「UR」と一致するもの

NO RIO (CAT BOYS) - ele-king

今聴きたいソウルミュージック10選

 ジョン・グラントは、ゲイとして歌うことを少しも恐れていないシンガーだ。その痛み、喜び、孤独、愛を赤裸々にさらけ出し、HIVポジティヴであることも公表し、さらにはその心境をも歌っている。だから彼が日本に来ると聞いたとき、僕が会ってほしいと真っ先に思ったのが田亀源五郎氏だった。田亀氏こそ、日本でゲイとして表現することをもっとも恐れていないアーティストのひとりだからだ。ゲイ・エロティック・アートというのは、ゲイであるということを肯定する、その支えになるはずのものだ。形は違えども、両者の表現にはゲイとして生きることがたしかに刻まれている。
 そうして実現した対談は、想像していた以上に熱を帯びたものになった。ゲイ・カルチャーの現在をヴィヴィッドに伝えるものになったとも思う。僕は立ち会いながら真摯な対話に胸を打たれるばかりだった。

 そして、その貴重な出会いは思わぬ続報をもたらしてくれた。ジョン・グラントは今月のHOSTESS CLUB ALL-NIGHTERで再来日することが決まっているが、その際に田亀源五郎氏がイラストを手がけたジョン・グラントの日本限定Tシャツが発売されるそうだ。田亀源五郎のタッチがたしかに感じられるクールな仕上がり。率直に言って、大手アパレルが手がけたプライド・コレクション系のアイテムよりも、ひと癖もふた癖もある絶妙なものになっていると思う。両者のファンだけでなく、先日の対談で興味を持たれた方にもぜひチェックしていただきたい。

 フロリダのゲイ・クラブで起きた銃乱射事件の数日後、ジョンはコンサートでカイリー・ミノーグをゲストに迎えて“グレイシャー”を歌いあげた。対談でも話題になった曲だ。僕は田亀氏の『弟の夫』の連載を毎月読みながら、その曲の歌い出しのことを思い返す……「自分の人生を生きたいだけ 知る限りのいちばんいいやり方で」。そして『弟の夫』に目を戻すと、そこではゲイたちの「自分の人生」が丹念に描かれている。あらためて、この特別な出会いを祝いたいと思う。 (木津 毅)



Dego - ele-king

 フローティング・ポインツとUKグライムとの溝を埋めることができるのは、ディーゴだ。ジャングル/ドラムンベースの創世記におけるキーパーソンとして知られるディーゴは、まずUKハードコアをデトロイト・テクノと結びつけ、そして数年後にはUKハードコアをクラブ・ジャズとも結びつけた。ベース・ミュージックが成熟と洗練とに向かっている現在、この偉人が再評価されるのはなんら不思議ではない。
 今回は東京CONTACT、大阪CIRCUS、京都METROの3都市をツアー、各地Degoのニッポン・サポーターとの共演です!

Dego & The 2000Black Family - It Don't Get No Better

https://soundcloud.com/2000black

 Joy Orbison とWill Bankheadが運営するイギリスのレーベル"Hinge Finger"のショーケースが、シックなビジュアルで多くのファンを集めるブランドC.E.(Cav Empt) のサポートの元行われる。イギリスのアンダーグラウンドで、独自のテイストとビジュアルで人気を誇るThe Trillogy TapesのWill Bankheadが運営する兄弟レーベルとも言えるHinge Fingerは、"Peder Mannerfelt"を招聘。

 "Peder Mannerfelt"はスウェーデンのアーティスト、"Subliminal Kid"のメンバーとしてMassive Attackにリミックスを提供するなど、10年以上のキャリアを持つアーティスト。EPリリースに際してプレイを行う。

 アナログ機材から生まれるノイズとを印象的なボイスサンプルのカットアップで、新たなソニックウェーブ体験をさせてくれるだろう。さらに、幅広い選曲を見せるJoy Orbisonのプレイにも注目だ。CO/R名義でローなテクノ・トラックを収録した"Gudrun" EPリリースしたかと思えば、先日のNTS Radioではダンスホールからハウスまで縦横無尽のプレイを見せた。また、日本からのDJにはFuture Terror主宰のDJ NOBU登場。

 なにが起こるかわからないエクスペリメントを体感しにUNITに足を運んでみては。

C.E & HINGE FINGER

JOY ORBISON (Hinge Finger)

PEDER MANNERFELT (Peder Mannerfelt Produktion / Hinge Finger)

WILL BANKHEAD (The Trilogy Tapes / Hinge Finger)

DJ NOBU (Future Terror / Bitta)

日時 : 2016年9月10日(土) 23時30分〜

場所 : 代官山UNIT www.unit-tokyo.com

〒150-0021 東京都渋谷区恵比寿西1−34−17 ZaHOUSE

価格 : 前売り 3,000円 / 当日 3,500円

前売りチケット (8月6日土曜日発売開始):

e+ / LAWSON (L Code: 71247)/ diskunion (Shibuya CMS / Shinjuku CMS / Shimokitazawa CMS / Kichijōji) /JET SET TOKYO / TECHNIQUE / DISC SHOP ZERO / Clubberia / Resident Advisor / BEAMS Records / min-nano / TOXGO / have a good time / UNIT / C.E

※20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います


 友だちが最近、人生にちょっと疲れてインドに行って、見違えるほど変わって帰って来た。1ヶ月程度の旅行だったし、その間に運命的な何かがあった訳ではないから、本人はその自分の変化に、まだ気付いてはいない。

 「一人旅」というものに、若い頃は人生の革命が起こることを期待する。僕もそうだったし、今もその興奮を旅の前に抱くこともある。だけど、冷静になってこれまで関わって来た周りの人を見ると、旅の後に彼ほどの明らかな変化、というよりは変異を果たした友人を思い出すことができない。

 ウイルスと細菌は全く違うもので、大きさも1000倍ぐらい違うし、そもそもウイルスは「生物」ではない。細菌は細胞壁に囲われた身体を持っていて、その内部にいろいろな役割を与えられている器官を持っている。栄養さえあれば自己増殖もエネルギー産生もできるから「生物」とされる。それに対してウイルスは、生物の細胞ひとつひとつに含まれる体全体の設計図みたいなDNAやその情報運搬役のRNAのような遺伝子のみが、カプシドという殻に包まれた状態。だからウイルスは自己増殖ができない。必ず感染する相手(宿主)の細胞の機能が必要で、その中に入り込み、その宿主の設計図の中に自分を埋め込んで、宿主の細胞に自分を大量生産してもらう。自分だけでは子孫はおろかエネルギーさえ作れないので「非生物」とされている。つまり、ウイルスは生物の残骸の一部みたいなものと言えばイメージがつくかもしれない。

 ちなみに抗生物質というのは細胞壁を壊す薬だから、細菌にしか効かない。普通の人がかかる「風邪」の8割以上の原因がウイルスだとわかってから、人類の抗生物質の使用量は大きく減った。とはいえ、見切り発進も未だに多い。

 細胞の突然変異が起こる確率は、10万~100万回に1回の細胞分裂で起こる。その突然変異の細胞が様々なレベルで自然淘汰を受けて、その環境に適合した性質が残されて行くのが進化の原動力とされる。僕らの遺伝子は、絶えず宇宙からくる放射能(宇宙線)に晒され、日常生活で摂取する様々な物質によって傷つけられている。そういった遺伝子を変化させる原動力のひとつとして、ウイルスがある。地球史上、ウイルスは様々な生物の内部に入り込み、「他力」によって自己複製をしながら変化してきた。インフルエンザウイルスが毎年流行るのは、その変異があまりに早く、人間がその免疫を獲得しにくいからで、一度感染したら、治る頃にはすでに違うウイルスに変異していると言われている。時間の長短はあれ、無数のウイルスたちが、地球史上の中でかなり長い間、こうした営みを繰り返して、常に生物の突然変異と進化の礎を築いてきた。

 寒いと風邪をひく。というのは当たり前のことのように共有されていて、風邪っていうのは、外部からのウイルスや細菌の侵入がなければひかないものだと一般的には考えられている。だけど、僕は本当にそうなんだろうかと疑問を持っている。もちろんインフルエンザのようにそういう時もあるだろうけど、寝ていて体が冷えたその時に、いつもたまたま風邪の原因ウイルスとの接触があるというのは考えにくい。

 漢方治療をしていると、「気」を増幅させる「補気剤」の内服で、毎月風邪をひいていた人が、1年間一度も風邪をひかなかった。なんていうことが当たり前のようにある。おそらく「風邪」というものの多くは、常に風邪症状を生じさせるなんらかのウイルスが体内にいて、環境が変わるたびにそのバランスが崩れることによって症状が現れている。

 そもそも「風邪」という定義もすごく曖昧で、頭痛は「風邪」なのか、食欲低下は「風邪」なのか、抑うつ気分は風邪で不安は「風邪」じゃないのか。僕は極端な話、そういう症状のひとつひとつには体内のウイルスが相当な部分関与しているんだろうと思っている。

 僕は微生物学免疫学教室と東洋医学科に在籍していた時期があった。その二つの科の教授が同じ人で、エイズウイルス関連でNatureという科学雑誌にも何度か論文が掲載されている。僕の今の医学観はその人の影響を強く受けている。その教授が4月5月の診察になると、患者さんの舌や脈を診ながら「春は草花や虫が動き出すように、体内のウイルスも動き出すんだ」と言っていた。

