「ZE」と一致するもの


Time out free copy
駅で配布するスタッフ

 長らくコラムを書いているが、2003年にはじまったポケット・サイズのバイ・ウィークリーの『Lマガジン』(thelmagazine.com)は、インディ好きの、そして著者の良きガイド役である。まだまだ紙が中心だった2003年、ショーのインフォを得るために、毎週水曜日になると『ヴィレッジ・ヴォイス』(villagevoice.com)をピックアップするのと一緒に、『Lマガジン』をピックアップする選択が増え、いつの間にか『Lマガジン』しかピックアップしなくなった。『Lマガジン』のLは、Lトレイン(地下鉄の線、ヒップスター率高し)のLらしく、そのあたりの層をターゲットにしているからか、音楽だけでなく、アート、映画、シアター、フード、レジャーなど、文化全般に焦点を置き、タイム・アウトより、小規模でブルックリンの話題を中心にした情報の源なのである。

 『Lマガジン』はその後、ノースサイド・フェスティヴァル、『ブルックリン・マガジン』、サマー・スクリーン(野外映画)、バム・ビル(シアター・ガイド)、テイスト・トークス(フード・イベント)など、イベントや媒体を広げ、現在会社はノースサイド・メディア・グループとして統括されている。
https://www.northsidemediagroup.com

 ノースサイド・フェスティヴァルもサマー・スクリーンも毎年のようにレポートしているが、その母体である『Lマガジン』については、あまり触れていなかった。
ノースサイド・フェスティヴァル2012
サマー・スクリーン2013 -2-

 彼らはいつも新しい試みに挑戦し、媒体をより良い方向に持って行こうとしている。今日2015年7月15日、『Lマガジン』に新たな変化があった。ポケット・サイズのプリント・マガジンがが廃止されたのである。
https://www.thelmagazine.com/2015/07/2003-2015-12-years-life-one-big-borough-one-tiny-magazine/

 『Lマガジン』をオンラインでチェックするようになって久しいので、大きなダメージはないが、町からオレンジのマガジン・スタンド(ちなみに『ヴィレッジ・ヴォイス』は赤)がなくなるのは寂しいものである。それを記念(?)に、2003年から2015年に渡り『Lマガジン』が見てきたブルックリンの音楽(&その他)シーンを振り返っている。
 「音楽がフリーなのに、誰が音楽雑誌を読むのか?」と、最近『タイムアウト』や『NME』もフリーに。いまや『ヴィレッジ・ヴォイス』をチェックしなくてもバンドのショーはBandsintownやsongkickをチェックすれば良いし、音楽はスポティファイやアップル・ミュージックでいくらでも聞ける。


Village voice のマガジンスタンド

 こんな2015年なので、『Lマガジン』がプリントを廃止するのも納得だが、それにともない、姉妹雑誌の『ブルックリン・マガジン』と統合するらしい。『ブルックリン・マガジン』は季刊から月刊誌へ。内容が被ることもあったのでこの選択は正しいと思うし、彼らのことだから紙の力を使って既に内容の濃い『ブルックリン・マガジン』をパワーアップさせるだろう。

 そして、今日は今年第2回目のサマー・スクリーン。毎年映画はもちろん、映画の前の音楽が楽しみなのである。何故なら、ブッキングはトッドP

 今年も例年のように彼がブックを担当し、ラインナップ(Z's, リーガル・ディガル、ブルース・コントロール、エクセプター、ジャー・ディヴィジョン )まで発表されていたのに、直前になって突然のキャンセル。と言うのは、サマー・スクリーンがトッドPの確認を取らず、ヴィタミン・ウォーターと勝手にブランディング契約をしたからである。その分入る額は上がるが、彼にとってお金は問題でないようだ。
 「ビジネスを知れ」、「一番迷惑しているのはバンド」、「ヴィタミン・ウォーターは良くて、クルーレス(上映される映画)は良いのか」、など、様々な辛辣な意見が飛び交ったが、ほとんどは初心を忘れずDIY精神を貫く彼を賞賛するものだった。
 著者は、トッドPの判断に賛成だが、彼があと10歳若かったらどうだろう。彼らの世代(40代前半)は、音楽に対する姿勢が純粋なのである。アナログ・レコードを必死に探した世代に、ブランディングや企業とのタイアップは単純にできる判断ではない。が、現在のメイン・ターゲットは彼らの世代より下で、直前にバンドは、その世代のウォーリーズ、ビッグ・アップス、プリンス・ラマなどに代えられたが、元々プリンス・ラマなどはトッドPがブックしていただけあり、オーディエンス側としては微妙な気分である。さまざまな思いがよぎるが、今日はウエット・ホット・アメリカン・サマー、音楽はビッグ・アップス!


サマー・スクリーンの様子

今年の映画とバンドのラインナップ:
7/8 「Clueless」 1995
Z's→ウォーリーズ

7/15 「Wet Hot American Summer 」2001
リーガル・ディーガル→ビッグ・アップス
7/22 「Dirty Dancing」1987
ブルース・コントロール→プリンス・ラマ
7/29 「Dazed and Confused」 1993
エクセプター→TBA

8/5 「Jurassic Park」1993
ジャー・ディヴィジョン→TBA
8/12 Audience Pick
基本、野外映画は野次が飛ばせるピクニック。わかりやすい映画が良いのはわかるが、何ともチージーで、最近ウィリアムス・バーグに引っ越してきたカレッジ・キッズを対象にしていると思うのは、著者だけか。どちらにしても、サマー・スクリーンは、ブルックリンのヒップ・スターが集まる場所なので、トッドPのブックする硬派バンドには、少し勿体無い気もする。因みに今日もサマースクリーンは満員御礼!


サマー・スクリーンの様子

SAKANA - ele-king

いつでも聴きたい元気が出る曲。

年代ジャンル問わず、いつになっても好きな曲、アガる曲を10曲選んでみました。
賑やかな曲ばかりですが、何よりラップものと女性ボーカルものにとにかく弱いです。

<Profile>
ダブステップ、グライム、ジューク、トラップを軸にベース・ミュージックを包括したパーティRAGEHELLを、2012年にK.W.A, YTGLSと共に始動。並行して、NODA、Zatoと「T.R Radio」開始。月に1度、ツイスト気味なDJミックスをライブ配信中。考えるより感じることに重きを置き、音楽と接する。
Soundcloud » https://soundcloud.com/sakanasakana
RAGEHELL » https://www.facebook.com/Ragehelltokyo
T.R Radio » https://mixlr.com/tr–2/

<出演情報>
KAHN & NEEKがブリストルより初来日いたします。是非遊びに来てください!
https://www.ele-king.net/news/004545/

2015/07/24 (FRI)
BS0 1KN
KAHN & NEEK Japan Tour in Tokyo
会場:
Star Lounge (渋谷)
時間:
Open/Start: 24:30
Act:
KAHN & NEEK / GORGON SOUND from Bristol
Bim One Production (Roots/Dancehall Set)
Soi Production (Jungle Set)
100mado 〈Back To Chill〉(Dubstep&100bpm)
SAKANA 〈Ragehell/T.R Radio〉(Weightless Set)
Host MC:Ja-ge
Sound System:eastaudio SOUND SYSTEM
料金:
advance: 3000yen (ドリンク代別途500yen)Limited 150!!!
door: 4000yen (ドリンク代別途500yen)
チケット情報:
https://bs-zero.tumblr.com/ticket
Web: https://bs-zero.tumblr.com/
TW: https://twitter.com/_b_s_0_
FB: https://facebook.com/BS0TOKYO
YouTube: https://bit.ly/BS0YouTube

Congo Natty×Caspa来日ツアー2015 - ele-king

 コンゴ・ナッティの去年の来日公演は素晴らしいイベントでした。DJマッドの技巧派ダブステップ・セットのあとに、レベルMCとコンゴ・ダブスがステージに現れ、ボブ・マーリーの“スリー・リトル・バーズ”が流れ、ジャングルで揺れ、戦士たちの歴史が語られ……。あの日のフロアはいつも以上に国際色豊で、若者とベテランが入り交じっていました。ジャングルの持つ求心力はすごいです。あの光景が今年も見られますよ!

 しかも今回はダブステップの王様、キャスパが登場します。彼の曲でダブステップを聴きはじめたという方は多いのではないでしょうか? キャスパのレーベル〈ダブ・ポリス〉からはいくつものクラシックが生まれました。キャスパの重低音を操る力は今日も健在。先日発表されたニュー・アルバム『500』は、全体を凶器のようなドラムとベースが貫いています。アルバムのミックスの展開もすさまじい! イギリスでもなかなか見られない組み合わせが実現するdbsのステージですが、この日もその歴史を更新することでしょう。

 クラナカa.k.a 1945やパート2スタイル・サウンドといった、ラガをキーワードにジャングルとダブステップをつなぐアツい日本勢にも期待大。おそらく当日はレベルMCとともにライターを灯すことになるので、おひとつ持参することをおすすめします!

【東京公演】
UNIT 11th ANNIVERSARY
DBS "JUNGLE BASS SESSIONS"
CONGO NATTY x CASPA

2015.07.18 (SAT) @ UNIT
open/start 23:30
adv.¥3,300 door ¥3,800

feat.
CONGO NATTY a.k.a REBEL MC & DJ CONGO DUBZ
CASPA

with:
KURANAKA a.k.a 1945
PART2STYLE SOUND
JUNGLIST YOUTHS
DJ DON
JUNGLE ROCK

saloon:
KAN TAKAHIKO
NESSILL
HELKTRAM
SHINTARO

info. 03.5459.8630 UNIT
Ticket outlets:6/6 ON SALE!
PIA (0570-02-9999/P-code: 266-620)
LAWSON (L-code: 72753)、
e+ (UNIT携帯サイトから購入できます)
clubberia/https://www.clubberia.com/store/

渋谷/disk union CLUB MUSIC SHOP (3476-2627)
TECHNIQUE(5458-4143)
GANBAN(3477-5701)
代官山/UNIT (5459-8630)
Bonjour Records (5458-6020)
原宿/GLOCAL RECORDS (090-3807-2073)
下北沢/DISC SHOP ZERO (5432-6129)
JET SET TOKYO (5452-2262)、
disk union CLUB MUSIC SHOP (5738-2971)
新宿/disk union CLUB MUSIC SHOP (5919-2422)
Dub Store Record Mart (3364-5251)
吉祥寺/Jar-Beat Record (0422-42-4877)
disk union (0422-20-8062)
町田/disk union (042-720-7240)
千葉/disk union (043-224-6372)

info. 03.5459.8630
UNIT >>> www.unit-tokyo.com
DBS >>> www.dbs-tokyo.com

【大阪公演】
7/19(SUN/祝前日)
出演:CONGO NATTY a.k.a REBEL MC & DJ CONGO DUBZ
CASPA
And more..
OPEN:23:00~
ADV:3,000yen DOOR:3,500yen
チケット情報
Peattix https://ptix.co/1ImJiDm
チケットぴあ P-CODE(267765)
ローソンチケット
イープラス https://eplus.jp/

会場:CIRCUS
〒542-0086 大阪府大阪市中央区西心斎橋 1-8-16 中西ビル 2F
TEL:06-6241-3822
https://circus-osaka.com

■ CONGO NATTY a.k.a REBEL MC (Congo Natty Recordings, UK)

ルーツ・レゲエを根底にヒップホップ、ラガの影響下に育ったレベルMCは、'80年代後半からスカとハウスのミックス等、斬新なブレイクビートサウンドで注目を集め、『BLACK MEANING GOOD』('91)、『WORD, SOUND AND POWER』('92)でジャングルの青写真を描く。また92年にボブ・マーリーの"Exodus"のリミックスを手掛ける。Tribal Bass、X-Projectレーベルを経て、JJフロスト、DJロンと共にCONQUERING LION名義で活動、ラガ・ジャングルの中核をなす。'94年にジャングルの総本山となるCongo Nattyを設立、自らもコンゴ・ナッティを称す。『A TRIBUTE TO HAILE SELASSIE I』 を始め、数多くのリリースを重ね、'02年にはMCテナー・フライをフィーチャーした『12 YEARS OF JUNGLE』を発表、初来日を果たす。'05年は足跡を伝える『BORN AGAIN』、'08年には入手困難なシングルをコンパイルした『MOST WANTED VOL.1』をリリースし、レベル自らDJとして新たなパフォーマンス活動に乗り出す。近年は息子のDJコンゴ・ダブス、ヴォーカルのナンシー&フェーベらファミリーも広がり、Glastonbury、Womad、Outlook等のフェスに出演。'13年にBig Dadaからアルバム『JUNGLE REVOLUTION』をリリースし、ルーツ・レゲエとジャングルのヴィジョンを深く追求する。レーベル名の"CONGO"はアフリカの民族音楽の太鼓、"NATTY"はラスタファリアンに由来し、彼らの音楽のインスピレーションは主にこの2つの要素から来ており、真のアイデンティティーはもちろんJAH RASTAFARIである。
https://congonatty.com/
https://www.facebook.com/CongoNattyOfficial
https://twitter.com/CongoNattyRebel

 

■ CASPA (Dub Police / Sub Soldiers, UK)

