「ZE」と一致するもの

TESTSET - ele-king

 TESTSETのセカンド・アルバム『ALL HAZE』。これは本当に見事な作品だ。名盤といっていい。現代のニューウェイヴの理想形、あるいは理想郷と呼ぶべきアルバムである。私はアルバム・リリース以来、何度も聴き返しているが、いまだ飽きることがない。
 音色、音の質感、構造、緻密さ、リズム、メロディ、ノイズ、声。そのすべてが精巧に組み立てられ、バンドの有機的な推進力を生んでいる。1曲目 “Dry Action Pump” を再生すれば、気づけばラストの “Initiation” まで一気に聴き通してしまう。その構成の見事さと音の快楽。そのまま頭に戻り、再び再生してしまうほどだ。
 メンバーは言うまでもなく、LEO今井、砂原良徳、永井聖一、白根賢一の4人。METAFIVEからLEO今井と砂原が独立し、サポートだった永井と白根を正式に迎えて始動したバンドである。だが、いま彼らにMETAFIVEの影を重ねることに意味はない。TESTSETはすでに、完全に自律したバンドという有機体へと進化している。
 確かにファースト・アルバム『1STST』も秀逸だった。だが『ALL HAZE』は、さらにその上をいく。現在進行形のバンドとしての「逞しさ」を手にした作品といえよう。ここであらためて、このバンドの中核にいる砂原良徳という存在から、その到達点を見てみたい。
 砂原良徳は、YMOそのままの音を決してそのまま再現しない音楽家だ。世界有数のYMOマニア(YMOカルトキング!)であり、メンバーのソロ作品のリマスタリングも手がけてきた人物でありながら、彼自身の音は再現ではなく再構築である。電気グルーヴでもソロでも、影響を独自の濾過装置に通し、浄化し、別次元へと変換してきた。彼の音には確かなシグネチャーがある。聴けばすぐに「あ、砂原の音だ」とわかるが、その特徴を言語化することは難しい。明確でありながら不定形。ジャンルにもフォーマットにも収まらない。その不定形さこそ、彼のポップ・アート的な本質であり、モダン・ニューウェイヴの核心にある要素だ。

 そんな彼が例外的にYMOの遺伝子を強く意識したのがMETAFIVEだった。高橋幸宏のバンドであった以上、それは必然でもある。だがTESTSETは異なる。同じく多層的なサウンドでありながら、よりモダンで開かれた均衡を志向している。砂原のみならず、LEO今井、永井聖一、白根賢一、それぞれが「ズラす」ことを恐れず、ズレながらも一体化している。そこにバンドとしての統合がある。『1STST』がまだ名刺代わりだったとすれば、EP「EP2 TSTST」(2024)を経た今作では、完全に4人の共同体として結実した。LEO今井+砂原良徳という出発点から、永井と白根を含む有機的なユニットへと進化したのだ。
 『ALL HAZE』は、その進化の証だ。LEO今井の痙攣的なダンディズムと、権威への抵抗を孕んだ歌詞はさらに研ぎ澄まされ、その声がバンドの顔として機能している。永井聖一のギターは、令和の布袋寅泰(いや、本当にそう思うのだ)を思わせるような音色と存在感を放ち、白根賢一のドラムはニューウェイヴ的な硬質のグルーヴを描き出す。そして砂原良徳のシンセ・ベースが、バンドのもうひとつのアイコンのように鳴り響く。個々の演奏者としての力量が、ひとつの生命体のように融合している。
 加えてサウンド・デザイナーとしての砂原は、各メンバーの音を際立たせつつ全体を統制し、俯瞰的に構築している。YMOの系譜を継ぎながらも、METAFIVEの物語(あるいは呪縛)から自由になり、TESTSETとしてのモダン・ニューウェイヴを確立した作品、それが『ALL HAZE』である。もちろん、現代の音楽にアーカイヴ意識が皆無なわけではない。『ALL HAZE』にはウルトラヴォックス『Vienna』やデペッシュ・モード『Violator』の気配が漂う。80年代的な構築美と緊張感を、21世紀の音像でアップデートしている。これこそがモダン・ニューウェイヴの実践である。
 “Dry Action Pump” や “Deleter” ではLEO今井のヴォーカルが圧倒的な存在感を放ち、“Neuromancer” では永井聖一の透明な声が浮かび上がる。どこかニューウェイヴ/ニューロマンティックな気配を湛えたこの曲は、本作の象徴的な名曲だ。同じく永井作の “Rabbit Hole” ではデペッシュ・モード的な質感が広がり、永井の存在感がさらに強く響く。LEO今井、永井聖一、砂原良徳による共作 “Coptic Feet” は、90年代テクノ的トラックの上で三者の個性が交錯する佳曲だ。そして白根賢一作曲の “The Haze” は叙情的で胸に迫るエレクトロニックなネオアコ風味の曲。そしてラストを飾る砂原によるインスト “Initiation” は、彼なりのニューウェイヴ論として、わずかに不穏な余韻を残して幕を閉じる。
 現在のTESTSETの魅力は、この絶妙なバランス感覚にある。だから聴き飽きないのだ。個々の霧が拡散しながらも、どこかで結び合うような流動的な進化を遂げた。TESTSETは、その発生の経緯からしても特異なバンドであったが、今、真の意味でバンドになった。そしてその音は、唯一無二の現代的なニューウェイヴ・サウンドとして響いているのだ。

 砂原良徳は過去を継承しつつ、決して「そのまま」をやらない音楽家である。その精神はTESTSETでも貫かれている。彼は俯瞰しながら自らを霧のようにバンドに溶け込ませ、新しい音の未来を構築していく。彼は、そしてTESTSETは、ニューウェイヴを更新し、現代における最高の形で結実させたのである。

 2025年11月4日、200万人を超える有権者が、民主社会主義者ゾーハラン・マムダニをニューヨーク市の新市長に選出した。
 街の空気は歓喜に満ちていた。深夜を過ぎても人びとの歓声が響き、ブルックリンの自室からさえ聞こえたほどだ。おそらく、それはマムダニが多くの人にとって「消極的選択」ではなく、理想的な候補だったからだろう。
 じっさい彼の主な対立候補は、腐敗し、女癖が悪く、性的加害者でもあるアンドリュー・クオモだった。彼はCOVID政策によって1万5千人もの高齢者を死に追いやった人物である。クオモは「SAY NO TO ZO(ゾーにノーを)」という露骨なスローガンを掲げ、無所属として出馬した。言うまでもなく、この失墜した元州知事は9%の大差で敗れ、共和党の牙城であるスタテン島でのみ辛うじて過半数を得ただけだった。
 だが、そもそもなぜ共和党員たち──ドナルド・トランプ本人を含めて──は、じっさいの共和党候補(第三の奇策候補、カーティス・スリワ)を批判し、三代にわたってニューヨーク州民主党政治に深く関わってきた「無所属」候補クオモに投票するよう呼びかけたのだろうか?1
 ニューヨーク市において、民主党と共和党のあいだの従来の党派の境界線が正式に崩壊しつつあるいま、真の政治的分断が明らかになっている——それは、富裕層の利益を守る金権政治に深く根ざした候補者たち(クオモやトランプのような)と、労働者階級を守るためにアメリカの政治的体制そのものを真剣に脅かす候補者たち(マムダーニ、そして言うまでもなく2016年の大統領選におけるバーニー・サンダースのような)との対立である。

 多くのアメリカ人は、民主主義と資本主義を混同している。制限なく富を追求できることこそが民主社会における自由の証だと信じているのだ──たとえ自分たちの生活がつつましいものであっても。
 私はかつて父にこの混同を問いただしたことを覚えている。私はこう説明した。資本主義は必然的に独占に行き着く。独占は「選択」という民主主義の根本理念を狭めてしまうのだと。父は笑い、心を開いたようで、ただ一言こう返した。「A+だな」
 アメリカの政治もまた同じように独占されている。「よりマシな悪を選ぶ」というお決まりの構図だけでなく、共和党と民主党がじつは同じ企業支配のコインの表裏に過ぎない、というあまりに明白な現実によってもそれは表れている。両党は献金者やロビイストの利益を守り、その結果、アメリカ国民の大多数が犠牲になっている。
 たとえば、アンドリュー・クオモの選挙資金の多くは億万長者のスーパーPACから供給されていた。一方、マムダニの選挙運動は、彼のために戸別訪問を行った10万人以上の草の根ボランティア集団によって支えられていた。
 さらに、マムダニの掲げた「私たちが住める都市(A City We Can Afford)」というメッセージは、ニューヨークが直面するもっとも差し迫った問題──すなわち、800万人の住民のうち200万人が貧困ライン以下で暮らし、ワンルームアパートの平均家賃が月4,000ドル(約61万6千円)に達しているという「手の届かない都市」の危機──をまさに突いていた。これはまさしく「アフォーダビリティ・クライシス(生活費危機)」である。
 金持ちへの課税、保育の無償化、無料のバス運行──こうしたマムダニの主要な公約は、本来であれば「急進的」と見なされるべきではない(なぜなら、これらの施策は他の多くの国々ではすでに実現しているものだからだ)。
 だが、資本主義と民主主義をいまだに同一視し、「トリクルダウン経済」の約束にすがる多くのアメリカ人にとっては、マムダニの構想は「成功者への罰」のように映るかもしれない。じっさい、「悪しき政府が勤勉な民間市民の財産を奪う」という観念こそ、アメリカに長らく根づいてきた社会主義への恐怖の中核をなしている。
 選挙後、保守系メディアはすでに「富裕層のニューヨーカーたちはマムダニの課税案を避けるために街を脱出し、結果的に西洋世界の金融首都は壊滅的な経済的打撃を受けるだろう」と騒ぎ立てている。
 しかしマムダニ自身が人気番組『ザ・デイリー・ショー』の司会者でありコメディアンでもあるジョン・スチュワートに説明したところによれば、彼の意図はきわめて穏当だ。年収100万ドル以上の人たちに対してわずか2%の増税をおこない、法人税率を11.6%に引き上げるだけだという。そして彼は冗談めかしてこう指摘した──その税率は「社会主義共和国ニュージャージー(お隣の州)」とまったく同じだ、と。
 母の言葉を借りれば──「分かち合えない成功に、いったい何の意味があるの?」
 それに、あの億万長者たちは自分たちの労働者のおかげで金持ちになったんじゃないの?

 はぁ……悲しいことに、「富裕層の1%よりも労働者階級を優先する政治家」という発想は、現実にはいまもなお“急進的”な逸脱と見なされている──おそらくだからこそ、マムダニの構想は、(もちろんそのマスメディアは例によってあのうるさい億万長者たちの所有物なのだが)「せいぜい実現不可能な夢」「最悪の場合は危険思想」としてこき下ろされているのだ……。
 いや、そこに「古典的な人種差別」も加えておこう。
 率直に言って、イスラム教徒の移民が、政教分離の理念をほとんど忘れ去ったこの国で(マムダニがどの神を信仰していようと、そんなことどうでもいいはずだ)市長の座を勝ち取ったことを、私たちは祝うべきだ。
 しかもここは、自由の女神像を擁する都市なのだ。

 さて、ここで私は白状しよう。私は政治との関係に複雑な思いを抱いている。
 というのも、私がこれまで出会ったなかでもっとも不寛容な人びとの一部は、進歩主義者たちだった──これは誇張ではない。ほんの数か月前のことだ。私は敬愛する進歩派の友人に、97歳になる私の大叔母の話を嬉々として語った。彼女は生涯を通じて共和党支持者だったのだが、「トランプはアメリカに起こった最悪の出来事だ」と宣言したのだ。私は興奮していたし、これは良い兆候だと考えた。アメリカ(および資本主義社会全体)を蝕む問題が、もはや単純に「共和党」対「民主党」という二分法では整理できなくなっている証だと思ったのだ。だが、友人の反応はこうだった。「ふうん。でも彼女がそのほかの人生で共和党に投票し続けたなら、別に希望は感じないけどね」
 また別の「超」進歩派の(元)友人にはこう言われたこともある。
 「白人であるあなたは、奴隷制に対してカルマ的責任を負っているのよ。」
 ……それって、「進歩的」というよりも「懲罰的」じゃない?
 私はまた、進歩派の政策がしばしば、学歴的にも経済的にも恵まれた人びとの閉じた共鳴空間のなかで構想され、理論上は「正しいこと」を目指していても、現実的な実行への配慮が欠けているのではないか、とも恐れている。たとえば「警察予算を削減せよ(Defund the Police)」運動は、アメリカの都市部に住む有色人種のあいだで驚くほど物議を醸した。なぜなら、十分な社会改革が伴わないまま警察の役割を縮小すれば、犯罪が増加するのではという不安があったからだ。
 そして2023年の『ニューヨーク・タイムズ』によれば、まさにその懸念は現実となった(注目すべきは、マムダニ自身も選挙が近づくにつれて警察批判をやや穏健なトーンへと修正した点だ)。
 さらに言えば、マムダニは移民ではあるが、彼自身こう語っている──映画監督と大学教授の両親に支えられ、裕福で一流の教育を受けて育った、と。
 だから、正直に言おう。貧困ライン以下で育った私としては、「一生セーフティ・ネットのなかにいた裕福な子どもが労働者階級を代表する」と自任することに、どこか懐疑的で、あるいは反感すら覚える部分もある。
  だが、いっぽうで──少なくとも誰かが、ニューヨーク(そしてアメリカ)における富と権力の不均衡に真正面から取り組もうとしている。そのこと自体は、称賛すべきことではないだろうか。私自身の境遇はさておき、もっと大きな部分で、私はこの政治家を誇りに思っている。その名はゾーハラン・マムダニだ。
 ……いや、カーティス・スリワも、少しだけ。
 二人の候補はすべての点で意見が一致していたわけではないが、どちらの選挙運動も生活費の高騰を中心課題とし、どちらもドナルド・トランプから攻撃を受け、そしてどちらも「ホームレス問題など、地域社会の課題を警察が過剰に負担している」という認識で一致していた。
 ただし、スリワは「警察官を増やすことが解決策だ」と考えているのに対し、マムダニは彼の最良の政策だと私が思う構想を掲げている──すなわち、「行動的健康緊急支援課(Behavioral Health Emergency Assistance Response Division)」を新設し、精神衛生の危機に対処する専門チームを配置することで、十分な訓練を受けていない警察の負担を軽減するという計画だ。政策上の違いはあれど、この“昔ながらの共和党員”と“民主社会主義者”は、ニューヨークが直面する主要な問題について──とくに「いわゆる穏健派」アンドリュー・クオモへの共通の嫌悪──で一致している。

