「坂本慎太郎」と一致するもの

Shintaro Sakamoto - ele-king

 ニュー・アルバム『ヤッホー』が話題の坂本慎太郎、今年最初の国内ツアー、『坂本慎太郎 LIVE 2026 "Yoo-hoo" ツアー』の開催が決定した。今回のツアーは、初の仙台公演を含む、神奈川、東京、名古屋、大阪、福岡、沖縄の全国7都市で開催です。


坂本慎太郎 LIVE 2026 “Yoo-hoo”ツアー

5月5日(火/祝)神奈川県立音楽堂(横浜) 
開場: 16:30 / 開演: 18:00 / チケット: 5,500円 (全席指定)
お問い合わせ先: TONIKAK info@tonikak.com

5月14日(木)Rensa(仙台)
開場: 18:00 / 開演: 19:00 / チケット: 4,800円 (スタンディング)
お問い合わせ先: WESS info@wess.co.jp

5月26日(火)ダイアモンドホール(名古屋) 
開場: 18:00 / 開演19:00 / チケット:4,800円 (スタンディング)
お問い合わせ先: JAILHOUSE https://www.jailhouse.jp/

5月27日(水)なんばHatch(大阪)
開場: 18:00 / 開演: 19:00 / チケット: 4,800円 ( 1F: スタンディング / 2F指定)
お問い合わせ先: GREENS https://www.greens-corp.co.jp

6月9日(火)昭和女子大学 人見記念講堂(東京) 
開場: 17:30 / 開演: 18:30 / チケット: 6,000円 (全席指定)
お問い合わせ先: SMASH https://smash-jpn.com

6月19日(金)桜坂セントラル(沖縄) 
開場: 18:00 / 開演: 19:00 / チケット: 4,800円 (スタンディング)
お問い合わせ先: 桜坂セントラル http://www.nahacentral.com

6月21日(日)Drum Logos(福岡) 
開場: 17:00 / 開演: 18:00 / チケット: 4,800円 (スタンディング)
お問い合わせ先: BEA https://www.bea-net.com/


●オフィシャル抽選先行特設サイト
先行受付URL: https://eplus.jp/ss-yoo-hoo/

- オフィシャル先行予約→ 2月5日(木) 20:00 ~ 2月11日(水/祝) 23:59
- 一般発売: 2月28日(土)10:00  

※仙台、名古屋、大阪、福岡、沖縄公演は別途ドリンク代が必要となります。
※枚数制限 / お一人様2枚まで
※年齢制限: 未就学児入場不可、6歳以上チケットが必要

坂本慎太郎 - ele-king

 昨年の12月26日の恵比寿リキッドルームにおける坂本慎太郎のライヴに感動して、年末はその余韻だけで充分だった。しばらくほかの音楽を聴きたくなかったのだけれど、29日にDOMMUNEがあったのでそうはいなかった。宇川直宏のはからいで、文庫化された『ブラック・マシン・ミュージック』の番組をやってもらえることになったのだ。よって選盤のため、27日、28日と朝から晩まで丸々二日間、デトロイト・テクノという、おろかにも音楽が世界を変えると信じている名盤の数々を聴いてしまった以上、気持ちはもう、すっかり“ナイト・オブ・ジャガー” に染まってしまったかに思われた。
 が、しかしそれでも余韻は消えていなかったのである。29日の夜の11時、番組を終えたあと、その日五缶目のビールを飲みながら当日司会をしてくれた二木信にこう言った。「坂本慎太郎はすばらしいね!」 
 まあ、アルコールに支配されつつあった頭脳は、いい加減なことも言う。「いまの日本で最高のプロテスト・ミュージックだね!」。二木信は納得していたが、この場で却下したい。我ながら短絡的だった。

 じゃあ、なにが? なにがすばらしいんだろう? ぼくはあのとき、なにかを聴いて、なにかを観た。ゆらゆら帝国時代から数えれば、何回も見ているステージ上でギターを手に歌う坂本慎太郎だが、あの淡々としたライヴには、異様な迫力でせまってくるなにかがあったのだ。1曲目は意表を突くように“悲しみのない世界”、続いて“スーパーカルト誕生”から新曲の“麻痺”、それから“あなたの居場所がありますか?”〜“おじいさんへ”〜“あなたもロボットになれる”へ——わかるだろう、ここではあきらかに物語が語られている。そして、4人のメンバーによる最小限の音数の見事なアンサンブルから放出されるものが、フロアを完璧にロックした。
 音楽が社会問題を深く掘り下げることは、ぼくが10代のころの、サッチャー政権下の英国にはよくあった。あの頃は……音楽メディアのアルバム・レヴューすらもサッチャー批判からはじまる始末だった、と言ったのはサイモン・レイノルズだが、しかしそういうのではない。押しつけがましくなく、知識をひけらかしたりもせず、対等な立場で、共に体験している感覚が共有される瞬間、そう、それだ、あの夜のライヴはそういう響き合いなのだ。
 そのように開いた感覚において聴いた “ナマで踊ろう” のインパクトを、自分はしばらくのあいだ忘れないだろう。音楽に夢見ることを諦めさせないその曲と、そして生きることを肯定する“君はそう決めた” がライヴのクライマックスだった。どちらもファンのあいだで人気の曲だが、あのライヴでの出来は特別だった。曲のマジックは……、いや、あの2曲に限らずにだが、リスナーの内部から言葉を引っ張り出してしまうところにある。曲はひとに聴かれたときに初めて完成する。

 耳をつんざくようなサウンドの迫力、ノイズや歪み、フリーキーで激しいアクションといった「力」で押し切ることをいっさい止めたところから坂本慎太郎のソロ活動ははじまっている。ゆらゆら帝国というディオニュソス的なガレージ・ロック・バンドを経て、しかし髪に白いものが混じるようになっても青春を捨てることを拒んでしまうSo Youngな悲劇と違い、彼は自分の年齢を受け入れることでアポロン的なサウンドをモノにしている。たとえばこうだ。彼は言葉それ自体の響きを優先し、言葉のサウンド性をもって情景を広げることができる。『ヤッホー』は、その言葉がいくら滑稽に見えようとも、音として機能した途端に新鮮な面白さをもたらすことを実証している……どころの騒ぎではない、意味までもたせている。言葉そのものが持つ音の性質を意識するアプローチは、ブライアン・イーノの歌モノと共通している。イーノの場合は、意味があるようでないのだが、『ヤッホー』は違う。なにかが描かれてしまっている点において抜け目ないアルバムとなっているのだ。

 たとえば、“おじいさんへ”。60年代ソウル風の軽快なリズムではじまるこの曲は、坂本サウンドの根幹にあるブルース・ロック解釈のヴァリエーションで、言葉はサウンドとしても馴染んでいる。が、ロックのクリシェにはないその言葉遣いによる「歌」が、異化効果をともない、さらなる意味を促そうとする。しかも奥ゆかしく、できるだけ目立たないように、だ。
 この芸当は、哀愁たっぷりの次曲“あなたの居場所がありますか?”にも、いや、今回のアルバム全曲において発揮されている。言い方を変えれば、『ヤッホー』は灯台のようなアルバムではないということだ。外を明るくするというよりは、ひとりひとりの内なるところに光を灯している。そして、すべての彼のファンにはわかっていることをここで言わせてもらえば、その光が、この厳しい時代を生きているという現実を共有させながら、しかし同時に「希望」さえも感じさせるのだ。「なんとなく日々を/なんとなく生きてます/ああ僕は耐えられない/どこまでも澄み切った/どこまでも整った/どこまでも無邪気な正義」、これはバラード調の“正義”という曲だが、こんな皮肉めいた言葉の連なりがどうして「希望」と言えようか、だが、そう言える魔力がこの控えめな曲には潜んでいる。
 “正義”にしても“脳をまもろう”にしても、“麻痺”にしても“ゴーストタウン”にしても、これらがいまどき稀な社会批評としてのポップスだとしても、単純な話、曲として楽しめるという点でその完成度は高い。“時の向こうで”は坂本ポップスの真骨頂のような曲で、この甘いメロディが荒れた心を解きほぐすこともありうるだろう。“時計が動きだした”や“なぜわざわざ”もレトロな光沢を装ったポップ・ソングだが、サウンド面に限定して言うなら、“麻痺”や“ゴーストタウン”のファンク解釈にはとくに魅力を感じる。表題曲の“ヤッホー”ではさりげない音響工作を楽しめるが、この曲に隣接しているのが初期サーフ・ミュージックとアーサー・ラッセルの『ワールド・オブ・エコー』であるとしたらは、坂本作品の(コーネリアスにも共通するポストモダン的な)妙味を象徴的に集約していると言えるかもしれない。

 さて、これを書いている現在、まだ外は明るい。ぼくはお茶を飲んでいる。埃がつもり蜘蛛の巣がはっている我が脳みそも、まあまあクリアだと思われる状態だ。『ヤッホー』はこれまでのソロ作のなかで、もっとも滑稽で、いつもながら耳に優しく、だが、抵抗の声を上げているアルバムでもある。
 『ヤッホー』に出会えたことをうれしく思う。当然、ぼくは100%満足しているわけではない。しかし、こんなにもじわじわと「希望」を感じるアルバムを聴いたのは久しぶりのような気がする。「希望」という言葉をあんまり使うと頭の良い連中からうさんくさく思われるので、もっと使ってやろう。詩ではなく、詞であることの面白さ。ロックやポップスを通してまだこんな風に、こんなにも面白く、ともすれば社会批評的なメッセージを共有することが可能であることを証明している。これは音楽が長いものに巻かれるだけの消費物になり、文化的強度を失いつつある現在において、微笑ましいあらがいだ。もう、なにもかもが狂ってしまった時代の「希望」の音楽だ……あ、ごめん、気が付いたらビールを一缶空けていた。さあ、聴くぞ。


※別冊エレキング『坂本慎太郎の世界』のなかで一箇所誤りがありました。P155、ゆらゆら帝国「次の夜へ」のジャケットが紹介しているリミックス盤ではなく、オリジナル盤になっています。申し訳ございませんでした。

interview with Sleaford Mods - ele-king

 社会の底で生きる、いわゆる“見えない人びと”を描いたイギリス映画『バード ここから羽ばたく』には、登場人物たちが、どんちゃん騒ぎのなかスリーフォード・モッズの曲を大合唱するシーンがある。“Jolly Fucker”という、低賃金労働への不満を爆発させ、前向きに生きようぜと、ポジティヴな態度を強制する社会への嫌悪全開の人気曲だ。この曲が重要なのは、社会の下方からの抗議を表現しているからではない。“Jolly Fucker”は、イギリスのポップ・カルチャーが長いこと喧伝してきた労働者階級の「誇り」なんてものが嘘八百だと主張しているからだ。そんなものはいまや不安定雇用と失業、福利厚生の切り捨てによって空洞化している。階級闘争は人種憎悪にすり替わり、仕事はあるが希望はない。家庭は重荷でしかなく、楽しみは消費だけ、労働者階級の連帯感などとっくに崩壊している。振り返っても、何も残っちゃいない。すべてにうんざりしているんだ。スリーフォード・モッズ、そのヴォーカリストであるジェイソン・ウィリアムソンのインパクトは、ただわめき散らすのではなく、21世紀の惨状を、ごまかすことなく、口汚くもしかし知的に言語化したことにあった。そして、ああ、それが我々の第一歩だったのだ。