 これが科学的に正しいかどうかはわからない。だけど、B型肝炎やC型肝炎のように、体内に慢性的に持続感染しているウイルスを持っている人は、4月5月にそれまで安定していた体調が悪くなることが多い。それに限らず、毎年同じ季節に体調が悪くなるという人は、まだ発見されていない何らかのウイルスの影響が大きいだろうと思っている。(おそらくこの世の中には、人類が同定することのできたウイルスより、まだ発見されていないウイルスの方が圧倒的に多い)

 人間は60兆個の細胞で構成されるが、その100倍以上とも、1000倍以上とも言われる細菌やウイルスというものでひとつの生命が構成されている。だから、寒いと風邪をひくというのも、そういった常に在中するウイルスが変化するのがひとつの要因だというのは、まんざら外れてもいないと思っている。

 インドに行って変わった友人は、帰国後に再会する前に、A型肝炎というインドの食物から感染するウイルスによって肝炎を発症して入院した。幸い彼はそのインド製のウイルスとの格闘に打ち勝って生き残った。A型の持続感染はほぼないと言われているが、少なくとも彼の体細胞の遺伝子には「インドのウイルス」、もっと言えば、「インド人が文化と共に育んで来たウイルス」が一時的ではあれ入ったのだ。それが彼の体内の無数のウイルスの中の一員として、微量ながら今も残っている可能性は低くはない。

 そう思って彼を見ると、日に焼けたせいかもあるけど、旅行前にあった少女漫画に出てくるような美しさが消え、インド人っぽく見えるようになった。そう思って話を聞くと、どうやったら金を稼げるか。という話が増えたようにも感じる。でも、確実に言えることは、彼は旅の前より明らかに、元気になった。

 人間は音楽に精神を動かされる。同じように、あるいはそれ以上に人間は、ウイルスに動かされている。

 そうこう言う僕も、インド旅行の最後にガンジス川の水を飲んで、随分と激しい下痢をした。僕の中にもガンジス川製のウイルスがたぶんいる。聖なる川ガンジスのウイルスは壮絶だった。僕も絶えずインドのウイルスに動かされているのかもしれない。


パオロ・パリージ 著
アサコ・イシハラ 訳
コルトレーン

ele-king books

ComicJazz

Amazon

 2009年にイタリアで発表され、現在では、英、米、仏、デンマーク、ブラジル、アルゼンチンと計7カ国で翻訳版が出版されているスピリチュアル・ジャズ・コミック『コルトレーン』。今年2016年は、ele-king booksでも日本版をつくらせてもらうことになり、きっとすでにお買い上げくださった方もいらっしゃることと思います。ありがとうございます。

 誰もが知るジャズの巨人コルトレーンの、少年時代、軍隊時代、薬物依存、政治活動、そして恋愛と数々の伝説的レコーディングや時代背景にせまるこの評伝コミックの刊行を記念し、大谷能生さんと菊地成孔さんにご対談をいただくことができました。トークの模様はSPACE SHOWER NEWS「菊地成孔×大谷能生 ジョン・コルトレーンを語る」にて放送、このテキストはその全文を収めたものになります。日本人が漠然と抱いているコルトレーン像の虚実を切り分け、その全仕事へと誘われる、いつもながらに読みやめられないお話です。

 まだまだ大型書店さんでは平積みでご展開くださっているので、音楽書コーナーへお立ち寄りの際は、ぜひページをめくってみてください。

いまはグラスパー以降の時代が続いているわけだけど、それに先行するクラブジャズやサン・ラ再評価と連結して、クラバーはやっぱり、カマシ・ワシントンのようなピースフルなものが好きなんだってことがわかったでしょ? それで、その大元がコルトレーン。(菊地)

菊地成孔(以下、菊地):こういうものが出まして……パオロ・パリージ著『コルトレーン』。簡単に言えば、コルトレーンの伝記をイタリア人の若手、といっても30代ですが、イラストレーターが漫画化したものです。昔だったら『スイングジャーナル』(スイングジャーナル社)が出していたんじゃないかというところですが、時代は変わりましたね(笑)。

大谷能生(以下、大谷):意外と英訳もされているし、世界各国で出ている模様です。

菊地:鈴木孝弥さんが訳した、『だけど、誰がディジーのトランペットをひん曲げたんだ?』(2011年、うから)しかり、ジャズ本はスマッシュヒットするからね。で、この日本語版の解説を大谷君が書いているということもあり、これをネタにコルトレーンの話をするということですが、この『コルトレーン』はどうでしたか?

大谷:イタリア人の方が書いていますが、いわゆる定番の話です。要するにコルトレーンはジャズの殉教者(セイント)であると。そして非常に苦労して自分の技術を作っていったという話なわけですよね。それが時代にぴったりきているということも含めて驚きはなかったんですけど、丁寧には描かれているなと思いました。

菊地:そうだよね。いまは悪い時期じゃないというかね。世界的にね。

大谷:政治的にもそうだし。

菊地:それもあるし、いまはグラスパー以降の時代が続いているわけで、彼だけ見ちゃうと現在のジャズがR&Bとヒップホップに吸収されているように感じがちなんだけど、それに先行するクラブジャズやサン・ラ再評価と連結して、クラバーはやっぱり、カマシ・ワシントンのようなピースフルなものが好きなんだってことがわかったでしょ? それで、その大元がコルトレーン。

大谷:スピリチュアル・ジャズだよね。それはそうなんだけど、『ライヴ・イン・ジャパン』なんかCD4枚組なわけですよ。もともとはLPで分散していて、何枚あったかわかんないくらいなものだったわけで(笑)。迫力が違うっていうか、開けたら「マイ・フェイヴァリット・シングス」とだけ書いてあるっていう(笑)。この前の「文藝別冊」のコルトレーン特集(2012年2月)で、菊地さんは亡くなられた相倉久人さんと対談していますね。僕は違うところで、要するに「リキッドルームの夜だと思って聴くといいんだ」という話をしていたんですよ。産経ホールだと勘違いしちゃうんだけど、リキッドだと思えば、ジミー・ギャリソンのベース・ソロが途中で40分くらい挟まっても、あれはチルの時間であると。そのときは飲み物を買いに行けばいいんだっていう話になりましたが(笑)。

これを読んでいて思ったのが、俺が思っているコルトレーンの受容のされ方と同じだなと。イタリアでもそうなのかって思ったわけ。要するに自伝とかインタヴューとかの読み物を読むと全世界的にこうなるのかなと。(大谷)

コルトレーンって65歳くらいまで音楽を探求していたんじゃないかと漠然と思われているじゃない? 40歳で早死にしたとはあまり思われていないんじゃないかと。(菊地)

菊地:この間、慶応で簡単なジャズの話をする機会があって、そのときに一応作ってみたんだけど……。

マイルス
65年の生涯で現役は21歳から44年間(中央にカインド・オヴ・ブルー)

パーカー
34年の生涯で現役は21歳ぐらいから13年間

バド・パウエル
41年の生涯で現役は大体18歳ぐらいから26年間

コルトレーン
40年間の生涯で現役は20歳から21年間

ミンガス
58年間の生涯で現役は21歳から33年間

モンク
64年間の生涯で現役は25歳から30年間(晩年10年は無活動)

ギレスピー
75年の生涯で現役は18歳から57年間

マックス・ローチ
83歳の生涯で現役は20ぐらいから約60年

ロリンズ
現在86歳で存命 現役は19歳から67年目に

オーネット
85年の生涯で現役は20ぐらいから65年間

エリック・ドルフィー
36年の生涯で現役は15年間

アイラー
34年の生涯で現役は26歳から8年間

セシル・テーラー
現在87歳で存命 現役は27歳から60年目にサッチモ
69年の生涯で現役は19歳から47年間

エリントン
75年の生涯で現役は17歳から58年間


大谷:これだけで俺らならずいぶんと喋れますね(笑)。

菊地:あとでネットに上げますね(笑)。いわゆる「コルトレーン昭和」って聴き方があるじゃないですか? 「コルトレーン/昭和/ジャズ喫茶/念仏」という聴き方をするひとが、はたしてコルトレーンが40歳という若さで亡くなっているというイメージを持っているのかどうかって考えちゃうの。

大谷:40ってけっこう若いよね。

菊地:若いんだよ。パーカーが早死にしたのは、ジミヘンとか、後のロック・スターが亡くなるのに似てるんだけど。

大谷:モーツァルトとかキリストとかにも似てるね(笑)。だいたい36歳。

菊地:パーカーや、あとバド・パウエルみたいに頭が割れちゃって病気になったひとは別としてね(笑)。あるいは、ソニー・ロリンズというひとはいまだに現役だからね。そういうなかで、コルトレーンって65歳くらいまで音楽を探求していたんじゃないかと漠然と思われているじゃない? 40歳で早死にしたとはあまり思われていないんじゃないかと。まぁ、イメージは大切なんだけれども。

大谷:著者の住むイタリアでどう思われているのかも気になるよね。イタリアにはライヴハウスはあるけど、ジャズ喫茶がたぶんないわけ。だからこのパオロさんがどういう教育を受けてこれを書いたのか、多少気になるところだよね。おそらくジャズ喫茶でレコードを聴いていたわけじゃないじゃん?

