Home > Interviews > interview with OTO - 抵抗と永遠のリズム
![]() サヨコオトナラ トキソラ ApeeeRecords |
よく晴れた心地よい日曜日の野音、お昼前、芝生の上に座ってサヨコオトナラのライヴを観る。OTOのアコースティックギターと奈良大介のジンベはそれがたったふたつであることが信じられないように、豊饒なリズムを創出する。アフロ、奄美の島唄、カリブ海、盆祭り、阿波踊り......ステージの中央にいるサヨコはいわばシャーマンだ。彼女は......物部氏と蘇我氏の争い以前の世界の、たとえば縄文時代のアニミズム的な宇宙を繰り広げているように僕には見える。いわばコズミック・ミュージック、強いて言うならアシッド・ダンス・フォーク、もし誰かがシンセサイザーを入れたらこれはクラウトロックと分類されるかもしれない。
ステージの前にはただ酒がふるまわれている。若い子連れの姿が目立つ。OTOは、じゃがたら時代と寸分変わらぬ動きでギターを弾いている。楽しそうに、リズムに乗っている。奈良大介は複数の楽器を器用にこなす。サヨコは実に堂々と、彼女のコズミックな歌を、そしてソウルフルに披露する。最初は座って聴いていたオーディエンスだが、その音楽の魅力にあらがえず、やがて立ち上がり、しまいにはステージのまわりで多くの人たちがダンスする羽目となった。ちなみに彼らの音楽は、僕の文章から想起する以上に、モダンである。
サヨコオトナラは、日本全国に拡散しているオルタナティヴなコミュニティを渡り歩いている。これは、はからずともUSアンダーグラウンドのフリー・フォークにおける旅しながら演奏してCDRを売っていくスタイルと同じだ。それをいま、元じゃがたらのギタリストと元ゼルダのヴォーカリストがやっているのはなんとも興味深い話である。
![]() エド&じゃがたらお エド&じゃがたらお春LIVE ディスクユニオン |
2010年は江戸アケミ没後20年ということで、お春時代のじゃがたらのライヴ盤がリリースされることになった。アルバムには、80年代の日本を駆け抜けたこのバンドの、もっとも初期のエネルギーが詰まっている。そして『エド&じゃがたらお春LIVE』の1ヶ月前には、サヨコオトナラのセカンド・アルバム『トキソラ』が発表されている。バブルに浮かれた80年代の日本において日雇い労働者の町として知られる寿町でフリー・コンサートを開いた"いわば反体制的な"バンド、そして21世紀の日本で全国の小さなコミュニティを旅するスピリチュアルなバンドとのあいだには、もっと多くの言葉が必要ではないかと僕は考える。それはこの国のカウンター・カルチャー(と呼びうるに値するもの)において、極めて重要な一本のラインだからである。
いずれにしても、現在、熊本で暮らしているOTOに話を訊けることは、僕にとって光栄なこと。実をいうと、この偉大なギタリストとは『エド&じゃがたらお春LIVE』のブックレットのために数か月前に会って、この取材の前日にも会って話している。たくさんのことを話し、そして例によって僕はビールを飲みながら話したために、内容がとっちらかってしまった(隣にはあのうっとおしい二木信がいたし......)。
......が、心配は無用です。僕たちにはひとつの言葉があるのです。「狂気時代の落とし子たちよお前はお前のロックンロールをやれ/答えなんかあの世で聞くさ」
彼が亡くなってからずっと、いまでもアケミの詩集を読み返すんだよ。そうすると、当時気にならなかったフレーズが、10年後に気づくとか、13年目に初めてわかってくるとか......、あるんだよ。たとえば「業を取れ」とか「微生物の世界」という言葉とか、「俺は音楽とか止めて百姓やりたいよ」とかさ(笑)。
■じゃがたらお春のライヴ音源が出ることになった経緯からお願いします。
