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Columns

エイフェックス・ツイン<br>『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』<br>をめぐる往復書簡

エイフェックス・ツイン
『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』
をめぐる往復書簡

杉田元一 × 野田努

Correspondence by Genichi and Noda

Nov 29,2024 UP

拝啓 ゲンイチさん

 挨拶は抜きにしよう。だいたい2024年になってまでも、貴兄と『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』(以下、『SAW Vol.2』)についてこうして手紙をしたためことになるとはね。我ながら30年前からまったく進歩がないとあきれるばかりだよ。もっとも『SAW Vol.2』が30年という年月に耐えた、いや、それどころか、むしろじょじょに光沢を増していったことに話は尽きるのかもしれないけれどね。まあ、とにかくだ、我ら老兵の役目としては、この作品がその当時、どのような背景から生まれ、そしてどのような意味があり、それがもたらした文化的恩恵について後世のためにも語ってみようじゃないか。
 まず、ぼくとしては以下に『SAW Vol.2』についてのポイントとなる事項を挙げてみた。どうぞ確認してくれたまえ(そしてもし見落としがあれば追加を頼む)。

 ■AFXのカタログのなかでもっともミステリアスな作品。

 ■明晰夢から生まれた。

 ■円グラフ、曲名のクレジットはなし。

 ■メジャー・レーベル第一弾の意図的に商業的でない作品。

 ■評価の分裂(否定も激しかった)。

 ■『セレクテッド・アンビエント・ワークス85-92』(以下、『SAW85-92』)と違って、ダンス・ビートがほとんどない/あっても作品全体では強調されていない。

 ■1993年~1994年のアンダーグラウンド・シーンとアンビエント

 発売当日、唯一曲名がわかっていたのは、1992年の決定的なコンピレーション『The Philosophy of Sound and Machine』から再録の “Blue Calx” だけだったね(2019年の 「Peel Session 2 EP」で“♯2”が “Radiator” という曲だったことが判明される)。ちなみに “Blue Calx” は、発表時は作者名でもあった。あの曲をリアルタイムで聴いていた人間からすると、当時としては実験的で画期的な曲だったけれど、それがどうだ、『SAW Vol.2』においてはもっとも聴きやすい曲として挙げれらる。
 あの時代、こうしたインディ音楽はアナログ盤での流通が普通だったから[※CDよりヴァイナルのほうが安かった。LP盤は平均2千円、CD盤は2千300円くらい]、当然のこと我々はアナログ盤を買って聴いているわけだが、アナログ盤で3枚組というリリース形態にも、1993年から1994年にかけての時代のドープさを見ることができる。時間にして167分、2時間半以上のリスニングを日常的にしていたことは、若くて暇だったからではなく、それだけ音楽の吸引力が凄かったということだ。そうじゃないかね、ゲンイチさん。

