「UR」と一致するもの

interview with Mat Schulz & Gosia Płysa - ele-king


Mica Levi & Sinfonietta Cracovia, Tarta Relena and Jana Shostak - Unsound 2024

〈Unsound〉は、2003年、友人と私でクラクフという町の小さなイベントとしてはじまったんだ。実験音楽やエレクトロニック・ミュージックへの私たちの愛情から生まれた情熱のプロジェクトだ。

まず、〈Unsound Festival〉がどのようにして生まれたのか、教えてください。

マット・シュルツ:〈Unsound〉は、2003年、友人と私でクラクフという町の小さなイベントとしてはじまったんだ。実験音楽やエレクトロニック・ミュージックへの私たちの愛情から生まれた情熱のプロジェクトだ。当時、ヨーロッパにはこのようなタイプのフェスティヴァルはほとんどなかった。ましてポーランドにはなにも存在していなかったから。だから、ポーランドと海外のアーティストがともに音楽で実験をすること、新しい音を創造するための場をつくることが、そのアイデアの核心にあったんだ。

ゴシャ・プワィサ:私はボランティアとして〈Unsound〉チームに参加した。当時ジャーナリズムを学んでいたので、PRやコミュニケーションを手伝ったんです。最初はじつにDIY的な取り組みで、多くの人がボランティアとして関わり、楽しみながら活動していました。初期の頃は、クラクフの中世の地下室で開催していたんだけれど、あれは本当に楽しくて、特別な時間だったと感じています。
 私たちが自分たちの団体を設立したのは2008年になってからで、その頃からじょじょにプロフェッショナルな形に発展した。公的資金への申請や国際的なコラボレーションを通じて、このフェスティヴァルは成長しました。2010年には〈Unsound NYC〉がはじまり、〈Unsound〉の国際的な展開において重要な一部となったんです。

ポーランドのクラクフには、どんなシーンがあったのでしょうか?

マット・シュルツ:クラクフは、戦後アヴァンギャルドの第一人者でありポーランドでもっとも有名な作曲家ペンデレツキを輩出した町としても知られている。また、1970年代初頭に設立されたクラクフ音楽アカデミーの電子音楽スタジオもある。それなのに、かつてのクラクフやポーランドには実験音楽やエレクトロニック・ミュージックに関する大きなシーンがほとんど存在していなかった。
 現在の状況は大きく変わっている。ポーランドはこの分野において、ヨーロッパでももっとも興味深い音楽シーンのひとつを持つ国となった。その中心人物の一部は大阪でもパフォーマンスを行っている。〈Unsound〉もこの変化に少しは関わっていると思う。私たちは、ポーランド国内外でこうした文脈を作り出すサポートをしてきた。実際、多くのアーティスト——VTSSのような有名な存在ですら——が、〈Unsound〉で観客として体験したことをきっかけに音楽をはじめる決心をしたと聞いている。

ゴシャ・プワィサ:クラクフには、クラシック音楽やクラシック・ジャズのシーンはちゃんと存在していた。それは現在でも続いています。ところが、国際的な実験音楽アーティストを紹介する場やフェスティヴァルは決して多くなかった。しかしその一方で、コンサートやパーティを企画するインディペンデントなクラブや会場は、現在よりもたしかに多く存在していた。
 それから20年以上が経った現在、クラクフは再開発され、観光地化された街へと変わってしまった。独立系のスペースはもう、ほとんど残っていない。その代わりに観光客向けのホテルやレストラン、バーが数多く立ち並んでいる。もちろん、いまも素晴らしい会場 や劇場やコンサートホール、あるいは私たちが会場として使おうと工夫している場所は存在しているけれど、年々難しくなってきている。これは世界の多くの主要都市に共通する現象ですね。

初期〈Unsound Festival〉は当時のポーランドの政治状況とどんな関係にあったと思いますか?

マット・シュルツ:〈Unsound〉は、いわゆるポーランドの「変革期」から確実に生まれたもの。当時、国や都市は計画経済の共産主義体制から市場経済へと移行していたし、あらゆるものが流動的だった。〈Unsound〉もその一部であって、さまざまなアイデアや音楽に開かれたフェスティヴァルとして、共産主義崩壊後に空き家となった建物——巨大なホテル・フォーラムや廃工場など——に一時的な空間を生み出していました。それから20年経ち、クラクフの再開発が進み、観光地化が進んだことで、こうした空間は見つけにくくなっています。あの頃の街には〈Unsound〉やその音楽と非常に相性の良い「生の荒々しさ」があった。

ゴシャ・プワィサ:〈Unsound〉はポーランドがEUに加盟する前(2005年)に始動した。この年は、ポーランドが大量観光や格安航空旅行に開かれていく重要な転換点だったと思う。これによりポーランドの多くの都市で再開発が進みましたが、一方で人びとがポーランド文化や私たちのフェスティヴァルを体験しやすくもなった。 また、EU加盟と同時に、とくにクラクフをはじめとする多くのポーランドの都市が、文化や大規模なフェスティヴァルを活用して自らをプロモーションすることを決め、国の文化政策が〈Unsound〉のような取り組みを支援するようになった。これにより〈Unsound〉は大きく成長することができました。 ただし、私たちが実験音楽やエレクトロニック・ミュージックを扱っているため、いまでもポーランド国内では政府からの支援を得にくい部分があると感じている。その一方で、ポーランドの関係者は私たちのブランドが国際的に持つ重要性を理解してくれている。だから〈Unsound Osaka〉やその他の海外での取り組みのような活動には支援をしてくれているんだ。

ポーランド国外からのオーディエンスが集まり、ヨーロッパでも有数のイベントのひとつになっていった経緯を教えてください。

マット・シュルツ:〈Unsound〉は移動可能なフェスティヴァルだから、ミンスク、キーウといった旧ソ連の国々やニューヨークなど、さまざまな国や都市で開催されてきた。2010年前後にニューヨークで大規模な〈Unsound〉を開催したことがクラクフにもフィードバックされ、人びとの注目を集めるきっかけになったと思う。同時期には、クラクフ市からの資金支援が増えたことで、多くの突飛なアイデアを実現できるようになった。それが 〈Unsound〉を際立たせたことも事実だよ。例えば、特別に委嘱したプロジェクトや、当時としては珍しかったジャンル横断的なプログラミング——実験音楽とクラブ・ミュージックを同じプログラムに並べるといったこと——を実現させた。また、毎年新しいフェスティヴァル・テーマを設定し、それを中心的な軸とするようになった。2010年のテーマは「Horror: The Pleasure of Fear and Unease」で、聴き手に不安や不快感を与える音楽のあり方を探求するもので、このやり方が大きな注目を集めた。
 〈Unsound〉にとってデザインも重要。毎年新たにデザインが更新されることで、単にフェスティヴァルを宣伝するだけでなく、そのイメージ自体を形成していく役割を担うようになった。これは当時としてはユニークな試みだったと思う。

ゴシャ・プワィサ:〈Unsound〉はプログラム自体を、ひとつの物語を持つ完全な作品として意識的にキュレーションしはじめた最初期のフェスティヴァルのひとつだった。世界的に見ても数少ない試みだった。異なるジャンルを同じ空間で組み合わせて提示したり、ジャンルや地理的な文脈を越境する新しいプロジェクトを立ち上げたりね。こうした独自のプログラムづくりのアプローチに加え、クラクフでのマルチ会場型の開催形式(のちには他の国際的な開催地でも)によって、より幅広い関心を集めることができたと思う。また、私たちは常に国際的なプレスをフェスティヴァルに招き、ゲストやアーティストに特別な体験を提供することを重視してきた。そうした積み重ねが、自然と口コミとして広がっていったのだと思います。
 現在、〈Unsound Kraków〉の観客の約60%はポーランド国外からの来場者。大半はヨーロッパからの来場で、アメリカ、日本、その他の遠方から来るゲストも少なくありません。

音楽面において、エレクトロニック・ミュージック、エクスペリメンタル・ミュージックをキュレートしていますが、音楽面でのコンセプトについて説明してください。

マット・シュルツ:私たちは常に冒険的な音楽に惹かれています。しかも、それが何を意味するかについてあまり制限を設けないようにしている。その結果、フェスティヴァルのプログラムはじつに挑戦的な実験音楽から、オルタナティヴなクラブ・ミュージックまで、多くのジャンルを横断するものとなった。また、常に新鮮なサウンドを探求しているし、エレクトロニックや実験音楽の分野における先駆的なアーティストにもスポットライトを当てるようにしている。私たちはリスクを取ることを好み、オーディエンスもそれを受け入れる準備ができています。〈Unsound〉にはオープンマインドとオープンイヤーで来てもらうのが一番です。既知のものを確認する場というよりも、新しいものを発見するための「フェスティヴァルであり、同時にラボラトリー」と考えてもらえると良いと思います。