 2026年の1月は、大好きな二組のアーティストがアルバムを出す。坂本慎太郎とスリーフォード・モッズである。音楽的にも、母国語も言葉表現の方法論もファッションもまったく重ならない彼らにしかし共通しているのは、社会批評としての音楽の可能性を持続していること、秀逸なブラック・ユーモアとレトリック、そして「エモさ」の排除だ。エモいロック、エモいラップ、エモいダブ、エモいアンビエント、エモいテクノはトランスと呼ばれている。エモ、つまり理論よりも泣き(情緒)が優先することは文脈や背景といったものを超越する。それは入りやすい。が、しかし、ボブ・ディランの有名な歌詞のように「いまは泣くときではない」のだ。

 スリーフォード・モッズの装飾性を剥いだ、淡々としたビートは、ふわふわした情緒に対する解毒剤で、いまはこっちのほうが全然ノれる。ジェイソンは、相も変わらず飾りっ気のない声を響かせているが、豪華なゲスト陣が楽曲に色気を足して作品の入口を広くしていることをぼくは嬉しく思う。新作『ザ・ディマイズ・オブ・プラネット・X/The Demise of Planet X(惑星Xの崩壊)』は、アンドリュー・ファーンのトラックの核にある底冷えた感覚を棄てたわけじゃないだろうが、だが、これまでの作品のなかでもっとも多彩な曲調を揃えてもいるのだ。
 むき出しの絶望、怒りの濁流だったおよそ10年前の(いまとなっては2010年代の決定打)『Divide and Exit』と比べれば、ずいぶん取っつきやすくなったものだ、と思われる向きもいよう。あの寒々しい煉獄ループはどこいった? と言いたくなるファンがいても不思議ではない。でも待ってくれ。彼らにしても毎回同じことを繰り返すわけにはいかないし、ぼくのように10代からポスト・パンクや80年代ニューウェイヴのハイブリッドなスタイルに親しんでいたリスナーにしたら、これこそがUK音楽の魅力である、と声を大にして言いたくもあるのだ。レゲエ、パンク、テクノ、ソウル、ポップス、ヒップホップ、グライム、そんなものが混ざっている世界で、『モア・スペシャルズ』や『サンディニスタ!』、マッシヴ・アタック、セイバーズ・オブ・パラダイス、ザ・ストリーツ……大きくはそんなものたちの系譜にある。
 以下、推薦曲をいくつか挙げておく。“The Good Life” “Double Diamond” “Elitest G.O.A.T.” “Megaton” “No Touch” “Bad Santa” “The Demise of Planet X”……つまり、1曲目から7曲目まではほとんど完璧に思えるが、このなかで1曲選ぶなら迷うことなく(いつまでも消えない)精神的な不安定さを主題にした“The Good Life”。
 歌詞の観点で言えば、興味深いことに “Megaton”は、坂本慎太郎の新曲“麻痺”ではないが、情報過多の地獄に慣れ切った現代人の麻痺(思考停止)状態を表現しているようにも読める。(日本盤の訳詞担当は坂本麻里子)

 このインタヴューではすっかりなごんでいるが、作品には、観察者ジェイソンによる支離滅裂だが筋の通った激しい怒りと皮肉、苛立ちが、変わらず溢れいる。意識高い系、外見至上主義、SNS、スマホ、英国とアメリカ、筋トレにジム通いなどなどを、ファンであるぼくから見てもおまえらは何様だ! と思うくらいに片っ端からあざけっているのでご安心を。ただし、ひとことだけ言っておこう。ジェイソン、ムカついているのはあんただけじゃない(「空腹な群衆は怒れる群衆」by ボブ・マーリー)。
 もっとも連中は、ただただ延々と不平不満をぶちまけるだけでは、それはもはや演芸であり、降伏にひとしいということもわかっている。なにかを変えるには自らも変わる必要がある、それが今回のアルバムでは、(繰り返すようだが)音楽的な幅の広さとして結実し、それは柔らかい何かを伝えている。ぶっちゃけたところ、イギリスの階級社会や政治など、東アジアのこの暗い貧国の隅っこで暮らしているぼくにとっては知ったこっちゃねぇよ、と言いたくもなるのだが、曲の合間合間から見える彼らの「ヒューマニズム(人間愛)」をどうぞ感じ取ってほしい、とは思う。
 それではいきましょうか、長いです。なお、この記事では新作のゲスト陣(女優のグェンドリン・クリスティーをはじめ、オールダス・ハーディング、伝説のバンド、ライフ・ウィズアウト・ビルディングスの元フロントウーマン=スー・トンプキンス、ポスト・パンク・デュオのビッグ・スペシャル等々)のことは触れていません。新作についてより多くを知りたい方は、ビートインクのサイトを参照ください。

批判するのは何ら悪いことじゃない。というかある意味、批判は不可欠だと俺は思うくらいだよ。ところがそれと同時に、同じ標的ばかり狙っていると——あるいは同じ語り口ばかり使っていると、やがてその批判は対象について以上に、批判者について多くを語るようになってしまうと思う。(ジェイソン)

まずは2025年のよき思い出から話して下さい。〈War Child〉(*戦災被害を受けた子供や家族を支援する慈善組織。SMはシングル“Megaton”の収益と26年英ツアーのチケット1枚ごとにその売上から1ポンドを同団体に寄付する)支援や『Divide and Exit』アニヴァーサリー再発後の小規模ライヴハウス・ツアー、入場料にも考慮したライヴ(*SMは低所得者層向けに5ポンド=約1000円の割引チケット枠を設定している)など、過去1年ほどいろんなことをやられていましたよね?

ジェイソン:そうだな、よいことはいろいろあった。まずはこのアルバムの制作、こうして1枚仕上げられたこと——。

アンドリュー:うん。

ジェイソン:——それが、俺たち双方に大きな達成感をもたらしてくれたと思う。そうだろ、アンドリュー? かなり努力したからさ。

アンドリュー:うんうん。2025年は静かな年だったよな、俺たちあんまりツアーしなかったから。

ジェイソン:ああ、たしかに。家で過ごせたのもよかったと思う。

アンドリュー:そうだね。

ジェイソン:快適な日常生活に浸ってたな、過去10年のハードワークの成果である、自分たちで作り出した家庭生活を満喫するっていう。

アンドリュー:ああ。

2025年夏、アンドレア・アーノルド監督の映画『バード』が日本で上映されました。作中にスリーフォード・モッズの曲がかかることと、Burialが音楽を担当したくらいしか予備知識がなく見たんですが、ジェイソンに似ている役者が出ていると思って、エンディングロールをよく見たらあなたの名前があったので驚きました。

ジェイソン:ジャンジャジャ〜ン!

アンドリュー:(笑)

映画自体がとても興味深い話で、シリアスな話ですが、登場人物たちが“Jolly Fucker”を合唱するシーンでは笑ってしまいました。あの映画の感想をまずは聞きたく思います。

ジェイソン:とてもいい映画だよ。

アンドリュー:『バード』?

ジェイソン:ああ、監督はアンドレア・アーノルド。

アンドリュー:ふーん。わかった、後で観てみるわ(笑)。

ジェイソン:すげえヘヴィな映画だから、覚悟して観ろよ! ハッハッハッ! マジにファッキン重たい映画だ。

アンドリュー:ふーん、そうなんだ。

ジェイソン:うん。だけど本当にいい映画だよ。アンドレア・アーノルド、彼女はああいう映画をもう6、7本撮ってきた人で、その多くはいわゆるキッチン・シンクもの(*イギリスで50〜60年代に広まった、庶民生活をリアルに描く演劇や映画)で、とても陰鬱な、労働者階級の生活を背景に据えてる。っていうか、彼女は俺たちの最新のヴィデオ、“No Touch”も撮ってくれたんだ。

アンドリュー:ああ、彼女か! うん、俺もBurialは好きだし——

ジェイソン:だよな! Burialがサントラを担当したなんて、それだけでもかなりすごいよ。で……うん、あの作品に出演できてとても誇りに思う。彼女は素晴らしい仕事をやってのけたし、妻と一緒に映画館に観に行ったよ。マジにヘヴィな映画なんだけど、実際に観て「ワオ! すげえ!」と思った。だから、あの映画に参加できてとても誇らしい。

アンドリュー:クール!

あの映画の主人公の女の子の家庭はとてもカオスですよね。家族はスクォッティングしていて、しかも父親はひじょうに若く、彼女には腹違いの兄弟もいる。その父は幻覚性のある液体を出すカエルを手に入れてそれで結婚資金をつくろうとしているわけですが、あの設定は、きわめて特殊な環境なのか、それともUKの労働者階級家庭の一部では、現実にありふれた光景と言えるのでしょうか?

ジェイソン:あれはアンドレア自身の子供時代を元にした設定なんだ。だから、労働者階級が生活するエリアの多くで——いや実際、それに限らずどんなエリアにだって、機能不全に陥ってる家庭は存在するだろうね。うん、もちろん存在するさ。だから俺としては答えはイエス、思うに、うまくいってない家庭環境ってのは普通に存在するんじゃないかと。

実際のところ、ああいう人たちがコールドプレイやブラーに混じってスリーフォード・モッズも聴いているんでしょうか? コールドプレイとSMって、いわば対極のように思えますが——

アンドリュー:フハハハッ!

坂本:(笑)それともむしろ、あの選曲は監督の趣味なのでしょうか?

ジェイソン:コールドプレイを聴いてる人たちが俺たちの曲も聴くってのは、そんなに現実離れしちゃいないと思うけどね。どちらも要は、「ポップ・バンド」なわけだし。だろ、アンドリュー?

アンドリュー:うん。だからほら、一般的な類いの人たち……主流に属する人たちは、みんなそういうことをやってるんだよ。なんだかんだ言って、彼らはテレビでBBCの定時ニュース番組を観るわけで。

ジェイソン:うん、そういうことだろうね。俺だって、俺たちが彼ら(コールドプレイ)と同じ類いのクラウドを引きつけるとまでは言わないけれども、比較的に言えば、俺たちだって彼らと共にコマーシャルな音楽の景観のなかに存在すると思うし。

アンドリュー:だよな。

ジェイソン:いまはますますそうなってきてる。アルバムを出すと毎回英チャートでかなり上位に入るし(*SMのアルバムは2019年の『Eton Alive』以来毎作トップ10入りしている)——幸運が続きますように!——、だからコールドプレイを好きな人びとが俺たちの存在に気づいてたって何の不思議もないだろう。

続いて、ジェフ・バロウの〈Invada Records〉が初プロデュースした映画『GAME』にも出演されたそうですね。

ジェイソン:うん。

ブリストルの1993年頃のレイヴ・シーンが舞台のホラー映画だそうで、とても観たいけれど、日本で上映される可能性は低そうです。『GAME』に出演することになった経緯、作品に対するご感想を聞かせてください。ジェフとは過去に仕事したことがありますよね?

ジェイソン:そう。以前、2014年頃に〈Invada Records〉からEP(『Tiswas EP』)をリリースしたことがあって。以来ふたりともジェフとは連絡を取り続けていたし、そしたら何年か前に彼から「映画を作ろうかと思ってるんだけど、役者として出てみるのに興味ある?」って打診を受けて、俺は「イエス!」と即答した。彼ら〈Invada Records〉側はクリエイティヴ面でひじょうに優れた連中だし、だからきっとかなり興味深いプロジェクトになるだろう、というのは俺にもわかったから。

坂本:あなたがたには90年代レイヴ文化もバックボーンにあるでしょうし、その意味でも興味深そうな映画です。ちなみにアンドリュー、あなたに映画出演のオファーはまだないんですか?

