「Dom」と一致するもの

Making Contakt - ele-king

 一昨年の年末近くに幕張メッセでやった、初回の〈Womb Adventure〉に寒いなか行った人なら覚えているだろうけど、あのイヴェントはとにかくオペレーションがひどかった。予想したより客が集まってしまったからか、トイレも屋台も数が足りず、小便に行くと30分は軽く並び、ただ水やビールを買うだけで1時間近く待たされた。トイレに行かないために酒を飲むのを控えたり、床に転がったペットボトル(ある時刻を過ぎると水すら紙コップに移して販売していたのだ!)を拾ってトイレの水道水を汲んで飲んだりというサヴァイヴァルは初めて経験した。

 そんな環境で心からダンスを楽しめるというのは相当の強者だと思うが、このDVDを見ると、クライマックスの東京公演のフィナーレでは、広いメッセの会場を埋めつくしたテクノ・ファン、M_NUSファンの全員が最高にハッピーに見えるから不思議だ。


 本DVDは、デトロイトを皮切りに、バルセロナ、ロンドン、アムステルダム、ローマ、ブエノスアイレス、そして東京を世界をツアーしたCONTAKTの旅と音楽の冒険のドキュメンタリーである。タイトルが示唆するように、映像の主眼はステージそのものより、バックステージとインタヴュー証言にあり、リッチーがCONTAKTというコンセプトで何を表現したかったのかが徐々に明らかにされる。

リッチー以下、マグダ、トロイ・ピアス、マーク・ハウル、ハートスロブ、ガイザーといったM_NUSオールスターズの面々は、各自の記名性や作品性といったものはかなぐり捨ててリンクされたコンピュータ上でバンド・メンバーさながらにパーツ的な音を奏でる。また音同様に信頼のおけるアーティストが帯同したヴィジュアル、ライティング等の視覚表現も含め、ひとつの即興的電子音楽パフォーマンスが繰り広げられる。ミックスされるのはサウンドだけでなく、各人の表情や手元を写す小型カメラの映像や、インターネット経由でのチャットの文字やVJ映像も、すべてがLEDスクリーンに飾られた広大なステージを核に実際のフロアへ、そしてネットを介してその場にいないリスナーにまで届けられる、という意欲的な試みだった。冒頭では図解入りでシステムの解説がなされ、数々のハイテクが入り組んだ大所帯のステージは、想像を遙かに超えた複雑さで設置も運営も大変そうだというのがわかる。リッチーは、「テクノとは前に進む、進化する音楽だ」という大昔からの持論をここでも展開するが、初期のリハーサルでは各人の機材をリンクさせたり、とにかく大人数でひとつの音楽を一緒に演奏するといういちばん最初のステップですでに思うように進まない。

 このDVDに興味を持つようなひとなら「DJなんてただ他人のレコードかけてるだけでしょ?」というような安直な理解はしてないだろうが、それにしてもこんなギリギリまで可能性を追いこみ、会場ごとにまったく異なる設備やスタッフに四苦八苦してDJたちのツアーがおこなわれていたとはと感嘆するだろう。例えば、いろいろな事情で急遽ブッキングされた"聖地"デトロイトでは、準備不足と会場のボロさで最悪のツアー初日になってしまう。観客の視界に訴える重要な要素であるスクリーンは天井にしか設置スペースがなく、老朽化した建物は低音が響くたびにコンクリートの破片をメンバーの機材の上にボロボロと落とす。まるで誰かがドラマを盛り上がるためにシナリオを書いたような悲惨な展開なのだ。

 トラブルの連続を書きつづっただけでかなりおもしろいのだが、あまり細々と内容を書くと興を削ぐと思うからほどほどにする。しかし、ひとつ言えるのは、本来同じタスクを延々繰り返していく巡業というものを通して、比較文化論的なアプローチで各地の模様を切り取っていて、ただ出演者たちに土地土地のツーリスト的な感想を聞くよりよほどリアルな差異があぶりだされているのが、とても興味深い。ロード・ムーヴィーのようにツアーを追いかけたロックなフィルムはこれまでもたくさんあった。スターが泥酔したり暴れたり落ち込んだりといったショットがそれらの醍醐味だとしたら、ここでのアーティストたちは学者かエンジニアのように冷静に問題点を話しあったり、あくまで理知的に最高のショーを実現しようと考える。だからこそ、これだけユニークなドキュメンタリーが仕上がったのだろうし、最終目的地の東京では少し羽目を外して夜の街を楽しむ彼ら(―といっても、プリクラやカラオケだが)が微笑ましい。

 結局のところ、東京の印象は、ヘルメットをかぶって黙々とスケジュール通りに完璧な設営をこなす裏方にスポットを当てて紹介される。どうしたって、ロボット的な印象が強いのだろう。ただ、やはり日本にこれだけ来て、酒蔵に行ったり家族で温泉巡りしたりと本気で日本のカルチャーを愛してくれているリッチーのこと、『ロスト・イン・トランスレーション』的違和感の提示だけでは終わらない。ショーの幕が上がってからのフロアにいるテクノ・フリークたちはなんだかとってもかっこよく見えるし、冒頭で書いたようにすごくハッピーなのだ。

