Home > Interviews > interview with midori jaeger - 静寂な水面にぽたりと落ちて波紋を広げていくような
きっと、誰もが一度は、目にしたことがあると思う。
大地を押し分けて伸びていく一本の茎。そこから芽吹いた葉は空に向かってめいっぱいに広がる。その先でゆっくり膨らんでいく蕾。その内側に畳み込まれていた鮮やかな色彩の層が、扇を開くように一気に解き放たれていく──そんな生命の躍動を数秒間に凝縮したタイムラプス映像を。
かつて発表されたEP「(Un)planted」はまさに、その絶え間なく前へ進む時間の歩みと、外側へ向かう生命のエネルギーを持ち合わせた作品だった。
だが、生命の営みはダイナミックな瞬間ばかりではない。
一滴の雫が葉の表面をすべり落ち、静寂な水面にぽたりと落ちて波紋を広げていくような、ミクロな世界が確かにそこにはある。
生物学者ユクスキュルは、それぞれの生き物が知覚する独自の主観的視界を「環世界」と呼んだ。意識しなければそのまま通り過ぎてしまう、無数のごくごく小さな出来事や感情のひだ。私たちの日常は、そうした繊細な最小単位の記憶で満ちている。
「(Un)planted」と対をなす『(Re)planted』で彼女が試みているのは、その時間の針を限界まで遅らせるスローモーション映像への移行だ。日常の底に沈む見過ごしそうな微細な感情や、心の内側の静かな移ろいを、かすかな息遣いとともに、ひとつずつ丁寧に掬い上げていく。
「根を引き抜かれること(Unplanted)」と「再び根を張ること(Replanted)」。この背中合わせのふたつのテーマを結実させたのが、このたびリリースされる『(Re)planted』だ。ロンドンを拠点に活動するチェロ奏者でありシンガー・ソングライターのミドリ・イエガーは、英国王立音楽院という格式高いクラシックの教育を受けながらも、そのサウンドは決して規範の枠には収まらない。
チェロの太い低音を打楽器のように跳ねさせるピッチカートや、複雑に交差する変拍子のグルーヴ。
アグレッシヴな躍動感と、淡く漂う浮遊感が同居するその響きは、世界的な評価も呼び寄せている。『ニューヨーク・タイムズ』紙での選出や、「BBC 6 Music」でのプレイにとどまらず、著名シェフのジェイミー・オリヴァーのプレイリストに選ばれるなど、国境やジャンルを超えて着実にその余波を広げている。
自らの葛藤に誠実に向き合いながらも、それを押し付けることなく、聴き手の誰もがそっと記憶を重ねられる「余白」を残す彼女のサウンドスケープ。ミックスルーツという背景や、自身が抱えてきた痛みを作品へと昇華させていくセルフ・セラピーのような創作の真意──ミドリ・イエガーが描き出す環世界、その物語を本人の言葉で紐解いていきたい。
チェロを弾きながら歌いはじめたのは、自分にとってひとつの解放というか、リラックスするための方法としてはじまったんです。むしろ私にとって大変だったのは、クラシックの非常に技巧的な奏法だけで演奏することでした。
■まずは『(Re)planted』、本当に素晴らしい作品でした。瑞々しくしなやかで、聴き終えたあとに静かな活力が湧いてくるような音楽に出会えたことが、心からうれしいです。その作者であるmidoriさんにインタヴューできることを、とても光栄に思っています。本日はよろしくお願いします。
H:ありがとうございます。よろしくお願いします。すみません、英語の方が話しやすいのですが、頑張って日本語でもお話ししてみますね(笑)。
■現在はロンドンを拠点にされているとのことですが、最近の生活や音楽活動のなかで、うれしかったことや、心地よく過ごせたと思えたエピソードなどはありますか?
H:私の普段の生活は、基本的に旅をしていることが多くて。じつは昨日ドイツから戻ってきたばかりで、ロンドンにはあまりいなかったんです。でも、そういうところが私の音楽人生の好きなところでもあります。いつも旅をしていて、それに何より、いろいろなアーティストと一緒に演奏する機会があって。たくさんのコラボレーションに恵まれていて、本当にラッキーだと感じています。
先週のことなんですが、Tanita Tikaramというアーティストと一緒に演奏しました。それが最近のうれしかったことですね。2公演あって、フランクフルトとイェーナという、ドイツの別の街で演奏したんですが、かなり大きな編成のバンドだったんです。こういうアンサンブルで演奏する機会ってじつは珍しくて。ドラム、ベース、ヴァイオリン、チェロ、ギターが2本、そしてTanitaという編成でした。彼女は本当に温かい人ですし、とても興味深い人物なんです。最近あったうれしい出来事としては、それですね。
■英国の音楽院で、1日9時間も練習するような厳格な教育を受けながらも、チェロを弾きながら歌う、という独創的なスタイルを確立されましたよね。既存の枠組みから離れて、自分だけの表現へ踏み出したきっかけや転機は何だったのでしょうか?
