「IO」と一致するもの

Beyoncé - ele-king

それに、わたしと同じようにいつもひとりでいる人間がいつの日か全員、川に集まるのよ。みんなで夕陽が沈むのを眺めるの。そして暗闇のなかでわたしたちはきっと真実を知るのだわ。アリス・ウォーカー『メリディアン』高橋芽香子訳

 ビヨンセは「文化現象になった」と英ガーディアンは報じている。ぼくはジェームス・ブレイクが参加していることがまず嬉しかった。ざまあみろだ。数年前、黒人音楽の専門家からジェームス・ブレイクを評価するなんてわかってないねーというおしかりを受けていたから。なぁんてことを書くと、ここだけリツィートする人が出てくるんだろうなぁ……だが、そんな小さい話ではない。スーパーボールで披露した“Formation”という、黒豹党/blacklivesmatterへの共感を露わにしたあとのアルバムに、英国の内気な白人青年との共作──彼は後半にも出てくるが、ブレイクは本作においてディプロと並んで重要な役割を担っている──を持ってくるところが、すでに作品の大きさが象徴されている。
 ポスト・オバマ・ワールドにおけるひとつの性急な意見として、所詮、黒人と白人を同じ国に住めないというのがあったが、意外なところではエズラ・クーニング(ヴァンパイア・ウィークエンド)やパンダ・ベア、ファーザー・ジョン・ミスティもザ・ウィークエンドも……(ほか大勢)も参加した『レモネード』からは、ビヨンセの音楽的探求心とその成果、異議申し立て、そしてパワフルな、とてつもなくパワフルな理想主義が立ち上がる。

 以下、自分のことを高い棚に上げて書こう。アルバムにはジェイ・Zをはじめとする、昔ながらの男社会への怒りと女性の苦しみが描かれているという。台所で、居間で、旦那の帰りを待っている女性の痛み(ぼくは午前3時の男ではないので、少しほっとしたり)、いつまでも変わらない男社会。映像にはニーナ・シモンの『シルク&ソウル』のジャケが写される。そしてはじまるその曲、“Sandcastles”でのビヨンセの歌は、かくじつに胸をえぐる。
 映像には、南部の美しい風景がたびたび出てくる。『レモネード』は、ビリー・ホリデーからアリス・ウォーカー、あるいは詩人ニッキ・ジョヴァンニにいたるまでの、長い歴史におけるアフリカ系アメリカ人女性たちの抵抗の魂の連続性のなかにある。「女を怒らせたら恐いよ」と、7歳の娘は、この1年ぼくに繰り返し言う。恐い……わかっている。男にとって己の愚かさに直面せざるえないという恐怖もあり、しかもビヨンセはジェイ・Zよりも器の大きいところを見せつけてもいる。『レモネード』はその最後を“Formation”でしめているように、怒っていて、寛大で、諦めていない。恨み節など優に超えるものであり、ポップ・アルバムとしての完成度がとにかく高いのである。
 ここ数年EDMにどっぷりのディプロだが、曲をまとめる腕は錆びていない。彼のプロダクションは重たいテーマの本作において、陽気なリズムで耳を楽しませる。2曲目が“Hold Up”だからこそ、これはすごい作品かもしれないと思えた。エレクトロ・タッチの“Sorry”も来たるべく後半戦に備えてほどよいウォームアップになる。ジャズとカリブ海がミックスされる“Daddy Lessons”は洒落ているし、ベース・ミュージックを咀嚼した“Love Drought”もキャッチーでじつに良い。痛みを和らげるようだ。
 
 “Sandcastles”のあとに続くのがジェームス・ブレイクと一緒に歌う“Forward”だ。次にケンドリック・ラマーをフィーチャーした“Freedom”、そしてディプロの感動的な“All Night”、クロージング・ナンバーの“Formation”へと展開するわけだが、これら後半3曲の力強さには心底しびれる。
 人種問題、女と男、理解し合うことの困難さという一点においては、同じように、ほんとうに困難だ。うわべだけの理想主義なんかでは通用しない。だからいっそうのこと、一緒に居るのは無理なんだという主張も大いに説得力を持つ。そうすれば誰も傷つかなくて済むという現代の日本でも散見するその建設的な考えをどうしたら覆せようか。
 メリディアンは「正しいこと」と「間違っていないこと」の違いが長いことわからなかったとトルマーンに打ち明ける。「正しいこと」とは殺さないこと。「間違っていないこと」とは必要とあれば殺すこと。メリディアンはある日そう確信する。『レモネード』は「間違っていないこと」ではない。
 あら探しをすることもできるだろう。完璧すぎるとか、良い子ちゃんだとか、とくに新しくはないとか、M.I.A.のように「アラブのことは入ってないじゃん」と高をくくることだってできる。だが、ぼくはとてもケチをつける気にはなれない。この音楽が自分の人生にも影響与えることを願う。ぼくは間違っていた。たしかにポップ・ミュージックは趣味によって細分化され、聴き方も産業によって大きく変化している。しかし、ここには変わることのない、寛容で、大胆に時代を切り拓くポップ・ミュージック/ソウル・ミュージックがある。

AHAU - ele-king

最近聴いていた音楽の中から

坂本龍一、Alva Noto、Bryce Dessner - ele-king

 なんと厳しくも、美しい音楽だろうか。まさに極寒の音響空間。アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の映画『ザ・レヴェナント 蘇りし者』のサウンド・トラックのことである。

 本作を生み出した音楽家は、坂本龍一、アルヴァ・ノト、ブライト・デスナーの3人。坂本龍一ファンでもある監督から坂本個人にオーダーがあり(『バベル』では“美貌の青空”が使われていた)、坂本がアルヴァ・ノト=カールステン・ニコライに協力を求め、さらに監督がオーケストラ的要素としてブライト・デスナーを起用したという。 ここでは中心人物である坂本龍一に焦点を当てて分析してみたい。

 坂本龍一の音楽には、大きく分けて2つの系譜がある。ひとつはリリカルで叙情的なメロディと浮遊感のある和声で、20世紀フランス印象派、ドビュッシーの系譜に繋がる作曲家の系譜。もうひとつは、未知の音色と音楽を希求して追求する実験的な音楽家としての系譜である。

 このふたつは、坂本龍一という音楽家のなかで分かち難く一体化しており、氏のソロ.・アルバムにおいては、フランス印象派風の響きと電子音楽から無調、未来派によるノイズまで、近代から20世紀以降のあらゆる音楽的な実験のエレメントや、アフリカ音楽から沖縄民謡までの非西欧音楽などが交錯していく。それは初期の『千のナイフ』『B-2ユニット』から近年の『キャズム』『アウト・オブ・ノイズ』まで変わらない。

 いわば巨大な音楽メモリ/装置としての存在、それが坂本龍一なのだ。その意味で、氏は言葉の真の意味でポストモダンな音楽家である。氏は自身に「根拠がない」ことを繰り返し語っていた。ゆえに「外部」が必要になるとも。だからこそ坂本龍一にとって「外部」としてのコンピュータが重要であり、それは「電子音楽」への追求でもあった。自己を相対化すること。じじつ坂本龍一の先鋭的な個性はコラボレーションやサウンド・トラックに表出しやすい。『エスペラント』、『愛の悪魔』などなど。

 だが「外部」はコンピュータに限らない。真の「外部」は「人」ではないか。それゆえ彼は多くのコラボレーションを実践してきた。カールステン・ニコライやクリスチャン・フェネス、テイラー・デュプリーなど電子音響/エレクトロニカのアーティストとのコラボレーションなどは、コンピュータが「外部」というより、自分の拡張デバイスとなった時代において、当然の帰結であったのだろう。そもそも彼らの音楽は、人との聴覚を拡張するアートであったのだから。

 なかでも『Vrioon』以来、10年を超える共闘を続けているカールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトとの仕事は重要である。音の建築の中に、微かなポエジーとロマンティシズムを称えるカールステンの作品と、坂本との音楽性との相性は(意外にも)良い。残響の果てに溶けあうノイズへの感性が共通するからだろうか。

 そのふたりの新作が本作だ。真冬の、身を切るような、氷の音響。ここでは弦も、電子音響も、音楽の消失点に鳴るような過酷なノイズを生成している。オーケストラとの共演という意味では、2008年の『utp_』を思わせもするが、それよりも遥かに厳しい音のタペストリーだ。

 1曲め“ザ・レヴェナント・メインテーマ”のギリギリまで和声が削ぎ落とされた響きが、本作のトーンを決定していく。まるで絶望の中の光のような音楽。背後に微かに鳴る電子音も素晴らしい。2曲め“ホーク・パニッシュ”はアルヴァ・ノトとブライト・デスナーの曲だが、メインテーマの変奏であるのは明確だろう。3曲め“キャリング・グラス”は坂本とアルヴァ・ノトの共作で、微かな記憶の片鱗のような電子音に、硬質な弦、砂塵のような電子ノイズが折り重なる。5曲め“キリング・ホーク”は坂本単独曲で、『愛の悪魔』を思わせる低体温の電子音に、鋭くも厳しい弦楽が鳴り響く。また、坂本単独曲の13曲め“ザ・レヴェンタント・テーマ2”、“ザ゙・レヴェナント・メイン・テーマ・アトモスフェリック”で聴かれる香水のような芳香を放つピアノも美しい。19曲め“キャット&マウス”は坂本龍一、アルヴァ・ノト、ブライト・デスナーの共作で、電子音からオーケストレーション、アフリカン・リズムが交錯し、音楽史と音楽地図と越境するような刺激的なトラックに仕上がっている。3人の共作では、電子ノイズと打楽器と弦楽が拮抗しあう“ファイナル・ファイト”も緊張感も印象的だ。

 どの曲もサントラの機能性を保持しながらも、しかし独立した楽曲として素晴らしいものである。オリジナル・アルバムとしてカウントしても良いのではないかと思うほどに(『エスペラント』がそうであるように)。

 とはいえ、このような音楽作品に仕上がったのは、やはり「映画」という「外部」が重要に思えるのだ。映画とは監督のものだ(もしくはプロデューサー?)。そこでは音楽家は否が応でも、映画というプロジェクト=「外部」と接することになる。ことイニャリトゥ監督は音楽に拘りを持っている映画作家であり(氏はメキシコでDJもしていたという)、『バードマン』では、アントニオ・サンチェスのドラム・ソロ・トラックを映画音楽のメインに据えるという革新的なことを成し得たほど。つまり音楽への要求は(異様に)高いはず。

 じっさい、その音楽制作は度重なる修正などが6ヶ月ほどに渡り続くという過酷なものであったようだ。加えて坂本は重病の治療から復帰したばかりでもあった。いわば映画という「外部」、病という自身の身体に起きた「外部」という二つの状況のなかで、本当に大切な響きを吸い上げるように、音を織り上げていったのではないか。そこにおいて「外部」としてのコラボレーターの存在は、暗闇を照らす光のような存在だったのではないかとも。

 じじつ、坂本は素晴らしい共演者と巡り合うことで、自身の音楽の深度をより深めてきた音楽家である。このサウンド・トラックの仕事はたしかに過酷であったのだろうが、しかし、生み出された作品は、氏のディスコグラフィにおいて、ほかにはない「光」を放っている。ギリギリまで和声を削いだ響きに、苦闘の果てのルミナスを聴くような思いがするのだ。それは命への光、のようなものかもしれない。

 急いで付け加えておくが、このアルバムにエゴは希薄だ。外部としての映画。外部としてのコラボレーション。相対化し複数化する個。カールステン・ニコライ、ブライト・デスナーらという共演者と音楽は、それぞれの音の層が重なり合い、電子音響でも、アンビエントでも、クラシカルでもない音響を生み出していく。あえていうならばサウンドスケープだ。個がありながらも、個が消え去り、ただ音響が生成すること。

 日本盤ライナーでカールステン・ニコライがタルコフスキーの名を出していたが、たしかに本作には「ポスト・タルコフスキー的宇宙」とでも称したい、現実の世界との音響の境界が消えゆくような音楽の未来=サウンドスケープが鳴り響いているように聴こえてならないのだ。

GLOBAL ARK - ele-king

 DJ MIKUは90年代世代にとっては司祭。この男が、1992年から1995年のあいだの都内のアンダーグラウンド・テクノ・パーティにおいて、どれほど多くの人間を踊らせたことか。この時代の関東在住のテクノ好きで、彼がレジデントを務めたウェアハウス・パーティ「キーエナジー」で踊っていない人間はまずいない。「キーエナジー」で朝まで踊って青山マニアック・ラヴのアフターアワーズに行くというのが当時のお決まりのコースだった。
 その東京オリジナル・レイヴ世代の司祭と有志ある仲間のDJたち、ミュージシャンらが集い、「GLOBAL ARK」という本格的な野外レイヴ・パーティがはじまっている。今年でもう5回目になるそうだ。
 簡単な話だ。昔はクラブもレイヴも安かった。だから音楽を楽しみたい金のない若者は(コンサートよりも)クラブやレイヴを好んだ。DJ MIKUがいまやりたいのはそれで、しかもあの頃のパーティはみんな手作りだった。その手作り感もじつはものすごーーーく重要だった。誰も金のかかった内装を欲しかったわけではないから。
 (マニアック・ラヴなんか照明も手動でやったり、ぼくたちも自分たちでDJパーティを企画したときは、当然自分たちで場所を借りて、掃除から機材の運搬まで何から何までぜんぶ自分たちでやった。DIYをそれで学んだといったら格好良すぎだけど、いい意味でいまよりハードルが下だったし、いい意味で商売気がなかった)

 以下は、「GLOBAL ARK」の開催主旨の原稿からの抜粋です。

 「本来の野外ダンス・パーティの基本形である、近い・安い・楽しい! を実現する野外パーティはどうだろうか? 最近ないな……。(略)誰もが気軽に楽しめるFEEと都心からも近いキャンプ場。ピースフルな雰囲気。踊りに行くのに貯金しなくても大丈夫! 選ばれしリッチマンじゃなくても大丈夫! ひとりで来ても大丈夫! そんなパーティがまた復活したらいいな。という単純なきっかけで開催を決意したのが5年前でした」

 6月4日昼から6月5日までのあいだ、奥多摩をずうっと進んで山梨県に入るとある【玉川キャンプ村】にて「GLOBAL ARK」は開催される。入場は、前売りで5千円、当日で6千円。儲けるとか考えない。なによりもオリジナル・レイヴの精神によって生まれたこの野外レイヴ・パーティ、とくに「レイヴっていったいどんなものなの?」という若い人たち、梅雨入り前のいい季節だし、行ってみる価値は大いにありです!