 朝方、リッチー自身の手でカーテンが引かれ、すべてのツアーが終了する。

 「信じられないくらい大変なツアーだった。最後に至ってもまだ理解してない人もたくさんいただろうけど、理解してくれた人たちは僕らの創りだしたたくさんの瞬間はものすごくスペシャルなものだって理解してくれたはず。それを創ったのは、ミュージシャンだけじゃなくてスタッフ全員、それに全世界に散らばるクラウドのみんななんだ。それが重要だった。あたりまえだと思ってるようなことを使って、世界のどこか遠くにいる人や、すぐ隣にいる人を分け隔てなく一体化させるっていうことがさ」と語るリッチーにオーヴァーラップされる、笑顔で感謝の意を体全体で表現して帰っていくひとりの日本人クラバーの映像。これが、とっても泣ける。グッと来るんだ。

 語り主体の作品にもかかわらず、字幕はフランス、イタリア、ドイツ、スペインの欧州主要言語のみ。内容を理解するのは骨かもしれないが、おまけにサントラCDもついてくるようだし、気合い入れて見る価値はあるだろう。まぁどこかで日本版を出してくれたら最高だけどね。

Riva Starr / If Life Gives You Lemons, Make Lemonade - ele-king

 数年前から目につくようになった、MySpaceとかで注目されてヒットに結びついたみたいな新人のエピソードにはいいかげん食傷気味だ。だいたいからしてこれだけネットでいろんなチャンネルができて毎日誰もがネットにつながって何かしらの発信をしたり相当量の情報を得てるんだから、レコード会社がそこから情報を得てないわけもないし、要するにそういう売り文句自体ただちょっと新世代のアーティストっていう箔付をしたいから宣伝に使われてるにすぎないだろ、と突っ込みたくもなる。リヴァ・スターことナポリ出身のステファーノ・ミエーレも、ドアーズの"ジ・エンド"のリミックスだのを勝手に作ってネットで配布し、それがきっかけでノーマン・クック、ジェシー・ローズ、クロード・ヴァンストロークなど売れっ子DJ/レーベル・オーナーたちに注目されて一気にブレークしたと喧伝されている。まぁたしかに、テキトーにブートのリミックスをサイトに置いてそれでおいしい契約が転がり込んできたなんてシンデレラ・ストーリーがホントにあるなら、みんなそうやればいいじゃんという気もするが、彼自身別の名義(本名やMadoxなど)で10年以上の多数のリリース歴があって、まぁいきなりブレイクした新人とは言い難い。世の中そんなに甘くないって!

 ジェシー・ローズのレーベル〈Made To Play〉初のアーティスト・アルバムとしてリリースされた本作は、クラブ・ミュージックの最前線を渡り歩いてきた巧者っぽい仕掛けや音のキレもさることながら、全編に渡って途切れることなく注入され続けるあれやこれやのアイデアが素晴らしい。バルカン音楽に傾注してるというだけあって、シングル曲"I Was Drunk"(ヴォーカルにユニークなデュオ、Nozeを起用)やユーゴスラビア映画『黒猫・白猫』(エミール・クストリッツァ監督/98年)を題材にした"Black Cat, White Cat"あたりはそういったジプシー的陽気さをもった伝統音楽の断片を再構築して、えもいわれぬ雰囲気の曲に仕上げている。一発インパクトのあるネタをもってきて切り刻んでファンキーなリズムに乗せて料理するって言う手法は、もう何年も前から「次はコレ」みたいに言われつづけてるフィジット・ハウスだよということなのかもしれないけど、それで「あぁ~、アホっぽいちゃらいやつね。まだあるんだ?」みたいな受け取られ方で敬遠されるくらいなら、いまいちばん笑えて踊れるハウスとでも言ってしまってもいい。自身、MySpaceのジャンル欄には「コメディー」「ハウス」と書いてるくらいだからな。

 〈Cadenza〉あたりのフォルクローレ的流れと呼応する部分もあるのだろうか、ブルガリアの女性ヴォイスとラッパ、クラップの絡む"Bulgarian Chicks"はいかにも土着的なダンスの悦びを感じさせる曲だし、"Maria"も元ネタはどこの楽曲かわからないがRebootあたりがやった曲と言われても納得しそうだ(こちらは昨年〈Get Physical〉のサブレーベルからでたシングル"War Dance"に収録されていた)。しかし一方で、"China Gum"はブリーピーでブーミーなベースが炸裂するブレイクビーツ曲だし、呪術的ラップがキモチワルカッコイイ"Dance Me"はストレートなアシッド・ハウス、"Riva's Boogaloo"は全盛時のジェフ・ミルズ~パーパス・メーカーを思わせるピアノのループのグルーヴだけで引っぱる曲、そして"Tribute"はその名の通りMr. Fingersの名曲"Can You Feel It"を彼なりに再構築というかカヴァーした曲だ。ヒヨッコにはかもせない風格というか加齢臭というかも、微妙に漂ってくるではないか。リヴァ・スター自身が編集した"Dance Me"のヴィデオ(たぶん無許可)を見ると、ヴァニラ・アイスやMCハマーからリック・アストリー、Mr. T、そしてニュー・オーダーといったまったく節操のないチョイスのダンスの映像がカットアップされていて、間をつなぐのはとにかくぶっといジョイント。年齢もオリジンも音楽背景も「???」となりそうなセンスなのだが、たぶんこの無意味さ無法さこそが彼の本質なのだ。そのくせ、誰でもメロを口ずさめるロシアの軍歌"ポーリュシカ・ポーレ"の切ない主題をなぜかレゲエ調のトラックにのせてしみじみ聞かせる「Once Upon A Time」が、アルバムの山場にポンと置かれる。たぶん、日本のテクノ好きでこういう趣味をガッツリ否定できるひとは少ないはず。ん~すんばらすぃ~。

 ちなみに、日本盤ではジェシー・ローズとオリヴァー$のリミックス2曲が追加収録され、3月3日に発売になるそうだ。楽しみ!