西ロンドン出身のキャスパはジャングル、ヒップホップを聞き育ち、UKガラージに触発され、DJを開始、トラック制作にも着手する。04年に自身のレーベル、Storming Productionsを立ち上げ、Rinse FMでのラジオショーも始まる。05年にはダブステップに特化したレーベル、Dub Policeを設立、自身の作品やNタイプ、ラスコ等のリリースでダブステップ・シーンの一翼をになう。07年にはラスコと共にロンドンのクラブ/レーベル、Fabricに迎えられ、DJ Mixシリーズ『FABRICLIVE.37』を手掛け、さらには新レーベル、Sub Soldiersからも精力的なリリースを展開する。08年にはGlastonbury, Global Gathering, Big Chill, Glade等のビッグフェスに出演した他、北米、ヨーロッパ各国をツアー。09年、1st.アルバム『EVERYBODY'S TALKING, NOBODY'S LISTENING!』をFabricからリリース、ダイナマイトMCらのラッパーをフィーチャーしたドープ&ファンクネスな世界を築く。12年にはザ・プロディジーのキース・フリントをフィーチャーしたシングル、"War" が大反響を呼び、13年に同曲を含む2nd.アルバム『ALPHA OMEGA』をDub Policeから発表する。その後も勢いは留まらずDub Policeのリリースは100タイトルを越し、キャスパ自身は新たなるヴィジョンとムーヴメントを生むべく制作を重ね、15年6月に待望の3rd.アルバム『500』がリリースされる。
https://caspa500.com/
https://www.dubpolice.com/
https://www.facebook.com/caspadubstep
https://twitter.com/Caspadubstep
https://soundcloud.com/caspaofficial


Kahn & Neek Japan Tour 2015 - ele-king

 〈dmz〉がブリクストンではじまって10年、ロール・ディープの『イン・アット・ザ・ディープ・エンド』のリリースから同じく10年が経とうとしている。UKアンダーグラウンドにおいてダブステップやグライムが「最先端」の音楽でなくなってから久しいが、それでもなおリスナーの心を掴んで離さないのは、10代でそれを体感した第2世代の目覚ましい活躍があってこそ。今回初めて来日するカーンとニーク(ともに20代なかば)がいなかったら、いまの若者の多くがレコードを買いはじめることはなかった、かもしれない。

 すくなくとも、ふたりのレーベル〈バンドゥールー〉から、レコードのみでリリースされた“パーシー”を持っていない方はかなり後悔した方がいい(僕も持っていない)。あまりにも多くのクラブで流れてスマッシュ・ヒットした1枚であり、スカスカだが図太いグライムのビートとクセになる声ネタを、「若者だけの音楽にしておくのは、もったいない」と、ある音楽評論家も評している。

(ここで、主催者から届いた“パーシー”の冒頭が使われたツアーCMをどうぞ!)

カセットでのミックスの発表、レコード・オンリーのリリース、手刷りのアートワーク、地元ブリストルのクルーだけで構成されたコレクティヴ、ヤング・エコーでの活動など、カーンとニークを語るうえで出てくる要素は多いが、ネット至上主義に抗うかのようなDIYスピリットは、間違いなく彼らの魅力のひとつだろう。当然、ふたりのようにラディカルに活動をするアーティストは、日本になかなか来ることができない。「来日公演」が溢れかえる昨今において、カーンとニークを本場ではなく日本で見ることは大きな意味を持つことになりそうだ。

 ツアーは7月17日に函館からはじまり、18日に小樽、19日に京都、20日に福岡、24日に東京、翌日は名古屋で開催される。ブリストル特集を予定している21日のドミューンの前半に、カーンとニーク本人が登場する予定なので、ふたりについてもっと知りたい方はそちらもチェック。各イベントともその地域のスペシャリストたちが出演するので、会場が近い方は是非足を運んでほしい。東京公演には今回から始動するイベント〈BS0〉の企画にもたずさわる、ビム・ワン・プロダクションとソイ・クルーの面々に加え、カーンとも交流がある〈バック・トゥ・チル〉の100マド、若手グライムDJのサカナが出演する。

〈ATP〉が次の時代に見つめるもの - ele-king

 オール・トゥモローズ・パーティーズ(ATP)といえば、2000年代のインディ・ミュージックを語る上で避けて通ることのできないフェスである。2001年のモグワイを皮切りとして、各時代の曲がり角に立つアーティストたちにキュレーターを務めさせてきたこの催しは、時を経るごとに、ただ音楽の祭典であるという以上の意味合いを強めるかに見える。それは、ポスト - ロックの地平に、ノイズ、サイケデリック、エレクトロニカ、フォーク、ヒップホップ……その他さまざまなエクスペリメンタリズムを合流させ、先の15年の音楽史においてもひとつの揺るぎないパラダイムを築いたといえるだろう。
 さて、そのATPのレーベル〈ATPレコーディングス〉から、スクリーミング・ティー・パーティーのKoichi Yamanohaによるエクスペリメンタル・フォーク・プロジェクト、グリム・グリムのデビュー・アルバムがリリースされることが発表された。日本人アーティストのリリースとしては初となるそうだが、名だたるバンドの作品をリリースし新たな音を世に問うてきたATPが、次の時代に何を見ようとしているのか、その視線の先に注目したい。
 というわけで、8月に国内盤がリリースされるデビュー・アルバム『ヘイジー・アイズ・メイビー』の無料試聴のお知らせです。

世界中で数多くの音楽ファンやアーティストから高い評価と信頼を得る英国発・音楽の祭典オール・トゥモローズ・パーティーズ(ATP)のレーベルからリリースされる初の日本人ソロアーティスト、グリム・グリムのデビュー・アルバムが6/22~6/29と期間限定で全曲試聴開始!

8月5日には日本盤の発売も決まり、元Canのダモ鈴木やTOY、Faust、Veronica Fallsのメンバーなどグリム・グリムを指示する各アーティストや著名人から声が集まっている。日本盤ボーナス・トラックにはともにロンドンを拠点に活動している盟友BO NINGENをバックバンドにフィーチャリングし、カトリック教会の聖堂でレコーディングされた楽曲を収録。

世界で活躍する孤高の天才が世に放つアシッド・フォークの傑作、ぜひ聴いてみてください!

■全曲視聴サイト
https://www.loudandquiet.com/2015/06/exclusive-stream-the-debut-lp-from-grimm-grimm/

■最新ミュージック・ビデオ「Tell The Truth」
https://youtu.be/LN90PyBs2aU

■コメント

狂騒のお茶会から飛行船で一人飛び立つ。それは宇宙船だった。
砕けた鏡を集めて作った自家製の万華鏡。それが歌だった。
不条理のループを越えて届けられた、時代の声。
コウヘイ・マツダ(BO NINGEN)

憂愁で美しいハーモニーに、エキセントリックで掴みどころのないエレメントが絶妙に溶け混ざった楽曲達。例えていうなら、突然恋に落ちて動けなくなった感覚に似ているわね。 
ジェラルディン・スウェイン(Faust)

Koichi Yamanohaによって創られる普遍的な音楽を他のアーティストと比べたり、過去に発生したムーヴメントでカテゴライズしたり比べるのは難しい。
奴は右足を過去に、左足を未来に突っ込んでいる。
ジェイムズ・ホーア (Veronica Falls)

彼の音楽には、魔法にかかったみたいに惹きつけられる力がある。呪われたオルゴールを開けて、そのメロディーを一度聞いたら二度と忘れられないだろう。
トム・ドゥーガル (TOY)

グリム・グリムを聴きながら
夢は永遠に続き 宇宙の中にとけ込んで行きます。
ダモ鈴木(ex- Can)

つい口ずさんでしまう普遍的な名曲の数々。Hazy Eyes Maybeは聴き終わると、もう一度はじめから聴きたくなるアルバム。
サイモン・フィン(Simon Finn )

「狂気に満ちた夢。怯えながらも、わたしはその夢に惹かれ続けている。Grimm
Grimmの無垢なメロディーを唱えるたびにわたしはその狂気に満ちた夢に引き込まれていく。」 
多屋 澄礼(Twee Grrrls Club)

永遠に響き渡る、アシッドで洗われたその至福
英NME紙

グリム・グリムは独りの男が、心の風車を静かに廻して奏でた音
英Q Magazine

カンタベリーのトラッド・フォークに、ダークで 不確かな無重力感がミックスされた奇跡のサウンド。
英国LOUD AND QUIET紙

■Grimm Grimm / Hazy Eyes Maybe
グリム・グリム / ヘイジー・アイズ・メイビー

発売日 : 2015年8月5日(水)
定価 : ¥2,300 + 税
品番 : PCD- 93925
解説:岡村詩野 / 歌詞対訳:Kayoko Haruyama
<収録曲>
1.Kazega Fuitara Sayonara (MV有)
2.Tell The Truth (MV有)
3.Driving Overflow
4.Teleportation
5.Last Word Is Mine
6.Hazy Eyes Maybe (MV有)
7.Robert Downey Syndrome
8.Walk Into The Cold Water With You
9.Knowing
10.Youth From Muswell Hill (MV有)
+ 日本盤ボーナス・トラック

■Grimm Grimmプロフィール
グリム・グリムは2010年に解散したイギリスのロックバンド、スクリーミング・ティー・パーティーのKoichi Yamanohaによるエクスペリメンタル・フォーク・プロジェクト。日本詩、英詩両方の曲があり、美しくも憂愁あふれる楽曲を主体に、透明感ある歌声にテープ・ディレイがかかったアコースティック・ギター、アナログ・シンセサイザーがサイケデリックでドリーミーな独特な世界感へ広がりをみせる。14年夏にはマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのケヴィン・シールズ等が設立したピックポケット・レコーズから7inchシングル「Kazega Fuitara Sayonara / Tell The Truth」をリリース。そしてデビューアルバムとなる今作はDIY精神溢れる姿勢により数多くの音楽ファンやアーティストから高い評価と信頼を得る英国発・音楽の祭典オール・トゥモローズ・パーティー(ATP)が運営するATPレコーディングスからリリースされる。


 今年で6年目に突入するギャラリー、KATA夏目前の恒例催事!(これが終わると1年も折り返し!!早っ!ヤバっ!!なのですが……)
 この夏、幡ヶ谷より新天地へ移転予定のレコード&CD&あれこれショップの老舗中の老舗"LOS APSON?"さんとのタッグで開催の「LOS APSON? x LIQUIDROOM presents T-SHIRT! THAT'S FIGHTING WORDS!!! 2015」。
 今回も多数のアーティスト/ブランドが一堂に会して、6月26日(金曜日)から3日間の限定開催。
 今回はユーズド(古着)のラインナップも加わり、ますます熱を帯びること間違いナシ!!
 日々の場内BGMはオリジナル・スタイリンなDJが揃い踏み。最終日には隣接のTime Out Cafe & Dinerにて、今年1月に当店1階メインフロアにて実に10年ぶりの復活となった「GOLD DAMAGE(通称ゴルダメ)」のジャパン・ヴァージョンも開催でまさに隙なし!
 そしてそして、今回のLOS APSONさんのTシャツ・デザインは五木田智央が担当! モリモリ盛り盛りの内容にてよろしくお願い申し上げます。

LOS APSON? x LIQUIDROOM presents
T-SHIRT! THAT'S FIGHTING WORDS!!! 2015

 1年とは早いものです。身震い系ゾクゾク〜〜〜っとすると思ったら、もう「T-SHIRT! THAT'S FIGHTING WORDS!!! 2015」の季節がやって参りましたっ!!!  ウギャーーーっと喜んでいいのか、戦(いくさ)が始まった焦りなのか、分からなくなっている私・ロスアプソン店主ですが、とにかくやりますよ〜〜〜、今回もギンギン・ビンビンにっっっ!!!

 今年は新作Tシャツの出品メンツを厳選し、ネクスト・レベルを模索!?!?  そして、ラインナップの目玉としては、レベルの高い? ユーズドのラインナップを充実させる予定です!!!  一着しか無いカッコいいユニーク古着は、争奪戦間違い無しでしょうね……。
 っつーーーことで、今年も楽しみにしていて下さいねっ!

 あ、最終日には、Time Out Café & Dinerスペースにて、オヤGパワー全開で今年復活した「GOLD DAMAGE」の“ジャパン!”ヴァージョン(和モノ&デビシルのJAPAN縛り)もやりますので、そちらもご期待下さいっ!!!(山辺圭司/LOS APSON?)

【Artists / Brands】
LOS APSON? / ackkyAkashic / ALCHEMY WORKS / amala / BLACK SHEEP / BOMBAY JUICE / BOOZE DESIGN WORKS / BREAKfAST / BUGPIPE / CELEBS / COMPUMA (SOMETHING ABOUT) / COREHEAD / DANCE HOLE by ヒューヒューボーイ / DJ DISCHARGE (Unconscious When) / DJ YOGURT (UPSET REC) / dublab.jp / ECD / FEEVER BUG / forestlimit / GEE Print / HE?XION! TAPES / ifax! / Indyvisual / JINTANA & EMERALDS / KEN2D SPECIAL / KIZM / KLEPTOMANIAC / LIBRARY RECORDS / MANKIND / MGMD A ORG. / midnightmealrecords / noise / PARANOID / PARTIZAN25 by WOM / PART2STYLE / SAMPLESS / SEMINISHUKEI / SHOGUN TAPES / SONIC PLATE / Summer Shot / SUMMIT / TACOMA FUJI RECORDS / Telepathy / TENT / Tetsunori Tawaraya / TEXACO LEATHERMAN / TURBO SONIC / Vincent Radio / VOVIVAV / WACKWACK / wacky COLORgung / WDsounds / 2MUCH CREW / 37A (PANTY) / 373 / 86ed / GRASSROOTS / LEF!!! CREW!!! / TRASMUNDO / ChillMountain / TWENTY SEVEN / MORE (DAY IN DAY OUT) / TARZANKICK!!! / mink / ESSU / CosmicLab. / TADZIO / KIRIHITO / 威力 / 大井戸猩猩 / 河村康輔 / 五木田智央 / 竹本侑樹 / ヘンタイワークス / 嫁入りランド / LIQUIDROOM

2015.6.26 friday→28 sunday
KATA[LIQUIDROOM 2F]
15:00-22:00
entrance free

■DJ Time@KATA[17:00-22:00]*28日(日曜日)のみ15:00-22:00
▼6.26(fri) feat. DJ DISCHARGE, KEIHIN, DJ YOGURT
イケイケ・ドンドンなDJメンツに声をかけました。ディープで華やかな一夜となることでしょう〜。皆さん乾杯しましょう〜♪
▼6.27(sat) feat. Shhhhh, BING (HE?XION! TAPES), 威力
奇祭の秘宝達を招集しました。ほんわかヘンテコ&異次元最先端を感じながら、Tシャツをお選び下さい。レッツ・ホニャララ!
▼6.28(sun) feat. SHOGO TSURUOKA (TURBO SONIC)
「GOLD DAMAGE 2015 Let's Go Crazy」にてラジカセ・インスタレーションをカマしたTURBO SONICの旦那が、とんこつラーメン風?ディスコにて、開店からラストまでの7時間ロングセットに身震いチャレンジ! レア体験を、お見逃し&お聴き逃し無くっ!

