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interview with Shuntaro Okino - ele-king

   沖野俊太郎は、ヴィーナス・ペーターという、その真価を未だ十分に認められたとはいえないセカンド・サマー・オブ・ラヴ直系のインディ・ダンス・サイケデリック・バンドフロントマン/ヴォーカリストとして知られている。彼は90年代初頭に世に出た新しい世代のなかでも、その才能とポテンシャルに比べ過小すぎる評価を受けたアーティストの筆頭格といっても過言ではないヴィーナス・ペーターの初期からの支持者として、ぼくもまたそんな現状に歯がゆさと苛立ち、ぼく自身の力不足をも感じてきた。

   しかし、沖野昨年リリースした、ソロとしては15ぶりのアルバム『F-A-R』は、そんな不当な評価をくつがえすに足る素晴らしい内容の復帰作として、ヴィーナス・ペーター以来の根強いファンのみならず、2000年代に国境を越え反響を呼んだ『LAST EXILE』や『GUN×SWORD』などのTVアニメの主題歌・挿入歌で彼を知った新しいファン驚喜させ、ひいてはヴィーナス・ペーターのさらなる再評価を促す最高傑作となった。

 

「全てあきらめてしまったわけじゃない/すこし疲れただけなんだ/心配なんかいらないんだよ」(“声はパワー”)

「オレは光/オレは光/闇夜/引き裂く/Im the light,everlast」(“The Light”)

「この夜にさよなら/この夜にさよなら/その後はあてもない/だけどこの夜にさよなら」(“この夜にさよなら”)

 

   アルバムの冒頭の3曲を聴いただけで、漲るような生命力と充溢を感じるF-A-R』は、インストのインタールードを除くすべての楽曲に自作の日本語詞が付いている。メジャー、インディーを問わず当たり前のように英語詞のバンドが受け入れられている現在からは考えられないほど、英語詞というだけで賛否を呼んだ(日本語詞で歌わないというだけで否定的な反応が多かった)過去の葛藤が嘘のように、飾らない言葉とあまくとろけるメロディ、これまでの音楽遍歴を血肉化した変幻自在のサウンドにのって、聴き手の体を揺らし、心を躍らせてくれる。

   93年、ヴィーナス・ペーターの〈トラットリア〉からのラスト・アルバムとなった『Big Sad Table』のなかで、「ほしいものは何もなくて/待つ者も誰もいなくて/のろのろ歩くしかなくて/見えてるものも見えなくなる」(“The Tripmaster Monkey”)と酩酊していた若き日の姿は、そこにはない。彼自身の人生観の変化と人間的成熟を感じポジティヴなトリップマスター、それが最新型の沖野俊太郎だ。

(あくまで私見だが、“宅録マスター”としての沖野の資質には、ぼくここ数年来、密かに耽溺しているマック・デマルコ、マイルド・ハイ・クラブ(アレックス・ブレッティン)、アリエル・ピンクといった、2010年代のデイドリーミングなローファイ・サイケ・ポップの精鋭たちと共振する先駆的センスを感じる)

 

   そして、この度リリースされた『F-A-R』と対になるリミックス・アルバム『Too Far』には、十代の頃、velludo(ビロードというバンドを共に組んでいた盟友・小山田圭吾(コーネリアス)をはじめ、サロン・ミュージック、シュガー・プラント、元シークレット・ゴールドフィッシュの三浦イズルと山本アキヲ、元スーパーカーのナカコー、GREAT3の片寄明人ら、90年代に同じフィールドを共有していた同世代、もしくは近い世代のアーティストから、リン・モリのように沖野とはこれまで接点のない若い世代のアーティストまで多彩なリミキサーが参加し、「遠くへ!」という沖野の呼びかけに対して「遠すぎるよ!」と賛辞を贈る最高にフレッシュなトラックを提供している。

 すべての創造行為は、どんなものであれ、作者自身のリアル・ライフと夢想との間に横たわる気の遠くなるような距離を、イマジネーションの力で超越する冒険だ。サイケデリアは逃避のための夢想ではなく、どれだけ遠くまで行けるかという人間の限界への挑戦なのだ。ロックは、何時でも現実と対決し乗り越えるための天啓となりえる。

 

「物語は自分次第でそう/変わっていくんだ/We are stories(“We Are Stories”)


 2016513日、ヴィーナス・ペーターの再結成時を除けば、95年のソロデビュー・アルバム『HOLD STILL-KEEP GOING』のリリース以来、21年ぶりの再会となった沖野とのインタヴューには、やはり同世代の盟友であり、当時ヴィーナス・ペーター、シークレット・ゴールドフィッシュ、デボネア、ビヨンズらが所属していたインディ・レーベル〈Wonder Releaseの創設者、現在は元銀杏Boyzの我孫子真哉らと共に注目の新レーベル〈Kilikilivillaを運営するDJ/ライター/オーガナイザーの与田太郎も同席、対話に加わってくれた。


■沖野俊太郎 / SHUNTARO OKINO
  (ex. Venus Peter / aka. Indian Rope / Ocean)
1967年3月23日、東京生まれ。1988年、小山田圭吾とvelludoというバンドでインディーズ・デビューするも沖野本人のニューヨーク行きにより活動停止。1990年、ニューヨーク+ロンドンから帰国後、Venus Peterに加入。〈UKプロジェクト〉及び〈ポリスター(trattoria)〉よりアルバム3枚を発表。1994年のバンド解散後、ソロ・アルバムを2枚リリース。小泉今日子他、アーティストへの楽曲提供を行うかたわら、2000年にはソロ・ユニットであるIndian Rope名義にてEP3枚、アルバム2枚を発表。テレビアニメ『LAST EXILE』(2003年)や『GUN x SWORD』(2005年)のテーマ曲や挿入歌の作曲でも知られる。2005年には1年のみの期間限定でVenus Peterを再結成。2006年には13年振りのアルバム『Crystalized』をリリース、ツアーも行う。2008年、Venus Peterのギタリスト石田真人とのニュー・プロジェクトOCEANのミニ・アルバム発表後、ソロ活動を続けながら昨年2014年にはVenus Peterの8年振りとなる新作『Nowhere EP』をリリース。2015年、ソロとしては15年振りのフル・アルバム『〈F-A-R〉』が完成。同年秋、サブ・プロデューサーであるタカタタイスケ(PLECTRUM)を含むバンド、The F-A-Rsを率いてライブ活動を再開。ニュー・アルバム 『〈F-A-R〉』を11月11日にリリース。2016年、アルバム『〈F-A-R〉』を総勢12組のアーティストによって再解釈したリミックス・アルバム 〈Too Far [F-A-R Remixes〉を発表する。

復活、うーん。どちらかと言うと「整理した」というか。


SHUNTARO OKINO
Too Far [F-A-R Remixes]

Indian Summer

Rock

Tower Amazon


SHUNTARO OKINO
F-A-R

Indian Summer

Rock

Tower Amazon

ぼくは『Too Far』、すごく好きです。いいトラックがいっぱいあるし、なによりも沖野くんのパワーが、参加したリミキサーの人たちにしっかり届いてる。みんなが沖野くんのセンスに共鳴していて、「沖野くんのこういうところがカッコいいんだよ」って、いろんな角度からプレゼンテーションされてる気がしました。その結果、それぞれのトラックを通してリミキサー自身の資質も見えてくる。そういう意味で、愛のある理想的なリミックス・アルバムだなと。リミックスって、オリジナル曲のトラックの中から「俺はここが好き」という部分を拡張して、さらにカッコよくするというのがひとつの理想だと思うのですが、ぼくの個人的な好みで選ばせてもらうと、断トツに好きなのがシュガー・プラントのリミックス(“When Tomorrow Ends(speakeasy mix)”)。これは超クール! 7インチ・ヴァイナルで欲しいなと思いました。

沖野俊太郎(以下沖野):レーベルの社長もあれがいちばん好きなんですよ。

構造的にはシンプルだけど、トラックを構成してる要素の一個一個が素晴らしい。ダンサブルなベースライン、クールなエレピ、そしてドラム・ブレイク。その上で沖野くんのヴォーカルが際立つという。余計なものが一個もなくて、本当に理想的だなと。ダンス・トラックとしても、リスニング・トラックとしてもいけるし、これぞロックだという感じ。2016年にそういう新作を聴けることがどれほどうれしいことか。
いまや“ロック”という言葉や概念そのものが完全に形骸化して、とっくに終わっているようにみえるけど、ぼくは、ロックは死ぬ、しかし何度でも蘇ると思ってるんです。誰か一人でもロックに価値を見出せたら、ロックは生きてると。そういう意味では、沖野くんがロッカーとして、いまの日本に存在しているという事実が、すごくうれしい。この曲(“When Tomorrow Ends(speakeasy mix)”)聴いてると、気分が上がる。オープニングの三浦イズルくん(The Lakemusic)の“I’m Alright,Are You Okay?(lady elenoa mix) ”も最高にいい。この2つのトラックに挟まれた他のトラックも、みんなそれぞれの佳さがあって、とても楽しめました。
沖野くんは「感覚だけでいままで生きてきたし、音楽を言葉で説明するのが好きじゃない」と言う。その気持ちもわかる。だけどカルチャーって、作り手に対する受け手の「俺は、私はこう受け取った」という解釈があって、つまり双方向のコミュニケーションがあってこそ成り立つものじゃないかな。良質なジャーナリズムがロックのカルチャーに貢献することがぼくの理想で、そういう意味でライティングにも力を入れて世代間を繋ごうとしている、与田(太郎)さん(kilikilivilla)の最近の活動にもすごく共感しています。『Too Far』というこのリミックス・アルバムは、オリジナルの『FAR』が企画されたときから両方出そうと考えていたのですか?

沖野:いや、ぜんぜん考えてなくて。コーネリアスにリミックスを頼んだのも、正直、宣伝に使わせてもらおうというようなところもあった。

でも、単なる宣伝なわけないでしょう? 小山田くんとの対談を読んでグッときたしね。

沖野:(照笑)『F-A-R』のアウトテイクが数曲あるんですよ。それをEPで出そうか? みたいな話になったときに、誰かのリミックスも入れたいね、じゃあコーネリアスがいいね! ということになったんだけど、流れで他にもいろんな人に頼むことができて。だったらもうアルバムにしちゃえ! っていうふうに、なんとなく決まりました。

これは作ってくれて本当によかった。オリジナルとリミックスの両方があって初めて見えてくるものもあると思うし。リミキサーのセレクションは沖野くんが全部考えたの?

沖野:そうですね。この人がやったのを聴いてみたいという基準で頼みました。

それは曲ごとの指名?

沖野:いや、それぞれのアーティストに選んでもらいました。選ばれなかった曲はしょうがないから俺がやるという感じ(笑)。

I'm Alright,Are You Okay? (lady elenoa mix)

全体を通して聴いてみて、とてもおもしろかった。普段はリミックスとかあまりやっていない人もいて、自分の音楽ではなかなか出せない部分を出していたり、そういうところも興味深くて。それでは1曲目から順に訊いていきたいと思います。まずイズルくん(The Lakemusic)の“I'm Alright,Are You Okay? (lady elenoa mix) ”から。

沖野:イズルくんは「やらせて」と言われた(笑)。彼はそんなに自分の作品を作ってる感じでもなかったけど、映像制作の関係で付き合いはあって。仲はずっと良かったんだよね。

彼がこういうメンバーの中にいてくれないと寂しいというのもあるけど、一曲目だからね。いきなりヴォーカルとストリングスだけで始まって、そのまま最後まで引っ張る大胆なプロダクションに驚きました。

沖野彼は河口湖の地元でミュージカルのオーケストラの作曲とかもやってて、オーケストレーションを僕の作品に活かしてみたいから「自分にも参加させてくれない?」って。

アルバムのオープニングにふさわしいし、沖野くんの声を強調することで、マジックを生み出してると思った。あと、“I'm Alright, Are You Okay?”というタイトルの曲を選んだことにもメッセージを感じます。「ぼくは大丈夫、きみは大丈夫?」――それはイズルくんからのアンサーでもあると同時に、リスナーへのメッセージも含まれてる気がする。昨年リリースした『F-A-R』を聴いて、「沖野くん、久しぶりに復活したな」という印象を持った人も多かったと思いますが、そういう意気込みで新作を作ったのですか?

沖野:いやあ……復活、うーん。どちらかと言うと「整理した」というか。中途半端で終わっちゃったような曲がものすごくストックしてあって、とりあえず1枚出さないと次に進めないという状態が10年くらい続いちゃってて。そういうときの気分で選んだんですよね。

何かしらの基準はあったの?

沖野:うーん……どうだったけな(笑)。そのときアルバムにするなら、という感じで選んだかな。コンセプトはなかったんで。

「自分はこれをやるんだ!」という吹っ切れた感じがすごく伝わってきて、楽曲も粒が揃ってたし、沖野くんの最高傑作だと思いました。オリジナルの『F-A-R』の中で、ぼくがいちばん好きな曲は“Welcome To My World”なんです。これはまさに沖野くんの世界を構成している要素が、サウンドにもリリックにもいろいろ入っているなと。ウェルカム・トゥ・マイ・ワールド――それは、言ってみればアーティストの基本姿勢というか、それに尽きると思うんです。だから、もう一回自己紹介する、というニュアンスもあるのかな? 昔の友達やリスナーへの「久しぶり!」という挨拶、もちろん新しいファンに向けている部分もあったと思うし。

沖野:詞を書いたきっかけは、基本的にはもっと個人的なことなんですけどね。

たとえば何かエピソードはありますか?

