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Suezan - ele-king

 1970年代末〜のドイツにおけるポスト・パンク、つまりノイエ・ドイチェ・ヴェレの再発で知られる新潟の〈Suezan〉レーベルから、洒落たクリスマス・アルバムがリイシューされる。
 『クリスマス、おぼえてろ!(Denk Daran!)』は、1980年にデュッセルドルフのタウン誌が企画した、当時のドイツのポスト・パンク系のバンドによるクリスマスを主題とした曲を集めたもので、そうそうたるメンツ(デア・プラン、ピロレーター、ディー・クルップスの前身、S.Y.P.H.などなど)が一堂に会している。発売は12月24日のクリスマスイブ。怪しげで、しかしご機嫌なクリスマスになること必至です。
 

VA
クリスマス、おぼえてろ!

(VA / Denk Daran!)
Suezan
12月24日発売(完全限定プレス)
https://suezan.com/newrelease

DIE KRUPPS - ele-king

 ドイツのポスト・パンク系の音源をたくさんリリースしている新潟の〈SUEZAN〉がディー・クルップスのデビュー・ライヴの映像をDVDとしてリリースする。日本でディー・クルップスといえば、「俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ」のバンドとしてのほうが通りが良いかもしれないが、国際的にはミニマルなメタル・パーカッションの元祖的な存在として知られている。CANのインナースペースで録音されたファースト・アルバム『鉄工所交響曲』はメッセージとしては労働と機械を主題とした作品で、ドイツのポスト・パンクにおける重要な1枚となっている。
 で、今回リリースされる彼らのデビュー・ライヴの映像だが、これは阿木譲氏が当時その場に居合わせて撮影したというもの。古いビデオテープからデジタル化してのリリースというわけだ。当時の生々しさは充分に伝わってくる、まさに貴重な記録。
 なお、〈SUEZAN〉は今年で10年目を迎える。

 1980年代はいわゆるインディ・ブームがあり、楽器なんて弾けなくたって音楽は作れるというわけで、パンクやニューウェイヴに影響を受けたバンドが日本列島津々浦々、無数に存在し、たくさんの音源を残しては消えていったのではないかと推測されるわけだが、この度、ノイエ・ドイチェ・ヴェレの再発で知られる〈Suezan Studio〉がその時代の新潟の音源を発掘し、編集して1枚のコンピレーションとしてリリースする。
 『フロム・バックサイド・ジャパン:アンダーグラウンド・ミュージック・シーン・イン 新潟 1980's-90's』には20組による20曲が収録。J・ニューウェイヴというか、まさにあの時代の音。新潟以外にもこんなシーンありました。90年代に入ってDIYシーンもどんどん洗練されていく前夜です。
 はからずともCOVID -19は、日本における“ローカル”に目を向けてさせている。多くの音楽ファンが、自分の“ローカル”なヴェニュー存続のために寄付したりしている、地方自治体がもう中央の言うことを聞かなくなったことと似ているかもしれないし、それは新しい日本の姿をもたらすかもしれない。
 とまれ。発掘モノのインディ音源をお探しの方は必聴でしょう。丁寧に作られたブックレットには新潟文化論が展開されており、そっちも一読の価値ありです。

https://suezan.com/newrelease#4000

 今年はディー・テートリッヒェ・ドーリスの再発をした新潟の〈SUEZAN STUDIO〉レーベルが、今度はジャーマン・ニューウェイヴ(ノイエ・ドイッチェ・ヴェレ)の伝説のレーベル〈ZickZack〉作品を再発する。
 〈ZickZack〉はポストパンクの影響を受けて1981年にハンブルグに設立されたレーベルで、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンをはじめ、地元のバンド、パレ・シャンブルク(そしてホルガー・ヒラーとトーマス・フェルマン)、ディー・クルップスやアンドレアス・ドーラウなどのリリースで広く知られている。ラジカルであり、ユーモラスであり、とにかく面白いレーベル。この夏8時間プレイをした石野卓球さんも大好きなレーベルです。
 再発計画の第一弾はアンディ・ジョルビーノ((Andy Giorbin)の2枚のアルバム。ハンブルグのアンディ・ジョルビーノの音楽は、ジャーマン・ニューウェイヴらしいコミカルさ、子供っぽさとアートへの情熱が籠もった面白いサウンドで、〈SUEZAN STUDIO〉らしくマニアックなはじまりです(笑)。そしてこれはかなり期待できる再発なのはじまりなので、注目しましょう。


