Shop Chart
![]() 1 |
![]() 2 |
||
|---|---|---|---|
![]() 3 |
![]() 4 |
||
![]() 5 |
![]() 6 |
||
![]() 7 |
![]() 8 |
||
![]() 9 |
![]() 10 |
![]() 1 |
![]() 2 |
||
|---|---|---|---|
![]() 3 |
![]() 4 |
||
![]() 5 |
![]() 6 |
||
![]() 7 |
![]() 8 |
||
![]() 9 |
![]() 10 |
![]() NRQ のーまんずらんど マイベスト!レコード |
私は牧野琢磨といっしょに湯浅湾というバンドに参加しているからライヴのたびに会うが、ライヴのとき、牧野は入り時間前に会場に現れて、入念にリハーサルし、熱心に演奏し、電車に乗って帰っていく。その動作のひとつひとつの真剣さに、私はいつも感心し、かつ、叱咤されるような感じがあるが、ときにしまりのない私たちはじっさい叱られたりする。やはり音楽においては真摯なのである。それは現在のライヴハウス・シーンに共通する価値観ともいえるが、彼らはそこでもやや浮いている、というよりも、ノマドになってそこを横断していく。
吉田悠樹(二胡、マンドリン)、牧野琢磨(ギター)、中尾勘二(ドラムス、アルト・サックス、トロンボーン、クラリネット)、服部将典(コントラバス)のNRQは前作『オールド・ゴースト・タウン』(2010年)で、21世紀のインスト音楽の可能性を、演奏の強度やムード(非強度)に必要以上に寄りかからない、事件性を回避した、むしろ歴史や体系と地続きのものとしてさしだしたことで、その展開の一例を示したと思われる。とはいっても、NRQはブルースやラグタイムやカントリーやジャズの末裔でもなければ、それらを手際よく料理して無国籍風にしあげるわけでもない。そうは問屋が卸さないのは、いまが2012年であるからだし、彼らは形式を尊重しても盲信しない、四人それぞれがきっちりと音楽の語り方をもっているミュージシャンだからだ。その姿勢はセカンド『のーまんずらんど』でも陸続としている。客演にMC.sirafuとmmm(ミーマイモー)を招き、編曲の射程は広がり、時間が過ぎた分、成熟の度合いは増したが、能書きのいらないNRQを聴く愉しみは変わらない。
このインタヴューは、NRQから牧野琢磨と中尾勘二のおふたりお越しいただき、湯浅学と松村正人が聞き役になって行った。四時間におよぶ取材は最初NRQについて、ついで中尾勘二との対話へうつる。今回はその前半、NRQのインタヴューをお送りします。
『ノーマンズランド』って勇ましくてバカバカしい響きじゃないですか。勇ましいものってバカバカしいでしょ。それがカタカナだと本気だと思われそうだったから平仮名にしました。震災と関係なくそう考えていたんだけど、震災があって、結果的にそれと関係があるかのようになってしまいましたが。(牧野琢磨)
湯浅:牧野くんは音楽をいっぱいつくりたいんでしょ?
牧野:僕はファーストをつくった時点で2枚目までつくれればいいなと思っていました。それはストラーダ(コンポステラとして活動していた篠田昌已、中尾勘二、関島岳郎が篠田の没後、新たに桜井芳樹、久下惠生を加え結成したグループ)が2枚(『山道』『テキサス・アンダーグラウンド』)出しているから。
中尾:それとは関係ないでしょ(苦笑)。
牧野:関係なくはないです。それはほんとうの話。
中尾:ライヴ盤も出てるよ。
松村:ライヴ盤も出さないといけないですね。ライヴ盤は2枚出てるんでしたっけ?
中尾:2枚組だったけど、バラでも売ったからね(『タブレット』『スイッチバック』)。
牧野:そうでした。いつか作らないとですね。......2枚目つくって満足するかなと思ったんだけど。
中尾:じゃあ解散だ(笑)。
牧野:いやいや、それで終わってみたら満足できなかったんですね。まだまだだと。
中尾:入れたいと思った曲が2枚目にあまり入らなかったということだ。
牧野:そういうわけではないんですが......。けれど、やりたいことが、アイデアが2枚目まではあったんですけど。
中尾:もうなくなった?
牧野:なくなりました(笑)。空です。つぎは、ラテンとブルーグラスですかね(笑)。
中尾:何いってんだよ(笑)。
牧野:いや、これはほんとうに考えているんですよ。
湯浅:ラテンというのはボレロ? トリオ・ロス・パンチョスみたいなもの?
牧野:弦楽器でできるラテンと、中尾さんがいっぱいレコードをもっているブルーグラスとか、そういうのを3枚目はやりたいなというのはあります。けれどもそれは僕だけの考えかもしれないので、どうなるかはわからないです。
湯浅:1枚目と2枚目は組になっているよね?
牧野:けっこうそのまま勢いでつくったかもしれないですね。あっ、そういえばこの前、3枚目でやりたいことがあるという話になりました。全部の楽器を単音で配置していって、ギターも和音を弾いて調性を決めるのではなく、単音で弾いた音符にメンバー同士で反応し合う、つまり全部管楽器みたいな感じを3枚目にやりたいというのはあります。だから3枚目はたぶんすごく地味になります。
中尾:それは第三者に判断してもらうしかないね。われわれが豪華だと思っても、「どこが豪華なんだ」ということになるからね(笑)。地味だといわれつづけているバンドだからね。
湯浅:NRQは話し合いで進んでいくの?
牧野:合議制です。
中尾:そうなの?
牧野:だって中尾さんにも意見聞くじゃないですか。
湯浅:曲つくったひとが主導権をもつというのもない?
牧野:曲ごとに作曲者が主導権をもつのはたしかにそうですが、それはケツもちをやんわり決めておくということですよね。録音したときの楽器の配置とかミックスとか、単純にアレンジとか、そういったことは作曲したひとが担当する。だけどたとえば、曲順とか。今度のアルバムの曲順には中尾さんの意見がすごく反映されているし、曲間の秒数は服部(将典)さんの意見が反映されているし、そのつど意見のあるひとが――
湯浅:いっていいんだ。
牧野:もちろん。
湯浅:採用されるの?
牧野:採用するもなにも、僕が決めることじゃないですもん。湯浅湾とちがうんですよ(笑)。
湯浅:湯浅湾は牧野独裁体制が敷かれているからね。うちは逆下克上だから。
牧野:"お前のカタチをなくしたい"(湯浅湾『港』収録)とか、僕は「湯浅さんそんなに弾かなくていいですよ」っていったけど、その通りだったでしょ!
湯浅:別に不満があるわけじゃないよ。
牧野:NRQはほんとうに合議制です。というか、アイデアがあるひとがそれを実践するということですね。
湯浅:それは湯浅湾もそうだけどね。
牧野:吉田(悠樹)さんとか服部さんにジャケットについて意見を訊いてもなかなか出てこないから、だったら意見がないのかな......いや、ないということはないにしても、とりあえず先に進んじゃいました。特に今回は進行がギリギリだったので。
湯浅:ジャケットは牧野くんが考えたんでしょ?
牧野:僕は古写真にしようと思ったんですよ。湯浅さんの『音楽が降りてくる』や『音楽を迎えにゆく』のカヴァーみたいな(佐々木)暁さんがいっぱいもっているような写真。僕もちょっともっていて、それを使いたいといったんだけど、それだと湯浅さんの本といっしょになっちゃうし。ディレクターからの反応が――
松村:むしろ顔を出した方がいいと。
湯浅:あの写真はどこで撮ったの?
牧野:スタジオの裏庭です。レーベルのディレクターからは、ザ・バンドのセカンド(『The Band』)みたいな写真がいいんじゃないかともいわれたんですが。今回録音したのは入間の元米軍ハウスを改装したスタジオだったんですが、そんなところでザ・バンドみたいな写真を撮ったら目もあてられない結果になるから、これは写真家の選定を大事にしなければと思ったんですね。それですぐに塩田(正幸)さんに連絡して、「とにかくいい感じじゃない写真を撮ってくれ」とお願いしました。淡くなくて、いい雰囲気じゃなくて、コントラストもない写真。塩田さんは被写体に思い入れをもたないように見える、早撮りのひとだし。いまインディのものってとにかくよくできているじゃないですか。紙もいいし、写真もうまいし、デザインも素敵。メジャー、インディという物いいは意味ないかも知れないけど、メジャーと比べても遜色ないというか全然面白い。けれど、今回はそれを全部避けたかったんですよ。
中尾:それは避けられたかもしれないね。手焼きのCD-Rが入っている感じだもんね。
湯浅:でもプレスしている。
牧野:印刷している紙も高いんですよ。あとオビが特色を2色使っているんですよ。蛍光イエローにメタリックグリーンという、オビだけ何だかアゲ系のディスコヒッツみたいなちょっと意味わからない豪華さがあります(笑)。とにかく手にとってよくわからないものにしたかったんですよ。いい感じのものは世にあふれているわけで。
湯浅:たしかに何だかよくわからないよね。
牧野:いい感じのものが悪いわけじゃないですけどね。
湯浅:ジャケットを見ると「これ中尾さんのリハビリ?」みたいな気がするものね。
中尾:お見舞いに来ているというかね(笑)。退院祝いみたいなね。
湯浅:「演奏できるんだから完治したんだろうな」みたいなね。
中尾:どこが悪かったんだろうって。
牧野:「戦争のお話訊かせて」みたいな(笑)。
中尾:いつの戦争だよ(笑)。
湯浅:坂上(弘)(今年90歳になるシンガー・ソングライター兼ラッパー。95年に自主カセットで出した"交通地獄"で知られ、2009年にはアルバム『千の風になる前に』を出した)さんと中尾さんは見た目そんなに差がないからね。
松村:ザ・バンドの2枚目というはわりかしストレートなイメージですよね。
牧野:元米軍ハウスでレコーディングして外見がスワンプというのはいくらでもあるかもだし。中身はスワンプじゃないし(笑)。ディレクターの意見も冗談含みですけどね。だから結果的に塩田さんにお願いしてほんとによかったです。
湯浅:坂本慎太郎のアルバムと同じだしね。タイトルは決めていたの?
牧野:タイトルもいちおう合議制です。メンバーにあげるまえに、僕は『のーまんずらんど』がいいんじゃないかと思っていたけど、それはファーストを録った直後、ここ2年くらいずっと思っていたことなんです。
湯浅:どうして?
牧野:大昔、VHSで同じ映画を何回も観ていたんですよ。売り物のVHSって本編の前に予告編が入っているじゃないですか。だから予告編も同じものを何回も観ていて、そのタイトルが『ノーマンズランド』だったんです。本編は観たことないんですが、予告編から察するにチャーリー・シーンが潜入麻薬捜査官なんです。で、『ノーマンズランド』って勇ましくてバカバカしい響きじゃないですか。勇ましいものってバカバカしいでしょ。それがカタカナだと本気だと思われそうだったから平仮名にしました。震災と関係なくそう考えていたんだけど、震災があって、結果的にそれと関係があるかのようになってしまいましたが。
松村:リーロイ・ジョーンズとか関係ないんだ?
牧野:リーロイ・ジョーンズとの関係はつねにあります(笑)。ね、中尾さん。
中尾:そういわれてもわからないよ。
牧野:それもほかのメンバーと「アルバムのタイトルどうしましょう?」と話しあっていたときに、僕が案を出して、他の方が何もなくて、吉田さんが「それでいいんじゃないですか」となって、「じゃあそれでいきましょう」と。そう流れでした。
松村:中尾さんは何の意見もなかったですか?
中尾:ないです。わからないんですよね、このひとたちが何を考えているのか。世代のせいかもせいかしれないけど。いいか悪いか、私からは判断できないので、これはもうお任せするしかない。古い人間がいろいろいっても、よくなる可能性があるとは個人的には思わないので。よほど気になったことだけしかいわない。だから今回は曲順のことだけしかいってないですよ。
牧野:けど、それがけっこう重要だったんですよ。
中尾:曲順はまったく関心のないひとが聴いて飽きないというのが昔から基本にあるので。割と私はいつも、録音やるときも思い入れのない方なので、ひとのドラマ性も平気で分割できるタイプなんです。篠田(昌已)くんの篠田ユニットの『コンポステラ』とか『1の知らせ』とかの曲順は私の意見を採用したものです。「ドラマ性がどうだから、この曲の次は――」といっていたの全部ぶった切って「そんなの知らないよ」って(笑)。「途中で寝ちゃうから」って。そこにはこだわりがあるんですね。
松村:中尾さんがたまにいうことは重要なんですね。
湯浅:裏番だね。
中尾:裏番じゃないですよ。
牧野:今回のアルバムの12曲目("春江")を僕はド頭にもってきたかったんですよ。ストラーダの『山道』を意識して。
湯浅:あれが1曲目はよくないと思うね。
牧野:だから中尾さんの意見を採用してよかったです。
湯浅:入っていきにくいかもしれないね。
牧野:考えてみたら、僕らがセカンドっていっても、誰も僕らのこと知らないですからね。
中尾:われわれの個人的な事情は誰にも通用しないよ。
牧野:おっしゃるとおりだと思います。
[[SplitPage]]わからないんですよね、このひとたちが何を考えているのか。世代のせいかもせいかしれないけど。いいか悪いか、私からは判断できないので、これはもうお任せするしかない(中尾勘二)
![]() NRQ のーまんずらんど マイベスト!レコード |
松村:中尾さんはつねにそういうやや外側の位置からでバンドに関わっているんですか?
中尾:そうじゃないけど、気になるのはそこだけ(笑)。あとはどうでもいい。
松村:演奏とかいろいろあるじゃないですか?