■GLOBAL ARK

2016.6.4.sat - 6.5.sun at Tamagawa Camp Village(Yamanashi-ken)
Gate Open:am11:00 / Start: noon12:00
Advance : 5,000 yen Door : 6,000 yen
Official Web Site : https://global-ark.net

■ Line up

- Ground Area -

Eduardo de la Calle (Analog Solution / Cadenza / Hivern Discs / SPA)
Nax_Acid (Aconito Records / Phorma / Informa / Kontrafaktum / UK, ITA)
ARTMAN a.k.a. DJ K.U.D.O.
DJ MIKU
KAORU INOUE
HIDEO KOBAYASHI
GO HIYAMA (Hue Helix)
TOMO HACHIGA (HYDRANT / NT.LAB)
MATSUNAMI (TRI-BUTE / EXPECTED)
NaosisoaN (Global Ambient Star)

Special Guest DJ :
DJ AGEISHI (AHB pro.)

- River Area -

DJ KENSEI
EBZ a.k.a code e
DJ BIN (Stargate Recordings)
AQUIRA (MTP/Supertramp)
R1(Horizon)
DJ Dante (push..)
DJ MOCHIZUKI (in the mix)
Shiba@FreedomSunset - Live
山頂瞑想茶屋
ENUOH (ΦΤΦ / THE OATH)
OZMZO aka Sammy (HELL m.e.t)
Kojiro + ngt. (Digi-Lo-t.) - Live
SHIGETO TAKAHASHI (Time and Things)
NABE (Final Escape)
KOMAGOME (波紋-hamon-)
PEAT (ASPIRE)
VMIX (Twinetrax)
AGBworld (INDIGO TRIBE)
TMR Japan (PlayGroundFamily / CANOES BAR TAKASAKI)
Nao (rural / addictedloop / LivingRoom)

- Wood Lounge -

TARO ACIDA (DUB SQUAD)
六弦詩人義家 - Live
Dai (Forte / 茶澤音學館)
ZEN ○
Twicelights (ADSR) - three-man cell - Live
DJ Kazuki (push..)
ALONE (Transit / LAw Tention)
Yamanta (Cult Crew / Bio Sound)
TORAgon (HIPPIE TWIST / NIGAYOMOGI)
DUBO (iLINX)
MUCCHI (Red Eye)

Light Show : OVERHEADS CLASSIC - Ground Area -

Vj : Kagerou - River Area -

Sound Design : BASS ON TOP

Decoration : TAIKI KUSAKABE

Bar : 亀Ba

Food :
Green and Peace
Freewill Cafe
赤木商店
Food Studio ODA家
Gypsy Cafe

Shop:
Amazon Hospital
Big ferret
UPPER HONEY

FEE :
前売り(ADV) 5,000円 当日(DOOR) 6,000円
駐車場(parking) : 1,000円 / 場内駐車場1,500円
(場内駐車場が満車になった場合は
キャンプ場入口から徒歩4-5分の駐車場になります)
テント1張り 1,500円
Fee: Advanced Ticket 5,000yen / Door 6,000yen /
Parking(off-track)1,000yen /(in the Camp Site)
1,500yen
Tent Fee 1,500yen

【玉川キャンプ村】
〒490-0211 山梨県北都留郡小菅村2202
TEL 0428-87-0601
【Tamagawa Camp Village】
2202 Kosuge-mura, Kitatsuru-gun, Yamanashi-ken,
Japan

● ACCESS
東京より
BY CAR
中央自動車道を八王子方面へ→八王子ジャンクションを圏央道青梅方面へ
→あきる野IC下車、信号を右折して国道411号へ→国道411号を奥多摩湖方面へ約60分→奥多摩湖畔、深山橋交差点を左折7分→玉川キャンプ村

BY TRAIN
JR中央線で立川駅から→JR青梅線に乗り換え→青梅駅方面へ→JR青梅駅で奥多摩方面に行きに乗り換え→終点の奥多摩駅で下車→奥12[大菩薩峠東口経由]小菅の湯行バス(10:35/13:35/16:35発)で玉川停留所下車→徒歩3分

Tamagawa Camp Village
2202 Kosuge-mura, Kitatsuru-gun, Yamanashi-ken, Japan
Shinjuku(JR Chuo Line) → Tachikawa(JR Ome Line) → Okutama → Transfer to the Bus to go Kosuge Onsen.Take this bus to Tamagawa Bus Stop

Okutama Bus schedule:10:35 / 13:35 / 16:35
(A Bus traveling outward from Okutama Station)
(Metropolitan Inter-City Expressway / KEN-O EXPWY)
・60 minutes by car from KEN-O EXPWY "Hinode IC"Metropolitan Inter-City Expressway
・60 minutes by car from KEN-O EXPWY "Ome IC"(Chuo Expressway)
・60 minutes by car from CHUO EXPWY "Otuki IC"Chuo Expressway
・60 minutes by car from CHUO EXPWY "Uenohara IC"

● NOTICE
※ ゴミをなるべく無くすため、飲食物の持ち込みをお断りしておりますのでご協力お願いします。やむおえず出たゴミは各自でお持ち帰りください。
※ 山中での開催ですので、天候の変化や、夜は冷え込む可能性がありますので、各自防寒着・雨具等をお忘れなく。
※ 会場は携帯電波の届きにくい環境となってますのでご了承ください。
※ 違法駐車・立ち入り禁止エリアへの侵入及び、近隣住民への迷惑行為は絶対におやめください。
※ 駐車場に限りがあります、なるべく乗り合いにてお願いします。
※ お荷物・貴重品は、各自での管理をお願いします。イベント内で起きた事故、盗難等に関し主催者は一切の責任をおいません。
※ 天災等のやむ終えない理由で公演が継続不可能な場合、アーティストの変更やキャンセル等の場合においてもチケット料金の払い戻しは出来かねますので何卒ご了承ください。
※ 写真撮影禁止エリアについて。
GLOBAL ARKではオーディエンスの皆さまや出演者のプライバシー保護の観点から各ダンスフロアでの撮影を禁止させていただいております。 そのため、Facebook、Twitter、その他SNSへの写真及び動画の投稿、アップロードも絶対にお控えくださるようお願いします。尚、テントサイト、フードコートなどでの撮影はOKですが、一緒に来た友人、会場で合った知人など、プライベートな範囲内でお願いします。

special talk:峯田和伸 × クボタタケシ - ele-king

 ここで問題にするのは3部作完結編の新曲「生きたい」そのものではなく、そこに収録された“ぽあだむ”のリミックス。これが、銀杏BOYZ史上初のクラブDJによるリミックス・ヴァージョンなのだ。リミキサーはクボタタケシ。ぼくは、個人的に、これは偏見かもしれないけれど、銀杏BOYZのファナティズムとクラブ・カルチャーの陶酔とは、決して親和性が高いとは思えていなかったので、こんなことが具現化されることがとても意外で、驚きを覚えたのだった。しかしながら、取材で対面したおふたりは、すでに仲良し状態で、ものすごく打ち解けている様子。実際、リミックス・ヴァージョンの出来は素晴らしく、原曲の歌メロを活かしながら、誰の耳にも心地良いであろう滑らかなグルーヴが注がれている。新曲“生きたい”が過剰なまでに生々しい(バンドの崩壊の過程?)を歌っているので、“ぽあだむ”の軽快なリミックスはこのシングルにおいて素晴らしい口直しになっている。
 それでは以下、おふたりの対談をお楽しみください。

個人的にリミックスをやって欲しかったんです。本当に大好きなひとだったので。クボタさんを知ったきっかけはキミドリですね。高校のときに友だちの影響で、洋楽だったり当時のパンクだったりをリアルタイムで聴いていて「うわー! すげー!」って生活を山形で送っていたときです。──峯田


銀杏BOYZ
生きたい/ぽあだむ クボタタケシ REMIX Version II

初恋妄℃学園/UK.PROJECT

RockJ-Pop

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今回の“ぽあだむ”ですが、そもそもDJにリミックスを依頼すること自体が初めてなんですよね?

峯田和伸(以下、峯田):はい。

クボタタケシ(以下、クボタ):いやいや、そんなたいしたアレじゃないんですけどね。

峯田:“ぽあだむ”って曲がもともと持っているポップな部分を、クボタさんがもっと引き出してくれると思ったんですよ。

その点は見事に具現化されてますよね。曲のメロディアスな魅力が活かされていると思いました。

峯田:ぼくは制作過程にいっさい顔を出さないで、出来上がりを聴いただけなんですよ。いいものができる予感はあったので、注文も何もしてないんです。

クボタさんにリミックスを頼むまでに、どのような経緯があったんですか?

峯田:個人的にリミックスをやって欲しかったんです。本当に大好きなひとだったので。最近はリミックスをやっていないとのことだったんですが、やってくれないかなと。クボタさんを知ったきっかけはキミドリですね。高校のときに友だちの影響で、洋楽だったり当時のパンクだったりをリアルタイムで聴いていて「うわー! すげー!」って生活を山形で送っていたときです。そこに友だちがキミドリを持ってきたんですよ。ヒップホップなんでしょうけど、ぼくはソニック・ユースとかダニエル・ジョンストンをガーッと鳴らしたあとに、キミドリをバーンと流して遊んでいたんですよ。

なるほど。サウンド的には、ある意味、自然な流れですよね。

峯田:俺、当時はヒップホップの流れがわかんなかったんですよ。ただ、キミドリはぼくのなかでパンクでしたね。ファーストの最後の曲とかパンクっぽかったし(“つるみの塔”)。銀杏ボーイズになってからも、登場のSEでキミドリの“自己嫌悪”って曲を使っていた時期があって。

クボタ:それ知らなかったからびっくりしたんだよね。

元キミドリって話で言えば、1-Drinkではなくクボタさんだったのは?

峯田:〈ユースレコーズ〉の庄司信也くんが、高校でぼくのひとつ下なんですけど、話しているとそいつの口から、クボタさんやオルガンバーのことが出てくるんですよ。でも、「なんでこいつがクボタさんのことを話してんの?」っ感じで悔しかった。俺、ミックス・テープも持ってたので、一緒にいつか仕事をしたいなって思ってたんですよ。

20年くらい前からやりたいと思っていたことだったんですね。

峯田:ぼくが東京に来たのは96年なんですけど、その頃って下北にスリッツって箱があるのを知っていても、実際に行ってみたら無くなっていたりして。だから直接触れ合えたりとかはなかったですね。

クボタ:スリッツが終わったのが95年か。

峯田:それでようやく知り合えて、当時の思い出とかを聞いてみたって感じです。

クボタさんは依頼をもらったとき、どのように思ったんですか?

クボタ:ちょうど最後にやったリミックスが、2004年のワックワックリズムバンドだから、12年ぶりだったんですよ。それまでは依頼されたものをやっていたんですけど、ちょっとDJだけでやってみたいなと思って、制作は全部断ることにして。それで2年くらい前に、そろそろ制作をやりたいなと思っていたときに、庄司くんの紹介で初めて会ったんだよね。庄司くんやゴーイングアンダーグラウンドの松本素生くんとDJイベントで全国を回っていたんですよ。いつも銀杏の話は出ていたんですけど、峯田くんは全然来なくって(笑)。なんで来なかったのか会ったときに聞いたら、「仕事で会ってからレコード屋さんとかに行きたいです」って言ってた。
 それで制作がやりたいなと思っていたときに話をいただいて、銀杏の曲を聴かせてもらったらすごくいい曲で。曲があまりにも完成されちゃっているから、もうどうしようかなと。悪い言い方だけどリミックスって完成されていないものの方が作りやすいけど、逆だとさらによくするのが難しい。しかも一見シンプルに聴こえても、メロディの後ろにコードがすごくいっぱいあって。

歌がすごく綺麗な曲ですよね。

クボタ:聴いた瞬間にどういう風にするのかはすぐに思いつきました。

第三者的な立場から見ると、銀杏ボーイズとクボタさんとはそれなりの距離があったように思ったんですよね。銀杏ボーイズはある時代のファナティックなライヴハウス文化を象徴するバンドだった。いっぽうでクボタさんが出演されているオルガンバーなどは、オシャレ感があるじゃないですか? いい意味で。

クボタ:そんなふうに見えてるんですね。全然オシャレじゃないっすけどね。

とくに90年代末~2000年代初期にかけては、渋谷と下北沢って文化的な距離感がそれなりになかったですか?

峯田:ぼくはリスペクトしているからこそ、簡単に立ち入っちゃいけないなと思っていたかもしれない。もし知り合いになるなら、遊びで「こんにちは。ファンでした」って感じじゃなくて、仕事がしたかったんです。

銀杏ボーイズがDJにリミックスを頼むってこと自体、2000年代初頭では考えられなかったと思うんですよね。だからこの企画そのものが事件ですよね。クボタさんにもそういう感覚ってあったんじゃないんですか?

クボタ:(銀杏ボーイズが)リミックスをひとに頼んだことがないんだもんね?