Lord Spikeheart - Unsound 2024

ゴシャ・プワィサ:マットがよく説明してくれました。世界中の音楽シーンにおける最新の動きを探し出し、リスキーな組み合わせを実行することこそ、私たちが大好きなことだ。大物の有名ヘッドライナーだけをブッキングするのではない。むしろ未来のスターを発見し、彼らが成長できるプラットフォームを提供したいと考えています。個人的に好きなのは、音楽をパフォーマンスやヴィジュアル・アートとつなげること。最近はラップトップを使ったオーディオ・ヴィジュアルにはちょっと飽きてきているけどね(笑)。

毎回テーマを決めて、ヴィジュアルや建築も重視していますが、こうした発想の背景について教えてください。

マット・シュルツ:先ほども触れましたが、2010年からテーマとキーヴィジュアルを設定している。主にポーランドのアーティストやグラフィックデザイナーと協働しながら制作しているんだ。以前のクラクフでのメイン・ヴィジュアルには出演アーティストの名前が記されていたけれど、その後はヴィジュアル自体が中心となった。特定のアーティストやヘッドライナーではなく「体験」としての〈Unsound〉の全体像を示すものになった。映画のポスターのようなイメージです。
 私たちはこれらのヴィジュアルをPRのギミックではなく、フェスティヴァルを創造のプラットフォームとする一部だと考えている。また、テーマを設定することで、毎年新しい形でプログラムを構成することが可能になった。これは音楽面だけでなく、〈Unsound Kraków〉にとって重要な要素である議論やディスカッションのプログラムにも反映されているよ。

ゴシャ・プワィサ:マットが言う通りです。それに加えて私は、プログラムに合った建築を選ぶこと、ケータリング、会場のインテリアといった要素まで含めて「雰囲気をつくる」ことがとても大切だと感じている。

エレクトロニック・ミュージックのフェスでは〈Sonar Festival〉や〈Dekmantel Festival〉なども有名です。残念なことに〈Sonar Festival〉は、イスラエル・パレスチナ問題への関与で批判され、大規模なボイコット運動にもつながった「Superstruct Entertainment」によって運営されています。〈Unsound Festival〉の独自性はどこにあるとお考えですか?

マット・シュルツ:〈Unsound〉は 「Tone Foundation」という非営利団体によって運営されているけれど、これは商業フェスティヴァルとはまったく異なるモデルです。これは意識的に選んできた方針です。私たちの世界において、音楽と政治は常に結びついている。それは私たちのプログラム、とくにパレスチナを支持するディスカッション・プログラムにも反映されている。そして、その立場は、イスラエルがガザで行っているジェノサイドを目の当たりにするなかで、よりいっそう強固なものとなっている。
 また、ポーランドはウクライナに非常に近く、多くのウクライナ人が戦争によって国外に追われ、ポーランド国内で生活しています。そのため、私たちはロシアによるウクライナ侵攻という問題にも関わっている。ウクライナに対する私たちの視点はポーランドの地理的・歴史的な位置によって形づくられているのです。

ゴシャ・プワィサ:〈Sonar〉のような団体とは異なり、私たちは独立した非営利組織であるため、〈Unsound〉には株主のような存在はいない。つまり、フェスティヴァルの方向性や政治的立場については、ディレクターや理事会として私たち自身が責任を負っている。また、芸術的・実務的な意見や好みはチーム内で異なる部分があっても、ガザで起きているジェノサイドを非難する点においては確実に一致していると言える。私たちは植民地主義的な慣行に積極的に反対してきたし、ポーランドの国境に近く、東欧や中欧にとくに強い影響を及ぼしているロシアによるウクライナ侵攻も非難している。
 私たちは依然として比較的小さな組織であり、財政的に苦労することが多いのもたしかだけれど、しかし、イスラエルの軍事産業に関与する企業からの 〈Unsound Kraków〉へのスポンサーシップの提案を断らざるを得なかった。また、適切なプログラム活動を通じて、パレスチナの闘争の可視性を支援するよう努めてもいる。


Daniel Szwed - Unsound 2024

私たちは常に冒険的な音楽に惹かれています。しかも、それが何を意味するかについてあまり制限を設けないようにしている。その結果、フェスティヴァルのプログラムはじつに挑戦的な実験音楽から、オルタナティヴなクラブ・ミュージックまで、多くのジャンルを横断するものとなった。

いままでやったなかで、とくに思い出深いイベントはなんでしょう?

マット・シュルツ:ひとつのイベントだけを選ぶのは不可能だけれど、正直に言って〈Unsound Osaka〉はもっとも印象に残るもののひとつになりつつある。とくに私たちは日本の音楽や文化の大ファン、素晴らしい日本のパートナーやアーティストとともにここでイベントをつくる機会を得られたことは、本当に夢のようなんだ。
 それ以外では、クラクフで行った〈Unsound Surprise〉が大きな出来事でした。プログラムの半分を事前に発表せず、多くのサプライズ枠を設け、観客は誰が演奏するのかまったくわからない状態だった。無名に近いポーランド人アーティストが登場することもあれば、リッチー・ホウティンが出演することもあった。そして、あの中世の岩塩坑で行われたサプライズ枠のひとつで、本当に Burial が演奏したのかどうか——これは永遠に謎のままです。

ゴシャ・プワィサ:現時点でも大阪は本当に特別なエディションになると感じている。これほど多くの素晴らしいアーティストを日本に迎えることができること、さらに地元のアーティストをこの文脈のなかで紹介できることを大変光栄に思っているよ。

大阪でフェスティヴァルを開催することになった経緯、そして今回のエディションの「テーマ」について教えていただけますか?

マット・シュルツ:私たちは以前からずっと日本で何かをやりたいと考えてきた。マージナル・コンソートや灰野敬二、石橋英子、KAKUHAN、Yosuke Yukimatsuなど、日本の音楽の大ファンだからね。日本と他の地域、とくにポーランドとのあいだでコラボレーションを築けることは、本当に夢のようなことです。
 今回のテーマである「WEB」にはさまざまな意味があるけれど、もっとも基本的なレヴェルでは、2025年にクラクフ、大阪、ニューヨークで展開される一連のイベントを指している。それらはポーランドの画家ヘレナ・ミンギノヴィチのデザインを軸に形づくられています。

ゴシャ・プワィサ:本当に素晴らしいコラボレーションだ。出てきたアイデアをすべて実現するには、あと数回のエディションが必要だと思う。〈Unsound〉の枠組みのもとで、これほど多くの異なる場をつなげることができたのはとても嬉しいことだし、これがすべての人にとって良い形で機能することを願っています。

最後に、今回の〈Unsound Osaka〉の豊富をお願いします。

マット・シュルツ:現時点では、まずは今年のエディションを無事にやり遂げることに集中している。そして、このフェスティヴァルが関わるポーランドと日本のアーティスト双方に新しい観客をもたらしてくれることを願っている。今回の開催を通じて、KAKUHAN と Adam、Ka Baird と FUJIIIIIIIIIIITA、2k88 と Ralph といった新しいコラボレーションのプラットフォームをつくれたことを嬉しく思う。これらのコラボレーションからさらに発展が生まれ、また新しいつながりが生まれていくことを願っています。
また、〈Unsound〉が都市型フェスティヴァルで採用しているマルチジャンル・マルチベニューのアプローチは、日本において必ずしも一般的ではないと認識している。それでも、多くの人びとに楽しんでいただき、新しい発見をしてもらえればと思います。なぜなら、最終的に冒険的な音楽のさまざまなスタイルのあいだには、分断よりもむしろ多くのつながりが存在しているからです。

ゴシャ・プワィサ:私たちは日本に滞在し、その素晴らしい音楽やアートのシーンを発見できることをとても楽しみにしている。なので、これが最初で最後の機会にならないことを願っています。もし私たちが日本語を話せれば、運営のプロセスがもう少し楽になるかもしれないけれど、パートナーの皆さんがとても理解があり、サポートしてくれているので、すべてが順調です。だから、これがさらに発展していくことを願っている。そして次回は、もっと上手に日本語を話せるようになりたいと思います!


