Home > Interviews > interview with Actress - UKテクノ界の奇才が語るみずからの哲学
ぼくの音楽には、未来的なものなんてなにもない。少なくとも、ぼく自身はあると思ってはいないんだ。ぼくにとって音楽とは、現実逃避(エスケーピズム)だから。
■新作は不思議な構成で、すごく短い10秒くらいのトラックがふたつあったあとに、シングル “Live By You” ではじまります。逆に最後の曲は16分の長尺です。タイトルは『Radical Frame』ですが、どういったコンセプトがあるのでしょうか?
DC:最初に考えたのは、あまり説明的になりすぎることなく、いくつかの異なるテーマに触れるアルバムをつくりたいということだったんだ。そのテーマのひとつが「音楽がどのように消費されるのか」ということ。ぼくはヴァイナル・レコードの価値はこれからますます上がっていくと思っている。なぜなら、音楽そのものはどんどん短くなっていくから。長尺の楽曲は減る一方だろうね。これからは10秒、15秒、30秒という短い時間のなかで、ひとの注意を引かなければならなくなる。しかも、それは必ずしも1曲の音楽である必要すらなくて、なにかのトリガー(きっかけ)であればいいんだ。これからの音楽はそういうものになっていくと思うよ。このアルバムの最初の2曲は、まさにその実験ともいえる。ここから「さあ、アルバムを買ってくれ。金をよこせ」っていうね(笑)。つまり、ものすごく資本主義的な視点から考え出されたものなんだ。しかもそれは音楽的にというよりも、もっと直接的なもので、「さあ、金を出せ」と言うためのもの。
その後の3曲目は、本質的にはぼく自身が投影されている。主人公が自分のなかに溜めこんできたフラストレイションをすべて吐きだして、「ここではどんなゲームが展開しているのか? これが自分という人間なんだ。これが、あの出来事が起きるまえの自分で、そして、そこから生まれ変わったいまの自分がいる」と語っているんだよね。最初の2曲は、いわば強盗や略奪のようなもので、3曲目で、その逃走劇の最中に、自分がどんな人物なのかを語っている。だから、ここから人物像が少しずつ見えてくるんだ。ただその人物は、いわゆる小悪党ではなくて、企業犯罪を犯した犯罪者なんだ。システムの抜け穴を見つけて、そのシステムから逃げつづけている存在。それが男性の主人公なんだけど、一方で女性の主人公も登場する。そこではアクトレス(Actress)という名前そのものにも触れているんだ。つまりアクトレスという名前で活動する男性がいるわけで、男性性と女性性、そのふたつが並び立つ構図になっているんだよね。
さらに、それぞれの曲同士も陰と陽のような関係になっていて。一方は物語を語り、もう一方はその主人公を慰めたり、支えたりする存在なんだ。これは、ぼくが病院にいた頃や、痛みを抱えていた頃の話にもつながっていく。そうした出来事をとおして、自分自身の人生を物語ろうとしているんだよ。アルバムのなかに16分もある曲が入っている理由もそこにあるんだ。あれは「考えすぎること」についての曲だよ。だったら、その「考えすぎる」感覚を表現するいちばんいい方法は、20分近くある曲をつくることなんじゃないかと思ったんだ。それに、レコード会社に求められる曲数を少し減らす口実にもなるしね。だから、この作品はかなり反抗的なアルバムだと言えるだろうね。
ぼくは、この作品のなかでいろいろなことに答えを出そうとしている。今後、音楽を消費するということがどう変わっていくのかについても語ろうとしているんだ。それがアルゴリズムによって決まるのか。あるいは、人びとの好奇心によって決まるのか。レコードを買うという行為によって決まるのか。それはぼくにはわからない。でも、ぼくはいまの音楽は、すでに広告看板(ビルボード)のようなものになっていると感じているよ。ほんの短い時間で人びとの注意を引かなければいけないからね。レコード店だってそうだ。レコードを買うとき、アルバムすべてを視聴することなんてできないし、聴けるのはごく短い断片だけだよね。だから “Live By You” のような曲では、できるだけ短い時間のなかに、できるだけの情報を詰め込みたかったんだ。もう、光の速さで流れ星のように情報が飛び交っているような感覚さえする時代になっている。でも、本来アルバムというものは没入できる体験であるべきだと思っているんだよね。ぼくは、アルバムとはそうした没入体験だと信じている。ただ、その没入とは「長さ」だけではなくて、「短さ」も含んだ体験なんだ。『Radical Frame』というタイトルも、そうした発想から来ている。1曲は5分であるべきだとか、理想的なポップ・ソングは3分だといった、固定観念そのものを問い直したかった。ぼくにとって、それはもう古い考え方だから。これからは10秒、15秒、30秒の曲へと向かっていく。世のなかは確実にその方向に進んでいると思うんだ。じっさいぼくの息子も、なにかを聴くときにそれくらいの時間しか集中できないから。2分を超えるものなんて、もう聴こうともしないんじゃないかな。ぼくには、これからの音楽はそういう方向へ進んでいくように思えるんだ。
■あなたは作品ごとに異なることをやってきているし、ほかのだれともちがうものをつくっていますが、音楽制作のうえでなにをいちばん大切にしていますか?