アンドリュー:全然。ちっとも(苦笑)。

ちなみにイギリスには、ケン・ローチの映画や『ブラス!』(1996)のような、労働者階級を舞台にした映画が多数ありますが、あなたが好きな作品はなんでしょうか?

ジェイソン:フーム(考え込む)。

アンドリュー:いい質問だね……『Abigail’s Party』は、かなりいいと思う(*『Abigail’s Party』はマイク・リーがBBC向けに製作した1977年のテレビ映画。労働者階級の実相を描くというより、当時の英中流階級の上昇志向を風刺した古典作)

ジェイソン:うん。

アンドリュー:あと、『Naked』もかなり好きだな(*同じくマイク・リー監督の1993年の長編映画)

坂本:なるほど、マイク・リーが好みなんですね。

アンドリュー:ありゃいい映画だ。

ジェイソン:そうだな、俺は『Kill List』(*2011/ベン・ウィートリー監督のサイコスリラー/フォーク・ホラー)がすごく気に入ってる。思うにあれは……。

アンドリュー:あれもいいね。

ジェイソン:うん。かなり殺伐とした映画だよな。主役の労働者階級出身の野郎ふたり、あいつらが暗殺者に転じるっていう。わびしい映画だよ。うん、だからあれは好き。たぶん俺のフェイヴァリットじゃないかな、あれが。

坂本:それにあの映画は、新作収録の“Kill List”もインスパイアしていますよね?

ジェイソン:うん、そうなんだろうね。と言ってもそれは、あの映画の主人公の憤怒ぶり、という意味でだけど。あのキャラはもう、「いったい何がどうなってんだ〜〜っ!?」って怒りまくりじゃん(苦笑)。

坂本:(笑)たしかに。

ジェイソン:元兵士のあいつはPTSDか何かに苦しんでて、そのせいで酒を飲んでばっかだし、そしてあの悲惨な殺し屋仕事を請け負うことになる、と。だからあの一節、“Screams fill clouds/Like the bloke from Kill List(空に届く悲鳴で雲すら埋まる/『キル・リスト』のキャラのあいつみたく)”ってのはそれなんだ。

アンドリュー:ハハハッ!

コールドプレイを聴いてる人たちが俺たちの曲も聴くってのは、そんなに現実離れしちゃいないと思うけどね。どちらも要は、「ポップ・バンド」なわけだし。だろ、アンドリュー?

2024年は、『Divide and Exit』が発売されてから10周年でした。あのアルバムがSMにとってのひとつのブレイクスルーになったとわけですが、いまあらためてあのアルバムをどんな作品だと思いますか?

アンドリュー:んー、そうだなぁ……どう思うか? あれはグレイトな作品だよ! 実は昨晩、俺もあのアルバムを聴いたところでね。とにかく、とても折衷的な内容だし——自分にはいまだにこう、いちリスナーとして耳を傾けるのがかなりむずかしい作品、っていうのかな? あれを制作したときの状態にまだ近過ぎるっていう。

ジェイソン:うん、うん。思うに……だからまあ、あれははっきりと突き立てたどでかい二本指(*人差し指と中指を立てて手の甲を相手に向ける「裏ピース」の仕草は、イギリスでは「F**k You」の意味)だったわけだし、でも俺たちはまだこうしてここにいて——。

アンドリュー:クフッフッフッ!

ジェイソン:活動を続けてるっていう。本当に最高だよ、いまだに面白くなる一方だからね。

あのアルバムはSMのなかでもっともパンクな作品だとあなたは言っていましたが、あのころは何に対して怒り、絶望していたのでしょうか?

ジェイソン:何もかもに対して、だったと思うけど? だからだよ、俺は夢中でリリックを書きまくったし、アンドリューも猛烈なペースでトラック部を仕上げていった。とにかくふたりとも、ああやって自己表現ができること、そのためのプラットフォームがあることを心から楽しんでたんだと思う。

アンドリュー:だね。

ジェイソン:もちろん怒りのこもった作品ではあるよ。ただし、それは——俺たちには、例えばアナーコ・パンク・バンド(*英ポストパンクの潮流から生じた、商業性や音楽的な洗練を無視したアナーキックで教条主義的なバンド。代表格にCRASSがいる)か何かみたいなご立派な権限・義務だのはなかったし、とにかく「おぇぇぇ〜〜っ!」(と、吐くジェスチャー)とブチまけたっていうか。

アンドリュー:(苦笑)

ジェイソン:だから、ギグに来る人びとの数がどんどん増えていって、「ヤバくね?」って思ったよ、「何これ、マジかよ?」みたいな。アッハッハッハッ!

アンドリュー:それに俺たちは確実に、音楽パートと歌の話術とのあいだに大きな隔たりがある、そういうものを作ろうとしてたよな。

ジェイソン:うんうん。

アンドリュー:つまり……いやだから、90年代にだって素晴らしい音楽はたくさんあったさ。でもそのどれもがこう、自分たちの属する「ジャンル」に大きく傾いていた、みたいな? だから、「ヒップホップをやるんならとことんヒップホップ」とか、「自分はトリップホップ一直線」云々。そんな風にひとつのスタイルに特化しジャンルに貢献しようとする、強い意志みたいなものがあったっていうか。

ジェイソン:うんうん。

アンドリュー:で、俺はその姿勢が本当に苦手で。例えばエレクトロニカなアルバムを作ろうと思い立って、トラックを3つくらい作った段階で、ふとそれとは違うことをやりたい、フォーキィな曲を作りたい、なんて思っちゃうんだ(苦笑)。

ジェイソン:なるほど。

アンドリュー:ある意味俺は、一ヶ所に留まり続けるのがまったく得意じゃない奴だっていう。そんなわけで、これ(SM)なら本当にうまくいくんだ、っていうのも、ジェイソンはそうやってあっちこっちに飛んでもまったく気にしなかったし——っていうか、彼はそれを狙ってる、みたいな。自分たちはさまざまな音楽が好きだって点を反映したものを作りたいと思っていたからね、ありとあらゆる類いの音楽を聴きながら育ってきたわけだし。

ジェイソン:その通り! 思うに——アンドリューがどんなことを「やらかして」きたとしても(笑)それでOK、という。いやまあ俺たちだって当初、ごく短い期間、そうだなあ、6、7ヶ月くらいの間かな? 自分たちのセットアップについてあれこれ話し合ったことはあったよ。だけどそれ以降はもう(笑)、「とにかくこのままやっていこう!」って感じで。マジに何でもありだったし、俺も「これなら自分も何かやれる」と思った。とにかく、彼のやることには独特な感触があったし——その感触はいまも健在だけど——、それって、歌い手としての俺にとってどこかしら、とても魅力的だったんだ。

また、その怒りや絶望は、いま現在のあなたのなかにもあると思いますが、しかし音楽制作に向かう考え方のうえで変わったところもあるでしょう。その変わったところとはなんでしょうか?

アンドリュー:あれ以降、俺たちもいろんな場所でレコーディングをやってきたわけで、おかげで音楽作りという経験に異なる見地をもたらされるのはたしかだ。

ジェイソン:だよね。

アンドリュー:昔に較べたら、ヴァリエーションは増えてるかもしれない。だけど、それにしたって一種の錯覚っていうのかな? 昔の作品はミニマルに響くかもしれないけど、実は質感もしっかり備わった作りだし。

ジェイソン:ああ。かなりテクスチャーを加えてある。だからじゃないかと思うよ、常に違う風に聞こえるのは。聴くたび様々に変化するんだけど、その変わり方は微妙。派手に「どうだ!」って風な変化じゃないんだよね。

アンドリュー:ああ。

ジェイソン:でも……わからないなぁ。そこらへんの変化を客観的に説明しようとするのって、むずかしいよ(笑)。アンドリュー:だね。

ジェイソン:俺としてはとにかく——これに対する自分の対応の仕方、つまり俺にとってのSMってのは、毎朝俺んちの玄関に配達される4パイントのミルク壜、みたいな。朝起きたら、ドアを開けて、ミルク壜を手に家に引っ込む。だから何であれ、そのときの自分の気分次第ってこと。

アンドリュー:なるほど。ミルク壜のフタを勢いよく開けちまいたくなるときもある、と。

ジェイソン:そう。ライヴでステージに上がるたびに思うよ、「ああ、これをやれるなんて本当にありがたい! 俺はこれから90分間、思いっきり不平を垂れ流すことができるんだ」って。

アンドリュー:(笑)

慈善団体〈War Child〉への支援やライヴ入場料の配慮といった新しい試みもしていますね。それは自分たちの音楽が少しでもこの社会の役に立てばということだと思いますが、こういう実践や経験は、SMの作品にも反映していると思いますか?

ジェイソン:……どういう意味で?

あなたたちがチャリティや寄付に協力するのは、人間としての自然な感覚だと思います。ですが、SMは音楽/言葉を通じて例えば「ホームレスの人びとにお金をあげよう」みたいに人々に指図しませんよね。むしろ、行動で実践しているというか。

アンドリュー:たぶん俺たち、具体的なメッセージを含む歌を作ることはないんじゃないかな。

ジェイソン:うん、ノー。それはない。実際に行動することと、それとは違うんじゃないかな。

坂本:なるほど。それについて語ったり唱道したりするよりも、むしろ実践の形でやっていきたい、と。

ジェイソン:んー……。

アンドリュー:いやだから、いまの俺たちにはチャリティに協力するだけの余裕がある。

ジェイソン:そうそう。

アンドリュー:だったら、自分に余裕があって可能なら、(ファンや人びとに対して)少しでもいいから「お返し」しはじめなくちゃいけないんじゃないかな。

ジェイソン:その通りだと思う。自分たちにやれる限りのことをね。チケット代5ポンドの枠にしても、実際にそれで助かった人たちがいるとわかったし、だから俺たちはあのシステムを継続してる。〈War Child〉にも協力してるし、あのチャリティは戦渦によって家を失った世界各地の子供たちを援助しようとしているわけで……そうだね、「これなら自分にもやれる」と思うことだったら、できるだけ助けよう、そういうことだよ。

坂本:はい。

アンドリュー:まあ、もしかしたら俺たちも、もっと大規模にやれるのかもしれないよ? だけどそれって、ちょっとした矛盾が生じる物事なわけで——。

ジェイソン:だね、その通り。

アンドリュー:俺たち、ボノみたいな野郎になる気はないしさ。

坂本:(笑)

アンドリュー:(笑)わかるだろ? だから、あんな風に派手にやる気はないにせよ、それと同時に、「自分たちも何かしなくちゃいけない」って感じるジレンマだよ。

ジェイソン:俺もそう思う。

坂本:そうですね。ミュージシャン/バンドのなかには、アンドリューが言った「お返し」を充分にやっていない、と思える人たちもいるわけで。

ジェイソン:だけど、多くの連中にとって、それをやるのは楽じゃないと思う。俺たちはなんとかやれてるよ——だけど、俺たちがプレイするのと同じ規模の会場を回っていて、メンバーが5、6人もいるバンドの多くは、なかなかチケットが売れない状況にある。全般的にそうなってるんだ、観客側もみんな金が無いから、ライヴのチケットの売上が落ちてるっていう。

アンドリュー:うん。

ジェイソン:キツいよなぁ! だから、やりたくても寄付をやれないバンドがいるって事情は、俺たちにもよくわかるよ。

かつてジェイソンはソーシャルメディア上でノエル・ギャラガーや複数のバンド(*ブロッサムズ、アイドルズ他)を相手にけなしあいを繰り広げましたが、そうしたご自身の攻撃性は自分自身を傷つけることにもなった、それって果たしてどうなのかと自問自答した——“The Good Life”にはその気持ちが歌われているそうですが、この曲をアルバムの冒頭にもってきたのはなぜでしょう? 

