「UR」と一致するもの

Herbert & Momoko - ele-king

 イギリスの電子音楽家、マシュー・ハーバートがドラムと歌を主とした表現を手がけるモモコ・ギルとのユニット「Herbert & Momoko」にて約6年ぶりの来日公演を実施。静岡の〈FESTIVAL de FRUE 2025〉でのDJセットを皮切りに、東京・福岡・札幌・京都・金沢の全6都市をめぐるジャパン・ツアーとなる。

 Herbert & Momokoは、ミニマル~エクスペリメンタルな側面で知られるマシュー・ハーバートの数々のプロジェクトのなかでもハウス・ミュージックとヴォーカルを軸とした、実験性とポップ・センスが同居したユニット。本年6月には〈Strut Records〉からコラボ・アルバム『Clay』を発表。ふたりがつむぐ、晩秋のメランコリックな気分にぴったりの世界観に浸ってみましょう。

Herbert & Momoko Japan Tour 2025

11/01 SAT SHIZUOKA at FESTIVAL de FRUE 2025 *DJ set feat. Momoko live vocals
Les Claypool's Bastard Jazz / AKIRAM EN / anaiis & Grupo Cosmo / Capablanca / CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN / DJ Sotofett / DOGO / Enji / E.O.U / ffan / GEZAN / Joana Queiroz & Manami Kakudo / MASCARAS / Nakibembe Embaire Group ft.Naoyuki Uchida / Ohzora Kimishima / Powder / Rubel / Solar / Yamarchy / 7e / 鏡民
https://festivaldefrue.com

11/04 TUE TOKYO 18:00 at WWW X *Duo Live Extended Show
DJ: 5ive [Thinner Groove]
https://www-shibuya.jp/schedule/019224.php

11/07 FRI FUKUOKA 22:00 at Keith Flack *Duo Live
DJ: p.co [SEXTANS] / Tatsuoki [Broad] / vvekapipo [hertz]
https://t.livepocket.jp/e/herbert_momoko

11/08 SAT SAPPORO 20:00 at Precious Hall *Duo Live
DJ: midori yamada (the hatch)
https://t.livepocket.jp/e/20251108herbert-momoko

11/13 THU KYOTO 19:00 at Metro *Duo Live
Front Act: Kazumichi Komatsu
https://www.metro.ne.jp/schedule/251113

11/14 FRI KANAZAWA 18:00 at PALAIS *Duo Live
DJ: FUTOSHI SUGIKI / Susumu Kakuda
https://pa-lais.com/schedule/2025-11-14

tour promoted by WWW & melting bot
tour poster: Andry Adolphe


Matthew Herbert

Matthew Herbertは受賞歴のある作曲家、アーティスト、プロデューサー、作家であり、その革新的な作品の幅は30枚以上のアルバム(高く評価された『Bodily Functions』を含む)から、アカデミー賞受賞映画『ファンタスティック・ウーマン』の音楽、ナショナル・シアター、ブロードウェイ、テレビシリーズ(『Noughts and Crosses』、『The Responder for BBC』)、ゲーム(『Lego』)、ラジオのための音楽にまで及ぶ。ソロ演奏、DJ活動、自身の21人編成ビッグバンドや100人合唱団を含む様々なミュージシャンとの共演で、シドニー・オペラハウスからハリウッド・ボウルまで世界中でパフォーマンスを行い、インスタレーション、演劇、オペラも創作している。

Quincy Jones、Ennio Morricone、Serge Gainsbourg、Mahler といった象徴的なアーティストのリミックスを手掛け、Bjork の長期にわたる共同制作者でもある。ロイヤル・オペラ・ハウス、BBC、ドイツ・グラモフォンなどから作品を委嘱されているが、最も知られているのは、日常音やいわゆる「ファウンド・サウンド」を電子音楽へと昇華させる音響表現である。代表作『ONE PIG』は豚の誕生から食卓へ、そしてその先までを追った作品だ。2018年には初著書『The Music』を Unbound 社より出版。現在はラジオフォニック研究所のクリエイティブ・ディレクターを務める。

2021年、Matthewと聴覚をテーマにした Enrique Sanchez Lansch による特別ドキュメンタリー『A Symphony Of Noise』が公開された。10年以上にわたり撮影された本作は、電子音楽家、アーティスト、サウンド活動家としての Matthew の約20のプロジェクトを追う。彼はまた最近、音を用いた作曲の倫理に関する博士号を取得し、次の実験的プロジェクトでは10億を超える音を聴取することを基盤としている。

https://www.instagram.com/matthewherbertmusic


Momoko Gill

Momoko Gillは、ロンドンを拠点に活動する新進気鋭のアーティスト。プロデューサー、作曲家、作詞家、そしてマルチ・インストゥルメンタリストとして、ドラムと歌を中心に多彩な表現を展開し、注目を集めている。オックスフォードに生まれ、京都・横浜・サンタバーバラ・ロンドンで育ったバックグラウンドを持ち、その幅広い感性を音楽に注ぎ込む。Matthew Herbert、Alabaster DePlume、Tirzah、Coby Seyなど、英国の個性豊かなアーティストたちと共演し、ジャズ、アヴァンギャルド、エレクトロニックの狭間で独自の存在感を示してきた。ロンドンのクリエイティブ・コミュニティTotal Refreshment Centreを拠点としている。

2025年には Matthew Herbert と Clay を共同プロデュース。そもそもの始まりは、Herbert のアルバム『The Horse』収録曲を Momoko がリミックスし、その音を Herbert が高く評価したことだった。また、詩人/ラッパー Nadeem Din-Gabisi とのデュオ An Alien Called Harmony ではプロデューサーを務める。さらに2026年初頭には、自己プロデュースによるデビュー・ソロアルバムを Strut Records からリリース予定。
親密さと深みを併せ持つ歌声で、ジャンルと物語性、そして音響実験の境界を押し広げながら、独自の音楽世界を切り拓いている。

https://www.instagram.com/momokogill

Oneohtrix Point Never - ele-king

 ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが『Again』以来、2年ぶりのアルバムを発表する。題して『トランキライザー(精神安定剤、鎮痛剤)』、つまりわれわれを穏やかにさせてくれるようなサウンドに満ちている、ということだろうか。いやいや、これまでも多くコンセプチュアルな作品を送りだしてきたダニエル・ロパティンのことだ。まったく逆の可能性だってありうるわけで……10月20日にMVとともに公開された新曲 “Lifeworld” と、その前日19日に投下された “For Residue” と “Bumpy” の都合3曲、むむむ、これはどっちだ……!? CDとLPの発売は11月21日、配信開始は11月17日とのことなので、OPNが踏みだす新たな一歩がどのようなものになっているのか、あれこれ想像を膨らませておこうではないか。

Oneohtrix Point Never

ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー
ニュー・アルバム『Tranquilizer』を発表!
「For Residue」「Bumpy」「Lifeworld」の3曲が解禁!
アルバムは11月17日デジタル配信、11月21日にCD・LPが発売

現代音楽シーンにおいて、静かに、しかし圧倒的な影響力を持つワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(以下OPN)が、ニュー・アルバム『Tranquilizer』を発表! 〈Warp〉より11月17日(月)にデジタル/ストリーミングで配信がスタートし、11月21日(金)にCDとLPが発売される。アルバム発表にあわせて、新曲「For Residue」「Bumpy」「Lifeworld」が解禁され、OPNならではの幻想的で超現実的なサウンド世界が姿を現す。

Oneohtrix Point Never - Lifeworld (Official Video)
Youtube:https://youtu.be/YfjsyKFbyqM

「For Residue」「Bumpy」「Lifeworld」の3曲配信開始
https://warp.net/opn-tranquilizer

精神安定剤を意味する『Tranquilizer』の出発点は偶然の光景だった。歯医者の椅子に横たわり、歯に響く振動を受けながら、ふと見上げた蛍光灯のカバー。灰色のタイル天井に貼られた、青空とヤシの木のプリント──安っぽい人工の楽園。その瞬間、OPNは問いかける。この世界の音とは何か。日常と非日常がかろうじて均衡を保ちながら共存する、この薄っぺらな現実の音とは。

さらに、数年前、インターネット・アーカイブから、巨大なサンプル・ライブラリがインターネットから忽然と消えた事件も創作の引き金となった。90年代から2000年代にかけての何百枚ものクラシックなサンプルCD──シーケンス、ビート、パッド、バーチャル楽器。『サイレントヒル』から『X-ファイル』まで、数え切れない作品に陰影を与えてきた音源たちが、一瞬にして闇に呑み込まれたという出来事。それは文化の断絶、時代の記憶を繋ぐ回線が無慈悲に断ち切られるような体験だった。幸いにも、失われかけた音の断片は再び救出され、文化的アーカイブとして息を吹き返す。本作は、過去への逃避とは何を意味するのか、そしてその先に何が待っているのかを問いかけ、超現実的でディープなテクスチャーで聴く者を包み込む。

失われた音の断片をもとに、『Tranquilizer』は音の幻覚を描き出す。静謐なアンビエンスがデジタルの混沌へとねじれ、日常の質感は感情の奔流へと変容する。忘却と廃退に形づくられたレコード。現実と非現実の境界はぼやけ、サンプルはノイズへと溶け込み、夢の中で扉がきしむ音を立てる。今作のOPNは、これまで以上に没入的だ。ノスタルジーではなく、失われた音を新しい感情の器として再構築している。

このアルバムは、かつて商業用オーディオ・キットとして作られた音源群に形を与えた作品だ。陳腐なサウンドの索引を裏返しにしたようなもの。今日の文化の奥底にある狂気と倦怠を最もよく表現できる、プロセス重視の音楽制作へと回帰した作品なんだ。 ──Oneohtrix Point Never

アルバム発表にあわせて解禁された「For Residue」「Bumpy」「Lifeworld」の3曲は、メディアの崩壊、アンビエントな不穏さ、そして儚い美が交錯する、まさにOPNらしい世界が描かれている。

アートワークは、インディアナ州を拠点とするアーティスト、アブナー・ハーシュバーガーによって描かれた絵画で、アブナーが育ったノースダコタの平原を抽象的かつ有機的に再構築している。忘れ去られた素材や農村風景に根ざしたそのビジュアルは、『Tranquilizer』のテーマである崩壊、記憶、クラフト感と呼応する。

過去20年にわたり、OPNは世界有数の実験的エレクトロニック・ミュージックのプロデューサー/作曲家としてその名を確立し、21世紀の音楽表現を刷新し続けている。初期の『Eccojams』はヴェイパーウェイヴを生み出し、『R Plus Seven』や『Garden of Delete』といった作品はデジタル時代のアンビエント/実験音楽を再定義した。さらに、サフディ兄弟の『グッド・タイム(原題:Good Time)』と『アンカット・ダイヤモンド(原題:Uncut Gems)』やソフィア・コッポラの『ブリングリング(原題:The Bling Ring)』の映画音楽を手がけ、今年最も注目を集める映画のひとつであるジョシュ・サフディ監督作『Marty Supreme』の音楽も担当。またザ・ウィークエンド、チャーリーXCX、イギー・ポップ、デヴィッド・バーン、アノーニとのコラボレーションでも知られている。

OPN待望の最新アルバム『Tranquilizer』は、11月17日(月)にデジタル/ストリーミングで配信され、11月21日(金)にCDとLPが発売される。国内盤CDにはボーナストラック「For Residue (Extended)」が追加収録され、解説書が封入される。LPは通常盤(ブラック・ヴァイナル)に加え、限定盤(クリア・ヴァイナル)も発売。限定盤LPは数量限定の日本語帯付き仕様(解説書付)でも発売される。さらに国内盤CDと日本語帯付き仕様盤LPは、Tシャツ付きセットも発売決定。

label : BEAT RECORDS / Warp Records
artist : Oneohtrix Point Never
title : Tranquilizer
release : 2025.11.21
商品ページ : https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=15439
TRACKLISTING :
01. For Residue
02. Bumpy
03. Lifeworld
04. Measuring Ruins
05. Modern Lust
06. Fear of Symmetry
07. Vestigel
08. Cherry Blue
09. Bell Scanner
10. D.I.S.
11. Tranquilizer
12. Storm Show
13. Petro
14. Rodl Glide
15. Waterfalls
16. For Residue (Extended) *Bonus Track