中尾:そのときにできることしかできないんだから、それをいろいろいってもしょうがない。けれども、できあがったものをどう並べるかはけっこう重要じゃないですか。
湯浅:CDは残るからね。
中尾:残りますし、私はレコード世代だから順番がけっこう大事なんです。
湯浅:ほんとうならA、B面にしたいところですよね。
中尾:だから中休みみたいなものをつくることもありますよ。真ん中あたりで曲間をちょっと多めにとるとかね。
牧野:今度のもいちおうA、B面で考えましたけどね。
湯浅:収録時間はどれくらいだったっけ?
牧野:47分で、単純に5曲目でA面が終わりです。"うぐいす"からB面です。
湯浅:そういう風にしてくれないと聴いていて疲れちゃうよね。
牧野:よくわからなくなりますね。
中尾:私はCDになってからとくに最後までなかなか聴けないんですよ。
湯浅:俺は『のーまんずらんど』はフルでけっこう何回も聴いているんだけど、その間にご飯食べたりおしっこしたりしているから。
牧野:47分はけっこう長いですよ。
松村:43分くらいにしたかった?
牧野:ベストは38分ですね。
湯浅:そうだね。30分台がいいね。
牧野:片面3~4曲くらいですね。
松村:でも私はこのアルバムは聴くのはつらくないですよ。
湯浅:1枚目よりこっちの方が楽かもしれないね。
中尾:それはですね。できあがった音が、各楽器が1枚目より音像が遠いからですよ。ほんとうにソツのない音になっていて私はいいなと思いました。
牧野:それは宇波(拓)(ソロやホースでの活動をはじめ、多くのインディミュージックの録音にも携わる音楽家。〈ヒバリミュージック〉主宰)さんのおかげです。
松村:前作より低音がやや強調されていない?
牧野:それは松村さんの家のシステムがダビーだからです。
中尾:ちょっと「あれ?」ってくらい聴き取りにくい音があったりするから、その方が押しつけがましくないんですよ。
湯浅:これ小さいので聴いたときと大きい音で聴いたときと印象がちがうよ。
牧野:近頃ほんとうにたいへんなのは、その再生機器が一体いつつくられたのか、どのくらいのグレードでつくられたのか。あるいは媒体がCDかmp3かWAVか、多岐にわたりすぎていて。決定稿を出すのがたいへんだったんですよ。
湯浅:それは考えない方がいいんだよ。
牧野:そうですよね。だから最終的に宇波さんのところで聴いたものを頼るしかない。たとえば同じCDでも昔製造されたCDウォークマンで聴くのと、いまつくったもので聴くのとではぜんぜんちがう。昔のCDウォークマンはほんとうに音がいいですよ。
湯浅:CDプレイヤーもそうだよ。
松村:mp3に合わせているのかもね。
牧野:mp3で聴いた方がよかったりするんですよ。音圧が逆にでかくなったりするから。
湯浅:製品の、オーディオ機器の方針がわからなくなっているからね。だからどこに合わせるかというのももうない。とりあえず、宇波くん家と決めれば、それでいいんじゃないかな。
牧野:しかもイヤフォン、ヘッドフォンも多岐にわたるじゃないですか。楽器の音のちかい音源なんか、カナル型で聴いていられないじゃないですか。音楽はずっと耳の中で演奏されるわけじゃないですから。だからこれは、宇波さんがよくやってくれたんですよ、フラットに。
松村:レコーディングから宇波さんだったんですか?
牧野:エンジニアリングが全部宇波さんですね。スタジオで円くなって録りました。
松村:それでも低音がやや強いような――
牧野:だからそれは松村さんの家庭の事情ですって。
中尾:あと人間の問題ですよ。ベースが気になるから大きく聞こえる。私は逆にベースは小さいと思ったんですけどね。
湯浅:そうだよ。ベース耳なんだよ。俺は歌耳だからベースがよく聞こえないんだよ。
牧野:歌耳のひとってベース聞こえないですよね。
湯浅:ベース聴いて歌ってないもん。ドラムだよな、聴くのは。
牧野:湯浅湾の場合は、松村さんのベースだからというのはあるかも知れないですよ。存在感のみすごくあって、なおかつ他の楽器と溶け合ってるようなベースだから。
湯浅:ドラムがいちばん気になるんだよ。その次がベース。だから俺、山口(元輝)くんになったからうまく歌えるようになったんだよ。それはギターのひとが何聴いて弾くかっていうのと似たところがあるじゃない。
牧野:僕は完全に山口くんを聴いてますね。湯浅湾では。
湯浅:それで(バンドの中で)関係性ができていくのがあるじゃない。人間関係といっしょでさ。誰の話をいちばん最初に聞くかというのと同じでね。
松村:それは聴き方のクセなんですね。
牧野:利き目といっしょですよ。
湯浅:利き足もそうだね。どっちの足から踏むか、とかね。
湯浅:今回の最大の留意点は何だったの?
牧野:僕、前日に人のお葬式に出ていたんですよ。高校のときの友だちの旦那さんが亡くなったというので、録音の前日にたまたまお葬式があって......でもこれはいうと引かれそうだから、いわない方がいいかもしれないけど、2011年はとにかくひとがたくさん死んだな、というのはありました。でも絶対ひとにはいわないようにしているんです。引かれるかもしれないから。でも今いっちゃったんですけど。
松村:メディアに載るとね。
湯浅:「牧野くんてマジメに考えてるんだな」って。
牧野:いやいや。でもレコーディング前はなんとか2日間で無事カブセ(オーヴァーダビング)まで終わらせたいな、とだけ思っていました。それが留意点といえば留意点です。
松村:録音日時は?
牧野:11月の19と20日です。レコーディング2日でミックスとマスタリングは1日です。
松村:これはもうライヴでやっていた曲ですか?
牧野:やっていた曲です。
中尾:これは載せられないかもしれないけど、あるバイアスがかかったお陰で録音ができたっていうのはあるよね。録音のとき、スタジオ側から「音が大きい」っていわれて、ビビリながら演奏したのがよかったのかもしれない。
牧野:いざ録音はじめたらスタジオ側にとって音がでかかったらしくて、「もっとアコースティックにお願いします」っていわれたんですよ。
中尾:「この曲はスティックじゃなくてブラシの方がいいんじゃないか」っていわれて、とはいえスティックでやったんだけど、まあそういうバイアスというか戒厳令下で録音したみたいな感じでした。
松村:灯火管制が敷かれた感じですね。
牧野:2~3テイク以上は録れない情況だったんです。とくに"ボストーク"という曲は「ブラシでやってください」と示唆されました。
松村:この曲なんかガツガツやりたい曲じゃないですか。
牧野:そうですね。でもあまりできなかったんですよ。
中尾:それが録音物としてはよかったんじゃないかな、とあとで思いました(笑)。
牧野:中尾さん黙っちゃって。「ブラシどうですか?」っていわれたとき、中尾さんは僕のうしろにいたんだけど、中尾さんから--
中尾:ヘンな空気は出てなかったですよ。
牧野:そうかな!? けどともかくも、中尾さんが口開いたら終わりですから。
中尾:何もいいません。それで、吉田くんがね。
牧野:「あとで試してみます」って。
中尾:結果として功を奏したよね。宇波くんの録音スタイルだと、あれくらいの音量であれくらいの部屋っていうのがちょうどよかったと思う。
[[SplitPage]]何かわからないものを出したい、というのはおもに外側の話であって、中身はたんに演奏しただけなんです。つねにただ演奏するだけです。まだそれに飽きてないんです(牧野琢磨)
![]() NRQ のーまんずらんど マイベスト!レコード |
湯浅:NRQって誰が聴いていると思う?
牧野:わからない。誰だろう。
湯浅:実感ある?
牧野:ライヴハウスでやっているから、そこに来てくれるひとは聴いてくれていると思います。
松村:毎回くるお客さんもいるでしょ?
牧野:いたりいなかったりです。そんなに人気ないんです(笑)。でも、誰が聴いているんですかね。
中尾:知り合い(笑)。よく見かけるひとはたいがい知り合いだよね。
湯浅:知り合いになっちゃうんじゃないかな。NRQって簡単なことやっているわけじゃないけど、敷居が低い気がするんだよね。
牧野:敷居は低いですが、それは歌がないからだと思いますよ。
湯浅:そんなことないよ。
牧野:歌がないから、なおのことそういう風にみえるんですよ。
湯浅:俺さいきん、twitterをチェックしているんだけど「湯浅湾は歌詞はくだらないけど、ギターは最高だ」っていう意見あるからね。
松村:それはいまの話と対になる話じゃないですよね。
湯浅:でもそれはすごく核心を突いた反応だなと思って。どっちかといえば、湯浅湾は演奏を聴いてほしいからね。
牧野:バンドをやっているひとだとそう思うんじゃないですかね。そんなこともないかな。けど、湯浅さんは歌の歌詞とか聴きます?
湯浅:聴くよ。俺それが気になるからイヤになっちゃうんだよ。
松村:私は聴かないな。
牧野:僕もぜんぜん聴かないんですよ。中尾さん聴きますか?
中尾:よほどのことがないと入ってこないかな。歌に力があるとイヤでも入ってくるけど。
牧野:誰ですか力のある歌って?
中尾:そんなのいちいち憶えてないよ。
牧野:ヴィクトル・ハラ(チリのシンガー・ソングライター。"耕す者への祈り"はコンポステラもとりあげ、"平和に生きる権利"は大友良英からソウル・フラワー・ユニオンまで多くのカヴァー・ヴァージョンがある)ですか?
湯浅:何いいだすんだよ。
中尾:歌に耳を引っ張られることはあるけど、基本的にはあまり興味がない。
牧野:キャンディーズの"微笑がえし"に「おかしくって なみだがでそう」って歌詞があるじゃないですか。たしかに歌詞では「可笑しくって、涙が出そう」とあるのだけど、演奏と曲の調性と歌声といっしょに聴いたらどう考えても「可笑しくって、涙が出そう」なわけじゃないんだな、とわかる。本当はいいようのない別離の哀しみがあるのだろう、と。僕は今回"ノー・マンズ・ランド/アイ・ワズ・セッド"という歌ものをつくったとき、そういう効果を期待したんです。コードとかメロディとか調性とか歌詞とか、そういう情報が一体化してはじめてわかる歌のおもしろさってあるじゃないですか?
中尾:いやー牧野くんの意見には感心しますよ。私は「不味いお菓子を食ったんだな」って思ってましたから(笑)。リアルタイムで。「お菓子食って、涙が出そう」と。
牧野:「ハバネロ」的なお菓子食べてね(笑)。......だけど普段は歌詞をあまり聴かないからよくないですよね。
湯浅:そう?
牧野:ここだけの話、演奏するときは歌詞はあまりちゃんと聴いてないんです。たとえば、歌詞に「青い花」とあっても「青い花」的な演奏することなんて絶対ないじゃないですか。ただ単にその曲がどういう曲なのか、それを自分の過去と参照して演奏するだけだから。参照しない場合もありますけど。
中尾:言葉にいちいち対応して演奏がちがっても困るからね。自分は自分でいいんじゃないかな(笑)。
牧野:歌手の方は、自分の歌声で判断される場合もあるでしょう。歌っている内容どうこうじゃなくて音像として、つまり好きな音色かどうかで良し悪しを判断される場合もあると思うんです。だから歌手のひとはたいへんだとも思います。そのような意味もあって、我々の敷居は低かろう、と。
松村:そもそも今回はなぜ歌ものをいれようと思ったの?
牧野:この曲は大友良英さんたちのやっている〈プロジェクトFUKUSHIMA!〉の支援金募集のためのサイト、〈DIY FUKUSHIMA!〉に「提供してください」といわれて提供した曲です。〈doubtmusic〉の沼田さんからオファーがありました。オファーがあって、何をしようかなと思ったときに......、この曲のサビのメロディはずっと頭の中にあったものなんですよ。でももしかしたら、自分がつくった曲じゃないのかもしれない、という気がしています。
松村:どういうことですか?
牧野:僕はFENが好きで、昔よく聴いていたんですけど、こういう曲調のカントリーがいっぱいかかるんですよ。それでもしかしたらこういう曲の記憶が残っていたのかもしれない。ともかく、頭の中にメロディがあったからあとは和音をつけて歌詞をはめて、自分で歌うのはイヤというかムリだから、誰か英詞で歌って説得力がある、しかも歌声が好きなひとと考えて、mmm(ミーマイモー)にお願いしたんですよ。
湯浅:歌詞は誰が書いたの?
牧野:自分で書きました。それで〈DIY FUKUSHIMA!〉に提供したはいいが、mmmと録音をやってくれた片岡(敬)くんに、チャリティだったからギャラを払えなかったんですね。それでお礼をしたいと思って、歌とギターのファイルにNRQでオーヴァーダブしてアルバム・ヴァージョンにしたんです。そこに組み込めば少し払えるようになると。
湯浅:還元するために再録したんだ。
牧野:そうです。
松村:曲があったから入れたということですね。
牧野:曲があって、プロトゥールスのファイルもあった!
湯浅:10曲目に(この曲が)出てくるのはいいよね。
牧野:それは中尾さんのおかげです。
中尾:放っておいたらこの曲が最後になりそうな雰囲気だったら、それを回避させようと私はがんばったんです(笑)。
牧野:曲順については、ほんとうに何も思いつかなかったんです。どうすれば耳が集中して聴き続けてくれるのかもアイデアが湧かなかった。だからメンバーのみなさんの意見は重要でした。
松村:曲名とか、言葉に関してはNRQはとくに気にしてはいないですか?
牧野:僕はその都度興味のあることをモチーフに曲名をつけますね。
松村:曲は書いたひとがタイトルをつける?