★Special Party!!!@Time Out Café & Diner[15:00-22:00]
▼6.28(sun) feat.『GOLD DAMAGE ジャパン!』
10年ぶりのゴルダメ復活地の階上にて、ゴルダメ・トリオが「ジャパン!」縛りで、またまたやらかします! チーママchampagneshowerに、今話題の(?)B2BユニットCocktail Boyzを迎え、和モノ&デビシルのJAPANのみの限定選曲にてバター・サロン作戦を試みます!
溶けてしまう虎は、ダ〜レだっ!?

GOLD DAMAGE Deejay's:ヤマベケイジ (LOS APSON?), 五木田智央, COMPUMA
Guest DJs:champagneshower (CELEBS), Cocktail Boyz[Q a.k.a. INSIDEMAN & KENKEN from KEN2D SPECIAL]

info
KATA https://www.kata-gallery.net
Time Out Café & Diner 03-5774-0440 https://www.timeoutcafe.jp
LIQUIDROOM 03-5464-0800 https://www.liquidroom.net


吉田ヨウヘイgroup - ele-king

「向こうからやってくる
あいつとは知り合いだっけ?
ああれ、分からない?
薄いブルーのシャツきてるよ」 “話を聞いたんだ”

 休みの日近所をブラつくと、特性のない男が向こうからやってくる。私はこのへんは休日ともなると人通りが多くてわずらわしいけれども、それも昼をまわってからで、いまはそうでもない。左手に区立の幼稚園と福祉施設がいっしょになった建物があり、反対側に古着屋が軒を並べるあいだの二車線ほどの道はゆるくカーブを描くが、歩道はふたりのひとがようやくすれちがえるほどしかない。私とその男はゆきかこうとしたとき、男はあっと声をあげた。
「先日はどうもありがとうございました! こんなところにもいらっしゃるんですね! やっぱり編集の仕事には日々のフィールドワークが大切なんですね!」
「いや、近所なんです」
 私はすわ、原理主義的な宗教かと警戒したが、勧誘でもひとちがいでもなさそうのは彼が私の仕事をごぞんじなのでわかる。そのとき私はとある雑誌の編集部につとめていて、ひとに会う機会がことのほか多く、もうしわけないが印象のうすい方はおぼえないこともある。私たちは数分のあいだ、穏当な話題を選び安全運転の会話をつづけ、やがて彼は「買い物にきたんですけど、ちょっとはやかったみたいです」といくらかふてくされ、ついで「もうちょっとこのへんをみてまわりますんでっ!」といって立ち去ったが、最後まで私はその男がだれなのか思い出せなかった。

 数日後、先日おこなった中途採用の面接の資料を総務担当者に返却としようと整理していたとき、履歴書のひとつに貼付した写真のなかで先日の彼が微笑んでいた。私は呆然とし、ついで「おまえなんて知らなーい」とザ・スターリン“虫”のフレーズを、ミチロウとデュオで心中で絶叫したのである。

 ことほどさように、吉田ヨウヘイの書く歌詞は記憶をよびさます。日常のひとこまをきりとったことばはなんの変哲もないが、凪いだ風情の光景は一点のゆらぎをもち、そこに共振する聴き手のうちにさざ波を立てる。もちろん歌唱も関係している。ブックレットをひっぱりだし歌詞だけつらつら眺めてもダメなんだな。独特のメロディラインに沿ったことばは促音を影のようにしたがえ、ときに急迫させる。たとえば“ユー・エフ・オー”、歌い出しの「そこで見たのは(中略)空を二つ」の文頭の「そ」が「そっ」に聞こえる音の乗せ方は譜面に記せない休符となり、歌は一瞬宙吊りになる。この曲はreddamのメイン・ヴォーカルの曲だが、男女混声の対比も『paradise lost, it begins』は見事である。若干のメンバーチェンジをへた本作では、TAMTAMのKuroがトランペットとコーラスで客演しており、コーラスは厚く彩りゆたかに前作よりその比重を増し、かけあうことでモノローグを対話劇に組みかえるが、シアトリカルといい演劇的と訳す、音楽に付される形容詞のほとんどが舞台の上の付帯的なで要素を指すようには吉田ヨウヘイgroupのそれは機能しない。ためらいと反問をふくむことばが歌になるとき、話者が分裂する、そのようになりたつ関係性を私は演劇的とさっきもうしあげたのである。

 関係の深まりは音にもあらわれている。ジョン・フルシアンテやエイドリアン・ブリューの亡霊(どっちも死んでないが)を背負った西田修大のギターはファンキーな刻みからブルージーなタメまで自在で、ついソロに耳をそばだててしまうが、西田修大の旨味はバッキングにあり、それは吉田ヨウヘイのもう一本のギターとのからみ、リズムとのからみ、管とのからみ、ようはアンサンブルのなかできわだってくる。というか、おそらくライヴと曲づくりとときの経過がバンドを成熟させたのだろう、管楽器やコーラスの入れ方など、バンド合奏ではお客さんになりがちなパートがこのアルバムでは前作以上にしっかり有機的に働いている。バスーンがなくなるとヘンリー・カウっぽさがなくなるのではと危惧したのだが、思えば彼らはさほどヘンリー・カウっぽくもなかった。それならば、ダーティ・プロジェクターズだが、それももうひきあいに出すこともないだろう。彼らは彼らそのものの声をもち、もちつづけるだろう。変わらないということではない。『Smart Citizen』と『paradise lost, it begins』をひきくらべて、あるいはそう思われる方もいるかもしれない。作品の視座と構成にはたしかに共通するものはあるにはちがいないが、延長線上にあることは退行を意味しない。それは私たちの日々が死ぬまで途切れないように途切れない。

interview with KGDR(ex. キングギドラ) - ele-king


キングギドラ
空からの力

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 80年生まれのサイプレス上野と79年生まれの東京ブロンクス a.k.a SITEが日本のラップ・ミュージックの名盤を解説した単行本『LEGENDオブ日本語ラップ伝説』(リットーミュージック、2011年)の、キング・ギドラ(現・KGDR)『空からの力』の回には、「やっと渡されたラップ教科書」というタイトルが付けられている。95年12月10日に同作が発表された頃には、日本のラップ・ミュージックはすでに10年以上の歴史を持っていたが――たとえば、黎明期の重要作である、いとうせいこうがラップを、ヤン富田がプロデュースを担当した楽曲“業界こんなもんだラップ”収録作『業界くん物語』は、そのちょうど10年前にあたる85年12月21日に発表――言わば、長い試行錯誤の時代に終わりを告げ、初めて表現の定型を提示し得たのが『空からの力』だったのだ。

 くだんの回において、東京ブロンクスは「オン・ビートで、韻は固く踏むっていう、誰でも真似できる基本スタイルをギドラはハッキリ打ち出した」「これが日本語ラップの骨格になってるのは間違いね」と振り返っている。そして、サイプレス上野は言う。「だからギドラは教科書でしたよね。〈やっと渡された教科書〉って感じ」。しかし、単純だが重要なのは、同作が教科書に喩えられるとしても、それは、押し付けられるものではなく、キッズが自ら進んで学びたくなる格好良さに満ちあふれていたということだ。

以後、20年。『空からの力』に感化された高校生が、〝サイプレス上野とロベルト吉野〟として5枚のオリジナル・アルバムを発表し、ベテラン・ラッパーとして認知されているように、日本のラップ・ミュージックの歴史を変えた同作は、そこからまた長い歴史を紡いできた。もしくは、『空からの力』に、戦後の歴史観が変容しつつあった90年代半ばという時代の空気が影響を与えていることについてはもっと検証されなければならないだろう。『20周年記念デラックス・エディション』のリリースを機にKGDRの3人――Kダブシャイン、Zeebra、DJ OASIS――に、グループ及び日本のラップ・ミュージックの、また、彼らが青春時代を過ごした80年代から彼らが世に出た90年代までのこの国の、歴史を振り返ってもらった。

■KGDR(ex. キングギドラ)『空からの力:20周年記念エディション』
Kダブシャイン、Zeebra、DJ OASISによって1993年に結成され、日本のヒップホップ・シーンにおいて大きな影響力を示してきたグループのひとつ、キング・ギドラ。その「日本語ラップの金字塔」とも称えられる95年のデビュー・アルバム『空からの力』が、リリース20周年を記念したリマスタリング盤となって登場。リマスタリングを施されたレアなリミックス音源やデモ音源、また当時の映像作品「影 The Video」のDVDがカップリング(DVDはデラックス盤のみ)されるばかりでなく、リマスタリングをトム・コイン(ビヨンセ、サム・スミスなどを手掛ける)が担当するなど、名盤を祝福するメモリアルな仕様になっている。

オレが〈ジャクベ〉に溜まり出したのは中2で、ディスコに行くようになったのもその頃。そこに、当時の中学生とか高校生とかが溜まってたんだよ。(Zeebra)

まず、3人の出会いからうかがいたいのですが、Zeebraさんは著作『ZEEBRA自伝』(ぴあ、2008年)で、中学生のときに渋谷で出会った3歳上のKダブさんについて「Kダブはいつもチャリで現れた」と書いていましたね。

Zeebra(以下Z):うん。いつもチャリだったね。

「チャリで現れた」っていうのは、要するに、地元だったと。

Kダブシャイン(以下K):そうそう。公園通りの〈ジャクベ〉を覗くといつもヒデ(Zeebra)たちがいて。

〈ジャクベ〉?

K:〈ジャック&ベティ〉。

Z:いま、〈ディズニー・ストア〉が建ってるとこにあったカフェ・テラス。

K:セルフ・サービスのね。

Z:そこに、当時の中学生とか高校生とかが溜まってたんだよ。オレが〈ジャクベ〉に溜まり出したのは中2で、ディスコに行くようになったのもその頃。まだ慶應(義塾普通部)に通ってて、一個上について遊び回ってた。

K:ということは、オレは17だね。一回、アメリカに留学して、帰ってきたときぐらい。〈ジャクベ〉には同じ学年の女子が溜まってたから覗きにいったら、ヒデたちもいて、「中学生なのにすげぇチャラいなぁこいつら」みたいな感じで見てた。

Z:ははははは。

そして、ZeebraさんとOASISさんは幼馴染み。

Z:小学校からずっといっしょで。

DJ OASIS(以下O):知り合ったのは5年ぐらいだったかな? それから遊ぶようになって……。

Z:6年とか中1とかの頃にはずっといっしょにいるっていう感じになってた。ほら、小学生って、はじめのうちは自分のクラスの奴としか遊ばないけど、高学年になってくるとクラスを跨いで趣味の合う奴と遊ぶようになるじゃん。オア(OASIS)とも、もともとはクラスがちがって。

遊んでいるうちにクラスを越境し、学校を越境し、地域を越境し……そして、いまにいたるまで仲間が増えているわけですよね。

Z:そうだね。その越境していく過程の最初の頃にオアと知り合ったのかな。

O:ガキの頃、オレはメタルが好きで。エレキを買ったりもしてたし、その頃から「音楽をやりたい」ってぼんやりと思ってたんだけど、明確になったのが5年の頃で、そこから、クラスを跨いでレコードの貸し借りをするようになったんだ。それで、ヒデとも仲良くなったんじゃないかな。

Kダブさんと、Zeebraさん、OASISさんは3歳ちがうわけですが、それぐらい空いていると世代がちがうという感覚なのでしょうか?

K:出会ったときは高校生と中学生だからね。その頃はだいぶギャップがあったと思う。でも、あとで話してみると『ベストヒットUSA』(テレビ朝日/81年~87年)とか、音楽の情報ソースは同じだったし、聴いていたものもそんなに変わらなかったんじゃないかな。

Z:まぁ、オレたちもちょっと早熟だったっていうか。

O:オレはコッタくん(Kダブ)と同い年の兄貴がいたから。もともと、音楽はその兄貴に教えてもらって。

Z:オレも親が家でそういうアメリカのヒット・チャートものをかけてたし、5、6年になるとクラスで目立つやつはみんなわっと洋楽を聴き出す感じもあったよね。その流れで、“スリラー”や“ロック・イット”のヴィデオを観てムーン・ウォークやブレイク・ダンスを真似てみたり、ヒップホップにもハマっていった。

〈ジャクベ〉ではまだ音楽の話にはなってないですよね?

