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リヴァイヴァルじゃないのだ。 - ele-king

 リヴァイヴァルじゃないのだ。

 英語詞で歌う、英米インディそのものって感じの邦人バンドは、昔からいた。たとえば〈トラットリア〉なんかを見てみるだけでも、かっこいいバンドが見つけられる。そして、探してみればそんな存在はこれまでも途切れることなくずっと存在してきたはず。

 しかるに、ここ10年くらいの国内のカルチャー状況を鑑みれば、とかくドメスティックなものが席巻していたわけで、ある種の閉塞性やそれが生みだした歪みや奇形はガラパゴスと名づけられてクール・ジャパンの神輿に乗せられ、そんな中では英語詞とかヨウガクなんて完全に後塵を拝するというか、勢いのあるジャンルといいにくい時期だった。

 しかしここへきて90年代生まれの若い人が、しかも世間はシティ・ポップだはっぴいえんどだといっているところへ、べらぼうに英語詞な、まんまUKインディだったりUSインディだったりする音を引っさげて登場し、同世代の子から大喝采を送られている……のは何なんだろう!

 オヤジが喜んでいるのではないのだ(でもオヤジも喜んでいる)。やっていることはちっとも新しくない、どころか既視感バリバリだけど、しかし、けっしてリヴァイヴァルというのでもない。彼らはまったく頓着することなくあっけらかんとそれをやり、まったく美しく、まったく新鮮で、説得力にあふれている。同世代の子たちが喝采を送っている。同じ「ロック」で「バンド」でもまったくちがう。ポップ・シーンにおいて驚くほど長い間更新のなかった「ロック・バンド」たちの風景が、彼らを契機に変わろうとしているのかもしれない。

 ……というのは、ある特定のバンドを念頭に置いて書いている。ピンとくるかたも多いだろうが、それはYkiki Beat(ワイキキ・ビート)のこと。この年若く輝かしい東京のバンドを筆頭に、ロック界隈にはたくさんの才能が噴出している。そしてYkiki Beatがおもしろいのは、DYGL(デイグロー)というアルターエゴを持っているところだ。


DYGL
Don't Know Where It Is(CD)

Hard Enough

Tower HMV Amazon

 DYGL。Ykiki Beatのヴォーカルの秋山信樹と、ギターの嘉本康平、ベースの加地洋太朗を共有する、彼らによるもうひとつのバンド。どちらがメインということではなく、いずれも英米インディ感を振り切っているが、DYGLのほうがラフで、より強固なポップ・フォーマットを持つYkiki Beatでは拾いにくいガレージ感を、のびのびと呼吸し、楽しんでいる印象だ。

 こちらはマーケットすらドメスティックを意識することなく、この春は活動場所もLAへと……海を渡って展開している。そんな彼らの音楽やインディ観、USでの日々、日本との相違、などなど大変興味深いインタヴューを、弊誌では追って公開予定! もうちょっと待っていてください。

 そしてそれを読んで何曲か試聴してみたら、もう間違いなくツアーを目の当たりにしないではいられないはず。行ってみてほしいし、彼らの言葉を読んでみてほしい。きっと若い音楽好きはもうとっくにチェックしているはずなので、このニュースは、どちらかといえばオーヴァー30に届いたらいいなと思います。

 DYGL。読み方はデイグロー。かつてはロック雑誌を読んでたんだけど、ピンとこなくなったっていうか、大人になったのかな、聴くことに怠惰になって、タワーでCD買うこともなくなっちゃって……みたいなあなたに向けて、行かないと何かを逃すかもってことを知らせるために、書いています。

 それでは会場で!


■DYGL 最終日公演に写真展を開催!

フォトグラファーのShusaku Yoshikawaが今回のツアーに帯同し、
初日の京都、2日目の名古屋、三日目の大阪で撮り下ろすツアー写真と、
今まで撮影してきたDYGLを中心した写真をツアーファイナルの新代田FEVERにて展示予定。

Shusaku Yoshikawa
https://shusuck.tumblr.com/

■DYGL / デイグロー
2012年に大学のサークル内で結成。メンバーはYosuke Shimonaka(G)、Nobuki Akiyama(Vo, G)、Kohei Kamoto(Dr)、Yotaro Kachi(B)の4人で、すぐさま東京でライヴ活動を開始。これまでにCassie RamoneやJuan Wautersなどといった海外のミュージシャンとも共演している。2015年には『EP#1』をカセットとバンド・キャンプで自主リリースし、世界の早耳な音楽リスナーの注目を集める。その年の秋にはアメリカに長期滞在し、感性の近い現地のミュージシャンたちとコミュニケーションを交わすなか、LAの注目レーベル〈Lolipop Records〉のスタジオでレコーディングを決行。ライヴでも盛り上がりをみせる「Let’s Get Into Your Car」などの曲を再録し(『EP#1』に収録)、台湾ツアー後に書き溜めていた「Don’t Know Where It Is」なども録音。影響を受けたインディ・ロックの音の鳴り、スタイル、スケール等の全てを自らのサウンドに消化させた6曲入りファーストEP『Don’t Know Where It Is』が完成した。


DYGL - Let It Sway (Official Video)


■DYGL "Don't know where it is" RELEASE TOUR

チケット料金:[前売]¥2,500 / [当日]未定(各税込)
主催・お問い合わせ:シブヤテレビジョン TEL 03-5428-8793 (平日12時~20時)
※Drink代別

京都公演
・開催日時:6月10日(金)開場:18:30 / 開演:19:00
・開催場所:京都 METRO(https://www.metro.ne.jp
・出演者:DYGL / Seuss / Cemetery
・協力:SECOND ROYAL RECORDS

名古屋公演
・開催日時:6月11日(土)開場:18:00 / 開演:18:30
・開催場所:名古屋 CLUB UPSET(https://www.club-upset.com
・出演者:DYGL / mitsume / Cemetery
・協力:ジェイルハウス

大阪公演
・開催日時:6月12日(日)開場:18:00 / 開演:18:30
・開催場所:大阪 LIVE SQUARE 2nd LINE(https://www.arm-live.com/2nd
・出演者:DYGL / Wallflower / Cemetery

東京公演
・開催日時:6月16日(木)開場:18:30 / 開演:19:00
・開催場所:新代田 FEVER(https://www.fever-popo.com
・出演者:DYGL / batman winks / boys age / Burgh

【チケット情報】
一般発売
・発売日:4/29(金・祝) 12:00~
・取り扱い:イープラス / ぴあ(Pコード:296-192) / ローソン(Lコード:76293)

【公式サイト】
https://dayglotheband.com/



interview with Plaid (Ed Handley) - ele-king


PLAID
The Digging Remedy

Warp / ビート

ElectronicIDM

Tower HMV Amazon

 プラッドのアルバムを聴くこと。それはエレクトロニック・ミュージックの快楽そのものだ。電子音の快楽、メロディの美しさ、こだわりまくったトラックメイクなど、エレクトロニック・ミュージックならではの「気持ちよさ」の真髄があるのだ。だから20年以上に及ぶ彼らの軌跡は永遠に色あせない。1997年リリースの『ノット・フォー・スリーズ』もいまだ「未来の音楽」に聴こえるほどである。

 前作『リーチー・プリント』から2年の歳月を経て、ついにリリースされた新作『ザ・ディギング・レメディ』も、まったく同様だ。世に出た瞬間からエヴァーグリーンなエレクトロニック・ミュージックなのである(個人的には2000年の『トレーナー』に近い印象を持った)。

 そして、とくに肩肘張ることなく自分たちの音楽を自分たちなりに追求していくその姿勢は、とにかく素晴らしい。彼らはいたってマイペースに「普通に、流麗な曲に聴こえるけど、どこか変?」というような、つまりは聴きこめば聴き込むほどにアメイジングな驚きをもたらしてくれるアルバムを生み出しつづけているのだ。たとえば(インタヴュー中でも語っているが)、リズムの拍子なども注意して聴いてほしい。迷宮に入るような気持ちよさがあるはずだ。

 今回のインタヴューは、エド・ハンドリーがプラッドを代表して質問に応えてくれた。ユーモアを交えながら、しかし、極めて誠実な返答の数々は、まさにプラッド・サウンドそのもの。これから聴く人も、もう聴いた方も、ぜひとも熟読してほしい。『ザ・ディギング・レメディ』を聴くための素晴らしいガイドになるはずだ。

■Plaid / プラッド
ザ・ブラック・ドッグの結成メンバーとしても知られる、アンディ・ターナーとエド・ハンドリーによるロンドンのデュオ。91年に〈ブラック・ドッグ・プロダクションズ〉より『Mbuki Mvuki』をリリースして以降25年にも及ぶ活動のなかで多数のアルバムを発表、ビョークをゲスト・ヴォーカルに迎えたり、マシュー・ハーバートの作品に参加するなど多数のコラボレーションを行うほか、マイケル・アリアスやボブ・ジャーロックなど映像・映画作品への楽曲提供、日本では劇場アニメ作品『鉄コン筋クリート』のサントラを手掛けるなど多方向にキャリアを展開させ、2000年代には映像と音の融合をはかる取組みにも意欲を見せている。11作めとなるアルバム『ザ・ディギング・レメディ』を2016年6月にリリース予定。

古いローランドの808、101、202なんかを売り払った。(中略)あのサウンドは僕たちも大好きなんだよ。ただ、僕たちとしてもこの機材でこれ以上先に進めないな、と感じてね。

前作『リーチー・プリント』から約2年を経てのリリースになりますが、本作の制作はいつからはじまったのでしょうか?

EH:このアルバムに本格的に取り組みはじめたのは、おそらくいまから1年前くらいだったと思う。というのも、僕たちは『リーチー・プリント』向けのツアーに実際1年近くを費やしたわけで――、まあ、絶え間なくというわけではないけど、ツアーを消化したら1年ほど経っていた。で、そこからいくつかのプロジェクトもあったんだ。とあるイギリスの映画監督とサントラの仕事をやったりしたね。で、前作ツアーが終わってすぐに今作向けに曲を書きはじめた。もっとも、僕たちはつねに曲は書いているんだ。ただ、アイディアをまとめてトラックに仕上げる、という段階に持っていくのは実際にアルバムをリリースする時期が近くなってからだから、その意味では約1年前からはじまった、ということになるね。

この2年で制作環境や機材などは変わりましたか?

EH:うん、いくつか新しい機材をエクストラで追加したね。というのも、僕たちは所有していたアナログ機材をかなり売却したんだ。古いローランドの808、101、202なんかを売り払った。あれらの機材は長いことキープしてきたし、さんざん使ってもきた。それくらい愛用してきたし、あのサウンドは僕たちも大好きなんだよ。ただ、僕たちとしてもこの機材でこれ以上先に進めないな、と感じてね。あれらの機材の使い道という意味では、僕たちの側でもアイディアが尽きてしまった。
そんなわけで、古いものは売却して、いくつか新しい機材を購入したんだ。それらはエレクトロンというメーカーの機材で、アナログ・リズムというドラム・マシーンも入手した。これはかなり進歩したマシーンで、プレイするのもおもしろい機材だよ。
ああ、それにデスクトップ・コンピューターもアップグレードした。おかげですごく処理スピードの早いマシーンを使えるようになった。それ以前の僕たちは、長いことラップトップで作業していたんだよ。で、ラップトップでやっているうちに、しょっちゅう電力が切れてダウンしてしまう、そのせいで作業を中止しなくちゃいけない、みたいな状況に陥るのに気づいてね。というわけで(笑)、新しいデスクトップはとても役に立っているよ。なんというか、山ほどのプラグインだのなんだの、いろんなものを放り込んでも大丈夫。けっしてパワー不足になることはない、みたいな。古い型のアップルのデスクトップなんだけど、アップルが最新の黒いデスクトップを売り出しはじめたおかげで旧型が安価で出回るようになってね。おかげで僕たちもそういう古い機種をいくつか格安価格で買い取ることができたんだ。

通訳:そんなふうにテクノロジー面での変化があったことで、『リーチー・プリント』と『ザ・ディギング・レメディ』の間には違いがある?

EH:うん、そうだと思うよ。ただ、それは、本来はもっと複雑に聞こえるはずの『ザ・ディギング・レメディ』がシンプルに聴こえるようになったという意味においてね。この作品は、より音数が少なく、まばらで、もっとアナログな響きになっているんじゃないか、と思う。
というわけで、2枚の間にちょっとした違いはあるけれど、その差は何も巨大なものではない。というのも、どんな機材を使っていても、僕たちは、やっぱりいつだって同じサウンドみたいなものに回帰していくわけだから。

僕たちの音楽の作り方というのは、フィーリング重視というか、もうちょっと「音楽を感じ取る」というものなんじゃないかな。

本作の制作にあたって、おふたりで決めたルールのようなものはあったのでしょうか?

EH:んー、とくにないかな。まあ、僕たちは毎回「これまで自分たちのやった同じことはあまり繰り返さないようにしよう」と努力してはいるけれど、ある程度は避けられない。やっぱり、僕たちの「テイスト」というものがあるからね。もともと持っている趣向/テイストが、アルバムごとにガラッと変わることはないわけで、少しの差異が生じる程度のものだよ。でも、僕たちの中に常に存在している大いなるアイディアとして、「物事をそぎ落として原点に戻そう」というのがあるんだ。そうやって何もかもを純化して、もっとも重要な要素だけに絞っていく。で、今回のアルバムの何曲かは、いつもの僕たちが作る以上に。よりそぎ落とされ、洗練されたものになっているんじゃないかな。
一方で、そうではないトラックもいくつかあって、そこでは通常どおりの僕たちが聴けるんだけどね。それから、今回はベネット(・ウォルシュ)といっしょに多くの曲を制作した。僕とアンディ(・ターナー)と二人っきりでの作業とは、かなり異なるプロセスだったし、ベネットも含めていっしょにスタジオに1週間くらい詰めて、そこでとにかくいろいろとアイディアを試してみるか、と。まあ、相当に当てずっぽうでダラダラとやっていたんだけど(笑)。
でも、それも含めて、楽しい経験だったよ。ほんと、そうなんだ。そういうのがベストじゃないかと思う。仮に僕たちがもっとアカデミックなタイプのミュージシャンだったとしたら、前もってきっちりとレコーディングの計画を立てなくちゃいけないだろうし、「今回はこれをやる」みたいな明確さで新たなアイディアを試すわけだけども、僕たちの音楽の作り方というのは、ぜんぜんそういうものじゃないからね。それよりももっと、フィーリング重視というか、もうちょっと「音楽を感じ取る」というものなんじゃないかな。

印象的なアルバム名ですが、どういった意味が込められているのでしょうか?

EH:あのタイトルは、10歳になるアンディの娘さんが思いついたものでね。だから、きっと彼女には彼女なりの意味合いがある言葉なんだろうと思うけど。僕たちからすれば、ただ「The digging is the remedy(何かを掘っていく行為はそのものが治療だ)」。音楽作りにおける重要なパートは、必ずしも生まれる結果ではなく、そこに至るまでのプロセスなんだ。というのも実際の話、音楽作りのその過程こそ、僕たちの生活にもっとも影響するものだからね。いったん作り上げ、完成してしまうと作品はそこで一種の「プロダクト」になってしまうわけだし。というわけで、タイトルの意味にはそれがあると思う。それに「掘り起こす」って言葉は、「宝を探り当てる」という行為のいいメタファーでもあるよね?だからいろいろな解釈の成り立つフレーズだけど、ポジティヴな意味合いなんだよ。

とにかく、グルーヴ群をリリースしよう、みたいな(笑)。まだ「歌」にすらなっていないグルーヴに近い状態のものと、(歌という)複数のセクションに分割されていないものをリリースする、と。

前作は流麗でメロディアスなエレクトロニクス・ミュージックだったと思うのですが、本作は前作より、やや無骨というかソリッドな印象を持ちました。そのような変化を意識されましたか?

EH:まず、『リーチー・プリント』はアルバムとして短くて、収録トラックの数も新作に較べて少ないよね。それに、いま指摘されたように、もっと洗練されたサウンドだったと思うし。でも今回に関して言えば、あれほど磨きがかかっていないよね。で、それはある意味意図的だった、というのかな。だから、とにかく、グルーヴ群をリリースしよう、みたいな(笑)。まだ「歌」にすらなっていないグルーヴに近い状態のものと、(歌という)複数のセクションに分割されていないものをリリースする、と。
で、それがいわゆる「プラン」として狙ったわけではないにせよ、とにかく最終的にそういうものが生まれたわけだ。というのも、今回の作品での音楽的なアイディアというのは、入り組んだ構成だったり、あるいは過度な洗練だったり、そういったものにあまりそぐわない性質のものだった。むしろこの、シンプルなフォルムでやる方が有効だったから。

1曲め“ドゥ・マター”の冒頭のベースラインはどこかクラフトワークを連想しました。また、3曲め“クロック”のイントロのコード感にはデトロイド・テクノのエモーショナルな部分を圧縮しているような印象を持ちました。70年代、80年代、そして90年代のエレクトロニック・ミュージックの歴史を圧縮してみようという意識はありましたか?

EH:ああ、僕たちはそういうことをやっているんだろうね。うん、よくやっている。というのも、僕たちは90年代的なサウンドに回帰したり、あるいはクラフトワークみたいな、古代の(苦笑)サウンドに戻っていったりするわけで。何故なら、そうしたさまざまなサウンドというのは、いまや「伝統音楽」みたいなものになっているからじゃないかな。だから、(ロックやポップ勢がやるのと同様に)伝統音楽やフォーク音楽みたいに引用ができるっていうかな。たとえば、ある類いのベースラインを使うと「○×を想起する」といった反応が生まれるのは、そのラインにすでにさまざまな連想が付け加わっているからだしね。そういった歴史的な連想が存在するし、また、映画的な連想というのもあるよね。つまり過去にそのベースラインが用いられてきたさまざまな手法がすべて、聴く人間の耳に作用する、関連するいろんな付随物も聴こえるんだ。


Plaid - Do Matter (Official Video)


 で、僕たちは自分たちにそういうことがやれるのはグレイトだなと思った。というのもエレクトロニック・ミュージックはいまや巨大な歴史を誇るようになっているし、それに僕たち自身、その歴史の中の比較的モダンなヴァージョンのいくつかを聴きながら育ってきたんだ。
だからそれらのいろんなアイディアを利用せずにやるっていうのは、ある意味不可能なんじゃないかな。過去に行われたアイディアを引用する、その行為なしにエレクトロニック・ミュージックを作るのはとても難しい。そうはいっても、完全に新しい、まったくオリジナルだってものもあるけれど。ただ、そういうケースは非常に稀だよ。

 

このアルバムに関しては、そういうフォーク的なものが入ってきていたと思う。そして、それはベネットから発していた。彼は、僕たちに向かってちょっとこう(笑)、「自分はどこから来たのか」を教えてくれたんだ。

と同時に、4曲め“ジ・ビー”では以前からコラボレーションをされていたベネット・ウォルシュがギターやフルートで参加するなど、エレクトロニック・ミュージックにオーガニックでジャズ的な要素が加えられているように思いましたが、このアルバムに作るにあたり、ほかのジャンルからの影響はありましたか?

