、たとえばスーパーボールで観られるようなマチズモ的な米国ポップとはずいぶん異なっている。彼の音楽は、基本的にソフトだ。ジェイムズ・ブラウンからの影響も含まれる “グッド・ヴァイブレーション” でさえ、あれだ。サマー・オブ・ラヴを象徴するアーティストには、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、オーティス・レディング、あるいはスライ&ザ・ファミリー・ストーンにしろ、多かれ少なかれハードでタフなイメージがある。1967年、ビーチ・ボーイズはモントレー・ポップ・フェスティバルのメイン・アクトを務める予定だったが、出演を取りやめた。一説によれば、ラインナップを知ったブライアン・ウィルソンが不安に駆られパニックに陥ったこと、それからビートルズが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』をリリースしたこともその原因にあったという(まあ、それは『スマイル』発売の頓挫にも繋がる)。とどめは、モンタレーで絶賛を浴びたジミ・ヘンドリックス(エクスペリエンス)が言ったひとことだった。「もうサーフ・ミュージックは終わったんだよ」

 萩原健太氏の『50年目のスマイル』には、氏がヴァン・ダイク・パークスに取材したさいの興味深いエピソードが綴られている。かいつまんで言えばそれは、『スマイル』がまったくスマイリーな思いのなかで制作されたものではなかったという話だ。「(その頃)アメリカは苦難の時期にあった」と、ウィルソンと知り合ってすぐに“英雄と悪漢”の歌詞を書いたパークスは言っている。「私とブライアンがとりかかっていた仕事のなかには、無意識だったかもしれないが、それが不可避だったんだ」*
 シングル盤「グッド・ヴァイブレーション」がリリースされてからおよそ1か月後、ロナルド・レーガンがカリフォルニア州知事に当選した。新右翼がアメリカ史のなかで台頭するのは、サマー・オブ・ラヴの真っ只中のことだったのである。レーガンは、カウンター・カルチャーの種子たち——バークレーで反ベトナム戦争運動に身を投じる学生たち、それからオークランドの黒人活動家たちを目の敵にし、ドラッグとロックンロールを公然と非難した。やがてロサンゼルスのサンセット・ストリップでは、ヒッピーや学生たちと政府との激突がはじまった。愛の季節に暗い風が吹く。だからあの曲の終わり方は、あれは正しかったのだとぼくはあとから思った。“グッド・ヴァイブレーション”は永遠に続きはしないがゆえに、しかし、だからこそこの曲は永遠を手にした。21世紀のインディ・ロックはブライアン・ウィルソンの創意工夫に、そして曲から聞こえる愛と悲しさ、優しさと傷つきやすさに共感した。ぼくはそれが悪いことだとは思わない。間違いなくこれからも、小さなベッドルームのなかで、ビーチ・ボーイズは聴かれ続ける。
 2025年6月11日、82歳で、ポップの軌道を変えた天才は旅立った。

*萩原健太 著『50年目のスマイル』p207

野田努

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