CD+Tシャツセット

LP+Tシャツ

CD

LP

限定LP


R.I.P. D’Angelo - ele-king

緊那羅:Desi La(訳:編集部)

 人は大衆音楽における「才能」について、歌声や見た目の特別さを指して語りがちだ。どんなふうに歌い、叫び、あるいは甘く歌い上げるのか、とか。だが、音を「どのように聴いているのか」、そしてさまざまなジャンルの音楽をレゴブロックのように組み合わせ、過去の黄金の瞬間を細かく分解し、それを吸収し、「なんてこった!」と神々しいまでに独自なひらめきにうなずきながら、人びとを椅子から立ち上がらせ、心を動かすようなかたちに再構築する、その才能についてはあまり語られないかもしれない。D’Angeloは、2025年10月14日、わずか51歳という若さでこの世を去った。彼をめぐっては、メディア、共演者、ファン、そして彼のイメージや遺産で商売をしようとするSNS上の人びとから、さまざまな思い出が語られるだろうけれど、彼に正しく敬意を捧げるためには、彼を「ミュージシャン」と呼ぶだけでは足りないと私は思っている。彼はむしろ「技師(エンジニア)」であり、「建築家」だった。プリンスやマイルス・デイヴィス、パーラメントのように音楽を構築した偉大な建築家たちの系譜に属する存在だ。

 インスタグラムを何気なくスクロールしていたとき、私は残念ながら、あの“Untitled (How Does It Feel)”のヴィデオでの一瞬の性的イメージばかりを強調するインフルエンサーたちの投稿を目にしてしまった。彼を性的対象としてしか見ないそうした悪魔的な心性こそが、いくつかある理由のうちのひとつ——彼がキャリアの大部分を通して長く姿を消していた理由のひとつ——ではないのか。あの映像で焼きついた彼の官能的なイメージは、当時の大衆の記憶から決して消えることはないだろう。が、それは彼の真の才能を示すものではなかった。彼を讃えるということは、彼が望んだかたちで見られること、そして彼の激しい努力の結実を讃えることでもある。

 D’Angelo——本名マイケル・ユージーン・アーチャー——はヴァージニア州の生まれで、ファレルと同郷である(ヴァージニアの水にはたしかに何かがあるのだろう)。彼は教会の少年として育ち、ゴスペルを愛し、そしてソウル、ロック、ファンクの黄金時代の巨人たち——アル・グリーン、ジミ・ヘンドリックス、フェラ・クティ、プリンスなど——に憧れた。彼のヒーローもまた、みんな同じく「建築家」だった。音に対する鋭敏な耳を持ち、アレンジ、バンドの選択、そして全体的なプレゼンテーションにおいて非凡なセンスを備えた音楽家たちだ。彼は成長するにつれて、それらの創造者たちの手がけた構造を解きほぐし、彼らがどう音楽を創出しているのかを考究した。とりわけ、プリンスだ。彼がひとりでスタジオとサウンド全体を完全に支配していたその姿に魅了され、「あれが自分だ」と感じたはずだ。

 音楽業界が何かとレッテルを貼りたがるなかで、D’Angeloが『Brown Sugar』でシーンに登場し、最初のすばらしい成功を収めてから、彼には「ネオ・ソウル」という称号が与えられた。1995年のデビュー当時から、そして続いて登場したエリカ・バドゥの『Baduizm』(1997年)などと並び、その呼称は一定の妥当性を持っていたと言える。というのも、ヒップホップはもともとソウル/ファンクに影響を受けており、ネオ・ソウルの進化は、文化的にも経済的にも支配的となったヒップホップからの影響の「フィードバック・ループ」を示していたからだ。セクシーでチルなヴァイブス、しかもストリートの匂いもある。
 じっさいD’Angelo はネオ・ソウルの特徴をすべて体現していた——ヒップホップの影響を受けたタイトなビート、滑らかなヴォーカル、無駄のないプロダクション、社会的意識をもった歌詞、グルーヴに乗った重心の低いフロー、そして技巧に走らないセクシーな歌声……。
 多くのミュージシャンとは異なり、D’Angeloが遺した公式アルバムはわずか3枚のみだ。しかしそのどれもが前作を凌ぐ傑作であり、『Black Messiah』(2014)はまさにその頂点に立つ作品だった。彼が病に倒れる前に取り組んでいた未発表の音楽も、いずれ何らかの形で日の目を見ることになるだろうが、現時点では、『Black Messiah』こそが彼の到達点であり頂点である。もちろんそれは、『Voodoo』(2000)や『Brown Sugar』を軽んじてよいという意味ではない。むしろいまとなっては、これら2作を、音楽だけにすべてを賭けたひとりの男が歩んできた、その進化の道筋としても味わえる。

 もし私が「ブラックネス(黒人性)」という概念を音楽的革命として講義する授業を開くとしたら、『Black Messiah』収録の“The Door”という曲をかけるだろう。70年代的なハーモニーとファンクのリフが全編を覆い、厚みのあるファンク・ベースが鳴り響き、1940年代のブルーズ的スライド・ギターのクレッシェンドでは、スライドが弦に擦れる音までミックスに残されている。90年代的なデジタル録音のようなアンプ・ディストーションはなく、リラックスしたホンキートンク調のビートに乗せたファルセットの歌声。ファンク特有の切れ味あるストップ&スタートのイントネーションがありながら、歌唱技巧を排している。そしてたしかなダウンビートが、教室で机を叩いてビートを刻み、まわりの仲間が手拍子を合わせていた高校時代のあの瞬間を黒人たちに思い起こさせる。そうしたすべてが、この1曲のなかに凝縮されている。
 D’Angelo はまた、「ブラック/アフリカ的な音楽学習法」の価値を体現していた。ブルーズ、ゴスペル、ジャズ、あるいはアフリカの伝統音楽——いずれにおいても、黒人音楽とは共同体的な営みであり、集中して意図的に聴くことによって成り立っている。複数のパートが重層的に動きながらも、汗をかくことなく完璧に同期している。ビートとビートのあいだにはたっぷりとした呼吸がある。「重要なのは何を演奏するかではなく、何を演奏しないかだ」とマイルス・デイヴィスが言ったように。
 デビュー作で成功を収めたにもかかわらず、D’Angelo は資本主義的商業システム——すなわち大手レーベルという獣——の餌食になることを拒んだ。アーティストの首筋に息を吹きかけ、スタジオに押しかけては「早くリリースを」「長いツアーを」「最大の利益を」と迫る連中に対して、彼は「くそくらえ」と言い放ち、ルーツのクエストラヴとともに5年間もの冬眠に入ったのだ。……5年だ! 大学の学位を取るより長い。その「大学」が『Voodoo』であり、さらにそれを3倍にしたものが『Black Messiah』だった。
 反資本主義的な精神を貫きながら、D’Angelo は「ブラック・ヒストリーの音」を追い求め、それに人生を捧げた。彼は、過去の偉大な音楽家たちの独自性の蒐集家であり、各アルバムの制作にあたっては、その音楽を研究し、向き合い、ジャムし、さらにまた向き合い、あらたな協働者を招き入れてはまた向き合い、ヴォーカルだけで2年を費やしてもなお、音楽とともに座り続けた。その結果、『Voodoo』と『Black Messiah』は聴く者の前で雲を切り裂き、天を開く。細部にまでこだわり抜いたサウンド・デザインが機能する要素を徹底的に磨き上げ、極限まで高めている。
 建築家とは機械や建物の「内部構造」を見る者である。それを組み合わせることで以前よりも高い創意を生み出す。構造の逆解析を行い、どの瞬間においても楽曲を「最高なもの」として立ち上がらせる。そのような能力を持つ者。D’Angeloには「駄作」と呼べるアルバムがひとつもない。それは、彼が——良い意味で——あまりにも「良いアルバムを作ること」に執心していたからだ。そして、彼は待ち、さらに待ち続け、それが熟するのを見届けた。

 D’Angelo の壮大さ、彼のパフォーマンス、優しさ、録音作品は、視界の果てまで広がるほどの賛辞の波を呼び起こした。しかし残念なことに、彼を苦しめたある種の悪魔が誘発した逮捕、依存、鬱などが彼の早すぎる死に影響した可能性がある。皮肉なことに、彼を押し上げたその「社会的イメージ」こそが彼の首にかかった重すぎる錨となり、彼はそこから抜け出そうともがいた。注目すべきは、『Black Messiah』がD’Angeloのアルバムのなかで唯一、彼自身の姿がジャケットの表にもその裏面にも登場していない作品であるという点だ。焦点は完全に「作品そのもの」に置かれている。
 彼の焦点は、つねに芸術そのものに向けられていたのだ。そして2025年のいま、私たちはようやくその全体像を享受できるのである。その美しさ——彼の微笑み、その語り口、彼が遺した物語とそこに刻まれた教訓、そして何よりも音楽への絶対的な献身——そのすべてを、ありのままに味わえるのだ。


People often talk of talent as if it`s only a person’s singular singing voice or their particular look. How they sing, shout or croon. But not enough of how they hear and put the Lego blocks of multiple genres of music together, pick apart the golden moments of excellence of the past, take them in and head nod to the “goddamn!” pure heavenly idiosyncrasies and reassemble them in a way that move people from their seats and into their hearts. D`Angelo has left us at the early age of 51 years old this past October 14th 2025. There will be many memories of him from media, collaborators, fans and social media types looking to capitalize on his image and legacy. But to properly give tribute to him, I feel it`s appropriate to knight him not a mere musician but an engineer. An architect. In the vein of other architects like Prince or Miles Davis or Parliament. Doomscrolling on Instagram, I unfortunately ran across posts by influencers only emphasizing his sexuality from that one moment in time with the video "Untitled (How Does It Feel)", but that objectifying demon mind is actually the reason among several others for his long absence for the majority of his career. That image will never disappear from the public conscious of that time but that wasn`t his talent. To honor him is to honor how he wanted to be seen and the result of his intense efforts.

D`Angelo, born Michael Eugene Archer in Virginia, just like Pharrell (I think there is something in the water in VA for sure), was a church boy who grew up with love for the Gospel and love for the titans of the soul, rock, and funk era, i.e. Al Green, Jimi Hendrix, Fela Kuti, and Prince just to name a few. All his heroes were also fellow architects. Musicians with keen ears for sound, arrangement, band selection, and overall presentation. And as he grew up dissecting those creators and how they moved - he particularly was mesmerized by Prince`s one man command over the studio and his sound - D`Angelo said that`s me.

With the music industries need to label, D`Angelo`s entry into the scene and initial success with “Brown Sugar” was given the mantle of Neo-Soul. And to some extent with his debut in the 1995 and other titanic releases in the same period like Erykah Badu`s Baduizm in 1997, this is warranted as hip hop was initially influenced by soul/funk and Neo-Soul`s evolution signaled a feedback loop of influence by the dominance of hip hop culturally and financially. Sexy chill vibes but street.

D`Angelo exhibited the hallmarks of what was to be Neo- Soul; clear, hard hip-hop influenced beats, smooth vocals, uncluttered productions, socially relevant lyrics, in the pocket groove heavy flows, and sexy vocals that avoided theatrical gymnastics.