EH:うん。それはいつだってそうなんだよ。ほかのジャンルからの影響はある。もちろん、僕たちはエレクトロニック・ミュージシャンだし、僕もアンディも一般的な意味での「楽器」はあまり弾けない。必要とあればピアノをちょっと弾けます、程度だね。僕たちがギターだのフルートだのを自ら演奏することはないわけで。
だから僕たちがベネットみたいな人と作業してみると、彼は彼なりの音楽的な遺産や知識を持ち込んでくれるんだ。彼のバックグラウンドは、フォーク音楽から、いろんな類いのブルーグラスといったものまで、アメリカの伝統音楽みたいなものに根ざしているわけだからね。そういったジャンルのことは正直いって僕たちはよく知らないけれど、いったん彼とスタジオに入り、彼がギターで弾き始めると、僕たちもその音に対して自分たちの知っているものを関連させていってね。たとえば、「ああ、これは僕たちが以前に聴いたことのある、あのアフリカ音楽にちょっと似ているな」とか。
というわけで、このアルバムに関しては、そういうフォーク的なものが入ってきていたと思う。そして、それはベネットから発していた。彼は、僕たちに向かってちょっとこう(笑)、「自分はどこから来たのか」を教えてくれたんだ。

7曲め“ユー・マウンテン”などはテクノ的なベースラインとコードに加えて、トライバルなビート・プログラミングに驚きました。本作のビート・プログラミングで実践された「新しいこと」は、どういったことでしょうか?

EH:そうだなぁ……どうだろう? 今回のアルバムでは、3/4の拍子が多いよね。3拍子はかなり使っているけど、それはこれまでの作品でも多くやってきた。あと、7/4というのもあるね。あれは僕たちがつねにどこかに紛れ込ませようとしているものだ(笑)。だから、普通のダンス・ミュージックしか聴かないような人が耳にすると、「おや、ヘンだな?」と思えるような拍子が少し混じっているかもしれない。で、今回はアナログ・リズムもちょっと使ったんだよ。それはさっき話した新しいドラム・マシーンのことだけど、あれはすごく優秀でね。ひとつひとつのビートを変えるのに適したマシーンで、細かな変更をどのビートにも加えることができるんだ。
そんなわけでリズム面ではかなり多くのさりげない変化が起きているんだよ。だけど僕たちは、リズムにおいて巧妙なことをやろうとしたわけではないし、グルーヴの多くは基本的に規則的なものだから。ただ、〝ベイビー・ステップ・ギャイアント・ステップ〟なんかでは、かなりいろんなことをリズムでやっているんじゃないかな。あれを聴くとポリリズムに聞こえるだろうし、その意味ではおそらくあの曲がもっとも冒険的なんじゃないかと思う。

僕たちは普通、モロに「民族音楽/ワールド・ミュージック」っぽい方向に向かったりはしないんだけど(笑)、あの曲では「試しにやってみよう」と思ったんだよね。

さらに8曲め“ラムズウッド”は民族音楽的な雰囲気は、Plaidにおける新機軸ではないかと驚きました。

EH:ああ、うん。

あのフルートのような音色は、ベネット・ウォルシュによるものでしょうか? とても印象的でした。

EH:その通り。

通訳:あれは彼のアイディアだったんでしょうか。で、それをあなたたちが発展させていった……という? あるいは逆に、すでにベーシックなトラックがあり、そこにベネットが付け足していった?

EH:あの曲はたしか、まずベースラインができていたんじゃないかな。で、そこにベネットが即興で演奏を足していったんだと思う。でも、彼が弾いていたのはフルートではなくて、たぶんペニー・ホィッスル(ティン・ホィッスルのこと)だったんじゃないかな?
でも、そうだよね、あれはかなり中東風な雰囲気のある曲だ。どういうわけか、軽くアラブ風なフィーリングがある。でまあ、僕たちは普通、モロに「民族音楽/ワールド・ミュージック」っぽい方向に向かったりはしないんだけど(笑)、あの曲では「試しにやってみよう」と思ったんだよね。

今回、ベネット・ウォルシュとまたコラボレーションをした理由を教えてください。今回のアルバムは(とくに中盤以降)、彼のギターは重要な役割を担っているように感じたのですが。

EH:『リーチー・プリント』向けのツアーの際に、僕たちはベネットといっしょに、かなりの数のギグで共演することになってね。あのアルバムで彼が参加しているのは1曲だけとはいえ、あれ以前の昔のトラックで彼が弾いているものはけっこう多いし、そうした楽曲もプレイしたんだ。
で、僕たちは「トリオ」であることをとても楽しんでいたんだ。というのも、僕たちはデュオとして長いこと活動してきたし、だからこそ、たまには新しくフレッシュな要素を注入しなくちゃいけないんだよ。
そんなわけで、ベネットがこのアルバムで、あれだけの数のトラックに参加することになった理由は、とにかく彼といっしょに演奏していて楽しかったから、だろうね。僕たちは以前以上にいっしょに過ごすことになったし、ツアー中もさんざん音楽の話をした。そこからちょっとしたアイディアを思いついたりもした。だからごく自然な成り行きだったんだよ。

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とてもトラディショナルでアコースティックに響くものと、エレクトロニックで興味深いサウンド、その「はざ間のライン」を歩こうとしているんだ。

10曲め“ヘルド”や11曲め“ウェン”はギターのフレーズなどで対になっている印象を持ちました。とくに11曲め“ウェン”はビートレスなアンビエント・トラックで見事なアルバムの締めくくりに思いました。同時に、楽曲全体が生演奏を主体としたオーガニックな曲調で、穏やかながらプラッドにとって挑戦的な楽曲に思えましたが、いかがでしょうか?

EH:なるほどね。たしかに、あの曲はあまりエレクトロニック・ミュージック然と響かないかもしれない――。そうはいいつつ、やっぱりあそこにもエレクトロニックな「層」は存在するんだけども。

通訳:でも、オーガニックなヴァイヴがありますよね。

EH:うん、うん。だから、いっていることは正しいよ。エレクトロニック・ミュージックばかり聴いているようなリスナーには、あまり受けのいい曲じゃないのかもしれない。でも、僕たちの音楽というのは、必ずしも「マジにハードコアなテクノ好き!」な人たちとか、「生楽器のサウンドは一切受け付けない!」みたいな(笑)、そういうクラウドにアピールするものではないと自分たちではそう思っていてね。僕自身、そこまで何を聴くか/聴かないかに関して厳密に線引きしているような、そういう手合いにはあまり多く出くわさないし(笑)。
ともあれ、あの曲のアイディアは、ベネットが主軸になって引っ張ってくれたものだね。で、僕たちがそこにハーモニー的な箇所を被せていったんだ。このアルバムの中で「よりベネットの色が強いもの」といえば、おそらくあのトラックになるんじゃないかな? あの曲はほんと、「ギターありき」ってトラックだからね。

プラッドの曲を聴いていると、いつもその音色の繊細さに驚きます。本作の音色の選び方、使い方などでもっとも気をつかった点などを教えてください。

EH:んー……。何かサウンドをデザインするときというのは、多くの場合アコースティックな音色との関連から発想するものだし、そういうケースはじつに頻繁なんだ。というか、音色のパレットという点においてはそうならざるを得ない。だから、ちょっとアコースティックっぽく聞こえるサウンドを使う、というのは、エレクトロニック・ミュージックの世界においてもしばしば当てはまる話なんだよ。で、その面を可能な限りまで押し進めつつ、それと同時にハーモニー面でも成り立つもの、音符や変化をうまくコードに変えていくという作業もやっている。そうやって興味深いサウンドを組み立てながら、そこに和声の要素をプラスしているわけだよね。でも、やっぱりそれらのサウンドでメロディを演奏する必要があるし、コードを弾くのが可能じゃなくちゃいけない。で、思うにそういうことが、僕たちが『リーチー・プリント』から、今作にちょっと引き継いできたものなんじゃないかな? これらのサウンドは、ほとんどアコースティックのように使っているけれども、でも、じつは合成された(シンセサイズされた)ものだ、と。
だから、そうしたことをやるおかげで、僕たち自身が興味を抱き、刺激され、ハッピーでいられるんじゃないかな。要するに、「あまりに変わっているために聴き手を疎外する」ことはないけれど、でも、「そこそこ違いがあるから人々を引きつける」というか。うん、そこは微妙なラインだよね。そうはいったって、やっぱり時には全開で「疎外」モードに入りたくなるときだってあるし。エレクトロニック・ミュージックというのは明らかに、それをやるのが得意なわけだよね。
だけど、僕たちにはあんまりそれをやらない傾向があるんだ。それよりも僕たちは、さっき話したぎりぎりの境界線、そこを綱渡りしようとしている。とてもトラディショナルでアコースティックに響くものと、エレクトロニックで興味深いサウンド、その「はざ間のライン」を歩こうとしているんだ。

それって、スポーツ選手が能力を向上させていくのに似ているよね(笑)。

通訳:それはエレクトロニックをベースにしたサウンドを、より自然でアコースティックなサウンドに近づけていこう、という試みなんでしょうか?

EH:そういうことなんだろうね。たとえば最近のもっと新しいタイプのエレクトロニック・ミュージックは、そういうことをやっているのが多いと思う。サウンドはより複雑さを増しているし、もっとずっと豊かなものになっている。音色という意味でも、あるいは時間の経過に伴ってそれがどう変化するかという意味でもね。で、それらはシンセーシスにおける新しいテクニックだし、人々が以前以上にディテールに気を配るようになった、というのもあると思うな。それって、スポーツ選手が能力を向上させていくのに似ているよね(笑)。
だから、エレクトロニック・ミュージックの世界においては――、いまどきの若いアーティストたちの作るベストな新しいエレクトロニック・ミュージックの中には、そこに入り込んで、サウンドをさらに洗練させようとしているってものがいくつかあるからね。これまで行われたことのない、そんなレベルのディテールにまで洗練しよう、と。で、それらは、とても興味深くて、感心させられるようなサウンド・デザインなんだ。そういうサウンドは、相当にナチュラルに聴こえるのに、でも自然な音ではない。それを耳にするのって、かなり落ち着かない気分にさせられるものだよね。「この音はいったいどこから出て来たんだ?」なんて感じるし。それに、サウンドをいろいろと融合させると――それはいまだとソフトウェアを使って、リアルタイムでどんどんやれるようになっているけれど――そこから奇妙に変形したサウンドを手にすることができる。それはまだ人々が耳にしたことのないサウンドであって、実際、とても風変わりな響きなんだ。そこはエレクトロニック・ミュージックにおけるじつにおもしろい側面じゃないか、と僕は思うね。

通訳:なるほど。でも、これはあくまで私個人(通訳)の考えなんですけど、いまの若いリスナーの多くは、携帯電話のチャチなスピーカーやPC、安いヘッドフォンで音楽を聴いていますよね。で、あなたたちのようなアーティストは非常にこだわって時間をかけて音楽を作っているのに、それが理解されない点について、一種のフラストレーションを感じることはないのかな? と思ってしまうのですが。

EH:そうだね、きっとそういう側面もあるんだと思うよ。ただ、僕が思うに、聴き手の側も少しずつ変化しているし、大型のヘッドフォンで聴いている人たちも増えてきたよね(笑)? あの手のヘッドフォンを使うとかなり音がよく聴こえる、というのならいいけどね! そうは言っても彼らの聴いている音源ファイルそのものがMP3なのかもしれないけど……、でも、圧縮をかけないフル・サイズのファイルやロスレスをダウンロードする人たちも増えているわけで。だから、そうした面も変わっていくんだと思う。ってのも、やっぱり高品質なサウンドのほうが、聴く体験としてははるかにいいからね。

僕ももっと、彼の比較的最近の作品を聴くべきなんだろうな。

音の色彩感覚といえば日本ではこの5月に偉大な電子音楽家/作曲家であった冨田勲氏が――まず、彼のことはご存知ですか?

EH:ああ、うん。知ってる。

冨田氏は5月に亡くなったんです。

EH:そうなんだ! それは知らなかった……。残念な話だね。

冨田勲氏もまたテクノロジーと自然を電子音楽の色彩感覚で追求した音楽家でした。冨田勲作品のことはご存知ですか?

EH:うん、彼の作品はクラシック作品を再解釈したものとか、あそこらへんのものはかなり聴いたよ。だから、おそらく彼の晩年の作品はそれほど聴いたことがなくて……。彼の初期の作品、たとえばモーグといった古いシンセを使って作った作品なんかは聴いたと思う。彼がその後もいい作品をいくつか制作したのは知っているけれど、そこらへんはあんまりフォローしていないんだ。そうかぁ、それは悲しい話だな。何歳だったの?

通訳:おそらく80歳ちょっと、あたりかと。

EH:ああ、じゃあ年齢だったんだね……。

通訳:そうですね。日本におけるシンセサイザー音楽のパイオニアかと。

EH:うん、だから僕ももっと、彼の比較的最近の作品を聴くべきなんだろうな。

「流れ/旅」というのは、いつも意識しているんだ。だって、それがなかったらわざわざ「アルバム」をやる意味はあまりないんだし、個別にトラックを発表していけばいいだけの話だからね。

アルバムはクラフトワークを思わせるエレクトロニック・ミュージック、デトロイト・テクノを思わせるテクノ・トラック、ギターとフルートがレイヤーされるオーガニックなクロスオーヴァーなサウンドへと次々に展開し、最後はアンビエントで幕を閉じる印象を持ちました。また、後半になるに従い、次第にエモーショナルな感情が揺さぶれました。まるでエレクトロニクス・ミュージックによる「旅」をしているような印象でした。アルバム全体で意識された「コンセプト」や「流れ」のようなものがありましたら教えてください。

EH:うん、僕たちはいつもそういう「流れ」を生もうとしている。そうは言っても、全曲を仕上げてひとつにまとめてみるまで、そうした流れが生まれない、ということもたまにあるんだ。だから、つなげてみてやっとわかる。でも今回の作品に関しては並べて聴くべくデザインした、このトラックはあのトラックに続いていく、という具合にデザインしたセクションも含まれているよ。でも、多くの場合は、まず多くのトラックが手元にあって、そこからいい組み合わせになるものを選んでいく……という作業なんだ。だから、音楽的に関連性のあるものを選んでいく。
ただ、今回はその作業にかなり時間がかかったね。難なくストレートに決まるってときもあるんだけど、今回は収録曲をまとめるのに1ヶ月近くかかった。とにかくふたりで聴き返して、曲順をああでもないこうでもないと入れ替えて聴いてみて。だから、どういうわけか、今回は曲順を思いつくのに苦労したんだ。どうしてかといえば、このアルバムには似通った曲がいくつかあるからじゃないか、と僕は思うけど。要するに、近いフィーリングを持った曲がくつかあって、このトラックを入れるべきか?という点まで考えたし、いざそれを収録するとしたら、ではどこに置くのがいいだろう?と迷わされたわけ。
でも、さっきの「流れ/旅」というのは、いつも意識しているんだ。だって、それがなかったらわざわざ「アルバム」をやる意味はあまりないんだし、個別にトラックを発表していけばいいだけの話だからね。

 坂本慎太郎のzelone recordsからの新作案内によれば、『ナマで踊ろう』からおよそ2年ぶりの、坂本慎太郎の3枚目のソロ・アルバム『できれば愛を(Love If Possible)』のリリースが決定しました。7月27日(水)発売です。
 内容に関しては、「顕微鏡でのぞいたLOVE」という分かりにくいテーマのもとに制作された全10曲と、それを分かりやすく表現したアートワークが完成いたしました」とのことです。カセットも出るようですね。
 期待しましょう。

■2016年7月27日(水) zelone recordsより発売!

できれば愛を / 坂本慎太郎 

1.できれば愛を(Love If Possible)
2.超人大会(Tournament of Macho Men)
3.べつの星(Another Planet)
4.鬼退治(Purging The Demons)
5.動物らしく(Like an Animal)
6.死にませんが?(Feeling Immortal)
7.他人(Others)
8.マヌケだね(Foolish Situation)
9.ディスコって(Disco Is)
10.いる(Presence)

All Songs Written & Produced by 坂本慎太郎


●CD:
初回生産盤: zel-015s / JAN: 4582237835205
通常盤 : zel-015 / JAN: 4582237835212
価格: ¥2,600+税 (初回生産分のみ紙ジャケ仕様/各2枚組/インスト


●LP (Vinyl): zel-016 (1枚組/mp3DLカード付)
価格: ¥2,600+税


●CT (Cassette Tape): zel-017
価格: 2,130円+税

●Digital: iTunes Music Store / OTOTOY / レコチョク
●Hi-Res: OTOTOY / e-onkyo / mora   

 いまでは日本よりも国際的な評価のほうが高い(?)、ジャズ・フリー・インプロヴァイザーの坂田明(70年代は山下洋輔トリオのサックス奏者として知られる)が8月2日に渋谷でコンセプチュアルなライヴを披露する。ジム・オルーク(ギター)、山本達久(ドラム)、田中悠美子(三味線)、福原千鶴(小鼓)、そしてライヴペインティングの中山晃子を迎えて繰り広げる『平家物語』──いったいこれは何なのでしょう?
 60年代末よりフリー・ジャズ/アヴァンギャルの世界を疾駆した坂田明、エリック・ドルフィーの極限的サックスに刺激されながら、他方では赤塚不二夫の破壊的ギャグと共振し、アイヌやミジンコにまでアプローチしつつ、そしてまったく独自の道を切り拓きながらいまも活動する稀代のジャズメンの、いまを目撃せよ!

