「Wire」と一致するもの

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 この世界にエレクトロニック・ミュージックが存在し、展開される限り、〈WARP〉はかならず振り返られるレーベルである。それがまず明白な事実として挙げられる。
 信じられない話だが、1970年代においてエレクトロニック・ミュージックは血の通っていない音楽とされ、さらにまたシンセサイザーは普通の人には手の届かない高価なものだった。しかし現代では、エレクトロニック・ミュージックはダンスに欠かせないヒューマンな音楽であり、自宅で作れるもっとも身近なジャンルだ。〈WARP〉は、まさに身近なものとしてある、現代的なエレクトロニック・ミュージックの第二段階におけるもっとも大きなレーベルなのだ。ちなみに、第一段階は70年代末から80年代初頭のポストパンク、第二段階は80年代末から90年代初頭のハウス/テクノのこと。このふたつの時代に共通するのは、因習打破の精神である。
 もちろんいまでは〈WARP〉をテクノ専門のレーベルだと思っている人はいないだろう。ただ、〈WARP〉から出すものは、基本、因習打破の精神を秘め、メッセージよりも斬新なテクスチャーが要求される。エイフェックス・ツインやオウテカ、フライング・ロータスやバトルズにまで通底するのは、テクスチャーに対する拘りである。つまり、聴いたときにフレッシュであること。新しいこと。新しさを感じさせること。
 音楽の世界が懐古趣味に走って久しいが、それはもう世界が前に進まなくてもいいと諦めてしまっているかのようだ。しかし〈WARP〉がリンクしているシーンは、懐古とは対極にある。アクチュアルで、ケオティックで、それは時代のなかで更新される音楽環境において、若い世代には新しい享受の仕方があり、それは現状を好転させようとする、前向きな可能性を秘めていると信じているかのようだ。昔は良かったとノスタルジーに浸るよりもいまの世界を変えたいのだろう。
 〈WARP〉はインディペンデント・レーベルである。試行錯誤しながらも、シーンとの接点を持ち続け、25年ものあいだインパクトのある作品を出し続け、なおもシーンを更新しようと試みていることは異例であり、脅威だと言えよう。たしかにレーベルにはすでに古典と括られる作品がたくさんあり、それらはなかばノスタルジックに消費されていることも事実である。しかし、25年前から未来に開かれていた〈WARP〉の作品にはいまだに多くのヒントがあり、また現在リリースされている作品でも挑むことを止めていない。メッセージではなくテクスチャーである。サウンドの冒険である。
野田努(ele-king編集長)

以下、ele-kingの執筆陣からのレビューと作品に寄せられたコメントを掲載しよう



APHEX TWIN 『Cheetah EP』
BEAT RECORDS

Cheetah MS800という恐ろしくマニアックかつ操作困難な初期デジタルシンセを全面に押し出したEP。APHEX TWIN作品の中でも、絶妙にダーティな音像と、ウネウネ/ブチブチと蠢くシンセテクスチャーによって、脳が「ぐにゃーっ」 とトリップさせられる怪作です。
佐々木渉(クリプトン・フューチャー・メディア)

Aphex Twin(コラム)


APHEX TWIN
『Syro』
BEAT RECORDS

CDの寿命が20年とか聞くと、人類が蓄積しているデータは、その破片すら次の文明に引き継がれないことを思い知らされる。データは消えても、音楽は振動として永遠に残って行く。この音楽が僕らの時代の振動として、次の文明に引き継がれて行くことを、同時代に生きた人類として嬉しく思う。

東の医から観た彼の現在は、澱みのない色の舌と、適度に満たされた脈を打っている。今も昔も、いやむしろ今の方が、純粋に健康に音楽を楽しんでいる。稀な振れ幅の陰と陽の調和。憧れた人が、今も心地良い音楽を鳴らしていることは、どれだけ多くの人の気を増幅させたのだろうか。
伊達伯欣/Tomoyoshi Date

2014年最大の衝撃であったエイフェックス・ツインの復帰作。エイフェックス的なエレクトロニック・ミュージックの魅力が横溢し、何度聴いても飽きない。同時に徹底的に作りこまれたトラックメイクによって、「作曲家リチャード・D・ジェイムス」の側面が改めて浮かび上がってくる。まるで子供の魔法のようなテクノ。まさに傑作である。
(デンシノオト)

Syro(レビュー)


APHEX TWIN
『Computer Contorled Accoustic Instruments Pt.2』
BEAT RECORDS

プリペアド・ピアノというアイデアを発明したヘンリー・カウエルに始まり、ケージ、ナンカロウへと連なるメタ・ピアノの系譜から、ここでのリチャードは豊かな遺産を受け継ぎ、独自に発展させている。
これはすこぶるリチャード・D・ジェイムス=エイフェックス・ツインらしい、なんともチャーミングで畸形的な小品集だということである。
佐々木敦(HEADZ)

『Syro』から僅か4ヶ月でリリースされた、『Syro』とは全く方向性の異なる小品集。アコースティックなドラムとピアノのおもちゃ箱。機械的でありながらも感情豊かなドラムに、『Drukqs』を思わせるはかなげなピアノが絡んでいく様は、ピアノが打楽器でもあることを思い出させてくれる。二つの楽器が交差する際の残響音にも技巧が凝らされている。(小林拓音)

CCAI pt.2(レビュー)


APHEX TWIN
『Orphaned DJ Selek 2006-2008』
BEAT RECORDS

エイフェックス・ツインあるあるを言います。
「AFX名義だと顔出ししない」「AFX名義だと時代感を超越」「AFX名義だと選曲について悩まない」「AFX名義だと輪をかけてタイトルに意味無し」「AFX名義聴くと不思議に疲れない」「結果AFX名義が一番心地よくヘビロテ」つまり最もお薦めできるAFX名義の最新作がこれです。
西島大介/DJまほうつかい

リチャード・D・ジェイムスのアシッドハウスな側面が全開になったAFX名義、10年ぶりの2015年新作。脳髄を揺さぶる電子音シーケンスと、かつてのドリルンベース的なビートには強烈な中毒性がある。『Syro』では封印気味だった無邪気で攻撃的なRDJがここにある。90年代マナーなアートワークはデザイナーズ・リパブリックによるもの。(デンシノオト)

ORPHANED DEEJAY SELEK
2006-2008(コラム)


BIBIO
『A Mineral Love』
BEAT RECORDS

急な風で電線が揺れたり、低い雲が夕日で真っ赤に染まったり、何十回も繰り返してきた同じ種類の悲しみだったり、急に不安なる夜だったり、そうやって僕らの前に時折現れる景色や感情の起伏を、Bibioはいつもそれとなく音楽で代弁してくれるから、僕は好きだ。
山口一郎(サカナクション)

ヒップホップとエレクトロニカとフォークの愛らしい出会いを丹念に編んできたビビオが、ここではソウルとジャズとファンクの色を優しく混ぜていく。音の隙間が心地いいグル―ヴと、とろけるようなシンセ・サウンド、そしてビビオ自身のスウィートな歌が詰まっている。それは、子どもの頃の記憶をくすぐるような優しい歌だ。(木津毅)

Bibio (インタビュー)


BRIAN ENO
『The Ship』
BEAT RECORDS

EnoのI'm set freeのcoverイイ。あとEno本名クソ長い。
石野卓球(電気グルーヴ)*2016年4月27日のTwitterより引用

2ndアルバムの録音以来、Eno先生にハマってます。レコーディング中もよく聴いた。これは新譜だけど。
後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION) *2016年5月7日のTwitterより引用

イーノが辿りついた音楽/音響の天国的な境地がここに。彼が長年追求してきたアンビエント・ミュージックとポップ・ミュージックが見事に融合しており、全編に横溢する中世音楽のようなシルキーな響きが美しい。イーノのボーカルによるヴェルベット・アンダーグラウンドのカバー「I’m Set Free」は未来へのレクイエムのように聴こえる。(デンシノオト)

Brian Eno (レビュー)


MARK PRITCHARD
『UnderThe Sun』
BEAT RECORDS

森の中のアシッドフォークから、深遠なシンセアンビエントまで、まるで断片的な夢のかけらのように、
立ち表れては消えて行く、音の桃源郷のようなアルバム。
柔らかなシンセの波に揉まれながら、夏の匂いを感じたくなるような気持ちにさせられる。
Chihei Hatakeyama

リロードやグローバル・コミュニケーションとして知られるテクノのヴェテランによる、本人名義としては初のアルバム。近年はベース・ミュージックに傾倒していた彼だが、本作では一転してベッドルーム志向のテクノ/アンビエントが鳴らされている。全体的にフォーキーなムードで、トム・ヨークやレーベルメイトのビビオ、ビーンズらが参加。(小林拓音)

Mark Pritchard (インタビュー)


ONEOHTRIX POINT NEVER
『Garden Of Delete』
BEAT RECORDS

人工知能にロック(というかメタル)に関するあらゆる情報を食わせて電子音楽として吐き出させたらこんなことになる。SFとしてのメタル。スペキュラティヴアートとしてのエレクトロニカ。エイリアンの知性、すなわちAIが見た、ヒトとロックをめぐる欲望と情動の見取り図。
若林恵(wired編集長)

アンビエントから遠ざかり始めた通算7作目。NINから影響を受け、大胆にメタルを採り入れたかつてない動的な野心作。そのあまりに過剰な音の堆積はポップ・ミュージックのグロテスクな側面を暴くためのものだが、けばけばしさの中に紛れ込む叙情性はOPNならでは。音声合成ソフトのチップスピーチの採用はボカロ文化にも一石を投じている。(小林拓音)

OPN (インタビュー)


PLAID
『The Digging Remedy』
BEAT RECORDS

I’ll say it right off: I love Plaid! But, to be honest, their newest work really surprised me. “The Digging Remedy,” rather than moving further in the direction Plaid established with “Reachy Prints” and “Scintilli,” seems to be yet another distinct stage in the evolution of this eccentric duo. What a beguiling mixture of bittersweet melodies, syncopated rhythms, and wonderfully retro Vini Reilly-style guitars…
- Michael Arias film director (Tekkonkinkreet, Heaven’s Door)
単刀直入に言うと アイ ラブ プラッド♥ ただ正直言って、彼らの最新作には驚かされた。「Reachy Prints」や「Scintilli」でプラッドが確立した方向性を更に進んだのではなく、「The Digging Remedy」はこのエキセントリックなデュオの進化の過程の中で、はっきりと今までと違う別の段階に達した様だ。ほろ苦いメロディー、シンコペーションのリズム、そして素晴らしくレトロでヴィニライリー風のギターの、何と魅惑的な混ざり合い、、、。
マイケル・アリアス 映画(「鉄コン筋クリート」、「ヘブンズ・ドア」)監督

PLAIDは細部に宿る
4拍目のキックの余韻に
ロールするシーケンスの奈落に
1分、1秒、1サンプルの隙間に

PLAIDは細部に宿る agraph

2年ぶりの新作。ドリーミーなプラッド節はそのままに、これまで以上にソリッドで研ぎ澄まされたエレクトロニック・ミュージックを聴かせてくれる。「CLOCK」のデトロイト・テクノな高揚感が堪らない。トラディショナルなベネット・ウォルシュのギターも印象的だ。アルバムタイトルは10歳になるアンディの娘さんが思いついたもの。(デンシノオト)

Plaid (インタビュー)


SQUAREPUSHER
『Damogen Furies』
BEAT RECORDS

「20年間オレのヒーロー」
OLIVE OIL(OILWORKS)

トム・ジェンキンソン自らが開発したソフトウェアによって生み出された通算14作目。全て一発録り。世界情勢に対するリアクションだという本作は、これまで様々なスタイルに取り組んできた彼の作品の中で最も好戦的な一枚となっている。とにかく凶暴なドラムとノイズの嵐の中にときおり顔を出すメロディアスなDnBが、往年の彼を思い出させる。(小林拓音)

SQUAREPUSHER (インタビュー)


BATTLES
『La Di Da Di』
BEAT RECORDS

音数の減少により浮き彫りになるキック、スネア、ハットの三点グルーヴがとんでもなく強烈です。
知っちゃあいたけどやっぱ凄えわ。」庄村聡泰([Alexandros])ーMUSICA 2015年10月号

歌をどのように自分たちのサウンドと引き合わせるかが課題のひとつだった前2作から一転、初期のミニマリズム、インスト主義に回帰した3作め……が、聴けばユーモラスな感覚はたしかに引き継がれている。ストイックだと評された時代をあとにして、あくまで理性的に繰り広げられる快楽的で愉快なバトルスが存分に味わえる。(木津毅)

Battles

 ──『ガーディアン』のライター/『The Wire』誌エディターの著者が膨大な資料と取材のすえに書き下ろしたクラウトロック評伝の最高作、ついに翻訳刊行!

 ファウスト、ノイ! 、クラスター、アシュ・ラ・テンペル、アモン・デュールII、カン、クラフトワーク──これらのグループが持つ瞑想的かつ膨張的な作曲法が、西洋のポピュラー音楽にもたらした影響は計り知れない。今日の音楽のどれだけ多くの部分がここで誕生したのかを理解し、大きな影響力を持つ先駆的なアーティストの財産を発見したい者にとっての必読書である。

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 第二次世界大戦後、西ドイツはショック状態にあった。直近の歴史から遠ざかり、他のヨーロッパ諸国から取り残されていたからだ。しかしこの孤立した風景は、60年代にクラウトロックとして知られることになる、実験的でさまざまなサウンドを育んだミュージシャンたちの世代にとって、肥沃な大地であることが判明した。

 東洋の神秘主義、シュトックハウゼンの破砕した古典主義、工業の空圧反復やラインラントの深い森、終わりの見えないアウトバーン。アングロアメリカン的なジャズ/ブルースの伝統を避けつつ、ドイツは他の場所にインスピレーションを見出した。

 ファウスト、ノイ!、クラスター、アシュ・ラ・テンペル、アモン・デュールⅡ、カン、クラフトワーク──これらのグループが持つ瞑想的かつ膨張的な作曲法が、西洋のポピュラー音楽にもたらした影響は計り知れない。彼らが重要視されたのは、ポストパンクからエレクトロニカ、アンビエントに至るムーヴメントの発展においてだけではない。デヴィッド・ボウイ、トーキング・ヘッズやプライマル・スクリームなど多様なアーティストたちとって、それらのグループは直接的なインスピレーションを与えてきた。

 『フューチャー・デイズ』は黙想にふけり、ときに抽象的、そして、しばしとても美しくもある音楽と、それを成し遂げたグループについての仔細な研究であり、彼らを形作った社会と政治の文脈にも光を当てている。今日の音楽のどれだけ多くの部分がここで誕生したのかを理解し、大きな影響力を持つ先駆的なアーティストの財産を発見したい者にとっての必読書である。

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 デヴィッド・スタッブスはカン、ファウスト、ノイ!やクラフトワークといったレジェンドたちを、第二次世界大戦後のドイツにおける政治と文化という、その歴史歴的文脈へとたくみに位置づける。しかしより重要なことに、彼の散文における陽気さや、その想像力の及ぶ輝かしい壮大さは、時代と場所を超越する音楽をあますところなく伝える。心眼にうったえる比類なきくらくらするような驚きの連続、絶対的な自由と規律が共存したサウンド、パンクの大襲撃に対する歓喜に満ちた大いなる「イエス(賛同)」。これらを何世代にもわたるファンたちがクラウトロックのうちに発見するのだ ──サイモン・レイノルズ

 我々はクラウトロックのなにを知っているのだろう。ハンス・ヨアヒム・レデリウスが、ザ・ビートルズの最年長メンバーより6歳年上で、エルヴィス・プレスリーよりも数か月早く生まれていることを多くの人は知らない。そう、プレスリーより早く生まれたこの男は、少年時代を戦中に過ごし、郵便配達やマッサージ師をやりながら生き延びて、そして60年代のベルリンのシーンにおける最高のアンダーグラウンドな場で、耳をつんざくほどのノイズを、エレクトリック・ノイズを鳴らす。わずかこれだけの物語だが、我々はここからさまざまなものを読み取ることが出来る。つまり、ティーンエイジャーとして豊かな消費生活を送れなかった境遇の者が、その運命を乗り越えようとするときのとてつもない想像力……。
 あるいはクラフトワークの『アウトバーン』だ。あのとことん牧歌的とも言えるジャケの絵。郊外の緑のなかを延びるアウトバーンを走る自動車──、周知のように、アウトバーンは、ナチス時代の遺産でもあり、このアルバムはあまりにも単純に自動車を賞揚しているようでもある。しかし、同時に、アウトバーンは町と町を繋げている重要な交通網であることに変わりない。ブルース・スプリングスティーンの「涙のサンダーロード」のように、いい女もいなければ威勢のいいものでもない、ただそれは確実にあるものであり、エレクトリックな表現でありながら、リアルであろうとする「涙のサンダーロード」以上に、実はリアルな我々の生活を表現しているというこの逆説。我々はクラウトロックのなにを知っているのだろう。
 なるほど、クラウトロックはときにエレクトロニクスと結びつけられるが、しかし、そのほんとんが、当時高価だったシンセサイザーを購入できる立場にいなかった。彼らのエレクトロニクスとは、高価なモジュラー・シンセを買うことではなく、中原昌也のように、安価なテープマシンやマイクやラジオなどを工夫して使うことだった。クラウトロックがパンクから尊敬されている理由のひとつである。

 ぼくにとって、クラウトロックは長きにわたって好きなものであると同時に、ある種のオブセッションでもあった。自分はなんでクラウトロックが好きなんだろう。60年代末から70年代の西ドイツで生まれたいくつかのロック・バンドの音源が、なんで特別で、そしてなんでその後あり得ないほどの影響力を発揮しているんだろう。実験的だからか? エレクトロニックだからか? ぼくは何度もそれを説明しようと試みて、うまくいかなかった。なぜぼくは、カンのオーガニックなグルーヴやクラスターの牧歌的なアンビエントを、なぜこうも好きなのだろうか。そもそも、こうした音楽とノイ!の前へ前へと進むモータリック・ビート、あるいはアシュ・ラ・テンペルの星界のサイケデリクスとのあいだにいかなる共通項があると言うのだろうか?
 