アンディ・ジョルビーノ/歓喜の歌
(Andy Giorbino / Lied an die Freude)

1981年のファースト・アルバム。エイフェックス・ツインも顔負けの子供っぷり満載のプリミティヴ・エレクトロ・ミュージック。ボーナストラック付き。

アンディ・ジョルビーノ/優美と尊厳
(Andy Giorbino / Anmut und Würde)

1983年のセカンド・アルバムで、ホルガー・ヒラーも参加。80年代ドイツ・エレクトロのマスターピース。ボーナストラック付き。

https://suezan.com/newrelease.htm

Ruckzuck - ele-king

 クラフトワーク自身によってなかば封印されている最初の3枚のアルバム、その1stアルバムの冒頭の曲、初期クラフトワークの代表曲“Ruckzuck”が1991年にカヴァーされていたなんて知ってましたか? カヴァーしたのはプロパガンダ、ディー・クルップスで活躍するラルフ・デルパー。
 この激レアな曲が7インチのイエロー・ヴァイナルで〈アタタック〉のボックス・シリーズで知られる〈SUEZAN STUDIO〉から復刻されました。ヴァイナルと一緒にCDもパッケージされており、CDにはリチャード・H・カーク(キャバレー・ヴォルテール)、ロバート・ゴードン、ウーヴェ・シュミット(セニョール・ココナッツ)やマーク・ギャンブルのリミックスが収録されています。
 早い者勝ちの限定300枚です。


デア・テクノクラート
Ruckzuck (CD+7") イエロー
(Der Technokrat /Ruckzuck)
https://suezan.com/newrelease.htm#3031

The Encyclopedia of Kroutrock - ele-king

 ジュリアン・コープの真似をすると、「僕はかつてクラウトロッカーだった」。英米のポップ・ミュージックのクリシェに飽きたとき、クラウトロックは、穴に落ちたアリスのように、何か特別な世界に迷い込んだかのようにワクワクしたものだ。60年代末から70年代前半にかけてのジャーマン・アンダーグラウンドが繰り広げた音の実験は、淫らなほどサイケデリックで、信じがたいほどのフリーク・アウト・ミュージックで、あり得ないほどの単調さと最高のギミックで、聴いている人の想像力をどこまでも拡大する。そして、ただそのジャケットを手にしただけでも興奮する。こうして人はクラウトロッカーへの道を歩みはじめるのだ……

 もともとクラウトロッックとは、1960年代末から70年代前半にかけてのウェスト・ジャーマン・アンダーグラウンドへのアイロニカルな表現として、イギリスのメディアが使った言葉だ。カエルを食べるフランス人をフロッギー(カエル野郎)と呼ぶように、キャベツの酢漬けを食べるドイツ人のロックをクラウト・ロックと呼んだのだ。
 いまではにわかに信じられないだろうが、1970年代は、アングロ・アメリカンこそがロックだった。ピンク・フロイドを擁するUKは、ヨーロッパにおいてコネクトしていた国だったが、しかし、ジミヘンもスライもVUもザッパもマイルスもアメリカだ。そんな情勢において、ドイツのロックがすぐさま発見され、そしてすぐさま正当な評価を得ることはなかった。
 が、1974年にクラフトワークの「アウトバーン」がヒットしたこと、カンやタンジェリン・ドリームがドイツ国外で成功したこと、UKのグラム・ロッカーがドイツに目を向けたこと等々、さまざなな要因が重なり、道は開けていった。それはパンク・ロックによって再評価され、やがてハウス・ミュージックやテクノにおいても再々評価された。クラウトロッカーは増え続け、いつの間にかドイツ以外の国の音楽でも、マシナリーなドラミングのミニマルなロックをクラウトロックと形容するようになった。