 それって、すごいことだ。

 マムダニの当選によって、「左」と「右」を分ける線は、これまでになく刺激的な形でぼやけはじめている。新しいニューヨークの夜明けにあたって、私はマムダニが、自らの歴史的勝利を正当に導いた理想を現実のものにしてくれることを願っている。また、進歩派が、これから拡大していく「二項対立を超えた政治的基盤」と真摯に結びつく機会を大切にしてほしい。
 そして──民主社会主義者として史上初めてニューヨーク市長に選ばれ、かつ前例のない草の根運動で勝利したこの人物が、「富豪支配は避けられない運命ではない」という事実を、他の民主主義国家にも示してくれることを願っている。

¹ トランプの公式な支持声明によれば:「私は、成功の実績を持つ民主党員が勝つ方がはるかに望ましい。あなたが個人的にアンドリュー・クオモを好きであろうとなかろうと、他に選択肢はない。彼に投票し、素晴らしい仕事をしてくれることを願うべきだ。彼にはそれができる。マムダニにはできない」


Bridging the Political Divide: On Zohran Mamdani Winning New York’s Mayoral Election


by Jillian Marshall, PhD

On November 4th, 2025, over two million voters elected Zohran Mamdani — a Democratic Socialist — as the new mayor of the New York.
The mood in the city was ebullient: I heard people cheering well past midnight, even from inside my Brooklyn apartment. Perhaps this is because Mamdani was many people’s ideal choice, rather than the mere “lesser of two evils.” Indeed, his primary opposition — the corrupt, philandering sexual predator Andrew Cuomo, who sent fifteen thousand seniors to their deaths with his covid policies — ran as an Independent, and with the explicit campaign slogan of “SAY NO TO ZO.” Needless to say, the disgraced former governor lost by a hefty 9% margin, and only gained a majority of votes in Staten Island: New York’s Republican stronghold.
But why did Republicans, including Donald Trump himself, denounce an actual Republican (the wild card third candidate of Curtis Sliwa), and urge people to vote for an “Independent” candidate who’s actually steeped in three generations of Democratic New York State politics?1
With the traditional party lines between Democrats and Republicans in New York City officially crumbling, the real political divide is revealed: candidates entrenched in the plutocracy who protect the interests of the rich (like Cuomo and Trump), and those who seriously threaten the American political establishment to protect the working class (like Mamdani— and Bernie Sanders before him in the 2016 presidential election, for that matter).
Many Americans confuse democracy with capitalism, believing that the ability to pursue wealth without restriction represents the freedom afforded by a democratic society— even if they themselves live modest lifestyles. I remember challenging my father on this conflation. I explained that capitalism inevitably leads to monopoly, which limits the principles of “choice” on which democratic ideals hinge. He laughed and, with his mind successfully opened, said just one thing in response: “A+.”
American politics are similarly monopolized, as expressed not only with the “lesser of two evils” conundrum, but also with the increasingly obvious truth that the Republican and Democratic parties are two sides of the same corporate coin that protect donor and lobbyist interests, at the (literal) expense of the American majority. For instance, Andrew Cuomo’s campaign received much of its funding from billionaire super PACS, while Mamdani’s campaign was defined by its grassroots troupe over 100,000 volunteers who canvassed on his behalf. What’s more, Mamdani’s message of making this “A City We Can Afford” addresses arguably the most pressing issue facing New York: two of its eight million residents live in poverty, and the average rent for a one bedroom apartment is $4000 (about 616,000 JPY) a month. This is nothing short of an
1 As per Trump’s official endorsement: “I would much rather see a Democrat, who has had a Record of Success, WIN. Whether you personally like Andrew Cuomo or not, you really have no choice. You must vote for him, and hope he does a fantastic job. He is capable of it, Mamdani is not.”

affordability crisis.
Taxing the rich, offering universal childcare, and providing free bus services — among Mamdani’s biggest promises — shouldn’t be considered radical proposals (especially when such amenities exist in many other countries). Yet for the many Americans who still equate capitalism with democracy (and cling to the promises of “trickle down economics”), Mamdani’s ideas may seem like punishing the successful. In fact, the notion that an evil government will steal hard- working private citizens’ riches defines the US’s long-standing fear of socialism. Post-election, conservative media outlets are already claiming that wealthy New Yorkers will flee the city to avoid Mamdani’s proposed tax hikes, which they predict will economically devastate the financial capital of the Western World. But as Mamdani explained to Jon Stewart — a comedian news anchor who hosts a popular program called The Daily Show — he only wants to raise taxes 2% for people making over a million dollars a year, and raise the corporate tax rate to 11.6%— which, he jokingly points out, is identical to those in “the socialist republic of New Jersey,” New York’s neighboring state.
To quote my mother: what’s success if you can’t share it? And didn’t those billionaires get rich off their workers?
Sigh... the sad truth is that it IS a radical departure for a politician to prioritize the working class above the 1%— and maybe that’s why media outlets (owned by those pesky billionaires, naturally) are smearing Mamdani’s vision as unattainable at best, and dangerous at worst ... well, alongside the media’s ol’ fashioned racism. Full stop: we should celebrate that a Muslim immigrant won the mayoral seat in a country that’s all but forgotten about the separation of church and state (who cares what God Mamdani worships?), and in a city home to the Statue of Liberty.
Now, I’ll admit that I have a complicated relationship with politics. I’ve found progressives to be some of the most intolerant people I’ve ever met— and that’s not an exaggeration. Just a few months ago, I shared with a dear progressive friend of mine how proud I was that my 97 year- old, lifelong Republican great aunt declared Trump the worst thing to ever happen to America. I was excited, and considered this a positive sign that the issues plaguing the US (and capitalistic societies more generally) are no longer neatly divided into “Republican” and “Democrat”. But my friend simply remarked, “Well, since she voted Republican for the rest of her life, I’m not exactly encouraged.” Another time, an ultra-progressive (former) friend told me that, as a white person, I’m “karmically responsible for slavery.”
This is more punitive than progressive, no?
I also fear that progressive policies, so often conceived in an echo chamber of the academically and socioeconomically privileged, strive to do the right thing in theory, but have limited regard with practice. The Defund the Police movement, for example, was surprisingly controversial amongst people of color in American cities because of the fear that crime would spike without adequate social reform to take policing’s place— and according to the New York Times in 2023, that’s exactly what happened (worth noting is Mamdani adopted a more moderate critique of police closer to the election). And while Mamdani is an immigrant, he openly admits that, with

supportive filmmaker/professor parents, he was raised with money and access to first-class education. So, I won’t lie: as someone who grew up below the poverty line, a part of me is skeptical or even resentful of a rich kid with a life-long safety net taking it upon himself to represent the working class.
But on the other hand... at least someone’s committed to taking on the imbalance of wealth and power in New York (and the US) in a meaningful, direct, way. My personal background aside, an even bigger part of me proudly recognizes that politician as Zohran Mamdani.
Well, him and Curtis Sliwa, in a weird way. While the two candidates didn’t see eye-to-eye on everything, both centered their campaigns around the cost of living, both were attacked by Donald Trump, and both agree that police are overburdened with tackling homelessness and other community issues. But whereas Sliwa believes that more police are the solution, Mamdani plans to implement what I think is his best policy: creating a Behavioral Health Emergency Assistance Response Division to address mental health crises and take the burden off woefully unequipped police officers. Their policy differences aside, the old school Republican and the Democratic Socialist agree on key issues facing New York — starting with their mutual disdain for the so-called “moderate” Andrew Cuomo.
And that is amazing.
With Mamdani’s election, the lines between Left and Right are beginning to blur in an exciting new way. In the dawn of a new New York City, I hope Mamdani can bring to life the visions that rightfully earned him his historic win. I also hope that progressives embrace opportunities to connect with a growing, post-binary political base— regardless of what, hopefully, are increasingly irrelevant party lines. And I hope that the incumbent Democratic Socialist mayor of New York City, who won with his unprecedented grassroots campaign, inspires other democracies that plutocracy need not be inevitable.

『マザーシップ・コネクション』50周年記念号
Pファンク研究の第一人者、河地依子監修による永久保存版

パーラメント/ファンカデリックのほぼ全ディスクをはじめ、メンバーのソロ作品もほとんど網羅。総数200枚近くのPファンクの宇宙を大紹介!

ジョージ・クリントンの貴重なインタヴューも2本再録

執筆:河地依子、春日正信、新田晋平、野田努、二木信、ニール・オリヴィエラ、小林拓音
写真:石田昌隆、ほか

菊判/224ページ

刊行に寄せて

目次

【ディスクガイド・ヒストリーほか】
文:河地依子・新田晋平・春日正信・野田努・二木信・小林拓音

Chapter 1 前史 1955~
Chapter 2 ファンカデリック始動 1970~
Chapter 3 黄金時代 1974~
Chapter 4 ジョージのソロ活動 1981~
Chapter 5 Pファンクの復活 1989~
Chapter 6 再評価の波 1996~
Chapter 7 新世代との融合 2009~
Chapter 8 主要メンバーたちのソロ活動

【コラム】
楽しいPファンク(河地依子)
Pファンクとデトロイト・テクノ、あるいはメタ化されたファンク(野田努)
ヒップホップ世代に継承されるPファンク(二木信)
ジョージの自宅訪問記(河地依子)
Pファンクが解放したもの、身をもって変革したこと(ニール・オリヴィエラ)

【インタヴュー】
ジョージ・クリントン 1992(河地依子)
ジョージ・クリントン 1994(河地依子)

人物紹介(河地依子)

著者プロフィール

オンラインにてお買い求めいただける店舗一覧
amazon
Rakuten ブックス
7net(セブンネットショッピング)
ヨドバシ・ドット・コム
Yahoo!ショッピング
HMV
TOWER RECORDS
disk union
紀伊國屋書店
MARUZEN JUNKUDO
e-hon
Honya Club

全国実店舗の在庫状況
紀伊國屋書店
三省堂書店
丸善/ジュンク堂書店/戸田書店、ほか
有隣堂
くまざわ書店
TSUTAYA
大垣書店
未来屋書店/アシーネ

 なぜレディオヘッドはこんなにも音楽偏執狂を惹きつけるのか。筆者にとって、彼らはずっと気になる存在だ。筆者とレディオヘッドとの出会いは『OK Computer』にさかのぼる。このアルバムを1997年の発売当時に聴いて以来、ロックに限らず、音楽全体の潮目が確実に変わったのだと感じた。このアルバムの各曲は基本的にロックのフォーマットを維持しつつも、一度聴いただけでは全体を把握できない複雑さを秘めている。そして、この傾向は、その後の『Kid A』(2000)、『Amnesiac』(2001)のなかでますます顕著になっていく。以来、レディオヘッドは筆者にとって常に注意を払うべき存在となった。曖昧な調性、微分音の使用、複雑に聴こえるリズムと拍子、次々と新たな部分へと進むので何度も聴かないと覚えられない構成など、彼らの音楽はロックのセオリーを易々と逸脱し続ける。そのたびに聴き手は驚き、戸惑いながらも、一緒に歌ったり、手拍子を打ったり、音楽を身体に染み込ませる。
『OK Computer』がリリースされた1997年は、コーネリアス『Fantasma』、ビョーク『Homogenic』、プロディジー『The Fat of The Land』、ステレオラブ『Dots and Loops』といった、1990年代後半を代表するアルバムがいくつもリリースされた年だ。それは同時に、「オルタナティヴ」とされていたものが音楽的にも商業的にもメインストリームになったことを意味する。
 1990年代後半の「オルタナティヴ」の回想はさておき、レディオヘッドはロックと他のジャンルとの距離を縮めるどころか、その境界さえも曖昧にしてしまった。ポップあるいはロックと他のジャンル、とりわけ現代音楽との接近について、音楽批評家のアレックス・ロスは次のように記している。

二一世紀が始まったいま、クラシック音楽とポップ文化を対立させようという欲求は、もはや知的にも感情的にも意味を持たない。若い作曲家たちは、ポップ・ミュージックを耳にしながら育っていて、その場の求めに従って、それを利用したり無視したりする。彼らは知性の活動と街のノイズの中間地点を求めている。それと同じように、二〇世紀音楽、現代のクラシック音楽にたいする活発な反応は、大雑把な言い方だが、ポップ界から起こっている。ソニック・ユースの微分音調律、レディオヘッドの豊かな和声的手法、マスロックとインテリジェント・ダンス・ミュージックの崩れて急速に変化する拍子記号、スフィアン・スティーヴンズとジョアンナ・ニューサムの歌を支える哀愁に満ちたオーケストラの編曲。これらすべてが、クラシックとポピュラーの伝統のあいだで長いあいだ交わされてきた対話を引き継いでいる。(アレックス・ロス『20世紀を語る音楽』第2巻、柿沼敏江訳、みすず書房、2010年、570頁。原書はThe Rest Is Noise: Listening to the Twentieth Centuryとして2007年出版。)