 本書『フューチャー・デイズ──クラウトロックとモダン・ドイツの構築 』は2014年に刊行された英国のジャーナリストが描くクラウトロックの評伝で、おそらくのジャンルにおける書物の中で最高のものだろう。著者は、たんにオタク的にこのマニアックなジャンルを掘り下げるのではなく、戦後ドイツ史を引っぱり出し、その特殊な歴史的状況を説明しながら、クラウトロックが生まれる背景について詳述する。同じように英米のサブカルチャーに影響を受けながら、フランスやイタリアではなくなぜそれが“西ドイツ”だったのか? 我々はその糸口を知り、その普遍性に辿り着く。

 また本書は、挑発的なロック評論でもある。いまだにローリング・ストーンズやボブ・ディランを有り難がっている人たちへの強烈なカウンターも含まれている。英国ジャーナリストらしく、白黒はっきりさせているので、読む人が読んだら破り捨てたくなるような箇所もあるだろうし、クラウトロックのすべてを賞賛しているわけでもない(タンジェリン・ドリームのファンも読まないほうがいいかもしれない)。だが、好き嫌いは抜きにして、花田清輝を彷彿させる博覧強記と英国人らしい批評性、そしてリスナーの想像力において、間違いなく読み応えがある本だ。
 日本ではほとんど知られていない、戦後ドイツ文化史の説明は、同じように敗戦を経験した日本人にとってはなおさら興味深い。デヴィッド・ボウイがいかにクラウトロック史において重要だったのかも再三書かれている。それから、1970年代のレスター・バングスがクラフトワークをどのように賞揚したのか、あるいは、1980年代に『NME』のライヴァル紙だった『メロディ・メーカー』の方向性まで(著者は『メロディ・メーカー』編集者だった)と、いまや日本では死に絶えている(?)ロック・ジャーナリズムに関心のある人にも面白い本だし、他方では、ブリアルやワイリーからURまで、今日のエレクトロニック・ミュージックについての考察も含まれている。
 本書にはいくつかのキーワードが出来てくる。ここで例を挙げるながら、カンの「リーダーはいない」とクラスターの「荒れ狂う平和」だ。どちらの言葉にも複数の意味がある。「リーダーはいない」の“リーダー”にはヒトラーや象徴としての父や男根的ロックの否定も含まれている。と同時に、「自分は誰かに生かされている」という感覚でもある。たとえ小さな子供でも、自分が子供を養っているのではなく、実はその子供に自分が生かされているのだという感覚。もうひとつの「荒れ狂う平和」とは、たまらなく穏やかな田園の裏側で荒れ狂うもの、その両方を同時に感じてしまうこと。──クラウトロックとは、決してスタイルではないのだ。
 膨大な資料と取材をもとに描かれたクラウトロック評伝の冒険をひとりでも多くの人に楽しんでいただきたい。

■目次

Unna, West Germany, 1970──ウンナ、西ドイツ、1970年 
Introduction ──前置き
Prologue ──序文

1 Amon Düül and the Rise from the Communes
アモン・デュールとコミューンからの上昇

2 Can: No Führers
カン:リーダー不在

3 Kraftwerk and the Electrifi cation of Modern Music
クラフトワークとモダン・ミュージックの電子化

4 Faust: Hamburg and the German Beatles
ファウスト:ハンブルグとジャーマン・ビートルズ

5 Riding through the Night: Neu! and Conny Plank
夜を駆け抜けて:ノイ!とコニー・プランク

6 The Berlin School
ベルリン派

7 Fellow Travellers
旅の仲間たち

8 A Raging Peace: Cluster, Harmonia and Eno 329
荒々しい平和:クラスター、ハルモニア、そしてイーノ

9 Popol Vuh and Herzog
ポポル・ヴゥーとヘルツォーク

10 Astral Travelling: Rolf-Ulrich Kaiser, Ash Ra Tempel and the
Cosmic Couriers
星界旅行:ロルフ・ウルリッヒ・カイザー、アシュ・ラ・テンペルと宇宙のメッセンジャー

11 A New Concrete: Neue Deutsche Welle
新しいコンクリート:ノイエ・ドイッチェ・ヴェレ

12 Post-Bowie, Post-Punk, Today and Tomorrow
ポスト・ボウイ、ポストパンク、今日そして明日

フューチャー・デイズ
──クラウトロックとモダン・ドイツの構築
デヴィッド・スタッブス 著
小柳カヲルほか訳
ele-king books
定価:4400円(税抜き)
6月22日発売予定

デヴィッド・スタブス/David Stubbs
英国の著述家、音楽ジャーナリスト。オックスフォード大学在学中、サイモン・レイノルズと共にファンジン『Monitor』を立ち上げ、卒業後『Melody Maker』の編集部に加わる。その後、『NME』、『Uncut』、『Vox』、『The Wire』に勤務。これまでに『The Times』、『The Sunday Times』、『Spin』、『Gurdian』、『Quietus』、『GQ』などに寄稿。その多くの著作には、ジミ・ヘンドリックスの各楽曲に焦点を当てその人物像に迫ったものや、『Fear of Music: Why People Get Rothko but Don't Get Stockhausen』、20世紀の前衛音楽とアートの比較研究書などがある。現在、スタブスはロンドン在住。

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Prettybwoy - ele-king

 東京を拠点に活動するガラージ/グライムのプロデューサー、プリティボーイ(Prettybwoy)が、5月17日にフランスの前衛的なベース・ミュージックのレーベル〈POLAAR〉から「Overflow EP」をリリースすることが発表された。強靭かつミニマルなキックの連打、卓越したメロディ・センス、ワイリーのデビルズ・ミックスを彷彿させる無重力感などなど、聴きどころ満載な力作に仕上がっている。大きな話題となった重要レーベル〈Big Dada〉のコンピレーション『Grime 2.0』への参加から早3年。プリティボーイは決して速度を落とすことなく、確実に前へ進み続けているようだ。

Prettybwoy – Overflow – POLAAR



 彼にだけ追い風が吹いているわけではない。この数年の間に現れたパキン(PAKIN)や溺死、ダフ(Duff)といったMCたちの活躍は頼もしい。またダブル・クラッパーズ(Double Clapperz)らに代表される新世代プロデューサーもめきめきと頭角を現し、彼らは日々シーンを活性化させている。「本場のヤツらと共演したらエラい」などと言うつもりは毛頭ないが、シーンのプレイヤーたちが〈バターズ〉のイライジャ&スキリアム(Elijah & Skilliam)や、若手最有力MCのストームジー(Stomzy)といったグライム・アーティストたちと共演するまで、日本のグライムは大きくなった。

 シーンが勢いづくこのタイミングでリリースされた作品の裏にある、プリティボーイの意図とは何だろう。また、現在のシーン全体を、彼はどのように見ているのだろうか。今回届いたインタヴューはそれをうかがい知れる興味深いものになっている。『ele-king』に登場するのは実に3年ぶり。ジャパニーズ・ガラージ/グライムのパイオニアに、いまいちど注目しよう。

文:高橋勇人

Prettybwoy(プリティボーイ)
UK GARAGE / GRIME DJ in Tokyo。DJキャリアのスタート時から、独特の視点からガラージ / グライムをプレイし続けるDJ/プロデューサー。 ガラージ、グライム、ダブステップ、ベースライン等、時代と共に細分化していった音楽全てをガラージと捉え、自身のDJセットでそれらを「1時間」に表現する孤高の存在。 国内シーンで定評のあるビッグ・パーティにも度々出演。 自身ではパーティ「GollyGosh」主宰 。 また、「レジェンド オブ UKG!/神」等と称されるDJ EZのラジオ番組KissFMで楽曲“Dam E”が紹介される。 2013年、英〈Ninja Tune〉の傘下レーベル〈Big Dada〉からリリースされたコンピレーション『Grime 2.0』に、グライム・オリジネイター等と共に、唯一の日本人として参加。収録曲“Kissin U”は英雑誌『WIRE』等にも評価され、インスト・グライム DJのスラック(Slackk)らによってRinseFM、NTS、SubFMなどラジオプレイされるなどして、独自のコネクションで活動中。

Artist: Prettybwoy
Title: Overflow EP
Label: POLAAR
Release Date: 2016.05.17
Truck List:
1. Overflow
2. Vivid Colour
3. Humid
4. Flutter


Interview with Prettybwoy

Interviewer:Negatine=■

EPのリリース、おめでとうございます。まずは今回のリリースまでの経緯、リリース元であるフランスのインディペンデント・レーベル、〈POLAAR〉について教えて下さい。

プリティボーイ(Prettybwoy以下、P):僕が「Golly Gosh」というパーティを久しぶりに開催したときに、期間限定でEPをバンドキャンプに発表したんですが、〈POLAAR〉がその曲をとても気に入ってくれて、SNSでメッセージをくれたんです。その時点で、2015年12月に出たコンピレーション『Territoires』の構想に僕の作品がぴったりだっていう話だったから、すぐ「いいよ、喜んで」って僕が返事したところから関係がはじまりました。EPのリリースも早い段階で決まっていましたね。ちょうど1年前のいまの時期でした。
 〈POLAAR〉はフランスのリヨンという都市に拠点を置くレーベルです。設立してから今年で2年目。「シネマティック・ベース・ミュージック」をコンセプトに掲げているとおり、メロディやムードと低音を大切にしていると思う。フロア(FLORE)という女性アーティストが中心になって活動をしています。実際、僕も連絡のほとんどは彼女としていますね。彼女は〈Botchit & Scarper〉などからもリリースしていて、ブレイクス寄りな作風だけど、好きなもの、聴いてきたものは似ているような気がします。レーベルのメンバーのひとりが最近日本に住みはじめました。それ以外はみんなフランスにいます。また、ゼド・バイアスやマムダンス、マーロ、スクラッチャDVA、アイコニカ、ホッジ、ピンチなども過去に出演したことのあるパーティを定期的に開催しています。

今回のEPの内容についてお尋ねします。とてもタイトで洗練されたラインナップですね。また、聴き手によっても色々な解釈が生まれそうな深みも持ち合わせていて、プリティボーイのスタイルが更に進化しているのが感じ取れます。このEPにはコンセプトみたいな物はありますか?

P:この4曲は作った時期もバラバラなので、明確なコンセプトというものはないんです。けど、いわゆるグライムっていうイメージから逸脱したグライム、みたいな作品群になっていると思います。グライム、ガラージDJっていう僕の経験と蓄積から、作りたい音楽を素直に作った結果がこのEPです。

自身が描いているそれぞれの曲のイメージなどあれば教えて下さい。

P:・“Overflow”
僕の製作のなかで、グライムっぽくないグライムが1周して、改めてグライムを作ろうって思って作った曲です。DJセットの中に欲しかったものを素直に作りました。

・“Vivid Colour”
僕、田島昭宇さんの絵が昔から好きで、そのなかでもとくに和服的なふわっとした衣服を着ている女性の絵が好きで、『お伽草子』という作品の弓矢を持った女性のイラストを見ながら、何となく作りました。因みにキャラクターで一番好きなのは『MADARA2(BASARA)』のバサラと芙蓉(フヨウ)で、その芙蓉のイラストから出来た曲もあります。僕なりのサイノ・グライム(注:東洋的な旋律をもったグライムのスタイル)です。

・“Humid”
グライムってどこまで拡大解釈していいのかな? そう考えるきっかけを作った曲で、このEPの中では最初に作りました。梅雨の時期に出来たのでタイトルもじめっとしてます。確か、メロディラインをMIDIキーボードで演奏して録音したのもこの曲が初めてだった気がします。いまはけっこうキーボードを弾いていますが。

・“Flutter”
この曲は、地下アイドルのCD-Rの曲をサンプリングしています。地下アイドルやそれに類する女の子に対して、僕がイメージする「儚さ」みたいなものが曲として具現化した気はします(笑)。

今回のEPの曲はマスタリングまで自身で行っているんですか?

P:いえ、自分で行ったのはミックスダウンまでで、マスタリングはレーベルの方でエンジニアに送っていると思います。誰に頼んでいるのかは定かではないんですが、出来上がりを聴いてとても満足しています。

使用機材などがあれば詳しく教えて下さい。

P:基本的にPC1台で全ての工程を行っています。ソフトはFL Studio、それにRolandのオーディオインターフェイスと、MIDI鍵盤がAlesis Q49とKORGのnanoKey2、モニターはヘッドフォンで行っていてRoland RH-300を使用しています。ソフトシンセはFL Studio純正のものしか最近は使用していません。

また作曲の過程など教えて下さい、コンセプトが先にあって組み立てて行くんですか? もしくはインスピレーションに任せて作曲して行くのでしょうか?

P:とくに決まった形はない……、かなぁ? 自分の経済状況だったり、日本や世界で起きているニュースに触発されたり、SNSを見ながら思ったことを音にしたり、お気に入りのまだそんなに売れてないタレントのインスタとかツイッター動画からサンプリングしてループを作ったり……。その時々の身の回りの空気とか自分の気分が要素として大きいと思います。もともと僕はガラージやグライムが音楽の基盤になっているので、今回はどう逸脱しようかとか、どんな要素をプラスしようかっていう思考で音楽を作っています。だから、iPhoneで音楽を聴きながら外を歩いている時とかに、そういうこと考えていますね。それ以外の時間は絶対何かしら他の作業をしているので。

曲作りの時、好みのルーティン等はありますか?

P:ボーカルもしくはサンプリング・ボイス、主旋律となるループ、キック、パーカッション……という順番が多いですね。ボーカルがないときは主旋律とサンプリング・ボイスの有無、たまにキックのパターンから決めることもあります。サンプリングは先ほど触れたSNS動画の事ですね。最近、かなりの頻度でコレは使っています。iPhoneのマイクで録音された音声、周囲の音、ノイズ、これら全てが面白く使えることもあります。一番面白いのは、それがアップロードされた時にそれを即サンプリングして曲に使うこと。「いま」っていう、妙なリアル感が生まれる気がします。また、何がUPされるのか予想できない面白さもありますね(笑)。

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このEPに先駆けて配信された“Hansei feat. Duff & Dekishi”も素晴らしい曲ですが、こちらはどういった経緯で完成した曲なのでしょうか?

P:ありがとうございます。もともとMCのDuff君と「何か作ろうよ」って話になって、仮のビートを送ったんです。そうしたら、それに仮録りを被せて送ってきてくれて、少ししたら溺死君も参加してくれることになって出来上がりました。トラックはディープにしたかったので、仮トラックより大分変えてしまったのですが、結果的にふたりの声とのハマリ具合も良かったと思います。

タイトルの「ハンセイ」にはどのような意味が込められていますか?

P: 意味はそのままで、特にひねりも何もないです。この曲のインスト・ヴァージョンを最初のレーベルのコンピレーションに入れるという話になった時に、「反省」を英語、フランス語に翻訳する話もしたんだけど、「『ハンセイ』の響きも字面もとても良いよ」って言ってくれたので、そのまま日本語で行くことにしました。

Prettybwoy - Hansei feat. Duff & Dekishi



これからグライムやガラージはどうなって行くと思いますか? またどうあるべきだと思いますか?

P:そのふたつを分けるべきではないと思います。その方が音が面白くなると思う。ガラージの時からそうだったんですが、「コレもガラージでいいの?」っていう新発見が一番楽しいんです。その面白さを自分も続けて行きたいし、アグレッシブな部分は残して行きたいと思っています。クールにまとまりすぎないのも大事なのかなと。

グライムやガラージで影響を受けたアーティストを教えて下さい。

P:多すぎて挙げきれないので、今回はJスウィート(J-Sweet)を選びます。ガラージとグライムの両面から見て良かったです。

またそれ以外のジャンルから影響を受けたアーティストなどがいましたら教えて下さい。

P:いま80年代の坂本龍一の作品群はだいぶ聴いていますね。

日本のグライム・シーンも少しずつですが盛り上がってきていますね。それについてどう思いますか? またこれからどうなっていって欲しいですか?

P:そうですね。先日もボイラールームにダブル・クラッパーズやグライムMC勢もスケプタ(Skepta)と一緒に出演していました。シーンの存在を着実に外へアピールできていると思います。僕が以前、〈Big Dada〉の『Grime2.0』に参加したときに比べたら、考えられないくらい前に進んでいると思いますし、良いコミュニティ関係が築けていると感じていますよ。今月5月21日に新宿ドゥースラーで行われる「That's Not Me! 2」がそれをよく表していると思います。楽曲的にもMC的にも、10数年前にグライムが誕生した時のような荒削りでアグレッシブなエネルギーで満ちている気がするんです。これをうまく取りまとめ、リリースやパーティを開催できるような集合体/レーベルのような存在があったらいいな。グライムだけじゃなく、ベース・ミュージックを総合的に扱えるようなものです。正直、いまの僕にはそんなに時間的余裕がないので、アーティスト以外にそういう人材がいたら良いですね。

日本国内にはグライムのレーベルは少ししかありませんし、活動もまだまだこれからだと思います。海外のインディペンデント・レーベルに見習うべき部分等がありましたら教えて下さい。

P:海外といっても、僕がやり取りしているのはごく限られたレーベルしかないんです。でもそのなかで共通しているのは、レーベルが扱うジャンルがグライムだけじゃないという点。ダブステップだったり、ジューク、テクノ寄りのものだったり様々です。もちろん、グライム一本で真っ向勝負もいいとは思うんですが、もっと幅広い層にアピールできるような作品群があっても良いんじゃないかと思います。
 それと、向こうのレーベル・オーナーは、ライターとかを他でやっていたりする人がけっこう多いですよね。だから、基本的なプレゼンの仕方は心得ている。または、そういった形を熟知しているからこそ、プロモーションをあえてしなかったりするレーベルもあるんです。でもこういう音楽をやっているだけでは、金稼げないと思うので、どうやってプラスに持っていくかは難しいのが現状なんです。日本で同じようにやるのはかなり大変です。同じようなプロモーション方法でやっていても、気づいて貰えないですからね。

■Prettybwoy Schedule

5/13 金 
OUTLOOK FESTIVAL 2016 JAPAN LAUNCH PARTY @ UNIT + UNICE + SALOON

5/17 火 
Overflow EP 発売

5/21 土 
THAT'S NOT ME! 2 Prettybwoy “Overflow EP” release party @ 新宿ドゥースラー
Special Guest : MC ShaoDow (from UK/DiY Gang)

6/3 金 
MIDNITE∵NOON - KAMIXLO JAPAN TOUR 東京 @ Circus Tokyo



RP Boo - ele-king

 3年ぶりのセカンド・アルバム『Fingers, Bank Pads & Shoe Prints』を携えて、フットワークのオリジネーター、RP・ブーが今週末ふたたび来日する。前回は“これからくる音楽”だったジューク/フットワークも、いまや時代の音として揺るぎない影響力を持つにいたった。今回のアルバム、そしてツアーでは、どんな風景を見せてくれるのだろうか。

■RP Boo Japan Tour 2016

4.2 sat at Circus Osaka | SOMETHINN Vo.14
w/ EYヨ、行松陽介、D.J.Fulltono、etc

https://circus-osaka.com/events/somethinn-vo-14-rp-boo-japan-tour-2016/

4.3 sun at Circus Tokyo | BONDAID #8
w/ OMSB & Hi'Spec、食品まつり a.k.a foodman、D.J.Fulltono、etc

https://meltingbot.net/event/bondaid8-rp-boo

ダンスとアヴァンが交じる現代アフロ・インテリジェンスの雄、世界標準から異種交配を繰り返し未来へと向かうフットワークの神RP Boo再来日!