峯田:全部自分たちでやろうと思っていたし、なるべくそっちの畑には近寄らないようにしてました。ヒップホップだけじゃなくて、いろんなシーンがあると思うんですけど、でもクボタさんはその場所にいながらそこにはいないっていうか。ぼくもその気持ちはなんとなくわかったというか。周りに迎合しないところを見て、たぶんクボタさんはこういうことを思っているんじゃないかなと考えてみたりしましたね。

クボタさんはたしかに一匹狼なところはありますよね。

クボタ:東京がホームなんですけど、あんまりホーム感がない。だからホームレスって呼んでいるんですが(笑)。だから地方へ行ってどんなジャンルのところでやっても、居場所がないなっていうか。昔からそうなんですけどね(笑)。

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いま和物や7インチのブームだったりって言ってるけど、やっと来ました(笑)。今回やってみたら楽しくなっちゃって、頼まれてもいないのに2バージョン作っちゃって。──クボタ

峯田:素人意見ですけど、2003年に出していた『ネオ・クラシック』とか、ヒップホップのDJが作るミックスとはまるっきり違うんですよね。ブラック・ミュージックと関係がない曲を、精神的なヒップホップで繋げているというか。他の方のミックスは、元ネタが聴けるって意味で面白いんですけど、まったくそれとは違う。たぶん根っこにあるのがパンクなんだと思うんです。ブラック・ミュージックなんですけど、ブラック・ミュージックではないところが面白かったんですよね。まさにパンクとヒップホップというか、そこが自分のツボにハマった。このひとはとんでもないなと。

クボタさんはガチガチの洋楽ファンの集まる場所で邦楽をかけていた、数少ないDJのひとりなんです。そういう意味で言えば、銀杏ボーイズをクボタさんがリミックスするのは不自然ではないんですよね。みんながハウスとかヒップホップとか踊っている時代に、クボタさんはサザンオールスターズをかけていましたもんね。

クボタ:サザンのファーストの無名な曲を……(笑)。

そこがクボタさん的には、パンクなんですよね?

クボタ:いま和物や7インチのブームだったりって言ってるけど、やっと来ました(笑)。今回やってみたら楽しくなっちゃって、頼まれてもいないのに2バージョン作っちゃって。

峯田:いや、どっちもすごいですよ。


銀杏BOYZ
生きたい/ぽあだむ クボタタケシ REMIX Version II

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クボタ:最初聴いてもらったときはどんな反応をするのかドキドキしましたよ(笑)。だって依頼するのが初めてで、自分たちの曲をすごく大事にしてるっていうからさ。あと曲が長めで6分くらいあって。だいたいリミックスをするときは、ヴォーカル・パートは全部使って、あとは全部変えていたから、今回はコードも複雑だし辛そうだなって創る前は思ってたんだよね。聴いてもらったら「すごくよかったです!」とかって言うんだけど、本人を前にして他に何にも言えないでしょうと(笑)。

クボタさんは銀杏ボーイズにどんな印象を持っていたんですか?

クボタ:名前はもちろん知っていましたけど、申し訳ないんですが、銀杏BOYZは聴いてなかったんですよ。いろんなひとから「銀杏ボーイズの峯田くんがキミドリのこと好きらしいよ」って聞いていたんだけどね。リミックスをするときに全部聴かせてもらって見事にはまってしまって。クラブでかけたりして、「クボタさんどうしたんですか?」って言われたり(笑)。

銀杏ボーイズには単に売れたロック・バンド以上の何かがありますよね。誰もがイエスと言うことをやっていないといいますか。クラブってどっちかっていうと、なるべく誰もがイエスと言うというものを選ぶってところがあるじゃないですか?

クボタ:俺、それはしてこなかったんですよ。それでよくやってきたなと思いますけど(笑)。

リミックスに対するお客さんの反応はどうだったんですか?

クボタ:マスタリング前にCDRで試しにかけていたんですが、反応はすごくよかったです。お客さんが銀杏ボーイズのファンだったのかはわからないけどね。

峯田:お客さんからクボタさんが銀杏の“ぽあだむ”をかけたって聴いてたんですよ。しかも銀杏ヴァージョンじゃなくてストリングスが入っていると。「あれは何なんですか?」って質問がけっこうきましたからね。

クボタさんは一風変わったDJなので一括りにはできないですけど、やっぱりクラブ・カルチャー側の感想に興味があるんですよね。で、今回のシングルに同時に収録されている“生きたい”って曲、やばすぎるじゃないですか。正直に言って、驚きました。内面の葛藤をこれでもかとさらけ出して、克服していくっていうことをやっているんだろうなと思ったんですけど、ある意味で圧倒的な何かがこの曲にはあるんですね。
 それに対して、クラブ・ミュージックって、銀杏ボーイズが抱えているような内面にはあまり触れてこなかったと思うんですね。どちらかというとフィジカルにくるものであるというか。耳から入るものであってハートから入るものではないというかね。もちろん、音楽はすべてハートからと言ったらそれまでなんですけど、優れたソングライターの曲をリミックスするだけには止まらないような気がしたんですよね。

峯田:でも、(クボタさんは)クラブ・イベントでちあきなおみとかをかけるDJですからね。

ちあきなおみは昔のものだからまだわかるんですよ。でも銀杏ボーイズは現在進行形だから意味が違うものだよね。

クボタ:この“生きたい”ができたときが記憶に残っていて。去年の5月4日かな。三重でのDJ帰りに久しぶりに峯田くんに電話したら「“生きたい”って曲ができました」と。実はその日って、俺の親友だったデブラージが亡くなった翌日だったんだよね。しかもタイトルが“生きたい”でしょう? だから「うお」って。それで聴いてみたらすごい曲で、全く長さも感じさせないし。

峯田:最初は歌詞だけメールで送ったんですよ。

クボタ:前の日にあいつの顔は見てきたんだけど、お葬式に行けなくてさ。ホテルでも眠れなくてね。その時にメールで歌詞が送られてきたんですよ。それでタイトルが“生きたい”でしょう? すごいなぁと。歌詞はもちろん全然違うんですけど、ぼくのなかではくるものがあった。だからリミックスではもっとよくしようと思いましたね。

銀杏ボーイズというバンドが無くなっていくプロセスが今回のテーマとしてあるじゃないですか? バンドの崩壊に対する内面的な苦しみみたいなものと、それを克服したい気持ちのせめぎ合いみたいな曲ですよね?

峯田:ひとりになってしまったけど、これからも俺は頑張っていきますよ、という決意表明とは違うんですよ。前向きな気持ちと無念さというか……。だから最初にあの無念さは間違っていたと言わないと、次の一歩に進めないような気がして。簡単に胸を張って心機一転頑張っていきますっていう曲は作れなかったんですよ。そうじゃなくて、一回後悔の念みたいなものを出しておかないと、ポップな曲は作れないんじゃないかと思って。これを作ることによって、なんとなくだけど決着がついたような気がします。それで“生きたい”とは対極にある「まぶしさ」や「ときめき」があれば、作品として面白いかなと。

そういう意味ではバランスが取れて、いまおっしゃっていたような感じにはなっていると思います。だって、このシングルにクボタさんのリミックスがなくて、“生きたい”だけだったら……あまりにも重たいもんね(笑)。

峯田:うん、重たいです(笑)。最初はどういう音でリミックスしてくれるのか予想していたんですよ。オフビートでめっちゃダブでくるのかなとか(笑)。
 でもリミックスを聴いてみたら、ぼくの考えていたものとは全然違ったんですよね。“ぽあだむ”の真ん中にある表情をストリングスを駆使してうまく抽出してくれて、それは銀杏ボーイズには絶対にできなかったことなんで。例えば、ぼくは結婚もしてないし子供もいないですけど、子供はこういう体型で、こういう体質で、こういう洋服が似合うというのをクボタさんに考えてもらった感じなんです。

クボタ:ははは(笑)。

峯田:あー、そうだー似合うなぁっていうか。だから信じてよかったと思いました。

ぼくもさすがだなと思いましたよ。

クボタ:誉め殺し~。

いや本当ですよ! 

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ラヴソングなんですけど、いざ女の子と付き合ってみると、いろいろ汚いところとかも見えてくるじゃないですか? そういう汚いところが前のラヴソングだったら全体の6割を占めていたところを、2割くらいにしとくみたいな。そんな感じですかね。いい曲を作っていきたいです。──峯田


銀杏BOYZ
生きたい/ぽあだむ クボタタケシ REMIX Version II

初恋妄℃学園/UK.PROJECT

RockJ-Pop

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クボタ:“ぽあだむ”は速さ的に、ステッパーズ・レゲエみたいにしようかなとか考えたけど、やってみたら全然しっくりこなかった。だったらもっと被せていって、さらに違う方向へ行ってキラキラさせようと。だけどキラキラさせすぎないで、絶妙なところで止めました。だいたいリミックスの場合って、ヴォーカルは小さいんですよ。でも今回は音量を上げて声で引っ張ってもらう感じにしようかなと。

さっきもクボタさんが言っていましたけど、曲の歌メロがすごく残るんですよね。クボタさんは今回のリミックスでそれを狙っていたのかなと思いました。

クボタ:もちろん。原曲のよさは損なっちゃダメだと思ってましたから。

リミックスをするときにふた通りあると思うんです。まずリミキサーの個性がでるパターン。それはそれですごく面白いんですが、今回のクボタさんは明らかに裏方に徹していると言うと変ですが、楽曲のよさをより引き出す点を重視しているというか。

峯田:最初は自分の部屋で聴いたんですけど、その様子は見せられるもんじゃないですよ。クボタさんには「よかったです」と伝えたんですけど、スタッフの軽部くんが音を持ってきてくれたときは、「いやぁ、音楽やっていてよかったな」って言いましたからね。

クボタ:いやぁ、それはよかったな。

峯田:ぼくは音楽を聴くのが好きだから、いろんなリミックスのチェックはしていたんですよ。だから2016年の空気感とかもだいたいはわかるんです。でも、そういう頭でクボタさんのリミックスを聴いたときに、「やっぱりこれだよね」ってなっちゃいましたもん。いまはこれが流行っているとか、これからはこれが来るとかって言われているけど、「これなんだよな」と。

クボタさんがすごいのは、この曲をクラシックにしたというか、10年経っても聴けるものにしたいって思っていたことですよね。

峯田:古びない普遍的なところをついているというか。

大局的に言えば、メロウグルーヴってあるじゃないですか? ああいう括りにこの曲が入っていてもおかしくないですよ。クボタさんはそこを狙っていたでしょ?

クボタ:狙ってないですよ(笑)。ただ単に自分でもびっくりするような曲を作りたいなとは思っていましたけど。だから、気持ち悪いかもしれないけど、この曲は何回も自分で聴いているんですよね。いろんなレコードを聴いたあとにこのリミックスを聴いてみたりね。

峯田:これはぼくの勝手ですけど、たぶん音楽への取り組み方が自分と近いような気がするんですよ。

クボタ:そうかも。

峯田:どこにも属したくはない。あと、聴くひとを信じているってとこですよね。

パンクがルーツなのも同じですよね。

峯田:「俺はこうだから頼むよ」って感じじゃないと思うんですよね。聴いたひとがご自由にって感じで限定したくはないんですよね。銀杏ボーイズはこういうバンドだからとか。そういう時期もあったんですけど、メンバーがいなくなったので、銀杏ボーイズの峯田が主人公なんじゃなくて、曲が主人公でもいいなと思うようになって。この曲をたくさんのひとに聴いてもらえるといいなぁと。

クボタ:できあがってマスタリングに入る前に、ふたりでパンクのレコードの話とかをしていて、俺どうしても欲しいレコードがあったのね。ビッグ・ボーイズ(Big Boys)のレコードだったんだけど、峯田くんがそれをくれたんだよね(笑)。あれは嬉しかったよ。

峯田:ぼくはキミドリの最初のリリースのチラシをいただきました(笑)。

クボタ:あと“オ・ワ・ラ・ナ・イ”のアドバンス・カセット。あとジャックスのカヴァー。リカっていうふたり組の女の子のプロデュースをしたとき、カップリングでジャックスのカバーをしてて。キミドリのときにも、ジャックスをサンプリングしてデモテープを作ったりしてました。

峯田:あと、昔からオシャレなところに怨念を持ち込んでるというか。

ははは(笑)。それは怨念ですか?

峯田:ぼくはキミドリの“自己嫌悪”に怨念を感じたんですよね。コレクターズってバンドがいるじゃないですか? モッズなスタイリッシュさのなかに加藤ひさしさんの怨念があるんです。『さらば青春の光』って映画も、すごく主人公が憂鬱ですよね。スタイリッシュと相反する怨念があるものが好きなんですよね。それはモッズでもヒップホップでもロックでもそうですけど、どこかで様式美とは反対のものがうまい割合で入っているものが惹かれる気がして。

クボタ:そうね。俺も様式美はダメだったから。

過剰なものに対しても思いがあるようにも見えるんですよね。クボタさんってそういう意味でいうと、逆にバランスがいいというか。

峯田:バランスはホントにすごいと思います。言っちゃ悪いんですけど、セックスたぶんうまいんだろうなぁと。

クボタ:ははは(笑)。

峯田:流れを作ったりするのが絶対うまいだろうなぁ(笑)。

クボタ:イントロが長いとかね(笑)。

峯田:ぼくはDJをやったことがないんですけど、この曲を20曲流すとしたら、この曲を主人公にもってくるとか、この曲を引き立たせるためにこの曲を使うっていうのがあると思うんですよ。

クボタ:ある。

峯田:その持っていき方というか、それってバランスとか空気を読むって能力がないとできない気がするんですよ。バンドでもハイライトにたどり着くまでの道のりがやっぱりあるし。ただ盛り上がるだけじゃないような気がする。

クボタさんは構築した空気を自分で壊すのも好きですからね。そこがすごく似てるのかもしれないですね。

クボタ:うん。大好き。すごく盛り上がっているときに静かな曲をかけてやり直したり。

“生きたい”という曲と同じように、クボタさんのリミックスも次の銀杏の方向性につながると思うんですけど、次にやる予定ですか?

峯田:いまスタジオに入っているメンバーには、固有名詞を使ってわかりやすく言うと、オアシスとジャックスをやろうって言ってますね(笑)。前のアルバム2枚でシーケンサーを使ったりノイズを入れたりという意味では、音楽ファンとして額縁は作れたような気がするんですよ。でも歌詞に関してはまだまだだから、あとはそこに絵を入れるというか。音楽ファンにも届くけど、一発聴いてメロディを覚えられるような、そういうものをやりたいですね。あとは風通しのいいものを真ん中にドーンと作りたいです。

ジャックスはわかるんですけど、オアシスはちょっと意外でしたね。でも“ぽあだむ”みたいな曲は、ちょっとメロディはオアシスっぽい感じがします。

峯田:歌とことばでわかりやすいものを作りたいですよね。

ことばで書きたいテーマってありますか?