牧野:そうです。吉田さんの"ボストーク"とか"イノメ"、服部さんの"春江"はわからないですね。
中尾:"春江"は土地の名前だといっていたよ。昔バイトでいった先の土地らしいよ(笑)。
牧野:そういえば、そこで鼻歌で生まれた曲だっていってました。そのメロディにあとでコードをつけたって。
中尾:春江さんを思い浮かべてはいない(笑)。
牧野:僕はさいしょ女のひとだと思いましたけどね。
湯浅:春江なんて名前の女性はいまどきいないよ。仲居さんにいそうな名前だよな。「春江さんビール3本!」みたいなね。
松村:でもNRQには言葉が暗示するものがあるでしょ?
湯浅:ナゾかけみたいね。
松村:それがインストバンドの利点ともいえるかもしれないけど。
牧野:そうなるしかない、のかもしれないですよ。
松村:じっさいそういう消極的な姿勢でもないでしょう。
牧野:そうなっちゃうんですよ、どうしても。
湯浅:タイトルがついていると聴く方が勝手に風情を感じるじゃない。
松村:そういう風情はファーストから変わらずありますよね。
牧野:それはファーストのころは知らなかったです。
松村:知らなかった?
牧野:言葉によって曲に風情がくっついている、ということですね。ただたんに演奏していただけだから。あとからひとに、たとえば豊橋の小川(真一)さんの書いたライヴ・レヴューを読んで、聴くひとはそういう風に感じるんだなと思ったんですよ。
松村:曲名が言葉を呼ぶきっかけにもなりますからね。
牧野:なればいいと思いますけどね。吉田さんの"ボストーク"はたぶんパンの名前ですね。
松村:「ロシアパン」みたいなものなんだろうか?
牧野:(吉田さんは)曲名にロシアのモチーフが多いですね。
松村:そういうところもバンド内で共有しているわけではないんですね。
牧野:してないです。だからたまたまパッケージングしただけともいえますね。でもこの曲はポンチャックのつもりだったらしいですよ。吉田さんはポンチャックが好きなんだって。
湯浅:変わってるね。
牧野:デモはもっとポンチャックっぽかったんですが、ほら、中尾さんにフュージョンのたしなみがあるから(笑)。
中尾:ないよ(笑)! 私はポンチャックのつもりでやってました。
牧野:中尾さんクルセイダーズのコピーバンドやってたじゃないですか! なんでウソつくの!
中尾:コピーバンドはやっていません。曲をとりあげたことがあるだけです(笑)。多重録音バンドで題材にとりあげたことがあるだけです!
牧野:以前、フュージョン・バンドで演奏していたら「そのスットコトントントンってフィルやめてくれ」っていわれたっていってませんでしたっけ?
中尾:フュージョン・バンドじゃないよ。大学の軽音サークルにいって遊びでやっていたら「そのお囃子みたいなフィルインはやめてくれ」っていわれたの(笑)。
松村:ある世代から上はフュージョンのたしなみはありますからね。
中尾:たしかに高校3年のときにカシオペアのコピーバンドはやっていました(笑)。でもそれだけです(笑)。
牧野:こう見えても中尾さんは驚くほど16分音符がはまるんですよ。
中尾:やっていたから、というより、いち時期どっぷり聴いていたからじゃないかな。
牧野:だから聴いていたんでしょ?!
中尾:高三まではフュージョン青年でした。
牧野:でしょ!
中尾:そのとき「この先には未来はない」と思ってやめました(笑)。「フュージョンは終わった!」って、それでSPに行きました(笑)。
牧野:もともと子どものときはSPだったんですよね。
中尾:小一のときに親戚からいくらかもらって聴いていたから素養はあったんですよ。全面的にそっちにしようって決めたのは高校を卒業してからですね。
牧野:フュージョンは当時みんなが聴いていたからということですよね?
中尾:70年代の終わりから80年代のはじめはいちばん盛り上がっていましたからね。
牧野:だから"ボストーク"もラリー・カールトンみたいなコード進行になる瞬間がありますよ(笑)。
中尾:わかんないよ!
牧野:それは桜井(芳樹)さんにもいわれましたよ。「あのマイナーの"ルーム335"みたいな曲いいじゃん」って(笑)。
中尾:師匠にそういわれた!
松村:お墨付きをもらってこの曲がシングル的な位置づけになった、と。
牧野:それはですね、VIDEOTAPEMUSICくんっていうPVをつくってくれた人と、この曲は親和性が高いだろうと思ったからです。映像がつけやすいリズムが(この曲には)ある。
[[SplitPage]]高三まではフュージョン青年でした。そのとき「この先には未来はない」と思ってやめました。「フュージョンは終わった!」って、それでSPに行きました(笑)。(中尾勘二)
松村:湯浅さん、"ボストーク"はPVがあるんですよ。
湯浅:YouTubeかなんかで観られるの?
松村:観られるらしいですよ、私は拝見していませんが。
牧野:インタヴュアーがふたりとも観てないなんて......。メールしておけばよかったですね。でもPVたって、U2みたいにメッセージは入れてないですよ(笑)。
湯浅:アムネスティとかじゃないの(笑)?
松村:戦争の映像とか入ってないの?
牧野:入ってないです(笑)。
「ボストーク」PV![]() NRQ のーまんずらんど マイベスト!レコード |
湯浅:牧野くんはつくってから何回か聴くの?
牧野:僕は死ぬほど聴きますよ。
湯浅:中尾さんは録ったら聴かないでしょ?
中尾:聴かないですね。
松村:いままでもそうだったんですか?
中尾:自分の多重録音以外は聴かないですね(笑)。
松村:自分の多重録音はどこかから出す予定はないですか?
中尾:出さないですよ。
松村:どうでしてですか?
中尾:個人的趣味だから(笑)! 誰がそんなもの聴かせますか! 自分で聴いておもしろいのはそれくらいですね。CDは聴かない、というかイヤです。とくに自分が参加した曲だと気になるところが出てくるので、落ち着かないです。
牧野:僕は何回も聴いて、気になるところをコンパウンドで磨くかのように、自分で慣れるようにします。何回も聴けば気にしなくなるじゃないですか。こういうもんだと。製品の耐久チェックみたいなものですかね。
松村:吉田くんや服部くんはどうだろうか?
牧野:どうなんだろう。吉田さんは聴いていると思いますし、服部さんも今回は聴いているんじゃないですかね。最終的にこれ、1日であげたマスタリングが決定稿になったんだけど、そのあと宇波さんが別途修正版をつくってくれたんです。でもそれを僕と服部さんは「前の方がよいので戻してください」ってお願いしました。だから服部さんもかなり聴いているのではないでしょうか。
松村:中尾さんは?
牧野:聴かせてない。
中尾:たぶんどうでもいいっていったでしょうね。でもチラッと仮のヤツを聴いたら問題なかったんので、それは大丈夫だということですよ。それから全面的にちがうことにはならないだろうと。
牧野:単純に音圧が出ていたんですね。
松村:1回目の方が?
牧野:2回目の方が。整備されてしまっていたんです。だから1回目にしたんです。
松村:それは何かわからないものを出したかったからですか?
牧野:1回目のに慣れていたからというのはあるかもしれないです。それと、音圧によって楽器の響きも変わっちゃいますからね。
湯浅:ギターだと(音圧があがると)ゲージ(弦の種類)が変わっちゃうからね。
牧野:楽器の位置、というか定位も変わっちゃうから。さっきの何かわからないものを出したい、というのはおもに外側の話であって、中身はたんに演奏しただけなんです。つねにただ演奏するだけです。まだそれに飽きてないんです。
松村:曲のつくり方はファーストとセカンドではちがわないんですか?
牧野:変わらないです、僕は。
松村:ギター周辺で何か変えたことはありますか?
牧野:前回は弦がフラットワウンド(巻き方による弦の種類。フラットワウンドとラウンドワウンドがあり、一般的にフラットワウンドは丸い温かみのある音といわれる)だけだったんですが、今回はそうじゃないんです。ラウンドワウンドが多かったです。
湯浅:ラウンドだったんだ。
牧野:はい。それはなぜかというと、いつも使っていたギルドのギターが調子が悪く、ノイズが出ていて、レコーディングで使えなかったんです。だからグレコのセミアコを主に弾きました。それはラウンド弦。一部フラットワウンドで弾いている曲もあるけど、そのギターは常さん(鈴木常吉)から借りたフルアコでした。弾き慣れてない楽器だったので大変でした。いいわけです(笑)。奏法的にはどうこういう感じじゃないですね。ただ、もうほぼエフェクターは使わなくなりました。聴けばわかると思いますけど! エフェクターを踏む前に右手と左手でもっともっとできることがある、という気がしています最近は。......というかもっと、中尾さんに聞きたいことはないんですか? 松村さん。
中尾:ないないない! 答えることないから(笑)。
牧野:いっぱいあるんじゃないですか。
中尾:NRQに関係ないから。
牧野:関係なくてもいいですよ。
中尾:そんなことないでしょ。
松村:せっかくきていただいたんだから。
牧野:ロング・インタヴュー録っておいた方がいいですよ。NRQもそこそこに(笑)。
松村:そうですね。場が温まったことだし、次は中尾さんのインタヴューへうつりましょうか。(続く)

NRQツアー情報
NRQ『のーまんずらんど』発売記念ツアー
愛知・名古屋
3/9(金) 鶴舞KDハポン
open19:00/start19:30
前売¥2000/当日¥2300+drink
出演:NRQ、ツクモク、HADA
愛知・一宮
3/10(土) com-cafe三八屋
open18:30/start19:00
投げ銭 +drink
出演:NRQ、カタリカタリ
兵庫・神戸
3/11(日) 塩屋旧グッゲンハイム邸
IKITSUGI / SHOS / HOP KEN 合同企画
open14:00/start14:30
予約¥2500/当日¥3000
出演:NRQ、半野田拓、ju sei+江崎將史、ett+パーパ、真夜中ミュージック、片想い、三田村管打団?、テニスコーツ......ほか多数
京都
3/12(月) 京都拾得
open17:30/start18:30
前売¥1800/当日¥2000
出演:NRQ、井上智恵トリオ、泊、ゆすらご(黒田誠二郎+翠娘)
東京
3/20(火・祝) 吉祥寺MANDA-LA2
open18:00/start19:00
前売¥2500/当日¥2800+drink
出演:NRQ、片想い、mmm
※前売券SOLD OUTです。当日券の有無は会場までお問い合わせください。
TEL:0422-42-1579
NRQインストアライブ
3/15(木)
タワーレコード新宿店
19時ごろより
出演:NRQ、mmm、トンチ
明日で世界は終わるだろう
明日で世界は終わりさ
けれど誰がそれを信じるだろう
誰がそれをきくだろう
"アンコ椿外伝"(2011)
ディストピアを声高く歌うひとを、昨年の11月、麻布の〈新世界〉で見た。「カモメよカモメ~、この世の終わりが~」、彼は未来のなさを、海の荒々しい彼方の情景を、独特の節回しの唄とギターの演奏のみで、これでもかと言わんばかりに展開した。東京という街がとにかくナイーヴで、相変わらずの励ましソングか、口当たりの良いヒューマニズムを繰り返すしか脳のないときに、1960年代末に青森からやって来て、寺山修司と精神的に結ばれながら、放送禁止用語集のような楽曲を発表していた三上寛は、いまも堂々と、そうした甘い感傷を吹き飛ばす、荒波のような唄を歌える。演奏が終わったあと、しばらく席から動けないほどに打ちのめされた。それが今回の超ロング・インタヴューの動機だ。
さて、今日のポップ・ミュージックでは、「ちんこ」「まんこ」「うんこ」といった言葉は、文脈によっては品性を欠いた挑発(からかい)、あるいは使い方によってはダダイズムの延長、ときにはずばりそのものの猥褻な名詞として、たとえばジョージ・クリントンのファンクないしはパンク・ロックを起爆剤としながら、表現の自由という大儀のもと、道徳的な見地からの批判をとうの昔に抑え込んでいる。セックス・ピストルズでもエミネムでも、彼らのこうした言葉づかいは、学校から与えられたボキャブラリーの外側へと受け手を連れ出すがゆえにときとして爽快な気持ちにさせる。
三上寛が1970年代初頭に試みた実験にもそれがある。"ひびけ電気釜!!"は、彼のけしかける無秩序の、もっとも有名な曲のひとつである。「飛んでいくのか片目の赤トンボ/キンタマは時々叙情的だ/泥沼の奥底はペンペン草の肉欲だ/赤いまむしはあみだくじだ/生命は神の八百長よ/希望の道は下水道だ」
手短に言おう。フリー・ジャズやアヴァンギャルドを取り入れた『Bang!』(1974)、死と隣り合わせの美しいバラード集『負ける時もあるだろう』(1978)といったアルバムは、日本のロックの急進派における古典としていまでは広く知られている。そして、いっさいの新曲を作らなかった10年を経て、1990年代以降の三上寛は、〈P.S.F. Records〉から怒濤のリリース・ラッシュを開始している。それら近年の作品には、1970年代の三上寛を特徴づけていた猥褻さと敵対心ないしは俗悪な描写はない。その代わりに、詩的な描写と唯一無二のギター演奏による独創的な音楽性は着実に磨かれ、光沢を増している(ブルースと講談と演歌のブレンド、津軽三味線とジャズの混合など、いろいろな説があるが、どうやら自然の成り行きで定まっていったスタイルのようである)。
多くの犠牲を払って手に入れた豊かさもぐらつき、我々は、恐怖と不安のなかでびくびくしながら生きている。学歴の高いひとの言葉ばかりを鵜呑みにしたり、金持ちに媚びてしまったり、他人の目を気にしたりする。そんなこと、まっぴらごめんだ。三上寛の音楽は我々を自由にするだろう。第三者的な良心よりも優先すべきことがあるんじゃないかと思わせる。たったひとりで行動するひとに勇気をもたらすだろう。教育システムの埒外にころがっている人生を差し出し、我々の生活をタフにする。
取材は、アンダーグラウンドの巨匠(......この巨匠という言葉は三上寛という筋金入りの反権威主義者には失礼だろうけれど、敢えていまそう記したい)がいま住んでいる津田沼のサンマルクの小さなテーブルでやった。あっという間の3時間。以下、そのほぼ全記録である。
お茶の間のヒューマニズムというのは大嫌いでしてね。「かわいそうだな、がんばれよ」っていうひとはね、どこからも突っ込まれないわけじゃないですか。世界的なレヴェルで良いことになってるわけですから(笑)。ところがね、「いちどでもそう言われたひとの身になって考えたことがありますか?」っていうね。
■津田沼にはどんなきっかけで住みはじめたんですか?