 著者の小柳カヲルは、クラウトロックの書き出しを、モンクスからはじめている。アングロ・アメリカ圏からやって来たガレージ・バンドこそが、クラウトロックにおけるミッシング・リンクだと言ったのはジュリアン・コープだが、ドイツ在住の米兵による、酩酊した、デタラメなこのガレージ・バンドは、こんな歌詞をわめいている。「俺たちは兵隊が好きじゃない。何故、ベトナムの子供たちは殺されなければいけないのか? ジェイムス・ボンド? 誰だそれは? 止めてくれ」
 また、モンクスとは別の局面では、ご存じのようにカールハインツ・シュトックハウゼンがいた。この電子音楽の父は、ザ・ビートルズの1967年の『サージェント・ペパーズ〜」のジャケにも登場しているように、その影響はポップ・カルチャーの世界にも及んでいた。また、1968年にフランク・ザッパがおこなったドイツ・ツアー、同年にリリースされたVUのセカンドなどもオリジナル・クラウトロッカーに影響を与えてた。1968年には、ベルリンではタンジェリン・ドリームが、ミュンヘンのコミューンではアモン・デュールが、ケルンではカンが始動している。1969年にはクラフトワークの前身のオルガニザッツィオーンが最初のアルバムを出している。
 
 『クラウトロック大全』は、パンク〜ポストパンク〜(テクノ)を通過した今日からの視点によって編集されている。よって、オリジナル・クラウトロッカーが最初のピークを終えたあとの、80年代のノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(ジャーマン・ニューウェイヴ)の時代までを範疇としている。とくにコニー・プランクとホルガー・シューカイのふたりは、この時期までたくさんの良い仕事をしているのと、クラウトロック以降/ダンス・カルチャー以前の西ドイツのアンダーグラウンドのアーカイヴが日本ではまだされていなかったこともあり、思い切って、この機会に取りあげてみた。
 また、ドイチュラントという国が、近世までは、バイエルンだとか、ブランデンブルクだとか、地方分権だった時代が長かったため、それぞれの地方への帰属のほうが強い側面がある。よって、本書ではクラウトロックを分類する際に、年代順でもアルファベット順でもなく、都市ごとに分類している。

 ひと昔前は、クラウトロックを聴くには、マメにその手のレコード店を歩き回り、そして、見つけたら、ときには思い切って大枚をはたく必要があったが、いまでは掲載している作品の多くが入手しやすい。これを機会に、ひとりも多くのクラウトロッカーが生まれることを期待している。
 なお、ディスクユニオンで買うと先着でクラトロック・ポスター+ポストカードがもらえて、タワーレコードとHMVで買うとノイ!のポストカードがもらえる。ちなみに、本の表紙はクラウス・ノミではなく、コンラッド・シュニッツラーです。(野田)


 ※著者の小柳カヲル氏が主催する〈SUEZAN STUDIO〉からは、先日、ノイエ・ドイチェ・ヴェレの名門〈Ata Tak〉に残された数々のシングル・レコードを1枚のCDと3枚の7インチ・アナログ・レコードに収録したボックス・セットをリリースしたばかり。デア・プランの7インチの、モーリッツ・RRRによる素晴らしいアートワークが復刻したのです。

Mau Mau - ele-king

 マウ・マウは、DAFの初期メンバー、ヴォルフガング・シュペルマンス(g)とミヒャエル・ケムナー(b)のふたりを中心としたノイエ・ドイッチェ・ヴェレのバンドで、1982年の1枚のアルバム『クラフト』と2枚のシングルを残したまま歴史から消えたバンド。今回、東京の〈スエザン・スタジオ〉が、その『クラフト』11曲と録音はしたもののお蔵入りとなっていた幻のセカンド・アルバム『Auf Wiedersehen』の楽曲10曲、そしてシングル曲“Herzschlag”を加えた構成でリイシューした。『クラフト』自体が、1982年に出たきり、30年以上も知る人ぞ知る隠れ名盤となった。また、追加されている幻のセカンドの10曲など、これまで聴きようのなかったもの。しかも、レーベルのサイトの直販で買えば、シュペルマンスがマウ・マウス解散後にジャッキー・リーベツァイト(カンのドラマー)らと組んだプラザ・ホテル名義の唯一の作品「Bewegliche Ziele」のCDも付いている。すでに発売から日数が経っているのでコアなドイツ好きはゲットしているようだが、まだご存じではない方のために紹介しておきましょう。
 中古で高額な作品の内容が良いとは限らないのは当たり前だが、マウ・マウは素晴らしい。『クラフト』は、DAFとワイヤーが出会ったようなミニマリズムがあり、ファンクがドイツのポストパンクに染みついているところも他にはない魅力となっている。ワンコードの、リズミックなシュペルマンスのギターとケムナーのベースの絡みが最高だ。ふたりの演奏は、DAFの名曲“ケバブ・トラウム”のオリジナル・ヴァージョンや〈ミュート〉からのセカンド・アルバムでも聴けるが、マウ・マウは、1980年あたりのDAFのサウンドのもうひとつの洗練された発展型だと言える。
 『Auf Wiedersehen』は、エレクトロニックな要素が大幅に入ったニューウェイヴ・ディスコ・スタイルで、『クラフト』よりもポップになっている(サックスもフィーチャーされている)。1983年というと、ニュー・オーダーの「ブルー・マンデー」ではないがリップ・リグ&パニックもキャバレ・ヴォルテールもパレ・シャンブルグも、ニューウェイヴがいっきにディスコに走っている。『Auf Wiedersehen』もまさにその時代の音だが、やはりここにもファンクのセンスがあって、しかもそれはノイエ・ドイッチェ・ヴェレらしい反復の美学とドイツ語のあの独特の空気感のなかにある。