峯田:ラヴソングなんですけど、いざ女の子と付き合ってみると、いろいろ汚いところとかも見えてくるじゃないですか? そういう汚いところが前のラヴソングだったら全体の6割を占めていたところを、2割くらいにしとくみたいな。そんな感じですかね。いい曲を作っていきたいです。

峯田くんって、好き嫌いを抜きにして強いことばを持っているじゃないですか。クボタさんはそれはどう思いますか?

クボタ:キミドリのときもそうでしたけど、もともとあんまり歌詞って聴かないんですよ。でもちゃんと聴いてみると、一貫しているなというか、自分と違うジャンルではないなというのがよくわかるんです。ただ、いまもあえて歌詞は聴かないようにしてますね。リミックスを依頼されたときはもちろん聴きますけど。

これほど強いことばがあっても音ですか?

クボタ:音です。キミドリのときもそうだったんですけど、歌詞なんか書いたことがなかったし。ジャックスも大好きだったけど、あんまり歌詞とか聴いてなかったんですよね。だけど自分でいざ書いてみると、あんな感じになるから間違ってなかったのかなと(笑)。

峯田くんの場合、ジャックスはやっぱり歌詞ですよね。

峯田:うん。

クボタ:俺は音だったんですよ(笑)。

峯田:ぼくがジャックスを初めて聴いたのはタクシーのなかだったんですよね。タクシーの運転手がAMラジオをつけてて、ジャックスが流れてきた。

クボタ:“からっぽの世界”とかかな。

峯田:そうです。10年くらい前です。ラジオの音質も含めて、あれがもうね。家に帰って急いで調べて、「あれがジャックスか!」と。早川義夫は聴いていたんですけど。あれにはすごく興奮しましたね。

クボタ:だってGS全盛期のときにあの音ですよ。すごいなぁと思って。

そうですよね。お互いそうやって違うからこそ、ミラクルのミックスになった気がします。何か言い残されたことはありますか?

クボタ:早く聴いてほしいし、どう感じられるのかすごく楽しみですね。

峯田:まだクボタさんにリミックスをお願いしたい曲が何曲かあるんです。だから是非またやってほしいですね。

 日本で優雅に桜を見て、4/5にNYに戻ると、周りは選挙モードがいっきにヒート・アップしていた。
 ご存知の通り、2016年はアメリカ大統領選挙の年。民主、共和両党の候補者指名争いが佳境を迎え、3/1の「スーパー・チューズデー」で民主党はクリントン氏、共和党はトランプ氏がリードした。7月の全国大会で両党の候補者が決まるが、その前、4/19は、NY州での予備選挙(プライマリー)がある。
 ニューヨーク州上院議員を務めたヒラリー氏(お住まいはNYのアップステイト)、NY市のブルックリン生まれのサンダース氏(以下敬称略)、どちらにも所縁のあるNYで、両方の民主党のキャンペーンがピークに達している。

 私はインディ・バンドを追いかけているので、どうしてもバーニー寄りになるのだが、4/1からバーニー・サンダーズのNYラリーが始まった。
https://berniesanders.com/new-york-rallies/
 上のリンクはオフィシャルで、細かいNYCラリーが沢山ある(ワシントン・スクエア、パーク・スロープ、ロングアイランド・シティなど)。4/1にはブロンクス(18,000集客!)、4/8のお昼には、彼の生まれたミッドウッド、そして5時からグリーンポイントのトランスミッター・パークでラリーが行われた。グリーンポイントには寒い中、1000人以上のオーディエンスが集まった。


Supporter at greenpoint (Photo via gothamist )


Crowd at transmitter park greenpoint (Photo via gothamist )


Supporter in mid wood (Photo via gothamist )


Sarandon & Sanders (Photo via gothamist )


Kid at transmitter park(Photo via gothamist )


BerninUpNYC event Outside

 女優のスーザン・サランドンが「あなたは今、歴史の一ページにいます。誇らしいことです」と、バーニーを紹介し、NYの選挙が彼にとってどれだけ大切か、みんなのサポート、エネルギーで、勝利を勝ち取りたいと力強く呼びかけ、オーディエンスから拍手喝采を浴びていた。
 ラリーは引き続き我がブルックリンでも続いていて、4/19まで、いろんなところでバーニー・パーティが開催されている。4/12にはブシュウィックのlot45というインディ・バンドが良くショーをするスペースで「#BerninUpNYC - Get Out the Vote (GOTV) Party」が行われた。伝説の(テイトウワが在籍したことでも知られる)deee-liteのレディ・ミス・キアがDJ、ほかにも多くの心に響くスピーカー、ゲスト、選挙キャンペーン・チームなどが参加した。
 外は、大勢の警察が動員されセキュリティを管理。IDを見せると、バーニーの似顔絵の入ったオリジナル・スタンプを押してくれる。手前のラウンジは、ボランティアを呼び掛けるテーブル、バーニー・グッズの販売、フォトブース、寄せ書き、ポスターなどで投票を呼び掛け、スタッフも参加者も、思い思いのバーニー・コスチュームを身につけている(ハロウィン状態!)。

 ダンスフロアではスピーチが行われ、オーディエンスに自分たちのアメリカを変えよう、と訴えかけ、その度に拍手喝采や野次が飛び、ふと、スーパーボウルを思い出した。この団結力が、アメリカなのだ。
 「#BerninUpNYC」、「#FeeltheBern」, 「#GOTV」などのハッシュタグを使ってソーシャルメディアで拡散して、と呼びかける。
 ダンス・パーティも抜かりない。DJが良いのはもちろん、思わずダンスしたくなる選曲で、みんなをチアアップする。そして後ろに流れる、ビジュアル・ミックスの素晴らしさ! バーニーの演説やヒラリーとの絡みの映像はもちろん、バーニーのイラストをぺーパーラッド(https://paperrad.org)が加工したのか?、というカラフルな映像や、バーニーの顔だけが本物で下半身がヒゲダンスしているなど、詳細ミックスも凝っていて、この日来ているみんなはかなり熱かった。
 また、バーニーの支持者にはヒップスターが多く、ヴァンパイア・ウィークエンド、TVオン・ザ・レディオ、グリズリー・ベアなどのインディ・バンドも、バーニーのためにショーをする。

 とは言っても、ヒラリー支持者もいるわけで、こんなバーニーなNYで、ヒラリー支持者は肩身が狭いが「それもあり」と支持者を釣る「chillarynyc 2016」(https://www.facebook.com/events/531816170312368/)というイヴェントもある。
 4/19がどうなるか、今週末も選挙イベント満載なNY、私は今からヴァンパイア・ウィークエンド。、ダーティー・プロジェクターズ、スパイク・リー、グレアム・ナッシュなどが出演する、ワシントンスクエア・パークのラリーにいってきます。


ChillaryNYC event poster (Via Bedford & bowery)

Yoko Sawai
4/13/

interview with Hiroshi Watanabe - ele-king









Hiroshi Watanabe

MULTIVERSE


Transmat/UMAA Inc.

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 人生には何が待っているかわからない。当人にとっての自然な流れも、はたからは意外な展開に見えることがある。ヒロシ・ワタナベといえばKaito、KaitoといえばKompakt。Kompaktといえばドイツのミニマル・ハウス、ポップ・アンビエント、水玉模様……ヒロシ・ワタナベといえばKaito、Kaitoといえば子どもの写真、美しい風景、クリーンな空気……。

 しかしヒロシ・ワタナベのキャリアは──90年代半ばのNY、DJピエールのワイルド・ピッチ・スタイル全盛のNY、エロティックでダーティーなNY、それは世界一ハードなクラバーのいるNY──そこからはじまっている。

 そして2016年、彼はデリック・メイのレーベル、──デトロイトの名門中の名門とでも言っておきましょうか──、〈Transmat〉から作品をリリースする。アルバムは『MULTIVERSE(マルチヴァース)』というタイトルで、12インチEPはすでに出ている。EPのほうは〈Transmat〉からの初の日本人作品という話題性もあって、あっという間に売れたし、好評だった。アブドゥール・ハックによるアートワークも良かった。

 それで『MULTIVERSE』だが、これはヒロシ・ワタナベらしい繊細さをもちながら、じつにパワフルで……というか寛容さと力強さを兼ね備えていて、些細な瞬間に大きな喜びを見いだすことさえ可能な、前向きな心によって生まれた作品であることは間違いない。人生に挫折した男も女もふと空を見上げ、ひょっとしたらこの苦境を乗り越えられるかもしれない、そう思うだろう。

 これを〈Transmat〉サウンドと呼ばずして何と言おうか。初期ヒロシ・ワタナベが荒々しいダンスの渦中で生まれた音楽なら、Kaitoはダンスフロアに草原の清々しさを吹き込む音楽、そして『MULTIVERSE』は……こうも言えるだろう、デリック・メイとの二人三脚で生まれた音楽であると。

 このインタヴューではヒロシ・ワタナベの20年以上のキャリアを振りながら、彼のダンス・ミュージック/電子音楽への考え方を紹介している。長い話だが、初めて聞けることばかり。デリック・メイとの熱い(!)やり取りのところまで、どうぞお付き合い下さい。


2016年正月の神戸公演にて。

理論上のことだったり、テクニカルな部分は、自分がやりたい音楽にはほぼほぼ当てはまらない感覚がずっとあったんですね。だからこそダンス・ミュージックを聴いたときに、「もう自分にはこれしかないじゃん」という気持ちに駆られましたね。

今回の新作、表面的には「〈コンパクト〉から〈トランスマット〉へ」──という風に見えると思うんですよ。やっぱりカイト名義の〈コンパクト〉からの作品は、ある時代(2000年代の最初)を象徴するものでもあったし、その印象がまだ強いんじゃないでしょうかね。

ヒロシ・ワタナベ(以下、HW):たしかに、長い期間やってきましたからね。

〈トランスマット〉から日本人が出るらしい、それがヒロシ・ワタナベって知ってびっくりする人は少なくなかったと思いますよ。

HW:でしょうね。

ただ、ちょうど2000年代に入ったばかりの頃、ぼくがデトロイトに行ったとき、車のラジオから〈コンパクト〉が流れてきたことがあったんですよね。ラジオのDJが「コンパクトからの新譜で〜」みたいな紹介の喋りがあって、あのミニマル・ハウスがかかるみたいな。

HW:意外というか、オープン・マインドというか。

そういう意味でいうと、今回のヒロシ・ワタナベの〈トランスマット〉リリースも、ヨーロッパ経由なわけでデトロイトと繋がらなくはないんですよね。だって彼らはヨーロッパ大嫌いで大好きじゃん。

HW:ヨーロッパのひとたちも、アメリカのシーンに絶対に興味を持っているけど、アメリカという国に対してはめちゃめちゃアンチだったりする。
 ぼくが結果的にデトロイトの〈トランスマット〉からのリリースにたどり着いた経路にも、不思議で面白いところがあるんです。ぼくは、もともとはボストンで大学に通いながらダンス・ミュージックを作りはじめたんですね。メインストリームも消化しつつ、自分なりの音を探っていたんですが、それがのちのちクァドラ(Quadra)というプロジェクトになっていきます。で、卒業後にボストンからニューヨークに行って、当時もっとも衝撃だったDJピエールやジュニア・ヴァスケス 、ジョニー・ヴィシャスなどのハード・ハウスのスタイルに影響を受けました。ゲイ・カルチャーに根ざしながら、ゲイ・シーンだけではないものを一生懸命に聴いていましたね。

90年代のニューヨークにとってハウスは本当に大きかった。ヒップホップも大きかったけど、ハウスもすごかった。ジャネット・ジャクソンのようなポップ・スターも、みんなハウスをやっていたよね。

HW:あのマンハッタンと狭いその近隣のエリアにガッツリ組み込まれていたハウス・シーンに、ぼくもドップリ入っていたわけです。

どのような経緯で?

HW:1990年にボストンに渡って音楽の学校(バークリー音楽大学)へ通って、1994年に卒業したあとにニューヨークで曲を作りはじめました。学校でかぶってはいないんですけど、DJゴミ(DJ GOMI)さんがぼくの先輩なんです。ゴミさんがバークリーに遊びに来ていたので、ちょっとお会いして挨拶したりとか、ニューヨークのシーンについて伺ってみたりしました。卒業する間近にゴミさんの家に泊まらせてもらって、ニューヨークをいろいろ案内してもらったり、いろいろお世話になったんです。「じゃあ、これからがんばってね」と言われて、ぼくはニューヨークへ渡るんですけど。

なんでハウス・ミュージックにそこまでのめり込んだんですか?

HW:ボストンで楽曲を作りはじめたときは、基本的にテクノなサウンドの方が好みだったんです。中学のときはYMOも聴いていたし、レコードもほとんど持ってました。とにかく、シンセサイザーを使って打ち込みが盛り込まれている音楽が、ひと通り好きだったんです。でもクラフトワークはあんまり聴いてないんですよね。アンダーグラウンドの音楽に対する自分の着目点は、王道のクラフトワークまで遡らずに、当時流行っていたブレイクビーツ系のテクノや〈XL〉のものでしたね。ドイツの〈EYE Q〉なんかもも聴いていました。学校には、打ち込みをやっている仲間がいっぱいいたんです。

お父さんが作曲家で、お母さんがジャズのピアニストなんですよね。

HW:そうです。

ご両親に対する反発心からテクノへ行ったんじゃないかと(笑)。

HW:ははは(笑)! 反発心からじゃないんですよね。

テクノって、音楽をちゃんと学んだひとからするととんでもない音楽でしょう?

HW:ぼくはとんでもないスタイルで作られた音楽に完全に魅了されたんです。高校は東京音楽大学の付属へ通ってクラシックも勉強したし、バークリーではジャズや音楽理論も多少なりとも勉強しました。でも自分が音楽を作って放出するときに、そういうアカデミックなものとはどうも違う。オーケストラでのコントラバスの経験ももちろん肥やしになっていますけど、理論上のことだったり、テクニカルな部分は、自分がやりたい音楽にはほぼほぼ当てはまらない感覚がずっとあったんですね。だからこそダンス・ミュージックを聴いたときに、「もう自分にはこれしかないじゃん」という気持ちに駆られましたね。

テクノって、多くが感覚で作られているし、単純じゃないですか? クラシックを学んでいると、その辺が逆に新鮮だったりするの?

