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それに、わたしと同じようにいつもひとりでいる人間がいつの日か全員、川に集まるのよ。みんなで夕陽が沈むのを眺めるの。そして暗闇のなかでわたしたちはきっと真実を知るのだわ。アリス・ウォーカー『メリディアン』高橋芽香子訳
ビヨンセは「文化現象になった」と英ガーディアンは報じている。ぼくはジェームス・ブレイクが参加していることがまず嬉しかった。ざまあみろだ。数年前、黒人音楽の専門家からジェームス・ブレイクを評価するなんてわかってないねーというおしかりを受けていたから。なぁんてことを書くと、ここだけリツィートする人が出てくるんだろうなぁ……だが、そんな小さい話ではない。スーパーボールで披露した“Formation”という、黒豹党/blacklivesmatterへの共感を露わにしたあとのアルバムに、英国の内気な白人青年との共作──彼は後半にも出てくるが、ブレイクは本作においてディプロと並んで重要な役割を担っている──を持ってくるところが、すでに作品の大きさが象徴されている。
ポスト・オバマ・ワールドにおけるひとつの性急な意見として、所詮、黒人と白人を同じ国に住めないというのがあったが、意外なところではエズラ・クーニング(ヴァンパイア・ウィークエンド)やパンダ・ベア、ファーザー・ジョン・ミスティもザ・ウィークエンドも……(ほか大勢)も参加した『レモネード』からは、ビヨンセの音楽的探求心とその成果、異議申し立て、そしてパワフルな、とてつもなくパワフルな理想主義が立ち上がる。
以下、自分のことを高い棚に上げて書こう。アルバムにはジェイ・Zをはじめとする、昔ながらの男社会への怒りと女性の苦しみが描かれているという。台所で、居間で、旦那の帰りを待っている女性の痛み(ぼくは午前3時の男ではないので、少しほっとしたり)、いつまでも変わらない男社会。映像にはニーナ・シモンの『シルク&ソウル』のジャケが写される。そしてはじまるその曲、“Sandcastles”でのビヨンセの歌は、かくじつに胸をえぐる。
映像には、南部の美しい風景がたびたび出てくる。『レモネード』は、ビリー・ホリデーからアリス・ウォーカー、あるいは詩人ニッキ・ジョヴァンニにいたるまでの、長い歴史におけるアフリカ系アメリカ人女性たちの抵抗の魂の連続性のなかにある。「女を怒らせたら恐いよ」と、7歳の娘は、この1年ぼくに繰り返し言う。恐い……わかっている。男にとって己の愚かさに直面せざるえないという恐怖もあり、しかもビヨンセはジェイ・Zよりも器の大きいところを見せつけてもいる。『レモネード』はその最後を“Formation”でしめているように、怒っていて、寛大で、諦めていない。恨み節など優に超えるものであり、ポップ・アルバムとしての完成度がとにかく高いのである。
ここ数年EDMにどっぷりのディプロだが、曲をまとめる腕は錆びていない。彼のプロダクションは重たいテーマの本作において、陽気なリズムで耳を楽しませる。2曲目が“Hold Up”だからこそ、これはすごい作品かもしれないと思えた。エレクトロ・タッチの“Sorry”も来たるべく後半戦に備えてほどよいウォームアップになる。ジャズとカリブ海がミックスされる“Daddy Lessons”は洒落ているし、ベース・ミュージックを咀嚼した“Love Drought”もキャッチーでじつに良い。痛みを和らげるようだ。
“Sandcastles”のあとに続くのがジェームス・ブレイクと一緒に歌う“Forward”だ。次にケンドリック・ラマーをフィーチャーした“Freedom”、そしてディプロの感動的な“All Night”、クロージング・ナンバーの“Formation”へと展開するわけだが、これら後半3曲の力強さには心底しびれる。
人種問題、女と男、理解し合うことの困難さという一点においては、同じように、ほんとうに困難だ。うわべだけの理想主義なんかでは通用しない。だからいっそうのこと、一緒に居るのは無理なんだという主張も大いに説得力を持つ。そうすれば誰も傷つかなくて済むという現代の日本でも散見するその建設的な考えをどうしたら覆せようか。
メリディアンは「正しいこと」と「間違っていないこと」の違いが長いことわからなかったとトルマーンに打ち明ける。「正しいこと」とは殺さないこと。「間違っていないこと」とは必要とあれば殺すこと。メリディアンはある日そう確信する。『レモネード』は「間違っていないこと」ではない。
あら探しをすることもできるだろう。完璧すぎるとか、良い子ちゃんだとか、とくに新しくはないとか、M.I.A.のように「アラブのことは入ってないじゃん」と高をくくることだってできる。だが、ぼくはとてもケチをつける気にはなれない。この音楽が自分の人生にも影響与えることを願う。ぼくは間違っていた。たしかにポップ・ミュージックは趣味によって細分化され、聴き方も産業によって大きく変化している。しかし、ここには変わることのない、寛容で、大胆に時代を切り拓くポップ・ミュージック/ソウル・ミュージックがある。
野田努