Until many musicians, D`Angelo leaves behind only 3 official albums. But each one is a classic greater than the one before with “Black Messiah” being the crowning achievement. I`m sure that music he was working on before his previously unannounced cancer disabled him will see the light of day in some way, but for now “Black Messiah” is the apex of his known work. That doesn`t mean sleep on “Voodoo” or “Brown Sugar.” Instead, just enjoy the evolution from a man solely focused on it.

If I could teach a class on blackness as a concept of musical revolution, I might play a song like “The Door” from “Black Messiah.” An unassuming song drenched in 70`s harmonic funk recitations, thick funk bass, 1940`s blues slide crescendos with the noise of the slide gracing the strings left in the mix, no amp distortion a la 1990`s digital recording, falsetto singing to a relaxed honky tonk sing song beat, the crispness of funk stop start intonation leaving out vocal gymnastics, and a solid down beat that gives black people memories of that guy in the class room who banged on the desk in high school to make a fire beat while his friends clapped in unison around. All of this in one song.

D`Angelo also represents the value of the Black / African method of studying music. Black music, whether blues or gospel or jazz or traditional African, is a communal situation filled with intensive intentional listening, focused and deliberate, layered instrumentation with multiple parts moving but in sync without breaking a sweat. Lots of breathing between the beats. “It`s not what you play but what you don`t” as Miles Davis used to say. D`Angelo despite his debut album success, refused to be the meat for the capitalist commercial beasts that major labels often are, breathing down the necks of artists, visiting them in the studio in effort to push them for a quick release, a long tour, and maximum profits. D`Angelo said fuck them and went into a five year hibernation with Questlove of The Roots ..... 5 YEARS!!!! just to produce “Voodoo.” 5 years is longer than

getting your degree in university. In this case though, the university was “Voodoo” and then times that by 3 with “Black Messiah.” Anti-capitalist in his endeavours, D`Angelo rested on his devotion to the “sound” of Black history in his eyes. A collector of the idiosyncrasies among his favorite musicians of the past, in making each album, he studied and sat with the music, jammed and sat with the music, invited new collaborators and then sat with the music, spent almost 2 years just doing vocals and still sat with the music. And it shows cause in particular “Voodoo” and “Black Messiah” separate the clouds from the heavens for listeners, letting loose a sound design meticulous with it`s attention to the things that work and amping them up.

An architect sees the inside of the machine or the building, the innerworks that when put together create greater ingenuity that before, reversed analysis of construction that allows each song to be see at a moment`s notice as great. D`Angelo doesn`t have any bad albums because he was too intent (in a good way) to make a good album. And he waited and waited til it gestated.

Though the grandeur of D`Angelo, his performances, his kindness, his recordings created waves of accolades that rolled exponentially as far as the eye could see, unfortunately certain demons haunted him leading to arrests, addiction, depression and so forth, all of which may have contributed to his untimely departure. His social image, the very thing that propelled him forward became an albatross, too heavy to bear but he did his best to break free. Take deep note that “Black Messiah” is the only D`Angelo album where he doesn`t appear on the cover or back sleeve. The focus was fully on his art. The beauty now of 2025 is we can enjoy the beauty of his smile, his diction, his stories, lessons learned and absolute devotion to music.

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高橋芳朗

 ディアンジェロが逝ってしまった。死因は膵臓癌。51歳だった。かつての公私におけるパートナー、アンジー・ストーンが3月1日に交通事故で他界したのがまだ記憶に新しい中での思いがけない訃報。プリンスと共に彼の最大のインスピレーション源だったスライ・ストーンも6月9日に亡くなったばかりだ。スライの死を受けて、ディアンジェロの諸作を改めて聴き直していた方も多かったと思う。

 ディアンジェロは、1990年代以降で最も強大な影響力を有したアーティストのひとりだ。ただし、彼が30年に及ぶキャリアで残したアルバムはたったの3作。1995年の『Brown Sugar』、2000年の『Voodoo』、そして2014年の『Black Messiah』。もともと完璧主義だったことに加え、2000年代は薬物/アルコール依存、相次ぐ逮捕騒動などで活動が停滞。寡作ぶりに拍車をかけることになった。

 ディアンジェロの3作のアルバムはすべて掛け値なしに破格の傑作といえるが、彼は現在に至る名声を実質最初の2作で確立している。人種差別撤廃を訴えるブラック・ライヴズ・マター運動を背景に作られ、ザ・ルーツのクエストラヴが「俺たちの世代にとっての『There's a Riot Goin' On』」と激賞した『Black Messiah』も強力だが、真のゲームチェンジャーはやはり『Brown Sugar』と『Voodoo』。特に『Voodoo』は決定的だった。

 ビヨンセはディアンジェロへの追悼コメントで彼を「The Pioneer of Neo-Soul」と讃えたが、ディアンジェロが『Brown Sugar』と『Voodoo』によって果たした功績を端的にまとめるならば、それはまさに「ネオソウルの音楽像を作り上げたこと」となる。ディアンジェロが編み出したネオソウル・サウンドの最大の特徴は、J・ディラの作風に着想を得た揺らぎ(ズレ)のあるビート、そこから生じる聴く者をじわじわと引きずり込んでいくような深みのあるグルーヴ。その原点といえる試みは『Brown Sugar』収録の “Me and Those Dreamin' Eyes of Mine” で確認できるが、完成を迎えるのは5年後の『Voodoo』まで待たなくてはならない。

 『Voodoo』のビートの革新性は、レコーディング時の数々の逸話が浮き彫りにしてくれる。たとえば、ギタリストとしてのゲスト参加が決まっていたレニー・クラヴィッツがサンプル・トラックのドラム・パターンに違和感を訴えて「これでは演奏ができない」と辞退したエピソードなどは、ディアンジェロが描いていたヴィジョンがいかにセオリーから逸脱していたかを示す好例だろう。だが、何よりも興味深いのは『Voodoo』の大半の曲でドラムを担当しているクエストラヴの証言だ。彼はレコーディングに際して、ディアンジェロから「徹底的に正確さを削ぎ落としてほしい。絶対にうまくいくから俺を信じろ。グルーヴをキープしつつ、とにかくだらしなく叩くんだ」と要求されたという。

 正確さこそが命であると考えていたクエストラヴはディアンジェロの注文通りに演奏するのに約1ヶ月もの時間を費やしたそうだが、その成果──クエストラヴが言うところの「泥酔しているかのような演奏」──が最も如実に表れているのが以降ネオソウルのひとつのプロトタイプとして継承されていくことになる “Playa Playa”や “Chicken Grease” だ。ここで打ち出されているフィーリングは現在ネオソウルとして紹介されているあらゆる作品から聴き取れるのはもちろん、もはや今日のモダン・ミュージックを語る上で欠かせないものになっている。

 ミュージック・ビデオと併せてディアンジェロのアイコンになっている “Untitled (How Does it Feel)” がたくさんのオマージュ・ソングを生み出し続けている事実も含め、彼と『Voodoo』の遺伝子はいまもなおそこかしこで見つけることができる。ディアンジェロのデビューから30年、『Voodoo』のリリースから25年。これだけの歳月を経ているにもかかわらず、そのレガシーがなんら古びることなくフレッシュなアイデアとして有効性を維持しているのは驚異的と言うほかない。1990年代にデビューしたレジェンドのなかでも、ディアンジェロの音楽は若い世代にとって比較的「近い」位置にあったのではないだろうか。

 でもだからこそ、この世界にディアンジェロがいない現実をなかなか受け止めきれずにいる。ジョージ・クリントンがケンドリック・ラマーやフライング・ロータスとコラボするような未来が、きっと彼にもあったと思うのだ。

J.Rocc - ele-king

 アメリカ・ロサンゼルスを代表する老舗ヒップホップ・レーベル〈Stones Throw〉を拠点に、マッドリブやJ・ディラなどそうそうたる面々と活動をともにしてきたレジェンドDJ、Jロックの約2年ぶりとなる来日公演が決定。

 「Red Bull BC One Last Chance Cypher 2025」のアフター・パーティとして渋谷・O-EASTを舞台に開催される東京公演ほか、名古屋・札幌・大阪・京都をめぐるジャパン・ツアーを開催する。名古屋公演と京都公演ではヴァイナル・セットが披露される予定。

Stones Throw presents J.Rocc Japan Tour 2025

11/7(Fri) Tokyo 東京 @ Spotify O-East
11/8(Sat) Nagoya 名古屋 @ JB'S
11/12(Wed) Sapporo 札幌 @ Precious Hall
11/15(Sat) Osaka 大阪 @ Joule
11/16(Sun) Kyoto 京都 @ Ace Hotel

11/7(Fri) Tokyo 東京

Stones Throw presents J.Rocc Japan Tour 2025 - Tokyo
“Red Bull BC One Last Chance Cypher 2025 After Party”

会場:Midnight East Shibuya (Spotify O-EAST & Azumaya)
Open: 24:00 | Close: 5:00
ADV ¥4,000 (+1D) / DOOR ¥5,000 (+1D) / U-23 ¥3,000 (+1D)

Tickets (Zaiko / RA / e+)
Zaiko
RA
e+: 近日発売スタート

Lineup:
〈O-EAST〉
J.ROCC | DJ KOCO aka SHIMOKITA
LIVE: OMSB | DJ: 16FLIP | Minnesotah

〈EAST 3F〉
Aru-2 w/ Asei Muraguchi | BudaMunk | MET | Olive Oil | SOUSHI

〈AZUMAYA〉
DJ Mitsu the Beats | GABAWASH | Katimi Ai | Lil' Leise but Gold | Whelmey

※ドリンク代別途必要。
※U23チケットは当日券のみの販売になります。(要顔写真付き身分証明書。)
※20歳未満入場不可。(要顔写真付き身分証明書。)
※出演者は予告なく変更になる場合がございますので、予めご了承ください。
※客席を含む会場内の映像・写真が公開されることがあります。

more info : https://shibuya-o.com/east/schedule/red-bull-bc-one-last-chance-cypher-2025-after-party/


11/8(Sat) Nagoya 名古屋

会場: Club JB’S
“J.Rocc Japan Tour 2025 Nagoya x Vintage Posse” *Vinyl set*
Open: 22:00 | Close: 5:00
Tickets ADV ¥4,500 / DOOR ¥5,000
Info: https://club-jbs.jp/schedule/j-rocc-japan-tour-2025-in-nagoya/


11/12(Wed) Sapporo 札幌

会場: Precious Hall
“J.Rocc Japan Tour 2025 Sapporo x exrail”
OPEN: 19:00 | Close: 2:00
Info: http://www.precioushall.com/


11/15(Sat)Osaka 大阪

会場: club Joule
”Stones Throw J.Rocc Japan Tour 2025 Osaka”
Open:22:00 | Close:5:00
料金: ADV ¥3500 | DOOR ¥4000
Lineup:J.Rocc, Kzyboost (Live), Scratch Nice, S-kaine (Live), Dy, Ikkei, Anchin and more
Info: https://club-joule.com/events/stones-throw-j-rocc-japan-tour-2025-osaka/


11/16(日)Kyoto 京都

会場: Ace Hotel Kyoto
”Stones Throw J.Rocc Japan Tour 2025 Kyoto at Ace Hotel” *Vinyl set*
Open:17:00 | Close:23:00
More Info coming soon: https://acehotel.com/kyoto/



(photo by Cherry Chill Will)

J.Rocc (Stones Throw | Beat Junkies | Los Angeles)

LA出身のレジェンドDJにして、ターンテーブリスト集団ビート・ジャンキーズの創設メンバー。20年以上にわたりLAビートシーンの中心人物として活躍してきたJ・ロック。Stones Throwクルーの一員としてマッドリブやJ・ディラ、ブラックスター(モス・デフ/ヤシン・ベイ+タリブ・クウェリ)と世界各地をツアーし、さらにドクター・ドレのラジオ番組ではレジデントDJを務めた経歴を持つ。