敬具

2024年11月18日 野田より


拝復 
野田くん

 いや、ほんとうに恐ろしいね。30年かあ。僕は1961年生まれなので、1991年にちょうど30歳を迎えたんだよ。30歳という年齢もさることながら(Don’t Trust Over Thirty!)、1991年っていろんな意味で記憶に残る年だった。湾岸戦争にソ連崩壊で日々リアル世紀末を感じてたりもしていたいっぽうで音楽にとっても特異な年だったからね。ニルヴァーナの『Nevermind』やらREMの『Out of Time』 やらダイナソーJr.の『Green Mind』もすごいインパクトだったけど、やっぱりプライマル・スクリームの『Screamadelica』とマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『Loveless』だよね。
 でさ、僕が生まれた1961年のヒット曲を眺めてみると、たとえば洋楽だとプレスリーの “Can't Help Falling in Love(好きにならずにいられない)” とかベン・E.キングの “Stand by Me” 、ジョン・コルトレーンの “My Favorite Things” 、国内に目を向けてみると石原裕次郎と牧村旬子のデュエット曲の定番ともなった “銀座の恋の物語” や植木等の “スーダラ節” だったりする。そこから30年後、マイブラの “Soon” やプライマルの “Higher Than The Sun” が来る。このジャンプアップはとんでもないわけじゃないですか。1961年に若者でこういう音楽を聴いてた人たちに “Soon” 聴かせたらまあ “???” ってなるよね。そのくらいことこの2曲についてはそれまでの音楽のクリシェが通用しないものだったわけでさ。これを聴くにつけ、いやー音楽もずいぶん遠いところまでたどりついたものよのぅ……なんて思ったりしてね。30年ってそのくらい長い時間なんだよ。
 ところがさ。1994年にリリースされたこの『SAW Vol.2』。プレスリーや植木等とマイブラの間に横たわる時間と同じ時間が流れたんだぜ、30年! 少なくとも僕の耳にはこの『SAW Vol.2』が30年前の音楽には聴こえない。全然古びていない。今回発売された30周年記念盤で初めて耳にする若いリスナーにしてみても、僕が1991年にベン・E.キングや石原裕次郎を聴いて懐かしさを感じるのと同じように『SAW Vol.20』を聴くとは思えないよね。それがすごいのかどうかは微妙だけどね。もしかして音楽の進化が遅くなってるのかなとか。ま、実際そうなんだろうなと感じることはあるんだけどね。『SAW Vol.2』が出た頃ってネットもありはしたけどまだまだ黎明期だったしYou Tubeもないし、音楽聴くなら買うか借りるかしかなかったのに、30年後の今はもう普通にストリーミング主体の状況になってるわけで、やはり時代は進化しているわけなんだけど、音楽そのものの革命的な変化ってもうあんまり感じられないのも事実でしょう。
 それはともかく、1994年においてこのアルバムがミステリアスだったというのは事実。調べるって言ったってネット情報なんてないし、そもそもこのエイフェックス・ツイン/リチャード・D.ジェイムス(RDJ)がいったいどういうアーティストなのかということも、海外の音楽新聞などに載ってくる記事とせいぜいレコード店のPOPなんかで類推するしかなかった。彼の名が多少なりともテクノ好きの間で知られるようになったのはブーメラン・ジャケットの 「Digeridoo」 (1992年)だったよね。それとヒトデ・ジャケの 「Xylem Tube EP」 。この2枚のシングルはベルギーのテクノ・レーベル〈R&S〉からのリリースで、その前にも別のレーベル(イギリスの〈Mighty Force〉と〈Rabbit City〉)からのシングル(「Analogue Bubblebath」の1枚目と2枚目)があったけど、レーベルとしては〈R&S〉のほうが知名度があったからね。よけいに目に留まりやすかったというのはある。あのころ〈Mighty Force〉盤買っていたのって三田格くらいじゃないの?(笑)
 で、1994年にはこのアルバムがあって、UKのDJイベントMegadogの引っ越し公演があって、そのDJとしてRDJが初めて日本のファンの前に姿をあらわし、取材もいくつか受けたから少しずつその神秘のヴェールが剥がれてはきてたんだけど……いや、むしろもっと??になったと言ってもいいのかもしれない(笑)。印税で軍事用のタンク買ったとか、リミックスする相手の音楽は嫌いであればあるほどいいリミックスができるとか、明晰夢で曲を作るとか……どこまで信じて良いのかみたいな、石野卓球の言葉が思い出されるよ。