シカゴ・ゲットー発のダンス・ミュージック・カルチャー、ジューク / フットワークのオリジネーターとしてシーンで最も敬愛されるRP Booが3年ぶりにセカンド・アルバム『Fingers, Bank Pads & Shoe
Prints』を携え再来日。シカゴ・ハウスの伝説的なダンス・クルー〔House-O-Matics〕の洗礼を受けキャリアをスタート、再評価を受けるゲットー・ハウスの老舗〈Dace Mania〉から90年代後期にデビュー、初期作品を含め数々のクラシックスを残し、フットワークに共通する無秩序にシンコペートするリズム・パターンはRP Booの作品に起因すると言われ、ジューク / フットワークの歴史その物であり、古代から発掘されたフューチャー・クラシックスとも称されている。〈Planet Mu〉や〈Hyperdub〉を筆頭としたUKベース・ミュージックを経由し、同世代のベテランTraxmanや英雄となった故DJ Rashadのブレイクによって世界標準へと上り詰め、その後も若手の新鋭プロダクション・クルー〔Teklife〕やダンス・クルー〔The Era〕の世界的な活躍、昨年にはRP Booの秘蔵っ子である才女Jlinが新人では異例の英WIREマガジン年間ベスト第1位を獲得、フットワークは着実な進化をみせている。またその振れ幅も広がり、ここ最近ではヒップホップ界の若手最注目株Chance The Rapper、テクノ/電子音楽界ではMark FellやVladislav Delayといった他ジャンルや大御所も自らのプロダクションに取り入れ、US、UK、ヨーロッパ、そして日本の先鋭プロデューサーを刺激しながら、3連符を軸とした奇怪なグルーヴと同様にダンス・ミュージックの枠をはみだし、先鋭的な電子音楽やアヴァンギャルド・ミュージックとしても未知の領域に踏み込んでいる。大阪公演はEYヨを軸とした電子音楽/アヴァンギャルド、東京公演はOMSBを軸としたヒップホップ/ハウスといったフットワークの枠を飛び越えRP Booの多層的な黒いリズムとグルーヴをフィーチャー。

主催 : CIRCUS
PR : melting bot
制作 : BONDAID, SOMETHINN

【ツアー詳細】
https://meltingbot.net/event/rp-boo-japan-tour-2016

■バイオグラフィ
RP Boo [Planet Mu from Chicago]

本名ケヴィン・スペース。シカゴの西部で生まれ、80年代に南部へと移住し、 多くのジューク / フットワークのパイオニアと同じようにシカゴ・ハウス / ジュークの伝説的なダンス一派House -O-Maticsの洗礼を受け、〈Dance Mania〉から数多くのクラシックスを生み出したゲットー・ハウスのパイオニアDj Deeon、Dj MiltonからDjを、Dj Slugoからはプロデュースを学び、それまであったRolandのドラム・サウンドの全てにアクセス、またパンチインを可能にした、現在も使い続けるRoland R-70をメインの機材にしながらトラックを作り始め、1997年に作られた‘Baby Come On’はフットワークと呼ばれるスタイルを固めた最初のトラックであり、その後1999年に作られたゴジラのテーマをチョップしたゴジラ・トラックとして知られる‘11-47-99’はシーンのアンセムとなり、数多くのフットワークのトラックに共通する無秩序にシンコペートするリズム・パターンはRP Booのトラックに起因すると言われる。地元ではシーンの才女Jlinも所属するクルー〔D’Dynamic〕を主宰し、〈Planet Mu〉よりリリースのフットワーク・コンピレーション『Bangs & Works Vol.1』(2010)、『Bangs & Works Vol.2』(2011)に収録され、2013年にデビュー・アルバム『Legacy』、2015年にセカンド・フル『Fingers, Bank Pads & Shoe Prints』を同レーベルより発表。フットワークの肝である3連を基調とした簡素なドラム・マシーンのレイヤーとシンコペーションによる複雑かつ大胆なリズムワークに、コラージュにも近いアプローチでラップような自身のボイスとサンプリングを催眠的にすり込ませ、テクノにも似たドライでミニマルな唯一無二の驚異的なグルーヴを披露。古代から発掘されたフューチャー・クラシックスとも称され、先鋭的な電子音楽やアヴァンギャルドとしてもシーンを超えて崇められるフットワークの神的存在。

https://twitter.com/RP_BOO
https://soundcloud.com/rp_boo

interview with ASA-CHANG&巡礼 - ele-king


ASA-CHANG&巡礼
まほう

Pヴァイン

PopExperimental

Tower HMV Amazon

 古代インド神話におけるトリムルティ(三神一体論)に登場するシヴァ神は、破壊神でありながら、破壊後の創造をも担うという両義性を持つ。ヒンドゥー教の経典『リグ・ヴェーダ』では、シヴァは暴風雨神ルドラとして現れ、暴風雨による風水害を引き起こす一方で土地を肥沃に潤し、作物の恵みをもたらす。またルドラには人々の病を治癒する超能力があるという。

 破壊とその後の再生を担うという両義性。病を治癒する力。ルドラやシヴァのこうした特性は、ASA-CHANGという優れて特異な音楽家の創作態度とぴったり重なる。既成の様式を破壊するだけでなく、根底から創り直して再生させる――ASA-CHANG&巡礼のこれまでの軌跡は、文字通り破壊と再生の連続であった。ASA-CHANGが切り開いた“けものみち”に咲きみだれる、美しくも異形の花々は、いつしか世界中に散らばる同志たちにとってのひとつの道標となっている。

 2009年の5thアルバム『影の無いヒト』をピークとして、翌10年にこれまでの編成を一旦解体したASA-CHANG&巡礼から、7年ぶりの新作『まほう』が届いた。後関好宏と須原杏という二人の新メンバーを迎えて制作された初のオリジナル・アルバムとなる今作は、全曲歌モノで構成された、まさに初ものずくしの作品となった。とりわけその核となる“まほう”と“告白”の2曲は、かつてない方法論でつくられ、体験したことのない衝撃を聴き手にもたらす未知の音楽であると同時に、日本語のポップスが未踏の領域に足を踏み入れた瞬間の記録でもある。前者の歌詞は、『惡の華』(『別冊少年マガジン』09年10月創刊号~14年6月号連載、講談社コミックス全11巻刊)などで知られる漫画家の押見修造が、吃音に悩む少女を主人公にした学園物の短篇“志乃ちゃんは自分の名前が言えない”(太田出版WEB連載空間『ぽこぽこ』11年12月~12年10月連載、13年1月同題のコミックス全1巻刊)からサンプリングしたことばのぶつ切りと作中に登場する歌詞の引用がミックスされ、後者の歌詞は、今作のジャケットも手がけたアート・ディレクター/映像作家の勅使河原一雅のウェブサイトに上げられた赤裸々なプロフィールをそのまま引用した。「そんなのありか!?」と思わず叫びたくなる意表をついたアプローチだが、チョップされたことばと音が曼荼羅のように脳内を回り出す、ASA-CHANG&巡礼の専売特許というべきえもいわれぬ聴き心地がさらに深まって、なんと形容していいか分からない、まったく新しい感情が自分の中に芽生えるのを感じる。

 1969年にカナダのトロントで行われたマーシャル・マクルーハンとジョン・レノンの対話のなかで、マクルーハンは言う。「言葉というものは、どもりを整理した形態だ。人は喋るときに、文字通り音を切り刻んでいる。ところが、うたうとき人はどもらない。つまり、うたうという行為は、言語記号をひきのばして、長く調和のとれたさまざまなパターンと周波をつくり出すことなのだ」。

 一方、レノンは言う。「私にとって言葉とか歌は、理論的に震動がどうのこうのということを別にすれば、夢を語ろうとするようなものなのです」。そして、「どもることに関しての話はたしかにおっしゃるとおりですね――言いたいことって言えないものです。どんなふうに言っても、いいたいようにはけっして言えませんよ」と述懐した後、「音楽が新しいリズム、新しいパターンを採用する方向に向いつつあることをどう思う?」というマクルーハンの問いかけに対し、「完全な自由があるべきですね。とにかく、人間が何千年もかかえてきたパターンをいったん捨ててみることです」と言い切っている。

 「ビートルズの音楽はよい趣味になりつつある危険に瀕しているのかね?」とマクルーハンに問われたレノンは即答する。「その段階はもう通りすぎましたよ。もっと徹底的にむちうたれなくてはいけないのです」。ぼくには、ASA-CHANGとレノンが、47年間という時の隔たりを超えて、方法論こそ違えども、創造にかかわる問題意識を共有しているように思えてならない。マクルーハン曰く、「それが、中央集権化している現代の世界を白紙に戻す方法でもある」。

 押見、勅使河原の両氏は、ASA-CHANG&巡礼が14年に始動した、異なる分野の表現者とマンツーマンでセッションするライヴ・イヴェント「アウフヘーベン!」のvol.3とvol.2 にそれぞれ出演しているが、aufhebenというドイツ語には、廃棄する・否定するという意味と、保存する・高めるという二つの矛盾する意味がある。これはドイツの哲学者ヘーゲルが提唱した弁証法の基底となる概念であり、否定を発展の契機としてとらえる考え方である。テーゼ(命題)に対するアンチテーゼ(反対命題)として古きを否定する新しきものが現れるとき、矛盾するもの同士を高次の段階でジンテーゼ(統合)することにより新しい何かを生み出し、さらなる高みに到達しようという、このプロセスをアウフヘーベン(止揚)と呼ぶ。それはまさしく「ASA-CHANGという哲学」そのものだ。

 今作『まほう』は、否定の感情をぶつけあい傷つけあって、いたずらに混迷するばかりの世界に向けてASA-CHANG&巡礼という破壊神が投じた、止揚への大いなる一石であり、決して癒されることのない痛みに苦しむ人たちにおくる鎮魂歌集である。


■ASA-CHANG&巡礼
1997年、ASA-CHANGのソロユニットとして始動。国内で評価されるとともに各国のメディアにも取り上げられる。 また、ミュージックビデオにおけるコンテンポラリーダンサーとの共演が世界的な話題となり、09年に音楽×ダンス公演『JUNRAY DANCE CHANG』を世田谷パブリックシアターにて開催。 12年に後関好宏、須原杏をメンバーに迎え、国際的な舞台芸術祭「KYOTO EXPERIMENT 2012」への参加、アニメ『惡の華』のEDテーマ曲の提供など、多岐にわたり活動を展開している。 また、14年9月からライブシリーズ「アウフヘーベン!」を始動、世界的な舞踏家・室伏鴻や映像作家・勅使河原一雅、漫画家・押見修造といったジャンルを横断した作家とのコラボレーションを行う。2016年3月、6thアルバム「まほう」をP-VINEより発売。

音楽=サウンドだけだと思えませんでした。本当に管楽器が欲しかったら、そのメンバーに歌ってもらうなんてことはしないと思うんですよ(笑)。そのひとと作りたい、その滲み出るもの全部と関わりたいんですね。

新しい編成になって、いろんな意味で新しいスタートラインに立った──ご自身もそういう気持ちでレコーディングをされたのでしょうか?

ASA-CHANG(以下AC):そうですね。メンバーが変わりましたからね。で、ひとが変わったわけだから、音も変わりますね。

前の3人編成のときに、ASA-CHANG&巡礼の音楽は確立されていました。ぼくは活動が広がっていくにつれて、少しずつ理解できるようになったというか。最初は突然変異系の音楽だと受けとめていたんです。だけど、やっぱり“花”という曲がぼくも好きで、ずっと心に残っているんですよね。あの曲があるから、たとえ変わったとしても全然関係のないところへ行ってしまうことはないだろう、という気持ちはありますね。今回のアルバムを聴いても、作品から受ける感動の性質は変わらなかった。生と死の両方を感じさせ、なおかつ、ぎりぎりの果ての果てからそれでも先に行かなければいけないときに支えになってくれる音楽というか。新しいメンバーはどういう経緯で集まったのですか?

AC:前のメンバーとの形が解体して、それ以降、自分のソロとして続けると告知したんですけどね。そのちょっと前から舞台芸術というか、コンテンポラリー・ダンサーといっしょにやったり、世田谷パブリックシアターなんて大きな劇場から声をかけてもらったりとか。やっぱりソロでは活動できなかったので新メンバーを公募したりしていたのですが、なかなか見つからない……。それでようやく巡りあったメンバーが後関(好宏)さんと須原(杏)さんだったんですね。

後関さんは在日ファンクのメンバーですよね。

AC:そのときは在日ファンクのメンバーじゃなかったと思います。いまはそうですが……。ちょっと定かではないです。

管楽器ができるひとが欲しかったのですか?

AC:正直そういう見方でもなくて、音楽=サウンドだけだと思えませんでした。本当に管楽器が欲しかったら、そのメンバーに歌ってもらうなんてことはしないと思うんですよ(笑)。そのひとと作りたい、その滲み出るもの全部と関わりたいんですね。だからヴァイオリニストにヴァイオリンだけを望まないし、管楽器奏者から管楽器だけを望まない。その限られた人数のなかでつくっていこうと思うと、どうしても起こってくるんですけど。かといって、そのひとを深く知ろうとするわけでもないんですけど。

そのひとがピンとくるポイントってどこですか?

AC:んーわかんない。相性というか。感覚よりも明確な何かがあるでしょうけれども……、わからないですね。鍵穴みたいなものというか……。

音を出す前から、どんな感じかわかるのですか?

AC:音は関係なくなっちゃいますね。当然音はいいだろうと確信しているので。

後関(好宏) さんとの出会いはどんな感じでしたか?

AC:覚えてないです(笑)。メンバーになる前から知っていたので。ゴセッキーというアダ名がありまして。ゴセッキーとまさか巡礼をやるとは思いもしなかったですね。この東京の音楽業界の片隅に必ずいた人物なので。念頭にはなかったんですが、メンバーを探していたときにお願いしてみたというか。

須原(杏)さんは?

AC:ひとづてです。こういうことを話しても、ドラマ性がなくて面白くないんですよ(笑)。

「ワン、ツー、スリー、フォー」ってドラマーがバチをカンカン鳴らしてカウントするのも、なんだか恥ずかしいと思っていましたから。

きっとなにがしか引き合うものがあって、メンバーになっているわけですよね?

AC:そうですね。でも僕らは、バンド体質を持っていないというのは大きいですね。ベースがいてドラムがいてピアノがいないと成り立たない音楽だとは思わないので。バンドマンが持っているような考え方や、出会いのドラマチックさが、ある意味全然なんですよ。

それは前からそうなんですか?

AC:うん……。あんまりそういうのはないかもですね。あったらロック・バンドをやっていますって。スカ・バンドしかやってないですから。「ワン、ツー、スリー、フォー」ってドラマーがバチをカンカン鳴らしてカウントするのも、なんだか恥ずかしいと思っていましたから。自分の好き嫌いは相対的なもので、もっとかっこいいものが他にあったら、浮気症な男なんで、自分の音楽哲学みたいなものは変わってしまいますよね。だから、出会いかたはつまんないんですけど、いまは本当に大切なメンバーですね。

新編成になってからの第一歩を、どういう形で記したのですか?

AC:前の編成(ASA-CHANG、ギタリスト/プログラマーの浦山秀彦、タブラ奏者のU-zhaan) を2009年に解体しました。加入した時には、まさかお茶の間レベルにまで浸透するなるなんて想像もつかなかったU-zhaanという存在、彼と活動をともにしなくなってから、3年後ですか。京都で舞台芸術のイヴェント(「KYOTO EXPERIMENT 2012」) があって、それに出ることになったんですが、そのとき初めて新体制で動きました。

2010年から2012年の間は、朝倉さんがひとりでいろんなことをやっていたのですか?

AC:いや、何もやってないです。正直ちょっと面倒くさくなっちゃいました。

ある意味、一旦解散したような感覚があったのですか?

AC:辞めようとまでは思っていませんでした。でも、言い方が悪いですが、本当に面倒くさくなっちゃったんですよ。これはぼくのいけないところだと思うんですけど、(巡礼以外の)他のプロデュースや演奏に集中してしまうと、そこに鍵をかけて置いておけるんです。一旦そうすると、自分で何か始めるまでおいておけるんですね。そういうナマケモノの場所が自分にはあるので、数年間はほっぽっておいちゃいました。

ASA-CHANG&巡礼は、朝倉さんが他所に心がいっているときは、別に動かさなくてもいいわけですね?

