Home > Interviews > interview with Actress - UKテクノ界の奇才が語るみずからの哲学
デトロイト・テントに入ってみたら、そこにいた全員がブラックだった。「こんなハードな音楽を、こんなにたくさんの黒人がつくってるんだ」って衝撃を受けたんだ。あれはほんとうに、自分にとってとても大きな転機だったよ。
ロンドンのプロデューサー、ダレン・J・カニンガムのことはもうちょっとここ日本でも話題になっていいのではないかと思う。UKエレクトロニック・ミュージック界における突出した奇才、アクトレスのデビュー・アルバム『Hazyville』は2008年に自身の〈Werk Discs〉からリリースされている──が、当時はまだ世界のほうがその才能に気づく準備を整えられていなかった。
転機は〈Honest Jon's〉から出た『Splazsh』(2010)だろう。ざらついた音響のもと、テクノもハウスもディスコも、ベース・ミュージックもアンビエントもインダストリアルも飲みこみながら、しかしそのどれにも押しこめきれない独創性を開陳した同作(本人は「R&Bコンクレート」と呼称)は、さまざまなスタイルが花開いた2010年前後のエレクトロニック・ミュージックのなかでも、頭ひとつ抜きんでた必聴盤だ。
その特異な音響はつづく『R.I.P.』(2012)でさらなる深みへと達するも、4枚目『Ghettoville』(2014)では一気に実験度・抽象度が高まり、いい意味で混沌とした様相が呈されていた。従来のアフロフューチャリズムが表現してきたような希望に満ちた未来を、大胆にも荒廃したゲットーに置きかえることで、貧困はびこる現実へとリスナーの意識を向けさせている――そう『Ghettoville』を評したのはスピーカー・ミュージックとして知られるディフォレスト・ブラウン・ジュニアだけれど、なるほど、「ぼくの音楽には、未来的なものなんてなにもない」と述べるカニンガムは、以下のインタヴューで繰り返される資本主義批判からもうかがえるように、ある種のリアリストなのかもしれない。だからこそ逆説的に、「ぼくにとって音楽とは現実逃避」といいきることもできるのではないか、と。
その後『AZD』(2017)を経て彼は、オーケストラとの共作を試みたりシュトックハウゼンの再解釈公演に挑戦、そこで手ごたえをつかんだのか、以降の作品にはクラシカル由来とおぼしき手法が散りばめられるようになる。声とピアノの可能性を探った『Karma & Desire』(2020)、チェスとゲーム理論からインスパイアされた『LXXXVIII』(2023)、あるいはアンビエントに寄った『Statik』(2024)、『Дарен Дж. Каннінгем』(2024)、「Grey Interiors」(2025)などの〈Smalltown Supersound〉からの一連の作品群でも高水準は維持されつづけ、この春には電子音楽の先駆者のひとり、スザンヌ・チアーニとの共作を送りだすにいたっている。
と、ここへ来てだいぶハイペースになってきているアクトレスだけども、9月25日には早くもニュー・アルバム『Radical Frame』が発売される(*当初の発売予定日の18日から1週間後ろ倒しに)。彼らしい実験的テクノが展開される新作は、通常ならスキット扱いとなるだろうきわめて短い12秒の曲で幕を開ける。2曲目にいたってはたったの5秒で、グライムMCのカシスデッドを招いた3曲目も1分51秒しかなく、はてさてこれにはいったいどんな意図があるのやら。もっともキャッチーなのは “Withending” で、ピアノのリフとエディットされた音声の応酬が大いに耳を楽しませてくれる。おそらくアルバムの核、序盤の小品たちに反旗をひるがえすかのように16分もの長さを有する最終曲は、先を急ぐフットワーク的なビートとゆったりしたシンセとの不釣り合いがいつの間にか波の音を呼びよせ、独特の余韻をもたらしている。
まもなくふたつのフェスティヴァル──9月26日(土)または27日(日)〈FFKT 2026 Izu Shirahama〉@ホテル伊豆急、10月3日(土)〈ROVR TOKYO #1〉@Garden新木場Factory──への出演で再来日を果たすダレン・J・カニンガム。去る6月にも〈NU Festival〉のために来日していた彼に幸いにも話を聞くことができた。一にたいして十返す、とても饒舌な人物だった。
これからは10秒、15秒、30秒の曲へと向かっていく。世のなかは確実にその方向に進んでいると思うんだ。じっさいぼくの息子も、なにかを聴くときにそれくらいの時間しか集中できないから。
■いまはワールドカップが開催されていてそのニュースばかりですが〔*取材は6月末におこなわれた〕、あなたはもともとプロのサッカー選手だったのですよね。当時の経験はその後、音楽家としてどのように生かされていますか?