開催日 2016年8月2日(火) 場所  渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール 出演  坂田明      ジム・オルーク      田中悠美子      福原千鶴      山本達久      中山晃子 主催  渋谷区


interview with The Temper Trap - ele-king


The Temper Trap
Thick As Thieves

Infectious / BMG / ホステス

RockIndie Pop

Tower HMV Amazon

コートニー・バーネットが今年2月に行われたグラミー賞の主要部門である「最優秀新人賞」にノミネートされたことはここ日本のインディ・ロック・ファンの間でも大きな話題となり、ツイッターでも授賞式の模様は全世界どこでもリアルタイムで実況された。彼女はまた独特の異彩を放っているが、その他にも、ハイエイタス・カイヨーテ、フルームなど、オーストラリア出身の新世代アーティストたちの活躍が止まらない。そしてザ・テンパー・トラップのヴォーカルのダギー・マンダギも「オーストラリアン・バブルかもね」と表現していたが、快進撃の先陣を切ったのこそが、まさしく彼ら、ザ・テンパー・トラップだった。

 彼らの2009年のデビュー作『コンディションズ』は世界で累計100万枚以上を売り上げ、YouTubeの再生回数にいたっては2000万回以上という記録を残している。グラストンベリーやロラパルーザなど主要フェスへの出演を含めた全世界ツアーも経験し、英米以外の新人としてじゅうぶんすぎる成功を収めた。

 いま音楽においてはインディとメジャーの垣根も、国境も、時差も、まったく関係ないに等しく、情報速度差なく世界中でヒットが共有されていくことは珍しくない。では、アーティストはその環境の変化の速度に付いていけているのだろうか? 今回インタヴューに答えてくれたダギーとジョセフはとても穏やかな口調ながら揺るぎない信念を目の奥に光らせ、「とにかく俺たちは好きな音楽をやるだけ」とばかりにその身を委ねているようだった。しかし、オーストラリア出身のアーティストの名を挙げ、「オーストラリアのアーティスト同士はお互い助け合いたいね」とさらりと地元シーンへの愛も見せる。変化の速度に呑まれることなく、ごく自然にアイデンティティを保持しながら、静かに勇敢に世界へと漕ぎ出している。

 セカンド・アルバムで実験的なサウンドに挑戦し、バンドとしては少し迷っていた時期やメンバーの脱退を乗り越えて、今作「シック・アズ・シーヴス」は制作された。長年のツアー・メンバーであったジョセフ・グリーアを正式メンバーに迎え、あらためて絆を強めた彼らは、兄弟のように親密であることを表すタイトルをニュー・アルバムに冠し、いまや世界で活躍するスタジアム・ロック・バンドとなったという使命感にあふれるように、スケールの大きい楽曲を展開している。

 垣根なく自由に世界を漂えるいまだからこそ、ザ・テンパー・トラップのような誠実なアーティストにとってはかえって帰属意識やバンドの結束が高まる場合もあるのかもしれない。「オーストラリア出身の」という説明はもはや世界で活躍する彼らにとって不要なようでいて、やはり彼らの重要なエッセンスであるし、「シック・アズ・シーヴス」とあらためてバンドの結束を表明することも、やはり彼らにとっては必要なことだったのだ。

 インタヴューの日にはブルース・スプリングスティーンの着古したTシャツを着ていたダギー。世界的にヒットしていてもけっして急に小綺麗になったりしていないごく普通のロック好きな隣の兄ちゃんといった風貌だったが、中身もきっとデビュー時とあまり変わらずそのままに、今日もどこかでスタジアムを熱狂で包み込んでいるのだ。


■The Temper Trap / ザ・テンパー・トラップ

オーストラリアはメルボルン出身。2005年に結成。2006年にオーストラリアでEPデビュー。世界デビュー前から英BBCの注目新人リスト「Sound of 2009」やNME「Hottest Bands of 2009」に選ばれ、2009年には彼らのために復活した〈インフェクシャス〉再開第一弾バンドとして契約。世界デビュー作『コンディションズ』をリリースし、同年夏にはサマーソニック09出演のために初来日、秋には東京と大阪での単独公演を行なうため再来日を果たしている。2012年、かねてよりサポート・ギターを務めてきたジョセフ・グリーアが正式メンバーとして加入し、新たに5人組となって制作されたセカンド・アルバム『ザ・テンパー・トラップ』をリリース。その後ギタリストのロレンゾの脱退を経て16年、4年ぶりとなる新作『シック・アズ・シーヴズ』を完成させた。同年8月には7年ぶりとなるジャパン・ツアーも決定している。

メンバーはDougy Mandagi(ダギー・マンダギ / vocals, guitar)、Jonny Aherne(ジョニー・エイハーン / bass guitar, backing vocals)、Toby Dundas(トビー・ダンダス / drums, backing vocals)、Joseph Greer(ジョセフ・グリーア / keyboards, guitar, backing vocals)

タイトルは、もともとは聞こえがよかったからっていう理由だけで付けたんだけど、忠誠心、兄弟愛という意味もあって。(ジョセフ)


新作のジャケとタイトルのコンセプトは?

ジョセフ・グリーア:ドラマーのトビーがタイトルを選んだよ。もともとは聞こえがよかったからっていう理由だけで付けたんだけど、忠誠心、兄弟愛という意味もあって。ちょうどメンバーが脱退してから初のアルバムでもあったし、よりメンバーの絆が深まったり忠誠心が強くなったりしている時期だったということもあって、偶然に意味合い的にもつながったと思う。ジャケットに関しては、ベースのジョナサンがハロウィンときに街中で撮ってインスタグラムに上げていた写真だよ。これを“シック・アズ・シーヴス(Thick As Thieves)”のシングルのジャケットに使って、僕たちの写真をアルバムのジャケットに使おうと思っていたけど、この写真(今作のジャケット)のほうが兄弟というイメージも強いので、これをアルバムに使おうということになったんだ。

ジョセフがサポートから正式加入するきっかけは?

ジョセフ:2008年、デビュー・アルバムの『コンディションズ』のときにツアーのサポート・メンバーになって、2011年か12年頃のセカンド・アルバムの時期に正式に加入した。その頃はまだギターにロレンゾがいたから、僕はキーボードをメインに演奏していたけど、彼が脱退したのでギターになったんだ。ツアー・メンバーだった頃からいっしょに時間を過ごしていたので、その頃からオフィシャル・メンバーのような感覚ではあったよ。

今作ではスタジアムでのライヴの光景を想像させる、アンセミックでさらにスケールの大きい楽曲が多いと感じました。インディから着実に積み重ね、だんだんと動員も増え、ライヴの規模が大きくなっていったことも曲作りに影響しているのでしょうか。

ダギー・マンダギ:ありがとう! 原動力になるというのはもちろんあるけど、何より演奏していて、曲を作っていって楽しいから自然とそうなることが多いんだ。この曲は会場が盛り上がってくれるだろうな、というのも想像したりもするけど、まずは自分たちが演奏していて気持ちがいいというのが最初にあるよ。

歌詞はパーソナルなもの? それともフィクション?

ダギー:両方だね。ほとんどはパーソナルな経験にもとづいたものだけど、たとえば今回のアルバムで11曲めの“オーディナリー・ワールド”なんかはすべてフィクションのストーリーだよ。

影響を受けたアーティストにプリンスをあげていますが、彼の魅力や影響は自らの音楽にどのように反映されていると思いますか?

ダギー:最初の頃はプリンスを参考にしたりヴォーカルのスタイルを彼のように意識していたというのもあったけど、彼の本当に素晴らしいところというのは自分の好きなことをやって自分でアートを生み出しているところだと思うんだ。誰かに言われてやるのではなく、自分でスタイルを作り出しているよね。そういう姿勢こそ彼の魅力だと思うので、テンパー・トラップとしてもそのようにやっていけたらな、と思っているよ。


女の子のために曲を書いたりはしないからなあ~。冗談だけどね(笑)。(ダギー)


映画「(500)日のサマー」であなた方の“スウィート・ディスポジション”が使用されたことについてですが、あの映画は見ましたか?

ダギー&ジョセフ:もちろん見たよ!

どうでしたか?

ダギー&ジョセフ:う~ん、まあ女の子向けの映画だよね(笑)。

曲が使用されることになった経緯は?

ダギー:マネージャーの友だちがその映画の音楽担当と仲がよくて、監督も僕らの曲のファンだということで話が持ち上がったんだ。自分たちがその映画を好きかどうかは関係なく、映画で使われることによって自分たちの曲がより多くの人に知られるきっかけになったのでとてもいい経験だったよ。

サマーのような奔放な女の子ってどう思う?

ダギー:でも今の女の子ってみんなそうなんじゃない(笑)!? 日本の女の子は違うかもしれないけど。

きちんと曲のことが理解されて使用されていると思いましたか?

ダギー:曲とシーンがつながっているかというとそうでもないかもしれないけど(笑)、キャリアにとってプラスにはなったと思うよ。

あなた方の曲の中には、繊細さやフェミニンな部分も含まれているように感じますが、どちらかというと違和感があると。

ダギー:女の子のために曲を書いたりはしないからなあ~。冗談だけどね(笑)。ソフトだったりフェミニンな要素はたしかにあるかもね。何も考えない商業的な歌詞というのではなく、意味のあるものだからこそ繊細さがあるように思われるのかもしれないね。


僕らが幸運だなと思うのは、オーディエンスの幅が広くて、15歳から60歳までいろんな人がいるんだよね。(ジョセフ)


ローリング・ストーンズのフロントアクトをつとめたと思うのですが、その経緯は?

ダギー:まあ正直ブッキングされて、という感じなんだけどね(笑)。だからそこまで自分たちの中ですごく大事件というほどではなかったんだけど、最初で最後かもしれない、いい経験だったよ。一夜だけだったので何か学んだとかもあまりないんだけどね。

ローリング・ストーンズといえば存在そのものが「ロック」とも言えると思いますが、あなた方には自分たちもそのロックというものを引き継ぐ存在であるという意識や、あるいはそれを前進させていきたいというような考えはありますか?

ダギー:もちろんストーンズから影響は受けているし大好きなバンドだよ。彼らのようにブルース・ロックンロールという感じに僕らがなろうとは思っていないけど、たとえば僕らの今回のアルバムでも“シック・アズ・シーヴズ”だったり7曲めの“リヴァリナ(Riverina)"はそういうストーンズのようなブルース・ロックの要素が全面に出ている曲でもあると思う。バンドをはじめた頃はよりそういう音だったけど、逆にいまはそれがより薄れて変化してきていると思うよ。

それは昔といまでオーディエンスが変わったからでしょうか?

ジョセフ:僕らが幸運だなと思うのは、オーディエンスの幅が広くて、15歳から60歳までいろんな人がいるんだよね。それは変わらないし、今回のアルバムも幅広く受け入れられる音楽だと自分たちでは思っているよ。


The Temper Trap - Fall Together (Official Audio)


同郷のコートニー・バーネットはグラミーにもノミネートされたりと世界的に注目を浴びていますが、あなた方はいまでも地元のインディ・シーンを意識していたり刺激を受けたりしますか?

ダギー:自分たちはそういうシーンも把握しているし、コートニー・バーネットもそうだし、フルームやテーム・インパラなどのオーストラリアのアーティストが国際レベルで活躍するのはすごく素晴らしいことだし、誇りに思うよ。オーストラリアのシーンから世界に出ていくのを互いにサポートしたいという気持ちもあるよ。

同じオーストラリアでもシーンとしては違うと思いますか?

ジョセフ:オーストラリアのバブルみたいなものもあるけど、自分たちは独特の音楽をやっていると思うし、ルーツは同じかもしれないけど、7~8年前まではロンドンに住んでいたのでそこまで意識はないかな。

7年ぶりの来日公演もありますね。日本で楽しみにしていることはありますか?

ダギー:食べ物だね!

ジョセフ:ファーストのときに来日してとても気に入ったからまた来たいと思っていたけどセカンドのときは来れなかったから、今回はまた来れるということで興奮しているよ。

ダギー:あ、でもウニは苦手だな(笑)。

interview with Mala - ele-king

E王
MALA
Mirrors

Brownswood Recordings / Beat Records

DubstepLatinWorld

Tower HMV Amazon

キューバの次はペルーと来た。理由は以下に詳しい。70年代のナイジェリア音楽やガーナのヴィンテージ・サウンドがこのところエディットされたり、サンプリングされまくる傾向をワールド・ミュージックのリユースとするなら、トランス・ローカルな産物といえるDRCミュージックや『BLNRB』、あるいは〈サウンドウェイ〉から『テン・シティーズ』としてまとめられた初顔合わせの試みは完全にコンテンポラリー・サウンドに属し、過去の音楽を現代に蘇らせたものとは素直には言い難い。

 マーラがキューバに続いてペルーの現地ミュージシャンと作り上げたセカンド・ソロ『ミラーズ』もはっきりと後者に属し、1+1を3にも4にも膨らませようというダイナミズムに彩られた驚異の試行錯誤である。マーラが人気に火を点けたとも言えるスウィンドルがひたすら50年代のアフロ-キューバン・ジャズに執着しているのとは対照的に、マーラは「いま、そこ」で音楽活動を続けているミュージシャンの力量に基礎を置き、彼らが現在進行形で有しているスキルを時の流れにスポイルさせてしまうような方法論は取っていないともいえる。DJカルチャーならではの非常に回りくどいコラボレイションの方法論をつくりあげたというのか、ダブステップとはかなり懸け離れたイメージを漂わせてしまうかもしれないけれど、もしかしてそのアーキタイプはブライアン・ジョーンズの『ジャジューカ』なのかなとも思いつつ、南米を逍遥しつづけるマーラ自身に話を訊いた。

Mala / マーラ
ダブステップのデュオ、デジタル・ミスティックズの片割れとしても活躍するロンドンのプロデューサー、DJ。同ユニットにおいて初めてダブステップを本格的に普及させるきっかけとなったパーティ〈DMZ〉を主催してきた他、自身でもレーベル〈Deep Medi Musik〉を立ち上げてさまざまなアーティストの発掘、紹介に精力をみせる。2012年にジャイルス・ピーターソン主宰の〈ブラウンズウッド〉からマーラ名義では初となるアルバム『マーラ・イン・キューバ』をリリース、世界的な評価を浴びた。2016年6月には2作め『ミラーズ』がリリースされる。

異国の地に行って、現地のミュージシャンとの出会いだったり、そこで発見した新しい楽器、新しい食べ物、新しい文化、新しい物語、新しい経験をもとにアルバムを作りたいと思った。

『マーラ・イン・キューバ』(2012年)は現地のリズムを録音しながら随時エディットしていくというものだったそうですが、ペルーがインスピレイションの元になったという新作も制作の方法論は同じですか?

マーラ:同じだ。細かい部分での違いはあったけど、基本的には同じ方法をとった。つまり、異国の地に行って、現地のミュージシャンとの出会いだったり、そこで発見した新しい楽器、新しい食べ物、新しい文化、新しい物語、新しい経験をもとにアルバムを作りたいと思った。新しい発見は楽しいし、刺激的だ。まるで子どもに戻ったような感覚になる。異国に行って、右も左もわからないんだけど、だからこそまっさらな状態で新しいことを学び、吸収することができる。そうやって何かを創造することが好きなんだ。

(通訳)なぜペルーだったのですか。

マーラ:2つの理由でペルーになった。ひとつは、いまのパートナー(恋人)がいつもペルーの話をするんだ。出会ったときからずっと。俺の方は、ペルーについて何も知らないまま育った。学校でも教わらなかったし、育った環境もペルー出身の知り合いもいなかった。いままで全く接する機会がなかった。だから新しい発見があるにちがいないと思った。新しい人や音楽、あと、食べ物との出会い。ジャイルス(・ピーターソン)と〈ブラウンズウッド〉から「またアルバムを作らないか」と 言われたとき、彼らの方から「こういう国はどうか」という提案がいくつかあった。でも、ペルーは誰も予想していないだろうと思った。案の定、ジャイルズとレーベルのみんなも驚いていたよ。

“テイク・フライト”の試みはとてもユニークだと思いましたが、これもペルーのリズムなんですか?

マーラ:リズムに関してはなんとも言えないな。あの曲で主にペルーなのはギターだ。ペルーのギタリストが演奏している。でもドラマーはちがう。というのも、現地で録音したものとはまったくちがうドラムを組みあわせているんだ。というのも、(ペルーから戻ってきて)どうもピンとこなくて、元からあったドラムとパーカッションをすべて抜いたんだ。そこからどうしたらいいのか途方に暮れていた。とりあえずちがうドラム・サウンドやビートを重ねてみたりした。そこで、ぴったり合うようなドラム・パターンを見つけた。でも、サウンドがちがっていた。生ドラムの音じゃなきゃだめだと思ったんだ。



 ちょうどその頃、リチャード・スペイヴンというドラマー用のリミックスを仕上げたところだったんだ。彼はザ・シネマティック・オーケストラの作品にも参加しているし、ホセ・ジェイムズのバンドのドラマーでもある。あと、日本人トランペッターの黒田卓也ともやっている。とにかく、そのリチャード・スペイヴン用のリミックスを終えたところだった。で、例のトラック用に新しく作ったドラム・ビートには生ドラムのサウンドがいいと思って、最初はソフトを使って、スタンダードな生ドラムの音で作ったんだけど、イマイチだった。作ったドラム・パターンを録音しておくのによく使うスタンダードな生ドラムの音だ。だから彼に連絡して、「君が叩いたらぴったりだと思うんだ。やってくれないか」とお願いしたんだ。そして彼にトラックと自分が作ったドラム・パターンを送ったら、完璧にやってくれた。彼のドラムが 入ったおかげで曲が断然良くなった。俺が作って送ったフィル(ドラム・パターン)を叩いてくれているんだけど、彼は生きたドラマーだから、曲に息を吐き込んでくれた。あの曲の仕上がりには本当に満足している。

ギターという楽器を打楽器として再発見しているような印象もありますけれど、これは誰が演奏しているのでしょう?

マーラ:すべてペルーの現地のミュージシャンだ。アルバムに参加しているのは2人のギタリストだ。彼らにペルーの伝統的なリズム・ギターを弾いてくれ、伝統的な曲を弾いてくれ、とお願いするんだ。そうして録音したものをサンプリングして、一度解体して、また曲に再構築するんだ。

リズムに対する興味はかなり広範囲になっていると思います。とはいえ、無制限でもないようで、自分ではどのあたりで線を引いたということになるのでしょう。

マーラ:それは正直、自分でもわからないんだ。自分がどうやっているのか。アルバムを作るとなると、作品としての統一感や流れを持たせることを意識せざるを得ないわけで。でも、それでいいのかどうかという確信は最後まで持てない。アルバムを作る作業が進んで、さらに深く掘り下げながら、終わりに近づくにつれて、そういう考えがより明確に頭の中をよぎる。そして、「この曲の後にはどの曲を持ってくる」といった具体的なことを考えるようになる。それをする上で 決まった作業の進め方があるわけではない。個人的には、アルバムを作るのには苦労する。たくさんの楽曲を作って、ひとつにまとめる作業というのはけっして簡単なことではない、と思っている。

キューバ同様、いくつかのちがうリズムがペルーにも存在する。さまざまなアフロ・ペルーのリズムが。

“インガ・ガニ(Inga Gani)”はDJニガ・フォックスやポルトガルのクドゥロに影響を受けたものに聴こえます。これもペルーのリズムなんですか?

マーラ:ペルーのリズムではあるけど、さらにその前にまで遡れば、今日のペルーの文化にはアフリカに由来している部分もある。かつてスペイン人がペルーにたくさんの奴隷をアフリカから連れてきているからね。人口の1割はアフリカ系ペルー人だ。だから、地域によっては、アフリカの流れを組む音楽を耳にすることができる。だからキューバだろうと、アンゴラ、ポルトガルだろうと、アフリカ音楽が土台にあるから、似た雰囲気に聞こえるのだろう。リズムにしても、6/8拍子だったりとか、すごく似ている。この曲のリズムもペルーのリズムだ。アフロ・ペルーと呼ばれている。ノヴァリマ (NOVALIMA)というバンドとも共演しているマルコス・モスクエラ(Marcos Mosquera)というパーカッショニストがこの曲に参加している。もう一人著名なアフロ・ペルー音楽のミュージシャンのコチート(Cotito)もこの曲に参加している。彼らは二人ともアフリカ系ペルー人だ。

(注*アフロ・ペルー音楽に興味を持つのは国外の人が多い。ペルーで一般的なのはサルサやロック。もしくはケーナやチャランゴといったフォルクローレ。クラブ系ではテクノ・クンビアことチチャ。ちなみにペルーの首都リマにちなむノヴァリマは元はスラッシュ・メタルだったという噂も)

(通訳)ちなみにタイトルにはどんな意味があるのでしょう?