AC:それがすごくナマケモノなところだと思います。

舞台芸術なんていうと、なんでみんなそんな同じような表現しかないのかな、というところに自分のアンチがあったので、たとえ野暮でも極彩色で明るいものにしようと。

「KYOTO EXPERIMENT 2012」に参加したときに、新メンバーとリハーサルで音を出してみて、そこでいっしょにやる音楽が見えてきた感じですか?

AC:舞台表現だから、相当な稽古量なんですよ。だからその音楽だけのリハーサルなんていうのは、本当に歯車の一個という感じで。台本に合わせた細かい打ち合わせを毎日やるわけです。ライヴバンドみたいに「やっちまえ!」という感覚は許されない。

演出家が指示を出して、それにミュージシャンも従うという。

AC:その演出家が自分なんですよ。だからいい意味で音だけに集中しなくて済んだので、音は他のふたりに預けておけた。それが自分にとって良い形のスタートを切れたのかもしれないですね。舞台芸術なんていうと、なんかアカデミックで、モノクロの光がわぁーっときて、なんでみんなそんな同じような表現しかないのかな、というところに自分のアンチがあったので、たとえ野暮でも極彩色で明るいものにしようと。なんでいつもこう暗黒舞踏みたいなのだろう、と。誰が決めたんですかね? 舞台芸術の常識っていうのはとても不思議だなと。

ぼくは観客として舞台や演劇に接するとき、なかなかその世界に素直に入れないタイプなんです。

AC:ぼくもそうです。ちょっとかゆくなっちゃうというか(笑)。正直、わざわざお金を出して観に行こうとは思わなかったんです。突然奇声を張り上げたりとか、ステージ脇から走ってきて止まってバタンと倒れたり(笑)。あのスタイルは誰が決めたんだと。それが(効果的に)作用するときがあったんだろうと思うんだけど、それを固定してやられても、ちょっと気持ち悪いですよね。でも、気持ち悪いと思っているひとだから切り開ける部分もあって。だとしたら、ずっと走っていてバタンと倒れるのが上手くなれば「最高」ってなるわけじゃないですか?

それってコントみたいですね。

AC:何かの思想だけで表現しているみたいなのがね……。しかしそういう界隈で巡礼の音楽はすごく評価されているんですよ。それで観に行って勉強するというか、通ってみたりして。ただ嫌い、って言うのもいやになっちゃって、好きなものもあるかもしれないぞと。でも、どうしても嫌いで。

そんなに急には変らないですよね(笑)。

AC:好きなカンパニーも少しは出来たんです。そのひとたちと手を組んで強烈にいろんなことをやっていったら、「KYOTO EXPERIMENT」の舞台の演出の話がきたんです。嬉しかったですね。

その試みは『JUNRAY DANCE CHANG』(※09年5月15日~17日、世田谷パブリックシアターで開催された音楽×ダンスの3DAYS公演。音楽・演奏:ASA-CHANG&巡礼/構成・総合演出:ASA-CHANG×菅尾なぎさ/振付・出演:熊谷和徳、菅尾なぎさ、斉藤美音子、康本雅子/出演:井手茂太、上田創、酒井幸菜、佐藤亮介、鈴木美奈子、須加めぐみ、中村達哉、中澤聖子、松之木天辺、メガネ、U-zhaan、ASA-CHANG、他)/空間美術:宇治野宗輝×ASA-CHANG)からはじまっているんですか?

AC:そうです。その前(06年3月29日~31日)にも、六本木の〈スーパー・デラックス〉で『アオイロ劇場』(※ASA-CHANG&巡礼とMV“つぎねぷと言ってみた”、“背中”、“カな”のミュージック・ヴィデオに出演したダンサーたちが舞台空間で競演する、JUNRAY DANCE CHANG名義の3DAYS公演)というのをやりました。そういう感じですね。

『アオイロ劇場』はどういうきっかけではじめたのですか?

AC:自分の作った“花”とか、“つぎねぷと言ってみた”を「公演で使っていいか?」という依頼が、いろんなダンス・カンパニーから――ヨーロッパやアメリカ、もちろん日本からもくるようになって。

それは思いがけない反響でしたか?

AC:思いがけないです。まさか身体表現のひとからそんなに愛されるとは思っていなかったですね。そういう反応があって、自分もそっちへ接近していったんです。

なぜ身体表現をするひとたちに好かれるのか。あるいは、なぜ彼らがASA-CHANG&巡礼に触発されるのか。その理由について、朝倉さん自身が接近していくにつれて何か見えてくるものはありましたか?

AC:「なぜ」かはわからないですね。ただみんな好きで使ってくれたみたいです。「なぜ」を問うたりしなかったです。既存の曲のように1番があって2番があって間奏があってエンディングに向かって盛り上がってダンっと終わる曲が踊りづらいんでしょうね。同じビートが続いて……それじゃ、クラブ・ミュージックで自然に反応するような動きしかできなくなっちゃうんですよ。パルス過ぎるんでしょうね。かといって、巡礼の“花”なんかクラブで結構かかっていた時期もありましたね。

エクスペリメンタルな音楽には、想像力を喚起して身体を動かしたくなる不思議な作用があって、そういう要素がASA-CHANG&巡礼には入っているような気がしますね。

AC:そうだと嬉しいのですけれど……。ぼくは例えば本を作ろうとすると、紙の原料になるコウゾやミツマタの木を伐採に行くようなことから始めるわけです。そこから作って紙をすいて、そのインクまで作るみたいなことをしないと、自分のなかではオリジナルだとは思えなくなってしまって。そうしないといけないと前世で誰かに言われてしまったんだと思うぐらいです。

家を作るんだったら、まず瓦を作りたいんです。そういうことをすることが音楽だと思ってしまっている。

そういう気持ちが高まってきたのはいつぐらいからですか?

AC:昔からです。スカパラのときもそうでした。どこにもないから作るという、収まりきらないようなモノをね。家を作るんだったら、まず瓦から作りたいんです。そういうことをすることが音楽だと思ってしまっている。例えば、DJはターンテーブルを作らないでしょう?

そうですね。ターンテーブルはすでに用意されている、という前提がありますね。

AC:それだと個人のスタイルが違うだけで、フォーマットは違わないじゃないですか? そこでフォーマットを変えることが音楽だと思っちゃったんですよ、ぼくは。ただそんなことをやっているとキツいんです。それは80年代に当時のファッションの最高にアツい現場にいて、20代でそういうことを感じてしまったことが影響しているのかもしれないですけどね。雑誌の「流行通信」などの撮影現場で、ものすごいモノを作り上げていて、ぼくはびっくりしたんです。そこで初めてクリエーターと呼ばれるひとたちに会うわけですよ。

朝倉さんはヘアメイクのお仕事をされていましたよね。その頃に出会って、とくに印象に残っているひとたちは?

AC:写真家の小暮徹さん。いまでも親交があります。伊島薫さんもそうです。素晴らしいひとたちと会い過ぎちゃって。自分は全然ダメで、ただ東北の田舎から出てきてカタカナ商売に憧れていただけの未成熟な少年で、ここで何かしなきゃ!と焦って、もがいていました。原宿のど真ん中で……入り込んだ美容集団が凄すぎたのは、ぼくにとってはとても大きいですね。そのなかで小泉今日子さんとも出会うわけですけど。だから、音楽にもその当時のクリエイティヴの熱気を求めますね。

あのころの……80年代の熱気って特別な感じがしますね。

AC:ただ、いまと空気が違うから、そのまますり合わせるのも無理なので、それをいまの自分とすり合わせて上手く作っていこうと思うんですけど。

創造性を触発されるクリエイターとセッションするという感覚は、朝倉さんのなかでずっと続いているんでしょうね。

AC:そうですね。ぼくはあまりにもそのひとたちと世代が違ったので、(相手が)デカすぎたんでしょうね。そういう風になりたい、大人になりたい、と常に思っています。「スタイリストって本当に洋服を選んでいるだけのか?」って思っちゃうくらいすごかったので。だから、音楽をやるために音楽だけに入り込むというのがまったくつまらなく思えたんですね。それよりも音楽を壊していくことが音楽を作ることに近い気がします。

スカパラも、初期の頃は魑魅魍魎が現れたというか、それまでの日本には存在しないニュータイプの楽団だった。でもスタイリッシュでカッコいい、まったく新しいグループとして世に出た記憶がありますね。

AC:とにかく人数が多くて、ライヴハウスのステージから常にひとりかふたりはみ出しているわけですから(笑)。

しかも当時はクリーンヘッド・ギムラという煽り役がステージの中心にいて、担当は“匂い”だという。そういうスペシャルなメンバーもいましたからね。

AC:それを作ろうと思ってああなったわけじゃないけど、いまでも使われている“東京スカパラダイスオーケストラ”というあのロゴをぼくが書くわけなんです。そういうデッサンみたいなものをぼくが(スカパラを構想したときに)書いているわけですよ。そういうことをイメージしちゃうと、それを実際にやりたくなって。でもそれは数年しかやれないわけですよ。じゃあ辞めて別のバンドに入ればいいわけですけど、ぼくの場合はそうじゃないんです。

スカパラのロゴが頭に浮かんで、そのデッサンを形にした後は、イメージが膨らんでくるのを楽しんでいる状態でしたか?

AC:ぜんぜん楽しくないですよ。焦りともがき。「これかっこよくない?! やろうよ!」って常に周りに勧誘してたと思います。やっぱり(実現するにはふさわしい)時があるんでしょうね。急速に集まり出すんです。それでデビューしていくわけですけど。

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みんなで、世間をかき回せればいいと思いました。何かを挑発してね。そういう気持ちはいまでも全然ありますね。


ASA-CHANG&巡礼
まほう

Pヴァイン

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80年代の終わりから90年代の頭にかけての東京の空気って、ぼくがこれまでに経験したなかでも、いまだにああいうザワザワした感じってなかったな、と思うんですよね。街中に新しいものが生まれる空気があって。

AC:それは、いまだとネット上のあるところには存在するのかもしれないけど。でも当時は街角とか、ある店に行くと(何かハプニング的な出会いがある)……っていう感じでしたからね。あの煩わしいくらいのひととの(距離感の)近さは、いまは作れないですよね。

街の空気はあの頃のようには戻らない、そこは決定的に変わっちゃったなと思いますね。いまは音楽と人間との関わり方が新たに問われている時代というか。

AC:そういう場所が好きだったら、そのままやっていたでしょうけど、そうじゃないんですよね。あと、音楽業界に慣れないんですよ。所属事務所も(スカパラを)どう扱っていいかわからない、でも人気があるぞ、と。だからスカパラの代表としてのぼくは、風当りが強かったですね。なのにメンバーはみんな暴れん坊だし……。

ぼくらからすると、突然ASA-CHANGが抜けちゃったっていう感じだったので困惑しました(93年3月、3rdアルバム『PIONEERS』発表後に脱退)。創始者がいなくなったんですから。スカパラも、メジャーデビューしてからは音楽業界の仕組みのなかに入って、既成のルールに則って動かなきゃいけないような感じになって、そこにハマらないメンバーは順次抜けていったようにも見えたし……。

AC:でも、脱退のことは20年ぐらい前にどこかの雑誌で聞かれても答えようとしなかったんですけど、「お茶の間にスカを」なんて言ったのはぼくですからね。そういうことをやりたかったんです。『夜のヒットスタジオ』に出たいとか。みんなで、世間をかき回せればいいと思いました。何かを挑発してね。そういう気持ちは(いまでも)全然ありますね。

静かに、すごく挑発していると思いますよ。

AC:前までの巡礼は、本当にひとの心の奥までムリヤリ触りに行っていたと思うんですよ。そういう挑発をやっていたと思うんですけど、今の作品は、そんな気持ちにはなれなかったんですよね。

『まほう』にはすごく痛みを感じるんですよね。完全には癒しきれない、ずっと引きずらざるを得ないその痛みにどう寄り添えるのか、懸命に取り組んでいる。そういう音楽にも聴こえましたね。

AC:嬉しいですね。

聴き終えたとき、自分のなかに新しい感情が芽生えたんですよね。“まほう”というタイトル曲とか、まさにそういう感じで。これは吃音の女の子を主人公にした押見修造さんという漫画家の「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」という作品に触発されて生まれたわけですよね。押見先生との出会いは、まず作品を読んで?

AC:いや。押見先生って講談社からコミックスを出してるくらい有名な方で、代表作の『惡の華』、それがアニメ化されるんですね(2013年4月よりTOKYO MXなどの独立局、BSアニマックスなどのアニメ専門局で放送)。そのとき、押見先生から直々に指名されて「エンディングに“花”を使わせてほしい」と。でもいろんな意味でリニューアルしないといけなくて。あれは古い作品ですもんね。

押見先生がすごいのは、吃音のハンデを理解してほしいという漫画じゃないってことなんですね。もっと上のレベルにいっている。さらにいうと、こういうひとが普通の社会にもあるでしょ、という描き方。

古い作品といっても、あれは真のクラシックだと思います。

AC:でも、巡礼の作品を指名してくれて。それで訊いてみたら、押見先生は巡礼のライヴにすごく来てくださっていたんですよ。初期のライヴから見てくれていて。しかも『惡の華』は巡礼からインスパイアされている部分もあると。それを聞いて本当に嬉しかったから、「ぼく、作り直します」て言って、もう一回全然違うひとの声をレコーディングして、その音声を切ってはめていくってことをやったんですけれども……。それが先生との出会いですね。それから、実は押見先生自身が吃音を持っていたと。(ご自身の経験を下敷きにして描いた)その作品に出会うんですけど、押見先生がすごいのは、吃音のハンデを理解してほしいという漫画じゃないってことなんですね。もっと上のレベルにいっている。さらにいうと、こういうひとが普通の社会にも存在するでしょ、という描き方。登場人物には、普通の基準からズレている子たちがたくさん出てくるけど、それも普通の子たちといっしょにいて。それがただの重い作品として終わらないんですよ。それが“志乃ちゃんは自分の名前が言えない”っていう作品なんですけど。この漫画の風通しのよさを音楽にできないかなと思いました。普通の日常が普通に終わっていく作品なんですが、だから風通しのよい曲にしちゃいました。

作詞のクレジットは押見先生と朝倉さんの共作になっていますが、それは漫画から朝倉さんがことばをちぎってはエディットしていくようなやり方ですか?

AC:押見先生のセリフなんですけど、それをある程度いじっちゃったので。使う言葉もぼくが決めちゃったので。

“花”とか“つぎねぷ”もそうですが、ASA-CHANG&巡礼の代表作に共通するコンストラクション/コンポジションを感じる作品ですね。

AC:普段はポップスで使わないリズムにはめていくというか。いまだに日本語はグルーヴしないと言われているけれども、日本語(の特性)に起因することが多いんですよね。流れていかないから。韓国語もそうですけど、サウンドがブツ切れなので、だからこそのかっこいい音楽ができるんじゃないの、と。そこにすがるようにね。それで今でも自問自答して作るんですけどね。気持ち悪いひとにとっては気持ち悪いと思いますけどね。

それこそ60年代から70年代にかけてフリージャズのムーヴメントがあったときに、詩人とジャズメンが共演して、ことばと音のセッションは当時盛んに行われていました。ことばと音をなんとかしたいという気持ちは、詩人や音楽家には同じようにあったけれど、いまは必ずしも即時性に拘らなくて、サンプラーが生まれて以降だから、わりといろんな要素を組み合わせることがやりやすくなっているのかもしれないですね。

AC:そうですね。昔はそういうのをやるにしても、いちいちアナログテープを切ったり貼ったりしてやっていたけれども。ターンテーブルを使ってコラージュしたりね。だけどそれもスタイルになっちゃったっていうのもあって。

どうしても、何事も生まれたときがいちばん面白くて、それをみんなで共有できるようになると、それが型になりますよね。

AC:巡礼はもうちょっと仲間を増やしたいですけどね(笑)。

仲間だと思えるひとたちは国内外にいますか?

AC:ヨーロッパのDJやアーティストはよく扱ってくれて、仲間というか、かけてくれる時点でありがたかったですね。

どういうかけ方をするんですか?

AC:普通にDJフォームですよね。日本語のブツ切れ感がエキゾチックに感じるのかもしれないんですけど。

ことばの使い方が最初から厳密な意味性に捕われていない。ぽっとことばが出てきて、それがつらつらっと想念のように続いていく。もしくは途切れて、また次に飛んでいくというか。

AC:日本にはレイ・ハラカミがいました。なんでこんなことができるんだろうって思うような美しさを、ハラカミくんは安いシーケンサーでやっていて惚れました。あとはコーネリアスでしょうか。小山田くん本人が言ってくれていますけど、彼の声の捉え方には巡礼の影響があると思います。

(コーネリアス・リミックスは)すごかったですね。すべての音の光沢がきれいで、嗚咽して聴きました。

ぼくもそれは『Point』以降のコーネリアス作品に感じますね。

AC:だから、音楽界ももうちょっと巡礼を汲み取ってもいいと思いますけど(笑)。コーネリアスに巡礼の影響があるのも、まさか?!っていう感じなんですかね。

でも、小山田くんとはフリッパーズ・ギター時代から交流があったりして、〈トラットリア〉から巡礼のデビュー・アルバムが出ますよね。あれが出たときは、コーネリアスは現在のようなスタイルではなかったですよね。

AC:コーネリアスのレコーディングに呼ばれたのは、まだ初期の頃でしたね。バンド編成で、まさに渋谷系直系の音でしたね。

初期のコーネリアスは、ポップスとしてオーソドックスなコンポジションだったけれど、どんどんそれ以降変わっていきますよね(※97年9月にコーネリアスの3rdアルバム『FANTASMA』が、翌98年にASA-CHANG&巡礼の1stアルバム『タブラマグマボンゴ』がリリースされた)。2000年代以降はエクスペリメンタルな、まさに巡礼的なフォームになっていった。

AC:あとSalyu × Salyuの声をチョップする感じとか。ただ、格好のつけ方は巡礼と違うので面白いんですよ。「これどうやってんの?」って訊いちゃうもん。そしたら、「……っていうか、巡礼のあれはどうやってるんですか?」みたいな会話になって(笑)。ある日「小山田くん、巡礼の新譜を出すんだけど関わってくれないか?」って依頼したら「OK」と。そしたら、ものすごく作業が早いんですよ。他の曲ができる前にコーネリアスのリミックスが出来上がっていて。ぼくらの他の曲のミックスダウンが終わってないのに、コーネリアスのやつだけドーンっと届いて(笑)。「これは超えらんないかも。頑張るしか……」みたいな。

元になる“告白”のトラックは、すでにできていたのですか?