Alayavijana - ele-king

 どっちが先だったか忘れてしまったけれど、昨年は春先に東京経済大学で粉川哲夫氏の身体パフォーマンス論にオイゴル(LKO+ユザーン)を紹介し、2時間の長丁場を持たせるために彼らがタカシタールを連れてきてライヴをやったことと、『スタジオヴォイス』ではミニマル・ミュージックの特集をやるというので、あれこれと打ち合わせをしているうちにミニマル・ミュージックにはアフリカ起源とインド起源のものがあるだろうということになり、そのせいでシタールやタブラといったインドの楽器がやたらと気になっていた時期があった。そこに『朝日新聞』で洋楽CDのセレクションをやっているからか、デバシシュ・バタチャルヤという、それまで1ミリも聴いたことがないインドのスライド・ギタリストによるサード・アルバム『オー・シャクンタラー!』が送られてきて、ラ・モンテ・ヤング以外のドローン・ラーガを初めて長々と聴くことになった。これが......けっこうよかった(朝日の会議で強く推したけれど、ほかには誰も聴いてなかった)。

 そして、年末から年始にかけて手塚るみ子さんと『手塚治虫 エロス1000ページ』を急ピッチで編集していたら、彼女がやっているレーベルからの新作だといって『アラヤヴィジャナ4』を渡された。『ゲゲゲの娘 レレレの娘 らららの娘』も先行して作業していたんだから、一体、いつの間に......と思ったものも束の間、家に帰って再生してみると、これがまた最初から最後までドローン・ラーガで、えー、なに、手塚るみ子ってテクノしか聴かないのかと思っていたのにアッチョンプブリケで、慌てて調べてみると、これって最初はヨシダダイキチとユザーンがはじめたグループだったりして、ありりー、だけど音楽はただ静かにフワフワと気持ちよいループを繰り返し続け、バタチャルヤに比べると緩急があまりなく、一本調子なためにドラマ性が排除され、いわゆるテクノやハウスで経験してきたトランス状態に近いものになっているのではないかと。これがほんとのゴア・トランスだ......とはいわない方が身のためですが、光を求めて時空を彷徨っているかのようなバタチャルヤとは違い、低音部がしっかりし過ぎているためか(?)飛ぶというよりは地に足をつけたまま揺らめいているというところが日本製だし、奇妙なリアリティを伴って聴けるという感じ。オイゴルにしてもインド音楽をそのままやろうとしているわけではなく、そのことに仮託しながら表現しているのはやはり「いま・ここ」だということが強く伝わっくる。

PS 日本はいま、都会を歩く人びとの足の速さでは一気に16位にまでずり落ちたとか(1位はシンガポール)。そーいやー、繁華街が歩きづらくなったことはたしか。通勤ラッシュのことはよく知らない。

The Album Leaf - ele-king

 ジ・アルバム・リーフは......先日レヴューしたフォー・テット同様、10年前のポスト・ロック/エレクトロニカ時代にそのシーンのひとりとしてデビューしている。西海岸のサンディエゴを拠点とするジ・アルバム・リーフことジミー・ラヴェルは、それ以前はスウィング・キッズなど地元のハードコア・バンドにも参加していて、あの奇妙なコスチュームで知られる英雄的バンド、ザ・ローカストのオリジナル・メンバーだったという経歴まである。もちろんジ・アルバム・リーフの音楽はザ・ローカストとは180度違った種類のもので、それは透明なタッチを特徴とする抒情派IDMといったところだ。シガー・ロスに見出され、アイスランドのシガー・ロスのスタジオで録音して、2004年にシアトルの〈サブ・ポップ〉とベルリンの〈シティ・スラング〉から発売された3枚目のアルバム『イン・ア・セイフ・プレイス(In A Safe Place)』が初期の代表作である。

 ポスト・ロックは、それが注目された頃は毒にも薬にもならない"壁紙音楽(wallpaper music)"などと揶揄されたものだが、しかし90年代の狂騒におけるチルアウトとして機能した......と僕はフォー・テットのレヴューで書いたが、しかしそれがダンス・カルチャーと切り離され、それ自体の独立を求められたときに、ではこれら音楽は何を目的意識とすればいいのかという問題が生じてくる。ボーズ・オブ・カナダはサイケデリックな荒野を選び、そしてジ・アルバム・リーフの辿ってきた道は、その問いに対する典型的な回答のひとつとなった。それはポスト・ロック/エレクトロニカのチルアウト感覚とアーティな香りを残しつつポップになること=俗称ポップトロニカへの道である。

 ジ・アルバム・リーフにIDM的な目新しさ、刺激や奇矯さを見出すのは困難だが、より親しみやすい音楽、より柔らかいチルアウトへと進んでいる。透明なタッチで描かれた風景画のようであり、詩情漂う写真集のようでもある。飛び道具のように電子音を使うことはないが、ここには美しいメロディがあり、エレガントなアンサンブルがある。毒のないボーズ・オブ・カナダ、もしくは抒情派アンビエント・ポップとでも言おうか。