沖野:いやあ……ぶっちゃけると、再婚して子どもができて。妊娠してお腹の大きい嫁を見て生命というか、そこからなにか感じたものを歌詞にしていった感じだったかと。時期的にはそうですね。

そうなんだ……これはぼくの勝手な解釈なんだけど、ある意味、引きこもりアンセムみたいだなって(笑)。それは肯定的な意味で言ってるんだけど。ぼく自身、引きこもり的な感覚をいまの自分の中に感じざるを得ないところもあるし(笑)、もはや引きこもりをポジティヴに捉えられないと、現代をサヴァイヴできないという認識もある。

沖野:2012年くらいから曲は書いてあったから、その頃は引きこもってるつもりはないですけど、潜ってましたからね。間違ってないです(笑)。

ぼくの解釈を押し付けるつもりはないので、念の為(笑)。この心地よい浮遊感を音楽に還元できるというのは、沖野くんの素敵な才能だと思っていて。自分の世界の中で自由に遊び、感覚を解き放つのは素晴らしいこと。

沖野:でもいろいろとやる気を出してきた頃ですよ。

「あぁ こころはもう雲の上まで/上昇したまま/宇宙まであと少し」って歌ってるしね。このリリックが好きなんです。「光を纏い/命の深い闇の中/泳ぐ幸せ/君に似合うよ/Welcome to my world」。こういう詞を書けるようになったんだな、と思って。この曲は大好き。トリッピーな曲が多いのは相変わらずだけど、本人はそんなにドラッギーな感じではないなと。

沖野:もう、だって……更生したというか。

(笑)。もうひとつ訊きたかったのは、『F-A-R』のラスト・ナンバーで最後に赤ちゃんとの会話が入ってる“Mood Two”というインストのリミックスが『Too Far』には入ってないけど、あれは誰にも渡さずにおこうという感じだったの?

沖野:べつに誰にも選ばれなかったという……。

これは手をつけちゃいけないとみんな思ったんじゃないかな。沖野くんがまたどういうふうに作るのかなあ、と思ってリミックスを聴いたら、あれだけは入ってなかったから、やっぱり手を付けなかったんだと思って、それはそれで感動しました。では、とくに意味はなかった?

沖野:意味はないですね。

「オーケストラのみ×歌」って、やりたいと思いつつ自分でやったことなかった。それをやってくれたのでうれしかったですね。

了解(笑)。ではあらためて、イズルくんのリミックスをもらったとき、どういう感想を持ちましたか?

沖野:すごいグッと来ましたねえ。昔からちょっと“エリナ・リグビー”とかを意識してて。

なるほど! ふたりともビートルズ大好きだもんね。

沖野:「オーケストラのみ×歌」って、やりたいと思いつつ自分でやったことなかった。それをやってくれたのでうれしかったですね。メロディがこういうふうに響くんだなあって、自分でも思った。正直、期待してなかったんですよ(笑)。

(一同笑)

沖野:最近は彼、あんまり真面目に音楽やってる感じじゃなかったから。「良かったら使うよ」みたいな依頼で(笑)。そういうところは気さくに話せる。

イズルくんは映像制作の仕事が多いけど、〈fantasy records〉という自らのレーベルを立ち上げて、音楽活動もマイペースで続けてるよね。

沖野:そしたらすごい良かったなあ。嬉しかった。

これは1曲目に置きたいなと思った?

沖野:それは、その時には思わなかった。曲順は本当に悩んで。曲順を決めるために聴き飽きちゃったくらい。

誰かに相談して、という感じじゃなくて、やっぱり自分で決めたかった?

沖野:いや、相談もしました。リミキサーを決めるにあたって、一応自分の中で、90年代からいまもリミックスなりトラックなりを作ってる人、現役でやってる人がいいというこだわりがあったんで。初めは頼みたいと思っていても、最近やってない人には、結局頼まなかった。だから複雑な気持ちの人もいると思う。

The Love Sick(Akio Yamamoto mix)

2曲目の“The Love Sick(Akio Yamamoto mix)”は、オリジナル・ヴァージョンもヴィーナス・ペーターを想わせるファンキーなロックで大好きだけど、アキヲくんにはどういう頼み方をしたの?

沖野:アキヲくんは『FAR』のマスタリングもやってもらってるし、彼のトラック・メイキングの仕事をずっと知ってて。アキヲくんとイズルくんって元Secret Goldfishだし、いまだに仲良くて。で、ちょうど電話がかかってきて「あ、アキヲくんがいたよ!」と思って、本当にそんな感じで決まりました。いろいろ彼の作品を聴いたりして、音に対する鋭さというか、感性がすごいから、どういうトラック作るんだろうと思って。

沖野くんの志向性として、浮遊感だけじゃなくてエッジーな尖った部分というのもあって、そういう表現を別名義のOceanとかIndian Ropeでやってるし、きっとそういうものが欲しかったんだろうな、って。

沖野:とにかく徹底的に自分の音楽を追求している人だよね。

アキヲくんは本誌の古くからの読者にはお馴染みのHOODRUM(田中フミヤとのユニット)とか、『Too Far』に“The Light(I’m the 2016 light years home mix)”を提供してる高山純(Speedometer)さんと組んだAUTORAとか、他にもAkio Milan Paak、Tanzmuzikなど複数の名義を使い分けて多彩な活動を続けてるアーティスト。曽我部(恵一)くんのベスト・アルバム『spring collection』のマスタリングも彼が手がけてて驚きました。「The Love Sick」のリミックスはテクノ寄りのマッドチェスターという感じで、沖野くんにぴったりハマってる。3曲目の「The Light (bluewater mix)」のbluewater(Hideki Uchida)さんは、ぼくは不勉強で知らなかったけど、すごくカッコいいトラックを作る人だなと。

Shuntaro Okino&The F-A-R’sによるライヴの模様。曲は“The Light”

沖野:彼は与田さんが出たりしてる〈SUNSET〉っていうイヴェントでレギュラーDJをやっていて、立候補してくれたんです。リミックス・アルバムを出す話が出る前だね。彼はストーン・ローゼスの“エレファント・ストーン ”かなんかのマッシュアップをやってたんだよね。それがすごい良くて。

“The Light”のオリジナルって、マッドチェスターのフィーリングがあるサイケデリック・ロックでしょう? リミックスは4つ打ちなんだけど、「オレは光」っていう歌詞のキー・フレーズに着目して、言葉のパワーをさらに増幅するような解釈が新鮮で、こう来るか!と。

沖野:彼もマッドチェスターとか全部通ってて。

このリミックスを聴いた感想は?

沖野:この曲はアシッド・ハウスっぽくて、すごく気に入りましたね。あれなんだろう、アシッド・ハウスっぽいよねえ。

与田:しかもフロアで聴いたときにすごくダンサブルだった。実際にクラブで掛けたんですけど。踊るオーディエンスの気持ちがよくわかってる。

Summer Rain(Shunter Okino mix)

4曲目の“Summer Rain(Shunter Okino mix)”、これを自分でやったというのは何かあるの?

沖野:意味はないです(笑)。これは余ってたので、自分でやりましたね。

これもサイケデリックなヴィーナス・ペーター以来の王道というか、このラインは沖野くんの専売特許で、いつやってもいい十八番。それを自分でリミックスしようとなると、どういうふうにやろうと思ったの?

沖野:もう何も考えないでやりましたね。

同じ曲でもいろんなヴァージョンがあったりするのかな?

沖野:最近ハードディスクを整理して出てきたんだけど、この曲はあと2つくらいヴァージョンがありましたね。そっちを出してもおもしろかったなあ。

Welcome To My World(YODA TARO welcome home remix)

そして5曲目は与田さんの“Welcome To My World(YODA TARO welcome home remix)”、これは素敵です。愛を感じますね。

与田:『F-A-R』の中でいちばん好きな曲なので選びました。

沖野:与田さんは俺のことを本当にわかってるんで。与田さんが好きな世界もわかってるし、ああ与田さんだ、みたいな(笑)。

「ウェルカム・ホーム・リミックス」っていうネーミングもいいなあ。

沖野:ちょうど欲しかったタッチの曲になってくれた。

やっぱり2人とも音に対して繊細なところがあるので、とても丁寧に音を構築しているところが好きですね。ネオアコ的な清涼感もあって、すごくいいアクセントになってる。

与田:僕はミュージシャンじゃないんで、むしろ元ネタありきで、この沖野くんの声にこの曲のビートとこの世界観を合わせてみたらどうなるんだろう、というやり方なんです。サンプリングで作っているような感覚なんですけど。この曲はインディ・ダンスにしたかった。テンポ遅めのインディ・ダンスにしようと。

自分のパーティーで掛けたい曲?

与田:そうですね。

Swayed(Linn Mori Remix)

これとその次の“Swayed(Linn Mori Remix)”が隣り合わせているのは、必然性があるというか、よく馴染んでいていいなあと思いました。リン・モリさんはどういう方ですか?

沖野:リン・モリくんはサウンドクラウドで適当にたどっていたら、ぶち当たって。彼の作ってるトラックが全部良くて。まだ25才かな。自分でいろいろ調べましたね。ずっと印象に残ってたんですよ。それで今回リミックス・アルバムをつくろうということになったとき、直接お願いしました。

オリジナルは初期のデヴィッド・ボウイを想わせるアコースティックなバラードだけど、上がってきたリミックスは、ほぼピアノとシンセのインストゥルメンタル。

沖野:全部再構築してくれて。でも基本的にはこういう感じのアルバムを考えてたんですよね。アキヲくんとかもトラックメイカーだから、歌とか使わないでもっと切り刻んでものすごい尖ったものを作ってくるかと思ったんですけど、ちゃんと歌ものにしてきたので意外でしたね。俺のことを知ってると、どこかでやっぱり歌を使いたいと思うのかも。

そう思うし、尊重しようという気持ちがあるのかも。

沖野:たぶん尊重してくれる部分もあると思うんですよ。リンくんは原曲を活かすというよりは、俺のことを知らない分、自分でぜんぜん違う世界を作ってきたという感じだよね。リンくんとは世代も違うし、思い切りがいいし。それがすごいよかった。

原曲はデリケートなラヴ・ソングだし、いっそのこと詞はなしで、みたいな方向なのかな(笑)。これも好きですね。

The Light (Indian Rope Remix)

次の7曲目、“The Light”のIndian Rope名義でのリミックスは、ヘヴィかつドープなサイケでじわじわ上がっていく感じがよくて。煙っぽいサックス・ソロも効いてるし、最後は残像をのこしてドローンと消えていくところも洒落てますね。沖野くんの持ってるコアな部分が出てると思うんだけど。

沖野:これはIndian Ropeを意識しました。Indian Ropeだったらどういうふうにやるのか思い出しながら、最近やってなかったようなベタなIndian Ropeをやった感じですね。

Indian Rope名義では久しぶり?

沖野:15年ぶりくらいかな。

〈トラットリア〉以降はこの名義は使ってなかったの?

沖野:使ってないですね。

Indian Ropeだったらどういうふうにやるのか思い出しながら、最近やってなかったようなベタなIndian Ropeをやった感じですね。

インディアン・ロープを始めたときってどういう感じだった? ソロといっても、もっとトラック・メイキングに特化してやりたかったのかな。

沖野:そうですね。当時はいまと違ってまだパワーマックとかの時代だったんですけど、いちおう自分ひとりでできるという時代になってはきていて。昔からデモは作りこんでいたんですけど、他人に頼んでボツにしちゃったりしてたんで……やっぱ全部自分でやろうと思って。

そう、沖野くんの曲はデモの時点でほとんど完成しちゃう。

沖野:凝ってましたよね。

ヴィーナス・ペーターの初期の名曲“Painted Ocean”もデモの段階でほぼできていた?

沖野:そうですね。そんなに変わってないですね。

ぼくは本当にシンプルに、あの曲が好きなんですよ。あれ一発で惚れた。しかもいちばんいいと思えるような曲を惜しげもなく『BLOW-UP』(※〈Crue-L Records〉のファースト・リリースとなった91年発売のコンピレーション・アルバム。参加アーティストはブリッジ、カヒミ・カリィ&ザ・クルーエル・グランド・オーケストラ、マーブル・ハンモック、フェイヴァリット・マリン、ルーフ、ヴィーナス・ペーターの6組)に入れたところがカッコいいと思った。自分たちのファースト(『Love Marine』)に取っておかない気前の良さに(笑)。

Moon River(Salon Music Remix)

次の8曲目、Salon Musicの“Moon River(Salon Music Remix)”は絵画的というか、音で絵を描いてる感じが素敵だなと。沖野くんの中に意識せずしてあるものが形になって提示されていると思うんだけど。音でこういうことができるのが、音楽の素敵なところだと思います。

沖野:あと2人でやってくれてるというのがすごく大きいですね。仁見さん(竹中仁見)の声とかファズ・ギターが入っていたり、うれしさがありますよね。サロンを選んで、自分ながらこれはよく思いついたなあと(笑)。

サロン・ミュージックは〈トラットリア〉のレーベル・メイトだし、吉田仁さんはヴィナペの2014年作『Nowhere EP』もプロデュースしてるし、ずっと近くでやってたじゃないですか(笑)。

沖野:近くにいるんですけど、意外とあんまりリミックスは聴かないですよね。

たしかに、リミックスはそんなにやってないかもしれない。

沖野:ライヴにもしょっちゅう来てくれてるんですけど、あんまりつながらなかったですね。

あの人のセンスを100パーセント信用できるというか。俺はYMOやはっぴいえんどをぜんぜん通ってないんで。

でも沖野くんって、雰囲気がちょっと仁(吉田仁)さんと似ているところもあるし、シンパシーみたいなものがあったんじゃない? あとサロン・ミュージックは英語詞だけでやる先駆者でしょう? 今回の『F-A-R』は日本語詞がメインのアルバムだから、直接そこは関係ないけど、ヴィーナス・ペーターが登場したときとか、その前にフリッパーズ・ギターがデビューしたときとか、仁さんとの出会いはとても大きかったと思うんだけど。

沖野:そうですね。唯一付き合いのある先輩なんで(笑)。あんまりねえ、ミュージシャンとの付き合いがダメなんですよ。苦手なんで。仁さんだけはライヴにも来てくれて、話が合うんですよねえ。

それは音楽性が共通しているというだけではなくて?