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Unsound Osaka Official HP : https://unsound.jp/


Unsound Osaka

2025年9月5日 - 2025年9月7日

【Unsound Osaka 第二弾プログラム発表】
来週末、大阪市内複数会場にて開催されるUnsound Osaka
メインプログラムの追加出演者とアフターパーティーの開催が決定!
DJ Sprinkles、mad miran、RP Boo、2K88などの国際的に高く評価されるDJに加え、大阪・日本のアンダーグラウンドシーンを牽引するDJたちが登場します。

この度、VS.(9月5日)、クリエイティブセンター大阪(9月6日)、大槻能楽堂(9月7日) にて展開されるメインプログラムに加え、新たな追加出演者、並びに大阪を代表するクラブとの共同開催によるローカルシーンに焦点を当てたアフターパーティーの開催が決定しました。

【追加プログラム】

9月5日(金)- NOON+CAFE × Unsound Osaka

開催日時:2025年9月5日(金)OPEN / START 23:00
会場:NOON+CAFE(MAP)
エントランス:¥1,500
出演者:
DJ Fulltono
KA4U
mad miran
WÖNDER GIRL

Unsound Osakaの一夜目を飾るアフターパーティーは、梅田中心部に位置し、9月5日(金)に開催されるメインプログラムの会場であるVS.から徒歩圏内のNOON+CAFEで開催されます。オランダのアンダーグラウンドシーンを代表するDJ/プロデューサーのマッド・ミラン(mad miran)が、多様な電子音楽のスタイルを自在に融合させた独自のセットを披露します。さらに、日本におけるフットワーク/ジュークの第一人者として広く知られ、大阪のシーンを牽引するDJ Fulltono、地元から強い信頼を寄せられるKA4U、そして新世代を代表するWÖNDER GIRLが出演。国際的なアーティストとローカルシーンの才能が交わる一夜となります。

【追加プログラム】

9月5日(金)- Socore Factory × Unsound Osaka

開催日時:2025年9月5日(金)OPEN / START 22:00
会場:Socore Factory(MAP)
エントランス:¥2,000
出演者:
DJ Sprinkles
SAITO

9月5日(金)にはNOON+CAFEでのアフターパーティーに加え、南堀江のライブベニューSocore Factoryでもアフターパーティーが開催されます。メインDJを務めるのは、電子音楽界で最も尊敬されるアーティストの一人であり、クラブ情報サイトResident Advisorから「電子音楽界で最も興味深い人物の一人」と評されるDJ Sprinkles。DJ Sprinklesは、Terre Thaemlitz(テーリ・テムリッツ)のディープハウスDJ名義であり、現在は千葉を拠点とすアメリカ出身のプロデューサー、DJです。Thaemlitzはアーティストやライターとしての活動でも知られています。会場では、DJ Sprinklesが4時間に及ぶロングセットを披露。オープニングアクトには、山形を拠点に活動するバイナルDJのSAITO が登場します。

9月6日(土)- Creaitve Center Osaka

公演日時:2025年9月6日(土)OPEN / START: 15:30
会場:クリエイティブセンター大阪(MAP)
チケット:ZAIKOにて販売中
出演者:
Hania Rani presents Chilling Bambino
∈Y∋ & C.O.L.O
2K88 – Live feat. ralph
ralph
Rai Tateishi(Live Processing by Koshiro Hino)
KAKUHAN & Adam Gołębiewski
FUJI|||||||||||TA & Ka Baird
RP Boo & Gary Gwadera
1729 (fka Iryoku)
Hamon
Mongoose

既に発表されている9月6日(土)のクリエイティブセンター大阪でのメインプログラムに、新たな出演者が加わります。BLACK CHAMBERでは1729(fka 威力) がオープニングDJセットを披露。また、屋外スペースでは大阪のDJたちの聖地として知られる Newtone Records のテイクオーバーが行われ、Hamon と Mongoose が出演します。 クリエイティブセンター大阪での出演者ラインナップおよびタイムテーブルは、こちらよりご確認ください。

【追加プログラム】

9月6日(土)- Club Daphnia × Unsound Osaka

開催日時:2025年9月6日(土)OPEN / START 21:00
会場:Club Daphnia(MAP)
エントランス:¥2,000
出演者:
YAMA
ZODIAK
BUCCO
Milky Lylei
KAPI

クリエイティブセンター大阪でのメインプログラム終了後には、徒歩県内のクラブClub Daphniaにてアフターパーティーを開催します。goatやYPYでの活動を通じ国際的に高い評価を得る日野浩志郎がキュレーションを担当。関西圏で活躍する DJのYAMA、ZODIAK、BUCCO に加え、九州出身で大阪を拠点とするライブデュオ Milky Lylei、さらに仙台からのゲストDJ KAPI が出演します。 Unsoundのスピリットを体現し、実験的なサウンドからレフトフィールドなダンスミュージックが展開される一夜となります。

【追加プログラム】

9月6日(土)- Circus Osaka × Unsound

開催日時:2025年9月6日(土)OPEN / START 23:00
会場:Circus Osaka(MAP)
エントランス:¥3,000*
*クリエイティブセンター大阪でのメインプログラム参加者はリストバンド提示で入場無料となります。

出演者:
2K88
ANCHIN
Angie.Light
KΣITO
UKD
RP Boo

9月6日(土)に開催されるClub Daphniaでのアフターパーティーに加え、心斎橋のクラブCircus Osakaでもアフターパーティーが開催されます。クリエイティブセンター大阪でのメインプログラムにライブ出演する2人のアーティストが、DJとして再登場します。1人目はシカゴのフットワークのゴッドファーザーと呼ばれるRP Boo。そして、ポーランドのクラブ音楽シーンを牽引する「PLサウンド」の先駆者として知られるポーランドのプロデューサー兼DJ、2K88です。さらに、フットワークとGQOMを融合させたスタイルで知られるKΣITO、日本のドリルとグライムシーンを代表するDouble ClapperzのUKD、そして大阪の新星アーティストANCHINとAngie.Lightも出演します。本アフターパーティーはCircus Osakaとの共同キュレーションにより開催されます。また、同日クリエイティブセンター大阪で開催されるメインプログラムへの参加者は、リストバンドを提示いただくことで無料でこちらのアフターパーティーをお楽しみいただけます。

【追加プログラム】

9月7日(日)- Compufunk × Unsound Osaka

開催日時:2025年9月7日(日)OPEN / START 20:00
会場:Compufunk(MAP)
エントランス:¥1,000*
*クリエイティブセンター大阪、大槻能楽堂でのメインプログラム参加者はリストバンド提示で入場無料となります。

出演者:
secret lineup

9月7日(日)にメインプログラムが開催される大槻能楽堂から徒歩圏内のレコードストア兼クラブCompunkにて、Unsound Osakaのフィナーレを飾ります。出演者はシークレット。また、クリエイティブセンター大阪、大槻能楽堂で開催されるメインプログラムへの参加者は、リストバンドを提示いただくことで無料でこちらのアフターパーティーをお楽しみいただけます。

Feronia Wennborg & Lucy Duncombe - ele-king

 「声」とは何か。人間的な響きの最たるものとされてきたそれは、はたして今の時代も「肉体」を保証しているのだろうか。フェロニア・ウェンボーグとルーシー・ダンコムによる『Joy, Oh I Missed You』は、その根源的な問いを真正面から突きつける。ここに鳴り響く声は喉から放たれたものか、それともソフトウェアが生成したものか。その判別不能性こそが作品の核心であり、同時に呪文のような反復となる。本作において「声」は、人間でも機械でもない第三の存在として、聴き手に挑発的な問いを放っている。

 フェロニア・ウェンボーグのルーシー・ダンコムのふたりは本作以前から旺盛な活動を展開していたサウンド・アーティストである。まず、フェロニア・ウェンボーグは、パフォーマンスやインスタレーションからサウンド、テキストまで活動領域を広げるサウンドアーティスト/ミュージシャンだ。彼女の作品の根底には、録音とデジタルの変容プロセスにある。そこにおいてウェンボーグは、「親密さ」や「友情」といった関係性の痕跡を丹念に採集し、音とイメージ込むこのだ。加えてコラボレーションを通じて実践を展開している点も重要だ。共同作業を軸に据えることで、ウェンボーグはリスニングやサウンド表現に潜在する社会的可能性、そしてその再想像の力を探り続けているのだ。
 一方、ルーシー・ダンコムはグラスゴーを拠点とするアーティスト/作曲家である。彼女は声に関連するテクノロジーが持つ社会的・技術的遺産の探究に関心を寄せている。彼女は、声のプロセッシング、複製・転写・編集を通じて、声をその自然なパラメータの外側へと拡張し理解する実践を行っている。ダンコムとフェロニア・ウェンボーグとのコラボレーションにはラジオフォニック作品『The 3rd Remove From The Real』などがある。

 本作『Joy, Oh I Missed You』は、そのふたりの新作コラボレーション作品であり、音楽作品だ。リリースしたレーベルは、シャンタル・ミッチェル(Chantal Michelle)、カルメ・ロペス(Carme López)、ミュー・テイト(mu tate)、ザウム(Zaumne)らの実験音楽を発表し、コアなリスナーから支持を集めてきたスロヴァキアの〈Warm Winters Ltd.〉。その驚嘆すべきカタログの中でも『Joy, Oh I Missed You』は際立った実験性を前面に押し出している。ほかの作品が固有の「手法」を探ってきたとすれば(それだけでも十分に凄いことなのだが)、このアルバムは「声の基盤」そのものを揺さぶる試みであり、聴覚の根底を突き崩すように響く。レーベルが国境を越えて国際的なネットワークを築き、インターネット時代のオルタナティブな実験精神を体現してきたことを思えば、ふたりの才能に満ちたサウンドアーティストの最新コラボレーション・アルバムををリリースしたのは自然な流れとも言える。