ジェイソン:そうだな、あの歌が描いているのは、三つの事柄がいかに互いに連動・作用し合っているか、といったことで。ひとつに、他の人びとを批判するのは何ら悪いことじゃない、という考え方がある。というかある意味、批判は不可欠だと俺は思うくらいだよ。ところがそれと同時に、同じ標的ばかり狙っていると——あるいは同じ語り口ばかり使っていると、やがてその批判は対象について以上に、批判者について多くを語るようになってしまうと思う。そのふたつに伴い、「そうなってしまうことについて、自分はどう感じるか?」っていう、俺の内面の自問自答が生じる——歌のなかではグウェンドリン・クリスティーが、そのせいで俺はどれだけ内心悲惨な思いを味わっているかを語っているわけ。それら矛盾する発想に加えてコーラス部では、自分の周囲の何もかもが崩壊してるとしても、「いい人生を送ったって大丈夫だよ」と言ってるっていう(苦笑)。だから、世のなかの大半の人間が嫌な気分を味わっているときでも、自分は気持ちよく朝を迎えたっていいんだ、みたいな。たまにあるよな、自分の国であれ海外のどこかで起こった事件であれ、他のみんなと同じトラウマをくぐることを誰もが求められるときって? そんなわけで、その三つすべては同時進行してるってことを歌っている曲だし、そうであっても間違っちゃいない、という。

それは、長らく活動してきたSMを、その手法をリセットしたいということでもあるのかなと?

ジェイソン:んー、思うに……俺とアンドリューにとってはもちろん、「自分たちは進歩を重ねてる」と感じるのは大事なことだ。で、おそらくその一部には、俺たちが個人としてどう感じるか、ってところも含まれるんじゃないかと。アンドリュー:うん、うん……進歩し続けること、それはとても重要。コンテンツを発表するにしても、代わり映えのないものを常にリリースし続ける連中もいるしね。まあ、それは受け手側にとっても無難で安心できるものなんだろうけど。

坂本:実際のところ、SMにはマンネリズムの危機みたいなことはあったのでしょうか? クリエイティヴな袋小路に落ち込んでしまい、「変化しなくちゃいけない」と感じたことは?

アンドリュー:いやー、全然。音楽面においては、それはなかったと思う。ブレイクを取った今回のアルバム(『The Demise of Planet X』)を除くと、俺たちは1、2年に1枚は作ってきた。ずっと汽車ポッポみたいな勢いだったよな?

ジェイソン:シュッシュッポッポー!(と、汽笛を真似ておどける)」

アンドリュー:アッハッハッ!

ジェイソン:だけど、例えば『Spare Ribs』を作ったときですら、別に「やばい、俺たちも路線を切り替えなきゃ!」と考えたわけじゃないし、単に「別の層を追加するって案、いままでに考えたことある?」みたいな話で。

アンドリュー:うん。

ジェイソン:俺たちは——っていうか俺は最初のうち、そのアイディアに全然乗り気じゃなかった。とにかく「俺以外の誰かに、自分たちのトラックで歌わせる? それってどうかなぁ?」と思ったし。

アンドリュー:わかる。

ジェイソン:それくらい、俺たちは作品と密に繫がってた。だけど実際にゲストを迎えたら本当にうまくいったわけで。だから、俺が学んだのもそこだった——アンドリュー、お前がこの意見に賛成するかどうかはわからないけど——この業界で勝負してたら、自分がどんなことをやっても絶対にどこかから、「前作アルバムからあまり変わっていない」云々の非難の声が上がるもんだ、っていう。

坂本:ファン心理はむずかしいです。人は思い出を大事にしがちですし、「昔のSMの方がよかった」なんて声も出てくる。あなたたちに同じ場所に留まって変わらず同じことをやっていて欲しい、と思う人々もいるでしょうね。

アンドリュー:そう、その通り。とはいえ——幸いなことに俺たちのファン層も、いわば「ラガー・ビールをかっ食らう野郎ども(lager lads)」からかなり成長してきたわけで(笑)。

ジェイソン:ハッハッハッハッ! あいつら、lager louts(*80年代末にイギリスで増え社会現象化した、ラガー好きな若い暴徒)っぽいよな?

アンドリュー:まあ、彼らを「ファン」と呼ぶ連中もいるよね……ついこのあいだも人とこの話をしたばかりなんだけど、人びとはこっちに期待してるわけだよ——以前、誰かから言われたっけな、「お前ら、もう何で“これ”(と、頭に貼り付いた何かを振り落とそうとするように、後頭部を右手で荒々しくさするジェスチャー。昔ジェイソンがよくやったステージ・アクション)をやらなくなっちまったんだ?!」って」(*このジェスチャーは以下の映像を参照ください。)

坂本:(爆笑)

ジェイソン:ブハハハッ! ったく……(苦笑)。

アンドリュー:で、俺は「だったら、お前は何で俺たちを観にきたわけ?」と思った。「お前にとっちゃそれだけ? それっきりのことかよ?」と。音楽に負けないくらい大声でくっちゃべり、ビールをがぶ飲みし、ああしろこうしろと言ってくる。冗談じゃない、こっちのやってることはもっと深いよ。とにかくまあ……もうちょっとオーディエンス層が絞り込まれて、かつ多様性が増してくれたのは、俺たちにとって素晴らしいことだよ。それはつまりこれからも、もっとギグをやれるってことだから……(笑)。

ジェイソン:ハッハッハッハッ!

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とはいえ——幸いなことに俺たちのファン層も、いわば「ラガー・ビールをかっ食らう野郎ども(lager lads)」からかなり成長してきたわけで(笑)。(アンドリュー)

新作の話に戻ります。「巨大な不安のもとで生きる人生──集団的トラウマによって形づくられた生」というテーマは、いかにして出てきたのでしょう? その契機となった出来事などありましたら教えてください。

ジェイソン:ああ、ファッキン山ほどある。2023年以来、世界はすっかり変わっちまったわけだろ? ロシアによるウクライナ侵攻(2022年2月24日)、あれがきっかけになったと思う。そして10月7日事件(2023年のハマスによるイスラエル攻撃事件)があり……そこで起こったこと、そして現在も続いている事柄のすべて。そしてもちろん、トランプの二度目の権力掌握があった。アメリカが内破を起こしたってことだし——アメリカってのは世界最強・最大級の勢力を誇る超大国であり、「自由世界の指導者」と目されてきたわけで。だからいまや何もかもがこう……マジに……剣呑な状況になってきてるっていう。ドイツとポーランドが戦争の危機を語る云々——。

アンドリュー:狂ってる。

ジェイソン:うん、クレイジーなゴミだらけ。だから俎上に載せる事柄はいくらでもあるわけ。で……俺にとっちゃ、いまや国際政治は国内政治と同じ、っていうか。とにかく自分自身には、ウェストミンスター(*英国会議事堂のあるエリア)で起こってる政党政治、イギリス国内の二党政治と同じくらい身にしみて感じられるっていう。

アンドリュー:たしかに。

『The Demise of Planet X(惑星Xの崩壊)』というタイトルにはSF風の表現が入っていますが、いま自分たちが生きているこの社会が悪い冗談のように思えることがあります。トランプの存在もそうですし、日本では山から大勢のクマが人間の生活圏に侵入し、多くの被害者を出して、いま社会問題になっています。

ジェイソン:……クマがもっと、都会にまで降りて来てるの?

坂本:そうなんです。

ジェイソン:それって何ごと? どうして?

坂本:妙ですよね。地球温暖化の影響等もあるのでしょうか、私にも原因はわかりませんが……。

ジェイソン:ひぇー、どえらい話だな!

坂本:はい、怪我人や死者が相次いでいます。現実は奇妙になる一方ですし、できれば政治のことなど気にしたくないのに、気にせざる得ない状況が続いています。SMが、そんな世界であっても順調に続き、楽しみを忘れずに、しかし現実を直視しているみたいな芸当を10年以上続けていることは尊敬に値します。自分たちがここまで長く音楽活動できているのは何故だと思いますか?

アンドリュー:フム……。

ジェイソン:そうだな——俺にもわからない! 思うに(軽くため息をつく)……ふたりとも、この仕事をやるのが好きだ、ってのはあるよね。でも、本当に全面的に関わってるから、ほとんどソロ・プロジェクトをやってるようにすら感じる。アンドリューがそこに関してどう思うかはわからないけど、俺からしたらもう、SMで自分の欲求をほぼすべて満たせてるし、存分にやれてるから、ソロとして活動範囲を広げる必要は感じない。自分にはこれがあるんだ、という。

アンドリュー:うん。

ジェイソン:彼(アンドリュー)が俺にチューンを持ち込んでくるたび、違うバンドをやってる気分になるし(笑)。もちろんそんなことはなくて、どの曲もSM味でコーティングされてるんだけどさ。だから、音楽に備わった多彩さは俺たちのオープン・マインドなところから来てるし、ふたりでコラボし、お互いの意見にちゃんと耳を傾け合ってると思うし——ここまで続けて来られたのも、それだからだと思うけどな、俺は。

アンドリュー:たしかに。

坂本:アンドリューはたまに、「ジェイソンの限界を試してみよう」といういたずらっぽいノリで、妙なループやビートを敢えて彼に提示することもあるのでしょうか?

アンドリュー:うん、っていうか実際、それはかなりしょっちゅうやってる(笑)。ただし、それと同時にやっぱり、「SM向けのトラック」っていうスレッド——それが具体的に何を意味するかは、俺にもわからないけど——は存在するんだよね。まあ、概して言えばかなりポップ調、あるいはかなり鋭角的なトラック、ってことになるのかな。でもまあ、「何かが見つかった」って感じ? 要するに、これはSMにぴったりだ、とピンとくるっていう。

SMの始動において、ウータン・クランの手法論を大きな契機としてあげていましたが、しかしSMの楽曲はブラック・ミュージック的なファンクのノリがないとずっと思っていました。

アンドリュー:うん。

ところが、今回にはそれがありますよね? 具体的には“Bad Santa”、“Shoving the Images”で、ジェイソンのライムに関しては“No Touch”にもラップ的なフロウがあります。こうしたサウンド面での変化についてコメントしてください。

ジェイソン:んー……これまた、アンドリューのやることの多彩さ・幅広さの成果が出たってことだと思う。俺は、アルバムを出すごとに自分たちは前進してると考えてるし——「もっとよくなった(better)」っていう言葉を使うのが適正かどうかわからないけど、以前より枝葉も広がっているし、もっと凝ったものになってきてるよね?

アンドリュー:うん。だからまあ、それは過去3、4作くらいを通じて、俺たちががんばって少しずつ、毎回「もうちょっと、もうちょっと」って風にやってきたことであって」

ジェイソン:ああ。

アンドリュー:それも、この(SMという)コンセプトの進歩の一部だと思う。そのコンセプトにはもっといろいろ加わってきたし、でも、その本来の姿からかけ離れてはいない、という。

ジェイソン:うん、同感。

アンドリューのトラックも、かつてはマーク・フィッシャーから「煉獄ループ(purgatorial loop)」と呼ばれたほど、冷たく容赦ないサウンドでした。

アンドリュー:うん。

ですが、今作の“Don Draper”にはメロディがあり、“Gina Was”にはキャッチーさもあります。こうしたある種のフレンドリーさ/聴きやすさは、年齢を重ねて丸くなったところから来るものなのでしょうか?