H:クラシックの教育を受けられたことは、本当に恵まれていたと思っていますし、私自身もクラシック音楽が大好きなんです。ただ、私の先生たちは、私が自分自身の音楽を作ることにはあまり賛成ではなかったんですよ。自分で曲を書いたり歌ったりしていることを話すと、「そんなのは時間の無駄。そんなことをする時間があるなら、ショスタコーヴィチでも練習しなさい」と言われたりしていたんです。でも、そうやって反対されたことが、かえって「自分の音楽を表現したい」という気持ちをより強くしてくれたように思います。だから、何かひとつの大きな転機があったかというと、そういうわけじゃないんですよね。すべてが少しずつ積み重なってきた、という感じで。学生時代を通してずっとそうだったし、子どもの頃から私はつねに曲を書いていました。振り返ると、いちばん好きだったことは曲を書くことだったと思います。ただ、自分が書いた音楽を人に聴いてもらうことには、とても恥ずかしさを感じていて消極的でしたね。
■チェロという、物理的にも大きく、重厚で太い響きを持つ楽器を弾きながら歌う際、身体の使い方や姿勢、息遣いなど、アンサンブルとして成り立たせる難しさや工夫はありますか? 両立させるのがとても大変そうなのですが……。
H:おもしろいことに、チェロを弾きながら歌いはじめたのは、自分にとってひとつの解放というか、リラックスするための方法としてはじまったんです。むしろ私にとって大変だったのは、クラシックの非常に技巧的な奏法だけで演奏することでした。でも、自分なりのスタイルでチェロを弾きながら歌うようになると、何かがふっとほどけていくような感覚があったんです。複雑なことをやっているにもかかわらず、不思議と大変さは感じなくて、むしろとても瞑想的というか。[日本語で]“ひょっとする? ほっとする”?(笑)。自分が本当に伝えたいことに対して、とても誠実でいられる感覚があるんですよね。だから、私にとってはチェロと声が織りなす独特のリズム、そのリズムの掛け合いそのものが、とても心を落ち着かせてくれるものなんです。
■なるほど、すごくおもしろいですね。少し意外でした。では、次は作品について伺わせてください。今回「(Un)planted」と『(Re)planted』をひとつの形としてリリースされた背景には、どのような意図があったのでしょうか? それぞれに込めたテーマや想いなども併せてお聞きしたいです。
H:この質問は理解できたと思うので、(質問を英訳しないで)答えてもいいですか? 忘れる前に話したくて(笑)。このふたつの作品は、それぞれ別の作品ではあるけれど、お互いに繋がっているんです。核になっているのは、「土のなかから引き抜かれる(unplanted)」ということ。そして、自分のルーツを離れながらも、新しい場所で「再び根を張る(Replanted)」というイメージですね。これは、私自身が子どもの頃にいくつもの国に移り住んだ経験と深く結びついています。さまざまな文化を自分のなかに抱えながら生きること。その体験が、この作品の根底にあります。だから、この2作のテーマはとても密接に繋がっているんです。居場所やアイデンティティ、そしてミックスルーツであること。そういうテーマがありますね。
■ということは、この作品はまさにmidoriさんの人生そのものという感じなのでしょうか。ご自身のなかで、過去のことを思い出したり、また、自分の思い通りにいかないことだったり、様々な感情の変化がグラデーションのようにあったのではないかと想像します。そのあたりの心情を、もう少し詳しく聞かせていただけますか?