マーラ:インガ(Inga)というのはあるリズムを意味している。キューバ同様、いくつかのちがうリズムがペルーにも存在する。さまざまなアフロ・ペルーのリズムが。たとえば、フェスティーホ(festejo)と呼ばれるものだったり、インガ(inga)、それからランドー(lando)、ザマクエカ(Zamacueca)といったものがある。「Inga Gani」のGaniは特に意味はない。インガ(Inga)はこの曲のインスピレーションのもとになったリズムを指している。

『ミラーズ』というタイトルは自分自身がさまざまなものを反映しているという意味ですか?

マーラ:たしかにここ数年、いくつかの辛いこともあった。そんな中で音楽だけは、自分が大人になってからの人生において心のよりどころになっている。音楽と向き合っている時間は、瞑想だったり、自分のスペースを見つけたり、思案する時間でもある。この数年、このアルバムに費やした時間と労力を振り返ってみると、「self-reflection(内省)」が大きな部分を占めていたと思う。そういう観点から、「ミラーズ」がアルバムのタイトルにふさわしいと思った。あと、「鏡」というのは、われわれが普段「鏡」と呼んでいる「光の反射を利用して形・姿を映す道具」のみを指すのではなく、自分の場合、たとえば山の中にいるときだったり、目の前に海があってそれを眺めているときだったり、スタジオにいるときなんかの、自分と向き合うことのできる瞬間のことでもある。「聖なる谷」にいるときのように。

「鏡」というのは、自分の場合、たとえば山の中にいるときだったり、目の前に海があってそれを眺めているときだったり、スタジオにいるときなんかの、自分と向き合うことのできる瞬間のことでもある。「聖なる谷」にいるときのように。

 ペルーにはウルバンバというクスコから車で1時間くらいのところに、「聖なる谷」と呼ばれている谷がある。あれだけ多くの星を夜空に見たのは、そこに行ったときが初めてだった。夜中1時くらいに、そこでただ夜空を眺めながら座っている瞬間というのは、大自然という野外の環境に身を置きながら、同時に非常に内省的な体験でもある。内なる自分と向き合いながら、宇宙とひとつになる瞬間だ。自分を見つめ直す瞬間なんだ。ペルーでの多くの体験に、この内省的な体験を 感じたんだ。だから「ミラーズ」がぴったりのタイトルだと思った。
当初は別のタイトルにする予定だった。制作開始から1年くらいは別のタイトルで作業を進めていた。でも、アルバムの完成が近づくにつれ、当初予定していたタイトルがしっくりこなくなった。そこで、別のタイトルにしようと思って、いろいろ探して、「ミラーズ」に行き着いた。おもしろいのが、「聖なる谷」 を訪れた際、あるシャーマンに会いに行ったんだ。そこで、そのシャーマンといっしょにアヤワスカの儀式を行った。その儀式の終わり近くになって、自分の頭の中 で巡らせていたいろいろな思いをどうしても書き留めたいという衝動に駆られたんだ。そのときに、日記に書き留めた文章の最後の言葉が「ミラーズ」だったんだ。でも、そのことに気づいたのは、アルバムのタイトルを決めた後だった。決めた後に、「もしかしたらもっといいのがあるかも」と思って日記を読み返したら、最後に「ミラーズ」と書いてあって、「そうだよな、やっぱり『Mirrors』だよな」と思った。全部が理にかなっていた。

(注*アヤワスカはDNTとして知られる地上最強のドラッグの材料。ロサンゼルスで体験する人も多く、フライング・ロータス『パターン+グリッドワールド』のジャケット・デザインもおそらくDMTの幻覚に由来)

トライバルなリズムに浮かれた気分を持ち込まないのはあなたの性格の表れですか? それとも、実際にいま、そういったリズムが生まれる場所の社会情勢がそういう気分にさせるとか?

マーラ:いくつか理由はあると思うけど、俺自身の性格が大きいと思う。というのも、普通にアフロ・ペルーのリズムを聴くと──たとえばアフロ・ペルー音楽を奏でるスペシャリストのバンドなんかの演奏を聴くと、それはむしろアップ・ビートでまさにカーニヴァルやお祭りで人々が踊って、騒いで、笑顔で手を叩いているのがぴったりくる。だから、メランコリックなサウンドになるのは、俺の性格や人間としての気質の表れだと思う。この世界には光や美しいものもたくさんあると思うし、そういう世の中のいい面も見えてて、外向きな面も自分にはあるけど、同時に悲惨で、恐ろしい、破壊的なことが継続的に起きていることを見ないふりはできない。だから、その両極の間のどこかに自分をつねにおいているんだと思う。

『マーラ・イン・キューバ』にそこはかとなく感じたメランコリーは『ミラーズ』にはストレートに受け継がれていないように感じたのですが、自分自身ではいかがですか?

マーラ:正直、自分ではわからない。今作を作るにあたって、ものすごく苦労したし、悪夢のように感じた瞬間もあった。その一方で、自分がすべてを掌握していると思えて、方向性にも非常に満足できた瞬間もあった。自分にとって、これは自分の人生そのものなんだ。この3年間に起きたことすべて、さらにはその前の出来事もすべてが、この作品を作る糧になっている。だから、今作が前作と比べてメランコリックかどうかと、俺からは言えない。音楽の素晴らしさ、ひいては人間の素晴らしさっていうのは、自分の頭で考えることができることだ。「この音楽はこういうものだ」という説明ができるだけない方がいいと思っている。俺にとってのこの作品は、人が感じる印象とはまったくちがうかもしれない。だから聴き手が自分たちの好きなように解釈してくれれば、それでいいと思う。どう解釈しようと自由なわけだから。

今作に関して自分にとって重要だったのは、共演しているミュージシャンに対して、彼らの音楽の魅力を十分に引き出すことだった。

『マーラ・イン・キューバ』は世界中で大絶賛でしたし、日本でも音楽誌一誌で0点が付いたのを除けば満点評価に近いものがありましたが、自分で反省点などはありますか?

マーラ:プロデューサーとして、自分は音楽を2つの観点で見る。ひとつは、科学者的な見方だ。つまり、分析的で、批評的な観点から、とかく考えすぎなくらい、すべてが完璧であるようにと何度も確認を重ねる自分だ。でも、同時に人間でもあるわけで、自分の感覚をもとに音楽を作っている。クラシックの教育を受けたミュージシャンではないからね。だから作品を作る際は、自分の感覚に従うしかない。でも、その感覚も日々変わるわけだ。自分のその日の気分だったり、 その週に自分の身の回りで何が起きたかといったことが、自分の見解に影響を与える。だから、すごく前向きになれるときもあれば、落ち込んだり、疑心暗鬼になることだってある。でも、心に留めておくようにしているんだ。「完璧な作品を作るのは不可能だ。むしろ完璧である必要なんてないんだ」ってね。プロデューサーとして、自分の中の科学者的な自分に言い聞かせなければいけない。「完璧でなくたっていいんだ」ってね。肝心なことは、自分が何を意図してその音楽を 作っているか、ということ。
さらに、今作に関して自分にとって重要だったのは、共演しているミュージシャンに対して、彼らの音楽の魅力を十分に引き出すことだった。というのも、今回参加してくれたミュージシャンは誰もが、とにかく寛容で、寛大だった。非常に快く、惜しみなく捧げてくれた。だから俺も、そんな彼らを尊重し、敬意を表したかった。彼らが今作を聴いた際、気に入ってくれるものを作りたかった。今作はまた、『マーラ・イン・キューバ』や『リターン・トゥ・スペース』(ディジタル・ミスティック名義)や、何年も前に出した最初のアルバム同様、俺の人生のある瞬間を切り取ったもので、後になって振り返ってみて、「ああ、あそこをもっとこうできた。こうやってればよかった」と思うこともできるけど、俺はむしろ、振り返ったときに「いい経験をさせてもらった。ペルーに行って、現地で新しいミュージシャンたちや新しい楽器と出会い、その結果、独創性に満ちた作品を作る機会を与えられて自分はなんて幸せなんだろう」と思いたい。実際、今回ペルーには1ヶ月、パートナーと子ども2人の家族で滞在することができた。このアルバムにはそういう思い出も詰まっているんだ。だから自分の作品を振り返って、重箱の隅をつつくことだってできるけど、俺はありのままを受け入れて、それを作る機会をあたえられたことに感謝することを選ぶ。

日本に行ったときの、人から受ける印象やおもてなしは他とは比べものにならない。

世界中のさまざまな場所を旅していますが、仮にイギリスを追放されるとしたら、どこに住みたいですか?

マーラ:素晴らしい国はたくさんあるけど、中でも行くのが大好きな国が2つある。今年で9度めの来日になるわけだけど日本は間違いなくいちばん好きな国の一つだ。理由はまず「人」。日本で多くの素晴らしい人たちと出会った。日本に行ったときの、人から受ける印象やおもてなしは他とは比べものにならない。食べ物もそう。日本食は間違いなく、世界中を回る中で、もっとも美味しくて、健康的な食べ物だ。日本から帰ると、行く前よりも自分が健康的になったと思える。全部の国がそうではない。新鮮で健康的で清潔で美味しい食べ物を食べたくてもなかなかありつけない国もたくさんある。それから日本の風土も。特に日本の田舎は本当に美しい。俺はこれまで2度ほど朝霧ジャムに出る機会に恵まれた。朝霧に行って、富士山を目の当たりにしたり、京都もそうだし、南に下がって沖縄に行っても、美しい景色がたくさんある。だから日本にはぜひ住みたいと思う。
それか、ニュージーランド。世界中で心から好きなもう一つの場所だ。あと正直な話、ペルーもぜひもう一度行ってみたいと思っている。人が優しくて、美味しい食べ物もペルーにはたくさんある。深く力強いエネルギーに満ちた場所だと思った。

子どもたち2人とも、生まれて最初に聴いた音楽がオーガスタス・パブロの曲だ。彼らに最初に聴かせたレコードだ。

ちなみにアメリカとキューバが国交回復をしたことについて、なにか思うところはありますか?

マーラ:俺は政治家じゃないから政治の話はできない。俺は音楽で人と人を結びつけたいだけだ。

また、カストロはいつもアディダスばかり着ていますけど、政治的なリーダーとしては親近感を持ちますか?

マーラ:う~ん。自分なりに意見はあるけど、ここでは政治的なことよりも、音楽の話に留めたい。

すでに亡くなっているミュージシャンからあなたが尊敬する人をひとり選ぶとしたら誰になりますか?

マーラ:残念ながら多くの偉大なミュージシャンが亡くなってしまった。……。もしかしたら、安易な答えに聞こえてしまうかもしれないけど、もっとも深く影響を受けているミュージシャンとなると、オーガスタス・パブロかな。1人選ぶとしたら彼だろう。彼の音楽は俺が自分の音楽を確立する上で大きな存在だった。オーガスタス・パブロがメロディカを弾くのを聴くといつも「自由」を感じる。彼の音楽には決まった構造やアレンジがなく、自由を感じた。そういう音楽を作る上での既存の定型にとらわれない姿勢というのを彼から学んだ。自分の子どもたち2人とも、生まれて最初に聴いた音楽がオーガスタス・パブロの曲だ。彼らに最初に聴かせたレコードだ。自分が最初にやったDJライヴでも、最初にかけたのはオーガスタス・パブロの曲だった。というくらい、オーガスタス・パブロの音楽は俺にとって大きな存在で、彼の存命中に彼と会って、いっしょに音楽が作れていたらどんなによかっただろう。

あー。

interview with DJ MIKU - ele-king

 君がまだ生まれたばかりか、生まれる前か、よちよち歩きしたばかりか、とにかくそんな時代から話ははじまる。1993年、移動式パーティ「キー・エナジー」は、東京のアンダーグラウンドを駆け抜けるサイケデリックなジェットコースターだった。実際の話、筆者はジョットコースターを苦手とするタイプなのだが(いままでの人生で5回あるかないか)、しかしあの時代は、目の前で起きている信じられない光景のなかで、乗らなければならなかった。いや、乗りたかったのだ。なにがカム・トゥゲザーだ、外面上はそう嘲りながら、もはや太陽系どころの騒ぎじゃなかった。そして、そのとき我々を銀河の大冒険に連れて行った司祭が、DJミクだった。
 DJミクは、80年代のニューウェイヴの時代からずっとDJだったので、そのときすでにキャリアのある人物だったが、当時としてはヨーロッパのテクノ、ジャーマン・トランスを取り入れたスタイルの第一人者で、とにかく彼は、10人やそこらを相手にマニアックな選曲でご満悦だったわけではなく、1000人以上の人間を集め、まとめてトリップさせることができるDJだった。


DJ Miku
Basic&Axis

Hypnotic Room

Techno

iTunes beatport DJ MIKU Official web

 さて、その栄光に彩られた経歴とかつての過剰な場面の数々に反するように、本人は、物静かな、物腰の柔らかい人で、それは知り合ってから20年以上経っているがまったく変わっていない。
 時代が加速的に膨張するまさにそのときに立ち合ったこのDJは、しかし、その騒ぎが音楽から離れていくことを案じて、常識破りのバカ騒ぎを音楽的な創造へと向かわせようとする。90年代半ばにはレーベルをはじめ、音楽を作り、また、売れてはいないが確実に才能のあるアーティストに声をかけては作品をリリースしていった。このように、パーティ以外の活動に積極的になるのだが、しかし、いわば偉大なる現実逃避の案内人が、いきなり生真面目な音楽講師になることを誰もが望んでいるわけではなかった。
 こうして司祭は、いや、かつて司祭だったDJは、天上への階段を自ら取り壊し、自ら苦難の道を選んで、実際に苦難を味わった。ひとつ素晴らしかった点は、かつて一夜にして1000人にマーマレードの夢を与えていたDJが、10年経とうが20年経とうが、いつか自分のソロ作品を出したいという夢を決して捨てなかったということだ。その10年か20年のあいだで、90年代初頭のど派手なトリップにまつわるいかがわしさはすっかり剥がされて、輝きのもっとも純粋なところのみが抽出されたようだ。アルバムには瑞々しさがあり、清々しい風が吹いている。それが、DJミクの、活動35年目にしてリリースされるファースト・アルバムだ。
 アルバムのリリースと、6月4日の野外パーティ「グローバル・アーク」の開催を控えたDJミクに話を聞いた。アルバムは、活動35年目にして初のソロ・アルバムとなる。それだけでも、DJミクがいま素晴らしく前向きなことが伝わるだろう。

どうしてもそういうものを作りたかったというのがありますね。もう必死というと格好悪いけど、作っているあいだは必死だったかもしれない。35年やって、10年間アルバムを作れないでいた思いというか。だからどんどんリリースしてる人とかDJ活動してる人とか羨ましかったですね

DJをはじめて30年ですか?

DJ MIKU(以下ミク):35年ですね。

というと1981年から! 35年もブースに立ち続けるってすごいです。

ミク:運が良かったんだと思います。最初にすごく有名なナイトクラブ(※ツバキハウス)でデビューさせてもらったおかげで、次行く店でも割と高待遇な感じでブッキングされて。そういうクラブは気合も入ってるし、80年代はクオリティの高いディスコなりクラブのブースで、ずっと立ち続けることができたからね。で、90年代に入ったときには、自分たちのやったパーティが成功したと。まずは「キー・エナジー」、その次に「サウンド・オブ・スピード」でもレジデンスをやって、あともうひとつ「キー・エナジー」の前にラゼルというハコでアフター・アワーズのパーティもやったな。

ぼくにとってミクさんといえば、なんといっても悪名高き「キー・エナジー」のレジデントDJですよ(笑)。

ミク:まあまあ(笑)。その前も80年代のニューウェイヴ時代にもやってるんで。

いやー、でもやっぱりミクさんといえば「キー・エナジー」のミクさんじゃないですか。


天国への切符? Key -Energyのフライヤー。good old days!

ミク:そうなっちゃいますよね。90年代はとくね。

いや、あんな狂ったパーティは、ぼくは日本ではあそこしか知らないです(笑)。少なくとも、90年代初頭にテクノだとかレイヴとか言って「キー・エナジー」を知らない奴はいないでしょう。あれほどヤバイ……、ヨーロッパで起きていた当時の狂騒というか、過剰というか、狂気というか(笑)。日本でそれを象徴したのは紛れもなく悪名高き「キー・エナジー」であり、その名誉あるレジデントDJがぼくたちの世代にとってのミクさんです。だからいまでもミクさんの顔を見るたびに、ジャム・アンド・スプーンが聞こえてきちゃうんですよ。「フォローミー」というか(笑)。

ミク:ははは、懐かしい。そういう時代もあったんだけど、自分としては35年と長くDJやっててね、「キー・エナジー」はおそらく3、4年くらいしかなかったのかな。

もっとも濃密な時代だったじゃないですか。

ミク:かもしれないですねえ。

サウンド・オブ・スピードはどこでやったんでしたっけ?

ミク:それもやっぱり移動型のパーティで、それこそ代々木の廃墟ビルでやったりとか寺田倉庫でやったりしましたね。

ヒロくん? 彼はもっと、ワープ系だったり、ルーク・ヴァイバートなんかと仲良かったり、エクスペリメンタルな感じも好きだったでしょう?

ミク:そうそう。

ああ、思い出した。ミクさんは「キー・エナジー」であれだけヤバい人間ばかり集めたんで、やっぱりもうちょっと音楽的にならなきゃということで、「サウンド・オブ・スピード」にも合流するんですよね。ただ、あの時代、ミクさんがDJやると、どうしてもヤバい人間がついて来るんだよね(笑)。それがやっぱりミクさんのすごいところだよ。

ミク:どうなんですかね(笑)。

あの時代の司祭ですから。

ミク:はははは。


1997年の写真で、一緒に写っているのは、Key -Energy前夜の伝説的なウェアハウス・パーティ、Twilight ZoneのDJ、DJ Black Bitch(Julia Thompson)。コールドカットのマットの奥方でもある。余談ながら、1993年にTRANSMATのTシャツを着て踊っている筆者に「ナイスTシャツ!」と声をかけてくれたこともある。

テクノと言っても、当時のぼくなんかは、もうちょっとオタクっぽかったでしょ。良く言えばマニアックなリスナーで、そこへいくとミクさんのパーティにはもっと豪快なパーティ・ピープルがたくさん集まったてて。あれは衝撃だったな。イギリスやベルリンで起きていたことと共通した雰囲気を持つ唯一の場所だったもんね。あのおかげで、ぼくみたいなオタクもパーティのエネルギーを知ったようなものだから。

ミク:ところがその頃からレーベルを作っちゃったんですよ。

〈NS-Com〉?