アンドリュー:(苦笑)それって、ある意味避けようがないと思う。どんなアーティストにとっても、それは自然な成長の過程の一部だよ。

ジェイソン:そう。でも、それと同時に言えるのは、“Don Draper”にも“Gina Was”にも、どこかしら——んー、どう言ったらいいかな……これは、アンドリューのやることをケナす意味で言うんじゃないから誤解して欲しくないんだけど——どっちも、ひどい響きなんだけど、なのに素晴らしいよな?

アンドリュー:(苦笑)

ジェイソン:ほとんどもう、「全然クールじゃない本質」めいたものがあれらの曲に備わってて、でも、そのおかげでものすごくいい曲になってる、というか。

アンドリュー:(苦笑)ハハハッ……。

ジェイソン:でも、それって独創的だってことだし、俺はまだ、そこを信じてる。いや別に、何もかもがオリジナルである必要はないんだ。そんなことはない。ただ、自分たちのやってることはオリジナルな何かだと俺は信じてるし、独創性を受け入れることの一環として、それは「なじみのないもの」だ、というところがある。要するに、あっという間に解読できるような一般的な暗号じゃないし、つまり、他にやってる人があまりいないってことであって……自分たちのやってることを俺が大好きなのって、そこなんだ。だから、いま君のあげた2曲は、かなりメロディックかもしれない。だけど——言われたように、俺たちも歳をとって円熟しつつある、そのファクターも混じっているとはいえ―それだけじゃなく、才能ってことじゃないの? 純粋に、こういうことをやれる才能。だから批判する連中がいても、こっちはただ笑い飛ばして、「失せろ(F**k Off!)」と無視するだけだよ(笑)。

日本では、映画『さらば青春の光』もザ・ジャムも人気があるし、英国以外では、日本ほどモッズ文化を好きな国はないんじゃないかとさえ思います。「モッズ」を名乗るあなたたちから見て、モッズ・カルチャーのよいところはなんだと思いますか?

ジェイソン:そうだな……正直言って、いいところはそんなにないよ。

アンドリュー:クハハハッ!

ジェイソン:(笑)あんま多くない。あれは副産物であり、時代遅れになってるし……要するに、とっくの昔に終わってしまった時代の副産物だと思う。それでもたまに、あの古いイメージから強いインスピレーションを受けることもある。俺からすればモッズの第一波、とくに60年代初期のモッズは、とても特別な存在に思えるし。

アンドリュー:うん。

ジェイソン:あれは、どこかしらスペシャルなところがある。それに、そのオリジナルから分派していったモッズ文化のなかでも、ときに「これは好きだ」と思うものはあるし。とにかくまあ、「MODS(moderns/modernists=現代主義者)」ってのは素晴らしい単語だと思う。あれはある意味……俺たちのやってることのなかにしっかり溶け込んでる、自信たっぷりな横柄さとでもいうのかな、それを簡約した言葉に近いっていうか。俺たち自身は、横柄な人間でもなんでもないよ。ただ、SMがうまくいってるのは俺たちも承知だし、たしかな手応えがある。もちろんそのために努力する必要があるし、がんばらなくちゃいけないけど、俺たちにとってこれは確実なものなんだ。だからもしかしたらそこに、モッズっていう概念と結びつくところがあるのかも?

アンドリュー:ああ、その通りだね。俺の頭のなかでは……モッズってのは、薄汚くだらしないロッカーたちだの、そういうあれこれに対する反動として出てきたもの、ってイメージで。

ジェイソン:(笑)うんうん、そうだよな!

アンドリュー:つまり、とにかく他とは違う存在になろうとした人びとってことだし、音楽にしたって、どのバンドもいろいろだった。例えばザ・キンクスは、ザ・ジャムとは違うし……という感じで。

ジェイソン:だよな。

アンドリュー:それでも、モッズの音楽はエネルギーたっぷりだったし、いい音楽もたくさんあるよね。

2023年以来、世界はすっかり変わっちまったわけだろ? ロシアによるウクライナ侵攻(2022年2月24日)、あれがきっかけになったと思う。そして10月7日事件(ハマスによるイスラエル攻撃事件)があり……そこで起こったこと、そして現在も続いている事柄のすべて。そしてもちろん、トランプの二度目の権力掌握があった。クレイジーなゴミだらけ。だから俎上に載せる事柄はいくらでもあるわけ。(ジェイソン)

モッズの話題になったので、前々から訊きたかったことを質問させてください。若きジェイソンが、ポール・ウェラー/ザ・ジャムから影響を受けたという話をどこかで読みましたが、1990年代はどんな音楽を好きでいましたか? あれはとてもヴァラエティに富んだ時代で——

アンドリュー:だね。

90年代前半の英国のトレンドはハウス・ミュージックやジャングルなどダンス・ミュージックで、後半はブリットポップあるいはレディオヘッドの台頭などがあり、かなり混ぜこぜですが。

アンドリュー:うん、だから、何でも隔てなく入れ込むのにいい時代だったってこと。NWAからLFO、マッシヴ・アタックまで、試しに聴いてみるものがいくらでもあって、よりどりみどりだった。

ジェイソン:イエス!

アンドリュー:そんなわけで個人的に、アメリカのハード・ロックのレーベル発の音楽だろうが、イギリスのチャートに入ったヒット曲だろうが、俺はいちいち線引きしなかった。ってのも、俺の周りの誰もが音楽作品を購入してたし、みんなあらゆる類いの音楽にハマってたからさ。

ジェイソン:うんうん。

アンドリュー:あの頃、俺はリンカンシャーにあった〈ヴィエナズ〉って名前のナイトクラブによく行ったんだけど、あそこじゃどんな音楽もかかってて。

ジェイソン:ヴィエナズか! (懐かしそうに)ワ〜オ、あったよなぁ!

アンドリュー:例えば……そうねえ、ゲイ・バイカーズ・オン・アシッドにポップ・ウィル・イート・イットセルフ、そしてソニック・ユースもかかるって具合で、ほんと折衷的な、いろんなタイプの音楽でごった返してた。

ジェイソン:うん。俺もアンドリューと同様だ。だからこう……手を伸ばしてみたいものはいくらでもある、というか。新しい音楽についていくのにも、正直苦労してるくらいだし……それは俺が老けたせいかもしれないよな、一定の年齢に達するといろんなものから断絶していくものだし。とにかく、昔ほど音楽をグッと強くは感じない。若い頃は、人は実にたくさんの物事と繫がってるわけで、いわばこう、異なるスクリーンをいくつも相手にするだけの時間もたっぷりある、っていうか? だから絶えず、こんな具合(と、携帯を次々スクロールするジェスチャー)でいられるけど、歳を取るにつれて、それをやるのにも疲れて飽き飽きしてきちゃうんだ。

アンドリュー:それにいまって、何もかもを一ヶ所に集中させるのもすごく大変だよな。

ジェイソン:たしかに!

アンドリュー:俺たちが若かった頃は「トップ・オブ・ザ・ポップス」(*BBCが毎週放映したチャート番組)に「SNUB TV」(*イギリスでは1989〜91年にBBCが放映したオルタナ/インディ系音楽番組)、「The Tube」(*1982〜87年にかけて英チャンネル4が放映した音楽番組)や「The Word」(*1990〜95年にかけて放映されたチャンネル4の音楽ヴァラエティ番組)等々の歌番組があったし、その番組を観ようと誰もがみんな引き寄せられる、そういうサムシングが存在してた。

ジェイソン:うん。

アンドリュー:だけどいまって相当に細分化してるし、ほとんどもう、俺たちは数が多過ぎる、って状態に近い。それはもう様々な方向に向かって進んじゃってて——もはや誰も、物事に関してお互い認識が一致してないっていう。

ジェイソン:うん、ほんと、そうだよね。

なるほど。「新しい音楽についていくのに四苦八苦」ということで、ちょっと訊きにくいのですが(笑)、2025年に聴いた音楽で、あなたのベストは? 新しい音楽でも、古い音楽であなたが発見したものでも構いません、2025年のあなたたちにとってのベストな音楽体験(アルバム、ライヴetc)は?

アンドリュー:そうだなぁ……。

ジェイソン:俺は断然、カイアス(Kyuss/現QOTSAのジョシュ・ホミーが在籍したバンド)だな、正直言って。

坂本:なんと!

アンドリュー:へえ、そうなんだ。

ジェイソン:ストーナー・ロックをたくさん聴いててさ——。

アンドリュー:フフフッ!

ジェイソン:とくに、カイアスの『Welcome to Sky Valley』(1994)はよく聴いた。

坂本:それは意外ですね。

ジェイソン:あれは——(笑)とにかくトチ狂ってる! ありゃヤバいって! だからもう、「うわー、やられた!」って感じで、だから2025年は「ロック音楽」をがんがん聴いた。ロック全般を、山ほど。デイヴィッド・グレイなんかのアコースティック〜フォーク系の音楽も取り混ぜつつね。

坂本:(笑)えっ、デイヴィッド・グレイ?! マジですか……。

アンドリュー:(笑)

ジェイソン:それから、ディジョン(Dijon)も聴き始めたな。ちょいプリンスっぽいんだけど、彼の音楽はビート等の面でヒップホップにすごく影響されてて、うん、あれはかなりいいアルバムだ。

アンドリュー:なるほど。

ジェイソン:あれこれ寄り道してたから、のめり込むまでにかなり長くかかったけど、でも繰り返し聴き続けたね。でまあ、いまの俺は、「もうこんなにロックばっか聴くのはやめなきゃいかんな」って心境なんだ(笑)、そうじゃなくてもっと他の人たちの音楽にもトライしなくちゃ、とは思いつつ、でも……。

坂本:いやいや、カイアスはいい選択ですよ!

ジェイソン:うん、抜群だ。

アンドリュー:いいチョイスだよな、うん。

ジェイソン:それに彼らって、いわゆる純粋な「ロック」っぽくないだろ? いやまあ、たしかにロックなんだけど、でもそれだけじゃないっていう。

坂本:サイケデリック・ミュージックですらありますからね。

アンドリュー:うん。

ジェイソン:とにかくこう、すごい衝撃があるよな。

アンドリュー、あなたの2025年のベストは?

アンドリュー:ここしばらく、レア気味な音楽をよく聴いたよ。最近ハマってるのが、プーループ(Puuluup)ってバンドで。

ジェイソン:ほう?

アンドリュー:エストニア人の男性ふたり組で、伝統的なエストニア音楽をモダンに解釈してる、ってとこかな。KEXP(*オルタナティヴ・ロックを中心にするシアトルの非商業的ラジオ局)を通じて知っただけなんだけどね。でも、かなり興味深いバンドだから、チェックしてみてよ。

ジェイソン:それって、この間、俺にリンクを送ってくれた連中じゃない?

アンドリュー:あ、送ったっけ、俺?