菊地:ただYouTube時代ではあるからね。もちろんヴァイナルで聴いているだろうけど。クラブジャズくらいからはじまって、ロバート・グラスパー以降、日本では“今ジャズ”とも言われたりするニュー・チャプターが出てきた。その流れでジャズをレジェンダリーなものから聴くとなったときに、サッチモからってことにはならないんで(笑)。

大谷:瀬川昌久さんはそれをやろうとして、サッチモの音源を自分でまとめたやつを4枚出しているけどね(笑)。あれがまたすごくて。

菊地:パーカーのダイレクトな大元はルイ・アームストロングなんだっていう仮説ね。わたくしはこの間、サッチモが出ている映画を見ながら瀬川さんと対談しましたね。

大谷:その流れをコルトレーンからはじめるとして、これを読んでいて思ったのが、俺が思っているコルトレーンの受容のされ方と同じだなと。イタリアでもそうなのかって思ったわけ。要するに自伝とかインタヴューとかの読み物を読むと全世界的にこうなるのかなと。

菊地:俺たちの世代だとコルトレーンの伝記はJ・Cトーマスの『コルトレーンの生涯』一冊で決まりだったけど、もう少し精緻なものが出てきた。この本はそれに負っているとあとがきには書いてあるよね。伝記の第一接触というのは、大谷君が言っているようにロマンティックでカリカチュアされている。

大谷:ほとんどベートーベンとかといっしょなわけだからね。「そして、死」みたいなさ。

菊地:「雷鳴に拳を突き上げる」とかね(笑)。

大谷:降りてきたら「第九」ができていたみたいな、やはりそういうノリなのかなイタリア人はと。でも俺らが書いてもこうなるかもね。

極端にいうと、アフリカ世界、アジア世界、インド世界というような大陸との繋がりを、アメリカ国内の有色人種が掴まえていこうとする流れのなかにいたのがコルトレーンなんですよ。(大谷)

菊地:マイルスは65歳で亡くなったから比較的長く生きたと思うんだけど、コルトレーンもマイルスもジャンキー経験者でしょう? それでどっちも肝臓を壊すわけ。マイルスは持病で糖尿病だったけど、コルトレーンは肝臓ガンで41歳で亡くなる。生物学的、医学的にいうと、人生で一度ジャンキーを経験すると長生きできないんじゃないかというか。ソニー・ロリンズは例外だけどさ(笑)。ひとを死に至らしめる力は複合的であり、決定論的じゃないから証明できないんだけど、思うことがある。コルトレーンはラヴィ・シャンカールと4、5年文通して、精神世界にものすごく傾倒したけど、自分のグループをラヴィ・シャンカールに聴かせたらダメ出しされて心が折れたのも関係しているんじゃないかと。この漫画にも書いてあるけど、そのあとコルトレーンはオラトゥンジのアフリカ・センターに献金する。

大谷:感覚的にインドもアフリカも同じと思っちゃうくらい、宗教的で、アメリカじゃなきゃなんでもいいみたいな、イメージの「第3世界」のほうへいっちゃうわけですよね。シャンカールとオラトゥンジはぜんぜん関係ないじゃないですか? そういう大雑把なところがコルトレーンにはあるんだよね。

菊地:うちらが書いた『M/D』(『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究』2008年、エスクァイア マガジン ジャパン)を読み返してみると、……って言ってもみんな細部まで読んでくれないんだけど(笑)。

大谷:読みたいところにたどり着かないまま、迷宮に迷い込んで帰ってこれなくなる本なんで(笑)。

菊地:あれに書いたのが、コルトレーンの音楽には、中東ならびにアフリカ音楽の要素が『カインド・オブ・ブルー』のときからあったんだけど、インドへの傾倒という逸れ方をするってことなんだよね。アフリカとインドの音楽はだいぶ違うから無理がたたり、かつメンターにあたるラヴィ・シャンカールに厳しくダメだしされた。それから『コルレーン』にもあるように、最初の奥さんのナイーマさんとの子どもができず離婚して、のちに精神世界へコルトレーンを引っ張ることになったアリス・マクロードと再婚するわけだ。あと、この本にもちょっと触れられているんだけど、コルトレーンが亡くなる時期っていうのは、ブラック・パンサーとかが出てきたときで、ブラック・パンサーはアフロ・アメリカンなんだけどムスリムなんだよね。

大谷:マルコムXがネーション・オブ・イスラムを抜けて、1965年に暗殺されちゃうじゃないですか? ブラック・パンサーはそこから先の話なんですよね。そのあたりにテロ組織であるとか、白人のほうではウエザーマンが出てきたりという時期と重なっているという。しかも極端にいうと、アフリカ世界、アジア世界、インド世界というような大陸との繋がりを、アメリカ国内の有色人種が掴まえていこうとする流れのなかにいたのがコルトレーンなんですよ。

菊地:この本はさっき言ったようなコルトレーン聴きのひとたちが扱わないようなところにも着目してる。コルトレーンの晩年っていうのは公民権運動の嵐が吹いている時代であると同時に、ボサノヴァとビートルズっていう楽しいものがさ、音楽のマーケットを改革していった時期でもあるわけ。そのタイミングで後者の動きとコルトレーンを比べたときに、パブリック・イメージとしてはどっちかというと公民権運動のほうに近い。“アラバマ”って曲も出しているしね。

大谷:“ブラジル”って曲も出しているけどね(笑)。

菊地:うん。コルトレーンはね、最後はしっちゃかめっちゃかなんですよ(笑)。混乱のなかで死んだんだよね。

コルトレーンはね、最後はしっちゃかめっちゃかなんですよ。混乱のなかで死んだんだよね。(菊地)

大谷:アフリカとインドは混ぜると危険なんだっていう(笑)。音楽的にも相反するし、おそらく政治的にも混ぜちゃダメ。宗教的にもダメ。日本と朝鮮と中国を混ぜるくらいの危険度があるわけ。そのくらいインドとアフリカの相性は危険なのに、そのふたつを混ぜた音楽をアメリカの黒人がやっちゃったら混乱するよね。

菊地:ただそういう混乱があってもファミリー・プロットは大切で、奥さんとの離結婚が後を引いたり、ヴェトナム戦争に心を痛めたり。コルトレーンはナイーヴなひとだからね。ただ、それだけじゃひとは死なないだろうと。そこで最後にコルトレーンに覆いかぶさってきたのがラヴィ・シャンカールのダメ出し。

大谷:シャンカール、悪いやつだね。ジャズ界的には抹殺したいですね(笑)。

菊地:ラヴィ・シャンカールは悪人認定で問題無いと思う(笑)。

大谷:「セックスはいいぞ」とか言ってるんでしょう(笑)?

菊地:そうそう。でもラヴィ・シャンカールがコルトレーンに言った「音楽はこんなに苦しそうなものじゃない」っていう言葉は正しい(笑)。

大谷:「お前は混乱しているんだ」。ホント、その通りだっていう感じだよね(笑)。それで、結果的に混乱の最初の一歩になったのが“マイ・フェイヴァリット・シングス”だってのが私の見立てで。あれって要するに、もともとは『サウンド・オブ・ミュージック』じゃん? あの作品っていうのは、アメリカ人が作ったミュージカルで、ナチス直前のオーストリア付近が舞台の話じゃないですか? アメリカ人が作ったヨーロッパの話で、その時点でファンタジーなんだけど、“エーデルワイス”も“マイ・フェイヴァリット・シングス”もユダヤ系のリチャード・ロジャースが作っている。彼は軽くエキゾ入った歌曲作る天才で、非アメリカを舞台にした『南太平洋』とか『王様と私』とかの音楽も彼の筆で。そんなユダヤ人がニューヨークでミュージカル用に、勝手にウィーンの民謡みたいなものを作るわけ。で、それをコルトレーンがアフロでやる。この段階でかなりおかしいよね。ところがそれが音楽的にすごく成功しちゃうわけじゃないですか? リズムを6/8にして、ウィンナー・ワルツをアフロでやる。しかもそれが晩年まで使われる(笑)。この段階で文化的なポリってものすごいことになっているんだけど。

結果的に混乱の最初の一歩になったのが“マイ・フェイヴァリット・シングス”だと思うわけ。『サウンド・オブ・ミュージック』の文化的なポリってものすごいことになっているんだけど。(大谷)

菊地:さらに言えば、可愛く作られた童謡みたいなマイナーな曲を、Dドリアン一発でやってしまうというね。

大谷:それで成功しちゃって勘違いしちゃったんじゃないかと思うんですよね。実はいろいろ混ぜれるんじゃないかと(笑)。コルトレーンはアフロは出来てるんですよね。“グリーンスリーヴス”とかもアフロ解釈でやれてるし。

菊地:それから“チム・チム・チェリー”もやる。

大谷:『ザ・クラシック・カルテット』の箱を見ると、“グリーンスリーヴス”があって“トゥンジ”って曲があって、“ナンシー”ってスタンダードがあって、もう何がなんだかですよね。“アラバマ”はあるは、“ネイチャー・ボーイ”はあるはっていうね。そして“チム・チム・チェリー”がきて(笑)、“ディア・ロード”があって“ブラジル”もある。全部カルテットでアンサンブルが同じだから気がつかないけど、めちゃくちゃですよね。“ブラジル”から“サン・シップ”まで(笑)。だからラヴィ・シャンカールも「なんだ!」と思うかもしれないですよね。

菊地:ラヴィ・シャンカールが聴いたのは、もっと後期の、演奏がフリーキーなやつだけどね。この本ではラヴィ・シャンカールはひとコマ、レコードが出てくるだけで、彼のことはバッサリ切っているというか。その代わりに、コルトレーンものとしては、マルコムXの演説や、ブラック・パンサーが登場したことに触れているところが特徴。それは精神世界や政治も混ざっているという、60年代の良いところでもあり、悪いところでもあるんだけど。まぁ、ミュージシャンなので宗教的にも政治的にも適当なんだというか。「適当」という言葉が悪いのならば、ファンタジックなんだよね。

