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PeaceMusicFesta!辺野古2010 - ele-king

 10月29日の夜、〈リキッドルーム〉でのSEEDAのライヴを観終わったあと、興奮冷めやらぬまま急いで家に帰り、荷造りをして、慌しく早朝の飛行機に乗って沖縄に向かった。那覇空港に着くと、僕はまずパーカーを脱ぎ、Tシャツになった。沖縄に来るのは5年ぶりと久々だが、陽光の眩しさと南国の熱気には、否応なく気持ちを上げられる。睡眠不足の疲労などあっという間に吹き飛んでしまった。さあ、ビールでも飲みながら、流浪のロックンローラー、ヒデヨヴィッチ上杉の借りたレンタカーで、いざ辺野古へ! と言っても、ただ浮かれているわけにはいかない。今回の、4泊5日の旅の目的ははっきりしている。やることはたくさんある。そのひとつがここでレポートする〈PeaceMusicFesta!辺野古2010〉(以下、PMF)の取材である。

 PMFについて簡単に説明しておこう。今年で5回目を迎えるこの音楽フェスは、2006年に沖縄のレゲエ・ミュージシャンがスタートさせ、2007年からソウル・フラワー・ユニオンの伊丹英子と沖縄のミクスチャー・ロック・バンド、DUTY FREE SHOPP.の知花竜海が実行委員に加わり、規模を拡大していく。昨年は宜野湾市で開かれ、UAや加藤登紀子やオゾマトリらが出演している。

 今年の会場は、沖縄本島北部の東海岸に位置する名護市の辺野古である。周知のとおり、普天間飛行場の移設候補地だ。小さな漁村のすぐ隣には、米軍の海兵隊基地、キャンプ・シュワブがある。会場となったビーチには、驚くほど低い、乗り越えようと思えば乗り越えられるほどの有刺鉄線が張られ、そこから向こうはアメリカ領だ。この国でいまもっとも政治的にデリケートな集落のひとつである。会場近くの電柱には、幸福実現党による「賛成!! 辺野古移設」のポスターの下にPMFの案内が貼ってあって思わず立ち竦んでしまったが......それはひとつの例としても、地元住民のなかに基地移設をめぐって賛成派と反対派が混在する一筋縄ではいかない土地である。そこで平和を訴える音楽フェスを果敢にも開催してしまう気概にまず率直に恐れ入る。しかも、今回の出演者はフェスのコンセプトに賛同して基本的に渡航費含めすべて自腹だったという。
 実際に現地で、「基地の移設の問題が先にあって、音楽は二の次でしょ」という主張を僕に力説する若い女性と出会った。少なくない時間と情熱をこの問題の解決のために傾け、最前線である辺野古の浜辺で座り込みをしたり、辺野古移設反対を訴えている人たちの切実さを考えれば、(それがすべての意見ではないにしろ)当然の主張だろう。それはリアルな政治の話である。僕はその話を真剣に聞き、受け止めていた。しかし、心のなかで、「音楽にしかできないことがあると信じているから東京からここまで来ているんだよ」と呟いていた。「とにかく観てみようよ、彼らのライヴを!」ということなのだ。ここで伝えたいのは、PMFでいくつもの素晴らしいライヴがくり広げられたということである。そう、PMFは熱気に満ちた素晴らしいフェスだったのだ!

 台風も過ぎ去り、天候にも恵まれた1日目。まず驚いたのが、ステージの音響設備の充実ぶりと、屋台や本部やPAブースに使われているテントに沖縄各地の地名が記されていたことだ。おそらくあちこちからかき集めたのだろう。そして入場料が安いこと。大人で前売り2500円、当日3000円、高校生は前売り1000円、当日1500円、中学生以下は無料である。こういうところから主催側の熱意とインディペンデント・スピリットは伝わってくるものだ。
 この日の空気を最初に変えたのは、昼の早い時間にアコースティック・ギター1本で登場した元・犬式の三宅洋平だった。彼の虚飾のないストレートなギター・プレイとヴォーカルは、まだ人がまばらな会場を静かに扇動していた。フェスの宣言のようなメッセージを勇ましくラップした沖縄のラッパー、カクマクシャカも砂浜の温度を上げていた。1日目のトリのソウル・フラワー・モノノケ・サミットの祝祭的なライヴは老若男女のオーディエンスの期待に文句なしに応えるものだったが、僕にとって最大のハイライトであり、喜ぶべき発見はRUN it to GROUNDという沖縄のスクリーモ・ロック系のガールズ・バンドだった。ギター・ヴォーカルの女性の、地獄の底から発するようなシャウトに、泡盛を飲んで夕涼みをしていた僕はびっくりしてステージに駆け寄った。彼女たちをもっと早く知っていれば、ele-kingの執筆者らと着手している『ゼロ年代の音楽 ビッチフォーク編』(仮)でなんらかの形で紹介したかった。数十分のライヴを観ただけだが、そう言いたくなる特別な何かを感じた。

 ところで、僕がPMFのどのライヴにもっとも注目していたか。その答えは、2日目に登場したMISSION POSSIBLE(THA BLUE HERB×OLIVE OIL×B.I.G. JOE)と七尾旅人のライヴである。残念な話だが、いまだに「音楽と政治を結びつけるな」という野暮な難癖をつけてくる心の狭い音楽リスナーに対しては、「どーも、すいません! 俺は音楽オタクじゃないんでね!」と仕方なく答えるようにしている。まあ、ともあれ、彼らがこの状況、この現場にどのように切り込むのか、どんなパフォーマンスを見せ、どんな音と言葉を発するのかを楽しみにしていた。結論から言うと、彼らのライヴは会場に集まった多くの人が見過ごすことのできないものだった。詳しくはあとで書くが、いまのこの国の音楽シーン......、いや、音楽に"音楽以上の何か"を求めている人びとから信頼されている意味がさらに深く理解できる素晴らしいライヴだった。

 1日目のプログラムが20時過ぎに終わったあと、体の熱が冷めない僕は沖縄市まで足を運び、嘉手納基地の近くにある通称・ゲート通りにくり出すことにした。少し話は横道に逸れてしまうが、その町の夜の猥雑さは凄かった! 車で送ってくれた地元の女性も「外国じゃん!」と驚くほどだった。ハロウィンというのもあって、路上ではど派手な仮装をして酔っぱらった若い米兵らが大騒ぎしていた。爆音のヒップホップに釣られて、ふらっと入ったクラブはさらに異世界だった! 白人、黒人、スパニッシュ、日本人、韓国人らしきグループが入り乱れて、乱痴気騒ぎの真っ只中だった。バー・カウンターにはポールがあって、そこではセクシーな格好をした......というか半裸に近いあられもない姿の日本人の女性たちがポールに食いつくように腰をくねらせ、足の踏み場もないフロアではファンキーな黒人のカップルがエロティックにダンスしているではないか! 目を丸くする僕に、隣に座った常連らしき日本人のお姉さんは「毎週末、これなのよ」と呆れ顔で呟いていたが、そこでかかっていたドレイクやR・ケリーは、間違っても"聴く"ためではなく、もちろん踊るための、もっと言えば、男と女の出会いを演出するボディ・ミュージック以外のなにものでもなかった。
 僕は異文化が衝突することで生まれる乱痴気騒ぎを大いに楽しみ、「これも沖縄の魅力なんだよなぁ」と興奮していた。4、5日いただけでわかったようなことを言うつもりはないが、夜の歓楽街の熱気や息遣いを肌で感じてしまうと、基地の問題が一筋縄ではいかないことにまた別の角度から思いをめぐらしてしまう。"沖縄"や"基地"という単語を聞いたときに、本土の人間は必要以上にびびったり、怯んだりしてはいけない。ポスト・コロニアリズム的観点から真剣に物事を考えることだって大切だけれど、沖縄をロマンティックに語ったり、ナイーヴに受け止めたりするところから離れて、もっと無邪気に考えたり、行動することもときには必要だろう。妖しさ、下品さ、猥雑さがぐちゃぐちゃに混在する悪場所に人間は吸い寄せられ、そこでなにかしらの行動と思索の契機を掴むことだってあるのだ。僕はビールを飲み、屈強な米兵の集団にちょっかいを出されてもめげずに、まあ性懲りもなくそんなようなことを頭の片隅で考えていた。そして深夜、僕は敗残兵よろしく、ひとりゲスト・ハウスに帰って寝たのだった......。

 PMFの初日のステージには、実際に70年代前半のコザ(現・沖縄市)のライヴ・ハウスでベトナム戦争の過酷な戦場に送られる米兵たちを相手に過激なパフォーマンスを展開した、伝説のロック・バンド、コンディション・グリーンの元ヴォーカル、通称・ヒゲのかっちゃん(川満勝弘)が立っていた。南国のジョージ・クリントンのようなワイルドな風貌の彼は、"ホテル・カリフォルニア"のむちゃくちゃな日本語カヴァーを酔狂に演じ、笑いと歓喜の風を運んでいた。あとから考えれば、ヒゲのかっちゃんの年季の入ったトリックスター的な振る舞いも沖縄の混交的なアンダーグラウンド・カルチャーで鍛え上げられたものなのかもしれない。僕は彼を観ていてとても愉快な気持ちになれた。

MISSION POSSIBLEのライヴで会場は最高潮を迎えた。


 そんなこんなで、初日にバカみたいに飲んでしまった僕は、次の朝を二日酔いで迎えた。前日より晴れ渡った天気のなか、夕方まで波と戯れたりしてのんびりと過ごしていた。僕を最初にステージに向かわせたのは、美しくメロウなアコースティック・ギターの調べと夕方の空気を包み込むふくよかなヴォーカルをそっと差し出してくれた直江政広(カーネーション)だった。ああ、なんて素敵な演奏だろう。大それたメッセージなどなかったが、彼の音楽は雄弁に平和への祈りを奏でているように思えた。それまで我慢していたコロナ・ビールを買ってしまった。そこから、沖縄民謡とロックを力強くシェイクする知花竜海×城間竜太、ファンキーでソウルフルなレゲエ・バンドを従えて大御所の貫禄を見せるPAPA-U GEEが、解放的な雰囲気を作り出していく。この時間帯の流れはフェスのひとつのハイライトだった。そして、ここで登場したOLIVE OILのDJが一気に音圧を上げた。

 贔屓目に見なくとも、MISSION POSSIBLEのライヴの注目度は高かった。B.I.G. JOEがステージに勢いよく現れると、そこはもう彼らの独壇場だった。彼は挨拶代わりに自身のドラッグ・ディーラーとしての過去を物語化した"D.D.D. -DRUG DEALER'S DESTINY-"をやった。夕方の黄昏時にこんなハードボイルドな曲からはじめるなんて! しかし、僕の目の前では仮装したジャージ姿の女子高生たちがラップの真似をしながら大騒ぎしているではないか。僕は彼のちょっとした遊び心にニヤニヤしていた。が、B.I.G.JOEが「基地の米兵に届けるつもりでやる」というようなMCから、"WAR IS OVER"を英語でラップすると会場からは大きな歓声が上がった。座り込みの現場で見かけた女性たちも体を揺らし、たしかに声を上げていた。なんというか、それは理屈ぬきに美しい光景だった。そして、ILL-BOSTTINOがステージに登場して、"MISSION POSSIBLE"のファンキーなビートが疾走しはじめると、彼らの凄まじい説得力にやはり圧倒されてしまった。
 THA BLUE HERBのライヴの頃には、砂浜に弧を描くようにその日いちばんの人だかりができ、ひとつの小宇宙が完成していた。普段、ビールや焼酎ばかり飲んでいる俗の極みのような自分が柄にもなく、そんなスピリチュアルな気分に浸ってしまうほどだった。ILL-BOSTTINOは リリックにアレンジを加えながら、"ILL-BEATNIK"や"未来は俺等の手の中"をその場に確実に届く言葉でラップしていた。ILL-BOSTTINOは辺野古でライヴをやることの意味を魂の深いレヴェルで感受して、政治的領域ではなく人間の領域でオーディエンスのひとりひとりに向けて全力投球していた。コモンのソウルフルなトラックを使っていたのも印象的だった。これまで何度かTHA BLUE HERBのライヴを観ているが、それまでにない種類の、崇高な魂の叫びを感じる思いだった。勇敢な愚直さだけが切り拓ける領域とでも言えようか。彼は最後に、「沖縄のことを全世界に伝えてください」とオーディエンスに丁寧な口調で語りかけ、帽子を取り、深々と頭を下げた。そして、拍手の嵐が吹き荒れた。

熱い演奏を繰り広げるソウル・フラワー・ユニオン。

 さすがの七尾旅人も彼らのライヴのあとではやりにくかったんじゃないだろうか。しかし彼は嵐のあとの静けさと暗闇が覆いはじめた海辺の幻想的なシュチュエーションを味方につけて、これまた素晴らしくコズミックなライヴを見せてくれた。僕は喫煙所の椅子に腰掛けて、じっと音に耳を傾けた。七尾旅人は最近ではお馴染みのアコースティック・ギターとサンプラーによるライヴを披露していたが、いつもと違ったのは虫や波や木々の織り成す自然のハーモニーが彼をバックアップしていたことだ。そんななか、七尾旅人は"どんどん季節は流れて"や"Rollin` Rollin`"をやった。どこかエロティックで魅惑的な演奏に多くの人が酔い痴れていた。いつもより冗談も少なかった気がする。彼は多くの言葉を語らなかったように思えた。それで充分だった。その頃には、何か濃密な空気が会場を覆っていた。
 そしてフェスのクライマックス、ソウル・フラワー・ユニオンから沖縄の陽気なサルサ・バンド、KACHIMBA DXへと続く有機的なリズムの渦のなかで、僕はアホみたいに気持ちよくなっていた。ピース系のイヴェントにありがちな、ある種の品行方正な平和の訴えに流れず、最後を情熱的なダンス・ミュージックでぶち上げる精神に僕は共感した。ここでこれ以上あれこれ書くのはとりあえず止めておく。来年もあれば、行きたいと思わせるフェスだった。そう、あそこに集まった1000人近くの人たちはわかっている。PMFにはたしかに音楽のマジックがあったということを――。僕はそのあと、沖縄でやることをやって、飲んで遊んで、心地良い余韻に浸りながら帰路についたのだった。

interview with OTO - ele-king


サヨコオトナラ
トキソラ

ApeeeRecords

www.watonari.net

 よく晴れた心地よい日曜日の野音、お昼前、芝生の上に座ってサヨコオトナラのライヴを観る。OTOのアコースティックギターと奈良大介のジンベはそれがたったふたつであることが信じられないように、豊饒なリズムを創出する。アフロ、奄美の島唄、カリブ海、盆祭り、阿波踊り......ステージの中央にいるサヨコはいわばシャーマンだ。彼女は......物部氏と蘇我氏の争い以前の世界の、たとえば縄文時代のアニミズム的な宇宙を繰り広げているように僕には見える。いわばコズミック・ミュージック、強いて言うならアシッド・ダンス・フォーク、もし誰かがシンセサイザーを入れたらこれはクラウトロックと分類されるかもしれない。
 ステージの前にはただ酒がふるまわれている。若い子連れの姿が目立つ。OTOは、じゃがたら時代と寸分変わらぬ動きでギターを弾いている。楽しそうに、リズムに乗っている。奈良大介は複数の楽器を器用にこなす。サヨコは実に堂々と、彼女のコズミックな歌を、そしてソウルフルに披露する。最初は座って聴いていたオーディエンスだが、その音楽の魅力にあらがえず、やがて立ち上がり、しまいにはステージのまわりで多くの人たちがダンスする羽目となった。ちなみに彼らの音楽は、僕の文章から想起する以上に、モダンである。
 サヨコオトナラは、日本全国に拡散しているオルタナティヴなコミュニティを渡り歩いている。これは、はからずともUSアンダーグラウンドのフリー・フォークにおける旅しながら演奏してCDRを売っていくスタイルと同じだ。それをいま、元じゃがたらのギタリストと元ゼルダのヴォーカリストがやっているのはなんとも興味深い話である。


エド&じゃがたらお
エド&じゃがたらお春LIVE

ディスクユニオン

amazon

 2010年は江戸アケミ没後20年ということで、お春時代のじゃがたらのライヴ盤がリリースされることになった。アルバムには、80年代の日本を駆け抜けたこのバンドの、もっとも初期のエネルギーが詰まっている。そして『エド&じゃがたらお春LIVE』の1ヶ月前には、サヨコオトナラのセカンド・アルバム『トキソラ』が発表されている。バブルに浮かれた80年代の日本において日雇い労働者の町として知られる寿町でフリー・コンサートを開いた"いわば反体制的な"バンド、そして21世紀の日本で全国の小さなコミュニティを旅するスピリチュアルなバンドとのあいだには、もっと多くの言葉が必要ではないかと僕は考える。それはこの国のカウンター・カルチャー(と呼びうるに値するもの)において、極めて重要な一本のラインだからである。
 
 いずれにしても、現在、熊本で暮らしているOTOに話を訊けることは、僕にとって光栄なこと。実をいうと、この偉大なギタリストとは『エド&じゃがたらお春LIVE』のブックレットのために数か月前に会って、この取材の前日にも会って話している。たくさんのことを話し、そして例によって僕はビールを飲みながら話したために、内容がとっちらかってしまった(隣にはあのうっとおしい二木信がいたし......)。
 ......が、心配は無用です。僕たちにはひとつの言葉があるのです。「狂気時代の落とし子たちよお前はお前のロックンロールをやれ/答えなんかあの世で聞くさ」

彼が亡くなってからずっと、いまでもアケミの詩集を読み返すんだよ。そうすると、当時気にならなかったフレーズが、10年後に気づくとか、13年目に初めてわかってくるとか......、あるんだよ。たとえば「業を取れ」とか「微生物の世界」という言葉とか、「俺は音楽とか止めて百姓やりたいよ」とかさ(笑)。

じゃがたらお春のライヴ音源が出ることになった経緯からお願いします。

オト:じゃがたらが影響保存されて20年になるんで、なんかやりたいなと、去年からずっと考えていたんだけどね。そうしたら、昔、BMGでじゃがたらのディレクターをやっていた方から、トリビュート盤の企画をいただいたのね。トリビュート盤に関して、僕がどうこう意見を言える立場ではないんだけど、僕がちょっと失礼な発言をしてしまったんです。で、それがぽしゃってしまって......、じゃがたらの残ったメンバーと大平さんという『南蛮渡来』の頃にマネージャーやっていた人なんだけど、いまでもすごく応援してくれてね、僕らを育ててくれたような人なんですけど、彼らとも話をしていて、彼らはやっぱ若い世代に伝えたいという意見だったんだけど、僕がトリビュート盤の企画をダメにしちゃったから。

「トリビュート盤なんてダメだ!」って言ったんですか(笑)。

オト:失礼な言葉を言ってしまったんです......「クソみたいなのを作られてもなー」みたいな(笑)。

ハハハハ。

オト:いや、その企画がクソだと言ったわけじゃないんだよ。

わかります。トリビュート盤ってたくさん出回っていますけど、アルバムのなかに必ず「この人ホントにトリビュートの気持ちがあってやってるのかな?」というのが入っているし、誠実さの問題としても難しいところがありますよね。ホントにカヴァーしたい人が参加できなかったりすることもあるし。

オト:誠実さが大事ですよ。

ただ、いまの時代、じゃがたらをトリビュートすることは面白いとは思いますけどね。

オト:うん、人気がある人たちがカヴァーやってくれて、それで若い世代へと広がるというのはひとつの考え方としてわかるけど、それは僕の考え方ではない。そんなことで時代は動かない。

まあ、そうですけど。

オト:そういう風に売れるってことに意味を感じていないんだよね。そんなところに頼りたくはないというかね。実際に、ライヴでじゃがたらの曲を演奏している人たちとか知っているけど、そういう風に、本当にやりたいのならやって欲しいなと思うけど。ただ、生き様にも何もならないようなことはいい。企画があるからやりましたというのが出てくるのが嫌だったから。まあ、ありがたい話だとは思うんですけどね。こんなご時世に、じゃがたらのトリビュート盤を作ったところでレコード会社が儲かるわけじゃないし。

それで、結局、じゃがたらお春のライヴをCD化することになったんですね。

オト:うん、これはでも、前から出したいと思っていたんだよ。

オトさんと知り合ってから10年以上経ちますけど、オトさんがどんどんじゃがたら化しているように思うんですよ。

オト:そう? だったら嬉しいね。

江戸アケミさん化している?

