Home > Columns > ジャズ・ピアニスト板橋文夫の代表作「渡良瀬」がたどった物語
夏だ! TAKANAKAだ!! とわたしたちの体温を爆上げする斯界だが、アニヴァーサリー・イヤーとは無縁の板橋文夫はピアノの前に座った瞬間、いつでもどこも夏に変えてみせる。それも、夜空に大輪が咲き散る日本の夏。「渡良瀬」は板橋の代名詞であるばかりか、日本のジャズの象徴として世界から喝采がやまない。
“渡良瀬” から “WATARASE” へ。この端緒を見るに、『wataraseアンソロジー』(2005年)は欠かせない。筆者が監修した2枚組ベスト(CD)で、ディスク1に板橋歴代の代表曲を、ディスク2に「渡良瀬」縛りで、さまざまな時代・編成による版をおさめた。なかでも掉尾を飾る「交響詩 “渡良瀬”〜ピアノと民謡と管弦楽のための〜」(『横濱JAZZ PROMENADE 2001開港公演〜シンフォニックINジャズ』より)は神奈川フィルハーモニー管弦楽団をバックに、民謡歌手の金子友紀が喉を震わす。歌唱版そのものが初の音盤化だったこともあり、相応の反響をいただいた。
今夏送り出した『WATARAE “SYMPHONY”』も、筆者がおなじく監修するWATARASE HERITAGEシリーズ(後述)からの第三弾になる。ここには「交響詩 “渡良瀬”」の完全版を収録。アンソロジー盤では尺の都合により一部のみの抜粋だったが、20年を経てようやく全貌をあきらかにすることができた。

「渡良瀬」が初めて発表されたのは1982年、通算4枚目のアルバム『Watarase』であった。全編ピアノ・ソロだが、歌心あふれる旋律はいちど耳にしたら離れない。板橋のふるさと、栃木県足利市内に流れる渡良瀬川から想を得たように、ジャズという枠を超え唱歌のような純朴さがある。歌手なら歌いたくなる親しみのあるメロディのため、「渡良瀬」の歌唱版を作詞したジャズ・シンガーの丸山繁雄が手ずから書いたのだろうとおもわれていた。だが今回板橋に取材し、そうではなかったことが判明する。
「丸山君といっしょに演奏していた時期だったから、“(歌詞を)書けるかな?” って相談してみたんだよ。奥さんの実家が舞踊一家で、彼も長唄の節回しをジャズに取り入れ歌ってたりしたから。「渡良瀬」のイメージにそれが合うとおもって」
できあがった歌詞はレトリックに頼らない素朴なもの。渡良瀬川と人間の共生がありのままに描かれ、そこに歌い手が魂を込め完成するような建てつけとなっている。丸山や金子がそのように歌い継いできたが、意外なことに録音機会にめぐまれず、長らくライヴに限定されてきた。存在すら知られていなかったのはそのような理由があったからだが、アンソロジー盤によって日の目を見ることから再評価につながった。
ただし、それだけでは世界の渡良瀬にはならない。この話は事ごとに触れているが、アンソロジーの「交響詩 “渡良瀬”」に好反応を示してくれたDJのラファエル・セバーグ(UFO)を通じてジャイルス・ピーターソンに音源が渡り、自身のラジオ番組に流してくれたことで世界にひろまった、そういう背景がある。
感動は国境を越える。そういう話でまとめたいところだが、それほど単純ではない。日本のジャズは70年代からイギリスでも人気があったが、当時の主流はフュージョン系で、彼らが呼ぶところのディスコ・ジャズ。一般的なジャズにしてもエスニシティに特化した、いわゆる和風が注目されていたことはない。ようするに “踊れない” ジャズ。それが、“踊りたくなる” ジャズにまで対象がひろがる。時間が経過しジャイルスのような例も出てくることから、潮目がゆるやかに変わってきた。