K:そのときはまだ。でも、それから1、2年する間にラップ好きだっていうことがわかって。ヒデはオレの後輩だったライムヘッド(現・T.A.K THE RHHHYME)とツルんでたから、あいつに「ヒデもラップ好きなんですよ」みたいな話は聞いてたんだよね。

Z:オレはオレで、「コッタくん家にR&Bのレコード、すげぇいっぱいあるよ」「マジで? 行ってみたい!」みたいな感じで遊びに行って、「すげぇすげぇ、これ何? 聴かして?」って感じで仲良くなった。

渋谷によく溜まっていたビルがあったんですよね。

Z:あぁ、〈Rビル〉? コッタ君の一個上にとんでもなく悪い先輩がいて(笑)。オレがそのひとに会いに行くとコッタくんもいて、みたいな感じだったかな。〈Rビル〉に溜まってたから「Rズ」って呼ばれてたもん。

K:自称でもあるんだけどね。最初は〈Rビルディングス〉だった。

Z:それは初めて知った(笑)。


イタロ・ディスコなんかは、やっぱり、遊びながら知っていったし、そういった中で「音楽はディグるもの」っていう感覚が身に付いていったよね。先輩のテープが回ってきて、「格好いい!」と思った曲を自分でも必死で探すみたいな。(Zeebra)

当時の渋谷は、いわゆる「チーマー」文化の前夜と言っていいですよね。90年代に入って、チーマーがマス・メディアに取り上げられ、暴力的なイメージが再生産されていきますが、『渋谷不良20年史~Culture編』(少年画報社、2009)で、Zeebraさんに、それ以前のチーマー文化は、流行に敏感な私立校生を中心としたムーヴメントだったというようなことを語ってもらったことがありました。

Z:エイティーズのチーマーはそんなに暴力的ではなかったよ。もちろん、たまに喧嘩はあったけど、そんなに大事には至らなかった。

K:まぁ、遊び人の集まりだよね。

興味深いのは、いま、遊び人の若者が新しい音楽を聴いているとはかぎらないと思うんですけど、初期のチーマーは音楽にも詳しかったということで。

Z:それは、まず、当時は「ディスコでしかかからない音楽」っていうのがあったじゃん。それこそ、ユーロ・ビートにしてもハイ・エナジーにしても、普通に生活してたら聴くことがないような曲。デッド・オア・アライヴとかニュー・オーダーとか、ディスコでかかる曲がチャートに入ったりもしてたけど、イタロ・ディスコなんかは、やっぱり、遊びながら知っていったし、そういった中で「音楽はディグるもの」っていう感覚が身に付いていったよね。先輩のテープが回ってきて、「格好いい!」と思った曲を自分でも必死で探すみたいな。

遊び場に足を運ばないと聴くことができない音楽があったからこそ、遊び人の若者たちが音楽に詳しかったと。

Z:格好もそうだよ。遊んでいる奴らなでらはのコードみたいなものがあって、たとえば、みんなブーツを履いてたりとか。チームでスタジャンをお揃いで着たりとか。あと、スタジャンの下にジージャンを重ね着したりとかさ。

K:はいはい。ジャケットの下にジージャンを着たり、とにかく、ジージャンを重ね着してたよね(笑)。

Z:ポケットからバンダナを垂らしたりね。

そのコードの中で、いかに着こなすか、着崩すかが重要なわけですよね。

Z:そうそう。そのために、服もディグるし、音楽もディグるし。で、ディグりきれてないやつは浅いやつ、ダサいやつって感じで見られてた。

そうやって、街の中で遊んでいるうちに、3人は出会っていった。

Z:ここ(Z)とここ(K)はそうだね。

O:オレとコッタくんが会ったのは、ギドラを結成するちょっと前ぐらいだから。

なるほど。では、キャリアに関して、順を追って訊いていきたいと思います。


とりあえず、弦巻(世田谷)だよね。「ふたりで曲をつくろう」って話をして、実際にやりだしたのは。(DJ OASIS)

ZeebraさんとOASISさんはキング・ギドラの前に「ポジティヴ・ヴァイブ」というラップ・グループを組んでいましたが、『ZEEBRA自伝』には「ポジティヴ・ヴァイブという名前をいつ、どうしてつけたのか。はっきりは覚えてない」と書かれていますね。だいたい、いつぐらいの話なのでしょう?

Z:17、8だから、88年、89年ぐらいなのかな? そこから、2、3年はやってたと思う。

O:とりあえず、弦巻(世田谷)だよね。「ふたりで曲をつくろう」って話をして、実際にやりだしたのは。

Z:オレが17ぐらいから弦巻でひとり暮らしをしだして、88年の暮れにニューヨークに行った後、リリックを書き出したんで、正確には結成は89年か。

ポジティヴ・ヴァイブでは英語でラップをしていたんですよね?

Z:そう。ただ、ラップも、並行してやっていたDJも、20歳ぐらいでいったん、止めちゃうんだよね。ニューヨークに行って帰ってきて、89年の1月か2月ぐらいから〈六J〉(ディスコ〈J TRIP BAR〉の通称)でDJをはじめることになったんだけど、オレは89年の4月で18だから、本当は駄目で、ただ、店の方も「まぁ、もうすぐ18だから平気だろう」って感じで採用してくれたんだ。ところが、20歳でガキができて、向こうの親から「水商売の奴にうちの娘はやれねぇ!」って言われちゃって。当時、DJは水商売だったのよ。それで、ちゃんと9 to 5の仕事に着かなきゃいけなくなって、一回、DJもラップも諦めた。その頃って、ZOOの影響でヒップホップが盛り上がりはじめてたし、もったいなかったよ。オレは〈六J〉の火曜日をひとりで任されてたんだけど、そこも誰かに継がなきゃいけないっていうことになって、当時、オアもDJを本格的にはじめてたし、「代わりにやってくんない?」って頼んだんだ。

O:でも、〈六J〉ではヒップホップをかけてたといっても、客はBPMが早い曲にしか反応しなかったね。

Z:そうだね。オレらとしては、もっと遅い、カンカンタッ(BPM90)みたいなのが大好きだったんだけど、それはさすがに……。

O:好きなんだけどかけられない曲がたくさんあった頃だったな。現場では普通にハウスとかもかけてたし。

Z:ニュージャック(・スウィング)とかね。ある程度、音が固くないとノってくれない。ジャンブラ(ジャングル・ブラザーズ)でも反応があるのは“アイル・ハウス・ユー”(88年)だけみたいな。

一方、Kダブさんがリリックを書きはじめたのは?

K:英語で、真似事みたいな感じでやりはじめたのは、オレも、88年の終わりとか、89年の頭とかなのかな。もちろん、その前からラップは聴いてて、ラン・DMCとかLL・クール・Jとかが好きだったんだけど、(LLの)“ゴーイング・バック・トゥ・キャリ”(88年)を聴いて、「よし、オレもやってみよう」って英語でライムを書きだした。

やはり、ZeebraさんとKダブさんの重要な共通点として、まずは英語でリリックを書きはじめたということがあると思うんですが。

K:まぁ、正直、日本人でヒップホップをやれてる奴がいるとは思ってなかったから、アメリカのシーンだけを見てたし、向こうで人気のあるラッパーを好きだったしね。


要するに、当時の日本のヒップホップにはストリートを感じさせるものがなかったんだよね。(Kダブシャイン)

Kダブさんは著作『渋谷のドン』(講談社、2007年)で、「1980年代後半から世界中で隆盛していったヒップホップだが、果たして日本はどうだったか。藤原ヒロシや近田春夫、いとうせいこうら、ロンドン経由の軟弱なアパレル系のものしかなく、それはファッションのひとつとして紹介された」と書いています。また、Zeebraさんも『ZEEBRA自伝』で、「1988年にはメジャー・フォース(高木完、藤原ヒロシ、屋敷豪太などが参加したヒップホップのインディーズ・レーベル)ができた。/その前にも近田春夫さん、いとうせいこうさんがヒップホップを取り入れたりはしていた。/ただ、それはあくまでもミュージシャンが新しいジャンルを取り入れているというスタンスだったと思う」「自分のやりたいものとはちょっと違う。向こうのとっぽいヤツらとは確実に雰囲気が違う」と、日本語ラップ第一世代の表現に対して、違和感を感じていたことを振り返っています。2人がラップをするにあたって英語を選択したのは、彼らに対するカウンターの意味もあったのでしょうか?

Z:そもそも、当時の日本で、ラップでビッグになるってことなんて想像もつかなかったし、「日本の奴らにヒップホップが伝わるのはいつのことなんだろう?」ぐらいに思ってたからね。というか、はっきり、「伝わらないだろう」と思って、向こうでデビューしたいって考えてた。だから、英語でやりはじめたってことなのかな。

87年には〈ヴェスタックス・オール・ジャパン・DJ・バトル〉が、翌年には〈DJ・アンダーグラウンド・コンテスト〉がはじまり、前者ではECDが優勝、後者ではスチャダラパーが入賞するなど、日本語ラップ第2世代が登場しはじめていた時期でしたが、そういったシーンとは関わるつもりがなかった?

Z:まぁ、結局、オレらが日本のラッパーをどこで観ることになるかっていうと、外タレが来たときの前座で、ただ、そのパフォーマンスがどうにも「うーん……」っていう。

K:オレも〈メジャー・フォース〉のレコードを買ってみたりしたけど……。

O:オレも買ったよ。

Z:オレだって(タイニー・パンクスの)「ラスト・オージー」(88年)を買ってみて、プロダクションに関しては、DJ的観点でつくってあっておもしろかったんだけど、ラップに関しては「もうちょっと格好良くならないもんかねぇ」と思ってしまって。都々逸みたいに聴こえたっていうか。(高木)完ちゃん、いますげぇ仲いいからこういうこと言うのは気まずいんだけど(笑)。正直、当時はそう感じちゃったからさ。「いやいや、いまのヒップホップってもうちょっとフリーキーなフロウもあるし」って。だから、ラップに関しては、オレがやりたいと考えてたことの2歩ぐらい手前の感じがしたし、「これはちょっとちがうかなぁ」と思ったっていうところかな。

たとえば、いとうせいこうや近田春夫、タイニー・パンクス等にとっては、80年代半ばのラン・DMCに感化された部分が大きかったと思うんですよね。ただ、80年代も後半になるとラキムが出てきたり、ラップという表現がより進化していきましたよね。そういった現行のラップ・ミュージックを熱心に追っていただろうZeebraさんやKダブさんにとっては、ラン・DMCを引きずり続けているような日本のラッパーたちが古臭く思えたんじゃないでしょうか?

Z:もちろんそれはあったよね。話がいきなり飛ぶけど、『ソラチカ』(『空からの力』)でやっているデリヴァリー、ラップの譜割に関して言えば、収録曲のほとんどをつくった94年当時、向こうで流行っていた韻を置く場所を予測させないようなスタイルをすごく意識した。たとえばジェルー(・ザ・ダマジャ)とか、ケツ・ケツで踏まずに、ランダムに踏むっていう。そういう視点は英語でラップしていた80年代末から変わってない。

K:オレは85年にアメリカに留学して、地元の黒人と友だちになって。彼らと遊ぶ中で、アメリカにおける黒人の歴史や現在置かれている状況を知ったし、ブラック・ミュージックがそれに影響を受けていることも肌で感じて。それで、日本に帰ってきて日本人のラップを聴いたら、やっぱり、ブラック・ミュージックとしては物足りないと思っちゃったよね。

Z:本当にその通りだね。

K:そこに不満を感じて、日本でヒップホップをやることっていうか、日本語でラップをやること自体、不可能なんだなって決めつけちゃったんだ。英語もわかりはじめてたし、そもそも、文法がちがうじゃんって。80年代はそんな感じだったな。

Z:オレが思うに……当時、日本のヒップホップには2ラインあったじゃない? ひとつは、〈メジャー・フォース〉に代表される、ヒップホップにたどり着くまでにパンク/ニュー・ウェーヴを経て来たタイプ。もうひとつは、ユタカ君(DJ YUTAKA)たちみたいなブラック・ミュージックを経て来たタイプ。かたやファッション誌やカルチャー誌みたいなメディアに頻繁に登場するような華やかな世界で。片やディスコが現場で、客は基地のブラザーだったりして、いなたさもあって。オレにとっては、前者はコッタくんが言うようにブラック感が足りなかったし、後者はちょっと〝いま感〟が足りなかった。

そのどちらにも馴染めなかったと。

K:別の言い方をすると、当時、ヒップホップをカウンター・カルチャー的なものとして捉えるか、ポスト・モダン的なものとして捉えるかっていうちがいもあったと思うんだ。〈メジャー・フォース〉は後者だけど、オレはさっき話したようにアメリカでルーム・メイトの黒人からいろいろと聞かされたからさ。それで、ヒップホップのカウンター・カルチャー的な部分に共感するようになったし、ポスト・モダン的な見方っていうのはあまり好きじゃなかったんだよね。

Z:あとはあれだな。デ・ラ・ソウルの“ミー、マイセルフ・アンド・アイ”(89年)のPVがあるじゃん。学校でイジメられるやつ。あれのイジメる側だったからさ、オレらは(笑)。だから、スチャダラパーとかがステージに上がってるところの最前列でこう(煽るジェスチャー)やってるのがオレらの立ち位置だったの。どっちかっていうと。あと、当時、渋谷だの六本木だのでふらふらしてると、気がつけばひと回り上の先輩と知り合ってたりするじゃん。それで、そのひとたちは、車屋とかやってて、儲かってて、派手に遊んでるわけ。でも、日本のヒップホップの現場に行くと、そういう、悪い先輩と繋がってるひとはいないっていうか、こっちもとにかく若くて、何も知らないから、「お前ら誰なんだよ。オレはもっとヤバいひとたち知ってるし」みたいな感じもあったよね。

K:要するに、当時の日本のヒップホップにはストリートを感じさせるものがなかったんだよね。

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日本は日本の……いまで言うガラパゴス的なシーンで、そこに「ちゃんと本物を持って帰って来る」みたいな使命感はあった。(Kダブシャイン)

日本では〈メジャー・フォース〉のように、本来、オルタナティヴであるはずのものがメインになってしまっていたということでしょうか?