オト:じゃがたらが影響保存されて20年になるんで、なんかやりたいなと、去年からずっと考えていたんだけどね。そうしたら、昔、BMGでじゃがたらのディレクターをやっていた方から、トリビュート盤の企画をいただいたのね。トリビュート盤に関して、僕がどうこう意見を言える立場ではないんだけど、僕がちょっと失礼な発言をしてしまったんです。で、それがぽしゃってしまって......、じゃがたらの残ったメンバーと大平さんという『南蛮渡来』の頃にマネージャーやっていた人なんだけど、いまでもすごく応援してくれてね、僕らを育ててくれたような人なんですけど、彼らとも話をしていて、彼らはやっぱ若い世代に伝えたいという意見だったんだけど、僕がトリビュート盤の企画をダメにしちゃったから。
■「トリビュート盤なんてダメだ!」って言ったんですか(笑)。
オト:失礼な言葉を言ってしまったんです......「クソみたいなのを作られてもなー」みたいな(笑)。
■ハハハハ。
オト:いや、その企画がクソだと言ったわけじゃないんだよ。
■わかります。トリビュート盤ってたくさん出回っていますけど、アルバムのなかに必ず「この人ホントにトリビュートの気持ちがあってやってるのかな?」というのが入っているし、誠実さの問題としても難しいところがありますよね。ホントにカヴァーしたい人が参加できなかったりすることもあるし。
オト:誠実さが大事ですよ。
■ただ、いまの時代、じゃがたらをトリビュートすることは面白いとは思いますけどね。
オト:うん、人気がある人たちがカヴァーやってくれて、それで若い世代へと広がるというのはひとつの考え方としてわかるけど、それは僕の考え方ではない。そんなことで時代は動かない。
■まあ、そうですけど。
オト:そういう風に売れるってことに意味を感じていないんだよね。そんなところに頼りたくはないというかね。実際に、ライヴでじゃがたらの曲を演奏している人たちとか知っているけど、そういう風に、本当にやりたいのならやって欲しいなと思うけど。ただ、生き様にも何もならないようなことはいい。企画があるからやりましたというのが出てくるのが嫌だったから。まあ、ありがたい話だとは思うんですけどね。こんなご時世に、じゃがたらのトリビュート盤を作ったところでレコード会社が儲かるわけじゃないし。
■それで、結局、じゃがたらお春のライヴをCD化することになったんですね。
オト:うん、これはでも、前から出したいと思っていたんだよ。
■オトさんと知り合ってから10年以上経ちますけど、オトさんがどんどんじゃがたら化しているように思うんですよ。
オト:そう? だったら嬉しいね。
■江戸アケミさん化している?
オト:いやいや、アケミはスペシャルな人だったから(笑)。ただね、彼が亡くなってからずっと、いまでもアケミの詩集を読み返すんだよ。そうすると、当時気にならなかったフレーズが、10年後に気づくとか、13年目に初めてわかってくるとか......、あるんだよ。「いままでこう思っていたけど、実はその奥にはこういう意味があったんだ」とかね。たぶん、じゃがたらのファンの人にもそういう思いは巡っているんじゃないのかな。僕は僕なりに読んで、自分のなかにアケミの詞でキーワードみたいに引っかかる言葉があって、それを無意識に追いかけていったらいまの僕がいるという感じで、だから、やっぱ影響は大きいと思うんだよね。たとえば「業を取れ」とか「微生物の世界」という言葉とか、「俺は音楽とか止めて百姓やりたいよ」とかさ(笑)。亡くなる3日前の鮎川(誠)さんとの対談で、話が途切れたときに空を見つめるように「いやー、これからは緑というのがテーマになるような気がするんだよね」と言っていたこととか。そのときアケミはその「緑」についてうまく言語化できなかったけど、本当はもっと言いたいことがあったと思うんだよね。ただ当時は、「そんなことを言ったって、どうせおまえらわからないだろ」というような、アケミと他のメンバーとのあいだの決定的な距離というものがあってね。だからアケミは僕らには説明しなかったのかもしれないけど。
■でも、いまの話はまさにオトさんの現在やっていることと結びついている話ですよね。
オト:うん、そうだよね。
文:野田 努(2010年11月17日)