 RDJの最初のアルバムは〈R&S〉から出たエイフェックス・ツイン名義の『SAW 85-92』で、これが1992年。このアルバムに続く同名義のアルバムが『SAW Vol.2』だったわけだけど、これは〈R&S〉からではなく、〈WARP〉と契約しての最初のアルバムだった。〈WARP〉からの最初のリリースは『SAW Vol.2』に4ヶ月ほど先立つ1993年末のシングル 「On」だったね。同時に彼はアメリカでは大手ワーナー傘下の〈Sire〉と契約し、〈Sire〉からは本国から2ヶ月遅れで 「On」がリリースされてる。これはディレイのかかった叙情性すら感じるピアノの美しいメロディと暴力的なリズムが融和した素晴らしい曲だったよね。レーベルとしても力を入れているであろうことは、珍しくリミックス・シングルも別にリリースされていることからもわかる。この 「On」の次に『SAW Vol.2』が出るわけだけど、それに続くシングル 「Ventolin」もリミックス盤が出た。もっともリミキサーはReload、μ-Ziq、Cylob、Luke Vibertと、みんな近親者ばかりというのが笑っちゃうけどね。ちなみにこの 「Ventolin」に次いで出たシングル 「Donkey Rhubarb」には、アメリカン・ミニマルの代表的作曲家フィリップ・グラスのリミックス(というよりオーケストレーション)が収録されてて当時は興奮したものだよね(笑)。
 それにしてもだよ。移籍後の初シングルの数ヶ月後にアルバムが出るのであれば——しかもそのシングルがけっこう力を入れたものであればなおさら——その曲を含むアルバムが出るものと思うよね。それなのに出たのは『SAW Vol.2』(笑)。これは衝撃的でしょう。仮にもメジャーからのリリースとなれば、まず間違いなく先行シングル→ヒット→それを含むアルバムで快進撃という図式に則るだろうなと思いますよ。しかし事実は違った。まさかのシングル曲 “On” 未収録、まさかのオール・インストのアンビエント・アルバム。まさかの2枚組(アナログは3枚組)。まさかの曲名なし……〈WARP〉ならともかく、〈Sire〉がよくこれをOKしたなと今でも思うよ。

2024年11月20日 杉田より


前略
ゲンイチさん

 冬になったかと思えば、秋に戻ったり、老体にはこたえる今日このごろ、今朝もなんとか不死鳥のごとく起き上がって仕事をしているよ。たははは。
 さて、それにしても、うん、音楽作品とは面白いものだね、たとえば、90年代前半、シーンで絶大な支持と人気を誇った作品にオービタルの2枚目がある。リアルタイムにおける支持と人気で言えば、『SAW Vol.2』は、それよりも勝っていたとは言えない。『SAW Vol.2』ほど評価が二分した作品はなかったし、我々支持した側の人間にしても、大声で、目くじら立てて支持したわけでもなかった。支持率や共鳴度で言えば、やはり『SAW 85-92』と『Surfing on Sine Waves』(93)のほうが圧倒的だったし、『SAW Vol.2』の次作、『...I Care Because You Do』の激しさのほうが新しいファンを巻き込んでいった。ところが、21世紀もクォーターが過ぎようとしている現在、『SAW Vol.2』の評価はずっと上昇し、人気の面でもひょっとしたら、『Surfing on Sine Waves』なんかともかなり拮抗しているんじゃないないだろうか。つまり、『SAW Vol.2』は、それがリリースされた時代やその背景から切り離されてから、どんどん存在感を増していった作品だったと。まあ、よく言うところの、「時代がこの作品にようやく追いついた」のだろうね。もちろんリスナーの耳が、時代が進むにつれて、当時は難解だと思われていた音楽を楽しめるようになっていったのは事実だよ。ゲンイチさんだって、1994年よりもいまのほうがこのアルバムを好きなんじゃないかな。
 昔話はこれで最後にしておくけど、まあ、あの時代はね、いまと違ってダンス熱がすごかった。みんなで集まって身体で音楽を感じること、その素晴らしさに多くの人たちが気付いた時代だったよね。だからあの時代は、ダンスに即したオービタルやアンダーワールドが人気だった。だから、みんなが汗をかいて踊っているところにこのアルバムを投下したRDJの逆張りも、なかなかのものだった(笑)。〈Sire〉もよく出したというか、メジャー移籍第一弾でこれをやるRDJがすごいよ。たしかにこの時代、アンビエントはブームだった。いろんなアーティストがアンビエント作を作りはじめていたよね。ダンスフロアのピースな空気にも陰りが見えはじめたころで、みんないったんクールダウンしようじゃないかという話になったわけだけれど、しかし、ここまで無調音楽やドローンをやるの人は、シーンのなかにはまだ他にいなかったね。しかも、曲名もないときた。反商業主義も甚だしい。
 ここで再度、追加でポイントを挙げてみた。

 ■当時のRDJ(まだ22歳~23 歳の若者)の説明によると、音楽制作のため、なるべく寝たくない。

 ■睡眠時間を削りに削った結果、日常生活において “老人のように頭が混乱し始める。お茶を淹れてもシリアルボウルに注いでしまうような、予測不可能なことをするようになる” (1993年の『Melody Maker』のインタヴューより)。