ダレン・J・カニンガム(Darren J. Cunningham、以下DC):ぼくはほんとうに小さい頃から、サッカー選手になることが夢だったんだ。ずっとその夢を持ちつづけていた。だから19歳でサッカーを辞めなければならなくなったときは、ほんとうに打ちのめされたよ。もちろん自分自身で辞めるという決断をしなければならなかったということも大きかった。でもそれだけではなくて、当時はものすごく酷い痛みも抱えていたんだ。入院もしていたし、手術も受けた。モルヒネを投与されていて、身体はボロボロだった。精神的にもほんとうに落ち込んでいて、この先どうするべきかを決めなければならなくて。15歳で学校を辞めて最初のプロ契約にサインしたから、必要最低限の教育を受けてはいたけれど、大学には進学していなかったんだよね。だからサッカーが思い描いていたようにはいかなかったときも、まだ大学へ戻れるだけの若さがあったことは不幸中の幸いだったと思う。問題は、そこでなにを学ぶのか、これからなにをやるのか、ということだった。そのとき、自分のなかで思いついた唯一のものが音楽だったんだ。音楽だけが、サッカーと同じくらい情熱を持てるものだったから。
サッカーでも音楽でも、ある年齢を超えてプロになると、身体のケアやトレーニング、そして規律がなによりも大切になる。ぼくは、そのサッカーで培った規律や集中力を、そのまま音楽制作にも持ちこんだんだ。身体的な側面からも、精神的な側面からも、同じレヴェルの集中力を注いできた。子どもの頃は、何時間も壁に向かってボールを蹴りつづけていたよ。あの反復練習が、自分にとっては技術を磨くことだったんだ。だから繰り返される動きや反復という感覚が、自分のなかではすごく大きな意味をもっているんだよね。
そういう意味で、テクノという音楽の考え方に自分は強く共鳴したんだ。自分の音楽を構築するための出発点というか、根本原理となった。一方で、精神的な面では、サッカーでは試合中つねに戦略を考えている。あるプレイを成功させるためにどんなプロセスを踏むのか、どんな技術を使うのか。どうやってフィニッシュまで持っていくのか。あるいは、とある戦術を実行するために、ここからここへ、そしてここへ……というように、一連の流れを組み立てていく。そういう思考のプロセスや身体に染みついた筋肉の記憶は、いまでも音楽をつくる際にしっかり生きているんだ。
それからもうひとつ、ぼくはステージに立つとき、緊張することがないんだよね。でもその代わりに、ものすごく不思議なアドレナリンが湧いてくる。一見すると緊張しているようにも見えるんだけど、実際はこれからはじまる、という昂揚感だったりするんだ。だから本番まで長く待たされると、少しイライラしてしまうこともあるんだよね。だれかに「もう少し待って」と言われると、少し落ち着きをなくしてしまうこともあって。そういう意味でも、サッカーをしていた頃の感覚や試合中の考え方は、いまの音楽制作にもそのまま生きつづけていると思うよ。
■音楽をはじめるきっかけになった存在として、もし大きな影響を受けたひとがいたら教えてください。やはりデトロイト・テクノ、ホアン・アトキンスでしょうか?
