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Columns

♯17:もしもパンクがなかったら

♯17:もしもパンクがなかったら

——その基礎知識と『パンク50周年記念号』刊行のお知らせ

野田 努 Sep 29,2026 UP

■ファッション/メディア/ライター

 パンクは、文化研究者のディック・ヘブディッジが言うように、サブカルチャー的記号のコラージュだった。その特性がもっとも露出したのは、ファッションにおいてである。パンクには、モッズもロッカーズもスキンズもグラムもごっちゃまぜにあった。
 パンクによって音楽とファッションにのめり込んだアンドリュー・ウェザオールは、10代のときに、レコード店に入るのも、服屋に入るのも、勇気が必要だったと言っている。この感覚をぼくは共感できる。中学生が、街の雑居ビルの一室にある輸入盤店に入るには、まずはドアのところまで行って躊躇し、意を決してなかに入る。こっちはそれなりに知ってるんだという素振りを見せないとなめられると思っているし、レジに持っていくレコードを間違えたら見下される。
 服屋も同じだ。パンクは着る服を意識させ、変えさせもした。服に興味を覚えると、自分が着たい服を探そうとする。しかし、欲しい服を売っている店は、たいてい誰でも入れるような佇まいではない。店の前で、入るか入らないかしばらく考えて、行くぞ、と意を決して入る。ライヴハウスもそうだ。中高生がひとりで入るには勇気がいる。こうした経験もパンクがもたらしたものだった。
 とはいえ、パンク・ファッションの多くは、その後みごとに商業化されながら、ことごとく大衆化された。昔、破れたジーンズが高価で売られているのを知ったときは、愕然としたものだ。ラモーンズは特許を取っておくべきだった。
 ほかにも黒のジーンズ、ヴィンテージ・ルック、ワイドシルエット……。(ワイドシルエットの流行は、ハーレムのナイトライフおよび40年代のズートスーツ暴動に端を発している。つまり反体制の服装として。パンクとファッションというテーマについては、いつかちゃんとしたものを書きたい。この話は、なぜジョン・レノンが1967年にいわゆる「おばあちゃんメガネ(Granny's spectacles)」=男性御用達の黒縁ではないNHSから支給される金縁メガネをかけたのか、なぜカウンター・カルチャーは黒と灰色の男性服を捨てたのか、なぜ軍服の古着が若者サブカルチャーや反戦運動家の服になったのか……という話にも繋がるんですよ)

 それからメディアだ。パンクが生まれた背景にはロック・メディアも大いに絡んでいる。70年代はロック雑誌の時代でもあった。リスナーは、ラジオを聴いてレコードを買って雑誌を読んでライヴに行った。ことイギリスはそうで、日本の中高生にとってもロック雑誌と漫画雑誌は日常品だった。最初のパンクは、こうしたポップ・カルチャーのエコシステムと切り離しては語れない。当時のパンク・ロッカーたちは往々にしてロック・メディアを批判しているが、それは彼らが読者だったからである。
 というのも、パンクはそれが出てきたとき、すんなり受け入れられたわけではなかった。欧米でも日本でも、冷笑派/否定派のほうが多かったように記憶している。否定派は、頭の固いロッキストや政治アレルギー、右翼ばかりではない。コーネリアス・カーデューが自らの機関誌に「パンクはファシスト」という批判記事を載せたように、極左からの批判もあった。じっさいの話、パンクの内部には、その後極右化する種子もあった。
 さらに、パンクのような音楽の場合は、反知性主義が露骨に現れるものでもある。難しいこと考えるなよ、ロックンロールだろ。これはイギリスのパンク評論で顕著だった。ときにそれは階級闘争を絡めながら、ある意味巧妙に、理性的な批判を拒むような書き手も存在した。
 しかしながら、先にも書いたように、70年代はロック・メディア全盛期──そこは10代から20代の若者たちに自由な文体や関心の探究を許す場でもあった。こうした状況は、1970年代初頭から、音楽それ自体が、より意識的に、よりシリアスなものになりはじめたことと関係している。音楽と政治のあいだに緊張関係が生まれつつあったのも当然といえば当然で、たとえば、デイヴィッド・ボウイの歌詞にはニーチェやトーマス・マンも出てくれば、ジョージ・オーウェルにもリンクした。キンクスは階級制度の理不尽さを風刺し、プログレ・バンドに括られるピンク・フロイドは反資本主義をテーマにした。ジェネシスの1973年のアルバム・タイトル(『Selling England by the Pound 』、邦題は『月影の騎士』)は、労働党のスローガンから採っている。パンクは、前世代との隔絶を主張したが、いまになって大きく見れば、こうしたロックの潮流のなかで見出され、語られてきていることがわかる。