「大融合」を目的の1つとする20世紀音楽(ロス、同前、571頁)以降、クラシックもポップも同じ言語で対話できるようになった。ここでいう「対話」を体現しているのがジョニー・グリーンウッドの活動である。グリーンウッドの映画音楽を高く評価する作曲家スティーヴ・ライヒは、彼との対談で、「あなたには、少なくとも二つの音楽的な人生があるように感じます。」(スティーヴ・ライヒ『スティーヴ・ライヒ対談集』大西穣訳、左右社、2025年、208頁)と述べた。自身もクラシック音楽と他の様々な音楽のバックグランドを持つ彼は、グリーンウッドに強いシンパシーを抱いているのだろう。2011年にグリーンウッドは、生演奏のギターのパートと、事前に録音したギター10パートとベース2パートによる、ライヒの“Electric Counterpoint”(1987)を演奏した。かたやライヒはレディオヘッドの“Everything In Its Right Place”と“Jigsaw Falling Into Place”を選び、この2曲をいったん更地に戻して彼の様式で再構築したアンサンブル曲“Radio Rewrite”(2012)を作曲した。
 ライヒの他にも、グリーンウッドは現代音楽との対話を続けている。ポーランドの作曲家クシシュトフ・ペンデレツキとの共同作業(2012年に2人の名義でアルバムがリリースされた)や、彼が敬愛する作曲家オリヴィエ・メシアンの楽曲で知られる電子楽器、オンド・マルトノ(1)をレディオヘッドで使用している様子から、彼ひとりの活動をとってみるだけでも、たとえ熱心なファンに限らずとも、このバンドに惹きつけられてしまう。その証拠として、レディオヘッドの音楽を極めてまじめに学術的な方法と態度でとりあげた論考や研究が既に存在している。ライターや研究者を名乗る人々が、このバンドの音源を何度も聴き、それを楽譜に書き起こして分析し、日々、謎解きを行っている(2)。リリース当時はあんなに議論された謎多き“Pyramid Song”だが、色々な説が飛び交った拍子の数え方どころか、今やその元ネタさえも解明されているのだ。聴いて楽しむ以外の享受方法をもたらしてくれるレディオヘッドは、音楽について何か言いたい人にとって、非常に「やりがいのある」バンドだともいえる。
 思考や分析の沼に誘うレディオヘッドだが、もちろん彼らの音楽にも直感的、身体的な側面がある。その一役を担うのがトム・ヨークだ。去年、筆者は彼のソロのステージを観た。彼は、そこで出す音すべての責任をひとりで担い、全力で私たちに音楽を聴かせてくれた。かつて、ブライアン・イーノは録音スタジオを作曲の道具とみなして音楽制作に勤しんでいた。トム・ヨークの場合は、彼の手に触れる楽器、声、身体全体が音楽を生み出す有機体に見えてくる。このたびリリースされたライヴ・アルバム『Hail to the Thief Live Recordings 2003-2009』からも音楽の身体性や躍動を聴くことができる。いうまでもなく、この動的な側面がバンドの音の醍醐味なのだ。

『Hail to the Thief Live Recordings 2003-2009』はレディオヘッドの6枚目のスタジオ・アルバム『Hail to the Thief』全14曲のうち“Backdrifts”と“A Punch Up at Wedding“を除いた12曲のライヴ音源で構成されている。タイトルの“Hail to the Thief(盗人万歳)”は、2000年のアメリカ大統領選挙の際のジョージ・ブッシュのスローガン「Hail to the Chief(大統領万歳)」を揶揄した言い回しに由来する。このことから、このアルバムを政治的な作品とする見方もあるが、特定の出来事というよりは、デジタル監視主義やグローバル・ファシズムが世界を覆い始めた空気のなかで『Hail to the Thief』は生まれたのだと考えられる。パンデミックを経た2025年現在、2003年当時は予兆や空気だったものが、どんどん現実化している。
 1曲目“2 +2=5”は、オーウェルの『1984』に繰り返し出てくる、事実の改竄と洗脳と服従を象徴するスローガン「2+2=5」のことだ。フェイク・ニュースやAIに翻弄されている私たちが「2+2がいつだって5になる場所(where two and two always makes up five)」の住民になりかけている今、この曲はリリース当時の2003年よりも切実な訴えとして聴こえてきてしまう。曲の構成はやや複雑で、A(イントロ)-B(are you such a dreamer?)-C(It’s the devil’s way)-D(Because you have not been)-E(短い間奏)-F(I try to sing)の6つの異なる部分からできていて、聴き覚えのあるAやBの部分に戻るのではなく、ひたすらまっすぐ突き進んで曲が終わる。最後のEの部分から荒れ狂った演奏が始まり、ここにロック・バンドとしてのレディオヘッドを再確認できる。
 「2 +2=5」をはじめとして、スタジオ・アルバム盤とライヴ盤のアレンジの間に大きな違いはあまり見られない。むしろ、この再現性の高さがライヴ・バンドとしてのレディオヘッドの高い技量を裏付けているともいえる。だが、彼らはアルバムの曲をただなぞっているわけではない。たとえば5曲目の“Where I End You Begin”では、グリーンウッドがギターのリフとそう変わらないテンションでオンド・マルトノを荒々しく弾いている。この激しさはスタジオ・アルバム盤とは明らかに異なる。6曲目の“We Suck Young Blood”前半のヴォーカルのメロディは8拍でひとまとまりのゆっくりとしたフレーズでできている。スタジオ・アルバム盤では7拍目という、なんとも数えにくいタイミングで手拍子が入るのだが、このライヴ盤では観客がこのやりにくい手拍子を打っているではないか。これは普通のロックのコンサートの基準に照らし合わせても、かなり特殊な現象だ。ある程度、意識的に拍を数えていないと、このタイミングで手を打つことはできないからだ。
観客の反応も含めて、レディオヘッドが規格外の演奏をステージで展開できるのは、エフェクトのかかったギターをじっと聴かせるエド・オブライエン、忍耐強いリズム・セクションのコリン・グリーンウッドとフィル・セルウェイによる3人の磐石な体制のおかげだろう。このようなバンド内の力学も考えると、やはりレディオヘッドはいつまでも興味深い存在である。日本でライヴを観られる日は来るのだろうか。

脚注

(1) オンド・マルトノ(Ondes Martenot)はフランスの電気技師でチェリストでもあったモリス・マルトノが1928年に発明した電子楽器。ピアノのように鍵盤を使って弾く方法と、鍵盤の前に張られたワイヤーのついた指輪をスライドさせて音高やダイナミクスを自分で操作しながら音を作る方法がある。この楽器を用いた楽曲として、メシアンの「トゥランガリーラ交響曲」(1946-48)が挙げられる。楽器の歴史と仕組みについては、ジョニー・グリーンウッドとも親交のあるオンド・マルトノ奏者、原田節が東京フィルハーモニー交響楽団のウェブサイトで詳しく解説している。「オンディスト、原田節が語る メシアン『トゥランガリーラ交響曲』に寄せて」2024年3月29日 参照。
 原田節「音大生にエール 連載60 其の六〈ジョニーが来たから伝えたい〉」2022年12月 で描かれている原田氏とグリーンウッドの交流の様子は非常に興味深い。ぜひとも一読されたい。

(2) 一例を挙げると、カンザス大学で教鞭を執るブラッド・オズボーン(Brad Osborn)によるEverything In Its Right Place: Analyzing Radiohead (Oxford University Press, 2017)は音楽理論や心理学を援用しながらレディオヘッドの楽曲を、形式、リズム、音色、和声の4つの視点から分析している。最終章の第6章は1章まるごと“Pyramid Song”の分析に充てられており、よい意味での狂気さえ感じられる。


[追記]
この原稿を書き終えた直後に、レディオヘッドとしては7年ぶりとなるインタヴューがThe Timesに公開された
インタヴューでは、2017年のテルアビブ公演をめぐってレディオヘッドに対して起きた、BDSこと「ボイコット・投資撤退、制裁運動(Boycott, Divestment and Sanctions)」問題についてのメンバーそれぞれの考えが語られている。また、まもなく始まる英国とヨーロッパ・ツアーに関して、彼らが65曲ほどを準備中で、セットリストは固定されたものではなく公演ごとに変わること、観客が舞台を取り囲むようなかたちでショーが行われる予定であることも明らかにされている。インタヴューについては以下のウェブサイト参照。

Daniel Kreps, 「レディオヘッドが語る活動休止と再始動の背景、イスラエル・パレスチナ問題との向き合い方」、『Rolling Stone Japan』2025年10月27日

Damian Jones, “Thom Yorke says Radiohead will “absolutely not” return to Israel and he wouldn’t want to be 5,000 miles anywhere near the Netanyahu regime,” NME, 26th October

Mac Pilley, “Radiohead reveal they’ll be playing in the round on UK and European tour and talk setlists: “We have too many songs,” NME, 26th October 2025.

 Hello Hello! hey hey! はろはろ! へいへい!
 今月からこの連載を書かせていただくことになりました、DJのheykazmaですッ!!

 普段は東京で高校一年生をかましつつ、experimentalを軸に、TechnoやHouse系のDJをしたり、ギャルマインド満載なトラックを作ったり、モデルをしたり、パーティを主催したり、遊びに行ったり……。アーティストとして、学業の傍ら、楽しく活動しています。

https://lit.link/heykazma

 この連載では、ワタクシことheyが制作した音源の話や、最近聴いてムネアツな音楽、日常のワラえることなど、みなさんと共有したいものをひたすら書いていく予定(キリッッッ)。ゆる〜く読んでもらえたら嬉しいhey!

 hey的にお気に入りのheyの現在地的なDJ Mixはこちら! 1億回聴いておくんなまし〜

 初回のテーマは……10/1にU/M/A/AからリリースされたRemix EP「Happy Halloween Remixes 2025 Curated by heykazma」について。
 この作品は、毎年10月になるとSNSでよく耳にするハロウィンソング定番曲!再生数がマジでヤバいJunkyさんのボカロ楽曲『Happy Halloween』をテーマに、heyがキュレーションを担当したEPです!

Junky- Happy Halloween (heykazma Remix)

 このお話をいただいたきっかけは、「Happy Halloween」の原曲をリリースしたレーベルのみなさんが、私が主催しているパーティ「yuu.ten」に遊びに来てくれちゃったことでした(感謝!!♡)

 「yuu.ten」は、2024年からスタートした“音に溶ける”をコンセプトにしたダンスパーティ\(^o^)/

 初回となるvol.1は、地元・仙台で愛しているお店「ファシュタ -Första-」で開催したの。東京から、普段一緒にユニットを組んだりしているマヴ・北村蕗をゲストに迎え、2人会をやっちゃいましたよ。

 そして、6月20日に開催したvol.2は下北沢SPREADにて。LIVE、DJ、アートパフォーマンス、似顔絵ワークショップなど、私の“好き”と“友人”をぎゅっと詰め込んだ内容に(((o(*゚▽゚*)o)))♡

 会場は満員で、来てくれたまゔたちからも「こんなイベント待ってた!」と言ってもらえて、本当に嬉しい夜だったよん˚ˑ༄

 後日、「heyちゃんにお願いしたいことがあったんだよね!」と、今回のリミックスEPの企画のお話をレーベルの方からいただきました。すごく光栄でテンション爆上がり!(わーーい

 今回私が担当したのは、いわばディレクター的な役割。
 リミキサーの選定、アートワークをお願いするアーティストの選定、MV監督の起用、リリースパーティの企画などなど…。

 特に最初に取りかかったのが、「誰にリミックスをお願いするか?」という部分。hey的に、原曲の“Happy Halloween”が持つ、ポップでキャッチーで、ちょっとホラーでかわいい世界観を、それぞれの解釈で楽しく再構築してくれそうなアーティストたちをピックアップ!

 結果、リミックスをお願いしたのが、Shökaちゃん、清水文太くん、バイレファンキかけ子さま、foodmanパイセンの4名! そしてアートワークを村田みのりせんせー、MVをALi(anttkc)っちにオファ〜しました!

 ジャンルも活動スタイルもバラバラだけど、それぞれの個性がピカピカで、hey的に「この人たちが並んだら絶対おもしろい!」と思える方々ばかり。
この選定には、これまでheyが遊びに行ったパーティや出会ったアーティスト、SNSで気になっていた方など、これまでの縁やつながりがめちゃくちゃ活きているchanょ。

 ここからは、今回リミックスをお願いした4組のアーティストについて、heyとその人たちとの出会いや制作までの流れを書いてみますっ!

Shöka (Remixer)
 Shökaちゃんとは、もともと共通の友人を通じて知り合いました。最初にちゃんと話すようになったのは、彼女が出演していたイベントに遊びに行ったときのこと。そこから、会ったり会わなかったりを何度か繰り返して、気づけば自然と仲良くなっていました。
 あるとき、「高校時代にボカロをよく聴いてた」って話をしてて、それを聞いた瞬間に「これはShökaちゃんにリミックスお願いしたいかも!」って直感で思ったんです。
 思い切ってオファーしたら快く引き受けてくれて、出来上がった曲を聴いたときは本当にびっくりしました。普段のShökaちゃんの独特なバイブスが音にも滲み出ている一方で、作品ではあまり見せていない音楽性もあって、すごくドープに仕上がっていて……不思議で、でもクセになるタッチの曲。何度も聴いては刺激受けまくりで、ひたすら最高!!

ライヴ観に行ったとき謎の遊びをしている写真...

