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Columns

R.I.P. Max Romeo

R.I.P. Max Romeo

追悼マックス・ロミオ

文:鈴木孝弥 Apr 18,2025 UP

 もう一度ジュリエットに会いたいという思いがたかぶり、ロミオは彼女の家の敷地に忍び込む。――あの恋愛劇、屈指の名場面だ。ジャマイカはセイント・アン教区で生まれ、18歳でキングストンに出てきたカントリーマン、マックスウェル・リヴィングストン・スミスは、ある朝、ある女の子の家の門のところで彼女と話をしていた。彼女の父親は二人の脇を通って仕事に出かけていったが、その後も若い二人は時間を忘れて話し込み、そのうちに、なんと父親は一日の仕事を終えて帰ってきてしまう。「なんだオマエ! 同じ場所に……同じ服……あれからずっとここにいるのか? 帰れ! オマエはロミオか!」。周囲にいた人々は爆笑し、それ以降マックスウェルはその界隈で「ヘイ、ロミオ!」と冷やかされるようになった。というエピソードを気に入った芸名創作の天才、スーパー・プロデューサーのバニー〝ストライカー〟リーは、かくして〝MAXで愛に生きる男〟を世に送り出すことになるのだ……「夢精」というロマンティックな曲で(笑)。と、追悼文の冒頭にして、似つかわしくないファニーなオチがつくのだが、そのロミオはそこから三、四年のうちには社会派に転向し、以後終生そのパブリック・イメージとなる、ラスタ・コンシャスでポリティカルなルーツ・レゲエ界屈指のプロテスト・シンガーになってゆく。しかし実際のところ、2025年4月11日に80歳で没するまで、彼のメッセージは、その芸名にたがわぬスケイルの大きな愛に満ちていた。
 キャリアについて正確を期すと、マックス・ロミオになる前の彼は、ジ・エモウションズというヴォーカル・グループの一員だった。メンバーにはレゲエ史上最高のベイシスト、ロビー・シェイクスピア(スライ&ロビー)の兄であるロイド・シェイクスピアがいたが、そのエモウションズの流れからロミオは自身のバック・バンドとしてザ・ヒッピー・ボーイズを組織し、そのバンドがリー・ペリーのハウス・バンド:ジ・アップセッターズになり、それがボブ・マーリーのウェイラーズ・バンドに進展して世界的に成功する話と、その過程から派生してロビーとスライ・ダンバー、すなわちスライ&ロビーもワールドワイドにのしていったドラマティックな経緯については、以前ロビー・シェイクスピアの追悼文で書いた。ここで肝心なのはシェイクスピアつながりの二重オチではなく、マックス・ロミオがボブ・マーリー、スライ&ロビー、リー・ペリーの成功(要するにレゲエ史の中核である)の、その源泉に存在していたことだ。ある “星” の下に生まれた人物とは、経済的なあれこれは別問題としてそういうものなのだ。