三上:津田沼はね、うちの奥さんが西千葉のひとで、それで子どもが生まれたときに実家に手伝ってもらったりで近くのほうがいいだろうということで住みはじめましたね。それで、1987年に来たからもう25年になりますね、千葉はね。
■ああ、そうですか。
三上:それが幕張だったんだけど、そこを越さなきゃいけなくなって、ひと駅こっちに出てきたって感じですね。それでこっちに出てきて6年かな。
■千葉自体は長いんですね。
三上:長い。
■90年以降の大量リリースに入る頃には、もう千葉に住まわれていたんですね。
三上:千葉にいたわけです。ですから「Jan Jan サタデー」(注)が終わったときに引っ越してきたんですよ。1986年までやりましたからね、わたしはね。あとはバトンタッチして。だからちょうど静岡に通ってたころは、阿佐ヶ谷から通ってました。そのときはまだ阿佐ヶ谷に。千葉はなかなか面白いですよ。何もないけどね。
■千葉に住まわれたことと、三上さんの音楽性に何か関連性はありますか?
三上:あるね。
■どういったところでですか?
三上:こういうことがあったんですよ、自分のなかでね。18のときに東京に出てきて、それで18年いたなあと。それで東京と青森にいた年数が同じになっちゃったなあと。そういう自分なりのある種の物語みたいなものもあって(笑)、それでどっかへちょっと行こうかなっていうのが先になったんですね。だからちょうど良くて。
そこで自分の音楽性に関係するのはね、そこは江戸川と利根川にちょうど囲まれててね、橋が両方ぶっ壊されると無法地帯というか(笑)、独立国みたいになっちゃうんですよね。水に囲まれてるっていうのが、ちょっとこう浮世離れした感じがあって。千葉に来ていちども気持ちが落ち込むということがなかった。これはびっくりしましたね。結局ね、漁師町なんだね! なんかこうね、ほかと違いますよ。だからみんな中津川ですね、ある意味で。
■ああー。天然の。
三上:天然の。
■それはいいですね(笑)。
三上:それは住んでみて初めてわかりましたね。まあむろん人間としては浮き沈みはありますよ(笑)、気持ちの上でね。ところがね、まず最初ここで暮らして「変に落ち込まないとこだな」っていうのはありましたね。そういう意味でね、土地柄と言いますかね、原始的と言おうか......自分たちから「わたしは漁師でございます」なんて言わないけれども、江戸時代はほとんど完全に漁師町だったでしょ。浦安とかあの界隈。だから染み付いてますね、漁師の感覚が。それも東京湾の豊かな漁師。それは海外に行ってた横浜と違って、ほんとに江戸のための漁師だったんじゃないですか。
■出ましたね。漁師という言葉は、"海男"であるとか、三上さんの音楽のなかでひとつ重要なキーワードですよね。
三上:ほんとにそうですね、漁師と海の歌っていう。たとえばリバプールなんかもね、ほんとに漁師町ですよ。わたしたまたま4、5年前にちょっと行ってきたんだけどもね。ほんとにもう、「あ、小泊だ」って思うぐらい(笑)、景色が似てて。カモメは飛んでるわ。まあもちろん、いまは漁業はなくて観光中心みたいになってるけれども。
そういう海どころって感覚の音楽が生まれるじゃないですか。アメリカ西海岸でも、東海岸でも。日本だけ海イコール演歌っていうことでね、そういう意味である種――まあ古い言い方かもしれないけれども、サブカルチャーというか、我々がやってきたようなことで海をテーマにしてるって意外とないんですよ。音楽で。
■ポップスで海が出てきても南国的な海だっりしますよね。
三上:湘南だったりね。わたしは北の海だったり、そうそう、働く海っていうんですか。
■そうですね、漁師がいる海っていう。
三上:意外とないんですね。 それは北島三郎さんと鳥羽一郎の特許みたいな感じでね、ふたりが歌ってればいいっていう。だから演歌がそれを示してましたわな。だから必然的にわたしの歌い方もどうしたって演歌、ってふうになるだろうし。環境もそうでしたね。海の町で聴いた音楽でしたからね。漁師が好きな音楽ばっかり聴いてましたからね。
(注)「Jan Jan サタデー」
静岡市の第一テレビ局にて1981年の春からはじまったヴァラエティ番組で、筆者は高校生のときにこの番組を通じて三上寛を知った。ロック・バンドが静岡に来ると紹介してくれたので、よくVHSに録画した。そのテープはいまも実家にある。
漁師と海の歌っていう。たとえばリバプールなんかもね、ほんとに漁師町ですよ。海どころって感覚の音楽が生まれるじゃないですか。アメリカ西海岸でも、東海岸でも。わたしは北の海だったり、働く海っていうんですか。漁師が好きな好きな音楽ばっかり聴いてましたからね。
■三上さんにはあまりにも訊きたいことがたくさんあって、演歌(怨歌)というのもそのうちのひとつなんですが、ほんとどこから話を切り出せばいいのか、すごく迷ってたんですけれども(笑)。
三上:それで、もうひとつ付け加えたいのがね、漁師の連中から話を聞くとね、いまみたいにネットとかもないので、彼らは3ヶ月同じ曲を聴かないといけないんですよ、1回陸(おか)で買ったら。だから相当チョイスするらしいんだよな。そういうものも、意外に自分のなかにあるのかもしれないですね。1曲の完成度と言うとちょっとおこがましいけれども、暮らしと本質的に結びついているっていうのは無意識にあるのかもしれない。すいません、挟んじゃって。
■いえいえいえ。あの、すごくざっくりした質問なんですけれども、三上さんが青森から出てきて、で、板前やられて、そして板前の寮を抜け出してギターを抱えて、そこからデビューして活動はじめられて、およそ40年くらい経ってると思うんですね。この40年っていうのは日本は、世界は、とにかくまあ、破壊的なまでに変化しましたよね。この40年の日本の変化というものに三上さんはどういう思いを持ってらっしゃるんでしょう?
三上:そうですね、まずひとつが若い世代がですね――若い世代っていうのはわたしたちの世代を言ってるわけです、いわゆる世に言う団塊の世代ってわけですけども。そういう日本の若いひとたちが戦争以外で――まあ戦争はちょっと違うかもしれないけれど、まさにざっくり言ってしまうと、最初に挫折したところからはじまってますよね。若者が挫折するってところから。学生運動におさらばして、髪を切って会社に勤めなきゃいけないってところから日本の文化ってはじまってますよね。戦後のというか、いまに繋がるものが。
だから彼らの失敗からはじまっている、失敗というか挫折ですよね。わたしもデビューしたときは、このままいけるんじゃないかと思いましたもんね。つまり中津川(注)で歌ったときに、このまま世のなかにばっと広がっていくんじゃないかと思いましたよ。で、3年ぐらいその気でいたら、まわりを見たら誰もいなかったっていうのが(笑)、まあ現実でしたね。それはものすごくショックだったですね。
■たとえば、60年代を生きた方々の本なんかを読みますと、やっぱり岡林信康さんという方がいかに影響力が大きかったか、ということを言われてるんですね。喩えの言葉はともかくとして、「神様」とまで呼ばれた方が、どうして失速――という言葉が合ってるのかわからないですけれども――居場所を失っていってしまったんでしょうか?
三上:それはね、個人的な情報というか、彼を大変知っている人間ですから、わたしの立場で言えるならば、やっぱり彼個人の考え方っていうのが結局あったんだと思います。彼はほら、牧師のせがれでしょう? わりとそのほら、平等意識というか、日本の風土に似合わないと言いますか、それほどアクの強い男じゃなかったんだよね。日本的なある種のミュージック・シーンのトップになっても、ある種育ちがいいというか。
しかし当時(60年代)は日本中から百姓の子どもたちが集まったわけですよね。それまでは東京に来るってことはないわけですから。たとえば地元で家業を継いで百姓をするとか。それが、「いやこれからは学問だ」つうんで、みんな田畑を売って、いままで学問を身につけたことのない人間が日本中から集まってくるわけですからね。元々は百姓ですからね、まあ言い方はそれでいいと思うんですけどね。その波で岡林みたいな、ある種西洋の教養を受けた流れがあって。それはやっぱり分離していくでしょうねえ。わたしの個人的な見方ですけれどもね。もっとアクの強いやつじゃないとだめだったんじゃないですかね。だから親分がこけたからみんなこけちゃったわけですよね。そのなかで親分が唯一生き残っていたのがね、内田裕也ですよ(笑)。彼はやっぱりちゃんと親分してたんですよ。だからここまでロックっていうのはこれたわけで。だから不思議なもんですよ、ひとりの力っていうのは。
■なるほど。
三上:だから求心力を失ったわけですよ、我々もね。〈URC〉も、なくはならないけれど、まあ終わっていってしまう。で、彼自身はそんな意識はあんまりなかったんじゃないかな、自分がトップだ、とかっていう。
■なんかこう、もっと時代的な風向きが変わってきたみたいな......。
三上:そうですね、いまの話は音楽ってことに限定して言ってるわけで、もっと大きいことで言うならば、なんて言うんでしょうかねえ、あの当時我々が影響を受けた波というんですか、1969年から世界的な流れでしたよね。まさにビートルズが来たりとか、まあ「革命」という言葉が合言葉のようになってた時代ですよ。すべてのことにおいて。音楽を変えよう、演劇を変えよう、映画、もちろん政治っていう。とくにやっぱりアメリカの――というか世界的な大きいうねりのなかでね、取り残されたと思うんですよね。つまりその、まだ機が熟してないと言おうか、まあいまだに熟してないんだろうけど日本の場合は(笑)。
つまりそういう、日本中から集まった百姓のせがれたちの感覚じゃあ、無理だったんじゃないでしょうかねえ、うん。つまり世界の動きっていうのは、ある種まあインテリ指導と言いますかね、そこそこ毒を持ってた連中ですよね、ヨーロッパでもアメリカでも。そういう連中が起こしたムーヴメントに、やっぱり格好だけじゃついていけなかったっていう。スタイルだけじゃだめだったんじゃないかな。ほんとにやる気があったらそりゃね、大学終わったぐらいでやめませんよ。社会に対するアプローチとか。やっぱり親から「いつまでそんなことしてんだ」とね、「田畑売ってお前を大学に入れさせて、せっかく公務員にしようと思ってたのに」とか、「いまだにヘルメットかぶって三上寛とだなんて、やめなさい」ですよ(笑)。
だからあっという間に消えたと思いますよ。あと下地がなかったんだと思いますね。これは明治維新とかああいうひとつのムーヴメントにはなり得ない。明治維新とかその辺はもっと切羽詰った想いがあったでしょ。流行とかそういうことだけじゃなくて。スタイルなんかじゃ全然相手にならなかったぐらい、まさにあの頃は似たような激動でしたよね。それにやっぱり耐えられなかった、つまりその、ひとが好すぎた、村社会に戻っちゃったんですよね。だから一瞬垣間見た世界ですよ、おそらくいま思うと、きっとね。70年代というのはね、きっと。
■たとえば、田川律さんなんかの日本の音楽の歴史を書かれている本を読みますと、フォークの時代からニュー・ミュージックの時代っていう言い方をされるじゃないですか。荒井由美とか吉田拓郎みたいなひとたちが出てくることによって、文化がどんどん変わっていったという。ああいうのはご自身現場にいらして、ある種価値観が揺らいでるような感覚っていうのはあったんですか?
三上:もちろんありましたよ。つまり過激なことはもうやめようっていうものですよね。それはやっぱり浅間山荘が大きいですよね。つまり最終的には、お互い殺し合うんだっていうとろこまで追い詰められるという。
だからいま思うと戦略も何もないよね。いま思うとですよ、精一杯だったとも思うから。お上っていうものに対する、なんて言うんでしょう、やり方が結局同士討ちなんだっていうことがショックで。それでもう誰もがやめようと思った、「あんなことになるんだったら」っていうね。それはやっぱりそこまで追い詰められたんだと思いますけどね。それもやっぱりある意味で、格好だけでいった部分も大きいんじゃないかな。本気でやろうと思ったら違ったんじゃないかなと思いますね、いま思うとね。
■だからそのやっぱり、60年代的なものを忘れたかったっていうような世のなかの風向きみたいなものがあったんですか?
