幕の内弁当がいまのような姿を現すのはようやく江戸時代のことらしいというのはウィキペディアで得た情報だけれども、あのとりどりの惣菜が折詰に小さく仕切られて、デザイン性もゆたかに並べられている様子は、吹抜屋台というのだろうか、屋根をとりはらって中のお姫様やお殿様や女官たちを俯瞰で描く『源氏物語絵巻』など、もっとふるい絵巻物の構図を思い出させる。
フル・アルバムとしては2枚めとなるパスピエの新作に冠されたタイトルは『幕の内IZM』。「全曲シングル出来」と喧伝されるように、各楽曲には卓越したソングライティングや繊細なアレンジ、小技を効かせたタイトなアンサンブルが光り、ニューウェイヴィなシンセ・ポップからソリッドなポストパンク調、ピアノやオーケストラ・アレンジが華やかなロック・ナンバー、変拍子と転調を重ねるプログレ展開……と、さながらいちょう切りのにんじんや、丁寧に俵型に型押しされてごまをかぶった白米のように、幕の内なヴァリエーションが詰め込まれている。しかし、幕の内弁当のように多彩でよくできたアルバムですね、というのでは言葉足らずだ。パスピエの「幕の内」はただ品数やデザイン性という特質を超えて、あの俯瞰構図が思い起こさせる「日本らしさ」へとさかのぼっていくように思われるからだ。
大胡田なつきのジャケット・デザインもそんな空想を手助けする。ポップアップ式で日本家屋の一隅が展開し、立てて置くとその全体が俯瞰できる。日本画の絵具で塗られた少女たちが遊び、佇み、異なる場面や異なる物語が同一画面に収まってしまうという、あの絵巻的な時間と空間。そこではやがて、ジューシィ・フルーツを垣間見するイエスや、文箱を開ける矢野顕子のホログラムが明滅を繰りかえすだろう──。一人称を起点に歌うのではなく、また三人称の物語を紡ぐのでもない、その両者がとけあいながら並び、時間を混在させ、木と紙でできた箱を華やがせるその様子には、メイン・パーソン成田ハネダが述べるように、頭にJをつけて異物を取り込んでしまう敷島の大和心が奇妙なかたちで表れているのかもしれない。
今作において成田ハネダは、海外からみた日本を意識したと言う。いや、そもそもの最初からパスピエの音楽にはJ-POPとはどんなものなのかという問いかけがあった。大学で西洋の音楽を修め、ロックやパンクはその後に出会ったというこの鍵盤奏者は、日本のポップ・ミュージックに対しても、その内側からではなく、まさに絵巻物のように俯瞰的で、視線がけっして内面化されないような地点から接してきたのだろう。
『幕の内ISM』は、そうした意味で日本のポップスを相対化し、イミテートする、過激な実験化合物のような色をしている。これまでの作品に増して「皮をかぶったJ-POP」を加速させ、むしろそのことでその皮が破れ、エクスペリメンタルにJ-POPという幕の内をさらすものに仕上がっている。初期衝動ゼロのつめたい批評性と、限界まで伸張させたJ-POP要素とが激しく摩擦を起こし、いまにも発火しそうだ。

セカンド・アルバム『幕の内ISM』のジャケット展開イメージ
■パスピエ/Passepied
2009年に成田ハネダ(key)を中心に結成。バンド名はフランスの音楽家ドビュッシーの楽曲に由来。2011年にファースト・ミニアルバム『わたし開花したわ』、2012年にセカンド・ミニアルバム『ONOMIMONO』をリリース。2013年には初のシングル『フィーバー』つづけてメジャーで初となるフル・アルバム『演出家出演』を発表。数々の大型ロックフェスへの出演、またワンマン・ツアーを成功させ、今年はEP『MATATABISTEP/あの青と青と青』、セカンド・フル『幕の内ISM』のリリースでキャリアにさらなる弾みをつけている。
Vocal : 大胡田なつき Keyboard : 成田ハネダ Guitar : 三澤勝洸 Bass:露崎義邦 Drums:やおたくや
成田ハネダのポップス観
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パスピエ 幕の内ISM (通常盤) ワーナーミュージック・ジャパン |
■まず、整理のためにおうかがいしたいのですが、最初のミニ・アルバム『わたし開花したわ』(2011年)の時点では、メジャー契約前ということになるわけですよね?
成田ハネダ:そうですね。
■とすると、ある種の契約関係のないところで作られてきた曲というのは、だいたい『わたし開花したわ』の時点で発表済みということになりますか?