沖野:あの人のセンスを100パーセント信用できるというか。俺はYMOやはっぴいえんどをぜんぜん通ってないんで。

YMOを通ってないというのは、世代を考えると意外なところはあるよね。小山田くんだって、別にリアルタイムでは通ってないと言ってたけど。いまはほぼバンド・メンバーだけどね(笑)。

沖野:もちろんあの時代の人たちを尊敬はしてますけど、影響されてないというか。サロンは、昔からやってることが本当かっこよくて。そういう意味ではいちばんセンスを信用している先輩が、あのおふたりですね。

洋楽志向というより、最初から洋楽だった先輩という感じだよね。ぼくだって80年代初頭に“Hunting on Paris”の12インチを聴いて、「完璧に洋楽だよ!」ってびっくりした。YMOはそれぞれ一角のキャリアのある人たちが組んだスーパー・グループだけど、サロンは突然現れてロンドンから逆輸入という感じだったから。

この夜にさよなら(Cornelius Remix)

インディアン・ロープ~サロン・ミュージック~コーネリアスという並びは、個人的には「トラットリア・ストライクス・バック!」という感じで盛り上がりますね。“この夜にさよなら(Cornelius Remix)”は、意外といえば意外だった。沖野くんのオリジナルは『F-A-R』のリード・トラック的な曲だし、この爽やかな感じはこれまでなかったから、パッと聴いていいなと素直に思ったけど、小山田くんの解釈がいわゆるコーネリアス調じゃないのがおもしろかった。小山田くんのリミックスって、たいていの場合は原曲のタッチをほとんど残さずコーネリアス調に作り変える作業だけど、これはそうじゃないと思って。非常にレアなケースじゃないかな。

沖野:この曲は、聴いているうちにあー、やっぱコーネリアスだなあ、って思うようになりましたね。

うん、まさしくそういう感じ。だから、いつもの感じでやらなかった、ということ自体にスペシャル・トリビュート感があるなと。音数は少なくて、隙間を活かしたすごくシンプルなアプローチというところは小山田くんらしいけど。

沖野:コード感とかが小山田くんの中にあるものと合ってて、たぶんこれだという直観で選んだ部分があると思う。彼も忙しいし、これがいちばん料理しやすいと思った、って気がするけどね。

さらっと仕上げているようで、飽きずに長く聴ける感じ。沖野くんに対するリスペクトを感じますね。原曲の歌詞は、最初に聴いたとき、亡くなった人へのレクイエムのように聴こえたんだけど、そういうことってあったりしますか?

沖野:うーん、そこははっきりと明言するのは避けたいです。ただ実は自分史上、最高に悲しい曲ではありますね。

切ない曲だよね。友達なのか家族なのかわからないけど、いまはこの世にいない大切な人に捧げた特別な曲、という気がしました。

沖野:うーん、やっぱりそこもノーコメントで。ただこの一行は彼、とかこのくだりは彼女、とかそういうのはあります。基本的には大きい括りなんですけど。

沖野:(いま世の中で聞こえてくるものが)みんな「悲しいことを乗り越えよう」っていう歌ばかりだったんで。そうではなくて、俺は本当の痛みや悲しみってのは大切に墓場までいっしょに持っていくもんなんだ、という考え方だから。そういう意味で書いたんだよね。

すごく秘められたドラマを感じる曲だったので……。

沖野:そこに気付いてもらえたのはすごくうれしいです。単に爽やかな曲というふうに言う人も多いんですよ。

でも、爽やかな曲調でこの詞だから、よけいにグッとくるところがあって。さっきいちばん好きな曲は“Welcome To My World”と言いましたが、リリックは“この夜にさよなら”がいちばん印象的でした。沖野くんの個人的な世界というよりは、誰かにこの思いを伝えたいという気持ちが溢れている感じがしました。

沖野:そういうことは思ってるんですよね。

「この夜にさよなら」というリフレインも、「その後はあてもない/だけどこの夜にさよなら」という最初のヴァースからしてハッとさせられるというか、この曲は違うぞ、とまず最初に思って。でもその後に「その胸の暗やみ/この胸の苦しみ/いつまでも一緒さ/だからこの夜にさよなら」と続いて、いろんな人と出会う中で傷ついたこととか、つらい思い出みたいなものを、捨て去るのではなくて、それを持ったままいっしょにさよならする、というところにものすごくグッと来る。

沖野:(いま世の中で聞こえてくるものが)みんな「悲しいことを乗り越えよう」っていう歌ばかりだったんで。そうではなくて、俺は本当の痛みや悲しみってのは大切に墓場までいっしょに持っていくもんなんだ、という考え方だから。そういう意味で書いたんだよね。

それは強い決意だなあ。実際、痛みも傷も闇も、なかなか消えないじゃない? 本音を言えば、そんな簡単に消えるわけないだろ、という。ちょっとの間は忘れていられても、不意にフラッシュバックしちゃう。ぼくもそこは一緒で、だけどそれをこういうふうにさらっと歌えるというのが、いまの沖野くんの大きな成長だと思う。

沖野:少ない言葉でそれを表現したかったというか。

この曲のリリックは最高。すごい名曲だと思う。最後のヴァースがまたグッと来るんだよな。「悪い夢で構わない/いつか/夜の彼方で彷徨う君を見つけよう/また会おう」。「さよなら」と言ってるんだけど、最後に「また会おう」と言って終わるというのが……ニクいね(笑)。日本語詞でこれだけのものを書けるんだから素晴らしい。それを小山田くんが選んでるというのがまた……。

沖野:その話はしてないですけど、そこはうれしかったですね。

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Dream Of You(Akito Bros. remix)

次の10曲目、Akito Bros(アキト・ブラザーズ)の“Dream Of You(Akito Bros. remix)”。メロディメーカーとしての沖野くん史上屈指の名曲にさらに磨きをかけた感じ。繊細な音作りが素晴らしくて、これもすごく好き。片寄(明人)くんに頼もうと思ったのは?

沖野:いま、沖野俊太郎 & The F-A-Rsでギターを弾いてくれてるタカタタイスケくんのバンド、プレクトラムがGREAT3と対バンしたのを観に行ったのがきっかけ。GREAT3ってじつはちゃんと観たことなくて、音源もほとんど聴いてなかった。たぶんGREAT3が活躍している頃(90年代後半)は、わりとテクノとかばっかり聴いてたから。でも、そのライヴがすごい良くて。

ぼくは、GREAT3がいまいちばんカッコいいロック・バンドだとマジで思ってるよ。片寄くんのことは昔から知ってるし、デビューのときからGREAT3は大好きだったんだけど、どの時代のGREAT3よりもいまがいちばんいいと思えるくらいカッコいい。

沖野:じゃあちょうどいいときに見たんだ(笑)。ずっと3人でやってるんですか?

オリジナル・ベーシストの(高桑)圭くんは脱退したけど、若い新メンバーのjanくんが加入して、オリジナル・ドラマーのケンちゃん(白根賢一)は変わらずに3人でやってる。ライヴはギターとキーボードにサポートが入るときと、サポートなしでトリオ編成でやるときがあって、いろいろだね。

GREAT3のライヴがすごい良くて。

沖野:片寄くんがリミックスやってるの聴いたことないな。あれだけすごい知識を持ってるし、プロデューサーもやってるのに。でも、わりとそういう発想があったんですよ。この人がリミックスやったらどうなるんだろうという。

それはヒットだね。じゃあ、これまで交流はそんなになかった?

沖野:ぜんぜんなかった。それからライヴとか呼んでくれて。

そうなんだ。片寄くんもめちゃめちゃサイケな人だし。いまは菜食主義者だけど(笑)。沖野くんとの相性は絶対いいはずだと思ったけど、案の定、片寄くんらしいメロディアスな風味のリミックスで、仕上がりもバッチリだった。

沖野:今回やってくれた人たちの中ではいちばん、元の素材をそのまま使って組み立てなおしたという感じですよ。他の人は歌だけ使うという感じなんだけど、片寄くんと5ive(COS/MES)くんは唯一、俺のトラックを全部使ってくれましたね。彼らはリミックスするというよりも……。

リ・コンストラクションした感じ?

沖野:そうそう。

元の曲のトリップ・ソングらしさを活かしつつ、メロディの良さをさらに際立たせようという意図は十分伝わってきたよ。

The Light(I'm the 2016 light years home mix)

次の11曲目、Speedometer(スピードメーター)の“The Light(I'm the 2016 light years home mix)”。リミックスのタイトルはモロにローリング・ストーンズ「2000光年のかなたに」(2000 Light Years From Home)から採ってるなと。高山純さん(Jun Takayama a.k.a Speedometer)はイルリメともSPDILLというユニットをやってるし、SLOMOSという名義でソロ音源を発表したり、多彩な人ですね。

沖野:俺、高山さんのことがいちばん知らなくて。アキヲくんが彼とバンド(AUTORA)をやってて、レーベルの社長がSpeedometerの大ファンというのもあって、アキヲくんに紹介していただけないか、という感じになったんだけど。Speedometerの音源も聴いたけどすごいカッコよくて。高山さんは絶対に歌を使わないだろうと思ってたら使ってて、アンドリュー・ウェザオールみたいな印象で、すごく良かったですね。どこかしらにあの頃の匂いを入れてくれてるというのがね。

これも原曲はマッドチェスターっぽいサイケデリック・ロックだし、たとえばストーンズでも、時代が移るごとに惹かれる部分が変わるじゃない? マッドチェスター華やかなりし90年代初頭は、やっぱり『サタニック・マジェスティーズ』とか『ベガーズ・バンケット』に目が行く時代だったと思うんだけど。トリッピーな世界観みたいなものを沖野くんと共有してるのかな?

沖野:ああ、そういうことはぜんぜんお話してないんですよ(笑)。高山さんは大阪在住なので。いろいろ聞きたいんですけどね。大阪に行ったときにはぜひお会いしたいですね。

We Are Stories(The F-A-Rs Remix)

次は12曲目、“We Are Stories(The F-A-Rs Remix)”のリミックスは、バンド・サウンドからそんなに大きく変えたりしてない?

沖野:この曲は、ライヴではバンドでアレンジしてやっていて、それをリミックス的に録ってみようかと言って録ったのが、あまりに普通だったので、思いきり編集したという感じですね。ぜんぜん違う感じに。バンドっぽく聴こえるんですけど。

元はわりとデジタル・ロックな感じだよね?

沖野:そうですね。

これは自分でも気に入っている?

沖野:そうですね。まあこういうのもおもしろいというか、自分らしいとは思ってますけど。

「自分たちの物語は自分次第で変わっていくんだ」という歌詞の一節にもあるように、“We Are Stories”というタイトルにもポジティヴなメッセージが込められてる。トリッピーだけど、全体的にポジティヴな感じもこのアルバムの特徴かな。引きこもりアンセムも入ってるけど(笑)、基本的には開けてるよね。

沖野:新しく歌詞を書いた曲に関しては、だんだん明るくなってる(笑)。

声はパワー(Koji Nakamura Remix)

そういうストーリーもあるんですね(笑)。そして13曲目、ナカコーくん(Koji Nakamura)が手がけた“声はパワー”のリミックスは、ほとんどピアノの残響音だけで歌声と歌詞を聴かせる思いきったアプローチで、意表をつかれたけど、すごくいいなと思いました。

沖野:そうですね。これはナカコーくんらしいというか。まさかピアノ・メインで来るとは思わなかったんですけど。もっとエレクトロな感じかと思ったら、現代音楽じゃないけど、かなりそういう要素があったので、衝撃でしたね。まずこの曲選ぶ人がいなかったんですよ。逆にいちばん難しいじゃないですか。ナカコーくんがこれを選んでくれたのがすごくうれしくて。それでこういうアプローチだったんで、びっくりしたけど素晴らしいと思いましたね。

原曲は女性コーラスがフィーチュアされてて、ナカコーくんはそれも活かしてデュエット・ソングに変えてる。そこもおもしろいなと思ったけど、「声はパワー」と言ってるのに──ヴィーナス・ペーターの初期曲“Doo Be Free”では、プライマル・スクリームが“ドント・ファイト・イット、フィール・イット”でデニス・ジョンソンのソウルフルなヴォーカルをフィーチュアするような発想で、真城(めぐみ)さんをフィーチュアしたと思うんだけど――今回はいわゆるパワフルなヴォーカルじゃなくて、ガーリーな感じの女性ヴォーカリストを起用してるのが意外だった。

沖野:歌ってるのはadvantage Lucy(アドバンテージ・ルーシー)のヴォーカルのアイコちゃんなんだけど、彼女はすごく強いものを内に秘めていて。かわいらしい女性っていうイメージが強いんだけどね、ルーシーの曲とか聴いてると……。

ごめん、決して彼女のヴォーカルが弱いと言ってるわけじゃないんだ。ただちょっと意外な組み合わせだなと思って。

沖野:うん、意外なのはわかります。そういえば彼女を推薦してくれたのもタカタタイスケくんなんです。俺も直感でこの曲はアイコちゃんだなって思ったんですよね。なにか感じるものがあった。

こういうアプローチだったんで、びっくりしたけど素晴らしいと思いましたね。

原曲のイントロでヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「サンデー・モーニング」みたいなグロッケンが鳴ってるし、元々チャーミングな曲でしょう? サックス・ソロとかピアノ・リフが効果的に散りばめられてて、曲調もゆるやかに飛翔していく感覚があって、『F-A-R』の中でもいちばんカラフルな印象がある。そういうアレンジを全部取り払って、沖野くんとアイコさんの声とピアノだけで世界全体を作りかえた。このトラックも『Too Far』の白眉だと思います。

沖野:俺とアイコちゃんのヴォーカルの混ぜ方が上手いなと思って。SUPERCAR(スーパーカー)も男女ツイン・ヴォーカルだったから、そこもどこかで勉強してたんじゃないかと思うんですよね。ナカコーくんにそういうコントラストの感覚があったのかなとは思いましたね。

たしかに、沖野くんとアイコさんの組み合わせには、SUPERCARみたいなチャームを感じます。ナカコーくんに頼もうというのは、どういうところから来た発想?