ヒップホップを基盤に、ファンク、ソウル、ジャズ、ディスコ、ハウスまで縦横無尽に操る唯一無二のDJスタイルと、ダイナミックかつファンキーなプレイで、世界中のフロアを揺らし続けている。

YUKSTA-ILL - ele-king

 東海地方を拠点に長きにわたる活動を続け、同世代のコレクティヴ〈1982S〉(MASS-HOLE、MR.PUG、仙人掌、 ISSUGIらが所属)にも名を連ねる三重県鈴鹿市在住のラッパー・YUKSTA-ILLが、およそ2年半ぶりとなる13曲入のニュー・アルバム『82PLACE』のリリースを発表し、ジャケット、トラック・リストを公開。リリース日は2025年11月5日(水)とのこと。

 その長いキャリアのなかで築き上げた絆は固い信頼関係となり、プロデュースにはRAMZAやKojoeといったアーティストもかかわっている。以下、作品詳細。

Artist:YUKSTA-ILL
Title:82PLACE
Label:P-VINE, Inc. / WAVELENGTH PLANT
Format:Digital / CD / Cassette
Release: 2025.11.5
品番: CD / PCD-27094 TAPE / PCT-75
定価: CD / 2,970円(税抜2,700円)TAPE / 2,750円(税抜2,500円)

【購入はこちらから】
https://anywherestore.p-vine.jp/collections/yuksta-ill

Tracklist
※TAPEはSIDE AがM1-6、SIDE BがM7-13になります

1. FULL CIRCLE(produced by OWLBEATS)
2. LOOK BACK FOR THE...(produced by T-TRIPPIN' from DAZZLE 4 LIFE)
3. HUMBLE PEEPS(produced by UCbeats)
4. RIGHT ON CUE feat. GINMEN(produced by GRADIS NICE)
5. QUESTION feat. J.COLUMBUS(produced by Cedar Law$)
6. Y.O.L.O. feat. CJ from HOMEBOYZ(produced by P3T-BUSTARD / directed by DJ KIYOSHIRO)
7. IT IS WHAT IT IS(produced by MATSUIGODZILLA)
8. ROLLIN' RING 'RESE(produced by M.A from BONGBROS)
9. GRIT-N-GRIND(produced by RAMZA)
10. MINDFULNESS feat. MILES WORD(produced by MET as MTHA2 / scratched by DJ 2SHAN)
11. 82PLACE feat. 1982S(produced by MASS-HOLE)
*1982S are MASS-HOLE, MR.PUG, 仙人掌, ISSUGI & YUKSTA-ILL
12. SUBWAY feat. JASS & Äura(produced by Kojoe)
13. NEW DECADE(produced by DJ SCRATCH NICE)


 東海エリアのクルー「RC SLUM」に所属し、同世代コレクティヴ「1982S」にも名を連ねる三重県鈴鹿市在住のラッパー、YUKSTA-ILL。地元をベースに長きに渡ってヒップホップ・シーンで活躍し、近年ではMCバトルのシーンにも復帰して絶妙なバランス感覚で界隈でも活動しており、2023年には自身のプロダクション「WAVELENGTH PLANT」を設立したことも大きな話題となったが、約2年半ぶりの通算5枚目となる待望のニューアルバム『82PLACE』のジャケット、トラックリストが公開!

 ラッパーとして短くないキャリアを誇るYUKSTA-ILLだけに全国各地に同胞とも言える仲間たちが多数存在しており、本作は「82PLACE」のタイトルの示す、自身の現在地、これまでの軌跡、その過程で見つけた居場所をコンセプトに地域/クルー/世代の枠を超えた面々が集結。客演としてその1982Sの面々(MASS-HOLE、ISSUGI、仙人掌、Mr.PUG)を筆頭にMILES WORD(BLAHRMY)、JASS(Tha Jointz)、J.COLUMBUS、GINMEN、CJ(HOMEBOYZ)、Äura、プロデューサーとしてGRADIS NICE、DJ SCRATCH NICE、KOJOE、MASS-HOLE、RAMZA、T-TRIPPIN'(DAZZLE 4 LIFE)、Cedar Law$、MET as MTHA2、OWLBEATS、MATSUIGODZILLA、M.A(BONG BROS)、UCbeats、P3T-BUSTARDが参加!

 また今アルバムのアートワークは、主宰するレーベルWAVELENGTH PLANTからリリースされたこれまでの作品や企画するイベントのフライヤ等を手掛けるデザイナーのSaäkåが担当しており、CDには全収録曲のデザインが収められたブックレットを含め、Saäkåプロデュースのアート作品として楽しむ事の出来るものとなっている。

<プロフィール>

YUKSTA-ILL

三重県を代表するRAPPER。東海屈指名古屋RC SLUMに所属しつつ、地元に根差すレーベルWAVELENGTH PLANTを主宰。ホーム鈴鹿や隣町四日市にて複数のパーティーを仲間達と企画。時としてILLADELPHの名の元にDJを嗜む。
これまでに最新作「82PLACE」を含めフルアルバム5枚、ミニアルバム2枚、MIXCD3枚、そしてシングル曲を無数にドロップ。様々なアーティストの作品に名を連ね、客演バースをキック。MCバトルには重きを置かず、距離を取りながらも意表を突いて参戦。UMB2007名古屋、UMB2009名古屋、12年のブランクから復帰後、KOK2023三重のタイトルを奪取。
また、HIPHOPとバスケを繋げる草の根活動を展開。好きが高じてハーフタイムショーを主とするユニットGNGを結成。すべての側面において自己新更新を心掛け、力を尽くす1982式のMC。

Coppé - ele-king

 エレクトロニカからジャズまで横断し、精力的に活動を続ける音楽家、みずからを「火星人」と名乗るCoppé。彼女がアリゾナ州で自身のレーベル〈Mango + Sweetrice〉を立ち上げ、「Coppé」名義で活動を開始してから今年でちょうど30周年を迎える。それを記念し、最新作『30rpm - i wish i had a brain -』の発売が決定、同日リリース・パーティの開催もアナウンスされた。
 会場は青山BAROOM。共演にモジュラーシンセ界の重鎮HATAKENらを招き、ゲストDJとしてミックスマスター・モリスや徳井直生らが顔をそろえる。特別な一夜をぜひ。

『Coppé 30rpm. Release Party at BAROOM』
日時:2025年11月28日(金)
OPEN 19:00 CLOSE 23:30
LIVE 20:00-21:00 ※自由席
ENTRANCE:¥5,000(1ドリンク別)
会場:BAROOM|バルーム
https://baroom.tokyo/
東京都港区南青山6-10-12 1F

Live:
Coppé (voice + OP-1)
HATAKEN( modular synthesizer )
STEEEZO (OP-1 + TP-7 / Manipulator)
Kevin M ( piano + accordion)
Mark Tourian (double bass)
Hiro (guitar)

Fabulous Dancing Lights
Brightone by Quasar

DJ:
Mixmaster Morris
Nao Tokui (Neutone)
Nick Luscombe (Mscty)
KNS (Phaseworks)

【LIVE情報】
<Mango + Sweetrice>設立30周年記念
Coppé 最新作『30rpm - i wish i had a brain -』
リリース・パーティー開催決定!
青山 BAROOM の円形ホールにて、Coppé スペシャル・ライブセット!
ゲストDJとして、Mixmaster Morris の出演も決定!
1995年、米アリゾナにて自身のレーベル〈Mango + Sweetrice〉を立ち上げ、Coppé として音楽活動をスタートしてから今年で30周年を迎える。
それを記念してリリースされる最新作『30rpm - i wish i had a brain -』の発売に合わせ、スペシャル・リリースパーティーの開催が決定した。
これまでに Orbital、Luke Vibert、Nikakoi、Plaid、Kettel、Atom™、DJ Q-bert など、世界各地のさまざまなジャンルのアーティストとコラボレーションを重ね、独自の宇宙的ヴィジョンで活動を続けてきた Coppé。
30周年を記念し、豪華バンド編成によるスペシャルライブが青山 BAROOM の円形ホールで披露される。
今年のフジロックのステージでも Coppé とデュオで共演したモジュラーシンセ界の重鎮 HATAKEN をはじめ、無数の OP-1 を自在に操る Steeezo、ピアニストの Kevin、ダブルベースの Mark、ギターの Hiro といった豪華メンバーが集結。
さらに、光を操る集団 Brightone by Quasar によるライティングも加わり、視覚と音響が融合した唯一無二のライブ体験を創出する。
またライブ前後のバーエリアでは、豪華DJ陣がアニバーサリーを彩る。
アンビエントとチルアウトの伝道師 Mixmaster Morris、AI × 音楽のフロントランナー Nao Tokui(Qosmo / Neutone)、英国 BBC でも活動した選曲家 Nick Luscombe、偏愛ディガー KNS(Phaseworks)といった Coppé の盟友たちが、ヴァイナル・オンリーの DJ セットで30 周年を祝う!

『30rpm - i wish i had a brain -』
祝!レーベル〈Mango + Sweetrice〉設立30周年
ジャパニーズ・エレクトロニカ・ゴッドマザー、Coppé 最新作!
Orbital のアルバム参加でも注目を集めた “ジャパニーズ・エレクトロニカ・ゴッドマザー” こと Coppé。主宰レーベル〈Mango + Sweetrice〉の設立30周年を記念するアルバム『30rpm - i wish i had a brain -』がついに完成!
Aphex Twin の盟友としても知られるレジェンド Luke Vibert、ジョージアが誇る至宝 Nikakoi とその息子 Luna9、WARPの重鎮 Plaid、モジュラーシンセ界を牽引する HATAKEN、天才ピアニスト Jacob Koller といったおなじみのアーティストたちに加え、多数の新たなコラボレーターたちも参加。ダブ、トリップホップ、エレクトロニカはもちろん、アンビエントからドドイツまで――その振り幅の広さに驚かされる、唯一無二のサウンド宇宙が広がる。さらに、2024年にイギリスで開催された「Cassette Week UK」で初披露され、話題を呼んだ楽曲「It’s you!」も収録。まさに Coppé にしか創り出せない、異次元の音楽世界が詰め込まれている。
アートワークは前作と同様に、イギリスの伝説的デザイン集団 The Designers Republic が担当。マスタリングは、John Zorn のレーベル作品をはじめ、Laurie Anderson や Roy Hargrove なども手がけ、グラミー賞も受賞している名エンジニア Marc Urselli が前作に続いて参加している。CD、レコード、カセット、デジタルの4形態でリリース。なお、各フォーマットごとに一部収録曲が異なり、カセットのみ「Cassette Week」商品として先行発売される。

Geese - ele-king

 いま、私たちはあるロック・バンドのクリエイティヴな変化と進化を目撃している。ギースのことだ。

 ロック・バンドは作品を完成させるごとに進化するもの、というリニアな発展の物語は、あきらかにザ・ビートルズがもたらした呪いである。彼らのアルバム・デビューから最終作に至るまでの7年間――そう、たったの7年間である――の激しく深い変化の過程は、その後、半世紀以上にわたってある種のロック・バンドに課せられる宿題のようなものになった。ピンク・フロイドでもU2でもレディオヘッドでもいいし、あるいは、日本で言うならフィッシュマンズやスーパーカーやくるりなどが挙げられるだろうが、そういった物語をなぞったバンドのなかには、とんでもないマスターピースを生んできた者たちがいる。一方で、その呪いの枷に苦しめられてきたバンドだって数多く存在してきた。
 ギース(もちろん、お笑いコンビのことではない)の4人が、そのロック・バンドの神話にどれほど自覚的だったかはわからない。しかし、とにかく、彼らは、セカンド・アルバムでファースト・アルバムとはまったく異なる音楽をやってやろうと意気ごみ、サード・アルバムではより大きな変化を求めて奇妙な実験の沼にずぶずぶと沈みこんでいった。それが自己満足にも閉塞的な自己目的化にも終わらずに大きな実りを生んだことは、この『Getting Killed』を聴けばわかることである。