 『Joy, Oh I Missed You』を簡単に表現すれば「グリッチに彩られたヴァーチャル・オペラ」ということになる。そのうえ即興的に聞こえるその音響の背後には、四年にわたる綿密な探究が積み上げられている。音声合成、チャットボット、AI解析。人間の声を模倣するために設計された技術を、ふたりは「模倣の成功」ではなく「模倣の破綻」として見直す。アクセントの歪み、再現の失敗。その裂け目が声に未知の輝きを与えるのだ。ここで失敗は美学となり、声の本質を裏返す。キム・カスコーンが00年代初頭に唱えた「失敗の美学」を継承しつつ、ロバート・アシュリー『Automatic Writing』やアキラ・ラブレー『Spellewauerynsherde』などの音響詩/サウンドアートとの記憶とも共鳴する。欠陥によって声は光を帯び、亀裂によってのみ人間と機械の境界は震える。
 こうした断絶の肯定は、近代が信じた「純粋な声」を覆し、むしろ断片や誤作動のなかに新たな生命を見いだそうとする系譜に連なる。ここに見られるのは、デジタル以降の表現者が避けて通れない「故障の倫理」であり、完璧さよりもむしろ不完全さにこそ、時代のリアリティを刻もうとする態度である。
 この音響へと行き着いたのは偶然の結果ではない。そもそもダンコムは『Sunset, She Exclaims』(2021/〈Modern Love〉)で、自身の声を幽霊のように再構成し、身体の痕跡を影のように漂わせたし、ウェンボーグもまたサイモン・ウェインズ(Simon Weins)とのユニット=ソフト・ティッシュとして音響を粒子レベルまで解体し音を物質的な断片へと還元してきたのだ。確かに一見異なる方向性を歩んできた二人だが、「声」を不可視の次元へと拡張する衝動は共通していたのだ。両者が交差したことで、本作は単なる技術的実験にとどまらず、声という存在そのものをめぐる哲学的な試みへと変貌したのである。
 声の変容と音の粒子。その交錯によって、声はもはや身体の残響ではなく、生成と変容の「触媒」として立ち上がってくる。声は崩れ、漂い、再び立ち上がる。もはや「人間の声」という単一の定義は存在しない。そうではなく定義不能な多面体として現れる。聴き手は、これまでに触れたことのない声の質感に遭遇することになる。

 各楽曲はその哲学/詩学を鮮明に体現している。例えば3曲目 “Your Lips, Covering Your Teeth” では発音の断片が舌上で留まらず、転がる石のように機械的リズムと交わる。続く4曲目 “Residue” ではビットクラッシュの崩壊音と唇の音が絡み、機械の故障が人間の吐息と同じ親密さを帯びる。ここに生じるのは「機械の親密さ」という逆説的感覚である。5曲目 “Brushed My Hair” では摩擦された声が不意にフルートの音に変質し、楽器と身体の境界をかき乱す。8曲目 “Smell It” では吃音や呻き、ため息が重なり合い、天上の合唱のような非人間的コーラスを形成するだろう。
 アルバムには全14曲が収録されているが、聴き進めるにつれ、声がどの瞬間に人間で、どの瞬間に機械であるのか聴き手は見失うはず。だがその「見失い」こそが本作の核心である。声は主体の所有物ではなくなり、漂流物と化す。あるいは人間と機械が交わる中間地点に幻のように立ち現れる。その錯乱の只中に新たな声の美が宿り、聴くという行為の根拠が問い直される。こうした体験は、単なる音楽鑑賞を超えて、テクノロジーと身体の関係を再考させる社会的契機にもつながっている。カラ・リズ・カヴァーデール(Kara-Lis Coverdale)などの現代的なアンビエント・ワークスにも連なるサウンドといえる。

 『Joy, Oh I Missed You』はマシニックな音の連鎖だが、冷たい実験音楽ではない。断片化された声の残滓からはむしろ感情の痕跡が立ち上がる。人工音声の「不気味の谷」に美は宿り、グリッチ・ノイズは親密さへと反転する。人が機械に語り、機械が人を懐かしむ。その幻聴はアルバム全体を余韻として漂い続けるだろう。「声」とは誰のものか、それは未解決のままだ。だがその未解決性こそが、この作品のもっとも人間的な側面なのかもしれない。

 近年の映画音楽は実に多様化しているが、それでも商業的な作品では伝統的なクラシック音楽を基盤としたオーケストラ作品が多いように思われる。しかしいまから50〜60年前、ミッドセンチュリー・モダンの感性が息づいていた時代には、“ジャズ”の要素を取り入れた楽曲がメジャー映画で数多く使用され、先駆的な音楽表現のひとつとして定着していた。
 ジャズをバックグラウンドに持ち、そのセンスを映画に活かしたこの時期の作曲家といえば、『ピンク・パンサー』で知られるヘンリー・マンシーニ、『スパイ大作戦(のちの『ミッション:インポッシブル』)』や『ダーティーハリー』のラロ・シフリン、そして『キャンディ』や『コンドル』を手がけたデイヴ・グルーシンなどが思い浮かぶ。また、クインシー・ジョーンズもキャリア初期に多くの映画音楽を手がけ、この分野においても大きな足跡を残している。
 ヘンリー・マンシーニは1950年代初頭から活動していたため、やや早い時期の登場といえるが、彼らはおおむね1950年代後半から1980年代にかけて、同時代にハリウッドで活躍した作曲家たちと言って差し支えないだろう。出身国に目を向ければ、アルゼンチン出身のラロ・シフリンを除き(とはいえ、彼の活動拠点もアメリカにあったが)、いずれもアメリカ人である。
 ジャズはアメリカがその中心地であり、次々と新しいスタイルや演奏技法が生まれていた。そうしたアメリカのジャズ文化に対し、ヨーロッパの音楽家たちは強い影響を受け、憧れを抱いていた。その代表的な存在の一人がフランス出身の作曲家ミシェル・ルグランである。彼もまた、ジャズの語法を巧みに取り入れながら、映画音楽の分野で国際的な成功を収めた人物だ。

 ルグランはパリ国立高等音楽院でクラシック音楽と作曲を学び、恩師ナディア・ブーランジェのもとで修練を積んだ。ブーランジェは20世紀を代表するクラシック音楽の作曲家、指揮者、そして教育者であり、彼女の門下には実に多彩な作曲家たちの名前が連なっている。
 例えば……レアグルーヴ好きには、ムーグ・ファンクの金字塔“Psyche Rock”や“Jericho Jerk”で知られるフランスの実験音楽家のピエール・アンリ、クラシックの素養が作品に深みを与えるブラジルの奇才エグベルト・ジスモンチ、ミニマル・ミュージックの旗手フィリップ・グラス、タンゴを革新したアストル・ピアソラ、さらにはクインシー・ジョーンズ、キース・ジャレット、ドナルド・バードまでもが彼女の門下生として名を連ねる。近年の音楽シーンに計り知れない影響を与えた(個人的にも大好きな)音楽家たちを指導したナディア・ブーランジェは、ある意味、相当な“やばい”教育者だったのかもしれない。
 ルグランもまたその一人であり、クラシックの厳格な教育に裏打ちされた音楽性と、それとは対照的に、自由な精神性の象徴でもあったジャズへの深い興味を併せ持っていた。1950年代にはマイルスやコルトレーンといったトップクラスのジャズ・ミュージシャンたちとも積極的に交流を持ち、その後映画音楽の世界へと進出する。1961年にはジャン=リュック・ゴダール監督の『女は女である』の音楽を皮切りに、ヌーヴェルヴァーグ初期において実験的かつ自由な音楽表現を展開し、従来の映画音楽の枠を超えた新たな可能性を切り拓いた。1964年の『はなればなれに(Bande à part)』における、アンナ・カリーナとクロード・ブラッスール、サミ・フレーの3人の有名なダンス・シーンは、ルグランの軽やかで洒脱でファンキーな音楽があってこそ成り立った名場面だろう。
 同じく1964年には、フランス映画界の黄金コンビとなるジャック・ドゥミ監督と出会い、『シェルブールの雨傘』の音楽を担当する。ここでは、セリフがすべて音楽で歌われるという革新的なスタイルを採用し大きな注目を集めた。以降もこのコンビで『ロシュフォールの恋人たち』や『ロバと王女(Peau d'Âne)』など数々のスタイリッシュな作品を手がけた。なお、この『ロシュフォールの恋人たち』は1990年代の渋谷系ムーヴメント、とくにピチカート・ファイヴに代表されるアーティストやそのファンたちに多大な影響を与えた、デザイン/ファッション的バイブルとも言える作品である。色彩感覚、リズム感、そして軽やかさをもった世界観は、当時の日本のポップ・カルチャーに深く影響を及ぼしている。
 こうした一連の作品は、フランス国内にとどまらず、やがてハリウッドにも波及していく。ルグランのハリウッドでの成功は周知のとおりだが、個人的に印象に残っているのは、映画『The Happy Ending』のテーマ曲“What Are You Doing the Rest of Your Life?”である。近年では、ビル・エヴァンスによるローズ(エレクトリック・ピアノの一種)での演奏ヴァージョンが、アンビエント系や静謐で内省的な音楽を好むリスナー層からも高く評価されている。この曲は、ルグランにとっては長いキャリアのなかの小さな一コマにすぎないかもしれないが、作曲に込められた繊細な情感は、いまなお多くの人の心をとらえ続けている。