三上:そうですね、それは「もういやだ」って言おうか、脈々と続いてきたお上に対する奴隷根性と言いますかね。ずっと虐げられてきたでしょ、日本人って。百姓も、侍もそうだと思うんですよね、実はね(笑)。そういうことに対する1000年にいちどあるかないかのチャンスにビビったっていうのがほんとのとこじゃないかなー。そこそこだったらいけるけれども、変えようと思ったらほんとに変わっちゃったんだから。しかも世界一のレヴェルでね。
■って言いますよね。すごかったってね、当時の日本の学生運動っていうのは。
三上:ええ、ええ。マイク・モラスキーっていうジャズ評論家のアメリカ人で、サントリーの賞もらったぐらい日本語の文章が上手いひとがいて。そのひとが書いた本の一節で引用がありましてね、オランダのある学者によると日本の70年代はルネッサンスよりもすごかったっていうことを言ってますね。あの当時アングラから発生した文化っていうのはルネッサンス以上だって外国の学者が言ってるぐらい、まあチャンスだったんですな。それを逃してしまった脱力感というのは非常に大きいと思いますよ。
■たしかにそうですよね。寺山修司さんや唐十郎さんの演劇もあったし、若松孝二さんがやっていたような前衛映画もありましたし。
三上:前衛もありましたし、フリー・ジャズもそうだし、それから舞踏なんかそうですよね、
■土方巽さんをはじめとする。
三上:彼らはまさに生き残った、生き残ったっていうのはおかしいけれども、立派に外で花咲かせてるわけですよね。舞踏なんて、あんなもの世界を見渡したってなかったわけですからね。
■すさまじいエネルギーがあった時代なんですね。
三上:だから面白いじゃないですか。津軽から出てきたですよ、漁師の末裔の、まあ勤め人の人間がですよ、ぽっと東京に出てきてその中心にいれるっていうかね、みんなをとらえたって言いますかね。それはやっぱり、それだけでもすごい話ですよね。
■それがね......三上さんは、1978年に『負ける時もあるだろう』というアルバムを出されてますけれども、あの「負ける時もあるだろう」という言葉はどういうようなところから出てきたものなんですか?
三上:あれはね、種明かしをしますとね、これはふたりしか知らないですけれども。あるとき新聞を見ましたらね、東映のヤクザ映画のね、たしか77年ぐらいかなあ......わたしがちょうど東映に出入りしていたときに、鶴田浩二のね、何ていう作品だったかな、最後のほうの作品だったと思うんだけどもね、それのキャッチだったんですよ。「負ける時もあるだろう、わたしは」って、「あ、これいただき」っていうね。それであの曲ができて。そしてね、実はあのキャッチを作ったのが深作欣二なんですよ。夜中に電話来ましてね、「三上、お前も売人だな」って。つまりあの「商売人だな」って(笑)。
■はははは。
三上:「見ただろう」、「はい、いただきました」っつって(笑)。「じゃあいちどどういう内容か教えてくれ」と言われて。それは曲を作った直後でしてね、30分ぐらい監督がチェックしましてね、それで向こうは何も言いませんでしたけどね。あのキャッチはわたしと彼しか知らないですね(笑)。
■でもその『負ける時もあるだろう』という言葉がピンときたっていうのはやはり時代のにおいのようなものを嗅いだっていうか......。
三上:だと思います。それはもうある種の世のなか全体を覆っていた、我々のようにいろいろなことをやっていた人間の、敗北感と言おうか、「もうダメだな」感ですよね。
■あの歌のなかで、「夢にまで見た不幸の数々が今目の前で行われ様としている」っていうね。あれは心に刺さる言葉なんですけれども。あの「夢にまで見た不幸」というようなフレーズは、当時の三上さんの気持ちとしては何を指していたんですか?
三上:それはまず、具体的に何だっていうのはないと思うんですよね。それは、いわゆる芸術家と言いますか、歌い手、ものを作る人間の予感ですよ。予感のないアートはダメですよ。
それは分析するとこういうことになるんじゃないかと思うけど、つまり、それで新しいアルバム(『閂』)でわたしは「みんなこのことを知ってた」って歌ってるんですよね、実はね。要するにね、ひとびとの無意識っていうのはね、迫りくる危機っていうものに対してね、直観ってものがあるはずなんですよ。それは著名な文学者であるとか占い師だけじゃなくてね、普通に生きているひともまるで獣のごとく来たるべき危機に対しても備えてるわけですよ、いまこうやってる時点でもね。
ミュージシャンはやっぱりそこに反応すると思うんです。そうしないとわたしはダメだと思っているんだけども。それでほとんど無意識の状態で、そこそこの詞を書くテクニックがあって、その当時ある種のこだわりっていうのかな、自分のスタンスっていいますかね、それを考えて見つめてあの歌は自然にできたんだと思うんですよ。きっとそうなんだと思いますよ。アートはね、後付けじゃダメ。政治とかジャーナルは後付けだけどね、アートは先に行ってそこで「まさか」って言われるんだけども(笑)。誰でもみんなそうですよね。
■たぶん、おっしゃる通りだと思います。でも、またその言葉を繰り返し歌わなければならないっていうのも、宿命的とはいえ非常に重たいものを感じます。
三上:そうですよね。だから「ミュージシャンって何なんだろうな?」っていうことになりますよね、私なんかは。あれだといまから30年前に作ってるわけでしょ。それでいま......何て言うんでしょう、現実が追いついてきてるわけじゃないですか。自分が作った曲にね。極論するとね、三島(由起夫)はこういうこと言ってるんですよね。「自然は芸術を模擬する」。つまり芸術のほうが先だっていう。「地震が来る」って言ったら地震が来るっていうのはこれはもうね......。
■三上さんはあるインタヴューのなかで「三陸のひとたちはDNAのレヴェルで津波が来ることをわかっていた」っておっしゃってます。三上さんにとっての三陸は『怨歌に生きる』という著書のなかでも書かれていますけれども、長年ツアーで行かれていた場所でもありますよね。
三上:行きましたねえ。しらみつぶしに、なぜかね、それもね。ほかの県でも良かったはずなのに。きっかり10年やりましたね。80年代ね。
だから振り返って、80年代、わたしは曲も1曲もできなくてね、東芝に行ったり大手に行くのもダメになったりして、それで世のなかデジタルになったりして......っていうようなことで、あの頃は自分の音楽の経験のなかでもどん底だったんじゃないかとしばらく思い込んでたんだけれども、「えっ、俺、そう言えば80年代ってオール三陸だったよな」っていうね。ええ。それは東京にいなかっただけで、まあいなかったって言うとおかしいけれども。だから静岡で「JanJanサタデー」やって、それで1年に2週間のツアーをやって、それは大変なツアーでしたよね。10年間やり続けました。
それでねえ、岩手っていうのはですね、四国より面積が大きいんだから。移動が大変だったり、あの狭い道だったり(笑)。あるときなんて洞窟でまでやったことあるんだな、なんかやるとこなくなっちゃって。自然に開いてる洞窟がありましてね、みんなロウソク持ってやったり。まあつまりね、ありとあらゆることをしたんですよね、三陸で。わたしの答が出るまでやってみたいっていうことを、受け入れてくれたひとたちもすごいと思うし。
■それは三上さんがご自身で企画されて?
三上:企画して。もちろん受け入れるひともいるわけですよね。三陸のひとたちも受け入れるわけですから。で、あんまり知られてないんだけれどもね、三陸岩手っていうのは大変な音楽王国でしてね、ジャズ王国ですよ。そこのジャズ喫茶の連中は、ちょっとずつ金出して、カウント・ベイシーを直接呼んで直接返すってことをやってるようなひとたちなんですよ。だからものすごく音楽が好きなひとたち。音楽もわかる、まあわかるって言ったらあれですけれども。ただ意外とフォーク・シンガーが生まれてないんですよ。ロック・シンガーも生まれてない。聞き手のプロって言いますかね。
■それこそ宮沢賢治なんかは、生前、仙台までレコードを買いに行ってるんですよね。盛岡から汽車に乗って。
三上:だから賢治っていうパブリシストがいるっていうことで安心してそういうことにハマれるっていうのもあるかもしれない。宮沢賢治ってものすごく大きいですからね、岩手のひとたちにとっては。
■我々にとってもでかいひとですからね。で、『怨歌に生きる』には、はからずとも陸前高田の写真が見開きで載ってらっしゃる。写真を見ていても、物凄い盛り上がりを見せていますよね。
三上:要するに三陸に行くきっかけっていうかね、『おんなの細道』っていう日活ロマンポルノの最後のオールロケ作品で、その後日活が潰れるんですけど、たまたまわたしも準主役でやって。それが物凄い厳しい撮影でね、神経が参りそうになった瞬間っていうのがあったんだな。あまりにも寒くて。あの寒い冬のロケで、ロマンポルノですから8割裸になってないといけなくて(笑)。いちいち着てたら余裕ないですしね。まあ裸ってわけじゃないですけども、何か羽織って待ってるという状態で。この年ではとてもできないけれども、20代でまだ丈夫だったからできたんですね。
で、神経しかないなっていうときに、人間ってああいう状態だと何か見るんですよ、幻ですわな。三陸っていうのは景色がいいんですよ。それが津波だったんでしょうね、いま思うと。それが後で"大感情"って曲になるんだけども。その縁で行くようになったんですよ。「何だろう? これ見たことのない景色だな」っていう。「感じたことのない予感だな」という。それでこだわっちゃったんでしょうね、いま思うとね。それがこの前の津波に繋がるんだと思いますね。きっとね。30年前に「えっ、何これ」というような感情があったんじゃないでしょうかね。
これは意外とわたしのなかでは繋がってることでね、そしてその去年の3月の16日にメキシコシティでアンダーグラウンドのアート・フェスティヴァルがあったんですよ。まあアンダーグラウンドだけじゃなくて、メキシコシティ挙げての祭で、ハービー・ハンコックも出てたぐらいの祭だから。1ヶ月ぐらい、ロンドンからパリから、世界中からミュージシャンが来て。それが3月の16日だった。それでわたしは、予感というかいんでしょうか......ヨーロッパでもアメリカでもなくてメキシコか、どんなところだろうなっていう、ある種の期待と不安のなかでどーんと来ちゃったんですよね。行く4日前に。
だから去年のいまごろはずっとメキシコ行くこと考えてましたよ。津波とか関係なくね。ところがメキシコっていうまだ見知らぬところに行くっていうある種の期待と不安が、それとも繋がってた気がする、予感で言えばね。だから物語がすっきり終わっちゃったような感じがあるよね、そういう意味では。だから車も全部止まってて、必死で羽田まで行って。なんか自分のなかでね、物語っていうか......だからあのとき見た「これは何だ」っていう景色はもしかしたら遠くメキシコを見てたのかもしれないし。だから初めてこう裏側から見たわけだよな。メキシコ行ってね。それでメキシコにもちょうど10年前に大きい地震があって15000人ぐらい死んだらしくて。物凄かったらしいんですよ、10年前ね、ちょうどね。そういう縁で行ったのかなと思ったりしましたけれども。だから、三陸、津波、いまの音楽、自分の立場っていうのはきれいには整理されてないけれども、きっと何かあるんだと思いますね。
(注)中津川
ウッドストックに触発された日本で最初の音楽フェスティヴァル「全日本フォークジャンボリー」。1969年8月、3千人規模ではじまったそれは1971年には2万を超える規模へと発展した。1回目には遠藤賢司、岡林信康、ジャックス、高田渡、田楽座、中川五郎など出演。三上寛は3回目に出演している。
三上は学生運動を挑発してああいう時代の華だったいう、そういう捉え方もあるかもしれないけれども、「冗談じゃないよ」っていうね。それもあったんですよね、わたしのなかで。そんなことよりも、永山則夫、中卒でひとを殺した男のほうが俺は大事だっていうスタンスでしたからね。
■では、震災がありまして、今度は福島の原発の事故がありましたよね。あれに関しては三上さんはどのように思われましたか?
三上:これはね、筋違いというかびっくりしたといいますかね。あれは地震だけだと、そこそこ災害ということでわかりやすかったと思うよね。ところが、いまは事故のほうが中心になっちゃってますよね。
結局、何て言うんでしょう、津波が教えたと言いますか、日本の現実を。「お前たちはその上で暮らしてきたんだよ」ってことを。だから神の声ですよね、津波っていうのはある意味でね。死んだ方には申し訳ないけれども。人間の仕事っていうと非常に冷めた言い方かもしれないけれども、役目を果たして死んでいったんだと思いますよ、それは遺族の感覚ではもちろんないけれども。福島というものがあったおかげで、結局世界の問題になっちゃったんですよね。日本も、三陸も。日本の現実が世界にバレちゃった。日本人というのは覆い隠してここまで来たわけですよ。こんな小さい国がね、どこにも攻められずに。
海というものがあるとはいえ、イギリス見ればわかりますけど、海なんてあんなもの国境だなんて生易しいもんじゃないと思いますね。日本人は、いかに大きく見せるかっていうことに関してスーパー・テクニックがあった。日本には天皇がいて、その天皇がいかに大きい力を持ってるかとか、日本人が隅々までそういう能力を持っていて。物語として世界に向かうときに、数倍大きく見せてるはずなんですよ。それで世界の一番や二番にもなるわな、って話ですよ。それがバレたんじゃないでしょうか、世界中に。
■それで昨年、3.11以降は2枚連続で去年出されていますね、『閂』と『門』。
三上:あれはね、自分のなかでは説明できない、ある種の勘と言いますかね、ガガガッと。音楽って、漁師に喩えたりしますとね、魚ってプランクトンを食べてるわけですよね。プランクトンって海のなかに平等にあるんですよ。ところが潮の流れであるところにぶつかって、そこだけに溜まっちゃうんですよね。それで魚が集まってくる。音楽もそうだと思うね。音がぶつかっちゃってるっていうかね。四国のあの場所(高知の)、井上(賀雄)くんたちがやってるあの場所に世界中の音が集まってきちゃってるな、っていう感覚があったんだと思う、わたしのなかで。
■四国の井上さんというのは?
三上:(『閂』と『門』の)リリース元の、小さいショップとライヴハウス(CHAOTIC NOISE)を兼ねたところなんだけども。なんかこう、あくまでも感覚なんですけれどもね、「ここに音が集まってきてるな」っていう感覚があったんですよ、わたしのなかで。じゃあタモですくっちゃえっていうか(笑)、いま捕らなきゃていう。だからあそこでコンスタントにするかどうかはわからない。ほんとに漁師の感覚で、いけるときにゴンゴンっていくっていう。その上でまた今月レコーディングですからね。だからほとんど半年の間で。
■では、そこで2枚続けて出したっていうのは、とくに3.11と関係があったわけではない?