 この数日で何ヶ国かから発信されたロミオの訃報記事を多数読んだが、どれも前掲曲、性的に露骨で直截的な “Wet Dream” に、そっと一言だけ(笑)言及している。同曲はまず1968年に本国で大ヒット。英《BBC》は放送禁止にするも、翌69年に彼にとって最初の国際的なヒット曲となり、かつ、ある記事によれば結局彼最大の商業ヒットとなったらしいから、ややもすれば代表曲扱いされてもおかしくないのであり、無論業績として触れないわけにいかない。その一方、レゲエ界で最も信用されるコンシャス・シンガーのひとりとして生きた晩年の重鎮は、半世紀前に「夢精」なる曲を書いて歌った “若気の至り” を恥じていたか? ……といえば、全くそんなことはない様子だった。映像やテクストでネットに上がっている近年のインタヴューでも、同曲の思い出について愉快そうに語っている。
 ――自分が書いた詞の内容を特に好んでいたわけでもないが、この曲を歌ってもらおうとしたスリム・スミスやジョン・ホルト、デリック・モーガンやロイ・シャーリーといた面々から歌詞のせいでことごとく拒否され、当時面倒を見てくれていたボス、バニー・リーの手前、誰も歌う人がいないならと、仕方なくボスのためにその “猥歌” を自分で歌うと決めたこと(しかし実際のレコードにプロデューサーとしてのリーの名前はクレジットされなかった)。また、同曲のレコーディングを《ジャメイカ・レコーディング・ステューディオ(ステューディオ・ワン)》を賃借りして行なおうとするが、リハで歌詞を耳にした同所のオウナー、コクスン・ドッドに追い出されそうになったこと、等々。
 しかし、彼は誇らしげにつけ加えている――こういう “口にしちゃいけないこと” を歌うことが、英国のタブー、性的な表現への偏見に対する挑発でもあったし、実際、イギリスのスキンヘッズは自分たちの性的な感情を解放するものとして、そしてタブーに対するアンチテーゼとしてこの曲を受け入れた。半世紀経って、いまだにスキンヘッドがオレのショウにやってくるとこの曲を要求される。自分から進んで歌いはしないが、リクエストされたら応えられるようにバンドは常にリハーサルしてるんだよ、と。
 以前、世界中のジャーナリストからこの曲について訊かれ過ぎてうんざりしたのか “敬虔なラスタファリアン” ロミオは、「あれは単に雨漏りの歌だ」とうそぶいたこと自体が今日伝説化しているが、そのユーモアを含め、義理堅さ、タブーに挑戦する姿勢、誠実さ、サーヴィス精神といった篤実家ロミオのキャラクターは既にこの曲にまつわるエピソードだけで全開になる。
 さらにこの “Wet Dream” (a.k.a. Leaky Roof・笑)は、聖俗、ときに清濁さえ併せ持ってこそのジャメイカン・カルチャーであるという、我々が愛する文化の本質を思い起こさせてくれる。ロミオは、今はなき『レゲエ・マガジン』の41号(1994年)、小玉和文によるとてもいいインタヴューの中でこう自認している――「ロイド・チャーマーズ、プリンス・バスター、デリック・モーガン、そしてオレが最初のスラック・シンガー四天王だった。でも、我々は今の連中の様にそうあからさまじゃないよ。オレのスラックをちゃんと理解するには想像力が必要なんだ」
 スラック(slack:卑猥)な歌の文化はどの国にもあったし、そんな歌を嬉々として歌っていたストリート・ボーイが敬虔なラスタファリアンに転身することは社会構造と歴史に開眼したゆえの成長であり、その点においてもマックス・ロミオはスラックネスからホーリーネスへと転じた現在のスーパースター、ブジュ・バンタンやケイプルトンの大先輩であった。
 エモウションズ~スラックネス・シンガーまでが第一期だとすると、そのロミオも第二期で社会派歌手へ転身、となる。彼の71年作『Let the Power Fall』のタイトル・チューンをPNP(人民国家党/民主社会主義政党)が72年の総選挙のキャンペイン・ソングに採用したとか、同党を支持したのに政権を奪取したあとのPNPの改革の遅さに失望したロミオが、同党首を批判するディス・ソング “No Joshua No” をリリースしたといったエピソードはロミオの訃報報道の多くに載っているし、政治とレゲエ(とラスタ思想)とが明確なリンケージを示した最も初期の例としてレゲエの教科書には必ず出てくる話なので詳述は割愛し、ここではロミオが、ジャマイカで音楽がポリティカルな力を持ち、武器にすらなることを示したパイオニアでもあることの確認にとどめる。このエピソードも、掘っていけば、国の行く末を案じた彼の真摯な思い、純真さや率直性が明らかになってくるのだが。
 盟友リー・ペリーと組んだ76年作、彼の最高傑作の誉れが高い『War Ina Babylon』についても、例えば収録曲の “Chase the Devil” が1992年にザ・プロディジー “Out Of Space” でサンプリングされヒットし、さらに10年を経て2003年にはジェイ=Zの “Lucifer” で、プロデューサーのカニエ・ウェストが同曲の天才的引用を見せたこと、さらには2005年にマッドネスがデニス・ボヴェールのプロデュースで名カヴァーを残していることまで含めて、もはや語り尽くされている。特に前者二曲がマックス・ロミオ(とリー・ペリー)の功績を、世代を超えて世界中に知らしめた功績には絶大なものがあった。この調子で、追悼文はもう少し続くが、長くて嫌になった人は文末まで飛ばして最後だけ読んで欲しい。先発のおそらくどの追悼文にも書いていない大切なことを書いたつもりなので。

