Home > Columns > Special Conversation- 伊藤ガビン×タナカカツキ
この春、発売された編集者・伊藤ガビン(61歳)によるエッセイ『はじめての老い』。本書は、薄毛や老眼、ブランコが怖い、筋力の低下や免許の返納について、らくらくホン問題、老害側に立って見えてきた景色……。60代を手前に、自身の体から刻々ともたらされる身体的・感覚的な老いによる変化をつぶさに見つめ、驚き、記録したもの。ポジティブ/ネガティブといった二極化で老いを語るのではなく、俯瞰した視点で老いを綴ったnoteの連載に、書下ろしを加えたエッセイです。
今回は、本の発売を記念して25年来の付き合いであり、帯にコメントを寄せてくれたマンガ家のタナカカツキ氏(58歳)と伊藤ガビン氏のオンライン対談を実施。本が立ち上がるきっかけとなったnote版「はじめての老い」の題字を担当するなど、ガビン氏とは前からの間柄だからこそ話せる老い以前/以後のこと、人生をどう終えたいかなど……前期高齢者(65歳~)という区分が迫りつつある初老の2人が語ります。
「年を重ねて体力も気力もますますパワーダウン」!
タナカカツキ
1966年、大阪府生まれ。85年に小学館『週刊ビッグコミックスピリッツ』誌にて新人漫画賞を受賞し、マンガ家デビュー。89年、初のマンガ単行本 『逆光の頃』を刊行。主な著書に『オッス!トン子ちゃん』、『サ道』シリーズ、天久聖一との共著『バカドリル』シリーズなどがある。また、カプセルトイ「コップのフチ子」の企画・原案も手がけるほか、水槽内に水草や流木、石などをレイアウトして楽しむ「水草水槽」の第一人者。近著に『はじめてのウィスキング』がある。『はじめての老い』note版の題字を担当し、書籍では帯の推薦コメントを担当。
伊藤ガビン
編集者/京都精華大学メディア表現学部教授
1963年 神奈川県生まれ。学生時代に(株)アスキーの発行するパソコン誌LOGiNにライター/編集者として参加する。1993年にボストーク社を仲間たちと起業。編集的手法を使い、書籍、雑誌のほか、映像、webサイト、広告キャンペーンのディレクション、展覧会のプロデュース、ゲーム制作などを行う。またデザインチームNNNNYをいすたえこなどと組織し、デザインや映像ディレクションなどを行う。主な仕事に「あたらしいたましい」MVのディレクション、Redbull Music Academy 2014のPRキャンペーンのクリエイティブディレクションなどがある。また個人としては、201年9あいちトリエンナーレや、2021年東京ビエンナーレなどにインスタレーション作品を発表するなど、現代美術家としても活動。編著書に、『魔窟ちゃん訪問』(アスペクト)、『パラッパラッパー公式ガイドブック』(ソニー・マガジンズ)など。現在は京都に在住し、京都精華大学の「メディア表現学部」で新しい表現について、研究・指導している。近年のテーマに自身の「老い」があり、国立長寿医療研究センター『あたまとからだを元気にするMCIハンドブック』の編集ディレクション、日本科学未来館の常設展示「老いパーク」に関わるなど活動範囲を広げている。
60代といえども我々はまだ働かなきゃならないわけですし ——タナカカツキ
そうですね、『はじめての老い』も、ある種のサバイバル戦略として書きはじめましたものではありますからね ——伊藤ガビン
文章の大天才がついに動き出した!
伊藤ガビン(以下ガビン):帯のコメントありがとうございました。カツキさんが帯に「文章の大天才が動き出した!」と書いてくれたことに驚きました。内容やテーマではなくそこを褒めるんかーい! となりました(笑)。余談ですが、最初amazonに本の紹介文が載ったときは「大天才」ではなく「天才」って書かれてたんですよ。それで版元に「あのー、カツキさんの帯文では“天才”ではなく、“大天才”なんですけど」と自ら訂正した経緯があって……え、何だこの時間? 自分に「大」を付ける時間がやって来るとは! とちょっと面映ゆかったです(笑)。自分では「文章の大天才」とは思っていないですしね。
タナカカツキ(以下カツキ):ガビンさんは文章の人ですよ。この本にしたって「老い」はモチーフじゃないですか。ガビンさんが書くなら何だって絶対に面白くなるから。もうね、私的には、『はじめての老い』はやっと大きな山が動いた! と感激していますよ。これまで表に出てこなかった大天才がやっと単著を出したって。これは世の中的にも大事件ですよ!
