![]() Epstein & El Conjunto When Man Is Full He Falls Asleep RL66 |
![]() Epstein Sealess Sea Asthmatic Kitty |
21世紀に入って、ブルックリンは、ヴァンパイア・ウィークエンド、ダーティ・プロジェクターズ、アニマル・コレクティヴ、チック・チック・チック、MGMT......といった、数多くの実験的なインディ・ロックのアーティストたちが活動の拠点とし、次々と良質の作品を発表したことで、現在も注目を集めているエリアのひとつとなっている。
この記事の主役、マイアミやアトランタで活動をしていたエプスティンこと、ロベルト・カルロス・ラングもまた、ゼロ年代の後半、ブルックリンへと移り住んでいる。彼の音楽は、インディ・ヒップホップや時折エクスペリメンタルとカテゴライズされるが、2010年3月にリリースされた前作『ウェン・マン・イズ・フル・ヒー・フォースル・アスリープ』には、スクール・オブ・セヴン・ベルスやイェーセイヤーのサポートメンバーとしてドラムを担当しているジェイトラムが参加しており、実際は、ブルックリンのインディ・ロック・シーンともそれほど遠い関係ではない。
また、あまり知られていないが、彼は、プレフューズ73の『エヴリシング・シー・タッチド・ターンド・アンペキシアン』(2009年)とサヴァス・アンド・サヴァラスの『ラ・ラマ』(2009年)の制作においてスコット・ヘレンと共同プロデュースをおこなっている。遡れば、彼は、スコットとラ・マノ・フリアが共同設立したマイアミのレーベル、〈ボタニカ・デル・ヒバロ〉からエプスティン名義のファースト・アルバム『プニャル』(2004年)をリリースしており、彼らはみな古くからの友人でもある。
現在、彼は、現代美術家のデイヴィッド・エリスと作品制作のパートナーとしてともに行動し、彼のインスタレーションや作品の音楽制作者として関わっている。このデイヴィッド・エリスとコラボレーションした作品たちを日本で直に見ることができないのは残念だが、YouTube等にアップされたそれらの映像を見るだけでも、私たちは、彼らの作品の圧倒的なクオリティの高さとブルックリンの文化的な層の厚みを感じることができる。
2011年1月25日、彼はエプスティン名義でのニューアルバム『シーレス・シー』を〈アズマティック・ キティ〉よりリリースした。いまっぽく、LPとダウンロードのみのリリースである。ブルックリンには流行りのインディ・ロック・アーティストだけではない、まだまだ、日本人が知らない才能がたくさん存在しているのだ。

僕は君たちを記憶することができる
――ロベルト・カルロス・ラングのヒストリー
文:アダム・デイヴィッド
アダム・デイヴィッド/Adam David
ニューヨーク、ブルックリン在住のライター。音楽やアートから政治・経済まで幅広いテーマを取り扱い、新聞、雑誌等に寄稿している。
ロベルト・カルロス・ラングの人生へようこそ。彼はあなたと同じです。食べ、呼吸をし、おならもするし、友人のように会話することもできます。一緒に食事をすると楽しい人物です。ロベルトは1980年にフロリダの南部でエクアドル人の両親のもとに産まれました。彼はいま、ブルックリンのクラウン・ハイツの近くに住んでいる、ある意味ニューヨーカーです。ニューヨーカーとしてクリエイティヴの波に揉まれ、都市の空気に馴染み、宇宙の鼓動のような喧騒に耳を傾けています。彼はバスキアのようなニューヨーカーでありグランドマスター・フラッシュであり、ルー・リードであり、ランDMCのようでもあります。彼のルーツは別のところにあるのですが、ニューヨークとこの男は納得の行く組み合わせです。ライスとビーンズと同じぐらい、相性がいいです。