ミク:そうですね。最初のリリースは97年だけど、その前身となった〈Newstage〉を入れると96年。

〈Newstage〉は、それこそレイヴ的なスリルから音楽的な方向転換をした横田進さんの作品を出してましたね。横田さんとか、白石隆之とか、ダブ・スクアッドとか……。ときには実験的でもあった人たち。でもミクさんの場合は、DJやると、どうしてもクレイジーな人が来るんだよなあ(笑)。それが本当ミクさんのすごいところだよね、しつこいけど。

ミク:はははは。DJでかけるものと自分の好きなものが違うんですよ。やっぱりDJでかけるものってハコ映えする曲なので。

去年コリン・フェイヴァーが死んだの知ってます?

ミク:知ってますよ。

縁起でもないと怒られるかもしれないけど、もし東京にコリン・フェイヴァーを探すとしたらミクさんだと思いますよ。

ミク:一度やったことあるけど、すごいオッサンでしたね(笑)。

コリン・フェイヴァーは、ロンドンの伝説的なテクノDJというか、ポストパンクからずっとDJしていて、そしてUKのテクノの一番ワイルドなダンサーたちが集まるようなパーティの司祭として知られるようになる。アンドリュー・ウェザオールがテクノDJになる以前の時代の、偉大なテクノDJだったよね。いまの若い子にコリン・フェイヴァーなんて言っても、作品を残してるわけじゃないからわからないだろうけど、90年代初頭にコリン・フェイヴァーと言ったら、それはもうUKを代表するテクノDJでね。

ミク:「キー・エナジー」でコリン・フェイヴァーを呼んで一緒にやって、やっぱりすごく嬉しかったな。あこがれの人と出来て。ただ自分がDJでプレイする曲って、いま聴いちゃうと本当どうしようもない曲だったり。こう言ったら失礼かもしれないけど、B級な曲なんだけれどもフロアで映えるという曲をプレイしていて。つまりダサかっこいい曲が多かった。でも自分の家に帰ると実は練習以外ではほとんど聴かなかったですね。

練習?

ミク:自分は練習量に関しては負けない自信があるんですよ。どのDJよりも練習したし、いまもしょっちゅうネタを探してるしてやってます。そういう意味では努力していると思う。

練習って、ミクさんは筋金入りだし、ディスコ時代から修行を積んでこられてるじゃないですか。

ミク:そういう経験にプラスしてMIXやネタのところでも負けたくないなというのは今もありますね。

当時のぼくはオタク寄りのリスナーだったけど、ミクさんはもうすでに大人のDJだったっすよね。遊び慣れているというか。

ミク:どうなんだろう……

だってミクさんが相手にしていたオーディエンスって、だいたいいつも1000人以上?

ミク:多いときは1500人くらいはいましたねえ。


1995年、Key -EnergyのDJブース

でしょ? そもそも「キー・エナジー」はマニアック・ラヴ以前の話だしね。

ミク:ちょっと前くらいかな。

リキッドルームなんか、そのずっと後だもんね。で、マニアック・ラヴというクラブがオープンして、それがどれほどのキャパだったかと言えば、100人入ればかなりいっぱいになるようなハコだったわけでしょ。で、実際、当時はそこに数十しかいなかったわけで、それでもすごく画期的だったりして(笑)。それを思うとですよ、あの時代、1000人の前でプレイするってことが何を意味していたかってことですよね。ナンなんですか?

ミク:時代の勢い?

ひとつには、それだけ衝撃的な吸引力があったってことじゃないですか? 「こんなのアリ?」っていう。

ミク:だけどねえ、人数は関係ないのかなあ。俺がDJやってていちばん手が震えたのは、横浜サーカスというところでやったときで。ちょうどパブリック・エナミーが来日していて、ハコに遊びに来たんですよ。で、フレイヴァー・フレイヴがDJブースに乱入してきて、いきなり俺のDJでラップはじめて(笑)。

すごいですね。

ミク:87年か88年かなぁ。しかもサーカスというとクラブの3分の1から半分くらいがアフリカ系アメリカ人なんですね。その外国人たちがすごく盛り上がっちゃってね。外したら氷とかコップとか投げられそうになるみたいな(笑)。そのときは手が震えたね。

「キー・エナジー」以前にそんなことがあったんですね。初めて知った。

ミク:まあその話すると逸れてしまうので、レーベルの方に話を移すと、じつはキー・エナジーをやっていた頃に野田さんに言われたことがあるんですよ。「ミクさんたちはビジネス下手だからなあ」って(笑)。「これだけ話題になってるんだからもっと上手くやればいいじゃん」って言われたんですよ。

ええ、本当ですか? それは俺がまったく生意気な馬鹿野郎ですね。ビジネスを語る資格のない人間が、そんなひどいこと言って、すみません!

ミク:いえいえ(笑)。クラブ業界と音楽業界は違うんですよ。たしかにレーベルやるということはビジネスマンでなくてはいけない。それまではただのいちDJ、アーティストとして音楽業界と接していたんだけど、レーベルをやるということはCDを売らなきゃいけないということなんだよね。流通とか、プロモーターとか、他にも汚れ仕事もしなきゃならない。でも、当時は俺も経験がなかったですし、はっきり言って新人ですよ。DJとしてはもう、その頃で10年以上はやってたんだけど、でも音楽業界のプロの人に現実的な事をすごく言われちゃって。理想的なことばっかり話してたもんだから呆れられて、とくに良く言われたのが「ミクさんアーティストだからな」とか(笑)。シニカルなことを良く言われました。

俺そんなこと言いました?

ミク:いや、野田さんじゃないですよ(笑)。他の音楽業界の方々です。

ああ、良かった。とにかく俺がミクさんのことで覚えているのは、「キー・エナジー」って、あの狂乱のまま続けてていいのかというレベルだったでしょ。だから、音楽的にもうちょっと落ち着いたほうが良いんじゃないかっていう。ミクさんのところはハードコアなダンサーばかりだったからさ(笑)。そういえば、1993年にブリクストンで、偶然ミクさんと会ったことがあったよね。

ミク:ああ、ありましたね。

朝になって「ロスト」というパーティを出たら、道ばたにミクさんがいた(笑)。あれ、かなり幻覚かなと思いましたよ。

ミク:あのとき、一緒にバスに帰って、野田さんはずっと「いやー、素晴らしかったすね!」って俺に言い続けていたんだけど、じつは俺はロストには行かなかったんだよ。

ええ! じゃあ、あのときミクさんはブリクストンで別のパーティに?

ミク:ロンドンのシルバーフィッシュ・レコードの連中とミックスマスター・モリスのパーティにいたの。その後ロストに行こうと思ってたんだけど、モリスのプレイがあまりにも良くて、ハマっちゃって出てこれなくなっちゃって、パーティが終わっちゃた。それで帰り道で「ロスト」の前を歩いたら、野田さんたちがいたんですよ。

そうだったんですね。俺はあのとき「ロスト」を追い出されるまでいたんで(笑)。追い出されて、もう超眩しい光のなか、ブリクストンの通りに出たら、ミクさんがいたんですよ。ようやくあのときの謎が解けた。

ミク:はははは。


テクノ全盛期のロンドンのレコード店、シルヴァーフィッシュ内でのミク。

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こんなことで10年もくすぶっているんだったら一発賭けてみようかと思って、失敗したらホームレスになってもいいやという境地になりましたね。それが去年なんだけど。6ヶ月間なにも他の仕事しないで音楽を作るためだけの時間を作ろうと思って、変な話、生活費を立て替えるためにローンしたり(笑)。それで完成させたのがこのアルバムなんです。

ともかく、35年目にして初めてのソロ・アルバムを作るっていうのは……すごいことだと思うんですよね。普通は、35年もつづければ「も、いいいか」ってなっちゃうでしょ。しかもミクさんはずっとDJで、それってある意味では裏方であり、そのDJ道みたいなものをやってきたと思うんですけど。

ミク:そう、DJ道! それが本当に一番。

だから自分で作品を作るというよりは、人の良い曲をかけるという。


DJ Miku
Basic&Axis

Hypnotic Room

Techno

iTunes beatport DJ MIKU Official web

ミク:でもね、本当は自分の作品を作りたくてしょうがなかったんだ。だから1回ロータスというユニットでアルバム作ったんです。そのままやりたかったんだけど、レーベルを同時に始めちゃったので、レーベルの運営業務に時間が食われてしまうんですね。2010年くらいまでやってたんだけど、どうも2005年くらいから調子が悪くなって。テクノだけじゃ売れないし、エレクトリック・ポップとかもやりだして、どうしてもライヴだとかのマネージメント的なことも出てきちゃったり、ときにはトラックダウンやアレンジもやったりして。そうするとすごい時間取られるようになってきちゃって……自分はDJとして活動したいけど、ビジネスマンでなきゃいけないというプレッシャーもあり……(笑)。また、自分の時間がないという。
 2002年くらいから2010年くらいまでは完全に裏方みたいな感じだったな。レーベルのアーティストたちはアルバム出してるのに、自分は出せないという。だから自分のソロ・アルバムを作ろうと思ったのは、じつは10年くらい前なんですよ。

へー、そんな前から。

ミク:シンプルなミニマル・トラックだったら2〜3日で出来る事もあるけど、もうちょっとメロディの入った音の厚いものを作ろうとすると、けっこう時間もかかる。たまに単発でコンピレーションに曲を提供したりはしてたんだけど、まとまったものを出したかったんだよね。

それが結果的に2016年にリリースされることになったということですか?

ミク:遅れに遅れて。そのあいだ、こんなことで10年もくすぶっているんだったら一発賭けてみようかと思って、失敗したらホームレスになってもいいやという境地になりましたね。それが去年なんだけど。6ヶ月間なにも他の仕事しないで音楽を作るためだけの時間を作ろうと思って、変な話、生活費を立て替えるためにローンしたり(笑)。それで完成させたのがこのアルバムなんです。

人生をかけたと?

ミク:侠気というのがあるじゃないですか。80年代には侠気がある先輩が多くて。自分もそれに助けられてきたんですよ。

侠気っていうか、親身さ? 面倒見の良さ?

ミク:そうですね、自分の利益を顧みないでサポートしてくれる人がいました。そんな先輩の影響もあってレーベルをやっていたところが大きい。ぼくはその精神を継承しただけなんですね。だから近くにいる奴が「ミクさん、アルバム作りたいんですけど。」と言ってきたら、「おお、やれよ。俺が面倒見てやるよ。」ってことでCD出したりしてました。

ははは(笑)。親分肌だね。

ミク:ところが2005年くらいから収入も激減しちゃって。だんだん男気が出せなくなってきちゃって(笑)。

それは単純にDJのギャラが下がったということなんですか?

ミク:うん、それもある。あとはDJをやる回数が減った。だって自分の作品出してないし、とはいえ渋谷のWOMBで2001年から06年くらいまでレギュラー・パーティのレジデントをやってたんで、ある程度DJとしての活動は出来てたんだけれども。それ以外ということになるとなかなか話題も作れなかったし、ブッキングもどんどん減っちゃってたね。

地方であったりとか?

ミク:あと小さいクラブであったりとか。2005年くらいにだんだん貧乏になってきちゃって、男気が出せないということになる。そのときに男気って経済的なことなのかなあと思って(笑)。でもそれは悔しいじゃないですか。そんなときに経済と関係なく、男気を出さないといけないんじゃないかなと思って。今度は自らのために侠気を出して6ヶ月間の生活ローンを組んで(笑)。

それはまた(笑)……しかしなんでそこまでしてやろうと?

ミク:90年代から2000年代にかけて、一緒にやっていた奴らがどんどんやめちゃうんですよ。日本でテクノじゃ食えないので。結婚したり子供が出来たりとか、いろんな理由があると思うんだけど、すごく才能のある奴もやめていっちゃう。

それはDJとしての活動ということですか?

ミク:DJとしてもアーティストとしても。でもアーティストのほうが多いかな、曲を作る人。どんどんやめていってしまう。で、そんなときだからこそ、作って刺激してやろうと。そう思って完成させました。

その気持ち、わかります。ただ、ぼくもクラブ遊びはもうぜんぜんしていないんですね。大きな理由のひとつは、経済なんです。昔はクラブの入場料なんて1500円で2ドリンクだったでしょ? 現代の東京のクラブ遊びは金がかかるんです。収入の少ない子持ちには無理です。独身だったらまだ良いんですよ。ただ、それが職業になっているんだったら話は別ですけど、カミさんと子供が寝ている日曜の朝にベロベロになって帰ってきて寝るというのはさすがに気が引けるってことですね(笑)。
 あとは、健康にはこのうえなく悪い遊びじゃないですか。寝ているときに起きているわけだから。ぼくは朝型人間なんで、毎朝6時前起きで、年齢も50過ぎているから、夜の11時過ぎに起きていること自体がしんどいんです。そんな無理してまでも遊ぶものじゃないでしょう、クラブって。つまり、クラブ・カルチャーというのは、人生のある時期において有意義な音楽であるということなんですよ。受け手側からすると、クラブ・カルチャーは一生ものの遊びじゃないというのが僕の結論なんですね。ただ、だからといって僕がクラブ・ミュージックを聴かないことはないんです。買って家で聴く音楽は、いまだにクラブ的なものなんですね。相変わらずレゲエも家で聴きますけど、ダンスのグルーヴのある音楽はずっと聴いています。だからクラブ遊びは年齢制限ありだけど、音楽それ自体は永遠なんですよね。

ミク:そこですよ。だからアルバム作るもうひとつの動機は作品を残せるから。
やっぱりDJって、とてもスペシャルなことだけど一夜限りのものなんですよ。

それはそれで最高ですけどね。刹那的なものの美しさだと思うんですよね。こういうこと言うと若い人に気の毒なんだけど、あんなに面白い時代は二度と来ないだろうな(笑)。いまのクラブ行ってる子たちには申し訳ないんだけど。

ミク:まあ別物ですからね。

いまのクラブがクラブと呼ぶなら、あの時代のクラブはクラブじゃないですから。クラブっていうのは、ぼくにとっては、スピーカーの上に人がよじ登って、天井にぶら下がったりして騒いでいる場所で(笑)。

ミク:そうですね。でもああいうパーティもまた出来ないことはないんじゃないかなって少し思っちゃってるんですよ(笑)。

レインボー・ディスコ・クラブってあるじゃないですか。こないだあれに行ったらすごい家族連れが多かったんですよね。たぶん俺と同じ世代なんですよね。で、その家族連れがいる感じがすごく自然だったんですよ。

ミク:そうね、野外だったらね。

そう。じゃあこれつま恋とかで吉田拓郎がやってフォークの世代がそこに集まったろしても、家族連れでは来ないじゃないですか。ジャズ・フェスティヴァルがあったとして、家族連れでは来ないでしょう?

ミク:たぶんそうだね。

でもダンス・カルチャーというのは家族連れで来るんですよね。それはやっぱり,ダンス・ミュージックは誰かといっしょに楽しむコミュニティの音楽からなんでしょうね。それってある意味ではすごく可能性があると思ったし、こんなに家族連れが来ても違和感を感じない文化、音楽のジャンルというのも珍しいんじゃないかなと逆にすげーと思ってしまったんですよね。

ミク:俺は、野外パーティの「グローバル・アーク」を仲間とやってて、それの基本って自分の頭のなかでは、「ビック・チル」なんですね。「グローバル・アーク」の音楽自体はダンスなんだけど、雰囲気的な所が目指したいところで。

ああ、「ビック・チル」かー、UKのその手の野外フェスで最高なものでしたよね。

ミク:1999年あたりの「ビッグ・チル」に出演したことがあって、ロンドンの郊外のだだっ広いところでやったんだけど、そのときも年齢層の幅広さに驚いたんですよね。若い子もいるし家族連れもいるし、60代もいるし。すごくいいパーティだなあ、こういうのいつかやりたいなあというのがずっとあった。それで2012年、時代が変わるときに何かやりたいと思っていて、それで「ビッグ・チル」みたいなイベントをやりたいと思ってはじめたのが「グローバル・アーク」なんです。そうすればいろんな人が交わる。若い人も、家族連れの人も、もう引退しちゃった人も。

下手したら、いまのあらゆるジャンルのなかでも平均年齢がいちばん若いかもしれないですよ。3歳児とか多いから(笑)。

ミク:そうかもしれない(笑)。東京のクラブなんかみんな30代以降と言ってるからびっくりですよね。だけど野外になるとね、それこそさっき言った3歳とか5歳とかいるわけで(笑)。その子たちが自然と音を聴くわけですよね。だから将来有望だなあ、なんてちょっと思っちゃったりもするんだけど。

そうですよ。ぼくなんか、都内のクラブ・イベントに誘われても「本当に行っていいの? 平均年齢いっきに上がってしまうよ」って言うくらいですから。

ミク:はははは、だけどああいう野外パーティもすごいリスキーでね。雨が降ったときとか……クラブでやるのとわけが違う。「グローバル・アーク」の場合3つのフロアがあるんですけど、一夜にして3つのクラブを作んなきゃいけないという。

しかも場所がね。

ミク:山の中なかですから。

最高の場所ですよね。よく見つけたなあと思います。ぼく自転車好きなんでたまに奥多摩湖に行くんですよ。家から往復すると150キロくらい。あの、奥多摩駅を超えたあたりから別世界なんですよね。本当に素晴らしい景色です。

ミク:すごく良いところです。

しかし、話を聞いてわかったのは、今回のファースト・アルバムには、ミクさんのいろんなものが重なっているんですよね。シーンに関することや、未来への可能性をふくめて。

ミク:すごくいろんなものが重なってる。シーンに関して言うと「グローバル・アーク」では最近音楽活動してない人もブッキングしたりしてるけど、アルバムを出すという行為自体が、そういう人に向けて「もっと音楽やろうよ!」というメッセージになってると思います。僭越だけど自分の中では大きなポイントだね。未来のことを言えば、ヨーロッパのどこかの国で流行ってるハウスやテクノを追いかけて曲を作るのではなく、日本のドメインの音をみんなで作っていきたいと思うな。それはパーティも含めてね。個人的に「昔は良かった」っていう話で終わらせるのは大嫌いだから常に前進あるのみでこれからも行きます。

「キー・エナジー」を繰り返すことはもう不可能だろうけどあの時代とは別のエネルギーを表現したいってことですか?

ミク:そうですね。


渋谷のWOMBでのレギュラー・パーティ、CYCLONEの様子。

しかし、ミクさんと会っていると、どうしてもあの時代の話になっちゃうんですが……、あの頃、いまじゃ信じられないけど、どこまでトリップできるかっていうか、あるときには、クラブにお坊さんを呼んでお経まで詠んでいたような時代ですからね。

ミク:はははは、エドン・イン・ザ・スカイかな?

そうそう、風船を天井に敷き詰めてね。ムーキーさんとか、あの人も時代の主要人物のひとりですよねえ。

ミク:日本のミクス・マスター・モリスみたいな(笑)。

おかしいですよ、しかも満員だったし(笑)。

ミク:だから90年代って面白かったんだろうね。ただそこをずっと見ててもしょうがない。やっぱり2010年代に新しいものを作っていきたいということでいまやってるのが、「グローバル・アーク」を中心とした活動というか。

俺、ミクさんの今回のアルバム聴いてびっくりしちゃったもん。すごく爽やかなんですよね。すごくクリーンで透明感があって。

ミク:それを目指したというかね。透明感を保ちつつ深いところへ行けるようなトリップ感。

ぜんぜんドロドロしていない(笑)。だから「キー・エナジー」の狂気とはまったく違う(笑)。今回は、ミクさんがひとりで作ったんですか?