 クラシックの構成美とジャズの即興性が融合したミシェル・ルグランの音楽は、1960〜70年代の映画音楽のスタイルをある意味で決定づけた存在の一人といえるが、こうした楽曲一つひとつを支えていたものは何だったのか……。ルグランの音楽に向き合ってみると、彼の音楽性の本質が少しずつ見えてくる。特筆すべきは、彼の卓越したオーケストレーションの技術だ。あくまで個人的な感想にすぎないが、前述のジャズ出身の作曲家たちや同時代のヨーロッパの映画音楽家と比べても、その楽曲自体の安定感はかなり高いと思う。ルグランのオーケストラ作品には、重厚さと繊細さ、旋律の美しさが非常にバランスよく共存している。
 なぜ彼が非常に安定した完成度を生み出せたのか、その謎を解くヒントが多く描かれているのが、『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』だ。映像を通して彼の本質が見て取れた。とくに印象に残ったのは、ルグランは極めて高いピアノ演奏力を有していたという事実だ。作品の完成度との明確な因果関係はわからないが、こうしたたしかな演奏力に裏打ちされていたからこそ、ミシェル・ルグランはオーケストラをコントロールし、映画の血や肉となるような、情熱的でクオリティの高い音楽を生み出すことができたのだろう。
 そんなルグランの軌跡を証言する関係者のなかに、1980年代にフランス映画音楽を革新した作曲家ガブリエル・ヤレドの姿があったのには驚かされた。ガブリエル・ヤレドといえば、まだ若手の時代に、ジャン=リュック・ゴダールの注文を跳ね除けて「だったら他の人に頼むがいい」と言い放ち、ゴダールが折れて好きにやらせたという破天荒なエピソードの持ち主だ。彼がルグランへの敬意を熱く語る様子を目の当たりにし、「ヤレドはこんなにもルグランをリスペクトしていたのか」と、これにはかなり意外に感じた。
 そういえば、ヤレドもルグランも映画音楽家として飛躍するきっかけとなったのはジャン=リュック・ゴダールであり、それぞれの時代に新たな地平を切り拓いてきたという点で、その軌跡はどこか響き合っているのかもしれない。さらに考えてみると、ヤレドとジャン=ジャック・ベネックス監督のコンビにも、どこかルグランとジャック・ドゥミの関係に通じるものを感じる。作曲家と映画監督が深く共鳴し合い、作品全体の世界観を形づくっていく。その関係性の在り方には共通する空気があるように思えた。

 さて、本作『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』を観終えたあと、あらためてルグランの音楽に耳を傾けてみると、映画という総合芸術の奥深さとともに、音楽が“時間”という、目に見えず手で触れることのできないキャンバスに描かれる芸術であることの凄みを、あらためて実感させられる。そして、表現とは、卓越した技術や形式だけでなく、創り手の内側にある情熱や愛情が注がれてこそ、人の心に深く響くのだということを、しみじみと感じる。
 ゆえに、一人のアーティストの人生を描いた本作から感じ取るべきは、現代で希薄になりがちな“熱い何か”を私たちがいまこそ見つめ直すべきだというメッセージではないだろうか。

(ミシェル・ルグランの名盤の数々。筆者のコレクションより)

Adrian Sherwood - ele-king

 このアルバムを通しで聴きながら見えてきたヴィジョンはなぜか、鉄道の車窓から眺める、後部へと流れていく風景だった。夏が終わる少し前の午後5時くらいの風景だろうか。ディレイやリヴァーブの尾を引きながら遠ざかって行くスネアやサンプリングされたサウンドと、ライヴ・バンドによる多層的なメロディが私に見せた風景だった。アルバム収録曲の中で特に好きだった曲は “The Well Is Poisoned Dub” “Spirits (Further Education)” “Hiroshima Dub Match” の3曲で、どの曲もアルバム収録曲の中では比較的にミニマルな方の楽曲な気がする。
 “The Well Is Poisoned Dub” はアルバムの3曲目で、前の2曲からの流れで聴くと、その重心の低さが際立ち、豊かなディレイとリヴァーブに包まれ、ソファのクッションの隙間に頭が落ちていくような完璧なストーナーサウンドだった。“Spirits (Further Education)” は収録曲の中では最も都会的なサウンド、冷たく汚れたテラコッタとモルタルで作られた都市のグリッドの残響を思わせるサウンドで、なんともいえない居心地の良さを感じさせてくれる。そこから次曲の “Hiroshima Dub Match” への繋がりも素晴らしく、いつの間にか、このふたつの曲を連続したひとつの作品として聴いていた。曲中で漂っては消えていくサイレンの音が、自宅の窓の外からひっきりなしに聞こえてくる警察のサイレンと同期し、ロンドンと東京という9600km離れた都市を権力構造の元で結びつけた。

 『The Collapse Of Everything』というこのアルバムのタイトルから、私はまず、パレスチナとイスラエルをめぐる国際的なモラルや人道主義など、普遍的であるべきと信じていた価値観の崩壊。国内でも勢いづいている差別主義、排外主義勢力により撒き散らされるヘイトスピーチと陰謀論による、パニック的なモラルハザード。そして陰謀論者以外の誰の目にも明白ながら、都合の良い言い訳を探して見て見ぬふりされている壊滅的な気候危機などを連想し、紙幣を前に不恰好に歪んだ操り人形がデザインされたジャケットのアートワークを見て、その連想はあながち間違いではないかもしれないなと、ひとりごちた。

 シャーウッド曰く「The Collapse Of Everything」という言葉はマーク・スチュワートの残した未発表曲の歌詞の中に隠されていたそうだ。隠されていたというのが、どういう意味で、彼がどうその言葉を発見したのかが気になるが、2年前にこの世を去った偉大なミュージシャンの残したメッセージの断片が、しばしの時を経て蘇ったということだろうか。いまのこの世界の惨状を予言的に言い当てているような気もするが、人類が抱えている問題はずっと変わっていないということなのだろう。

 全体を通してブルース的な要素が感じとれるアルバムではあるが、決して懐古主義的な作品ではなく、未来へ向かうサウンドだということは最後に付け加えておきたい。全てが崩壊してゆく長いアポカリプスの中にあってもシャーウッドは未来へと向かっているように感じた。

MC Yallah & Debmaster - ele-king

 日本や世界各地のクラブ・シーンを席巻しているエモ寄りのメロディック・ラップの氾濫からひととき解放されるかのように、ヤラ・ガウデンシア・ムビデ( Yallah Gaudencia Mbidde)、すなわちMCヤラー(MC Yallah)のセルフタイトル新作『Gaudencia』は、Nyege Nyege のサブレーベル〈Hakuna Kulala〉からフランス人プロデューサーのデブマスター(Debmaster)との共作として登場した。これはすでに熱気を帯びた夏にさらにスパイスを振りまく、革新の清新な空気であり、意識を覚醒させるバンガーの数々だ。2023年のブレイク作『Yallah Beibe』が放った生々しいエネルギーと昂揚を継承しつつ、今回のヤラーとデブマスターはさらにいっおう音響的一貫性を獲得している。まるで宿命に導かれた音響的な結婚のごとく、互いが互いを突き動かし、より高みへと刺し合うようにして。
 ケニアに生まれ、ウガンダで育った背景は、言語の仕組みを自在に連結するためのコードをヤラに授けた。彼女はルガンダ語、ルオ語、スワヒリ語、そして時折の英語を切り替えながら、それぞれの言語がもつ力を最大限に引き出し、すべてを猛烈な韻律のなかで機能させている。
 これはマムブル・ラップでも、2分間に40語しか吐き出さないエモ的な歌唱でもない。これはバトルラップ・スタイルだ。週末のニューヨークのバスケットコートに持ち込まれるような、あるいはあらゆるコンテストに投じられるようなものだ。英語を母語とする私にとって、ラッパーの言葉を理解できないことに多少の寂しさはある。だが“Omulinji”のようなトラックでは、そのもどかしさはメロディとフロウに慰められ、魅了される。優れたラッパーは、外部の聴衆が渡れる旋律の橋を築くのだと、そこには単純に示されている。