三上:とくに関係ないですね。3.11からの1年というのは早い者勝ちでやったわけですけれども。もしかしたら、3.11の関係があるとすれば、四国もね、高知も丸亀もものすごく地震にいじめられたところですからね。城がすごく地震に対応するようになってるでしょ、まあ城っていうのは元々そういうものだけど。やっぱり大地震がいっぱいあったとこでしょ。そういうのもあるのかもしれないね。
■去年の秋でしたか、新世界で三上さんがライヴやられたときに、観に行ってとても感動したんですね。3.11直後の日本っていうのは、最初は音楽なんて不謹慎だって声もあったり、あるいはひとびとが落ち着きを取り戻して音楽が聞こえてきた頃には、「がんばろう日本」みたいなね、口当たりのいい言葉でもってまとめられてたりとかね、そういうなかで、三上さんのライヴでは「この世界は終わる」とか、いわゆるマスメディアで流れてる言葉とは正反対の言葉を歌われていて、逆に勇気付けられたっていうのがあるんです。みんなが「悲しいよね」とか「頑張ってほしいよね」とかそんなことを言ってるなかで、「この世は終わる」と歌うことはすごく勇気があることだというか......。
三上:それはだからその、厳密に言うならばね、こうやって何年も経つとね、三上は学生運動を挑発してああいう時代の華だったいう、そういう捉え方もあるかもしれないけれども、実際70年代の頃もわたしは実はそうだったんですよ。要するに岡林たちとの学生運動にしてもそうですけど「冗談じゃないよ」っていうね。それもあったんですよね、わたしのなかで。そんなことよりも、永山則夫、中卒でひとを殺した男のほうが俺は大事だっていうスタンスでしたからね。そういう意味じゃ慣れてると言おうか(笑)、それが俺のやり方なんだろうなと思ってると思うんですよね。
わたしはお茶の間のヒューマニズムというのは大嫌いでしてね。その「かわいそうだ」とか「がんばろう」とかいうのはいちばん無責任だと思うんですよね。世界中のヒューマニズムが戦争を起こしているって言ってもいいぐらいなわけでね、それは寺山さんがよく言ってましたよね。理性が戦争を起こすんだ、感情なんかじゃケンカは起こらない。ああいう世のなかのひとが同じ方向を見てるときってね、こう胸くそが悪いんですよね。
■やはり意識されて歌ってたんですね。
三上:もちろんです。
■......そっか、それは素晴らしいですね。
三上:そういうことをしていかないとね、気がついたら何も残ってないんですよ。やっぱりね、「冗談じゃねえよ」っていう。「ボランティアなんかやる暇あったら自分で仕事したらどうなんだ」っていうのがいまだに自分のスタンスですし。それとまったく同じように、三陸の漁師たちはね「俺たちといっしょに悲しもうとなんて思うなよ、てめえらはてめえらの仕事をすることが俺たちを元気にするんだから」って言ってて、ものすごくよくわかりますよ。
要するにね、「かわいそうだな、がんばれよ」っていうひとはね、どこからも突っ込まれないわけじゃないですか。世界的なレヴェルで良いことになってるわけですから(笑)、人助けっていうのは。ところがね、「いちどでもそう言われたひとの身になって考えたことがありますか?」っていうね。「がんばれよ、大変だな」って言われることほどつらいことはないんですよ。自分が同情されるっていうね。それはプライドを拒否することでしょ、そのひとの。わたしはメディアがやってることは、ぜんぜん筋が違うと思いますよ。
■あのヒューマニズムは、ほんと胸糞悪いですからね。
三上:迷惑してる。ひとを馬鹿にしてる感じがする。そりゃあ「ざまあみろ」と言う必要はないですよ。ところがね、形だけじゃ何にも進みません。何にも進んでないわけじゃないですか。つまりボランティアをやってるってことで少しずつ動いてるっていう社会的な風評があるだけで、ゴミひとつ取り除けてないわけでしょ。だからこの前総理官邸に三陸の小学生が5人ぐらい訪れて、ひとりがこう言ったそうですよ、「ほんとにやる気があるんですか?」、そういうことですよね。
原発もそうですよ。わたしなんかも原発反対の運動もやってきましたけどね、それは何かおかしいんじゃないかって気がつくまでそれほど専門的な知識もないわけですし。いまごろになってね、雁首揃えたようにね、知識人たちやある種のひとたちが一生懸命署名してやりましょうっていうのはね、「じゃあいま働いてるやつはどうすんの?」とか、そういうことがまずないですよね。頭のなかに大きい流れっていうものがね。
■ただ、いまこれを契機にして、三上さんの言葉を借りれば津波のおかげで、またいちど潰された市民運動がまた再生しようとしている機運も僕は感じているんです。
三上:それは絶対しないといけないですよ。こんなチャンス逃したらもうちょっとダメだと思うよ(笑)。
■そういえば、永山則夫をテーマにした曲がファースト・アルバムに入っていますけど、三上さんは永山則夫のどこに共感するものがありましたか?
三上:まあ何て言うんでしょうかね、人を殺した男と同じ景色を見たっていうことでしょうな。
■それはやはり津軽の。
三上:ええ、同じ環境にいたっていうね。
■北の生まれっていう?
三上:ええ、もうすぐそばですし。彼の同級生とわたしが同級生だったり、そんなとこのやつか、っていうところじゃないですかね。だからね、市民運動でいまやらなきゃいけないことはね、「市民とは何か」なんだよ。
日本のなかの市民意識っていうのはね、俺さっき言ったけれども百姓根性とかね、奴隷根性っていうもののね、それの反対ですよ。だからまだ市民になってないんですよね。市民っていう概念がまず日本にはないですよ。何となく、「いまやっとこう」なんだろうな、ってことになっているわけで。
国民なんていうのは天皇しか使えないじゃないですか(笑)、大きい意味で言うならね。だから市民運度のトップに立った菅直人ってやつが何もできなかったわけですからね。考え直すべきですよね。政治にもプロがあっていいんじゃないかって。そして市民っていう概念は日本人の場合どうなんだっていうね。キリスト教の文化だったら神と自分ってことでわりと簡単に決められるでしょ。日本の場合は天皇と自分ってことで日本人の市民って概念を作っていくのか、「それもあんまりパッとしねえな」、とかね。いったいこれから日本人は市民とか個人とかいうものをね、どうやって確認しあうのか。もちろんわたしはうっすら感じてますよ、やっとできつつあるなっていうのはありますけれども、やっぱりそれは、そういう市民像っていうのがしっかりあって、「日本人にとって市民とは何か」って誰か作ってほしいぐらいだけれどもね(笑)、それではじめて運動になったり、改革になったりすると思うんですよ。まだ選挙民でしかないですから(笑)。
つまり中津川で歌ったときに、このまま世のなかにばっと広がっていくんじゃないかと思いましたよ。で、3年ぐらいその気でいたら、まわりを見たら誰もいなかったっていうのが、まあ現実でしたね。それはものすごくショックだったですね。
■で、もうひとつ今日テーマにしたかったのが、三上さんが「田舎」というものをどのように考えてらっしゃるか、っていうのを聞きたかったんです。というのは、たとえばいまのミュージシャンの音を聴きますとね、シティ・ポップスが多いんですよね。シティ・ポップスが悪いとはべつに思わないんですけれども、たとえばアメリカだとカントリーという田舎の音楽が若いひとたちにいまも支持されている。ブルースなんていうのはまさにメンフィスの音楽であって、僕はデトロイトの黒人なんかと話す機会が多いんですが、彼らは北部の工業都市で暮らしていてもいつかはメンフィスの田舎に戻りたいという気持ちを持っているんですね。あるいは、イギリスだったらアイリッシュ・トラッドとかケルト文化が、ビートルズの曲にもレッド・ツェッペリンの曲にも、いまのテクノにも出てくるわけです。つまり権力に対抗するときに、欧米の音楽はいまも田舎を持ち出すんです。それが日本で「田舎」というと、「田舎もん」という言葉が侮蔑の言葉として使われているように、いっぽうで田舎は美化されながら片方では否定されているような、奇妙な意味を持ったものになってます。三上さんの音楽は、そういう意味では、日本が隠蔽したがる田舎を物凄く開放しているというか、さらけ出している。さっきも漁師っていうものが自分にとっては重要だからとおっしゃっていましたが、漁師が重要だというミュージシャンに初めてお会いしました(笑)。とにかく、三上さんには周縁化されてしまった「田舎」というものに対する何か強い気持ちを感じるんですよね。
三上:ありますね。その、何て言うんでしょうかね......。まず「田舎もん」というのはだんだんなくなりましたよね。要するにイギリスで「ジェントルマン」っていうのは「田舎もん」って意味らしいのよ。要するに3代も前のじいちゃんの三つ揃えを着て、こんな帽子かぶってるっていう(笑)。まあそれはいいとして、ミュージシャンにとってそれはいますごく重要な話ですよね。要するにね、ロックっていうのはほとんど田舎もんですよね。まずエルヴィスがそうでしょ、ジョン・レノンもそうじゃないですか。イモなんですよ。イモのパワーなんですよね、音楽って。
■ハハハハ(笑)。
三上:ええ。土着のパワーなんですね。というのは音楽っていうのは元々作物ですから。やっぱり土地がないと生まれないんですよ。音楽って大根と同じですよ。それがいちばん顕著なのが声質でしょ。これは田舎の声なんですよ、わたしの声は。ジョンはね、アイリッシュとかケルトとか、あの声なんですよ。
■イギリス人ではじめてロックを歌うときに、アメリカ訛りでなくイギリス訛りで歌ったひとがジョン・レノンって言いますよね。
三上:そうでしょ。あれも完全に田舎ものの声なんですよ。あの潮枯れしたようなね。エルヴィスなんかも南部の畑のなかで、音楽でカッコつけてたやつの声ですよ。よくいるじゃないですか、田舎で音楽でカッコつけるやつが(笑)。
■黒人のブルースもまさに黒人訛りなわけですよね、南部の訛り。
三上:だって黒人の声なんていうのは完全にアフリカの作物でしょう。
■ははははは!