さて、先天的な遺伝子と後天的な周囲の環境と、受けた影響のコンビネーションの良さに恵まれて育った、ロベルトの作り出す音楽は真摯でリアルであり、彼のルーツを物語ります。その音楽はあまりにもさりげなく迫ってくるので、ラジオから流れてくるような単純なリフと明快なメッセージとはまったく違い、まるで通り過ぎる車のステレオから漏れ聴こえてきた、どこか懐かしいのに、初めて聴く音楽のように、気づいたら消えてしまうような感覚があります。それなのに、まるで小さな熱帯魚のようにあなたの頭の中をくるくると泳ぎ回って、知らぬ間に記憶にこびりついてすっかり好きになってしまうのです。
ロベルトはデイヴィッド・エリス、プレフューズ73、ROM、サヴァス・アンド・サヴァラスといったサウンドアーティストと音楽を創ってきました。ロベルトのラテン・サイケ・バンドのヘラド・ネグロ(黒いアイスクリームという意味)はジャムっぽいダンス的な名作『オー・オウ』(2009)をアズマティック・ キティ(国内盤はプランチャ)からリリースしており、ロベルトのビートやサンプルのプロジェクトであるエプスティンは、同じレーベルから新作も旧作も発表し続けています。
ロベルトは働き者です。ほとんど毎日何かしらを創り出し、何か自然に、楽しげに、彼のなかから音が流れ出てくるかのように、リリースごとに質を上げていきます。
エプスティンの音楽は温かく包み込むようなビートの陽だまりと、フィルターのかかったノイズチョップの旋律と、無駄をそぎ落としたアイディアと、ヒップホップの過去、現在、未来の幽霊やヒーローたちで形成されています。ときとしてワードやサンプルがファズや陽気なベースやメロディのあいだから顔を出したり、夏のひと時のようにけだるく流れていってしまうこともあります。ほとんどは楽しかった夏の日のように、終わりが無いような錯覚にも似た、空気が金色に輝き、聴く音はすべてがヒットに聴こえる、そんな昔の日々を呼び起こすような音です。さて、そろそろ、ロベルト・カルロス・ラングをご紹介します。
[[SplitPage]]ラテン・コミュニティでは、サルサやラテン・ダンス・クラブには日常的に出入りしていました。母の好きな歌はどれもダンサブルで、情熱的なものばかりです。僕と一緒のときもその頃流行っていたラテン・ダンス・ソングを選曲して、僕と一緒に踊りました。
![]() Epstein & El Conjunto When Man Is Full He Falls Asleep RL66 |
![]() Epstein Sealess Sea Asthmatic Kitty |
■記憶している限りで最初に心から愛した歌は何でしたか? そしてなぜそんなに愛したのですか?
ロベルト:頭から離れない感覚を持った初めての歌は"カバロ・ビエジョ"というものでした。どのヴァージョンだったかは覚えていませんが、メロディと歌詞が忘れられなくなりました。たぶんクンビアのヴァージョンだと思うのですが、それからフォーク・ミュージックや地元の音楽を探して聴くようになりました。大学に行ってから知ったのは、この歌がベネズエラの詩をもとにしてできたベネズエラの古いフォーク・ソングだったことです。煙たい家の部屋に友人や家族が集まって踊ったり、みんなで出かけたりした、何となく懐かしい思い出を呼び起こす感覚があります。この歌は昔を思い出す歌のひとつでラテンの人間であれば誰でも知っていると思います。
■ご両親はどんな音楽を聴いていたのですか? 楽器は弾いていましたか?
祖父母やそのほか親族にミュージシャンはいましたか?