DC:ぼくは、やり残したことがないような作品をつくりたいんだ。なにかをつくるのなら、中途半端なものはつくりたくない。たとえば10点満点中5点みたいな作品を出すくらいなら、3点のほうがいい。極端にいえば、1点でも構わない。平均点の作品なんて出したくないんだ。それよりも自分のバック・カタログ(作品群)のなかに、きちんと居場所をもてる作品を世に送りだしたいと考えているんだよね。
一方で、自分のなかにはすごく資本主義的な側面もあって。自分のカタログ全体がどう見えるのか。作品が時系列でどう積み重なっていくのか。そういうこともすごく考えているよ。いつか、自分がこれまでつけてきた曲名を全部集めなおしてみたいと思っているんだ。もしかすると、自分自身に向けてひそかに送りつづけていたメッセージが見つかるかもしれないからね。さっき話したように、ディクタフォンに向かって自分自身に語りかけていたのとおなじように。ぼくは、自分に必要なものはなにか、自分が残そうとしているものはなにか、その先にはなにがあるのかということに興味がある。というのも、音楽をつくっているとき、ぼくは必ずしも「ここ」にいるわけではないから。ぼくにとって、音楽は現実逃避(エスケーピズム)だ。いつも意識が現実に留まっているわけではないんだよ。昔、マリファナをたくさん吸っていた頃は、その感覚がもっと強かった。いまはそこまでは吸わないから、以前よりは現実にいる感覚があるけれど、それでも、どこか切り離されているような感覚は残っている。街を歩いていても、自分は匿名の存在だと感じることが多いし、自分が透明人間のように感じることもよくあるよ。
このアルバムについて言えば、たしかにこれまでの作品とはちがうといえると思う。でも、ひとついいたいのは……ぼくが反抗的で、既存の枠組み(フレーム)を覆そうとしているという話をしてきたけれど、それだけではない、ということなんだ。結局のところ、レコード会社の仕事というのは、アーティストから最高のものを引きだして、その作品をできるかぎり売ることだよね。自分がレーベルという構造のなかで過ごしてきた時間を振り返るとすれば、ぼくの音楽は確実によくなってきていると思うし、これからよりよくなっていくべきだと思うんだ。少なくとも、レーベルと契約し、過ごしてきた経験がなければ、いまのような作品には到達できていなかったと思う。プレッシャーや期待といった要求があったからこそ、自分はよりよいアーティストになれた。ぼくが欲しかったのは、まさにそれだったんだ。結局のところ、自分自身を試したかったのかもしれない。あれほど高い要求や期待に、自分が応えられるのか試してみたかったんだ。もちろん最初は簡単ではなかったよ。ほんとうに大変だった。でもいまになってようやく、自分がずっとつくりたかったと思える作品を完成させることができた気がしているんだ。もちろん、最初からいきなりつくれたわけではなくて、ここに辿りつくまでには、これまでの作品が必要だったということ。そうやって積み重ねてきたからこそ、ようやくいまのこの地点に辿りつけたんだ。しかも、ちょうどいいタイミングでね。
■たまに、いまはもう音楽のいろんなスタイルが出尽くしてしまっているのではないかと感じたりすることがあるのですが、音楽はいまでもまだ前進できると思いますか?
DC:どんな音楽スタイルが生まれるかについては、正直あまりわからないけれど……でも、これからはアーティスト自身が、もっと自分だけのスタイルをつくりあげていくようになると思う。そのスタイルをどう位置づけるか、どんな文脈を与えるかについても、自分たちでうまく表現していくようになるはずだと思うんだ。つまり、自分たちの音楽をどう説明するかをメディアや評論家に委ねるのではなく、自分たちで名前をつけて、自分たち自身で文脈を定義していくようになる。それに、自分たちのオーディエンスも、自分たちで築きあげてコントロールしていくようになるんじゃないかな。だから、これからは多くの主導権がアーティストへと回帰していくように思う。アーティスト自身が、自分たちの音楽とはなんなのかについて、もっと主体性や自立性を求めるようになると思うんだ。
一方で、かつてはアンダーグラウンドと呼ばれていた音楽が、いまや買いあげられ、商品として売られ、パッケージ化されてしまったものにたいしては、反発も生まれてくるだろうね。じっさい、その兆しはすでにあらわれはじめていると思う。それに、多くのアーティストは自分たちの音楽を伝えるために、音楽そのものだけではなく、サブカルチャーを扱った映像作品や映画、スピーチ、引用なども活用していくようになるんじゃないかな。そういうさまざまな手段を使って、自分たちの音楽がどこから生まれてきたのか、その背景や意味をみずから語っていくようになると思うんだ。どこかのだれかが勝手にジャンル名をつけたり、レッテルを貼ったりするような時代ではなくなっていく。ぼくは、そういう時代はもう終わりに近づいていると思う。
むしろディストピアなんだ。企業社会による歪みや、資本主義が人間に与える影響。そして、音楽がそこから逃れようとし、また新しい形へと進化し、ふたたびそこから抜けだそうとする。そういう循環にぼくは興味があるんだ。
■あなたは以前、アフロフューチャリズムのフェスに出演したことがありました。これまで第三者からあなたの音楽をアフロフューチャリズムだと説明されることもあっただろうと思います。ご自身としては「アフロフューチャリズム」という考え方についてはどう思っていますか?