HW:それで間違いないと思いますよ。理論やテクニックの部分を取っ払ったとこでどこまで勝負できるかという点において、テクノってすごく素敵な音楽なんです。ただ、もっと幼少期にさかのぼると、うちの父親が当時アナログ・シンセサイザーを多用して、マルチ・レコーディングやフィールド・レコーディングをした音を組み合わせて、夜な夜な楽曲を作っていたのを見ていた体験があるんです。

お父さんの影響が大きんだ。

HW:大きいです。かつ、当時はニューエイジ・ミュージックと呼ばれていた、いまでいうアンビエント・ミュージック、それこそアンビエントの原点というか。

UKのある有名なテクノのアーティストが、なんでテクノを好きになったのかという話をして、それは5歳の頃、オーディオ好きの父親に、部屋を真っ暗にして冨田勲を聴かされたことがきっかけだったと。そのとき、自分が本当に別世界へ行ってしまった感覚を覚えてしまったと言っていたんだけど、そんな感じですよね?

HW:それにほぼ近いですね。当時小学生のころ住んでいたのは平屋の木造民家だったんですけど、父親がバンドの練習をするためにひと部屋を手作りでかなり強力な防音室にしたんですよ。その防音室にぼくは忍び込んで当時全盛だった『スター・ウォーズ』の2枚組LPを真っ暗にして大音量で聴いていたんですよね。するともう、そこは宇宙になわけですよ。右も左もわからない状態で音だけに浸るって、その体験とまったく同じなんですよ。

しかしヒロシ・ワタナベをその気にさせた音楽って、〈XL〉であり、レイヴ・カルチャーであり、ダンス・ミュージックなわけですよね。

HW:サンプラーとブレイクビーツに興味があったんですよね(※レイヴ・ミュージックは基本、ブレイクビーツだった)。
 当時はアカイのサンプラーが一世を風靡していたんですけど、ヒップホップのスタイルはかっこいいけど自分が作る音楽ではないなとずっと思っていたんです。ヒップホップのスタイルは自分が経験してきた文化と違うし、最初はサンプリング・ミュージックを作ることには前向きにはなれなかったんです。でも、〈XL〉やオルタン8などブレイクビーツのサンプルは、ヒップホップとはまったく別のやり方でしたね。ヒップホップは無理だけど、こっちは全然いけるじゃんって思った(笑)。

その手のダンス・ミュージックは、どうやって知ったんですか?

HW:最初は、学校のシンセサイザー科の友人から教えてもらいましたね。彼はテクノを聴いて、自分でも作っていたんですけど、そこからテクノの仲間がどんどん増えていきます。学校外にも仲間がたくさんいることがわかって、いろんな人たちと出会うんですけど、そのうちのひとりがいま大阪にいるエニトクワ(Enitokwa)で、彼は同じ時期にボストンにいました。

レイヴに行って踊ってました?

HW:最初は聴いてるばかりでした。音楽と出会ってしまい、音楽を聴きまくる感じでした。クラブにも行ってないですし。

じゃあベッドルーム・プロデューサーとしてスタートしたわけですね?

HW:最初はそうです。ただ、そのあとボストンに808ステイトやエイフェックス・ツインなどがボストンに来ているので、見に行ったんです。そこでクラブ・サウンドの凄さを体感して、「DJをしないと、ダンス・ミュージックは作れないんじゃないの?」くらいに思いはじめました。
 作品もリリースしていないときに、何曲も作って自分で聴くんですけど、やっぱ何か足りないわけですよ。こんだけ頑張って作って、音もいいし質感もよくなってきている。しかし、何が足りないんだろうと考えてみたら、「これは俺が踊ってないからだ!」って思ったんです(笑)。
 それで、踊るんだったら躍らせる側に回った方が早いじゃないかと。それで中古の機材を集めてDJをはじめたんですが、そのころに知り合ったDJの友人がニューヨーク・ハウスのレコードを持っていたんです。それを自由に使っていいと言ってくれたので、わけもわからないままレコードを漁って、いいなと思ったものを友人のところでかけていたんですよ。そこでDJピエールのワイルド・ピッチ・スタイルを聴いちゃって、「これ何!?」みたいになって(笑)。

DJピエールで4つ打ちの良さに目覚める。

HW:ブレイクビーツを聴いていると、シンプルな4つ打ちがスカスカに思えてしまうんですね。だけどDJピエールは、普通の4つ打ちなのに、なんでこんなにかっこいいんだろうと。そこからハウス・ミュージックに興味を持つんです。ニューヨークへ行ったきっかけもDJピエールでしたね。


いきなりニューヨークという、その行動力はすごいです。

HW:若いエネルギーがすごいなと思うのはそこですよね。若さゆえに何にも考えずに、どんどん入っていけちゃうじゃないですか。これはもういても立ってもいられないから、ニューヨークへ行くしかないと。それ以前の歴史やアンダーグラウンド・シーンの流れをあまりわかっていないまま、いまその街で起こっていることに夢中になって追っかけていくんですね。
 それでぼくはサウンドを追い求めてニューヨークへ行くんですけど、実際はこんなにゲイ・カルチャーなんだと。

カルチャー・ショックでしたか?

HW:ぼくはけっこうすんなり受け入れましたね。彼らが巻き起こしているシーンがこれなんだって、サウンド・ファクトリーへ行ったとき、そう思いました。あまりにも強烈なサウンドシステムと、すさまじい盛り上がり方。そこではジュニア・ヴァスケスが延々とプレイしている……セットのなかで、ドープな時間だったり歌物の時間だったりハッピーだったりと展開していくわけだけど、そのシーンに触れたときに、「このために音楽が生まれているんだな」というのも思い切り体感して。ここでかかるような音楽を作って勝負したいと思いましたね。

ニューヨークではどんな生活だったんですか?

HW:最初はゴミさんの紹介で、〈Dr.Sound〉というところに勤めていたんです。クロサワ楽器系列で、経営は日本人だったんですね。その楽器屋さんには、DJデューク(※90年代のNYハード・ハウスの中心人物のひとり)が遊びに来たりとか、いろんなDJが来たので、用意していた自分の新作デモカセットをすかさずデカい音でかけていました(笑)。「これ誰の曲だ? お前のか?」とか、そう言われるのを待って(笑)、それで知り合いになってオフィスに呼んでもらって、デモ・テープを渡しまくりました。もちろんデュークのところ(※〈セックス・マニア)レーベル〉からも出したかったんだけど、ぼくはあそこまでダーティ・ハウスじゃなかったから(笑)。


働いていた楽器店の入口にて。

ヒロシ・ワタナベがDJデュークや〈セックス・マニア〉といっているのが面白いんですけど、カイトのイメージとは真逆だよね(笑)。

HW:カイトのサウンドは、小中学校のときに触れたニューエイジ・ミュージックにまで遡れる。あるいは映画音楽だったりとか。音でイメージが空想できるようなスタイルというか。クアドラの音楽はそのイメージに自分が解釈したテクノを融合させたイメージだったんです。クアドラ名義では1995年に〈フロッグマン〉から1枚目を出しました。その前にはコンピレーションにも参加していたんですよね。あの曲は、ボストンで学生だったときに作った曲です。ああいう、クアドラのイメージはとっておきながら、それとは別にニューヨークで自分が勝負したいと思うものを探求していくと、ハード・ハウスのスタイルだったんですね。

なるほど。面白いね。

HW:ぼくはニューヨークにいたけど、ガラージみたいなものにはいかなかったんですよ。さっきのヒップホップといっしょで、ガラージは日本人が勝負をかけても無理だろうと思っていたんですよね。あのグルーヴ感は、真似て作るものではないと。自分が勝負できるのはハード・ハウスだと。とにかく、ピエールの、じわじわ構築していくようなワイルド・ピッチ・スタイルが大好きでした。当時、ヒサさんのレーベル(〈キング・ストリート〉)からも、あの手法を取り入れた作品がリリースされていました。

しかし、DJデュークなんか、ポルノみたいなハウスじゃないですか(笑)。

HW:ラベルとかもひどいし(笑)。



ヒロシ・ワタナベのイメージとは著しく異なっている(笑)。

HW:現場でぼくが追い求めていたハードで熱いシーンと、ぼくがオリジナルで作品を出し続けた自分のイメージはけっこうズレているんです。

90年代半ばは人気がすごかったもんね。

HW:そうなんです。音はすごく良いんです! 

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作品もリリースしていないときに、何曲も作って自分で聴くんですけど、やっぱ何か足りないわけですよ。こんだけ頑張って作って、音もいいし質感もよくなってきている。しかし、何が足りないんだろうと考えてみたら、「これは俺が踊ってないからだ!」って思ったんです(笑)。


Hiroshi Watanabe
MULTIVERSE

Transmat/UMAA Inc.

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DJは、どんなふうにはじめるんですか?

HW:楽器屋さんに来てくれるお客さんでDJもしていた大事な旧友と知り合うんです。最初は、彼といっしょにDJができる場所を探すことにしたんですよね。彼はイースト・ヴィレッジに住んでいて、ぼくはクイーンズのグリーンポイントというところにはじめはいたんですけど。で、マンハッタンのイースト・ヴィレッジにあったセイヴ・ザ・ロボッツ(Save The Robots)という、めちゃめちゃアンダーグラウンドでアフターアワーズ・パーティが盛んなクラブがあったんですね。アヴェニューB沿いの、かなり危険な区域なんですけど。


Save the robotsでのDJシーン。

90年代には、まだ70年代のニューヨークが残っていたんですね。

HW:そうなんです。アヴェニューA、B、Cとかにいっちゃうとヤバいんですよ。ジャンキーやフッカーだらけの怪しくて危ない場所でしたね。でもそこにかっこいいクラブがあるから行こうぜ、と。レコードを持ってお店が開いたら直ぐに入って、「DJやりたいんだけど、やれないかな?」とオーナーに直接訊いてみたんです(笑)。そしたら「お前ら上のラウンジの方でちょっとかけてみろよ」と言われて、ふたりで一生懸命かけるんですよ。

すごい強引な(笑)。

HW:はい(笑)。でも、そうしたら運良く、「空いてる曜日があるから、お前たち上でよかったらいいよ」って誘われて、毎週そのクラブでふたりで時間をわけてDJをやるんです。で、上のフロアなのに、がっつり盛り上げてハードに攻めていたら、お店のひとが面白がってくれて、「お前ら、下のメインフロアでやっていいよ」となったんです(笑)。そこで実験がはじまるんです。
 ある日、あるパーティにヒサさんが遊びに来ていて知り合いになるんですね。それで、早速次の日にすぐヒサさんのところに自分のトラックを持っていきました。そうしたら「アーバン・ソウル(Urban Soul)とサンディー・ビー(Sandy B)の“バック・トゥギャザー(Back Together)”をリミックスしてみないか?」と言われて、「DATをくれて好きにやっていいよ」と。それでもう、必死になって作ったら、それが出たんですよ。

ヒサさんも知名度ではなく、音で選んだんですね。

HW:はい! 音でいけました。セイヴ・ザ・ロボッツでDJ をしていて面白かったのは、わけのわからない日本人がDJをしているわけじゃないですか? でも曲やプレイがすごいと「お前何てやつだよ?」って訊いてきてくれるし、ガンガン踊ってくれるから、その反応を素直に体感できたというか。作ったばっかりの楽曲をDATでかけたりとか。アセテート盤を作ってかけてみたりとか。

ニューヨークには何年いたんですか?

HW:丸5年ですね。1999年の夏に帰ってきているんで。

ある程度ニューヨークで活動しながら、帰ってきたのはなぜだったんですか?

HW:アーティスト・ビザを取っていたので、半永久的にいれたんです。だけど、ぼくは目的があってニューヨークにいたわけで、ただアメリカ生活がしたかったわけじゃないんですよね。音楽に魅了されてニューヨークまでやってきたので、自分の音で勝負しないと何の意味もないと思っていました。
 当時はジュニア・ヴァスケスが頂点の時代で、みんながジュニアがプレイしている晩に自分のレコードやDATを持って、ジュニアのブースまで行くわけですよ。ぼくもほんの数回それをやりました。でも、自分がジュニアのところまでわざわざ音源を持って行ってもかけてくれないんだったら、なんか嫌だなという違和感もあって、それよりジュニア本人がレコード屋さんで選んだものが自分の音楽だったら、そんな最高なことはないじゃんと思ったんですよ。目標はそれだと。それで、まずはいろんなハウスのレーベルに作品を持っていって、自分の作品をリリースしようと思ったんです。

初めてのリリースは、1996年に〈Nite Grooves〉から出した「Bad House Music」?




HW:それはニューヨークで出したオリジナルの最初で、その前に“Back Together”リミックスが先に出るんですよ。

盤としては、ひょっとして〈フロッグマン〉から出た「SKY EP」が最初だったりして。

HW:レコードとしては〈フロッグマン〉からの方が早いです。でも、いちばん最初はクアドラが入ったコンピレーションですね。続いてイエロー(Yellow)が出した『East Edge Compilation 2』にDefcon 5という名前で参加しました。それが95年で、ほぼ同時期。

1996年にはジョニー・ヴィシャスの〈Vicious Muzik〉からもシングルを出していますね。

HW:ニューヨークへ行っていろいろ模索しているうちに、クラブでジョニー・ヴィシャスにも出会うんですよ。ジュニアもかけていたジョニーの曲があって、それを聴いて「やべーな、こいつとは会うしかない」と。かつてトンネルでDJをしていたヤング・リチャードが HouzTown 名義で、先にそのレーベルから「Brooklyn A Train」という曲を出したんです。それもすごくドープな曲で。それからぼくもナイト・システム(Nite System)名義で出すんです。

なんでそんなに名義を使い分けていたんですか?

