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キム・ドオン(Kim Doeon)の『SLAPSTICK』を繰り返し聴いていると、音楽を作ることそのものを楽しんでいる人なのだなと感じる。
1998年生まれ、ソウルを拠点に活動するキム・ドオンは、10代の頃からサンプリングを使った実験的な音楽を作ってきたという。2022年の『Damage』では、イ・イオン(eAeon)、イ・ミンフィ(Minhwi Lee)、ラッド・ミュージアム(Rad Museum)、ソ・ユン!(So!YoON!)、ラング・リー(Lang Lee)らを迎え、アンビエント、エレクトロニカ、フォークトロニカ、シンセ・ポップなどを横断する音楽を作り上げた。
そのキム・ドオンが2026年8月に発表した『SLAPSTICK』は、前作以上にポップだ。最初に聴いたとき、私は「2026年のテクノポップ」という言葉が浮かんだ。同時に、どこか「存在しないゲームのサウンドトラック」を聴いているような、奇妙に懐かしい感覚もあった。これは「いったい何なんだ?」と驚いた。
とくに耳に残るのが、80年代の電子音楽を思わせるシンセサイザーやドラムマシンだ。何より重要なのは、80年代の電子音楽が持っていた明るさや人工的な楽しさを、現代の感覚で作り直しているように聴こえた点だ。私にはその感覚がかなり新鮮だった。懐かしいのに、過去を振り返っている感じがしないのである。
全13曲。プログラミング、シンセサイザー、ドラムマシン、サンプラー、さらにミックスとマスタリングまでキム・ドオン自身が手がけている。キム・ジェホ(Kim Jaeho)がベースとアレンジ、ナンシー・ボーイ(Nancy Boy)がシンセサイザー、OMM..がエレクトリック・ギターで参加している。
このアルバムで私が面白いと思ったのは、音色への強い好奇心と、曲としての分かりやすさが矛盾していない点だ。珍しい音が次々に出てくるのに、曲そのものは決して難しくない。メロディがあり、リズムがあり、コードが進行する。そのうえで、音色が次々変化していく。サウンド・デザインを楽しみながら、ちゃんと「曲」を聴いているというバランス感覚がある。
その魅力が最もわかりやすいのが、わずか1分12秒の “Tap Dance” だと思う。足音が跳ねるようなリズムの上を、電子音の断片が次々に飛び交う。普通なら、もう少し長く聴かせてもよさそうなアイデアを、あっさり次へ進めてしまう。そのせいで曲の展開がとても速い。けれど、メロディとリズムがきちんと軸になっているので、置いていかれる感じはない。むしろ「次は何が出てくるのだろう」と耳を傾けてしまう。
続く “Butterfly Palace” も好きな曲だ。ボサ・ノヴァを思わせるリズムにカラフルなシンセサイザーが重なり、そこからエレポップへと展開していく。明るく軽快なのに、コードには少し意外な動きがある。そのため、単純に楽しいだけではなく、聴いているうちに景色が少しずつ変わっていくように感じられた。
“Storm” ではヴォコーダーを通した声が入る。硬いドラムマシンと人工的なシンセサイザーの中に人間の声が置かれることで、機械的な音楽なのに妙な感情が生まれる。シンセ・ポップとして素直に楽しめる一方で、声の処理が曲にちょっとした陰影を与えている。
“The Runaway Neon” になると、また雰囲気が変わる。どこかアジア的な旋律と電子音が結びつき、夜の街をネオンの光が流れていくようなスピード感がある。ここでは旋律や音色そのものが主役になっている。私はこの曲を聴くと、80年代のYMOを連想する。ただ、そこにあるのは単なるYMOの再現ではない。現代的な音響処理によって、過去の電子音楽の語彙が現在のポップ・ミュージックとして組み替えられているのだ。
中盤以降もこのアルバムは曲ごとに表情を変えていく。“Funny Animal” にはゲーム音楽のようなユーモラスな展開があり、“On The Way To Buy A Tie” は、「ネクタイを買いに行く途中」という妙に具体的で意味のありそうなタイトルそのものが曲の軽妙さにつながっている。“Wolmido Drift” ではシンセサイザーのアルペジオから音楽が滑り出し、本当に何かに乗って走り始めたような感覚になる。
こうして聴いていると、キム・ドオンの面白さは「どんな音を使うか」だけではないことがわかる。メロディが見えてきたところで音色を変える。安定したリズムの上に突然別の音を置く。サンプラーから取り出した音を、単なる効果音ではなく曲の構成要素として使う。音と音の組み合わせを変えることで、曲そのものが動いていく。
それを象徴しているのが最後の “Green and Pink” だろう。軽快なシンセサイザー、ドラムマシン、ベースに、加工された伽倻琴(カヤグム)が加わる。韓国の伝統楽器である伽倻琴も、ここでは「伝統楽器だから特別」という扱いではない。シンセサイザーやサンプラーと同じ、一つの音素材として置かれている。その軽やかさがいい。
こういう音の扱い方を聴いていると、私は1980年代中期の坂本龍一を少し思い出す。『音楽図鑑』『エスペラント』『未来派野郎』の時期の坂本も、サンプラーやシンセサイザーを使いながら、さまざまな楽器、声、異なる文化圏の音を取り込んでいた。そして、それらをメロディやコード、リズム、アレンジの中へ緻密に配置し、最終的には音楽として成立させていた。
もちろんキム・ドオンと坂本龍一を同じものとして聴く必要はない。ただ、音響的な好奇心をそのまま作品の面白さに変えてしまうところには、共通するものを感じる。音を集めること自体が目的なのではなく、音を組み合わせた結果として「こんな曲になった」という驚きがあるのだ。
そして、その感覚はアルバム・タイトルの「SLAPSTICK」にもつながっているように思う。スラップスティック・コメディでは、ひとつの動作のちょっとしたずれが次の出来事を引き起こし、予想外の展開が笑いになる。『SLAPSTICK』の音楽にも、それに似たところがある。
音が少しずれる。そのずれから別の音が生まれる。突然違う音が入ってきて、曲の方向が変わる。それなのに、音楽がバラバラにならない。そこにはメロディ、リズム、コードをまとめる確かな作曲の感覚がある。だからこそ、音の「ずれ」がそのままユーモアや躍動感になる。
『SLAPSTICK』の魅力は、ポップな親しみやすさと予想外の展開が同居しているところにある。過去の電子音楽から受け継いだ音色を現在の感覚で組み替え、サンプリングやシンセサイザーへの好奇心を、そのまま楽曲の楽しさへ変えている。
難しく考えなくても楽しめる。でも、注意深く聴くほど、音の置き方や展開の細かさが見えてくる。私には、それが『SLAPSTICK』の一番面白い点だった。カラフルで、軽やかで、少しおかしい。そして何より、音楽を作ること自体の楽しさが伝わってくる。キム・ドオンが作るテクノポップは、過去の電子音楽への目配せを持ちながら、きちんと「今」の音として鳴っているのだ。
デンシノオト