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細野晴臣

AmbientFolkPop

細野晴臣

Yours Sincerely

Echoes Baa

安田謙一 Sep 18,2026 UP
E王
 ———簡単に言うと、遅すぎるよ。
    Simply put, it’s too late。

 2026年9月2日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載されたインタヴューで、ここ数年、欧米のアーティスト、オーディエンスから再評価や称賛されていることに対して、細野晴臣はこう答えた。その真意を掘り下げるよりも、ここ数週間の細野の動きに刮目すべきだろう。
 9月2日に恵比寿LIQUIDROOMで行われたライヴでのMCで「心臓のカテーテル手術を受け、前日まで入院していた」と明かした。そして、16日、ニューヨークのレディオ・シティ・ミュージック・ホールで、ソロとしては2度目となる『The Yours Sincerely Tour』の初日公演を行った。イエロー・マジック・オーケストラの“O.K.”を皮切りにアンコールを含めて13曲を披露。MCではペースメーカー入れてるからリズムが狂うかも、とジョークも飛ばした。

 現在の海外での評価に結びついた要因について、時系列を追って振り返ってみる。2018年頃に、米〈Light in the Attic〉が『Hosono House』をはじめとする旧作アルバムが正式にリリースされた。その頃、長年の熱狂的ファンを自称するマック・デマルコが“Honey Moon”(『トロピカル・ダンディー』収録)をカヴァー、19年には細野のロサンゼルス公演のステージで共演している。
 同じく19年にはヴァンパイア・ウィークエンドが“2021”(アルバム『Father of the Bride』収録)で、細野の84年のアンビエント曲“Talking”(カセットブック『花に水』に収録)がサンプリング使用。22年にはハリー・スタイルズがタイトルに細野のソロ・デビュー作『Hosono House』(73年)からの影響を表したアルバム『Harry’s House』を発表、同年のグラミー賞最優秀アルバム賞などを受賞した。
 24年には〈ストーンズ・スロウ〉レーベルから『Hosono House』のトリビュート盤『Hosono House Revisited』がリリースされた。ここに参加したミュージシャン、パール&ジ・オイスターズ、ジョン・キャロル・カービー、ジェリー・ペイパー、サム・ゲンデル、韓国のセソニョン、そしてマック・デマルコらは、細野の音楽からの影響をそれぞれの表現方法で明かしているように思える。
 そして、2026年9月11日にソロ・アルバムとしてははじめて『Yours Sincerely』が世界同時発売された。この穏やかで、ユニークで、聴きこむうちに細野晴臣以外の何者でもない音楽が詰まったアルバムが、どう受け止められるのだろう。冒頭の、遅すぎる、という言葉が本作によって静かに否定される未来が見えてくる。
 
 アルバムの1曲目“Note of Mothership(母船の響き)”は女のひとと子供の声で、「ウィ・アー・マザーズ」という歌詞が繰り返し歌われる。リズムの細かい変化を繰り返したあと、メロディを伴わない声で「ウィ・アー・マザーズ」とメッセージを残し、曲名の「Mothership」に想起される、スピルバーグ映画で刷り込まれたイメージの空飛ぶ円盤の起動音とともに歌は闇夜に吸い込まれていく。
 この曲から、30年以上前に私が着ていたあるTシャツのことを連想した。アフロヘアの女性が大きく描かれていて、その頭の上には大勢の、人種を越えた子供たちが髪とともに生えるように並んでいる。そんなイラストが描かれていた。このTシャツは海外の友人からプレゼントされたもので、自分のセンスではなかったけれど、まあ、トム・トム・クラブのジャケ画みたいかも、と解釈して着ていた。サンフランシスコのフリー・マーケットや路上で、見知らぬ複数の女性から「素敵なTシャツね」と声をかけられたことを覚えている。このことを、ここに書こうと考えて、さて、なんてコピーが書かれていたっけ、と考えていたまさにその日に、通りがかった若い男性がこのTシャツを着ていて、さすがに驚いた。コピーは「My head is full of children」だった。検索してみると、キキ・スアレスという作家の画で、あいみょんがヴィンテージとして愛着していることから、今は人気があるという。なるほど。話を“Note of Mothership”に戻すと、この曲もきっと、かつてサンフランシスコで声をかけてくれたあの女性たちには間違いなくまっすぐに届くだろう、と考えた。
 2曲目は“Sincerely”。ラヴ・ソングである元歌を越えた、さらに大きな慈愛が、明快な日本語詞でジャズ小唄のように歌われている。マクガイア・シスターズによる55年のカヴァー・ヒットを念頭に置いている、とは気がつかなかったけれど、オリジナルである54年のドゥ—・ワップ・グループ、ムーングロウズのヴァージョンではないことは、そっちを愛聴していたので、すぐにわかった。ムーングロウズ版には、ネヴァネヴァネヴァネヴァ、アイラヴユーソー、と、クセの強い聴かせどころがあるのだ。〈チェス〉レーベルの2枚組編集盤『ザ・ゴールデン・エイジ・オブ・リズム・アンド・ブルース』が80年代にPヴァインからアナログ復刻されたもので聴いていた。このアルバムもさっきのTシャツ同様、もう手元には残っていない。 