H:「引き抜かれること」と「植え直されること」という考え方は、そうした経験のさまざまな形を包み込めるイメージでもあると思っています。たとえば、最初のEPの「(Un)planted」には、“動き” “移動” という感覚が強く表れていて、ビートが多く使われていたり、テンポも速くて全体的にエネルギッシュな作品になっていますね。たとえば “exasperate” は、とてもせわしなくて張り詰めたエネルギーに溢れた曲ですし。これは、人間関係のなかで、お互いが強い苛立ちやもどかしさを抱えていた状況から生まれた曲なんです。一方で、『(Re)planted』には、もっと穏やかで静かな曲が多く収録されています。最後の曲の “lungs” は、じつは私の祖母について書いた曲です。祖母は病気を患い、肺を悪くしてしまいました。祖母が亡くなる前に、私は日本にいた祖母に会いに行くことができなかったんです。この曲で表現したかったのは、たとえ世界のどこにいても、愛する人とは同じ呼吸をしていている、という感覚なんですよね。遠く離れていても、私たちは同じように呼吸している。その思いが、この曲の核になっています。さらに、その感覚は『(Re)planted』というテーマにも繋がっているんです、少し説明が難しいのですが、遠く離れていても、私たちはひとつの呼吸を共有している……そう考えることで、私は自分が新しい土地に根を下ろしていくような、心の落ち着きをみつけることができた。うまく質問の答えになっていると良いのですが……とても複雑な話なんですよね。
■おばあさまのお話しまでしてくださり……ありがとうございます。では次は、具体的な曲についてです。このアルバムは全体を通して「間(ま)」、英語でいうところの “space” がとても重要な要素のひとつだと感じました。声と声のあいだの息遣いや、チェロの弦が弾け終わった後の余韻など、無音の瞬間があちこちに張り巡らされている印象です。特に “exasperate” では、その「間」にクラップ音や「ハッハッ」という短い吐息が挟み込まれることで、独特の緊張感が演出されているように感じられました。“wait” ではところどころ逆回転の音? も聞こえます。もし違っていたらごめんなさい。こうした「間」や細やかな音の配置については、どこまで意図的に取り組まれていたのでしょうか?
H:“wait” にはリヴァース・エフェクトを使っているので、合っていますよ(笑)。レコーディングに関しては、今回は、友人のフェリックスとふたりだけで制作しました。11曲をわずか10日間でレコーディングしなければならなかったので、全然時間に余裕がなかったんです。だから、何をするにも本当に素早く判断していかなければいけなかった。制作は基本的に、まず私がチェロを弾き、それからヴォーカルを録音して、そのふたつを軸に楽曲を組み立てていく、という方法を取りました。“wait” だけは例外で、あの曲にはチェロは入っていませんよね。あれは、スタジオで即興的に生まれた曲なんです。だから、すべての選択にはちゃんとした意図があったと言えます。ただ、その意図は同時に、とても直感的なものでもあったんですよ。1日に1曲仕上げていくようなスケジュールでは、じっくり考え込む時間はありません。だから、自分たちの直感を信じるしかなかったんです。「この曲はこういう雰囲気を求めている」「この曲には音を重ねすぎない方がいい」「逆にこの曲はもっとレイヤーを重ねた方がいい」……そんなふうに、その場で判断していきました。仰っているような細かな音作りも、もちろん意図的に選んでいます。でも、それは時間をかけて試行錯誤したというよりも、「これが良い気がする」と感じた瞬間での判断でした。ああでもない、こうでもないと延々と熟考したというよりも、この曲の流れならこれだね、とごく自然に決めていったんです。
■すごい! 10日間で制作したんですね……驚きました。
H:ありがとうございます(笑)。
遠く離れていても、私たちはひとつの呼吸を共有している……そう考えることで、私は自分が新しい土地に根を下ろしていくような、心の落ち着きをみつけることができた。
■次は、歌についてです。チェロの印象が強いmidoriさんですが、歌声もすごく魅力的ですよね。透明感がありながらも凛とした強さやしなやかさがあり、すっと心に響いてきます。先ほどお話しされていたような、辛いことや葛藤のような感情を言葉に乗せて歌う行為は、midoriさんにとってどんな感覚ですか?
H:私が曲を書きたくなるのは、たいてい何か辛いことや苦しい出来事を経験したときなんです。私にとって、曲を書くということは一種のセルフ・セラピーなんですよね。まず、自分の気持ちを書き留めたり音楽を演奏したりして、最終的にそのふたつがひとつの作品になることもあります。だから、痛みそのものが創作のきっかけになっているのかもしれません。それに、辛い経験について曲を書くと、不思議と書き終えたあとは少し気持ちが楽になっているんです。ただ、そうした曲ができたばかりの頃に、人前で演奏するのはとても大変だったりします。その曲は、それまでは自分だけのとてもプライベートな場所に存在していたものですからね。それを人前で演奏することには、自分自身をさらけ出すような感覚があるんです。でも、何年も演奏し続けている曲になると、その曲との関係も少しずつ変わっていきます。演奏するという行為そのものが、新しい意味を持つようになる。その曲にはいまでも当時の痛みが込められていますし、オーディエンスにもその感情はきっと伝わっていると思います。一方で、私自身はそのたびに同じ痛みをもう一度味わわなくてもよくなっていくんです。
■ちなみに、言葉選びで大切にしていることはありますか?