 通算5枚目のアルバムとなる『ア・コーラス・オブ・ストーリーテラーズ』も優秀なポップトロニカだ。ポップといっても、ジ・アルバム・リーフの音楽はメランコリックである。彼の音楽を特徴づける電子ピアノの音色は美しいが、同時に悲しく、淋しく響いている。そして"Summer Fog"、"There is a Wind"、"Falling from the Sun"......こうした曲名から彼が自然をモチーフに好んでいることがわかる。あるいは"Within Dreams"という曲名からも喚起させるように、彼の音楽には良くも悪くもロマン派的なこってりとした抒情が表現されている。変形された電子音によるドラム・ループとシンセサイザーのストリングス、そしてピアノのメロディ、あるいはヴァイオリンが重なっていくその曲は、アルバムのベスト・トラックである。彼のメロディ・センスが光る鮮やかなドリーム・ポップ"Falling from the Sun"も素晴らしい。しかしこの人にしかできないスタイルがあるとしたら、ほとんどヴァイオリンとピアノ、そしてストリングのみで構成される"Summer Fog"のような曲だろう。

 いっそうのこと、ブライアン・イーノの『ディスクリート・ミュージック』もしくは『ミュージック・フォー・エアポート』の領域まで振り切ってしまえばいいのにと思うのだが、しかしこの人はあくまで中道なのだ。この音楽を聴かないなんてもったいない! とは決して言わないけれど、買って聴いても損はない......と思われる。安心して聴けるという意味において。

Four Tet - ele-king

 フォークトロニカを定義した2001年のセカンド・アルバム『ポーズ』は、よく聴いたものだった。上質なクリームのように甘くドリーミーなテクノ・サウンドは、あの時代が生んだ価値ある1枚のひとつである。

 この潔癖性的なエレクトロニカは、1990年代半ばのポスト・ロックを出自としている。フォー・テットを名乗るキエラン・ヘブデンは、元々はロンドンを拠点とするフリッジのメンバーで、いわばトータス・フォロワーだった。それは行き詰まりを見せていたダンス・カルチャーにおける新潮流で、結局のところ、ポスト・ロックにしてもエレクトロニカにしても、なかばの風俗と化したドロドロのダンスフロアに背を向けて「もうちょい品良くいこうぜ」ということだった。僕は当時のこうした気持ちを理解できる。ジャズとクラウトロックとアンビエントとの融合だとか、いろんなことが語られてきたが、大きな目で見れば、ポスト・ロックにしてもエレクトロニカにしても、これらは1990年代というディケイドにおけるチルアウトだったのだ。

 『ポーズ』も良かったし、サード・アルバムの『ラウンズ』(2003年)も愛聴した。彼のライヴにも行った(まあまあだった)。キエラン・ヘブデンはそれから、『ラウンズ』を最後に彼のフォークトロニカを止めてしまい、2005年の『エヴリシング・エクスタティック』ではビートを強調した。悪くないアプローチだった。『ポーズ』も『ラウンズ』もリズムという観点ではヒップホップの影響を取り込んでいるとは思えないほど凡庸なところがあった......が、『エヴリシング・エクスタティック』はその弱点と向き合った。ロマンティックな彼の音楽のなかにダンスの要素を取り入れようと試みた。それは結果として成功し、それからヘブデンは売れっ子リミキサーとなった。他方で彼は自分のフリー・ジャズ趣味を満足させるかのようにジャズ・ドラマーのスティーヴ・リードのプロジェクトにも参加した。サンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マンの『ファイヤー・エスケープ』では見事なプロデュース・ワークも見せた。

 ヘブデンは、そして2008年のシングル「リンガー」でミニマル・テクノに挑戦すると(それは決して出来が良いとは思えなかったが)、おそらくその延長としてブリアルとのスプリット・シングルを自身のレーベル〈テキスト〉から昨年発表した(こちらは素晴らしかった)。この流れで考えれば、5年ぶりのアルバムとなる『ゼア・イズ・ラヴ・イン・ユー』がミニマリズムの冒険になることは納得のいく話なのだろう。

 だとしても、新しいアルバムは4つ打ちを基調としている......などと書けば昔ながらのファンは懐疑的になるかもしれない。繰り返すが、フォー・テットとは10年前の4つ打ちの狂騒へのアンチテーゼだったのだ。が、ご心配は無用である。ヘブデンは今世紀のベルリンではなく1970年代のニューヨークもしくは1970年代のデュッセルドルフへと向かっている。スティーヴ・ライヒのミニマリズム(現代音楽における"陶酔")であり、クラウトロックにおけるアートのほうに。

 アルバムは女性の美しい声の反復とエディットによるミニマリズム"エンジェル・エコーズ"ではじまる。夢見るブレイクビートの"ラヴ・クライ"が再生され、そしてベスト・トラックのひとつ"サークリング"へと続く。スティーヴ・ライヒ的な音の重なりによって場面が変化しながら、絶妙にクラウトロックへとスライドする"サークリング"には、ヘブデンの音楽の良いところすべてが凝縮されている。ドリーミーで、ロマンティックで、つまり潔癖なトランスなのだ。

 それでもヘブデンは、興味深いことに、前作以上にダンスフロアを目指している。"シング"はコーネリアスがミニマル・テクノをやったようなユニークな曲で、リスナーはサイケデリックな遊園地のメリーゴーランドを楽しむことになる。『ゾビゾーゾー』の頃のクラスターをわかりやすく現代風にしたような"ディス・アンフォールズ"のユーモラスでキュートなエレクトロニカも魅力的だ。心地よいパーカッションと素朴な単音によるメロディがディレイで重なっていく"シー・ジャスト・ライクス・トゥ・ファイト"もまた素晴らしくラヴリーな曲で、このアルバムの最後に相応しい出来だと言える。