オト:いやいや、アケミはスペシャルな人だったから(笑)。ただね、彼が亡くなってからずっと、いまでもアケミの詩集を読み返すんだよ。そうすると、当時気にならなかったフレーズが、10年後に気づくとか、13年目に初めてわかってくるとか......、あるんだよ。「いままでこう思っていたけど、実はその奥にはこういう意味があったんだ」とかね。たぶん、じゃがたらのファンの人にもそういう思いは巡っているんじゃないのかな。僕は僕なりに読んで、自分のなかにアケミの詞でキーワードみたいに引っかかる言葉があって、それを無意識に追いかけていったらいまの僕がいるという感じで、だから、やっぱ影響は大きいと思うんだよね。たとえば「業を取れ」とか「微生物の世界」という言葉とか、「俺は音楽とか止めて百姓やりたいよ」とかさ(笑)。亡くなる3日前の鮎川(誠)さんとの対談で、話が途切れたときに空を見つめるように「いやー、これからは緑というのがテーマになるような気がするんだよね」と言っていたこととか。そのときアケミはその「緑」についてうまく言語化できなかったけど、本当はもっと言いたいことがあったと思うんだよね。ただ当時は、「そんなことを言ったって、どうせおまえらわからないだろ」というような、アケミと他のメンバーとのあいだの決定的な距離というものがあってね。だからアケミは僕らには説明しなかったのかもしれないけど。

でも、いまの話はまさにオトさんの現在やっていることと結びついている話ですよね。

オト:うん、そうだよね。

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日本の音楽史におけるサザン・ロックからの影響に関して言えば、麻琴さんや細野さんからボガンボスまでが空白になっているけど、実はそのあいだにストリートではこんなバンドがいたんだよっていう、そこも言いたかった。だからちょっとお節介なところもあるんだよ。


エド&じゃがたらお
エド&じゃがたらお春LIVE

ディスクユニオン

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現在のオトさんのラディカルな活動もそうですけど、僕はじゃがたらお春が2010年に出たことがいくつかの理由で面白いと思ったんです。前に会ったときにも言いましたけど、あんなに楽しそうに演奏しているじゃがたらを初めて聴いたし。

オト:そうだよね(笑)。

あと、2010年にじゃがたらというのは、逆説的に言えば、いまもっとも求められていないんじゃないかと(笑)。1980年代当時も反時代的だったけど、2010年ではますます反時代的になっているというか。

オト:いやもう、80年代だってビリビリに酷かったよ。

ライヴの最中に喋りまくって(笑)。

オト:「うるせー!」とか言われてね。スカパラやミュート・ビートなんかといっしょに出ると野次がすごかったよ。お洒落さんたちがいっぱい来たから、アケミが曲やらないでMCでずっと喋ってるから、「説教しないで音楽やれよ!」とかね。

こだま(和文)さんはいまそうですよね(笑)。

オト:こだまさんはそこ引き継いでるから。

耳を塞いでしまいたくなるうようなことを言うバンドだったし、あと、『君と踊りあかそう日の出を見るまで』に象徴されるように、音楽表現に対して表現者はどこまで誠実になれるかみたいなところがありましたね。ああいう問い詰めていくような厳しさは、いまメインストリームにはないものだから、いろんな意味で2010年にじゃがたらが出るのは実験的だと思ったんです。

オト:僕が入ってから音楽が洗練されて勢いが出たということになっているんだけど、実は、僕が入る前から......。

素晴らしいですよね。レゲエもそうですけど、サザン・ロックの感じはもうホントに格好いいですし。

オト:僕はダブやアフロビートをやりかったんだけど、僕が入る前から、ニューオーリンズみたいな部分、イアン・デューリー&ブロックヘッズみたいなこと、"なにもかもが"や"ぶち壊せ"みたいな曲はあったんです。"なにもかもが"なんかは、イアン・デューリーより数年早く同じことをやっているんです。コードの感じとかね。アケミはああ見えてもドナルド・フェーゲンが好きだったから。ちょうど『それから』を録っているときに"TABOO SYNDROME"でね、コードはお洒落な感じで、リズムでは土臭いことをやりたいと思って、で、そうやったんだけど、あの曲を演っているときにアケミのドナルド・フェーゲン好きが発覚した。「俺はドナルド・フェーゲンが好きでな、『ガウチョ』に関してはけっこう詳しいぞ」って(笑)。

へー、それは意外でした。

オト:なのに、俺がスタイリッシュに仕上げようとするとぶち壊してくるんだよね。

ハハハハ。とはいえ、アフロビートというコンセプトを考えると、やっぱじゃがたらはオトさん抜きでは考えられないですよ。

オト:フェラ・クティもファンキーで、すっとぼけたところがあったけど、そこがまたアケミと似ててね。赤堤に成田さんというフェラ・クティのアナログ盤をずっと集めている人がいてね、僕らは芽瑠璃堂で購入していたんだけど、当時はまだなかなかに入荷されなかったし、入荷されても「あ、これ持ってる」とかね。だからバンドの練習が終わると成田さんのところに行って聴いていたの。6時ぐらいに行って、延々とフェラ・クティばっかり聴いている(笑)。

僕ら世代なんかは、逆にじゃがたらを通して知ったところがありますからね。

オト:当時はまだ、芽瑠璃堂でしか売ってなかったんじゃないかな。情報もまったく入って来てなかったし。

じゃがたらに関しては本当にたくさんのいい話がありますよね。こないだオトさんに教えてもらったあの話も最高でしたね。赤いジーパンはいて、上半身裸でピンクの腹巻きで登場したっていう......。

オト:野音でね、しかも「青空ディスコ!」って叫ぶという(笑)。

ハハハハ、労働者のスタイルですね。

オト:完全に労働者だよ。

フェラ・クティの精神的なところにも惹かれていたんですか?

オト:たとえば、JBズが好きな人って六本木や赤坂行けばいっぱいいるわけ。それはJBズは素晴らしいけど、僕らはアフロビートのところに持って行かれたんだよね。まだ誰もやっていないリズムのパターンとかあってさ。

オトさんのリズムの研究はすごいですからね。話し聞いているとこんなに左翼なのに、ネプチューンズが最高だって言ったりする(笑)。

オト:ハハハハ、それはリズムの面白さだよね。

じゃがたらお春に話を戻すと、さすがにまだこの頃は狂気はないですよね。

オト:ないね。......えっとね、その前に話を戻すと、僕が入ってから音楽が整理されたとなっているけど、それは僕にとってこそばゆいところがあるんだ。まずニューオーリンズのあのサウンドに関してだけど、アケミやナベちゃんやEBBYが出会ったのも、「当方サザン・ロックやるので」みたいなメンバー募集からだったのね。で、当時、お春はデモテープを持っていろんなところを回っているんだよ。それでも、たぶん、演奏力とか音楽性とかそういうもの以外の理由でキャッチされなかったんだろうね。むさ苦しいとか、汚いとか......ね。そういう当時の見る目の無さに対して「おいおい」と釘を刺したかったのもあったし、それと日本の音楽史におけるサザン・ロックからの影響に関して言えば、(久保田)麻琴さんや細野(晴臣)さんからボガンボスまでが空白になっているけど、実はそのあいだにストリートではこんなバンドがいたんだよっていう、そこも言いたかった。だからちょっとお節介なところもあるんだよ。

音はサザン・ロックなのに、歌詞はパンクなんですよね。

オト:歌詞はパンク(笑)。

あれは何なんでしょうね。

オト:サザン・ロックというのは揺らすためのもの、踊るためのものだから。身体を揺らして、キツイことをがーんと言うっていうのはアケミのスタイルだよね。あとアケミやナベちゃんやEBBYはザッパが好きだったね。当時はザッパ好きというのがなかなかいなかったし、僕はザッパは聴いてなかったんだよね。僕はとにかくダブをやりたかったから。

当時のオトさんのテレキャスターにはTAXI(スライ&ロビー)のステッカーが貼ってありますからね。

オト:レヴォリューショナリーズが大好きで、スラロビが大好きだったから。

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渋谷の屋根裏だったんだけど、ライヴが終わって楽屋に行ったら、その殴ったヤツが「アケミ、ごめん」って言うのね。そしたらアケミが「ごめんてな、すげー痛かったよ」って。「おまえな、ビール瓶で殴られると相当に痛いぞ」って、それで終わりだよ。「なんちゅー、男だ」と思ったよ。

で、「家族百景」のインナーの写真では、オトさんがTAXIのステッカーを貼ったギターを弾いている前には顔面から血を流している男がいるんですよね。その光景は、フェラ・クティでもレヴォリューショナリーズでもないわけですよ。

オト:あれはね、誰かがビール瓶でアケミの頭を殴ったら、見事に瓶が割れて、その破片で血を流しているんだよね。で、アケミが偉いのは、そのときそんな目にあっても怒らないんだよ。渋谷の屋根裏だったんだけど、ライヴが終わって楽屋に行ったら、その殴ったヤツが「アケミ、ごめん」って言うのね。そしたらアケミが「ごめんてな、すげー痛かったよ」って。「おまえな、ビール瓶で殴られると相当に痛いぞ」って、それで終わりだよ。「なんちゅー、男だ」と思ったよ。

ハハハハ、天才的に大きな人だったんですね。ちなみに最初はミーターズやアラン・トゥーサンを手本にしていたんですか。

オト:僕にとっての入口はダブとアフロビートだったけどね。ただ、僕はパンク上がりだったし、最初から音楽の知識があったわけじゃないんだよ。ポップ・グループがいて、「JBズみたい」って音楽誌に書いてあったから聴いてみたんだけど、ちょっと毛色が違っていたし。

いろいろ追求するのは、じゃがたらに入ってからなんですか?

オト:じゃがたらに入ったら、とくにベースのナベちゃんがひと通り面白い音楽を聴いていた人で、練習終わってから成田さんのところに行かない日はナベちゃんのところに行って、いろいろなレコードを聴くわけ。スタジオでセッションしていたら「おまえもキャンド・ヒートみたいなギター弾くな」とか言われて「誰、そのキャンド・ヒートっていうのは?」って言ってたくらいなんだよね。それでナベちゃんの家行くと「キャンド・ヒートならこれがいいんだよ」とか「ミーターズならこれ」って聴かせてくれるんだよね。ナベちゃんはじゃがたらの前はブルース・バンドを経てきていたから、基礎ができていたんだよ。

アケミさんのあのパンクな歌詞はどこから来ていたんですか?

オト:三里塚で、頭脳警察を聴いて、パンタさんの歌を聴いて、そのインパクトが強かっみたいだね。それから彼のなかで「闘争」が入っているんですよ。

なるほど。子供の頃にバキュームカーの運転手になりたかったというエピソードも僕は好きなんですよね。最初からものの見方がちょっと違っていますよね。

オト:そうそう、あれは83年だから、ちょうどテンパったときかな、アケミが言っていたんだけど、彼が小さい頃、お父さんがお酒に酔うとトイレで用を足したときに漏れたりしたんだって。それをお母さんじゃなくてアケミが拭いていたらしいのね。で、大きくなったらバキュームカーの運転手になりたいと思ったんだって。なかなかそういう発想にいかないよね。

すごくいい話ですよね。

オト:あとね、クラスで嫌われている子がいると、わざわざその子に近づいていって、仲良くなって、「俺はあの子と仲良しだぜ」って言いふらしたりとか。別に正義の味方ということじゃないけど、「なんだよ、みんなしてイジメやがって」っていう集団の予定調和に対する反発心だよね。そう、そういう反発心が最後まで強い人だった。

それはもうあれですね、毛利嘉孝先生の名言で、「狂気とは相対的なものであり、80年代は世のなかが狂っていたのであって、江戸アケミがまともだった」ということですね。

オト:高校のときは新聞部と山岳部だったらしいし。すごい真面目で、ストイックだよね(笑)。

話が飛んで申し訳ないんですが、オトさんが今回、じゃがたらお春出すのは......、まあ、経済的な見返りなんてないわけじゃないですか。

オト:まったくない。

それでも出すというのは、何か他に強い気持ちがあるんですよね。

オト:うん、今回の音源に関しては、そこに僕もいないわけですよ。僕から聴いてもすごくいいなと思ってたもので、それを聴いて誰がインパクトを感じるかわからない。若い人の耳に届いたときに、なかには強いインパクトを受ける人がいるかもしれない。それは僕の感じ方とは違ったものになるだろう、だから出しておきたい、というのがまずあった。そして、"HEY SAY!"と"もうがまんできない"を演っているんだけど、この頃のアレンジがすごく温かくて、音楽の良い部分をやっていて......。『南蛮渡来』は、もう背負ってしまっているからね。

すでに好戦的になってますよね。

オト:そうなんだよ。だって「オト、おまえは真面目だ。だが、俺はマジだ」みたいな感じで言ってたんだよ。それは僕に対するアンチなんだよ。「真面目止まりでは話にならないぜ」っていう意味だから。「マジにならんといかんぜ」っていうことを言ってきた。『龍馬伝』のなかの坂本龍馬が挑発するみたいな感じだね。

アケミさんの怒りのようなものはバンドで共有していたんですか?

オト:アケミも共有を強いてなかったからね。ナベちゃんは、「俺には女房がいるけど、でも、アケミの死に水を取るのは俺だ」と公言していたけど。女房以上に愛しているという意味で言っていたんだろうね。だから、83年にアケミがイってしまったときに、「どうしてイってしまったんだ?」って、三日三晩、寝ないで調べて、彼自身もイってしまうんだよ。アケミと同じ道を辿れるわけないのに、行こうとしたんだよね。そうして、83年にふたりともはずれてしまったんだよ。

さっきパンタさんの歌を聴いて、影響を受けたと言いましたけど、アケミさんには60年代的な左翼運動からの影響はあったんですか?

オト:なかったね。むしろ、遠目に見てうっとおしいと思っていたんじゃないかな。団体行動をすごく嫌っていたから。それが「お前はお前のロックンロールをやれ」に繋がっていくわけだから。87年ぐらいかな、雑誌に「カリスマ」って書かれたことにすごく傷ついていたことがあったのね。それをライヴをやる度にステージ上で執拗に訂正するんだよ。こっちは「書いた人がそう思って書いているんだから、別にそこまで気にすることはないじゃない」と思うわけだよ(笑)。でも、アケミはそうやって幻想を読者に振りまくのが許せなかったんだよね。自分がそういう幻想に乗っかるのが本当に嫌だったんだよ。それで「じゃがたらなんか見に来なくてもいいんだ、おまえたちはおまえたちの友だちを作れ、じゃがたらなんか見に来るな」とか言ってるんだよ。

ハハハハ。学祭のライヴでさえも、そういう言葉で客を挑発していた。

オト:でも、そういう言葉が爽快なんですよ。

観に行ったら楽しませてくれるのが当たり前だってタイプのライヴじゃなかったですよね。客が聴きたいと思っている曲をガンガン演っていくようなものでもなかったし、「今日のライヴ良かったねー」「ありがとう!」って感じではなかったですからね。

オト:僕が入る前のまだスキャンダラスなステージをやってた頃も、お客がそれを求めているから野次が飛ぶわけ、「ほら~、うんこしてくれ~」とか(笑)。ステージでは"もうがまんできない"のイントロが演奏されていて、そのなかでアケミはお客と掛け合いやっているんだよ。「おらおら、おまえら暗いぞ、日本人ってこんなに暗いのか!」とかガンガン挑発している。で、お客が怒ってくると「そうだ、そうだ、その怒りの顔だ!」って(笑)。「おらおら、じゃがたら嫌いんだろ? 嫌いだったら嫌いだって、でっかい声で言えよ!」とか言ってる(笑)。もうね、そういうコミュニケーションが爽快でね。そこまでのコミュニケーションっていまある? 

ハハハハ。

オト:でも、アケミがテンパってからは、ステージの上ではあんなに喋れたのに、ステージを降りるとぜんぜんダメだった。87年の「ニセ予言者ども」の頃だってそうだった。ぐたーっとしちゃってね、ものすごい体調が悪い。

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持続可能な循環型社会という答えが見えたんだよ。で、それが見えた時点で、僕は自分でそれをやってみたくなったんだよね。だから、レコード店が客にレコード袋を出さないんじゃなくて、そう思うんだったらまずは自分でそれを実践すればいいと思うんだよ。


エド&じゃがたらお
エド&じゃがたらお春LIVE

ディスクユニオン

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じゃがたらはひとつの分水嶺だったんでしょうね。80年代はまだじゃがたらのような文化は求められていたけど、結局、じゃがたらの理想主義的なところは90年代に駆逐されていくわけでしょう。江戸アケミのようなメンタリティはなかったこととして日本の音楽シーンは発展していくわけだから。

オト:たぶんね、88年ぐらいに、アケミとこだまさんはそのことを感じていたんだと思う。日本のなかでただ普通に音楽を演ることに大きな疑問を感じていた。篠田(昌已)君なんかはアケミの気持ちがわかっていたほうだったけどね。

時代はまさに中曽根内閣でしたからね。新自由主義のはじまりとともにじゃがたらははじまっているんです。

オト:そう、はじまっている。

僕なんかも当時の浮かれた日本のサブカルが大好きなひとりだったから、江戸アケミさんの言葉を心から理解できていたわけではないんです。

オト:ただね、社会に生きていて、本当に言いたいことがあってもそれが言語化できない人たちはたくさんいると思うんだよね。たとえば、僕がある野菜を食べたとする。で、農薬が入っていて身体受け付けなかった。「なんで野菜を食べないの」と言われる。それは野菜ではなく、僕の身体が農薬を受け付けていないってことなんだけど、食べている時点ではそれを言語化できない。そういう風に言えないことってあると思うんだよね。学校だって、会社だってそうだけど、そうなってくるとはずれるしかないじゃんね。で、はずれたほうがいいんだよ。ただ、はずれたあと、快適に過ごさないと悔しいじゃん。

ハハハハ、悔しいっすよね。ただ、逞しさみたいなものがあったんでしょうね。もうひとつ僕が好きなエピソードで、バンドで食えない頃に、アケミさんが下北沢のパチンコ屋の呼び込みやってて、それで夜には渋谷の屋根裏でライヴをやるというがあって。そうした逞しさ、地に足がついた感じで音楽をやっていたわけですよね。しかもあれだけネガティヴなことを歌いながら、ダンスに向かう。

オト:踊るのはあの頃、解放って言葉で言ってたけど。

フォークにはいなかったんですね。

オト:フォークにはいかないんだけど、"中産階級ハーレム"を持ってきて歌うときのアケミは完全にフォークなんですよ。だけど、それをフォークの文脈には絶対に入れたくないというね。

"中産階級ハーレム"はしかも長い(笑)。

オト:あんな長いフォークはない(笑)。

名曲ですよね。

オト:名曲だよあれは。こないだジョン・レノンの"ワーキング・クラス・ヒーロー"を聴いたときも、あれはアケミのアンサー・ソングなんだなと思ったよ。「日本じゃ、中産階級て言われて、ぷらぷら浮かれているよ」ってね。

だけど、いまほど中産階級に憧れている人が多い時代もないんじゃないですかね。

オト:どうだろうね。ヒップホップやレゲエみたいにミュージシャンやりつつ社長みたいな感じが出てくるとさ、案外みんな産業だと思っているんじゃないの。とにかく商売っていうかさ。どうなの?

うまくやれているのはごくいち部ですよね。そういえば、今回のじゃがたらお春では、かなり気合いの入ったブックレットを付けていますよね(執筆陣は、磯部涼、こだま和文、二木信、毛利嘉孝、湯浅学、それと筆者)。

オト:ただ出すだけでは無責任だなと思って。2010年に出すことの意味を考えたいと思ったんだよね。あのライヴ音源のマスタリングに関しては、実はずっと前にやっていたんだ。いつか出したいと思っていたんだよ。あとは毛利さんの『ストリートの思想』がすごいきっかけでしたけどね。

『ストリートの思想』は初めてちゃんと日本のポスト・パンクを政治的な文脈で説いていったところが良かったですよね。政治や社会の文脈でああいうことを書く人がいなかったから。

オト:まったくなかった。80年代の機運としてはまったくなかった。じゃがたらなんて、超浮いてたもん(笑)。

吉本隆明が広告になっている同時代に、屋根裏で血を流して踊っていたアケミとは何だったろう? って思いますよ。

オト:こう言ってはなんだけど、ポスト・パンク時代のノイズにしたって、音楽誌に書かれているアートとしてのノイズというベタな表現に思えてしょうがなかったんだよね。時代がさ、そういう時代だったでしょ。パンク、オルタナティヴ、ノイズ。映像作家だってノイズを入れて作品を出していた。僕からみたらみんなアンパイだよ。時代のなかのカラーリングでしょ。じゃがたらは全然関係なかった。パンクとは違うイディオムが入っているし、レゲエをやっていても、ミュート・ビートみたいにレゲエをそのままやるようなことはなかったしさ、アディダスをはいたこともなかった。まあ、みんな、そりゃあ、ダサいよ。アケミは赤いジーパンにピンクの腹巻き(笑)。「おい、そりゃあ、何なんだよ!」って(笑)。

ハハハハ、最高ですよね。80年代は、いま思えばニューウェイヴのセンスほうがメインストリームだったと言えるほどで、じゃがたらは本当に、まったくの反時代だったんですね。

オト:そんなんじゃ売れないよね、糸井重里が西武デパートで「おいしい生活」って時代にさ、「青空ディスコー!」じゃ(笑)。

ハハハハ。「おいしい生活」は終わったけど、「青空ディスコ」はレイヴ・カルチャーを予見したじゃないですか。そろそろ、サヨコオトナラの話をしましょう。現在のオトさんの活動のきっかけは、9.11にあるんですよね。

オト:そう、オルタナティヴへの流れだね。

環境問題と音楽の話でもありますよね。すごく重要な問題だし、同時に際どい問題でもあると思います。僕みたいなへそ曲がりは、たとえば、たまにレコード店なんかでも「うちは手提げ袋を出さないんです」とか言うのを見ると、「客に押しつけやがってー」「だったら10円でも安くしろ」と思ってしまうわけです(笑)。もちろん自分が正しいとは思ってませんが、今日では、下心見え見えのエコやオーガニックも少なくありませんし......。ただ、先日、サヨコオトナラのライヴをやった「土と平和の祭典」はとても面白かったです。行ってみないとわからないとはまさにあれで、普天間基地問題から原発問題とか、いろんな回路が用意されているんですね。僕は、ナチュラル系と言われるような、海辺でただ享楽的過ごしているだけのことをいかにも自然を愛してますっていう偽善的な態度が嫌いなのですが(笑)。

オト:ハハハハ。

そういうのとは明確に違った意識の高さをもったフェスでしたね。子連れが多かったのも良かったです。オトさんはどうしてああいう方向に行ったんでしょうか?

オト:僕はね、9.11の前から都会で音楽を楽しむことが減ってきてしまっていたんだよ。トランスであれ、レイヴであれ、祭りであり、都会から離れたところで音楽を楽しみはじめてしまっていた。新宿の風俗店で火事があった頃から、〈リキッドルーム〉に行くのにも、僕は覚悟していた。いつ死んでもいいようなね。飛行機に乗るときもそうだよ。こんな高いところ飛んでいるんだから、落ちて死んだって仕方がない。この景色を冥土のみやげにしようって、そう思って乗ってるから。それと同じように、都会はもう、自分で自分の身を守れるところではなくなってしまった。東京で音楽を楽しむことができなくなってきてしまったんだよね。

でも、全員が全員、田舎に住めるわけじゃないじゃないですか。

オト:そうだよ。ただ、いまはその角度からの話はちょっとおいてもいいかな。で、9.11があったときに、3日後に坂本(龍一)さんの「非戦」のサイトがあって、そこからいろんなリンクを追っていったのね。その前に、沖縄で少女暴行事件があったじゃない。それで地位協定について知って、で、「日本って、ぜんぜん独立してるわけじゃないじゃん」って。それまで僕は、世界のことや日本の政治のことを積極的に探ってなかった。スティングがアマゾンの自然危機を訴えるためのワールド・ツアーをはじめたときも、「そういうのは専門家がやれば」って感じで、「僕は音楽のことをやるから」って思っていたのね。だけど、9.11のときは、「これは子供がじゃれ合ってるなんてもんじゃないぞ、世界はもうドクターストップだ」と思ったんだよ。当時僕は映像をザッピングしていて、ペンタゴンには本当に飛行機は落ちていないし、どうも怪しいと、自分のなかに確信は持てなかったけど、ホントのテロじゃないなと思っていたんだ。そしたら、まあ、本を読んだり、ネットを調べると、陰謀説のようなことがいろいろ出てくる。しかし、テレビのニュースではまったく別の情報が流れている。これはもう、自分で把握できないと次に進めないなと思った。「僕は音楽専門で、環境系は専門家に任せます」っていう態度では次に進めないなと思ったんです。

しかし、その9.11から環境に進んだのはどうしてなんですか?