沖野:やっぱり独自の作品を追及してるからですかね。そんなに近くはないんですけど、スーパーカーも好きだったし。

スーパーカー以降の、自分の世界をストイックに追求する感じも共通している気がします。

沖野:彼は昔からIndian Ropeを好きだと言ってくれてて、それも覚えてたので、やってくれるかなあと思ってお願いしました(笑)。ツイッターでヴィーナス・ペーターのこと書いたりしてくれてたんで、頼みやすかったです。

世代的にはちょっと下くらいだけど、やっぱり通ってたんだね、フリッパーズ・ギターやヴィーナス・ペーターを中高生のときに聴いて……。

沖野:(日本のバンドでは)唯一、聴いてたみたいで。

ジャンルを超えて、いろんな名義を使い分けながら活動してるところも沖野くんと似てるよね。

When Tomorrow Ends (speakeasy mix)

そして最後にSugar Plantの“When Tomorrow Ends (speakeasy mix)”。これは選曲もハマってるよね。

沖野:これはね、この曲でお願いしたんですよ。

これをSugar Plantで聴いてみたかったの?

沖野:じつはこれしかなかったというのがきっかけなんだけど。この曲は、はじめぜんぜん合わないと思っていて。あんまり想像できないじゃない? それをあえて頼んでみたんですよね。

このアレンジはショウヤマさん(ショウヤマチナツ)とオガワさん(オガワシンイチ)がふたりで……?

沖野:いや、これはオガワくんひとりでやったみたいです。

壮太くん(高木壮太)とかは参加してない?

与田:壮太くんは参加してない。

めちゃくちゃカッコよくてびっくりした。オルガンは入ってないけど、ドアーズみたいにヒップな、ヒリヒリくる感じがすごくあって、これは本当にすごいよ。

沖野:彼らの話を聞くと、元のヴォーカルだけ抜いて、ヴォーカルに導かれて……ドアーズとか共通して好きなんだよ。はじめはスピリチュアライズドの線を狙ってたらしいんだけど、でも結局ドアーズになったらしいですね。

ドアーズとか共通して好きなんだよ。はじめはスピリチュアライズドの線を狙ってたらしいんだけど、でも結局ドアーズになったらしいですね。

やっぱりそうなんだ。このトラックは最近の新譜と比べても飛び抜けてカッコいいと思った。こういうマジックが起きるからリミックス・アルバムって作っておくもんだね、というくらいカッコいい。

沖野:本当に何回鳥肌が立ったか……『Too Far』は、自分がいちばん元の曲のことを知ってるんで、「ええっ! こうなるんだ!?」という変わりようがおもしろかったですね。

自分がいちばん楽しい?

沖野:気楽だしね(笑)。

今回はリスナーとして純粋に楽しんじゃいましたね。

オリジナル・アルバムとリミックス・アルバムの両方が揃ってみて、何かあらためて自分で発見したことはありますか? もしくは再確認したこととか。

沖野:何かあったかなあ(笑)。今回はリスナーとして純粋に楽しんじゃいましたね。いまは次のことやりたくてしょうがない。

「次はこういうことをやりたい」という具体的なアイデアはある?

沖野:それもまだ見つかってないんですよね。

モヤモヤと自分の中で渦巻いてる感じ?

沖野:渦巻いてはいるんですけど、いまはよくわからないですね……。

それを手探りしていく作業なのかな? でも、みんな次の仕事にとりかかる前はそんな感じかもしれないね。与田さんは今回の2枚のアルバム聴いてどんな感想を持ちました?

与田:今回はまず『FAR』の方で、いままでの沖野くんと明らかに違うということに驚きましたね。『F-A-R』の宣伝を手伝いつつ、僕も沖野くんにインタヴューしながら、その理由がわかってきた。The F-A-Rsと一緒にやったバンド編成のライヴを3、4回観て、僕はヴィーナス・ペーター以外のバンド形態をあまり見たことがなかったのですが、それがすごくよかったんです。で、バンドと沖野くんにだんだん焦点が合ってきて、定期的な活動ができるようになったのがいいなあと思って。あとは、『Too Far』に参加したリミキサーのラインナップは、僕もほとんどが知り合いみたいな感じなので、同世代感はありますね。みんな90年代を通して活動してた人が多いじゃないですか。しかも90年代って、ダンス・カルチャーがロックにものすごく侵食していった時代でもあるので、それをリアルタイムで体験してる人たちの作品が集まってくると、不思議なもので共通の感覚があるなあと思いましたね。

なるほど、まさにそういう人たちが集まった感がありますね。

与田:そうですね。ダンスフロアとロックがクロスしたのをリアルタイムで体験して、実際に踊っちゃってた方なんで。いまは逆にそういうリアリティを伝えづらいのかなあ。だからこういうタイミングでこういうアルバムが出てくると、自分としては、世代感覚的にもすごくうれしいですよね。とにかく楽しかったので。

あらためて(いまの日本の音楽シーンにおける)自分の立ち位置の違和感みたいなものに気づいて、今後どうしようかな……とも思う。アルバムを出したことで状況がよくなったわけでもないし、でもべつに悔しがったりしているわけでもなくて。いろいろ考えてる。

沖野:でもね、2枚続けてアルバムを出して、改めて(いまの日本の音楽シーンにおける)自分の立ち位置の違和感みたいなものに気づいて、今後どうしようかな……とも思う。いまの日本の若者の中で流行っているものとかぜんぜん好きじゃないし。アルバムを出したことで状況がよくなったわけでもないし、でもべつに悔しがったりしているわけでもなくて。いろいろ考えてる。結局、やるしかないんだけど(笑)。いまはSNSとかあるから、何が流行っているかわかっちゃうじゃないですか。本当の現場はどうかわかんないけど、でも俺はそういうところとはズレてる、というのを認めざるを得ないかなあ。もちろん後ろ向きではなくて。もっとどうやって(自分の音楽や状況を)良くしていくかということを考えつつ、でも生活に追われてることもあるし、難しいというのはひしひしと感じてますね。

日本のメジャー・シーンだろうとインディ・シーンだろうと、そこに対する違和感のみが、沖野くんにはあったと思うんですよ。ヴィーナス・ペーターだって、いまでも早すぎる解散だったと思うけど、沖野くんが自棄になった理由というのは、「これで変わらなかったら、何をやったらいいの」という歯がゆさだったんじゃない?

沖野:ありましたね。どうしたらいいんだろう、というのがいまだに続いているけど。

最近の若いバンドとか聴く機会もあるでしょう?

沖野:一応聴かなきゃという感じで聴いてますけど。

〈kilikilivilla〉のサイトで沖野くんとCAR10(カーテン)の川田晋也くんの対談を読んで、すごくおもしろかった。川田くんは91年生まれで、〈kilikilivilla〉の先輩たちを通じてヴィーナス・ペーターの存在を知って、まさにその年にリリースされた『LOVE MARINE』をブックオフで発見するんですよね。

与田:僕から見ると、CAR10とか、いま地方で活動してる若い子たちが洋楽ロックが好きでやってる感じが、90年代前半に僕らがやってた感じと似通ってるなと思ったんですよ。だからヴィーナス・ペーターとか聴かせると、みんなものすごく反応してくれて。

それは現行のJポップへの違和感から?

与田:完全にそうだと思いますね。

沖野:普通だったら違和感を抱かないわけないよね。「なんでこんなに分かれてるの? なんかおかしくない?」という感じ。

与田:中間がないですよね。

沖野:ここまで離れちゃうと埋めようがないくらい(笑)。

やっぱりバンドが好きですねえ。

与田:でも、90年代もそうだったんじゃないですかね。もちろんRC(・サクセション)とかブルーハーツとかいましたけど、イカ天とかホコ天あたりのイヤーな感じのバンドがわんさか出てきて。だからフリッパーズのファーストは、音楽好きにとって衝撃だったんじゃないかなあ。その感じと、いまの20代前半のバンドの、自分の好きな音を見つけてきてそれをやってる感じは、よく似てると思いましたね。ただ、いまの子たちはみんなしっかりしてるんですよ。僕らは自分たちの思いだけで突っ込んじゃって、後先考えずに突っ走った部分はあるんですけど、いまの若者はみんなきっちり仕事持ちながらやってますよね。いいことだと思いますけどね。

いまはロック・ドリームを抱きようがないというか、それはロックに限らないと思うけど、自分たちの将来に巨きな夢を持ちにくいんじゃないかな。

与田:夢、見ないですよねえ。まだ〈kilikilivilla〉の若者たちは自分の世界を作ろうとしますけど。一般的には夢とか見れない、って言われるとしょうがないですけどね……。

もちろん地に足がついてるのはいいことだけど、バンドに巨きな夢を持ちにくいというのは世知辛いよね。いつの時代の若者にとってもドリーミーなカルチャーのはずなのに。でも、理想と現実の相克というテーマは永遠のものだから、きっとまたすごいバンドが現れると信じてるけど。
そういえば、沖野くんって曲作りは自己完結してるのに、つねにバンドがあったほうがいいというジレンマがある気がして。バンドのフロントに立って歌ってる姿がいちばんサマになるし、仮に曲作りは自分ひとりで完結できるとしても、パフォーマーとしてソロでやるという感じではないよね。弾き語りの人じゃない。

沖野:ダメということはないけど、やっぱりバンドが好きですねえ。

つまりポップス・シンガーじゃないということ。沖野くんはあくまでロッカーなんだよね。そういう意味では、ボビー・ギレスピーみたいな人って日本にいない。たとえばスカイ・フェレイラとデュエットしたら、日本だとどうしても芸能界っぽい世界になりがちじゃない。ボビーは、あくまでロック・アイコンとしてポップ・アイコンと絡んでる感じがカッコいいよね。沖野くんはそういう冒険もできる人だと思うから、ロック道を突き進んでもらいたいですね。

沖野:そうですね、がんばります。

ピーチ岩崎 - ele-king

それでもおとずれる夏のために!ラテン音楽10選!
いろいろあるけど楽しくやろうぜ!

ふたたびの熱狂を - ele-king

 ふたたびの来日、ふたたびの熱狂。2014年もっとも重要なアルバムの一枚『タイー・ベッバ』で記憶されるイタリア人プロデューサー、クラップ・クラップことクリスティアーノ・クリッシの再来日公演が目前に迫った。アフロにジュークにベース、ダンス・ミュージックのトレンドが見せてくれるエキゾの夢はまだまだ醒めない。今週末の公演について、最終ラインナップが発表されている。先月リリースされた日本独自企画盤『Tales from the Rainstick -EP & Singles Collection-』もあわせてチェックだ!


CLAP! CLAP!
Tales From The Rainstick -EP & Singles Collection-

Pヴァイン

Tower HMV

5/4に日本独自リリース・アルバム『Tales from the Rainstick -EP & Singles Collection-』をリリースしたイタリアの奇才トラックメイカー/DJ、CLAP! CLAP! が、同作を引っ提げて待望の再来日を果たす! 先日リリースされたポール・サイモンの新作『Stranger to Stranger』への参加でも世界に話題を巻き起こしているこの男、今回もヤバい一夜になることは間違いない!

■UNIT / root and branch presents
CLAP! CLAP! - Tales from the Rainstick Release Party

ビートミュージック~ベースミュージック・リスナーから辺境・民族音楽ファンやサイケ系インディーロック・ファンまでを巻き込んで大ヒットとなったファースト・アルバム『TAYI BEBBA』を経て、昨年11月に熱狂の初来日公演を果たしたCLAP! CLAP!。そのライヴは密林ジャングル・グルーヴを掛け値なしに体現する熱量マックス/アグレッシヴでオーディエンスを昇天させる圧倒的なモノだった。話題沸騰中の最新アルバム『Tales from the Rainstick -EP & Singles Collection-』(日本独自企画盤)を携えての再来日となる今回の公演は、前回以上にヒートアップすること間違いなし!お見逃しないように!