 ファースト・アルバムの『Projector』*1が2021年にリリースされたとき、おもしろいバンドが出てきたなと思った。なぜなら、そのサウンドは、2010年代後半、英国のロンドンやアイルランドのダブリンを中心に突如現れた多数のポスト・パンク・バンド群、彼らの音楽からあからさまに影響を受けたものだったからだ。その率直なインスピレーションの表出は、素朴すぎるようにも思えた。「結局あれってフォールの焼き直しみたいなもんだしね。悪いわけじゃないけど――俺たちがやったのは、盗作のコピーのファクシミリ版みたいなもんだよ」*2と、ヴォーカリスト/ギタリストのキャメロン・ウィンターは認めている。
 当然、それだけで終わっていたら無個性なだけではあるのだが、重要なことに、彼らはニューヨーク、ブルックリンのバンドだった。ブリテン諸島のシーンに影響を受けたバンドが、アメリカから現れたこと。しかも、ブルックリンでは、住宅価格が釣り上がりまくり、ロック・バンドもヴェニューも大打撃を受けた。おまけに、パンデミックの煽りも食らっている。2000年代までロックのメッカだったあの街から新しいロックの音が聞こえてくることは、いまやほとんどなくなっていた。
 そのうえでキャメロンは、「NYで生きて行くなんてほぼ不可能だ。何かしらの経済的な援助がない限りはね。だからNYでアートロックとかパンクロックを作りたいなんて思ったら、終わりだよ。ホームレスになる。/僕らが出来ているのは、みんなNYの中産階級以上の出身だからであって、僕らがバンドをしている時に援助してくれる家族がいるからだ。それってもう、ものすごい特権だよ。だから僕らはトム・ヴァーレインみたいに、家を出て、ストリートに住んで、詩人で、バンドを始めたみたいにカッコ良くはない。僕らは彼らのアイディアを借りてるだけで、実際は両親の家に住んで、レコーディングしているんだ。それは自覚しているよ」*3と吐露している。
『Projector』については、私はライナーノーツの執筆を頼まれ、メンバーにインタヴュー(https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/30340)もした。上に書いたような音楽的な志向から、失礼ながらも少々かわいらしいバンドだと思ったし、数年後にどんなふうになっているのかはまったく予想ができなかった。
 あれから4年、「予想ができない」という予想は的中した。ギースがこんなバンドになっているだなんて、そもそも、2021年には誰も予想していなかっただろう。

 そもそもの始まりは前作、2023年の『3D Country』である。なんでこんなことになっているの? それが、アルバムを聴いたときに口を衝いて出た感想だった。
『3D Country』は、全体的にはザ・ローリング・ストーンズの『Let It Bleed』をテレヴィジョンが演奏している感じというか、それでいて1970年代のブギーやハード・ロックのような曲もあって、アメリカの外にいる者がアメリカン・ロックに対する幻想を重ねて演奏したかのような不可思議な音楽が詰めこまれたアルバムだった。カヴァー・アートにはテンガロン・ハットとひっくり返った男の姿、アメリカらしい砂漠の風景ときのこ雲が描かれており、含みのあるタイトルとともに、ますますその印象は強化された。
 アルバムはそこそこの評価を得たものの、絶賛されたわけではなく、バンドが停滞しているあいだにキャメロンはソロ・アルバムをつくった。2024年の『Heavy Metal』である。
 移り気なヴォーカリストであるキャメロンはそこで、スコット・ウォーカーやニック・ケイヴのようにバリトン・ヴォイスで朗々と歌うスタイルをものにした。そういった変化もあり、『Heavy Metal』は、スモッグ/ビル・キャラハンの作品の抽象的なポスト・パンク・ヴァージョンのような変わったバランスのシンガーソングライター・アルバムに仕上がっている。このアルバムが『Getting Killed』に多大な影響を及ぼしていることは、メンバーが認めているとおりだ。
『Getting Killed』は、そんなふうに曲がりくねった旅路を経てギースが辿りついたまったく新しい場所である。

 2023年、米国の音楽のメインストリームにおいてカントリーが明確にブームになった。とはいえ、「アメリカーナ」なるものの捉えなおしや再定義は、ジャンルとしてのアメリカーナだけでなく、ジャズやインディ・ロックなどの領域において、それ以前からひとつの大きなテーマだった。その傾向がいっそう加速したのが、2023年からのここ2年である。『3D Country』、そして『Getting Killed』に至るギースの音楽的な変化は、これまた本人たちが自覚的かどうかは措くとしても、その潮流のなかで捉えることができる。
 ワウ・ギターがへろへろと鳴り響き、ドラム・セットやリズムボックスの打音がダブの音響によって左右に放たれる。かつてのコーネリアスのような過剰なパンニングと編集によって、バンドの演奏はぶつ切れのパーツにチョップされ、再配置されている。キャメロンは、トム・ヨークのようなファルセットで歌いはじめ、次第に発声が喚くようなものに変わり、マーク・E・スミスを思いださせる声で混乱を吐きだしていく。アルバムは、そんな “Trinidad” で始まる(この曲には、JPEGMAFIAがさりげなく参加している)。
 アフリカン・ドラムをだらしなく弛緩させたかのようなビートの “Husbands” や “Texas” は、トーキング・ヘッズのタイトなアンサンブルを悪ふざけで真似て、ぐずぐずにスロー・ダウンさせたものに聞こえる。ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドをわかりやすく参照した “Half Real” も、やはり、ひりついているというよりもだらだらと弛緩している。“Getting Killed” におけるウクライナの聖歌隊による合唱は、ゴスペルふうのコーラスに聞こえるもののずたずたに切り刻まれており、アフリカン・チャントのごとく響く。“Au Pays du Cocaine” では、スティール・ギターの音が切ない情けなさに沈みながら空間を満たす。“Long Island City Here I Come” は、水膨れしたLCDサウンドシステムの曲のようだ。
「多くのバンドを思い起こさせる存在でありながら、ノスタルジーに陥らないよう、彼らは本気で戦っていた」、「彼らはサンプルを既存の音を補強するために使おうとはしていなかった。むしろ、それに対抗するために使っていたんだ」*4と、このアルバムの共同プロデューサーであるケネス・ブルーム fka ケニー・ビーツは言っている。「自分がどこに行くのかわからない(I have no idea where I’m going)」(“Long Island City Here I Come”)というリリックをバンドの態度表明と受けとるとすれば、『Getting Killed』で彼らが飛びこんだ情けない弛緩と諧謔と飽くなき実験のサウンドは、過去という甘美な誘惑に対する果敢な挑戦なのだ。それは、MAGAの2つめの “A” の部分、つまり、“Again” に対してにやにやと笑いながら唾を吐きかけることにほかならない。イエスタデイ・ワンス・モアだって? やなこった! と嘲笑って言うかのように。
 2025年1月以降のアメリカの混乱や分裂を目にしてきた者は、アメリカという国の理念やイメージ――アメリカン・ドリーム、アメリカ的な自由、アメリカ的な豊かさ、夢と希望の国――が修復不可能なほどにゆがみきっていることに気づいただろう。『アメリカン・サイコ』や『ウィンターズ・ボーン』や『ウルフ・オブ・ウォールストリート』や『ゲット・アウト』や『ノマドランド』などが映してきたかの国の醜い面は、以前よりもあからさまなかたちで表面化している。『Getting Killed』における煮くずれ焼けただれたアメリカン・ロックは、まさにそういった現実の状況の反映に聞こえる。サザン・ロックが、スライド・ギターが、カウボーイやハイウェイやトラック運転手や砂漠のイメージが、へなへなとした脱力感の湖上に浮かべられ、弄ばれている。
「戦時下ではサーカスに行けないといけない(In times of war / Must go now to the circus)」、「戦時中にはダンス・ミュージックしかない(There is only dance music in times of war)」とキャメロンは “100 Horses” で歌う。アメリカン・ロックをびりびりと引き裂いて無様に貼りなおした『Getting Killed』は、これ以上ないほどに、皮肉なまでに見事な2025年のサウンドトラックになった。4人はノスタルジーを拒否して、底意地の悪い笑顔で前を向きながら音で遊びほうけている。それが、それこそが、彼らなりの抵抗の技法なのだ。

*1 実際は、ファースト・アルバムは彼らが高校時代に完成させた『A Beautiful Memory』という自主制作の作品だが、現在はDSPなどで聴くことができなくなっており、バンドのキャリアにおいてほとんどなかったことにされている。そのため、ここでは『Projector』を実質的なファースト・アルバムとしている。

*2 Geeseインタビュー NYの革新的ロックバンドが辿り着いた「新たな到達点」https://rollingstonejapan.com/articles/detail/43636/

*3 2年前のデビュー作で脚光を浴びたブルックリン発Z世代バンド、ギース。ボーカルのキャメロンがいきなり日本語で答え出してびっくり。インタビュー番外編。 https://rockinon.com/blog/nakamura/207350

*4 前掲のRolling Stone Japanの記事。

Terry Riley - ele-king

 満90才になった現在も日本で暮らしながら精力的に作曲活動を続けているテリー・ライリー(1935年6月24日、米カリフォルニア州コルファックス生まれ)。その卒寿を一緒に祝いたいと、去る6月には盟友デイヴィッド・ハリントンがクロノス・クァルテットを率いて自腹で来日し、共演コンサートもおこなわれたが、この豪華ボックス・セットもソニーからの卒寿祝いということだろうか。箱に収められたのは、米CBSの「コロンビア・マスターワークス」レーベルからリリースされたライリーの初期4作品——『In C』(68年)、『A Rainbow in Curved Air』(69年)、ジョン・ケイルとのコラボ作『Church of Anthrax』(71年)、『Shri Camel』(80年)で、日本盤にはデイヴィッド・バーマンなど当時の制作プロデューサーたちによる詳細な回想録の完全和訳及び独自の解説文を収めたブックレットも追加されている。テリー・ライリーという音楽家が何者で、どういうことをやってきたのかが入門者にもよくわかるはず。
 作曲家/演奏家としての60年以上にわたるキャリアにおいて、ライリーの表現スタイルや手法は時代と共に変化してきたわけだが、根幹となる部分、具体的に言えばミニマリズム、サイケデリア、ニュー・テクノロジーの活用、一種のガイア思想、即興、インド音楽、純正律といった特質はこの「コロンビア・マスターワークス」の作品群においてほとんど確立されていた。その後今日に至るまでの膨大な作品も、これらを土台として展開、深化してきたと言っていい。そういう意味でもこのボックスは、マニアにとってもライリー初心者にとってもありがたい。