ミク:もう全部ひとりで作りました。お金もないしマスタリングも頼めないし(笑)。自分の自宅で。それも古い機材だけで作りました。

ドロドロはしていないだけど、いい意味で90年代初頭の感じがしましたね。90年代初頭のベッドルーム・テクノな感じ。

ミク:そう、あの音、とくにヴィンテージ系シンセの音が好きなんだよね。ああいうのは、パンクだとか初期のシカゴ・ハウスやデトロイト・テクノとか、もちろんヒップホップとか、そういう「あるものでやる」という衝動があって。自分がいま持っているものでやろうと。だから、時間がかかったんだけどね。

90年代初頭のテクノがキラキラしていたころのサウンドですよね。

ミク:まあそれは影響あるから当然だと思う。なおかつちょっとポップに作りたかったというのもあった。というのは自分の中の永遠のテーマってディープ・ポップスなんですよ

曲がすごくメロディアスですよね。

ミク:どうしてもそういうものを作りたかったというのがありますね。もう必死というと格好悪いけど、作っているあいだは必死だったかもしれない。35年やって、10年間アルバムを作れないでいた思いというか。だからどんどんリリースしてる人とかDJ活動してる人とか羨ましかったですね。だから野田さんにビジネスが下手ですねと言われたときに……

そんなこと言ってないですよ!

ミク:いや、言った言った(笑)。

おまえ何様だと思ってるんだという感じですよね。そのときの俺がここにいたらぶん殴ってやりますよ(笑)。

ミク:いやいや(笑)。だけど本当に、そもそも音楽業界でビジネスやるというのはどういうことなのかもいまでもよくわかってないから。

俺もわかってないですよ(笑)。DJだけじゃなく、ライターだって、長くやっていればいるほど、時代の流れ、時代の変化というものに晒されるし、ひとりだけ取り残されるという感覚も味わうかもしれない。

ミク:長くやっていればそうでしょうね。

だからいまの若い子も毎日歳を取って、で、いつかはそうなるわけであって。

ミク:打開するのは自分自身でしかないんですよね。

あとはじっとときを待つというのもあるんじゃないですかねえ。

ミク:いや、待ってても来ないですね(笑)。

そうですか?

ミク:いや、来ないです(笑)!

ミクさんはもっと早く出したかったのかもしれないけど、むしろいまこのサウンドは求められてるんじゃないのかなと思います。ソウルを感じるし、アンビエントも感じますね。

ミク:80年代のディスコ時代は、ぼくは高橋透さんの下だったんですね。透さんはミックスには厳しい方でね、だから当時は本当にたくさん練習したし、曲の小節数も覚えたし。で、透さんはソウルやディスコの人で、ぼくはニューウェイヴの世代だったから、ぼくは若い頃すごくブラック・ミュージックにコンプレックスがあって。でも、ニューウェイヴにもソウルがあったし、なんか、それは自分でも表現できるんじゃないかってずっと思ってて。あと、やっぱり最新の便利さのなかで作ってないことも、そんな感じを出しているかもしれないね。まあ、俺はどうしても好きな音があるし、それをやるとこうなっちゃうというか。

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「キー・エナジー」のジャングルベースでやったときだったか? 女の子が全裸になって走りまわってて、セキュリティーが「パンツくらいはけよ!」ってパンティ持って追いかけてったり(笑)。そんなこともあったけど、そこにいる人間が暗黙のコミュニケーションで結ばれてたから、好き勝手に自己表現しても許される。

90年代の主要人物であったミクさんがあれだけ数多くの狂人たちを見てきて、いまそこから何を導き出せると思いますか? あの時代の何がこの時代に有効というか、何が普遍的な価値観として導き出せると思いますか?

ミク:コミュニケーションでしょうね。あの時代というのはもちろんネットもないし、ほとんど口コミですよ。

まあ、がんばって壁によじ登る必要はないからね(笑)。天井にぶら下がるのも危険だし、上半身裸で踊ったら風邪引くし(笑)。

ミク:はははは、みんなそうだったもんね。上半身裸は最近見なくなったね。「キー・エナジー」のジャングルベースでやったときだったか? 女の子が全裸になって走りまわってて、セキュリティーが「パンツくらいはけよ!」ってパンティ持って追いかけてったり(笑)。そんなこともあったけど、そこにいる人間が暗黙のコミュニケーションで結ばれてたから、好き勝手に自己表現しても許される。オーディエンス同士が濃密な関係だったから、そういう雰囲気が作れる。いまはDJ対オーディエンスだけの関係がメインになってる部分が大きいから、それをオーディエンス対オーディエンスの部分をもっとフックアップしていけば来てる人ももっと楽しいはずだし、ネット以外のコミュニケーション方法が変われば、あの熱い感じは戻ってくるんじゃいかと思うな。クラブも野外パーティもその方が絶対楽しいはずだからね。

90年代のナイト・ライフが言ってたことはじつに簡単なことであって、「週末の夜は俺たちのものだ!」ということでしょ(笑)。もちろんそこでかかっていた音楽が真の意味で圧倒的に新鮮だったことが大前提なんだけど、必ずしもマニアックな音を追いかけていたわけじゃないからね。ロックのコンサートに5千円払うんだったら、1200円で買った12インチを持ち寄ってみんなで1000円の入場料払って、集まって聴いたほうが楽しいじゃんって、ものすごくロジカルに発展したのがクラブ・カルチャーで、主役はスターじゃなく音楽なんだからさって。いまじゃすっかり本末転倒しちゃってるけど。空しいだろうな、下手したら、いまは趣味の違いでしかないから。「キミはミニマルなの? ふーん、ディープ・ハウスもいいよね」「ダブステップも最近また面白いよ」とか「やっぱジュークでしょ」とか、「このベースラインがさー」とかさ、そんな感じじゃない? 俺たちの時代は、もっとシンプルだったじゃん。「週末は行くでしょ?」だけだったんだから。「で、何時にしようか?」とか。そういえば俺、「キー・エナージー」の開場前からドアに並んでいたことあったもん(笑)。どこのバカだと思われただろうけど。

ミク:90年代は踊りに来てたんですよ。でもいまは踊らされるために来てるんじゃないのかと思ってしまうこともある。DJをあんまりやったこともないような海外のクリエイターがプロモーションの為に即席DJで来日して、プレイもイマイチなのに、みんなDJ見て文句も言わず踊ってる。これ、オーディエンスは本当に楽しんでいるんだろうか? っていう場面を良くみます。情報を仕入れに来るのもいいけど、DJは神様じゃないんだから礼拝のダンスというよりは、自己表現のダンス、時には求愛のダンスで自らが楽しんで欲しいな。

せめて可愛い女の子を探すくらいの努力はしないと(笑)。

ミク:ははは(笑)。それはそうだね。

デリック・メイが言うところのセクシーさは重要ですから。

ミク:それはある。クラブというのはそういうもんです。自分自身が関わってたパーティはセクシーなだけでもなく、サイケデリック・カルチャーとかニュー・エイジまで、本当にいろいろなものがあって、環境問題とか考えるきっかけにもなったり。いまだにそういう思想を持った人とは繋がっているし。つまり90年代のパーティは集まった人たちによる濃密なコミュニケーションから様々なものが生まれて、人との繋がりが仕事になってたり、世の中のことを議論するミェーテングの場でもあったり。そんな関係性を作れる場でもあったから、それを次の人たちにも掘り起こしてほしいね。とくに初期のトランスのパーティにはそういう原型があったと思うしね。
 音楽的にはいまで言うトランスと初期のトランスはぜんぜん違うんだけど、俺から言わせればマッド・マイクもジョイ・ベルトラムもデイブ・クラークもトランスと言えばトランスだった。自分はジャーマン・トランスはかけたけど、それはやっぱり音楽的にシカゴやデトロイトとも連動しているからで。でも、96年くらいからお客さんは、わかりやすいトランスを求めてきた。インドぽいフレーズの入ったトランスをかけないと裏切り者ぐらいのことを言われたり。でも、俺はあの音は大の苦手だったんだ。プレイはしなかった。だからレーベルをはじめて、方向性を変えて、そっち方面へ行ったオーディエンスとは一時期決別することになってしまったんだけど。でも時代が1周して最近はそっちに行った人たちも戻ってきてるというか、自分が近づいてるというか、接点も多くなってきた。

それから今回のアルバムへと長い年月をかけて発展したのはよくわかります。さっきも言いましたが、本当に澄んだ音響があって、清々しいんですね。さきほど「ビッグ・チル」の話が出ましたが、アンビエント、デトロイト、クラブ・ジャズなんかが良い感じで融和しているというかね。ところで、これからミクさんはどうされていくんですか?

ミク:目指しているのは親父DJかな(笑)。

もう立派に親父DJですよ(笑)。みんな親父DJですよ(笑)。

ミク:もっと親父な感じでやりたいのね。ハードなやつじゃなくて、チルなゆるい奴も含めて。去年一番楽しかったDJって西伊豆でやったときなんですよ。西伊豆に海を渡らないと行けないところがあって。そこで本当にちっちゃいパーティがあったんだけど。そのときに久々に8時間くらいDJやったんだよね(笑)。

すごいな。

ミク:チルな音楽中心だったんだけど、やっててすごく楽しくてね。縛りなしだし。だからそういうのを広げていきたいなというのはありますね。もちろんダンス・ミュージックはやるんだけれども、そういうゆるい感じのもやっていって。ちっちゃいパーティで身軽にやってもいいし。

俺はまあ、日本のコリン・フェイヴァーはいまのうちに聴いとけよというね(笑)。

ミク:それはそれで続けますよ、これからも! 生きてるうちは(笑)

あの時代は再現できないだろうけど、若い世代に新しい時代を作って欲しいですね。ぼくたちでさえできたんだから、君たちにもできるってね。

ミク:そうだよね、それもいままでにない違う形でね。もし手伝えることがあれば、どんどん声かけて欲しいです。


野外からクラブまで、いつまでもDJを続けるぜ!



6月4日、「GLOBAL ARK 2016 」がありますよ〜!

2016.6.4.sat - 6.5.sun at Tamagawa Camp Village(Yamanashi-ken)
Gate Open:am11:00 / Start: noon12:00
Advance : 5,000 yen Door : 6,000 yen
Official Web Site : https://global-ark.net

今年も6月の第一週の週末から日曜日の昼過ぎまで第5回目のGLOBAL ARK を開催します。
今年は、初登場のDJ/アーチストも多く新たな展開に発展しそうなラインナップとなっております。都内を中心に全国で活躍するレジェンドから新進気鋭のDJまで豪華共演の宴をご期待ください。

また、海外からはディープテクノ、ミニマルのレーベル、Aconito Recordsを主宰し、自身の作品を中心にGiorgio Gigli、Deepbass、Obtane、Claudio PRC、Nessなどの数々の良質なトラックをリリースするNAX ACIDが初来日を果たします。

そして去年のGLOBAL ARKで素晴らしいプレイを披露してくれた、
Eduardo De La Calleが再来日決定! 今年に入ってから、CadenzaよりANIMA ANIMUS EPとスイスの老舗レーベルMENTAL GROOVEから、CD、デジタル、12インチでのフルアルバムをリリース。12インチバイナルは豪華6枚組ボックスセット! まさに今絶好調のEduardoは必見・必聴です。

さらに今年は3つのエリアにDJブースが設けられ、更なるパワーアップを目指しました。そして充実のフードコート。今年も様々なメニューを用意しており、自然の中でいただく料理は格別なものとなるでしょう。近くには日帰り温泉施設小菅の湯もございます。踊り疲れたらこちらに立ち寄るのも
楽しみのひとつになるかもしれません。

梅雨入り前の絶好の季節に山々の自然と最新のTechno/House/Dance Musicをお楽しみください。皆さまのご参加を心よりお待ちしてます。

Line up

-Ground Area -

EDUARDO DE LA CALLE (Cadenza,Analog Solution,Hivern Discs/SPA)
Nax_Acid (Aconito Records, Phorma, Informa, Kontrafaktum/UK, ITA)
ARTMAN a.k.a. DJ K.U.D.O.
DJ MIKU
KAORU INOUE
HIDEO KOBAYASH (Fuente Music)
GO HIYAMA (Hue Helix)
TOMO HACHIGA ( HYDRANT / NT.LAB )
Matsunami (TriBute)
NaosisoaN (Global Ambient Star)

<Special Guest DJ>
DJ AGEISHI (AHB pro.)

-River Area -

DJ KENSEI
EBZ a.k.a code e
DJ BIN (Stargate Recordings)
AQUIRA(MTP / Supertramp)
R1(Horizon)
Pleasure Cruiser (Love Hotel Records / RBMA)
DJ Dante (push..)
Chloe (汀)
DJ MOCHIZUKI(in the mix)
Shiba@FreedomSunset
ENUOH
OZMZO aka Sammy (HELL m.e.t)
Kojiro + ngt. (Digi-Lo-t.)
SHIGETO TAKAHASHI (TIME & THINGS)
NABE (Final Escape)
KOMAGOME (波紋-hamon-)
AGBworld (INDIGO TRIBE)
TMR Japan(PlayGroundFamily / Canoes bar Takasaki)
PEAT (ASPIRE)
(仮)山頂瞑想茶屋
(仮)Nao (rural / addictedloop / gifted)

-Wood Lounge-
TARO ACIDA(DUB SQUAD)
六弦詩人義家
Dai (Forte / 茶澤音學館)
ZEN ○
Twicelight
DJ Kazuki(push..)
ALONE(Transit/LAw Tention)
Yamanta(Cult Crew/Bio Sound)
ToRAgon(HIPPIE TWIST/NIGAYOMOGI)
DUBO (iLINX)
MUCCHI(Red Eye)
(仮)cirKus(Underconstruction)

Light Show
OVERHEADS CLASSIC

Vj : Kagerou

Sound Design : BASS ON TOP

Decoration : TAIKI KUSAKABE

Cooperate with FreedomSunset

Bar : 亀Bar

Food :
Green and Peace
Freewill Cafe
赤木商店
野山の深夜食堂
Gypsy Cafe

Shop
Amazon Hospital
Big ferret
UPPER HONEY

FEE :
前売り(ADV) 5,000円 当日(DOOR) 6,000円
駐車場(parking) : 1,000円 / 場内駐車場1,500円
(場内駐車場が満車になった場合は
キャンプ場入口から徒歩4-5分の駐車場になります)
テント1張り 1,500円
Fee: Advanced Ticket 5,000yen / Door 6,000yen /
Parking (off-track)1,000yen / (in the Camp Site)
1,500yen
Tent Fee 1,500yen

【玉川キャンプ村】
〒490-0211 山梨県北都留郡小菅村2202
TEL 0428-87-0601
【Tamagawa Camp Village】
2202 Kosuge-mura, Kitatsuru-gun, Yamanashi-ken,
Japan

● ACCESS
東京より
BY CAR
中央自動車道を八王子方面へ→八王子ジャンクションを圏央道青梅方面へ
→あきる野IC下車、信号を右折して国道411号へ→国道411号を奥多摩湖方面へ
約60分→奥多摩湖畔、深山橋交差点を左折7分→玉川キャンプ村

BY TRAIN
JR中央線で立川駅から→JR青梅線に乗り換え→青梅駅方面へ→JR青梅駅で
奥多摩方面に行きに乗り換え→終点の奥多摩駅で下車→奥12[大菩薩峠東口経由]
小菅の湯行バス(10:35/13:35/16:35発)で玉川停留所下車→徒歩3分

Tamagawa Camp Village
2202 Kosuge-mura, Kitatsuru-gun, Yamanashi-ken, Japan

Shinjuku (JR Chuo Line) → Tachikawa (JR Ome Line) → Okutama →
Transfer to the Bus to go Kosuge Onsen.
Take this bus to Tamagawa Bus Stop

Okutama Bus schedule:10:35 / 13:35 / 16:35
(A Bus traveling outward from Okutama Station)

(Metropolitan Inter-City Expressway / KEN-O EXPWY)
・60 minutes by car from KEN-O EXPWY "Hinode IC"
 Metropolitan Inter-City Expressway
・60 minutes by car from KEN-O EXPWY "Ome IC" 
  (Chuo Expressway)
・60 minutes by car from CHUO EXPWY "Otuki IC"
 Chuo Expressway
・60 minutes by car from CHUO EXPWY "Uenohara IC"

● NOTICE
※ ゴミをなるべく無くすため、飲食物の持ち込みをお断りしておりますのでご協力お願いします。やむおえず出たゴミは各自でお持ち帰りください。
※ 山中での開催ですので、天候の変化や、夜は冷え込む可能性がありますので、各自防寒着・雨具等をお忘れなく。
※ 会場は携帯電波の届きにくい環境となってますのでご了承ください。
※ 違法駐車・立ち入り禁止エリアへの侵入及び、近隣住民への迷惑行為は絶対におやめください。
※ 駐車場に限りがあります、なるべく乗り合いにてお願いします。
※ お荷物・貴重品は、各自での管理をお願いします。イベント内で起きた事故、盗難等に関し主催者は一切の責任をおいません。
※ 天災等のやむ終えない理由で公演が継続不可能な場合、アーティストの変更
やキャンセル等の場合においてもチケット料金の払い戻しは出来かねますので何卒ご了承ください。
※ 写真撮影禁止エリアについて。
GLOBAL ARKではオーディエンスの皆さまや出演者のプライバシー保護の観点から各ダンスフロアでの撮影を禁止させていただ いております。 そのため、Facebook、Twitter、その他SNSへの写真及び動画の投稿、アップロードも絶対にお控えくださるようお願いします。
尚、テントサイト、フードコートなどでの撮影はOKですが、一緒に来た 友人、会場で合った知人など、プライベートな範囲内でお願いします。

 フライングぎみの予告だ。今年の夏に出る雑誌版の『ele-king』の表紙がKOHHに決定した。そのニュースに前後して自分のiPhoneに見覚えのないメモをみつけた。日付は去年の年末、リキッド・ルームでのKOHHのワンマン・ライヴの真っ最中の時刻だ。「これを否定する奴らは、進化への意志を捨てた連中だ。放っておけ」。もしこのメモが本当に、まだデビューから3年とすこしの日本人アーティストのことをいっているのだとすれば、さすがにちょっと狂気の沙汰だと思う。でもあのときは本気でそう思ったのかもしれない。

 そして『DIRT II』だ。昨年10月末に発表されたエイジアン・トラップの極北的な怪物作『DIRT』、その続編が6月17日に解禁される。アメリカやフランス、韓国やジャマイカといった海外勢とのコラボレーションにくわえ、2枚組のうち1枚はこれまでの楽曲のリミックスだそうだ。驚異的なリリース・ペース、ということになるのだろうけれど、KOHHについては正直なところもう感覚が麻痺してきていて、とくだんの驚きはない。KOHHはこの3年超のあいだにミックス・テープをふくめて6枚のアルバムを発表し、アンダーグラウンドな日本語のラップとしては異例のポピュラリティと、海を越えた熱狂的なプロップスを獲得した。直近でいえばフジロックへの出演アナウンス、そしてグローバルな意味ではそれよりずっと意義深いかもしれないボイラー・ルームでのライヴ・アクト。これはもはや事件だ。