 ■こうしたある種の催眠状態(ぼけ状態)から、RDJは明晰夢を見るようになった。

 ■そして、その能力を音楽制作にも活かそうと作ったのが『SAW Vol.2』である。

 ■夢の状態や、夢で見たことを起きてから音楽にする。

 ■『SAW Vol.2』に神秘的な風景が広がるのはこのためである。

 ざっくり言えば、こういうことで、細かく言えば、このアルバムには明らかに『SAW 85-92』時代の曲もあるし、前の手紙にも書いたように、1992年の “Blue Calx” もある。ただ、多くはやはり、アルバムの最初の曲、 “Cliffs(崖)” とファンからは呼ばれているこの靄のかかったトラックが象徴的で、驚異的と言える神秘的な音像が散りばめられている。当時もいまも、ほんとうにRDJは夢で作曲したのかどうは議論の対象だけれど、ぼくはね、それはあながち嘘じゃないと思っている。それから、1992年から1993年のあいだにRDJは、過去にはない音楽体験をしたんじゃないかともにらんでいるんだ。たとえば現代音楽と言われてる “現代” ではない過去の音楽なんかをね。そこはゲンイチさんの専門だから、どう思うか訊いてみたかったんだ。

早々

2024年11月22日野田より


拝復
野田くん

 RDJは “テクノ・モーツァルト” なんて呼ばれていたこともあったね。別に彼がクラシック好きというわけじゃなくて、ようするにわずか35年の生涯に700曲以上の作品を遺したヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトみたいに曲を大量に作っていることから付けられたイメージだろう。もっとも曲をたくさん書いた作曲家といえばヨハン・ゼバスティアン・バッハとかフランツ・シューベルトも1000曲以上書いてるし、シューベルトなんてモーツァルトより4歳も早く死んじゃったんだから、モーツァルトよりやばい量産家だけどね。もっともシューベルトよりモーツァルトのほうが一般的な知名度は高いから “テクノ・バッハ” とか “テクノ・シューベルト” じゃなくてやっぱり “テクノ・モーツァルト” なんだろうけど。
 あの時代のRDJが確かに湧き上がる楽想をスケッチするようにどんどん創り貯めていたのは事実だろうね。アンファン・テリブルと言われていた20代前期までの彼は特に。毎週アルバム出しても2、3年は持つくらいの曲があるよって言っていたね。彼のデビュー作『SAW 85-92』は、創り貯めた曲からコンパイルされたアルバムなわけだし。ほんとに14歳のときの曲あんのかぁ?って思わなくはないけど(笑)。