そして、出演者の最終ラインナップもついに発表!
UNIT公演には<VIDEOTAPEMUSIC × cero>名義でフジロック出演が決定しているVIDEOTAPEMUSIC、ヨーロッパの重要フェスティバルの一つUNSOUNDへの出演がアナウンスされた食品まつり a.k.a Foodman、前回のCLAP! CLAP! 初来日公演に引き続きの登場となるやけのはら、そして、テクノからビート~ベース・ミュージックまでボーダーレスな現場最前線でのパーティー・メイキングに絶対的信頼の1-DRINKの参戦が決定!

6.18 sat UBIK VERSION @ 東京 UNIT
Live: CLAP! CLAP (Black Acre), VIDEOTAPEMUSIC, 食品まつり a.k.a Foodman,
DJs: 1-DRINK, やけのはら
Open/ Start 23:30
\3,500 (Advance), \4,000 (Door), \3,500 (Under 25, Door Only)
Information: 03-5459-8630 (UNIT) www.unit-tokyo.com
You must be 20 and over with photo ID.
Tickets: LAWSON, e+ (eplus.jp), diskunion CLUB MUSIC SHOP (渋谷, 新宿, 下北沢), diskunion 吉祥寺, TECHNIQUE, JET SET TOKYO, clubberia, RA Japan and UNIT
Information: 03-5459-8630 (UNIT) www.unit-tokyo.com

6.17 fri GOODWEATHER @ 名古屋 Club JB’S
Live: CLAP! CLAP (Black Acre)
DJ UJI, Misonikov Quitavitch, NOUSLESS, Chouman
Open/ Start 22:00
\3,000 (Advance), \3,500 (Door)
Information: 052-241-2234 (JB’S) www.club-jbs.jp

■CLAP! CLAP! (Black Acre, IT)
https://soundcloud.com/clakclakboomclak

CLAP! CLAP! は、ディジ・ガレッシオやL/S/Dなど多数の名義で活躍するイタリア人プロデューサー、クリスティアーノ・クリッシがアフリカ大陸の民族音楽への探究とサンプリングに主眼を置いてスタートさせたプロジェクトである。様々な古いサンプリング・ソースを自在に融合して、それらを極めてパーカッシヴに鳴らすことによって実に個性的なサウンドを確立している。彼は伝統的なアフリカのリズムをドラムマシーンやシンセといった現代の手法を通じて再生することにおいて類稀なる才能を持っており、その音楽体験におけるキーワードは「フューチャー・ルーツ/フューチャー・リズム」。CLAP! CLAP! の使命は、トライバルな熱気と躍動感に満ちていながらも、伝統的サウンドの優美さと本質を決して失わないダンス・ミュージックを提示することである。2014年にリリースされ昨年CD化されたファースト・アルバム『TAYI BEBBA』は、ビートミュージック~ベースミュージック・リスナーから辺境~民族音楽ファンやサイケ系インディーロック・ファンまで巻き込んで大ヒットを記録中、その勢いを更に加速させる日本独自企画アルバム『TALES FROM THE RAINSTICK』を本年5月にリリースしたばかりである。



MOODYMANN - ele-king

 年々評価が高まっているのでは……? デトロイトのハウス・マスター、ムーディーマンが来日する。今年の頭に出たミックスCDも好評で、思えば、先日亡くなったプリンス・ネタ(デトロイトでのラジオ出演時の喋りを使ったものもあった)も有名。彼ならやってくれるでしょう。


DUB. Steppers for Techno & House - ele-king

 レゲエのステッパーズにはテクノやハウスと共通する魅力があるように思う。BPMや使われる音素材、サウンドデザインに違いはあれど、低域を強調したベースラインと4つ打ちのキックによってトラックの土台となるリズムが組み上げられ、反復するグルーヴの中へとグイグイと引きずり込まれるようにハマっていく快楽性は、どちらにも共通している。
 しっかりと組まれたサウンドシステムでステッパーズを鳴らすと、そのサウンドは突き抜けるように身体を振動させる音圧となる。そうして聴覚以外の器官も刺激されることで得られる高揚は、一般的なスピーカーでは味わえないものだ。リヴァーブ/エコー・エフェクトのかかったウワモノは、ダブテクノ/ハウスと同様、意識を遥か彼方まで心地よく飛ばし、堅牢なリズムによる重低音は身体を丸ごと飲み込んでいく。
 ここに選んだのは、テクノ/ハウスと親和性の高いステッパーズ5曲だ。そそられるものを感じたならば、サウンドシステムの現場に出かけていって、自宅では味わうことのできない衝撃をぜひとも全身で体感してみてほしい。


Alpha and Omega - Rastafari

イギリスの二人組が90年代に発表したクラシック。2013年にパーシャル・レコーズから再発され注目を集めた。力強くうなりをあげるベースラインとキック上に、エコーのかかったハーモニカのメロディとボイスサンプルが浮遊するアツい1曲。

Henry & Louis f. Johnny Clarke "Love & Understanding" b/w dub version ZamZam 40 7"

アメリカのポートランドから現在進行形のダブミュージックを7インチで発信し続けているザムザム・サウンズ。最新作では、ベン・クロックやマルセル・デットマンらの作品を思わせる、残響に漬け込んだキックが特徴的なヴァージョンを収録。このモノトーンな雰囲気にはテクノ心がくすぐられるはず(試聴では2:00からヴァージョンになっています)。

Bim One Production ft. Pablo Gad - Hard Times VIP

東京の1TAとe-muraが結成したプロダクションユニットによる貫禄のステッパーズ。硬質なキックの下でベースラインが這うように攻め立てる中、次々と素材が放り込まれていく。リズムを崩した中盤の展開は盛り上がり必至。

Tapes & DJ Sotofett - Dub Happy

多才にして奇才、DJソトフェットのレゲエサイド。アレンジはオールドスクールなダブマナーに沿っているものの、ミックス処理はスッキリとしておりモダンな仕上がり。デジタル過ぎないデジタルダブ。

Burro Banton - Praise Up Jah Jah

これまでに何度か再発されている80年代ステッパーズ。エフェクトのかけ具合と素材の抜き差しによる微細ながら絶妙なアレンジで延々とグルーヴが持続するヴァージョンが秀逸。野太いベースがたまらない。

interview with Michael Gira(Swans) - ele-king


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 なんとやめるのだという。なにをって、スワンズを、だ。2010年に復活し、メンバーを固定し数多くの公演でアンサンブルの強度を高めに高め長大な作品におとしこむ、新生スワンズがとってきたサイクルは、私はちょっと考えれば、凡夫にかなわぬ道行きであったればこそ、彼らの新作を耳にし、ここ日本で演奏を観られることを望外のよろこびとしてきた。長い沈黙を破り発表した2010年の『My Father Will Guide Me Up A Rope To The Sky』でスワンズは、マイケル・ジラはゼロ年代的潮流の一部だったドローンを断片的なフレーズの反復に置き換え、彼のレーベル〈ヤング・ゴッズ〉が先鞭をつけたウィアードなフォーク感覚やダルシマーなどもまじえたワールド・ミュージック的な意匠と折衷することで特異な音響空間を現出させた。それがじっさいどのものであるかは、のちにライヴを観てはじめて腑に落ち、肌で理解することになるが、22年ぶりの来日の前年にリリースした『We Rose From Your Bed With The Sun In Our』も、前作とおなじくタイトルがおぼえにくいのをのぞけば、彼ら以外のロック・バンドではなかなかお目にかかれない熱、宗教的といいたくなる熱を帯びていた。
そもそも『My Father〜』は「No Words / No Thought」ではじまるのである。タワレコのキャッチフレーズを思わせるこの題名はしかし、あのようなふんわりした気分というよりも、あきらかに神の言であり、神としての父に導かれ天に昇ると題したタイトルに宗教的な意図を見出さないほうがおかしいではないか。それもあって、東日本大震災で中止となった来日公演のふりかえでもあった2013年の来日公演の直前、はじめてジラに書面でインタヴューしたとき、私はそのことをおりまぜ質問状をつくった、「私たち、宗教的に曖昧な日本人にはその意図は伝わりづらいかもしれない」との留保をつけて。ジラの回答は「私は音楽のスピリチュアルな面については特定の宗教に属してはいない」というものだった。くわえて、音楽の言葉を言葉で語ることへうっすら嫌悪をにじませてもいた。私はわかったようなわからなかったような、日本人らしい曖昧な気分だったが、ジラの忠告に背き、その後も彼らの言葉の意味を考えつづけるなかで、あのときのジラの言葉の重点は宗教よりスピリチュアルにかかっていたとおそまきながら気づいたのである。西欧人たるジラにはユダヤ/キリスト教、つまり一神教の価値観が支配的かと思いきや、仏教であり禅でありマニ教的である彼もいた。ジラ自身、おなじ質問への回答のなかですでにタントラといっていたではないか。宗教的な話をつづけるとヒクひともすくなくないだろうから、そろそろやめますが、つまるところジラの思考は神秘体験をもとにした汎神秘主義(パンミスティシズム)というべきものではないか。
『The Glowing Man』は新生スワンズの最後のアルバムになるのだという。『The Seer』『To Be Kind』と、私たちの望むが通じたかのようにタイトルを簡潔に中身をテンコモリに、ジラいわく音楽が不幸な時代に伽藍をうちたてるがごとき活動をつづけた新生スワンズがなぜそのサイクルを閉じなければならないのか、その理由は以下のインタヴューをお読みいただきたいが、20分を超える楽曲を3曲収めたこのアルバムは現在のスワンズのまさに集大成と呼ぶべきものだ。“Cloud Of Forgetting”“Cloud Of Unknowing”──人間の目から神を隠す遠大なベールとしての雲をあらわす冒頭の2曲、“The World Looks Red / The World Looks Black”はジラの詞にサーストン・ムーアが曲をつけ、ソニック・ユースがデビュー作『Confusion Is Sex』に収録した楽曲をジラみずから歌い直した同名異曲。アルバムにはコンパクトにアイデアを展開した楽曲もあるが、白眉は表題となった“The Glowing Man”であり、ジラとスワンズは30分になんなんとするこの曲で、メンバー個々が呼応し音楽があたかも巨大な生物になるかのような境地に達している。そのあとに訪れる終曲“Finally, Peace.”には動きが停まり収束するというより、ゆっくり歩み去るような力感がみちている。おそらく道行きにはまだ先があるのだ。

いまや、レーベルに所属することは愚か者がやることだ。当時がそうだったように、いまも、音楽をつくって世に出したいなら、自分たちでやるほかない。自分で戦って、何らかの方法を自分で見つけて世に出す。それしか道はない。

現ラインナップでのラスト・アルバムとの報、おどろきました。無数の方からこのことは訊かれるかと存じますが、やはりこの質問からはじめさせてください。なぜ、2010年に再結成した新スワンズをリセットする必要があったのでしょう? 

ジラ:これ以上バンドを続けるのはもうムリだと思った。私のほかの5人のミュージシャンたちと仕事をするのは好きだし、彼らとともに私はスワンズのキャリアにおける最高の作品をつくることができたと思っている。ただ、このライナップで挑むべき冒険はどれもすで探求し尽くした。だからいまは、友人である彼らとともに最後のツアーに出るのを楽しみしているが、その後は、やり方に変化を加えなければならない。おそらくスワンズの名前で私は今後も作品をつくるだろう、ツアーもすると思う。ただ、ライナップはそのつど必要に応じて変えていくつもりだ。これまで一緒にやってきたミュージシャンにも参加してもらうこともあるだろう。固定メンバーで活動するバンドではなくなる、ということだ。

『The Glowing Man』の制作には、いつごろでどのようなきっかけで入りましたか。

ジラ:アルバムの音楽自体は、前作のライヴ・ツアーの中で発展していったものだ。ライヴ中の即興から生まれた曲がほとんどだ。“Cloud Of Forgetting”や“Cloud Of Unknowing”、“Frankie M.”“The Glowing Man”はすべてそのようにして生まれ、ライヴをつづける過程で、発展し、繰り返し変化していった。レコーディングがはじまったのは2015年の7月か8月くらいだった。ツアーを終えてから、すぐにとりかかったんだ。レコーディングでは、私が曲のアレンジなど、ひとりでおこなう作業が先行したのでバンドはひと月ほどオフをとった。

アルバムの制作に入る前に、すでにこのアルバムを現布陣の最終作だと見なしていましたか。

ジラ:ああ。私の中では前回のツアーの終盤くらいから念頭にあった。アルバムの制作に入るころには、全員これが「この固定メンバーでのスワンズとしては最後の作品」だという認識だった。

『My Father Will Guide Me Up A Rope To The Sky』『We Rose From Your Bed With The Sun In Our Head』『The Seer』『To Be Kind』と『The Glowing Man』──新生スワンズは前3作で音楽性を提示し、『To Be Kind』を境にどんどん反復的かつシンプルになった観があります、2010年代のスワンズを俯瞰して、その変化をご説明ください。