DC:すべてはぼくの好奇心からはじまったんだ。1997年に〈Tribal Gathering〉という大きなフェスティヴァルがあって〔*〕、そこにはテクノ・テントやドラムンベース・テント、ジャングル・テント、それから当時でいうハッピー・ハードコアのテントもあった。その頃のぼくは海賊ラジオをよく聴いていて、おもにハッピー・ハードコアを聴いていたんだ。そこから少しジャングルにも興味を持ちはじめていた頃だった。そんななかで “デトロイト・テント” というものがあることに気づいた。デトロイト・テントってなんだろう? って興味をもったんだ。ヘッドライナーとしてクラフトワークが出演していたのをおぼえているよ。それで、デトロイト・テントに入ってみたら、そこにいた全員がブラックだった。「こんなハードな音楽を、こんなにたくさんの黒人がつくってるんだ」って衝撃を受けたんだ。あれはほんとうに、自分にとってとても大きな転機だったよ。すごく面白いと思ったし、その音楽性がとても気に入ったんだよね。フェスから帰ってきたあと、学校時代の友人がレコード店で働いていたから、その店に足を運んだ。詳しいことはおぼえていないけれど、ジェフ・ミルズのレコードがあったことだけはよくおぼえている。友人が「これに近い音楽もたくさんあるよ」と教えてくれて、じゃあ、何枚か買っていろいろ聴いてみようと思った。全部がデトロイトのアーティストだったわけではなくて、なかには北欧のアーティストもいたね。名前はおぼえていないけれど、真っ黄色のカラー・ヴァイナルが1枚あった。まるでドクター・イエローみたいに真っ黄色なんだ(笑)。曲も悪くはなかったけれど、それ以上に、その鮮やかな黄色いレコード盤そのものに惹かれてしまってね。こういう世界観、すごく面白いなと思ったんだ。ほかにも色つきのヴァイナルをつくっているひとたちがたくさんいて、そこから完全に沼にハマってしまったよ。いまで言うドゥームスクロールみたいな感じとでも言うのかな。
その頃はDJばかりやっていたね。ターンテーブルも買ったけれど、まだ音楽のつくり方についてはまったくの門外漢だった。しばらくしてレコードも箱いっぱいになるくらい集まった頃、どういう経緯だったかおぼえていないんだけど、学生のハウス・パーティでDJをすることになったんだ。そこではぼくがいちばん年下で、ほかのみんなより少なくとも3歳は若かったんじゃないかな。そのときはケヴィン・サンダーソンのe・ダンサーをたくさんプレイした。カール・クレイグやホアン・アトキンスのリミックスなんかもね。
そういうレコードを回していたら、ひとりの男性がずっとぼくのことを見ていたんだ。「なんでそんなにじっと見てくるんだろう?」と思っていたんだけど、DJを終えたらそのひとが近づいてきて、「君がかけていた音楽のジャンルをよく知っているよ」って言うんだ。それで「学生寮に小さな機材セットがあるんだけど、一度遊びに来ないか?」って誘ってくれた。ぼくはまた好奇心が湧いてきて、ぜひ行きたいって言って、彼を訪ねたんだ。そこで初めて機材に触れた瞬間「これだ!」って思った。ほんとうに一目惚れだったんだ。機材に触れた瞬間から、不思議なくらい自然と使い方がわかったんだよね。帰りぎわ、そのひとはぼくにディクタフォン(ヴォイス・レコーダー)を貸してくれた。家に帰ると、とにかく話したいことが溢れてきたんだ。歌ったり、ビートボックスをしたり、思いつくまま録音していた。まるで、自分のなかにずっと溜まっていたものが一気に外に溢れだした感じだったよ。
ぼくが怪我をした頃は、大きなトラウマを経験しても、いまみたいに精神科医やカウンセラーを紹介されるような時代じゃなかった。だから、そのディクタフォンがぼくにとってのカウンセラーのような存在になったんだ。自分の声を録音して、それを聴くことで、自分自身をカウンセリングしているような感覚だったね。そのとき、初めて「これが自分の人生を救ってくれる」って思ったんだ。少なくとも自分に進むべき方向性を与えてくれた。まるで新しい使命を見つけたような気持ちだったよ。
だから、その彼こそ、ぼくにとってもっとも重要なひとだと思っている。メンターとも言える存在だし、人生で出会ったなかでいちばん大きな影響を与えてくれたひとなんだ。彼は大学を卒業すると旅に出ることになって、機材は持っていかないから、とぼくに譲ってくれた。「200ポンド用意できたらきみに譲るよ」って言ってくれてね。ぼくは200ポンドを工面して、全部買いとったんだ。そこからすべてがはじまった。だから、もしあのときぼくが好奇心を持たなかったら、いまの自分はいなかったと思う。好奇心こそ、いまでも音楽をつくるうえでいちばん大切なものなんだ。耳を開いて、なにも最初から否定せず、興味を持ちつづけること。それが最終的にいまの自分をここまで連れてきてくれたんだよ。
*1997年の〈Tribal Gathering〉は、クラフトワークがUKで5年ぶりにギグをする&初めて野外フェスに出演するということで注目され、そのクラフトワークの出演時間になるとデトロイト・テントが空っぽになった(=デトロイトの出演者がみんなクラフトワークを聴きにいった)という逸話でも有名。
取材・文:小林拓音(2026年9月19日)
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