成田:そうですね、僕らの場合は、その作品のリリースまでに作った曲がその作品に収録されるというかたちですね。例外もあるんですけれど。
■そうなんですね。最初のミニ・アルバムでひとつ区切りができているという。では、メジャーというところへひとつステージを上げたことによって、何か変化を意識しましたか? たとえば、誰に向けて作っているのか。
成田:うーん、誰に向けて作るというようなことはあまり意識したことがなくて。僕はバンドをはじめたのがすごく遅かったので、「誰に共感させたらいいんだろう?」ってことよりも、「誰が共感してくれるんだろう?」っていう興味のほうが大きかった部分はありますね。
いまは曲についての感想をツイッターのリプライとかでいただいたりすることが多くなりましたけど、年齢や顔が見えるわけではないので、おもに反応を意識するのはライヴだったりするんですよ。そのライヴのお客さんが、年々変わってきていたりすることは感じます。
■あ、やっぱりそうですか。
成田:そうですね。最近はどんどん若い方が来てくださるようになったと思います。
■なるほど。その変化に対して自分たちからも投げ返すという感じですか。
成田:そうですね。『わたし開花したわ』の頃はけっこう年齢の上のかたが来てくださっていました。
■その感じはわかりますよ。変な言い方ですが、音楽的にちょっとうるさいような、玄人感のあるお客さんというか。若い人が増えたというのは象徴的だと思うんですが、今作について、よりポップに開き直るというような部分はなかったですか?
成田:「開き直る」というのは、よりポップを意識するということですか?
■そうです。へんに悪い意味にとられたくないのですが。
どちらかというと、大きなフェスに行って衝撃を受けて、フロアで2万人、3万人を沸かせるアーティストってかっこいいなって思ったのがはじめで。それでバンドを作ったんですよ。 (成田)
成田:そうですね、そもそもの話からすると、僕の場合は、衝撃を受けたライヴ体験が小さなライヴハウスでの経験だったりするわけじゃないんです。どちらかというと、大きなフェスに行って衝撃を受けて、フロアで2万人、3万人を沸かせるアーティストってかっこいいなって思ったのがはじめで。それでバンドを作ったんですよ。そのころは、そういう大きなステージで活躍しているアーティストはメジャー契約というものをしている人たちなんだっていうふうに思っていたし、それならば自分たちもメジャー契約をしたい、という感じだったんです。
でも、何年かやっていくうちに「彼らはメジャーに行って変わってしまった」というような反応をきくようになりました。そのときに、インディからメジャーへ行くというのは、アーティストだけじゃなくてリスナーにとっても意識を変えさせられることなんだなってことを理解するようになって、だったら僕はその逆をやりたいと思いました。僕の中では『わたし開花したわ』に入っている作品がいちばんメジャーっぽく作ったものなんです。
■へえ!
成田:バンドなのに思いっきりオーケストラ・アレンジをしている曲だったり、これだったらテレビで流れてもおもしろいんじゃないかなっていうような曲だったり。はじめはそういうものを作っていたつもりで、メジャー契約したあとは、むしろ自由なことをやらせてもらっているような気がします。
■なるほど。
成田:なので、ポップスの純度という点で『わたし開花したわ』がいちばん高いものであって、その濃い薄いが以降の作品の差だというのが僕の感触なんですよ。
■先に『わたし開花したわ』というイデアが提示されてしまっていると!
成田:バンドをやる上で、メジャーでやりたいという思いがすごくあったので、だったら最初から出来上がっていればいいんじゃないかと考えていたと思います。
■それはまた、ある意味複雑な出発点ですね(笑)。たとえばメジャー・リリースのファースト・アルバムとなる『演出家出演』ですけど、あの冒頭のフュージョンっぽいアンサンブルの一曲を比較しただけでも、今作『幕の内ISM』ってずっとポップでメジャー感があると思うんですね。
成田:はい、はい。
■それって、単純に自分たちのモードの変遷だということなのか、それとも、たとえば若いリスナーが増えたというような背景も受けて、いままでとちがうところに向けて開いていこうとするものがあったんでしょうか?
成田:やっぱり、つねに新しい人に聴いてもらいたいっていう欲求があるので、いま聴いてくれている人たちとはべつのジャンルに届かせるためにはどういうアクションがあるかなっていうことはつねに考えながら作っています。でも『演出家出演』は、僕たちのなかではライヴとかフェスを意識して作ったものなので、そのひとつのモードが終わったということはあるかもしれません。
それで、いざべつのターンに入っていこうとするときに昨年音楽的に影響を受けたのが、「民族性」っていうことだったんです。
■え、「民族性」ですか。
日本の場合はJ-POPとかJ-ROCKとか、細かくカテゴライズされてはいるけど、必ず頭にはJがつく。それはいろんなものを取り入れた上で、それでも島国らしく自分を出していくっていうことに感じられて。 (成田)
『幕の内ISM』の民族性
成田:はい。音楽を聴いたり、美術館に行ったりして思ったことがあって、次のアルバムでは「民族性」ということを活かしたいと考えていました。ライヴを意識していく前作の方向性とはぜんぜんちがうベクトルで、今作は民族性というテーマを持ちたいと。
■オリジンということですか? それとも、たとえばダーティ・プロジェクターズなんかが実験的に接近していくような「民俗」、土地に固有なカルチャーへの興味ってことですか?
成田:大胡田は絵だったり詞だったり、わりと総合的に発信するものがありますけど、僕の場合は音だけで、音が持つ土地感のようなものに興味を持ったんです。以前からそういうものはおもしろいなと思っていて、それをバンドでも表現したいと思いました。
■なんというか、それは槍を持ってたりとか、単純に民族楽器を使ったりとかってことではないわけですよね。もうちょっと「民族性」ということについて教えてもらえますか?