ロベルト:母は13歳のとき、たしか1965年にニューヨークに移り住みました。アッパーウエストサイドのセントラルパークから数ブロック先で育ちました。この頃のニューヨークではセントラルパークでのフリー・コンサートが盛んで、いろいろな人の音楽の思い出となっているようです。祖父母は厳しかったので、その頃のヒッピー的な思想には染まらずに、母はまじめに育ちました。でも、ラテン・コミュニティでは、サルサやラテン・ダンス・クラブには日常的に出入りしていました。母の好きな歌はどれもダンサブルで、情熱的なものばかりです。僕と一緒のときもその頃流行っていたラテン・ダンス・ソングを選曲して、僕と一緒に踊りました。リビングルームでラジオを大音量でかけて、スピーカーがブルブル震えるのを感じることでやっとラテン・ダンスの正しい踊り方を知ることができました。
父は16のときにニューヨークに移り住みました。父はエクアドルにいる頃から音楽や文化に触れて育ちました。父はロングアイランドに住んでいました。そこにはエクアドル人の小さいながらも親密なコミュニティがあり、エクアドル人限定のパーティーを開いてはエクアドル国内と変わらない付き合いを続けていました。その頃聴いていた音楽はエクアドルの音楽でありラテン音楽で、僕が生まれてからも父はその頃の音楽を聴いていました。60年代~80年代のラテン・ポップスや、エクアドルのフォーク・ソングやラテンのトラディショナルな音楽です。
思春期にも近所づきあいは続きました。うちの家族が中心になるときも、知り合いの家族が仕切るときもありました。ただ飲みながら、誰かがダンスナイトのときに流していたレコードの音を延々と録音したミックステープを聴いたり、スローなナンバーをかければみんなが歌いだし、最終的にはマイクがステレオにつながれ、親父がカラオケをかけて友だちと歌いだして夜が終わります。他にもミュージシャンの友だちが大勢いて、フォーク・ソングやトラディショナルな音楽を演奏しに来ました。いちばん近いミュージシャンの親戚は叔父さんのアドルフォで、クラシック・ギターを持っていました。ギターの弾き方を知りたいと思ったきっかけになった人です。興味を示したら叔父さんはギターを僕にくれました。
■ギターをもらったのはいくつのときですか? 初めて書いた歌を覚えていますか?
ロベルト:たしか4年生か5年生だったと思います。その頃はただ闇雲にコピーをするだけでしたが。外でサッカーをして家でギターを弾いていました。ただ弾く以外はとくに何も降りてきませんでした。
■初めて書いた歌でいまでも存在するものはありますか?
ロベルト:最初のレコーディングはROMというプロジェクトでした。12インチのシングルで「イントゥー・ザ・クラウズ」という〈カウンター・フロウ・レコーディングス〉から2003年に出したものです。ROMはマット・クラムと僕とでコラボレーションした作品です。
僕が、ニューヨークでもっとも興味深いことのひとつは、地下鉄のプラットフォームで演奏する人びとです。それらの場所は、奇妙な束の間の大聖堂のようなものです。彼らは、まるで奇抜な劇場のなかで、他で起こるいろんな出来事に匹敵する音響と音楽を聴かせてくれるので、僕はいつもその演奏に魅入ってしまうのです。
■いつごろからエプスティンのプロジェクトははじまったのですか?
ロベルト:MPC 2000を初めて買って、それでレコードを買ったり、サンプリングをしはじめた頃にエプスティンははじまりました。
■ニューヨークでの普通の1日の過ごし方について話してください。どこで食べるとかどこで遊ぶとか、何を見に行くかとか?
ロベルト:最近はずっと友だちのデイヴィッド・エリスとプロジェクトをやっているので、出かけていてニューヨークにはあんまりいないです。それと旅行もよくしています。なんとなく寒くなるとニューヨークから抜け出したい気分になるのですが、夏になるとニューヨークはすばらしくて出かけたくないと思いつつも、出かけなければならなくて、ここは暑くて死にそうです。ほとんどの時間は音楽を作ることに使っている気がします。屋内で作業することが多いのですが、だいたい適当に考え事をしたり、浮かんだアイディアを形にしたりして過ごしています。僕の音楽を通じていろんなことが平行にぶつかっていく気がします。1週間は大抵、1日中やる気の無い状態と、完全に自分の世界に入っている状態とかわりばんこに過ごしているような感じです。食べ物は、家の近くにひいきにしているメキシカンがありますが、だいたいライスとビーンズを家で食べるのと、スムージーとコーヒーをよく飲みます。