 時代の"チルアウト"から離れて、フォー・テットは彼のダンスフロアを練り上げた。危険なほど甘く、溶けてしまいそうなそこは、現実などクソ食らえと言わんばかりに妖しく発光している。

Massive Attack - ele-king

 ロバート・デル・ナジャ......3Dによれば彼が『ヘリゴランド』のポスターのために描いた絵は、ロンドンの地下鉄では使えないそうで、何故ならそれがあまりにも"ストリート・アート"すなわちグラフィティに見えてしまうからだという。もっともそれはマッシヴ・アタックにとって今回のアルバムが成功していることの証左でもある。しばしデヴィッド・リンチを引き合いに出して語られるマッシヴ・アタックの"暗さの芸術(art of dark)"は、ごくありふれた日常のなかの暗い予感を拡大してみせる。「嵐を予感すると人は背を向ける/不安だから」、と『ヘリゴランド』の"パラダイス・サーカス"でホープ・サンドヴァルが歌っているが、これは彼らの不朽の名曲"アンフィニッシュド・シンパシー"でシャラ・ネルソンが歌った「夜も知らないでどうやって昼を過ごせると思うのか」というフレーズとまあ同じようなもので、マッシヴ・アタックはこの世界の負性のようなものと向き合うことで自らのアートを磨いてきた。彼らは闇を友とし、雨を祈願した。コミュニケーションよりもディスコミュニケーションを、笑みよりも無愛想でいることを選んだ。そうした暗さの芸術家たる姿勢がいまやお馴染みとなった3Dの政治活動にも繋がっているのだろう。

 ただ、ファンにとって複雑だったのは、3Dが積極的な反戦デモ活動をおこしていた時期にマッシヴ・アタックが発表した『100th・ウィンドウ』が実に不可解な出来となっていたことだった。彼らのそもそもの武器――つまり、彼の地の音楽における二大要素=パンクとレゲエを繋ぐことのできた彼らの方法論――それは言うまでもなくヒップホップである。バンドからマッシュルームが去ったとき、多くのファンがマッシヴ・アタックから離れたのは無理もない話なのだ。彼らの暗さの芸術に眩い光沢を与えていたのはマッシュルームのブレイクビートであり、サンプリングのセンスだったのだから。『100th・ウィンドウ』にはそして、ダディー・Gすら関わっていない。豊富な音楽の知識を持つブリストルのベテランDJも離れ、音楽からは"ソウル"が消えてしまった。3Dは明らかに孤立し、そしてマッシヴ・アタックは長い冬眠に入った。もちろん誰一人としてそれを責めなかった。彼らは1990年代にクラシックと呼べる最高のアルバムを3枚(+1枚)も発表しているのだから。

 そんなわけで昨年の先行シングルを聴くまでは、僕はこのブリストルの大物の新作に何の期待もなく、注目もしなかった。だが、2008年にポーティスヘッドの10年振りの『サード』が素晴らしかったように、7年振りの『ヘリゴランド』も見事だった。3Dとダディー・Gはふたたびタッグを組んだ。多くの協力者が集まり、マッシヴ・アタックはソウルを取り戻したようだ。

 昨年リリースされて先行シングル「スプリッティング・ジ・アトムEP」を聴いてあらためて感心したのは、彼らの"暗さ"だった。中毒性の高いスカンキング・ビートをバックに、地上に釘付けにされたようなダディー・Gの(音程をキープできるギリギリの低音の)歌ではじまり、続いてホレス・アンディの高く甘い声、そしてまたダディー・G、そしてまたホレス・アンディ、それから3Dの妖艶な声へと代わっていくそのタイトル曲は、不機嫌というよりは恐怖の領域で鳴っている。そしてタチの悪いことに、曲も歌詞も魅惑的なのだ。「ドープなしではホープはない。失業者のお帰りだ」――とても他人事とは思えないだろ? 結局"スプリッティング・ジ・アトム"はアルバムのなかでもベストな1曲で、曲のモチーフは昨年の、G20金融サミットときの銀行を粉々にしたロンドンにおける反資本主義の暴動ではないかと思われる。(筆者による『SOOZER』誌のための取材で3Dは、暴動はコンサートよりもマシだと大いに肯定している)

 『ヘリゴランド』の1曲目となった、TV・オン・ザ・レイディオのヴォーカリスト、トゥンデ・アデビンペをフィーチャーする"プレイ・フォー・レイン(雨乞い)"の不気味なパーカッションによる墓場のダンスホールもたまらない魅力がある。が、マルティナ(トリッキーの初期の名作におけるヴォーカリスト)の個性あるパンキッシュな声をフィーチャーした蜃気楼のダブステップ"バベル"、アシッディなミニマリズムとマルティナの歌による"サイケ"、あるいはホレス・アンディが歌い、ブレイクビートと震動するベースラインがしなやかな絡みを見せる"ガール・アイ・ラヴ・ユー"のような曲こそファンが待ち望んでいるマッシヴ・アタックかもしれない。これらの曲は『ブルー・ラインズ』へと接続する。そして、エルボウのガイ・ガーヴェイをフィーチャーしたドラッギーな悲歌"フラット・オブ・ザ・ブレード"、西海岸から参加したホープ・サンドヴァルの妖艶な声とピアノ・サンプルのループが目眩を生む"パラダイス・サーカス"は『メザニーン』へと接続する。