成田:たとえば韓国ならK-POPだったり、イギリスならUKロックだったり、北欧なら北欧でいろんなバンドが存在していますけど、その国らしさというものがあるじゃないですか。先入観かもしれませんが。
■はい、はい。
成田:それで、日本ならば民謡だったり雅楽だったりという古い音楽だけじゃなくて、ちゃんとJ-POPにも(民族性というものが)あるなあと感じたんです。
■なるほど、日本の民族性、オリジンというようなことですね。
成田:そうですね、それを日本の人に向けて発信するというのではなくて、世界からの視線に対しておもしろいものが作れたらいいなあと思ったんですよね。それに、尺八の音を使ったり和太鼓の音を使ったりということではなくて、いままでやってきたバンドのサウンドでいかに表現するかっていうことに重きをおきました。
■おもしろいですね。自分たちのルーツを探るというモチヴェーションならわかりやすいんですが、なぜか世界からのまなざしを意識していると。
巫女さんとかセーラー服とかって、好きな人が一定数いるじゃないですか。わたしもそのなかのひとりっていうだけだと思うんですけど(笑)。 (大胡田)
■『演出家出演』までって、やっぱりインディ・バンドだったと思うんですよ。すごくニューウェイヴでロックで、それをある意味でエッジイに追求していて、メジャー・リリースだけどインディ・バンド。それに対して、今作はそういう角が取れている部分があって、曲のアレンジやらプロダクションからいっても、あらためてJ-POPのステージに立とうとしているような気がしたんです。それが、パスピエにとっての民族性の追求ということなんでしょうか?
成田:日本の音楽って、J-POPに限らず融合の歴史だと思っていて。たとえば古い時代なら、中国なり東南アジア由来のものを日本の風土に親しみやすいように取り込んでいく。いまはもっと世界的にいろんなものが混ざり合っていて、音楽もそうなっていますよね。でも日本の場合はJ-POPとかJ-ROCKとか、細かくカテゴライズされてはいるけど、必ず頭にはJがつく。それはいろんなものを取り入れた上で、それでも島国らしく自分を出していくっていうことに感じられて、そういうことがおもしろいなあと思うんです。
■そのへんは「ガラパゴス」という言葉もありますね。いろんなものが日本という閉じられた環境のなかで奇妙なかたちに煮詰められてしまうと。成田さんのおっしゃる「J」っていうのは、今作だとどのへんに出ていると思いますか?
成田:今回はJ-POPの中のバンドではなく、「POPの中のJ-POPバンド」をテーマに作ったので、どのへんというよりは全体のイメージだと思っています。あくまでも主観ですが。
制服、着物、巫女──大胡田なつきの女の子
■大胡田さんの絵の、女子学生、制服、着物、巫女というのも、ある意味で煮詰められた「J」の表現かと思うのですが、ご自身のなかではそういうオリジンとか日本というのはどんなものなんですか?
大胡田なつき:わたしはわりと、小さいころから「日本に生まれてよかったなあ」って。日本が好きだと思うことが多かったんですけど、それは自分が生きているいまの日本とはちょっとちがって、本のなかで読んだりする昔の日本だったんです。
■ああ、古い日本なんですね。昭和とかよりずっと昔の?
大胡田:どのくらいだろう……。『斜陽』(太宰治)とか、夏目漱石とか。
■なるほど、ちょんまげまではいかない、ぎりぎり写真が残っているような近代文学の日本ですね。
大胡田:そうですね、そのくらいの日本が好きです。本とかもわりと読んでいたほうなので、そのせいもあるかもしれないですね。でも今回のアルバムのジャケットなんかは、『演出家(出演)』を作り終わったくらいのころに浮世絵とか日本画の道具に興味を持ったので、その影響ですかね。パスピエってフランス語なんですけど、日本の色ってフランスの色に共通しているようなところもあって、いろいろ調べたりもしました。
わたしはとくに成田さんのように民族性を意識したりということはなくて、ただ自分が描きたいから描いただけなんですけど、アルバムになってみると成田さんと似たようなものを表現していきたいと思った時期だったのかなとは感じましたね。
■女子学生で制服で着物でってなるとどうしても会田誠さんを思い出してしまったりもするんですが、お好きだったりしますか? あるいはどこかに同じようなアプローチを感じたりとか。
大胡田:どうかな……、並べられるかな(笑)。
■ははは。刀こそ出てきませんけどね。
自分の描いている女の子のかたちっていうのは、自分のなかの女の子の理想像っていうところがあるんですね。そこは男性の目線から見る可愛らしい女の子というのとはちょっとちがうものだと思います。 (大胡田)
■あるいは、大胡田さんは巫女さんを描かれることも多いですけど、この女性のモチーフってご自身のなかの何なんですかね?
大胡田:巫女さんとかセーラー服とかって、好きな人が一定数いるじゃないですか。わたしもそのなかのひとりっていうだけだと思うんですけど(笑)。
■あはは! いや、でもそれって男性に近い感じの目線なんですか?