ライヴに通うことに慣れるのには時間がかかりました。ニューヨークではライヴの入場料にお金を使うことがすごいことみたいですが、行く人と行かない人とはっきり分かれます。音楽の会場としてはライヴのセッティングで見るのはやはり理想で、〈シカモアー〉というブルックリンのディトマス・パークにある会場は、音楽にすごく集中できるいい会場です。だいたいいつもの連中がいて、音楽を聴きにいくというより友達に会いに行くという感じ。彼らが何をどうやってプレイするのかもすごく興味があります。
また、僕が、ニューヨークでもっとも興味深いことのひとつは、地下鉄のプラットフォームで演奏する人びとです。それらの場所は、奇妙な束の間の大聖堂のようなものです。彼らは、まるで奇抜な劇場のなかで、他で起こるいろんな出来事に匹敵する音響と音楽を聴かせてくれるので、僕はいつもその演奏に魅入ってしまうのです。このようなタイプの演奏をおこなう思考や喜びは、ウェブスター・ ホールでの用意周到に準備されたショウを超えるものです。フォーマルな現場というのは、本来ギャラリーや美術館のような場所であろうと思います。あなたは、そういったものを期待してそこに行くでしょう。また、あなたが、地下鉄へと降りるとき、家に帰ろうとか、仕事、食べ物、友人のことなどを考えますよね。そして、そんなに地下鉄を利用しないひとは、リラックスするために地下鉄に乗るのかも知れません。でも、そこは、僕にとってそういった場所ではないのです。僕がニューヨークでいちばん感銘を受けるのは、パブリックな場所での演奏者ではありません。僕は、地下鉄やそのプラットフォームで演奏している人びとによりニューヨークを感じるのです。彼らがたくさんの聴衆にさらされるこの街の慣習は、ニューヨークの最も魅力的なことのひとつであるし、もしかしたら、これが、僕がバスに乗る選択があるにしても、地下鉄を選ぶ理由のひとつなのかも知れません。

ブルックリンのクラウン・ハイツに住んでいます。ユダヤ人のコミュニティとカリビアンのコミュニティがあります。ちょっと前には人種差別の問題があったのですが、ここの人たちはすごくのんびりとした気質なので僕はすごく好きです。ユダヤの休暇時期にはユダヤの楽器が狂ったように鳴らされて、スピーカーからはユダヤの音楽が大音響で流れます。
![]() Epstein & El Conjunto When Man Is Full He Falls Asleep RL66 |
![]() Epstein Sealess Sea Asthmatic Kitty |
■住んでいるところの近所はどんな感じですか?
ロベルト:ブルックリンのクラウン・ハイツに住んでいます。ユダヤ人のコミュニティとカリビアンのコミュニティがあります。ちょっと前には人種差別の問題があったのですが、ここの人たちはすごくのんびりとした気質なので僕はすごく好きです。ユダヤの休暇時期にはユダヤの楽器が狂ったように鳴らされて、スピーカーからはユダヤの音楽が大音響で流れます。ウェストインディアンデーには家の前をパレードが24時間続きます。早朝からテントが立てられて、食べ物やアクセサリーなどを並べてパーティは1日中続き、いろんなコスチュームを着た人や山車が出て大音響で音楽を流しまくります。夜はまるでハリケーンが去ったあとのようです。ゴミが散乱してものすごい景色です。朝起きると何事も無かったかのようにすべての証拠は消え去り、みんな姿を消して、道にはいつものように車が走ります。
■いまレコーディングしている歌は、住んでいるところから影響を受けているのですか?
ロベルト:意識的にも無意識にも影響は受けているでしょうね。ときどき一歩下がって何を参考にしたのかを、探し当てることもできます。ときどきは自分で作ったのにどうやって作ったのか、何で作ったのかがわからなくなって歌が自分の力で生きているような感覚になることがあります。
■どれくらいの頻度でレコーディングしますか? どんなセットアップでレコーディングするのですか?