 3Dが歌う"ラッシュ・ミニット"もまた『メザニーン』的な――つまりヴェルヴェット・アンダーグラウンド的な暗いトリップで、これが『ヘリゴランド』のハイライトである(残念なことに日本盤ではこの曲の訳詞が割愛されている)。盟友デーモン・アルバーンのソウル・ヴォーカルをフィーチャーした"サタデー・カム・スロー(土曜日はゆっくり来る)"は、エリザベス・フレイザーによる"ティアドロップ"をはっきりと思い出させる。

 3Dによれば、アルバムの歌詞にはあらゆる位相において政治的な問題提起がされているとのこと。なお、日本盤には"フェイタリズム"の坂本龍一と高橋幸宏によるリミックスが収録されている。昨年マッシヴ・アタックがメルトダウン・フェスティヴァルのキュレーターを務めたときに、3Dいわく「政治的な理由から」YMOを呼んでいる。また、ブリアルによるリミックスも近い将来に聴くことができそうである(グレイト!)。

Scout Niblett - ele-king

 この10年、いわば退廃的な女性シンガーというのが顕在化していて、ホープ・サンドヴァル、キャット・パワー、あるいはエマ・ルイーズ"スカウト"ニブレットあたりがその代表と言えよう。彼女たちはまるで......とくに在米イギリス人のスカウト・ニブレットは、スティーヴ・アルビニと組んだサード・アルバム『アイ・アム』(2003年)以降は、温かいブルースと激しいのソウルのミックスジュースで、エレガントなバラードを歌うかと思えば、ローファイ・ノイズ(エレクトリック・ギターとドラムによる)が爆発する曲もある。牧歌的なフォークもあるし、天文学についての曲もある。だが、いずれにしてもニブレットの本質とはブルースなのだ。それもまた、傷ついて、疲れ、すり減った心が歌う勇敢なブルース。彼女がいまだに熱心なファンを逃さないのは、彼女の音楽にはどうしようもなく魂を揺さぶられるような瞬間があるからである。

 〈トゥ・ピュア〉を離れ、〈ドラッグ・シティ〉からのリリースとなった通算6枚目のアルバム『ザ・カルシネーション・オブ・スカウト・ニブレット』は、ウィル・オールダムとのデュエットなどに象徴されるような3年前のフォーキーな前作とは打って変わって、よりハードに、よりノイジーに、よりシンプルに、ニブレットのブルースが強調されている。エレクトリック・ギターのみで弾き語られる"I.B.D."のようなバラード、"ベルジン"のような美しいブルースは彼女の独壇場で、彼女のこの手の曲はいつ聴いてもうっとりさせらる......が、このアルバムはこれまでの彼女のキャリアのなかでもっともハードな作品になっている。

 アルバムはまるでストゥージズのように、彼女の強烈に歪んだギターからはじまる。そして2曲目の"ザ・カルシネーション・オブ・スカウト・ニブレット"や"ルーシー・ルシファー"のような不機嫌なブルース・ロックがアルバムの方向性を浮かび上がらせる。アルバムの後半も穏やかさと激情が交錯する"リップ・ウィズ・ライフ"、ひときわノイジーな"ストリップ・ミー・プルート"(彼女が好きな天体をモチーフとしている)といった曲が続く。

 ニブレットの歌は、間違いなく研磨されているようである。彼女のなかの激しさは自分の理性によってコントロールされ、アルバムでは彼女の新しいスタイルが作られようとしている。それはいわばローファイ・オルタナティヴ・ブルース・ロックで、長年のパートナー、スティーヴ・アルビニの手によってあたかもライヴハウスで聴いているような音になっている。その驚くほどの生々しさが、彼女のエモーショナルな音楽をさらに特別な響きにしている。

Eccy、あるぱちかぶと - ele-king

 ダブステップで踊りたい――身も蓋もないその思いは、ここ1~2年で突然変異のように多様化したこのジャンルの魅力に取り憑かれ、いまどき12インチを漁っているような人間にとっては拭い去れない衝動である。先日、2年もの休止を経てようやく再オープンする宇川直宏の〈マイクロオフィス〉(まだ準備中)に行ったときも、彼の自慢のファンクション・ワンでイターナルの『メッセージ・フロム・ザ・ヴォイド』を鳴らしてもらったほどだ。そういうわけで、エクシーのDJとクオルタ330のライヴが聴けるのであればと、昔同じ編集部で臭いメシを食った仲間である西崎博之の送別会を抜けて、僕はひとりで渋谷の〈プラグ〉へと向かった。その夜は、あるぱちかぶとのライヴもある。あるぱちかぶとというのは、つい先日目の眩むようなデビュー・アルバムを発表したばかりの、まだ20代ちょいの才気溢れるラッパーである。

 午前0時ぐらいに会場に着くとフロアは若い連中で賑わっている。ほとんどが20代前半だろう。間違っても30代はひとりもいない......が、40代はふたりいた。僕とY氏である。これだけ若者で埋め尽くされたパーティに行ったのがものすごーく久しぶりだったので、それだけで充分に新鮮だった。フロアにいるのは50人ぐらいだったが、20年前のレイヴ前夜の東京のクラブもこんなものだったので、懐かしくもあった。もっとも、若い世代による若いダンス・カルチャーの素晴らしいエネルギーがみなぎっているこの夜のフロアは、ノスタルジーに浸ることなど許さない。

 EMFUCKAのDJ、小宮守のライヴ、HAIIRO DE ROSSI のDJとオロカモノポテチのMCがフロアを盛り上げる。Broken HazeのライヴDJを経て、クオルタ330のライヴがはじまる。もったいつけるようにしばらく間をおきながら、ダブステップのあの揺れるような汚い低音が飛び出す。格好いい~!