 ずっと他の報道と重複することを書いてもつまらないので、自分の体験談として1980年代中期、オレが10代末に初めて買ったロミオの想い出深いレコードの話をしたい。それは日本盤のLP『ラヴィング・ユー』(ウーレル/ユピテル)だった。ジャケットは永井博のトロピカルなイラスト。当時最先端をいっていた、その絵のイケてるモードに惹かれないはずがなかった。今ならレゲエのレコードのヴィジュアルとしてはおよそ首肯しかねる種のものだが、何しろ大瀧詠一との『A LONG VACATION』の数年後、依然としてあの音楽とイラストが一世を風靡している時代の画伯の真骨頂たる図案の威力は絶大だったし、同時にそれをまとう音の中身も相当にイケてるのだろうと想像させた。しかし、そのジャケットの裏面にはロミオ、プロデューサーのジェフリー・チャンとキース・リチャーズの、言ってみれば “むさい” 写真がドカンと鎮座し、その表と裏のギャップに没入していくことをマゾヒスティックに欲した上に、盤のオビのうたい文句は〈サマー・インテリア1983 小麦色ミュージック~マックス・ロメオのおしゃれなレゲエ・アルバム〉とくるのである(……レコード会社の仕事は楽ではない)。だからといってやぶれかぶれな気持ちで買ったわけではなく、動機は明確にキース・リチャーズだった。ローリング・ストーンズ “Dance (Pt. 1)” にロミオがバッキング・ヴォーカルで参加したことのお返しに、リチャーズがロミオのアルバムで弾いていることを友人から聞き、ストーンズ・フリークとして〈買い物リスト〉に入っていたアイテムだったからだが、その晩、そいつに針を落とし、1曲目“Wishing for Love” がスピーカーから飛び出してきた瞬間、目に映る世界の色彩が変わったような衝撃を受けるのだ。スライ&ロビー、チナ・スミス、そして確かに『エモーショナル・レスキュー』期に多用していた奏法のキースらによるアンサンブルは、ファットでロックでスタイリッシュ(そのすべてがある!)だし、そのうわべをたゆたう優しげでセクシーでソウルフルなロミオの声の美しさに鳥肌が立った。それが、当時その言葉も知らなかった “ラヴァーズ・ロック” を生まれて初めて聴いた(もしくは初めて意識に刻まれた)瞬間である。つまり、オレにとっては初めてのラヴァーズ・ロックもロミオだったのであり、この原体験は、現在に至るまで自分のラヴァーズ・ロックに対する審美眼の基準になっている。同時に、本稿の冒頭に書いたロミオの芸名の由来を後年インタヴューで知った際、そのエピソードがまさしくストンと腹落ちしたのだった。
(ちなみに、アルバム『ラヴィング・ユー』の米オリジナル盤のタイトルは『Holding Out My Love to You』だ。また、この『ラヴィング・ユー』の他にも83年から85年にかけて『メイク・ウィ・ロック(Mek-Wi-Rock)』『アイ・ラヴ・マイ・ミュージック』『One Way』と、続々ロミオの日本盤が出ていたことが分かって次々に買い集めることになるのだが、それらの音源をライセンスしていたのが日本レゲエ界のゴッドファザー、石井志津男その人であることをのちに知ることになる。日本のレゲエ文化の黎明期にマックス・ロミオがこんなに熱心に紹介されていたことは今、再確認するに値しよう。《_WAH! Radio》に最近アップされた《24×7 RECORDS》の八幡浩司がホストのインタヴュー番組〈IN THE BEGINNING 石井志津男編〉でもその時代の話が聴けて非常に興味深い。https://soundcloud.com/radio-wah-328329842/sets/in-the-begining)