 アルバムのテンポは冒頭から狂騒的で、ハイプを積み上げていく。冒頭曲“Higher”のシンセサイザーの響きからして、その昂ぶる予感が全身に伝わってくる。トラックメイカーとしてのデブマスター(Debmaster )の手腕は、必要な余白と緊張感を残し、MCヤラにマシンガンのようなケイデンスを浴びせるだけの空間を与えている。そして続く“Kujagana”では夏らしいバウンス感を解放し、どこの都市でも通じるメロディを響かせる。地下鉄のなかで自然と口ずさめるような、記憶に残る旋律だ。
 1曲目以降、このアルバムの大部分はディープでスローなリズムに身を委ねている。現代アフリカのスロービートやアフロビーツと、西洋で人気のグルーヴィなエレクトロニクスとのあいだに心地よく収まり、クラブで多用されるガバの硬質な音を相殺するかのようだ。

 ヤラーにとりわけ惹かれるのは、そのラップのフロウ、歌唱、パフォーマンス・スタイルはもちろんだが、全体的な美学において、セクシュアリティを最優先にしていない点にもある。だいたいこのご時世、裸同然の格好をせず、言葉を発する前から腰をくねらせたりしない女性ラッパーがバズったりすることは困難だろう。実力派のDoechii(https://www.ele-<https://www.ele-/>http://king.net/review/album/011615/)でさえも、注目を集めるため、真っ裸になってヴィデオを制作したほどである。しかし、『Gaudencia』におけるヤラーは、ゲストなしでアルバム全体を牽引する女王の風格を見せつける。13曲すべてにおいてゲストも客演プロデューサーも存在しない。サウンドは一貫しており、メッセージは純粋無垢で、そのゆえに圧倒的な磁力を放っている。そして率直に言えば、リリックを完全に理解できなくとも、ヤラの才能はジェイ・Z級だ。
 願わくは、ヤラーがアメリカのしばしば言語的排外主義に陥りがちなラップ・カルチャーを突破してほしい。現実にはそれが起こるとは思えないが、それでもなお願わずにはいられない。


In a welcome break from the plethora of emo-driven melodic rap taking over the club scenes here in Japan and in many parts of the world, Yallah Gaudencia Mbidde aka MC Yallah`s new self titled work “Gaudencia” with Debmaster on the the Nyege Nyege`s sub-label HAKUNA KULALA, is the fresh air of innovation and mind-awakening bangers necessary to bring spice to an already hot summer.
In a continuation of the raw energy and excitement around her breakthrough 2023 “Yallah Beibe,” Yallah and Debmaster go even further into sonic coherence showing that they were meant to each other, an ordained sonic marriage by fate, each half needling each other toward greater excellence.
Being Kenyan, raised in Uganda showered Yallah with the codes necessary to interconnect with the inner-workings of number languages. Yallah toggles between Luganda, Luo, Kiswahili, and brief moments of English accessing the greatest parts of each language and making them all work in rapid fire cadences.
This isn`t mumble rap or 40 words in a 2 minute emo-sing song, this is battle rap style. The type one would take to the basketball court in New York City on the weekend or any contest. For myself as a native English speaker, there is a little sadness in not being able to understand anything a rapper is saying. But in a track like “Omulinji," my mental frustrations are put to rest with melodies and flows that mesmerize, showing simply the best rappers build melodic bridges outsiders can cross.
The pace of the album from the beginning is manic, hype building. You can feel the anticipation from the opening synths in opening “Higher.” Debmaster`s craft as a track maker leaves space and just enough tension giving MC Yallah tons of air to fire machine gun style cadences. And then allows summer bounce vibes in the following “Kujagana,” easily translatable in any city with melodies, memorable and hummable on any subway.
Beyond the first track, the majority of the album grooves in deep slow rhythms fitting comfortably between modern African slow beat or afrobeats and groove heavy electronics popular in the Western world to offset much of the gabber music played in clubs.
What particulary attracts me to Yallah is her rap flow, singing, performance style or overall aesthetic, not prioritizing sexuality first. It`s difficult now to find viral female rappers that aren`t near naked or gyrating before they even say a word. Even equally as talented Doechii has made video(s) completely butt naked to attract attention. In “Gaudencia” Yallah shows queen status carrying the whole album without any guests. 13 tracks without any guests or even guest producers. The sound is consistent and the message is pure, and by being so, incredibly magnetic. And truth be told, Yallah is Jay Z level talented, even without understanding fully her lyrical content.
It would be my hope that Yallah could break through the often linguistically xenophobic rap culture of America. I don`t see that happening but it is still a hope.

Urban Echoes - ele-king

 長野の音楽フェス、「EACH STORY〜THE CAMP〜を」主催する実行委員会が新たな公演をローンチさせた。
 東京で3夜にわたって開催される「Urban Echoes」がそれだ。
 第一夜となる10月6日(月)には、〈ECM〉のギタリスト、ヤコブ・ブロと高田みどりの共演が実現。会場は表参道の銕仙会能楽堂。
 第二夜の10月8日(水)は、シカゴのシンガー・ソングライター、ジア・マーガレットによる初めての来日公演。会場は池袋の自由学園明日館 講堂。
 第三夜の10月9日(木)は、ちょうど本日最新作『winterspring/summerfall』の日本限定CD盤がリリースされたオランダ出身のマルチ楽器勝者、フェルボム(Felbm)が登場する。会場は多くのの淀橋教会の小原記念チャペル。
 自然に囲まれながら体験する音楽もいいけれど、繁華街でちょっと特別な音楽に耳を傾けるのもまた味わい深いものです。詳しくは下記より。

Urban Echoes
一 都市にひそむ余自と共鳴ー

Resonating with the Hidden Spaces of the City
都市には、さわめきの奥に静けさが潜み、時間の際間に醤きが宿る。
Urban Echoes は、そうした見えない余白を音と空間で呼び覚まし、
会場ごとに異なる物語を立ち上げていく試みです。
能楽堂や歴史的建築、チャベルなど、息づく記憶をまとった場所で、
国内外のアーティストがその夜だけの音を奏でる
都市に眠る気能が共鳴し、音楽とともに新たな記憶となる
ーーEACH STORYが届ける、特別な音のシリーズ。

DAY1

2025年10月6日(月)
Jakob Bro × 高田みどり
銕仙会能楽堂(表参道)

時間 : OPEN 18:00 / START 19:00
   LIVE時間 : 60min
料金 : 前売り ¥10.000_ / 当日 ¥11.000_
出演 : Jakob Bro × 高田みどり
HP / チケット販売サイト: https://www.urbanechoes.live
主催 : 合同会社EACH STORY実行委員会
協力:rings
助成:東京芸術文化創造発信助成 カテゴリーⅠ 単年助成 芸術創造活動
後援:デンマーク王国大使館

DAY2

2025年10月8日(水)
Gia Margaret
自由学園明日館 講堂(池袋)

時間 : OPEN 18:00 / START 19:00
   LIVE時間 : 60min
料金 : 前売り ¥8.000_ / 当日 ¥9.000_
出演 : Gia Margaret
HP / チケット販売サイト: https://www.urbanechoes.live
主催 : 合同会社EACH STORY実行委員会
協力:plancha
助成:東京芸術文化創造発信助成 カテゴリーⅠ 単年助成 芸術創造活動

DAY3

2025年10月9日(木)
Felbm
小原記念チャペル(大久保)

時間 : OPEN 18:00 / START 19:00
   LIVE時間 : 60min
会場 :ウェスレアン・ホーリネス教団 淀橋教会 小原記念チャペル
料金 : 前売り ¥7.000_ / 当日 ¥8.000_
出演 : Felbm / H.Takahashi(DJ) / Yudai Osawa (VJ)
HP / チケット販売サイト: https://www.urbanechoes.live
主催 : 合同会社EACH STORY実行委員会
協賛: Adam Audio
協力;Knkyo Records
助成:東京芸術文化創造発信助成 カテゴリーⅠ 単年助成 芸術創造活動
後援:オランダ王国大使館

Chip Wickham - ele-king

 ブライトン出身のサックス奏者、チップ・ウィッカムは、モダン・ジャズを基盤としつつ、クラブ・ミュージックとも接点をもちながらスピリチュアルなサウンドを探求してきた音楽家だ(昨年はフジロックで来日)。そんな彼が、ロンドンとはまた異なる角度からジャズを盛り上げてきたマンチェスターのレーベル〈ゴンドワナ〉に合流したのが前作『Cloud 10』。これにつづく通算5枚目のニュー・アルバム、『The Eternal Now』が9月5日にリリースされる。
 また、これにあわせ、単独来日公演も決定していて、11月15日(土)@大阪 Umeda Shangri-la、11月16日(日)@東京 Shibuya Club Quattroの2都市を巡回。新作リリース直後という絶好のタイミングでのライヴ、見逃す手はありません。