ジェイソン:うん、たぶん。

アンドリュー:そうかー、あのパフォーマンス(*プーループが10月のUS ツアー中にKEXPで収録し、12月初旬に公開されたライヴ映像のことと思われる。YouTubeで視聴可能はほんの先週の話だけど……まあ、ちょっとしたことだし、俺もすぐ忘れちゃうんだけどね。で、そのまま次の何かに進んでいくっていう。

(了)

★スリーフォード・モッズの『The Demise of Planet X』は1月16日発売。

見汐麻衣 - ele-king

 まずはじめに感じたのは、歌の変化だった。

 この『Turn Around』は、見汐麻衣にとって、アルバムとしては2017年の『うそつきミシオ』から8年ぶりの作品になる。それだけの時間が経っているのだから、当然、歌いかたも歌声自体も、なにかしらの点で変わっている。ただ、私が感じたのは、そういうことだけではない。
 前作では――もちろん、曲によってアプローチはちがうのだけれど――まっすぐ、真正面に、まるで目の前に障害がなにもないかのように声が進んでいく発声だと感じていた。穏やかな海面をすっと進んでいく船の航跡のような、あるいは、晴天に残された飛行機雲のような。たとえば、“沈黙 Nothing To Say”では、ヴィブラートもなにもかけずに16秒ほどのロングトーンを聴かせる場面がある。このときの見汐の声は、かなり器楽的に聞こえる。
 『うそつきミシオ』についてのインタヴューでは、「歌謡曲と黎明期のニューミュージック」というテーマに向きあい、軽やかに歌うことを心がけ、エンジニアの中村宗一郎との共同作業のなかで「自己表現みたいなのはいらない」と言われたことを明かしている。「自己表現」なるものにつねに絡みつく典型的な泥臭さ、えぐみは、たしかにあのアルバムでは霧消していた。状況描写的な歌詞もあいまって、歌や声が透明な管として音と言葉を運んでいるように聞こえた。透徹した歌はバンドの演奏から幽体のように遊離して感じられ、そうであるからこそ、「歌のレコード」という印象が強かった。

 ところが、その後、見汐がライヴ・バンドとして活動をともにしているGoodfellasとの録音作品が届けられるようになると、その感触は変わっていった。端的に言えば、バンドのなかの歌になっていったのだと思う。ギターやベースやキーボードやドラムといった楽器の音と等価で並列にある歌、アンサンブルのなかに溶けこみ、そのなかの一要素としてあるもの、といったふうに。しかも、どこかひりひりとした緊張感があった埋火のころのそれとも異なる、ほかの楽器奏者の演奏と対話しているような歌。卑近な表現だが、バンドとの一体感がある歌に聞こえた。

 そこにきて、『Turn Around』での歌はどうだろう。見汐の声は、ここでは湿度を含み、軽やかで直線的というよりも、多少の膨らみをもって、ふわっと漂い、浮かんでいるように感じられる。少々掠れたノイズや倍音成分が増え、再び卑近な表現をすると、包容力がある。“無意味な電話 Pointless Phone Calls (Rusuden Ver.)”のような曲では、吐息、時に囁き声が強調され、これまでにない顔を見せている。透明な管のようではなくて、身体から発せられている、たしかな手触りがある。アルバムの終幕である“Quiet Night”は、まるでデモ・レコーディングのような質感で、いままでになく不明瞭な発声、こう言ってよければ、ひじょうに抽象的な歌い口だ。歌い手として歌に向きあってきた見汐が、いま新しく辿りついた場所がここなんだ、と驚いた。
『うそつきミシオ』での試みを言いかえると、見汐は、そこで私性をいったん捨てたのではないだろうか。かといって、この『Turn Around』で、いかにもシンガーソングライター然とした私性や自己表現を歌に宿している、というわけでもまったくない。むしろ、とても中間的な、曖昧な温度をもったものとして歌が響く。私的な領域と、バンド・メンバーや聴き手などの他者と共有する場所とのあいだを絶妙な塩梅で漂い、楽器が発する音と交差する、とても実体感を伴った歌に聞こえる。

 その変化は、たとえば、歌詞においてもそうで、一人称を意識的に排したという前作から翻って、ここではいくつかの曲で一人称や二人称が歌われる。しかし、もちろん、その「わたし」が見汐だったり、「あなた」が見汐の周囲の人間だったりを指している感じはしない。以前、“永い瞬間 Eternity As An Instant”で歌われていたように、拾いあつめた「言葉の落穂」のなかに、「わたし」や「あなた」という言葉がたまたまあった、という感触なのだ。

 見汐と共同でこのアルバムのプロデュースをおこなったのは、岡田拓郎である。2024年には柴田聡子の『Your Favorite Things』と優河の『Love Deluxe』という優れた作品をものにし、岡田は、いまシンガーソングライターのプロデューサーとして重要な立ち位置にいる。
 そんな岡田との協働によって、見汐の歌は新しい音のなかに……馴染んでいる、と言えばいいのだろうか。プロダクションのなかに自然と、もともとそうあったかのように、ただある。これには、岡田によるミキシングも確実に大きく寄与している。
 “Cheek Time”や“わたしのしたことが Things I’ve Done”といった曲は、坂本慎太郎のレコードにおけるハワイアン歌謡やムード歌謡への接近、またはトロピカリズモの要素を感じさせるも、一方で意外だったのは“無意味な電話”で、近年ひとつの潮流をなしている、いわゆるヴィンテージ・ソウルのマナーでこの曲はアレンジされている。
 そして、“Cheek Time”の密室的なリズム・ボックスのビートにしても、“Turn Around”の浮遊するコーラスやミュートされたドラムの打音にしても、“昨日の今日 Yesterday and Today”のゴーストリーなメロトロンやオルガンの音にしても、“Quiet Night”のひどくざらついたテープ・ノイズや狭い音像、音のゆがみにしても、アルバムを覆っているのは、埋火の音楽にあったものとはまた別種のサイケデリアだ。それが湿り気を増幅させ、見汐の歌をバンドの演奏と接着し、ひとつの心地よい音の風景に落としこんでいる。

 いずれにせよ、『Turn Around』は、見汐の「歌のレコード」として聴ける。『うそつきミシオ』と異なった面持ちではあるが、しかし、確実にそうなのだ。そして、このアルバムにおける見汐の歌は、新しくもありながら、どこか懐かしくて親しみやすい。

別冊ele-king 坂本慎太郎の世界 - ele-king

 日本のみならず海外からも評価されるミュージシャンのひとり、坂本慎太郎の表現に深く迫った一冊がついに登場。
 坂本慎太郎本人の3万字(へたしたら4万字?)越えのロング・インタヴュー、関係者、バンド・メンバーたちが語る坂本、あるいは、海外の支持者たちの証言。単なるインタヴュー集にとどまらず、彼の音楽、アートワーク、そして独特の思考やユーモアがいかにして形作られているのかを多角的に解き明かす。アルバム+シングル・ディスクガイド、ゆらゆら帝国時代の主要作品も紹介。
 坂本慎太郎というアーティストが持つ「孤高の異才」としての側面を、長年彼の音楽を聴いてきた批評家/ライターたちがそれぞれの視点で分析、ファンにとっては待望の一冊です。

菊判220×148/192ページ
*レコード店では1月23日に発売。

■内容
photos:塩田正幸

【interview】
interview with Shintaro Sakamoto part 1
新作『ヤッホー』をめぐるインタヴュー(安田謙一)
interview with Shintaro Sakamoto part 2
坂本慎太郎のおもに歌詞をめぐるインタヴュー(北沢夏音)

【interview】
宮藤官九郎──シングルの「美しい」とか、あの辺からもう、違う方向に行ってるって感じはしました。でもやっぱりソロを聴いたときはびっくりしましたけどね
大根仁──数キロ先の針の穴を突くようなことをあの人はずーっとやってるじゃないですか。そこはずっと変わってないんじゃないかなと
石原洋──僕らのあいだにはちょっと、愛憎まみえるところもあるんで

【interview】
坂本慎太郎バンドのメンバーが語る「坂本ワールド」(河村祐介/小原康広)
AYA──次元が違った。そのときに見た坂本さんがいまでも頭のなかにいる
菅沼雄太──トラックだけだったものに坂本さんの歌詞が乗った瞬間に、トラックがどうでもよくなっちゃう(笑)
西内徹──「とにかくいい感じで」って言われて「やまんです」って言って吹くだけですね

【interview】
海外の友人たち
ジョシュ・マデル(NY)──彼は本当にユニークなアーティストで、古いものと新しいもの、その両方のサウンドや影響を結びつけ、完全に没入的で包み込むような雰囲気を作り出しています
ヤン・ランキッシュ(ケルン)──彼には美しくタイムレスなスタイルを捉える特別な感覚があると思うし、それはどんなムードにも合うので、私は何年にもわたって彼の作品を追いかけてきました
ティム・ベルナルデス(サンパウロ)──彼は禅的なロックンロールか何かの達人であるかのようなんです。到達しうるかぎりもっとも洗練された “シンプル” であり、ほとんど “無為の芸術”、だから、坐禅ロックンロールの達人のようなんです
ジャスティン・サイモン(NY)──1999年、友人の東京のアパートで遊んでいたとき、ゆらゆら帝国のライヴVHSを再生したんです。私は画面をじっと見つめながら、衝撃を受けていました

【アルバム/シングル・ガイド】
幻とのつきあい方(柴崎祐二)
ナマで踊ろう(TUDA)
できれば愛を(松永良平)
物語のように(安田謙一)
シングル(河村祐介、TUDA、安田謙一、野田努)

【レポート】
アンビエント・ソウル、あるいは、フハッ、のようなもの
──坂本慎太郎バンド US/MEX TOUR 2025について(松永良平)

ゆらゆら帝国──不完全ディスクガイド(イアン・F・マーティン、河村祐介、野田努)

【コラム】
坂本慎太郎の世界 (野田努)
  偶然性・アイロニー・共謀──パスワードは「平和」と二回(水越真紀)
「不気味なもの」の充満する小部屋で──「坂本慎太郎的」を求めて(柴崎祐二)
ロックンロールの限界はどこにあるのか?──『しびれ』と『めまい』から坂本のソロへと(イアン・F・マーティン)
坂本慎太郎の音世界との出会い(山辺圭司)

デザイン:鈴木聖

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Shintaro Sakamoto - ele-king

 2026年1月23日に発売される坂本慎太郎の新アルバム『ヤッホー』からの、“おじいさんへ”に続くニュー・シングル曲、“あなたの場所はありますか?”(坂本バンドはこの深い意味を含んだこの曲を去るアメリカ/メキシコ・ツアーで演奏している)のライヴ演奏MVが公開された。見よう! 自分たちの居場所を確保しよう。
 
 zeloneからのメールによると「今回のMVは、アルバム『ヤッホー』のレコーディングが行われたスタジオ、ピースミュージックにて撮影され、演奏もライヴ録音された、このMVでしか聴けないエクスクルーシヴなライヴ音源となっています。監督は山口保幸。演奏は坂本慎太郎バンドー 坂本慎太郎 (Vocal & Guitar)、AYA (Bass)、菅沼雄太 (Drums)、西内徹 (Flute) ——そして録音は中村宗一郎」

 なお、別冊エレキングは、来年1月末に『坂本慎太郎の世界』を刊行します。こちらもこうご期待です。

ヤッホー / 坂本慎太郎 
(Yoo-hoo / Shintaro Sakamoto)

2026年1月23日(金) Digital/CD/LP/リリース
国内デジタルPre-save / Pre-add: https://virginmusic.lnk.to/Yoo-hoo_pre