ハ長調で書かれた53の短いパターン(フレーズ)の譜面を演奏者たち(人数も使用楽器も自由)が任意に繰り返す“In C”こそは、20世紀現代音楽の新しい扉を開いたアメリカン・ミニマリズムの金字塔である。64年に作られたこの曲はジャケット裏面に楽譜が印刷されたオリジナルLPではAB面に分断して収録されていたが、CDではもちろん途切れなしの全1曲。お披露目ライヴ時にエレキ・ピアノで参加したスティーヴ・ライヒはこの作品の革命的構造にインスパイアされ、以後、彼なりのミニマリズム道を開拓していくことになる。
 アルバム『In C』の68年の録音に参加したニューヨーク州立大学バッファロー校演奏芸術センターのメンバーには、デイヴィッド・ローゼンブーム(ヴィオラ)やジョン・ハッセル(トランペット)、スチュアート・デンプスター(トロンボーン)など、その後前衛音楽シーンで活躍する作曲家/演奏家たちが名を連ねた。オープニングでピアノの高音パルスを叩き、最後までアンサンブル全体をリードしたマーガレット・ハッセル(当時のジョン・ハッセルの妻)とは、86年にカンのスプーン・レーベルからもソロ・アルバムを出すカトリーナ・クリムスキーその人である。
 ちなみに、本作が録音された68年4月末といえば、カンもいよいよバンドとして始動した頃だが、そもそもイルミン・シュミットが欧州最先端の現代音楽を捨ててポップ・ミュージックに転向するきっかけも、66年の渡米時にテリー・ライリーやラ・モンテ・ヤング等による新潮流に触れたことだった。ライリーの自宅セッションにもしばしば参加したシュミットは、特別な演奏技術を持たない者でも参加できる新しい音楽に激しいショックを受けたという。リーダーを決めず、参加者ひとりひとりの自由意志でアメーバのように形が変わってゆくスポンテイニアスな本曲について、ライリーは後年こう語っている。「この曲では、良いアイデアを持っている音楽家どうしが演奏しながらお互いのアイデアをひとつにして音楽を作りあげていくことを学ぶ。それは今の世の中ではとても必要なことだと思う」。その表現の根底を貫く自律性とデモクラシー、あるいは一種のアナキズムこそは、カンの基本信条でもあった。
 2024年暮れには、京都・清水寺の大舞台で日本人音楽家たちとライリーによるライヴ(ライリー自身が参加する実演はこれが人生最後と本人が明言)がおこなわれて大きな話題になったが、この曲ほどジャンルを問わず世界中の様々な音楽家たちから演奏/録音されてきたライリー作品は他にない。
 厳格な理論に支えられた無調音楽が幅を利かせていた現代音楽シーンに向けてひとつの明澄なトーン(しかもハ長調)だけで切り込んだこのレコードは、ライリーが12音技法などを学んだカリフォルニア大学バークリー校の教授たちにショックを与え、音楽学部からは追放されたというが、批評家たちからは「20世紀の決定的な傑作のひとつ。新たな美学を定義する最重要作品だ」などと絶賛された。当時学生だった作曲家ジョン・アダムズは「驚くほど挑発的で、学術至上主義モダニズムの狭量で形式ばった世界に対してロバート・クラム(60年代アンダーグラウンド・コミックス運動の創始者)の中指を突き立てているようなアルバムだった」と回想している。

 ライリーの音楽哲学あるいは生き方の基本理念が打ち出された『In C』に続き、翌69年に出たのが東洋/インドの香り濃厚な完全ソロ・ワーク『A Rainbow in Curved Air』だ。ロック/ジャズ・シーンにも強い影響を与えたこの名作は、私が初めて聴いた(高2の1975年)ライリー作品ということもあり、個人的にもとりわけ思い入れの強いアルバムだ。過去何度も書いてきた紹介文の中から2本だけ再掲しよう。
 「これぞ聖典。新しい手法とスタイルで現代音楽のニュー・フェイズを提示し、更に70年代以降のロック/ジャズから今現在のエレクトロニク・ミュージックまで絶大な影響を及ぼし続けているという意味で、20世紀音楽史上最重要作品のひとつである。電子オルガン&パーカッションによる即興ソロ演奏を多重録音したアルバム・タイトル曲(LPのA面)では、左手がシーケンサーのように規則的に刻む奇数拍子の低音パターン上で、右手が東洋風のモーダル・パッセージを高速で展開してゆく。もう1曲(LPのB面)の〈Poppy Nogood and the Phantom Band〉は、タイムラグ・アキュムレイター(時間差集積機)なる独自開発のテープ・ディレイ・システム(言うまでもなく元祖フリッパートロニクス)を駆使した電子オルガン&ソプラノ・サックスの複雑な多重録音。ジョン・コルトレインのモード・ジャズやビル・エヴァンスの多重録音作品『Conversations With Myself』等とも絡めて語られるべきか」    
 「60年代、ひたすらドローンの強度と反西洋的/反近代的音響を追求し続けた頑固者のラ・モンテ・ヤングに対し、同じくミニマリストながら、テリー・ライリーはテープ・ループ・システムなどの新技術を用いての巧みな即興とか、モーダルでミステリアスなメロディ展開といった点でロックやジャズのリスナーに対する訴求力が強く、いわば“ポップな幻覚性”をもってロック・シーン(サイケ~プログレ)にも絶大な影響を及ぼした。その代表的アルバムが68年の『In C』と69年の本作だろう。電子オルガンが奏でる類型化した細かい音のモデュールが、テープ・ループ・システムによって次々と再生されてゆき、その微妙なズレの堆積の中、天空から光のシャワーが降り注いでくるようなマジカルな感覚が生み出されるアルバム・タイトル曲は、まさにサイケデリックそのもの」
 あるいは、レッド・ツェッペリン『フィジカル・グラフィティ』の解析論考文中で「イン・ザ・ライト」に触れた箇所には「インド風味たっぷりのイントロ部分、キーボードのモーダルなうねりと弓弾きギターのドローン音が醸し出すヒプノティックなムードは、『A Rainbow in Curved Air』や『Persian Surgery Dervishes』といったテリー・ライリーの初期作品そのままである」なんてくだりもあったり。
 ライリーがテープ・ループ・システムという新技法に取り組みだしたのはまだカリフォルニア大学バークリー校で学んでいた60年代初頭のことで、その技法を62~63年のパリ遊学時代に究めた彼は60年代後半にはソロ・ライヴで実践するようになった。また、パンディット・プラン・ナートの下で70年から本格的に学びだすインド音楽も、既に60年代から熱心に聴いていた。あるインタヴューで彼は、60年代前半にサンフランシスコでラヴィ・シャンカール&アラ・ラカのコンサートを聴いた時の感動と覚醒についてをこう語っている。
 「アメリカでは彼らはまだ無名で、観客はその音楽に戸惑っていたけど、私にとってはまったく奇妙に聞こえなかった。ステージ上の2人は楽しそうで、素晴らしいジャズのやり取りを思い出させた。私は本当にそんなものに出会ったことがなかった。そして、それが自分の音楽が進むべき方向だと気づいたんだ」
 当時の若者たちに対して本作が強い訴求力を持ったのは、これが反戦とラヴ&ピースの時代の空気にぴったり合致していたからでもあった。LPのジャケット裏に書かれた「そしてすべての戦争は終わった。あらゆる種類の武器は禁じられ、人々は嬉々としてそれらを巨大な鋳造所に持ち込み、武器は溶かされ……(略)すべての境界が消滅した……」という詩的文言が表明する一種のユートピア思想は、60年代から現在まで一貫してライリーの背骨になってきたものであり、それはたとえば宇宙探索をモティーフにしたクロノス・クァルテットとの共作『Sun Rings』(2019年)でもはっきりと謳われている。

 『A Rainbow in Curved Air』の発売(69年10月28日)からわずか3ヵ月後に録音されたのが、ジョン・ケイルとのコラボ作『Church of Anthrax』だ。これは「前衛音楽とロックは接近してひとつになりつつある」と考えたジョン・マクルーアの提案で実現したもので、『A Rainbow in Curved Air』とほぼ同時期に録音されたケイルの初ソロ・アルバム『Vintage Violence』(70年3月発売)の翌71年にリリースされた。マクルーアはライリー、そしてヴェルヴェット・アンダーグラウンドを抜けたケイルと同時期にアーティスト契約を結んだCBSコロンビアの統括ディレクターだ。ラ・モンテ・ヤング率いるドローン・コレクティヴ「シアター・オブ・エターナル・ミュージック」のメンバーとして60年代半ばからの友人だったライリーとケイルはマクルーアの提案を喜んで受け入れたが、具体的に案を練ったり意見をすり合わせる時間がなかったため、ほとんどスタジオ即興セッション風の録音になった。
 準備不足だったことは、完成した作品からも伝わってくる。ケイルの生ピアノによるミニマルなコード・プレイにライリーのソプラノ・サックス多重録音が蔦のように絡みつく「ヴェルサイユ宮殿の鏡の回廊(The Hall of Mirrors in the Palace of Versailles)」はまさにこの2人ならではの世界だが、残りの4曲ではケイルの腕力の強引さ(英ウェールズの炭鉱町育ち!)がしばしばライリーの魅力をかき消してしまっており、全体的に中途半端な印象は否めない。ライリーは、録音セッション自体は楽しんだものの、完成した作品にはかなり不満があったようで、後年こんな発言をしている。
 「最終的なミックス作業の際、既に録音済みのトラックにジョンが大量のエレキ・ギターを重ねだしたため、私が大切にしていたキーボードの演奏が聴こえにくくなってしまった。このことで意見が衝突し、私はミックス作業の途中で退席した。結局アルバムは、私抜きでジョンとマクルーアによって完成させられた。そのことで精神的に疲弊した私は、ニューヨークの部屋を引き払い、カリフォルニアに戻ることにしたんだ」
 と言いつつも、ライリーはケイルの音楽家としての才能は十分認めていたし、時の流れと共に、ロック的な彼らのやり方にも一理あったと思うようになり、90年頃には『Church of Anthrax II』を作ろうとケイルに提案したという。しかしケイルはコラボ作ではなく、自分がライリーのソロ・アルバムをプロデュースしたいと主張したため、結局企画はご破算になった。ケイルがプロデュースしたライリーのソロ・アルバムってのも聴いてみたかったが。
 ちなみに、ケイルが書いたヴェルヴェッツ風のヴォーカル入り曲“The Soul of Patrick Lee”で歌っているアダム・ミラーは、当時ケイルと親しかったシンガー・ソングライターで、ケイルがプロデュースしたニコの『Desertshore』(70年12月発売)にもコーラスとハルモニウムでゲスト参加している。また、2人のドラマー、ボビー・コロンビーとボビー・グレッグは、前者がブラッド・スウェット&ティアーズのリーダーで、後者はボブ・ディランやサイモン&ガーファンクル他の作品でも活躍した敏腕セッションマンだ。