大胡田:わたしのなかでは、自分の描いている女の子のかたちっていうのは、自分のなかの女の子の理想像──わたしのなかの女性っていうのはこういうものだ、っていうところがあるんですね。だからわりと、靴下脱いでる女性とか、ポーズがあんまり女性らしくなかったりすると思うんです。そこは男性の目線から見る可愛らしい女の子というのとはちょっとちがうものだと思います。
■男性から見てセクシャルな感じに記号化されている制服とか着物じゃないなってことは、わたしも思うんです。
大胡田:うんうん。
■大胡田さんは、小川美潮さんとかがお好きだってよくおっしゃってますよね。成田さんは矢野顕子さんですか。おふたかたとも、ある意味では母性とか、古い制度とか因習に重たくとらわれた女性のありかたから跳躍しようとした人たちだと思うんですが、そんな感じですかね?
大胡田:そんな感じなのかはわかりませんけれど、自分が女性である、ということを全面に押し出していないところはすごく好きです。
■泉まくらさんともいっしょに作られてましたよね(「最終電車 featuring 泉まくら」2013年)。彼女とはある意味対照的なタイプでいらっしゃるようにも見えるんですが、実際どうでしたか?
大胡田:わたし、まくらちゃんのアルバムをけっこう聴いているんですけど、わたしが外へ出さない部分──女の子らしさみたいなところを感じました。聴いていて「これはわかる」という部分はすごくあるはずなんですけど、その「わかる」の感覚に出会えるような生き方を自分はしていないなあ、と。まくらちゃんに共感する女の子は自分を含めて多いと思うんですけどね。
■ある意味では大胡田さんは女の子らしくない(笑)。
大胡田:どうなんだろう(笑)。わたしは、女の子みんながまくらちゃんのような生き方をしているわけではないと思うけど──
■詞にもけっこう対照的に出ていますよね。たとえば大胡田さんの場合は、詞では自分の内面みたいなもののなかに深く入っていかないじゃないですか?
大胡田:うん、そうですね。
■それはパスピエの音楽性にとってもすごく重要なポイントだと思うんですが、逆に言うと、どうして、たとえばまくらさんのような詞を書かない/書けないんでしょうか?
大胡田:ちょっと(言葉が)自分に近すぎる……ということですかね。わたしが書いている歌詞の内容は、自分からはちょっと遠いところにあって。自分のなかから出てくるものではあるんですけど、一応「パスピエの大胡田なつきです」というふうに思っているので、自分の内面を書くということはあんまりない……かなあ。なんというか、わたしが歌詞を書くときは、もし自分に5つの面があるとすれば、そのなかのひとつについて書く、という感じなんです。だから、ちょっと自分からは離れているんですよ。
尖らせていく、研ぎ澄ませていくという点について僕はなにも心配していないですね。DTMとか打ち込みとかで完成させていく音楽に、リスナーの人たちの耳はもう慣れ過ぎていると思うので。 (成田)
“うた”とヴォーカリゼーション
■なるほど、3人称的なものが多いですよね。このあいだニルヴァーナのムックが出ていましたけど(『ニルヴァーナ:グランジの伝説』河出書房新社)、死後20年なんですね。スキルとかじゃなくて、まず俺あっての音楽、というものの説得力が2000年代にはやや後退しましたけど、パスピエ的な音や佇まいは、そういうところにとてもしっくりきたと思うんです。成田さんは、大胡田さんの歌詞についてはどうですか?
成田:僕は、歌詞についてストーリー的な部分はあまり気にしていないので、一人称のものでも三人称のものでもそんなに気にならないですかね。詞で書いてもらう世界観は100%共有できるものではないと思っているので。それでも、そのなかで音楽を発信する身として共通する部分を見出していくとすれば、僕の場合はそれぞれの単語の響きだったりということになりますかね。あとは、実際に声に出しているのは大胡田なので、大胡田が納得する世界観で発信してもらえればそれでいいかなって思います。
■なるほど、音として今作のヴォーカリゼーションを考えると、とくに高音で声を抜いたりしなくって、行くところまで行く、その意味で甘いとこがないという感じがしたんですが。歌唱法の変化って感じたりしますか?
成田:今回は歌い方、すこしちがうよね?