 ロンドンの〈ハイパーダブ〉(ダブステップの最重要レーベル)から作品を出しているこの日本人クリエイターの音楽は、既発のモノに関して言うなら、テクノ・ポップをダブステップに変換したような作風を特徴としている。が、ライヴではレコードで聴ける"ブリープ"なテイストはなく、そしてダブステップは彼の音楽の一部であり、すべてではなかった。とはいえダブステップ世代らしいセンスが随所にあって、新鮮なテクノ・サウンドを披露した。

 そこへいくとエクシーは彼のダブステップ体験を存分に発揮した。既発のダブステップ音源を自分流に手を加え、さらにそこに自分の音源を混ぜたりしながらのライヴDJだった。最後はビョークの"ハイパーバラッド"の彼自身によるダブステップ・ヴァージョン。上機嫌になって「未来は明るいね!」と、僕はY氏に鼓膜に喋ったほどだ。

 あるぱちかぶとはフロアからは目が見えないほど帽子を深くかぶって登場した。右手にはマイク、左手にはスナフキンの指人形があった。その姿はラッパーというよりも、別の世界から何かの間違いで迷い込んだ少年だった。彼は手はじめに、"完璧な一日"と"トーキョー難民"といったアルバムのなかでもとくに印象的な曲を続けざまにやった。あのおそろしく大量な言葉をアルバムに録音されたスピードで彼はラップした。世界への冷酷な眼差しと温かい慈しみが交錯する"完璧な一日"はライヴではなおすさまじく、"トーキョー難民"で綴られる猛スピードの風景はその場を圧倒した。あるぱちかぶとは時折フロアに目をやるものの、多くはステージの右から左へと往復して、たびたび天を仰いだ。最後の曲は"日没サスペンデッド"だった。「だけど欲張って他人の人生を生きるなんて/そんな愚かなことはないだろ?」――曲のなかでとくに印象的なこのフレーズは、人生のロールモデルとなる大人が不在のこの国の子供たちの、静かな決意のように思える。

 新しい言葉と音が渋谷の暗い暗い地下2階で、胎児のように動いていた。鮮烈のラッパーのライヴが終わったとき、時刻は午前4時だった。僕は長い距離を歩いて、そしてタクシーに乗った。

Gucci Mane - ele-king

 ジェイ-Zやスヌープ・ドッグの新作も悪くはない。耳を引く瞬間だって何度かはあった。キャリアの重みを聴き取ることも音楽体験の一部だろうし、なによりも彼らの表現がそのことに押しつぶされていないということはけっこう重要だといえる。目も当てられない大御所というのはゴマンといるわけだから。

 しかし、ジェイ-Zだったら"ハード・ノッキン・ライフ"、スヌープだったら"ワッツ・マイ・ネーム pt.2"を聴いた時と同じ興奮を感じさせてくれる曲がいまここにあり、どちらを繰り返し再生するかといわれれば、前者に勝ち目があるわけがない。なぜなら、時代と強く結びついているのは明らかに後者であり、その時にしか味わえないスリルを多分に有していることがポップ・ミュージックを聴く意味や理由になっていたりするのだから(音楽をよく知っている人はスクリームを聴きませんよね)。マイルス・デイヴィスやビートルズがとんでもないのは、彼らの曲がいまだに彼らのキャリアを超えてしまう瞬間が頻繁にあるからだろうし、ある特定の時代を思い出すという感覚とは、それはまったく異なるものである。


 メジャー2作目(国内盤は初)。09年度に行われたMTVのMCランキングではリック・ロスに続いて6位に入るという注目株。E-40やヤング・ジョックほどサウンド的にズバ抜けているとは思わないけれど、エレクトロ系では先行したソウルジャ・ボーイに多少のヒネリを与えたような仕上がりで、時によっては典型的なサウス系のトラックに力の抜けたフロウが妙に合う(ソウルジャ・ボーイも"ビンゴ"でフィーチャー)。大上段に振りかぶるか、奇をてらった展開に出るか、いずれにしろ極端な傾向が目立つサウス・サイドではしっとりとした感性が際立ち、抒情に流れそうな一歩手前でビート・ミュージックとしても独特の機能を有している(なんというか非常にしなやかで、寝技という言葉がとてもよく似合う)。リル・ウェインをフィーチャーした"ストゥーピッド・ワイルド"はケイデンス・ウェポンのファーストを思わせるし、トラックとフローの整合性がいったいどこで取れているのかという驚異はK-ザ・I???『ブロークン・ラヴ・レターズ』でイヤというほど思い知らされたことだけれど、"~~~"でもそれに近いスキルは(も随所で)堪能することができる(これはもうジャズを聴く感じか?)。


 スヌープ・ドッグを彷彿とさせるゴシップは割愛。ヒップホップでは珍しくない話だし。ちなみに"ジンジャー・ブレッド・マン"の「アイ!」という合いの手のループがスチャダラボーズの声に聞こえてしょうがない......