AC:できていました。ただ“告白”と“まほう”の2曲は、不思議なんですけど、バンドっぽくライヴをやっていたらできちゃったんですよ。そのときにはリズム分割や声を切っていく作業もすでに終わっていて、あとは磨き上げるだけの状態でした。ここから仕上げるぞいうときに、コーネリアス・リミックスが届いたんですよ。すごかったですね。すべての音の光沢がきれいで、嗚咽して聴きました。

ASA-CHANG&巡礼 - 告白 (Official Music Video)

ぼくはこのアルバムの最後の曲というかたちで聴くことになったから、余計にそういう気持ちになりました。心が洗われるというか。小山田くんは一音一音をどう研ぎ澄ませるかという作業を延々と続けてきているから、音楽的な筋肉が鍛え上げられている。だけど、彼の場合は緻密な作業を軽やかにやってのける。そこがすごく好きですね。本当に美しい形でASA-CHANG&巡礼とコーネリアスが合流した。

AC:小山田くんの音の磨き方は素晴らしいけど、それを真似して磨いても敵わないんで。ぼくにはそんな研磨剤はないんです。粒子の荒い写真だってかっこいいですよね? だからああいう感じのザワザワした肌触りしかできなかったですね。そういう雑味というか、生活ノイズみたいなものも今回は普通にありますね。

口ずさめる事こそポップスの定義だというひとがいて、だから巡礼はポップスなんです、と。それを聞いて嬉しいような感じもしました。

たしかに流れるように聴けるアルバムじゃなくて、あちこち引っかかりながら聴いていく感じではあるんですけど、最後まで聴き通さずにはいられない。

AC:いちいちなんでこんな歌い方をしなきゃいけのっていう曲もありますもんね。前のインタヴューで「もっと歌えるひとにちゃんと歌ってもらえばいいじゃないですか?」って言われたみたいなことが(笑)。

資料のキャッチコピーに「全曲歌モノ&インスト曲なし!」と書いてあって、たしかにインスト曲ではないけれど、これを歌モノと言っていいのかと。

AC:たとえば「花が咲いたよ」と自分でそう言ってみて口ずさめたら、口ずさめる事こそポップスの定義だというひとがいて、だから巡礼はポップスなんです、と。それを聞いて嬉しいような感じもしました。そういうことで言えば、ぼくもまだポップスの領域にいるかなと。自分ではその領域にいてほしいんですけどね。

■極めてエクスペリメンタルな音楽なのに、ポップスの領域にちゃんと足を引っかけている。聴くひとを選ばず、リスナーの心にこれまで見たことがない足跡とか爪痕とか、何かを残そうとしている。普通はなかなか成立しづらい難しいことに挑戦しつづけてきた巡礼だからこそ果たせた、ネクスト・レヴェルの達成を感じます。“告白”の、ひとのプロフィールをチョップして歌詞にするなんて作り方も聞いた事がないですね。

AC:これは(原型を) ほとんどいじっていないプロフィールですね。

最初からいきなり主語も何もなしに「産まれた。」というフレーズからはじまるので、てっきりプロフィールをチョップしたのだと思っていました。

AC:固有名詞のところだけ濁して「工場」だけにしたりしますけど。勅使河原(一雅)さんの作家ネームのqubibiのサイトを見ればわかるんですけど、本当にいじっていないんです。場所を断定するようなところだけ消してるんです。勅使河原一雅っていう映像作家なんですけど。

あの草月流の勅使河原家の一族の方ですか?

AC:本人は違うって言っていますけどね。ぼくも絶対にそうだと思ったんですけど。もちろん本名なんですけどね。去年あたりからの定期的なコラボをしていくと気になるキーワードが現れてきたんですよ。学園ものというか、学校を舞台にしているところというか、青春感が漂うもので。押見先生の“志乃ちゃんは自分の名前が言えない”もモロにそうで、勅使河原さんの生い立ちというか、「登校拒否をしていた」というクダリとか、そういう合致も自然にうまれていて。それのリアルさは巡礼にとっては追い風でした。

自分は音楽家ですけど、自分の音楽なんて震災のなかではなんの効力もないとつくづく思い知らされました。

朝倉さん自身はどういう少年時代を過ごされたのですか?

AC:普通ですねぇ……。自宅とくっついているタイプの住宅地のなかの美容院の息子です。

じゃあ岡崎京子さんみたいな。

AC:あ! そうです。町の美容室の。でも町の美容室の娘と息子では、けっこう立場的な違いが大きいと思いますけど。父親は本当に髪結いの亭主でしたね。ダメ人間でした。赤い鉛筆を耳に挟んで、週末は競輪ばっかり行ってました。

競輪場に連れて行ってもらったりはしなかったのですか?

AC:なかったですね。酒に溺れるようなひとでほとんどいい印象がないです。

自分はこうはなるまいと思った?

AC:完全にそう……。自分の高校時代に父親が死ぬんですけど、完全に自分の進路が変わっちゃったんですよね。家業の美容室を継がなきゃいけなくなったわけです。正直、こんな片田舎の美容室なんて継いで「先生」とか言われて終わっちゃうのかなと思ったら、なんだかどうにも継げなくて。そういうときに美容雑誌をなんとなく見てたんです。そしたらバルセロナのガウディや詩人のランボーが白日夢のように登場するサントリーのTVCMの美術担当がヘアメイクのひとで「自分がやろうとしている仕事から派生したところに、こんな仕事があるのか!」と閃光が走ってね。で、継ぐという点から飛躍しないで嘘をつくように上京しました。

朝倉さんはどちらのご出身ですか?

AC:福島県のいわき市出身です。いまは震災でいろいろあるところです。

震災のときはかなり心配された……。

AC:そうですね……。でも心配のしようのないくらいの大変な出来事だったので。うちは半壊、というかヒビが大きく入れば行政では半壊認定になるんですけどね。その程度で収まって。知り合いを辿れば、津波で流されたひとはいっぱいいます。それ以降ほぼ毎年、地元いわき市で鎮魂の念仏踊りの行事に参加しているんです。自分は音楽家ですけど、自分の音楽なんて震災のなかではなんの効力もないとつくづく思い知らされました。だから例えばギターを抱えて応援しているシンガーソングライターに対して、やるなとは思わないですけど……ある種の違和感がね。巡礼の音楽なんてとくに機能しないし。それで、地元に伝わる念仏踊りを手伝うようになりました。御盆の行事なので、夏フェスのシーズンと重なるんですが、毎年稽古に通うようにしていますね。

それはパーカッショニストとして参加したということですか?

AC:違いますよ。「プロジェクトFUKIUSHIMAいわき」といって、DOMMUNEとも近い存在なんですけど、大友良英さんがやっているチームと暖簾分けするような形で活動してます。

震災があったのは、巡礼が活動を停止しているときですものね。

AC:そうでしたね。ただ不思議なのは、ばく自身、3月11日は大友さんのレコーディングをしていたんですよ。で、その前日までいわき市にいたんです。いわきでワークショップをしていて、大友さんのレコーディングのために常磐線に乗って戻ってきたんです。

■震災はどういうかたちで知ったのですか?

AC:いや、だから東京も揺れましたから。あの震災を大友良英とともに経験するわけですよ。ぼくは大友さんが毎年福島市でフェスティバルをやる日に、いわき市での弔いの郷土芸能が必ず重なるので、いわき市から数時間かかる大友さん達の福島市の行事には物理的に行けないわけですよ。毎年の行事の日程は変わらないですから。それと、福島は原発事故でとんでもない事態になっちゃったけれど、それをも知らないで津波で流されたまんまのひとが、いわき市にはたくさんいるんだと。この風習はね、レクイエム過ぎるほどのね……。

今回は「ひと」なんですよ。ひとに向けているし、なにげなく生活のそのへんに存在する音楽であってほしい。

死についてなにか言及したいというつもりも何もないのに、生きていたらこんなふうになったんです。ただ巡礼としての曲をつくっただけなんですけどね。いびつに見えるかもしれないけど、きわめて愛に満ちた音楽ではあると思ってるんですよ。

そのレクイエムの空気は、このアルバムに確実に確実に入っていますね。

AC:(“花-a last flower-”の歌詞の)「花が咲イタヨ」の「花」もそうかもしれません。でも、あれはちょっと神様っぽいというか……今回は「ひと」なんですよ。ひとに向けているし、なにげなく生活のそのへんに存在する音楽であってほしい。そういう思いが強いですね。

今作には“2月(まほうver.)”が入っていますね。オリジナルの作者、bloodthirsty butchersの吉村秀樹さんもすでに亡くなられていますし。

AC:死んでしまったとか、生きてないとか、そういうことが多く関わっている作品ですよね。ただ、やっぱり、死んじゃうんですよね……ひとは。だからといってこの作品が「死のまとめ」ということにはならなくて。死がいっぱいというだけではね。

結局受け入れるしかないというのか。震災にしてもいろんな理不尽に対する怒りはありつつ、しかし、受け入れないとどうしようもないことが多すぎる。死はその究極ですよね。

AC:悲しんでいる場合でもないというか。たしかに、受け入れるということでしょうね。受け入れなくてもいいけど、ただそうある。

(目の前の過酷な現実を)認めるというのはつらいことだけど……。

AC:死を語らないという死への触り方もあるのかもしれないですけど、死についてなにか言及したいというつもりも何もないのに、生きていたらこんなふうになったんです。ただ巡礼としての曲をつくっただけなんですけどね。だから、後付けではいろいろ言えるんですが。ただただ、出会ったり、死んだり、人間に普通に起こることが起こってくるんです。不思議なものです。いびつに見えるかもしれないけど、きわめて愛に満ちた音楽ではあると思ってるんですよ。

愛に満ちていると思いますよ。「受け入れる」という行為だって、愛をもってそうしなければ、できないですよね。とくに死は。

AC:あとは、ごまかすということですね。悲しみなんてごまかしちゃえばいいとも言えるんです。ことばって、終わっていくじゃないですか。僕はそういうときのことばが好きなんです。リズムというか。たとえば強めにものを言うときに「あ」とか「えっと」とか言う、これもひとつのリズムだし。なぜかわからないですけど、リズムのことや太鼓のことを考えていると、それを音符で書けるようになっちゃって。それがベーシックなんです。それをPCでチョップしていくんです。

それはすごいな……どうして音符に書けるようになったんですかね。

AC:ぜんぜん複雑な構成のものでも、即興的なものでもないんですけど。「お お おお おお しま お お」(“まほう”)……とか、こういうのも全部音符で書いているんですよ。

譜面化できるんだ! コードは付いていないんですよね?

AC:まだ付いていないですね。このリズム譜で言葉はチョップできるんです。僕はPCで作業をするのが下手なので、こういう譜面がないとイメージ通りにならないんですよ。ウチコミ担当のひとといっしょにつくっていくんですけど。

いっしょにつくる方というのはどなたですか?

AC:安宅(あたか)秀紀さんといいます。クレジットではエンジニア扱いになってますけど、メンバーみたいな人です。

いつから共同作業をされているんですか?

AC:えっと、以前に巡礼でプログラミングとかをやってくださっていた浦山秀彦さんが辞める前後からですね。

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最近ミャンマーのトラディショナル・ミュージックがおもしろくて。これまであまり紹介されてこなかったみたいなんですけど、ハマっちゃって。


ASA-CHANG&巡礼
まほう

Pヴァイン

PopExperimental

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今回はゲストがたくさん参加されていますけれども、どんなふうに決められたんですか? たとえば「おかぽん」さんはどういう経緯でのオファーになったんでしょう。

AC:おかぽんは普通の女の子なんですけど(笑)。あんまり自分の名前を出したくないということでそういう表記になってます。とてもこのアルバムに似合うような、声優っぽい声をした子で、それで「やってくんない?」って誘ったんです。匿名希望の一般人です(笑)。

朝倉さんがイメージされている声にぴったりだった、と?

AC:「お お 」(同前)とか言ってるのも全部彼女なんですけど、あの声が魅力的だなと思って。

“ビンロウと女の子”にもすごく合いますね。

AC:李香蘭とかじゃないんですけど、結果的にあんなふうになりましたね。ぜんぜん中国風のものではないものをつくろうとしていたんですけどね(笑)。アジアの中でも南国のほうの雰囲気で。

ビンロウ(※中国語で檳榔。ヤシ科の植物。種子は嗜好品として噛みタバコに似た使われ方をする南方の特産物)ですからね。  

AC:そうなんですよね。最近ミャンマーのトラディショナル・ミュージックがおもしろくて。これまであまり紹介されてこなかったみたいなんですけど、ハマっちゃって。すごくかわいいんですよ。コシが入っていなくてふわふわしていて、でもかっこよく聴こえて。それに影響されているかもしれませんね、この曲は。

どこで聴く機会があったのですか?

AC:民族系パーカッションみたいなことをやっていたりすると、コメントを書いてくれっていう依頼がきますから、それで知ったんです。まあ、“ビンロウと女の子”だってそれほどミャンマーっぽいわけではないんですけどね。ベトナムとかカンボジアとかって、映画とかの影響かもしれないですけど、ちょっとエロティックなイメージもあって。それに口の中を真っ赤にしてビンロウを噛んでいる男性がいっぱい登場しますよね。そんな不思議な感じにも影響されているかもしれません。

作詞の松沼文鳥さんはどういう方ですか?

AC:NHKの番組なんかに作品を提供していらっしゃる方なんですが、作詞家さんというわけではないんです。ただ、とても言葉がおもしろいので、けっこう前からいっしょにやらせていただいています。

松沼さんの言葉のどんなところに惹かれるのですか? 今作では“アオイロ賛歌”、“ビンロウと女の子”、“木琴の唄 –Xylophone-”と3曲の作詞に参加されていますよね。

AC:“アオイロ賛歌”は、2012年にお願いしました。戦前感というか、そんな雰囲気のものがおもしろくて。「壊れちゃった懐メロ」という感じの曲が巡礼には多いので、彼女の詞がおもしろくなっちゃったんですね。

スカパラ時代から知っている人にしてみれば何にも変わらないじゃんっていう感じだと思います。メインストリームからの外れ方も、昭和感も……そんなふうに言ってくれる人がいるのはとてもうれしいですよ。

壊れた懐メロ(笑)。そうですよね、昭和歌謡がブームになるずっと前──スカパラ時代からそういう和モノの影響は垣間見えましたよね。

AC:そう、あまりテイストは変わってないんですよ。

一貫していますよね。

AC:で、ヴォーカル・チョップ以外の曲がはじまると、「スカとマンボ」(=“スカンボ”  )なんて感じで壊して、ごちゃ混ぜミックスするようなことをやって楽しんでみちゃう。やっていることはわりといっしょなんですよね。“木琴の唄”の詞がすごく好きですね。

あ、これは『つぎねぷ』(02年)の収録曲“Xylophone”をつくり直したんですね。

AC:『つぎねぷ』にも入っていた曲ですね。こういう曲調にもかかわらず英語の詞だったんです。それを今度は和モノでやろうという。テイストは、スカパラ時代から知っている人にしてみれば何にも変わらないじゃんっていう感じだと思います。メインストリームからの外れ方も、昭和感も……そんなふうに言ってくれる人がいるのはとてもうれしいですよ。よくぞ、ずっと聴いてくださっているなあと。

撒かれた胞子が世界中にどんどん広がって、これからもたくさん、不思議なおもしろい花が咲いていくのでしょうね。ところで、“2月(まほうver.)”の間奏に“ハイサイおじさん”っぽいメロディが出てきますよね。あれはかなり意識されて入れられたものなんですか?

AC:意識したわけじゃないんですけど……。“2月”は、ほんとはダークな曲で。それで、なにか、茶化したい気持ちがあったんですね。bloodthirsty butchersの名曲中の名曲なんですけど(96年発表の4thアルバム『Kocorono』収録)、映画になっちゃうくらいの吉村(秀樹)くんの精神の暴れん坊が凄いというか、彼とは結構深く付き合っていた時期があったんです。それで、ななんだか茶化したかったというのが、なぜかあるんですよね。ブッチャーズ・ファンからは相当糾弾される曲なんじゃないかと思うけど。でも、似たヴァージョンをすごく前に出したことがあるんですけど、そのときは無反応でしたね(笑)。

どう受け止めていいかわからない?

AC:そう、わからないみたいです。フォロワー的なアーティストによるトリビュート・アルバムとかも出たんですけど(※14年1月、3月、5月にかけて『Yes, We Love butchers ~Tribute to bloodthirsty butchers~』という通しタイトルのもと、『Mumps』、『Abandoned Puppy』、『Night Walking』、『The Last Match』と計4作が〈日本クラウン〉からリリースされる。ASA-CHANG&巡礼による“2月”のカヴァーは『The Last Match』に収録)、いちばんいじっちゃいけないような曲なので……。

“花”を聴いたときに、同じタイトルを持つ喜納昌吉さんの曲(“花~すべての人の心に花を~”)  をどうしても思い浮かべてしまったんですけど、あれもいつのまにかスタンダード中のスタンダードになりましたよね。そういう「いつのまにか」感も似ているなと思いました。

AC:最初は言われましたね、やっぱり。「あの“花”やろ? 最高やなあ!」とかって。「人は流れて……ってやつやろ? よくぞあれをカヴァーしたねえ!」(笑)。もう面倒くさいから「ハイ」って言っとくしかないかなあって思ってました。

朝倉さんの“花”は、安直な解釈を受け付けない、ある種のカウンターとして現れたというところはあると思うんです。これからも、ぼくらの想像を超える残り方をしていくんじゃないかと思います。

エンディング曲だけは、お話をいただいたりはするんですけどね。でもサントラそのものはあまりお声が掛かんなかった。だから、やれることがとてもうれしくて。

椎名もたさんのお話も伺いたいのですが、昨年7月に20歳という若さで亡くなられたボカロPですよね。前からお付き合いがあったんですか? 