 『Church of Anthrax』からなんと9年。「マスターワークス」からの最終作として80年にリリースされたのが『Shri Camel』だ。70年1月に『Church of Anthrax』を録音して間もなくライリーは、北インド古典音楽キラナ派の声楽家パンディット・プラン・ナートの正式な弟子となり、インド音楽に没入していった。60年代後半、ライリーと親友ラ・モンテ・ヤングは一緒に、プラン・ナートのラーガ歌唱を収めたテープを熱心に聴き、心酔していたという。当初、多少のためらいもあったライリーの弟子入りは、先に入門していたヤング&マリアン・ザズィーラ夫妻から背中を押されてのことでもあったようだ。プラン・ナート自身はヒンドゥー教徒だが、生まれ育ちはパキスタンのラホールで、音楽の師もイスラム教徒だったせいか、両方の教義を守り、その歌唱にもスーフィズム(イスラム神秘主義)の色が濃い。プラン・ナートはまた、ラーガ(インド音楽の旋法)の伝統を重視しつつも、ラーガを通して自由に表現することを心掛けており、その開かれた姿勢にライリーは強く惹かれたという。弟子入り後のライリーは毎年のようにインドに赴いてラーガの習得に励んだ。「特に70年代の前半は、だいたい1年の半分はインドで修業し、半分はヨーロッパやアメリカで演奏したりプラン・ナートのライヴを企画・運営したりしていた」という。
 彼は既に60年代後半から譜面を書かずオルガン+テープ・ディレイ・システムで自由に即興演奏するようになっていたが、70年代の厳しい修業に伴いその表現はインド音楽とスーフィズムのニュアンスをどんどん強めていった。そうしたスタイルの総決算とも言うべき1枚が、このアルバムである。西ドイツのラジオ・ブレーメンからの委嘱で75年からプロジェクトがスタートし、76年に最初のヴァージョンを上演。改良を重ねて77年にサンフランシスコで録音され、80年にリリースされた。
 リボンコントローラーやタッチヴィブラートなどシンセサイザー的機能も備えたライリーの愛機「ヤマハ YC-45D コンボオルガン」(マイルズ・デイヴィスも使っていた)を純正律にチューニングしているのはいつもどおりだが、ここでは2台のテレコによるタイムラグ・アキュムレイターの代わりにデジタル・ディレイ・システムを使い、16チャンネル・テレコで録音している。結果、サウンドの質感は以前とはちょっと変わっている(クリア化)が、格段に細分化された純正律音が揺らめきながら複雑に絡み合い、多層化し、全体の構造が迷宮性を深めている。旋律のつらなり方からは、ライリーがいかにラーガを習得してきたか、そしてジャズをどれほど深く愛しているかがはっきりと窺えよう。また、最後に収められたスペイシーな大曲「氷の砂漠(Desert of Ice)」などは、本作が作られていた頃に出たアシュラ/マニュエル・ゲッチング『New Age of Earth』(76年)との共振も感じさせる。
 ライリーは本作の録音後まもなく、クロノス・クァルテットとの出会いをきっかけに譜面での作曲を再開し、クラシック(現代音楽)の世界にも純正律を取り込んでゆくわけだが、純正律の魅力については、ラ・モンテ・ヤングの金字塔的作品「The Well-Tuned Piano」(64年から作曲し始め、87年に5枚組LPとしてリリース)を引き合いにだしながら、こう語っている。
 「『The Well-Tuned Piano』は、純正律のピアノ音楽における真の偉業であり、私自身もこの方法で音楽制作に取り組みたいという気持ちにさせてくれた。純正律にチューニングし直すと、ヨーロッパのピアノとは全く異なる、より純粋で豊かな音色になり、様々な表情が生まれてくる。倍音成分が互いに共鳴し合い、独特の響きになるんだ。ピッチ自体がひとつの作品と言えるだろう」
 この作品によって60~70年代のライリーの表現は集大成された感があるが、そこに至る流れを詳細に把握し、ライリーの本質により深く触れたい人には、70年代に様々なレーベルからリリースされたヒプノティックな作品群を聴くことをお勧めする。たとえば、71年ロサンジェルス&72年パリのライヴ音源集『Persian Surgery Dervishes』(72年)、75年ベルリンでのライヴの記録『Descending Moonshine Dervishes』(82年)、『Happy Ending』(72年)や『Le Secret De La Vie』(75年)といったサントラ盤、あるいは82年にミュンヘンで録音された『Songs for the Ten Voices of the Two Prophets』(83年)等々。「ミニマル・ミュージックの作曲家というよりはサイケデリック・ミュージシャン」を自認するヒップな修行僧の姿をはっきりと確認できるはずだ。

 イギリスの即興集団AMMの活動でも知られるドラマー/パーカッショニスト、エディ・プレヴォが9月末から10月頭にかけて15年ぶりの来日公演を行った。これが最後の来日公演になる可能性が高いという。プレヴォといえば半世紀以上前にフリー・インプロヴィゼーションの新しい領域を切り拓いた、まさに歴史上の人物であり、「生ける伝説」である──半ばそうした思いも抱きつつライヴへと足を運んだところ、伝説と呼んでしまうのはとんでもない、ただただ現役のミュージシャンとして非常に素晴らしかった。終演後には短い時間だったが取材ができ、ライヴの所感や音との向き合い方など、エディ・プレヴォ本人から貴重かつ示唆に富む証言──彼は自らを「旧石器時代の洞窟人」に喩える──を得ることもできたので、ここにライヴ・レポートを兼ねて記すことにした。なぜ彼があのように独創的な表現へ至ったのか、その核心が垣間見える証言になったのではないかと思う。

 まずは駆け足で来歴を紹介する。エディ・プレヴォは1942年生まれ、御年83歳。1965年にキース・ロウ、ルー・ゲアとともにAMMを設立し、1967年には名盤『AMMMusic』(1966年録音)を世に送り出す。当時プレヴォはまだ20代半ばだった。AMMの歩みについては拙稿*を参照いただきたいが、プレヴォによれば、もともとモダン・ジャズのドラマーとして活動していたものの、「(……)流れが重なってルーとキースと私が集まり、当時の正統派から離れていくようになった。アルバート・アイラーやオーネット・コールマンといった人たちに触発されて、彼らが『不従順でいていい』と許可を与えてくれたようなものだった。そこから発展していった」という**。しかし他方、アメリカにおいて公民権運動と連動して発生していたフリー・ジャズのムーヴメントという文脈はイギリスにはない。つまりアイラーやオーネットの「不従順さ」をそのまま踏襲することはできないとも考えていたようで、「私たちは、1965年のロンドンに暮らす若い三人の男として、シカゴやニューヨークに暮らす黒人の若者たちと同じ人生経験や文化的背景を持っていないことを、早い段階で理解したと思う。彼らの音楽をそのまま演奏するのは馬鹿げているように思えた。だから私たちは、自分たち自身の音楽を発明しなければならないと決めた」ともプレヴォは話す。「自分たち自身の音楽(our music)」を追求することから、アメリカのフリー・ジャズとは異なる、イギリスならではのフリー・ジャズ/フリー・ミュージックを開拓したのである。

 ドラマー/パーカッショニストとして活動するかたわら、エディ・プレヴォは1979年にレーベル〈Matchless Recordings〉を設立。さらに執筆活動も行なっており、1995年に最初の著書『No Sound is Innocent』を刊行している。プレヴォは1960年代のイギリスにおけるフリー・ミュージックの開拓者の一人であるが、同時に、とりわけ1990年代以降、即物的な響きにフォーカスしたいわゆる音響的即興の領域において新たなサウンドを開拓した人物でもある。ドラムセットを四肢を駆使して巧みに演奏するだけでなく、シンバルや金属類を弓で擦り、物と物を接触させ、振動現象を引き起こし、その響きの生成と変化を見つめる──そうしたアプローチはAMM(メンバー変遷を経てエディ・プレヴォ、キース・ロウ、ジョン・ティルバリーのトリオに落ち着いた)でも聴かせていたが、ソロ・アルバムとしては、フリーフォームのドラミングと音響的アプローチの両面を捉えた1996年リリースの『Loci Of Change (Sound And Sensibility)』に最初の成果が結実している。とはいえ、フリー・ジャズにせよ音響的即興にせよ、プレヴォからしてみればそれぞれの異なる領域を開拓したわけではなく、1960年代から一貫して音の探求を続けてきた足跡が、振り返るとそれぞれの領域の開拓者に見えるというに過ぎないのだろう。その意味でドラムセットの演奏も打楽器から振動現象を引き起こす試みも地続きであるのではないだろうか。

 この度の来日公演は、もともとプライベートで日本を訪れる予定だったものの、AMMがSachiko Mと共演した2004年録音の発掘盤『Testing』が今年リリースされたことがきっかけとなり、ライヴの企画へと発展していったという。エディ・プレヴォは2000年にAMMで来日ツアーを行なっており、その10年後の2010年にはサックス奏者のジョン・ブッチャーとのデュオでやはり来日ツアーを敢行。それから15年が経った2025年、単独での来日が実現することとなり、9月26日から28日にかけて渋谷公園通りクラシックスで3Days公演が開催された。このうちわたしは27日と28日の公演に立ち会うことができた。なお10月1日には神保町試聴室で、10月3日には両国門天ホールで、それぞれ異なるゲストを迎えてライヴが行われた***。

 渋谷公園通りクラシックスにおける3Days公演の二日目は、Sachiko M(サイン波)と大友良英(ギター)とのデュオをそれぞれ1セットずつ行った。ステージには向かって左側にドラムセットが設置され、右側には大太鼓や打楽器類が置かれていた。1stセットのSachiko Mとのデュオでは、エディ・プレヴォは右側の打楽器類がセッティングされた場所に座り、シンバルの弓奏や大太鼓を擦ったり叩いたりすることで音響現象を発生させていくアプローチの演奏を行った。静謐な空間に微かなサイン波の持続音とシンバルを擦る響きが広がっていく。かつて弱音系即興とも呼ばれた、静けさ、沈黙、間、音のテクスチュア、空間性、余韻などが辺りを満たしていくような緊迫した空気。途中、客席から椅子の軋みや足音、ドアの開閉音も闖入したが、そうした音が気にかかるほどには繊細な演奏だ。面白かったのは、エディ・プレヴォの演奏はまるで電子音響のようにアンフォルメルで抽象的だったのだが、他方にSachiko Mのサイン波が鳴り続けているために、むしろプレヴォが演奏する音の身体的な揺らぎ、楽器的なノイズなどの微細な差異が際立っていた点だった。約40分ほどの演奏を終えると、休憩を挟んで2ndセット、大友良英とのデュオへ。こんどはプレヴォはステージ左側のドラムセットに着席する。互いに様子を窺いながら、探り合うようにセッションが始まった。大友がヴォリュームペダルを駆使したノンイディオマティックなギターで仕掛けると、プレヴォはブラシワークを皮切りにジャズ・ミュージシャン時代を彷彿させるような流麗かつ激しい演奏を展開していった。シンバルを弓奏することで繊細な音響を紡ぎ出すイメージが強かっただけにこうした目紛しいスティック捌きには驚いてしまった。手数の多いフリーフォームなドラミングに、大友もギアが入ったのか、徐々に大友良英らしいノイジーなギター・サウンドも織り交ぜていく。静謐な緊迫感に満ちた1stセットとは一転、火花を散らすような濃密なやり取りを約30分にわたって繰り広げた。

 3Days公演の三日目は、ゲストにサックス奏者の松丸契、パーカッショニストの松本一哉を迎え、エディ・プレヴォがそれぞれとのデュオ・セッションを行った。プレヴォの希望もあってこの日は比較的若い世代のミュージシャンとの共演となったそうだが、結果として、まさにグッド・チョイスと言いたくなる組み合わせだった。1stセットは松丸とのデュオ。前日と同じくドラムセットと打楽器類、それぞれ二箇所の演奏場所が設けられ、松丸とのデュオではプレヴォはドラムセットを使用した。乱れ打つパルス・ビートに加え、時にシャッフル・ビートさえ取り入れたジャズ要素のあるプレヴォのドラミングに対し、松丸はサックスとは思えぬ音響の万華鏡的な広がり、高速フレーズ、さらには軋るような咆哮も放ちながら応じていく。触れたら切れてしまいそうなほどの緊張感だ。冒頭はリラックスしているように見えたプレヴォも、松丸の演奏に接して並々ならぬものを感じたからか、途中、二回ほどスティックを落下させてしまっていた。いや、現実には単に手が滑っただけなのだろうけれど、それほど興が乗ってきたと思えるほどの真剣さと愉しさに溢れたやり取りに聴こえた。同時にプレヴォはさすがは百戦錬磨のインプロヴァイザーでもあり、松丸の演奏を上手く引き立たせる術を心得ていたようにも感じた。中盤ではプレヴォがフレーズをリズミカルに反復させ、松丸のサックスの叫びと合わさって祝祭的な空気さえ醸し出していた。演奏時間は約30分。続いて休憩後、2ndセットで松本一哉とのデュオが始まった。松本はステージ中央に巨大な銅鑼を置き、その前に波紋音などの打楽器類を設置。プレヴォはドラムセットではなく打楽器類がセッティングされた場所に座った。パフォーマンスが始まると、松本は何かを探索するようにステージ周囲を歩き回る。無音状態が続き、プレヴォが先にシンバルの弓奏を始めた。だがその後、松本がタイミングを見計らって銅鑼に近づき、ゴム製のマレットで擦ると、まるで人の声のような、あるいは電子音のような、摩訶不思議なサウンドが鳴り響いた。巨大な銅鑼を見て力強い打撃音を想像していた向きには驚きが走ったことだろう。実際、銅鑼の響きを聴いた瞬間、プレヴォは「Wow!」といったふうに目を見開き、自らも銅鑼のような打楽器を用いた演奏へとシフトしていった。楽器から物質へと還元された素材が生み出す、音楽と名前がつく手前にあるような音響現象の交感。後半では松本は波紋音などを叩き音階を出していき、プレヴォもシンバルや金属類、弓などを組み合わせて応じていった。セッションは最後、両ミュージシャンが演奏を止めた後もしばし無音が続き、プレヴォがタオルを手に取ると、万雷の拍手によって約30分のパフォーマンスが締め括られた。