大胡田:基本的にはあまり変わらないんですが、曲も新しいので、新しい歌い方を使ったって感じですかね。
■たとえば矢野顕子さんって、もし音程を外すことがあったとしても、それはすべて計算内というか、完璧にやれる上での外しだったりするんだろうなっていうイメージがあるんですが、今作の大胡田さんって少しそんな感じに極めていっている気がしました。
成田:ああ、それは目指したところでもありますね。前回は、ここを聴いてほしいっていうようなところとくにがなくて、ポイントポイントで照準を合わせていったという感じがあるんですが、今回ははじめて、どこに発信しても納得してもらえる、どこで演ってもどこで流れても成立するというものが作りたかったので、その点ではどこにも隙がないのがいいんじゃないかと思っていました。
■ある面からすれば、ノイズや音程などもふくめて、音楽は作りこまれすぎないところに豊かさがあるともいえると思うんですが、その点はむしろすごく作っていくことで尖らせるというか。
成田:そうですね。まだいまの段階ではリリースされていないので、どんなふうに聴いてもらえるかっていう反応がわからないですが、尖らせていく、研ぎ澄ませていくという点について僕はなにも心配していないですね。DTMとか打ち込みとかで完成させていく音楽に、リスナーの人たちの耳はもう慣れ過ぎていると思うので。
自分にとっていちばんリアルにつながっている音楽的な日本のルーツというと、ニューウェイヴになるんじゃないかと思います。 (成田)
ニューウェイヴ・ジャパン
■パスピエは「みんなのうた」になったのかもしれませんね。矢野顕子さんも1曲ありましたよね。ニューミュージック系の人なんかもけっこう「みんなのうた」の後ろにいたりする。きちんと曲が作られて、きちんと演奏されて、隙のない歌が乗って、イメージも完成されていて、あと、日本の独特のものがあるじゃないですか。
成田:「みんなのうた」っていうのが僕の思い描くものと近いのかどうかわからないですが、今回は国内ということではなくて海外から見た日本も意識しているわけなので、そのへんが日本のニューウェイヴっぽかったりはすると思います。
■オリジンを考えるときに、ニューウェイヴにいくっていうのはおもしろいですね。
成田:僕は、そこにウソがあったらいけないなと思っていて。僕たちは顔を出さないでやっていたりしたので、音楽までフェイクになってしまったらマズイなと思うんです。それこそ、江戸の趣味とか、雅楽とかを取り入れたとして、でもそれっていまの時代に本来はないものじゃないですか。そういうものは、いい悪いということではなくてフェイクだと僕は思っていて、自分にとっていちばんリアルにつながっている音楽的な日本のルーツというと、ニューウェイヴになるんじゃないかと思います。
■さっき「クール・ジャパン」的な外部へ向けた日本のイメージ、あるいは外部から向けられた日本のイメージを意識していると言っておられましたが、それはどういうことになるんでしょう?
成田:「クール・ジャパン」というとアニメーションだったりボカロだったりということになるかと思うんですが、僕らがクール・ジャパンを意識して伝えようとすると、別のものになると思うんですよ。そこらへんのさじ加減は気をつかいました。すごく狭いところに行ってしまわないように。
■自分の内側にもぐっていって日本を発見するというよりは、外国からの視線のなかにそれを見つけようとするわけじゃないですか。成田さんはピアノで西洋の音楽を本格的に学ばれてきたわけですが、それと日本が結びついた瞬間ってどこにあるんですか?
成田:それがパスピエですかね。「パスピエ」って、ドビュッシーという作曲家の曲名からとったんですが(『ベルガマスク組曲』終曲)、ドビュッシーに限らずその頃のフランスの作曲家とか画家には日本の愛好家がけっこういて、彼自身も楽譜の初版に『富嶽三十六景』(葛飾北斎)を使ったりしているんです。印象派じゃなくてもそれに近い時代の作曲家の作品には、どう見ても日本っぽいメロディがあったりして、それはあくまでフランスのもの音楽だけど、勝手に親和性を感じるところはあります。
「クール・ジャパン」というとアニメーションだったりボカロだったりということになるかと思うんですが、僕らがクール・ジャパンを意識して伝えようとすると、別のものになると思うんですよ。 (成田)
■フランスは日本の2次元カルチャーなんかにも熱心ですよね。成田さんはたまたまフランスの音楽を学ばれたわけですが、それ以外のUKやUSの音楽にはとくに傾倒されなかったんですか?
成田:好きな音楽やアーティストはいっぱいいるんですけど、僕の場合はバンドをはじめてから掘り下げていったんですよ。
■海外のロック、ポップスみたいなものを聴きはじめたのは何からなんですか?
成田:ほんと、レッド・ツェッペリンも知らなかったくらいなんですよ。自分がやるからには、いわゆる名盤と呼ばれているものが何なのかということを知らなければと思って聴きはじめましたね。さすがにビートルズは聴いたことがあったんですけど、オアシスとかからパンク、メロコアなんかまでさらう感じでした。
■そうすると、日本のニューウェイヴのほうが、体験としては先にあったんですか?
成田:いや、フェスとかでロックという音楽に触れたことが僕の原体験だと思っていて、オアシスだ、ピストルズだというのが先でした。それでどうやって自分の音楽を作っていこうかなというところをつないでくれたのがニューウェイヴでした。
野田:ちなみに、日本のニューウェイヴっていうとどんなバンドですか?
成田:僕はニューウェイヴのバンドに行きあたる前に矢野顕子さんを知って、矢野顕子さんが当時YMOでツアーをまわったりしていたということでYMOを知って、そこで、どうやら彼らはニューウェイヴと呼ばれているらしいということを知った、という感じなんです。そこから同時期に活躍していたビブラトーンズやP-MODELだったりを知って、あらためてニューウェイヴっておもしろいなと思って、海外にもあるらしいぞ、というふうに広がっていきました。そのなかで、「ニューウェイヴというのはキーボードがいて電子音が使われていて……」という、それまで自分が勝手に固めていた解釈以外のバンドもたくさん知るようになって。だから、きっかけはバンドというか矢野顕子さんでした。
野田:とくにおもしろいと思った日本のニューウェイヴ・バンドは何だったんですか?