Z:イメージとしては、やっぱり、ファッションな感じがしてたかな。たとえば、オレがどーしても受け入れられなかったのが〈ヴィヴィアン・ウェストウッド〉。だから、あれがイイと言っているひとたちとは感覚がちがうわっていうのはあった。オレは〈ヴィヴィアン・ウェストウッド〉だったら、〈フットロッカー〉のほうが好きだったから(笑)。

タイニー・パンクス時代の藤原ヒロシはヴィヴィアンにアディダスを合わせたりしていましたよね。

Z:オシャレだとは思うけど、オーセンティックな、ストレートなヒップホップではないっていうところが自分の好みとはちがったな。

K:クイーンズ・ブリッジじゃそんな格好してるやついないよ、みたいなさ。

〈メジャー・フォース〉系には「ブラック感」が足りない。ディスコ系には「いま感」が足りない。自分たちがど真ん中だと思うもの〝だけ〟が日本のラップ・ミュージックからは欠けていたと。

K:ただ、オレはいとうせいこうさんがCMでやってた「ネッスルの朝ごはん」のラップ(87年)、あれは許容範囲だったんだよね(笑)。あと、88年か89年の年末に、横浜にあった〈グラン・スラム〉ってプリンスがプロデュースしたディスコでB-FRESHのライヴを観て、「こっちは〈メジャー・フォース〉よりはありだな」と思ったな。立ち居振る舞いとかも含めて。

Z:ちょっと悪そうだったもんね。

K:ブラザー感出てるっていうか、ファンキーな感じがして、可能性を感じた記憶がある。

Z:それで言ったら、オレは『ダンス!ダンス!ダンス』(フジテレビ、90年)を観てたらクラッシュ・ポッセが出てきて、オケが“ワイ・イズ・ザット?”(ブギー・ダウン・プロダクションズ、89年)か何かを使ってたのかな? 「おー、こういうやつらいるんだ!」ってアガったな。

K:実際には、いろいろなタイプのラッパーが出てきてたんだろうけど、自分のことで精一杯だったから目がいってなかったのもあるのかもしれないね。

ただ、〈メジャー・フォース〉は日本ならではのヒップホップの形を模索していたようなところもあったと思うんですよ。また、『ZEEBRA自伝』には、80年代のことを振り返る、「一時期、黒人になりたくて、なりたくて、しょうがなかった/もちろん無理なんだけどさ」という一節がありますが、ZeebraさんもKダブさんも、当初は英語でラップしていたのが、ある時期から日本語にスウィッチして、独自の表現を目指していきますよね。

Z:もちろん、それはいちばんはじめからわかっていたことであって、オレもブレイクダンスからヒップホップに入ってるし、「黒人ばかりじゃねぇよな」って印象はあって。「プエルトリカン、多いな」とか、何だったらアジア人のブレイカーだって、白人のブレイカーだっていたわけだし、オレは、もともと、この文化を黒人だけのものとしては捉えてない。だからこそ、「日本人の自分だって入っていけるはずだ」と思ってたっていうか。デカかったのは、88年に初めてニューヨークに行ったときに、ボビー・ブラウンとニュー・エディションとアル・ビー・シュアの3組がいっしょにやるっていうんで〈マディソン・スクエア・ガーデン〉に観にいったんだけど、真ん中のPA・ブースはエリック・Bをはじめヒップホップ・スターだらけで、「わー、ハンパねー」って感じで。それで、フロアは見渡す限りシスター。しかも、いまのビヨンセみたいな感じじゃなくて、みんな、格好が小汚いんだよ(笑)。そんな中で本編がはじまる前にビースティ・ボーイズがかかったら、どーん! どーん! って超盛り上がって。しかも、“ファイト・フォー・ユア・ライト”(87年)とかじゃなくて、“ポール・リヴェア”(86年)とかだよ? そのときに、「あ、ビースティ・ボーイズはちゃんと受け入れられてるんだ? ……ほう」と思った。オレはそれにだいぶ、背中を押された感じがある。

なるほど。つまり、名誉黒人になりたかったから英語でラップすることを選んだわけではなく、アメリカのヒップホップ・シーンは人種を問わず参戦可能だと思ったからこそ、共通言語である英語でラップすることを選んだのだと。

K:オレなんかは、高校の頃からアメリカで黒人とつるんでたし、なんとなく自分はもうアメリカ人だって気分でヒップホップを聴いてたんだよね。

Z:オレもそうだったな。

K:だから、キング・ギドラにしても、アメリカのヒップホップから枝分かれした存在というイメージで、対して日本は日本の……いまで言うガラパゴス的なシーンで、そこに「ちゃんと本物を持って帰って来る」みたいな使命感はあった。

O:ふたりの話を聞いてて思ったのは、『ソラチカ』をつくる上で、もちろん、刺激を受けた音楽が同じだったっていうのも重要なんだけど、昔の日本語ラップを聴いたときの違和感が同じだったっていうのもデカいのかなって。


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空からの力

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『空からの力』は、いまでこそ「名盤」だとか「教科書」だとか「王道」だとか言われますけど、やはり、リリース当時は日本のシーンに対するカウンターとしての側面も持っていたということですよね。

K:うん、そうなんだよね。


黒人の友だちに英語のラップを聴かせると、「まぁ、それはそれでいいけど、なんで日本語でラップしないの?」みたいなことを言われたしね。(Kダブシャイン)

Kダブさんが、「日本語でラップをやること自体、不可能なんだなって決めつけちゃったんだ。英語もわかりはじめてたし、そもそも、文法がちがうじゃんって」というところから方向転換をしたのはどうしてだったのでしょうか?

K:やっぱり、アメリカのラップを聴いてると、みんな、メイン・ターゲットが自分のコミュニティの人たちなんだよね。ブルックリンの奴らはブルックリンに向けて、クイーンズの奴らはクイーンズに向けて、サウスブロンクスの奴らはサウスブロンクスに向けてラップしている。西じゃ「ウェッサーイ!」とかさ。そういうふうに、自分の地域をレップして、その地域の奴らに聴かせるっていうのが基本なんだなっていうことがわかってくると、「〝日本から来て、アメリカに住んでいる日本人〟みたいなアイデンティティでは限界があるなぁ」と思いはじめて。あと、黒人の友だちに英語のラップを聴かせると、「まぁ、それはそれでいいけど、なんで日本語でラップしないの?」みたいなことを言われたしね。その意見が、自分の中で「どうするんだ、お前は?」っていう自問自答の声になっていってさ。それで、ある日、「じゃあ、日本語でやってみようかな」ってリリックを書きなぐってるうちになんとなく原型になるものができて。「あ、こういう感じで続けていけばいいのかな」って気づいたときにはもう夢中になっていて、半年とか1年とかひたすらやりつづけてたっていう感じかな。

つまり、先ほど、Zeebraさんが言っていたようにラップはマルチ・エスニックな、あるいは、グローバルなカルチャーでもあるわけですが、同時にローカルなカルチャーでもあって、それについて考えている中で、「やはり、日本語でやるしかない」という動機づけがされていったと。

K:そうだね。あと、やっぱり、アメリカに長くいることで、望郷の念みたいなものも膨らんでいってさ。日本人でいることを意識するようになったし、もちろん、アメリカにもいいところはいっぱいあるけど、「こういうところは日本のほうが良いよなぁ」と思うことも多くて、より日本を好きになっていったわけ。一方で、日本に帰るたびに、友だちがジャンキーになってたり、パクられてたり、死んじゃってたり、「ええー? 日本、大変なことになってるじゃん」って感じて。「いま、渋谷でこうなってるってことは、そのうち、全国的にこうなっていくんだろう」と思ったし、あるいは、アメリカでスラムを見て、「日本がこうなったらどうしよう」っていう危機感も持つようになった。そういうふうに、変わっていく日本に対して自分ができることはなんだろうって考えはじめた時期と、日本語のラップに取り組みはじめた時期がちょうど重なったんだよね。

アメリカがある種のディストピアに思えた。日本がこれから向かっていくような。

Z:当時、「日本が危ない感」みたいなものはいろんなところに感じてたよね。


当時、「日本が危ない感」みたいなものはいろんなところに感じてたよね。(Zeebra)

『空からの力』に顕著な雰囲気ですよね。

Z:それと、賛否両論はあると思うんだけど、当時、『ゴーマニズム宣言』(小林よしのり、92年~)とか、実際、おもしろかったし。

K:あぁ、オウムとか薬害エイズについて描いてたころだよね。

Z:隠されている真実をあからさまにするっていうことを、ヒップホップではパブリック・エナミーだったりがやってきたわけだけど、当時、『ゴー宣』にはそれに近い感覚があると思ったし、日本でもそういうものがパブリッシュされることで、そういう目線で物を見るひとが増えてるってことは、逆に言えば、「いま、パブリック・エナミーみたいなことを日本でやってもいけるんじゃねぇの?」って思わせてくれたし。

K:本当のことを言ったり、言いたいこと言ったりするのは当たり前だろうっていう。

『空からの力』をつくるにあたって、『ゴーマニズム宣言』に刺激を受けたようなところがあった?

Z:すごいでかいなぁと思って。たとえば、自虐史観みたいなことに関しても、「本当のことに気づかせてくれたな」っていう感じが、正直、オレはしたし。どこまでが真実で、どこまでが誰かがつくった虚構なのかっていうことはわからないけど、100%悪くないわけじゃないし、100%悪いわけじゃないしってことを知るだけでも、本当に意識が変わった。台湾のひとたちが日本をリスペクトしてるんだって知ったのも『ゴー宣』だったりするから。「あぁ、こういうことを、エンターテイメントとして世の中に伝えていくやり方があるのか。だったら、オレらもラップでそれをやればいいんじゃないか」っていうことは、当時、すげぇ思った。

なるほど。では、日本語でラップをはじめた頃に話を戻すと、『ZEEBRA自伝』には、「T.A.K THE RHHHYMEの家にたまに遊びに行った時に、(略)/「そういえば、この前、コッタ君(Kダブ)から電話あってさ」みたいな話になった。/「コッタ君、ラップ始めたらしいよ」/「しかも日本語でやってて、結構ライムがちゃんとしてたんだよ」って。/(略)その当時、Kダブはオークランドに住んでいたから、国際電話でラップを聴いたのかな。/あっ、これはこれまでの日本語ラップとは違うな。/聴いた瞬間に、そう思った」というエピソードが書かれています。そして、感化されたZeebraさん自身も日本語のリリックを書きはじめるという流れですよね。

Z:そうだね。(Kダブのラップは)ライムヘッド邸で聴いたんだと思う。

それって具体的に何年だったか覚えていますか?

Z:たぶん……92年くらい?

K:アメリカで黒人の友だちに聴かせて「何言ってるかわからないけど、いい感じだよ」みたいなことを言われたりとか、アメリカに住んでる日本人や、日本の友だちにも感想を求めたりとか、そういうふうにして、試行錯誤しながら自信をつけていってたんだよね。その流れでヒデにも聴かせたんだと思う。

ちなみに、『渋谷のドン』には、「次第にアメリカでオレの日本語ラップが認められるようになり、帰国した際にも、それを友だちに披露していたりした。その頃、汐留のレイブパーティでヒデ――Zeebraと再会」という記述があります。この、〝レイブパーティ〟とは?

Z:えー、何だっけそれ?

K:ああー、その電話のあとで偶然会ったのが、汐留っていうか、新橋の線路の下みたいなところでやってたレイヴで。

Z:はいはい。日本ではレイヴがまだこれからっていう頃だったんだけど、それはゲスト・リストに載ってないと入れないようなクローズドのパーティで、オレは友だちがみんな行くっていうからついていったら、たまたま、コッタくんに会って。

K:オレがうんざりして、「アメリカから帰ってきたばっかりなのに、こんな音楽聴くのエグいんだけど」って言ったら、「車の中でヒップホップ聴こうよ」みたいな話になったんだ。

いい話ですね!