 先に書いたように、プロト・パンクがイギリスよりも多くいたアメリカにおいては、グリール・マーカスとレスター・バングスがその二枚看板と言えるだろう。ともにヒッピー世代で、パンクの時代には20代後半〜30歳だったが、彼らの文章はいま読んでも刺激的で、触発されるものがある。
 まずはグリール・マーカス、彼には、世界で最初の(そしてじつに奇妙な)パンク史学書『Lipstick Traces』(1989)がある。これはアメリカン・ロックの専門家が英国の音楽について書いた唯一の本で、その前半では、多くのページを割いて、セックス・ピストルズの悪名高き米国ツアーの最終公演、1978年1月のサンフランシスコの現場にいた筆者による回想と考察が展開されている。1969年の、ストーンズのオルタモントの悲劇があった会場にもいた筆者が、1978年との本質的な違いを、高まる感情のなか述べている……ばかりではない。状況主義、ダダイズム、貨幣制度を無くした16世紀の残忍な国王ジョン・オブ・レイデンなどへと話を膨らませていく。『パンク50周年記念号』のなかでは、同書のもっともキラーなパラグラフのひとつを引用しているので、ぜひお目通しを。
 レスター・バングスは、70年代初頭のSSWブームを毛嫌いし、パンクの出現をもっとも望んでいたデトロイトのロック雑誌『Creem』の編集長だった人物だ。ビート文学からの影響をロック・ジャーナリズムにみごと落とし込んだ書き手で(だから元々はジャズ・ファンなのだ)、早くから、「パンク(クズ)」という言葉を文中で多用していたことでも知られる。この人の文章も、ずいぶん引用させてもらった。
 特集のなかで石原洋が再評価を促しているのが、1970年、ロサンジェルスで『BOMP!』を創刊したグレッグ・ショウだ。グリール・マーカス、レスター・バングスらがまだ有名になる前から寄稿していたこのロック・メディアは、ガレージ・ロック/初期パンクにおける預言書のような雑誌で、グレッグ・ショウは、パンク・ロック誕生以前のパンク研究家でもあった(彼の造語に、アシッド・パンクがある)。日本では『ロック・マガジン』が彼の文章を翻訳して掲載していた。
 ほかに重要だったメディアは、1976年1月にニューヨークで創刊された『PUNK』紙になる。このファンジンが、CBGBを拠点とした複数のバンドで構成されるシーンとしての「パンク」の名付け親になった。ただし、パンクを白人中心主義的に見せたのもこのメディアで、その論調には影響力のあったマーカスやバングスら(黒人文化に敬意を表していた)ヒッピー世代への挑発があったというが、褒められた話ではない。ただし、それまで「ストリート・ロック」などと括られていた音楽に「パンク」なるタグ付けしたのはこやつらだった。創刊者はジョン・ホルムストロム、そしてレッグス・マクニールで、マクニールはのちにNYパンクのオーラル・ヒストリー本『プリーズ・キル・ミー』を上梓している。
 アメリカのカウンター・カルチャーの拠点、サンフランシスコからは1977年にパンク・ファンジン『Search and Destroy』がアレン・ギンズバーグらビート世代の出資によって創刊された。同誌には、“ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン”が出た瞬間、ようやくパンクへの共感を表明したウィリアム・S・バロウズ御大が登場する。なお、『Search and Destroy』は数年後、誌名を『Re/Search』と変更し、それはそれで宇川直宏ほか、80年代のアンダーグラウンド文化に多大な影響を与えた。

 イギリスでは、まずはパンクの歴史学者ジョン・サヴェージの名を挙げなければならない。セックス・ピストルズとパンク史について知りたければ,これ以上の本はないと言える彼の『イングランズ・ドリーミング』(1991)を読めばいいのだが……翻訳はいまや絶版、古本でも高価になっている(松岡正剛が言ったように、絶版になる本ほど名作が多いのだ)。これは、記録、洞察、そして同時代を共有した人間の感情も克明に描かれた名著で、サヴェージに関してぼくが信頼を寄せているのは、もうひとつ理由がある。彼は(デイヴィッド・トゥープと同様に)、サイモン・レイノルズらがエレクトロニック・ミュージックに注目するよりも何年も早く、ディスコ/ハウス/デトロイト・テクノについて書いているのだ。
『パンク50周年記念号』では触れていないが、キャロライン・クーン(『メロディ・メイカー』で、1976年夏、レコード・デビュー前のセックス・ピストルズを表紙に特集した人)も重要で、ほかに女性ライターではヴィヴィエン・ゴールドマンもいる。そこに続くのが、ポール・モーリー(のちの〈ZTT〉レーベルの参謀)やマーク・フィッシャーやサイモン・レイノルズに影響を与えたイアン・ペンマンになるのだろうが、彼らが心酔したのは、シンプルなロック・サウンドのパンクよりも、サウンドが多様化し、先鋭化したポスト・パンクのほうだった。(広く捉えれば、パンク〜ポスト・パンクはひと括りにできる流れではある)
 日本でもっとも早く反応したのは、書店に流通したメディアでは、1976年にパンク特集を組んだ『ロック・マガジン』、パンク専門誌になる『ZOO』の二誌で、代表的なライターでは間章、水上はるこや大貫憲章らがいる。
 ひとつぼくのエピソードを紹介しよう。パンクの年、つまり1976年から1977年にかけて、ぼくは静岡市で暮らす冴えない中学生だった。パンクも下火になりつつあった1978年、ぼくが中三のときである。街でいちばん大きなレコード店「すみや」で渋谷陽一のトークショーがあったので行った。そのときかかったのはピンク・フロイドの『狂気』で、『ロッキングオン』の編集長はユングの集合的無意識について話しながら、そのアルバムを独自解釈のもとまるまる解説したのである。
 ここで勘の鋭い人はお気づきだろう。ピンク・フロイドとは、ジョニー・ロットンが「IHATE PINK FLOYD」Tシャツを着ていたように、当時としては、いわばパンクの敵だった(いまとなっては、じつはファンだったことも明かされている)。だから1978年に『狂気』をかけるということは、それはそれで、ひとつの態度表明だったと言える。
 