清水文太 (Remixer)
 文太くんのことは、小学生のころハマっていた「水曜日のカンパネラ」のスタイリストをしていたり、私がずっと好きなクィア&フェミをテーマにした東京のDJパーティ「WAIFU」でライブ出演していたりと、名前を見かけるたびに気になる存在でした。
 ちゃんと話すようになったのは、実は今年に入ってから。私が出演したパーティにふらっと遊びに来てくれたのがきっかけでした。
 話してみたら、表現の幅広さとか感性の鋭さとか、想像以上で。彼の実験的かつ自由なバイブスにめちゃくちゃ惹かれて、今回のリミックスもぜひお願いしたいと!!!!
 実際に届いた音源は、まさに文太くんの空気感そのまま。“ハロウィン”というテーマに対して、甘すぎず、美しくて、でもちょっと毒もある。その微妙なバランスを取れるのは、やっぱり文太くんしかいないなって〜〜〜!♡

一緒に新宿御苑行ったら急にストレッチをし始める文太くん

バイレファンキかけ子 (Remixer)
 かけ子さまとは、クラブの現場で出会ったというより、SNSでかけ子様のDJ Mixや情熱大陸のBootlegを先に聴いて、「この人やばっ!」ってなったのが最初。
 初めて実際にお会いしたのは、上京してすぐ。かけ子さまが出演しているパーティに遊びに行って、フロア最前でマヴと爆踊りしてました(笑)。
 プレイ後に話しかけたら、めちゃくちゃ優しくて面白くて、バイブスが最高すぎて! かけ子様の音楽のお祭り感とハロウィンのお祭り感をMixしたら絶対最高になると思って、すぐオファーしちゃた! 結果、めちゃくちゃフロア爆発しそうなリミックスが届いて感動。安心信頼、安定のかけ子大先生!!

初めてお会いした時に撮ったツーショ!!

食品まつり a.k.a foodman (Remixer)
 食まつパイセンとも、かけ子様と同じく最初はSNSにアップされていた音源を聴いて強く惹かれたの.........!!!!!
 さらに、大好きな作家・アーティストのシシヤマザキちゃんと「1980YEN」というユニットを組んでいたこともあり、当時からすごく気になる存在。昨年の夏、下北沢SPREADで初めてライブを拝見したのですが、そのパフォーマンスが圧倒的で、やっと会えました!
 そんな中ふと!「ボカロと食まつパイセンの音楽が混ざったら面白いのでは!?」と思い、今回無茶振りオファーを〜〜〜〜(*´∇`*)
 そして生まれたのが、めちゃくちゃ異色でエグいサウンド。聴けば聴くほどクセになる、“スルメ楽曲”の極みです!! パイセン サイコー!

りんご音楽祭で会ったときの写真!!

村田みのり(アートワーク)
 みのり教授と出会ったのは6月。コムアイさんとみのり教授が主催する「おかしなおかね」に、参加したのがきっかけ。
 もともとインスタで作品を見ていて、「この世界観めっちゃかわいい!」って思ってたんです。
 実際にお会いしてみたら、テンションの波長がすごく合うし、初対面でもすぐに仲良くなれちゃた。
 そのあともイベントで何度か会ううちに、みのり教授の持つ柔らかさとか、アイデアの発想力にどんどん惹かれていって。今回のハロウィンのテーマを考えたときに、真っ先ににお願いしたい!って思いました。

はじめてみのりさんとbonoboでお会いした日
w/もりたみどりちゃん&Yoshiko Kurataさん

ALi(anttkc) (Music Video監督)
 ALiっちは、普段からよく遊ぶマイメンのひとりで、もう説明いらないくらい信頼しまくってる存在。私が主催している「yuu.ten」でもVJを担当してくれたり、彼が運営している神保町のイベントスペース「RRR」でブッキングしてくれたりと、お互いに呼び合ったり、遊びに行ったりな関係!映像制作に関しては本当に安心と信頼のクオリティで、今回も絶対にお願いしようって迷いなく思いました。打ち合わせではふわっと伝えただけなのに、彼が作ってくれた映像はPOPでかわいくて、動きもテンポも最高。本当に、ALiっちの映像が加わったことで、今回のEPやハロウィン企画全体の世界観が一気にぐっと立体的になったな〜と感じています。

りんご音楽祭で会ったときの写真!!

 そして最後に、hey自身が制作したRemixについて〜。
 heyはこの曲の「アゲな部分」にフォーカスして、Hard Technoでわっしょい感を大切に、数々の有名ダンスアンセムから影響を受けて、NEO盆踊りの極みmixに仕上げました! 500,000,000回聴いてくれ!

 今回の企画を通して、改めて「人と人とのつながり」や「音楽が持つ広がりの力」を強く感じました。heyがこれまで現場で出会ってきた人たちと、ひとつの作品を一緒に作り上げられたことが本当に嬉しい( ; ; )

 それぞれのリミックスが持つ世界を聴きながら、ぜひハロウィンという季節を自由に楽しんでほしいなと思うよんっ♪

 またリリースを記念して、日本橋にあるアートホテル”BnA_WALL”でhey主催リリパを開催します!!こちらも激アツな企画になってるので...絶対に来て欲しいです!!!!!!!!!!

 これからも私heyは己かましまくりで前に進んでいこうと思うよっ
 それでは次回の連載、どこかのパーティでお会いしましょう˖ . ݁

Happy Halloween Remixes 2025 Curated by heykazma
Release Party at BnA_WALL 日本橋

2025年10月31日(金)
18:00 Open
19:00 Start
22:00 Finish

■ DJ
heykazma
バイレファンキかけ子
カワムラユキ
CASE(Wangone)
■ Live
Shöka
清水文太

■チケット
¥3.500 当日(会場のみで販売)
¥3.000 前売り ※非売品ステッカー付 50枚限定
¥2.000 Under 25
※小学生以下のお子様のご入場は無料です。
※会場キャパシティの上限に達した際には当日券が販売中止となる場合があります。

Peatix | eplus

R.I.P Dave Ball - ele-king

野田努

 デイヴ・ボールは、ポール・ボールになったかもしれなかった。 彼が生まれた1959年5月3日、じつの母親はポールと名付けている。しかし未婚のシングルマザーは、1年間の貧しい生活の果てに我が子を養子に出すことにした。ポールを養子に迎え入れたボール夫妻は、ポール・ボールのような韻を踏んだ名前ではこれから学校に行ったときに問題になるかもしれないと、デイヴィッドに改名したのである。かくしてデイヴ・ボールは、イングランド北西の街、ブラックプール──サッカーファンからは、弱いけど人気があってサポーターが熱い(駿河湾のくぼみのどこかのチームのようだ)地元クラブのことで知られ、英国音楽ファンからはノーザン・ソウルの大いなる拠点のひとつとして記憶されている──で思春期を送ることになる。
 ボールが初めてディスコに行ったのは10歳のときで、のちに彼がマーク・アーモンドとともに結成するソフト・セルがカヴァーし、最初の、そして最大のヒットになった“Tainted Love”を初めて聴いたのは16歳のときだった。グロリア・ジョーンズがこの曲を吹き込んだのは1965年、しかもこれは不発シングルのB面曲、そもそもあまりよく知られていない曲だった。ノーザン・ソウルとは、このように、大勢がまだ知らない埋もれたアメリカのソウル——デトロイト、シカゴ、フィラデルフィア、LAなどのなるべくヒットしなかった曲——をディグするというレアグルーヴ的なアプローチによる選曲と、そしてDJは会場にやって来たダンサーのためにひと晩中踊る曲をかけ続けるというレイヴ的なアプローチを兼ね備えた、1970年代の、DJ/ダンス・カルチャーの初期段階だった。南部やロンドンの洗練された文化と違って、北部のいなたい労働者階級の若者が週末のダンスのために生きる刹那的なライフスタイルに根ざした巨大なアンダーグラウンド・ダンス・シーンである。

 デイヴ・ボールがポップ史において果たしたひとつの成果は、ソウルとパンクとクラフトワークを合体させたことだった。ソウルとスーサイドを合体させたことだった、とも換言できる。ひとりのヴォーカリストとひとりのエレクトロニック担当者のふたりでステージに立つことの先駆者にはスーサイドがいたし、第二期DAFもそうだったけれど、言うなれば彼らはアンダーグラウンドの脅威だった。1979年(ウィキペディアほかネット情報では1978年結成とあるが、本人の述懐によれば、サッチャー当選の1979年に結成。おそらく、アーモンドのパフォーマンスのバックに初めて音を付けたのが1978年なのだろう)に誕生したボールとマーク・アーモンドのソフト・セルは、チャートを賑わせ、トップ・オブ・ザ・ポップスに出演するようなポップ・ミュージックのユニットである。
 とはいえ、ソフト・セルがポップスとして聴かれるには少し時間が必要だった。だいたいポスト・パンク期からゴシック期へと(つまり70年代末から80年代へと)移行する時代における若きエレクトロニック・ミュージックは、いきなりMoogを買えるほど裕福ではなく、機材が日進月歩していたこともあって作品ごとサウンドが異なっている。初期のシンセサイザーと言えばモノフォニック(単音しか出せない)で、シーケンサーの代わりはテープデッキ、ドラムはBOSSのDr Rhythmとか、もしくはプリセットを使うことも珍しくなかったし、最初期のキャバレー・ヴォルテールのようにホワイト・ノイズをリズムの代わりに使っていたバンドもいる。しかしながらそうした制限が、創造的な音楽を促していたと言いたくなるのは、いま聴くと、今日のPC内でつくられた音楽にはない、それぞれ固有のテクスチャーや創意工夫に基づいた深みのある魅力を放っているからだ。

 ロックンロールが大嫌いだった父親のもとで、10歳から音楽オタクとなったデイヴ・ボールは、すべてのお小遣い/アルバイト代をレコードにつぎ込み、リーズ工科大学に進学する頃にはそれなりのレコード・コレクションを有していたという。ソウル・ミュージックからグラム・ロック、ディスコ、プログレからクラウトロックまで、横断的に蒐集していた彼が最初に天の啓示を感じたのは、高校時代にアイスクリーム屋でバイトしていたときにラジオから流れたクラフトワークの “アウトバーン” だった。それから、ブライアン・イーノの『アナザー・グリーン・ワールド』、そしてドナ・サマーの “アイ・フィール・ラヴ” ……。
 大学に進学するとリーズにやって来たパンク・バンド/ポスト・パンク・バンドのライヴ──オリジナル・ヒューマン・リーグ、キャバレー・ヴォルテール、ジョイ・ディヴィジョン、ACR、スピッツ・エナジー、スロッビング・グリッスル等々──を目撃している。在学中、学位取得のためしばらくマンチェスターへ移り住んだときは、2トーン・レコードのツアーやディーヴォ、YMOのライヴにも足を運んだ。そのころには、ボールの関心はエレクトロニック・ミュージックに絞られていた。在学中、ギターを売って得た金と300ポンドで、ふたつのオシレーターを搭載したKorgのデュオフォニック・アナログ・シンセサイザー、800 DVを買った(数年後にはソフト・セル・サウンドのトレードマークにもなる、もう一台のKorg、ベース・シンサイザーSB-100を手に入れる)。
 大学の同級生にはマーティン・ハネットの実弟がいて、最上級生にはフランク・トーヴェイがいたが、大学に入って最初に声をかけた相手が、ヒョウ柄のシャツを着てアイラインを入れたマーク・アーモンドだったのは運命的である。ジョン・ウォーターズの「ディヴァイン」シリーズやラス・メイヤー、ケネス・アンガー、ウォーホル等々、トラッシーなカルト映画好きという共通の趣味もあって意気投合したふたりだが、最初のボールの役目はアーモンドのパフォーマンスのためのBGMをつくることだった。そうこうしているうちに、ふたりの関心は音楽制作に向かったのである。歌と作詞はアーモンド、曲の担当がボール。そしてふたりがつくりあげたのは、ノーザン・インダストリアル・キャバレー・エレクトロとでも言いたくなるような独特の雰囲気をもった音楽だった。
 
 ソフト・セルは、ポスト・パンク時代のエレクトロニック・バンドの第一波(キャブス、ヒューマン・リーグ、TG、シリコン・ティーンズ、ファド・ガジェット等々)に続いた第二波(ほかにデペッシュ・モードやブランマンジュなど)に相当する。ボールはリアルタイムで、トーマス・リアの「Private Plane」、キャバレー・ヴォルテールの「Extended Play」、スロッビング・グリッスルの「United / Zyklon B Zombie」、ザ・ヒューマン・リーグの「Being Boiled」といった1978年の重要な7インチ・シングルに共感を寄せていた、つまり、その次のステージを狙っていたのである。
 最初期のソフト・セルにおいて——そしてエレクトロニック・ミュージック史においても——もっとも重要な曲、 “Memorabilia”(1981) は、ボールの憧れのひとり、ダニエル・ミラーのサポートを得て制作された。この曲の、反復的な四つ打ちのグルーヴ、フィルターをかけたシンセ、ダブ処理されたヴォーカルといった構成は、明らかに、ディスコのその先へと突き進んだサウンドで、のちに「ハウス・ミュージックの先駆け」と評価されることになる。また、世界初の「Eレコード」などと呼ばれてもいるが、それは誤認だ。ソフト・セルは当時まだエクスタシーの存在など知るよしもなかった。もちろん、それから1年後、この時代としては画期的なリミックス・アルバム盤 『Non Stop Ecstatic Dancing』(1982)に収録された同曲の別ヴァージョンをNYで録音する頃には、ふたりとも経験済みではあった。ちなみに言うと、当時はまだ、それは違法ではなかったのである。
 初期のソフト・セルでもう1曲重要なのは、もちろん──当然、オリジナルと違って──大ヒットした “Tainted Love”になるが、こちらのプロデュースはマイク・ソーン、それ以前はワイアーを手がけた才人である。1975年に〈スパーク・ノーザン・ソウル・レコード〉からもカヴァーEPが出ているほどノーザン・ソウル・クラシックたるこの曲のカヴァーの提案をアーモンドが受け入れた理由は、オリジナルでは彼のヒーローのひとり、マーク・ボランの妻=グロリア・ジョーンズが歌っていたからだった。シングルではこの曲からスプリームスのカヴァー曲 “Where Did Our Love Go” にミックスされる。Roland CR-78のリズム、 SB-100によるシンセベース、それから電子ドラムパッド、 電子クラップ──それらメタリックな響き(それは電子パンクと言える)のなかで歌われるソウル・ミュージック。こうしたある種の倒錯が、ジョン・ウォーターズの醜いものほど美しいと同様にソフト・セルの個性となった。