K:当時、オレはオークランドの地元のファンク・バンドとかラッパーと交流があって、ちょうど、ベイエリアのシーンが目立ちはじめていた時期だったから、その車の中で、「とりあえず、日本よりはおもしろいことになってるよ。ラップやるなら、オークランドに来れば?」みたいに誘ったんじゃないかな。あと、同じ頃、友だちの結婚式の二次会で、ヒデとノリでワン・ヴァースづつラップしたらすげぇ場が盛り上がって、いいケミストリーだなっていうのを感じたこともあった。


オレは韻をハメて気持ちよくさせることがラップの愉しさなんだって考えながら、92年からリリックを書いてるんで、言いたいことをとりあえず言って、後から韻を踏んで聴こえるように細工してるものとはレヴェルがちがう。(Zeebra)

ところで、ZeebraさんがKダブさんのラップで惹かれたのはどんな部分だったのでしょうか? 『ZEEBRA自伝』には、Kダブさんにラップを聴かされた当時、「RHHHYMEは3Aブラザーズっていうグループを組んでいて、UBG(アーバリアンジム)のINOVADERと1-Low(イチロウ)というMCと一緒に日本語のラップをやってたんで、たまに聴かせてもらったりしてた。/でもライムに関しては、もっと違うやり方があるんじゃないかって思っていた」という一文があるように、周囲でも同時多発的に日本語による新しいライミングの仕方が模索されていたと思うのですが。

Z:当時のライムヘッドたちはまだ最後の1文字を合わせるぐらいで。それに対して、コッタくんが聴かせてくれたのは、単語単位で、3文字とか4文字とかで踏んでたから、「あ、ちゃんと韻として成立してるじゃん」と感じた上に、「これだったらオレにもできるじゃん」と思わせてくれたんだよね。

ただ、それまでの日本にも、単語で踏んでいたラッパーはいましたよね。たとえば、いとうせいこうのアルバム『MESS/AGE』(89年)に付属されていた、〝福韻書〟と題したアルバムの中で使ったライミングのインデックスには、単語がずらっと並んでいます。

Z:いや、それまで、3文字、4文字の単語で、すべて母音を合わせるってことをやってたひとは、そんなにはいなかったんじゃないかな。4文字の単語で、最後の2文字が合ってるとかはあったかもしれないけど。たとえば「~の剣幕」と「~が開幕」とか。

K:「逆境」と「東京」とか。

Z:でも、「剣幕」と「円卓」みたいな踏み方はあまりなかった。

K:オレは、それまでの日本語ラップは、語尾を毎回、「あ~」とか「わ~」とか「ど~」とか延ばして響きを似せることを韻と定義しているという印象があって、ただ、それは韻じゃないって英語のラップを聴いてわかっていたから、自分としては英語の韻の構造を日本語に当てはめたみたんだよね。

Z:オレたちとそれまでのひとたちとは韻に対する考え方がちがったんじゃないかな。オレたちにとっては踏むことがメイン。だから、それまでのひとが「ここは踏めないけど、言いたいことがあるからいいか」ってスルーしちゃうのは、オレらにとってはおもしろくも何ともない。そこをなんとか踏んで、なんとか意味を通すことがアートだって考えてるから。

K:それまでの日本のラップは、作文の途中に韻を踏む言葉が入ってたりするぐらいの感じだったと思うんだよ。

Z:以前、ラキムが「ラップのデリヴァリーは、ジャズでトランぺッターやサキソフォニストがソロを吹くときのパターンと同じだ」っていう話をしてたんだけど、まったくその通りで、たとえば、パララ♪、ツッタタッタ、パララ♪、ツッタタッタ、パララ♪の〝パララ♪〟ってところがラップにとっては韻なんだ。そういうふうに、オレは韻をハメて気持ちよくさせることがラップの愉しさなんだって考えながら、92年からリリックを書いてるんで、言いたいことをとりあえず言って、後から韻を踏んで聴こえるように細工してるものとはレヴェルがちがう。

ライミングをひとつの演奏として捉える。

K:欧米で詩を書くときに使う思考法を、それまでの日本人が持ち合わせていなかったのに対して、たまたま、アメリカに行って、英語でものを考えるくせがついていた若者がその思考法をパッと日本語に置き換えたのが、当初のオレのラップだったと思うんだよね。

『渋谷のドン』には「日本語のラップが成立するかもしれない。そう思い、ひとりで研究をはじめた。そして、中国の漢文が韻を踏んでいることを思い出す。漢文にならって音読みを用い、倒置法や体現止めを試してみた」とも書かれていますね。

K:うん。大学生のときに、日本語って「~です」とか「~でした」とか「~ました」とか、いわゆる韻ではないけれど、韻律を合わせた語尾で終わるようになっているから、そもそも、韻を踏む必要がない言語だっていうことに気づいたのね。でも、新聞の見出しみたいに体現止めにして、漢文みたいに熟語で踏んで行けば、日本語でも韻のおもしろさがわかりやすく伝えられるんじゃないかと思ったんだ。ただ、研究しているうちに、「~なった」と「~あった」でも踏めるとかさ、「有り触れた言い回しでも、しっかりしたラインだったらOK」とか、自分の中でのルールができていって。だって、“スタア誕生”の「スターになる夢見育った/素直でかわいい女の子だった」とか、ぜんぜん、体現止めでもないし、普通の1ラインじゃない。だから、体現止めや熟語で踏むことにこだわってると思われがちだけど、そうではなくて。

Z:でも、「育った」と「子だった」って、ちゃんと、「そ」と「こ」から踏んでるんだよね。

K:そうそう。そこが気がきいてるのを汲み取ってよ、みたいなさ(笑)。


大体のやつが「I Rhyme」って言うわけ。だから、オレは「ラップしてる」って言い方はあまり格好良くないんだなと思って。「I Rhyme」っていうのは、要するに、韻踏んでなきゃラップじゃないってことでしょう。(Kダブシャイン)

『空からの力』のいちばんのメッセージは「韻を踏むことがモラルである」ということだと言っていいと思うんですけど、それが、日本のラップ・ミュージックを変え、ひいては日本語を変えていったわけですよね。

K:オレがアメリカに行った頃、ラップしてるらしきやつに会うたびに、当時の拙い英語で「Do You Rap?」って訊いてたのよ。そうすると、大体のやつが「I Rhyme」って言うわけ。だから、オレは「ラップしてる」って言い方はあまり格好良くないんだなと思って。「I Rhyme」っていうのは、要するに、韻踏んでなきゃラップじゃないってことでしょう。実際、向こうのラップを聴くと、「Rhyming」「Rhyming」「Rhyming」ってみんな言ってるからさ。それで、オレの中で韻を踏むっていうことが大前提になっちゃったんだよ。

OASISさんは、最初にKダブさんとZeebraさんのラップを聴いたときどう思いましたか?

O:まず、「日本語でもこういうふうになるんだ」と思ったし、同時に「ラップってこういうことなんだ」とも思った。それまで、パブリック・エナミーのラップを聴くにしても、対訳を読んだり、辞書を引いたり、理解しようとはしてたんだけど、やっぱり、ちゃんとは理解できてなかったし、どうしても、音として聴いてるようなところがあって。でも、コッタくんとヒデのラップは、向こうのラップがそのまま日本語になっているような感じで、それを聴くことによって、ヒップホップっていうものをより深く理解できたし、もっとヒップホップを聴きたいって欲が出てきた。そういうことは、それまでの日本語ラップではなかったよね。

そして、OASISさんもラップを始めます。

O:うん。『ソラチカ』を聴いて「ラップをやりたい」と思ったひとがたくさんいたのと同じように、オレはリリースの1年前とか2年前にそれを体験していて。ふたりのラップを聴かなければ、自分がマイクを持つようなことにはならなかったんじゃないかな。

Z:オレらも、その後、先人たちがやってきたことを振り返って、「あぁ、もうこの段階でこういうことをやってるんだ」「あぁ、こういうこともやってるんだ」って気づいたし、ただ、当時のオレらにそれが届かなかったのは、たとえば〈ヴィヴィアン・ウェストウッド〉を着てたからとか、フロウがちょっと古かったとか、それだけのことだったのかもしれない。あるいは、彼らが試行錯誤を公開してくれたからこそ、オレらは同じ轍を踏まずに済んだし、オレらは試行錯誤を公開せずにスタイルが完成した後、『ソラチカ』として世に出したからこそ、あのアルバムがラップの教科書として機能したのかもしれないよね。

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日本のシーンはシーンで、ある程度動きはじめてたから、「その中でやっていった方がいいんじゃないか」っていう話はしてたよね。(Zeebra)


キングギドラ
空からの力

Pヴァイン

Hip Hop

20周年記念
デラックス・エディション

Tower HMV Amazon

20周年記念エディション

Tower HMV Amazon iTunes

95年12月18日刊行のヒップホップ専門雑誌『FRONT』(シンコーミュージック)6号に掲載されたキング・ギドラのインタヴューの聞き手は佐々木士郎(現・宇多丸/ライムスター)で、リードにはこう書かれています。「そのデモ・テープが東京のヒップホップ・シーンを駆け巡ったのは、今からちょうど2年前のことだ」「一聴した者はその瞬間から、実体すらはっきりしないこのグループの名前をしっかりと記憶せざるを得なかった。カセット・レーベルにはこう印刷されていたのだ。「KING GIDDRA 見まわそう/空からの力」」「彼らのファースト・アルバム『空からの力』は、あらかじめジャパニーズ・ヒップホップの新たなクラシックとなるべく義務づけられた作品だったと言っていい」。つまり、日本のシーンの中では、93年末頃から出回りはじめたデモ・テープによって、すでに『空からの力』の方向性は周知されていたということですけど、その「デモ・テープ」というのが、今回、ボーナス・トラックとして収録される音源なのでしょうか?

Z:そう。93年の3月にオークランドに行ってギドラを結成して、日本に帰ってきてから録ったデモだね。当時、UZIのお兄さんが練習スタジオをやってて、ひと部屋だけレコーディングもできるところがあって、そこを借りて。

キング・ギドラ 『空からの力:20周年記念エディション』 Trailer

なるほど。では、そのデモについて訊く前に、オークランドでギドラ結成に至った経緯を教えてください。

K:ヒデがオークランドに着いて、何日かいっしょにヒップホップ活動をしている内に、「グループになろうか?」っていう話になって。それまでは、お互いにひとりでやってたし、ソロMCっていう自覚もあって、ソロのヴァースも書いてたんだけど、ちょうど、ラン・DMCが『ダウン・ウィズ・ザ・キング』(93年)でカムバックした頃で、「やっぱり、2MCのライヴって1MCより迫力あるなぁ」と思ってたところだったんだ。あと、なんとなく、「オレたちだったらうまくいくんじゃないかな?」っていう予感もあって。そうしたら、ヒデが「もう1人いいやつがいるんだよ」ってオアの名前を挙げて、その2ヶ月後ぐらいに会ったのかな?

そのときにはすでに、日本でリリースするということは決めていたんでしょうか?」

K:うーん、とにかく「つくる」ってことしか考えてなかったかな。もちろん、日本の皆に聴かせたいけど、具体的に日本での音楽活動の仕方をイメージしてたわけではなく。オレが向こうで仲がよかったエレメンツ・オブ・チェンジってラップ・グループの片割れの彼女が『ギャビン』って雑誌で働いてて業界に詳しくて、「ショッピングしてみるわ」って言うから任せたら、1個か2個いい話を持ってきたりして。

〈デフ・アメリカン〉からデビューするという予定もあったみたいですね。

K:もう1個あったんだけど、何だったっけ? あぁ、〈イモータル(・レコーズ)〉って〈エピック〉系のレーベルかな。でも、やっぱり、ターゲットはなんとなく日本って決めてたから。

Z:もうその時点で、日本のシーンはシーンで、ある程度動きはじめてたから、「その中でやっていった方がいいんじゃないか」っていう話はしてたよね。

『空からの力』は、もちろん、傑作なんですが、必ずしもその時期における異端的な作品ではなくて、同じ年の6月にはライムスターの『エゴトピア』が、10月にはコンピレーション『悪名』がリリースされていますし、ギドラとライミングの方法論が近いラッパーたちが集まりはじめていたという印象があるのですが?

Z:たとえば、(『悪名』に収録されたラッパ我リヤの)Qなんかは「ギドラのデモ・テープを1000回ぐらい聴いた」と言ってて、そこから、あんな韻フェチが生まれたってことだと思うし。

K:三木道三も同じようなことを言ってたよね。

つまり、ギドラのデモ・テープとアルバムの間が2年空いたことで、デモ・テープの影響が表出するのと、アルバムのリリースとが重なり、ギドラとライミングの方法論が近いラッパーが同時多発的に現れたように見えた側面もあったと。

Z:そうなんじゃないかなって気はするんだけど。あと、それだけデモ・テープが広まったのは、(DJ)KEN-BOがオレらのプロモーションをやってくれたからでもあるんだよね。「とにかく、韻がヤバいんだよ」みたいな説明をしながらデモ・テープを配りまくってくれて。

K:あと、『Fine』(日之出出版)としっかり組んだのも大きかったよね。あの雑誌は、マニアックなラップ好きとか音楽好きだけじゃない、遊び人の子たちが読んでた雑誌だったから。

Z:それこそ、ギャル全盛期でさ。みんな『Fine』読んでますって時代だったし、あの雑誌に載ったり、〈Fine Night〉に出ることによってファン層も幅広くなった。


だからこそ、「これ(『空からの力』)を聴いたら変わるよ」ぐらいに思ってたし。(Kダブシャイン)

一方、『FRONT』の、ギドラのインタヴューが掲載されたのと同じ号では、佐々木士郎が連載「B-BOYIZM」において、「日本のヒップホップ・アーティストを取り上げるのを快く思っていない層」に対する反論を書いていたりと、遊び人の中で、日本語ラップに対するイメージはそこまでよくなかったのかなとも思うんですが。

Z:士郎くんが言ってたのは、おそらく、遊び人っていうよりは、いわゆる〝ブラパン〟みたいな層に対してだね。当時、「ブラック・ミュージックが好き、ヒップホップが好き、だけど、日本語ラップは……」っていう奴がけっこういたんだ。

K:いや、気持ちはわからなくもないんだよ、オレらだってそうだったんだから(笑)。だからこそ、「これ(『空からの力』)を聴いたら変わるよ」ぐらいに思ってたし。

Z:外タレのフロント・アクトに出まくったのも、「っていうか、オレらのほうがぜんぜん格好よくねぇ?」ってことをわからせたかったからだしね。

K:まぁ、エリック・サーモンにしても、ショウビズ&AGにしても、みんな、「何言ってるかわかんないけどイイよ」「これならぜんぜん行けるよ」って言ってくれたからね。

80年代末に、Zeebraさんは外タレの前座をやっていた日本人ラッパーたちに違和感を感じてたいたという話がありましたが、そこで、ギドラがUSと日本の差を埋めたとも言えますよね。

Z:そうだね。エド・O.G.に至ってはオレらが完全に食っちゃたし。あと、その頃のことで印象に残ってるのが、グレイヴディガズが〈ジャングルベース〉(六本木のクラブ)でライヴをやったとき、オレはバーカウンターに寄っ掛かって観てたの。そうしたら、途中でプリンス・ポールが「この中でラップできるやついないのか?」みたいなことを言って、前のほうにいた基地の奴が、まぁ、どうってことのないラップをしだして。だから、「しょうがねぇな」ってオレがマイクを持ったらフロアも盛り上がったし、グレイヴディガズも「おー」みたいな感じになってさ。それで、ステージから降りたら、黒人に後ろから抱きつかれてるブラパンが「やるじゃーん」って言ってきて。そのとき、「ついに勝ったぜ、ブラパンに」にと思ったよね(笑)。

K:そういう意味では、〈Pヴァイン〉からリリースしたのもよかったよね。ブラック・ミュージック好きに認められてたレーベルだからさ。

そして、ライムスターの『エゴトピア』で「口からでまかせ」にソウル・スクリームとともにフィーチャリングされたあと、95年7月にリリースされたコンピレーション『THE BEST OF JAPANESE HIP HOP VOL.2』収録のSAGA OF K.G.名義「未確認非行物体接近中」のアウトロでは「ライムスター、メロー・イエロー、イースト・エンド、ソウル・スクリーム、マイクロフォン・ペイジャー、ランプ・アイ、ユー・ザ・ロック&DJベン、雷クルー、ECD、キミドリ、ガス・ボーイズ、クレイジーA、DJビート、DJ KEN-BO、ライムヘッド」といったアーティストたちにシャウトアウトを送っていますね。

K:うわ、そういえば、言ったね~!