**********

 ファンの思い込みが激しいジャンルでもあるので、多くの要望に応えているなどとは思ってもいない。自分にとっても思い入れがある音楽なので、後からああすれば良かったこうすれば良かったと悔いが残っている。でも、とりあえず、パンクが型にはまったものだと思っていた人が、じつはパンクは幅広いものであったということがわかってもらえたら、そして楽しんでくれたらこれ幸いである。
 パンク・ロックをDIY主義で反ロックスター主義、ステージとフロアとの境界線を無くしたムーヴメントという言い方ができるなら、ぼくにとってはハウス/DJカルチャーはパンク・ロックだった。まあ、なかにはポップスター気取りのDJもいたかもしれないが……、しかしそれでも、それは楽器が弾けなくてもできることだった。
 晩年のウェザオールは、「いまでも自分は“パンク”だと思っている」と言った。彼と同年代のぼくは、彼よりも1年遅く中二でその洗礼を受けた。あれから50年、結局のところぼく自身がいまもパンク(クズ)なのである。そこには何の自慢もない。

※こんな長い文章、最後まで読んでくれてありがとう。以上は特集号の注釈みたいなもの。別冊ele-king『パンク50周年記念号——それは何だったのか、何でありえるのか』は9月30日(水)に発売です!

【インタヴュー】
中原昌也(取材:野田努)
「デッケネの影響はやっぱデッケーね!」

Phew(取材:水越真紀+野田努)
「自分と地続きで、近い距離感。雑誌で見るロックとは違った」

石原洋(取材:野田努)
「パンクは大いなる〝きっかけ〟であり、音楽だけではなく、服やライフスタイルまで変えてしまった」

こだま和文(取材:野田努+水越真紀)
「暴力的じゃなく、優しさと言ってもいいですけど、そういう次なるものが出てこなければ、つまらんなぁと」

大友良英(取材:北沢夏音)
「俺は、阿部薫を、いま考えるとパンクだと解釈して聴いていた」

戸川純(取材:水越真紀)
「ノー・フューチャーを、〝ノー・フューチャー〟と言われる前から感じていたわけです」


【コラム】
「人は負け犬のまま、タフになれるのだろうか」——ラモーンズ、セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュetc.
文:野田努

弱虫、負け犬、ガキ——あるいはパンクの性的衝動、支離滅裂な政治性、DIYなど
文:イアン・F・マーティン

成り行き・遅咲き・パンクの思い出
文:野中モモ

他人事がない。それがパンクである
文:古川日出男

アフロ・パンク——自分のコミュニティのなかで異物扱いされ、自分たちの音楽コミュニティのなかでも再び異物扱いされた子供たちの物語
文:緊那羅:デジ・ラ

軍事政権下のミャンマーで、パンクが躍動する——東南アジア・パンク・レポート
文:高崎英樹

パンク、その直後に、九州の片隅で
文:酒井隆史

1975年のニューヨークからロンドンへ
──ニューヨーク・ドールズ、『プリーズ・キル・ミー』など
文:大久保潤+野田努

パンキー・レイヴ・パーティ
——そのはじまりはセックス・ピストルズの再結成ライヴだった
文:清野栄一

パンクはいまでも希望です
——北海道大学でパンクを研究し、教えるジェームス・レットソン
文:春日正信

■パンク・アンケート
(あなたにとってパンクとは?/好きなパンク・アルバム)
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編者あとがき——70年代前半のニューヨークの地下世界についての追記をかねて

■パンク “第一波” 年表

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