AC:亡くなるちょっと前にイヴェントでいっしょになったんですよ。対バンというかたちで。それで、30歳も離れているのに意気投合しちゃったんです。「今度いっしょに何かつくろうねー」って。でも、いつ死んじゃってもかまわないっていうような……ポーズではなくて、本当にまわりが危機感を感じるくらい、生への執着がないようなところがありましたね。(レイ)ハラカミくんが亡くなった後、関係者が彼のPCに残っていた未完の音源を発掘したりしてましたよね。あのとき僕はあんまりいい気持ちがしなかった。そんなの当然望んでないよって。でも、今回は何か大丈夫な気がして、実際に提案すると反対も起きなかった。レーベルからもご親族の方からも。それでつくっちゃいました。ボカロの人なんですけど、本人の声があるのでそれを使って。

生声で、というところに意味があるのでしょうか。

AC:彼は歌がボカロかどうかというところは執着があまりないみたいでね、できれば自分で歌いたいと思っていたみたいです。ちょうどそういう時期だったというか。

では、ある意味ではその願いが叶ったというか。

AC:そうですね、ちょっと未完成っぽく、リハスタで録ったみたいなラフな感じの音にしました。完成形にはしない──僕だけが完成形をリリースするということはしたくないなと。ほとんど言い訳ですが。

ASA-CHANG&巡礼が音楽を手がけた映画『合葬』(監督:小林達夫、原作:杉浦日向子/2015年9月公開)のED曲をリアレンジしたもの(“エンディング”)が、ラストの“告白(Cornelius ver.)のひとつ前に置かれていますが、丸ごとサントラを手掛けられたのは初めてですか? 

AC:初めてですね。エンディング曲だけは、お話をいただいたりはするんですけどね、“花”はそうです(01年、監督:須永秀明、原作:町田康の映画『けものがれ、俺らの猿と』主題歌に起用) 。でもサントラそのものはあまりお声が掛かんなかった。だから、やれることがとてもうれしくて。サントラが盤になりにくい時代に盤になったりとかもしているので、そのあたりもありがたいです。それで、このアルバムに使っているものは、この作品に合うようにつくり直したものです。

ANI(スチャダラパー)くんは前からASA-CHANG&巡礼の舞台公演やライヴにダンサーとして参加していたのですね?

AC:そうなんです。もう、声は出さなくてもいいよって。存在がつねに大好きです。職業「ANI」っていう……(笑)。彼はしゅんしゅんと敏捷には動けないんだけど、とても存在感があるダンスをしてくれるんです。フリースタイルというわけではなくて、ちゃんと振付があるんですが、それも覚えてくれてるし。舞台人としてとてもちゃんとしているんです。

演劇人であるかのように存在してますよね、この“ANIの「エンドレスダンス」体操”という作品の中に。。

AC:そうですね。宮沢章夫さんのところとかでもやっていると思うんですよ。あとは映画とか。……ちょい役のスーパースターみたいなところで。

そこを攫っていく。

AC:そうそう。「さっき出てたの誰!?」みたいな(笑)。そんな良さがあって。それで、幕間に「ANIの声だな」ってなったらおもしろいなと思ったんです。おもしろい、というか、景色が変わってくる気がして。

挑発するような、トゲのある音をやめてしまったし、風通しのいい音だけにしちゃったので、「巡礼は“花”の時代で終わったな」「巡礼・イズ・デッド」って言われるんじゃないかって。

そう、まさにそんな役割ですよね。今作『まほう』は、これまで以上にいろんな言葉がアルバムの中で跳ねたり、宙を舞ったり漂ったりして、それが音と絡み合っている様が、シアトリカルでもあり、すごく立体的に世界がひろがってくる感じがして、本当に独特ですよね。こういうのを何て表現したらいいんだろう。映像的だというのもちょっとちがうし……今回のアルバムは、結果的に全部歌ものになったという感じですか?  

AC:そうですね。(出来上がってから)「インストないや!」って、びっくりしちゃって。

ある意味ではインストありきのバンドであるかのように感じますけれども。

AC:ねぇ、あたらしく器楽奏者を2人も迎えといてね。「これちょっと歌って」っていうことばかりで、みんな我慢してて偉いなあって思います(笑)。

(笑)では、完成したときの手ごたえはいかがでしたか?

AC:こうやって取材をしてくださって、褒めていただいたりしてから、ちょっと勇気が出ましたけど、はじめはもうダメだと思ったんです。

それはどうしてですか?

AC:挑発するような、トゲのある音をやめてしまったし、風通しのいい音だけにしちゃったので、「巡礼は“花”の時代で終わったな」「巡礼・イズ・デッド」って言われるんじゃないかって。それを考えると、マスタリングをして完成しても通して聴けなかったりしました。失敗作をつくってしまったんじゃないかと……。巡礼の音楽には雛形がないから、擦れ合わせるような保険がないんですよね。

聴いたひとのリアクションを待たないとわからない。

AC:だから、ライターさんとか、こうやって取材で質問してくれるひとが褒めてくれるだけで、いまは僕は幸せです。

01年にセカンドの『花』が出た後に、ファーストとセカンドをカップリングしたイギリス盤が出ますよね(『Jun Ray Song Chang』02年/リーフ)。最近リイシューされましたけれども(『20th anniversary vinyl reissues』15年/リーフ)、僕はヴァイナルが欲しいなと思って、それを買っちゃいました。

AC:ほんとですか。あれカッコイイですよね。いったい何枚入ってるんだっていうボックス・セット(『Leaf 20 Vinyl Box Set』15年/リーフ)俺も買おう(笑)。 

(『花』の当時は)音楽評論としてはどう書いていいかわからなかったんじゃないですかね。あたりさわりのないかたちで触れられていたと思います。

『Jun Ray Song Chang』が最初に〈リーフ〉から出たとき、『WIRE』誌の2002年ベスト・アルバム第4位に選ばれましたよね。『MOJO』や『MUSIK』の年間ベストにも取り上げられたりして、ヨーロッパで大評判になったわけですけれども、そのときはどんなふうに感じられました?

AC:もう、褒められるのが好きなので、そりゃあうれしかったですよ。ざまーみろ日本て(笑)。

国内の反応は?

AC:まあ、ゲテモノ扱いですよね(笑)。「なんだかヤバい」──これはいまふうの言い方ですが、そんな雰囲気はありましたけども、音楽評論としてはどう書いていいかわからなかったんじゃないですかね。あたりさわりのないかたちで触れられていたと思います。ディスるならディスってくれ、とまではいはいわないんだけど……。

それが、意外なことに海外では評判だったと。

AC:はい。チリとかアルゼンチンとかからの反応もあって。あとはヨーロッパ。でも、不思議とアメリカからの反応はほとんどなかったですね。カレッジ・チャートとかにもかすりもせず。

そうなんですね。「ピッチフォーク」とかにも載らなかったんですか?

AC:どうだったかなぁ(※2003年1月8日付で『Jun Ray Song Chang』、同年3月23日付で『つぎねぷ』のレヴューが掲載されている。前者は8.0、後者は7.0と評価された)。でも、トーキング・ヘッズの──

あ、デヴィッド・バーンが?

AC:そう、彼と周辺のひとたちが追っかけてくれたりはしました。ものすごく褒めてくれたのは覚えていますね。本当にうれしかったですよ。フランスだと、日本で言えばマツキヨみたいな、どこにでもあるドラッグストアのCM音楽になってました。

フランスに親和性があるというのは、なぜかわかる気がしますね。アヴァンギャルドとポップが入り混じることに対する許容度が高い。しかし〈リーフ〉から出たASA-CHANG&巡礼のイギリス盤は、レーベル始まって以来の売り上げだったそうですね。

AC:ススム・ヨコタとか、巡礼とかっていうイメージはありますよね、〈リーフ〉は。

ススム・ヨコタさんの『Sakura』とかも〈リーフ〉なんですね。今回の作品は海外リリースの予定はあるんですか?

AC:それは、お話があればぜひ。でも、どういうかたちで出そうかというのは迷うところですよね。

CDの前にライヴで曲をつくるなんてことは考えられなかった。でもいまはなぜかアルバムの前にライヴでを新曲をやっているんですね。

朝倉さんは、「かつては楽曲を再現することに苦労していたけれど、いまはライヴ先行なんだ」と発言されていましたけれど、それはいつごろから意識の変化が起きたのですか?

AC:“まほう”とか“告白”とか、僕らにとって大きな意味のある曲は、まずCDでどーんと発表して、まさかライブで演奏なんかできるのか、という感じだったんです。それをあとから演奏可能にしていくというね。CDの前にライヴで曲をつくるなんてことは考えられなかった。でもいまはなぜかアルバムの前にライヴでを新曲をやっているんですね。人とコラボする「アウフヘーベン!」っていうライヴ・シリーズがあって(※「vol.1 室伏鴻(振付家/舞踏家)」14年9月23日@青山CAY、「vol.2 勅使河原一雅(アート・ディレクター/映像作家)」14年12月6日@青山CAY、「vol.3 押見修造(漫画家)」15年3月10日@渋谷WWW)  

ここまで越境的な異種格闘をしているのは、他に七尾旅人くんぐらいしか思い浮かびません。旅人くんとは時々共演されていますね。表現の可能性を探る実験としてものすごくアヴァンギャルドなのにポップな表現として成立するところが、朝倉さんと旅人くんの共通点であり、稀有なところだと思います。新編成になる前(10年4月)に事務所をプリコグに移籍されていますね。そのへんも何か影響があったのでしょうか。

AC:そうですね。ミュージシャンをマネジメントするのではないひとたちのほうが、僕らとうまくタッグが組めるのかなと思いました。演劇というか、パフォーミング・アーツのチームですけどね。

J-POPにも現行の東京インディー・シーンにも属さないASA-CHANG&巡礼の居所としては、いちばんしっくりきているような気がしますね。今後どういう活動をしていきたいというふうに思っておられますか?  

AC:活動がここまで本当にとびとびだったので、巡礼をもうちょっとうまく機能させていくっていうことが、僕の力だと──僕のやるべきことだと思っていますね。

interview with agraph - ele-king

 遠くから眺めると光ばかりの美しい夜の都市は、寄ればそれがさまざまな要素の過密な集合であることを露呈する。同じように、大雑把な環境で聴けば抒情的なエレクトロニカだと思われるagraphの音楽は、微視的に検分すれば、音響的な配慮をきわめてコンセプチュアルに凝らされた、細密な情報の塊であることが見えてくる。

 寄っても寄っても細部がある。それは世界の構造を模写するようでもあり、あるいは音のオープンワールドともたとえられるかもしれない。その意味で、agraphは彼自身がそう述べるように「表現者」ではない。つくる人、だ。

E王
agraph
the shader

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 だから、彼が彼自身を「作曲家」と呼ぶのはとてもしっくりくるように思う。エゴを発信するのではなく、世界の構造をつくることを自らの仕事だとする認識。さらには、これはagraphの憧れと矜持とをともに表す肩書きでもあるだろう。作曲家とは、スティーヴ・ライヒなりリュック・フェラーリなり、彼が思いを寄せる先人たちに付せられた呼び方でもあるから。

 しかし、そうした偉大な名前や以下語られる愛すべき小難しさにもかかわらず、agraphの音楽は本当に開かれていてポピュラリティがある。この『the shader』は、たとえばフィリップ・グラスの『フォトグラファー』が多くのひとに聴かれたというように、ジャンル意識や予備知識にわずらわされない地点で、ミニマル・ミュージックを更新する。

 ポップなものが偉いと言うわけではない。しかし、たとえば“inversion/91”が、そうした彼の中の両極端な嗜好や音楽性をとても高い水準で結びあわせていることに感動せざるをえない。わかりやすいのではなく、普遍性がある。自由でありながら、聴かれるということを考えぬいている。自分の神に正直でありながら、ひとが見えている。「ミュ~コミ+プラス」とインディ・ミュージック誌とにまたがって新譜を語る。そんな若いひと、じっさい他にいるだろうか。

 オーディオセットの前で腕組みをして聴けばそれに応えてくれ、雑踏や車中に聴けば、何気なく置かれたバケツさえ、本作の持つ「構造」の上に配置されたものであるかのように感じられる。これを書き終えたら田舎の母親に商品リンクをメールしてあげようと思っている。彼女はきっと「なんやわからんけど、いいわ~」と言ってくれるにちがいない。「なんやわからんけど」が時代を進め、「いいわ~」が時代をなぐさめるだろう。それはオーヴァーグラウンドでもアンダーグラウンドでも変わらない。筆者にとっても本作は2016年のベストだ。

agraph / アグラフ
牛尾憲輔によるソロ・ユニット。2003年、石野卓球との出会いから、電気グルーヴ、石野卓球、DISCO TWINS(DJ TASAKA+KAGAMI)などの制作、ライブでのサポートでキャリアを積む。ソロアーティストとして、2007年に石野卓球のレーベル〈PLATIK〉よりリリースしたコンビレーション・アルバム『GATHERING TRAXX VOL.1』にkensuke ushio名義で参加。
2008年にソロユニット「agraph」としてデビュー・アルバム『a day, phases』をリリース。WIREのサードエリアステージに07年から10年まで4年連続でライヴ出演を果たした他、2010年10月にはアンダーワールドのフロントアクトを務めた。2010年にはセカンド・アルバム『equal』をリリース。2016年2月、サード・アルバム『the shader』が発表される。

agraphさんのインタヴューってけっこうたくさんネットで読めるんです。なので、基本的なバイオの部分をざっとまとめさせてくださいね。
 まず、石野卓球さんにご自身のデモ──イタロ・ディスコを聴いてもらうところからはじまるんですよね。そこでかなり辛い反応をもらって、もっと自分に素直に音をつくらなければと反省・奮起なさる。そしていまの音楽性というか、agraphの始点ともなる“Colours”(コンピ盤『GATHERING TRAXX VOL.1』にkensuke ushio名義で収録)が生まれる。

agraph:はい。

そして、その「素直」につくった音楽がやがてファースト『a day, phases』(2008年)になり、そこからダンス要素なんかも引いていって、さらに正直に自分の音を追求していく先に、セカンド『equal』(2010年)が形を結んでいく、と。

agraph:はい。

その追求の過程にはレイ・ハラカミさんであったり、カールステン・ニコライだったり、あるいはエイフェックス・ツインであったり、そういったアーティストへの素朴な憧憬も溶け込んでいるでしょうし、ジョン・ケージからスティーヴ・ライヒ、あるいはマルセル・デュシャンといった人たちの思考なり実験なりの跡が、まさに「graph」として示されている……。

agraph:いやあ、「はい」しか言えないですね。

すみません、強引に物語みたいにしちゃって。そこまではいろんな記事に共通する部分なんですよね。なので、「はい」と言っていただければひとまず次に進めます(笑)。

agraph:はい。すべて私がやりました(笑)。

僕がこれまで影響を受けてきた要素を俯瞰的に配置することが、今回の作品をつくっていておもしろかったことです。

ありがとうございます(笑)。では今作はというところですが、すごく部分的な印象かもしれないですけど、冒頭の“reference frame”の声のパートだったり、ラストの“inversion/91”のマレットを使う感じとかライヒっぽいんですけど──

agraph:ああ、マレットを使おうとすると、どうしてもああいうフレーズが出てきてしまうというか。ライヒの印象が骨身に沁みているんですよね。他の曲でも使っている「フェイジング」っていう技法なんかもそうで。

なるほど、でも今回念頭にあったのはリュック・フェラーリなんだそうですね。

agraph:リュック・フェラーリのほうが大きいですね。ケージであったりライヒであったり、僕がこれまで影響を受けてきた要素を俯瞰的に配置することが、今回の作品をつくっていておもしろかったことです。その配置の仕方とか俯瞰的に見るという行為自体がフェラーリの影響ということになるかもしれない。

“プレスク・リヤン”だと。

agraph:そうですね。ひとつひとつのメロディとか、あるいは細かいアレンジを追っていくと、それぞれライヒだったりいろいろな影響があると思うんですけど、それはもう一要素に過ぎないというか。

たしかに、そういう部分もあるというだけですよね。なるほど、ご自身の影響源を意識的に編集してるわけですね。

agraph:そうですね。それからサーストン・ムーアがやった“4分33秒”。あれは音が鳴っている“4分33秒”なんですね。演奏を4分33秒分切り取っているというだけ。つまり、4分33秒っていう枠の中で何かが起きていればいいっていうところまで音楽を俯瞰的に見ているんですよ。そういうことにすごく共感したということもあります。ミュージック・コンクレートみたいなものって、とても現代音楽的なアプローチなんだけど、その構造自体がおもしろいというか。3曲め(“greyscale”)なんて、ラジオ・エディットをつくったりするようなキャッチーなフレーズの出てくる曲ではあるんだけど、それもじつは、そんなフレーズなりメロディがあって、後ろには不穏なテクスチャーが鳴っていて……というパースペクティヴがおもしろいのであって。
 そうやって構造をつくると、世界観が立ち上がると思うんですね。……世界観というか、雰囲気というくらいの曖昧なものですけれども、そのかたちをつくりたかったんです。