DC:ぼくは、アフロフューチャリズムという呼ばれ方が好きだったことは一度もないよ。当時は、ある意味では都合のいいことばだったとは思うけど。というのも、このことばのおかげで自分の音楽を演奏する機会を得られたわけだからね。でも、自分の音楽をアフロフューチャリズムだと表現したことは一度もないんだ。そもそも、あのことばがどこから来たのか、ずっと疑問だった。さっきも話したように、ぼくは生まれつき既存の枠組みに従わない人間……ノンコンフォーミスト(非順応主義者)なんだ。だから、なにかの構造や仕組みがつくられて、それがひとを分けたり分類したりするために存在しているのであれば、かならず疑問を投げかけたくなる。ぼくにとって、アフロフューチャリズムという考え方も、一種の隔離政策のように感じるんだ。
もちろん、ぼくはブラック・アートやブラック・ミュージックにたいして、とても保護的な考えをもっているよ。ぼくたちが生みだしてきた芸術や音楽は、長い歴史のなかで盗まれ、つくりかえられ、ときにはまったくクレジットも与えられないまま利用されてきた。それは、ブラック・カルチャーに共通する経験でもあるけれどね。でもその問題とはべつに、ぼくにとって重要だったのは、それを知的に問い直すことだったんだ。
大学に進んでからは、ほんとうにいろいろなことを学んだよ。さまざまなものを見て、たくさんの話を聞いて、先生たちがなにを教えようとしているのかに耳を傾けていた。たとえば、レコーディング技術の授業でこんなことがあったんだ。ある日、講師がコンプレッサーについて説明していて、「この設定はしないほうがいい。音がポンピングしてしまうから。そんな音にはしたくないだろう」といったんだ。でも、ぼくはそのときこう思った。「ぼくはその音が好きだけど、どうして使ってはいけないんだろう?」ってね。だから、真っ先に「じゃあ、これを自分の手法にしよう」って思ったんだ。これはほんの小さな例だけど、学生時代にはそういう場面がたくさんあった。だから、学生には教えられたことを鵜呑みにするのではなく、一度は疑ってみてほしいと思っているんだ。反論まではしなくとも、一度は試してみるべきだ。だれかが「やるな」と言うなら、じっさいにやってみればいい。もしかすると、それこそが自分の音楽を唯一無二のものにする要素になるかもしれない。だれもが……いや、少なくとも多くのひとが目指しているのは、自分だけの声、自分だけの個性を見つけることだから。ぼくにとって、それがまさにそのひとつだったんだよね。その発想はサイドチェイン・コンプレッションにもつながっていく。いまでは、キック・ドラムにサイドチェインをかけることなんて普通のことになったけど、当時は「そんなことはするな」と教えられていたんだ。
アフロフューチャリズムについても、まったくおなじことがいえると思う。その枠組みに参加したのは、都合がよかったからなんだ。そのおかげで活動できたし、このことばと経験自体がいろいろなことを物語っていると思う。でも、いつかかならず、外側からその考え方に異議を唱えようと思っていた。当時は、まだ自分の作品が十分になかったから、なにをいっても説得力がなかった。でも、いまはちがう。いまは自分の音楽があるから、こういうことがいえるんだ。ぼくの音楽には、未来的なものなんてなにもない。少なくとも、ぼく自身はあると思ってはいないんだ。ぼくにとって音楽とは、現実逃避(エスケーピズム)だから。
たとえば、“Hubble” という曲〔*『Splazsh』収録〕を書いたときも、未来について考えていたわけじゃない。ぼくが魅了されたのは、あのテクノロジー(ハッブル宇宙望遠鏡)そのものだったんだ。見た目が好きで、どう機能するのかが好きだった。だから、あれ(ハッブル宇宙望遠鏡)が「どう見えるか」を、「どう聴こえるか」として音楽に変換したかったんだよね。光の反射や、信号を処理する仕組みといったものを、音楽で表現したかったんだ。それを音としてコンテクスト化したかった。未来なんて関係ないんだよ。
もちろん、未来的なアイディアを扱った作品がまったくないとはいわないよ。でも、その根底にあるのは、むしろディストピアなんだ。企業社会による歪みや、資本主義が人間に与える影響。そして、音楽がそこから逃れようとし、また新しい形へと進化し、ふたたびそこから抜けだそうとする。そういう循環にぼくは興味があるんだ。だから、こういう呼び名やラベルが、いつかだれかによって問い直されるのは、ごく自然なことだと思っているよ。
[アクトレス来日公演情報]
9月26日(土)・27日(日)
FFKT 2026 Izu Shirahama
ホテル伊豆急
https://ffkt.jp/2026-izushirahama/
10月3日(土)
ROVR TOKYO #1
Garden新木場Factory
https://www.rovr.live/tokyo
取材・文:小林拓音(2026年9月19日)
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