コルトレーンものとしては、マルコムXの演説や、ブラック・パンサーが登場したことに触れているところが特徴。それは精神世界や政治も混ざっているという、60年代の良いところでもあり、悪いところでもあるんだけど。(菊地)

大谷:コルトレーンはとくにそうですよね。ファンタジーとしての宗教だし、ファンタジーとしての政治だし。これがマックス・ローチになるとガチでいきますからね。

菊地:政治にも宗教にもガチになったミュージシャンもいる。でも、どんな音楽も宗教的であり、政治的でもあるわけなので、あえて音楽が政治だ、宗教だということを言わなくても、チャーリー・パーカーのようにふざけた曲をふざけた態度で演奏したとしても政治性や宗教性は入ってくる(笑)。逆に言うと、音楽はそのふたつからは逃れられない。なのに「本来は娯楽である音楽を宗教と政治に結びつけたひと」というイメージが固まりつつあるんだよね。コルトレーンだけじゃないんだけど、どんなつまんないミュージシャンでも、……と言ったあとに名前を出すのは悪いんだけど(笑)、たとえばいきものがかりみたいな音楽ですら政治と宗教は入っているわけ。

大谷:男性ふたり女性ひとりってだけで政治的だね。

菊地:いや、ホントそう。

大谷:だいたい途中で男と女のデュオになるじゃないですか? ドリカムしかり。

菊地:それで必ず第三項が入るっていうね。

1961年の『アフリカ/ブラス』ってタイトル、カッコよくないですか? (大谷)
カッコいい。(菊地)

大谷:まったく問題ない! ……で、コルトレーンはこんな状態で“アフリカ”って曲を作っちゃうわけだからさ。1961年の『アフリカ/ブラス』ってタイトル、カッコよくないですか? 

菊地:カッコいい。『至上の愛』ってちょっとベタだけど、それに対して、『アフリカ/ブラス』ってさ……

大谷:そのふたつを並べるの!? っていうさ(笑)。だって大陸の名前とブラスがいっしょになるって、意味がわからないじゃないですか。

菊地:ジャズ・オリエンテッドに言えば、エリック・ドルフィーのアレンジャーとしての腕前がものすごいってことがわかるアルバムだよね。

大谷:彼のアレンジした、木管が入った、あのアルバムのバックのアフリカ感って……何て言えばいいんだろうね。ギリギリ映画音楽にならない、完全なモダンなサウンドっていうか。もっとそのあたりは聴きたかったな。

菊地:この本にも出てくるけど、ドルフィーはコルトレーンよりも早くバーン・アウトしてしまった。

大谷:コルトレーンの周りを固めるひとたちもたくさん出てくるので、わりと個性は捉えられていると思います。マイルスが偉そうだとかね。

菊地:マイルスもメンターだけど、じつはコルトレーンと同い年なんだよね。

大谷:菊地さんが書いていたけど、コルトレーンは指導してくれるひとをずっと欲しがるタイプで、「あなた、もう先生はいらないでしょ!?」って言われるひとだよね(笑)。習わなくてもいいのに学校へ行きたいひとって多いじゃないですか? 指導期間が終わって、「あなたはもう卒業です」と言われた瞬間、途方にくれてしまうというか。コルトレーンは信者体質のミュージシャンの典型例なんですよ。日本には信者体質が多いのかな? そんなことはないと思うんだけど、「こいつのやっていることはわかる!」っていうある種の指導者がいて、その下で真面目にナンバー2を目指して成長する、みたいな話が好きなひとが多いように見えますよね。

コルトレーンは信者体質のミュージシャンの典型例なんですよ。(大谷)

菊地:コルトレーンは典型的な信者体質で、死ぬまでメンターを欲しがっていた。

大谷:そういう自覚がある方はコルトレーンを聴くといいと思いますよ。自覚がなくてもコルトレーンを聴いて「うぉー!」って興奮するひとは、基本的に信者体質なのかなとか。あと学生時分というか、若いひとにはそう時期があるから、ピンとくるかもしれない。真面目にやりたいひとっていうか。モダンの芸術ってさ、どうしても手数を減らすというか、ストイシズムじゃない? あんまりミックスド・メディアにしないっていうか。そういう意味でいうと、コルトレーンはクラシック・カルテットの同じメンツでどんどん進化していくんです。
 ちなみに今日遅刻した理由は、コルトレーンが死んだ月の『スイングジャーナル』を探してて……速報だったんですね。ページをばかっとめくると、いきなり「巨星墜つ」って出てくる。

菊地:これはすごいね。

大谷:表紙がこれで、「なんだこの写真は?」っていう感じなんだよね。松尾伴内に似ているっていう。

菊地:もう松尾伴内に似てないときだね。『至上の愛』のときが松尾伴内がピークだった(笑)。

大谷:これも似てるけど、コルトレーンじゃなくて、チャールズ・ロイドなんだよね(笑)。

菊地:いろんなやばいことが載ってるんだけど、ジャズのものを読みたいひとが読みたくないものばっかり載っているから。

大谷:このひととこのひとがのちにヤバくなるっていうね。(スイング・ジャーナルのグラビア・ページに、白木秀雄とジミー・ギャリソンの写真がある)。

菊地:これは言えませんよ(笑)。

大谷:どちらも死んだときは女装していたっていう話……。それで、コルトレーンの訃報が日本に入ったときに、日本で出た最後の日本盤は『クル・セ・ママ』だったんだって。ちょっと軽い驚きというか。これが最後だったら、やっぱり来日時の音にはビックリするよね。『至上の愛』のあとにはこれしか出てないってことで、まあ、ふつうに考えたら、一年に4枚もアルバムを出さないからね。これは大変なことですよね。ずいぶんと変わる。われわれが今日持ってきた盤にはコルトレーンの死後に出たものも多いよね。

菊地:俺はコルトレーン発掘音源3部作と呼んでいるものがあって、まずは有名な57年のセロニアス・モンクとのカーネギー・ホールでのライヴ録音。音源が物置にあったってやつ(笑)。それから、ファイヴ・スポットで演奏していたときの記録。あと2010年に出た63年のシュトゥットガルトのライヴ録音。これも1曲1時間コースで、死してなお、そういったものがどんどん出てくる(笑)。

大谷:格調高いと言われる『至上の愛』だけど、『アセンション』はめちゃくちゃ(笑)、『メディテーション』は過渡期(笑)、ライヴ盤、ヴォーカル入り、どんどんいろんなことをやっている。

コルトレーンは変わっちゃってから来日した。もとはハードバップをバリバリにモーダルに吹くひとっていうオーバーグラウンダーのイメージだったのに、アンダーグラウンダーになってから日本にやってきたので、みんな混乱しただろうね。(菊地)

菊地:66年にはビートルズの来日があって、それと逆相を取っているっていうかさ。コルトレーンと関係のない話だけど、ビートルズって、本当はあの段階では『サージェント・ペパーズ』とかを出すときだったんで、リチャード・レスターの映画の感じではなくなっている。でも来日公演ではギリギリ、映画に出てくるアイドルの格好でライヴをやったおかげで、日本人は混乱しなくてすんだんだよね。髭を生やすわインド音楽をやるわってタイミングと、コルトレーンは一手違いっていうかさ。コルトレーンは変わっちゃってから来日した。もとはハードバップをバリバリにモーダルに吹くひとっていうオーバーグラウンダーのイメージだったのに、アンダーグラウンダーになってから日本にやってきたので、みんな混乱しただろうね。

大谷:そうですね。それで、その一年後にはもう死去っていう。「信じがたいことではあるが、受け入れなければなるまい。しかし、時間がかかる」って書いてある。

菊地:ははは。親じゃないんだから(笑)。

大谷:「父の死を知らされたら、きっとこんなショックを受けるだろう」、そりゃそうだろうね。でもコルトレーンは40歳だから、そんな歳じゃないよっていう。

菊地:偉大なひとってイメージがあるからね。信者体質のひとって、作用反作用みたいな感じで教祖になってしまう。だけど、実際のところコルトレーンはメンターが欲しい信者体質なので、教祖として扱われたことも心身に大きな負荷がかかったと思うのよ。マイルスがセレブリティ扱いされることは、彼の心身には何の負荷も与えない。むしろ健康にした。だから、コルトレーンを引っ張っていくひとが常に現れることが、彼にとっていちばんよかった状態なんだよね。

大谷:意外と、ひとそれぞれに的確な配置ってものがあって、たとえば俺、先生をやっていると調子悪くなるんだよね。

菊地:俺は先生をやっていると調子いいね。

大谷:菊地さんは初等教育に対する情熱がすごいよね。

菊地:高等教育に対する情熱もすごいよ(笑)。

大谷:いやいや(笑)、そうだけど、初等教育って高等教育のためにあるって考えるひとが多いじゃない? 菊地さんそうじゃないからね。初等教育にはまったく違う喜びがあるんだっていうか。そういうのが向いているひとと、そうじゃないひとがいるし。あと、毎日同じ場所へ行くのが向いているひとと、向かないひとがいるし(笑)。

菊地:作業を一本に縛りたいひとと、バラバラにやりたいひとがいるし。

大谷:そういうものが体質か培ったものかはわからないですけれど、調子が悪いなって思うひとは自分の生活とか、指導者とかを見直してみるといいかも(笑)。

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簡単に言うと、また神格化が起こっているんだよ。(菊地)

菊地:それからこの本がele-king booksから出てくるってこと。もう死語だけど「クラバー」と呼ばれているひとたちがさ、やっとジャズをネクスト・レベルのものとして捉えるようになり、クラブジャズはハードバップのダンス・ミュージック形だということも知っちゃったいま、ピース系やフリー、スピリチュアルなものを聴いて高揚感を得ることがクラブの効用で、その源流にコルトレーンがあることから、この漫画が出たことは……