オト:で、いろいろと勉強してって、教育の問題、食べ物、医療、建築......この世は相当なまやかしでできていることがどんどん見えてくる。バビロンもへったくれもない。

思っていた以上にバビロンだったと(笑)。

オト:そう、こんなにもはっきりバビロンだったとはねー(笑)。これはもう、このままいまの流れを続けていったら人類はないと。

オトさんの場合、田舎に住んではいますけど、こないだ野音でライヴやったように、都会でもライヴをやってますからね。隠遁しているわけではない。

オト:隠遁してるわけじゃないからね(笑)。ただ、都会に住んでいるとアンチにならざる得ないよね。システムがあまりにも作られているから。持続可能な循環型の社会ではない。

なるほど。

オト:そう、持続可能な循環型社会という答えが見えたんだよ。で、それが見えた時点で、僕は自分でそれをやってみたくなったんだよね。だから、レコード店が客にレコード袋を出さないんじゃなくて、そう思うんだったらまずは自分でそれを実践すればいいと思うんだよ。買わないという意志をもつこととかも重要だよね。消費こそがいちばんの政治行動だから、イラク戦争のときにわかったのは、みんなが貯金しているなかの財政と融資という枠から国が好きなように使う権利を持っていて、そのなかから国が武器や爆弾を買ってるなんて......まあ、言語道断の話なわけだよね。銀行を使うってことはすでに民主主義でもなんでもないし、そしたら僕らの意志は関係ないってことだから。さらにお金についても考えたんだ。「お金って何だろう?」って思って。自分もそうだったけど、お金がないと困ることがたくさんある。生活するなかで最低限のお金は必要だからね。だけどね、お金がないと淋しい気持ちになるよね。

なりますねー(笑)。

オト:でも、精神にそこまで影響をおよぼすお金って何よって思うわけ。「人の精神を救うものがお金なの? それって正当なの?」って。お金の実態を知りたいと思ったんだよね。そしたら名古屋の在野の青木(秀和)さんって学者の書いた『「お金」崩壊』っていう新書が面白くてね。僕の知りたいことがいっぱい書いてあった。銀行の話から地域通貨の話とかね。それから阿部芳裕さんの書いた地域通貨に関する本を読んで......あとは太田龍っていう。

竹中労と平岡正明と3バカゲバリスタを組んでいた人ですね。

オト:太田龍がいっぱいフリーメーソンに関する翻訳をやっていてね、ものすごい仕事量なんだよね(笑)。もう死んじゃったけど、ものすごいスピードでものすごいたくさんの翻訳を出している。まあ、暴露本だよね。俺、ロフト・プラス・ワンで太田龍と対談したいって言ったくらいだから。

まあ、とにかく9.11以降、いろいろ勉強されていたんですね。

オト:うん、そう。じゃがたらの話に戻るけど、人びとがまやかしに踊らされない部分というかね、本当の日本の姿を見つめなきゃならないってアケミは言ってたんだよね。おそらく88年くらいから、彼の体調が急にアッパーにいくんですよ。それまでずっと安定剤を飲んでいたんだけど、86年ぐらいから日常生活では会話なんかも以前のように喋れるようになってくるし、筋肉もついてくるし、そうすると気が乗ってくるというか、彼のほうでもいろいろと話してくる。で、彼は日本の社会をできる限り見つめたいと思っていたけど、じゃがたらというバンドの中身が日本の小さな縮図みたいなもので、バンドのメンバーがアケミのことをぜんぜんわかってなかったんだよね、僕を含めて。だからアケミはライヴの演奏中に、バンドのメンバーに対しても「俺はじゃがたらなんかじゃねぇよ」という苛立ちを持ちながら歌っていた。これは『この~!!』というDVDに収録されているんだけど、"都市生活者の夜"のライヴ演奏で、意図的に音程をはずして歌ったことがあって、で、そのとき僕はそれが気にくわなくてね、「ふざけやがって」と思って、「そんな軽々しいフェイクで苛立ちを出しやがって」って。でも、彼のなかではその違和感がどんどん膨らんでいくんだよね。そうした、じゃがたらでの一連の出来事が、9.11があってから僕にはすごく透けて見えるようになった。アケミが感じていた部分が僕にようやく見えてきてね......アケミと僕が同じかどうかはもう参照することはできないけれど、でも、僕のなかでは「こういうことだったのかな」と思えたことがたくさんあった。僕なりに、バビロンの構造が透けて見えるようになったんだよ。

なるほど。

オト:そう、だから『この~!!』を観た人は、不快な思いをしたかもしれないけど、だとしたら、その不快感こそ、僕らが住んでいる日本に潜んでいる不快感に他ならないんだと言いたい。

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この編成がすごく大事なんだよ。移動しやすいというね。それでアコースティックで最小の編成になったというのがある。ライヴをやったあとに、いままでは泊まるのはホテルとかだったけど、いまは呼んでくれた人のお家に泊まるんですよ。そうすると、ご飯もいっしょに食べるし、翌日はいっしょに起きるし、何回もやっていると家族みたいになっていくんだよね。


サヨコオトナラ
トキソラ

ApeeeRecords

www.watonari.net

では、サヨコオトナラに話を戻しましょう。

オト:そういうのがあるんで、都市に暮らしながら変革することはもちろん重要だけど、サヨコオトナラは地球のなかの、グローバリゼーションではない、サステイナブルなものとしてのオルタナティヴを追求したいんだ。僕はね、そっちのサステイナブルなオルタナティヴに関してはぜんぜん知らなかった。だから面白くて、がーっと進んでいったんです(笑)。

端的に言うと、サヨコオトナラが目指すのは新しいコミュニティの創造だったりするんですか?

オト:そうだね。ただひとつのローカル・コミュニティではない、点在するところを繋いでいくコミュニティだよね。

それは素晴らしいコンセプトですね。僕は、サヨコオトナラのライヴを観ていくつか感動したんですけど、何度も繰り返しますけど、あれだけ子持ちのお母さんが来ているライヴは初めてでした。野外系は基本、家族連れが多いんですけど、それにしても割合が高かったなー。

オト:サヨコオトナラは家族連れが圧倒的に多いんですよね。

それも未就学の子供を連れたお母さんが多い。それがまず面白いですよね。よく見ると、元クラバー、元レイヴァーかなーみたいなお母さんもずいぶんいるし(笑)。

オト:たとえば、『六ヶ所村ラプソディー』みたいなのも、子持ちのお母さんが率先して上映会をやったりしているんだよね。

たぶん、オトさんがいまやっていることも社会運動のひとつの形態だと思うんですよね。

オト:ぜんぜん運動だね。

僕は、オトさんにはけっこう遠慮なく言ってますけど、サヨコオトナラの音は大好きなんです。サヨコさんの歌も素晴らしいと思います。でも、サヨコさんのシャーマニックな歌詞に"神様"という言葉が出てくると思わず引いてしまうのも事実なんです。

オト:シャーマンってね、スピリチュアルとか、超能力とか、いろいろあるからね。

アリス・コルトレーンは社会運動的だけど、むちゃくちゃシャーマニックじゃないですか。サン・ラだってそうですよね。海外のスピリチュアル・ミュージックは、外国語なので、聴いてられるんでしょうかね(笑)。ただそれを、サヨコオトナラは日本語でもやっている。最初はそこに戸惑いがあったんです。それはやっぱ、オウム事件のような日本の宗教的な狂気みたいなことが記憶に刻まれてるんで、警戒心が働いてしまうんですよね。ただね、実際にサヨコオトナラのライヴを聴いていると、本当に楽しい音楽なんだとわかるんです(笑)。踊り出してしまうようなタイプの音楽で、ダンス・ミュージックなんですよね。楽器を弾いているのはふたりなのにね。

オト:僕はもう、大所帯はやらないから(笑)。

じゃがたらで疲れたんですね、人間関係で(笑)。

オト:そう、人間関係で(笑)。

オトさんのなかではサヨコさんの歌詞はどういう風に理解しているんですか?

オト:サヨちゃんは、もちろん昔から知っていたけど、子供を産んでから変わったよね。

オトさんのなかで、サヨコさんの歌う"神様"はどういう風に捉えているんですか?

オト:神様はいっぱいいるよね。日本は、歌の神様もいれば、雨の神様もいる。

石にも木にも川にもいますからね。アニミズムですからね。そういう意味では水木しげるの世界というか、ボアダムスの世界というか、そういうものとも接点があるんでしょうね。そうした原始的なものを、社会運動的なものへと繋げていくのがサヨコオトナラの大きな目標みたいなものなんですか?

オト:ただ、社会運動はもっとちゃんとやっている人たちがたくさんいるからね。

さっきからコンセプトの話ばかりして申し訳ないんですが、ただ音楽としては本当に魅力たっぷりの音楽だと思います。集大成?

オト:サヨコオトナラの前身で、エイプっていう、女の子ふたりでやっていたバンドがあって。それはどんとが亡くなる前に旅していた日本のなかの経路、遠藤ミチロウさんが旅していた経路というものがあって、日本のあちこちにそういう拠点ができているんです。で、サヨコオトナラもその経路を旅しているんだけど、そのなかで回っていくときは、ドラムやベースが難しいんですよ。

単純に、身軽さってことですね。

オト:そう。モバイルでないとダメ。

トラヴェラー・スタイルですね。

オト:手持ち楽器ひとつ、車で4人で行けるってことだね。

ゼロ年代の、アメリカのフリー・フォークのシーンにはサヨコオトナラのようなバンドがいっぱいいるんです。

オト:あ、聴いてみたい。

だけど、オトさんがいないから、16ビートじゃないんです(笑)。

オト:ハハハハ。

ただ、サヨコオトナラのやっているコンセプトとかなりの部分で重なりますけどね。

オト:だからね、この編成がすごく大事なんだよ。移動しやすいというね。それでアコースティックで最小の編成になったというのがある。しかも、ライヴをやったあとに、いままでは泊まるのはホテルとかだったけど、いまは呼んでくれた人のお家に泊まるんですよ。そうすると、ご飯もいっしょに食べるし、翌日はいっしょに起きるし、何回もやっていると家族みたいになっていくんだよね。で、そこのエリア内の繋がりっていっぱいあるじゃない。そうすると、地元の繋がりのなかに自分たちが入っていくような感じになっていくの(笑)。それがね、僕にとってはすごくフィールドワークになっている。

そうなると、音楽関係者以外の人たちとも会うことになりますよね。

オト:それが面白い(笑)。

そうしたゆるやかなネットワークが日本全国にあるんですね。

オト:そう、グローバリゼーションではない。農業をやっている人が多いし、川のわき水で農業やっている人も多いよ。

僕がどれだけ俗っぽい人間かってことですかね(笑)。

オト:日本は、電気を作ってはいけないってプレッシャーをかけているんですね。先進国でそんな国はないんですよ。エネルギー自給と食料自給ができればさ、もし僕が市長だったら、自給自足コースを選んでいる人からは税金を取りませんと、その代わりに、税金に相当するものをなんらかの形で身体で返してもらえませんかと。お米で払おうとか野菜で払うとか。

だんだんクラスみたいになってきましたね(笑)。

オト:国ってホントにバカだからさ。「国家権力って何?」って思うもんね。「デモやったぐらいで逮捕するって何?」って思うけどね。

やっぱ、思想を警戒しているんじゃないですか。

オト:でもね、やっぱ政治を変えないと無理なんだよ。地方分権とか言ってるけど、分権するには、地方経済をちゃんと作れる状況だとか、なるべく自給できることを証明していかないと次のシーケンスにいけないんだよね。

あんま楽観的な気持ちになれないですけどね(笑)。ただ、僕らが若い時代を過ごした80年代よりも、いまの若者のほうがよほど社会に敏感だと思います。僕の世代なんか、僕も含めてほとんどノンポリですから(笑)。だから、じゃがたらやオトさんの話もいまの若い子のほうが切実に聞くかもしれないですよ。

オト:僕はいまキコリの研修に行ってるんですよ。

知ってます(笑)。

オト:森を元気したいから、そういうことをできるようになりたいなと思ってね。それで10年後にはキコリが似合うような人間になりたいんだ(笑)。

わかりました(笑)。今日もまた、いろいろ面白い話をありがとうございました。で、しかし、結局、じゃがたらって何だったんでしょうね。ものすごい問題提起をしていて、Pファンクみたいなものとも似ているけど......でも違うし。

オト:じゃがたらね......僕はね、リズムがはじまると、もう、そのなかにずっといたかった。とことんリズムのなかにいたかった。はじまったらもう、終わりたくなかったね。

もしも君が過去をたずねてなつかしがっても、
あの頃はまたあの頃で色々あったもんさ、
次へとわき出るリズムが前に進めとささやく
じゃがたら"つながった世界"

[Electronic & Chillwave] - ele-king

Games / That We Can Play | Hippos In Tanks


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E王 OPN(ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、というのが正確な読み方ということです、すいません!)によるチルウェイヴ・プロジェクト、ゲームスが早くも2枚目のシングルをリリースする。4曲+ふたつのリミックス・ヴァージョン入り。
 1曲目の"ストリベリー・スカイズ"はメランコリックで甘ったるいドリーム・ポップ・ディスコで、なんの喜びもなく酒を飲みながら、しかし恍惚としているという、実に倒錯した享楽性をはらんでいる......ベースと歌はずいぶんと80年代風だが、録音のくぐもった感覚と別世界へまっしぐらなずぶずぶのアンビエンスはいまのモードを伝えている。続く"ミディ・ドリフト"は楽天的なフィーリングを伝えるクラフトワーキッシュな曲で、"プラネット・パーティ"はダークスターの『ノース』とも連帯するであろう悲しみのシンセ・ポップ......。
 そして、シングルのなかでもっともキャッチーなのがこの曲、"シャドウズ・イン・ブルーム(Shadows In Bloom)"。映像はM.I.Aの"ボーイズ"やエイフェックス・ツインも手掛けるウィアードコア(weirdcore)。どうぞご堪能ください。

#8:白く黒い魂に捧げる...... - ele-king

 昔から洋楽ばっか聴いて日本の音楽を聴かなすぎる、と言われる。サッカーはJリーグばっか観ているクセに......。
 そうした指摘はある意味では当たっているが、はずれてもいる。たとえ割合が低いとはいえ、日本の音楽を聴いていないわけではないし、あまりそれを繰り返されると強制されているようで気分が良いものでもない。そもそも洋楽とは邦楽の対義語で、西洋音楽の略であるから、すでにこの二分法自体がウチとソトを区分けする日本の因習にちなんでいることになる。こうした日本的因習に齟齬を感じていたがゆえに海外文化に魅力を覚えたわけだから、洋楽というタームそれ自体を洋楽ファンと言われている人たちは捨てなければならない。僕自身も、洋楽リスナーと言われれても面倒くさいからそのまま受け流してきたけれど、ザ・クラッシュとRCサクセションを同時に聴いてきた自分のなかでは洋楽/邦楽を区分けしてきたわけではないので、正直言うと清々しない。だから「最近洋楽でいいのある?」と訊かれたら、「あなたのような人が聴いて面白がれる音楽は知らない」と答えている。

 日本的因習はやっかいだ。そっくり否定できるものでもないし、もちろん肯定できるものでもない。たとえばデトロイトのマイク・バンクスを見ていると、いかにポッセを保つことが彼らの社会では大変かを思い知る。個人主義の社会では集団行動は魅力的だろうが、維持が困難なのだ。わが国では逆だ。ヒップホップのポッセ文化もこの国に落とし込まれれば日本的集団主義に変換される。集団内においては番付が発生するかもしれないし、いわば部活のりになるかもしれない。部活というのは、それがとくに運動部の場合は、簡単に休んではいけないというプレッシャーがある。それは個人より集団、情より義理が優先されるこの国の文化と絡み合っている。近松門左衛門の浄瑠璃の時代から現在にいたるまで、この国では集団や仲間意識を捨てて色恋に走ることそれ自体が、反社会的なのだ。

 ザ・クラッシュの有名な"ホワイト・ライオット"の有名なフレーズに「俺たち白人は学校に行ってバカになるけど、黒人は警官に石を投げることができる」というのがある。ジョー・ストラマーはその歌のなかで、反英国的なメンタリティに飢え、憧れている。こうした異文化への激しい衝動を描いたもっとも古典的なアーカイヴに、ノーマン・メイラーによる1957年の「ホワイト・ニグロ」がある。オレら白人と違ってビバップの黒人は崇高な野蛮人である。連中は堂々と大麻を吸って、破壊的なジャズを演奏するいかした連中だ。彼らこそ世界を変えうる反順応主義者である......という話である(いや、本当はもっとややこしい話で、とても堅苦しい日本語で訳されている)。
 そのエッセイで「モデルにしたニグロは白人の想像力の産物だ」とジャック・ケルアックから批判されたものの、"白い黒人"という言葉で表現されるコンセプトこそ、われわれが洋楽と呼んでいるものと重なる。白い黒人――ヨーロッパとアフリカの北米大陸における衝突とその混合による成果、そのハイブリッドな結実――ブルース、ジャズ、ロックンロール、ヒップホップ、ハウス等々である。イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国から日本にいたるまで、今日の音楽文化におけるもっとも重要な種子はアメリカ合衆国の"白い黒人"という雑食文化から発生している。


ヒップ -アメリカにおけるかっこよさの系譜学
ジョン・リーランド (著)
篠儀 直子 (翻訳)
松井 領明 (翻訳) P‐Vine BOOKs

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 翻訳されたジョン・リーランドによる『ヒップ――アメリカにおけるかっこよさの系譜学』(篠儀直子+松井領明・訳)は、その邦題の通り、われわれを惹きつけてやまないアメリカ文化における"かっこよさ"に関する優れた分析である。それは"白い黒人"の物語だ。
 さて......、まずはこの物語のルールからだ。奴隷貿易は中南米でもおこなわれている。が、"白い黒人"文化はアメリカ合衆国で生まれた(その理由は本書で説明されている)。それは白対黒という二分法で説明できるような単純なものではない。われわれは物事を単純化したがるときに誤って「これは黒いグルーヴだ」などと表現しているが、それはエルヴィス・プレスリーはたんなるの文化の盗人と見なす発想で、本質主義者的な思想である。ムーディーマンのリズムが黒いのであるなら、白人との出会いを果たす前のアフリカのリズムと同質でなければならない。ドレクシアは西欧の植民地主義を呪ったが西欧そのものであるクラフトワークを手本にしていた。このように、"白い黒人"文化は複雑性に基づいている。そして繰り返すが、その複雑性の上に成立した音楽が、今日もわれわれを惹きつけているものの源である。
 もうひとつのルールを説明しよう。日本やイギリスのように伝統のある国が抱く愛国心とアメリカのそれとの違いだ。パティ・スミスやブルース・スプリングスティーンのような人たちがなぜ星条旗をまとうかと言えば、アメリカという(歴史を持たない)国は自分たちのアイデンティティを再発見していくという回路を持っているからである。アメリカとはこうあるべきだという考えを主体的に身にしているがゆえに、彼らのような反抗者と星条旗は結びつくのだ。
 ジョン・リーランドは、19世紀にはじまった、のちに"ヒップ"と形容されることになるアメリカ文化の"かっこよさ"の100年を実にスリリングに描いていく。『ハックルベリー・フィンの冒険』で、家出した少年が川を下りながらさまざまな文化経験を果たしていくように、ブルースからはじまり、ソローやメルヴィルといった文化的アウトサイダーの先駆者を通過しながらニュー・オーリンズのジャズへと進む。ロスト・ジェネレーションを経て、ハードボイルドをめくりながらビートへと突き進む。モハメッド・アリやマイルス・デイヴィスを追跡しながら、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの"ヘロイン"を吟味する。ライオット・ガールにリスペクトを示して、それから本書は最終的に21世紀の現代へと辿り着く。
 本書に描かれているすべてが面白いが、もっとも印象深いのは著者が認識するところの"ヒップ"の終焉の話である。リーランドによれば、その原因のひとつは市場経済に"ヒップ"が飲まれたことにあると説明する。つまり、酔って誤って妻を射殺したヘロイン中毒の文学者たるウィリアム・バロウズがいまもしファッション広告になっても誰も驚かないということだ。ドラッグディーラーだった50セントがこの華やかな消費社会で素早くマーケティングされるとき、"ヒップ"は弱まるのである。
 もうひとつ、世界がミクシィ化したこともその理由に挙げている。"ヒップ"すなわち"白い黒人"文化、アメリカ的なかっこよさの根源にあるのは反抗心だが、ミクシィ的文化が普及したとき、追放される者やメインストリームの文化の不適応者はいなくなり、そしてデスチャのリスナーとニルヴァーナのリスナーの違いなど(せいぜい趣味の違い程度のものでしか)なくなる。まあ、これも納得のいく話だ。原書が2004年に出版されているので、イラク戦争の真っ直なかということになるが、願わくばオバマ当選後の現在についての論考も読みたかった。"白い黒人"文化はさらに新しい局面を迎えているからだ。が、しかしそれは、状況を見定める時間がもう少し必要なのかもしれない。

 "白い黒人"文化がイギリスに渡ったときに、どうなったかと言えばモッドになった。外見は伝統的なイギリス人のスタイルで、しかし中身はホワイト・ニグロというトリックである。これがビートルズからオアシスまで続くイギリス文化の"かっこよさ"を特徴づけている。日本はむしろ外見的なところでは勤勉なまでに"白い黒人"文化を模倣しているが、中身については保守的だ。ハイブリッドではあるが、因習に飲まれがちである。どこかで融合を恐れているのかもしれな いし、あるいは、ミク シィでも赤ちょうちんでも、新しい出会いを追加することよりも毎度同じ顔ぶれであることの居心地の良さに浸っていたいのかもしれない。日本人である自分にはその感覚が理解できるけれど、結局は ムラ社会文化なのだと思うとやるせない。アメリカの"ヒップ"が弱体化するずっと前から、流動性が低く移動が難しいこの社会では、動くこと(move on)より留まりながら生きていくことの知恵を身につけ、いや、身につけすぎたのだ......。そんな表層的な文化論を考えながら、人気テクノDJであるメタルと同居しながら世話をやいている桑田晋吾と近所の本屋で立ち読みをしていたら、わが国では数少ないアウトサイダーのひとりを再確認した。『文藝』に掲載され ている中原昌也の小説を読んで、人目をはばからず爆笑してしまった。