 “Ayurveda”はもともと、大島弓子の「グーグーだって猫である」の実写映画化(08年、犬童一心)の挿入歌として書かれた曲。今回は原田郁子と角銅真美をフィーチャーして、愛らしく仕上げている。エレクトロニカのポリリズムが細野印のシグネチュアとなっている。
 “M for Mandala”はもちろん、ヒッチコックの『Dial M for Murder』(54年の映画『ダイアルMを廻せ!』の原題)のモジリ。ネーミング狂の細野が思いつくまま「M」ではじまる単語を走り書きしているメモが目に浮かぶようだ。U-zhaanのタブラをフィーチャーして、曼荼羅画の中へ没入するトリップ感が味わえる。繰り返される「Hush-a Mandala Ni Pali」は細野が90年代に遊佐未森、甲田益也子、小川美潮と組んだユニット、LOVE,PEACE&TRANCEの曲(02年に亡くなった福沢諸の作曲)からの引用。そういえば1曲目の“Note of Mothership”にもどこかLOVE,PEACE&TRANCEを思い出させるムードがあった。
 曼荼羅を彷徨っていたら、知らぬ間に“Rojiura (Walking Vibration)”に迷い込んでいた。“風をあつめて”の「背伸びした路地」や、“相合傘”の「路地はひっそり閑」を思い出すまでもなく、都市の散歩者、細野晴臣が日々、身近に感じているであろう風景が視えてくる。アナログ盤はこの曲までがA面となる。
 冒頭の3曲と同じく、“Happy Holiday”もまた、目の前に繰り返される災いに抗うかのように、ポジティヴな言葉が祈るように繰り返し歌われる。
 “To a Wild Rose(野ばらに寄す)”もまた然り。19世紀末に活躍した米国の作曲家、エドワード・マクダウェルによるシンプルなメロディを女性がハミングし、「美しい世界で暮らしたい。美しい世界を信じている」という言葉が英語で呟かれる。

 “Humming "Dream of Love"(愛の夢・第3番)”についての細野によるコメントが興味深い。東日本の震災から数年後に車の中で思い出したメロディにコードをつけ、曲として仕上げていく過程で、ポピュラー・ソングだと思っていたこの曲がフランツ・リストの“愛の夢”だと気づいたという。ここにポール・マッカートニーが夢の中でメロディを聴いた(=作曲した)“イエスタディ”の挿話と並べるのはどうかと思われるかもしれないが、メロディという、なんとも不可解な約束事を語るものとして、私の中ではとても近いものを感じる。
 この曲のデモ・ヴァージョンはすでに、小西康陽の監修したアルバム『はらいそ、の音楽/コーヒーハウス・モカレコーズの細野晴臣さんトリビュート・アルバム』に収録されている。このアルバム、複数のミュージシャンによる一発録りのパフォーマンスが素晴らしく愛聴しているのだが、最初は不自然に思えたタイトルの「細野晴臣さん」の敬称も自分の中ではキモとなっている。中国では「先生」と書く、「さん」がこれほどふさわしい人もそうはいない。いま現在、日本のポップ・ミュージックの世界において、「先に生まれている」ことを、これほど尊く意識される存在はほかにはいない。『A LONG VACATION』の大瀧詠一が30歳の遅咲きとされていた時代も今は昔。細野先生のおかげで、(デビューするのが)50,60当たり前、という世界が形成されている。
 先に生まれた作曲家、ベートーヴェンの“交響曲第7番”の第二楽章に、サラ・ブライトマンがゲーテの「魔王」からの引用詩をつけ歌ったもの、それを日本語に翻訳して歌ったものが“Figlio Perduto(失われた子供)”。コシミハルが、雪道を転ばぬような慎重さで一音ずつを丁寧に歌っている。ここまで使われたポジティヴな言葉とは相反して、とても厳しい悲劇が描かれているが、それ女性歌手が歌われるということで、細野はそこに母性の視点を感じ取る、と解釈している。
 リスト、ベートーヴェンと来て、作曲家、細野晴臣の作品が最後を飾る。“Anemo Wheel(風車)”はプロフェット5の音源で作られた、いわゆる打ち込み曲で、未発表だったもの。悪い夢なのか、いい夢なのか、さっぱりわからない夢を見ているような気持ちにさせられる。A面終わりの“Rojiura (Walking Vibration)”と背中合わせのコインのようにも感じる。

 最初、この原稿を書くために、Spotifyで配信された音源を聴いていたけれど、しばらくしてCDを買った。レヴュー用の試聴盤などで音源を聴いて、あとでアナログ化されたときに買う、というようなことも多かったので、CDで細野のアルバムを買うのは『omni sight seeing』以来、と気づいて笑ってしまった。
 タイトル「Yours Sincerely」(敬具)や、スリーヴの意匠が表現する「手紙」というサイズ感にCDがふさわしいと勝手に思い込み、ひっそり愛着を抱いている。
 先に触れた『はらいそ、の音楽/コーヒーハウス・モカレコーズの細野晴臣さんトリビュート・アルバム』の発売時に細野晴臣が『ミュージック・マガジン』2024年1月号にコメントを寄せている。最後には監修者の小西康陽が弾き語りへと表現を変化したことについて、こう締めている。
 「現在に至るまでのプロセスはどのような変化だったのか。何故か放っておけない気がして」
 細野はここで自分の音楽のことも語っていたのかもしれない。
 『Yours Sincerely』のライナーノーツの曲解説には「古典の名曲を3つとりあげたのですが、年齢を重ねて初めての境地を迎えた、ロック世代の変貌を敢えて提示したかったのです」と、あることを付けくわえておく。
 細野先生の新しい音楽。10曲26分という「長さ」にも、なにか大事な教えを受けた気持ちがする。

安田謙一