ジラ:私の口から説明するのはむずかしい。なぜならわれわれは、本質的にはサーフィンをしているようなものだから。そのときどきの波に乗っているんだ。自分の前にあるものだけを見ている。そしてサウンドの推進力で前に進んでいる。私なりに微妙なニュアンスをところどころで見つけながら。これまでの楽曲がどうしてそういうものになったのか、私にもわからない。当時、直感的に「正しい」と思ったからそうなったんだろうというほかない。過去にはあまり興味がないんだ。ただし、そこから学べることもある。「自分が追求し尽くしものを捨て、次に求めるものの片鱗を見つける」というということだ。個々のアルバムそのものは私にさほど大きな意味をもたない。むしろ、そこに行き着くまでの音楽をつくる一連の過程に私は興味がある。作品にとりくみ、そこから学び、あるものを排除し、別のものを追及する、という経験。その過程がすべてだ。

あなたはスワンズをひとつの有機体とみなしますか、それとも個別の音楽の集合だと思いますか。

ジラ:私にとっては、35年続いているひとつのプロセスだ。学びと発見のプロセスであり歩みだ。

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できることなら、たとえばニック・ドレイクのように歌えるようになりたい。あるいはジム・モリソンとか。でも残念ながら私は彼らではない。だから、自分にあたえられた才能で自分にできることをやるほかない。

2年前のインタヴューであなたは当時のスワンズの音楽の状態を「雲のようなものだ」とおっしゃいました。『The Glowing Man』の冒頭の2曲のタイトルは“Cloud of Forgetting”“Cloud of Unknowing”です。「雲」はスワンズの音楽にみられる変化しつづける不動性が当時すでにあなたの念頭にあったことを物語ると同時に、その言葉に「忘却」「無知」という単語を重ねたのはとても示唆的です。表題に必要以上の意味を読むこむのは危険かもしれませんが、なぜそのようなタイトルにしたのか、教えてください。

ジラ:『The Cloud Of Unknowing』という中世のカトリック系キリスト教の僧侶が執筆した本がある(著者註:『不可知の雲』14世紀後半に成立したとされる瞑想の方法に言及した、キリスト教神秘主義ではよく知られた書物。作者不肖)。神とひとつになれる正しい方法を信徒達に教えるための教育的な指導書だ。その中で、“Cloud of Unknowing” とはつまり、現実に即した考えを捨てたときにたどり着く境地なのだと説いている。「自分が正しか、正しくないか」あるいは「自分はこういう人間だ」といった固定概念や、言葉さえからも自分を切り離し、神のいる「未知」の境地を信じて飛び込むこと。“Cloud of Forgetting”の方は、それと似ているが、自分が知っているすべてを忘れること。“Cloud Of Unknowing(不可知の雲)”に入るためには、まず“Cloud of Forgetting(忘却の雲)”に入り、われわれが日々の現実だとみなしている具体の根からみずからを断ち切らなければならない。その思考過程は非常に禅仏教に近いものがある。私としては、その心理状態が、自分自身の音楽と重なる部分があると感じた。曲の一節や、パフォーマンスの中で、音楽が絶対的な「いま」のなかで完全なる切迫感を帯び、我々の存在とそれ自身を消し去りながら我々を覚醒させてくれる。

その“Cloud of Unknowing”には韓国人ミュージシャン、オッキョン・リーが参加しています。彼女が本作に参加した理由を教えてください。また彼女はジョン・ゾーンのTzadikやスティーヴン・オマリーのIdeologic Organにリリースのある卓越した即興演奏家ですが、彼女の音楽をどう思いますか。

ジラ:彼女は過去に二度のツアーでわれわれの前座をつとめてくれたことがある。そこで私は彼女の演奏のアプローチに感銘を受けた。まるで楽器と精神的レスリングの試合をやっているみたいだった。彼女の演奏はものすごくはりつめたものがある。すばらしいパフォーマンスだから公演を見る機会があったら是非見るといい。君のいうように、彼女は即興演奏家だから、今回彼女には曲の内容、目指すところ、もちろん楽曲キーも伝え、彼女は私の説明をもとに演奏してくれた。

ほぼ1発録りだったのですか。

ジラ:そうだ。

あなたの書かれた“The World Looks Red”の歌詞はソニック・ユースのデビュー作『Confusion Is Sex』にとりあげられています。今回この歌詞を「The World Looks Red / The World Looks Black」として楽曲にまとめた理由をあらためてお聞かせください。

ジラ:曲はできているのに歌詞がない楽曲が手元にあって、ふと思いついたんだ。気づいたらあの歌詞を歌っていた。35年前に書いた歌詞なのに。曲に合っているように思えたから、そのまま進めた。君がイうように、あの歌詞はサーストンがソニック・ユースの曲で取り上げた。彼らとは1982年当時NYのイースト・ヴィレッジにある同じリハーサル・スペースを使っていた。彼は私のタイプライターにあったあの歌詞を見つけて、私に使ってもかまわないかと聞いてきたんで、「もちろん」と答えた。それから何十年も経ったいまになって、どういうわけだからあれがまた頭に思い浮かんだのだ。せっかくだから使おうと思った。

資料にある「もしかしたらある意味、一周回って同じところに来てるのかもしれません」との言葉は具体的にどのような意味なのでしょう。

ジラ:35年前に書いたあの歌詞を今回使ってみて、当時といまでは音楽性がまったくちがうと思ったんだ。でも、どういうわけだか、あの歌詞がいましっくりくると感覚、それをいいたかった。(あの歌詞は)おもしろい心の絵を描いているように思う(they paint a nice psychic picture)。あれを書いた若者が何を伝えようとしたのかはわからない(笑)。おそらく、ひどいパラノア状態に陥っていたのだろうね。思い返せばあの頃の私はよくそういう状態を経験していたからね。

“The World Looks Red”を書かれてからすでに30年以上の時間が経っています。ソニック・ユースも実質的に存在していません。80、90、2000、そして2010年とあなたの見つめつづけてきたオルターナティヴな音楽シーンはどのような変化したと思われますか。

ジラ:そういうことについて考えることはあまりないのだが、あえて答えるなら……じつは当時といまとでは状況はさほどちがわないのかもしれない、と思う。いまや、レーベルに所属することは愚か者がやることだ。当時がそうだったように、いまも、音楽をつくって世に出したいなら、自分たちでやるほかない。自分で戦って、何らかの方法を自分で見つけて世に出す。それしか道はない。どちらかというと、いまの方が、音楽をつくって、それで生計を立てることがこれまで以上に厳しくなったと感じる。どれくらい変化したかはわからないが、少なくとも、インターネット環境の到来で、聴き手側の音楽の入手方法は変わった。でも、音楽をつくる、それを経済的に支える、そして世に出て行ってそれをライヴで演奏する、ノウハウが必要な点では、ちがいはないように思える。

あなたの、とくに新生スワンズにスピリチュアルな側面を見出せるということについては以前のインタヴューでも話題になりました。私はそれは明確に上昇するベクトルをもつと思いますが(抽象的な話でもうしわけありません)、そのような志向ないし思考はあなたの人生観に根ざすものでしょうか。

ジラ:それは「探求すること」に根ざしている。私の人生観はつねに改訂を繰り返している。自分がいかなる価値観もほとんど理解していないことはわかっている。それでも私は、ただ存在しているという何も手を加えていない事実だけに根ざした本物の何かを探している。スピリチュアルな側面にかんしていえば、「われわれの音楽はスピリチュアルだ」といってしまうことは思いあがりにしか聞こえないかもしれないが、「何かを探求している」ものであるとはいえる。それはたしかだ。

あなたのいう「愛」とはイエスのいうそれでしょうか。もっとほかの意味がこめられているのでしょうか。

ジラ:「愛」を説いているのはキリスト教に限ったことではない。東洋の宗教においても「慈悲心」がもっとも尊いものとされている。それこそが私のいう「愛」なのかもしれないし、それはまたイエスのいう「愛」も同じなのかもしれない。つまり、そこには「捧げること」や「受け入れる心」、そして「解放」がなければいけない。ライヴ・パフォーマンスにおいて、スワンズが最高潮に達したとき、当然これはいつもあるわけではないが、それが起きたときは、愛の行為に似たところがある。完全に自己喪失しつつ、「捧げること」も同時に起きている。

偉大なポップ・ソングにかんしていえば、その形式は心から敬服している。とくに、60年代、70年代のポピュラー音楽全盛期のころのもの。ただ、自分にはその才がなく、やろうと思っても上手くできないから、はじめからやりもしないんだよ。

“The Glowing Man”にとりいれた禅の公案とはどのようなものでしょうか?

ジラ:ナゾナゾとまではいわないが、論理的思考を泡立て器で攪拌するようなものだ。もっとも有名なのは「隻手の声」というものだ。答えのない問いだ。そうやって考える視点を捻じ曲げることで、その慣れない視点から新しい発見を見出すのが目的だ。この曲の中で私が引用している禅の公案は、「what is is what」で、私からするとこれにすべてが集約されている。なぜなら、何の意味ももたないからだ(笑)。答えのない不可能な質問みたいなものだ。そういう思考方法に魅了を感じる。

今年は米国の大統領選の年です。ダニエル・トランプと、おそらく民主党候補になるであろうヒラリー・クリントについて、彼らの政策をどのように考え、どちらを支持しますか。またその結果、ジラさんを含む国民の生活はどう変化すると思いますか。

ジラ:その質問に答える前にはっきりさせておきたいのは、これはあくまで私個人の意見に過ぎず、私がミュージシャンだからといって、その意見がほかの誰かの意見よりも価値をもつものではないということだ。当然ドナルド・トランプには愕然としているし、おそろしいし、恥ずかしいし、不快に感じている。ヒラリー・クリントンはまあまあではあるけど、彼よりはいいのはたしかだ。私が政治の領域で一番関心があるのは地球の温暖化、気候変動の問題だ。それに対して、彼女なら何らかの改善策に向かって動いてくれるだろう。ドナルド・トランプになったら、完全に後退するのは明らかだ。

新生スワンズにおけるジラさんのヴォーカルはときに仏教の声明を思わせるほど朗々としたものになっていきましたが、ヴォーカリストとしてご自分を客観的に評価するとどうなりますか。

ジラ:自分は欠点だらけのヴォーカリストだと思っている。ただ、たまに、自分の声にある動力源を見つけて、自分なりのかたちで鳴り響かせられることがある。できることなら、たとえばニック・ドレイクのように歌えるようになりたい。あるいはジム・モリソンとか。でも残念ながら私は彼らではない。だから、自分にあたえられた才能で自分にできることをやるほかない。

3年前のインタヴューでは『The Seer』「Song For A Warrior」はあなたの6歳(というこはいまは9歳ですね)の娘さんへのラヴレターだとおっしゃっていました。またあなたはその曲はご自分の声でないほうがよいと判断したとおっしゃっていました。今回の“When Will I Return?”もそのような位置づけの楽曲といえるでしょうか。

ジラ:あの曲はジェニファーに歌ってもらうために書きおろした曲だ。はじめから自分で歌うつもりはなかった。人に歌ってもらう曲を書くのも好きなんだ。

アルバムに女性が歌った曲を入れたいという音楽的な判断もあったのですか。

ジラ:もちろん。でも、あの曲は個人的にどうしても書かなければいけない曲でもあった。彼女への贈り物として。彼女の人生に深い傷跡を残した経験を歌にして、彼女に歌ってもらいたいと思った。そうすることが、彼女が少しでも救われればと思ったし、ほかの人にも彼女の立派な生き方に共感してもらえたらと思ったんだ。アルバムにはほかにも女性ヴォーカルが入っている。女性ヴォーカルをとりいれるのが好きなんだ。特に女性の歌声がエレキ・ギターとくみあわさった感じが好きなんだ。

『The Glowing Man』では楽曲の多くは組曲形式ないし多楽章形式とでも呼ぶべきものになっています(またあるアルバムのある楽曲が別のアルバムの反復を担っていることさえあります)。音楽の内的必然性にしたがった結果、こうなったのだと想像しますが、現在のあなたにとってポピュラー音楽の楽曲やアルバムといった標準的な形式をどうお考えでしょうか。プロデューサーの観点からお答えください。

ジラ:偉大なポップ・ソングにかんしていえば、その形式は心から敬服している。とくに、60年代、70年代のポピュラー音楽全盛期のころのもの。ただ、自分にはその才がなく、やろうと思っても上手くできないから、はじめからやりもしないんだよ。

アルバムという形式はどうでしょう。

ジラ:世の中の動向は自分とはまったく関係ないものだから、関心はない。すくなくともいまのところアルバムはまだ自分にとって意味のあるもので、またわれわれの音楽を支持してくれるひともいる。ということはまだアルバムを聴きたいと思っている人たちがどこかに存在しているということなのだろう。ただ、音楽をつくるうえで重要かどうかといわれれば、そうではない、すくなくとも私にとっては。私は聴き手がその瞬間だけでもどっぷり浸れる音の世界を創造することに興味がある。それをやっているまでだ。

同じく音楽制作者の視点から、今度音楽シーンはどのように変化するとお考えですか。あるいはシステムの変化はスワンズとは無縁のことでしょうか。

ジラ:こういういい方をしよう。システムの中での自分の活動が終わりに近づいてきてうれしい、とね。

音楽活動は今後もつづけるんですよね。

ジラ:もちろん。でも私にはさいわい自分のレーベルがあって、自分なりの支援体制もできている。仮に自分がまだ若くて、現状の中で音楽活動をはじめたばかりだったら、どうすればいいのか途方に暮れただろう。そのようなことが毎日ニュースにもとりあげられている。日に日に状況は厳しくなっている。音楽で生計を立てるのが不可能になってきた。大工であれば仕事をした分の代金が当然支払われる権利をもっている。ミュージシャンだって同じはずだ。

インターネットによるシーンへの影響はどう見ていますか。

ジラ:自分たちの場合、旧譜のカタログがあって、その権利を私が自分でもっているから、収入の流れがどうであれ、私の手元にお金が支払われる。まだ駆け出しでこれからレーベルと契約をしたり、自分なりのシステムを築かなければいけないのに較べれば、そこまで先行きは暗くない。テクノロジーによって、この問題は改善、解決されると思っている。ただ、だれもそれをやろうとしないだけで。アルバムをつくるさい、あるいは曲をレコーディングするさい、すくなくと私の場合は、スタジオに入るから何万ドルとお金がかかるわけだ。さらに、これまでの人生経験すべてが注がれて、つくるのに何百時間をも費やす。そうやってできたものを、「そこにあったから奪う」権利はだれにもない。それは、たとえば大工が六つの非常に美しいテーブルを精魂込めて16ヶ月かけてつくったのを、だれかが彼の倉庫にある日やってきて、「これもらっていくよ」といって掠めるのとおなじことだ。

今後について。資料ではより小さな規模での活動をほのめかしていますが、それはある種の反動なのでしょうか。

ジラ:たえまないツアーとレコーディング、それに加えておこなう資金調達用のプロジェクトにしても、それに何百時間と時間をとられるのだよ。そうやってほとんど休むことなく、7年間働きつづけた。そろそろスタミナの限界だ。同じペースでつづけるのはもうムリだ。だから、このアルバムのツアーが終わったら、まずしばらく睡眠をとってから、次に何をするか考えたい。

以前お話をうかがったさい、本を書きたいとおっしゃっていましたが、その時間はとれそうですか?