 そうだ。言葉の正確な意味で、KOHHとはひとつの事件だ。ジョン・ライドンがマルコム・マクラーレンと出会い、セックス・ピストルズという事件が生まれたように、KOHHがGUNSMITH PRODUCTIONのプロデューサーである318と出会ったことで、現在も進行中のこの事件は生まれた。「ポップ・ミュージック」という言葉が事実上の死語になってずいぶんたつ。いつのまにかみんな好き嫌いによって分断された居心地のいいサークルでのおしゃべり以上のものを望まなくなった。しかし、「ポップ」という言葉がもしもチャートの順位やテレビへの露出頻度を超えたなにかを指すのだとしたら、KOHHという事件は、いまの日本で最強のポップ・カルチャーだ。中指を立てても目を背けてもいい。だが好むと好まざるとにかかわらず、その異形の声は分割統治された安寧な領土に侵入する。ポップとはある静的な状態のことではなく、既存の秩序を破壊していくダイナミズムそのものを意味する。それは暴力的な共通言語の創造だ。

 これはたんなる直感だが、『DIRT II』はトラップ・ラッパーとしてのKOHHの殺害現場になるだろう。ずば抜けたアーティストはそもそもジャンルのカテゴリーなどに束縛されない。ベンヤミンにならうなら、すぐれた表現というのは、ひとつのジャンルを創出するか、ひとつのジャンルを破壊してしまうか、つまるところそのどちらかであり、究極的な場合には、その両方だ。震災後の叙情の涙を蒸発させるかのような熱気で盛りあがる日本のトラップ・ミュージック。かつてそのシーンを牽引したKOHHは早々と、トラップ・アイコンとしてのセルフ・イメージをみずからの手で破壊しつつある。アーティストは作品の中で永遠に生き続けるが、同時に決定的な作品を完成させるたびに何度も自死する。死が生の燃え尽きる速度によって決定されるのであれば、才能とはそのスピードのことだ。身を削る圧倒的な精神的/肉体的な能力の発現は、ほとんど閃光や爆発といった現象に近い。それは批評家の言葉が追いつくことを許さない。しばしばアーティスト本人にさえすべてを完璧にコントロールすることなど不可能だ。

 そしてこの事件は、現在まさに激動のさなかにある日本という社会の地殻変動ともけして切り離せないはずだ。2011年の震災、そしてその後の社会的な混迷から、正体不明のなにかが生まれようとしている。この島国の住人、誰もが事件の目撃者だ。このさきも生きてさえいれば、アーカイヴ化された2016年の音楽をずっと後になって聴くことだってできる。だが明日があるなんて、いったい誰が約束した? 死ねば残るのは歯と骨だけで、いくら美しくてもそれは過去の遺物にすぎない。いま生きているのは引き裂けば血の溢れる肉と臓器だ。すでに惨劇の予感はみちみちている。列島よ、眠らずにこの暗い夜を待て。(泉智)

アーティスト名 : KOHH(コウ)
アルバム・タイトル : DIRT II(ダート 2)
発売日 : 2016年6月17日(金)

仕様 :
3枚組(CD2枚組+DVD) [初回限定盤] 3,100円+税 (品番 : GSP-10)
CD2枚組のみ [通常盤] 2,700円+税 (品番 : GSP-11)
(※オフィシャル・サイト "https://やばいっす.com" 限定盤は500セットのネックレス、超先行ワンマン・チケット付など 4/19(火) 19時より予約開始)

[Track List]

(DISC-1)
01. Die Young
02. I Don't Get It (feat. J $tash, Loota, Dutch Montana)
03. Business and Art
04. 暗い夜 (feat. Tommy Lee Sparta)
05. Born to Die
06. Needy Hoe (feat. Dutch Montana, Loota)
07. Hate Me

(DISC-2)
01. Dirt Boys II
02. Living Legend II
03. Mind Trippin' II
04. V12 II
05. Tattoo入れたい II
06. ビッチのカバンは重い II
07. Hiroi Sekai II

(DISC-3 [DVD])
1. Die Young[Music Video]
2. Business and Art[Music Video]
3. Dirt Boys II[Music Video]
4. Dirt Tour at F.A.D. Yokohama[Live]
5. Dirt Tour in Jammin' Nagoya[Live]
6. Behind the Scene in Jamaica

※収録内容は予期なく変更の可能性がございます。予めご了承ください。

■オフィシャル・サイト
https://やばいっす.com

■LINE公式アカウント
友達追加→公式アカウント→「@kohh_t20」でID検索

■夏の大型音楽フェス出演
7/22(金) FUJI ROCK FESTIVAL '16

interview with Holy Fuck - ele-king


Holy Fuck
Congrats

Innovative Leisure / ビート

ElectronicExperimentalPsychedelicPostrock

Tower HMV Amazon

 本インタヴューに応えてくれたブライアン・ボーチャードは、自分たちの音楽を他人に説明しなければならない場面では「うるさいけど楽しい音楽」「エクスペリメンタルで音はデカイけど、ダンサブルで楽しくもある」というふうに答えると述べている。これは、かつて彼らがそう呼ばれたという「エレクトロニカ」なるタグ付けではまったくたどりつかない見解だ。実験性を持ったエレクトロニックな音楽であることは間違いないけれども、彼らの場合「エレクトロニカ」と表現することで切り捨てられる要素はあまりに多い。

 対して「うるさくて、エクスペリメンタルで、ダンサブルで、楽しい」というのはホーリー・ファックの特徴をたしかに言い当てている。当初はみな、その強烈な個性を持ち合わせの言葉でどう形容していいかわからなかったのだ。ポストパンクとかネオ・エレクトロとか、サイケからクラウトロック、ハードコアにまで比較されていたし、レコード屋でもどこの棚に置いていいものか悩ましい作品だったことを思い出す。

 それでもあえて言うならば、ベア・イン・ヘヴンやブラック・ダイスにダン・ディーコンなど、2000年代半ばのブルックリンやボルチモアが持っていたエクスペリメンタルなムードをもっともダンサブルに咀嚼した存在というところだろうか。アナログシンセへのこだわり、卓越したテクニックに支えられた生アンサンブルを旨とするバンド志向、ミニマルで高揚をさそう楽曲構造……彼らの音のキャラクターは、その後バトルスの登場によってようやく少し整理されたのかもしれない。

 ホーリー・ファック。グラハム・ウォルシュとブライアン・ボーチャードという2つの中心を持った、トロントのバンド。2004年の結成、そして2005年のファースト・アルバム『ホーリー・ファック』以降、聴くものを盤で驚かせライヴで熱狂させてきた彼らは、3枚めのアルバム『ラテン』の後にしばしの休息をはさむこととなった。しかし、今般久方ぶりにリリースされる4枚め『コングラッツ』を聴けば相変わらずだ──古びない。今回は初めて「ちゃんとした」スタジオで録音したというが、少しへヴィで締まった印象がある以外、彼ら相変わらず楽しんでいる。

 そう、『ラテン』(2010年、サード)にほぼラテンの意味がなかったように、彼らの音楽は考える余地も要素もない。それは考えていないということではなくて、考えさせないということだ。感じて楽しむ、そこに純粋にエネルギーが注ぎ込まれている。今作でもそれは変わらず、ダサくならない理由はすべてそこにあると言えるかもしれない。

 時は移ろい、ポストロックへの再注目や、マシナリーなビートやプログラミングによる楽曲構築を「人力」で批評的に再現するような試みが、クラブ・ミュージックの文脈とも交差して受け止められる中、ホーリー・ファックの解釈にもさらに幅が生まれているかもしれない。しかし彼らが理屈ではなく感覚や演奏の中に自らの拠りどころを持つバンドなのだということ、そしてそのことが反復的に彼らの強度を高めていくのだということを『コングラッツ』はあらためて感じさせる。


■Holy Fuck / ホーリー・ファック
2004年にグラハム・ウォルシュとブライアン・ボーチャードによって結成。トロントを拠点として活動を展開している変則バンド。2005年のファースト・アルバム『ホーリー・ファック』が世界的な注目を浴び、ブロークン・ソーシャル・シーンのメンバーやオーウェン・パレットを迎えたセカンド・アルバム『LP』(2007年)では同国の主要な音楽賞ジュノ・アワードやポラリス・ミュージック・プライズにノミネートされた。翌2008年にはM.I.Aとツアーに出るなどさらに活躍の場を広げ、2010年にサード・アルバム『ラテン』をリリース。その後、ハードなツアーの疲弊を癒すべくしばしの休養期間が生まれたものの、2年の制作期間をかけて、本年2016年、4作めとなる『コングラッツ』が発表された。

共通しているのは、2人ともラップトップを使って音楽を作りはじめないということ。

みなさんはヴィンテージのシンセサイザーや、あるいはおもちゃのシンセなど、ラップトップではなく生の楽器で演奏することにこだわってこられたように思いますが、その考え方はいまも変わりませんか?

ブライアン・ボーチャード(G,Key/以下BB):前よりもよりハイテクなものを使ってはいる。サンプラーとか、あととくにグラハムはプログラミングを使ったりもするしね。でも、アナログのドラムマシンも使っているし、俺も自由なやり方で音楽を作っているんだ。俺たちの曲作りの方法は全く同じというわけではないけど、共通しているのは、2人ともラップトップを使って音楽を作りはじめないということ。「新しいギアを買えば」とよく人に言われるし、ソフトウェアを使った方が楽なときもある。でも、俺たちはそれをやらないんだ。それはいまだに変わらないね。

では、そのようにこだわる理由を教えてください。

BB:理由はたくさんあるけど、俺にとってのいちばんの理由は、そっちのほうが断然楽しいから。曲作りってせっかく楽しい作業なのに、スクリーンをじっと見ているんではもったいないからね。しかも、あんなに繊細で壊れやすいものだから、いちいち注意しなければいけないし、それをステージに持っていくなんて想像できないんだ。メールを打ったりするだけでも十分スクリーンを眺めてるんだから、それ以上画面を見ていたいなんて思わない(笑)。

トライしてみたこともないですか?

BB:ないね。エイブルトンとかコンピューターのソフトウェアとか、よく人に勧められはするんだ。そっちの方がもっと楽になるからって。そっちの方がもちろんサウンドもよくなるだろうし、もっと効率もよくなるかもしれない。でも俺は、ギターをプレイしているほうがいいんだよ。そっちのほうが、プレッシャーが少ないんだ。何より、楽しいしね。

たとえば“クラプチャー(Crapture)”において、ラップトップの中で完結できないものとは何でしょう?

BB:なんだろう……あの汚くてうるさいサウンドは、ラップトップでは作れないかもしれない。すごく変わった曲なんだけど(笑)。壮大で、うるさくて、醜いサウンドなんだ。あれは、俺たちの普通とはちがう自由な曲の作り方だからこそ生まれるサウンドなんだと思う。

『ホーリー・ファック』が2005年、『LP』が2007年です。2010年前後にクラウトロックのブームなどがありましたが、じつに約10年のあいだ、あなたがたはとくに流行に左右されるということもなく自分たちのスタイルを保持してこられましたね。実際のところ、トレンドを意識することはありますか?

BB:いや、それはない。モダンにも、時代遅れにも、ヴィンテージにも聴こえないサウンドを作りたいと思っているからね。ユニークさを意識している。いまから20年経っても聴きたいと思うサウンドを作りたいなら、トレンドを意識していてはそれは実現できないと思う。俺は「タイムレス」というアイディアが好きなんだ。


モダンにも、時代遅れにも、ヴィンテージにも聴こえないサウンドを作りたいと思っているからね。


それはいつ頃から考えるように?

BB:バンドをスタートしたときから、それがバンドのメインの目標だった。楽器をプレイして曲を作ることでリミットを定めつつ、慣習にとらわれないエクスペリメンタルなやり方で、いかにユニークでタイムレスな音楽を作り出すことができるかというのがいちばんの目標なんだ。さっき話に出たように、俺たちはヴィンテージとかおもちゃとかいろいろな種類のシンセを使うけど、それは、一つに限らないさまざまな時代感を出したいからなんだよ。

今作はスタジオ録音だということですが、設備や環境として影響を感じた部分があれば教えてください。

BB:そんなに影響はなかったと思う。レコーディングのときに4人でいっしょにライヴで演奏するのは変わらないから、そこまで変化は感じなかった。それよりも、今回ちがったのは、レコーディングの前にクラブやステージですべての曲をライヴ演奏したという点だね。今回は予算のかかるスタジオだったから、借りている日数が短かったぶん、スタジオに入る前にすべてを完璧にしておきたかったんだ。以前は、スタジオにお金をかけていなかったから、だらだらとスタジオにいて、スタジオの中で曲を作ったりもしていた。今回は、決まっていた3日間という短い期間の中でベストなものを録らなければいけなかったから、入る前の意気込みがちがったんだ。それは、レコードにも反映されているんじゃないかな。

そのやり方はよかったです?

BB:楽しかったよ。その後のミックスの作業はあまり楽しくないときもあったけど(笑)、いいスタジオに4人で入って、いっしょにバシっと演奏したのはすごく楽しかった。

あなた方の音楽にはつねにトランシーな高揚感がありますが、それはあなた方が音楽に求めるいちばん重要なものだと考えてもよいでしょうか?

BB:すごく重要。俺たちの音楽において大切なのは、メッセージ性や歌詞の内容とかではなくて、感情。曲を聴くことで他の場所に行ったような気分になれたり、ムードを作り出す音楽が、俺たちの音楽。俺たちのバンドは、テーマを持った曲やラヴ・ソングは書かないからね(笑)。自分で曲を作っているとき、どうやってその曲がいいか悪いかを判断するかというと、歩きながら聴いてみたりして、その音楽が特定のムードを作り出したり、自分に何かを感じさせたり、想像の世界につれていってくれるかを試すんだ。皆もそれを感じてくれてるといいけど(笑)。


「エレクトロニカ」には違和感があったね。俺たちの最初のレコードは2005年にリリースされたのに、エレクトロニカって言われるとなんか90年代みたいな感じがしてさ。


Holy Fuck: Xed Eyes (Official Video)


もしホーリー・ファックの音楽スタイルについて「ポストロック」と表現するとしたら、あなたがたにとっては違和感がありますか?

BB:ないよ。最初の頃は「エレクトロニカ」とか言われてたけど、自分たちはなぜそう呼ばれるのかわからなかった。俺たちの最初のレコードは2005年にリリースされたのに、エレクトロニカって言われるとなんか90年代みたいな感じがしてさ。「エレクトロニカ」には違和感があったね。だから、ポストロックでもポスト・パンク・ロックでもいいから、特定のエレクトロニック・ミュージックのジャンル以外の呼ばれ方であれば抵抗はない。エレクトロニック・ミュージックのステレオタイプのイメージを崩してくれる呼び名なら、俺たちは何でもいいよ。

どんな音楽やってるの? と聴かれたら自分ではどう答えます?

BB:ははは、よく飛行機で隣の席の人に聴かれたりするんだよな(笑)。やっぱり説明するのは簡単じゃない。あまり怖がらせたくないから、「うるさいけど楽しい音楽」って言ってるよ(笑)。「エクスペリメンタルで音はデカイけど、ダンサブルで楽しくもある」って普段は言うようにしてる。ジャンルよりも、サウンドがどんなものかを説明しようとするね。

7曲めのタイトルを“サバティクス(Sabbatics)”としたのはなぜですか? 少しトライバルなモチーフが感じられますが、どんなことを実践したかった曲なのでしょうか?

BB:「sabbatical(=有給休暇、研究休暇)」を思わせるタイトルになっているんだけど、なぜそうなっていたのか自分たちにもよくわからない。もしかしたら、俺たちもブレイクをとって、バンドの外の世界を旅して自分自身を見つめる期間があったから、それがサウンドに反映されたのかもしれないな。あまりスローな曲がないから、スローなものを作ろうと意識したのはあるね。とくにライヴでは、“レッド・ライツ”のような速くてアップ・ビートな曲が続いたときに“サバティクス”みたいな曲が入るとちょうどいいんだよね。演奏していて楽しい曲でもあるんだ。

曲作りの基本的なスタイルは、『ホーリー・ファック』の頃から変わりませんか?

BB:あまり変わらない。曲をつねに書くというのも変わらないし、変わったとすれば、前よりもそれが上手くなったことくらいだと思う。いまのほうが、よりメンバー同士がお互いを理解しているからね。

それぞれの曲は理論的に構築・演奏されているのでしょうか?

BB:俺たちは音楽を習ったことはないし、すべて独学なんだ。だから、答えはノー。耳で感じたままに曲を作ってプレイしている。曲の書き方はさまざまだから、少し理論的なときもあるかもしれないけど、大抵はちがう。構築、演奏のされ方に決まりはないんだ。


ライヴはもちろん楽しいけれど、バンドにとって何よりも大切なのはスタジオ・アルバムを作ること。


自分たちをライヴ・バンドとして定義しますか? 

BB:今回のアルバムは、前回のようにつねにライヴで皆の前で演奏しなければいけない、というよりは、アルバムを家で聴いて楽しんでくれたリスナーがそれを知りあいに勧めて、またその知りあいが自分の知りあいに勧めて……という感じで、家で聴いて楽しむというのも広がってくれたらうれしいと思う。でも、もちろんパフォーマンスも大好きだから、ライヴはたくさんやりたいけどね。ライヴ・バンドというか、自分たちにとってライヴが楽しいものであることはたしかだね。

あなたたちにとって、スタジオ・アルバム作品をつくる上で重要なことはどんなことなのでしょう?

BB:ライヴはもちろん楽しいけれど、バンドにとって何よりも大切なのはスタジオ・アルバムを作ること。俺は小さな街で育ったんだけど、好きなバンドが自分の街に来て演奏するということはまずなかった。だから、自分たちの音楽を知ってもらうため、聴いてもらうためには、まずレコードを届けることが大切になってくるんだ。時間が経っても永遠に残る物だし、いちばん重要だと思うね。

“シマリング(Shimmering)”はどのようにできた曲ですか?

BB:もともとの曲は、俺が10年前くらいに書いたんだ。ギターとヴォーカルをそのときに書いて、そのまま温めていたんだよ。それを数年前にメンバーの前でプレイしてみたら皆が気に入ったから、そこから皆がそれぞれのパートを自分たちなりにアレンジしてできあがったんだ。最初は、ソロでプレイするためのギター・ソングだったんだけどね。

あなた方の音楽では、人間の声もマテリアルのひとつとして器楽的に用いられていることが多いですが、そのような使い方をするプロデューサーやアーティストで、おもしろいと感じる人がいれば教えてください。

BB:たしかに。俺たちにとって声は楽器の一つって感覚だな。誰が似たようなアプローチをとっているかはわからないけど……俺自身が好きなのは、ヴォーカルの歌詞だけに頼りすぎていない音楽。ソニック・ユースなんかも、何を言っているかわからなくたってそれがクールな音楽だと感じることができる。俺たちの音楽もだけど、そういう音楽はラジオで流れてくるポップ・ソングみたいに、誰が何を歌っているかが明確な音楽ではない。フロントマンだけが主役の音楽ではないんだよ。カリブーもその一人だと思う。重要なのは、歌詞よりも音だから。

“クラプチャー”のようなマシナリーな16ビートと人力のドラムによる同様の演奏には、どのような差があると考えますか?