大谷:そうね。『スイングジャーナル』がないからあれだけど。もうジャズ・メディア最後の宝ですよね(笑)。

菊地:簡単に言うと、また神格化が起こっているんだよ。アリス・マクロードとくっつくのは必然的だから難しいけど。

大谷:一応ね、われわれの啓蒙活動もあり、ポリリズムの話もわりと通用するようになったじゃないですか? コルトレーンはアコースティック・サウンドで、ベースがあって、4ビートでいっしょだから、リズム構造がわからない状態で聴いているひとが多いでしょう? たくさんの作品があるんですけど、それぞれけっこう違う。いちばんアラブに寄っているものとか、けっこうめちゃくちゃになっているのとか(笑)。『ライヴ・イン・ジャパン』を聴いていて思うのは、混乱したまま進んでいるときと、スカッとやっているときがあったりとか。

菊地:メンターがほしいひとっていうのは、いつまでたっても弟子でいたいわけなので、言葉はあれだけど、ファザコンな娘さんがいつまでも小娘でいたいっていうかさ。比較的幼稚なことをコルトレーンがしているのを、昭和のコルトレーン聴きのひとは絶対に認めないっていうか(笑)。コルトレーンが“チム・チム・チェリー”にまで手を出していたことを見て見ぬふりをするっていうか。

大谷:「これはなかったことに」ってのがコルトレーンは多いんだよね。

菊地:「なかったことにする」っていう人間の心的営為はね、年々重要度を増していると思うんだよね(笑)。SNSが発達したりとか、過去のテキストを読んだりっていうときにね、見たくないものをなかったものにする。チャーハンのなかのネギやグリーンピースは取っちゃうみたいなさ(笑)。大人買いに対する子ども食いっていうかさ(笑)。
 あと、有名な話で、『ブルー・トレイン』のジャケットのコルトレーンはじつは飴を舐めていたっていう。これ、作者は気づいて書いてる?

有名な話で、『ブルー・トレイン』のジャケットのコルトレーンはじつは飴を舐めていたっていう。これ、作者は気づいて書いてる? (菊地)

大谷:これはね、気がついてないですね。描き方がそう。

菊地:あれは亡くなった中山康樹先生の卓見っていうかね。

大谷:あれは棒付きのキャンディを舐めているんじゃないかという説があって、その目で見ると随分と印象が変わって見える。実際に棒がちゃんと写っているんですよ。

菊地:哲学的な思慮深いジャケットってことになっているし、あと『ブルー・トレイン』っていうくらいだから、青いフィルターを通しちゃっているから見にくいけど、じつは飴食ってんじゃないかと(笑)。

大谷:そう思うと、この本の絵は目が点になってますけどね。

菊地:この漫画は作画上、全員の目が点になっていて、すべてのメガネが白になっている。で、ブラック・パンサーだけ黒いんだよね。俺は漫画評論なんかやるわけじゃないけれど、ひとつのフォーマットを置いてますよね。あと筆者自身があとがきで書いていますが、当たり前のことだけど、これは伝記としておもしろくするために多少のフィクションは自覚していると。たいしたことじゃないんだけどね。ボブ・シールの着任を1年ズラして書いているから、クリード・テイラーに〈インパルス〉へ引っ張られたというのが抜けるんだよね。マイルスにおけるテオ・マセロとは言わないけれど、ボブ・シールは大変なパートナーになっていくわけで、そこを史実よりも1年早く書いている。それを含めて、これはフィクションとして読んでほしいと。そんなこと言われても相当伝記なんだけどね(笑)。
 コルトレーンが意外と早く亡くなっていることと、その負荷になった理由は、昔麻薬をやっていたから体が弱かった、というだけではすまない。やっぱりストレスは大きい要素だからね。早婚の妻を捨てて、自分のメンターであるアリス・コルトレーンに向かったっていう。俺はアリス・コルトレーンが好きだけど、アリスをオノ・ヨーコさん扱いするひとがいるんだよね。オノ・ヨーコさんも俺は好きだよ(笑)。要するに、インテリでスピリチュアルな女性を、子どもっぽいアーティストが奥さんとしてメンターにしていくことの典型例というかね。それに対して、何度も言うけど、昭和マッチョのジャズ聴きたちは、あんまり問題にしていなかったというか。子ども聴きでそのことは抑えちゃう。でもこの本は、そこを丁寧に描いていて、それはさすがイタリアっていうかさ。

大谷:うん。恋人の影響は大事だよって。奥さんをメンターにするというか、アーティストにはそういうひとが多いですからね。マネージャーが嫁とか。

やっぱり、デザイン的にうちらはもっと知っているなと思うんだよね。〈ブルー・ノート〉や〈プレスティージ〉のトリミングの仕方とかね。タッチはいいとして、これを描くんだったら〈インパルス〉のデザインでやれよって思うところもあるわけ。(大谷)

菊地:でもアリス・コルトレーンとオノ・ヨーコさんはそれどころじゃないからね(笑)。ジョン・レノンとジョン・コルトレーンというふたりのジョンの人生を変えているわけで。ジャズはすごくホモ・ソーシャルな世界で、そこをまだぬけていない。ヒップホップですら現在柔らかくなってきたんだけどね。

大谷:付き合っている女で人間が変わるということを認めたがらないバンカラな感じだね。あと、漫画を読んでいて逆説的に気づいたのは、渋谷系はコンテンポラリー・プロダクションのデザインのパワーがすごくイメージ作りに大きくて、たとえば昔のレコード・ジャケットの名作をリアレンジしてカヴァー・イメージを作ったりしたじゃないですか。それがやはり秀逸だったんだなと。この漫画を見ると、基本的にコマはレコード・サイズで全面的にやってるんだけど、その二次創作具合が甘いっていうか、デザイン的には日本の方が全然進んでるなって。〈ブルー・ノート〉や〈プレスティージ〉のトリミングの仕方とかね。タッチはいいとして、これを描くんだったら〈インパルス〉のデザインでやれよとかって思うところもあるわけ。字をどこに置くかでも印象は変わってくるじゃない? でも残念ながら、イタリアには渋谷系はなかった(笑)。信藤三雄さんがいなかったから、そういうデザイン感覚がないのかなーとかね。キャラ化も含めて、日本の二次創作ってすごいじゃない? 日本で漫画化したら、コルトレーンもキャラ化しそう。そういう意味で日本は特殊なんだなと思いました。

菊地:さっき言ったけど、クラブへ行ったひとが、EDMは空虚だって思ったときに、何か空虚じゃないものを求める。俺はEDM好きだけど、たぶんそこで求められるのは、コルトレーンの精神性と同じものなんだよね(笑)。宗教的でもあり政治的でもあるということから、EDMとは違った、内実のある音楽としてコルトレーンを拝めていくということなのかなと。この作者は80年生まれでしょう? 95年に15歳だから、クラブ全盛期世代なわけだよね。日本だと野田努さんとかもさ、俺たちが東大に呼んでよせばいいのにジャズの話をした(笑)。「おれはジャズのことなんか何にもわからない」って言ってた(笑)。さらに、イギリスのクラバーにとってジャズなんか、ブラック・ミュージックのフィクションなんだってハッキリ言った人間が、いまはもうカマシ・ワシントンみたいなものにどっぷりっていうかさ(笑)。やっぱり人間、子どもができるとそうなるもんですか、みたいな。

大谷:野田さん、スタイル・カウンシルならわかるんだけど、って言ってたじゃないですか、とか。

菊地:一生デトロイト・テクノでいいって言ってたのにね(笑)。セオ・パリッシュが新譜を出したのはいいんですか? まぁ、俺が『ele-king』読んでないだけで、何か言ってるんだろうけど。

大谷:まぁ、ヨーロッパ経由のジャズっていうイメージがよっぽど変わるよね。

「私は聖者になりたい」は、真に受けるものではないっていうさ(笑)。

菊地:逆にアメリカだけにこれがないっていうか。アメリカの外側に広がる、クラブでジャズを聴くってひとたちに対して、いちばんストイックでいちばんスピリチュアルな役回りを負わされていて、本人も実際に負わされていたところがあるんだよね。だから、やっぱり負荷がかかっているよね。

大谷:みんなにそう言われたら、コルトレーンだったらそう答えるよね。

菊地:答えるだろうね。それに、このひとはモンクとやっているときがいちばんのびのびしてるんだよ。モンクがメンターだから。マイルスとやっているときもすごいんだ。あと、メンターじゃないんだけど、エリック・ドルフィーが隣にいてくれたときも相当心強かったと思うよ。『アフリカ/ブラス』もそうだし『オレ!』もそうだし。ところが先に死んじゃうからさ。モンクも頭がおかしくなってしまいますし。マイルスとはつかず離れずだったけどね。だから、自分の体質に合わないパブリック・イメージを背負わされ続けると、すごく負荷になる。自覚される誤解によって苦しむことは、逃げ出せるからそんなに負荷じゃないんだけど、コルトレーンはそれを自分で背負ってしまって、自分の体に向いていないことを、神輿に乗せられてやっちゃうっていうのがコルトレーンの最晩年だよね。だって4、5年ズレていたら公民権運動もこうなってはなかったし、第3世界の音楽がアメリカにとってどうのこうのってふうにもなってなかった。

大谷:あと4、5年生きていれば……たとえばチック・コリアが「永劫回帰(リターン・トゥ・フォーエバー)」とかって言い出すし、ショーターも入信するわけでしょう? その時代に突入していたら意外と大丈夫だったかもね。

菊地:あと藤岡靖洋先生がやたらと、自著やいろんなところで言いたがる、コルトレーンが来日会見で言った「私は聖者になりたい」は、真に受けるものではないっていうさ(笑)。「もう悪いことはやめます」って言っているだけだっていうさ。

大谷:あれは後ろに「(笑)」をつけるのがちょうどいいんだっていう。「私は聖者になりたい(笑)」。

菊地:そのことも漫画のなかには何もないよね。大谷君がキャンディ話とその話をあとがきで指摘しているけど。ただ、伝説を信じたいひとは、それを破壊されるのが怖いから、伝説破壊的な言説をすると、袋叩きに遭うじゃない? だからコルトレーンがメンターが欲しかった体質だったっていう、よく見ると誰でもわかる現実なのに、それを言うだけで特定のひとに嫌がられると思うんだよね。だからわざわざ嫌がられることをウェブに載せたり、スペース・シャワーTVで話してもね……(笑)。

大谷:だんだんそうなっちゃいますよね。最後に組んでいるドラマーなんてラシッド・アリだよ(笑)。みんなわかってんの(笑)?