 モノフォニック・シンセが奏でる絶妙な音色のうつくしいメロディをもったソウル・バラード“Say Hello, Wave Goodbye”はソフト・セルの代名詞と言える人気曲だが、ファースト・アルバム『Non-Stop Erotic Cabaret』のなかでは、週末のクラブに勤しむ若者の孤独を歌った “Bedsitter” のようなダークな曲(MVのなかでアーモンドが読んでいる本はジョン・ブレインの『年上の女』である)も好きだし、彼らのカルト映画趣味がここぞとばかりに噴出した(そしてすぐに放映禁止になった) “Sex Dwarf” のMVにおけるTG的な恐れを知らぬ侵犯的タブーへの挑戦も興味深く思ったものだったけれど、リアルタイムでいちばんよく聴いたのはセカンド・アルバムの『The Art of Falling Apart』(1983)だった。
 ぼくはここで読者諸氏に言いたい。その曲を聴いてから、20年後も30年後も40年後もずっと好きでいられる曲があるということは幸せなことである。若い読者が、今年自分が好きになった曲をこの先もずっと聴き続けると思っているのなら、それでいい。音楽はファストフードになりつつあるかもしれないけれど、老兵としては、そうではない音楽もまだあると思いたいのだ。ぼくは『The Art of Falling Apart』(明らかに機材的にアップグレードされた、しかし全体としてはファーストよりも暗く重い作品)に収録された“Where the Heart Is” がいまでも、曲そのものもその歌詞も、大・大・大好きだ。モリッシーよりも数年早く、家族からつまはじきされた少年のよすがをなくした孤独な心を歌い上げるその曲に天使の羽を与えたのは、間違いなく、デイヴ・ボールのシンセサイザーである。
 しかしながら、このころすでにソフト・セルは友好的に分裂していた。アーモンドは、ニック・ケイヴ、リディア・ランチ、ジム・フォータスらアンダーグラウンドな人たちと交流しつつ、マーク&ザ・マンバス名義でソロ・アルバムをつくっている(それもまた、とてつもなくすばらしいアルバムだ。なにしろ、あのアノーニに決定的な影響を与えたのだから)。ボールもまた、ジェネシス・P・オリッジやヴァージン・プルーンズのギャヴィン・フライデイ、コイルのジョン・バランスらアンダーグラウンドな人たちと交流し、最初のソロ・アルバム『In Strict Tempo』(1983)を制作する。そしてボールは憧れだったキャバレー・ヴォルテールのアルバム『The Crackdown』(1983)に参加もしている( “Just Fascination” と “Crackdown ” の2曲である)。ソフト・セルの最後のアルバムはいまひとつの内容だったが、彼らにはこんなエピソードがある。あるとき、ソフト・セル宛の郵便物がレーベルに届いた。分厚い写真集が入っていて、そこには、「あなたたちの音楽が大好きです。ポール&リンダ・マッカートニーより」とつづられていた。

 とはいえ、ソフト・セル解散後の80年代なかば以降のボールは、物事がうまくいっていたとは言いがたい。好転したのは、ジェネシス・P・オリッジがアシッド・ハウスに心酔し、彼が自分でもアシッド・ハウスをつくろうとJack the Tab名義で『Acid Tablets Volume One』(1988)を企画し、そこに参加してからだった。P・オリッジから紹介された『NME』のライター、リチャード・ノリスといっしょにM.E.S.H.名義で “Meet Every Situation Head on ” をつくると、それに反応し、サポートしたDJのひとりにアンドリュー・ウェザオールもいた。
 ノリスとのコンビが、ザ・グリッドへと発展することはよく知られている。この時期、UKのダンス・ミュージックを聴いていた人なら、ザ・グリッドによるリミックス──ハッピー・マンデーズの「Loose Fit」やペット・ショップ・ボーイズの「DJ Culture」、イレイジャーの「Am I Right?」、ブライアン・イーノの「Ali Click」,デイヴィッド・シルヴィアン「Darshan」等々──を少なくとも5曲以上は聴いているだろう。
 ボールが初めて日本の地を踏んだのも、1995年のザ・グリッドとしての来日公演だった。 “Crystal Clear” や “Swamp Thing” といったソフト・セル以来のポップ・ヒットが続いていたころで、場所はたしかリキッドルームだったと思う。ライヴに駆けつけたオーディエンスのなかにはソフト・セルのファンも少なくなかったけれど、ぼくがそのとき取材したのは複数のメディからインタヴューされたボールでもノリスでもなかった。同じく初来日で、そのときはぼく以外の誰も取材しなかったアーティスト、前座を務めたオウテカのほうだった。

 リアーナが “SOS”(2006) でソフト・セル版“Tainted Love”をサンプル・ネタとして使ったころ、かつてはチープなソウル・エレクトロで一世を風靡したふたりは、再度タッグを組んで精力的な活動をしていた。2002年には1984年以来の4枚目のアルバムをリリースし、2003年にはハイドパークで開催された6万人規模のゲイ・プライドのヘッドライナーを務めたソフト・セルだったが、ボールにはこんなエピソードもある。彼が恋人とNYのゲイ・バーに入ったとき、まったくの偶然だが、カウンターの隣にはフレディ・マーキュリーが座っていた。マーキュリーはボールの顔を見ると、「デイヴィッド、教えてくれ。君とマークは恋人同士なのか?」と訊いた。ボールは自分がストレートでガールフレンドがいると説明すると、マーキュリーは黙ってその場を去ったという。このことが、ボールが髭を剃るきっかけとなった。

 それはさておき、長年にわたるあらゆる依存症がボールを蝕んでいた。1990年代後半には、飲酒と喫煙、ドラッグの乱用で精神的にも身体的にも、そして日常生活に支障がでるほど窮地に追い込まれていたボールは、なんとかしようと一時期はアルコール依存症匿名会と薬物依存症匿名会に通ったほどだった。ドラッグと煙草を断ったデイヴ・ボールは新生ソフト・セルを始動させると、先述の通りアルバムを発表し、大きなライヴもいくつかこなし、2020年には自伝『Electronic Boy』も上梓している。2022年の『Happiness Not Included』が比較的高評価だったので、翌年にはその姉妹作『Happiness Now Completed』もリリースした。2025年10月22日自宅で亡くなったというボールだが、ソフト・セルとしての新作『Danceteria』の制作を終えたばかりだった。そういえば、つい先日ラスト・アルバムを出したセイント・エティエンヌの『International』にはザ・グリッド・リミックスがあったけれど、ボールはまだぜんぜんやる気だったのだろう。

 ほんの数年前、石野卓球とのメールで、あのころ自分が好きだったのはクラフトワークの “Numbers” よりもソフト・セルの同名曲のほうだった、というやりとりをしたことがある。そうしたら、あの曲をエイフェックス・ツインがサンプリングしているの知ってた? と卓球から教えられた。自分としては、あの時代の人たちがここにまたひとりといなくなるのはとても寂しい。先週末は多くのファンが “Say Hello, Wave Goodbye” を聴いたのだろうけれど、あらためてあのころのボールの音楽を聴いていると、良い曲ばかりで、やはりすごいことをやった人だったんだなと思った。

[[SplitPage]]

三田格

 9年前、デイヴ・ボールは(ジャーナリストではなくピアニストの)ジョン・サヴェージと『Photosynthesis(光合成)』と題されたアンビエント・アルバムをリリースしている。どちらがイニシアティヴを取ったのかはわからないけれど、『Photosynthesis』はダーク・ドローンに分類され、ひと言でいえば不気味な作品に仕上がっていた。その当時はまだL.A.から解き放たれたベルリン・スクール・リヴァイヴァルの余波がニュー・エイジのポテンシャルを増幅させていた時期で、簡単にいえばアッパラパーな雰囲気のなかで、どんよりとした『Photosynthesis』には出る幕がないと感じられた。そして、無意識のうちに僕にはデイヴ・ボールに期待する、ある種のムードがあることを自覚した。それはやはりソフト・セルやザ・グリッドといったキャリアの初期に展開されていたポップでカラフルな響きであり、重苦しい曲調のなかにもどこか抜けのある軽妙洒脱なセンスだった。『Photosynthesis』にはあまりにもそれがなかった。しかし、デイヴ・ボールの訃報を聞いて僕が最初に聴いたのは、なぜか『Photosynthesis』だった。暗く、のったりと蠢くシンセサイザーに哀悼の気持ちは少しずつ吸い込まれていった。

『Photosynthesis』から5年後にソフト・セルは再-再結成を果たす。そして、3枚のアルバムを完成させている。彼らにとってファイナルとなった7thアルバム(発売は来年)を完パケた直後にデイヴ・ボールは亡くなり、ヴォーカルのマーク・アーモンドは「2026年はデイヴ・ボールにとって高揚感に満ちた年となるはずだった」と饒舌な追悼文で嘆いている。「僕たちの50年を一緒に祝えたらよかったのに」と。その追悼文によると、ソフト・セルはロンドンというよりもN.Y.のディスコ・カルチャーに属すると彼ら自身は考えていたようで、ラスト・アルバムに『Danceteria』と名付けたことは、ガビ・デルガドーが最後に残した曲のタイトルが“Tanzen(ダンス)”だったことと共鳴している。そう、1981年は彼らがイギリスでダンス・カルチャーを爆発させた年だった。ニュー・ロマンティクスやブリティッシュ・ファンクも呑み込んで「メソッド・オブ・ダンス」を合言葉に。

 ソフト・セルがN.Y.のディスコ・カルチャーに属すると考えるのはとても納得のいくことである。実際にN.Y.のディスコでMDMAを経験したことが彼らの音楽性に影響を及ぼしたこともそうなら、マーク・アーモンドの変態的な歌詞はルー・リードの強い影響下にあり、性的マイノリティが集まるN.Y.のディスコ文化とは親和性が高かった。ルー・リードと世代的な差を感じるのはユーモアの質で、「自動車の後部座席でセックスをしているとシートに張り付いていたガムが背中でくちゃくちゃと音を立てている(大意)」といった発想はやはりルー・リードのそれとは距離を感じさせる。大学生の頃、単純な手作業のアルバイトをしている時に退屈なのでニューウェイヴの曲を集めたテープを作業場で鳴らしていたら一緒に作業をしていたカナダ人のモナちゃんが、ジョイ・ディヴィジョンがかかると「辛すぎる……」といって作業の手を止めてしまい、ソフト・セルがかかると笑いが止まらなくなって、やっぱり仕事にならなかったことがある。なるほど、ソフト・セルというのはそういう風に聞こえるのかと思ったものである。

 シンセポップというのはどれも極めてチープで、ソフト・セルも例外ではなかった。先行したパンク・ロックの影響もあるのだろうけれど、「極めてチープなサウンド」で表現される世界観は普通の生活様式からは逸脱した人間性や、人間の隠された一面を戯画化して取り出す傾向があった。ヒューマン・リーグやザ・ポリスがストーカーを題材にして人間のファナティックな行動を通して時代を照射するのとは異なり、ソフト・セルは背景としての社会に目を向けることはなく、彼ら自身がどのように生きているかを切々と歌い、その核心は多様なラヴ・ソングに結実していった。人間の性を支配や消費という観点からドライに歌ったことで大きな論争を呼んだ“Sex Dwarf”は極端な例だけれど、彼らの曲の多くは強く変態性を帯び、ノーマルな人々にとっては気持ち悪いものにしか映らなかったことだろう。愛を歌い、その姿がどれだけ無様でも取り繕う様子もないどころか堂々としていたところは、日本だと戸川純が立っていた場所を想起させる。エロ・グロ・ナンセンス全開で好きなことをユーモアたっぷりに歌っていた戸川純がそれでも新曲を出せばTVに呼ばれていたという「社会的な評価」は、おそらくイギリスでソフト・セルが置かれていた位置に通じるものがある。がんばろうとか人にやさしくといった表面的な言葉ではなく、人が人を強く求める思いが彼らの表現の中心にはあり、時に人間の弱さを受け入れてくれることがない社会派の音楽よりも彼らの方が愛されていたとしたら、それはやはり制度よりも彼らの心が人の方に向けられていたからだろう。

「正しいことをするのに、僕の力はもういらないんだね」(“Tainted Love”)
「僕たちは初めて会った見知らぬ他人さ、そうだろ?」(“Say Hello, Wave Goodbye”)
「バカすぎて君にはヒドいこともできない」(“Torch”)

 ソフト・セルにとって最大のカヴァー・ヒットとなり、ロング・ランを続けたあげく、『サイトシアーズ 殺人者のための英国観光ガイド』という映画のテーマにもなった“Tainted Love”は、タイトにリズムを刻むグロリア・ジョーンズの原曲よりもルーズな曲進行で、語尾を伸ばすように歌うことで歌詞の内容を強調し、シャカタクのヴォーカル、ジル・サワードがラス・スワン名義でカヴァーしたヴァージョンを参考にして彼らのヴァージョンを練り上げたという。ギネス・ブックに載るほどのメガ・ヒット曲となった“Tainted Love”はそして、12インチ・ヴァージョンでは途中からシュープリームス“Where Did Our Love Go”に変わり、再び“Tainted Love”に回帰してくるという不思議な構成となっていて、カップリングには完全に遊びでつくられた“Tainted Dub”を収録するなど12インチ・シングルという新たなメディアのポテンシャルをこの時点でここまで引き出したグループはほかにいなかった。ソフト・セルの12インチ・ヴァージョンはその後も原曲の2~3倍の長さになるのは当たり前で、10分を超える“Numbers”や12分近い“Soul Inside”など、デイヴ・ボールがいかにミックスで遊ぶのが好きだったかということを印象づける(このことだけでもデイヴ・ボールがDJカルチャーに移行することは初めから決まっていた気がしてしまう)。