[Post Dubstep & Techno & others] #2 - ele-king

1. Toddla T ft. Wayne Marshall / Sky Surfing | Ninja Tune


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 トドラ・Tとは、ダンスホール・スタイルのマイク・スキナーと評価されているシェフィールドのDJで(まだ25歳ぐらい)、2009年に最初のアルバム『スカンキー・スカンキー』を〈1965〉から発表している(僕はかなり好みだった)。暗い感覚が多くを占めるUKのアンダーグラウンドにおいて、異例と言える陽気さを持っている人で、彼の音楽の売りのひとつである"笑えるリリック"がわからなくても、グライムとダンスホールのハイブリッドなポップ・ヴァージョンとして楽しめる。で、その明るさ、その音楽性を考えれば〈ニンジャ・チューン〉ほど彼に納まりの良いレーベルもなくて、これは移籍第一弾のシングルとなる。
 "スカイ・サーフィン"はジャマイカのMC、ウェイン・マーシャルをフィーチャーしたご機嫌なダンスホール・ナンバーで、リミキサーはベンガ、新人のドウスター(Douster)、グラスゴーのベテラン、DJ Q、で、もうひとりもベテランで、ロス・オートン。オリジナルでは今年流行の絶頂を迎えているオートチューンを使い......、だからもうその声はいい加減聴き飽きたぜよと思うのだが、ウェイン・マーシャルのガッツ溢れるラップがこのエレクトロ・ダンスホールに生気を与えている。そして、これでもかと言わんばかりのアッパー・チューンをベンガはダークなサイバー・テイストに、新人のドウスターはポスト・ダブステップへと変換する。『スカンキー・スカンキー』の共同プロデューサーであるロス・オートンはさらにそれをレゲエ色を強め、ファンキーなシンセベースを注入し、DJフレンドリーに仕上げている。セカンド・アルバムのリリースは来年だそうだ。

2. Subatomic Sound System Meets Ari Up & Lee Scratch Perry / Hello, Hello, Hell Is Very Low / Bed Athletes | Subatomic Sound

 アリ・アップにとって遺作なってしまったのがこの7インチで、彼女が急逝する2ヶ月前にリリースされている。両面とも『スーパー・エイプ』に収録された有名な"アンダーグラウンド"を使い、アリ・アップは彼女のラバダブを披露している。ラバダブ(Rub A Dub)とは、既存のレコードに上に新たに歌をのせたり、トースティングしたりするジャマイカのDJスタイルで、アリ・アップはリー・ペリーとともに、このクラシカルなリディムの上に素晴らしい声を乗せている。A面ではダブステップのテイストを取り入れ、そして後半にはオーガスタス・パブロのピアニカのような音色を響かせる。B面は、同じく"アンダーグラウンド"をネタにアリ・アップがセクシーで陽気なダンスホール・スタイルで歌いまくる。スピリチュアルでユーモラスな1枚。そして聴いて元気になる1枚だ。ファンなら絶対に買い。

3. Games / Everything Is Working / Heartlands | Hippos In Tanks


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 OPNのダニエル・ロペイティンが(ジョエル・フォードなる人といっしょに)チルウェイヴをやってる! と言われれば三田格でなくとも興奮するでしょう。この7インチ、A面の"エヴリシング・イズ・ウォーキング"が素晴らしい。ウォッシュト・アウトが永遠の夏なら、こちらは恍惚としたぬかるみとでも言いましょうか。まるでブリアルがダウンテンポ・ディスコをやったようなビートと儚く消えていく声という声、途中で入るギターのアルペジオが少々臭いが許そう......せめて10分ぐらいのロング・ヴァージョンで聴きたい。B面の"ハートランズ"はジェームス・ブレイクとウィッチ・ハウスの溝を埋めるかのような亡霊の歌の入ったダンス・ナンバーで、まあ、悪くはない。このプロジェクトのアルバムが出たら本当にすごいことになりそうだ。

4. James Blake / Klavierwerke EP | R & S Records


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E王 今年のナンバー・ワン・シングルはこれで決まり......いやいや、ちょっと待った、ネットで出回っているこれもまたすごいのよ。とにかくいま、12インチを買って家で聴いて驚きを感じるひとり、ジェームス・ブレイクのこの夏の大ヒット曲"CMJK"に続くシングルは、早速その手法(R&Bサンプルのグロテスクな応用)をいろんなところでコピーされたと思いきや、今度は違う角度から攻めてきた。アグラフのセカンド・アルバムと同じようにこれもピアノをテーマにしているが、しかしアグラフとはまったく違う方角を向いている。これは......ダークサイド・ミュージックで、ロンドンの汚れた街がよく似合うポスト・ダブステップである。
 前作同様に今回も4曲。歪んだベースが心臓の鼓動のように鳴り続ける上を蜃気楼のようなサンプリングが流れ、ブリープ音と合流する"クラヴィアヴェルク"。これもテクノやハウスともクロスオーヴァーできるトラックで、まあ、UKでクラブ・ヒットするのもうなずける。続く"ドント・ユー・シンク・アイ・ドゥ"もメロウで良い曲だ。ちまたにあるその他大勢の曲とくらべればずいぶんとぶっ飛んだ曲だが、ここには人を惹きつける美しいメロディがある......が、実を言うとB面の1曲目に収録された"アイ・オンリー・ノー"こそこのシングルにおける最高の瞬間だ。ピアノからはじまり、幽霊声がメロウに流れていく。ピッチは遅めで、シンプルなドラムとメランコリックなピアノの断片が空間を彷徨い続けている。
 かつてワイルド・バンチがアメリカのヒップホップとジャマイカのレゲエをブレンドして独自のハイブリッド・ミュージック(ブリストル・サウンド)を作ったように、ジェームス・ブレイクはアメリカのR&Bとダブステップをブレンドしてこの時代のストリート・ミュージックを創造している。ブリアルの次は彼だ。

5. Model 500 / OFI / Huesca | R & S Records


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 ゴッドファーザーの復帰作である。それだけで充分だろう。デトロイト・エレクトロここにありだ。しかも歌っている。36歳の伊東輝悦は清水エスパルスを解雇されてしまったが、来月48歳になるホアン・アトキンスはまだ現役なのだ。そして、多くのファンはこのシングルにモデル500の永遠のクラシック"ノー・UFOズ"を聴くだろう。マイク・バンクスによるリミックスは実際に"ノー・UFOズ"のシンセ・ベースラインが加えられ、デトロイトの伝説の復活を解説する。アトキンスはその心意気に応えるように、「アイム・フライング」と"ノー・UFOズ"のサビを歌う。俺はいまもぶっ飛んでいる。そう、ホアン・アトキンスこそデトロイト・テクノにおいてもっともぶっ飛んだ男である。そしてB面の"ヒュースカ"、これ、半分以上はマイク・バンクスの曲だと読んだ。


〈ブラロウィン〉で演奏するバンド

 今回は、ブルックリン・ミュージック・シーンの重臣であるバンド、オネイダ(Oneida)のメンバーとして知られるキッド・ミリオン(Kid Millions)にご登場していただく。昨年〈ジャグジャグウォー〉から発表したオネイダの『Rated O』は『NME』の年間ベストに選ばれたり、キッドの別プロジェクトであるマン・フォーエヴァー(ドラム・アンサンブル・プロジェクト)も『NYタイムス』誌などメディアから絶賛されたり、ボアダムスの77人ドラム以来のボア・ドラム・プロジェクトに参加するなど、彼の評価は上々だ。
 先日開かれた、彼のレーベル〈ブラ(Brah)〉のハロウィ・ンパーティ〈ブラロウィン((brahloween)〉に行って彼の声を拾ってきた。


向かって右側の白い服の彼が、取材に応えてくれたキッド・ミリオン

会場内ではお客さんも仮装する

■今日の〈ブラロウィン〉について。〈ブラ〉はあなたのレーベルですが、いつ頃はじめて、どんなアーティストがいるのですか。

キッド・ミリオン:〈ブラロウィン〉=(Brah+Halloween)は、今年で6回目なんだよ。なぜこのパーティをはじめたかは覚えていないんだけど、自分のレーベル〈ブラ〉で何かイヴェントを組みたいな、って、あと、〈ブラロウィーン〉っていう語呂も面白いと思ったし。

■〈ブラロウィン〉をはじめて今年で何年目ですか。1回目に出演したアーティストや毎年出演しているアーティストなど教えて下さい。今年のアーティストそれぞれについて、コメントください。

キッド・ミリオン:最初のショーは2005年で、たしかノース6(現ミュージック・オブ・ウィリアムスバーグ)の地下でやって、とても楽しかったんだよ。オークリー・ホール、カンパニー、ダーティ・フェイシィズが出演したよ。それから〈ブラ〉のバンドやオネイダの友だちバンドで毎年パーティをするようになって、今年は〈ブラロウィーン〉も6回目を迎えた。この何年間かで、ナイフ・フィッツ、ビッグ・ベア、サイティングス、パーツ・アンド・ラバーなど、たくさんのバンドがプレイしたよ。これらのバンドはいつも僕がオーガナイズしているよ。今年プレイしたバンドもオネイダの友だち。紹介するね。
 トップバッターは、Be/Nonで、オネイダと同じく〈Turnbuckle〉レーベルから作品を出している。1997年にはオネイダといっしょにツアーもしている。リーダーのブロディ・ラッシュはいつも良い友だちで、インスピレーションをくれる。彼らはカンサスシティ出身で、最近新しいアルバムをリリースしたんだ。
 2番目は、ノース・キャロライナのラレィ出身のバーズ・オブ・アヴァロン、彼らは、1998年に彼等の昔のバンド、チェリー・バランスがツアーしていた時に、カンサスのローレンスで、出会ったんだ。オネイダは彼らとはそのときからずっとプレイしている。
 3番目はエリック・コープランド。ブラック・ダイスのメンバーで、ソロとしても活躍している。彼やブラック・ダイスは、オネイダのスタジオ〈オクロポリス〉(=モンスター・アイランドの地下にある)でたくさんのレコードを録音している。彼は、ピープル・オブ・ノースの未発表トラックにゲスト出演している。
 4番目は、テロダクティル。ダクは、〈ブラ〉から2枚のレコードをリリースしていて、現在は3枚目を制作中。彼らはブルックリンの地元のバンドで、オネイダの古くからの友だちだよ。で、5番目がオネイダ。説明はいらないよね?
 オネイダの後は、レッド・ドーン2。元オーサム・カラーのアリソンとカイ・ロック・プリンティングのウルフィーのバンドだよ。最高のハードコア・バンドで、〈エクスタティック・ピース〉からもうすぐ出るアルバムをオクロポリスでレコーディングしている。
 ダブ・ノウ・ダブがこの夜の最後のバンド。オクロポリスでレコーディングしている最高のブルックリン・バンドでオネイダの良い友だちだよ。ちなみにバードロウとDJノックス・オーヴァー・ストリートがバンド間のDJで、2回目から6回目の〈ブラロウィン〉にも出演している。

■どのように出演バンドを決めているのですか。

キッド・ミリオン:僕が〈ブラロウィン〉にピックアップするバンドは、とても個人的で任意的だよ。まず、〈ブラ〉レーベルのバンドであったり、オネイダに関係するバンドであったり、もしくは、これはレアだけど、まだ会ったこともプレイしたこともないけど僕が尊敬するバンドにお願いすることもある。


もちろんバンドもハロウィン仕様です

■〈ブラロウィン〉とハロウィンをかけているけど、ハロウィンはアメリカ人にとって、どれぐらい大切なイヴェントなんでしょう?

キッド・ミリオン:ハロウィンは、アメリカで大きなホリディだよ。中学から高校生になるとダサいって感じになるけど、楽しく着飾って、創造的な楽しいことだよ。もちろん、アメリカのホリディは商品化されているけど、買う必要はないし、公共のなかに埋もれたときに、魅力的に感じるのかな。

■シークレット・プロジェクト・ロボット(https://www.secretprojectrobot.org/spr_menu.html)で毎年ショーを開催していますが、彼らとの関係を教えて下さい。

キッド・ミリオン:シークレット・プロジェクト・ロボットのレイチェルとエリックがいなかったら〈ブラロウィン〉はないね。彼らは毎年、このパーティが起こることを可能にしてくれている。僕はただたんにバンドを集めているだけだからね。僕がシークレット・プロジェクト・ロボットのみんなを知ったのはだいたい2000年ぐらいかな。たぶんオネイダがツイステッド・ワンズのショーをスタートしはじめたぐらいから。たくさんのショーがマイティ・ロボット・スペースでおこなわれたんだ。彼らはヴィデオ・クルーでもあるし、ほとんどのオネイダのショーのライトを担当していた。彼らは、僕らが見せたい音楽や僕たちがやっている本質的な要素の大きな部分を占めている。彼らは僕らがやっていることの"ハート・アンド・ソウル"なんだ。僕らが5年前にスタジオをモンスター・アイランドに移すときに、建てるのを手伝ってくれたり、オネイダへの助けは計り知れない。

■あなたのプロジェクトについて話してもらえますか?

キッド・ミリオン:いまのところ、オネイダとマン・フォーエヴァーが僕のふたつのメイン・プロジェクトだよね。オネイダは僕がブルックリンで1996年に作ったバンドで、それ以来、僕のメインプロジェクトになっている。マン・フォーエヴァーは、僕のドラム・アンサンブルで、実験的なパーカッションとサウンド・コラージュ実験。いまはそれ以外のプロジェクトには関わっていない。

■それぞれはどのように分けているんですか? バンドとレーベルをするにあたり、気をつけていることはありますか?

キッド・ミリオン:オネイダが僕のいちばんのプライオリティ。マン・フォーエヴァーは2番目かな。〈ブラ〉は僕とジャガジャガのスタッフが運営するレーベル。僕が彼らにプロジェクトを提案して、彼らが少し資金を調達してくれる。いまのところ15枚のレコードをリリースしたよ。

■それだけバンドやレーベルなどに関わっていたら、たまに音楽を止めたくなることなどあります?

キッド・ミリオン:音楽を嫌いになったことはないよ。音楽作りやレーベル運営に関して、ハッスルする状況は好きじゃないけどね。僕はできる限り音楽を聴いたり練習したりしようとしてる。ときどき休んでリフレッシュすることも必要だけど、ニューヨークではそのバランスが難しいね。

■音楽以外で好きなことは? 音楽をやっていないときは何をしていますか?

キッド・ミリオン:音楽以外は書き物をしたり、読んだり料理したりすることが好きだね。いまはおいしいラーメンを作り方を学んでるよ。たぶん、君が助けてくれるかもね(笑)。

■この界隈のバンドで、おすすめのバンドはいますか?

キッド・ミリオン:ファビュラス・ダイアモンズや地元のバンドのブルース。リタージーもいいし、インヴィジブル・サークルも好きだよ。

■日本のバンドで好きなバンドはいる? そういえばbore 77 drumに出演していましたよね。それはどのように関わったのですか?

キッド・ミリオン:DMBQがボアダムス以外で僕の大好きな日本のバンドだね。もちろんボアダムスが世界でいちばん好きなんだけど......。彼らは、ただすばらしくて、僕が、彼らと一緒にプレイできたのは本当にラッキーだよ。日本のボアダムスファンは、本当に彼らのことが大好きで、特別でパワフルなグループであることを知っていると思う。

■この雑誌ele-kingは日本のウェブ・マガジンだけど、〈ブラ〉として、オネイダとして、日本に対するイメージは?

キッド・ミリオン:日本は大好き。そこにいれることはとても特別で信じられない。音楽、友だち、食べ物、人びと......。ただ単にすばらしいね。すべてのことが大好きだし、また戻るのが待ちきれないよ。

■いま日本では洋楽のCDを売るのがとても難しいし、アメリカのインディ・ミュージックに夢中になる人も少ないんですよね。たぶんいろんな新しいことが起こりすぎて、音楽以外にもたくさんの情報がありすぎるし、それが彼らにとってリアルでないのだと思う。もちろん、それを共有したいと思っている人もいるし、日本のインディ・ロック・ファンにはこのシーンを理解してもらいたいと思っているんですが、このシーンを日本に伝える何か良い方法はあるでしょうか?

キッド・ミリオン:難しい質問だね。ブルックリンには確立されたDIYシーンがあると思う。たくさんの才能ある人びとが、さまざまな希望を持ってここに引っ越してくるからね。僕らはここに引っ越した。ルールなんて知らなかったけど、ただ音楽をプレイしようと決めて、そしてプレイできる場所を見つけるんだ......。この感情を日本に持って行くのは難しいだろうね、なぜなら文化的に僕らは、音楽のプレゼンの仕方が違う。他には、日本は、ハード・ワーキンに対しての尊敬や、深い才能のプールがある。地元の日本のアーティストがすでにたくさんいて、ブルックリン・ミュージックが入り込む余地はないんだと思う。でも僕らがマイティ・ロボット仲間とそこに行って、日本の変わったオルタナティヴ・スペースでプレイできるなら、きっとどこかのシーンとコミュニケートできると思うよ。でも僕はもっとたくさんの日本のバンドがブルックリンに来てプレイしてほしいな。友だちになる良い方法だよ。

■来年の〈ブラロウィン〉はどんなバンドを招待したい?

キッド・ミリオン:次? ボアダムスとOOIOOなんて最高だね!

ツイステッド・ワンズ(Twisted Ones):
フィッツとアーサーのふたりが2000年頃からはじめたブッキング・チームで、ヤー・ヤー・ヤーズ、ラプチャーなどのバンドをマイティロボットも含むブルックリンのDIYスペースでブッキングしたチームとして知られる。ブルックリンのジャンクヤード(空き地)を借り切り、毎年夏に開いていたジャンクヤード・フェスは有名で、ライトニング・ボルトやライアーズなどの、その頃のブルックリンを代表するバンドがそこでプレイした。現在、フィッツはベルリン在住で、アニマル・コレクティブ、ライアーズなどのヨーロッパ・ツアーをブッキング。アーサーは、ブルックリン在住で、ウィリアムスバーグ・ファッション・ウィークエンド( NYのハイエンドなファッションウィークに対抗し)を毎年開催してる。https://williamsburgfashionweekend.com/

マイティ・ロボット(mighty robot):
2000年~2005年ぐらいまでブルックリンにあったDIYスペース。ここでツイステッド・ワンズがマイティ・ロボットと組んでショーをオーガナイズしたのがブルックリンシーンのはじまり。ヤーヤーヤーズ、アニマル・コレクティブ、ラプチャー、ライトニング・ボルト、オネイダ、!!!、ブラック・ダイスなどのブルックリンニュー・パンク・シーンの発信地。ショーのアナウンスはメーリングリスト、口コミのみだが、いつでも人がパンパンの知る人ぞ知る場所。詳しい情報は〈コンタクト・レコーズ〉からリリースされているDVD『u.s. pop life v.34 tribute to mighty robot』(CR-034)参照。ここにジャンクヤードの映像やマイティ・ロボットのレアヴィデオクリップ集が収録されている。

モンスター・アイランド(monster island):
さまざまなアーティスト・スペースが入った見た目もそのまま、その名の通りモンスター複合建物。
2F(mountain):カイロック・スクリーン・プリンティング(インディ・バンドのポスター、Tシャツなどデザインをする、プリント会社)。
1F:シークレット・プロジェクト・ロボット(アートスペース)、ライヴ・ウィズ・アニマルズ(アートスペース)、モラスク・サーフ・ショップ。
BF(cave):オクロポリス(オネイダ、キッドのスタジオ)、モンスター・アイランドベースメント(Todd Pスペース)その他、ヨガスペースなどもはいっている。年にいち度monster island block partyを開催している。
https://www.brooklynvegan.com/archives/2010/09/monster_island_2.html
https://flavorpill.com/brooklyn/events/2010/9/4/third-annual-monster-island-block-party
https://www.freewilliamsburg.com/saturday-3rd-annual-monster-island-block-party/
https://www.lastfm.jp/event/1634523+Monster+Island+Open+House+-+Block+Party

マイティ・ロボット・ヴィジュアル・スクアッド(mighty robot visual squad):
ヴィジュアル・チーム。マイティ・ロボット・スペースでのショーはもちろん、バンドと組んだり、単体でもさまざまなイヴェントでVJをする売れっ子ヴィジュアル・チーム。アナログ手法を使い、水と油など、理科の実験のごとく、多彩な虹色ヴィジュアルを創りだす。有名なアートギャラリー、ダイチ・プロジェクト、他、いろんなチームとのコラボも良くある。

シークレット・プロジェクト・ロボット:
2005年の終わりにマイティ・ロボット・スペースがクローズし、2006年より、シークレット・プロジェクト・ロボットと名前を変え再始動。モンスターアイランドの1Fにあるアートスペース。
www.secretprojectrobot.org

#2 DJ Krush & Prefuse 73 @KOKO - ele-king

 去る10月16日(土)、SOUNDCRASH presents 〈DJ Krush & Prefuse 73@KOKO〉にて、両ヘッドライナーのサポートを務めさせてもらいました。

 トップバッターとして登場したのは、DMCチーム部門の決勝戦に出演するために日本から訪英していた、YASA & HI-CによるKIREEK。バトルDJとして、世界中のヘッズから支持される彼らですが、当日はそのスキルを無理に見せつけることなく、ゆっくりと、しかし確実に、温まりはじめたばかりだったフロアの温度を上げていき、彼らが単なるバトルDJではなく、ミックスを中心としたオーソドックスなパフォーマンスでも力を発揮できることを、集まったオーディエンスの前で証明しているようでした。また、彼らは翌日に同会場で開催された〈DMC黴€Team World Championship 2010〉にて、再度世界チャンピオンの座の防衛に成功し、フランスのC2Cが持つ記録と並ぶ、4連覇を達成しました。

 続いて登場したのは、The Cinematic OrchestraのギタリストであるStuart McCallum。当日は同じくThe Cinematic Orchestraで活動するドラマーのLuke Flowersと、シンガーHeidi Vogelによるトリオ編成として出演。その技術とたしかなセンスに裏打ちされたジャジーかつパワフルなパフォーマンスは、当日のラインナップの中で異彩を放ちつつも、ほろ酔いのオーディンエンスを大いに湧かせていました。


アンカーソングのライヴ風景。

 ちょうど日付の変わった深夜0時に、僕は3番手として出演させてもらいました。冒頭の2曲をソロとして演奏した後、弦楽四重奏をステージに迎え入れ、新曲の"Ornaments""と"Plum Rain"を含む、合計6曲を演奏しました。前者はダブステップのビートを、後者はUKガラージの要素を取り入れ、どちらも自分なりに新しいことにチャレンジした楽曲で、フロアの反応に多少の不安もありましたが、蓋を開けてみれば、どちらも好意的に受け止めてもらえたようでした。宮殿のような造りをした会場の〈KOKO〉は天井が非常に高く、場合によっては弦楽器の音が分離し過ぎて、一体感のないものになってしまうこともあるのですが、すでにフロアを埋め尽くしていたオーディエンスの熱意あるレスポンスを目の当たりにして、胸を撫で下ろすとともに、後に控えるふたりのヘッドライナーにうまくバトンタッチできたことを、とても嬉しく思いました。