マイルスはクールにモードになっていって、コルトレーンはホットにモードになっていった。それがフリー・ジャズと直結しちゃった。さらにはギャラクティック・ソウルというか、銀河に想いを馳せるてしまうというね。(菊地)

菊地:俺なんて2005年の時点で鈴に気をつけろってあんなに言ったのに、この漫画のはじまりはドラだからね(笑)。(※編集部注 ラシッド・アリとのデュオによる『インターステラー・スペース』では曲の冒頭に鈴の音が入る)

大谷:コルトレーンはドラは叩いてない。鈴まではいったけど(笑)。演奏の最後にドラをバーンって叩いたら面白いけどね(笑)。

菊地:そういうバンドは他にはいっぱいあったからね。

大谷:ディープ・パープルとかレッド・ツェッペリンと間違えてんじゃない(笑)? プログレ・バンドのドラマーのうしろにはなんでドラがあるんですかね。コルトレーンのバンドがやったら面白いけど。

菊地:ドラを叩きそうな勢いだったけどね。最後はバタドラムといっしょにやってるし(笑)。民族楽器を使ってワールドへ行くところだったんだよね。普通にエチオピアン・ジャズみたいなさ、「コルトレーンの影響なんて知らねえよ」って感じのファンクに毛が生えたみたいなアフリカのジャズって、いっぱいあんのよ。「エチオピアン・ジャズ コンピ160」とかさ(笑)。

大谷:しかもほとんど60年代後半でコルトレーンと同世代。

菊地:あんな感じでアフリカだって言いながらサックスを吹いていたら、もうちょっといけただろうね。

大谷:写真を見ればわかるわけで、コルトレーンはアルトも吹いていたからね。なのに意外とみんな子ども食い、子ども聴きしてしまう。どう考えてもジャケットにはアルトを吹いている姿が映っているでしょっていう。コルトレーンは「ヤマハからもらったアルトをずっと吹いていました」って言っているし。

菊地:来日ライヴね。もらってうれしかったんだね(笑)。

大谷:もらってうれしくて、その晩に使っちゃうっていうのも子どもっぽいね。コルトレーンを聴くときは、そういうところも確認してほしいんですよね(笑)。この写真なんて、「はい、先生」みたいな感じじゃないですか。はっきりと師匠と弟子の関係ができている。

菊地:この段階で学生みたいな顔ができるっていうね(笑)。あとは、ビーバップに対するモーダルみたいなものを、独力で身につけたでしょう? マイルスと手に手を取ってと言ってもいいんだけど。モードについて説明をすると、ものすごく時間がかかるからね。ジョージ・ラッセルやマイルスを含むモーダリストっていうかさ。バップを超えてモードへ行くっていうことの月と太陽っていうか。マイルスはクールにモードになっていって、コルトレーンはホットにモードになっていった。それがフリー・ジャズと直結しちゃった。さらにはギャラクティック・ソウルというか、銀河に想いを馳せるてしまうというね。

コルトレーンは宇宙船に乗らなかったことで、神話性が消えてないっていう。(大谷)

大谷:サックスの奏法の話でいうと、コルトレーンはダブルリップで、上を巻くじゃないですか? 歯が悪かったのかもしれませんね。この漫画ではそこは意識しているように見える。あとモードのサックスのタンギングをするのに、シングルじゃなくてダブルタンギングで切っていくやり方。マニアックな話ですが(笑)。

菊地:バップはハーフタンギングだからね。

大谷:昨日けっこう音源を聴き返していたんだけど、58年の時点でずいぶんとフレージングが違うなと。

菊地:元祖ワールド・ミュージックだよね。『カインド・オブ・ブルー』なんてまだまだジャズっぽいだろうと油断して聴くと、あの段階でエチオピア民謡みたいになっているからさ。相当モードだよね。

大谷:マイケル・ブレッカーの『ドント・トライ・ディス・アット・ホーム』の一曲めってさ、スコットランド民謡みたいなやつじゃん? EWI使って。ああいう方向もあったんだろうなっていうね。変なワールド・ミュージックという意味でいうと、ブレッカーはコルトレーンを受け継いでいるっていうか。

菊地:サキソフォンって楽器が新しいからね。いろんな奏法ができるから。擬似民族楽器としても使える。

大谷:アラブの笛や、ティンホイッスルみたいな、あんまりタンギングしないでも使えるっていうか。このあたり吉田隆一氏が詳しいですけど。

菊地:両巻きはチャルメラの吹き方と同じだからね。

大谷:そういう要素がサックスのなかに混ざっているので、けっこうやり散らしているなと。

菊地:早い段階から民族音楽的ではあったと思う。それはモードだから。パーカーはぜんぜんモードじゃないからね。そこからモードのやり方に向かっていく時点で、時限爆弾は仕掛けられていたというか。最後の方にやり散らかしのレリジョン・ミックス、もしくはエスニズム・ミックスみたいになっているというね。

大谷:簡単に言うと『スター・トレック』というかさ(笑)。「宇宙にはなんでもあるんだぞ?」っていう状態になっていく過程で、亡くなったようなところがあったもんね。

菊地:ミクスチャーされた状態を、なんとなく宇宙ってことでいいんじゃないかっていうふうに、コルトレーンはできなかったんだよ。リアルなので。その点では殉教の感じがあるし、リスペクトせざるをえないっていう。ギャラクティックな方向へ行っちゃうと、「お気の毒」っていう気持ちから「面白い」って気持ちになっちゃうからね(笑)。たとえば、サン・ラやジョージ・クリントンにはコルトレーンみたいなリスペクトは抱けない。違うリスペクトなら抱けるんだけどね。

大谷:コルトレーンは宇宙船に乗らなかったことで、神話性が消えてないっていうね。

コルトレーンは宇宙船が救いにこなかった。だからシリアスなんだよ。宇宙船がきちゃったら笑えるから。笑えるってことは素晴らしい癒しであり、赦しであるわけで。(菊地)

菊地:もうちょっと体調がよかったらコルトレーンが宇宙船に乗ったかどうか、誰にもわからないね。だけど、コルトレーンのすぐ後のひとたちは、宇宙船にも乗ったしね。アルバート・アイラーみたいにすぐに死んじゃったひともいるけど。アイラーなんてチャーリー・パーカーと同じで34歳で死んでいるんだから。現役8年間。コルトレーン以後のブラック・ミュージックが、アメリカ国内で迎えたレリジョン、エスニズムとポリティクスの混乱を、音楽家という本来は快楽的でバカなひとたちがなんとかまとめようとしたときに、宇宙にしてしまう(笑)。サン・ラの『サン・ソング』っていうさ、ハーマン・ブラントがサン・ラに変わった瞬間のアルバムとね、カール・グスタフ・ユングの絶筆『空飛ぶ円盤』って本が1年違いで出てるの。もうちょっとくっついていたら、ユングはおそらく臨床例として、サン・ラを挙げていたかもしれない。自分のことを土星人だと思っているんだから(笑)。『空飛ぶ円盤』は翻訳で読めるんだけど、やっぱ運命の糸を感じざるをえない(笑)。野田くんの『ブラック・マシン・ミュージック』(2001年、河出書房新社)の大きなテーマになっていくギャラクティカという問題はさ、レイヴから繋がっているじゃん? 要するに、大麻だとか、ドラッグを使って飛ぶのだと。それで山のなかで音楽を聴いて、クサを食って宇宙へ行った気がして現生から逃げるという欲望がさ、白人や黄色人種どころじゃなかったでしょうな、というね。

大谷:宇宙に行きかけたひととしてのコルトレーンだね。

菊地:鈴も鳴らしたし、お寺まで行ったからもう一歩だったんだけどね(笑)。ただ、コルトレーンの場合は宇宙船が迎えに来なかった(笑)。

大谷:これは死んだ後に出たやつだからな(「インターステラ・スペース」)。よく見るとここらへんに宇宙船が写っていたりして(笑)。

菊地:それは矢追純一イズムでしょう(笑)。写っていないものが見えてくる。……結論としてはコルトレーンは宇宙船が救いにこなかった。だからシリアスなんだよ。宇宙船がきちゃったら笑えるから。笑えるってことは素晴らしい癒しであり、許しであるわけで、ジョージ・クリントンがあんな格好をしてるよとか、サン・ラっていう土星人は泣けるよねっていうのは赦しがあるんだけど、コルトレーンは赦されなかった。

大谷:サン・ラとかアルバート・アイラーみたいな格好をして出てくればよかったのにね。それにも間に合わなかった。

宇宙まではあと一歩。(大谷)