なんというか、前作の『equal』について、「イコール」っていうのはバランスなんだというようなことをおっしゃっていましたよね。世界を構成している情報量はものすごいわけだから、人間にはその全部は処理しきれないと。全部受け取ったらパンクしちゃう。でも、どうやったらパンクしないで適度に世界を感知できるのかっていう、その適度さを探るための調節弁がイコールなんだ──強引にまとめると、そういうようなことを説明されていたと思います。

agraph:そうですね。

で、そうやって世界の情報量を適度に調節することが『equal』の取り組みだったとすれば、いまのお話をうかがう限り、今作はその構造自体を……

agraph:うん、構造自体を把握すること。『equal』について思っていたことはその通りなんだけど、いま言われたような言葉で考えたことがなかったので、なるほどなあって感じですね。今回のアルバムはすごく長い時間をかけた結果、ものすごく細かいことをやれていて、『equal』に比べてずっと情報量も多いと思うんです。メロディを追いきれないし、リズムのパターンに乗りきれないし、コードのプログレッションを把握しきれないと思う。で、そこまで突き放すと、音楽を俯瞰的に見れるんですよね。主観的に歌おうとか踊ろうとか思わないから。そして、そんなふうに前のめりに聴けなくなったときに、構造が見えてくる。そこに世界観が立ち昇る。……と、思うんですよね。今回の制作にあたっては、本当によくリュック・フェラーリを聴いていた時期があったんです。そのときは、意識があるんだかないんだか、寝てるんだか起きてるんだかが曖昧で、ぼやっと視界を把握していたような、すごく説明しづらいリリカルな状況が生まれてきたりしましたね。

inversion/91”……あの曲ができたときに、このアルバムのことがわかった。

agraph:それからもう一点。“inversion/91”っていう曲は、アントニー・ゴームリーっていう彫刻家のつくった「インマーション(IMMERSION)」っていう作品をオマージュしてるんです。日本語では「浸礼」ってタイトルで呼ばれてたりします。コンクリートの塊なんですけど、中に人型の空洞があるんですよ。それで、「浸礼」っていうのはキリスト教の儀式のひとつなので宗教的な意味がある作品なんだとは思うんですが、僕がその作品を見たときに感じたのはもっとちがうことなんですね。その……彫刻って、彫り上げたり作り上げたりするものじゃないですか。たとえば人型であるならば木から削り出したり粘土で練り上げたりする。でもこの作品は、空間をコンクリートで埋めることで空間を削りとる作品なんだなと思ったんですよ。ということは、これは彫り上げ作り上げるという意味での彫刻の概念に、マイナス1を掛けたものだなって。反転してるんですよね。

あ、「反転(inversion)」ってそういうことですか! うまい。

agraph:そうです。でも同時に、これは彫刻の概念そのものだとも思った。彫刻って何? と問われたときの答え。辞書にこのまま載っていいものだって感じたんです。背理法で考えると、これの反対が彫刻になるっていうことだから。

なるほど、それで「マイナス1を掛ける」っておっしゃったわけですか。

agarph:そう、絶対値は一緒なんだけど反対側に行っている。だから、逆に、向こうに彫り上げているものが鮮明に見える──というのはただの僕の解釈なので、そんなこと作者はもとより、誰も思ってはいないかもしれないですけども。
 で、今回は、音楽に含まれる構造を意識させるっていうことに、最後の曲で行きつけたので、そういうアルバムなのかなと思いました。

おお、ラストの曲で「反転」ってタイトルを見ちゃうと、つい短絡的に「これまでやってきたことをひっくり返す」みたいな意味かなって想像するんですけど、ひっくり返すんじゃなくて反対側に出っ張るみたいなニュアンスなんですね。

agraph:そう、反対側に出ることで、いままでやってきたことがよく見えるってことです。なんか、狙ったというよりは行きついたという感じで。アルバムのタイトル『the shader』のベースには文学的なコンセプトがあるんですけど、それは同心円状に影響が広がっていくというようなものなんですね。で、その円のエッジの部分に“inversion/91”があったんです。そこまで行きついた……だからあの曲ができたときに、このアルバムのことがわかった。

僕は「表現する」っていう言葉がすごく嫌いで。インタヴューとかで思わず「表現する」って言っちゃって、「つくる」って言い直すんですけど(笑)。

「同心円状に広がる」というのは、さっきおっしゃっていた、(世界の)構造部分を築くことによって上に表れてくる影響、みたいなことですか。

agraph:そうです。構造っていうのは、いちばんマスな話なのでもちろん大事なんですが、『the shader』っていうタイトルについて、いちばん最初にその言葉の器に入れる水としてあったものは、もうちょっと感覚的なんです。散歩しているときのことだったんですが、ちょうど陽が昇ってきて、そのとき、木についてる葉っぱの、葉脈が透けて見えたんですよ。で、葉が光を隠すことによって、光がそこにあることを理解できるなって思った。「影なすもの」によって光は感知される。それで「影なすもの=the shader」というタイトルにしたんです。同心円状に広がっていく上に、影を成すなにかがあって、それによって構造がわかるという、そういうコンセプトで。まあ、それは文学的な意味においてのことなので、わざわざ言うものでもないんですけど。

なんか、コウモリって目が見えなくて、超音波をぶつけて、その反響というか跳ね返りでモノがそこにあることを感知するっていいますけれども、agraphさんが物事を理解するやり方自体が、ちょっとそういう独特の傾向をもっておられるみたいに感じますね。今作のコンセプト云々にかかわらず。

agraph:単純に、僕には物理趣味があって。詳しくはないんですけど、そういう本を読むのが好きなんです。統一場理論とか相対性理論とか。そうした世界のありかたみたいなものを読んでいると、ちょっと神秘主義すぎるかもしれないけれど、翻って音楽の場合はどうなのかなって、観測者の立場みたいなものに立って考えてしまう。そうすると、いまソナーに喩えてくださいましたけど、自分は少し引いて、俯瞰したところから物事をつくっていきたいんだろうなって思います。

agraphさんの音楽は、表面的な音の上ではベッドルーム・ポップに近接するものとして考えることができると思うんですけど、でもベッドルームって、ある意味では自意識の延長みたいな場所じゃないですか。あるいはロックのような音楽も自分の内側からじかにつかみにいくものだったりしますよね。agraphさんはそういうエゴというか、直接的に世界をつかみにいくみたいなことはぜんぜんないわけですか。

agraph:僕は「表現する」っていう言葉がすごく嫌いで。それ、あんまりよくわかんないんですよ。なぜ嫌いかっていうこともよくわかんないんですけど。だから、よくインタヴューとかでも思わず「表現する」って言っちゃって、「つくる」って言い直すんですけど(笑)。

ああ、なるほど!

agraph:自意識みたいなものを自分で言ったり、「俺はこうなんだ」っていう意識をすることがすごくイヤで。それは思い返せば自分のアート趣味に根ざしていると思うんですけどね。個人的にはまずデュシャンがあって、ジョセフ・コスースがあって、90年代のターナー賞作家たちがある。つまり僕はネオ・コンセプチュアリズムのアーティストが好きなんです。たとえば日本なら2011年以降に顕著だと思うんだけど、リレーション・アートみたいなものが主流にあるじゃないですか。アートにはサジェストがあるべきものだし、90年代以降は、そのサジェストの方向が人間だったり社会だったりに行くものが多く目について。僕、そういうものにまったく興味がないんですよ。コスースとかって、ひとつひとつの物体に対して、その先にあるアイコンを目指していくっていうか、イデアを目指していくじゃないですか。そういうふうに概念自体を語り上げることに興味がある。人間には惹かれないんです。

ははは! たしかに「表現する」っていうと木から像を彫り上げていくみたいな方向のニュアンスですよね。

サンプリングとコンクレートって、誤用があるんですけど、まったくちがうものなんですよね。絵画と写真くらいちがう。

ところで、agraphさんはあまりサンプリング・ミュージックというか、ヒップホップ的な方法にはならないですよね? “プレスク・リヤン”というお話も出ましたが、テープ・ミュージックのようなものがイメージされていて。

agraph:意識しているわけじゃないんですが、そんなにサンプリングはやらないんですよ。サンプリングっていう手法を取りはじめたこと自体が最近で。

前作の中の“a ray”とかはビル・エヴァンスをサンプリングされてますけども、なんというか、ヒップホップのサンプリングとはちょっと発想がちがうような感じがするというか。

agraph:サンプリングとコンクレートって、誤用があるんですけど、まったくちがうものなんですよね。絵画と写真くらいちがう。それで僕の場合、コンクレートでありたいという気持ちが少しあるんです。いわゆるカットアップの手法とかは自分の中にあまりない。……職業柄、たとえば電気グルーヴの仕事をするときに、サンプリングをしたりということはあるので、技術としては知っているんですけど、僕のルーツになくて。

あはは。

agraph:日本でコンクレートをちゃんとやったり、論じていらっしゃる方として、大友良英さんとか鈴木治行さんがいらっしゃいますよね。僕の通っていた大学には鈴木さんがいらっしゃったんですよ。僕は指導を担当いただいたわけではないんですけど、尊敬も影響もあって、コンクレートについては調べたりもしたんですね。そんなこともあって、音を録る、録音して使うっていうっていうほうに意識が向かなかったんです。

そうなんですね。加えて、ビートへの意識なんかもそれほど強くはないというか。どちらかというと音響に関心が向かれるという感じなんでしょうか。

agraph:そうですね。ビートっぽいもの、「ステップ」のつくもの、あるいはグライムだったりとか……そういうものはまったく通ってないんですよね。マネージャーさんによく「お前は黒さが足りない」って言われるんですけど(笑)。

黒さ信仰はありますよね。コンプレックスというか。でもagraphさんは自由でいらっしゃる(笑)。

agraph:いやいや、僕はコンプレックスだらけですよ。だからこうやって難しげなことを言って虚勢を張ってるんですよ(笑)!

いつかもっと何も気にしなくなったときに、きっと「ピー」とか「ガー」とかやっちゃうんだとも思うんです。それをやるために必要な経験はものすごく大きいはず。

でも、「難しげ」とはいいつつ、agraphさんが目指されているのは一種の快楽性でもあると。他のインタヴューでも読んだんですけどね。それはやっぱり、ミュージシャンとしての目標というか。

agraph:そうですね、ミュージシャンというか、ポピュラー作曲家としての矜持なのかなあと。

「ポピュラー作曲家」という意識がおありになる?

agraph:あるんですよね。象牙の塔にいるわけじゃないですし。音大閥どころか、ちゃんとした音楽教育を受けているわけでもなくて、憧れているだけなんですよ。いま普通のひとが小難しい現代音楽といって思い浮かべるのは、滅茶苦茶やってるようにみえる曲だと思いますけど、そういうものも書けないし、数学を使ったようなもの、みたいなものも書けないし。自分のできることの範囲でそういうものへの憧れを取り入れて、つくりあげていくというだけなんです。

よりポピュラリティのあるものを積極的に目指されたいということではなく? 「ポピュラー作曲家」みたいなかたちを意識されるのはなぜなんですかね?

agraph:なぜなんでしょうね。僕はこの5年間、agraphとして音楽をつくっていたので、agraph以外ほとんど何もやっていなかったんですよ。つまりポピュラリティのあることをやらせていただいてたというか。電気グルーヴでもやらせていただいたり、アニメの劇伴だったり、LAMA(中村弘二、フルカワミキ、田渕ひさ子とのバンド)だったりとか。だから、その揺り戻しでもっとマニアックなことをやっていてもおかしくないはずなんですけどね。

なんでしょう、原体験みたいなものと関係があるとか?

agraph:ああ、TMNETWORKとか。それもそうかもしれないですけどね。

だって、憧れているものと、目指されているものが、すごいちがってるじゃないですか(笑)。ある面では。

agraph:いやあ、でも、僕が「ピー」とか「ガー」とかってノイズだけ出していたら、こんなふうに取材に来てくれないじゃないですか(笑)。それに、「ピー」「ガー」っていうのは、自分だけでできることなんですよ。だけど、それを一人でやるには自分にはまだ深みがないというか。いまは、より難しい音楽を追求するのと、もっとポピュラリティを持ったものの間にいて、遊んでいたいという感じなんです。僕が今回のアルバムでやったようなことって、一生はやれないと思うんですよ。
 でも、いつかもっと何も気にしなくなったときに、きっと「ピー」とか「ガー」とかやっちゃうんだとも思うんです。それをやるために必要な経験はものすごく大きいはず。表面的には、やろうと思えばすぐにやれちゃうことなんですね、それって。でもちがいを出すのはとても難しいんです。そのためにいまは人のできないことをやったりしたい。

いまは、ポップ・ミュージックという形態を通して他者に出会う、みたいなことでしょうか。しかして、ひとりでやれる「ピー」「ガー」に向かう……。

agraph:そうかもしれないですね。そういう音は、いまは昔よりずっとつくりやすくなっているはずなんですけどね。でも最初からそうしていたら……もしagraphをやっていなかったら、僕は電気グルーヴの裏方ではあったかもしれないけど、ステージでやることはなかったかもしれない。バンドも組まなかったかもしれないし、mitoさんとやることもなかったかもしれないし、劇伴やプロデュース、楽曲提供だってそうです。そういうところの経験は、誰もかれもが持っているものでもないから、おもしろいものにつながるんじゃないかなという期待もあるんです。先の見通しはぜんぜんないので、どうなるかはわからないですけどね(笑)。

agraph - greyscale (video edit)

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普通のポップ・アルバムとして聴ける要素を残したいし、(抒情的なピアノが用いられていることは)ポピュラリティのある作曲家としての矜持なのかもしれないです。

さて、ではアルバムの話に戻りまして。冒頭の曲のタイトルなんですが、“reference frame”っていうのは何の「基準」なんですか?

agraph:「こういうアルバムですよ」っていう。

ははは! すごい。

agraph:これからいろんなことを言いますけど、こういうグラフになってますよ、という。x軸とy軸がこう引かれてますよ、基準点はこれですよと。

なるほど。では、その基準点にピアノが鳴っていることの意味を考えたりとかしていくのは、ちょっとちがいますか?

agraph:なるほど、そこは、配置のひとつというか。今回はひとつひとつの楽器自体にそれほど意味はないんですよね。

冒頭でピアノが出てきて旋律が奏でられると、つい叙情的なアルバムの幕開けと考えてしまうというか。

agraph:いえいえ、それもそうだと思うし、さっきの快楽性の話もそうですけど、普通のポップ・アルバムとして聴ける要素を残したいし、ポピュラリティのある作曲家としての矜持なのかもしれないです。もちろんどう取っていただいてもかまわないんですけどね。僕自身としては、よくピアノのことを指摘されはするんですが、そんなに意識していないんです。というか、あんまりピアノを弾いていたときの意識自体が残ってないかも。今回、構造のことを考えた記憶はあるんだけど、ひとつひとつの音のことを覚えていないんですよね。
 僕はこの5年間のうちに、一度アルバムを放棄しているんですけど──『equal』のつづきになるからやめよう、って思って捨てちゃったものがあるんです。で、今回はそれをコンクレートでいうテープみたいなものとして使ってつくっているんですけど、そうすると5年前の自分のことなんて覚えていないから、本当に再配置という感じだったんですよね。演奏しているときの細かい意識のことは覚えていない。

ピアノ弾きみたいな意識はないんですね。なるほど。

agraph:いろんなひとに出会う中で、僕よりピアノに思い入れのある人はいっぱいいるなあって思って。じゃあ僕はいっか! と。音に対するフェティシズムはあるので、使っている音はいっぱいあるんですけどね。

同心円状に広がる時間はきっとあると思うんですよね。そうだ、「時間」は今回の裏テーマだったと思います。

“asymptote”という曲ですけれども、「漸近線」というとこれは「基準」たる“reference frame”に対して漸近していくという?

agraph:“reference frame”でxとyを引いて、ああ漸近していくんだなあという。

交わらないという。その交わらなさって何のことなんですかね?

agraph:あれは、終わらない曲なんですよ。もちろん時間で切ってますけれどね。そういうふうに極限にいたる、というか。同心円状に広がっていくっていうイメージのお話もしましたけれど、この曲は、その先がどこまでもどこまでも、極限まで行くんだろうなって思ったんですよね。有限ではあるんだけど果てがない……そんな意識をつくっていこうとした曲ですね。

終わらない時間というのは、なにか、リニアなものとしてのびていくイメージでいいんですか?

agraph:同心円状に広がる時間はきっとあると思うんですよね。そうだ、「時間」は今回の裏テーマだったと思います。音楽って時間芸術であって、時間以外に音楽を特徴づけるものはないというか、時間しか持っていないということが音楽の唯一の特徴だと──僕はそう考えるので。“inversion/91”では時間の使い方に発展や発見があったけど、“asymptote”も「終わらない、極限にいたる」というところで、時間に対する意識が強かったですね。逆に1分くらいの曲もつくってみたいと思ったけど(笑)。

そういえば終わらないわりに短く切られている。

agraph:「終わらない」と「始まらない」は同じかなと。

抒情的でロマンティックな部分というのはやっぱり要素なんですよね。自分がピアノを弾いているときの気持ちは封入されているんだけど、それはすべてもう息をしていない。

「すべての要素をドライに配置しただけ」というふうにおっしゃいますが、その語りの中にもしかしたらトリックがあるのかもしれないですけど、でも一方で、もっと普通にドラマチックな、エモーションの幅を感じるようなところもあるんですが。

agraph:それはね、いま思い返すとなんですけど、アンドレアス・グルスキーの、ジャクソン・ポロックの絵を撮った作品があるんですけど、僕はその写真がすごく好きで。ポロックのああいうアクション・ペインティングみたいなものって、すごく熱量をもって描かれるものじゃないですか。関連して、「絵の中にいるときに絵なんか意識しない(=自分が何をしているかなんて意識しない)」っていうような言葉もあったと思うんですけど、そんなふうにつくられるものの、その写真を撮るっていうのはすごい残酷なことだなと思ったんですよね。ポロックの無意識とか、絵の中にいるというすごくエモーショナルな状態をパッケージしてしまう。封をしてしまう。真空にしてしまう。その行為ってすごく力のあることだなと思って。それで、僕の音楽をエモーショナルに聴けるというのは、さっきの話のように、ひとつひとつの要素としてピアノを弾いているし、盛り上げるためにエフェクトを使っているし、叙情的な部分も含んでいるからなんだけど、それを一歩引いてパッケージするということでもあったかもしれない。だから、抒情的でロマンティックな部分というのはやっぱり要素なんですよね。自分がピアノを弾いているときの気持ちは封入されているんだけど、それはすべてもう息をしていない。