 83歳という年齢を全く感じさせないパフォーマンスだった、というのが、エディ・プレヴォの演奏を観た率直な感想である。むろん若い頃に比べて肉体的な変化は否応なくあることだろう。とりわけドラムセットや打楽器は身体の動きが演奏に直結する楽器でもある。しかしそれらのことを踏まえた上で、プレヴォは彼自身が積み重ねてきた音に対する向き合い方を、むしろ今現在でなければ表現できないような、探究と経験に裏打ちされた最良の形でパフォーマンスとして披露していたように思う。それと共に思ったのは、現役のミュージシャンとはいえ、やはり、エディ・プレヴォはフリー・インプロヴィゼーションの領域を切り拓いたパイオニアの一人なのであって、彼が開拓した世界のその先に、Sachiko Mや大友良英がおり、そして松丸契や松本一哉がいる、ということだった。それは必ずしも直接的な影響関係を意味するわけではない。だが、日本勢のゲスト・ミュージシャンたちの表現の節々に、プレヴォの音楽的実践の残響のようなものが谺しているとも感じたのである。もしもプレヴォがいなければ、即興を主体とする自由な音楽の現在のありようは、少なからず異なるものとなっていたのではないだろうか。パイオニアの一人と、彼が切り拓いた地平のさらに彼方で新たな試みに挑む最先端のミュージシャンが、邂逅する——もしも歴史上に刻まれる「伝説」なるものがあるとしたら、まさにこの来日公演がそうだったと言えるのかもしれない。****

 3Days公演最終日の終演後、エディ・プレヴォに少しだけ取材をすることができた。親子どころか孫ほども世代が離れたミュージシャンとの共演について、彼がどう感じたのか、素朴に気になったことを投げかけてみた。すると彼は優しげな微笑みを浮かべながらこう話してくれた。

「若い音楽家たちがこの音楽を演奏していることを、私は喜ばしく思う。世界中にコミュニティが広がり、成長しているようだ。彼らは自分たちが何をしているのか完全には意識していないかもしれないが、安易な商用音楽や、息苦しいアカデミックな音楽とは違う何かを作ろうとしている。彼らは自分たちのアイデンティティを築きつつあり、志を同じくする人々と共に活動している。私はそのことをとても嬉しく思う。彼らは本当に刺激的だった。競争的ではなく、しかし同時にサウンドやその源を自在に操る力を持っていた。私は彼らがそれをさらに発展させるだろうと思うし、それこそがまさに正しい心構えだ。私たちはその姿勢を育み、励まし、応援していく必要があると思う」(エディ・プレヴォ)

 さらに共演について掘り下げて話を訊いていくと、エディ・プレヴォは自らを「旧石器時代の洞窟人」に喩えて、音とどのように向き合っているのかを語ってくれた。彼は「突飛に聞こえるだろうか?」と冗談めかした笑いを浮かべたが、その話を聞いたわたしの頭に過ぎったのは、誰あろうデレク・ベイリーのことだった。年齢的にはプレヴォよりも一回り年上(1930年生)であるものの、そしてプレヴォとは当初別のシーンに属しながらも、しかし同じように1960年代のイギリスでフリー・インプロヴィゼーションの新しい領域を切り拓いたベイリーもまた、人類最初の音楽演奏は自由な即興以外あり得なかったはずだと、かつて主張したことがあったのだった。その意味でプレヴォの比喩は突飛に聞こえるどころか、むしろ、音楽の普遍的かつ根源的な思想および実践に触れている話だと思ったのである。

「(今回の共演は)どちらもチャレンジングだったが、それぞれ違った形での難しさがあった。私はまだ、自分がAMMで演奏するときに使っているのと同じアプローチを適用していた。音を探す、素材が何をできるのかを見極める。私はそれを見ている。その物質の織り目を、そして『これをやったら何が起きるのか?』ということを。私がそうやったときに何が起こるのかを観察し、どうすればそこから一番いい音を引き出せるかを考えている。私は自分を──これは複雑だが──旧石器時代の洞窟人のように見ている。5万年前に生きていた人間のことだ。彼らは全く違う文化を持っていたが、同じような願望を抱いていた。同じ身体的な機能を持ち、同じように考えていた。進化生物学者たちは、5万年前のホモ・サピエンスは今の私たちとほとんど変わらなかった、と言っている。だから私たちの反応もそれほど違わないはずだ。文化は違うがね。私は彼らが音楽をつくっていたときのことにインスパイアされる。彼らはどのようにして、何を考えながらそれをしていたのか? 彼らは現代のような理論を扱っていたわけではない。トニック・ソルファやメトロノームのことを考えていたわけではない。そんなものは持っていなかった。だから彼らは素材を探り、音を探求していた。そしてしばしば、私が『創造の洞窟』と呼ぶ場所──つまり壁画が残っている洞窟の中でそれを行っていたのだ。私はある程度の確信をもってそう言える。というのも、考古学者たちはそうした場所の発掘で骨笛を見つけているからだ。つまり絵が描かれた場所は、同時に音を生み出す場所でもあった可能性が高い。では彼らはどうやっていたのか? なぜそうしていたのか? それこそが私を魅了するところであり、私は自分をその洞窟の中に想像しようとするのだ。『ここが洞窟だ』と思い、音を探している。自分の持っている素材から、面白い音を引き出そうとしている。それは狂気じみているだろうか? 馬鹿げすぎているだろうか? とんでもなく突飛に聞こえるだろうか?——まあ、老人の戯言はこのくらいにしておこう」(エディ・プレヴォ)

* 細田成嗣「大胆不敵な音楽の熟達者たち――AMM論」(ele-king ウェブ版、2018年8月22日公開)https://www.ele-king.net/columns/006473/

** エディ・プレヴォの発言は全て当日の取材で本人から聞いた内容を引用している。

*** 10月1日の神保町試聴室では佐藤允彦、八木美知依と共演。10月3日の両国門天ホールは池田謙との「間に在るもの」と題したコンサートで、ゲストで遠藤ふみが出演した。

**** なお、渋谷公園通りクラシックスでの3Days公演に関しては、ライヴ録音が行われていることもアナウンスされており、いずれ録音作品としてリリースされる予定があるようだ。さらに公演当日は撮影も行われていた。撮影を担当した映像作家でドキュメンタリー映画『東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート』の監督でもある青山真也によれば、映像もいずれなんらかの形で世に出すことを予定しているとのことである。

mark william lewis - ele-king

 霧の街のソングライター、マーク・ウィリアム・ルイスには様々なアクセス・ポイントが存在する。映画制作・配給会社A24が始めた音楽レーベル〈A24 Music〉が契約した最初アーティストであり、バー・イタリアの3人やダブル・ヴァーゴのふたりの後ろでドラムを叩いていた男、のとりわけ『The Redeemer』の陰鬱な空気を身にまとい、ジェフ・バックリィやエリオット・スミスなどのシンガーソングライターの方向からでも辿り着くことができ、さらにはニューヨークのラッパーMIKEのアルバム『Burning Desire』やtiny deskにも姿を見つけることができる。ゴールドスミス大学でアートを学び、音を手にした詩人でもある彼は作家の父親のもとで育ち、アレン・ギンズバーグ、ジェイムズ・ジョイス、T・S・エリオットに影響を受けたようだ。そうして21年にEP「Pleasure Is Everything」22年に自主制作の1stアルバム『Living』を作り上げロンドンのアンダーグラウンド・シーンでその名をささやかれ続けてきた。

 そして今年2025年に〈A24〉からリリースされたこの2ndアルバムが素晴らしいのだ。ボブ・ディランやニール・ヤングというようなアコースティック・ギターにハーモニカを携える伝統的なシンガー・ソングライターのスタイルの土台の上にそっと色を重ねるように彼は音色のテクスチャーを置く。それはエレクトリック・ギターの柔らかく歪んだ響きであり夜の街に溶けていくようなハーモニカの音であり、控えめに添えられるシンセサイザーの粒である。
 たとえば “Spit” のような曲ではダウナーなバー・イタリア・マナーで薄く重ねるシンセと他の曲と比べて高く明瞭なヴォーカルメロディをのせる。“Petals” ではヴィニ・ライリーを強く意識したであろう浮遊感のあるギターのフレーズを中心に組み立て左右の空間に色を置いていくかのごとく音を重ねる。悪夢のように歪んだギターの音から始まる “Brain” はディーン・ブラントの要素が色濃く残り、彼がドラムを叩いていた〈World music〉のバンドたちに通じるような曲に仕上げている。
 そして彼の低く柔らかに伸びる声がこの音楽をより一層魅力的にしている。“Recent Future” や “Ugly” での寄り添うように静かに思索を重ねるバリトン・ヴォイスはもちろんのこと “Senventeen” ではエリオット・スミスを彷彿させるようなコーラスワークを披露し伸びやかな声を重ね世界を形作る。ハーモニカの音の後に続けられるそれは清涼感と同時にわずかな喪失感を与えてくる。あたかも過ぎ去った年月を見つめているかのように。「誰もそのことを話さない/何が起こったのか本当のことを誰も知らない」固有名詞を使わずにはっきりと何かを指し示すことのない彼の曖昧のささやきは音と合わさり宙にイメージを浮かばせる。距離があるからこそ俯瞰して見ることが出来る、極端ではない小さな感情のざわめきがそこにはあるのだ。

 夜の街を一人歩くときのサウンドトラック、街の明かりの粒に足音のリズム、かすかに香る人の気配、それらは夜の闇で思索する意識の中へと消えていく。マーク・ウィリアム・ルイスの音楽は徹底的に滑らかだ。付け加えられる全ての要素はアクセント、隠し味のスパイスとして機能して、決してやりすぎず中心にはなりはしない(中心におかれるのはいつだってギターとその声だ)。勢いまかせに投げ込むのではない70%の意図を弾くストレート。彼はまるで夜の風景をスケッチするかごとく音像を描いていく。シンプルにしかし謎めいて。頭の中に浮かぶそれはまるでいつか見ようと胸に抱えた映画のように反芻される。

 実のところ22年当時、バー・イタリア虫ジャケット『bedhead』のいびつな美しさにやられていた僕はマーク・ウィリアム・ルイスの整えられた映像的な美にいまいちピンと来ていなかった。だが間をおき様々な音楽を経由することで(ヴィニ・ライリーというのが自分にとってのポイントだったのかもしれない)その魅力にアクセスすることができた。そうやって改めて最初のEPから聞き直し彼の魅力に気がついたのだ。

 そう、マーク・ウィリアム・ルイスには様々なアクセスポイントが存在する。沼のようにはズブズブと沈まない、雨というには軽やかで、ひんやりと濡れるような気配がし、つかみどころがない。やはりマーク・ウィリアム・ルイスの音楽は霧なのだ。そうしてこの霧はきっと何年経っても同じように夜の孤独を優しく迎え入れてくれるだろう。冷たい空気に寄り添い幻想的に街の灯りを歪ませる、小さな空白がここにはあるのだ。

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