三上:そうだと思うんですよ、わたしは。
■たしかに(笑)。レゲエに至っては完全にジャマイカ訛りでね、ほんと堂々としてますよね。
三上:そういう意味で言うとね、音楽は都会からは生まれないですよね、だって作物ないわけですから。消費文化でできてるわけですから。でしょう? 世界に話広げなくたって、日本でもそうですよね。わたしのような声、それから九州の連中のような声。わたしはああいう甲高い声出ませんし、これはもう声聞いただけでわかるっていうぐらいですよね。どこの出かっていうのはね。だからわたしは「あんたどこ出身?」っていうのはね、声で想像を巡らすっていうのがあるぐらいですよ、ええ。
田舎っていうことで言えば、それはねえ、どうなんですかねえ。結局日本はみんなね......わたしなんかも最近ふと気づいたことなんだけれども、やっぱりそれはあれでしょ、近代化っていうことでしょ。要するに明治維新が起きて、それまでは藩っていうものが、田舎がそこのポップだったわけですよね。標準語も何もない。
そうじゃなくて、近代的になるっていうことは、なるべく同じヨーロッパ・スタイルと言いますか――まあヨーロッパだって普通に田舎だけどね、ほんとはね(笑)――そういうものにしようじゃないかっていうことで、自らが田舎を否定しようっていう流れに乗ってしまったんですよね。もっと詳しく言うならば、田舎にはね、死があるんですよね。ひとの死があるんですよ。近代化っていうのは死から遠ざかることだって言ったひとがいますけれども、死人からつき離れていく状態ですよね。田舎イコール死人ですよ。父が死に、母が死に、兄弟が死に、っていうね。都会ではやっぱり、そういう意味では死はないですよね。養老孟司も言ってたけれども、都会とは言ってないけれども、いまある死はただの「数」だってね。死ぬのは他人ばかりですよね。今日何人死んだって新聞に出ているのが死であって、あのおばあちゃんが、俺と同じ景色を見た母親が死ぬっていうのとは、死の概念がぜんぜん違いますよね。
■たとえばイギリスなんかはね、アイルランド人とかってイギリスでは下層階級なわけですよね、白人でもね。主流では差別されてる。しかし、アイルランドとかスコットランドとかみたいなイギリスの上流階級が馬鹿にするようなひとたちを、「あいつらこそ最高だ、あのアイリッシュ・ソウルの素晴らしさを見ろ」っていう風にむしろ言うひとが同時にいるわけですよ、とくに音楽のシーンには。三上さんの音楽っていうのは、日本の近代化のなかで周縁に追いやられてしまったものを同じように取り戻そうとしているように感じるんです。
三上:これもっと話を広げるとね、結局東洋と西洋っていうものになっていくと思うんですよね。つまり仏教国とキリスト教みたいなことになっていくんじゃないかと思うんですよね。ていうのはアイリッシュなんかでも、元々は発祥はインドのほうですよね。東洋人なんですよ。これはヨーロッパのひとなんかもびっくりして。あの文化っていうのはやっぱりインドのどっかから発祥してる。ケルト民族なんていうのは、だから我々も不思議とわかるヴァイブレーションっていうものがありますし。日本の唱歌なんていうのは、ほとんどアイルランド民謡ですよね。
■ああ、そうですよね。スコットランドも多いですよね。
三上:何でアイルランドなんだろうと考えたら、血が呼び合うっていうんですか(笑)。結局我々はいま、どっちを選ぶべきかになってるんですよね。いま田舎ってものをもういちど見直そうってなるってことは、大きい意味ではヨーロッパ的な洗練された文化っていうものの反対を見ているわけですよね。反対ですからね、都市と田舎っていうのはね。田舎っていうのは土着的であり......もっと言うと、科学なのか自然なのかですよ。簡単に言うと。
■しかもまた都会っていうことで言っても、三上さんが住まわれた60年代や70年代の東京といまの東京ではまるで違いますからね。
三上:そう、そう。ただわたしは、土着がサイエンスだと思ってるんです、わたしはね。それは無知なだけで、我々が。
わたしが田舎に帰りまして非常に面白いこと発見しましたのはね、青森津軽町にイタコっていうのがいるんですよね。シャーマニズム的な。わたしはそういうものが嫌いで東京に出てきたわけですけれどもね、ところがあるとき何かの取材でそういうことをしたら、イタコが何かこういうことをやってるわけですよ。ひとがこういっぱいいて、で、わたしの隣にね、50ぐらいのひとかなあ、まあ百姓の親父が寄ってきましてね、「どうやってやるもんですか、どうやってイタコの話を聞けるんですか?」と。だからちょうど5~60代のひとはやり方がわからないんですよ。昔のばあさん連中は行って、イタコの前にいくらか出して「お願いします」って言えばやってくれるんだけど、そのひとは知らないわけだな。そういう文化にいないし、また忌み嫌ってたっていう。その男にですね、ばあさんの前に行っていくらか出せばやってくれるんじゃないのって言ったら、「ああそうですか」って言って、イタコのところに座って千円札かなあ、それを出して、座ったと途端に「わー」っと泣き出したんですよね。その親父がね。そのときにね、これはある種天然の都会だなって思ったんですよ。
要するに、想像するに彼は百姓の長男で母親を亡くしてるわけですよ。ところが百姓のうちっていうのは個人の部屋がないんですよ。ひとりだけでこもるなんてことがないんですよ。ガラガラなわけでしょ。で、長男は泣いちゃいけないんですよ。田舎の長男は母親が死んでも泣いちゃいけない。泣く場所がなかったんですよ。だからやっと泣けるわけだ。だから、イタコの前で泣くことには誰も後ろ指を指さないわけね。要するに気持ちの便所ですよ。それは音楽と同じですよ。音楽聴いて泣くのはいいんですよ。ところが一歩外に出たらね、泣いたら負けるんですよ。弱みと受け取られますからね。ちゃんと都会で音楽があるように、田舎には泣いてもいい場所がちゃんとあるんだっていうのは、これは非常に合理的ですよ。
■ゴスペルと同じような社会的な機能をしているんですね。
三上:でしょ? 泣いてもいいんだと思うんですよ。決してそれは人生に負けたことでもないし、闘いを放棄したわけでもない。
■行き場をなくした感情を開放してるんですよね。
三上:そういうことですよ。つまり、ガス抜きですよね、ある種のね。
■なるほどね。で、そういうことで言うと、三上さんがよくシュールレアリスムという風に昔おっしゃられてますけど、それこそ初期の頃の曲には、それこそ、「チンポ」「まんこ」「センズリ」......。
三上:近親相姦。何でもあり。さすがにカニバリズムはね、あれは都会のもんですから。うちらは畑に撒くものですから(笑)。
■はははは(笑)。とにかく夥しい放送禁止用語のリストがあるわけですけれども、これも田舎と同じように、タブーに挑戦していたというか、表現における自由の限界を試していたようにも思うのですが。
三上:そうですね。まあ......シュールでもダダでもね、要するにヨーロッパのああいう芸術運動ってのはね、ほんとに土着みたいなところから出てるんだよね。日本に来たりすると何かカッコいいものに見えたりしちゃうけれども、ああいうある種のデタラメって言うんですか、起爆力って言おうか、新しいものが。で、俺が使ったのもスラングでしょ。つまり日常会話じゃみんな言ってるわけですよ。
■そうですよね。しかもこれだけ時間が過ぎたいまでもパブリックになると包み隠されてるっていうね、おかしな話で。
三上:そうですよ。だからそれは自負がありますね。わたしからだろうな、こういうことをやったのは。それまでは、音楽の作詞っていうのはちゃんとありましてね、まず「センズリ」なんていうのは歌詞じゃないっていうね(笑)。わたしが歌う前はそうでしたよ、ちゃんと歌詞の作り方があるんだみたいなね。それが寺山さんの一言でね、「いや、いいんだ」っていう。そういうスラングでいいんだっていう。それはほら、寺山さんなんかが洗礼を受けたビートニクなんかがちょうどね、アメリカ60年代であって。それまでもギンズバーグ以前でも、ファックだのプッシーだのやってませんよね。それもわたしのあれも外来なんですよね。いきなりじゃなくて。筋というか流れで言えば(笑)。
■それにしても「キンタマは時々叙情的だ」は名文句ですけどね(笑)。
三上:それはまあそうですよね(笑)。だからあの当時の現代詩なんかは、「キンタマ」でも「女陰」でもそういったものがアカデミックな使い方をされてたんで、そこでああやって金玉を叙情的にしたんでしょうね。まったく遠いものを。
■ははははは。何でしたっけ......「荒波や 佐渡に横たふ わがチンポ」とか、最高っす(笑)。
三上:ひどい歌だよね(笑)。
■僕、すごく感心するんですけど、あれだけ「オマンコオマンコ」っていう、「女なんてやっちまえばいいんだ」っていう。ああいうのもひとつの逆説なわけじゃないですか。
三上:まあそうですわな。
■パラドックスですよね。日本社会の封建的なものに対する逆説的な表現としてあって、で、ちゃんと三上さんは中山千夏さんという、あの当時のフェミニストの代表格のひとりにもちゃんと理解されてるんですよね。中山さんのアルバムに参加してますもんね。
三上:だから千夏なんかにもさ、「結局寛しかいないね、女のことちゃんと考えてくれてるの」なんて言われて。わかるやつにはそうなんだよな(笑)。わかるやつって言っちゃあおかしいけれども。
■それを考えると、いま大衆文化の空間で話されているボキャブラリーっていうのは、ずいぶん見事にまた統制されてきてしまってるんじゃないかっていうね。
三上:そうですね。いまのポップスがこういう風にちゃんとなっていけばいくほどね、結局、「いったい何が失われていくんだろうな?」っていうのを考えるとね、意外とね、本当の意味でのエンターテインメントっていうのがなくなっていくんですよ、これが。不思議なことに。わたしはアンダーグラウンドっていうかサブのほうでやってきた立場なんでしょうけれども、わたしはエンターテインメントの視点っていうのは忘れてないんですよ。あれはあれでまた、狂気っていうものがないといけないし、やっぱりこのままだと第二のマイケルなんて生まれないだろうっていうぐらい。マイケルだって相当おかしいやつですからね(笑)。
■黒人音楽の芸当に対する思いはすごいものがありますからね。
三上:でしょう。それが表現以前に、何て言うんでしょうかね、エンターテインメントってことは、わたしももちろん他人事じゃ言えませんけどね、我々との結びつきって言いますか、アングラとの太い絆って言いますか(笑)、あるんですよ、これが何となく。
■たしかに三上さんのステージを観ると、エンターテインメントってことをすごく意識されている。
三上:意識しますよ。そこがギリギリわたしがノイズ・ミュージックと離れる部分でね。やっぱり完全なアートになりすぎないっていう。それはやっぱり街のもんだっていうのがありますよね。エンターテインメントっていう考え方がこれを支えてくれてるっていう、どこかでね。オールアートって行くとあれはやっぱりどこか閉じこもって、2、3年かけてCD1枚作ってさ、「どうだ」っていうので気が済むわけですよね。それはちょっと違うんですよね。やっぱり自分を支えた言葉っていうのは、全部エンターテインメントのひとたちですよね。わたしを支えてくれたのは。
■寺山さんも歌謡曲やってますしね。
三上:寺山さんもそうですしね、モハメド・アリの「チャンプ、次はいつの試合だ?」って「町のひとと相談する」というのも「いいなあ」って。アリが「次のボクシングの試合はいつだ」っていうのを聞くのはプロモーターじゃないっていう。町のひとに聞くっていう、「これは何だろう、町のひとと相談するのか」って。「そうか、町でいいんだな」って思ったり。それはいろいろありましたね、エンターテインメントとかそういうものに支えられたっていうものはありますよね。
■なるほど。そのエンターテインメントの変遷で言いますと、三上さんは「ストリッパーはいない」と歌われてますけど、やっぱりストリッパーとAVとの確固たる違いっていうのはあると思いますか?
三上:そうですよ、それは手書きとワープロの違いみたいなもんじゃないでしょうか(笑)。
■ははははは。
三上:要するにストリップにはほら、死があるじゃないですか。バッと開いてさ、あそこで生まれるものはエロスっていうか、死があって。AVには想像力とかね、そういうものが必要でしょ。死っていうのはまたちょっと違うよね。だからエロスつうもんでもないような気がしてますけどねえ。うん。あれはある種こちら側の想像力で成り立っている世界であって、そのものがどうのっていうもんじゃないですよね。まあもちろんストリップもたしかにそうだけれども、ストリップはもっと強引でしょ。想像を拒否するわけじゃないですか、だって、バカッと開くわけですから(笑)。「参りました」しかないわけでしょ(笑)。
■ハハハハ! ほんとそうですよね(笑)。
三上:そういう部分かもしれないですよね、エンターテインメントっていうのはある種強引に語りかけていくっていうのがあるんじゃないですか。観客を圧倒しちゃうってことじゃないですかね、おそらく。独裁ですよね。
■はははは。三上さんの音楽っていうのは「怨歌」という言葉で形容されてますけれども、そもそもその言葉はどこから出てきてるんですか?
三上:その論争が起きたのがちょうど70年代ぐらいなんですよね。「演歌とは何か?」みたいな。誰もそんなものを一流誌で議論する以前の歌だったわけでしょう、あれは民衆の歌、まさに漁師だったり百姓だったりが聴く音楽であって。もちろん都会のひとも聴く。そこにインテリたちが入り込んできたわけですわな。「演歌とは何だろう?」、「怨みなのか? 演ずるなのか?」と。それは五木寛之さんなんかが入ってきたことで。ヤクザ映画なんかもそうですよ。何かいままでサブカルチャーというか、下々のものだったものが、さっきの質問の通り「この力は何か?」ってことですよね。みんな気になっちゃったんだと思いますよね。
で、あの当時それからだけども、大衆演劇なんて観に行くやつをみんな馬鹿にしてたものでしょ。つまり、踊って村祭で行くひとたちを。いまやもう歌舞伎座で公演やるぐらいになるわけじゃないですか。インテリがやって来るわけですからね。それは嗅いでるわけですよね、力をね。きっと。だからいまの話が全部繋がると思うんだけれども、パワーだったり、死だったり、自分の遠い遠いルーツだったり。つまりひとっていうのは自分のなかに物語がないと生きていけませんよ。どんなひとでも。そのネタがないんだよ、いま。それが「田舎」だったりね、そういうもののなかにあるんですよ。いままで差別したり軽蔑したり蔑んできたもののなかに自分たちの物語があるんですよ。それらを無視してきて、物語を作れなくなって、それで占いブーム宗教ブームでしょ。代わりにストーリーを作ってくれたものに黙って入っていけばいいわけですから。そしてそれも崩壊するわけでしょ。そうすると、もちろんコンクリートの上でも物語ははじめられると思うけれども、人間ってもっとヤワですから。だって我々の腹を切ったらもう臭いんですから。ただの糞の塊ですよ。だからそういうことに気づいてきたっていうことですよ。でないと物語を作れない、自分を成立できないんですよ。
日本中から集まった百姓のせがれたちの感覚じゃあ、無理だったんじゃないでしょうかねえ。世界の動きっていうのは、インテリ指導と言いますかね、そこそこ毒を持ってた連中ですよね、そういう連中が起こしたムーヴメントに、やっぱり格好だけじゃついていけなかったっていう。
■なるほど。で、そこにその「怨み」という字を乗せられてるわけですけども、作者自身として自分の音楽を形容するのに当たっていると思いますか?
三上:これは自分でつけてないですよ。自分から言うとね、これは「怨歌」どころじゃないね。つまり怨みどころじゃないですよ。
■ははははは。
三上:それは誰かが言ったんですね。誰も彼もが演じてるんじゃない、怨み歌であるであるっていう。もしかしたら深沢七郎さんかもしれないですね。深沢さんがね、わたしが初めて本出したときに、帯にこう書いてくれたんだよ。「この三上の歌は、怨みの歌である。これはいままでの文学にはない世界だ」と。おそらくそこで初めて三上は怨みだってそういうことになったんだと思いますよ。
■深沢七郎さんと三上さん、土着的な文化を使って権力に抗するというか、すごく共通してると思います。
三上:そうです。わたしの心の師ですよ。
■とくに1990年以降の三上さんの作品に感じるんですけど、やはりそのブルースやジャズなんかに混じって、仏教の声明であるとかね、浄瑠璃みたいなものとか――声明が日本の音楽のはじまりだって説がよくありますけれども、ああいうものとのブレンドっていうものを感じるんですけど、それは意識されてるんですか?