 プレ『SAW Vol.2』的なスタンスの作品として、たとえば『SAW 85-92』があったりPolygon Window名義の『Surfing on Sine Waves』(特に “Quino-Phec” )みたいなアンビエント的な作品が『SAW Vol.2』の前にあったわけじゃない。けど、それらの2枚よりも『SAW Vol.2』が注目されたというのは、前にも言ったようにメジャーからのデビュー・アルバムっていうこととかもあるけど、やはり3時間近い大作っていうことと、より深遠(あるいはやや難解)な感じを聴き手に与える響きがそこにあったからでしょう。アンビエントという点では1990年にはKLFの『Chill Out』が、翌年にはThe Orbの『Ultraworld』があり、さらにはミックスマスター・モリスのIrresistible Forceやピート・ナムルックが台頭し、1993年にはUKロックChapterhouseのセカンド・アルバムをまるごとアンビエント化したグロコミことGlobal Communicationの『Pentamerous Metamorphosis』があったね。これが翌年のGCによる最高のアンビエント・アルバム『76 14』を生み出すきっかけとなったわけだけど、『SAW Vol.2』が94年の3月で『76 14』が6月。これだけでも94年はすごいアンビエント・イヤーだったよね。そういや94年の春には野田くんたちとコーンウォールへアンビエント・トリップ、リアルなドライブをしたっけな。この旅と『76 14』の関係については第一期ele-kingの創刊号に長い原稿を書いたので、探して読んでほしいところだけどまあそれは置いとくとして、これらの先行作が状況を用意したとしても、やはりこの『SAW Vol.2』のジャンプアップにはみんな驚かされたんだよね。
 野田くんが指摘するようにRDJがこの時期に “過去にはない音楽体験をした” かどうかは正直わからないよ。でも明らかに『SAW Vol.2』の前の作品、つまり『SAW 85-92』とか『Surfing on Sine Waves』とはだいぶ音の感じが変わった。『SAW Vol.2』以前の2作にあったダンスビート——実際踊れるかどうかは別としても——がない(あるいは少ない)こともあるだろうけど、あくまで電子音楽の装いだった前2作と比べて、『SAW Vol.2』の響きはクラシックで言うところの室内楽的なそれに近いものになっていたということが大きい。もちろんそれは電子音で作られたもので、別にリアルな弦楽合奏や管楽器が使われてるわけじゃない。でも、全体的に彼の音楽にみられがちな神経症的な響きではなく、ふくらみのあるハーモニーが前面に出ているし、コード進行もスムースな曲が多い。声高にメロディ!と主張するものはないにしても、移りゆくコード進行のトップノートの連続がとても印象的に聞こえる感覚を聴き手にもたらすんだと思う。このアルバムの何曲かはクラシカルなオーケストラやアンサンブルに編曲されて演奏されていたりするけど——Alarm Will SoundとかLondon Sinfoniettaとかにね——そういうことをしたくなる曲がたくさんあるアルバムなんだよ。
 それにしてもだよ。〈WARP〉移籍後のリリースを見てみてよ。 「On」~『SAW Vol.2』~ 「Ventolin」、この振れ幅ってやっぱりとんでもないなと改めて思うね。もっと細かく言うと 「Ventolin」の前に出たAFX名義の 「Analogue Bubblebath4」 と 「Hangable Auto Bulb」シリーズを含めて考えるともっとすごいなとなるけど。とはいえ、RDJ言うところの “明晰夢からのインスピレーションで作曲・創作” したのは『SAW Vol.2』だけだろう。だからこのアルバムだけが前後の作品から切り離されて屹立しているんだと思うんだよ。

2024年11月24日杉田より


前略
ゲンイチさん

 朝方は冷える今日のこの頃。今朝も歯を食いしばって布団から出たよ。それはそうと、この便りを最後に旅に出ることにする。もちろん、金もないから内面旅行だ。
 それはそうと、ここで言っておくと、『SAW Vol.2』の系譜というか、これに匹敵する謎めいた作品がRDJにはもうひとつある。そう、『Drukqs』(01)だ。いつかこのアルバムも、より深く語られるときが来るだろう。またそのさいには筆をとることになるかもしれないから覚悟しておきたまえ(笑)。
 それはそうと、もうまとめよう。最後に読者への案内をかねて、このアルバムのなかのお互いのなかのフェイヴァリットをいくつか挙げようじゃないか。 “Blue Calx” を除いて、本来は曲名のクレジットなしのこのアルバムには、時間のなかでファンが勝手につけた曲名が非公式ながらレーベルも認めているので、その曲でいくつかピックアップするよ。

 以下、野田のハイリー・レコメンド
 ・Cliffs(クリフス)
 ・Rhubarb(ルーバーブ)
 ・Blue Calx(ブルー・カルクス)
 ・Stone in Focus(ストーン・イン・フォーカス)

 レコメンド
 ・Radiator(レディエイター)
 ・Grass(グラス)
 ・Weathered Stone(ウェザード・ストーン)
 ・Lichen(ライカン)

 まあ、これはたんに好みであって曲を評価するものではない。ただ、アルバムの正規のクローサートラックが “Matchsticks(マッチスティックス)” 、つまりマッチ棒なのがどうなのかというのは、当初から思っていたよ。もうちょっとロマンティックな終わり方をしても良かったと思うんだが、じつに不穏なエンディングだ(笑)。
 とにかく、 “Blue Calx” が名曲なのは言うまでもないけれど、 “Cliffs” と “Stone in Focus” もほんとうに好きだな。ことに1曲目の “Cliffs” は、異世界への完璧な入口だ。ちなみに、 “Blue Calx” はコーンウォール時代に(通称〈Linmiri〉スタジオにて)レコーディングした最後の曲だと言われているね。つまり、機材的には『SAW85-92』と重なっている。ああ、それから曲名の代わりに配置されている円グラフだけれど、ファンがいろんな考察——それぞれの角度に意味があるんじゃないかとか——をしているものの、結局、いまだにその謎は解けないでいる。
 じゃ、最後に、先生の推し曲をご教示いただけますかな。