【リリース詳細】
アーティスト:CHIP WICKHAM / チップ・ウィッカム
タイトル:The Eternal Now / ジ・エターナル・ナウ
フォーマット:CD/DIGITAL
発売日:2025.9.5
価格:¥2,750(税抜¥2,500)
品番:PCD-25494
レーベル:P-VINE

【Pre-order/Download/Streaming】
https://p-vine.lnk.to/00FYw3

【Track List】
1.Drifting
2.Nara Black
3.The Eternal Now
4.Lost Souls
5.No Turning Back
6.The Road Less Travelled
7.Falling Deep
8.Ikigai
9.Outside
10.Solar Opposites*
*Bonus track for Japanese edition

【来日公演】
2025/11/15(土) 大阪 Umeda Shangri-la
2025/11/16(日) 東京 Shibuya Club Quattro
企画/制作:SMASH

https://smash-jpn.com/live/?id=4500

【Chip Wickham(チップ・ウィッカム)】
UK/ブライトン出身のサックス、フルート奏者。マンチェスターでジャズを学びそのキャリアをスタートさせると、2000年代UKのジャズ、ソウル、トリップホップ、ファンクシーンに関わり、The Pharcyde、THE NEW MASTERSOUNDS、Nightmares On Waxといったアーティストの活動に参加、さらにMatthew Halsall率いるGondwana Orchestraに加わるなどUKを中心にスペインや中東など活動の幅を拡げていく。2017年に初のリーダーアルバム『La Sombra』をスペインのジャズ・クロスオーヴァー系レーベルとして名高い“Lovemonk”からリリース、さらに同じく“Lovemonk”から2nd『Shamal Wind』(2018)、3rd『Blue To Red』(2020)と立て続けに発表しヨーロッパのジャズシーンで存在感を高めていくようになる。2022年にはGoGo Penguinなど先鋭的なジャズ・ミュージシャンを多数輩出したUKの新世代ジャズシーンを担う“Gondwana Records”から4枚目のアルバムとなる『Cloud 10』、翌2023年にはEP『LOVE & LIFE』を発表し、そのモダンでソウルフルなスピリチュアル・ジャズサウンドでUK/ヨーロッパではもちろんのこ、2024年にはFUJI ROCK FESTIVAL '24で円熟のパフォーマンスを披露し日本国内でも高い評価を得ている。2025年9月に最新アルバム『The Eternal Now』(Gondwana Records)をリリース予定。

https://www.instagram.com/chipwickham/
https://chipwickham.com/

TESTSET - ele-king

 いや~、TESTSETのライヴに魅了されてしまって、ずっと待っていたんです。たのむよ、まりん。喋ってくれ~と会場で叫ぶオーディエンスと同じ気持ちで。それはMETAFIVEを継承するバンドではないです。TESTSETはいま、一匹の珍獣(いや、猛獣、いや、生命体)として動き出しているのです。
 で、TESTSET、満を持してのセカンド・アルバム『ALL HAZE』は、10月22日(水)にリリースされる。で、当然のこと、紙エレキングの秋号は、彼らを巻頭にフィーチャーしております。乞うご期待。

TESTSETの2年振り2ndアルバム『ALL HAZE』10月22日にリリース決定。本日より予約開始。

8月28日 岸部四郎 - ele-king

 こんなに人が亡くなるものだとは思ってもいなかった。
 テレビや映画でよく観ていた俳優。贔屓にしていたスポーツ選手。若い頃に感化されたアーティスト。毎年のように、毎月のように、ひどいときは一週間のうちに何人もの訃報を目にするようになった。
 身近な、顔なじみとお別れすることも増えてきた。
 長生きすることは、すなわち、自分が知っている人で形成されている世界においてマイノリティになっていくことなのだ。
 かつて『死者のカタログ』(ニューミュージックマガジン社)という本があった。「ミュージシャンの死とその時代」の副題どおり、50年代、60年代、70年代にこの世を去った(主に)ロック・ミュージシャンたちの死について、カタログ風に構成されたユニークな本だった。1979年の刊行時には、まさか、その翌年にジョン・レノンが、2年後にボブ・マーリーが死ぬなんて誰も想像できなかった。この本が「成立」した時代、ロック文化において、死はまだ特殊だった。死者は圧倒的に少数派だったのだ。

*****

 私は追悼が下手だ。
 おくる言葉を心と頭でひねり出しても、その最後に「心からお悔やみ申し上げます」と口にするときの妙にしらじらしい感覚にいつまでも慣れることがない。「天国で●●さんとセッションしてください」なんて恥ずかしくて言えない。私の辞書には、はなからR.I.P.なんて文字はなかった。
 そもそも、亡くなった人へのメッセージのはずが、それを読む生きている人たちの目を意識しなきゃいけないなんて、ナンセンスな話ではないか。そう考えると、「追悼ベタ」で上等じゃん、という気にもなる。
 もっと自由に追悼したい。訃報に際して、SNSで「いいね」ボタンを押すよりも、もっと冴えた、人それぞれの追悼があってもいいのではないだろうか。

*****

 テリー・ジョンスンは亡くなった人を描く。一目見て、テリーさんが描いたとわかる絵で死者をひたすら描く。どの絵も笑っちゃうほど生き生きしている。そういえば、先に書いた『死者のカタログ』の表紙画もテリーさんが描いていた。
 亡くなった人にとって命日は新しい誕生日である、という。信心と縁のない私もこれは悪くない考えかただと思う。テリーさんの画に「自分だったらこう書くだろうな」という新聞の死亡記事欄のような短い文章を寄せた。今月から3ヶ月に渡って、ここエレキングwebで、その一部をご覧いただくことにした。
 まずは、「8月」に旅立たれた方々から、ご覧いただきます。

 テリーさんに描かれる人生に最大の敬意を。人は死んで星(スター)になる、とは、こういうことだったのかと腑に落ちました。

 最後に、テリーさんが提言する「似な顔」の定義を。

「似顔絵としては失敗だけど、絵としては結構面白いというところがポイントでしょうか。つまりあなたがその人をどう見ているかを素直に描けばいいんです。(中略)
その人の印象を線そのものに託せばいいんです」
『決定版 ヘタうま大全集』 (ブルース・インターアクションズ刊)


岸部四郎(タレント)

1949年6月7日生まれ。ミュージシャン。脱退した加橋かつみに代わり、ザ・タイガースの一員に。兄・一徳とはサリー&シローを結成する。とぼけた味の関西弁で俳優、タレントとして活躍。晩年は借金王として名をはせる。タイガース武道館での再結成公演、車椅子で「イエスタディ」を歌う。切なかった。

1949.6.7-2020.8.28

梨元勝(芸能リポーター)

1944年12月1日生まれ。芸能リポーター。雑誌「ヤングレデイ」の記者からフリーに。ワイドショーで芸能リポーターという職業を確立する。映画「コミック雑誌なんていらない」で梨元をモデルとしたリポーター役の内田裕也は、決め文句「恐縮でーす」を連発。クレジット無しで本人も登場する。

1944.12.1-2010.8.21

アラン・ドロン(俳優)

1935年11月8日生まれ。俳優。「太陽がいっぱい」のリプリー役でブレイク。「冒険者たち」、「さらば友よ」、「地下室のメロディー」「ショック療法」など多数の主演作で、世紀の二枚目の称号を得る。ダリダとのデュエット曲「あまい囁き」もヒット。ダーバン、セ・レレガーンス・ドゥ・ロム・モデルヌ。

1935.11.8-2024.8.18

坂本九(歌手)

1941年12月10日生まれ。歌手。ダニー飯田とパラダイス・キング脱退後、「悲しき六十才」でソロ・デビュー。永六輔と中村八大による「上を向いて歩こう」は「SUKIYAKI」の題で3週間連続全米1位に。世界で千三百万枚売れた。ボブ・ディランも86年の来日時にインストでカヴァー。

1941.12.10-1985.8.12

アイザック・ヘイズ(歌手)

1942年8月20日生まれ。ミュージシャン。デヴィッド・ポーターとのコンビで「ホールド・オン」などを作曲。音楽を手掛けた映画「黒いジャガー」のサントラ盤は全米1位。「ワッツタックス」では笑っちゃうほど劇的に登場する。スキンヘッドの黒いモーゼは地獄よりも深い場所から囁きかける。

1942.8.20-2008.8.10

沢たまき(歌手)