いまだ根強い人気のあるPrefuse 73

 ヘッドライナーとして先陣を切ったのはPrefuse 73。普段はドラマーやターンテーブリスト等をゲストに迎えて、バンドとして演奏することが多い彼ですが、当日はラップトップとMPC1000を中心とした、ややチルアウト気味のソロセットを披露していました。エレクトロニカ/ヒップホップのシーンの中心人物として数多くの作品を発表し、確固たる地位を築いている彼の曲群は、ただモダンなだけでなく、音楽的な深みに満ちていて、自身の音楽に対する深い愛情が現れているように思えます。集まったオーディエンスも、広く知られた『One Word黴€Extinguisher』などの作品からの楽曲のみならず、未発表だと思われるものに対しても、ゆっくりと身体を動かし、そしてじっくりと耳を傾けているようでした。完成したばかりだという、女性ヴォーカリストたちとのコラボレーション作品となるニュー・アルバムへの期待を、大いに膨らませてくれるセットでした。


DJ Krushへのリスペクトは変わらない

 そして当日のトリを飾ったのはもちろんDJ Krush。フロアの温度も最高潮に達し、彼の登場にフロアからは大きな歓声が沸き起こって、彼の名を世界に轟かせる発信地となったここロンドンで、いまでも変わらず多くのファンが彼を待っているということを、改めて目の当たりにしました。
 当日は来年発表予定だという新作からの楽曲と、過去のクラシックを織り交ぜたセットを披露して、フロアのオーディエンスの期待にがっちりと応えているようでした。ロンドンのダンス・ミュージックのシーンは非常にサイクルが早く、新しいもの好きというイメージが強くありますが、そのいっぽうで彼の楽曲のような、風化してしまうことのないタフさを備えた音楽に対する理解と情熱も、この街のオーディエンスには、たしかに備わっているように思えます。またステージ脇には、そのパフォーマンスをまじまじと見つめるPrefuse 73の姿がありました。DJ Krushとの競演は初めてだったそうで、いち音楽ファンとして彼のパフォーマンスを堪能しているようで、その演奏を終えたときに、フロアのオーディエンスとと同様に、惜しみない拍手を送り続けていました。
 すべてのミュージシャンにとって、自分の尊敬するアーティストと競演することほどエキサイティングなことはないのだと、改めて思い出すことができた一夜でした。


interview with Agraph - ele-king


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ゴールド・パンダから〈ラスター・ノートン〉の名前を聞いて、そしてアグラフの『イコール』にはアルヴァ・ノトが参加していることを知る。同じ時期にふたりの新世代の、背景も音楽性も異なるアーティストから、同じように、しかも久しぶりにカールステン・ニコライの名を耳にして、ひっかからないほうが不自然というものだろう。エレクトロニック・ミュージックの新局面はじつに忙しなく、かつて〈ミル・プラトー〉が宣言したようにいろんなものが絡み合いながら脱中心的に動いているように感じられる。
 クラブ・ミュージックに関して言えば、多くの論者が指摘するように、ジェームス・ブレイクが新しいところに向かっている。ドイツ語で"ピアノ作品"を意味する「クラヴィアヴェルクEP」を聴いていると、彼が単なるブリアル・フォロワーではないことを知る。ピアノの心得があることを、彼は5枚目のシングルで披露しているのだが、おかしなことにアグラフもまた、『イコール』において彼のピアノ演奏を打ち出している。なんというか、気兼ねなく自由に弾いている。彼のセカンド・アルバムを特徴づけているのは、ピアノとミニマリズムである。
 
 アグラフの音楽は清潔感があり、叙情的だ。きわめて詩的な広がりを持っている音楽だが、その制作過程は論理的で秩序がある。作者の牛尾憲輔と話していると、彼ができる限り物事を順序立てて思考するタイプの人間であることがよくわかる。その多くが感覚的な行為に委ねられるエレクトロニック・ミュージックの世界においては、彼のそれはどちらかと言えば少数派に属するアティチュードである。そして思索の果てに辿り着いた『イコール』は、いまIDMスタイルの最前線に躍り出ようとしている。
 
 リスナーが、スティーヴ・ライヒ・リヴァイヴァルとカールステン・ニコライを経ながら生まれたこの音楽の前から離れられなくなるのは時間の問題だ。アグラフの、傷ひとつないピアノの旋律を聴いてしまえば、多くの耳は立ち止まるだろう。息を立てるのもはばかれるほどの、控えめでありながら、どこまでもロマンティックな響きの前に。

実家が音楽教室でピアノをやっていたので、坂本龍一さんの曲は弾いてました。それは手癖として残っていると思います。坂本龍一さんの手癖にライヒがのっかているんです(笑)。だから混ざっているように聴こえるんでしょうね。

日常生活ではよく音楽を聴くほうですか?

牛尾:最近は聴かなくなりましたね。本ばっか読んでいます。ぜんぜん聴いてないわけじゃいんですけどね。

音楽が仕事である以上、当然仕事の耳で音楽を聴かなくてはならないと思うんですけど、自分の快楽として聴く場合の音楽はどんな音楽になるんですか?

牛尾:基本的にはすべて電子音楽かクラシックです。

どんな傾向の?

牛尾:一筆書きで描かれた、勢いのあるものよりかは、家で聴いて奥深くなっていける細かく打ち込まれたもの。アパラットみたいな、エレクトロニカとテクノのあいだにあるようなもの。ファーストを作っているときからそうだったんですけど、そういう音楽家、(スティーヴ・)ライヒ的な現代音楽......ミニマルであったりとか、そういう音像の作られ方をしているものをよく聴きますね。

いまの言葉はアグラフの音楽をそっくり説明していますね。

牛尾:そうかもしれません。僕の音楽はそういう影響を僕というフィルターを通して変換しているのかなと思うときもあります。

最初は鍵盤から?

牛尾:はい。

今回のアルバムの特徴のひとつとしては、鍵盤の音、メロディ、旋律といったものが挙げられますよね。

牛尾:そうですね。

自分の音楽をジャンル名で呼ぶとしたら何になると思います?

牛尾:さっき言った、エレクトロニカとテクノのあいだかな。

アンビエントはない?

牛尾:その考え方はないです。

ない?

牛尾:アンビエントをそれほど聴いてきたわけではないんですよ。ファーストを作ったときに「良いアンビエントだね」と言われたりして、それで制作の途中でグローバル・コミュニケーションを教えてもらって初めて聴いたりとか、ブライアン・イーノを聴いてみたりとか......。

イーノでさえも聴いてなかった?

牛尾:意識的に作品を聴いたのはファーストを出したあとです。

カールステン・ニコライ(アルヴァ・ノト)みたい人は、エレクトロニカを聴いている過程で出会ったんだ。

牛尾:そうです。東京工科大学のメディア学部で学んだんですけど、まわりにICC周辺、というかメディア・アートをやられている先輩や先生だったりとかいたんですね。そういう人たちに教えてもらったり、いっしょにライヴに行ったりとか、スノッブな言い方になりますが、アカデミックな延長として聴いていました。

なるほど。アンビエント......という話ではないんだけど、まあ、エレクトロニカを、たとえばこういう説明もできると思たことがあったんですよね。ひとつにはまずエリック・サティのようなクラシック音楽の崩しみたいなところから来ている流れがある。もうひとつには戦後マルチトラック・レコーディングの普及によって多重録音が可能になってからの、ジョージ・マーティンやジョー・ミークやフィル・スペクターみたいな人たち以降の、レコーディングの現場が記憶の現場ではなく創造の現場になってからの流れ、このふたつの流れのなかにエレクトロニカを置くことができるんじゃないかと。アグラフの音楽はまさにそこにあるのかなと、早い話、坂本龍一と『E2-E4』があるんじゃないかと思ったんです(笑)。

牛尾:なるほど(笑)。でも『E2-E4』はそこまで聴いてないんですよ。

やはりライヒのほうが大きい?

牛尾:大きい。『テヒリーム』(1981)みたいにリリカルなものより、彼の出世作が出る前の、テー プ・ミュージックであったりとか、あるいは『ミュージック・フォー・18ミュージシャンズ』(1974)であったりとか、当時のライヒがテープを使って重ねていたようなことをシーケンサーで再現できるように打ち込んだりはよくやりますけどね。

なるほど。

牛尾:坂本龍一さんはたしかにあります。実家が音楽教室でピアノをやっていたので、坂本龍一さんの曲は弾いてました。それは手癖として残っていると思います。坂本龍一さんの手癖にライヒがのっかているんです(笑)。だから混ざっているように聴こえるんでしょうね。

しかも坂本龍一っぽさは、ファーストでは出していないでしょ。

牛尾:出ていないですね。

今回はそれを自由に出している。ファーストの『ア・デイ、フェイズ』よりも自由にやっているよね。

牛尾:ピアノを弾けるんだから弾こうと思ったんですよ。

僕は3曲目(nothing else)がいちばん好きなんですよ。

牛尾:ありがとうございます(笑)。

あの曲は今回のアルバムを象徴するような曲ですよね。

牛尾:そうですね。

ファーストはやっぱ、クラブ・ミュージックに片足を突っ込んでいる感じがあったんだけど。

牛尾:そうです、今回は好きにやっている。ファーストも実は、制作の段階では4つ打ちが入っていたり、エレクトロのビートが入っていたりして、だけど途中で「要らないかな」と思ったんです。それで音量を下げたり、カットしたりしたんですけど、基本的に作り方がダンス・ミュージックだったんですね。展開の仕方もすべて、ダンス・ミュージック・マナーにのってできているんです。今回はクラシカルな要素、アンサンブル的な要素を取り入れていたんです。

まったくそうだね。

牛尾:こないだアンダーワールドの前座をやったんですけど、前作の曲は四分が綺麗にのっかるんです。でも、今回の曲ではそれがのらないので、ライヴをやってもみんな落ち着いちゃうんですよね(笑)。

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「人がない東京郊外の感じをロマンティックに切り取っているよ」と言われて、それはすごく腑に落ちる言い方だなと。とにかく僕の牧歌的な感覚は、そっから来ていると思います。


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今回自分の世界を思い切り出そうと思ったきっかけは何だったんですか?

牛尾:新しいことをやりかったというのがまずあります。前作ではやらなかったこと、まだ自分が出してないものを出そうと。それと、オランダ人で、シメオン・テン・ホルト(Simeon Ten Holt)というミニマルの作家がいて、その人の『カント・オスティナート(Canto Ostinato)』という作品があって、フル・ヴァージョンだとピアノ6台、簡略化された聴きやすいヴァージョンではピアノ4台なんですけど、そのCDのピアノの響きというか、サスティンの音に含まれる空気感みたいなものにとても気づくところがあって、まあ、具体的なものではないんですけど、その空気感に触発されというのはありますね。

ちょっとのいま言った、えー、シメオネ?

牛尾:シメオン・テン・ホルトです。

スペルを教えてもらっていいですか?

牛尾:はい。(といって名前と作品名を書く)

僕もスティーヴ・ライヒは行きましたよ(笑)。90年代に来たときですね。あれは生で聴くと本当に最高ですよ。

牛尾:僕は昨年の来日のときに2回行きました。質疑応答までいました(笑)。

この10年で、スティーヴ・ライヒは見事にリヴァイヴァルしましたよね。

牛尾:僕は技法的にはすごく影響受けましたね。

ミニマル・ミュージックには反復と非連続性であったりとか、ライヒの技法にもいろいろあると思いますが、とくにどこに影響を受けたんですか?

牛尾:フェイジングという技法があって、ずらして重ねていくという技法なんですけど、それを根底においてあとは好きなように作っていく。そうすると反復性と非連続性が、重ねた方であるとか響きの聴かせ方で、再現とまではいかないまでも自分のなかに取り込めるのかなという意識がありました。テクニカルな要素ですけどね。

それはやっぱ、アグラフがピアノを弾けるというのが大きいんだろうね。

牛尾:そうかもしれないですね。とにかくピアノを弾こうというのが今回はあったので。

楽器ができる人はそういうときに強い。ダブみたいな音楽でも、感覚的にディレイをかける人と、ディレイした音とそのとき鳴っている音との調和と不調和までわかる人とでは作品が違ってくるからね。

牛尾:僕はそこまで音感が良いほうではないんですけどね。音楽の理論も多少は学んだけど、ちゃんと理解しているわけでもないし、すごく複雑な転調ができるわけでもないし、ワーグナーみたいな方向の和声展開が豊富にできるわけでもないので、その中途半端さがコンプレックスでもあるんです。ただ、その中途半端さは自分のメロディの描き方にも出ているんですよね。だから、それが欠点なのか、自分の味なのか計りかねているんですよね。

なるほど。

牛尾:このまま勉強していいものなのか、どうなのか......好きなようにやるのがいいと思うんですけど。だからいま、菊地(成孔)さんのバークリー・メソッドの本を置いて、「どうしようかな」と思っているところなんです(笑)。

ハハハハ。まあ、音楽理論が必ずしも作品をコントロールできるわけではないという芸術の面白さもあるからね。それこそ、さっき「一筆書き」と言ったけど、ハウスとかテクノなんていうのは、多くが一筆書きでパンクなわけでしょ。感覚だけでやっていることの限界もあるんだけど、そのなかから面白いものが生まれるのも事実なわけだし。

牛尾:そうですね。そこをどうスウィッチングするのかは僕も考えていかなくてはならないことですしね。

きっと牛尾くんみたいな人は曲の構造を聴いてしまわない? 「どういう風に作られているんだろう?」とか。

牛尾:聴いてしまいますね。

だからエレクトロニカを聴いていても、曲の作り方がわかってしまった時点でつまらくなってしまうという。

牛尾:それはあるかもしれませんね。あと、楽典的な技術ではなくて、音響的な技術に関しては僕はもっとオタクなので、たとえば僕、モーリッツ・フォン・オズワルドのライヴに行っても音響のことばかりが気になってしまうんですね(笑)。だから、内容よりも音像の作り方のほうに耳がいってしまうんですね。

そういう意味でも、アルヴァ・ノトはやっぱ大きかったんですかね。最近、ゴールド・パンダという人に取材したらやっぱその名前が出てきたし、今回のアグラフの作品にもその名前があって、ひょっとしていまこの人も再評価されているのかなと。

牛尾:エポックメイキングな人ですね。

〈ラスター・ノートン〉もいま脚光を浴びているみたいですよ。

牛尾:それは嬉しいですね。僕が好きになったのは大学時代だったんですけど、とにかくやっぱどうやって作っているのかわからない(笑)。すごいなーと。そういえば、こないだミカ・ヴァニオのライヴに行ったら、グリッジを......ホットタッチと言って、むき出しになったケーブルを触ることでパツパツと出していて、僕はもっと知的に作っていたかと思っていたので、すごいパンクだなと思ったんです(笑)。

フィジカルだし、まるでボアダムスですね(笑)。

牛尾:しかもコンピュータを使わずにサンプラーだけでやっている。しかもエレクトライブみたいな安いヤツでやってて。スゲーなと思った(笑)。エイブルトン・ライヴであるとか、monomeというソフトがあって、そういうアメリカ人が手製で作っているハードウェアとソフトのセット、Max/MSPのパッチのセットであるとか、スノッブなエレクトロニカ界隈でよく取り立たされるようなソフトウェアって、実は適当に扱うようにできているんですね。僕からはそういう見えていて、僕はCubaseというソフトを使っているんですけど、すごく拡大して、できるだけ厳密に、顕微鏡的に作ることが多いんです。つまり(ミカ・ヴァニオみたに)そういう風にはできていなくて、ああいう音楽がフィジカルに生まれる環境が実はヨーロッパにはすごくあって......、で、そういう指の動きによる細かさが、ループだけでは終わっていない細かさに繋がっているのかなと。

なるほど。

牛尾:僕は典型的なA型なんで(笑)。

たしかに(笑)。そこまで厳密に思考していくと、どこで曲を手放すのか、大変そうだね。

牛尾:それはもう、そろそろ出さないと忘れられちゃうなとか(笑)。そういうカセがないと、本当にワーク・イン・プログレスしちゃうんで。

それは大変だ。

牛尾:でも、「あ、できた」と思える瞬間があったりもするんです。

ちょっと話が前後しちゃうんだけど、ダンスフロアから離れようという考えはあったんですか?

牛尾:それはないですね。ただ、自由にピアノを弾こうと思っただけで。フロアから離れようとは思っていなかったです。追い込まれた何かがあるわけではないですね。

音楽的な契機は、さっき言った......えー、イタリア人だっけ?

牛尾:いや、オランダ人のシメオン・テン・ホルト。ファーストのときはハラカミ(・レイ)さんへの憧れがすごく強かったんですね。高周波数帯域が出ていない、こもっているような、ああいう作りにものすごい共感があったんです。それでファーストにはその影響が出ている。だから、次の課題としてはその高い周波数をどうするのかというのがあった。それを思ったときも、ピアノのキラキラした感じならその辺ができるなと思って。ピアノの、たとえば高い方の音でトリルと言われる動きをしたときとか、感覚的に言えばハイハットぐらいの響きになるんですね。だから高周波数の扱いを処理すれば、新しいところに行けるかなと思ったんです。

ピアノは何歳からやっていたんですか?

牛尾:6歳です。でも、適当にやってました。

じゃ、ご両親が?

牛尾:いやいや、家が団地の真んなかにあったので、「それじゃ牛尾さん家に集まろうよ」という話になって、そのあと引っ越してから一軒家になってからもそのまま続いているってだけで、親が音楽をやっていたわけではないんですよね。

出身はどこなんですか?

牛尾:東京の多摩のほうです。だから、多摩川をぷらぷら散歩するのが好きで、ファーストは散歩ミュージックとして作っていたので。

牛尾くんの作品の牧歌性みたいなのもそこから来ているのかな?

牛尾:そうだと思いますね。ディレクターから「人がない東京郊外の感じをロマンティックに切り取っているよ」と言われて、それはすごく腑に落ちる言い方だなと。僕は人は描かないんですけど、橋とか建物とか人工物は描いていると思うので。とにかく僕の牧歌的な感覚は、そっから来ていると思います。ただ、ちょっと斜陽がかっていますよね。

なるほど。ずっとピアノだったんですか?

牛尾:とはいえ、ドラクエを弾いたり(笑)。

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夜の海を散歩したこと、夜の街を山の上から見たことが大きなヒントになっています。そのとき感じたのは、「そこにあるのに見えていない」ということだったんです。夜の海は真っ暗で海の存在感はあるのに見えない、夜の街も街はあるのに人が見えない。


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音楽体験として大きかったのは?

牛尾:アクセス。

なんですかそれは?

牛尾:浅倉 大介さんとか、どJ-POPです。僕はそれをテレビで見て、「将来ミュージシャンになろう」と。それからTMN、小室哲哉さんを見て、「やらなきゃ」と(笑)。

はははは。

牛尾:痩せているから運動部はやめようと(笑)。まあ、そういう感じでしたね。

自分で意識的にCDを買いに行ったのは?

牛尾:クラフトワークですね。中学校まではJ-POPだったんですけど、卒業間際に友だちの家で『ザ・ミックス』を聴いて、もう「すごーい!」と(笑)。"コンピュータ・ラヴ"の「ココココココ......」と短いパルスみたいな音にリヴァーブがかかっているだけというブレイクがあるんですけど、それだけテープに録ってずっと聴いてたっりとか。

はははは。

牛尾:音フェチみたいなのは、もうその頃からありました。気に入った音色をずっと追い続けていたりとか......ピアノを弾いていると戦メリを弾きたくなってくるので、そこから坂本龍一さんを聴いて、YMOを聴いて、みたいなのがちょうどクラフトワークを聴きはじめたのと同じ時期で。そうこうしているうちに90年代後半で、卓球さんやイシイさんも聴いたり、雑誌を見ると「〈ルーパ〉というパーティがあってそこでは80年代のニューウェイヴもかかっているらしい」とか、で、「あー、行かなきゃ」って(笑)。それからジョルジオ・モロダーを探してみたり。そうやって遡っていってるだけなんです。

最初から電子音楽には惹かれていたんだね。

牛尾:家にはピアノとエレクトーンがあったんですけど、ずっとエレクトーンに憧れがあったんですよ。それが大きかったかもしれないですね。で、クラフトワークにいって、それから......「卓球さんが衝撃を受けた"ブルー・マンデー"とはどういう曲なのか」とかね。

そうやって一筆書きの世界に近い付いていったんだね(笑)。

牛尾:そうです(笑)。だから、エレディスコなんです。卓球さんにコンピに入れてもらった曲も、最初に出したデモはオクターヴ・ベースがずっと「デンデンデンデン」と鳴っているような(笑)。ちょうど当時はシド・ミードのサウンドトラックを作るんだと自分で勝手に作っていた時期で。

いまのアグラフの原型は?

牛尾:浪人か大学のときです。でも、ハラカミさんを聴いたのは、高校生のときでしたけどね。だから、エレディスコを作りつつ、そういう、小難しい......。

IDMスタイル(笑)。

牛尾:そう、IDMスタイルと呼ばれるようなものを作りはじめたんです(笑)。だんだん知恵もついてきて、細かい打ち込みもできるようになったし、アグラフの原型ができていった感じですかね。

小難しいことを考えているかもしれないけど、ファーストよりも今回の新作のほうが若々しさを感じたんですよ。だって今回のほうが大胆でしょ。ファーストはもちろん悪くはないんだけどわりと型にはまっているというか。

牛尾:ハラカミさんへの憧れですからね。エレディスコをやっていたのも卓球さんやディスコ・ツインズへの憧れでした。それはいまでもあるんですけど、自分のなかで結実できていないんですよね。それよりも自分に素直に自分の味を出すべきだと思ったんですよね。自分がいま夕日を見ながら聴いて泣いちゃう曲とか(笑)、そこに根ざして曲を作りたかったんです。

なるほど。

牛尾:そうなんです。ファーストは(レイ・ハラカミへの)憧れでしたね。

この新作は時間がかかったでしょ?

牛尾:かかりましたね。ファーストをマスタリングしているときにはすでに取りかかっていましたから。でも、最初はうまくいかなった。『ア・デイ、フェイズ』の"II"になってしまっていたんですね。

最初にできたのは?