Various Artists - ele-king

 ザ・レジデンツの1976年のアルバムに『サード・ライヒン・ロール』がある。A面が"パレードする鉤十字"、B面が"ヒトラーはヴェジタリアン"。ザ・レジデンツはザ・KLFよりも15年も早く、著名なサンプリング音源を冒涜的に使用することであらたな意味を持たせることを試みた先駆者だが、1972年のデビューからセカンド・アルバムにあたる『サード・ライヒン・ロール(第三帝国ロール)』までの、サンフランシスコを拠点とするこの匿名会社の主な目的は、商業的に大きな成功をおさめているポップ音楽を全体主義ないしは専制主義として見なし、抗議することだった。ポップ・ヒット曲("レッツ・ツイスト・アゲイン"から"ライト・マイ・ファイアー"や"ヘイ・ジュード"まで)をコラージュしながら暴力的な描写を加え、ねじくれたサイケデリックを展開する『サード・ライヒン・ロール』の裏ジャケットには「なぜ、ザ・レジデンツはザ・ビートルズを憎悪するのか?」という解説が掲載され、「この作品をポップ音楽業界の権力者に捧げる」と記している。
 キャプテン・ビーフハートの流れを引くこの奇妙なエレクトロニック・ミュージックと、そしてスロッビング・グッリスルとパンクがカンのミニマリズムと出会ったときにノイエ・ドイッチュ・ヴェレは誕生している。『サード・ライヒン・ロール』というアルバムはナチスのイメージを使っているだけに、"レッツ・ツイスト・アゲイン"のようなポップ・ソング、ジェームズ・ブラウンの"パパズ・ゴット・ア・ブラン・ニュー・バッグ"のような曲までドイツ語で歌っている。こうしたアティチュードをドイツのポスト・パンク世代が歓迎したことは想像に難くない。1979年、デュッセルドルフのアートギャラリーを拠点に誕生した〈アタ・タック〉は、ノイエ・ドイッチュ・ヴェレを代表するレーベルのひとつとして知られている。ここに紹介するのは昨年(2011年)に日本で限定リリースされたレーベルのボックスセットの『Box 2』のほうである。