Z:うん。この頃には、皆でやっていこうという意識の中で動いてたから。

『空からの力』をレコーディングしはじめたのもその頃でしょうか?

K:95年の夏からスタジオに入ったんじゃなかったかな。暑かった記憶がある。

アルバムには、それまでデモ・テープに収録していた曲は全部入ってる?

Z:いや、入ってない曲もある。


「いくら日本で悪い子ちゃんだって言っても、ガンを持ってるわけじゃないし、ひとを殺したわけでもないし、向こうに行ったら普通だよ」と思ったら、ファーサイドの具合がちょうどいいなって感じたんだよね。(Zeebra)

今回、「見まわそう」のデモ・ヴァージョンだけ、事前に聴かせてもらったんですけど、Kダブさんがアルバムとあまり変わらないのに対して、Zeebraさんの発声はぜんぜんちがいますよね。

Z:そうなんだよね。まったくちがう。

Zeebraさんは、その時代その時代の、ラップのモードに合わせてスタイルを変化させてきたと思うのですが……。

Z:ただ、そのデモの頃は、それこそ試行錯誤している最中だったかな。自分のラップ・スタイルはどれがベストなのか探ってた感じ。あと、ファーサイドの影響がモロに出てる。いま振り返ると、自分たちとしては、不良っぽかったり、ストリートっぽさを持ってたりっていうのは大前提だったんだけど、もともとはUSでやろうとしていたので、「いくら日本で悪い子ちゃんだって言っても、ガンを持ってるわけじゃないし、ひとを殺したわけでもないし、向こうに行ったら普通だよ」と思ったら、ファーサイドの具合がちょうどいいなって感じたんだよね。

あの声の高さはファーサイドですか。

Z:ファーストの『ビザール・ライド・トゥ・ザ・ファーサイド』(92年)が出て、「パック・ザ・パイプ」って曲もあったり、楽しそうだったり、ドロドロしてたり、「何かおもしろいなぁ」と思ったのが、まさに、デモ・テープをつくる半年前ぐらいだったんだよね。でも、「日本のシーンの中でやる」っていうことを考えるんだったら、もっとストリート性みたいなものを出した方がいいかなと思って、だんだん、声のトーンも下がっていった。だから、デモ・テープから、ソロのセカンドの『BASED ON A TRUE STORY』(2000年)までをひとつの流れとして見ると、オレのラップがどんどん男っぽくなっていくのがよくわかるんじゃないかな。

なるほど。ちなみに、『空からの力』は、リリース当時、どれぐらい売れたんでしょうか?

Z:気がついたら、20000枚か30000枚ぐらいは売れてたよね。

では、長い時間をかけて浸透していったという感じではなく。

K:うん、最初の2、3ヶ月でけっこう売れたんじゃないかな。HMV渋谷店のチャートでは6週ぐらい連続で1位になったり、大騒ぎになってたって言ったら大袈裟かもしれないけど……。

最初に影響を自覚したのはいつですか?

K:やっぱり、〈さんピンCAMP〉(96年)のときは、あの大雨の中、満員の客が盛り上がっていて……もちろん、自分たちだけが出てたわけじゃないけど、「あぁ、日本でもヒップホップがここまで影響力を持つようになったんだな」と思ったよね。ちょっと怖いぐらい熱狂的な感じ。

『ZEEBRA自伝』では、「あの頃はデカいイベントが月に1回くらいのペースであったんで、いつものルーティンな感じだった」とも書いてありましたが。

Z:いや、それは、〈さんピンCAMP〉だけのおかげで日本のヒップホップが盛り上がったわけではなく、〈(クラブ)チッタ〉でやっていたようなオムニバスのイベントだったり、〈イエロー〉や〈ゴールド〉でやっていたようなパーティだったりの積み重ねでシーンが出来上がったってことを言いたかったんであって。ただ、〈さんピンCAMP〉のキャパがそれまでで最大だったのはたしかだから。それこそ、“未確認非行物体接近中”のイントロが鳴り出して、ぐわーって歓声が上がったときはゾクゾクッときたよね。「よっしゃー!」って。

K:オレはどのアーティストも同じぐらい盛り上がったっていう印象だったんだけど、ひとによっては、「ギドラのときがいちばんだった」って言ってくれるのはうれしいよね。それだけ、アルバムが受け入れられてたんだなって思った。

ただ、そのステージにOASISさんはいませんでしたよね。

O:あのときはKENSEIがDJをやったんだっけ?

K:KENSEIとKEN-BO。

O:あぁ、ダブルDJだったんだ。オレは現場にすらいなかったから。あとから映像で観た。

K:当時、オアは音楽から身を引こうとすら思ってたみたい。


アルバムの中では自分の役割を果たせたと思ってるし、やりたいことができてるなって、今回、聴き直して感じたね。(DJ OASIS)

当時の文字情報……たとえば、『HIP HOP BEST100』(Bad News、96年)を読むと、「もともとあまり表舞台に出ることは少なかったトラック・メーカーのDJ OASIS」というふうに書かれています。

O:うん。ほぼ、表舞台には出てないかな。アルバムを出した年に結婚もしたし、生活を取ったっていう感じで。音楽で金を稼ぐっていうことにまだピンときてなくて、バイトもしてたからね。

自分が参加していないうちに、キング・ギドラがどんどん大きくなっていったことに対して、何か感じることはありましたか?

O:やっぱり、すごい感じてたよ。音楽雑誌に出ることは当たり前かもしれないけど、その頃から、一般誌にも出るようになってたからね。何気なく雑誌をパラパラめくってて、パッとふたりの写真が出てくると、「あぁ、オレも本当だったらここにいたんだよな」っていうことは思ったし。だからと言って、自分が選んだ道は後悔してなかったから、日々の仕事を淡々とこなしてたけど、ギドラがでかくなっていく一方で、いつまでも変わらない自分には違和感を感じてたね。「悔しい」とか「クソ!」みたいな感じではなく、心にポカンと穴が空いてるような……。

なるほど。

O:ただ、たしかにライヴに関しては何年も参加できなかったし、『ソラチカ』に関しても仕事でスタジオに行けなかったときもあったんだけど、アルバムの中では自分の役割を果たせたと思ってるし、やりたいことができてるなって、今回、聴き直して感じたね。

一方で、ZeebraさんとKダブさんは、後年、『空からの力』のレコーディングの時期を、グループとしてはあまりいい関係ではなかったと振り返っていますね。たとえば、『渋谷のドン』には「空中分解の状態」だったと、『ZEEBRA自伝』にはKダブさんに対して「うーんと思うことも増えてきた」と書かれています。

K:うーん……蜜月が終わったというか……。最初は一気に近づいていっしょにやるようになったわけだけど、そりゃあ、時間が経つごとに意見の相違も出てくるし……。

名盤と言われている作品の裏では、じつは、OASISさんが音楽から離れようと考えていたり、KダブさんとZeebraさんの関係がよくなかったりしたというのは、リスナーとして興味深いです。

K:たぶん、オレもヒデも本能的に「これを出さないと次につながらない」ってことがわかってたから、アルバムに関しては「ビジネス・ネヴァー・パーソナル」でとにかく完成させようと。ただし、その後は袂を分かつことにはなるんだろうな……みたいな予感はしつつ、レコーディングは無我夢中だったよね。もし、完成させられなかったら、それまで積み重ねてきた努力も台無しになるし、他の奴らにもデモで影響を与えたんだとしたら彼らにも申し訳が立たないし。『エゴトピア』の「口からでまかせ」は言わば予告編みたいなものだったので、その後、本編が幻になっちゃうようなことだけはやっちゃいけないなっていうのもあって。そこは、〈Pヴァイン〉もよくサポートしてくれてたと思うよ。

(『空からの力』のブックレットを熟読しているZeebraに対して)当時、Zeebraさんはどんなことを考えていましたか?

Z:……いま考えてたのは、この写真を見ると、オアがいちばん顔が変わったかなって(笑)。

K:あー、たしかに。

O:……わかんないけど、2人がぶつかった時期があったんだとしたら、それは、たぶん、オレがいない時期で。だから、もしかしてオレがいたら、和らいだりもしたのかなって思うことはあるね。

Z:もしかしたらそれはあったかもしれないね。

K:そうだね。

Z:ただ、オレが、正直に思うのは、ギドラ以降もいろんなアーティストと友だちになったけど、いま話してたようなことは、アーティストは誰しもが持つ問題だと思う。

K:うん。

Z:やっぱり、エゴじゃん、アートって。自分が表現したいものを100%表現したいと思うのがアートだから。もちろん、ギドラみたいに3人でひとつのアートを完成させるっていうことも大事なんだけど、それと同時に、「オレはこういうことをやってみたい!」っていうエゴもあって、「ただ、それにはコッタくんは合わないかも」って思うかもしれないし、コッタくんはコッタくんで「ヒデは合わないかも」って思うかもしれないし、オアはオアで思うかもしれない。そういうエゴのぶつかり合いは、アーティストが集まれば必ず起こることで、だから、すごく健康的なことなんじゃないかな。その後、『最終兵器』(キング・ギドラのセカンド・アルバム、2002年)もつくって、いま、こうしていい関係になってるわけだし。


たとえば93年にはウータンのアルバムが出てるわけで、オレたちにしても、全員がソロというスタンスを守りながらユニットとしてやっていくっていうのは、最初から何となく決めていたことではあったんだよね。(Kダブシャイン)

そのぶつかりあいこそがケミストリーを生んだのかもしれないですよね。

O:ふたりとも、性格もちがうし、表現したいこともちがうんだけど、ヒップホップの意識レヴェルみたいなものは同じ高さで。だからこそ、どんなに喧嘩しても「もう絶対会わねぇ」みたいなことにはならない。たぶん、ヒップホップに関して、いちばん刺激的に反応してくれるのがお互いなんだよ。なので、当時も、いろんなひとがふたりの関係のことを訊いてきたけど、「ふたりは根底では同じだから、最終的には割れないだろうな」って思ってたよ。

Z:それこそ、「あれ聴いた?」とかいう話をするときに、いちばんオン・ポイントで意見を交換できるのがコッタくん。以前、Twitterでもつぶやいたけど「俺とコッタくんはヒップホップに対して持ってる尺度がちょっと違うからたまに相反するんだけど、根っこは一緒」みたいな。本当にそういうところはすごいあって。

K:あと、さっきのオレの言い方はちょっとネガティヴに聞こえたかもしれないけど、たとえば93年にはウータンのアルバムが出てるわけで、オレたちにしても、全員がソロというスタンスを守りながらユニットとしてやっていくっていうのは、最初から何となく決めていたことではあったんだよね。その方がお互いに依存しなくなるし、そもそも、それぞれに才能があるし。だから、このアルバムにもふたりともソロが入ってるわけじゃん?

Z:だって、デモの段階でコッタくんのソロが入ってたんだもん。この、『空からの力』を出すまでは、オレらにとってはギドラしか表現する場所がなかったから、どうしても、エゴのぶつかり合いにもなったんだよね。でも、その後、ソロで3者3様の表現をしたから、もうぶつかり合うことはなくて。『最終兵器』で「じゃあ、キング・ギドラでまた1枚つくりましょうか」ってなったときは、もうノー・エゴで、100%、グループとしてのアルバムをつくることに集中できた。


『最終兵器』はいろいろと物議も醸したわけだけど、それも、「パブリック・エナミーのようなグループを日本でやりたい」っていう、『空からの力』の頃の目標が、ようやく、達成できたんだとも言える。(Zeebra)

『ZEEBRA自伝』には「『最終兵器』は『空からの力』完成版という意識でつくった」とあります。

Z:そういう意識はものすごくあったね。

O:オレもようやくがっつり参加できたし。

K:ヒデがフィーチャリングされたドラゴン・アッシュ(『Grateful Days』、99年)のヒットの余波もあったりとか、映画(『凶気の桜』、2002年)も巻き込んだりとか、レーベルの〈デフ・スター〉が本気で金を使ってくれたりとか、大きいプロジェクトにできたし、やっぱり、あのときの達成感は何ものにも換えられないものがあったね。

Z:オレだって、セールス・レヴェルの話で言ったら、いちばん売れてるのはあのアルバムだし。あと、『最終兵器』はいろいろと物議も醸したわけだけど、それも、「パブリック・エナミーのようなグループを日本でやりたい」っていう、『空からの力』の頃の目標が、ようやく、達成できたんだとも言える。

K:だから、ここで『最終兵器』の話をするのは変かもしれないけど、あれがなかったら、この20周年記念盤も出せてなかったかもしれないから。

O:それはそうだね。

Z:「あー、20年経ったかぁ」なんて言って、そっぽ向いてたかもしれない(笑)。

K:『空からの力』をクラシックとして確実なものにしてくれたのは、じつは『最終兵器』なんだよね。というわけで、7年後にはまたインタヴューをお願いします。

えっ、『最終兵器』20周年記念盤? それも論じがいがありそうですね……。ちなみに、3人とも表現を更新しつづけているアーティストであるわけですけど、今回、『空からの力』という20年前のアルバムをあらためて聴き直してみてどう感じたのでしょうか?