HW:ひとつには色分けですよね。全然コンセプトが違うからクアドラでやるわけにもいかないし。言ってしまえば、ハードハウスはぼくにとっては実験だったので、それで生きていきたいというよりもニューヨーク・シーンに対しての自分なりの挑戦というか。

ハード・ハウスは、もう、とにかくクラブでダンスするための音楽だよね。トランスさせる音楽というか。

HW:さっきも言ったように、音楽の学校へは行ったけど、ぼくが求めている音楽にはいっさいがっさいそれが必要なかったんだなと気づいてしまった(笑)。

とにかく、ハウスのアンダーグラウンドな世界に入って、順調な活動ができていたんですね?

HW:DJもやっていてネットワークもできていたので、週末の金曜日にトンネルで回せたりとか。サウンド・ファクトリーがトワイロ(Twilo)という名前に変わったときも、友人がオーガナイザーになってイベントを立ち上げたとき、メインフロアでDJができましたね。いろんなクラブでDJができるようになった。レコードも出せて活動の幅の広がった。

すごいですね。

HW:ただ、ぼくは、デモを渡さずにジュニアがいつ自分の曲をかけるのかという一点だったんです。それであるとき、友人から電話がかかってきて「ジュニアが先週ヒロシの曲をかけたよ!」って教えてくれたんです。次の週に急いで駆け込んで、ずーっとかかるか何時間も見ていたんです(笑)。

フロアで(笑)?

HW:そう、ずーーーっと。そしたらかけてくれたんですよね。スタジオでちまちま作った音楽がレコードとなって、そしてジュニアが見つけてくれて、そしてフロアでかけてくれて。

なんていう曲だったんですか?

HW:〈Deeper〉からナイト・システム名義で出した曲です。

嬉しかったでしょぅ、それは。

HW:はい。と同時に、ニューヨークでのミッション・コンプリートみたいな感じになっちゃったんです。当時ぼくはもう結婚していました。籍入れたのは1996年の終わりころ! なので新婚生活真っ只中だったんです。DJと曲作りが基本だったからお金が全然なくて本当にひどい生活だったんだけど……。

早い!

HW:本当にただ一緒にいたくて。若くて熱かったっすね。

息子さんのカイトくんはまだ生まれてないわけでしょう?

HW:生まれてないです(笑)。






NY時代の自宅スタジオの風景。


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アーティスト・ビザを取っていたので、半永久的にいれたんです。だけど、ぼくは目的があってニューヨークにいたわけで、ただアメリカ生活がしたかったわけじゃないんですよね。音楽に魅了されてニューヨークまでやってきたので、自分の音で勝負しないと何の意味もないと思っていました。


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話を戻すと、ジュニアがヒロシ君の曲をかけて?

HW:嬉しかったと同時に、目標を果たしてしまったというか。自分の気持ちがそこで変わっていくんです。 当時はお金がなかったから、マンハッタンからクイーンズへ引っ越して、住んでいたアパートは屋根に上がれたんですけど、そこに寝そべって星空を見ていたときに、ふっと「俺、日本帰ろう」と思ったんです。奥さんにもその気持ちを伝えて、日本に帰る決断ができて、帰国を決めて段取りを整えているときに、奥さんのおなかに赤ちゃんがいることがわかったんです。このタイミングにはある意味運命を感じた。それがカイトなんですけど。日本に帰ってきて1月後に生まれるのかな。
 だから、子供が生まれるから帰ってきたのねってみんなに言われてたんだけど、全然そうじゃなかったんです。ある意味アメリカでのミッションをクリアし、高校を出てから日本の社会にも触れてなかったから。頭も高校生のまま! で、音楽を作ってきて、ちょっと社会的にまずいんじゃないかとも思ったんです。日本を知らなさ過ぎていたし、日本で社会人の経験がないのがまずいんじゃないのかと。それで戻ったんです。

ニューヨークでは、DJやって、EPを出しているぐらいでは、食っていけない?

HW:ギリギリです。1タイトルを売ると、当時多くて2000ドルくらい。少ないと1300ドルくらい。

それを毎月出すわけでもないしね。

HW:それをコンスタントに繋げて、あちこちでDJをしながら小さなお金をかき集めるって感じでしたね。それでギリギリです。結果的に自分の修業の場になってやれてよかったですけど。
 イースト・ヴィレッジのアヴェニュー・A沿いに、ものすごくハイプなアヴェニュー・A・スシ・バーというのがあったんですよ。やばくって、内装もいっちゃってるんですけど、ニューヨーク中のクラバーが日本食を食べに来るヒップな場所なんですね。入ってすぐに席とDJブースがあって、その奥にまた席があって、さらに奥に寿司を握る場所があるんです。そこに毎日入れ替わりでDJが入っていて、そこに勤めていた友人がやめちゃうんですけど、「ヒロシくん、よかったらやる?」と話をくれて毎週木曜日に回すことになったんです。そこのお客さんは耳が肥えているから、スシ・バーなんだけど本気でDJをしてないといけない。しかも時間も長くてロングセットなんです。そこでいいDJをすると、お客さんが帰るときに名前やスケジュールを聞いてくれるんですね。「ここでご飯を食べている連中を踊らせてやるぞ」くらいな感じで、毎週そこでDJをやってました(笑)。

当時のニューヨークって、いまのベルリンじゃないけどさ、クラブ・カルチャーの中心地だったものね。

HW:その通りですね。そこにテイ(・トウワ)さんとかもいたんですよね。

90年代末は、でも、ちょうどひとつの時代の終わりでもあったよね。それを肌で感じたということもあるんですか?

HW:あります。

ワイルド・ピッチ系のニューヨークのハード・ハウスの流れも、そのころにはピークに達していたもんね。

HW:成熟しきっちゃっていて。言ってみれば、それ以上先はルーティン・ワークになって飽きちゃうギリギリのところで、ぼくはニューヨークから引き上げたんです。ぼくが帰国した2年後にテロがありますよね。それでニューヨークは一気に変わってしまう……。

当時は、日本の状況を何も知らないわけでしょう?

HW:そうです。ニューヨークにいたとき、3ヶ所くらいツアーで日本を回らせてもらったことがありましたけどね。マニアック・ラヴと沖縄のヴァンプと福岡のO/D。マニアック・ラヴやイエローが盛り上がっていたのは知っていました。
 それに、アメリカに10年いようが、日本人は日本人じゃないですか。だから日本で起きているテクノ・シーンのことを、ぼくはすんなりと受け入れられたんですよね。「こんな面白いことをやっているのか!」って見れたんです。日本のシーンがうごめくすごさに関しては、とてつもないものがありましたからね。


Kompaktの昔のレコ屋さん内でDJ中のヒロシ。

しかし当時は多くの日本人はニューヨークに学ぼうとしていたわけですよ。

HW:ただ、ぼくはニューヨークでドラッグ・カルチャーもモロに見てしまったんです。ぼくは正直一切ドラッグはやらなかったので、葛藤はありましたよ。ぼくは音楽でぶっ飛んで欲しいと思っていましたからね。

そこはデリック・メイと同じスタンスですね。

HW:おこがましい話だけど、ぼくはデリックに強いシンパシーを感じるんですよね。ぼくは自分が持っている感覚をフルに使って「さらにぶっ飛ばせる音楽を作ってやろうじゃん」と決意をあたらにしたんです。

帰国して、それからカイトをやるわけですが、その経緯を教えて下さい。

HW:日本に戻って子供が生まれて、家庭を持つことになり、日本の社会に揉まれるんですよね。最初は日本についていくのが大変でした。
 そういう時期、EMMAくんが〈NITELIST MUSIC〉を立ち上げたばっかりで、曲を集めていたんです。ぼくの作った曲の半分はニューヨークくさいもの、半分は日本に戻ってきてもう一度構築しようと実験していたものでした。〈NITELIST MUSIC〉からは、ヒロシ・ワタナベとナイト・システム名義で作品を出してもらうんですけど、ニューヨークでやってきたことを踏まえながら、新しいことをやりたいなとも思っていたんです。ちょうどその頃に、のちにいっしょにトレッドというユニットを組んでアルバムを出すことになる、グラフィック・デザイナーのタケヒコ・キタハラくんに会うんです。彼はヨーロッパの音を当時僕より断然追っていて、とくに〈コンパクト〉レーベルという存在を意識していましたね。彼から「ヒロシくん、〈コンパクト〉にデモを送った方がいいよ」と言われたんです。で、曲を送ったら、1週間後くらいにウルフガング・ヴォイトからメールで連絡が来たんですよ。
 ミヒャエル・マイヤーが言うには、送ったタイミングもすごくよかったみたいです。〈コンパクト〉は、1998年にレーベルがはじまってから、ひと通り出し切っちゃった感があったみたいで、自分たちがどこに向かうべきか話し合っていたときらしく。そこにぼくのデモテープが送られてきた。オフィスでかけてみたら、みんなが反応したそうです。メールには、「ちょうど新しいものを探していたんだよ。お前の音はバッチリだから出そう!」と書かれていましたね。

デザインもよかったですよね。〈セックス・マニア〉の猥雑さとは真逆でしょ。いかにもドイツ的なデザインで。なぜカイト名義にしたんですか?

HW:自分の本名でもよかったんですけど、ヒロシ・ワタナベだと印象がニューヨークすぎるんじゃないかと。でも彼らは日本語名がいいと言っていたんです。日本語名って難しいじゃないですか。日本人にとって日本語名プロジェクトがダサく感じることもあると説明していたんですよ。なかなか良い案が出なかったんですけど、「ちょうど生まれて間もない息子のカイトの名前はこういう漢字で、こういう意味(宇宙の謎を解く)があるんだよ」って伝えたら、「もうそれしかねぇよ!」と決まったんです(笑)。そうやってカイトのプロジェクトが生まれたわけです。だから最初に曲を作っていたときに、息子をイメージしていたわけではないです。

親バカからきたわけじゃないんですね(笑)。

HW:全然違います(笑)! ゼロからはじめて、日本で暮らしながら生まれる音楽ってなんだろうという模索の中から作ったのがカイトです。で、セカンド・シングルの「Everlasting」にジャケをつけることになって、子供の写真を送ったらあのジャケになってたんです。



あれがカイトのひとつのイメージを作ったもんね。

HW:自分が意図的にそのイメージを作り上げたわけじゃないけど、一度出した以上はそれでプロジェクトは走っていく。あの当時はダンス・ミュージックにあんな子供がドーンと露骨に出ちゃうって、なかった。だから自分でも面白いかなと思ったんですね。

当時売れたでしょう?

HW:かなり売れましたね。

だって、2000年代からは、ヒロシ・ワタナベといえばカイトですよ。

HW:自然とそうなっちゃいましたよね。


Kaito Live at Studio 672 in 2002

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デリック・メイと一緒に。

日本でデリックに会ったときに、「お前のサウンドは、俺がデトロイトで追い求めていたものと、はっきり言ってまったく同じものだと思っている」と言ってくれたんです。言っていることが飛びすぎていたから、信じられなかったんですけど、「本当だぞ」って言うんですよ。









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ニューヨークのハウスは、12インチ・カルチャーですよね。しかし、ヨーロッパのテクノにはアルバムを出すというスタンスがある。結果、カイト名義では6枚以上のアルバムを出すことになりますよね。

HW:2002年、最初のアルバムを作り終えたあと、〈コンパクト〉がぼくのライヴ・ツアーを組んでくれたんです。そのとき、ケルンのまだ小さかった頃のオフィスに行ったんです。そこで、カイトの音楽のもとになったビートレス・ヴァージョンをミヒャエル・マイヤーに聴かせたんです。そしたらビートレス・ヴァージョンもこのまま出そうって、その場で決まったんです!

ああ、それが有名な『ポップ・アンビエント』シリーズにも発展するのかぁ。ヒロシ君の曲の特徴のひとつは、メロディだから、ビートレスの作品というのはすごくわかります。また、〈コンパクト〉というレーベルにすごく勢いがあった時代だった。クラブだけではなくて、アメリカのインディ・ロックの連中も、〈コンパクト〉と〈WARP〉はチェックしていたでしょ?

HW:ジェラルド・ミッチェルが「俺はカイトのビートレス・アルバムが大好きで、毎朝起きると聴いてんだぞ。本当だぜ」と言ってくれました。「デトロイトの連中はみんなお前の曲好きだよ」って(笑)。本当なのかなぁと思ってたんですけど、デリックも「デトロイトの奴らはお前の音楽をずっと追っかけてるぞ!」って教えてくれたんです。それって、お世辞じゃなかったみたいで、ぼくは正々堂々と自分の音楽で彼らとつながることに自信が持てたというか。
 そういう人たちって、ぼくにはレジェンド過ぎるので、会うたびに緊張していたんです。デリックとも最初は全然話せなかったんですよ。イエローが閉店する週の同じ日に、デリックがDJでカイトがライヴというときがあったんですね。そのとき初めて話ができたんです。ちょうどデリックの子供が生まれたばかりで、ぼくも三男が生まれたばかりで、子供の話で盛り上がりましたね(笑)。
 それから数年後、日本でデリックに会ったときに、「お前のサウンドは、俺がデトロイトで追い求めていたものと、はっきり言ってまったく同じものだと思っている」と言ってくれたんです。言っていることが飛びすぎていたから、信じられなかったんですけど、「本当だぞ」って言うんですよ。

2003年に〈Third-Ear〉から出た12インチ「Matrix E.P」は、たしかにデトロイティシュでした。メロディの作り方は、いま思えばデリック・メイの好みだったのかな。






「いいかヒロシ、〈トランスマット〉の称号を手にするのはとんでもないことなんだぞ?」と返信が来まして(笑)。「その称号をお前が手にするには、こんなレベルじゃダメなんだ」って(笑)。


HW:デトロイト・テクノって、メロディアスで、哀愁的な感覚も入ってますからね。マイク・バンクスにはジャズやいろんな要素が入って、音楽のアカデミックな部分が盛り込まれてくるけど、旋律的な部分ではみんなに共通項があると思うんです。

なぜいまデトロイトなんでしょうか?