 デイヴ・ボールのサウンド・プロダクションが唯一無二のものになるのはセカンド・アルバム『The Art of Falling Apart』からで、場末のキャバレーを音で表したようなファーストから一転、それはヴェルサイユ宮殿かトプカプのような荘厳さを感じさせた。シンセポップにこんなことができるのかと当時の僕はかなりショックを受け、シンセポップ=「チープ」という形容詞はもう使えないと思った。基本的には“Sex Dwarf”のゴージャスなアレンジを全体に敷衍させ、オーヴァー・プロデュースを恐れなかった結果が『The Art of Falling Apart』になったのだと思う。どの曲も本当に素晴らしく、すべてにああだこうだと言いたいところだけど、当時は台所がテーマなんて珍しいと思い、“Kitchen Sink Drama”の歌詞を訳してみると母親が現実逃避ばかりしているという内容で、マーク・アーモンドが離婚した自分の母親をディスりまくっているのかと思っていたのだけれど、今回、調べ直してみたら“Kitchen Sink Drama”とは社会的リアリズムに基づくイギリスの文化運動を指す名称で、「怒れる若者」の源流だということを初めて知った。マーク・アーモンドにしてみれば自分の書く歌詞はアラン・シリトーに連なるものであり、マイク・リーやケン・ローチといった映画監督の表現と地続きなんだという表明だったのかもしれない。デイヴ・ボールのサウンドはピアノを導入に使い、歌詞に合わせて幻想的なフレーズを多用し、流れるように白昼夢を描いていく。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの“Sunday Morning”が念頭にあったのだろう。

『The Art of Falling Apart』と同じ年にデイヴ・ボールは初のソロ・アルバム『In Strict Tempo』も完成させている。ソフト・セルはシンセポップの代表格ではあるけれど、デペッシュ・モードやユーリズミックスと同じ文化圏にいたわけではなく、それは彼らのマネージメントが〈Some Bizzare〉だということと深く関係している。〈Some Bizzare〉とサインしたことがあるミュージシャンにはサイキックTV、ノイバウテン、スワンズ、コイル、ザ・ザ、ジム・フィータス……とオルタナティヴのフロントラインが揃い踏みで、それこそ「普通の生活様式からは逸脱」した音楽家しかいなかった。『In Strict Tempo』はニュー・オーダーが“Blue Monday”で新たなモードに歩を進めたようにデイヴ・ボールがダンス・カルチャーに模索の手を延ばした痕跡が残る一方、ヴォーカルにヴァージン・プルーンズからギャビン・フライデイを迎え入れるなど〈Some Bizzare〉という環境から得られるアンダーグラウンドな価値観がひしめき合ってもいる。実は、最初に取り上げたジョン・サヴェージとのジョイント・アルバム『Photosynthesis』は、こうした〈Some Bizzare〉の文脈でデイヴ・ボールを捉えればもっと鷹揚に楽しめたのかもしれない。デイヴ・ボールにとってそうした環境がどれぐらい吉と出たのかはわからないけれど、それこそ後には『Live in Heaven』にも参加するなどサイキックTVのメンバーにもなったことで、ジェネシス・P・オーリッジやジャーナリストのリチャード・ノリスとともにアシッド・ハウスにのめり込んでいく機会を得たことは間違いない。サイキックTVの変名アルバムとして認識されているアシッド・ハウスのコンピレーション『Jack the Tab/Tekno Acid Beat』はジェネシス・P・オーリッジに加えてデイヴ・ボールとリチャード・ノリスが全曲で関わっていて、すでにザ・グリッドの前段階と言えるものになっていた。同じ年にデイヴ・ボールはキャバレー・ヴォルテールの2人とラヴ・ストリートを結成し(両者は『The Crackdown』ですでに結びついていた)、バリアリック・ビートの“Galaxy”でもファンキー・ビートを聞かせている。『Jack the Tab/Tekno Acid Beat』と“Galaxy”を続けて聴くと、ある種の迷いのなさは伝わってくる。この時期のブリティッシュ・アシッド・ハウスはオリジナリティを否定し、他人と同じものをつくるのがいいとされていたので、デイヴ・ボールのそれもとくに彼の個性が反映されたものではない。ジャケット・デザインがデザイナーズ・リパブリックだというのがデイヴ・ボールの美意識からかけ離れ、いまとなっては同時代性だけを強く主張している。

 84年に第1期ソフト・セルのラスト・アルバム『This Last Night in Sodom』をリリースした後、デイヴ・ボールの足跡はあまりに細切れになる。最初は当時の妻、ジニ・ボールとアザー・ピープル名義でサンプリングを散りばめたディスコ・ナンバー、“Have a Nice Day!”をリリースし、続いて3人組のイングリッシュ・ボーイ・オン・ザ・ラヴランチ名義では“Blue Monday”のバッタもんにしか聞こえない“The Man in Your Life”やハイエナジー調の“Sex Vigilante”を連打と、ソフト・セルからマーク・アーモンドによるメロディ・センスを取り除いたディスコ・ビートへの執着をとにかく強く感じさせる。ストローベリー・スウィッチブレイドのローズ・マクドウェルやシュガーキューブスのアイナール・オルン・ベネディクソンらと組んだオーナメンタルでも多幸感あふれる“No Pain”にどこまでもさわやかな“Crystal Nights”とシンセポップの延命をこれでもかと追求するも、これらがどれも長続きしなかったことがアシッド・ハウスへと舵を切るきっかけになったのだろう。デイヴ・ボールの作業でいえばソフト・セルの12インチでやっていたことをメインとすればいいだけのことだからロック・カルチャーからダンス・カルチャーに乗り換えられないと苦悩するほどのこともなく様変わりはできたはずである。サイキックTVやラヴ・ストリートとの習作を経て正式にリチャード・ノリスとスタートさせたザ・グリッド(マネージメントはアラン・マッギー)はデビュー・アルバム『Electric Head』ではまだイングリッシュ・ボーイ・オン・ザ・ラヴランチやオーナメンタルに近い音楽性を多分に残していて、これが最初にシングル・カットした“Floatation”のリミックスにアンディ・ウェザオールを起用したことで完全にダンス・カルチャーの領域へと歩を進められただけでなく、プレスの注目を最初から集めることにも成功する。ザ・グリッドによるソフト・セルのリミックス集『Memorabilia - The Singles』と並行して続くセカンド・アルバム『456』から“Crystal Clear”をヒットさせたのはもはや時間の問題だった。1993年にグラストンベリー・フェスに行った際、昼間のプログラムが終わるや否や、暗くなった途端に会場内で小規模なレイヴ・パーティがあちこちで始まり、ほどなくして“Crystal Clear”が僕たちの頭上にも鳴り渡った。クラウドはあっという間に恍惚としたムードに包まれ、多幸感の波を全身に浴びていた。ザ・グリッドは、さらにサード・アルバム『Evolver』からバンジョーをフィーチャーした“Swamp Thing”をヒットさせ、その頃には「国民的人気」と書き立てられるまでになっている(その勢いでカイリー・ミノーグ“Breathe”までプロデュースする)。

 リチャード・ノリスの指向だったのではないかと思うのだけれど、ザ・グリッドは『456』から“Heartbeat”をシングル・カットする際、ブライアン・イーノにアンビエント・リミックスをオファーしている。ダンス・アクトとしてのザ・グリッドは4作目の『Music for Dancing』で一旦休止し、10年以上空けて復活するも、ラスト・アルバムとなった『Leviathan』ではロバート・フリップをゲストに迎えてアンビエント・アルバムも製作している。荒涼として寒々しいアンビエント・アルバムである。これがデイヴ・ボールの過去の作品とどう繋がっているのか、僕にはさっぱりわからなかった。アンビエント・ミュージックには個人の資質を出しづらいということもあるのかもしれないけれど、『Leviathan』や唯一のソロ作となった『In Strict Tempo』を聴いていると、もしかするとデイヴ・ボールには生涯を通じて本当にやりたかったことはなかったのかもしれないとも思えてくる。それこそ本当に意志の強い人と共に作業をすることで作品の完成度や相乗効果を高めることが彼にとっては才能を活かす道であり、デイヴ・ボールでなければソフト・セルやザ・グリッドは仮りに生まれていたとしてもまったくの別物になっていただろう。ソフト・セルやザ・グリッドが現在、残されているかたちになったこと、そして、“Torch”を聴いてトランペットという楽器が好きになった僕は、それだけでも彼が存在したことに感謝したい。……Say Hello, Wave Goodbye。

Rezzett - ele-king

 これまで〈The Trilogy Tapes〉からシングルやアルバムを発表してきたUKのエレクトロニック・デュオ、リゼット。ジャクスン・ベイリーとルーク・ブレアからなるこのコンビがニュー・アルバムを送りだす。題して『沸騰する闇のなかへ(Into The Boiling Darks)』。フォーマットはカセットテープのみ、ファッション・ブランド〈C.E〉からのリリースで、南青山の同店舗にて購入可能。なくなる前に急ごう。

アーティスト:REZZETT
アルバム・タイトル:INTO THE BOILING DARKS
価格:1650円(税込)
発売日:10月25日土曜日
販売店:C.E
〒107-0062
東京都港区南青山5-3-10 FROM-1st 201

Oneohtrix Point Never - ele-king

 ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが『Again』以来、2年ぶりのアルバムを発表する。題して『トランキライザー(精神安定剤、鎮痛剤)』、つまりわれわれを穏やかにさせてくれるようなサウンドに満ちている、ということだろうか。いやいや、これまでも多くコンセプチュアルな作品を送りだしてきたダニエル・ロパティンのことだ。まったく逆の可能性だってありうるわけで……10月20日にMVとともに公開された新曲 “Lifeworld” と、その前日19日に投下された “For Residue” と “Bumpy” の都合3曲、むむむ、これはどっちだ……!? CDとLPの発売は11月21日、配信開始は11月17日とのことなので、OPNが踏みだす新たな一歩がどのようなものになっているのか、あれこれ想像を膨らませておこうではないか。

Oneohtrix Point Never

ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー
ニュー・アルバム『Tranquilizer』を発表!
「For Residue」「Bumpy」「Lifeworld」の3曲が解禁!
アルバムは11月17日デジタル配信、11月21日にCD・LPが発売

現代音楽シーンにおいて、静かに、しかし圧倒的な影響力を持つワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(以下OPN)が、ニュー・アルバム『Tranquilizer』を発表! 〈Warp〉より11月17日(月)にデジタル/ストリーミングで配信がスタートし、11月21日(金)にCDとLPが発売される。アルバム発表にあわせて、新曲「For Residue」「Bumpy」「Lifeworld」が解禁され、OPNならではの幻想的で超現実的なサウンド世界が姿を現す。

Oneohtrix Point Never - Lifeworld (Official Video)
Youtube:https://youtu.be/YfjsyKFbyqM

「For Residue」「Bumpy」「Lifeworld」の3曲配信開始
https://warp.net/opn-tranquilizer

精神安定剤を意味する『Tranquilizer』の出発点は偶然の光景だった。歯医者の椅子に横たわり、歯に響く振動を受けながら、ふと見上げた蛍光灯のカバー。灰色のタイル天井に貼られた、青空とヤシの木のプリント──安っぽい人工の楽園。その瞬間、OPNは問いかける。この世界の音とは何か。日常と非日常がかろうじて均衡を保ちながら共存する、この薄っぺらな現実の音とは。

さらに、数年前、インターネット・アーカイブから、巨大なサンプル・ライブラリがインターネットから忽然と消えた事件も創作の引き金となった。90年代から2000年代にかけての何百枚ものクラシックなサンプルCD──シーケンス、ビート、パッド、バーチャル楽器。『サイレントヒル』から『X-ファイル』まで、数え切れない作品に陰影を与えてきた音源たちが、一瞬にして闇に呑み込まれたという出来事。それは文化の断絶、時代の記憶を繋ぐ回線が無慈悲に断ち切られるような体験だった。幸いにも、失われかけた音の断片は再び救出され、文化的アーカイブとして息を吹き返す。本作は、過去への逃避とは何を意味するのか、そしてその先に何が待っているのかを問いかけ、超現実的でディープなテクスチャーで聴く者を包み込む。

失われた音の断片をもとに、『Tranquilizer』は音の幻覚を描き出す。静謐なアンビエンスがデジタルの混沌へとねじれ、日常の質感は感情の奔流へと変容する。忘却と廃退に形づくられたレコード。現実と非現実の境界はぼやけ、サンプルはノイズへと溶け込み、夢の中で扉がきしむ音を立てる。今作のOPNは、これまで以上に没入的だ。ノスタルジーではなく、失われた音を新しい感情の器として再構築している。

このアルバムは、かつて商業用オーディオ・キットとして作られた音源群に形を与えた作品だ。陳腐なサウンドの索引を裏返しにしたようなもの。今日の文化の奥底にある狂気と倦怠を最もよく表現できる、プロセス重視の音楽制作へと回帰した作品なんだ。 ──Oneohtrix Point Never

アルバム発表にあわせて解禁された「For Residue」「Bumpy」「Lifeworld」の3曲は、メディアの崩壊、アンビエントな不穏さ、そして儚い美が交錯する、まさにOPNらしい世界が描かれている。

アートワークは、インディアナ州を拠点とするアーティスト、アブナー・ハーシュバーガーによって描かれた絵画で、アブナーが育ったノースダコタの平原を抽象的かつ有機的に再構築している。忘れ去られた素材や農村風景に根ざしたそのビジュアルは、『Tranquilizer』のテーマである崩壊、記憶、クラフト感と呼応する。

過去20年にわたり、OPNは世界有数の実験的エレクトロニック・ミュージックのプロデューサー/作曲家としてその名を確立し、21世紀の音楽表現を刷新し続けている。初期の『Eccojams』はヴェイパーウェイヴを生み出し、『R Plus Seven』や『Garden of Delete』といった作品はデジタル時代のアンビエント/実験音楽を再定義した。さらに、サフディ兄弟の『グッド・タイム(原題:Good Time)』と『アンカット・ダイヤモンド(原題:Uncut Gems)』やソフィア・コッポラの『ブリングリング(原題:The Bling Ring)』の映画音楽を手がけ、今年最も注目を集める映画のひとつであるジョシュ・サフディ監督作『Marty Supreme』の音楽も担当。またザ・ウィークエンド、チャーリーXCX、イギー・ポップ、デヴィッド・バーン、アノーニとのコラボレーションでも知られている。