Z:まぁ、可愛いな、よくやってるな、頑張ってるな、って感じ。これをつくってた24歳のオレに向けて「けっこう、頑張ってんじゃん」って思う。

K:10年前は子供の頃の写真みたいで恥ずかしいから閉まっときたい感じだったけど、それからまた10年ぐらい経って、「あぁ、ここが原点だったんだな」って思うし、本当に感慨深いよね。

O:昔からクラシックだって言ってくれるひとは多かったけど、自分としても20年経って初めて「すごいことやってたんだな」って認められるようになったね。

Z:それにしても、デラックス・エディションを出してもらえるっていうのはものすごい誇らしいよ。だって、そんなアーティストなんてほとんどいないし。オレは王道のアーティストが大好きだから、R&Bにしたって、マーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーの「○○周年記念盤」とか「○○周年ボックス」とかよく買ってたもんね。自分たちがそこに並ぶことができたのは本当にうれしい。


■KGDR(ex.キングギドラ) 〜「空からの力」20th Anniversary〜

7月18日(土) 「NAMIMONOGATARI 2015」 @ Zepp Nagoya
https://www.namimonogatari.com/

8月15日(土) 「SUMMER BOMB produced by Zeebra」 @ Zepp DiverCity TOKYO
https://summer-bomb.com/

9月6日(日) 「23rd Sunset Live 2015 -Love & Unity-」 @ 福岡県・芥屋海水浴場
https://www.sunsetlive-info.com

OUTLOOK FESTIVAL 2015 JAPAN LAUNCH PARTY - ele-king

 夏に入る直前のなんとも言えないこの時期に、恐ろしいまでに最高な低音を浴びせてくれるOutlook Festival。あのサウンド・システムは健在のまま、今年は会場を新木場から渋谷の〈VISION〉に移しての今週末開催されます。過去に開催された日本独自のラインナップやサウンドクラッシュの組み合わせを見ていると、このOutlookが数少ない「日本でベースを鳴らす意味」を教えてくれるパーティだと実感します。そして何よりもベース・ミュージックの面白さに触れることができるまたとないチャンス。デイ・イベントなので普段はクラブへ行けない10代の君もこの機会を見逃さないでほしい。
 本場クロアチアでのOutlookにも出演しているPart2Style SOUNDやGoth-Trad。UKベースの生き字引Zed Bias、香港のDJ Saiyan、若手グライム・ユニットのDouble Clapperzなど、本文には書ききれないほどの重要プレイヤーが6月14日に渋谷を低音で揺らします。それでは当日、巨大なサブ・ウーファーの前でお会いしましょう!

OUTLOOK FESTIVAL 2015 JAPAN LAUNCH PARTY

開催日時:2015.6.14 (SUN)
開催時間 : 14:00 - 22:00
料金 : ADV 4,000 / DOOR 4,800
会場:SOUND MUSEUM VISION , Tokyo
www.vision-tokyo.com
03-5728-2824(SOUND MUSEUM VISION)
OUTLOOK FESTIVAL 2015 JAPAN LAUNCH PARTY WEB
https://outlookfestival.jp

出演:
ZED BIAS (from UK)
MC FOX (from UK)
IRATION STEPPAS (from UK)
Hi5ghost (from UK)
JONNY DUB (from UK)
CHAZBO (from UK)
PART2STYLE SOUND
KURANAKA a.k.a 1945 (Zettai-Mu)
GOTH-TRAD (Deep Medi Music/Back To Chill)
LEF!!! CREW!!! & BINGO (HABANERO POSSE)
$OYCEE(CE$+tofubeats)
BROKEN HAZE
BLOOD DUNZA (from HK)
CHANGSIE
CLOCK HAZARD
Cocktail Boyz (INSIDEMAN&KENKEN)
CRZKNY
DJ Doppelgenger
DJ DON
DJ Saiyan (from HK)
DJ Shimamura + MC STONE
DJ YAS
Double Clapperz
G.RINA
hyper juice
JA-GE
Jinmenusagi
KAN TAKAHIKO
KILLA
MAXTONE Hi-Fi
MIDNIGHT ROCK
MISOИКОВ QUITAВИЧ
NUMB'N'DUB
PARKGOLF
QUARTA330
RUMI
SHORT-ARROW & Ninety-U
SKY FISH + CHUCK MORIS
TAKASHI-MEN
環ROY
TREKKIE TRAX
Tribal Connection
VAR$VS
YOCO ORGAN
ZEN-LA-ROCK

:: SOUND CLASH ::
XXX$$$(XLII&DJ SARASA) vs
DJ BAKU vs
GRIME.JP

:: SOUND SYSTEM ::
eastaudio SOUNDSYSTEM
MAXTONE Hi-Fi

:: VJ ::
MYCOPLASMA ( TREKKIE TRAX )

:: 主催 ::
PART2STYLE with ZETTAI-MU

WHAT IS OUTLOOK???

OUTLOOK FESTIVALとは? 毎年9月にクロアチアで開催される世界最大の“ベース・ミュージックとサウンドシステム・カルチャー”のフェスティバルである。UKではフェスティバル・アワードなどを受賞する人気フェスで、オーディエンスが世界各地から集まり、400組以上のアクトが登場。このフェスのローンチ・パーティは、世界各国100都市近くのクラブ/パーティと連携して開催され、その中でも本場UKまで噂が轟いているのが、日本でのOUTLOOK FESTIVAL JAPAN LAUNCH PARTYである。 

OUTLOOK FESTIVAL JAPAN LAUNCH PARTYは 日本を代表するベース・ミュージックのプレイヤーが集結し、アジア最高峰のサウンドシステムでプレイする、いわばアジア最強のベース・ミュージックの祭典である。さらに世界中で話題沸騰中の「Red Bull Culture Clash」の日本版ともいえる「OUTLOOK.JP SOUNDCLASH」も見どころのひとつであり、他のクラブ・イベントでは見れない企画が満載。日曜の昼間から開催することで幅広い年齢層が集い、今回の開催地「SOUND MUSEUM VISION」はアクセスの良い渋谷にあり気軽に遊べる“アジア最強の都市型ベース・ミュージック・フェス”だ。

PART2STYLE SOUND

世界を暴れ回るベース・ミュージック・クルー = PART2STYLE SOUND。ダンスホール・レゲエのサウンドシステム・スタイルを軸に、ジャングル、グライム、ダブステップ、トラップ等ベース・ミュージック全般を幅広くプレイ。独自のセンスでチョイスし録られたスペシャル・ダブプレートや、エクスクルーシブな楽曲によるプレイも特徴のひとつである。2011年よりは、活動の拠点を海外にひろげ、ヨーロッパにおける数々の最重要ダンスはもちろん、ビッグ・フェスティバルでの活躍がきっかけとなり、ヨーロッパ・シーンで最も注目をあびる存在となっている。海外のレーベル(JAHTARI、MAFFI、DREADSQUAD等)からのリリースやセルフ・レーベ ル〈FUTURE RAGGA〉の楽曲は、ヨーロッパ各地で話題沸騰、数々のビッグ・サウンドやラジオでヘビープレイされ、世界中のダンスホール・セールス・チャートにてトップを飾った。2013年には、日本初のGRIMEプロデューサー・オンライン・サウンドクラッシュ<War Dub Japan Cup 2013>で見事優勝を勝ち取り、国内においてもその存在感を示した。

Goth-Trad

ミキシングを自在に操り、様々なアプローチでダンス・ミュージックを生み出すサウンド・オリジネイター。2001 年、秋本"Heavy"武士とともに REBEL FAMILIA を結成。ソロとしては、2003 年に 1st ア ルバム『GOTH-TRAD I』を発表。国内でソロ活動を本格的にスタートし積極的に海外ツアーを始め る。2005 年には 2nd アルバム『The Inverted Perspective』をリリース。同年 11 月には Mad Rave と 称した新たなダンス・ミュージックへのアプローチを打ち出し、3rd アルバム『Mad Raver's Dance Floor』を発表。ヨーロッパそして国内 8 都市でリリース・ツアーを行なう。このアルバムに収録され た「Back To Chill」が、ロンドンの DUBSTEP シーンで話題となり、2007 年に UK の SKUD BEAT か ら『Back To Chill EP』を、DEEP MEDi MUSIK から、12”『Cut End / Flags』をリリース。8 カ国に及ぶ ヨーロッパツアーの中では UK 最高峰のパーティーDMZ にライブセットで出演し、地元オーディエン スを沸かした。以降、国内外からリリースを続け、ヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニア等、世界中 でコンスタントにツアーを重ねる中、2012 年にはアルバム『New Epoch』をリリースし Fuji Rock Fes 2012 に出演。2011 年~2014 年にかけては、欧米のビッグ・ フェスにも出演してきた。2006 年より開始した自身のパーティーBack To Chill は今年で 8 年を迎え、ついにレーベルを始動する!

Zed Bias

数知れずの謎めいた変名を駆使する90年代後半を引率した、 Zed Bias aka DAVE JONESの活動履歴はそのままUKのダンスカルチャーそのものといえる。 2000年にUKチャートに送り込んだ2STEPの金字塔を打ち立てた彼の作品が 世代をこえてその重要性を再定義したROSKAにリミックスで去年再リリースまでされた。そんなアンダーグラウンドダンスミュージックの先駆者は常に動きを止めない、自宅スタジオで作られたあらゆる名義のサウンドは常にBBC1のスターDJによりプレイリストに加えられ、KODE9、ONEMAN、BENGA、Plastician、そしてSkreamによって瞬く間に広がっていった。 2002年に、より実験性をもったサウンドを目指すMaddslinky名義アルバムではWill White(Propellerheads)Kaidi Tathem,Luca Roccatagliati等をフューチャーしたDUBSTEPの礎を築くサウンドを展開、また2010年にはMr Scruff、Skream、Genna G、Omar等をゲストに”Make a Change”を発表。ジャイルスピーターソンが選ぶワールドワイド・アワードで”Further Away”が3位に入るなど、常に実験性を保ちながらも、UKチャートに食い込むようなビッグチューンを送り込むバランス感覚の優れたプロデューサーである。


Akitsa - ele-king

 カナディアン・ブラックメタル・バンド、アキッツァ(Akitsa:正しい発音をご存知の方はご一報ください)による5枚めのアルバム。プリュリエントのドミニク・フェルノウによるブラックメタル・プロジェクト、アシュ・プール(Ash Pool)とのスプリット以来約2年ぶりの音源は、もちろんドミニクの〈ホスピタル・プロダクション(Hospital Productions)〉から。超パンキッシュなヴォーカルがフランス語なので当初はフランスのバンドかと思っていましたが、ケベックです。

 アキッツァは、ドミニクによるアシュ・プールのサウンドからうかがえる彼のブラックメタルへの嗜好、クッソ劣化音質、D-Beat、クラストパンク的ブラックメタルを見事に具現化するバンドであり、ゼロ年代以降USアンダーグランドを中心に再燃した第二波ブラックメタル・ブームを代表するバンドとも言える。
それはたとえばこんな超アンダーグラウンドな文化をスタイリッシュに見せることに成功したサン(SUNN O))))のスティーブン・オマリーや写真家のピーター・ベステ(Peter Beste)、現代美術家/彫刻家のバンクス・ヴァイオレット(Banks Violette)といったマルチ・タレントなアーティストらによりヒップなサブ・カルチャーとして認知され、アイコン化された。そしてそれは、先日H&Mから架空のメタル・バンドのパッチが施されたクソダサいコレクションが発表されたことで完全に終わったのかもしれない。

 相変わらずのアキッツァの『グランズ・ティランス(Grands Tyrans)』を聴きながらそんなことを考えていた。変わらないは言い過ぎか。クラストパンク色はより色濃くなり、USブラックメタル界のアイドルとなったボーン・アウル(Bone Awl)のマルコ・デル・リオが現在活動するラズベリー・バルブス(Rasberry Bulbs)の世界観と重複する。ローファイ・シンセ・ウェイヴのようなトラックも収録され、〈Not Not Fun〉以降のローファイ・インディ・ファンや、エッセティック・ハウス(Ascetic House)周辺をチェックするオシャレ・ゴス・キッズの耳にも届くかもしれん。ヒネくれて聞こえるかもしれんが、こりゃカッチョイイですよ。


 そういえば、先日、いつだったかココに書いたバーザムTシャツを着るのがテクノDJの間でヒップなんてのはファック、という一文を往年のサージョン・ファンから指摘されたのだが、そのとき僕がイメージしていたのはサージョンではなく、スウェーデンはストックホルムのジョナス・ローンバーグことヴァーグ(Varg)である。ノルウェジャン・ブラックメタルからの影響を声高にアピールする彼の最新作『URSVIKEN』が先日発売された。寒々しい光景が広がるエクスペリメンタル・アンビエント・テクノにそのプロジェクト名、本人のノリからわかりやすすぎるほど直球に想起されるバーザムの獄中アルバム・ミーツ・テクノ。ディープ・ミニマルな心地よいビートを洗練された手つきで紡ぎながらも、グルーヴよりもサウンドスケープが際立つ雪山遭難テクノ。いや、わかります。僕もバーザム好きですし。だけどもヴァーグ・ヴァイカーネス本人はマジでいわゆるネトウヨかつ問題の多い人間だと思うから信仰するのはどうかと思うよ。


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