1. おじいさんへ (Dear Grandpa)
2. あなたの場所はありますか? (Is There A Place For You There?)
3. 正義 (Justice)
4. 脳をまもろう (Protect Your Brain)
5. 時の向こうで (On The Other Side Of Time)
6. 時計が動きだした (The Clock Began To Move)
7. 麻痺 (Numb)
8. なぜわざわざ (Why Do This?)
9. ゴーストタウン (Ghost Town)
10. ヤッホー (Yoo-hoo)

Written & Produced by Shintaro Sakamoto
Recorded, Mixed & Mastered by Soichiro Nakamura at Peace Music, Tokyo, Japan 2025

Vocals, Bass (10), Keyboard, Acoustic, Electric & Lap Steel Guitar: Shintaro Sakamoto
Bass & Chorus: AYA
Drums & Percussion: Yuta Suganuma
Flute & Saxophone: Tetsu Nishiuchi
Marimba: Manami Kakudo (8, 9)

CD (zel-029): 価格: ¥2,600+税 (2枚組/インストBONUS CD付)

LP (zel-030): 価格: ¥3,200+税
Distribution: Bridge Inc. https://bridge-inc.net/

Shintaro Sakamoto - ele-king

 坂本慎太郎が2022年の『物語のように』以来の、通算5枚目となるソロ・アルバムが来年年明けの1月にリリースされると、〈zelone records〉が発表した。タイトルは、『ヤッホー』。発売日は、2026年1月23日(金)、例によって〈zelone records〉からのリリースである。
 なお、すでに「おじいさんへ」を発表している坂本だが、新作からの先行配信シングル「あなたの場所はありますか?」も本日11月19日(水)にリリース。

■デジタル・シングル
あなたの場所はありますか / 坂本慎太郎 (Is There A Place For You There? / Shintaro Sakamoto)

2025年11月19日(水) 配信リリース:
国内再生・購入: https://virginmusic.lnk.to/IsThereAPlaceForYouThere
YouTube (Official Audio): https://www.youtube.com/watch?v=y-Ve_3cUIFQ


■ニュー・アルバム
ヤッホー / 坂本慎太郎 (Yoo-hoo / Shintaro Sakamoto)

2026年1月23日(金) Digital/CD/LP/リリース
国内Pre-save / Pre-add: https://virginmusic.lnk.to/Yoo-hoo_pre
1. おじいさんへ (Dear Grandpa)
2. あなたの場所はありますか? (Is There A Place For You There?)
3. 正義 (Justice)
4. 脳をまもろう (Protect Your Brain)
5. 時の向こうで (On The Other Side Of Time)
6. 時計が動きだした (The Clock Began To Move)
7. 麻痺 (Numb)
8. なぜわざわざ (Why Do This?)
9. ゴーストタウン (Ghost Town)
10. ヤッホー (Yoo-hoo)

Written & Produced by Shintaro Sakamoto
Recorded, Mixed & Mastered by Soichiro Nakamura at Peace Music, Tokyo, Japan 2025

Vocals, Bass (10), Keyboard, Acoustic, Electric & Lap Steel Guitar: Shintaro Sakamoto
Bass & Chorus: AYA
Drums & Percussion: Yuta Suganuma
Flute & Saxophone: Tetsu Nishiuchi
Marimba: Manami Kakudo (8, 9)

●CD (zel-029): 価格: ¥2,600+税 (2枚組/インストBONUS CD付)
●LP (zel-030): 価格: ¥3,200+税
●Digital (DL/ST)


坂本慎太郎

1989年、ロックバンド、ゆらゆら帝国のボーカル&ギターとして活動を始める。
2010年バンド解散後、2011年に自身のレーベル“zelone records”にてソロ活動をスタート。
2017年、ドイツのケルンでライブ活動を再開。2022年、4thソロアルバム「物語のように (Like A Fable)」を発表。
2024年、USツアー、インドネシア、タイ、台湾、韓国でのLIVEを国内ツアーと並行して展開。
2025年、NetflixにてLIVEフィルム作品「坂本慎太郎LIVE2022@キャバレーニュー白馬」期間限定配信中。グラミー受賞プロデューサーのLeon Michels率いるEl Michels Affairの新作「24Hr Sports」収録の『Indifference』にで歌唱と作詞で参加。 10/15に新曲「おじいさんへ」を配信リリース、3度目のUSツアーとメキシコ公演、12月には中国公演を展開。

また、様々なアーティストへの楽曲提供、アートワーク提供他、活動は多岐に渡る。 

Official Site: https://linktr.ee/shintarosakamoto_official

RCサクセション - ele-king

 彼らはそのころ交差点に立っていた。だが、舞台は寂しく、かつていた大勢はどこか別のところに行ってしまったようだった。無理もない。1976年4月23日にはラモーンズのデビュー・アルバムがお目見えとなるのだ。激流はロンドンに伝播し、同年10月にはダムドの「ニュー・ローズ」、そのよく月には「アナーキー・イン・ザ・UK」が世界を襲う。まさに、いまここから歴史的に、まだ誰もが見たことのない場所でその後の音楽に決定的な影響を与える大きなことがはじまろうとしているそのとき、“大きな春子ちゃん”に感情移入する人が少なかったことは容易に想像できる。
 が、しかしそんな逆境のなか、いちどは激流に流されながら蘇った極めて希有な作品がRCサクセションの『シングル・マン』だった。先日、新曲“おじいちゃん”を発表したばかりの坂本慎太郎と話す機会があった。そのときRCの話になったのは、『暮らしの手帖』36号の「わたしの大好きな音楽」コーナーにフィーチャーされた彼の選んだ「歌詞が好きな日本の音楽」10曲のうちの1曲がRCの“わかってもらえるさ”だったからだ。それで、RCでいちばん好きなアルバムは? という話題になったとき、酔っていたので記憶はおぼろげだが、たしか『シングル・マン』で話は落ち着いたと思う。
 まあ、「いちばん好きなアルバム」とは、そのときどきの心情や状況によって変わるものではあるが、RCのなかでこのアルバムがいちばん好きだという人は多いだろう。いまではすっかり名盤として広く認識されているが、しかし、ラモーンズのデビュー・アルバムの2日前にリリースされた『シングル・マン』は、リアルタイムではみごとな三球三振だった(すぐに廃盤になった)がゆえに、『シングル・マン』が1970年代なかばの日本(東京)という文脈のなかで書かれた文章、その社会においていかなる存在だったのかという評価の痕跡をぼくは見たことがない。いまにして振り返ればヒッピー的なるものの痛切な末期症状という解釈もできるかもしれない——、いや、しかし、これは時代から切り離され、リリースから数年後にタイムレスな音楽として広く評価された作品である。音楽もそうだが、このアートワークもタイムレスな魅力がある。だから、その出会いは十人十色で、感じる魅力、好きな度合いというのは人によって異なっていてしかるべきなのだろう。以下に書くのは、ぼくの感想文である。
 ぼくは、ライヴのクライマックスで“スロー・バラード”を歌っていた時代にファンになったひとりなので、最初はそのスタジオ録音が収録されているから聴いてみたいと思って高校生のときに買った。そして、聴いているうちにほかの曲もどんどん好きになっていった。感情がとめどなく噴出する“ヒッピーに捧ぐ”がいちばん好きだったときもある。“やさしさ”や“甲州街道はもう秋なのさ”のようなヘルマン・ヘッセ風の屈折した内面を歌った曲も好きだったし、ここ数年はずっと“うわの空”が好きでいる。
 “スロー・バラード”が入っているからといって、『シングル・マン』はまったく楽天的な作品ではない。アルバムを通して、不信、気まずさ、悲観、辛辣さ、そして愛情と憎悪が独白される。他者との関係に戸惑い、ときに苛立っているのは“ぼくはぼくの為に”や“やさしさ”、同時期に録音された“お墓”(のちに『OK』に収録)からうかがえる。なにしろ“ファンからの贈りもの”という、他者を拒絶する歌からアルバムははじまっているのだ。

 ラモーンズのデビュー・アルバムとほとんど同時期に出てしまった『シングル・マン』は、その前年に出るべきアルバムだった。録音は1974年の秋からはじまって1975年の春には終わってる。しかしながら、所属事務所内のトラブルによってバンドは干され、完成から1年以上経ってからのリリースになってしまった。また、RC史上ではドラムをフィーチャーした最初のアルバムであり、音楽性を高めるべく200%の力を注いだ作品だったのに拘わらず、楽曲のアレンジやミックスに関してバンドは納得していなかったようで(編曲は井上陽水のミリオンセラー作『氷の世界』を手がけた元モップスの星勝)、そもそもこのリリースにいたる経緯自体も幸福とは言えなかった。しかしながら『シングル・マン』は、RC/清志郎の全作品のなかでも——ぼくの主観的な印象だが——5本の指に入る人気作だと思われる。
 廃盤になったアルバムが音楽評論家の吉見佑子による再発運動によって正式に再発されたのは、日本のポスト・パンクが絶頂を迎える1980年のことだった。強烈な個人主義的告白——外面的な事件よりも内面的な心理への没入——を同調圧力の国に叩きつけているこのアルバムを、ぼくは聴き入ったものだった。そこには、集団の価値観や社会規範に打ち解けることのできない個人が世界とどう折り合いをつけるか、という葛藤が描かれている。そしてここが、ポスト・パンクに夢中だった高校生も入り込める、作ったほうでも予期しなかった共鳴点のようなものだったのだろう。“甲州街道はもう秋なのさ”におけるむき出しの疎外感は言うに及ばず、“ヒッピーに捧ぐ”における「豚どものを乗せて」というフレーズは、じつはパンクがヒッピーの改良版という説を裏付けてもいる。アルバム全体からは──初期のRCからバンドが解散するまで通底した反抗心とともに──どうにもならないやり切れなさが滲み出ているし、その救済として最後に“スロー・バラード”がある。それは美しい、無垢な恋愛感情かもしれないけれど、駐車場に停まった車のなかという閉ざされた空間における個人的なできごとに過ぎない。パンクやヒッピーにあった連帯(ソリダリティー)は『シングル・マン』においては排除されている。そしてそれを排除し、閉じていることが、この音楽作品に力を与えてもいるのだろう。

 音楽的には、高校生のぼくにはひと世代前の「大人の音楽」に思えた。 “冷たくした訳は” や“ファンからの贈りもの”、“スロー・バラード”といった曲の背後にある清志郎にとっての重要な影響源=メンフィス・ソウルをぼくが本格的に聴くようになるのは、もっとずっと後のことだった。換言すれば、ぼくは清志郎から南部のソウル・ミュージックを教えられたことになる。もちろん自分の人生で最初に買ったソウルのアルバムは『Otis Blue』だった。(*)
 高橋康治の『忌野清志郎さん』の巻末対談で言っていることだけれど、清志郎は、喩えるならシカゴ時代のフランキー・ナックルズのように、ひと時代前の音楽も、音楽に力があればどんな流行のなかでも通用することを身をもって教えてくれた人でもあった。これはリヴァイヴァル現象のことではない。リヴァイヴァル現象とは流行のことであって、そこに当てはまらない音楽、流行に敏感な人なら鼻にもかけないような音楽であっても光り輝くことができる……フランキー・ナックルズが1980年代の欧州ニューウェイヴに夢中な黒人の子どもたちに過去のものとされていたフィラデルフィア・ソウルの輝きを教えたように、ニューウェイヴに夢中な日本人の子どもたちに1960年代のメンフィス・ソウルのすばらしい光沢を伝えたのだった。(**)