牛尾:1曲目(lib)と2曲目(blurred border )です。テクニカルな細かい修正を繰り返しながら、だんだん見えてきて、それで、1曲目と2曲目ができましたね。「行けるかも」とようやく思えました。

アルバムを聴いていてね、ものすごく気持ちよい音楽だと思うんだけど、たとえば1曲目にしても、かならず展開があるというか、だんだん音数が多くなっていくじゃない? ずっとストイックに展開するわけじゃないんだよね。そこらへんに牛尾くんのなかではせめぎ合いがあるんじゃないかなと思ったんですけどね。

牛尾:僕の曲は、後半に盛りあがっていって、ストンと終わる曲が多いんですよ。

多いよね。

牛尾:小説からの影響なんでしょうね。小説をよく読むんです。小説って、それなりに盛りあがっていって、ストンと終わる。あの感じを自分が紡ぎ出す叙情性の波で作りたいんだと思います。

なるほど。

牛尾:僕は散歩しながら聴くことが多いんですけど、曲を聴き終わって、いま見ている風景を......、夕焼けでも朝焼けでも夜の街でもいいんですが、曲が終わったときに風景をそのまま鳥肌が立ちながら見ている感覚というか、それをやりたいんです。

それは面白いね。実際に曲を聴いていて、その終わり方は、きっと考え抜いた挙げ句の結論なんだなというのが伝わってきますね(笑)。

牛尾:ありがとうございます(笑)。

あと、たしかにヘッドフォンで聴くと良いよね。

牛尾:まあ、やっぱ制作の過程で散歩しながら聴いているので、どうしてもそうなってしまいますね。でも、どの音量で聴いても良いように作ったし、爆音で聴かないとでてこないフレーズもあるんですよ。それはわざと織り込んでいる。

ちなみに『イコール』というタイトルはどこから来ているんですか?

牛尾:僕の音楽はコンセプトありきなんです。ファーストは日没から夜明けまでのサウンドトラックというコンセプトで作りました。今回は、夜の海を散歩したこと、夜の街を山の上から見たことが大きなヒントになっています。そのとき感じたのは、「そこにあるのに見えていない」ということだったんです。夜の海は真っ暗で海の存在感はあるのに見えない、夜の街も街はあるのに人が見えない。それはひょっとしたら見ている対象物と自分とが均衡が取れている状態なんだなと思ったんです。そのとき、今回のタイトルにもなった"static,void "とか"equal"とか、そういう単語が出てきた。それでは、これを進めてみようと。抽象的だけど、寄りかかれる柱ができたんです。

なるほど。最後のアルヴァ・ノトのリミックスがまた素晴らしかったですね。

牛尾:そうなんです。今回は10曲作って、最後はもう彼に託そうと。ドイツ人がわけのわからないアンビエントをやって終わるという感じにしたかったんです。そうしたらカールステン(・ニコライ)から「フロア向けにする?」というメールが来て。「あの人も、リミックスのときはフロアを意識するんだ」と驚きましたけどね。

しかもあれでフロア向けというのが(笑)。

牛尾:でも突出していますよね。マスタリングをやってくれたまりんさんにしても、もう1曲リミックスをしてくれたミトさんにしても、あとブックレットに小説を書いてくれた円城(塔)さんにしても、僕の描いた青写真以上のものを挙げてくれた。だから満足度がすごく高い。

僕、小説はまだ読んでないですよね。僕も日常で聴いている音楽はインストが多いんですけど、それはやっぱ想像力が掻き立てられるから好きなんですね。同じ曲を妻といっしょに聴いていても、僕と妻とではぜんぜん思っていることが違っていたりする。そこが面白いんです。

牛尾:そこは僕もまったく同じです。たとえばtwitterで曲を発表すると、僕が持っている「この曲はこういう気持ちで作りました」という正解と、ぜんぜん違った感想をみんな返してくれるんですよね。それが面白いんです。

まさに開かれた解釈というか。だから小説を読んでしまうと、イメージが限定されてしまうようで恐いんです。

牛尾:円城さんは文字を使っているんですけど、ホントに意味わかんないんですよ。言い方は悪いんですけど(笑)。せっかく音楽があるのに、愛だの恋だのと、なんで歌詞で世界観を狭めてしまうんだろうなというのはずっとあるんです。でも、円城さんの言葉は違うんですよ。もっと開かれている言葉なんです。小説を付けたかったわけじゃないんです。円城さんの言葉が欲しかったんです。

なるほど。

牛尾:さらに勘違いしてもらえると思うんです。

わかりました。じゃあ、僕も読んでみます。

牛尾:ぜひ(笑)。

interview with Avengers In Sci-Fi - ele-king

 ゼロ年代のダンスフロアのトレンドのひとつに「ロックで踊る」がある。2メニーDJsやエロール・アルカンらインディ・ロックとダンス・ミュージックのクロスオーヴァーを得意とするDJの活躍、そしてフロア・ユースフルな欧米のバンドたち―ーラプチャー、フランツ・フェルディナンド、クラクソンズなどーーの台頭がうながしたこの現象は、いまでは当たり前の光景となった。そのいっぽうで、ライヴハウスの現場におけるそれら海外のシーンと同調する形で生まれたインディ・パーティの多くは、ダンス・ミュージックに造詣が深いDJを招くなどして、そのクロスオーヴァーを試みた。その結果、ライヴ・バンドとDJの相互関係で独自のダンスフロアを形成するパーティもずいぶんと増えた。

 東京の新宿にあるライヴハウス〈MARZ〉を拠点とするマンスリー・パーティ〈FREE THROW〉は、レジデントである3人のDJをメインとしたパーティでありながら、月毎にゲスト・アクトとして若手のライヴ・バンドを招いて開催している。あまり知られていないことかもしれないが、いまをときめくテレフォンズやボゥディーズといったアイドル・バンドたちは、ここを拠点にして全国的な支持へと繋がっていった存在である。他にもミイラズやライトといったロック・バンドたちが多く出演するこのパーティでは、『ロッキングオン・ジャパン』や『ムジカ』などで特集されている日本のコマーシャルなバンドの曲から、『スヌーザー』でピックアップされている欧米のスノビッシュなインディ・バンドの曲まで洋邦/有名無名関係なく幅広くスピンされている。集まったオーディエンスは音楽的な隔たりを作ることなく、ダンスのステップを踏み、とても自由に楽しんでいる。こうした喜びに溢れたムードが、若手バンドのフックアップに繋がることはとても健康的に思える。そしてこのムードは、海外のインディ・シーンへの憧れを伴いながら、全国的なものへとなりつつある。


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 今回の主人公は、その〈フリー・スロウ〉でも幾度となく演奏してきた3人組ロック・バンド、アヴェンジャーズ・イン・サイファイである。自らの音楽のコンセプトを「サイファイ・ミュージック」と名乗る彼らの、メジャーから初のフル・アルバムとなる『ダイナモ』がここに届けられた。
 このバンドは、コズミックなシンセサイザー、シューゲイジングなディストーション・ギターやフィードバック・ノイズを用いて、宇宙空間を遊泳するかのような、ファンタスティックなサウンドを特徴とする。そのダンサブルなビートからは、前述したロックとダンスのクロスオーヴァーからの影響が多分に感じられる。とはいえ、同じくダンサブルなロックを持ち味とする同世代のテレフォンズやサカナクションとはもちろん趣が違う......。アヴェンジャーズ・イン・サイファイの音楽には、よりドライヴ感の効いたパンキッシュなテイストもある。
 バンドのフロントマン、木幡太郎に訊いた。

クラクソンズは好きです。でも彼らは、ニュー・レイヴと括られてしまったことが損している部分ではありましたよね。だって、別に踊れないじゃないですか(笑)。それよりももっとフォーカスするべきなのは、フィジカルな部分よりも、あのホラーというかオカルトじみたゴシックSF的な世界観の部分で。メロディとかも新作は最高でしたね。

アヴェンジャーズ・イン・サイファイ印ともいえる、コズミックなサウンド・テクスチュアだったり、SFの世界を彷彿とさせる歌詞だったり、一貫した宇宙的な世界観というのはどういった経緯で生まれたのでしょうか?

木幡:物心ついた頃に『スター・ウォーズ』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のようなSF映画を観て、そこから影響されたというのが大きいですね。『2001年宇宙の旅』とか、有名どころの作品を観たり。ジミー・ペイジのリフのような、いかにも「ギターです」みたいな、人間の血の匂いがするものよりも、血の通っていない雰囲気みたいなのが自分のなかでのストライク・ゾーンになっていったんですよね。昔、エレクトロニカとか、アンダーワールドやケミカル・ブラザーズのようなロック寄りのエレクトロニック・ミュージックにすごい惹かれていたときがあって。そのあたりのアーティストたちの世界観はSFと繋がりやすいというか。そういった趣味がごちゃまぜになった結果です。

2008年にリリースされた2ndアルバム『サイエンス・ロック』あたりから、宇宙をモチーフにした曲名や歌詞など、コズミックなムードがよりいっそう強まっていった印象があったのですが、自分たちならではの表現方法やカラーを獲得したという実感や自信などはありましたか?

木幡:SF志向や宇宙志向といった方向性は最初期から一貫していたものだったので、いくつかのリリースを経て、何かを自分のなかで獲得していったという意識はとくにないです。表層の部分の変化ぐらいですね。

歌詞に登場する、"サテライト・ハート"や"インターステラ・ターボ・フライト"といった、まさにSF的といえる言葉の数々は非現実観を煽ります。そういった言葉を選ぶ理由というのは?

木幡:カタカナの言葉を使うというのは、単純にSFテイストを盛り上げたいというのもあるんですけど、日本語英語というか、意味があるんだかないんだか定かじゃない言葉のほうが強いと、僕は思っているんですね。いかにも意味ありげなことをちゃんと日本語で歌ってみたところで強さがないというか、頭に入ってこないというか。

たとえば今回のアルバムでいうと、具体的にどの言葉ですか?

木幡:「ミディ・マインド/ホモサピエンス・ブラッド」とかはそうですね。メロディとの共生関係というか、メロディの抑揚を殺さずに音の響きの気持ち良さを表現したいので。意味ありげなことを延々と語り聴かせることよりも、ハードコア・バンドのヴォーカルがデカイ声で叫んだ瞬間に伝わってくるもの、そういった感覚を重視している部分があります。何より音をキャッチしてもらうことが目的なので。もちろん、自分では言葉はすべて整理されていて、語呂合わせのために使っているというわけではなく、どれも意味のある言葉なんですけども。でも、その言葉の意味を100パーセント自分と同じ捉え方をしてもらうために、こと細かく伝えようとしたところで、逆にキャッチすらしてもらえないんじゃないかという感覚を持っているんですよね。

日本語の音楽の多くは意味を大切にしていますよね。カラオケ文化というのも、思いっ切り、歌詞に自己投影する為のものですし。自分たちは、意味を伝えるよりも、音楽をやっているんだという意識の方が強いですか?

木幡:そうですね。多くのJ-POPは、歌詞だけで完結してしまっているものが多いなと思っていて。歌詞を読めばたしかにストーリーはわかるんですけど、メロディをつける必要はないなと。それなら詩の朗読をすればいいし、音楽である必然性はない。

あいだみつをで十分という(笑)。

木幡:歌詞を完結させるためにメロディを犠牲にしてしまっている音楽を腐るほど聴いてきたし、「何の為に音楽があるんだ?」という疑問や反感はすごくありましたね。

自分たちは音と言葉のイントネーションで楽しめるものを作っていきたいと。

木幡:やっぱりそれはありますね。僕らの楽曲のメロディと歌詞は、J-POPといわれるもののそれと比較したときに、それぞれの単体での完結度は低いと思うんですけど、そのふたつを組み合わせたときに、初めて言葉の意味がしっかり見えてくるというか。そうすることで、人の想像力が介入する余地を残しておきたい。バンドを始めた当初から、そういったものを目指しています。

総じてSF的な言葉が印象的ではありますが、今回のアルバムだと、たとえば"キャラバン"という曲では、「生はイージー/無常でファスト」「死はイージー/途上でロスト」というラインがあったり、人の生命や所業は諸行無常だという世界観も描いていますよね。

木幡:今回のアルバムでは、自分たちがこれまでに表現してきた非現実的な世界のなかに、現実的な世界観も盛り込んでみたかったんですね。「生と死」や「愛」といった要素も意識的に取り入れてみたんですけど。聴く人が自己を投影する余地も作ってみたかったという。「宇宙」や「未来」といった言葉からは、何となく、あまり人間が存在している感じがしないんですけど、宇宙のなかで人間が生活している感覚というか、そういった世界観を今回は意識的に描いてみました。

ダフト・パンクは好きですか? 彼らには"ロボット・ロック"という曲があって、近未来では人間の血を感じさせないロボットこそが、純粋無垢を象徴するものに成り得ている、という世界観を描いていますよね。そういったイメージとちょっと近いものを感じたのですが。

木幡:ロボットが感情を持つというシチュエーションはすごく好きですね。映画で役者が涙を流している場面があったとして、そこに入り込めない自分がいたりするんですけど。ロボットに感情が宿るというシチュエーションは、逆にリアルに感情が伝わってくることがあります。

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もちろん、ロックが若者のあいだでヒップなカルチャーではなくなっている現状や、必ずしもロックが必要とされていない現状への危惧だったり、そういったフラストレーションはありますけど。でも、そういった意味合いよりも、わけのわからないパワーを彷彿とさせる言葉として捉えてもらいたい。

ダンサブルなロックを持ち味とする同世代のバンドとして、テレフォンズやサカナクションがいますよね。テレフォンズは「アイ・ラヴ・ディスコ!」というフレーズが象徴的ですが、とにかく「アゲる」という意味で、享楽的な世界観をアッパーに描いています。それと比べてサカナクションは、より繊細な表現を持ってして心象風景を叙情的に描いています。音楽的に彼らは近い存在だろうし、意識することもあると思うのですが、そういった同世代のバンドたちが並ぶなかで、自分たちはどういった表現をしていきたいですか?

木幡:もちろん、彼らのことは意識はしていますけど、本質的なところでいうと、いっしょかどうかはわからないですね。僕らの音楽はダンス・ミュージックではないと思っているので。ダンス・ミュージック由来の素材を使っているんですけど、もうちょっと料理の仕方がパンク・ロック的というか。エレクトロニック・ミュージックのアーティストたちって、あの機材で何をしているかというのがいい意味で可視化されづらいじゃないですか。そういった感覚で、僕らはプレイを見せるために存在しているというよりも、純粋に音楽として存在していたい。そうすれば自然と音楽の面にフォーカスされるというか。ロック・バンドというと、プレイの面が見え過ぎてしまって、音楽面がぼやけるというのは感じていたりしたので。テレフォンズやサカナクションがダンス・ミュージックの要素をどういった意味合いで取り入れているかまではわからないですけど、僕らはダンス・ミュージックのフィジカルな部分よりも、もうちょっとメンタルの部分というか、宇宙的な感覚だったり近未来的な感覚だったり、そういった部分に惹かれるところがあって。

なるほど。

木幡:なぜ自分たちがダンス・ミュージック由来のビートを使っているかというと、いま、現時点で、それがもっとも未来的なイメージを喚起させるのに最適だと考えているからです。例えば、ビートルズのドラムをサンプリングするよりも、ダフト・パンクのドラムをサンプリングする方が、音の響きとして未来を彷彿させられるじゃないですか。なので、必ずしも踊らせることを目的にそれをセレクトしているわけではないです。手段として咀嚼している感じです。

とくに大きな影響を受けたミュージシャンはいますか?

木幡:強いて挙げると、エイフェックス・ツインやスクエアプッシャー、ケミカル・ブラザーズあたりですかね。エイフェックス・ツインとスクエアプッシャーはエキセントリックな部分にフォーカスされがちですけど、メロディが綺麗な部分に惹かれます。ケミカル・ブラザーズは音楽的にはフィジカル過ぎてそれほど好きじゃなかったりするんですけど、あのモロにSFな世界観がドンピシャで好きだったりします。

バンドではなくて、打ち込みに専念しようと考えたことはありますか?

木幡:自分がエレクトロニック・ミュージックに没頭した時期に、そういったノウハウがあればやっていたかもしれませんけど、当時、単純に打ち込みやPCの知識が全然なかったんですよね。自分が手を出せるのはエフェクターやシンセサイザーぐらいだったので、バンドに活かしました。

日本人で共感を持てるミュージシャンはいますか? 抽象的な言葉を並べて風景を喚起させるという点において、手法的にはナンバー・ガールに近いとも思ったのですが。

木幡:音楽性はまったく違いますけど、ナンバー・ガールはすごい好きです。世界観がカッチリしていますよね。聴いていると、酔っぱらいが転がっている新宿が頭に浮かんできたり。

海外で共感を持てるミュージシャンはいますか? これもまた自分の推測ですが、SFファンタジーを描いているという点において、感覚的にはクラクソンズやレイト・オブ・ザ・ピアに近いとも思ったのですが。

木幡:クラクソンズは好きです。でも彼らは、ニュー・レイヴと括られてしまったことが損している部分ではありましたよね。だって、別に踊れないじゃないですか(笑)。それよりももっとフォーカスするべきなのは、フィジカルな部分よりも、あのホラーというかオカルトじみたゴシックSF的な世界観の部分で。メロディとかも新作は最高でしたね。

では、共感する部分は多かったと。

木幡:ニュー・レイヴ全般にいえることですけど、このムーヴメントって、言葉が先行していて、音楽的な共通点はほとんどなかったじゃないですか。でも、70~90年代の音楽をすべて包括しながら、レトロなテイストもありつつ、プロディジーやアタリ・ティーンエイジ・ライオット、プライマル・スクリームのような、デジタル志向の先鋭的なロックの要素もあったりして。そういった歴史の積み重ねを踏まえた上での、前向きな未来志向があるところに惹かれました。その前のニューウェイヴ・リヴァイヴァルは、個人的にあまり受け付けなかったんですよね。どれもギャング・オブ・フォー過ぎるというか。あまりにも焼き直し過ぎなところがあって。ラプチャーとか。

クラクソンズと比べられることはよくありますか?

木幡:ニュー・レイヴの日本版みたいに言われたこともありますけど、最初期から僕らの音楽を聴いてくれている人は、そういうことは言わないですね。

現在と初期を比べて、音楽性はそれほど変わっていない?

木幡:基本的には宇宙的な世界観はずっと自分たちのこだわりですけど、最初期はもうちょっと音楽的にドロドロしていました。妙にプログレやサイケに惹かれていた時期もあったので。ピンク・フロイドとか。でも、最初はそのジャンル名、「プログレッシヴ」や「サイケデリック」という言葉のインパクトにとにかく惹かれていたので、ピンク・フロイドが本当にいいなあと思いはじめたのは、実はけっこう最近だったりします。

アルバム終盤の"スペース・ステーション・ステュクス"では、そういった影響も滲み出ていますよね。一大スペース・ロック的な。

木幡:まさにそうです(笑)。

ピンク・フロイドはどの時期の作品が好きですか?

木幡:『原子心母』あたりから"クレイジー・ダイアモンド"までとか。『ザ・ウォール』も好きですけど。シド・バレットに関しては、ピンク・フロイドというよりも、彼は別物って感じなので。

曲はどうやって作っているんですか?

木幡:最初は僕が弾き語りで作ります。まず歌のメロディがあって、曲の方向性やリズムは大体こんな感じだというのを伝えて、そこから3人でセッションしながらアレンジの細部を詰めていくといった感じです。

エイフェックス・ツインにしてもピンク・フロイドにしても、スタジオのエンジニアリングの技術というのが大きいですけど、そういったレコーディングには興味はありますか?

木幡:もちろん興味はありますし、やってみたいとは思うんですけど、どうしてもひとりの作業が主になってしまうじゃないですか。エンジニアとのやり取りがメインになってしまったり。それよりも、大まかな方向性がぶれない限り、セッションから生まれる偶然の方が自分にも驚きを与えてくれるし、エキサイティングだと感じています。

『サージェント・ペパーズ~』や『ペット・サウンズ』のような、世界観を追求する為にスタジオ・ワークで作ってしまう作品にはあまり興味がない?

木幡:仕上がる音が大体想像出来てしまうんですよね。自分の予想を裏切る仕上がりでないと、120パーセントの満足感は得られないのではないかと思うんですよ。

バンドならではの意外性や、セッションしたときの偶然性に賭けたいと。その辺りもクラクソンズと近いかもしれないですよね。

木幡:そうですね。スタジオ・ワークによってバンドのフィジカル性が失われるのも嫌なので。宇宙的な世界観を追求したり、精神世界を表現する余りに、ドローンが延々と20分流れるものとかになってしまうと、自分が考えるロックの理想と離れてしまうので。自分たちの世界観を追求しつつ、フィジカルの強さも同時に追求していきたいというのが命題です。

ライヴ映像も拝見させて頂いたのですが、"ホモサピエンス・エクスペリエンス"という曲で、「セイヴ・アワー・ロック」という言葉を叫んでいるのが印象的でした。そのまま訳すと「自分たちのロックを守る」ですが、これはどういったメッセージなんでしょうか?