1937年1月2日生まれ。歌手。ジャズ・シンガーとしてデビュー。歌謡曲「ベッドで煙草を吸わないで」が大ヒット。ハスキー・ヴォイスで人気を博す。女優としてドラマ「プレイガール」に主演。バラエティ「独占!おとなの時間」の司会など活動の幅を広げる。61歳で参議院議員選挙(比例区)に当選。

1937.1.2-2003.8.9

鳳啓介(漫才師)[+京唄子(漫才師)]

鳳啓介(漫才師)

1923年3月16日生まれ。漫才師。京唄子とのコンビで唄子・啓介を結成。映画、ドラマや、作家も兼任した「唄啓劇団」などで活躍。「エー!、鳳啓助でございます」と必ず名前入りで物真似される。

1923.3.16-1994.8.8

京唄子(漫才師)

1927年7月12日生まれ。漫才師。鳳啓介と唄子・啓介を結成。相方を吸い込む大きな口がトレードマーク。「唄子・啓助のおもろい夫婦」の司会は16年間続いた。多数のドラマにも出演した。

1927.7.12-2017.4.6

前田武彦(マルチタレント)

1929年4月3日生まれ。放送作家。開局間もないNHKのラジオ、テレビで番組の構成作家に。裏方では飽き足らず、タレント活動をメインに、「夜のヒットスタジオ」の司会、5歳年下の大橋巨泉とのコンビによる『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』など、毒を含んだ軽妙な喋りで親しまれる。愛称はマエタケ。

1929.4.3-2011.8.5

渥美清(俳優)

1928年3月10日生まれ。俳優。浅草のストリップ小屋でコメディアンとして活躍。バラエティ番組「夢で逢いましょう」で人気者に。69年にはじまった映画「男はつらいよ」シリーズで48作に渡って車寅次郎を演じた。…と思いきや、没後にも49作目「男はつらいよ お帰り 寅さん」が制作された。

1928.3.10−1996.8.4

阿久悠(作詞家)

1937年2月7日生まれ。作詞家。尾崎紀世彦「また逢う日まで」、都はるみ「北の宿から」、沢田研二「勝手にしやがれ」、ピンク・レディー「UFO」、八代亜紀「雨の慕情」と5曲のレコード大賞受賞曲を手掛けた、昭和を代表するヒットメイカー。歌詞は直筆で、自身でレタリングした曲名をつけて入稿。

1937.2.7−2007.8.1

『バード ここから羽ばたく』 - ele-king

(12歳の主人公ベイリー)

 イギリスのこの手の映画、1960年代初頭の「キッチン・シンク・リアリズム」(『土曜の夜と日曜の朝』など労働者階級の生活を描く作品、いわゆる流し台ドラマ)を継承する社会派作品を日本で生まれ育った人間が観ることは、セックス・ピストルズやザ・スペシャルズ、ザ・スミスやスタイル・カウンシル、ハッピー・マンデーズやなんかの音楽体験と近いところがある、といったら言い過ぎだろうか。とはいえ、初めてケン・ローチの『リフ・ラフ』(80年代の格差社会、使い捨て労働、サッチャー政権への強烈な一撃)やハニフ・クレイシ原作の『マイ・ビューティフル・ランドレット』(アジア系移民、労働者階級と右翼、同性愛をテーマにした先駆的傑作)を観たときには、『モア・スペシャルズ』や『オール・モッド・コンズ』、『オリジナル・パイレート・マテリアル』みたいなアルバムをいいなぁと思ったときとある意味似たような感覚/感動を覚えたものだった。マーク・ハーマン監督『ブラス!』(労働者たちの連帯、コミュニティ精神)もピーター・カッタネオ監督『フル・モンティ』(労働者階級文化のぶっ飛んだ再生)も同様。まあ、長いあいだイギリスの労働者階級の音楽に親しんできたせいか、その世界に入りやすいというのもある。『エリックを探して』(労働者階級の温かい人情ドラマ)はローチにしては珍しくユーモアがあり、フットボール文化が題材だったこともあってとくに好きな映画だ。『スウィート・シックスティーン』みたいにノー・フューチャーな作品もいいのだけれど、やはり希望があったほうが健康にはいい。
 ノー・フューチャーな青春ものといえば、ダニー・ボイルの『トレインスポッティング』がよく知られるところだ。もっとも、あれは『スウィート・シックスティーン』とくらべるとずいぶんポップで、(ヘロインを扱いながらも)スタイリッシュだし、格好いいんだけど消費されるのも早かった。ボイルの『ピストル』もどうかと思ったけれど、ひとつだけあのドラマで好きなところがある。ピストルズがイギリスでのツアーの最後に、クリスマスの夜、ストライキ中の消防士の子どもたちのためにチャリティ演奏をやった場面を描いたことだ。見落とされがちだけれど、ああいう日本でいえば山田洋次的な人間味がピストルズには(ジョニーにもシドにも)あったのだろう。

 アンドレア・アーノルド監督の最新作『バード ここから羽ばたく』も人間味あふれる映画で、「キッチン・シンク・リアリズム」系の良きところを継承している。社会の底辺で生きる人たちのドラマを通して見える暗い現実、それにもめげない希望というか逞しさというか前向きさというか……、音楽もあるし、完全に好みの映画で、ぼくと似たような趣味の人には声を大にして推薦したい。なにしろこの映画の音楽はBurialが担当しているのだ。そればかり、なんとなんとジェイソン・ウィリアムソンが(ちょい役だが)役者として登場する。スリーフォード・モッズの曲だってかかるんだから、これはもうあなた、必見なのである!

(スクーターを運転しているのは少女の彼氏ではなく父親バグ。この男がオモロいです)

 社会派で、リアリスティックであるとはいえ寓話的で、『エリックを探して』的な、いや、ティム・バートン的なファンタジーも入っている。陰惨であるけれどそれに負けない陽気さがあるし、ローチ作品に出てくるような汗水流す肉体労働者もパートタイマーも、そもそも大人らしい大人が登場しない。
 舞台は不法占拠居住区なのだろう、物語の中心人物のひとり、主人公の父親は手に入れたヒキガエルから分泌される液体(かなり強力な幻覚作用で有名)を売ったりしている。その男バグとその娘ベイリー、このふたりを主軸に、少女の義理の兄、そして少女の前にとつぜん姿を現したバードと名乗る謎の男との関係を交えながら物語は進行する。いやー、映画の冒頭、フォンテインズDCの “Too Real” をバックにキックスクーターに乗って少女を家まで送る入れ墨だらけの男がその父親だったという設定、まずはここで不意打ちを食らった。この強烈なキャラクター、12歳の内向的な娘に真顔で説教しながらライン(コカイン)を引いたりしているシングル・ファーザーのバグは、じつにケシカラン男なのだが、憎めないヤツだったりもする。
 
 これは、とことん解体された貧困層における近代的家族なる共同体が、あたらしく生まれ変わろうともがいている話だ、などというと『パラサイト』や『万引き家族』を連想されるかもしれないが、印象がずいぶん違っているのは、こちらにはコミュニティ精神と音楽があって、例によってぶっ飛んでいる──というか、もはや近代家族の原型すらないくらい解体されている。だからシリアスな話ではあるが、イギリス的なユーモアのこもった、悲劇のなかの喜劇なのだ。
 たとえば、ここはとくに大笑いしたシーンだが、コールドプレイ(というじつに気真面目なバンド)の曲がかかる場面。カエルの分泌を促すにはいい音楽が必要ということで、選曲されたコールドプレイの代表曲 “Yellow” を、入れ墨だらけの男たちがカエルに向かって大合唱する光景を想像してみてくれ。スリーフォード・モッズの “'Jolly Fucker” を爆音で鳴らして父親とその仲間たちが大騒ぎするシーンもいいし、ヴァーヴの音楽に対して子どもたちが「オヤジ臭い」と反応する——そして「たまにはオヤジの音楽もいいだろう」と応答する——場面もウィットがあった(ヴァーヴの場面でかかるのはオアシスであるべきなのだが)。ブラーの “The Universal” もほとんど『フル・モンティ』的な、つまり金のない連中が集まって悪ノリする際の、イギリス的ギャグにおいて使用される。
 コメディ映画ではないし、目を背けたくなるような暴力シーンもある。だが、最後には泣けるし、見終わったときの気分はいい。思わず大阪の宮城に電話して、「俺らまだまだイケるぜ!」と言いたくなった。そうだよ、問題はなにひとつ解決していないけれど、嬉しくなるのだ。それから、電気キックスクーターにフェイドカットにエドガーカット(髪の裾を極端に刈り込んでいる髪型)、スポーツウェアにスポーツシューズと、現代のUKストリート文化の流行もちゃんと押さえている。ただし、こちらはボイルというよりローチよりで、まあなんにしてもイギリス映画の十八番というか、好きな音楽のかかる映画はいいモノだ。

(少女の異母兄)

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