BB:あまり大きなちがいはないけど、マシン・タイプのドラムとたまに距離を置くことで、タイミングのずれが生じて、いいものが生まれる、という可能性は広がると思う。俺はジャズが好きなんだけど、ああいう感じの自由なリズムはやはり人の手で作り出されるものだからね。マシンに頼るとすべてがパーフェクトになってしまうから、最近はそういった要素が消えていってしまっていると思うんだ。パーフェクトも悪くはないけど、生演奏では感じられるソウルが感じられなくなってしまう。俺たちは、それは失いたくないんだ。

interview with Lust For Youth - ele-king

 何をきいても、きくだけ野暮になるのだ──。リズムボックスの規則正しいビートを無視して、右に左に奇妙に揺れながら、モリッシーを彷彿させるヴォーカリゼーションでオーディエンスを威嚇するハネス・ノーヴィドは、強くひとを惹きつけながらも近寄りがたいような緊張感をみなぎらせている。若く固く純粋で、土足で入ってくるものを許さない。こんなにロマンチックでドリーミーな曲なのに……いや、そうした曲でこそ彼の憮然とした表情と固い動作は美しく、聴くものの胸を打つ。

 4月某日、原宿のアストロホールでは、彼の一挙手一投足が意味を持ち、熱を生み、ひとびとの心を煽っていた。煽るといってもそれは威勢のいい掛け声やメッセージによってではない。そこで歌われていた言葉は、君に会いたいとかそんなような、きわめてささやかな、あるいは内省的なものにすぎない。音はきわめてロマンチックなシンセ・ポップ、生硬なポスト・パンク。
 そしてハネスはといえばリズムにもメロディにも、ホールの空気にすら乗ろうとしない。散漫に客を眺め、どうでもいいことのように歌い、拍を外して動く(踊るというより動き)。それは、自分の外にあるものすべてに向けての威嚇や挑発であるようにも感じられるし、ガーゼにくるまれた、純粋で傷つきやすいものを想像させもする。──わたしたちを強い力で陶酔させ、高揚させ、我を忘れようとさせていたものは、そんな繊細な姿をしていた。

 ロックにこんなふうにひりひりとしたものを聴き取るのは久しぶりだった。素晴らしく攻撃的で、ピュアで、ロマンチック。小器用なリヴァイヴァリストたちではない。ロックが説得力を失う時代を真正面から踏み抜いて、ブリリアントな曲を聴かせてくれる。ラスト・フォー・ユースは本当に特別なバンドだ。年長者が聴けば、なんだ、ニューオーダーやジョイ・ディヴィジョンのミニチュアじゃないかと言うかもしれないが、残念ながらそんなことは知らない。わたしたちが見ているのはそれではなく「これ」なのだ。そして、そこにいた人たちみなが切実に、かけがえのないものとして「これ」を感じていたからこそ、異様なほどの熱が生まれていた。わたしたちはいまここに、2016年にいるのだ。

 ラスト・フォー・ユース。ハネス・ノーヴィドを中心とする3人組。「いいバンドがいる地域」として数年来注目を浴びているコペンハーゲン・シーンの顔ともいえる存在だ。活動を開始した2009年当初はハネスの一人シンセ・プロジェクトともいえるスタートだったが、2014年の前作『インターナショナル』から現体制になっている。自分たちでレーベル活動も行う一方で、彼ら自身のアルバムはイタリアのノイズ・レーベル〈Avant!〉やエクスペリメンタルなサイケ・レーベル〈セイクリッド・ボーンズ〉などからもリリースされており、実際のところ、後者のように2010年代のシーンを賑わせたレーベル経由で世界に広く知られるところとなった。


Lust For Youth
Compassion

Sacred Bones / ホステス

Indie RockSynth Pop

Tower HMV Amazon

 先月、彼らは新作『コンパッション』を携えて来日した。先に述べた様子を思い浮かべていただければおわかりかと思うが、筆者が言葉でたずねるべきことなど本来なにもない。そこには、語らずにすべてを伝えてしまう、ハネス・ノーヴィドという名の心があるばかりだった。ライヴのあとに取材していたら、質問が変わっていたか、あるいは何もしゃべれなかったかもしれない……。

 しかしともかくもお伝えしよう。彼らはわずか30分足らずのインタヴュー中、注意力のない男子中学生のようにずっとふざけていたけれど、それはおたがいへの照れ隠しのようにも見えた。不真面目なのではない。真面目だからこそ言葉を接げないのだ。嬉々としてロックがアーティストの口からプレゼンされねばならない時代は不幸である。ジャケットには点字がならんでいる。


■Lust For Youth / ラスト・フォー・ユース
スウェーデン出身、ハネス・ノーヴィドによるシンセ・ポップ・プロジェクト。2011年にデビュー・アルバム『ソーラー・フレア(Solar Flare)』を発表。2011年に発表した2作め『グローイング・シーズ』はメンバーの脱退がありソロ・プロジェクトとして発表されたが、2014年リリースの前作『インターナショナル』よりマルテ・フィシャーとローク・ラーベクがラインナップに加わっている。自身のレーベルからの他、イタリアのノイズ・レーベル〈Avant!〉や、つづく作品はUSの〈セイクリッド・ボーンズ〉等からもリリースされている。2016年4月にニュー・アルバム『コンパッション』を発表、同月来日公演を行った。

掘り下げて掘り下げて、だんだんポップになっていった(笑)。 (ハネス・ノーヴィド)

ラスト・フォー・ユースは、歌詞が英語であることがほとんどですよね。スウェーデン語で歌わないのはなぜなんですか?

ローク:僕らの中でも2つの母国語があるからね。スウェーデン語とデンマーク語。でも世界から見れば、両方合わせてもごく少数の人数が話している言葉にすぎない。そんな中でより多くの人とコミュニケーションをしたいと思ったら、よりビガーな言葉を使うほうがいいよね。そして、僕らが知っているビガーな言葉といえば英語しかないんだ。

マルテ:英語はデンマークでも小さな頃から学校で教わるからね。

ハネス:音楽的な点からいっても、英語はいちばん通じやすいよね。ポップ・ミュージックの言葉だと思う。

マルテ:前のアルバム(『インターナショナル』2014年)は、イタリア語の曲が入っていたり、スウェーデン語の曲が入ったりもしているから、使ってはいるんだよね。でも歌うことにおいては圧倒的に英語ということになるかな。

なるほど。〈アヴァン・レコーズ(Avant! Records)〉からいくつかリリースがありますね。『サルーティング・ローマ(Saluting Rome)』(2012年)あたりはずいぶんダークで、ノイズやインダストリアル的な要素も強いかと思いますが、そこからくらべて現在はずいぶんポップなかたちになったとも言えるかと思います。そうなったことに何かきっかけや理由はありますか?

ハネス:あの頃も十分ポップだったと思うよ。

ローク:いや、最初につくっていたテープなんて、ただのノイズだったじゃん(笑)。

マルテ:ハネスがひとりでつくっていた頃でしょ? 初めて聴いたとき、「マジで?」って思ったもん。ほんとにこれをポップとして解釈することかできるのかなって。

ははは。とくにハネスさんだと思いますが、そういうノイズ・ミュージックに最初に触れたのは何がきっかけだったんですか?

ハネス:ウルフ・アイズ(Wolf Eyes)から入って、掘り下げていったかな……。10代の頃だから、何がきっかけだったかなんてあまり覚えてないんだけど。で、掘り下げて掘り下げて、だんだんポップになっていった(笑)。

僕にとってシンセ・ポップとか80年代の音楽のイメージは、「パンクのショウの後でかかってた、みんなで踊れる楽しい音楽」なんだ。(ローク・ラーベク)

それがラスト・フォー・ユースのポップの真実なんですね(笑)。一方で、ニュー・オーダーに比較されたりするように、ポスト・パンクだったりシンセ・ポップのような音楽は何が聴きはじめだったんでしょうか。それから、みなさんの国の同世代にとってそれらはポピュラーなものなんですか?

マルテ:いまでこそかからないけど、あの頃はラジオとかでかかっていたよね。ニュー・オーダーとかは。

ローク:僕にとってシンセ・ポップとか80年代の音楽のイメージは、当時僕が好きで通っていたパンクのショウ、それが終わったあとに飲みにいくところでかかってるって感じかな。パンクのショウではみんな暴れたりしていたけど、その後クラブのダンスフロアなんかに行くと、そっちから打ち上げで入ってきた男子がテーブルの上にのぼって、シャツを脱いで騒いだりしていた。そういう、みんなで盛り上がって楽しい時間を過ごしたっていう思い出が、あの手の音楽を聴くとよみがえってくるよ。「パンクのショウの後でかかってた、みんなで踊れる楽しい音楽」なんだ。

そうはいっても、みなさんは80年代当時がリアルタイムではないですよね。たとえばニュー・オーダーならどのアルバムから聴きはじめたんですか?

ローク:僕は映画『ブレイド』(1998年)のサントラとして収録されている“コンフュージョン”のリミックスだね。完全にレイヴの音楽って感じで……ニュー・オーダーの曲ですっていう感じではないけど、ニュー・オーダーの最初の思い出とかインパクトといえばそれなんだ。

マルテ:僕は「ブルー・マンデー」かな。ラジオでよくかかってたよ。

ハネス:僕は「クラフティ(Krafty)」(2005年)かな。その後は『ムーヴメント』に出会うまで気にならなかった。

私もそのアルバムが最初だと思います(『ウェイティング・フォー・ザ・サイレンズ・コール』2005年)。同世代ですね(笑)。でも、“ブルー・マンデー”がラジオでよくかかってたというのはなんなんでしょうね。さすがにオリジナルが出た当時じゃなさそう。

マルテ:そうだね。僕は32歳だから。

それは生まれたかどうかくらいですね。

実際には仲はいいんだよ。メディアが言うように、みんなオシャレな服を着て、みんなハンサムで、みんな才能があって……なんてことはないし、そうやって十把ひとからげにされるのは違和感があるっていうだけで。

コペンハーゲンのバンドについて、英米のメディアや日本でも話題になったりしたんですが、実際にシーンを呼べるようなつながりとか盛り上がりはあるんですか?

ハネス:僕らとしては、あまり「シーン」という実感はないんだけど、それぞれのバンドに友だち関係っていう結びつきはあると思うよ。

ローク:長くやっているバンドも多いから、そこには自然に友情みたいなものはできてくるかな。

なるほど。でもメディアがそう言っているだけってことでもない?

ローク:まあ、間違いなくコミュニティ的なものはあると思うよ。でも、(お菓子を食べてふざけあいながら)僕らが集まってやることなんてこんなことばっかりで、音楽の話なんてしてないよ(笑)。そんなふうに騒がれる前にとっくに僕たちのコミュニティはできてしまっていたから、いまさらって感じはあったけどね。だから「みんな仲がいいんでしょうね」っていうような質問を受けると、あえて「いや、仲良くないよ」「きらいだよ」って言いたくなっちゃうんだ。
 でも実際には仲はいいんだよ。メディアが言うように、みんなオシャレな服を着て、みんなハンサムで、みんな才能があって……なんてことはないし、そうやって十把ひとからげにされるのは違和感があるっていうだけで。それぞれに個性があるし、みんな音楽以外の興味も大きいから。

マルテ:それにみんなの音楽性もどんどん広がっているから、まとめて語るのはますます無理が出てきているだろうね。

基本的にはパンクとかロックとかって音楽が多いんですか? クラブ・ミュージックみたいなものとは混ざっていない?

ハネス:バンドが多いのは間違いないね。

マルテ:でも、テクノもわりとある気がするな。たしかに僕らのまわりではないけど、でもいろんな音楽があるよ。なんでも。ユニークなことをやっている人も多いし、そういう人たちもゆるやかにつながっているとは言えるんじゃないかな。

ミニマリズムを愛する感覚とか、歴史の古さとか。日本への共感みたいなものはあるよ。(マルテ・フィッシャー)

へえ。たとえばハネスさんはゴーセンバーグご出身かなと思うんですが、ゴーセンバーグは一時期、エレクトロニックなバンドやユニットがいくつも出てきて注目されていましたよね。JJとか、エール・フランスとか、タフ・アライアンスとか。彼らなんかとは交流があるんですか?

ハネス:ゴーセンバーグは以前しばらく住んでいただけなんだけどね。いや、友だちじゃないよ彼らは。じつは僕らのイヴェントに来たいってタフ・アライアンスのメンバーが言ってきたときに、断ってしまった経緯があるんだよね。僕は彼らが好きなんだけど、僕の友だちが、ああいう人たちを呼ぶのは日和ってるみたいなことを言って断ってしまったことがあって。
 じつのところスウェーデンの音楽はそんなにマジメに聴いてないんだ。スウェーデンは昔から、自分たちがいちばんの音楽の国だっていうようなことを外に向けて言ってきた。たしかに90年代にそういうことはあったかもしれないけど、いまはそんなことないと思うし、とにかくスウェーデンの人っていうのは、視線が内側に向いていて、外の音楽に対して無知なんだ。僕はそう思う。

マルテ:でもやっぱり、ポップ・ミュージックは強いよね。アバにはじまってさ……。あと、音楽の学校がすごく充実しているんだよ。デンマークだって、普通の学校に通っていてもけっこう音楽の教育はしっかりしていると思う。

北欧……と一括りにするわけにはいきませんけど、スウェーデンもデンマークも、福祉国家であり、合理的で進歩的な考え方を持つ国というふうなイメージがありますけれども、実際にみなさんもそう感じますか?

ローク:合理的っていうのはどうかなって思うところもあるけど、ほかの2つはそうだね。美意識みたいなところでは、スカンジナビアは日本と共通するところがあるんじゃないかって思うよ。

マルテ:そうだね、ミニマリズムを愛する感覚とかね。あとは歴史の古さとか。日本への共感みたいなものはあるよ。

基本的には音楽で生活できている人が多いよ。ただ、ひとつ言えるのは、音楽でリッチになっているやつはいない(笑)。(ローク)

なるほど、意外なものの造形が似ていたりもしますからね。……でも、若い人が絶望していたりしないんですか?

ハネス:それは世界中、みんなそうだと思うよ。

ははは、それは反論しにくいですね。

ローク:未来ってことを考えると、すごく恐ろしい場所のような気がする。もしかするとすごく楽しいこともいっぱいあるのかもしれないけど、不安の方が大きいよね。

ハネス:だから考えないでおくことにしたほうがいい。

あはは。金言です。でも、みなさんやお友だちは、みんな音楽で食べているんですか? それとも何か別に職業を持ちながら?

ローク:基本的には音楽で生活できている人が多いよ。個人差はあるけど。ただ、ひとつ言えるのは、音楽でリッチになっているやつはいない(笑)。なんとかやっていけてるってだけでね。

ハネス:僕らは例外だけどね。

では、いま聴いている音楽で刺激的だと思うものはどんなものですか?

マルテ:ブリアルとか。

へえ、意外なようで、みなさんにも相通じるようなダークさがあるかもしれませんね。

ローク:僕はコペンの仲間がつくっているのを聴くだけで手一杯だよ。

ハネス:僕も。


Lust For Youth “Sudden Ambitions”


ゴシックは嫌い。(ローク)

なるほど、音をシェアしているんですね。ところでLFYの作品は近年は〈セイクレッド・ボーンズ〉から出てたりしますけど、あのレーベルにはどんな印象を持っていますか? みなさんはカタログの中ではやや異質ですよね。

マルテ:たしかに僕らは異色かもしれないね。でもそれがいいことだとも言える。

ハネス:僕は同じくらいの規模の別のレーベルからのリリースの経験もあるけど、いい感じなんじゃないかな。必ずしも有名レーベルではないけど、おもしろいバンドのものを出してると思う。僕らからデヴィッド・リンチまでね(笑)。あとファーマコンとか。

ファーマコンはいいですよね。〈セイクレッド・ボーンズ〉の中には、特異な形でではありますけど、ゴシックの要素もあると思います。みなさんは自分たちの音楽の中にゴシックを感じることはありますか?

ローク:ゴシックは嫌い。

ハネス:ははは。

ローク:でも時間はかかったけど、僕らの音楽を理解してくれるレーベルが出てきたことはうれしいことだよ。僕も自分でコペンハーゲンでレーベルをやっているわけだし、やろうと思えば自分たちでも出せるけれど、そんな中で出そうと言ってくれる人がいるわけだから、いいことだよね。

そうですね。こうやってお会いしてみると、みなさんずいぶんやんちゃな印象なんですが、曲のなかで歌われていることはわりとどれもラヴ・ソングというか。それがちょっと意外でした。これはわざと意識しているというか、ポップ・ソングは恋愛を歌うものというような考えがあったりするんですか?

ローク:やんちゃはいまだけだよ(笑)。

ハネス:嘘をつくのがうまいというだけじゃないかな。

マルテ:曲の雰囲気にインスパイアされて歌詞を書くことが多いから、それで影響されるのかもしれない。曲自体がそんなムードを持ってるんだよ。

ローク:それがまあ、ゴスが嫌だっていうことにつながるんじゃないかな。もちろんラヴ・ソングを書いている人が恋愛をしているかといえばそうとは限らない。ゴスのひとたちもきっとそうで、彼らがつねにメランコリックでウィザラブルな自分たちを演じていて、それを見て周りの人も同じ気分になってしまうということがあるんだとすれば、僕たちも自分たちの世界を曲で提示して、聴く人たちをそんな気分にさせているということなのかなと思うよ。

点字って、つねづねおもしろいものだなって思ってたんだよ。デザイン的にとっても美しいものなのに、それを読める人には見えなくて、見える人には読めなくて、っていうのがね。(マルテ)

世界といえば、ジャケットの点字のモチーフはどこから?

ローク:まず、もとになる風景はあったよ。ハネスとマルテは同じアパートに住んでいたことがあって、そこが今回のレコーディングの場所でもあるんだけどね。それで、煮詰まってくると海を眺めて──海の色か空の色かちょっと区別がつかないような色をしてたよね──それを眺めて散歩したりしてたんだ。いい気分転換になった。

マルテ:で、点字については、僕がツアー中に飲んでいた薬があるんだけど、それについていた点字がヒントになってるんだ。その海か空かわからない色みたいに、何かがはっきり見えないひとのための字を使うというのは、おもしろいと思って。点字って、つねづねおもしろいものだなって思ってたんだよ。デザイン的にとっても美しいものなのに、それを読める人には見えなくて、見える人には読めなくて、っていうのがね。

それは、音楽も似たようなところがあるかもしれませんね。

マルテ:その通りだね。



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