木幡:叫んだときに強く響く言葉だと思っていて。これはメッセージというよりも、何よりも言葉の強さからパワーを感じてもらいたい。もちろん、ロックが若者のあいだでヒップなカルチャーではなくなっている現状や、必ずしもロックが必要とされていない現状への危惧だったり、そういったフラストレーションはありますけど。でも、そういった意味合いよりも、わけのわからないパワーを彷彿とさせる言葉として捉えてもらいたい。自分にとってのロックの理想は、わけのわからないパワーを感じさせるものなので。

interview with Mitsuru Tabata - ele-king

 ボアダムス、ゼニゲバ、アシッド・マザーズ・テンプル......いずれも日本国内にとどまらず世界的な規模で活動しているバンドであり、欧米で高く評価されているバンドだ。そしてこの3バンドにはひとつの共通点がある。それが、今回紹介する田畑満というギタリストである。ボアダムスのオリジナル・メンバーであり、現在もゼニゲバ、アシッド・マザーズ・テンプル アンド・ザ・コズミック・インフェルノに在籍、それ以外にも数限りないバンド/ユニットに参加して毎日のように世界のどこかで演奏している。

 まずは彼のプロフィールを紹介しよう。80年代前半にレゲエ・バンド「蛹」でデビュー。「関西ノー・ウェイヴ」などと呼ばれ盛り上がりを見せていたポスト・パンク/ニューウェイヴ・シーンの影響を浴びながら、和風ニューウェイヴとでも言うべき奇異なバンド「のいづんずり」に参加、ほぼ時を同じくして当時ハナタラシでの活動悪名高かった山塚アイとボアダムスを結成。

 ボアダムス脱退・のいづんずり解散の後、K.K.NULL率いるプログレッシヴ・ヘヴィ・ロック・バンド、ゼニゲバのリード・ギタリストとしてワールドワイドな活躍を開始。デッド・ケネディーズのジェロ・ビアフラによるレーベル〈Alternative Tentacles〉より数々のアルバムをリリースする。ベースレスのトリオというコンパクトな編成ながら、その緻密かつパワフルなアンサンブルはどんなメタル・バンドにも負けない鋼のようなサウンドだ。


タバタミツル
ルシファー

map / Compare Notes Records

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 00年代に入ると参加バンド、ユニットの数は加速度的に増殖する。河端一率いる"魂の共同体"アシッド・マザーズ・テンプル関連バンドのひとつ、アシッド・マザーズ・テンプル アンド・ザ・コズミック・インフェルノでベーシストとしてデビュー。レニングラード・ブルース・マシーンは自身のリーダー・バンドであり、幾多のメンバーチェンジがありつつも現在に至るまでもっとも長く続いているジャム・バンドだ。酔いどれブルース・シンガー/ギタリスト、スズキジュンゾとのデュオ、 20ギルダーズ(20 Guilders)はエレキ・ギターの弾き語りによる歌もので、レニングラードでも垣間見せていた歌心がじっくり味わえる。関西パンクの伝説ウルトラビデのヒデ率いるアマゾン・サリヴァ(Amazon Saliva)はボガルタの砂十島Naniをドラムに迎え強力なテンションで突っ走るスーパー・パンク・バンド。「Pagtas」ではポップながらも奇妙にギクシャクしたリズムをベーシストとして支えている。その他にも個性豊かなさまざまなバンドが活動中であり、その数は依然として増え続けているようだ。
 また、ヨーロッパをはじめとした多くの国のレーベルからリリースされているソロ作品の数々は逆回転や回転数の操作など多様な音響実験の施された、世界に類を見ない奇妙なサイケデリック・インストゥルメンタル・ミュージックを聴くことができる。残念ながら国内ではあまり流通していないようなので、本人のオンライン・ショップをチェックすることをおすすめする。(https://tabata.cart.fc2.com/

 今年7月に渋谷のO-Nestで開催された高円寺円盤主催のフェスティヴァル「円盤ジャンボリー」の初日には「タバタミツル SPECIAL」と称してソロを含めた6バンド/ユニットでの大特集が組まれるなど、アンダーグラウンド・シーンにおけるその信頼と愛され方は既に揺ぎ無いものがある。そんな田畑満という人物の魅力の一端を伝えることができれば幸いだ。

変なところでいっぱいやってますよ。オハイオ州のコロンバスにランドリー・バーっていうのがあって、ランドリーとバーが合体してるんですよ。洗濯しながらライヴを見る(笑)。「こんなところ誰もやらんやろ」って思ったけど、日程見たらジーザス・リザードとか書いてあるから「みんなやってんや」って。

ご出身は京都なんですよね。

田畑:京都です。京都府立鴨沂高校中退。同じ軽音部の先輩にピアノのリクオさんがいて。彼が部長でした。

最初の本格的なバンド(蛹)はレゲエバンドだったということですが、軽音楽部で結成したんですか。

田畑:同じ軽音楽部だった小学生からの友人と、学外の人間と結成しました。ベースは『ミュージック・ライフ』で募集しましたね。最初は女の子でしたが、途中から細井尚登さん(壁画家、チルドレン・クーデター)に代わりました。当時ポニーキャニオンが日本のレゲエ・バンドのコンピを出すって言うので、デモテープを送ったら受かって。六本木のS-KENスタジオで録音したんです。中間試験の真っ最中で、それで落第して(笑)。めんどくさくなって中退しました。

軽音部時代はどんな音楽を?

田畑:いやあ......INUのコピーとか(笑)。あとピンク・フロイドとか。

INUとピンク・フロイドじゃだいぶ違いますけど(笑)。

田畑:まあ軽音バンドってメンバーがやりたい曲を1曲ずつ持ち寄ったらたいてい無茶苦茶になるから。

INUに関しては、同じ関西っていう意識はあったんですか?

田畑:まあそうですね。当時どらっぐすとぅあっていうお店が京都にあって、ライヴ・テープがたくさんあったんで聴いてました。当時SSがいちばん好きでしたね。

じゃあウルトラビデなんかもその頃から見てたんですか?

田畑:知ってましたけど、ちょっと高校生にとっては理解を超えてて(笑)。『ドッキリレコード』(INU、ウルトラビデ、変身キリン、チャイニーズ・クラブの4バンド収録のコンピレーション・アルバム)でしか聴いたことなかったんですよ。その他の音源は聴いたことなかったから。EP-4はよく行きましたね。蛹のデビュー・ライヴか何かの時に佐藤薫さんがおめでとうとか言って一升瓶を差し入れしてくれました。高校生やのに(笑)。

S-KENスタジオで録音したものっていうのは、世に出てるんですか?

田畑:『JAPAN REGGAE CRUSH』っていうコンピで。ほかにP.J & Cool Runningsとか。

その後の活動を見てると田畑さんとレゲエってあまり結びつかないんですけど、当時はレゲエがお好きだったんですか?

田畑:ギターが簡単じゃないですか(笑)。ギターが弾けるようになる前にバンドを組んだから。楽器買う前にバンドはじめてたんで。

じゃあできないものを引いていくと残ったのがレゲエだったと。

田畑:あとディレイ。

ダブですね(笑)。

田畑:あ、そうですね(笑)。

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裸のラリーズですかね。ちょっと後なんですけど、高校3年の頃に。7時開場・開演とかだったんですけど、終わったのが夜中の3時頃だったと思います。お客さんは少なかったんですけど、アンコールもあって同じ曲を3回くらいやって。僕もよくわかってないんですけど、そのくらい衝撃を受けたんでしょうね。

音源が出た後もある程度は活動されてたんですか?

田畑:すぐ終わっちゃいましたね。ベースの細井くんが辞めて、ドラムの子が進学するって言って。それで解散しました。

高校生バンドっぽい終わり方ですね。それが82、3年。その後はのいづんずりですが、誘われて入った感じですか?

田畑:いや、その前にSSでベースを弾いていた竹野さんがやっていた「アイ・ラヴ・マリー」というバンドでギターを弾いていました。あれは一発でクビになったんかな? そして「セッティング一発」。ニプリッツでギターをやってるジンさんがいまでもやってるダストってバンドがあって、そこのヴォーカルのタチメさんがやっていたバンド。そこにちょっと入ってて、その後のいづんずりに入った理由はわからないですね。志願したのかな。

音楽性は田畑さんが入る前からある程度固まってたんでしょうか。

田畑:もともとまあ、ニューウェイヴですよね。不気味な(笑)。その前にいたのが東京でカメラマンをやっている方で、わざわざ京都まで来てやってたから、その方と交代というか......最初はふたりともいたのかな、録音には。ライヴ活動は僕がひとりでギター弾いてたんですけど。

アルバムには戸川純さんも参加されてるじゃないですか。割とポップ・シーンに近いバンドだったわけですよね。

田畑:あれは何ででしょうね。リーダーの福田研さんの知り合いだったみたいですけど。ライヴもやったりしましたね、ライヴ・インとかで。レコ発だったのかな。そのときに限ってお客さんがいっぱい来て(笑)。ギャラも結構な額がもらえたから、そんなの若いもんに与えたらねえ。帰る頃にはもう一銭もなくなってましたけど。六本木とかで無茶苦茶やって(笑)。レッドシューズってお店に行ったり。

ヴォーカルのインドリ・イガミさんは結構強烈なキャラの方だったそうですが、結局クビみたいな形になるんですかね。

田畑:そうですね、最後は京都芸術大学で少年ナイフとかの出たコンサートがあって、その日にクビになりました。学祭って模擬店というかお店がいっぱい出るじゃないですか。それで早い時間から飲みすぎでほとんど歌が歌えないような状態やったんで、みんな怒って。

当時の関西ってEP-4がいたりINUがいたりして、ニューウェイヴで個性的で魅力的なバンドが多かったですよね。やっぱりそういう環境みたいなものには影響されてましたか?

田畑:そうでしょうね。聴いてる音楽は違いましたけど。高校生のときに京都にDee Beesっていうお店があったけど、あんま行かなかったですね。

当時は京大とか、大学でも東京のニューウェイヴバンドを招聘してやったりしてましたけど、あんまりそういうのは行ってないですか?

田畑:いや、それは行ってますね。お店系に行かなかっただけで。あの頃の京都ってだいたい3つの大きいグループに分かれてたんですよ。EP-4とかのスタック・オリエンテーション。あとは西部講堂のビートクレイジーですよね。コンチネンタル・キッズとか。それと僕らは「服屋系」って呼んでた人たちがいたんですけど。ノンカテリアンズっていう、ノーコメンツにいた人たちが作ったバンドで。あとHIP-SEE-KID(ハープシコード)って、モンド・グロッソの大沢伸一さんがいたバンド。それはお洒落な人たちで、だいたい服屋でバイトしてたから「服屋系」(笑)。だいたい大きくその3つの流れがありました。

のいづずりというか、田畑さんはそのなかではどちらに?

田畑:のいづんずりのファーストLPは〈テレグラフ〉からリリースされたんですけど、EP-4の佐藤薫さんがプロデュースする話もあったりしたから、その周辺ということになるんでしょうね。個人的に良く遊びに行ってたのはビートクレイジーでしたけど。

当時もっともよく覚えてるライヴってありますか? 衝撃を受けたライヴとか。

田畑:裸のラリーズですかね。ちょっと後なんですけど、高校3年の頃に。7時開場・開演とかだったんですけど、終わったのが夜中の3時頃だったと思います。お客さんは少なかったんですけど、アンコールもあって同じ曲を3回くらいやって。僕もよくわかってないんですけど、そのくらい衝撃を受けたんでしょうね。終わった後に駐車場のところに水谷孝さんが立ってて、駆け寄って「おつかれさまです!」とか言ったら「煙草持ってる?」って言われて、ピースを差し出して。「何かバンドやってるの?」って言われたんだけど、そのときなぜかボブ・マーリーか何かのTシャツを着てて(笑)。で、「レゲエ・バンドやってるんですわ」って言ったら「あ、そう」みたいな、それはよく覚えてます(笑)。あの頃でいちばん印象に残ったライヴっていったらそれですねえ。わけわからんかったですけど。事前情報も何もなくて、謎のバンドが来るみたいな。

7時から3時までって言ったら8時間ですよね。

田畑:それも何か曖昧な......あっと言う間に過ぎたのか。途中で1回寝てるんですけど(笑)。他にはINUの町田さんがアーント・サリーのビッケさんとやりだした「ふな」ってバンドがいて。あれはすごく印象に残ってます。

キャプテン・ビーフハートみたいなことやってましたよね。

田畑:ちょっとレゲエも入ったりしてて。

あれはすぐ終わっちゃいましたよね。音源とかも出さないで。

田畑:最後のライヴはメンバーが全員いなくなって、ひとりで出たっていうのがありました。経緯を覚えてないんですけど、そのあとで大阪の町田町蔵さんの家まで遊びに行ったことがありますね。停電になったか何かでアルコール・ランプで火をつけようって言って、でもアルコールがなかったからライターのガス入れたらどうやって。やってみたら爆発して眉毛が焦げたっていう(笑)。その後はもう全然会ってないですね。うちの実家に来たこともあったんですけど。何かサンマの頭も食べたはったのは覚えてますね。たんについて回ってただけなんでしょうけどね。子供が兄貴分みたいなのについていくっていう。僕がそのとき17とかだから、向こうも21とかじゃないですか。

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木造の4畳半で、当時家賃が9000円。6畳の部屋もあってそっちは1万ちょっとかな。部屋交換しようやとか言って僕が山塚さんの使ってた部屋に移ったら、ハナタラシのマークが壁にでっかくペンキで描いてあって「うわ、何やこれ!」って(笑)。


タバタミツル
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ハナタラシはボアダムスをやる前から見てたんですか?

田畑:のいづんずりのライヴで知り合ったのかな。あ、ノイバウテンのライヴがあって、そのときにアマリリスのアリス・セイラーさんから紹介してもらったのか。アマリリスのライヴが血糊とか使ったホラーショウみたいな演出になってて、そこに山塚アイさんが出てたんですよ。これまた経緯が前後しててよく覚えてないんですけど、いっしょのアパートに住んでたんです。京都に安田荘っていうアパートがあって、そこに間借りしたりしてた。ハナタラシがサイキックTVの前座をやったときに爆弾を持ち込んだ事件のときも、僕はその日バイトで、スタッフも同じアパートやったから「まあ頑張ってきてやー」って送り出した覚えがある(笑)。それで夜中に帰ってくる音がして、「アカンかったわー」とか言って。

すごいですね(笑)。同じ部屋に住んでたんですか?

田畑:いや部屋は一応バラバラでトイレは共同でしたけど。いまでもあるんですよ、そのアパート。木造の4畳半で、当時家賃が9000円。6畳の部屋もあってそっちは1万ちょっとかな。部屋交換しようやとか言って僕が山塚さんの使ってた部屋に移ったら、ハナタラシのマークが壁にでっかくペンキで描いてあって「うわ、何やこれ!」って(笑)。......アイちゃんもずっと会ってないな。

いっしょに音楽を作ろうってなっていくわけですよね

田畑:とりあえずハナタラシがライヴできないからバンドをやりたいって言ってて。どこも出入り禁止だったから。最初はバズコックスみたいなバンドっをやろうてことで、ボアダムスって名前もバズコックスの曲名から取ったんですよ。メンバーは身近なところで、竹谷郁夫さん(元ハナタラシ、現在はヴァーミリオン・サンズのリーダー)がドラムで、細井尚登さんがベース。でもアイちゃんが持ってくる曲はバズコッコスとは全然違うんですよ。ブラック・サバスみたいなのとか。デビュー・ライヴは映像があるはずなんですよね。こないだハイライズがDVDを出したんですけど、そのときのライヴが入ってたので。デビュー・ライヴはハイライズとオフマスク00が対バンでエッグプラントでやったんです。どんな曲やってたかな。バットホール・サーファーズのコピーとか、あとはブラック・サバスみたいな曲。

山塚さんが曲を持ってくるような感じだったんですか

田畑:そうだったと思うんですけど、うーん......よく覚えてないな。何かもうワケわからんことをやってて、みんなもたぶんわかってなかったと思うんですけど(笑)。

ファースト・シングルの「Anal By Anal」はふたりで録音したんですよね。

田畑:そうです。アイちゃんのアパートで。

同じアパートですか?

田畑:いや、それもよく覚えてないんですけど、そのときはもういなかったんですよ、安田荘には。八尾にアパートを借りて住んでて。ひょっとしたら両方に住んでたのかな。八尾まで行って録音したんですよ。何を録ろうかって喫茶店で相談して、焼き飯を食って。その焼き飯がめちゃ旨かった(笑)。それで録音は村上ポンタさんのドラム教習ヴィデオに音を被せて、歌は後で入れとくわとか言ったのかな。それで帰りにいっしょに駅に行く途中に曲名を考えてて、ずっと「アナルなんとか」って、アナルアナル言うてたのはよく覚えてる。

その頃から曲名にこだわってたんですね。

田畑:そうですよ。そういうノート見たことがある。「アル&ナイナイズ」とか(笑)。

バンド名をいっぱい考えるのが好きみたいな話はよくしてましたよね。

田畑:その前にたしか〈トランス・レコード〉のコンピに参加してるんですよ。そのときは一応録ろうって言ってスタジオで全員で録音したんですけど、使われたのは最後の五秒くらいで。前半はずっとアイちゃんがひとりでやってるノイズみたいなので、何でそうなったのかわからない(笑)。

その頃からそういう、素材を後からいじり回すような感じだったんですね。それはのいづんずりと並行してやってた感じなんですよね。ボアダムスでもライヴは結構やったんですか、そのメンバーで。

田畑:10回以上はやってますかね。まあだんだん客は減ってくる(笑)。途中から吉川豊人くんがドラムになって、その経緯もよくわからないですけど。しばらくしたら細井くんも辞めてベースがヒラくんになって。ヒラくんが入ってからは吉川くんの家で練習するようになりましたね。けっこう大きい家だったんで。集まりが悪いんですよ。それで遅刻したら罰金ってことにして、30分千円とかにしたらピタっとくるようになったんですけど(笑)。それで何回かライヴをやりましたね。

ボアダムスを辞めたのは?

田畑:のいづんずりのメンバーからセカンド・アルバムを出すって話が来て、そのときに「お前、ボアダムスとのいづんずり、どっちを選ぶねん」みたいな掛け持ちに対する圧力があったんですよ(笑)。ウルトラビデのヒデさんとアマゾン・サリヴァを結成したときにその話をしたんですよ。ヒデさんはニューヨークに行ってたから事情を知らないんで。それで「僕ボアダムスにいたんですよ」「ほんま!?」「あのときボアダムスとのいづんずりどっちを選ぶって言われてのいづんずりを選んだんです」って言うたら、「それ人生最大のミステイクちゃうの」って(爆笑)。でもたぶん、俺があのままいたらボアダムスは存在してないですよ。ギターが山本精一さんに変わって、ヨシミちゃんが入ってバッチリ形になった感じがする。

それで、のいづんずり一本でいこうって決めてからは。

田畑:それがその後すぐにイガミさんがクビになった事件っていうのがあって(笑)、宙ぶらりんになった。ベースの福田研さんがボーカルをやるからって言って、ベースを入れたような気もするんだけど全然印象にないんですよ。インパクトが薄れてて。何回かライヴもやってるはずなんですけど。そのうち東京に行くとか言い出したんで、「俺は行かないから辞めるわ」って。イガミさんがインドリイガミ&ワイルド・ターキーっていうのをやってて、もう分裂状態。たしか僕は一時期両方やってたんちゃうかな。それで両方やるとはどういうことだってまた責められた記憶が(笑)。

当時はちょうどバンド・ブームとかインディーズ・ブームがあったじゃないですか。『宝島』あたりの。ああいうのはどういうふうに思ってましたか?

田畑:いやもう、載ったらモテるかなと(笑)。でも自分が載ったときは白塗りで阪神タイガースのユニホームを着てて、これじゃあかんやろっていう(笑)。もうちょっと見栄えのいいバンドに入ったらよかった。でも読んでましたね、時々は。『宝島』とか『フールズメイト』とか。ただ、雑誌がレーベルやるってどうなのかなって思った覚えがある。悪く書けないじゃないですか。

じゃあボアダムスも辞めてのいづんずりも失速していったと。

田畑:その頃何やってたんでしょうね。

レニングラード(LENINGRAD BLUES MACHINE)ってその頃からですよね

田畑:あ、そうですね。ベースが林直人くんって、アウシュヴィッツ(AUSCHWITZ)の林さんとは同姓同名なんです。ドラムが山崎くんっていう。いまはオショーと呼ばれたはるみたいですが、ユニ(UNI)っていうふたり組のバンドをやってます。ドラムと打ち込みの四つ打ちで、すごい人気あるらしいけど世界が全然違うんでまったくわからない(笑)。その3人でやってました。

レニングラードはメンバーを変えながらずっとやってる感じですけど、原型はこの時期に出来てたんですかね。

田畑:その後、僕がいない時期があったんですよ。

ああ、リズム隊のふたりでやってた時期が。そのときって田畑さんはハカイダーズっていうのやってましたよね。

田畑:あー、やってましたね! あれは東京出てきてからちゃうかな。

あ、じゃあもうゼニゲバに入った後ですね。

田畑:そうですね。ゼニゲバは竹谷さんがドラムだったので、関西でやってたんですよ。

ゼニゲバにはどういう経緯で入ったんですか?

田畑:NULLさんから電話があって、やってみようかなという話になったんですよ。それで何回かライヴをやった後に、『Maximum Love & Fuck』というLPをリリースしました。そして竹谷さんが辞めたあとで、吉田達也さんが加入して暫く叩いてました。今のメンバーですね。それでゼニゲバで東京に行くことになって。

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東京に出てきてまずびっくりしたのが家賃が高いことで。このくらいだったら払えるっていうところだと国立とかになるんですよ。国立で、音の出せるピアノ可みたいな部屋にしたら電車の真横で。引越しの仕事をしながらやってましたね。

東京へ出てきた理由は何なんですか?

田畑:当時CBGBってライヴ・ハウスに勤めてて、その上に住んでたんですよ。そこの店長が何と言うか難儀な人で。俺このまま一生ここにいるんやろかって思って。

それで心機一転というか。

田畑:そうですね、環境を変えたかった。

新しいバンドで環境も一新して。関西の人が東京に出てくるときってそれなりに決意とかがあるじゃないですか。

田畑:いないですよ、実際あんまり。俺が知ってる人だと芳垣安洋さんとか向井千恵さんくらいですよね、関西生まれでいまもこっちに住んでる人は。東京に来なくてもできるじゃないですか。東京に出てきてまずびっくりしたのが家賃が高いことで。このくらいだったら払えるっていうところだと国立とかになるんですよ。国立で、音の出せるピアノ可みたいな部屋にしたら電車の真横で。引越しの仕事をしながらやってましたね。アメリカに初めて行った頃には。

ディスクユニオンで働いてたのはゼニゲバで出て来てすぐですか?

田畑:国立で働いてたときに、駅のそばに国立店があったんですよ。それで前をいつも通ってて、肉体労働がキツくなってきた頃に募集してたから。

じゃあ最初から新宿店ではなかったんですか。

田畑:じゃなかったんですけど、そのうちに新宿店から来いよって言われて異動して。

やっぱりレコードに詳しいっていうのがあったんですか。たしかその頃ディスクユニオンのフリーペーパーがあってサイケのマイナー盤を紹介するような連載をやってましたよね。レコードマニアだったのかなと思ってたんですけど。

田畑:いや、あそこにいると詳しくなるんですよ。西口にヴィニールってレコード屋があるじゃないですか。昼休みになると走ってあそこにレコード買いに行ってて。レコード買いすぎて金銭感覚がおかしくなってきて「○○のオリジナルを2万5千円で見つけたよ!」「安いですね!」とか言って。2万5千円のLPのどこが安いねんっていまは思うけど、その頃は真剣に「安いですね」って言ってた(笑)。全部売りましたけどね(笑)。

ゼニゲバは海外ツアーを精力的にやってますけど、最初から海外を視野に入れてやろうっていうのはあったんですか?