 ひと言でノイエ・ドイッチュ・ヴェレと言っても、UKや日本のニューウェイヴにもいろいろあったように、いろいろある。そのなかにおいて〈アタ・タック〉を特徴づけるのは、エレクトロニクスを使った音だ。レーベルの第一弾としてリリースされたのはDAFのファースト・アルバム『Produkt Der DEUTSCH AMERIKANISCHE』だが、この作品の録音メンバーは、クルト・ガールケ(ピロレーターの名で知られる)、ヒャエル・ケムナー、ヴォルフガング・シュペルマンス、ロベルト・ゲイルの4人。ガビ・デルガドとクリスロ・ハース(DAF縲怎潟Gゾン・ダンジュルーズ)のふたりは、メンバーでありながら、たまたま参加していない。が、それでも曲名のない22曲が収録されたこのアルバムは、いまでもパワフルに聴こえる。DAFと言えば、〈ヴァージン〉と契約後のマシナリーな反復とエロティシズムによる陶酔が広く知られているが、ファースト・アルバムにあるのはシンセサイザーによるホワイト・ノイズ、そしてパンクを通過したドイツのミニマル・ロックの断片だ。
 『Ata Tak - Collection Box 2』にはそのDAFの『ファースト・アルバム』(1979)をはじめ、ピロレーター『インランド』(1979)、モニター『モニター』(1981)、ホルガー・ヒラー『腐敗のルツボ(Ein Bundel Faulnis in der Grube)』(1983)、ミーヌス・デルタT『バンコク・プロジェクト』(1984)の計5枚がパッケージされている。〈アタ・タック〉をもっとも代表するバンドと言えばデア・プランだが、彼らのデビュー・アルバム『ゲリ・ライク』(個人的にもっとも好きな作品)をはじめ、『ノーマレッテ・シュルプリーズ』と『最後の復讐(Die Letzte Rache)』の3枚は『Box 1』(2011年初頭に発売)のほうに収納されている。

 DAFの『ファースト・アルバム』には、ピロレーターの当時を回想するインタヴューが掲載されている。また、ホルガー・ヒラーの『腐敗のルツボ』にもしっかり訳詞があるのが、こうした再発盤の嬉しいところだ。1曲目の"親愛なる女性公務員さま、ならびに公務員さま"など既得権が議論されている真っ只なかのいま聴くと、あらためて当時の音楽の主題の着眼点に感心する。最後の曲"アイロンがけバンザイ"もそうだ。「アイロンがけバンザイ/世界にバンザイ/この調子でいけばやがて我々の呼吸は雪となって降るだろう/そうしたらソリ遊びができる」----素晴らしいラインである。
 『腐敗のルツボ』は、ヒラーがパレ・シャンブルグを脱退してから録音した最初のアルバムで、収録曲の"ジョニー"はシングル・カットされて日本でもヒットしたので僕と同世代の人はほとんど知っている曲である。僕がこのボックスの5枚のなかで2枚選ぶなら、迷わずDAFとヒラーのこれだ。ザ・レジデンツとヴェルヴェット・アンダーグラウンドに影響を受けたという『腐敗のルツボ』もサンプリングを使用したもっとも初期の作品の1枚である。
 DAFを経て、その後デア・プランのメンバーとなる前にピロレーターが発表した『インランド』は、コルグのMS-20とSQ-10(ともにハースがその後DAFサウンドにも取り入れた機材)を使用したアブストラクトなエレクトロニック・ミュージックだ。興味深いのは、ディストピックなこの作品の背景に1979年のスリーマイル島原発事故とドイツのゴルレーベンでの放射性廃棄物処理場の建設問題という核汚染への不安があったこと。この時代からドイツの若者文化には環境問題に関する意識の高さがあったと言える。そしてまあ、はからずとも『インランド』はいまの我々にとって重たい作品となった。
 モニターは、ロサンジェルスのフリー・ミュージック集団、LAFMSの一派として知られる。1981年のこのアルバムのみを残してモニターは歴史から消えている。ライナーには関係者の証言を交えた詳細な解説が書かれている。
 ミーヌス・デルタTは、1978年の初期にはロベルト・ゲイルやクリスロ・ハースも参加していた流動的なアート集団で、本作『バンコク・プロジェクト』はこのボックスにおいてもっとも希少価値の高い作品だと思われる。ライナーでも触れられているように、そもそもこのアート集団に関しては日本ではいまだほとんど紹介されていない。
 『バンコク・プロジェクト』は、5.5トンもの巨石をブリテイン島のウェールズからタイまでを陸路で運ぶという、地球規模のアートを記録したアルバムだ。石を運びながら欧州から中東、アジア(イラン、トルコ、バンコク・レバノンなどなど)を旅したなかでのフィールド・レコーディングの成果が編集されている。旅費は、彼らが会社を設立し、支援者にその株券を買ってもらうことでまかなったそうだ(株主はその石の所有者となる)。イスラム文化圏への好奇心という点でも、21世紀的なワールド・ミュージックを予見しているかのような内容で、〈アタ・タック〉というレーベルの底の深さをあらためて思い知る。つまり『Box 1』が初心者向けなら、『Box 2』はその深さに焦点をおいているというわけだ。

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