HW:いままでにもいろんな出会い/出来事がありましたけど、今回の一件は強烈でした。ただ、極めて自然な流れだと思うんです。2004年あたりにぼくはギリシャのレーベルからいろいろ出しているんですけど、そのときに出した数枚のアルバムがデリックの手に渡って、DJで使っていたんですね。

そうだったんですね。ギリシャとのネットワークはどうやってできたんですか?

HW:ギリシャの〈Klik Records〉の元A&Rだったジョージっていう最高な友人がいてリアルタイムに「Matrix EP」をレコード屋さんで見つけてくれたんです。あの曲を聴いて、ぼくに直接連絡をくれた。「この音楽を見付けてからもう何回もリピートして聴いてるよ、うちのレーベルから何か出さないか?」と。ちょうど、アテネ・オリンピックが終わった後ぐらいでしたね。




アテネで開催されたBig In Japanの模様。野外の映画館が会場となり2000人以上動員した。2007年6月


2006年、ギリシャでのポスター。

ギリシャって、経済破綻しながら、なんで音楽は廃れないんだろう。いまでもレーベルがあるしね。

HW:しかもいまでもたしかにパーティ・シーンはあるんです。あそこは国柄、人間性がなんというか、すごくあっけらかんとしているんですよね。イタリアやスペインとも似ていますね。暖かくて、国のどこに行ってもオリーブの木があってっていう、そういう土地柄で、ものすごくオープンな人柄という印象です。
 それから、クラブ・ミュージックをボディではなくてマインド・ミュージックとして捉えているんじゃないかと感じます。ぼくの音楽に対しても、グルーヴもそうなんだけれど、その上に乗っかっているものにシンパシーを感じているといつも行く度に思うんです。

ギリシャはけっこうまわってますよね?

HW:アテネを中心にツアーしていますね。多くのDJは、ギリシャに行くと、だいたいミコノス島にあるカヴォ・パラディソという一番コテコテな有名なクラブでやるんです。観光客ばかりで羽振りがいいんで、有名なDJはみんなそこへ行くんですけど、ぼくはギリシャ全土にある、現地人しか来ないような小さいバーから大きなクラブまで回りました。車やフェリーを使って。それを2005年から毎年2回くらいやったんですよ。
 〈Klik Records‎〉が仕掛けたプロモーションも功を奏しました。発行部数が多い一般紙にぼくのCDをフリーで付けたこともありました。だから、一般のひとにもウケたんですよ。あるツアーでアテネのホテルに滞在していて、ちょっとお腹が空いたから何か買いに行こうと思ってホテルを出て、信号のない大きな道路を渡ったんです。そしたら近くに警察がいて「ヘイ!」って言われたんですよ。渡っちゃいけないところだったのかなと焦って立ち止まったんです、そしたら「アー・ユー・ヒロシ?」って警察が言ってきたんです(笑)。

それはありえないよね(笑)。

HW:本当なんです。「アイ・ライク・ユア・ミュージック」って。




なるほど。90年代はニューヨーク、そして2000年代はヨーロッパのシーンとリンクしているんだけど、2000年代に入ってクラブ・カルチャーも変化するじゃない?

HW:〈コンパクト〉はウルフガング・ヴォイトが社長の座を降りた頃から変わったんですよ。小さなレコード屋さんから大きなオフィスに移って、ビジネスやディストリビューションを大きくしていった。しかし、シーンはデジタルに移行していったので、運営が当時一度難しくなっていってしまった様子でした。

そうだよね。インターネットが普及していったのと反比例して、アナログ盤は減った。

HW:マーケットがデジタルへ移行していくことに関しては、僕も抵抗があったんですけど、ぼくはもともと曲作りから入っているんで、DJソフトのトラクターも早い段階で導入したんですよね。コンピュータを現場に導入する感覚って、楽曲を作っている人間にしてみれば、普通なんです。むしろパソコンがあったほうが安心できるというか。だけどよりDJという側面で強く音楽に接してきた人には、けっこう抵抗があったと思います。パソコンの状態の保ち方とか、データの整理の仕方とか、そういう基本的なところから話がはじまっちゃうから。

そういう意味では、なおさら、なぜいま〈トランスマット〉なのかと思いますね。デリックとの対談で「40代のゼロからのチャレンジ」みたいなことを言っているでしょう?

HW:20数年のキャリアを振り返ったときに、いまという現在を通過できるかできないかのチャレンジをしているってことなんです。ニューヨークでジュニア・ヴァスケスがぼくの曲をクラブでかけるか、というチャレンジと同じくらい大きな試練がやってきたというか。デリック・メイが〈トランスマット〉に求めるものを、ぼくが作れるか作れないかって、とてつもなくハードルが高いことなんですよ。

しかも〈トランスマット〉は〈コンパクト〉みたいにコンスタントに動いているレーベルじゃないからね。

HW:デリックは出したいものしか出したくないし、タイミングなんかどうでもいいわけですよ。自分が出してきたどのレーベルでもそうなんだけど、まず自分が作った音楽があって、出来上がったものを渡すのが自然の流れじゃないですか? でも今回のリリースに関してはそうじゃない。数年前ぼくはデリックに「〈トランスマット〉から出せる機会があれば光栄だし、そんな光栄な時を願わくば待っているよ」ってデリックに言ったんです。そのときは「もちろんそのチャンスがないわけじゃないぜ」って答えたんですけど、ぼくはそれをずっと覚えてたんですよね。
 それであるとき、ふたりで熊本にDJをしに行ったんです。そのときに、カイトとしての自分の今の環境や状況の相談みたいな話をしてて、ものすごく親身になってくれたんです。「もちろん俺はカイトの音楽自体ももっと世の中に認知されるべきだし、お前はカール・クレイグと同じような存在であるべきなのに、なぜもっと世界で認知されていないのか俺には理解できない」、「デリック、嬉しい言葉だけど俺もわかんねぇから、理由を教えてくれ」と(笑)。そうやって個人レベルでのやりとりが密にはじまるんですよね。

そのやりとりが面白いんですよね。そういうやりとりはいつぐらいから?

HW:震災あたりからだから、5年前くらいです。

そのときから自分のデモを聴かせていたんですか?

HW:デモを聴かせているというよりも、当時は純粋にぼくが出している曲を聴いてくれていたんです。彼がぼくの曲をDJで使っているのを知ることで、そんな嬉しいことはないと思いながら、ぼくもデリックにしっかり話していいんだなと思えてきて、あるときに、「お前はデトロイトに来てフェスに出るべきだ!」って言われたんです。そりゃいつでも出たいけど、どうしようもないじゃないですか。そしたら「俺が話をつけてやるから、ちょっと待ってろ!」と。それでしばらく経って、また会ったときに「ヒロシ、ごめんな。俺はプッシュしたんだけど、イベントの体制が純粋に音だけで選ぶような今は状況ではなかった。ごめんな」と。そういう見方をしてくれていたんですよね。
 それでデリックは、彼なりにぼくに対してできる最善のことは何かと、考えてくれるようになったんでしょうね。そこまで関係性ができたときにぼくはデリックに曲を渡すんです。忙しいだろうし返事もすぐには来ないだろうなと思ってたんですけど、「いいかヒロシ、〈トランスマット〉の称号を手にするのはとんでもないことなんだぞ?」と返信が来まして(笑)。

はははは(笑)!

HW:「その称号をお前が手にするには、こんなレベルじゃダメなんだ」って(笑)。

すごいね(笑)!

HW:「そこにたどり着く方法は自力で見つけろ。お前には絶対できる。本当に出したかったら、次の〈トランスマット〉からのリリースはヒロシだ」と。デリックがそんなこと言うなんてすごいじゃないですか? 

まあ、すごいですね(笑)。

HW:だけどそれと同時に、いままでにないプレッシャーを感じたんです。いいものができたら曲を出すって言われている以上、作らなきゃいけない。でも作っても「ヒロシ、これじゃない」と返信し続けられたら、ぼくは生きた心地がしないわけです。ずーっと自信をもって音楽を作ってきているし、自分の音楽を感じながらやってきたものの、そこで作れども作れども、もしOKが出ないなんてことが起きたら、デリックの言うポイントに到達できてないってことになる。それは自分の音楽人生であっちゃいけないし、ありえないことだと思ったんですね。

しかしデリックも直球な言葉ばかりを言ってくるんだね。

HW:だから、20年以上のキャリアを積んできたにも関わらず、もう一回ゼロから自分がチャレンジする機会をデリックがくれたとも言えるんですよ。ニューヨークで無心になって作っていた当時の自分がいま新たに蘇ったというか。デリックに「これだよ!」って言われなかったら、俺の20年間はなんだったんだろうと、そのときに思ったんです。そこからはもう、徹底的に作り続けました。

「あの山を登るのに、他の連中はこの平坦な綺麗に舗装された道を行く。しかし、お前は一人きりで裏の崖からロープ一本で登ってるんだ」とか言われたらね(笑)。

HW:「お前は荒野のなかの一人たたずむ侍だ、自身の中に潜む何かを掴むために一人きりでいるんだ」(笑)とか。

そうやって火をつけるのが彼のやり方なんだろうけど、すごいものがあるよね。

HW:最初に送った楽曲は〈トランスマット〉へというつもりではなかったにせよ、しょっぱなが「これじゃない、もっと〈トランスマット〉に相応しいものを作れ」って言われたわけじゃないですか。(笑)だから簡単には曲は送らないと決めたんですけど。なんでもいいわけじゃなくて、自分で彼のいうポイントに到達できたと思えるものでないと送っちゃいけないと思ったし、深く考えると、自分がいいと思ったものに対して「お前はこんなものをいいと思ってんのか?」と反応をされたとしたら信頼も失うことになる。だからそのときに自分は何を作るべきなのかを、いろいろ深く改めて探るようになったんです。

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カール・クレイグやケニー・ラーキンのような不動で唯一無比なデトロイト作品はすでにあるわけだし、DJでもかけてきました。でも過去に曲を作る上でデトロイトを意識したことは一度もなかったんですよね……。









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ニューヨーク時代にハウスを追求し、カイトではアンビエント的な要素もいれつつ、より多様なエレクトロニック・ミュージックをやっていたと思うんですけど、それとは別のコンセプトが必要になってきたときに、何をどうやって考えたんですか?

HW:〈トランスマット〉で選ばれてきた音楽もしっかり一通り聴き返したんです。純粋に改めて「デトロイト・サウンドって何だろう?」という観点から作っても、ヒップホップやガラージ・ハウスを真似するのと結局同じことになってしまう。そんなことでは絶対にダメだし、そんな方向をデリックが求めていないことはハナっからわかってたんです。とはいえ、カイトのまんまやることはぼく自身が納得できなかった。それは〈コンパクト〉や他のレーベルでやればいい。やっぱり〈トランスマット〉から出すのであれば、その歴史の名に恥じないものを作らなきゃいけない。ぼくが好きなカール・クレイグやケニー・ラーキンのような不動で唯一無比なデトロイト作品はすでにあるわけだし、DJでもかけてきました。でも過去に曲を作る上でデトロイトを意識したことは一度もなかったんですよね……。
 例えばグレッグ・ゴウ(Greg Gow)やステファン・ブラウン(Stephen Brown) とか、マイクロワールド(Micro World)、特にジョン・ベルトランなんかはめちゃめちゃメロディアスで、ディープで綺麗で繊細だし。デリックのすごくホットなDJプレイのシーンだけじゃなくて、彼自身の音楽の好みや〈トランスマット〉が歩んできたルートを紐解いていけば、そもそもなんでカイトにシンパシーを感じてもらえ、DJでも使ってくれている理由とかもより明確にわかってきたんですね。

自分の武器が何なのかがわかってきたということ?

HW:そういうことです。ぼくが何かに合わせるということよりも、自分が本来持っているものの何をデリックは見ていたのかを、自分でもう一度探し求めたといいますか。

今回のアルバムは、いままでのヒロシ・ワタナベ作品のなかではもっとも感情に訴える音楽ですよね。それが大局的な意味で言うところのデトロイティッシュなものですよね。ブレインでもボディでもなく、エモーションに行くっていうね。

HW:タイトルや曲の情景が出来上がるにつれて、自分が導かれていく場所はタイトルが示しているものだってわかっていきました。生きている意味だったりとか、自分が生かされている場所だったり、そんなところまでさかのぼって音に気持ちを込めざるをえなかったんです。もちろんアルバムの2曲目を聴いてみると、自分がニューヨークで体験したことが現れていたりするんです。野田さんのライナーにも書いてくれていましたけど、逆に“Heliosphere”なんかはデリックが好きなカイトのテイストだと思うんです。アルバム全体には自分のいろんな部分が散りばめられているんですよね。

そういう意味でいうと、ヒロシ・ワタナベがいままでやってきたことが集約されているんだけれども、やっぱりデリック・メイに火をつけられた部分というか……

HW:40半ばで心が少年になっちゃったんですよね。一度もレーベルから出したことのない時代にさかのぼって、気持ち的には本当にあの頃に戻っていたというか……。あの頃って、本当に血眼になって楽曲を作っていたというか……。

デリックとヒロシくんの関係がはまったんだと思います。たとえば“The Leonids”という曲は、本当に素晴らしい曲ですね。

The Leonids (ele-king exclusive preview)
https://soundcloud.com/kaito/the-leonids-eleking-exclusive-preview/s-wpIVz

デトロイティッシュであなりながら、ヒロシ・ワタナベらしい繊細さ、ソウルフルな展開……。

HW:人種を飛び越えたところでのソウル・ミュージックって何だろうって考えましたね。「特定の生まれもったルーツがないとソウル・ミュージックとは言えないのか?」と。言葉がないダンス・ミュージックってそういうところを越えていけるような、ものすごく特殊な音楽だと思うんです。本当の意味で魂や人種を飛び越えることが、どのように音が変換されていくのかを見てみたかったんですよ。

それもデトロイト・テクノの重要なコンセプトでですね。例えば、ケンドリック・ラマーというヒップホップのひとがいて、ぼくはいま大好きなんですけど、彼はソウルやファンクもちゃんとわかっていて、ジャズやフライング・ロータスのような最新のエレクトロニック・ミュージックも取り入れている。なによりも弱き者たちへの力強いメッセージもある。しかし、そこで主に参照されるのは、やはり自分たちの内なる文化、アフリカン・アメリカンの文化なんですね。
 デトロイト・テクノのすごいところは、彼らは自分たちの内側だけを参照しないところなんです。ヒロシ君もよく知っての通り、自分たちの内なる文化を誇りとしながら、ヨーロッパであるとか、他の文化にどんどんアクセスする。90年代にぼくが初めてデトロイトへ行ったときに、友だちの車で最初に流れたのがエイフェックス・ツインだったんですね。ぼくにはものすごい先入観があったんですね。黒人はエイフェックス・ツインを聴かないだろうっていう。しかし、真実はそうではなかったんです。デトロイト・テクノは、アフリカン・アメリカンであるということだけでは完結できないんです、そして、それを彼らは“未来”と言ったんですよね。
 どこまでデリックが意識しているのかわからないけど、〈トランスマット〉は早くから、アラブ系とか、中国系とか、アメリカ人でも主要ヨーロッパの人たちでもない人たちの曲を出していますよね。しかも彼は、日本のことが大好きだから、もっと早くに日本人の作品を出したかったかもしれない。だから、ヒロシ・ワタナベの作品を出せたことは、彼自身も嬉しかったんじゃないのかな。あるいは彼は気まぐれな男だし、商業ベースでレーベルを運営していくタイプでもないんで、出会いのタイミングもあったとは思うけどね。ちなみにこの「マルチヴァース(Multiverse)」というタイトルですけど、これは人種を超えた何かを表しているんですか?