田畑:いや、そんなことは全然ないと思います。最初NULLさんがソロで呼ばれて、その後バンドもってことになって。『全体去勢』ってアルバムのレコーディングをシカゴのスティーヴ・アルビニのスタジオでやったんですよ。スティーヴ・アルビニのスタジオはいまは「エレクトリカル・オーディオ」って言ってますけど、その頃は普通の民家の地下にあって、トイレが流れる音がすると録音に入っちゃうようなとこでしたね。当時は8チャンネルで。アルバムのレコーディングを5日くらいでやって、録り終わったら初ライヴがあって、対バンがバストロやったんです。

ああ、じゃあ今日のTシャツはそのときに。

田畑:そのときもらったやつです。そのときはXLでブカブカやってんけど(笑)。

アメリカでライヴをした体験は、その後どのようにフィードバックされましたか?

田畑:ほんまに人気あったんやって思いましたね(笑)。アメリカに行く前はお客さんも少なくて、〈トランス・レコード〉周辺なんかのシーンも終わりかけてた頃で。そんな時期に向こうに行ったら、日本の音楽っていうのがこんなに求められてるのかって。その頃からボアダムスとかもみんな知ってましたね。ボアも行く前やったんですけど。それが91年。

日本ではいわゆるバンド・ブームが終わった頃ですね。

田畑:呼んでくれた人の家がマディソンってところにあって、小さい街だったんですけど、そこでライヴをやったりしてて。そこに行ったら対バンがメルヴィンズやったんです。当時は全然知らなくて、そのときに知り合いになったんですけど。その後はNULLさんがツテがあったからサンフランシスコに行って。

ほぁ。

田畑:ペイン・ティーンズが知り合いで、シスコでいっしょにやったんですが、最初に出たのがニューロシス(NEUROSIS)やったんですよ。まだみんな20歳とかで。そのときにジェロ・ビアフラが来てて、うちから出さないかって話になって。

どういう人でした、ビアフラは。

田畑:いや、よくしゃべる親爺やなって(笑)。そのときに録った『全体去勢』ってアルバムは、マディソンの人がやってた〈パブリック・バス(Public Bath)〉ってところから出たんですよ。〈パブリック・バス〉っていうのは日本のバンドをアメリカに紹介するレーベルで。最初にそこから出して、その次からがビアフラの〈オルタナティヴ・テンタクルス〉で。

93年の『苦痛志向』ですね。その前にNULLさんのレーベルから『内破』(92年)が出てますけど、これも録音はアルビニですね。

田畑:そうです。その時から2ヶ月とかツアーするようになって。わけわからへんですよ、2ヶ月も回ってると。最初は全然英語しゃべれへんかったんですけど、しゃべれるようになったからねえ。

じゃあもうそういうツアー生活っていうのも20年近いんですね。アメリカのバンドは、ほんとに小さいところまでツアーを回りますよね。

田畑:変なところでいっぱいやってますよ。ランドリー・バーっていうのがあって、ランドリーとバーが合体してるんですよ。洗濯しながらライヴを見る(笑)。オハイオ州のコロンバスってところで。「こんなところ誰もやらんやろ」って思ったけど、日程見たらジーザス・リザードとか書いてあるから「みんなやってんや」って。あとゲームセンターね。日を空けたらあかんので、移動の距離が開いてるときは間に無理矢理ライヴを入れたりするんですよ、ゲームセンターでオールエイジ・ショーとか。やらないよりマシやから。最後のほうはここがどこだかわからなくなってきますね。

ゼニゲバって日本のバンドで長い海外ツアーをやるっていうスタイルの先駆けに近かったんじゃないかと思うんですよ。

田畑:どうなんでしょうね。いまだったらメルト・バナナがすごいやってますけど。

そうですね。メルト・バナナもやっぱりゼニゲバの影響はあったんじゃないですか。

田畑:NULLさんが最初にメルト・バナナのアルバムをリリースして、そのときから海外ツアーをはじめたんじゃないかと思います。

91年ならスティーヴ・アルビニってもうかなりのビッグ・ネームでしたよね。

田畑:そうなんでしょうけど、あまりそういう感じを与えない人ですよ。日本にも呼んだりしましたね。シェラックとか。あ、シェラックの前にひとりで呼んだのか。ゼニゲバ&スティーヴ・アルビニで。あのときは初めての日本だったんですけど、ツアーするバンドと違ってひとりで来るから、着いていきなり日常に放り込まれて。大学の寮に泊まってました。

ゼニゲバ&スティーヴ・アルビニでライヴ・アルバムが出てますね。『内破』の録音もそのときで。ゼニゲバのヨーロッパ・ツアーはどういういきさつで行くことになったんですか?

田畑:〈サザン・レコーズ〉っていう〈オルタナティヴ・テンタクルス〉の支社があって、ヨーロッパでのディストリビュートもやってるところで。結構もう確立されてたんですね。いろんなバンドが使うバンを貸す会社みたいなのもあった。93年くらいで。そのときのツアーマネージャー兼ドライバーがアメリカ人なんやけどヨーロッパに来て気ままにやってるような女の子で、後でGREEN DAYのマネージャーになりました。フランスからイギリスに入るときにワーキングビザが絶対必要じゃないですか。そしたらイギリスのオーガナイザーがその女の子の分だけ取ってくれてなかったんです。だから前日に物販担当の女の子とふたりで先に行ってるからってことになって。それでバンドだけでワゴンを運転して行ったら、フェリーに乗り込む段階で警官に囲まれて犬がぶわーっと出てきて。いろんなバンドに貸してるから、怪しい匂いでも染み付いてたのか(笑)、身ぐるみ調べられてるあいだに「ああー、フェリーが行っちゃうー」とか。ポーランドで車ごと機材を盗難に遭ったりとか、いろいろとタフな経験もしてます。

ヨーロッパだとどこがいちばん受けましたか?

田畑:当時はイタリアでしょうかね......。いちばんクールな感じなのはドイツで。でもドイツがいちばん重要で、いちばん回らなきゃいけないって言われますけど。

ゼニゲバが活動休止状態になったり、レニングラードも2000年前後にはあんまり活動しなくなった時期があったと思うんですけど。

田畑:あのときはまあプライヴェートでややこしかった時期やったんで、生活をまず立て直さないとあかんかった(笑)。

2002年くらいからまた活動が活発になって、バンドやユニットも爆発的に増えていきますね。

田畑:ちょうどその頃またゼニゲバをやるようになったんですよ。オール・トゥモローズ・パーティーズに呼ばれて。それが2002年だったと思います、ワールドカップがあった年だから。そのときはワイヤーとかチープ・トリックとか。俺らはチープ・トリックの前の前の前くらいやったんです。会場の2階が2000人くらい入る大きいボールルームになってて、ゼニゲバのときも結構満員だったんですけど、チープ・トリックの番になったらごそーっと減って。1階の1000人くらいのホールでザ・フォールがやってて満員になってて、うわ可哀想って思った。ああいうところではやっぱチープ・トリックとか人気ないねんな。

日本じゃ武道館なのに。

田畑:毎日のヘッド・ライナーがワイヤーとチープ・トリックとブリーダーズ。シェラックがキュレーターだったんですけど、シェラックは一階の小さいほうのホールで毎朝オープニングでやるんですよ。普通キュレーターのバンドがトリじゃないですか。シェラックは毎日前座(笑)。

アルビニもチープ・トリック好きですもんね、たしか。

田畑:たぶんはよ終わって観たかったんやないかな。

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いまレギュラーでやってるバンドがたくさんありますけど、それぞれ簡単に紹介していただけますか。まずは20GUILDERS。

田畑:これはスズキジュンゾくんとやってる歌もののデュオで、エレキギター弾き語りです。ギューンカセットからアルバムが11月に発売になります。いっしょには曲作らないんですよ。それぞれの作品で、コーラス入れる程度だったんですけど、最近やっと形になってきたかなと。前は本当に勝手にやってるっていうか、各自の曲をやるだけだったので。


タバタミツル
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じゃあここでアルバムが出るっていうのはタイミングとしてはいいですね。20ギルダーズで最近よくやってる、高校のときに初めて作ったって曲がありますよね。名曲だと思うんですけど。

田畑:中学のときですね。あれはアルバムに入りますよ。"ストロベリー・キッス"(笑)。歌詞書いたのはこの前ですけど。30年間ずっとハナモゲラで。最近やっと日本語で歌うようになって。こないだ山本(精一)さんたちのグレイトフル・デッドのトリビュート・ライヴっていうのが大阪であって、練習で入ったときに「お前よく歌詞覚えられるな」って言われて「いやハナモゲラですよ」「うそ!」って。30年間ハナモゲラだって言ったらビックリしてました、それもすごいなって(笑)。ハナモゲラでも良かったんやけど、レコーディングしたらそれはマズいんちゃうかなと思って(笑)。

アシッド・マザーズ・テンプルは、ベーシストとしてはあれが最初のバンドになるんですか?

田畑:そうです。実はベースやってたバンドもあるんですけど、本格的には。

あれはどういう経緯で参加することになったんですか。

田畑:どうやったかな。アシッド・マザーズ・テンプルっていうのはもともと河端一を中心にしたいろんなメンバーの集団であって、それが途中からメルティング・パライソ・UFO(Melting Paraiso UFO)っていうひとつのバンドっぽくなってきたんです。それである時期からまた元の形に帰ろうみたなことで、もうひとつバンドを作るっていう時に「ベースでやらん?」って。同じアシッド・マザーズ・テンプルって名前の下にいろいろ違う名前がつくっていう形で、僕が入ったのはアシッド・マザーズ・テンプル アンド・ザ・コズミック・インフェルノ。

スタート当時といまではだいぶ感じが変わってると思うんですが。

田畑:変わってますね、最初はもっとワン・グルーヴ一発でハードにやる感じだったんですけど、いちばん大きいのはツインドラムの片方が変わったんですよ。最初はサバート・ブレイズ(SUBVERT BLAZE)の岡野くんと、志村浩二(みみのこと他)さんだった。岡野くんに代わってピカ(あふりらんぽ)が入ってイメージが変わってきましたね。

たしかに、ピカチュウさんの色はかなりありますね。何か大らかな感じがするようになった。いまのレニングラードはいつ頃から今のメンバーになったんですか?

田畑:2004年くらいかな。これがいちばん活動がマイペースで、こうしなきゃいけないみたいなのは全然なくて、ライヴを楽しんでやってる感じですよね。

最近はレニングラードのことを「ジャム・バンド」って言ってますよね。それは昔から感覚としてはそういうものだったけど、当時はそういう言葉がなかったって感じですか?

田畑:そうですね。一般的なジャム・バンドよりはもうちょっと曲があるとは思いますけど。でもそれやったらフィッシュもそうやし、僕らもロック系のジャム・バンドって感じですね。最近はサックスで狂うクルーのアックンが入って。

よりジャム・バンドっぽくなったというか。

田畑:ええ。

ベースを弾いてるバンドだと、最近はグリーン・フレイムス(GREEN FLAMES)がありますね。

田畑:それはほんとについ最近ですね。ハイ・ライズのギターの成田宗弘さんと。ドラムは最初はナツメン(NATSUMEN)の山本達久くんだったんですけど。それがもともとハイ・ライズにいた氏家さんに変わりまして、活動中。

アマゾン・サリヴァはヒデさんがニューヨークから帰ってきて結成したわけですか。

田畑:高校生の頃から知ってるんですけどね、ヒデさんのことは。それでいつの間にかニューヨークに行ったって聞いてて。それで忘れてたんですけどゼニゲバでオルタナティヴ・テンタクルス〉のツアーを回ってたら、ATの次のリリースはこれだって、あの道頓堀のジャケットのやつで。それで「あれ、これって?」と思って裏見たら写真にヒデさんがおるし(笑)。それでイギリスで対バンしたんですよ。イギリスのツアーは全部ウルトラビデといっしょで、アリス・ドーナッツ(ALICE DONUTS)と3バンドで。そのときに久々に会って、またしばらく音信不通になってて。それで帰ってきてるでって話は聞いてたんですけど、東京でウルトラビデの何周年ってことで、オリジナル・ウルトラビデのライヴがモストとかと対バンで、クアトロでやったのかな。そのときに「うち泊まりや」って言ったら泊まりに来たんです。それでいきなりその次の日にイギー・ポップのトリビュート・ライヴみたいなので「ベースで弾き語りしよう思うんやけどいっしょにやらへん?」って言われて、そのままリズムボックス入れてやって。大阪のライヴは対バンがズイノシン(Zuinosin)で、「若くてええのおるやん」ってことで「いっしょにやらへん?」って現ボガルタ(BOGULTA)のナニくんを誘った。

じゃあ結構なりゆきで。

田畑:この前ようやく『AMAZON PUNCH』ってアルバムが出まして。

それまで出してたCD-Rってライヴと全然感じが違いましたよね。

田畑:CD-Rは、物販がないとツアーしてもギャラが......っていう。新人バンドなんで(笑)。いつの間にかたくさん出してますけど、3枚目くらいまで1曲も3人揃ってやってない。

ライヴでヒデさんが「ナニくんの生ドラムを録るのが夢だったんです!」って言ってましたよね。やっぱり基本的にはヒデさんが中心のバンドなんですか。

田畑:全員ヴォーカルは取ってますけど、まあリーダーはヒデさんってことですね。みんな自分のバンドもいろいろあるし、住んでるところもバラバラだから。大阪と京都と東京で、もうツアー・バンドですね。全然新曲が増えない(笑)。もう5年くらい同じ曲やってますね。やらなくなった曲をまた戻したりしてるだけで、ずーっといっしょ。

青春18切符でツアーをするんですよね。

田畑:してますね(笑)、このバンドだけですよ。

あれはヒデさんが言い出したんですか。

田畑:まあそうなんですけど、こないだも疲れたとか言ってサウナに行ってマッサージ受けてるんですよ。その金を回して新幹線乗ったほうがええんちゃうかって言われて、そういえばそうやなって(笑)。18切符の時期しかツアーしてないです。

『AMAZON PUNCH』はたしか高知のレーベルからのリリースですよね。

田畑:高知のカオティック・ノイズっていうところから。

ライヴ・ハウスなんでしたっけ。

田畑:いや、レコード屋ですね。インストアライヴをやってるんですよ。レコード屋の棚を片付けてライヴをやってる。だから週末しかライヴはやってなくて普段はレコード屋。すごくいいレコード屋ですよ、パンク中心で。

あとPagtasはちょうどアルバムが出たところですね(『poi』)。

田畑:〈ペダル・レコード〉から。

昔からやってるバンドというかユニットですよね。

田畑:基本的には坂田律子さんがひとりでやることもあるんですけど、バンド編成でやるときには僕がベースで、NATSUMENの山本達久くんがドラム。それでレコーディングはゆらゆら帝国のエンジニアの中村宗一郎さんが録音してくれました。〈ペダル・レコード〉って中村さんのレーベルなんで。

Pagtasではサポートメンバーみたいな感じなんですかね。

田畑:そうですね、メンバーの都合が悪いときもライヴを断るんじゃなくて坂田さんがひとりでやったりするから。いちばん難しいんですよ、曲が。

独特ですもんね。もともとひとりでやるのが前提で作った曲にメンバーが合わせていく形だからなんですかね。

田畑:拍子とかがクルクル変わるんです、感覚でやってるから。難しいんですよ。

あとWabo-Chaoは。

田畑:それはMandogの宮下敬一くん(ギター)と前にゼニゲバのドラムをやってた藤掛正隆くんの三人で。これは即興ですね。歌ったりもしますけど。活動もそんなに頻繁ではないですけど、今度ダモ鈴木さんがまた来るのでそのときにやります。

あとデュエル(DUEL)っていうのがありますね。

田畑:ああ、あれはギターのケリー・チュルコっていう、オジー・オズボーンのプロデューサーのケヴィン・チュルコの弟なんです。あとASTRO(元C.C.C.C.の長谷川洋、エレクトロニクス)さんとヒグチケイコ(ヴォイス)さんで、これはインダストリアル・ノイズですね。新しく組んだバンドなので、これからです。

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それで河端くんがアシッド・マザーズはいつも吉田達也さんにマスタリングやってもらってるからって言うので、じゃあいつもの調子でお願いしますって言ったら「いつもと全然違うじゃん」(笑)。吉田さんも最初困ってたみたいです。だいたいドラムが入ってないし(笑)。

田畑:それだけやったっけ、バンドって。

まだまだたくさんあるとは思いますけど(笑)、ここらでソロの『ルシファー』の話を聴きたいと思うんですが。


タバタミツル /
ルシファー

map / Compare Notes Records

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田畑:事前に作ってた曲は1曲しかなかったんですよ。ゼニゲバの関西ツアーを3箇所くらいやった後にアシッド・マザーズの河端くんの家の山寺まで行って録音したんやけど、それまで全然準備してなくて。ツアーの最終日が神戸で、打ち上げが朝まであって、酔っ払ってその時にみんなでしゃべってた話を歌詞にしたんです。「キブンハショウニ」ってヤバい歌があるんですけど、それはライヴ・ハウスの店長が何かの拍子に「気分はショウニや」って言ってたから「これや」とか。

今回はソロでは初めての歌ものですが、これまでのソロは全部インストでしたよね。

田畑:今回は〈Mapレコード〉からそもそも歌を入れることって言われてたんですよ。いままでソロは海外のレーベルからしか出してなかったから、日本語で歌うのはどうなんかなってのもあったんですよね。まあギタリストやからギターのアルバムを出さないかんのかなって単純に思って何枚か出してたんですけど。

いままでのソロアルバムと今回のアルバムでは作り方で違いはありましたか?

田畑:まず自分ちで録ってたのと違うのは、帰る日を決めてたんです。だからそれまでにやらなきゃいけない。3日で録ったんですけど、正味2日ですね。毎日終わるたびに鍋とかやってたんでずっと二日酔いで(笑)。声とか擦れてるんですよ。曲はない、アイデアない、ないない尽くしで(笑)。

とてもそうは聴こえないですけどねえ。仕上がりは割と構築感があると思うんですけど。録音がすごくいいですよね、空間処理とか。音数が少ないのも逆にいい。

田畑:それはもうプロデューサーのおかげです。それで河端くんがアシッド・マザーズはいつも吉田達也さんにマスタリングやってもらってるからって言うので、じゃあいつもの調子でお願いしますって言ったら「いつもと全然違うじゃん」(笑)。吉田さんも最初困ってたみたいです。だいたいドラムが入ってないし(笑)。何か参考になるものないかって言ってCD棚探してたけど、「ないな」って。それでレインコーツ出してきて聞いてたんですけど、全然ちゃうやんけ(笑)。

ギター以外の楽器が結構少ないながらも効果的に使われてますが、録音するときには河端さんからのアイデアも結構あったんですか。

田畑:そうですね、それはすごくありましたね。あと自分が弾けない楽器をリクエストしたり。ハーディガーディ弾いてくださいよとか。本当にアイデア無かったので。

「ルシファー」っていうのはどこから来たんですか。

田畑:それは最初から決まってましたね、なぜか。日本語タイトルは"世界最古のヤクザ"で、「ルシファーってヤクザやったんや」っていう(笑)。

何でルシファーなんですか。

田畑:いや、それが何だったのか......悪魔憑きみたいなのに凝ってたことがあったんですよ。エクソシスト系の映画が好きで片っ端から観てたんです。取り憑くやつ。

もともとあった曲っていうのは?

田畑:"海の藻屑"って曲。あとは全部その場で作りました。

"月の石"あたりは結構ちゃんと曲になってるというか、もとからあったのかと思ってたんですけど。

田畑:あれは録る5分前に作った(笑)。かなり焦ってましたね。

歌もので3日間ってすごいですよね。昔のノイ!とかも3日とかで作ってるけど、あれはほとんどインストだから。

田畑:そういうノリで作ってますよ、たぶん。歌は入ってるけど何かワケがわからん音楽なんで(笑)。

たしかにフォーク的な歌ものとは違いますけど、でも歌詞は書いたわけですよね。

田畑:メモ帳が残ってますよ。よく聴くとわかるんですけど、書いて歌ってるのと、頭の中だけでやってるのがあって、書いてないのは歌がちょっと出遅れてるんです。自分だからわかりますけど。よくそんなんで出してくれたな(笑)。

〈Map〉から田畑さんの歌もののソロが出るって話を最初に聞いたのは実は1年以上前なんですけど、随分かかりましたよね。

田畑:だからやるぞって締め切りを作らないとやらないですよ。それまでに準備しとけよって感じですけど(笑)、何かと忙しくて。たくさんバンドやってるのも余裕でやってるように見えるけど結構いっぱいいっぱいなんです。もうわけがわからない(笑)。Pagtasも「パグタスノート」っていうのがあって、そこに自分の演奏メモが書いてあるんです。覚えられないくらい難しいし、それがないと演奏できない。もうそんな状態ですよね。ゼニゲバだけは長くやってるんで身体で覚えこんでますけど、あとは最近やり出したバンドばっかりなんで、曲があるバンドは苦労してますね。

あれだけたくさんのバンドを掛け持ちするっていうのはどういう感じなんですか。

田畑:わけがわからないですよ。

意図して増やそうと思ってたわけでもないんですね。

田畑:まだ楽は楽かもしれないですね。バンド・リーダーとかじゃないんで。

そうか、リーダー・バンドはあまりないですね。

田畑:リーダー・バンドはないけど社長やってるバンドはありますよ。

社長?

田畑:物販の(笑)。リーダーではないけど物販業はずっとやってますね。アシッド・マザーズでもそうだし。

アシッド・マザーズの物販はメルティング・パライソ・UFOのほうは津山篤さんがずっとやってますよね。

田畑:津山さんはたとえマジソン・スクエア・ガーデンでやっても、物販は俺がやるって言ってますね(笑)。

出番までにステージに行くのが大変ですよね(笑)。それでは今後のリリース予定とかを最後にお聞きしたいと思いますが。

田畑:まずこないだ『ルシファー』の後に『Mankind Spree』っていうソロアルバムが出ました。それはインストゥルメンタルで。

いろいろゲストが入ったりしてますよね。

田畑:そうですね、山本達久くんとか、一楽誉志幸くん(FRATENN他)とか、アシッド・マザーズのシンセの東洋之くんとか。あとはPagtasが出たところで、11月に20ギルダーズ。それとGREEN FLAMESを録音するかも。ゼニゲバは今月、イギリスのバーミンガムでスーパーソニックっていうフェスに出ます。対バンがスワンズにゴッドフレッシュにナパーム・デス(笑)。「いつやねん」っていう、どれも微妙に古い(笑)。メルト・バナナもいっしょですね。あ、そのときノイ!も出るんですよ。ミヒャエル・ローターがノイ!の曲をやるっていう。20ギルダーズのレコ発ツアーもやりますね。それは国内ですけど。帰ってきてすぐなんですよ、ゼニゲバのツアーから。かなり音楽性が違うんで頭切り替えんと。その後、11月25日にゼニゲバで初のワンマン・ライヴが新大久保のアースドムであります。

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