成田:僕は、ビブラトーンズですかね。
■大胡田さんはジューシィ・フルーツとかヒカシューとか名前を挙げておられたように思いますけども。
大胡田:ジューシィ・フルーツとかは聴いてましたね。でも、わたしはとくに誰が好きで曲を聴くとかってことがないんですよね。あと、名前とかをぜんぜん覚えられない。
■ははは! 系統立てて追っていこうとかってことではないんですね。
大胡田:もう、好きな曲を聴くってだけです。その人の曲を調べてどんどん聴いていくというようなことをしないので……。だから、「この時代なら誰が好き?」って訊かれても答えられないことが多いですね。
■野田さんはニューウェイヴ観に相違を感じられました?
野田:いや、ビブラって意外だなと思って。時代によってやっていることがちがうけど、初期の歌謡曲っぽさが好きなの?
成田:そうですね、僕はニューウェイヴのバンド・マンがプロデュースしている女性アーティスト──早瀬優香子さんとか、鈴木さえ子さんとかにも並行してハマっていきましたね。だから歌謡曲っぽさに惹かれるところはあったかもしれません。
アニメですか。わたし、アニメってぜんぜん観たことなくて。 (大胡田)
■女性ヴォーカルは絶対という感じですか。
成田:絶対というわけでもないんですが、バンドを組もうと思った2006年くらいの頃は、男性ヴォーカルのギター・バンドがすごく多かったんです。まあ、僕の知る範囲では。それからキーボードの入っているバンドもいまほど多くなかったと思います。それで、なんとなく、これからバンドを組むなら女性ヴォーカルを入れるほうがいいんじゃないかというようなことを考えました。
■歌唱力っていうと、大抵は声量が豊かなR&Bのシンガーなんかを暗に基準にしているところがあると思うんですけど、大胡田さんってそうじゃないですよね。太いわけじゃないけど、明確な子音とか、キーボードのようにぶれない波形、みたいな。ある意味で日本的というか。
野田:アニメの音楽の影響があったりというわけでもない?
大胡田:アニメですか。わたし、アニメってぜんぜん観たことなくて。よく訊かれるんですけど、アニメで好きな歌っていうとけっこう古いものになってしまうと思います(笑)。親が歌ってたから知ってる、とか。
成田:でも、絵も描いていたり、自分でマンガを描きたいって言っていたこともあるんですよ。だから、考え方が突飛というか、突然変異的なことが多くて。それこそ、ぜんぜんマンガを読んだことがなかったのにマンガ家になりたいって思ったりとか。僕が見るなかでは、何かにインスパイアされて表現が生まれるというよりは、自分が表現するための手段がそれだった、みたいなところがありますね。
■なるほど。アニメの音楽っていっても、Jポップの市場がぶらさがっているだけってところもありますしね。
野田:成田さんから見た大胡田さんのヴォーカルの魅力はどこなんですか?
成田:まず声質ですよね。話し声をはじめて聞いて、普通の声じゃないって。それはいまでも強みかもしれないです。あと、本人がどう思っているかはわからないですけど、曲によって変えようとしているのがおもしろいですね。「どんな曲がきてもわたしはわたしの歌い方で」っていうのではなくて、特異な声質を用いて、曲によって様変わりしていこうとしているスタンスが。
■ついアニメと比べてしまうような、ちょっと中性的というか、幼児性のあるような声質というのは、ニューウェイヴ的なものでもあると思いますけどね。
成田:そうですね。僕もアニメはぜんぜん観ないんですよ。ただ、当時のニューウェイヴの曲は、僕は素朴におもしろいと思って聴いていたんですけど、それが『うる星やつら』に使われていたとか、ゲームに使われていたというようなかたちで、思わぬところでそうしたカルチャーとつながることは多かったです。
それに対する僕らなりのポリシーとしては、同期ものをいっさい使わないところで表現をしていこうというところですかね。ハードで鳴らすことの意義はすごく重く考えています。
バンドの意義、ハードの重み
■ボカロはどうでした?
成田:僕はボカロも聴かなくて。ぜんぜん嫌いというわけではないんですけど、とくに感動できないということがあって。自分がピアノをやっていたときには、いかに一音で感動させるかというようなことにずっと取り組んでいたんですよ。ピアノには言葉がないから。ボカロとかも、ひとつの表現手段として、あるいはカルチャーとしておもしろいものだとは思うし、テクノロジーの進化ということで時代性もあると思うんです。けれども、作っている人間の感情を、発する音から求めたいと思うところがあるので……。
■ボカロといっても要素は生の人の声なわけで、大胡田さんの声で「あ」から「ん」まで録音したサンプルをつなぐのと同じですよね。でも、彼女の歌と、彼女のあいうえおを単組み合わせたものとは違うんだということですか?