OPN待望の最新アルバム『Tranquilizer』は、11月17日(月)にデジタル/ストリーミングで配信され、11月21日(金)にCDとLPが発売される。国内盤CDにはボーナストラック「For Residue (Extended)」が追加収録され、解説書が封入される。LPは通常盤(ブラック・ヴァイナル)に加え、限定盤(クリア・ヴァイナル)も発売。限定盤LPは数量限定の日本語帯付き仕様(解説書付)でも発売される。さらに国内盤CDと日本語帯付き仕様盤LPは、Tシャツ付きセットも発売決定。

label : BEAT RECORDS / Warp Records
artist : Oneohtrix Point Never
title : Tranquilizer
release : 2025.11.21
商品ページ : https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=15439
TRACKLISTING :
01. For Residue
02. Bumpy
03. Lifeworld
04. Measuring Ruins
05. Modern Lust
06. Fear of Symmetry
07. Vestigel
08. Cherry Blue
09. Bell Scanner
10. D.I.S.
11. Tranquilizer
12. Storm Show
13. Petro
14. Rodl Glide
15. Waterfalls
16. For Residue (Extended) *Bonus Track

CD+Tシャツセット

LP+Tシャツ

CD

LP

限定LP


R.I.P. D’Angelo - ele-king

緊那羅:Desi La(訳:編集部)

 人は大衆音楽における「才能」について、歌声や見た目の特別さを指して語りがちだ。どんなふうに歌い、叫び、あるいは甘く歌い上げるのか、とか。だが、音を「どのように聴いているのか」、そしてさまざまなジャンルの音楽をレゴブロックのように組み合わせ、過去の黄金の瞬間を細かく分解し、それを吸収し、「なんてこった!」と神々しいまでに独自なひらめきにうなずきながら、人びとを椅子から立ち上がらせ、心を動かすようなかたちに再構築する、その才能についてはあまり語られないかもしれない。D’Angeloは、2025年10月14日、わずか51歳という若さでこの世を去った。彼をめぐっては、メディア、共演者、ファン、そして彼のイメージや遺産で商売をしようとするSNS上の人びとから、さまざまな思い出が語られるだろうけれど、彼に正しく敬意を捧げるためには、彼を「ミュージシャン」と呼ぶだけでは足りないと私は思っている。彼はむしろ「技師(エンジニア)」であり、「建築家」だった。プリンスやマイルス・デイヴィス、パーラメントのように音楽を構築した偉大な建築家たちの系譜に属する存在だ。

 インスタグラムを何気なくスクロールしていたとき、私は残念ながら、あの“Untitled (How Does It Feel)”のヴィデオでの一瞬の性的イメージばかりを強調するインフルエンサーたちの投稿を目にしてしまった。彼を性的対象としてしか見ないそうした悪魔的な心性こそが、いくつかある理由のうちのひとつ——彼がキャリアの大部分を通して長く姿を消していた理由のひとつ——ではないのか。あの映像で焼きついた彼の官能的なイメージは、当時の大衆の記憶から決して消えることはないだろう。が、それは彼の真の才能を示すものではなかった。彼を讃えるということは、彼が望んだかたちで見られること、そして彼の激しい努力の結実を讃えることでもある。

 D’Angelo——本名マイケル・ユージーン・アーチャー——はヴァージニア州の生まれで、ファレルと同郷である(ヴァージニアの水にはたしかに何かがあるのだろう)。彼は教会の少年として育ち、ゴスペルを愛し、そしてソウル、ロック、ファンクの黄金時代の巨人たち——アル・グリーン、ジミ・ヘンドリックス、フェラ・クティ、プリンスなど——に憧れた。彼のヒーローもまた、みんな同じく「建築家」だった。音に対する鋭敏な耳を持ち、アレンジ、バンドの選択、そして全体的なプレゼンテーションにおいて非凡なセンスを備えた音楽家たちだ。彼は成長するにつれて、それらの創造者たちの手がけた構造を解きほぐし、彼らがどう音楽を創出しているのかを考究した。とりわけ、プリンスだ。彼がひとりでスタジオとサウンド全体を完全に支配していたその姿に魅了され、「あれが自分だ」と感じたはずだ。

 音楽業界が何かとレッテルを貼りたがるなかで、D’Angeloが『Brown Sugar』でシーンに登場し、最初のすばらしい成功を収めてから、彼には「ネオ・ソウル」という称号が与えられた。1995年のデビュー当時から、そして続いて登場したエリカ・バドゥの『Baduizm』(1997年)などと並び、その呼称は一定の妥当性を持っていたと言える。というのも、ヒップホップはもともとソウル/ファンクに影響を受けており、ネオ・ソウルの進化は、文化的にも経済的にも支配的となったヒップホップからの影響の「フィードバック・ループ」を示していたからだ。セクシーでチルなヴァイブス、しかもストリートの匂いもある。
 じっさいD’Angelo はネオ・ソウルの特徴をすべて体現していた——ヒップホップの影響を受けたタイトなビート、滑らかなヴォーカル、無駄のないプロダクション、社会的意識をもった歌詞、グルーヴに乗った重心の低いフロー、そして技巧に走らないセクシーな歌声……。
 多くのミュージシャンとは異なり、D’Angeloが遺した公式アルバムはわずか3枚のみだ。しかしそのどれもが前作を凌ぐ傑作であり、『Black Messiah』(2014)はまさにその頂点に立つ作品だった。彼が病に倒れる前に取り組んでいた未発表の音楽も、いずれ何らかの形で日の目を見ることになるだろうが、現時点では、『Black Messiah』こそが彼の到達点であり頂点である。もちろんそれは、『Voodoo』(2000)や『Brown Sugar』を軽んじてよいという意味ではない。むしろいまとなっては、これら2作を、音楽だけにすべてを賭けたひとりの男が歩んできた、その進化の道筋としても味わえる。

 もし私が「ブラックネス(黒人性)」という概念を音楽的革命として講義する授業を開くとしたら、『Black Messiah』収録の“The Door”という曲をかけるだろう。70年代的なハーモニーとファンクのリフが全編を覆い、厚みのあるファンク・ベースが鳴り響き、1940年代のブルーズ的スライド・ギターのクレッシェンドでは、スライドが弦に擦れる音までミックスに残されている。90年代的なデジタル録音のようなアンプ・ディストーションはなく、リラックスしたホンキートンク調のビートに乗せたファルセットの歌声。ファンク特有の切れ味あるストップ&スタートのイントネーションがありながら、歌唱技巧を排している。そしてたしかなダウンビートが、教室で机を叩いてビートを刻み、まわりの仲間が手拍子を合わせていた高校時代のあの瞬間を黒人たちに思い起こさせる。そうしたすべてが、この1曲のなかに凝縮されている。
 D’Angelo はまた、「ブラック/アフリカ的な音楽学習法」の価値を体現していた。ブルーズ、ゴスペル、ジャズ、あるいはアフリカの伝統音楽——いずれにおいても、黒人音楽とは共同体的な営みであり、集中して意図的に聴くことによって成り立っている。複数のパートが重層的に動きながらも、汗をかくことなく完璧に同期している。ビートとビートのあいだにはたっぷりとした呼吸がある。「重要なのは何を演奏するかではなく、何を演奏しないかだ」とマイルス・デイヴィスが言ったように。
 デビュー作で成功を収めたにもかかわらず、D’Angelo は資本主義的商業システム——すなわち大手レーベルという獣——の餌食になることを拒んだ。アーティストの首筋に息を吹きかけ、スタジオに押しかけては「早くリリースを」「長いツアーを」「最大の利益を」と迫る連中に対して、彼は「くそくらえ」と言い放ち、ルーツのクエストラヴとともに5年間もの冬眠に入ったのだ。……5年だ! 大学の学位を取るより長い。その「大学」が『Voodoo』であり、さらにそれを3倍にしたものが『Black Messiah』だった。
 反資本主義的な精神を貫きながら、D’Angelo は「ブラック・ヒストリーの音」を追い求め、それに人生を捧げた。彼は、過去の偉大な音楽家たちの独自性の蒐集家であり、各アルバムの制作にあたっては、その音楽を研究し、向き合い、ジャムし、さらにまた向き合い、あらたな協働者を招き入れてはまた向き合い、ヴォーカルだけで2年を費やしてもなお、音楽とともに座り続けた。その結果、『Voodoo』と『Black Messiah』は聴く者の前で雲を切り裂き、天を開く。細部にまでこだわり抜いたサウンド・デザインが機能する要素を徹底的に磨き上げ、極限まで高めている。
 建築家とは機械や建物の「内部構造」を見る者である。それを組み合わせることで以前よりも高い創意を生み出す。構造の逆解析を行い、どの瞬間においても楽曲を「最高なもの」として立ち上がらせる。そのような能力を持つ者。D’Angeloには「駄作」と呼べるアルバムがひとつもない。それは、彼が——良い意味で——あまりにも「良いアルバムを作ること」に執心していたからだ。そして、彼は待ち、さらに待ち続け、それが熟するのを見届けた。

 D’Angelo の壮大さ、彼のパフォーマンス、優しさ、録音作品は、視界の果てまで広がるほどの賛辞の波を呼び起こした。しかし残念なことに、彼を苦しめたある種の悪魔が誘発した逮捕、依存、鬱などが彼の早すぎる死に影響した可能性がある。皮肉なことに、彼を押し上げたその「社会的イメージ」こそが彼の首にかかった重すぎる錨となり、彼はそこから抜け出そうともがいた。注目すべきは、『Black Messiah』がD’Angeloのアルバムのなかで唯一、彼自身の姿がジャケットの表にもその裏面にも登場していない作品であるという点だ。焦点は完全に「作品そのもの」に置かれている。
 彼の焦点は、つねに芸術そのものに向けられていたのだ。そして2025年のいま、私たちはようやくその全体像を享受できるのである。その美しさ——彼の微笑み、その語り口、彼が遺した物語とそこに刻まれた教訓、そして何よりも音楽への絶対的な献身——そのすべてを、ありのままに味わえるのだ。


People often talk of talent as if it`s only a person’s singular singing voice or their particular look. How they sing, shout or croon. But not enough of how they hear and put the Lego blocks of multiple genres of music together, pick apart the golden moments of excellence of the past, take them in and head nod to the “goddamn!” pure heavenly idiosyncrasies and reassemble them in a way that move people from their seats and into their hearts. D`Angelo has left us at the early age of 51 years old this past October 14th 2025. There will be many memories of him from media, collaborators, fans and social media types looking to capitalize on his image and legacy. But to properly give tribute to him, I feel it`s appropriate to knight him not a mere musician but an engineer. An architect. In the vein of other architects like Prince or Miles Davis or Parliament. Doomscrolling on Instagram, I unfortunately ran across posts by influencers only emphasizing his sexuality from that one moment in time with the video "Untitled (How Does It Feel)", but that objectifying demon mind is actually the reason among several others for his long absence for the majority of his career. That image will never disappear from the public conscious of that time but that wasn`t his talent. To honor him is to honor how he wanted to be seen and the result of his intense efforts.

D`Angelo, born Michael Eugene Archer in Virginia, just like Pharrell (I think there is something in the water in VA for sure), was a church boy who grew up with love for the Gospel and love for the titans of the soul, rock, and funk era, i.e. Al Green, Jimi Hendrix, Fela Kuti, and Prince just to name a few. All his heroes were also fellow architects. Musicians with keen ears for sound, arrangement, band selection, and overall presentation. And as he grew up dissecting those creators and how they moved - he particularly was mesmerized by Prince`s one man command over the studio and his sound - D`Angelo said that`s me.

With the music industries need to label, D`Angelo`s entry into the scene and initial success with “Brown Sugar” was given the mantle of Neo-Soul. And to some extent with his debut in the 1995 and other titanic releases in the same period like Erykah Badu`s Baduizm in 1997, this is warranted as hip hop was initially influenced by soul/funk and Neo-Soul`s evolution signaled a feedback loop of influence by the dominance of hip hop culturally and financially. Sexy chill vibes but street.

D`Angelo exhibited the hallmarks of what was to be Neo- Soul; clear, hard hip-hop influenced beats, smooth vocals, uncluttered productions, socially relevant lyrics, in the pocket groove heavy flows, and sexy vocals that avoided theatrical gymnastics.

Until many musicians, D`Angelo leaves behind only 3 official albums. But each one is a classic greater than the one before with “Black Messiah” being the crowning achievement. I`m sure that music he was working on before his previously unannounced cancer disabled him will see the light of day in some way, but for now “Black Messiah” is the apex of his known work. That doesn`t mean sleep on “Voodoo” or “Brown Sugar.” Instead, just enjoy the evolution from a man solely focused on it.

If I could teach a class on blackness as a concept of musical revolution, I might play a song like “The Door” from “Black Messiah.” An unassuming song drenched in 70`s harmonic funk recitations, thick funk bass, 1940`s blues slide crescendos with the noise of the slide gracing the strings left in the mix, no amp distortion a la 1990`s digital recording, falsetto singing to a relaxed honky tonk sing song beat, the crispness of funk stop start intonation leaving out vocal gymnastics, and a solid down beat that gives black people memories of that guy in the class room who banged on the desk in high school to make a fire beat while his friends clapped in unison around. All of this in one song.