ロベルト:毎日できる限り何かをレコーディングしようと心がけています。自宅には、スピーカーとMPC 2000XLのサンプラーと、ARP OdysseyとPro Toolsと、Scullyの1/4"の2トラックとあとは適当なものがあるけど、とくに効率化を目指した内容ではありません。
■エプスティン名義の前作、『ウェン・マン・イズ・フル・ヒー・フォースル・アスリープ』と最新作『シーレス・シー』のそれぞれのコンセプトを教えてください。
ロベルト:まず、『ウェン・マン・イズ・フル・ヒー・フォースル・アスリープ』ですが、このアルバムは、ファクンド・カブラル(Facundo Cabral)の名曲、"No Soy de aqui, Ni soy de all"に強い影響を受けて制作した作品で、タイトルも彼の歌詞の一部から名付けました。彼は、「歌手がひとり増えれば兵士がひとり減る」と言っています。そして、常識にとらわれず、時に視点を変えることで自分なりの見方を持ち、ポジティヴな結果を導き出すようにと語りかけます。僕は彼のメッセージに強く感動し、それを音楽で表現したのがこの作品です。
『シーレス・シー』はそのタイトルが示すように、「海」がキーワードになっています。このアルバムは海のなかから生まれたような作品です。"Jellyfish"からはじまって、最後の"Orange in the Ocean"まで、不思議な海の生き物たちと出会いながら、海のなかを泳いで旅するような感覚を表現したかったのです。
■あなたの作品における政治性について説明してください。例えば、あなたは最近のオバマ大統領をどう見ていますか?
ロベルト:実際は、政治は僕にとって、作品をつくる動機にはなりません。だから、それについての答えは、それ以上でもそれ以下でもないのです。
■最後に、この先はどんなものを作る予定ですか?
ロベルト:未来を考えるとわくわくします。未来では必ず新しいものを作れるからです。毎日が何も書いていない黒板みたいです。何が起こるかはわかりませんが止まることなくやり続けることだけは知っています。
それでは最後に、『ウェン・マン・イズ・フル・ヒー・フォースル・アスリープ』のために彼自身が書いたライナーノートを引用して、ブルックリンのラテンの断片の締めとしよう。
このアルバムのタイトルは、ファクンド・カブラルの"No soy de aqui, Ni soy de all"の歌詞の一部を英訳したものです。
この曲はアルバム制作にあたり大きなインスピレーションをくれました。ポジティヴでいること、よくない出来事が起こってもそれによって得られることに目を向けること。ヴァイオレンスや悲観ばかりにフォーカスせず、何事も自分の行動の結果としてもたらされることなのだと理解すること、それを少し楽しむこと。
ファクンド・カブラルは一節で「歌手がひとり増えれば兵士がひとり減る」と言っています。このアルバムが伝えたいことは、定説や凝り固まった考え方から少し離れてみようという声です。自分なりの答えや、ポジティヴな結果を導き出したいという、意思なのです。
この一節の前のある部分にはこう綴られています。「わたしはこのすばらしい宇宙の一部でいられることに感動し、腹が減って眠れないことすら誇りに感じる」――ものすごいモチベーションです。同じような思いを言葉にすることは難しいので、音楽で表現することにしました。腹が減るという現象はさまざまなものに置き換えて考えることができます。それがこのアルバムを作るきっかけでした。それが今の自分が持つ精一杯の力と結びついて、このアルバムが完成しました。
体と精神をリフレッシュするには、それが1分であれ1時間であれ1日であれ、一定の時間を要するものです。食べれば満腹になります。仕事をしたければ仕事の環境を与えられるか自分で作り出さなければなりません。考えればきりがなく、時に自意識過剰にもなりそうで、説教くさくもなりかねないことですが、このアルバムの核となる部分なのです。
前作からこのアルバムができるまでのあいだに、クラウンハイツの小さな安売り店のほこりっぽい棚から、バージニア州のリンチバーグの先見的なレコードショップまで赴き、かき集めた素材をひとつのアイディアにまとめました。そうして作った歌は、周囲からの影響と頭のなかで作り出したことを、サンプルやシンセサイザーの音を借りて、物語にしたもの。画が浮かび上がるような感覚もあるかもしれません。
「空腹」と「睡眠」というふたつの言葉をこのアルバムから届けたいです。どちらも毎日必要なことです。「空腹」はリヴァーブやディレイやスラップバックと合わさるフィードバック・シンセのスネアとキックのジャングルのなかを進み、やがて短めのパーカッションやフィールドレコーディングの深くてやわらかい落ち葉の上に「睡眠」が訪れます。
Translation by Kay Ichikawa



