シティ・ポップのように、いまでは “WA-JAZZ(和ジャズ)” と表記されるなど、世界のスタンダードになってひさしい。月並みだが、SNSの影響は否定しようがない。板橋自身がそれを実感している。昨年のEFG LONDON JAZZ FESTIVAL 2025に出演しているが、別日のステージだった矢野顕子の人気に触れながらこう語る。
「矢野さんなんかすごい個性的じゃん。でも、ああいうのが好きっていうひとが海外にもいるんだよな。日本のジャズ、日本のポップスというより、誰それがいいってところまで浸透している。どこにいようと動画で観られるわけだからさ」
WATARASE HERITAGEシリーズを始動するにあたっても、日本や和をことさら押し出す必要もないと感じた。板橋はどこまでも板橋であって、そのピアノも色あせることはない。「渡良瀬」など古典の域に入りつつあるが、板橋の人生とともに時代時代の空気をまといながら新たな解釈を添え進化してきた。不断に流れる河水のように、くりかえし演奏することで新たな生命が音に宿る。
それでも、ライヴでのリクエストに「渡良瀬」が集中することに辟易した時期もあり、セットリストから外していたことさえあった。だが板橋は気づく。演奏や編成や、そのときの “呼吸” によって多彩な表情が醸され、ふたつとない「渡良瀬」が生まれることを。それはWATARASE HERITAGEのコンセプトとも重なる。第一弾『WATARAE “ECHO”』(インスト版/2024年)と第二弾『WATARASE “VOICE”』(歌唱版/2025年)に振り分けたのも、「渡良瀬」の魅力を多角的に演出するため。楽曲本来の強度、生命力がなければ成立するようなものではない。
それらの集大成というべき今回の『WATARASE “SYMPHONY”』では、トータル40分強の「渡良瀬」が堪能できる。オーケストラによる「渡良瀬」は現時点でこの音源が最後。今後も期待したいが、再現性という点でハードルは高いだろう。当時タクトを握ったのは故・小松一彦(NHK交響楽団、サンクトペテルブルク交響楽団他)。交響曲用のアレンジは、オーケストレイション・コラボレイターの徳永洋明が板橋と共同でおこなった。「数ヶ月かけていっしょに考えてくれた。徳永さんの力がおおきい」(板橋)。そして一声一声に魂を吹き込む金子友紀の歌、和魂洋才と呼ぶにふさわしい。

ジャズと民謡、民謡のジャズ化は昨今、和ジャズのトレンドとなっている。「交響詩 “渡良瀬”」がその端緒といってもはばからないが、本来双方の関係は水と油。民謡歌手である金子の立場になったとき、ジャズ固有のスウィングに言葉をのせることがいかにむずかしいか、苦労が偲ばれる。事実そういう話があった。
過日ある年越しライヴに向けたリハーサルにて、金子は納得のいく歌唱ができずに悩んでいた。そこで当日の早朝、おもいきった行動に出る。始発電車で「渡良瀬」の故郷足利へと向かい、渡良瀬川を前にその場で歌い自信を取り戻したのである。
「初めて聞いた話だけど、オレにはそんな素振り、友紀ちゃんはいちども見せたことがなかったよ。でも、その努力があるからいまがあるんだろうね」
この挿話は「渡良瀬」というストーリーを和ジャズに封じこめずに、まっすぐな姿勢で対峙するのが望ましいことを示唆しているように映る。ただ感じてほしい、考えることなく。自由な創作から得られた作品をそのように届けたいとミュージシャンが望むのは真っ当なこと。ただし逆も真なり。聴き手の自由性も担保されなければならない。「渡良瀬」はそこで、問わず語りに口を開くだろう。自分の故郷をだれもが思い出す精神的支柱になってくれれば……
「〽︎大人になったら旅に出る 祭りが始まりゃまた帰る 人は生き死んでゆく 川はただ流れゆく」
「渡良瀬」の一節に寄せられた念いとは、そのようなものなのだとおもう。