撮られて配置されている。なるほど……こんなふうに作者に解題を求めるのって、はしたないことなのかもしれないですけど、やっぱり聞いておもしろいこともあると思うんですよね。

agraph:いや、僕もなるべく言いたくないんですけどね。文章家じゃないし、伝わり方だっていっぱいあるし。でも音楽雑誌とか批評で自分の評価が辛いと、わー、伝わってなーいって思いますね(笑)。

あはは!

agraph:傷ついて帰って、枕を濡らすんですよ。

そんな抒情的なシーンがあったとは(笑)。

すごく悔しいんですけど、OPNには耳を更新されたという気持ちがあって。

一方で、部分や要素で聴くと“reference frame”のマレットというか、マリンバみたいな音が出てくる部分は、一瞬OPNみたいになったりもするじゃないですか。

agraph:ギャグですけども(笑)。

「ニヤッ」て言うとちょっとやな感じですけど、すごい同時代のものが聴こえてうれしいというか。

agraph:すごく悔しいんですけど、OPNには耳を更新されたという気持ちがあって。今回リュック・フェラーリを聴いていた時期とOPNやヴェイパーウェイヴを聴いていた時期があるんですけど、後者については誰もべつにメロディもコードもリズムも聴いていないと思うんですよね。僕自身はそうで。そこに立ちのぼっている湯気のような世界観だけを聴いている。リュック・フェラーリもそうなんです。それから、とくに理由もないままリュック・フェラーリとベーシック・チャンネルを聴いたりもしていたんだけど、ベーシック・チャンネルもそうだしアンディ・ストットもそうだと思って。テクノとかハウスとかも、それからカールステン・ニコライにしても、僕はテクスチャーと世界観を眺めているというか、それが好きだと思って聴いていたんですよね。僕の聴取体験の中では、歌える部分や踊れる部分に惹かれて聴いていたこともあったけど、いまはそういうことがないなと思いました。そういう気づきのきっかけにはなりましたね。

OPNを似たようなアーティストと分けているのはコンセプチュアルなところかなと思いますね。アルカとかはその点、一時の若さで成立しているものでしかなくて、それが美しくもあるけど圧倒的に弱いというか。

agraph:彼もまた構造的なんだと思うんですよね。一つ一つの要素には、どうしても読み取らなきゃいけないような意味はない。そこには勝手に共感を覚えるんです。アラン・ソーカル事件はご存知ですか? アラン・ソーカルというひとが、ある哲学論文を評論誌に送るんですけど、それは文学とか哲学にすごく難解な数学とか物理とかを結びつけて書かれた、まったくでたらめな意味のないものだったんです。当時はそういうものを結びつけるのが流行っていたので、彼はわざとそういうことをして、そのでたらめさが見破られるかどうか試したわけなんですよ。でも、評論誌には「そういうものを結びつけるのはよくない」という意見に反論する論文としてそれが掲載されてしまったので、ほらやっぱり意味がないじゃないかということになった。……という時代に、まさにフランスの現代思想を数学と結びつけていた急先鋒である女性哲学者がいるんですが、OPNが彼女のことをフェイヴァリットに挙げているのをたまたま見て。僕は彼とも話したんだけど、彼はこの事件のことを知らないと言いはっていた。でも、たぶん嘘じゃないかって(笑)。

ははは! ええ、だって……

agraph:そう、だって、あんたがやっていることがアラン・ソーカルじゃないか、と。

いや、お話の途中でオチが見えましたよ。たしかに。

agraph:僕はそこに勝手に共感するんですよね。いや、本当に知らないんだと思うんですが(笑)

agraphさんご自身がたとえ時代やシーンを意識していなかったとしても、OPNがいたりagraphさんがいたり、それぞれの点が結びたくなってしまうように存在しているんですよ。その意味で時代性のあるアーティストさんなんだと思うんですが。

agraph:いやー、早く見つけてほしいですよ。

ヴェイパーウェイヴは、90年代の文化、っていう具体的な形をテープにしてるんだと思うな。あれは写真に近いんじゃないかな。すごく偽悪的な。

しかし意外だったのがヴェイパーウェイヴをちゃんと聴いていらっしゃるというところで。いったい、牛尾さんにヴェイパーウェイヴなんて必要なんですか?

agraph:ヴェイパーウェイヴは単純に質感がよかったです。流行った頃は好きでした。もうけっこう経ちますよね。

でも、あれこそはサンプリング・ミュージックの──

agraph:いや、僕はあれコンクレートだと思う。

なるほど。とすると、インターネットという環境からの?

agraph:うーん、90年代の文化、っていう具体的な形をテープにしてるんだと思うな。あれは写真に近いんじゃないかな。すごく偽悪的な。

へえ! 表面的な行為としては、「ネット空間からゴミをたくさん拾ってきてどんどん奇怪なものをつくりました」ってだけのイタズラか遊びみたいなもので、でもそのこと自体が時代の中で批評的な意味を帯びて見えたわけですよね。ただ、ご指摘のように、引っぱってこられるネタがなぜかしら特定の年代や国に固執しているのはたしかで。それで盛り上がったんだという部分も否定できない。

agraph:そうそう。おもしろいんですよ。それに、もっと僕の個人的な趣味嗜好の部分で言うなら、シンセサイザーの音色について発見があったということですね。90年代の前半の音がわりと使われているじゃないですか? 僕は83年生まれなので、ちょうどそのころは意識が芽生えはじめた時期なんです。だから、そういう音がいちばんカッコ悪く感じられる。絶対にさわっちゃいけない音色だったし、シンセサイザーだったんだけど、それを忘れていたところに放たれたカウンター・パンチだったんですよね、ヴェイパーウェイヴは。あの時期「~ウェイヴ」はいっぱいあったけど、僕はそのなかでいちばんおもしろかったかな。在り方が。

結局ジェイムス・フェラーロとかは現代美術館にまで入りこみましたからね(東京アートミーティングⅥ “TOKYO”──見えない都市を見せる https://www.mot-art-museum.jp/exhibition/TAM6-tokyo.html)。

agraph:そうですよね。それもわかるんですよ。ただ──さっき触れたように、彼らの求めるテープの先が90年代なのだとすれば、きっと、社会だったり文化だったり人類だったり、「ひとの営み」に視座があるじゃないですか。僕の趣味からすれば、そこには興味がないんですよね。

なるほど、構造と、あとは音だったと。

agraph:リュック・フェラーリは2007年に亡くなっているんですけど、作品はいまも出ているんですよ。それは彼が遺した作品の中に、このテープを使って何かやれっていうようなものがあるようで。たとえばそれで、奥さんであるブリュンヒルド=マイヤー・フェラーリさんが作品をつくられたりしている。その構造と同じかなと思うんです。僕は奥さんも音楽家としてとても好きなんですけどね。

僕は詩に対する理解がまったくないんです。

ところで、「言葉」っていうレベルにはとくに探求しようという欲求はないんですか? 言葉というか……ライヒとかには、たとえば“テヒリーム”みたいなものがあるわけじゃないですか。ルーツにつながるヘブライ語の中に降りていくというか。今回の作品の中にも声とか言葉を持った部分がありますけど、今後そういうテーマなんかは?

agraph:あれはすごく迷いました。人間を描くのがいやなので、発声をどうしようかなと思って……音楽を規定するときに詩が入ってくるのがすごくいやなんですね。僕は詩に対する理解がまったくないんです。大学ではケージの『サイレンス』の詩を扱ってもいるんですけど、でもやっぱり自分でつくるというのは難しかったですね。セカンドで円城塔さんに文章をお願いしたのは、あの方だったら意味にとらわれない複素数平面を音楽と言葉でつくれるんじゃないかと思ったからで……。なかなか難しいですね。

そうか、前作には円城さんが添えておられますよね。でも、「詩」というと複雑になりますけど、「言葉」というともうちょっと算数や科学で扱えそうな対象になりませんか。

agraph:それはまだ僕の能力不足ですね。群論的な──言葉が指し示すことができる領域とそうでない領域があるという、そういう複雑系の話から使えるものは出てくるかもしれないですけど、理解も足りないし。

いやいや、五・七・五・七・七って、もう千何百年も残ってきた韻律ですけど、あれとかをagraphさんが微分積分してくださいよ。

agraph:あれはおもしろいですよね。「タタタタタ・タタタタタタタ・タタタタタ」……。僕は子どものころからああいう韻律をぜんぶ変数にして、たとえば「タタタタタータ」っていうリズムがあったとして、そこに何を入れるのがおもしろいかっていうのを考えていたんですよね。「ハシモトユーホ」とか、入りますね(笑)。韻律っていうものにはすごく興味があるんだけど、でも自分の中ではなかなか解決のつかない要素が多いから、いつかは。

agraphさんがやってくれないと。楽しみにしていますね!

5年間で、過去3日だけ霧がかかった日に巡り会えて、いまのところその3日は逃さず写真を撮りに行っているんですよ。

最後に、今作のジャケットについてうかがってもいいでしょうか。アートワークとして用いられているのは、ずばり渋谷です?

agraph:あれは●●●●です。内緒です。

内緒ですか(笑)。

agraph:特定できるものを何も残したくないんですよね。インタヴューでこんなに話しておいて言うことでもないですが(笑)。「何だろう?」って思ってほしくって。アルバムをつくるときに杖の代わりになるような写真を撮ることがあって、その中の一枚です。

「何だろう?」って思いましたよ。ご自身で撮られた写真なんですね。

agraph:そうです。

最近は、アー写ひとつとっても、ミュージシャンがどこの街で写ってたら画になるんだろうというのがわからなくて。渋谷下北ではないし、どこで写ってたとしても「たまたま」というだけで。そもそも地理が何も語らないというか。

agraph:ないですよね。

あのジャケは、だからといって「どこでもなさ」を表している感じでもなくて。

agraph:この5年間で、過去3日だけ霧がかかった日に巡り会えて、いまのところその3日は逃さず写真を撮りに行っているんですよ。それでたまたま撮れたものなんですが。

構造の上に霧のように立ち上がる世界っていうイメージにもつながりますね。

agraph:もやっとしたもの。それに、器に注ぐ水が「shader」(=影なすもの)であるという、作品のコンセプトも出せればなと思いました。

では記事の中でもぜひ数枚ご紹介させてくださいね。本日はありがとうございました。

agraph - the shader(ティザー)

 擬装チェンバー・ポップの傑作『Ansiktet』(Inpartmaint)以後、ピアノ・カルテットを結成し、このところ弦楽曲に注力してきた渡邊琢磨(akaコンボピアノ)が、本媒体でも何度かとりあげた気鋭の映像作家、牧野貴とタッグを組み、「Origin Of The Dream(夢の起源)」と題した音と映像によるステージを渋谷WWWで初演する。具体的なイメージを重層化し、縦横無尽に運動させる牧野の映像と、古今東西の弦楽曲の批評的乗り越えを目する渡邊琢磨のスコアにもとづく13台の弦楽器の52本のストリングスが織りなすドラマの交錯は、逃れることのできないほど官能的な、夢の起源(Origin Of The Dreams)を思わせる舞台になることうけあいです!


写真:Yasuhiro Koyama


写真:Ryo MItamura

渡邊琢磨 × 牧野貴 Live Concert
'Origin Of The Dreams'

2016年3月17日(木) 
渋谷WWW
開場20:00/開演20:30
 
映像:牧野貴
音楽:渡邊琢磨

Piano,Conduct : 渡邊琢磨
1st Violin : 梶谷裕子、大嶋世菜、高橋暁
2nd Violin : 須原杏、帆足彩、波多野敦子
Viola : 中島久美、中山綾、河村泉
Cello : 徳澤青弦、橋本歩
Double Bass : 鈴木正人、千葉広樹
 
料金:3,300円(全席自由/ドリンク代別)
会場:渋谷WWW
住所:東京都渋谷区宇田川町13-17 ライズビル地下
アクセス:https://www-shibuya.jp/access/
お問い合わせ:WWW 03-5458-7685
チケット購入ページURL(パソコン/スマートフォン/携帯共通)
https://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002179310P0030001

牧野貴(映画作家)
2001年日大芸術学部映画学科撮影・現像コース卒業後、単独で渡英、ブラザーズ・クエイに師事する。2002年よりテレシネ・カラーリストとして多くの劇映画、ミュージックビデオ、CF、アーカイブの色彩調整を担当する傍ら、2004年より単独上映会を開始する。フィルム、ヴィデオを駆使した、実験的要素の極めて高い、濃密な抽象性を持ちながらも、鑑賞者に物語を感じさせる有機的な映画を制作している。また、ジム・オルーク、ローレンス・イングリッシュ、コリーン、マシネファブリーク、大友良英、山本精一、渡邊琢磨、カール・ストーン、タラ・ジェイン・オニール、イ・オッキョン等の前衛音楽家と共同作業においても、世界的に高い評価を獲得している。2009年には上映組織「+」プラスを立ち上げ、今まで日本に紹介される事の無かった映画作品を多数上映している。2011年よりエクスパンデッドシネマプロジェクトを開始、ヨーロッパ、北米、南米、オーストラリア、アジア等数多くの国際映画祭で受賞、上映多数。作品の発表は主に映画祭、映像芸術祭、音楽祭などの他、映画館、美術館やギャラリー、ライブハウスでも行い、その活躍の場は増幅を続けている。現代日本実験映像界を率先する作家である。https://makinotakashi.net/

渡邊琢磨(作曲、ピアノ)
97年、米バークリー音楽大学で作曲を学ぶ。帰国後、「COMBOPIANO」名義で活動を開始。2000年、NYに渡り鬼才プロデューサー、キップ・ハンラハンとの共同制作でアルバムを次々とリリースし注目を集める(英、音楽専門誌「WIRE」などに取上げられる)以降、国内外のアーティストと多岐に渡り音楽制作活動を行う。2004年、内田也哉子、鈴木正人(little Creatures)と、「sighboat」を結成(サマーソニック'10出演ほか)。2007年、デヴィッド・シルヴィアンのワールドツアー18カ国30公演にピアニストとして参加。2008年、内橋和久(gt)、千住宗臣(ds)とCOMBOPIANOをバンドとして再編(フジロックフェスティバル'09出演ほか)2014年、本人名義としては6年ぶりとなるアルバム『Ansiktet』をリリース。同年、本人主宰による室内楽アンサンブル「Piano Quintet」を結成(アラバキロックフェスティバル'15出演ほか)映画音楽、CM、舞台等、多岐に渡り楽曲制作・提供する。https://www.takumawatanabe.com/


 

Future Brown - ele-king

 〈ハイパーダブ〉からのリリースでも知られるファティマ・アル・カディリ。LAのビート・ミュージック・デュオであるエングズングズのダニエル・ピニーダ&アスマ・マルーフ。シカゴ・ジュークの天才児Jクッシュ。この4人によるプロデューサー集団、フューチャー・ブラウンが来日する。今年の頭に〈ワープ〉よりリリースされたファースト・アルバムでは、グライム、ジューク、トラップ、ゲットー・ハウスなどが起こす鮮やかな音の化学反応が大きな話題を呼んだ。アルバムには多くのMCが参加していたように、今回の来日講演にはMCのローチ―が4人とともにステージに上がる。ファティマ・アル・カディリは去年も日本へやってきたが、フューチャー・ブラウンの来日は今回が初となる。スーパー・グループのセットを是非体感してほしい。


 本当だったら「エレクトロニカの“新”新世紀」特集に載っていたはずの新騎手、各誌讃辞を惜しまない新作とともに来日。後日の公開をお楽しみに。

■Visionist Live presented by Diskotopia & melting bot

2015.11.15 sun at CIRCUS Tokyo
START : 18:00 ADV ¥2,000 | DOOR ¥2,500

〈PAN〉再来襲! 現代グライムの旗手、ロンドンのVisionistがデビュー・アルバム『Safe』を携え来日。FKA Twigsとの帯同ツアー、KENZOやAcne Studiosの音楽も手がけ、ファッションまでも巻き込む気鋭がUKサウンドシステム・カルチャーを拡張する日本初のライブを披露。

Objekt、Afrikan Sciences、Bill Kouligas、Lee Gamble、M.E.S.H.、TCF、そしてRashad Beckerと来日ラッシュの続くベルリンの実験/電子レーベル〈PAN〉から今度はロンドンのVisionistが新譜『Safe』を携え来日。ここ数年でUKを中心に再興する00年代前半にダブステップと共に現れたラップ・カルチャー、ロンドン発祥のグライムを再構築しながら、UKの電子音楽やクラブ・ミュージックに根付くUKサウンドシステム・カルチャーを拡張、最新作『Safe』では脱構築を試み、グライムを彫刻のように掘り込みアブストラクトな音像を浮かび上がらせたアート・ピースはクラブや音楽シーンを飛び出しファッションまでも巻き込み話題を集めている。ブリストルとロンドンを中心に新たなる時代を迎えたUKサウンドシステム・カルチャーの前人未踏の領域へと踏み込むフロンティア、Visionistのライブが東京で実現する。

Main Floor :

Visionist Live [PAN / Codes from London]
ENA [Samurai Horo / 7even]
Yomeiriland (嫁入りランド) Live
食品まつり a.k.a foodman Live [Orange Milk / melting bot]
Prettybwoy
with MC Pakin [Dark Elements / GUM]
A Taut Line [Diskotopia]
BD1982 [Diskotopia]

VJ : Shun Ishizuka

First Floor :

VOID : Azel / Gyto / Shortie / Tum
Mr. James [Expansions, London]
asyl cahier [LSI Dream]
JR Chaparro

ADV Ticket Outlet :

Peatix / PIA (P-CODE 280477)

主催 / 会場 : CIRCUS
制作 / PR : Diskotopia | melting bot
協力 : Inpartmaint

more info : https://meltingbot.net/event/visionist-live-presented-by-diskotopia-meltingbot

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■Icy Tears Vol.3 featuring VISIONIST
Presented by Joyrich

2015.11.13 fri at Club Arc
START : 22:00 Door ¥3,000 w/1 Drink

DJ:

VISIONIST
WILL SWEENEY (ALAKAZAM)
KIRI (PHIRE WIRE)
1-DRINK
HIROSHI IGUCHI
AVERY ALAN (PROM)
KOKO MIYAGI


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