成田:そうですね。そう思っているし、それに対する僕らなりのポリシーとしては、同期ものをいっさい使わないところで表現をしていこうというところですかね。ニューウェイヴだ、電子音だ、っていうところで、同期ものをつかわないの? とよく訊かれるんですが、たとえ波形で見れば同じことだとしても、ソフト音源を使ったりとか打ち込みってことをやったことがないんです。全部ハードで録っているんですよね。PC上でMIDIでつないで鳴らすってことではなくて、ハードで鳴らすことの意義はすごく重く考えています。
野田:そこもすごくニューウェイヴ的なアプローチだよね。フライング・リザーズが風呂場でドラムを録るようなさ。テクノロジーに支配されない、テクノロジーは使うものだ、っていうね。
成田:なるほど、そうですね。
野田:ポップスの歴史ってだいたいはアメリカなんですよね。だから大瀧詠一さんが世界史を分母にして……っていうときの「世界」はアメリカのことで、細野晴臣さんとか矢野顕子さんとか、あの世代まではみんなアメリカの音楽の影響を受けているわけ。でもニューウェイヴだけがヨーロッパの音楽なんですよ。小室哲也っていう例外はあるんだけどね。
成田:はい、はい。
「理想」と言えない感じ。たとえば、いまは昔にくらべて、いわゆる「応援ソング」ってものが嘘くさくなってしまいましたよね。「がんばれ」って言うと批判をくらってしまう時代というか。 (成田)
理想を言えない時代の“Shangri - La”
野田:それで“Shangri - La”(『MATATABISTEP/あの青と青と青』、2014年)をやるっていうのは、電気グルーヴのなかにニューウェイヴっぽさを見たというようなところなんですか?
成田:もちろんそれもあるんですけど、やっぱり僕はその「シャングリラ(理想郷)」っていうテーマ自体に惹かれたんだと思います。なんか、いまやることで時代の気分が出るかなとも思いました。それに、「電気グルーヴがやりたい、そのなかで有名な曲を選ぼう」ということではなくて、電気グルーヴと“Shangri - La”がセットだったという感じですかね。
■なるほど。
成田:いまは「理想」っていうことを聞かなくなったと思うんです。世の中的に。
■シニシズムということですか?
成田:うーん、そういう「理想」が言えない時代だというか。僕らが“Shangri - La”をやることによって、それを新たな意味で示すことができるんじゃないかという思いがちょっとあります。音楽的にはまじめにやっているんだけど、とらえられかたとしてフェイクに見られてしまいがちなところもふくめて、僕らがやることでぜんぜんちがう意味を乗せられるんじゃないかなと。
■ストレートに「理想」というものを蘇生させたいというのとは違って……?
成田:逆ですね。「理想」と言えない感じ。……たとえば、いまは昔にくらべて、いわゆる「応援ソング」ってものが嘘くさくなってしまいましたよね。「がんばれ」って言うと批判をくらってしまう時代というか。そういうことに近いと思います。「理想」といっても、だから、「シャングリラ」はユートピアとディストピアのどっちの意味にもとれる感じです。
野田:いま電気グルーヴを何か1曲やるとなったら、大抵は“虹”になると思うんだよね。「やっぱり昔は美しかったね」というか。そこで“Shangri - La”を選ぶというのは興味深いなと思いましたよ。
■たとえばtofubeatsさんが森高千里さんをフィーチャーしたりしていますよね。彼はとても頭がよくて、いま誰をどの文脈から引いてくるかというような駆け引きや批評に非常に長けているじゃないですか。
成田:そうですね。
■それから、それによってもっとも有効にポップ・マーケットを利用して、時代を手前側に動かしてやろうっていうような志もあると思うんです。お会いする前はもしかすると成田さんにもそういったところがおありかなと思っていたのですが、ちょっとちがってましたね。ポップ・ミュージックのシーンへの向かい方をどんなふうに考えていますか?
成田:そこはむしろすごくコンプレックスでもあったところですね。僕は中学、高校でまったくバンドというものをやってこなかったので、そういうシーンに身をおいて活動していくことに対しては初期衝動ゼロの地点からスタートしているんですよ。メンバー集めも、どんな音楽をやるかというのも、全部探しながら見つけてきたものであって、そのなかでおもしろいことをやるなら知識をつけなければだめだなという思いへとベクトルが向いていきました。
僕は中学、高校でまったくバンドというものをやってこなかったので、そういうシーンに身をおいて活動していくことに対しては初期衝動ゼロの地点からスタートしているんですよ。 (成田)
でも、発信したいということの根元には純粋な気持ちがあると思うので、曲作りに関してはとくにまわりやシーンを意識したりすることなくやっていると思います。それをどう見せていくかということには注意していますけどね。『演出家出演』も今回のも、曲自体はそんなに変わっていないんですけど、歌の録り方とかバンドの録り方っていうのは180度変えているので、それでこれまでもお客さんの層が変わってきたし、これからも変わっていくんじゃないかなと思っています。
■初期衝動ゼロからのスタートっていうのは、パスピエの音楽を語る上ではとても本質的な言葉のような気がしますね。それに、とくに2000年代は初期衝動的なものを表現の原理とかバネにしづらかったと思うんですよ。そこにうまくはまった部分もあるんじゃないでしょうか。
成田:はまったというか……うらやましかったですね、そういうものが。
野田:神聖かまってちゃんといっしょにツアーを回ったりもしてたするじゃない? 彼らなんて初期衝動の塊だもんねえ。
成田:ああいう音が出したくても出せないわけで、それをどうしていけばいいのかなっていうことです。
パスピエをはじめてからずっとやってきたことが、「パスピエで表現すること」だったので。 (大胡田)
初期衝動ゼロからのスタート
■そこは大胡田さんはどうなんでしょう? 裸足で絶唱する、というようなことはないじゃないですか。激しかったりした時期はないんですか?