早々

2024年11月26日野田より


拝復
野田くん

 そうだね、『Drukqs』。 “Avril 14th” という『SAW 85-92』における “Xtal” 、『SAW Vol.2』における “♯3(Rhubarb)” と並ぶ静謐系RDJのベスト・ソングが入ってるアルバムね。アルバムとしても僕はこの3枚が好きだし今も聴き続けてる。死ぬまで聴くだろう……とは言ってもこの先何年生きられるのかわからないけどさ(笑)。
ということで、僕の『SAW Vol.2』の推し曲はこれ。

 ハイリー・レコメンド
 ・Rhubarb(ルーバーブ)
 ・Curtains(カーテンズ)
 ・Domino(ドミノ)
 ・Blue Calx(ブルー・カルクス)
  ・Z Twig(ゼット・トウィッグ)

 レコメンド
  ・Blur(ブラー)
  ・Windowsill(ウィンドウシル)
  ・Hexagon(ヘクサゴン)
  ・Stone in Focus(ストーン・イン・フォーカス)
  ・Lichen(ライカン)

 僕も野田くんと同じように2曲目の穏やかな “Rhubarb” がほんとうに好きなんだけど、RhubarbといえばRDJにはとんでもなく騒がしい “Donkey Rhubarb” という曲もある。『…I Care Because You Do』の先行シングルのリードトラックだった曲だけど、続いて出たアルバム『…I Care~』にはこの曲は収録されず、かわりにフィリップ・グラスがミニマルなオーケストレーションを施して話題だった “Icct Hedral” のエディットテイクが収められたっていうところもRDJらしい悪戯心かな。
  “Blue Calx” が素晴らしいのはもちろんだね。RDJにとって “Calx” は重要なテーマなんだろう、『SAW 85-92』のGreen、『SAW Vol.2』のBlue、ちょっと飛んで『Richard D. James Album』のYellowと、見事に三部作を揃えてる。リズムは3曲とも全然違うけど、背後に美しいパッド系の音が鳴っている点は共通している。タイトルがナンバリングだけだった『SAW Vol.2』において、唯一最初から曲名が明らかにされていたのは、RDJのこの曲への思いがあったからじゃないかな。まあ、野田くんも指摘していたようにこの曲だけは既発曲だったというのも関係しているのかもしれないけど。
 あと、このリストには入れてないけど、僕はオリジナル盤のラストが “Matchsticks” であること、嫌いじゃないけどね(笑)。この “物語が終わらない感” がいいんだよ。最後、響きが唐突に途切れるところも含めてね。だから、今回の30周年記念盤で追加された2曲は、正直蛇足じゃないかって思うんだけどどう? いや、曲としては悪くないんだけどね。そういえばこの追加トラックの2曲目にまたしても “Rhubarb” が登場してる。全曲リバース処理されてて響きはおもしろいけど、これを足して30周年記念盤を閉じるっていうのがRDJらしい一筋縄ではいかない感ありありで、おもしろいといえばおもしろいんだけど。

2024年11月28日 杉田より


前略 
土門さん、いや、ゲンイチさん、

 冬の透明な空気が気持ちいい。家のなかでビールを飲みながら聴いているよ。自分としてはいまもこの『SAW Vol.2』を楽しめることは嬉しいよ。あの頃の音楽が2024年になっても現役なのは、ある意味いまだからこそ『極悪女王』が面白いのと同じように……いや、違うか、はははは。
 ジェフ・ミルズの “サイクル30” を思いだそう。あれはテリー・ライリーの “In C” から30年、つまり、ミニマルの30周年期ということで “サイクル30” なんだけど、1994年に我々は(コイちゃんと一緒に)テリーさんの『ア・レインボウ・イン・カーヴド・エアー』をよく繰り返し聴いたよね。だから、30年前の作品であっても、まったく古くはならない音楽作品はほかにもいろいろあるし、おそらく 『ア・レインボウ~』がむしろ時間が経ってから聴いたほうがよく聴こえたように、あるいはより幅広いく聴かれていったように、『SAW Vol.2』もそういう作品だった。こういうのをタイムレスな音楽っていうんだね。若い人たちにもぜひ聴いて欲しい。いまでもぜんぜん新しいから。
 ところで、ゲンイチさんがあの頃買った『SAW Vol.2』にもナンバリングしてあるわけだけど、何番? ぼくのは7000番台のかなりの前のほう。いつかディスクユニオンの壁に『SAW Vol.2』の7000番台のかなりの前の番号のがあったら、それはぼくが売ったレコードかもしれないよ。12月は1年のうちでいちばんセンチメンタルな季節だと言ったのはレスター・バグスです。では、いずれまたお会いしましょう。