 80年代は、日本でも他に《NECアベニュー》や《タキオン》からのリリースもあった事実が、この国のリスナーがロミオを高く評価していたことの証左となる。当時の国内リリースからもう一曲印象深い曲として、前傾『One Way』収録の “The Birth of Reggae Music” を挙げておきたい。〈ジャーがベイスを入れて4分の4拍子をロックさせる。レゲエは山々の霊気から、ゲットーの飢えから、人々の魂の響きから生まれる。そのメッセージをバビロンに送りつけるんだ。闘いをギブアップすることはない〉と厳かに歌われる米《ワッキーズ》プロダクションの(2007年には独《ベイシック・チャンネル》から再発された)大名曲だ。
 90年代のUKジャー・シャカ・プロダクション二作とダブも忘れ難い。ロミオは80年代の後半に公私共に難しい時期を送ったらしいのだが、そのことと関係しているのか、この時期にあの立派なドレッドロックスを一度切り落としている。そうすることで「ジャーに対して自分がやり直すという意気込みを伝えたんだ」(前傾『レゲエ・マガジン』41号)ということだったようだ。シャカ制作の92年作『Fari - Captain of My Ship』のジャケット写真を見て、その風貌にとても驚いたことまでハッキリ覚えているが、そうまでして心機一転し、改めて立派なロックスをいちから大切に伸ばしていった後年の彼にも、その生真面目な一本気が偲ばれるのだ。
 新たな世紀に入っても、寡作ながらリリースを続け、むしろ積極的にヨーロッパを中心にツアーやフェス出演を何度となく行なったから、この頃のライヴ映像はDVD化もされたし、容易に目にすることができる。
 この一週間でそんなロミオの映像のいくつかを観、アルバムを初期から晩年までランダムに10枚ほど聴いた。そうすると、青々として瑞々しい美声から、艶が増し、円熟味を帯び、渋さが出てきて、枯淡の境地に至る、とても美しいグラデイションを生きた歌手だったことが実感される。もちろん冴えを欠くスランプ期もあったし、チープなサウンド・プロダクションのせいで美点が抑圧された作品もあるが、どんなときでも誠実さが温度感のある安心をくれたものだった。
 つい先頃、2023年にはヨーロッパを中心に約60箇所を回る〈フェアウェル・ツアー〉を敢行したことも記憶に新しい。彼は自分でキャリアの最期を決め、そこから逆算して大規模な最終ツアーを企画し、ファンに律儀にさよならを告げに行った。そうやって最後まで積極的に経験を積み重ね、魅力を増し、アーティストとして見事な着地を果たしたロミオの代表作が、遠い昔60年代や70年代にしか存在しないかのようなそのへんの追悼報道は一体どんな了見なのかと思う。この、まさしくセルフ・コントロールと “自己完結” を旨とした晩年、最終期にこそ、彼のキャリアの集大成、真の代表作があるとしたい。それが彼にふさわしい評価ではないか?
 2019年、フランスの《バコ》からリリースされた、おそらく純粋な意味での最後のフル・アルバムという扱いになるのだろう『Words from the Brave』がそれだ。“勇士の言葉” などと自らの作品を具体的に、そして力強く形容したアルバム・タイトルは過去になかった。また、シングル “The Farmer's Story” ではキャリア初のMVまで制作し、自身のルーツともいえる18歳以前の貧しい農夫時代の記憶に立ち返っているのも何やら暗示的ではある。16年のツアーでバックを務めたフランスのルーツ・ヘリティッジ・バンドとの録音群に、マックス本人と息子のアジージ・ロミオが伴奏を用意した3曲を加えた全10曲。拙著『レゲエ・ディフィニティヴ』でも力を込めて激賞したが、この作品の激しさ、重厚さ、リッチさ、滋味深さは、遺作として驚異的としか言いようがないばかりか、全キャリアを通して見ても紛う方なき大傑作である。

 連中はオレたちをスポーツと戦争に使うのみだ。そして教会と酒場さえ与えておけばいいってんだろう。今吸ってる息がきみの最後の呼吸になるかもしれない。よこしまな政治屋に火を放て。苦しむ人々に圧をかけてくる奴らに。意味不明な説教を垂れる牧師にもだ。

 炎、炎、世界が燃えている。腐敗した政治家が炎をさらに煽っている。人は謙虚で柔和であるべきなんだ。蒔いた種は自分で刈り取ることになるのだから。

 このアルバムを聴いて弔いとすることをおすすめしたい。あなたが聴きたいマックス・ロミオはこれではないだろうか? というか、あなたが聴きたいレゲエはこれではないだろうか?

Profile

鈴木 孝弥/Koya Suzuki鈴木 孝弥/Kôya Suzuki
1966年山形市生まれ。タワーレコード渋谷旧店ジャズ・バイヤーを経て渡仏。帰国後はフリーランスの音楽ライター、翻訳家、『ミュージック・マガジン』レゲエ・リヴュワー。著書・監著書に『REGGAE definitive』『ルーツ・ロック・レゲエ』『定本リー“スクラッチ”ペリー』など。訳書に『キング・タビー──ダブの創始者、そしてレゲエの中心にいた男』『宇宙こそ帰る場所 新訳サン・ラー伝』『レゲエ・アンバサダーズ 現代のロッカーズ』『超プロテスト・ミュージック・ガイド』『ボリス・ヴィアンのジャズ入門』『セルジュ・ゲンズブール バンド・デシネで読むその人生と音楽と女たち』『コンバ──オルタナティヴ・ライフスタイル・マニュアル』など。

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