大胡田:わたしはほとんど衝動ではじめているとは思うんですが、そのスタートがすでに激しくないというか。
成田:(笑)
大胡田:たとえば絵を描きたい、歌をうたいたいと思っても、それにのめり込めないというか……。絵とか歌とかは使うものだと思っているので。だからそこにすごく熱を入れて「出してやるんだ」みたいなことはあまりないですね。全部が表現する手段のひとつです。
■じゃあ、仮にパスピエがなくなったら歌ったり描いたりしないと思います?
大胡田:しない……かもしれませんね。
■ははは! なるほど。そしたら何をするでしょうか?
大胡田:……何もしないかもしれませんね。
成田:だって、最近の夢が「よく眠れるベッドを買うこと」ですよ(笑)?
■(笑)
大胡田:わたし、最終の目標はそこなんですけど。
■それ、永遠のやつじゃあ……
大胡田:パスピエをはじめてからずっとやってきたことが、「パスピエで表現すること」だったので。いちど全部やめて、またやりたくなったらやるという感じになるかもしれないですね。
■へえー。なんでもできるのに。それゆえですかね?
大胡田:「なんでもできる」っていうのは、「なんでもやろうと思えばできる」ってことになるのかもしれないです。
成田:まあ、求められればやると思いますけどね。
大胡田:歌うということ自体、パスピエに入ってはじめたことですし。もしやめたら、次のフィールドを探すことからかな……。
■なるほど。超然としていて……かっこいいです。

『幕の内IZM』ジャケット中面
僕は自分が有名になりたいとかっていうふうにはほとんど思ってなくて、誰かが音楽への興味を持つきっかけになるような存在になれればいいなって思うんです。 (成田)
■さて、リスナー層も広がって、やれることも増えて、今作でJ-POPとしてのパスピエはひとつの極点を描いたのではないか、というお話を先にしましたけれども、ステージとしてはいまが最大だっていうふうに思います?
成田:いや、最大……ではないですね。このアルバムを出して、これが受け入れられたら、もっとさらに自由なことができるなと思います。ポップスという領域を壊しても、ポップスでいられるかもなあって。その意味では次につながる一枚にもなっていると思います。
僕は自分が有名になりたいとかっていうふうにはほとんど思ってなくて、誰かが音楽への興味を持つきっかけになるような存在になれればいいなって思うんです。パスピエを知って音楽を聴きはじめたとか、この曲はこんなふうなものを参照しているとかってことに興味を持ってくれたり、その参照元のアーティストも聴いてみたりとか。
■ミニマルな演奏に行ったりってことはないんですか?
成田:それはありますし、ぜんぜんちがうアプローチのアイディアもありますね。
■なるほど、なんというか、音やアレンジなんかを、基本的には加えていく方向にキャリアが進んでいる気がするんですけども。
成田:そうですね。でもその点は、今回はいちばん減らしたアルバムになると思います。
■あ、なるほど。聴いているところがちがうんですかね。わたしには逆のように感じられたりもするんですが──?
成田:前作なんかは、トラック数とかも今回よりもぜんぜん多いんですけど、そう聴こえないサウンド作りをしていますね。よりライヴっぽく見せるために、ミックスとかサウンド面を工夫しているんです。トラック数を少なくしたり、音源をそのままライヴでやれるようなかたちにするのもちがうなと思っていたので。
■あ、むしろギミックとしてライヴらしさを演出していると。
成田:そうです。そのライヴっぽさをよいと思ってくれた人にもまだ聴いてほしいと思って、今作はトラック数をすごくシェイプしました。だけど聴こえ方としてはべつの整え方をしているという。
このアルバムを出して、これが受け入れられたら、もっとさらに自由なことができるなと思います。 (成田)
■ジャケットも、いまできたてを見せていただいていますが、すごく豪華ですね。あとは盤が入るだけですか?
成田:そうですね、特典でジオラマが付いたりするみたいですが。
野田:この時代にジャケットにこれだけお金をかけるなんてすごいよね。よく通ったね。
成田:ははは! このフェスの時代にどんどんインドアに向かっていく思考です(笑)。
■ははは。音だけ流通すればいいやっていう価値観とも遠いですしね。やっぱり、こういうものを手にする喜びっていうところも意識されているわけですよね。
成田:僕らの音楽を手に取ってもらうための付加価値をどうつけるかってとこでもありますね。
野田:ポップアップがついてるね。昔ポップアップ絵本が好きだったな。
大胡田:わたしも好きです。
■ポップアップの部分が部屋になってますね。幕の内ってことなのかな。しかし、ジャケもそうだし、曲の作り方とか録音の体制をふくめて、「プロダクトする人たち」という印象は強いですよ。
成田:ああ、それはそうですね。
■衝動ではなく。それは、やっぱり「プロダクトするもの」というあり方のほうがクールだという感覚なんでしょうか?
成田:うーん……。ただ、付加価値を僕らが提供するというよりも、付加価値を求めてもらうようにどうするか、っていうことは考えていますね。いまは、「何か特典がつくよ」ってくらいじゃみんなぜんぜん驚かないですしね。
野田:でも重要なことだと思いますよ。ニューウェイヴの人たちも、それこそ自分たちで絵を描いたりしてるからね。
成田:はい。音だけあればいいってふうには思わないですね。