H:とても良い質問ですね。私はまず、自分自身に正直であろうとしています。曲を書くときは、自分の本当の感情に対して誠実でいようと心掛けているんです。同時に、何らかの形で美しいものにしようともしている。つまり、他の人が聴いても楽しめるものにしたい、ということですね。もし、自分の感情にただ正直であるだけなら、きっと「悲しい」「もう嫌だ」と言っているだけになってしまうと思うんです(笑)。でも、実際には、そこに何かイメージを加えたり、少し曖昧さや余白を持たせたりして、他の人たちが自分自身を重ねられるようにしたいと思っています。だから、正直さだけではなく、そこに何か別の要素も必要なんですよね。
■なるほど。この作品にどこか親しみやすさを感じていたんですが、それはmidoriさんが日記を書くように正直であろうとしていること、でもひとりよがりにならず、聴き手のことをしっかり考えている、という両輪から成り立っているのだと再認識しました。では、まさにこのアルバムを制作したときの “気持ち” についてお伺いします。今回のライナーには、直筆のメッセージがありますよね。2020年に書いた曲を、2021年にリスボンでレコーディングしたことや、毎朝、湖の周りを散歩したことや、ポルトガルの魚料理を食べたことなど、読んでいるだけで情景が浮かぶエピソードがあって、とても素敵だなと思いました。ただ、ちょうどその頃は、コロナで世界的にすごく大変な時期でしたよね。そのときのmidoriさんから見た景色や、そのときに感じていたことをちょっと思い出していただいて、お伺いできたらうれしいです。
H:その頃のことですね。2020年はもちろん世界中がそうでしたが、ロンドンではロックダウンがかなり厳しかったんです。私はフルタイムのミュージシャンなので、仕事はすべてキャンセルになってしまって。ライヴもなくなって、突然家で過ごす自由時間がたくさんできた。幸いなことに、政府から経済的な支援を受けることはできましたが……この話は少し退屈ですけど(笑)。でも、ロンドンにいるのに仕事ができないという状況になったことで、私はロンドンやイギリスと自分との関係について、改めて考え直すようになったんです。私の家族は日本にいるし、私は日本人です。それに、父はアメリカ人なので、イギリスに家族がいるわけでもないし、根を下ろしたルーツがあるわけでもない。私とロンドン、それにイギリスとの繋がりは、音楽と仕事だったんです。でも、その仕事が突然なくなったことで、「私はなぜここにいるんだろう?」「この場所との繋がりって一体何なんだろう?」と考えるようになりました。もしかしたら、日本にいたいのかもしれないし、両親と一緒にいたいのかもしれない。お祖母ちゃんと一緒にいたいのかもしれない。そんなことを考えるようになったんです。だから、この経験は間違いなく、こうしたテーマ……自分のルーツや、自分がどこに属しているのか、そもそもどこかに属しているのか……そういうことについて曲を書きたいと思うきっかけになりましたね。そういう意味では、時間が潤沢にあったことはある意味で良かったのかもしれません。その時間があったからこそ、曲を書くことができて、それを録音することもできたので。
■midoriさんにとって、今作がとても大切な作品だということがよく伝わってきました。それでは最後に、これからアルバムを聴く日本のリスナーや、このインタヴューで初めて知る人たちも含めて、この作品をどんなふうに聴いてほしいかメッセージをお願いできますか?
H:そうですね……皆さんが心地好いと感じるどんな状況でも良いので、この作品を聴いてもらいたいということですかね。たとえば、1曲ずつ聴くのもいいですし、アルバム全体を一気に聴くのでも良いと思います。ちょっと当たり前のことを言っているだけになってしまいますが(笑)。私が願っているのは、この音楽が自分の深いところ……つまり、自分の原点から生まれたものだということです。だから、ある意味ではとても深くて、真剣なテーマを扱っている音楽だと思います。でも、それが必ずしも重苦しいものである必要はない。私はこの作品を、グルーヴのある楽しいものにしたかったんです。最近、東京のとあるダンス・カンパニーが、私の曲のひとつに振付をしてくれたことを知って、本当に素晴らしいなと思って。それこそが、私が望んでいることなんです。みんなに踊って欲しい。だから、必ずしも真剣に向き合わなければいけない音楽というわけではないんですよ。もちろん、もし深く考えながら聴きたいと思うなら、そういう聴き方もできる。そんな作品になっていたらうれしいです。
■振付もすごく気になります。
H:いま、リンクをチャットで送りますね。曲は “exasperate” なんですけど。(URL:https://www.instagram.com/reels/DbQkD09B-Gz/)
■わ、かっこいい! ショーでのパフォーマンスですか? 1曲通して踊られているのでしょうか。
H:はい、ショーはすごい最近で。先週かな? これは切り取ったクリップなんですけど、1曲丸々振付をしてくれているんです。
■とても素敵ですね! あとでゆっくり観させていただきます。
H:ありがとうございます。
取材・文:DJ Emerald(2026年8月26日)
DJ Emerald