菊地:アリスがしてあげればよかったのに、惜しいところだったよね。全部を一気にアウフヘーベンして、しかもギャラクティックではなく、ストリートなまま政治や宗教の混乱の負荷を受けてしまって、一種の殉教者みたいになって。いつまでたってもコルトレーンを神格化するひとがいる原因はそこにある。音楽のなかからそれが読み取れるなら、コルトレーンにとってはそれがいちばん幸せなんだけど、音楽の構造分析的には読み取れないんだよね。聴いた感覚ではわかるんだけど。そりゃ、1曲1時間もやったら誰でも飛ぶよ(笑)。

大谷:だからリキッドで立って聴くのがいいんだよ(笑)。

菊地:ジャズ・クラブで座って1時間聴いていたらたまったもんじゃないよね。産経ホールはやばかったでしょう。あの知的な相倉先生だとか、あらゆる知将たちがコルトレーンが聖人だって物語には乗っているからね。悪いというわけじゃなくて、ヒップなひともいたと思うの。コルトレーンの最後は若気の至りで、〈ブルー・ノート〉時代がいちばんよかったよなってひともいっぱいいたと思う。いまそうじゃなくて、円盤が迎えに来なかった殉教者としてのコルトレーンがクラバーにもてはやされているのが現状っていう。

大谷:もてはやされるといいな。

菊地:ははは(笑)。

大谷:まだ予断は許されない。この一瞬で消え去るかもよ。

菊地:でもみんなコルトレーンは聴かないんだよ。甥っ子であるフライング・ロータスを聴く。コルトレーンの血脈がラヴィまで含めていまのクラブ・シーンに繋がっているけど、それは全部ぶっ飛ぶ音楽だから、そういう意味で先駆だよね。

大谷:フラローのおかげでロスまでは来てるから、宇宙まではあと一歩。カルフォルニアには(UFOが)よく来ているからね(笑)。

Melt Yourself Down - ele-king

 6月は丸々ベルリンに行っていたのですが行きの飛行機が途中で欠航してしまい、結局成田~アブダビ~ローマ~ベルリンと4つの空港を経由してドイツにたどり着いたところ当時フランスで開催中だったユーロ(サッカー)2016に当たり、首都ベルリンでは随所に各国のナショナル・フラッグがはためいておりました。自分はトルコ対クロアチア戦があった日にうっかりクーダムという目抜き通りに行ってしまい、どちらかの国旗をたなびかせてクラクションを鳴らしながら暴走する車が果てしなく続く(どこにもドイツが含まれていないのに何だこの盛り上がりは)という頭がおかしくなりそうな光景のなかで、英国でMelt Yourself Downがデビューしたときの「57年のカイロ、72年のケルン、78年のニューヨーク、そして2013年のロンドン」というキーワードと、彼らの音を思い出していた。

 2013年に自身のバンド名を冠したデビュー盤『Melt Yourself Down』を初めて聴いたとき、メキシコのテクノ音楽集団、Nortec Collectiveとも共通する妙な高揚感が沸き上がってきた。音はたしかに間近で鳴っているのに若干ずれてやって来るというか、例えば不意にどこかから聞こえてきた祭囃子が意味不明に格好いいぞ、といった類の感覚に近く、音の出所を探しながら耳から体が動いてしまうような音楽である。耳を塞いでも入って来てしまう騒音や、興奮して旗を振り回す人と警察が小競り合いをしているような喧騒を目の前にしたりすると対抗して自然と脳内再生されてしまう音楽、というものからはどこかしら似た匂いがする。

 最近発表された彼らの新作『Last Evenings on Earth』では前作に引き続き、それぞれ独特な「声」を持ったヴォーカル・サックス・パーカッション・ドラム・ベースが世のなかのあらゆる喧騒に拮抗している。踊りだしたくなる、というよりは脚が独りでに歩きはじめてしまいそうになるビートが痛快な1曲目“Dot to Dot”で始まるこのアルバムにおける楽隊のなかでもとくにサックスの雄弁さは甚だしく、8曲目の“Body Parts”などは吹くのを止めて喋ったほうが早いのでは、というくらいの人語ぶりであるし(何を言ってるのかはわからないけれど何となく言いたいことはわかる、とでも言いますか)、5曲目の“Jump the Fire”に至ってはまるで超アグレッシヴな電子チンドン屋のようである。

 そのMelt Yourself Downと在籍メンバーが重複するThe Comet is Comingのデビューアルバム『Channel the Spirits』の曲名や公式サイトの文章を見たりすると(たしかにMelt Yourself Downとも違ったヴァーチャルな空間で鳴っているかのような音ではあるけれど)、こういう「スピリチュアルなコンセプト」みたいなのはサン・ラーやアリス・コルトレーンの頃から大して変わってないのか? と思いそうになりますが、実際に音を聴けばこれが紛れもなくその後の数十年を経過した現在の音楽である事がわかる。例えば3曲目の“Journey through the Asteroid Belt”の、ほとんど手癖で仕上げたのではないかとすら思える進行の素晴らしさは、先行する楽曲の系譜を抜きにしては捉えられない(自分が真っ先に思い出したのはラテン・プレイボーイズ)。

 マット・デイモンが(不承不承ながら)火星ひとりぼっちで80年代ディスコ・ミュージックを聴き倒していた映画『オデッセイ』を思い起こしてみても、宇宙船の外に投げ出された人間は音を聴いている場合ではないし(そもそも空気が無い)、アクシデントで音楽が不意に止んでしまったとき、そこに静寂を感じている余裕があるのかどうかも怪しい。にも拘らずそんなギリギリ緊急事態発生中の境界線(の隣)をすっとぼけた顔をして横切って行く楽隊が居るとすれば、それは彼らのようなバンドなのかも知れない。ベルリン滞在中「英国、EUを離脱」などというニュースが入ってくるなか、そんなことはお構いなしにドイツが得点するたび住んでいたアパート(ベルリンのゲイエリアど真ん中)の至近距離で花火が炸裂するので自分らは怯えていたものでしたが、和むかどうかは兎も角として各人がやりたいことをやりたいようにやっているだけである。

 さて日本人としてはこの音を夏の盆踊り会場で聴きたい。ライヴ会場でステージに正対して拝聴、という感じではないし、かと言ってクラブで踊る音としてはスペースが足らないかもしれず(何と言うか、聴いている場所からふらふらどこかへ移動したくなる音なのだ)、何より櫓の上で生演奏をしている周りをぐるぐると廻りながらいつでも離脱可能な気楽さが欲しい。そんな盆踊りをやってくれる自治会も無いでしょうが、こういうのでも喜んでくれるご先祖様(溶解人間たち)が何処かに隠れているかも知れません。

 着々と続報が入っている。渋谷スペイン坂のあたりをよく行き来している人ならすでお気づきのとおり、インディ・ロックからエクスペリメンタルなエレクトロニック・ミュージックまで、角度のついたイベントを多数発信してきたライヴハウス〈WWW〉が、2号店をオープンする。

 こけら落としはceroのワンマンから。国内の優れたアーティストたちの名の間には、フローティング・ポインツからザキール・フセインまで顔をのぞかせる個性的なラインナップだが、第2弾の発表も、D.A.NやSeihoからホーリー・ファックに、Shing02、Kan Sano(Seiho with Kan Sano)、はちみつぱい×ジム・オルークに爆音映画祭と、さらに賑やかかつインディ・シーンの混淆ぶりがナチュラルにとらえられており、多くの音楽ファンにとって横断的に楽しめる期間となりそうだ。

 神聖かまってちゃんにはじまり、2010年以降の音楽の「いま」をとらえつづけてきた同所の、次の展開に期待が集まる。

 株式会社スペースシャワーネットワーク(代表取締役社長:清水英明、本社:東京都港区)が運営する渋谷・スペイン坂のライブハウス「WWW」は、2016年9月1日(木)、1号店が入居するライズビル2F、映画館シネマライズ跡地に2号店「WWW X」(読み:ダブリュダブリュダブリューエックス)をオープンいたします。

 そして、9月1日(木)のこけら落とし公演<ceroワンマン>を皮切りに「WWW X」オープニングシリーズを開催いたします。「WWW」1号店から歩みを共にして来たバンドや、来日が熱望されていた海外アーティストの貴重な来日公演など、先鋭的な表現から時代を超える伝承まで、音楽の多様性を実感できるジャンルレスで個性豊かな”いま、ここにしかない”ラインナップが揃いました。

 チケット情報など各公演の詳細はWWW HP(https://www-shibuya.jp/)にて随時情報を更新して参ります。

■WWW X Opening Series LINE UP
※(new!):第2弾発表公演

9/1(木) こけら落とし公演 「cero ワンマンライブ」
8/27(土) プレイベント SUMMIT Presents."AVALANCHE 6"
9/3(土) はちみつぱい × ジム・オルークと命拾い(new!)
9/6(火) 蓮沼執太『蓮沼 X 執太』
9/7(水) 神聖かまってちゃん
9/8(木) ORIGINAL LOVE x Suchmos(new!)
9/9(金) GOMA & The Jungle Rhythm Section
9/10(土) Yogee New Waves x YOUR SONG IS GOOD(new!)
9/11(日) Only Love Hurts(a.k.a.面影ラッキーホール)(new!)
9/15(木) Zakir Hussain
9/17(土) Shing02 & The Chee-Hoos / 田我流とカイザーソゼ / Kojoe & Aaron Choulai Quintet(new!)
9/18(日) BRDG#7(new!)
9/19(月祝) 高木正勝コンサート”山咲み"
9/20(火) ANDERSON .PAAK & THE FREE NATIONALS(new!)
9/22(木祝) D.A.N. x Seiho with Kan Sano,松下マサナオ(new!)
9/26(月) Holy Fuck(new!)
9/30(金) never young beach
10/1(土) 爆音映画祭2016 特集タイ|イサーン(new!)
10/2(日) ミツメ
10/7(金) Floating Points (band set)
10/16(日) downy(new!)
10/29(土) Ryoji Ikeda x Merzbow

and more!
第3弾発表は8月を予定しております。

Björk Digital - ele-king

 会期が残り一週間を切ってしまったのだが、このタイミングで、改めて未見の方は日本科学未来館で開催中のVR展示プロジェクト「Björk Digital―音楽のVR・18日間の実験」に足を運んでみることをお勧めしたい。タイトルに「18日」とある通り、そもそもこの展示は6月29日から7月18日(月・祝)と会期が極めて短い。それだけにこれは貴重な機会である。