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 ライアン・マッギネス(https://www.ryanmcginness.com)。アーティストとしてすっかり有名な彼だが、彼が〈50 parties〉というパーティを、自分のスタジオ(@チャイナタウン、隣はエミネムのスタジオ!)で、毎週金曜日にはじめた。2009年の7月3日に第1回を開き、ワイン、カジノ、ディベート、スケート、ゴス、ドローイング、かなり個人的なバースディ、季節にそったニュー・イヤーズ、ハロウィン、プール、ホワイト・トラッシュBBQ、その他意味がわからない、唾飛ばしパーティなど、ぶっちゃけ何でもあり。パーティ内容は,キュレーターによって全然違うが、タイトルに沿った催しをするのだろう。それぞれのパーティにロゴマークがデザインされ、お酒はオープン・バー、招待された人しか入れない、秘密のプライヴェート・パーティである。

 私が参加したのは、1月22日に開かれた"ロックンロール・パーティ"。28回目になる。この2回前は"セックス・パーティ"、1回前が"ドラッグ・パーティ"、そしてこの週が"ロックンロール・パーティ"、でこの次の週は"リハブ・パーティ"。"セックス、ドラッグ、ロックンロール!"、そして"リハブ".....一応繋がっているのだろう。

 私は参加していないが、聞いた話によると、セックス・パーティは、ベイブランドという大人のトイショップの人がキュレーターで、個室が作られ,光り輝く穴、プロの手があり、ドラッグ・パーティは、たくさんのサイケデリックな物を試していき、どんどんいろんな種類の良い物がテーブルの上に積み上げられ、リハブ・パーティは、マッサージとカラー・セラピー、日本でいうところの健康ランドみたいな状態になったらしい。想像ばかりが膨らみ、真相をたしかめたい気もするが、どのパーティもプライヴェートなのでお誘いがないと参加できない。

 で、こういうときに強いのが,顔の広いパーティ・ピープル。いろんな人を捕まえては、内容を聞き出そうとしたが,結局パーティ好きのアメリカ人なので,どんなパーティでも、いろんな人と話し、お酒を飲んでいるのは変わらないとのことでした。
そして,今回お誘い頂いた、ロックンロール・パーティ。キュレーターはDJ Listo。タイムテーブルは以下の通り。

Punk Rock Karaoke
Punk Rock Karaoke

Hard Nips
日本人の女性たちによるHard Nips

Sugarlife
Sugarlife

9:00 pm
- Guy Fantasy

9:45 pm
- Punk Rock Karaoke

10:45 pm
- battle of the bands:
Hard Nips vs. Scorpio Rising

12:00 pm
- Sugarlife

12:30 pm
- LightAsylum

dj's Virgil Rhames - dj Listo(me)

 今回のパーティの客層(というかどのパーティもほとんど層は変わらないと思うが)は、ライアンやキュレーターの友だちで、アート系,音楽系の20代後半から40代前半ぐらい。とにかくお酒の飲めないキッズ系はいないので,少し余裕のある大人のパーティという感じだ。

 パンク・ロック・カラオケは、演奏する人たちの経歴が長いのか、演奏が激うま! かなりたくさんのカラオケリストを持っている。プロの演奏で歌うカラオケ(それもパンク仕立て)はかなりいい感じで、5~6人がフリも完璧で歌っていた。キュレーターのひとりはバウ・ワウ・ワウの"アイ・ウォント・キャンディ"を歌っていたが、着ていたTシャツまで、「I want Candy」という懲りよう。

 次の女の子バンドのバトルは、スペースの端と端にバンドのセットをし、1曲1曲交代で演奏する。お客さんは見たいバンドの方に来る。といっても、行ったり来たりする人がほとんどだったが、バトルといってもキャット・ファイトなので、普通に盛り上がる。どちらもブルックリンのローカル・バンドでハード・ニップスは日本人女の子4人のバンドである。

 今回のメインはライト・アサイラム。!!!のボーカルもしていたシャノンという女の子のバンドで、かなりやばい。時間がかなりおして2時頃からはじまったのに帰るひとはいない。その後はまたもやダンス・パーティ......

 うちのカフェ〈スーパーコア〉からも歩いて近い、〈モンキー・タウン〉という、レストラン、イヴェント・スペース、音楽ヴェニューがある。オーナーがアーティストで、内装が素敵でとても良い空間を生み出している。レストランのメニューはインターナショナルで、ハンバーガーにでさえひと工夫が加えられている。イヴェント・スペースにはスクリーンが、前、後、右、左と4つあり、そこでは、違う映像を流したり、同じ映像を流したり、バンドが演奏したり、DJがいたり。そこでお酒を飲み、ご飯を食べ、ゆったりとソファにくずれ落ち、寝転びながら、音楽と映像を浴びるのである。

 このインディペンデントな場所が1月末にクローズした。最後の日に行ったら案の定すごい人。レストラン・スペースも、後ろのイヴェント・スペースも動けないぐらい人でいっぱい。そこには、先ほど書いた、〈50 parties〉のキュレーターやバトル・バンドのスコーピオ・ライジングのメンバーも来ていた。イヴェントがあるとみんなきちんと現れるのがNY風だ。宇宙のような空間でのDJの後は、ラヴ・イズ・オールをもう少しクレイジーにしたようなバンドが登場。その後はソファーやイスをすべて取っ払って、朝までダンス・パーティ。とても楽しかったが、かなり複雑。ブルックリンで重要なスペースがまたひとつ消えたから。

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