ジラ:どうだろう。いまとなっては、自分が(本を書いて)何を伝えたいのかもわからなくなってしまったよ。それよりもまず本を読みむことが大事だ。じっくり本を読む時間をとることだ。脳のその部分をまず活性化させなければいけない。その結果何か出てくるかもしれない。

たとえばあなたひとりでアコースティック・ギター一本の弾き語りをするときでもスワンズの名義を使いますか。

ジラ:じつはソロのヨーロッパ・ツアーを終えたばかりだ。アルバムを完成させた後、1ヶ月のソロ・アコースティック・ツアーをおこなった。ソロの弾き語りはマイケル・ジラ名義でやっていくつもりだ。

ツアーを予定されているとのことですが、来日公演の予定はありますか?

ジラ:まだ具体的なツアー日程は決まっていないが、確実に行くとは思う。7月初旬からすくなくとも16ヶ月はツアーをやる予定だ。いずれはお目にかかることもあると思う。

私は2013年と2015年の東京公演を拝見しましたが、とくに後者は圧倒的な音響空間で、スワンズがライヴをひとつの音響作品として考えていることがよくわかりました。新生スワンズで6人のメンバーの固定したのも音楽の連続性を目したものだったのかもしれないと思いました。あなたが2010年以降のライヴ活動で得たものがあれば教えてください。

ジラ:ライヴ活動はいつだって私により高い場所を目指したと思わせてくれる。ライヴで曲を演奏し、その中からなにを省いて、なにをのこすかを感じとり、さらに追求して、新しいものを見出していく。曲をアルバムの通りに演奏するなんてことは絶対にやらない。それは極めて安易で愚かでなんの刺激もない。観客の前で演奏しながら曲を構築していくというやり方は今度のツアーでも変わらないよ。

Brian Eno - ele-king

 かつて決して沈まないと謳われた豪華客船があった。当時の科学技術の粋を集めて造られたその船は、皮肉なことに初めての航海で氷山に接触し、多くの人びとを乗せたまま海底へと沈んでいった。その甲板では、乗客たちの不安を和らげるために、バンドが音楽を奏でていた。かれらの演奏は船が沈むその最後の瞬間まで続けられたという。
 この半ば伝説と化した楽団が奏でていた音楽はラグタイムだったとも賛美歌だったとも伝えられているが、いずれにせよその音楽は非常にアンビヴァレントなものだったはずである。その音楽は、乗客たちが落ち着いて避難できるよう、かれらの耳元にまでしっかりと届けられなければならない。だが他方でその音楽は、乗客たちが能動的に聴き入ってしまうようなものであってはならない。無論、緊急事態に熱心に音楽に耳を傾ける者などいないのだろう(実際、生還した細野晴臣の祖父の耳に強く刻まれていたのは、バンドの演奏などではなく信号花火の轟音である)が、それでも、乗客たちが避難することを諦めその運命を受け入れてしまうような耽美な音楽を演奏するわけにはいかなかっただろう。
 必ず聞こえなければならないが、決して聴かれてはならない音楽。それが、自らの意志で船上に残ったバンドメンバーたちが奏でなければならない音楽だった。そしてそれはエリック・サティが「家具の音楽」を作曲する8年前のことだった。

 ブライアン・イーノがタイタニック号の沈没というテーマに関心を寄せるのは今回が初めてではない。イーノがプロデューサーを務め、イーノが立ち上げたレーベル〈オブスキュア〉からリリースされたギャヴィン・ブライアーズの『The Sinking Of The Titanic』(1975年)は、まさしくタイタニック号のバンドメンバーたちが演奏していたであろう音楽を、生存者の証言に基づいて再現しようとする試みだった。それは、積極的に聴かれることを目指さないという点において、後のアンビエントの先駆となる作品だった。
 とはいえ、この度リリースされたイーノの新作『The Ship』は、ブライアーズのように真正面からタイタニック号の沈没と向き合うものではない。本作においてタイタニック号の沈没という出来事(1912年)は、第一次世界大戦というもうひとつの出来事(1914〜18年)とセットで扱われているのである。
 日本では便宜的に第二次世界大戦までがいわゆる「近代」とされてきたけれど、ヨーロッパでは長らく第一次世界大戦までが「近代」と見做されてきた。つまり第一次世界大戦は、欧州に生きるイーノにとって、いまからひとつ前の時代の終焉を意味するものなのである。
 なぜいまイーノがそのようなテーマに惹かれたのかということについては、昨年の彼の政治的な活動を振り返ると、ある程度は察しがつく。人類はすでに100年も前に科学技術や軍事力を過信することの危険性を知っているはずなのに、今日でも戦争や紛争といった問題は何も解決していないではないか、むしろ世界の状況は当時よりも悪化しているのではないか──おそらくイーノの胸中にはそういう思いが横たわっているのだろう。彼の瞳には、9•11やイラク戦争、世界金融危機を経た現在の世界の惨状が、100年前のムードと非常に似通ったものとして映っているのである。

 ソロ名義としては『Lux』(2012年)以来およそ3年半ぶりとなる新作『The Ship』だが、いわゆる「歌もの」として本作を捉えた場合、『Another Day On Earth』(2005年)以来11年ぶりのアルバムということになる。とはいえこの11年の間、イーノが全く歌っていなかったというわけではない。カール・ハイドとの共作である『Someday World』(2014年)では何曲かでイーノがメイン・ヴォーカルを務めていたし、同じ時期にリリースされたデーモン・アルバーンのソロ・アルバム『Everyday Robots』でもイーノはゲストとして哀愁漂うヴォーカルを披露していた。
 しかしながら、そもそも本作をいわゆる「歌もの」に分類するのにはいささか困難が伴う。たしかに、イーノは歌っている。けれど本作では最後の "I'm Set Free" を除いて、「ヴォーカル+バックトラック」という典型的な「歌もの」の構図は採用されていない。本作で聴くことのできるイーノの低い──そう、とてつもなく低い──ヴォーカルは、あくまでそれ以外のサウンドと溶け合うように、全体を構成する部分のひとつとして鳴り響いているのである。かつてイーノはU2のボノに対しヴォーカルの不毛性について説き語ったことがあるそうだが、いざ自らが歌うにあたっても、ヴォーカルを特権的に扱う趨勢に対する反抗心を忘れることはできないのだろう(そうであるがゆえにこそ、最後の "I'm Set Free" が効果的に響く)。

 本作は大きく "The Ship" と "Fickle Sun" の二部から構成されている。
 タイトル・トラックであ "The Ship" は、希望に満ちた新たな船出を告げるかのような、イーノらしい静謐なアンビエントで幕を開ける。6分手前からイーノの低いヴォーカルが入場し、その最も低い部分は次第に周囲の電子音と混ざり合っていく。背後ではサンプリングされた音声が小さな小さな雑音として鳴っている。それらが混ざり合う様は徐々に変化していき、13〜14分あたりで一段落すると、トラックは少しずつきな臭い様相を呈していく。15分手前からは静かなノイズと女性のものと思しきヴォイスが乱入し、不穏な空気が漂い始める。17分手前からは謎めいた声が亡霊のように語り出し、また新たなノイズが侵入してくると、それらは次第に重なり合っていく。繰り返される「Wave, after wave, after wave」という呟きが聴き手を不安へと誘い、アルバムは前半を終える。

 後半の "Fickle Sun" はさらに三つのパートに分かれている。
 最初のパートは "The Ship" と同じようにアンビエントで始まるものの、そこにもはや明るい未来の兆しなどはなく、出だしからベースが不吉な雰囲気を紡ぎ出していく。3分手前からイーノのヴォーカルが入り込み、5分を過ぎたあたりからシンバルが鳴り始め、6分頃にはノイジーなギターが乱入してくる。7分を過ぎた頃には全ての音が大音量で轟き始め、おそらくはここが最大の戦場なのだろう、けたたましさは頂点に達する。その後いったん静寂が訪れるものの、徐々に様々な音声が入り乱れていき、トラックの後半は声の一大実験場と化す。その様はまるで、戦場=船上で命を落とした者たちを一堂に召喚する魔術的な儀式のようである。繰り返される「When I was a young soldier」というフレーズが亡霊たちの呻き声を呼び寄せながら、"Fickle Sun" は最初のパートを終える。
 二つ目のパートである "The Hour Is Thin" では、もの悲しげなピアノをバックに、タイタニック号の沈没や第一次世界大戦に関連する文書を元にマルコフ連鎖ジェネレーターによって生成されたテクストを、俳優のピーター・セラフィノウィッツが淡々と読み上げていく。その亡霊たちを鎮魂するかのような朗読に導かれ、"Fickle Sun" は三つ目のパートである "I'm Set Free" へと流れ込み、これまでの闇を一気に振り払う。長大な映画のエンディングのような余韻を与えるこのヴェルヴェット・アンダーグラウンドのカヴァーは、聴き手に新たな希望の片鱗を垣間見せるものの、それは「幻想」であると歌われ、『The Ship』は静かに幕を下ろす。

 このように本作は、これまでのイーノのどのアルバムにも似ていない、極めて野心的な作品となっている。 "Fickle Sun" 中盤のノイジーな展開は、00年代以降ドローンがノイズとアンビエントとの境界を攪乱していったことに対するゴッドファーザーなりの応答である、と考えることも可能だろう。そういう意味で本作は昨今の音楽シーンへの目配りもおこなっているわけだが、それ以上に本作で重要なのは、その物語性である。
始めから通して聴けばわかるように、本作はオープニングとクライマックスとエンディングをしっかりと具えた壮大な小説のように進行していく。静穏なアンビエントやイーノ自身による歌、けたたましい騒音や様々な声の実験を経由して、最終的に本作は「私は自由になる」と歌われるポップ・ソングへと辿り着くのである。"Fickle Sun" の最初の方でイーノは「The line is long / The line is gray」と歌っているが、この「line」は「航路」であると同時に文字通り「線」でもあるのだろう。『The Ship』は一本の線のように進行していく物語なのである。

 そもそも70年代にイーノが開始したアンビエントというプロジェクトには、リニアな物語として展開する音楽に異議を唱えるという側面があった。そのようなイーノ自身によって始められた試みが、この『The Ship』では、イーノ自身によって問いに付されているのである。アンビエントに歌を組み合わせるという点においてだけでなく、アルバム全体に物語性を導入するという点においても、イーノは本作で、これまでの自身のディスコグラフィから遠ざかろうと奮闘している。要するに本作は、イーノ自身によるイーノ自身への反抗なのである。
 振り返れば、イーノの歩みは抵抗の連続だった。スクラッチ・オーケストラやロキシー・ミュージックへの参加は音楽のプロフェッショナルであることへの抵抗であり、〈オブスキュア〉の始動やアンビエント・ミュージックの発明はロックの昂揚感や音楽における物語性、あるいはメディテイション・ミュージックに対する抵抗であり(紙版『ele-king vol.8』および『AMBIENT definitive 1958-2013』に掲載された三田格さんによる論考およびイーノへのインタヴューはとんでもなく素晴らしい内容なので、未読の方にはご一読をお勧めする)、インスタレーションや映像作品への着手は音のみに没入するような聴取のあり方に対する抵抗であり、『Neroli』(1993年)以降の道程はレイヴ・カルチャーによって再定義されたアンビエントに対する抵抗であり(全篇アンビエントのアルバムとしては次の『Lux』まで19年ものときが空く)、U2やコールドプレイといったロック・バンドのプロデュースはアンダーグラウンドなあるいはエクスペリメンタルな音楽にしか価値を見出さない向きに対する抵抗であった。
 このようにロックと現代音楽との間を、ポップとエクスペリメンタリズムとの間を行き来する彼の立ち居振る舞いは、いわゆる「ポストモダン」を体現したものであったと言うことができるだろう。『The Ship』でイーノが試みようとしているのは、そのような自身の履歴からの逃走であり、そのような自身の履歴に対する闘争なのである。
 本作はひとつの大きな物語として展開していくが、そこで扱われるテーマがタイタニック号の沈没および第一次世界大戦であるのは単なる偶然ではない。先に述べたように、それら二つの出来事はイーノにとってひとつ前の時代の終焉を意味するものであった。すなわちイーノは本作において、自らの「ポストモダン」性に反抗するために、「モダン=近代」の終焉を参照するのである。