 サザン・ソウルとは「ゴスペルに根ざし、感情をむき出しにした音楽のことである」、「それは完全にヴォーカルの芸術である。ソウルは共通の経験、つまり聴き手との関係を前提としている。これはブルースにも見られることであり、歌い手が聴衆の感情を確認し、それを展開してゆく」、こう説明するのは高名な黒人音楽評論家のピーター・ギュラルニックが引用したイギリスの作家クライヴ・アンダーソンだ。
 アンダーソンが定義する「ヴォーカルの芸術」という観点でいえば、忌野清志郎はまごうことなきソウル・ミュージシャンだったと言える。「世俗化されたゴスペルがブルースの“冒涜”を取り込み、ただひとつのもっとも重要な主題——愛の気まぐれ(the vagaries of love)——だけを扱った」音楽、しかしそれはリズム・アンド・ブルースの発展型で、すなわち魂の告白であると同時に、世俗的で作為的なものでもある。「ホーンが鳴り響き、二重の意味を含む歌詞があり、絶叫する歌手がいて、打ち鳴らされるリズムがある、そういう音楽」——オリジナルのソウル・ミュージックは「黒人の連帯を明確に表現していた」が、ただ先にも書いたように『シングル・マン』のそれは連帯を拒絶するものだった(「」内はすべてPeter Guralnick『Sweet Soul Music』からの引用)。
 とはいえ、ぼくが高校時代に観た二回のライヴ公演は、政治的には無色で、曖昧な叫びだったかもしれないけれど、それゆえ大多数に対して連帯を呼びかけるものだった(19世紀のフランスの詩人にして蓄音機の発明者、シャルル・クロス風に言えば「大人たちを怒らせるため、子どもたちを喜ばせるため」である)。『シングル・マン』の内的葛藤が、外の世界に向けての力強いエネルギーへと転換されていった話は、先述の『忌野清志郎さん』に詳しい。人と違っていることは良きことだとされるその世界のなかで、ぼくたちは熱狂し、舞い上がった。ステージで熱唱している人が、その数年前に『シングル・マン』をつくっていたことは、ぼくにとっては切り札のカードのようなものだった。あんな寒々しさと熱い情熱を孕んだアルバムをつくった人がど派手なロックンロールをやっているのだから、ここにはその表面上の派手さ以上のなにかがあるに違いないと思わせたのだ。

 『シングル・マン』で残念なのは、 “レコーディング・マン(のんびりしたり結論急いだり)” があまりにも短いことだ。RC史上もっとも実験的な曲、ビートルズにおける “レヴォリューションNo9” 、ファンカデリックにおける “Wars of Armageddon” になりえた曲だったが、1分ちょっとしかないからインタールードのようになってしまった。
 それはそうだが、この時代のバンドの音楽的な野心の高さの証跡でもある。ほかにも “夜の散歩をしないかね” という基本はブルース・ロックだが、RCには珍しくジャズ風にテンションコードを加味した曲もあって(ピアノを弾いているのは加入前のGee2wo)、これがまたじつにムードのある良い曲なのだ。“大きな春子ちゃん” は “ぼくの好きな先生” 路線のRC流フォーク・ソングのユーモアと牧歌性のある曲で、“うわの空” は“ぼくの自転車のうしろに乗りなよ” 路線のRC流サイケデリック・ソングだ。自分の好みという点で言えば、この4曲はほんとうに好きな4曲である。メロディが好きだし、後者2曲の日常的な非日常チルアウト・フォーク・ソングに関しては、そこはかとない寂しさがぼくには心地よく感じられる。“うわの空” の後半の展開はややピンク・フロイドっぽいとは思うのだが、この曲の歌い出しの「君は〜空を飛んでぇえ〜」という歌詞とメロディのコンビネーションはすばらしいとしか言いようがない。

 今回発売された「デラックス・エディション」、2枚組のうち1枚はオリジナル盤で、ZAKによるリマスター。もう1枚には、“スロー・バラード”と“やさしさ”のシングル・ヴァージョンをはじめ、“わかってもらえるさ”(そして“よごれた顔でこんにちわ”)のZAKによるリマスターほか、“恐るべきジェネレーションの違い (Oh,Ya)”と“甲州街道はもう秋なのさ~ANOTHER MIX~”の未発表ヴァージョンに加え、テレビ神奈川の番組「ヤングインパルス」における1976年4月25日のスタジオ・ライヴ(三田格編集の『生卵』には、この番組のことをチャボ宛てに綴った清志郎の手紙が掲載されているのだが、そうか、このことだったのか!)から6曲がZAKによるミキシングのもと収録されている。そのなかには“ぼくの眠るところ”という未発表曲がある。このライヴ演奏が思いのほか良かった。冬の時代のRCに思い入れがある人には興味深い内容かもしれない。ぼくは『シングル・マン』の録音がはじまる前——たいした活動もなかった頃——に清志郎が書いた日記、『十年ゴム消し』を愛読したひとりだ。あんな風に生きられたらいいなぁと憧憬したものだった。

(*)永遠の青年、ニック・ヘイワードが在籍したことで知られるヘアカット100なるUKニューウェイヴ・バンドのファースト・アルバムのジャケットに、メンバーのなかでひとりだけアフリカ系がいるが、彼こそは、1967年12月10日のオーティス・レディングら7名を死亡させた飛行機墜落事故における犠牲者のひとり、オーティスのバックバンド、バー・ケイズのドラマー、カール・カニンガムの実弟、ブレア・カニンガムである。ちなみにバー・ケイズのメンバーはこのとき全員まだ10代だった。ブレア・カニンガムも一流のドラマーとなって、渡英し、ヘアカット100での活動を経ると、一時期プリテンダーズでも叩き、なんと再結成したギャング・オブ・フォーでも演奏した。その後は、ポール・マッカートニーのバックバンドに加入し、数年にわたって活動をともにしている。

(**)メンフィス・ソウルの奥深さに触れることができたのは清志郎を聴いていたからだ。いつか鈴木啓志さんにあらためて書いてもらいたいところだが、ここは若い読者のために少しだけ註釈を。1955年2月にメンフィスのメシック高校で10代のエルヴィス・プレスリーが演奏したときを、グリール・マーカスは、その後のティーンエイジャーの世界の風景を完璧に変えた「ビッグバン」と呼んでいる。そして、その何年後かあとにメシック高校の舞台に立っていたのが、スティーヴ・クロッパーやウェイン・ジャクソン、ドナルド・ダンたちだった。また、人種差別/分離が根強かったメンフィスにおいては、黒人用のブッカー・T・ワシトン高校があった。ここの卒業生に、〈スタックス〉が誇る天才オルガン奏者、ブッカー・T・ジョーンズがいた(ほかにもアイザック・ヘイズ、デイヴィッド・ポーター、ウィリアム・ベル等々)。やがて彼らが交わって、人種差別を公然と批判するバンド、ブッカー・T・アンド・ザ・MGズが生まれる。政治的ユートピアとしてのレーベルとバンドがいるなか、デイヴ・マーシュが「卓越したバラード歌手であり、リトル・リチャードの精神を受け継ぐ真のロッカー」と最大限の賛辞を送ったオーティス・レディングが、1956年から頂点にいたエルヴィスを引きずり下ろすかのように登場する。ちなみに、「ガッタ、ガッタ、ガッタ」というリフレインはオーティスの真似だと言われているが、そもそもこれはオーティスのジェイムズ・ブラウンの模倣にはじまっている。

Mocky - ele-king

 ジャンルにとらわれず多方面に活躍している音楽家、モッキーが6年半ぶりに来日する。2か月ほど前に最新作『Music Will Explain』を〈Stones Throw〉からリリースしたばかりの彼だけど、こたびのツアーでは9/22(月)@東京WWW X、9/24(水)@大阪CONPASS、9/25(木)@京都CLUB METROの3都市を巡回。東京公演にはいま注目のエクスペリメンタル・ポップ・バンド、んoonが出演することも決まっている。
 今回のツアーは6人編成のバンド・セットで臨む予定で、モッキー本人はドラム、キーボード、ヴォーカルを担当、ステージには国内外の実力派ミュージシャンが集結するという。見逃せない一夜になりそうだ。

Mocky Japan Tour 2025 - “Music Will Explain” Album Release Tour
9/22(月・祝前) 東京公演 @WWW X(オープニングゲスト:んoon)
https://www-shibuya.jp/schedule/019084.php
9/24(水) 大阪公演 @CONPASS INFO公演情報
https://www.conpass.jp/7687.html
9/25(木) 京都公演 @ CLUB METRO INFO公演情報
https://www.metro.ne.jp/schedule/250925/

Mocky(モッキー)、6年半ぶりの東京公演のゲストアクトに「んoon」の出演が決定!

これまでFeist、Kelela、Moses Sumney、Vulfpeckなどのプロデュースを手がけ、GZA、Kanye West、Cordae、G-Dragonにサンプリングされるなど、幅広いアーティストの音楽にその痕跡を残してきた変幻自在のアーティスト、Mocky(モッキー)。

日本でも根強い人気を持ち、数多の来日公演、坂本慎太郎やcero、中村佳穂BANDとの共演、ラッパーKID FRESINOやCampanellaの楽曲プロデュースなども行ってきた彼の最新アルバム『Music Will Explain』がStones Throwより6月27日(金)にリリース。その新作を携え、2019年以来約6年半ぶりの来日公演が決定した。

「なぜ私たちは創造するのか?」「なぜ音楽を作るのか?」

『Music Will Explain』は、「人間の声が響く場所」「愛や悲しみ、つながりを受け止める心のスペース」、そして「言葉では説明できないことを伝える音楽だけの領域」——それらすべてをめぐる、Mockyなりの“音楽による証明”。

東京公演のゲストアクトに「んoon」の出演が決定!
ボーカル、ハープ、キーボード、ベースというユニークな編成でノイズ、フリージャズ、ヒップホップ、ソウル、パンク、クアイヤー、エレクトロなど、あらゆる音楽のエッセンスを不気味に散りばめた音を演奏し、昨年リリースした1stフルアルバム「FIRST LOVE」が各所で賞賛を浴びた唯一無二のバンド「んoon」のライブに乞うご期待。

チケットは今週末7/26(土)より一般発売。

[公演概要]
MOCKY
出演:MOCKY(band set) / Guest Act:んoon
日程:2025年9月22日(月・祝前日)
会場:WWW X
時間:open18:00 / start19:00

El Michels Affair - ele-king

 NYを拠点とするエル・ミッチェルズ・アフェアといえば、かつてはレトロ・ファンクの復興主義運動の一角を担って、ウータンのメンバーたちとの交流でも知られたベテラン・チーム。ソウル&ファンクに愛情を注ぐオールドスクール主義者として知られる彼らの新作『24 Hr Sports』に、なんと、坂本慎太郎がフィーチャーされているとのこと!
 日本でのアルバム発売はチカーノ・ソウル系のリリースで知られる〈MUSIC CAMP〉から。また、すでに配信された坂本慎太郎フィーチャーの「Indifference」は、国内限定7インチ・シングルとして7/30に〈zelone records〉より発売される。

El Michels Affair
24 Hr Sports

Big Crown Records/MUSIC CAMP, Inc
日本語解説:松永良平
国内仕様輸入盤/配信にて9月5日リリース予定


El Michels Affair feat. Shintaro Sakamoto
Indifference

zelone records
7月30日発売

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