D`Angelo also represents the value of the Black / African method of studying music. Black music, whether blues or gospel or jazz or traditional African, is a communal situation filled with intensive intentional listening, focused and deliberate, layered instrumentation with multiple parts moving but in sync without breaking a sweat. Lots of breathing between the beats. “It`s not what you play but what you don`t” as Miles Davis used to say. D`Angelo despite his debut album success, refused to be the meat for the capitalist commercial beasts that major labels often are, breathing down the necks of artists, visiting them in the studio in effort to push them for a quick release, a long tour, and maximum profits. D`Angelo said fuck them and went into a five year hibernation with Questlove of The Roots ..... 5 YEARS!!!! just to produce “Voodoo.” 5 years is longer than

getting your degree in university. In this case though, the university was “Voodoo” and then times that by 3 with “Black Messiah.” Anti-capitalist in his endeavours, D`Angelo rested on his devotion to the “sound” of Black history in his eyes. A collector of the idiosyncrasies among his favorite musicians of the past, in making each album, he studied and sat with the music, jammed and sat with the music, invited new collaborators and then sat with the music, spent almost 2 years just doing vocals and still sat with the music. And it shows cause in particular “Voodoo” and “Black Messiah” separate the clouds from the heavens for listeners, letting loose a sound design meticulous with it`s attention to the things that work and amping them up.

An architect sees the inside of the machine or the building, the innerworks that when put together create greater ingenuity that before, reversed analysis of construction that allows each song to be see at a moment`s notice as great. D`Angelo doesn`t have any bad albums because he was too intent (in a good way) to make a good album. And he waited and waited til it gestated.

Though the grandeur of D`Angelo, his performances, his kindness, his recordings created waves of accolades that rolled exponentially as far as the eye could see, unfortunately certain demons haunted him leading to arrests, addiction, depression and so forth, all of which may have contributed to his untimely departure. His social image, the very thing that propelled him forward became an albatross, too heavy to bear but he did his best to break free. Take deep note that “Black Messiah” is the only D`Angelo album where he doesn`t appear on the cover or back sleeve. The focus was fully on his art. The beauty now of 2025 is we can enjoy the beauty of his smile, his diction, his stories, lessons learned and absolute devotion to music.

[[SplitPage]]

高橋芳朗

 ディアンジェロが逝ってしまった。死因は膵臓癌。51歳だった。かつての公私におけるパートナー、アンジー・ストーンが3月1日に交通事故で他界したのがまだ記憶に新しい中での思いがけない訃報。プリンスと共に彼の最大のインスピレーション源だったスライ・ストーンも6月9日に亡くなったばかりだ。スライの死を受けて、ディアンジェロの諸作を改めて聴き直していた方も多かったと思う。

 ディアンジェロは、1990年代以降で最も強大な影響力を有したアーティストのひとりだ。ただし、彼が30年に及ぶキャリアで残したアルバムはたったの3作。1995年の『Brown Sugar』、2000年の『Voodoo』、そして2014年の『Black Messiah』。もともと完璧主義だったことに加え、2000年代は薬物/アルコール依存、相次ぐ逮捕騒動などで活動が停滞。寡作ぶりに拍車をかけることになった。

 ディアンジェロの3作のアルバムはすべて掛け値なしに破格の傑作といえるが、彼は現在に至る名声を実質最初の2作で確立している。人種差別撤廃を訴えるブラック・ライヴズ・マター運動を背景に作られ、ザ・ルーツのクエストラヴが「俺たちの世代にとっての『There's a Riot Goin' On』」と激賞した『Black Messiah』も強力だが、真のゲームチェンジャーはやはり『Brown Sugar』と『Voodoo』。特に『Voodoo』は決定的だった。

 ビヨンセはディアンジェロへの追悼コメントで彼を「The Pioneer of Neo-Soul」と讃えたが、ディアンジェロが『Brown Sugar』と『Voodoo』によって果たした功績を端的にまとめるならば、それはまさに「ネオソウルの音楽像を作り上げたこと」となる。ディアンジェロが編み出したネオソウル・サウンドの最大の特徴は、J・ディラの作風に着想を得た揺らぎ(ズレ)のあるビート、そこから生じる聴く者をじわじわと引きずり込んでいくような深みのあるグルーヴ。その原点といえる試みは『Brown Sugar』収録の “Me and Those Dreamin' Eyes of Mine” で確認できるが、完成を迎えるのは5年後の『Voodoo』まで待たなくてはならない。

 『Voodoo』のビートの革新性は、レコーディング時の数々の逸話が浮き彫りにしてくれる。たとえば、ギタリストとしてのゲスト参加が決まっていたレニー・クラヴィッツがサンプル・トラックのドラム・パターンに違和感を訴えて「これでは演奏ができない」と辞退したエピソードなどは、ディアンジェロが描いていたヴィジョンがいかにセオリーから逸脱していたかを示す好例だろう。だが、何よりも興味深いのは『Voodoo』の大半の曲でドラムを担当しているクエストラヴの証言だ。彼はレコーディングに際して、ディアンジェロから「徹底的に正確さを削ぎ落としてほしい。絶対にうまくいくから俺を信じろ。グルーヴをキープしつつ、とにかくだらしなく叩くんだ」と要求されたという。

 正確さこそが命であると考えていたクエストラヴはディアンジェロの注文通りに演奏するのに約1ヶ月もの時間を費やしたそうだが、その成果──クエストラヴが言うところの「泥酔しているかのような演奏」──が最も如実に表れているのが以降ネオソウルのひとつのプロトタイプとして継承されていくことになる “Playa Playa”や “Chicken Grease” だ。ここで打ち出されているフィーリングは現在ネオソウルとして紹介されているあらゆる作品から聴き取れるのはもちろん、もはや今日のモダン・ミュージックを語る上で欠かせないものになっている。

 ミュージック・ビデオと併せてディアンジェロのアイコンになっている “Untitled (How Does it Feel)” がたくさんのオマージュ・ソングを生み出し続けている事実も含め、彼と『Voodoo』の遺伝子はいまもなおそこかしこで見つけることができる。ディアンジェロのデビューから30年、『Voodoo』のリリースから25年。これだけの歳月を経ているにもかかわらず、そのレガシーがなんら古びることなくフレッシュなアイデアとして有効性を維持しているのは驚異的と言うほかない。1990年代にデビューしたレジェンドのなかでも、ディアンジェロの音楽は若い世代にとって比較的「近い」位置にあったのではないだろうか。

 でもだからこそ、この世界にディアンジェロがいない現実をなかなか受け止めきれずにいる。ジョージ・クリントンがケンドリック・ラマーやフライング・ロータスとコラボするような未来が、きっと彼にもあったと思うのだ。

竹村延和 - ele-king

 2025年、私たちは再び竹村延和の新作アルバムを聴くことができる。この出来事を「僥倖」と呼ぶべきか、それとも「喜ばしい権利」と言うべきか。長い時間の流れの中で訪れた「必然」として静かに受け入れるべきなのか。いずれにせよ言葉は不要かもしれない。ただ耳を澄ませ、この音楽を繰り返し聴けばいい。竹村延和の新しい音が、いままたここにあるのだから。とはいえここでは何か書かなければならない。さて、どうすれば。

 今作『knot of meanings(意味のたま)』は、2014年のオリジナル・アルバム『Zeitraum』以来11年ぶり、さらに2015年の個展『アインハイト』のための作品『Music for the exhibition Einheit』からも10年ぶりとなるフル・アルバムである。断続的に更新される竹村のブログを追い、音の再始動を待ち続けてきたファンにとっては、まさに待望のリリースだ。オリジナルは米レーベル〈Thrill Jockey〉、日本盤は〈HEADZ〉から発売される。作曲・演奏・プログラミング・録音・編集のすべてを竹村自身が手がけ、ゲスト・ヴォーカルとして日本人シンガーdoroが参加している。
 もっとも、この10年を「沈黙」と呼ぶのは正確ではない。竹村にとってそれは、音と世界のあいだに耳を澄ますための時間だった。音を発表しないことは、音を探究しないことを意味しない。むしろ微細な響きを拾い、構造を実験し、音を再び形にする──その試行錯誤の積み重ねこそが、いま結晶として現れた『knot of meanings(意味のたま)』なのだ。
 タイトルの「意味のたま」とは、「音が意味を超えて存在する」という理念を象徴している。言葉にできない核のようなもの、複数の音や時間が結び合う結節点。それが「意味のたま」だ。竹村の音楽にはつねに「ひとつの音にいくつもの時間が宿る」という独特の時間感覚がある。それは旋律や進行に沿う線的な時間ではなく、音の粒子が干渉し合いながら生成する非線形の時間。まさに「意味のたま」という名にふさわしい。
 2016年から2024年にかけて録音された全18曲(日本盤はボーナストラックを含む19曲)は、竹村が10年間かけて紡いだ「意味のたま」の集積である。聴く者は、ただ経過する時間ではなく、重なり合う多層的な「時」の流れを体験することになる。特定のスタイルに縛られない構成は、まるで竹村自身の「音響図鑑」と呼ぶにふさわしい。
 竹村の音楽は、スティーヴ・ライヒやブライアン・イーノが探求した反復と生成の構造、ロバート・ワイアットが声の揺らぎで表現した時間感覚と共鳴している。同時に、カンタベリー系ジャズ・ロック、フランスのチェンバーロックZNR、〈クレプスキュール〉周辺のニューウェイヴなど、室内楽的な音楽の系譜にも連なっている。短音のアンサンブルが生む豊かさ、軽やかなピアノの響き、子どもの音楽のような無邪気さ、そして上品なユーモア。それらはZNRを思わせながらも、竹村の手によって「日本的な時間感覚」へと変換されている。間(ま)と余白の美学、聴き手の内面に生まれる時間の揺らぎ。牧歌性と静謐が交錯するその感覚こそ、竹村の音の本質だ。
 
 アルバムは “明滅する火花” で静かに幕を開ける。マリンバのような音とピアノの絡みが光の粒のように広がり、続く “サヴォナローラのまなざし” ではエレピや管楽器、声のアンサンブルが純粋な存在感を放つ。“眼球生物” では無調のピアノと声が交錯し、複数の時間軸を内包する音空間を形成する。各楽器と声がそれぞれ異なる持続を保ちながら共存し、聴き手に「多重の時間」を体験させてくれる。以降も声と楽器、電子音が変奏を続け、アルバム全体がひとつの流れとして貫かれていく。
 竹村の音楽には一貫して「構造の純化」という志向がある。複雑さを排除するのではなく、複数の音が衝突し共鳴しながらも、透明な構造を形成していく。その理念は1997年の名盤『子供と魔法』以来変わらない。『knot of meanings(意味のたま)』でも、電子音と生音、旋律とノイズ、響きと間が対立することなく繊細に結ばれている。その「結び目」が生むのは複雑さではなく、透徹した深さ、いわば「純化としての構造」だ。
 この純化は、エクスペリメンタルな先鋭化ではなく、むしろ温もりを帯びた牧歌的な方向へと向かう。現代のデジタル環境にあふれる「音の過剰」への静かな抵抗として、竹村の音楽は存在する。無自覚な情報の氾濫に抗い、音そのものの本質を問う。その批評的な姿勢は、30年以上にわたり音の純粋化を実践してきた竹村だからこそ自然に息づいている。
 彼の音楽は、情報と刺激に麻痺した聴覚をリセットし、耳の奥に眠る感性を呼び覚ます。都市のノイズやネットワークの喧騒から遠く離れ、それらを音として再構成する。ゆえに竹村の作品は、単なるエレクトロニカではなく、21世紀の「聴く文化」そのものを批評する音楽作品として機能しているのだ。
 アルバム終盤に収録された “深海の虹” 三部作(パート1〜3)は、『knot of meanings(意味のたま)』の主題をもっとも端的に示す。アニメーション作品のために制作された楽曲でありながら、弦のレイヤーが静かに波打ち、電子音がその隙間に滲み込む。シンプルな構造の中で時間が幾重にも折り畳まれ、「いまここ」と「遠い過去」のあわいを漂う。その透明な音響こそ、竹村が追い求めてきた「音の純化」の結晶である。
 音の純化は「こえ/うた」の扱いにも表れている。ゲスト・ヴォーカルのdoroの声は、子どものような無垢な響きを宿し、作為を感じさせない。「歌う」前の「うた」がそこにある。竹村は、2001年の『Songbook』やスピーチソフトによるロボット・ヴォイスを導入した2002年『10th』以来、この素朴で純粋な「こえ/うた」を追求してきた。『knot of meanings(意味のたま)』では、その理念がいっそう純化されている。
 おそらく、この10年という時間は、音楽の構造をどこまで純化できるかという試行の期間でもあったのだろう。純化には「作る耳」だけでなく、「聴く耳」の浄化も必要だ。作曲者自身が最初のリスナーである以上、竹村にとって音楽は制作行為で完結しない。聴き手がその響きに耳を澄ませることで、初めて音楽は完成する。
 音楽とは「作る人」と「聴く人」とを結ぶ行為である。この理念こそ、竹村がDJ/クラブ・ミュージックの土壌から登場した理由でもあり、彼のテーマである「Child’s View(子どもの視点)」にも通じる。無垢な耳で世界を聴くことは、情報の洪水の中で感性を守るための方法論なのだ。

 『knot of meanings(意味のたま)』は、「聴くこと」そのものを再生するアルバムである。やはり能書を書くより、まずは聴く。とにかく聴く。それだけだ。そして聴き込んだ先にある「言葉」こそ魔法のように大切なものになるはず。それはアルバムを聴いた「時間」そのものの大切さだ。
 じっさい本作には、10年の制作時間、70分の再生時間、そして聴き手が費やす時間が折り重なっている。この三つの「時間」が重なり合うとき、『knot of meanings(意味のたま)』は「時」を超えて「いま」に開かれるのではないか。
 竹村延和は、なおも音の希望を信じている。音を作り、音を聴くことの豊穣さを信じている。彼が結んだ「意味のたま」の小さな結び目は、未来の音楽へ向けた微かな光として、私たちの耳の奥に長く残り続けるだろう。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151