 そのアイデアは、このアルバムの制作過程にも影響を与えている。
 本作の制作は、イーノがストックホルムの映画館でのインスタレーションを依頼されたところから始まっている。彼はその会場内で、様々な場所に設置された様々な種類のスピーカーがそれぞれ異なる音を発していることに気がつく。それはつまり、ひとつひとつのスピーカーがそれぞれ「個性」を有しているということである。そのことにインスパイアされたイーノは、一度レコーディングされた音源を様々なスピーカーで鳴らし直すことで改めて音源に調整を加えていき、本作を練り上げていった。
 ここで、第一次世界大戦の戦闘を特徴付けていたのが、機関銃と毒ガスという「新兵器」であったことを思い出そう。機関銃や毒ガスがそれ以前の武器と異なっていたのは、それらが敵の「個性」を無効化してしまうという点においてである。どのような「個性」の持ち主であれ、一度機関銃や毒ガスの前に身をさらされた者は、ただ自らの死を受け入れるほかに為す術を持たない。要するに、かつてロマン主義によって解放された「個性」は、第一次世界大戦によって粉々に打ち砕かれてしまったのである。本作でイーノが拾おうとするのは、そのようなかけがえのない「個性」の亡骸なのだ。

 物語性の導入にせよ「個性」の尊重にせよ、それらが反動的な側面を有していることは否めない。つまるところ、本作は賭けなのである。それも極めて分の悪い賭けだ。イーノ自身、そのリスクは承知しているのだろう。だからこそ彼は「幻想」という言葉に導かれ、いま、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの "I'm Set Free" を歌うことを決意したのだ。「I'm set free / To find a new illusion(私は自由になる/新しい幻想を見つけるために)」。 この一節の強勢は「自由」の方にではなく「幻想」の方にある。


 それはかつて科学技術や軍事力であった。それはかつて物語や「個性」であった。あるいはそれはかつて、民主主義や資本主義やキリスト教でもあっただろう。人びとがその手で生み出し、互いに合意し、信じ抜こうとするもの──それが「幻想」でなくて何だろう。音楽だってひとつの「幻想」だ。本作がデヴィッド・ボウイに捧げられていることの意味もそこにこそある。ボウイというかけがえのない「個性」が紡いだ物語も、またひとつの「幻想」であったのだから。
 過去の歴史を踏まえた上で現在の世界の惨状と向き合うために、そして自身の履歴を踏まえた上で新しい音楽を生み出すために、イーノはここに『The Ship』という新たな「幻想」を作り上げた。その新たな「幻想」は、タイタニック号のバンドメンバーたちが奏でていたようなアンビヴァレントなものではない。このアルバムは、かけがえのない「個性」を持った、たったひとりのあなたに、能動的に聴かれることを欲している。かつてヴェルヴェット・アンダーグラウンドの音楽が、ブライアン・イーノというたったひとりの「個性」のもとへ届いたように。

 我々はクラウトロックのなにを知っているのだろう。ハンス・ヨアヒム・レデリウスが、ザ・ビートルズの最年長メンバーより6歳年上で、エルヴィス・プレスリーよりも数か月早く生まれていることを多くの人は知らない。そう、プレスリーより早く生まれたこの男は、少年時代を戦中に過ごし、郵便配達やマッサージ師をやりながら生き延びて、そして60年代のベルリンのシーンにおける最高のアンダーグラウンドな場で、耳をつんざくほどのノイズを、エレクトリック・ノイズを鳴らす。わずかこれだけの物語だが、我々はここからさまざまなものを読み取ることが出来る。つまり、ティーンエイジャーとして豊かな消費生活を送れなかった境遇の者が、その運命を乗り越えようとするときのとてつもない想像力……。
 あるいはクラフトワークの『アウトバーン』だ。あのとことん牧歌的とも言えるジャケの絵。郊外の緑のなかを延びるアウトバーンを走る自動車──、周知のように、アウトバーンは、ナチス時代の遺産でもあり、このアルバムはあまりにも単純に自動車を賞揚しているようでもある。しかし、同時に、アウトバーンは町と町を繋げている重要な交通網であることに変わりない。ブルース・スプリングスティーンの「涙のサンダーロード」のように、いい女もいなければ威勢のいいものでもない、ただそれは確実にあるものであり、エレクトリックな表現でありながら、リアルであろうとする「涙のサンダーロード」以上に、実はリアルな我々の生活を表現しているというこの逆説。我々はクラウトロックのなにを知っているのだろう。
 なるほど、クラウトロックはときにエレクトロニクスと結びつけられるが、しかし、そのほんとんが、当時高価だったシンセサイザーを購入できる立場にいなかった。彼らのエレクトロニクスとは、高価なモジュラー・シンセを買うことではなく、中原昌也のように、安価なテープマシンやマイクやラジオなどを工夫して使うことだった。クラウトロックがパンクから尊敬されている理由のひとつである。

 ぼくにとって、クラウトロックは長きにわたって好きなものであると同時に、ある種のオブセッションでもあった。自分はなんでクラウトロックが好きなんだろう。60年代末から70年代の西ドイツで生まれたいくつかのロック・バンドの音源が、なんで特別で、そしてなんでその後あり得ないほどの影響力を発揮しているんだろう。実験的だからか? エレクトロニックだからか? ぼくは何度もそれを説明しようと試みて、うまくいかなかった。なぜぼくは、カンのオーガニックなグルーヴやクラスターの牧歌的なアンビエントを、なぜこうも好きなのだろうか。そもそも、こうした音楽とノイ!の前へ前へと進むモータリック・ビート、あるいはアシュ・ラ・テンペルの星界のサイケデリクスとのあいだにいかなる共通項があると言うのだろうか?
 
 本書『フューチャー・デイズ──クラウトロックとモダン・ドイツの構築 』は2014年に刊行された英国のジャーナリストが描くクラウトロックの評伝で、おそらくのジャンルにおける書物の中で最高のものだろう。著者は、たんにオタク的にこのマニアックなジャンルを掘り下げるのではなく、戦後ドイツ史を引っぱり出し、その特殊な歴史的状況を説明しながら、クラウトロックが生まれる背景について詳述する。同じように英米のサブカルチャーに影響を受けながら、フランスやイタリアではなくなぜそれが“西ドイツ”だったのか? 我々はその糸口を知り、その普遍性に辿り着く。

 また本書は、挑発的なロック評論でもある。いまだにローリング・ストーンズやボブ・ディランを有り難がっている人たちへの強烈なカウンターも含まれている。英国ジャーナリストらしく、白黒はっきりさせているので、読む人が読んだら破り捨てたくなるような箇所もあるだろうし、クラウトロックのすべてを賞賛しているわけでもない(タンジェリン・ドリームのファンも読まないほうがいいかもしれない)。だが、好き嫌いは抜きにして、花田清輝を彷彿させる博覧強記と英国人らしい批評性、そしてリスナーの想像力において、間違いなく読み応えがある本だ。
 日本ではほとんど知られていない、戦後ドイツ文化史の説明は、同じように敗戦を経験した日本人にとってはなおさら興味深い。デヴィッド・ボウイがいかにクラウトロック史において重要だったのかも再三書かれている。それから、1970年代のレスター・バングスがクラフトワークをどのように賞揚したのか、あるいは、1980年代に『NME』のライヴァル紙だった『メロディ・メーカー』の方向性まで(著者は『メロディ・メーカー』編集者だった)と、いまや日本では死に絶えている(?)ロック・ジャーナリズムに関心のある人にも面白い本だし、他方では、ブリアルやワイリーからURまで、今日のエレクトロニック・ミュージックについての考察も含まれている。
 本書にはいくつかのキーワードが出来てくる。ここで例を挙げるながら、カンの「リーダーはいない」とクラスターの「荒れ狂う平和」だ。どちらの言葉にも複数の意味がある。「リーダーはいない」の“リーダー”にはヒトラーや象徴としての父や男根的ロックの否定も含まれている。と同時に、「自分は誰かに生かされている」という感覚でもある。たとえ小さな子供でも、自分が子供を養っているのではなく、実はその子供に自分が生かされているのだという感覚。もうひとつの「荒れ狂う平和」とは、たまらなく穏やかな田園の裏側で荒れ狂うもの、その両方を同時に感じてしまうこと。──クラウトロックとは、決してスタイルではないのだ。
 膨大な資料と取材をもとに描かれたクラウトロック評伝の冒険をひとりでも多くの人に楽しんでいただきたい。

■目次

Unna, West Germany, 1970──ウンナ、西ドイツ、1970年 
Introduction ──前置き
Prologue ──序文

1 Amon Düül and the Rise from the Communes
アモン・デュールとコミューンからの上昇

2 Can: No Führers
カン:リーダー不在

3 Kraftwerk and the Electrifi cation of Modern Music
クラフトワークとモダン・ミュージックの電子化

4 Faust: Hamburg and the German Beatles
ファウスト:ハンブルグとジャーマン・ビートルズ

5 Riding through the Night: Neu! and Conny Plank
夜を駆け抜けて:ノイ!とコニー・プランク

6 The Berlin School
ベルリン派

7 Fellow Travellers
旅の仲間たち

8 A Raging Peace: Cluster, Harmonia and Eno 329
荒々しい平和:クラスター、ハルモニア、そしてイーノ

9 Popol Vuh and Herzog
ポポル・ヴゥーとヘルツォーク

10 Astral Travelling: Rolf-Ulrich Kaiser, Ash Ra Tempel and the
Cosmic Couriers
星界旅行:ロルフ・ウルリッヒ・カイザー、アシュ・ラ・テンペルと宇宙のメッセンジャー

11 A New Concrete: Neue Deutsche Welle
新しいコンクリート:ノイエ・ドイッチェ・ヴェレ

12 Post-Bowie, Post-Punk, Today and Tomorrow
ポスト・ボウイ、ポストパンク、今日そして明日

フューチャー・デイズ
──クラウトロックとモダン・ドイツの構築
デヴィッド・スタッブス 著
小柳カヲルほか訳
ele-king books
定価:4400円(税抜き)
6月22日発売予定

デヴィッド・スタブス/David Stubbs
英国の著述家、音楽ジャーナリスト。オックスフォード大学在学中、サイモン・レイノルズと共にファンジン『Monitor』を立ち上げ、卒業後『Melody Maker』の編集部に加わる。その後、『NME』、『Uncut』、『Vox』、『The Wire』に勤務。これまでに『The Times』、『The Sunday Times』、『Spin』、『Gurdian』、『Quietus』、『GQ』などに寄稿。その多くの著作には、ジミ・ヘンドリックスの各楽曲に焦点を当てその人物像に迫ったものや、『Fear of Music: Why People Get Rothko but Don't Get Stockhausen』、20世紀の前衛音楽とアートの比較研究書などがある。現在、スタブスはロンドン在住。

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Goth-Trad - ele-king

 日本を代表するプロデューサー、ゴス・トラッドが新作『PSIONICS(サイオニクス)』を自身のレーベル〈Back To Chill〉よりリリースする。ここ数年の間に、マーラ主宰の〈Deep Medi Musik〉や〈Back To Chill〉から楽曲を発表してきたゴス・トラッドだが、アルバムという形でのリリースは前作『New Epoch』から実に4年ぶり。
 前作がゴス・トラッドのダブステップ期を総括しているものだとしたら、新作『PSIONICS』は、よりフリーフォームで重低音を追求し続ける近年の彼の活動が反映されたものになっている。今回収録される曲の多くが使用されたこちらのミックスは、彼のキャリア初期を彷彿とさせるドローン・サウンドから、彼のスタイルとも深く共鳴するドゥーム・メタル、メランコリックなメロディで溢れている。アルバムへの期待が高まる内容だ。

 今作は販売形式もユニークで、値段に応じて内容が異なる仕様になっている。ゴス・トラッド自身が自らのDJプレイで使用するレコードを制作しているスタジオ、ワックス・アルケミー製の高品質ダブプレートが入ったパッケージもあるので、彼のサウンドへの美学に「触れる」貴重な機会になるだろう。こちらのダブプレートには日本のバンド、ボリスやアメリカのエクペリメンタルMC、Dälekとの曲作などが収録される。 
 発売は9月上旬を予定。同月には今年10周年を迎えるゴス・トラッドのパーティ〈Back To Chill〉のアニヴァーサリー・イベントも行われる。

Artist: Gpth-Trad
Title: PSIONICS
Label: Back To Chill
Track List (変更の可能性あり):
01. Grind *
02. Vortex *
03. Amazon *
04. Locomotive * 05. Eraser *
06. Crooked Temple 07. Disorder *
08. One Drop *
09. Joust *
10. Untitled
* VIPパッケージの4枚組ダブプレートに収録予定の8曲
予約はこちらから: https://www.gothtrad.com/psionics/

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