とにかくこの記事を読んでいる人に言いたいのは『はじめての老い』が発売に至った背景には長い歴史があるってことです。知り合って25年、ガビンさんの仕事を近くでみてきましたが、いろいろなプロジェクトはやってきたけれど単著だけは書いてこなかった。本のあとがきに、noteを始めた理由は嫁に言われたからとありましたけども。本当にそれこそ私も、ずいぶん前から散々、これだけ文章がうまいんだから書いてくださいよ! とすすめてきましたし、周りからもずっと言われ続けていた。それはある意味ガビンさんの中で、単著を出すというのは大切にしてきた部分でもあったはずです。だからこそ、そうやすやすと書いてこなかった。それがこの度、ようやくまとまった1冊の本になったことは、本当に世の中的にも大事件だなと。
ガビン:はい。やっと出しました。これは言い訳になっちゃうけど……自分の性格的なのかなんなのか、自分のことを後回しにしちゃうんですよ。たぶんそれを理由としたモラトリアムなんだと思うけど。ここ10年は、定期的に文章を書いて発表をすることから離れていたので、3年前にはじめたnoteは久々に取り組んだ文章の連載だったんですよね。
それで久しぶりに腰を据えて文章を書こうと思ったときにテーマをどうするか、どんな文体にするかはいろいろ考えたんです。で、あれこれ考えて、なんというか80〜90年代の自分が非常に影響を受けた文章のスタイルについて考えたような、そうでもないような。僕の文章には明らかに昭和軽薄体の影響があるし、自分はそういう風にしか書けないっていうのもあるのに、なんか、世の中的にはなかったことになっているなというのはあって、そういう文章は書きたいと思ったんですよね。そんな経緯があり、いままで共著とか編集者としてはいろいろと本を作ってきたけれどソロ・アルバムを出すタイミングが来たってことですね。で、本を出したからにはこれから執筆活動を活発にしなきゃいけないんですけど、どうしよう(笑)。
カツキ:60代といえども我々はまだ働かなきゃならないわけですし。
ガビン:そうですね、『はじめての老い』も、ある種のサバイバル戦略として書きはじめましたものではありますからね。ちなみに本にはカツキさん絡みの話もいろいろ書いているんですよ。戸田誠司さんの「濃霧が来るぞ」っていう発言もカツキさんと一緒にいたときの話だし。
カツキ:立ち会っていましたね(笑)。
ガビン:戸田さんが急に40代は濃霧が来るって言い出して、2人で「えっ、濃霧?」って顔を見合わせたよね(笑)。これは最終的には書きませんでしたが、カツキさんのお父さんのお話に影響を受けて、「カツラ」について書く予定もあったんです。「おもてなしとしてのカツラ」ってタイトルで。昔カツキさんが話していたじゃないですか。家で寛いでいたらお父さんがおもむろにカツラを脱いで机の横に置いてびっくりしたって話。
カツキ:ありましたね。あれは50年ぐらい前の話かな。当時、弟はまだ1歳で上手に発語はできないし、主語も述語もめちゃくちゃだった頃です。そんな弟が、目の前でカツラを脱ぐ父の姿を見て、「髪の毛ちょっとしかないね」って(笑)。人生で初めてちゃんとした文章になっている言葉を口にしましたから。あまりの衝撃で言語野に電気が走ったのかもしれない。
ガビン:いい話。
カツキ:そもそもなぜ父がカツラだったかというと、当時うちの父親はシャンプーやコンディショナーなどを、美容院に卸す美容業界の仕事をしていたんです。それなのに、髪が薄いと自分が営業している商品の信用にも関わるじゃないですか。
ガビン:取引先も「地肌にいいシャンプーなんですね(お父さんの頭に視線がいって)……???」ってなるよね。
カツキ:そう、信用がない(笑)。「お前が地肌にいいシャンプーを売っているのか」ってツッコまれちゃう。だからあくまで父としては、仕事のためにかぶっていたカツラだったんですけど、当時にしてはすごく自然な仕上がりで、至近距離で見ても絶対にバレないぐらいいい商品だったんですよね。なんでも、仕事の縁で知り合ったカツラメーカーに勤める友人のコネがあって、当時の新技術をつぎ込んだカツラ産業の黎明期の産物みたいなサンプルを特別にもらったそうです。今では当たり前かもしれませんが、白髪が絶妙なバランスで混ざっているカツラでしたから。
ガビン:50年前の話ですもんね。当時、カツキさんからその話を聞いたときは、世の中的にはまだカツラは揶揄の対象でしたよね。でも、もしかしたら自分の美的センスのためではなく対社会とか業務を円滑に進めるためにとか、礼儀として使っている人はけっこういるんじゃないかと思ったんです。まあそんな感じで、これまでカツキさんと交わしたいろんなやりとりから生まれた文章が、本の中にけっこう入っているよって話です。
一応、読者のために、我々がどういう関係かを話しておくと、いやべつにそんな特別な関係って言うわけでもないですけど(笑)。2人で初めて会ったのは30代の頃、僕がカツキさんの仕事を知っていて、いつか一緒に仕事するかもしれないなーと思っていたんだけど待てど暮らせど誰も紹介してくれないんですよ(笑)。で、「どうせいつか会うやろ」っていうことで、友人からカツキさんの連絡先を聞いて僕から直接連絡したんですよね。渋谷で2人で会いましょうって言って、初めて会って、なんかそのまま卓球しましたよね。
カツキ:初めて2人で会ったその日にね。
ガビン:カツキさんはすごく卓球していましたよね、その頃。
カツキ:2000年ぐらいでしたっけ?