HW:そうです。次元を飛び越えたところで、自分たちが存在する意義とは何かと。音や自分が生きてきた証のなかで、しっかりと正々堂々と繋がってこれた関係性でもあるわけじゃないですか。そういうなかで、もっと飛び越えた次元で自分が生きていることが最終的にどんな証になるのか、この機会に自分の気持ちを盛り込まなきゃと思ったんです。

どこで意識されたのかわからないですけど、世界情勢をみると、それはタイムリーなメッセージですね。アメリカもヨーロッパもすごく難しい時期にきていますね。もちろん日本も。

HW:本当はもっと飛び越えていかなきゃいけないんですよね。みんな本当のところはわかっているんだから。

DJカルチャーの重要さもそこにありますよね。さっきのギリシャの話もそうだけど、ぼくたちは日本に住んでいるけど、ムーディーマンのDJを通じてデトロイトのインナー・シティのソウル・ミュージックを聴くこともできる。南ヨーロッパの辺鄙な街で生まれたハウス・ミュージックを聴くことができる。大げさに言えば、普段は出会うことがない文化にDJを通して触れることができる。DJはある意味では文化の運び屋なんだけど、同時に文化をミックスすることもできるんですよね。

HW:音楽というところで繋がっているひとたちは、DJに限らずいろんな国や人種にふれたときに、問答無用にひとつになれることを体感しているわけじゃないですか。それこそ僕たちが地球全体で抱えている問題って実はすごくシンプルで、人種なんか関係ないはずです。ところが、国が大変になってくると、政治や宗教が原因でいろいろな事件が起きる……そういう意味では、ぼくがいま感じられることは注ぎました。野田さんの素敵なライナーもありがとうごいました! ぼく自身のメッセージもあえて添えましたし、きっとトータルで音や言葉からそれらを感じてもらえると思います。

OPNとFKAツイッグスがコラボ!? - ele-king

 どこまで交友の輪を広げるつもりなのでしょうか。「ともだち100人できるかな」とでも言わんばかりに、またしてもOPNが新たなコラボレイションを仄めかす映像を公開しました。お相手はなんと、FKAツイッグスです。ふたりはそれぞれ、同じ2秒ほどの短い動画をインスタグラムに投稿しています。今後のふたりの動向に注目です。

https://www.instagram.com/p/BEG-PMYDhxq/

https://www.instagram.com/p/BEG-bpSC-rv/

@eccojams_が投稿した動画 -

Susumu Yokota - ele-king

 ダンス・カルチャーとは朝まで踊ること。いちどダンスフロアに出たら水分補給以外はフロアに居続けること。現実には起こり得ないと思っていたことが目の前で起きていること。知り合いと会うと、いや、初めて会ったひとともハグしあって、「愛してるよ~」と真顔で言い合うこと。気持ち悪いよなぁ、でも当時はそれが普通だった。で、明け方、帰るときに(踊りすぎで)膝がガタガタになっていることに気がつくこと。ダンス・カルチャーとは朝日がやたら眩しいこと。あるいはトイレ付近で……(これ以上は書かないでおこう)。
 あの地下の階段を下りるときいつもドキドキした。今夜は何が起きるんだろう、明け方にはどうなっているんだろうと思ってドアを開けた。クラブはビールを片手に談笑する場ではなく、ただ無心に踊る場であり、クラバーはDJを見るのではなくお互い(もしくは宇宙)を見ていた。これが1992年から1994年の東京の週末に起きていたことだった。

「ダンス・カルチャーとは、ラジカルに対立するふたつのレイヴすべてに関する事柄が一体化されたものである。ひとつ、トランセンデントラル(超越的)で、ネオサイケデリックかつより高次な意識の論述──ヒューマニティ/ガイア/宇宙が結合する海。もうひとつ、エクスタシーとレイヴ・カルチャーがせき立てる10代の安っぽいスリルのラッシュ・カルチャー……」サイモン・レイノルズ『Generation Ecstasy』

 この狂騒の季節において欧州(とくにUKとドイツ)の主要都市では、多くの記録者(プロデューサー)が多くのドキュメント(作品)を残しているが、横田進は東京において数少ない記録者のひとりだ。この度サブライムから再発された『Acid Mt.Fuji』は彼の代表的な記録のうちの1枚。1994年の作品である。
 じつはこの前年のEBI(海老)名義のアルバム『Zen』(ベルリンのスペース・テディからリリース)やFrankfurt-Tokio-Connection名義の諸作(フランクフルトのハートハウスからリリース)の頃がダンス・ムーヴメントのピークだったので、『アシッド富士山』はその第一段階の最終章と言える。メロディ重視の曲作り、ささやかなアンビエント・タッチは熱から冷めようとする次の季節の予兆ともいまとなっては言えるが、まあやはり、『アシッド富士山』(というタイトル)であることは誤魔化しようがない。再発されたこのCDには、1994年6月の伝説のライヴが収録されているが、それは狂騒の季節の記憶の断片、それ以外の何ものでもない(そういう意味では貴重な音源)。
 ぼくは1995年の『Metronome Melody』を評価している。透き通った音色の綺麗なメロディ、それが横田作品の最大の魅力だったと思っているからで、実際の彼も物静かで耽美的な人だった。しかし本来ならダンスしなかったそういうひとたちもダンスなしではいられなかったのが1992年~1994年の東京のアンダーグラウンドだった。あれは何だったんだろう……何年も経って、いろいろな人がさまざまなことを考えている。ある海外の批評家が、あれは、社会のさまざまなプレッシャーから集団まるごと解放されてしまった状態であり、ゆえに当たり前だと思っていたことがじつはプレッシャー(抑圧)だったと気づいてしまったと、よってノンポリ集団が社会とリンクしていくのである云々と分析していたことがあったけれど、それはたぶん正解で、たぶん間違ってもいる。

 去る3月27日は横田進の一周忌ということで、生前につきあいのあった人たちが集まった。その会場となった渋谷のクラブ・ギャラクシーに向かう途中で、桜を見ながら、ああ、横田さんはこんなに桜が綺麗なときに亡くなられたのか、そういえば彼の最高傑作の1枚は『SAKURA』というタイトルだったな、と思った。

Fika(フィーカ) - ele-king

「スウェーデン人にとってFika(フィーカ)は生活の一部よ」

フィーカって、ご存知ですか?
それはスウェーデン流の“お茶の時間”を指す言葉です。
お隣の家で、友人とカフェで、会社でさえも、
顔を合わせれば「Ska vi fika?(スカ・ヴィ・フィーカ/お茶にしましょう)」と誘いあう──
スウェーデン人はお茶が大好きなのです。
そして、それは休み上手、楽しみ上手な彼らの文化をよく象徴しています。
フィーカで大事なのは、くつろぐこととおいしいお菓子。
多くの家庭には、フィーカのためのさまざまな手作りお菓子が常備されています。
そうした定番お菓子のレシピと、さまざまなコラム、そしてたくさんの素敵なイラストとともに、
フィーカの12か月をたどります!

■Contents

はじめに * 合い言葉は「Ska vi fika?」 2

スウェーデン人のFika 4

Fika i mars * Våfflor
3月 ヴォッフロル(ワッフル) 15
Våffeldagen * ワッフルの日 / Påsk * 復活祭 / Kafferep * かしこまったお茶会 / Alla korvars dag * すべてのソーセージの日

Fika i april * Kärleksmums
4月 シャーレクスムムス(チョコレートのスポンジケーキ) 27
Jättegott!* おいしいときの合い言葉「mums=う~ん(おいしい)♡」 / Gott till kaffet * おかしな名前のお菓子 / Valborgsmässoafton * ヴァルプルギスの夜 / Surdeg * 天然酵母の日

Fika i maj * Morotskaka
5月 モーローツカーカ(ニンジンケーキ) 39
Morotens dag * ニンジンの日 / Prinsesstårta * お祝いのケーキ / Kaffe * Fika=コーヒー / Primör * スウェーデンの野菜事情

Fika i juni * Nationaldagsbakelse & Smörgåstårta
6月 ナショナルダーグスバーケルセ(建国記念日のミニケーキ)& スモルゴストータ(サンドイッチケーキ) 51
Sveriges Nationaldag * ナショナルデー / Utspring * Fikaで旅立ちのお祝い / Midsommardagen * スウェーデン最大のイベント・夏至祭 / Sju sorters kakor * 一家に1冊あるFika菓子の教本 / Färskpotatisens dag * 新ジャガの日

Fika i juli * Chokladbollar
7月 ショクラードボッラル(チョコレートボール) 67
Sommarlov & Sommarsemester * 夏の暑い日は火を使わないチョコレート菓子作り / Fläderblomssaft * 夏のFikaはサフト / Praktiskt & Enkelt * 合理的で簡単に作れるレシピ / Kryddor & örter *スパイスとハーブ

Fika i augusti * Rabarberpaj
8月 ラバルベルパイ(ルバーブのクランチパイ) 79
Rabarbersäsong *季節限定のフレッシュ菓子・ルバーブのパイ / Sylt * ジャム作りは夏の終わりのシーズンワーク / Kräftskiva * ザリガニの解禁日 / Köttbullens dag * ミートボールの日

Fika i september * Sockerkaka & Äppelkaka
9月 ソッケルカーカ(スポンジケーキ)& エッペルカーカ(リンゴのスポンジケーキ) 91
Äppelsäsong * スウェーデン人はリンゴが大好き / Glass * アイスの消費量は世界トップクラス / Teets historia * 意外に古い紅茶の歴史 / Paket * スーパーは北欧デザインの宝庫

Fika i oktober * Kanelbullar
10月 カネールブッラル(シナモンロール) 103

Kanelbullens dag * シナモンロールの日 / Mejeriprodukter * おいしくて種類も充実、スーパーの乳製品売り場 / Svampar & Allemansrätten * 森や山はスウェーデン人みんなの宝 / Höst & Vinter * もっともFikaが重要になる時期

Fika i november * Kladdkaka
11月 クラッドカーカ(ぐちゃぐちゃチョコレートケーキ) 115
Kladdkakans dag * クラッドカーカの日 / Chokladens dag * 10月から11月にかけてチョコレート三昧のFika / Ärtsoppa * 木曜日に豆のスープを食べる習慣 / Martinsdagen * 聖マッティン祭

Fika i december * Lussekatter & Mjuk pepparkaka 127
12月 ルッセカッテル(サフラン入りパン)& ミューク・ペッパルカーカ(ソフトジンジャーケーキ)
St. Lucia * サフラン入りのパンを食べる聖ルシア祭 / Pepparkakans dag * ジンジャークッキーで「お菓子の家」作り / Advent * アドベントからはじまるクリスマス月間 / Julafton * もっとも盛り上がるクリスマスイブ / Nobelbanketten * ノーベル賞の授賞式、晩餐会のメニューは注目の的

Fika i januari * Hallongrottor
1月 ハッロングロットル(ラズベリージャムのクッキー) 143
Gott nytt år!* Fika定番の伝統クッキー / Tjugondedag jul * 世界で一番長いクリスマス / Nötter & Frön * お菓子作りに欠かせないナッツ類 / Rörstrand&Gustavsberg / クオリティーの高さで知られるスウェーデンデザイン

Fika i februari * Semla
2月 セムラ 155
Fettisdagen * 春を告げるシーズン菓子、セムラ / Geléhallonens dag * ラズベリーグミの日 / Kvällsfika * 夜のFikaは、ホットチョコレートでほっと一息 / Vinter▷▷▷Våren * 暖かい春へと向かう日々


■著者プロフィール

塚本佳子(つかもと・よしこ)
編集者・ライター。さまざまなジャンルの書籍や雑誌の制作に携わる。週末のみ「北欧雑貨の店 Fika」の店主。暮らしを豊かにするための方法を日々模索中。著書に『小さくてかわいい家づくり』(新潮社)、『好きなことだけ』(Pヴァイン)など。

ホームページ
https://zakka-fika.com/



見瀬 Klingstedt 理恵子(みせ・くりんぐすてっと・りえこ)
フリーランスイラストレーターとして活躍。1995年から現在まで通算12年間を家族とともにスウェーデンの首都ストックホルムで暮らす。帰国後は友人井上佳子と料理ユニット「SPISEN(スピーセン)」を組み、スウェーデン大使館のイベント等で料理を提供するかたわら、コラムニストとしても活動。著書に『シンプルを楽しむ 北欧の幸せのつくり方』(エディシォンドゥパリ)など。

ホームページ
https://www.riekomise.com

flickr
Rieko Mise Klingstedt on Flickr

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