  6月の頭に日本科学未来館の案内があり、気になっていたものの、なんとなく取材を申し込むのを先送りにしてしまっていた展示だった。私事で恐縮だがフリーランスの身の上なので、媒体が先に決まっているものではない、純粋に自分の興味からの取材はどうしても後回しにしてしまいがちなのである。ようやく時間が取れそうだとなったのが、プレス向け展示体験会の3日ほど前。日本科学未来館に問い合わせると、前日28日には「Making of BjörkDigital-公開収録&トーク-」というBjörkが出演するイベントもあるとのこと。Björk本人の質疑に参加できる機会があるなら是非と思ったが、そもそもその時まで、その情報を知らなかったわけで、現実はそんなに甘くない。こちらは担当がDentsu Lab Tokyoだったのだが、丁寧に対応してくれたのものの、キャパシティの限界で取材は叶わなかった。取材が殺到していたようだ。Björkだから仕方ない。
 そういった事情もあり、なんとなく残念な気持ちがあったものの、今回の展示の目玉であるBjörk Digitalの『Vulnicura VR』をいざ体験してみると、力強い感動でそんな残念な気持ちはまったく消え失せてしまった。『Vulnicura(ヴァルニキュラ)』 はBjörkのアルバムで、「VR」はヴァーチャル・リアリティのことだ。

「もしかしたら人類の一つの感覚を変えるかもしれないVRという技術を、非常にエモーショナルな体験をもたらす音楽に取り入れる実験。(VRは)日本ではほとんどゲームコンテンツが中心ですが、音楽にどれだけ可能性があるのか体験して頂くとわかると思います」
 日本科学未来館・展示企画開発課長の中野まほろさんは、今回の展示のVR作品についてそう説明した上で、また今回の展示のVR作品のコンセプトを伝えるBjörkの言葉を混じえて紹介してくれた。
「プロモーションビデオなら四角い画面で1対1、ライヴは同時環境を共有できるが、例えば武道館ではアーティストが小さく豆みたいになって、繋がるという感覚はなかなか得られない。VRはどんな仮想現実環境も作ることができて、インターナルな思いや、あるいは表現したいもの、リスナーと繋がりたいという気持ちを実現できるメディアであるという可能性を(Björkは)感じている。もうひとつ、技術的な話ですが、365度の空間を再現するという意味では、VRは昔のコロッセウムみたいなシアター空間を再現できるメディアだと考えている。そういった新しい表現空間を、現在の世界に新しく創り出すことができる」
 筆者はゲームについてはまったく疎く、いざ展示に触れるまで、前の中野さんの説明であり、ここでのBjörkの言葉にも、その時点で正直まだピンときていなかった。ヴァーチャルリアリティという、いつの間にか聞き覚えのある言葉の語感と、「リスナーと繋がりたい」というBjörkの思いの部分を、頭の中で上手くリンクさせることができずにいたのである。
 いざヘッドセットとヘッドフォンを着用し、『Vulnicura VR』の世界に入り込んだ1曲目、アルバムの1曲目でもある「Stonemilker」(Andrew Thomas Huang監督)。この一瞬で、ぶっ飛んだ。そしてBjörkの言葉や意図を十全に理解することができた。ああ、こういうことだったんだ! という感じである。VRとは「どんな仮想現実環境も作ることができる」というBjörkの言葉通り、視界(というか我が身?)はいきなり360度荒涼としたアイスランドに移される。

  端的に言えば、いわゆるミュージック・ビデオの世界の中に自分が入り込み、視界はすべて仮想現実のその世界になる。唯一目に入る人間は、目の前で、時にこちらを向いて歌いかけてくるBjörkだけである。
 『Vulnicura』は長年の連れ合いとの別れを歌ったアルバムで、内容は非常にパーソナルなものだ。その象徴なのか、荒涼としたアイスランドの風景、足元にはタイガとかツンドラとか、そんな単語を連想させる(本当は何なのかわからない)ひび割れた大地が広がり、Björkが怖いぐらいの美しさで、すぐそこで歌っている。つながりという意味では、本当にBjörkと手を取り合えそうである。

2曲目「Mouthmantrar」を手掛けた監督はJesse Kanda。Jesse Kandaがベネズエラ出身のアレシャンドロ・ゲルシことArcaのハウスメイカーで、長年のコラボレーターだというのは、他ならぬele-kingで知ったことだった。そう言った詳細はここでは触れない。

『Vulnicura』というアルバムの世界観を作っているのが、このArcaだ。Arcaと云えば筆者にはKanye Westの『Yeezus』というイメージが強く、やはりKanye Westの目の付け所に今更ながら感服してしまうのだが、それはさておき、「Mouthmantrar」の世界はBjörkの口の中である。私たちはBjörkの口の中にいる。

  そして、ラストの「Not Get」。これは日本初公開で、ざっと上のように説明したところで返って、興ざめだろうから、世界観の心もとない描写は割愛する。


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 VRの展示に入る前に、CINEMA(VR以外の展示のひとつ。本展のためにキュレーションされたBjörkのミュージックビデオのセレクション。映像音響は本展のためにリマスターされている)を見て、改めてBjörkが提示してきた世界の新しさに目を見開かれた矢先だった。リリースされて何年も経つミュージックビデオを四角いフレームで見てさえ目新しさを感じる、そのBjörkの世界観を描きだした仮想現実世界である。そこに入り込む意味を具体的に想像してみれば、ある程度とんでもないものが出てくるだろうことは予想できるだろう。だが、どんなに予測を立てても、Björkの世界観には追いつかない。

 最後の「Not Get」は2人づつに区切られ、そこで並んでヘッドセットとヘッドフォンを装着する。みんな同時に曲は始まる。つまり、着脱のタイミングがほぼみんな一緒になるわけだが、「Not Get」が終わって装備を外すと、隣の女性記者と目が合い、お互い呆然と「なんか、すごいものを見てしまいましたね」と言い合うほどだった。

  Björkは、今後も『Vulnicura』の他の曲についても、VRの制作をしていくということで、まずはそれらの楽曲の到来が楽しみで仕方がない。
 手塚治虫やブラッドベリが描いた世界が今こうして現実に到来し、VRについて検索していると、すぐ目についたのがプレイステーションVRが今年の10月に日本で発売するというニュースだった(蛇足だが、筆者はこの手のニュースを知るのは超遅い)。これから仮想現実空間は恐らく驚くべき速さで一般的なものになり、やがてそう遠くはない未来に映画館で楽しめるようになるだろう。「Björk Digital―音楽のVR・18日間の実験」で展示しているのは、来るべき世界そのものだ。

https://www.miraikan.jst.go.jp/exhibition/bjorkdigital.html

 ドリーミーでポップ・センスあふれるIDMを展開するプロデューサー/音楽家、Serph(サーフ)のベスト・アルバムが今週リリースされるようだ。これまでに4枚のフル・アルバムと数枚のミニ・アルバムをリリースしているSerphが、自身の代表作を再構築したものとなる。

 特設サイトにいろんなミュージシャンがコメントを寄せているが、スピッツの草野マサムネ氏の「たまたま入ったお店でかかってたのがSerphとの出会いです。“なんて素敵な音楽なんだ!”とボーッと聴き入ってしまいました。(後略)」という言葉がずばりで、Serphには「ふと店頭で聴いて驚く」という出会い方をした方が多いのではないだろうか。

 メディア露出ではなく、レコ屋スタッフさんの渾身の推しや、ふと耳にした人への強烈なインパクト、そしてそうした体験を持つ人々の熱心な口コミによって広がっていったという印象がある。しかしながらセカンド『vent』のセールスはすでに2万枚を超しているとか。音はかならずしも販売数によって保証されないが、それは、こうした種類の音楽が、大きな広告なしに、しかも“いちげんさん”を熱烈に惹きつけた地道な結果としてじつに驚くべきものだ。

 Serph本人は、他名義による積極的な作曲活動を途切れさせることもなく、また、舞台上の演出も凝らされたコンセプチュアルなライヴ(2014年)によってもそのミステリアスな存在感をさらに高次に上げ、イラストレーター河野愛とのコラボレーションもますます深まりを見せている。このベスト盤も、自身の手によって各曲がブラッシュアップされているということで、楽しみであると同時に、失速せずに発信をつづける勢いが感じとられるだろう。

 さらにたくさんの人へと驚きを広げる本盤は、7月15日のリリースに先がけ、7月13日の20時より7月19日23時59分まで、全曲フル尺公開される。

Serphベスト盤『PLUS ULTRA』特設サイトURL:
https://www.noble-label.net/serph-pu/



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