Home > Columns > ♯17:もしもパンクがなかったら- ——その基礎知識と『パンク50周年記念号』刊行のお知らせ
もしもパンクがなかったら、ジョイ・ディヴィジョンもザ・ポップ・グループもデペッシュ・モードもコクトー・ツインズもザ・キュアーもザ・スミスもトレイシー・ソーンもニューエイジ・ステッパーズも、その他大勢も、あり得なかったか、あったとしても違ったものになっていた。TGだって、パンクのその先をいこうとしてああなった。最初に〈ON-U〉を支持したのもパンク・リスナーたちで、レゲエ以外の分野で最初に自分の曲のダブ化を望んだのもパンクだった。
もしもパンクがなかったら、〈Vanity〉も〈Telegraph〉も、アーント・サリーもフリクションも、INUもスターリンも、とにかく、みんなが好きなたくさんのバンドが存在しなかったかもしれないし、忌野清志郎も細野晴臣も長髪のままだった可能性だって大きい。
レイヴ・カルチャーにもその影響はある。おっと、その前にオールドスクール・エレクトロ、ザ・コールド・クラッシュ・ブラザーズの “Punk Rock Rap”も忘れないように。で、パブリック・エナミーやアンダーグラウンド・レジスタンスは言うに及ばず、プライマル・スクリームもザ・KLFもマッシヴ・アタックも……ニルヴァーナもライオット・ガールも、オアシスだってそうだ。好むと好まざるとにかかわらず、パンクとはそういうものだ。ロック史においてそれは、サイケデリック革命と並ぶもっとも突出したムーヴメントなのである。
パンクは半世紀前の1976年にその輪郭を見せ、1977年に爆発した。
以下、刊行案内にも書いたこととダブりますが、もういちどおさらいを。
1976年4月23日、ラモーンズのファースト・アルバム。6月17日、ブロンディのデビュー・シングル。同月には『マクシズ・カンサス・シティ1976』。またマンチェスターで、バズコックス主催のセックス・ピストルズ公演。10月22日、ダムドが「ニュー・ローズ」。そして11月26日にはセックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・UK」、その年20歳になったばかりの若造が、「俺は反キリストでアナーキストだ」とロック・ソングのなかで歌った。
同月にはリチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズの『ブランク・ジェネレーション』。12月にはビル・グランディ事件、そしてピストルズ、ザ・クラッシュ、ザ・ダムド、ザ・ハートブレイカーズによる〈アナーキー・ツアー〉。
追記。同年10月18日、COUMトランスミッションズの〈プロスティテューション・ショー〉がロンドンのICA(現代アートの拠点)にて開催。さらに追記、この年の2月には映画『タクシー・ドライバー』(モヒカン刈りの殺人マシン登場)。
ほかにもトピックはある。2月にラドブローク・グローヴ地区にラフトレード誕生、8月にはノッティングヒル・カーニバルの暴動、同月の『メロディ・メイカー』が最初のセックス・ピストルズ表紙号刊行……これだけ揃えば1976年をパンク元年と呼んでもいい。
1976年、13歳だったアンドリュー・ウェザオールはのちにこう述懐した。
「生まれて初めて自分の音楽を見つけたと思ったんだ」
パンク50周年記念号は、「つくりたい」と「つくらなければ」の特集である。「つくりたい」は、ぼくなりの「パンクへの愛」である。「つくらなければ」には、ぼくの思い入れとともに、パンクとは「マッチョ」で「政治的」、「けんか腰」で「怒鳴っている」ばかりで「暴力的」という印象、それにまつわる偏見がわりと広範囲に流布していることへの反論が混ざっている。ここにきて、なんかパンクは誤解されているんじゃないかという懸念である。
たしかにパンクは、ある意味では、史上もっとも暴力的な大衆音楽だったと言える。そのエネルギーの超爆発力、「否定」の力をもった音楽/言葉表現、タブー破りや体制に対して真っ向から喧嘩を売った意味において、暴力的だった。そのなかには「マッチョ」そのもののバンドも、「怒鳴っている」ばかりの曲もあるが、じつは先駆者たちのほとんど全員が暴力的な人間ではなかったし、何よりも、パンクほど女たちが活躍した音楽ムーヴメントはないのである。
パンクには根拠があった。サイモン・レイノルズがいみじくも言ったように、(プロト・パンクの)ニューヨーク・ドールズの“トラッシュ”という曲には、そのニュアンスとして「俺たちゴミだし、それでいいじゃん」という虚無的な居直りがあった。それに対して、セックス・ピストルズの“ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン”の歌詞における「俺たちはゴミ箱に咲いた花」というフレーズの「ゴミ」には、若者の可能性が逼迫していることに対する激怒が込められていたのである。もしパンクに政治性があるというのなら、その強い感情にこそ依拠している。
大衆音楽史において、パンクほど若者に政治意識を与えた音楽はほかにない(いや、黒人音楽があるか)。そいつがどれほどのクズ=パンクであっても、この社会に生きている人間として政治意識を持ち、意見を発すること自体はまったく間違っていない。パンクは若者たちを、かなりの高確率で正しい方向に導いた。
パンクは驚異的かつ脅威的な若者文化だった。後にも先にも、パンクのように「若者」であることと社会的不満に関しての攻撃的で劇的な表現を結びつけたムーヴメントはない。ゆえに、19世紀の普仏戦争の最前線となった地域で生まれ育ち、その狂気を横目にパリコミューン(労働者たちの蜂起)に憧れ、16歳で世界を呪ったアルチュール・ランボーにはパンクの始祖の称号が与えられる。
その遺伝子は今年前半の話題作、ボーズ・オブ・カナダの『Inferno』におけるヴィジュアル、白目の子供たちの不気味さにも通じている。『Music Has the Right to Children』でたびたび挿入される子供声、子供の笑い声、その無垢さに隣接しているもの、それは子供たちが望んでいなかった世界へのリアクションなのだ。(そう思えば、彼らがDevoの影響を受けたと言ったことも真実に思える)
それから、パンクほど矛盾にみちた音楽もなかった。ポップに矛盾はつきものだが、パンクほど、その矛盾が自らの首を絞めたムーヴメントはない。その矛盾をここでは検証しない。パンクについてあれこれと言える権利は誰にでもある。パンクの定義を固定化し、制度化することはパンクではない。この言い方自体もすでに矛盾を含んでいる。
ウェザオールは、「嘘(lie)」が「真実(truth)」になったのがパンクだと説明した。マクラーレンが高価な服を売りたいがためにつくったものが、ジョン・ライドンやジョー・ストラマーのような人たちを通じて転化し、収拾がつかないほど広まって、政治的なものにまで発展した。まさに解釈の冒険。重要なのは受け取った側がどう思うか。作品は、聴かれてはじめて作品となるのだ。でなければ、パンクにおける女の活躍もなかっただろう。