拝具

2024年11月28日 野田より


拝復
野田くん

 なんだよ、野田くんってサッカー野郎じゃなかったっけ。ドカベンなんて今の読者ついてこれませんよ(笑)。そして極悪女王と言えばやっぱりジュワイヨクチュールマキウエダ……いや、この話はやめとこう。これも読者がついてこれないや。

 “ア・レインボウ~” ね、あれ、ほんとよく聴いたよなー練馬のコイちゃんの家で。やっぱり30年前くらいだよね。先日その “ア・レインボウ~” を日本のSONYがリイシューしたんだけど、その制作を外注された僕がライナーを野田くんに頼んだのは、あの経験があったからですよ。今でもこの曲の電子音が迸るように鳴り始めるイントロを聴いただけであの風景を思い出せる。音楽ってそういう要素あるよね。そして聴取体験を重ねれば重ねるほど、その音にまつわる記憶もどんどん増えていく。その記憶がノスタルジーの場合もあれば、いつまでも新鮮さを伴って思い出せるものである場合もある。 “ア・レインボウ~” や『SAW Vol.2』は典型的な後者のタイプなんだろうな。
 30年といえばさ、僕と野田くんが出会ったのも30年ちょっと前の話だったね。あの頃から僕らは変わったのか変わらなかったのか……こうして今でも出会ったころに聞いてた音楽についてああだこうだと話ができるんだから、きっと変わってないんだろう(笑)。

 僕の『SAW Vol.2』のアナログも7000番台だよ。同じ店で買ったんじゃないかな(笑)。あれ盤面がマーブル色で溝がよく見えなかったから、狙った曲をかけるのが大変だったことをよく覚えてる。もっとも狙って聴くのは “Blue Calx” くらいだったけど。あれはLP2枚目のB面の1曲目だったからわかりやすかったね。だからこのアルバムで当時いちばんよく聴いたのは “Blue Calx” から “Z Twig” までの5曲だったんだ。だから僕は “Z Twig” が好きになったのかもしれないな。

 じゃあ僕もこの辺でペンを置きます。次の往復書簡は2031年だね。そう、『Drukqs』30周年(笑)。それまでがんばって生きようや。あ、酩酊はほどほどにね。

2024年11月29日杉田より


Aphex Twin
Selected Ambient Works Volume II (Expanded Edition)
Warp/ビート

30周年記念新装版にして決定版。CDでは3枚組。アナログでは4枚組。名曲“#19”(“Stone in Focusで知られる”)ほか、初のフィジカル・フォーマットでリリースされる“th1 [evnslower]”、今回初めて公式リリースされる“Rhubarb Orc. 19.53 Rev”が追加音源として収録されている。(輸入盤CDはボックス使用ではない)

Profile

杉田元一/Motoichi Sugita杉田元一/Motoichi Sugita
1961年、茨城県生まれ。雑誌や単行本の編集者や音楽ライターを経て現在はクラシックとジャズのレコーディング・プロデュースを手掛ける。主なプロデュース作品には「伶楽舎/武満徹:秋庭歌一具」「小菅優/ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集」「前橋汀子/J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全曲」「吉田次郎/Red Line」「クリヤ・マコト、納浩一、則竹裕之/アコースティック・ウェザー・リポート」「THREESOME(マリーン、クリヤ・マコト、吉田次郎)/Cubic Magic」「藤倉大/ざわざわ」などがある。

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