ガビン:無言で卓球して、それを機にそれで僕がやってるゲームのプロジェクトに入ってもらって、ゲーム制作っていうことで毎日顔合わすようになり、気が付けばカツキさんの弟子筋の人たちもスタッフに入るようになり……。それがどんどんつながっていって、なんなら今も一緒に仕事していますしね。
カツキ:僕はもともと、純粋にガビンさんのファンだったんです。ガビンさんがやっている展覧会とかも見に行ったりしてて。それに当時、自分の読んでいる本とかにも名前が出てきますからね。だからそれで、なんとなくどんな人なのかイメージはできてたんですよ。だから、初めて2人きりで会うといってもいきなり旧知の感じでできないかな、って思って(笑)。
ガビン:それで初対面で卓球(笑)?
カツキ:同級生と久々に再会したぐらいの感じで(笑)。実際そんな感じだったよね?
ガビン:お互いに、どんな人でどんな仕事をしていて、何が好きで、好みとか嫌いなものとか、なんとなく自分と方向性が一緒というか、気が合うぞっていうのは、本とかで読んでいるからもう分かっていたから。
カツキ:初めて会ったのにもう「よそよそしい感じはやめましょう」ぐらいの(笑)。
ガビン:時間のムダですもんね。探り合いはショートカットで。僕は普段、完全に社交性ゼロの人間なんですけど、カツキさんのような「いずれ会うやろ」っていう人には直接会いに行くんですよ。まあその渋谷で卓球をした日から本当に毎日のようにいろいろ一緒にやっていた。ジャグリングしたりね。VJチームでLA行ったり。アレいまにして思えば一体なんの時間だったんだっていう。それで、これちょっと老いの話に関係あるかもしれないと思って思い出したのが、あの頃、カツキさんって年を上にサバ読んでましたよね?(笑)アレなんだったんですか?
カツキ:そうそう(笑)。あの頃、ちょっとだけサバを読んで35歳を38って言ってましたね。そうすると実際に38になったとき、「あれ? まだ38か」って心持になるから。対外的に貫禄を出すためとかじゃなくて、あくまで自分の心構えとしてサバを読む。
ガビン:ちょっとした老いへのシミュレーションね(笑)。その話もだし、カツキさんはもともと自分の人生の全体像を俯瞰するところがありますよね。子どものころにマンガ描き始めたのも晩年の回顧録のためなんでしょう?
カツキ:自分の回顧展をやる体でいろいろ作品を残してましたね、幼い頃から。
ガビン:人生を俯瞰してるところありますよね。人の人生まで俯瞰してるでしょ? なんとなく苦手な人と対峙しないとならない時、相手を勝手に「生前のこの人」ってテイにしてましたよね。「あー、このひとは嫌なやつだったけど、もう亡くなっちゃったしな……」みたいな視線で(笑)。サルバドール・ダリが相手の頭の上にうんこを乗せていたように。
カツキ:いや、鳩ね。
ガビン:あれ、うんこじゃなかったっけ? 俺、最近も何回かうんこって言っちゃってるかもしれない(笑)。
カツキ:鳩を頭と接着するときにうんこを使う……いや、フクロウだ! フクロウを乗せてさらに人を白塗りにするとなにも怖くなくなる、っていうことをダリは発見したんですよね。とまぁ横道にそれましたが、たとえ相手が嫌な奴でも、脳内で「生前の人」として受け止めたり、脳内イメージで相手の頭の上にフクロウを乗せたりすれば、大体のことは許せるというか。
ガビン:ビジネス書にかかれてない「なんとか思考」ですね。
カツキ:そうですね、ものごとをフラットに受け止めるライフハックとしてやってましたね(笑)。
ガビン:当時からお互いに今でいうメタ認知っていうか、いろんなことを俯瞰して考えてること、話していましたよね。たとえばすごく嫌な人から酷いことを言われて、怒らなくちゃいけないタイミングがあったとして、相手に怒りのメールを送る際にbccにカツキさんを入れたりとかしてました。関係ないのに。
カツキ:ccだと相手にバレちゃうからね。
ガビン:こっちとしてはカツキさんにメールを見てもらうことで、怒っている自分を一回俯瞰できるし他人事として見ることができる。「うわあ、この人本気で怒ってるわ」みたいな。そういえば一緒に会社やっていた人に送る決別メールも転送しましたよね(笑)。
カツキ:ありましたね。
ガビン:しかもそれはカツキさんに限った話じゃなくて、一時期、周りの人達に「怒っているメールがあったらちょうだい」と言ってメールを転送してもらっていました。第三者に感情が爆発したメールを送ることでその人への怒りをお焚き上げするみたいな。
カツキ:怒りを成仏できますからね。
ガビン:「嫌いな人誰?」って会話もよくしていましたよね(笑)。
カツキ:してた。好きな人じゃなくて嫌いな人の話。
ガビン:やっぱり「嫌いな人」って、ある種の同族嫌悪じゃないけど、どこかで自分と何らかの関わり合いというか被る部分があるから。そういったことをカツキさんと根掘り葉掘り聞きあったのはすごく面白かった。お互いの言動を俯瞰しながら観察して。