三上:それはもちろん。わたしはブッディストというか仏教を信じてる立場としてもそうなんですけれども、ただ、声明やあの辺との自分との接点っていうのはまずないですね。もしあるとするならば、万葉集とかのほうが、勉強はしてないけれどもあるかもしれないですね。要するにあれ全部歌ですから。あれは字ではないですから、みんな声に出して歌っている。そういう意味で、ヴォーカルってヴォイスっていうことであれば、万葉のひとたちの作品とは通じているけれども、仏教のああいうものっていうのは全然あの......まあ声仏事をなすって言葉があるぐらいで、声も生き物であるってことから来てるんでしょうけれども、あまり詳しいことはわからないにしろ、形作られるところではね、わたしはむしろそっちに歌を感じる。音楽的に聞くと。
■でも演歌の節回しは声明から来てるってよく言われるじゃないですか。
三上:そうですかねえ。それはまあ、そうだと思いますよ。要するに仏教で言うね、妙音菩薩っていうのはどもりっていう意味ですからね。要するに汚い声っていうのが仏になるわけですから。仏教ってみんなそうじゃないですか。泥のなかに咲く花があるとか。美は乱調にあるとか。要するにダメなものがいいっていうのが仏教でしょう。西洋音楽の教会音楽みたいに、「あー」ってまっすぐ行かないんですよ。必ず「あーあーあーあー」ってどもらなきゃダメなんですよ。
■なるほどなるほど。
三上:汚い声じゃないとダメなわけですよ。十分そこでロックじゃないですか。わたしは釈迦なんてのは一世一代のロック・スターだと思ってます。あれは不良ですから。
■空海はヒッピーですか(笑)。
三上:空海だとあの辺だと多少エリートの匂いがしますけどね。まあわたしは創価学会でも何でもないですけど、わたしは日蓮が好きでしてね、あのひとだってまさにエタの子ですからね。だからいちばん下のひとですよ。そこでしびれるわけですよね。
■なるほど。いま仏教の話が出ましたけれども、90年代以降の三上さんは、やはり独特のスタイルを作られたと思うんですけれども、何をヒントに、どのようにあれは生まれたものなんですか?
三上:あれはね、結局ね、80年代、三陸のライヴ盤っていうのはやりましたけどね、80年代にほとんど曲もできてなかったんですよね。実際新曲がないわけで。ところが何かの拍子でね、80年代後半からいわゆるオタクというものがわたしの前にも現れるわけです。レコードおたくというか、コレクターと言いますかね。
70年代というのは同じような世代のやつらと同じような空気を吸って、作ったやつを聞かせてっていう、まあ丸ごとそれでいってたんですよ。ところが10年から20年近く経って、まったくわたしの知らない少年が、いちどに全部にわたしのことを知るわけですね、音楽で。わたしが研究されてるんですよ。癖とかをね。「あ、これはもうバレてるな」っていう感じでしたね。いままでのわたしの曲の作り方が。「こう来るか、じゃあもう1回わからなくしてやろう」っていうのがありましたね。
■ほおー。じゃあまあそれが最初にあったんですね。
三上:それが最初。いままでのように物語性もないし、キーワードもすごく個人的なものになるし、それはもう賭けでしたよ。「絶対あるはずだ」っていう。さっきの市民意識じゃないけれども、「ひとりをどこまで深めるか」ですよ。音楽を聴くリスナーと、一対一ですよ、ですからね。わたしが90年代でやったことは。たったひとりのため、あるいはたったひとりの歌い手でいるため。もちろん客は何人かいるとしても。90年代はそれでずっとやってきましたね。一対一でどこまで音楽が力があるのかという。どの領域まで詰め込んでいけるのかというね。音と言葉で。
いま一対一って言ったけれども、それも前フリがちょっとあってね。それはね、ちょうど90年代に入る前ぐらいにね〈曼陀羅II〉でライヴをずっとやってましてね、そのときに親子で来た客がいたんですよ。つまり70年を生きてきたお父さんと、17歳の子がお父さんの書斎からたまたま俺を発見して「このひと聴きに行ってみたい」っていう。親子で来たことがあるんですよ。そのときにね、「俺はどっちを向いて歌えばいいのか」っていうような感覚だったんですよ。だからつまり、「70年代の空気を吸ったやつらの多少の思い出の苦味を含めて歌うべきなのか?」、まあ言い方でいうならばね、「それともいま俺が感じてることを17に向かって歌うべきなのか?」という、迷ったんです。で、そういうことが何回か続いて、俺は誰に向かって歌うかっていうことに迷っちゃったのね。つまり、70年代は70年代で良くて、そのままテレビやったりいろんなことして、ちょっと変えていこうかなと思っていた矢先にそれでしょ。それでね、結局考えて、「あっ血だな」と思ったんだよね。この親と子どもと同じものに訴えかければいい。それは血というものだなと。
それは80年代に意識としてありましたね。だから三陸なんかに行ったのも多少ありましたし。それで90年代以降のアルバムっていうのは全部北海道で作ってるんですよ。アイヌ民族のわたしの友人と。自分の血のルーツ、行き着くところはどうしたってアイヌですよね。
アイヌっていうのも元々はヨーロッパのひとたちなんだけれどもね、調べると。だけどそのなかに、早い話「俺の血」があるんですよ。親がいて、じいちゃんがいて、そのじいちゃんがみんな漁師だったと。みんな北海道にいた。で、みんなアイヌと暮らして、ばあちゃんがハーフと結婚して。だから俺も何十分の一か入ってるわけですよね。そういうものを探していって、あのとき見た津波の不思議な景色であるとかも、そういう能力なのかもしれないし。そういう予知するような能力。っていうものかもしれないし。それは北海道に行って、70年代に作ったものっていうのを再認識というか、はっきりわかったんです。だからいまは意外とそういう迷いはないですね、自分の居場所として。
■じゃ特別なトレーニングとか研究とか、そういうことじゃなしに――。
三上:なしですなしです。
■いまのスタイル、あのギターのフレーズから――。
三上:フレーズから、言葉の選び方とか。だからそれは全部ステージの上で作ったんです。いちども練習はしなかった、わざと。もうとにかく、そのときわかるものを身体に覚えさせなきゃいけないっていう。だからお客さんに喜んでもらったっていうのは救いだけれども、「何だこりゃ」でおきゃくさんが非常に離れた部分もあるんですよ、最初はね。
だいたいアコースティックで曲を書いたでしょ。すると電気っていうものがどういうものかわからなくなっちゃって。だから「電気っていうのはわからないけれど」って歌ってるわけですからね。ちょっと待って直すからっていう。だからそういうことにお客さんも付き合ってくれたのはすごいと思うんですよね(笑)。それは前の世代だと「何やってんだ三上、ひっこめ」で終わるんだけれども、若いリスナーって――。
■三上さんは、まあ、CDやデジタルに対しても相当警戒心を抱かれたようなので(笑)。
三上:ありましたね(笑)。(音楽が)「信号なわけねえだろ」っていうね。
■ははははは。
三上:だから「信号じゃねえだろ」と思いつつも、「狼煙かよ、じゃあ俺の十八番じゃねえか」っていうことになっちゃうんだな、デジタルっていうものにものに対して、0101ですからね、元々。こういうものはさ。
■狼煙?
三上:狼煙でしょ。消えるか落とすかで昔は連絡取ってたんですから(笑)。いま狼煙ですよ、携帯も何もかも全部。そういう意味じゃかなり「わたし寄り」になってるというか(笑)。
■なるほど(笑)。
三上:ということは十八番じゃない、原住民としては(笑)。
[[SplitPage]]歌い手、ものを作る人間の予感ですよ。予感のないアートはダメですよ。アートはね、後付けじゃダメ。政治とかジャーナルは後付けだけどね、アートは先に行ってそこで「まさか」って言われるんだけども(笑)。誰でもみんなそうですよね。
■なるほど(笑)。ところで三上さんの歌には、多くの固有名詞が出てくるじゃないですか。木下明夫とかね。古谷くんとか弥吉とか落合恵子とか(笑)。あれはどういうような意図なんですか?
三上:要するにね、固有名詞ってね、ある種浄化みたいなものでね。ある種リスナーに対する拒絶ですよね、ええ。つまりテクニックとしてはね。ただね、リスナーに対しての拒絶なんだけれども、そこで諦めないんですよ、いまのリスナーっていうのは。その固有名詞にあるね、まあ三上なら三上の等身大の見方を想像していくんですよ。
だから日本のお客さんがいないとあれできないですよね。俺のいまのやりかたって。固有名詞がいままで拒絶していままで使われてたんだけれども、放射能じゃないけど、そういうものを乗り越えていく感覚っていうのが日本人はあるし。また俺本来言葉ってね、固有名詞の羅列なんじゃないかと思うんだよね、意外と。
■あの、外国の歌って固有名詞が出てくるじゃないですか。ひとの名前が。でも日本の歌でひとの名前が出てくることってあんまりない。まずありえないですよね。
三上:そして、アメリカの映画でもヨーロッパの映画でも、我々が観るでしょ。すると字幕があるけど、ヒアリングが優れてるひとはどうか知らないけれども、わたしなんかだと何言ってるのかほとんどわかりませんよね。全部ひとの名前ですから。ジョージが何したとか、ジャックが何したって話でしょう。あと行くか行かないかぐらいは小学生でもわかるから、あと80パーセントぐらいはひとの名前呼び合ってますからね。ジョージがどうしたとか、あいつがどうしたとか、どんなギャング映画でも。それと同じですよね。だから結局無意識にでも想像してるわけですよ。固有名詞の意識でね。
■外国の方って、知らない分サウンドとして聴くからわかるんですよね。
三上:そうなんですよ。固有名詞を使えば使うほど、外人には伝わるっていうのはこれも不思議なんだよなあー!
■ゆらゆら帝国っていうバンドをやっていた坂本慎太郎くんっていますよね。彼と昔飲んだときに「三上さんは海外ですごいんだよ」ってことを僕に教えてくれたんですね。それを聞いたときは意外に思ったんですね。三上さんは言葉が面白いから。でも、実際、海外からも作品を出されているし、よくよく考えれば、三上さんの好きなコルトレーンなんかもそうですけど、ものすごく土着的なものを追及していくとユニヴァーサルになっていくっていうか、そういうことなんだろうなと思ったんです。海外に関しては意識されたんですか?
三上:うーん、意識したのはねえ、昔は何と言いますか、文化的なナショナリストと言おうか、「てめえらにわかるわけねえだろ」っていうのがスタンスだったんですよね。
■はははは。
三上:「わかってたまるか」っていうね。それが70年代ごろの私のスタンスで。実際あの当時はドラッグ・カルチャーっていうか、アメリカのインテリたちがみんなインドに行ってた時期で。そこそこレヴェルの高い連中は一回新宿にいたんですよね。だからそういう外人を見てきてるから、「てめえらにわかるか」っていうね。あるときね、ピンク・レディーの振り付けか何かでたまたま俺のライヴ観に来たやつがいて、「お前、いますぐニューヨークへ行こう!」って(笑)。それが24~5のときですからね。そういう意味では、なめてかかってたっていうか。それでずっといたんですけれども。
ですから最初にヨーロッパに来ないかって言われたときも、破格のギャラをね提示するくらい思い上がってたっていうかね(笑)。意識も何もあんまりなかったんだけれどもね。ところがね、アイヌ民族と自分の血のルーツってことを考えていろいろ部落を回ってみたり話を聞いたりして、それでネコヤナギっていうのが物凄くキーワードになってるんですよね。
■ネコヤナギ?
三上:はい。ネコヤナギってアイヌ民族のキーワードになってるんですよ。なぜかと言うとね、川端に咲くんですけれどもね、キラキラとパール上に光るんです。それが大きくなるとネコヤナギの木を5センチぐらい切りましてね、それを乾かして、イナウっていうのを作るんですよ。だから日本で言うと何て言うんですか、神社にこうついてるのがあるじゃないですか。あれと同じようなのでイナウっていうのがあって、それをネコヤナギの木で作るんですよ。ナイフを曲げてきゅうっと縮れさせて、作るんですよ。
ネコヤナギのツアーを10年北海道で毎年やりまして。そのなかでぜんぶ曲を考えて。で、やっていくうちにそういう話が来て。「じゃあヨーロッパにネコヤナギ見に行く」っていう。どうせアイヌなんてヨーロッパから来たんだからね。それがあったんですよ。そして初めてパリに行くと、あのセーヌ川の領域っていうのは、もうわーっとネコヤナギだったんですよ。
■へえー。
三上:それで筋が通ったの。だからそれが自分のなかで10年間の遠心力ですよね。ぐーっと置いてどーんと行った感じですよ。だからアイヌ民族の血の流れですよ。そういう意味じゃ、きっと。流れで言うならばね。戦略的なものも多少あったにしろ、自分のなかじゃそういうことになってますね。で、向こうのひとなんかネコヤナギなんてまったくみないですからね。「ネコヤナギ? 何だその木は?」って全然興味ないですけど(笑)。
■ハハハハ。
三上:そういう導きみたいなものがありましたけどね(笑)。
■ちなみにパリで出したアルバム......2004年の『Bachiー撥(ばち)』ですか、あと、2009年にも出してますよね。『Nishiogi No Tsuki』とか。
三上:うんうん。2枚出しましたね。
■現地でライヴもやられてるわけですよね。
三上:やりました。
■どのようなリアクションなんですか?
三上:だから最初にね、レコーディングしたときに......『撥』のときですね。録音するじゃないですか。するとね、いままで聞こえていなかった音がいっぱい入っているわけよ。ていうことは、エンジニアが聴いたとおり録音されているわけじゃないですか。たとえばその「青い空」って歌ったときに、意味の分だけ音が引かれてるんですよね。「青い空」ではわかっちゃうわけですから。ところが「青い空」っていう意味を知らないと、「あ」「お」「い」「そ」「ら」っていう音になるわけじゃないですか。しかし我々は、無意識に意味の部分でまとめてるんですよ、輪郭をつけてですよ。意味がないと、「あおいそら」ってこんな声を出してるんだな、ってことに物凄くびっくりして。それでさらにさっきの固有名詞に対する自信もそこで深めたんですよ。
■なるほどね。
三上:「やまだひろし」、「きのしたあきお」、微妙に違うわけじゃないですか。それでこっちが固有名詞だと言わないにしろ、絶対薄く匂ってるはずですよね、名前から。
これも非常に感覚的なことかもしれないけれども、わたしは物凄くひとの名前を覚えにくいんですよ。だから自分の言葉にするまで、たとえば「山田一郎」でも半年ぐらいかかっちゃうんですよ。これは変な感覚で。やっぱり最初からそういうものとして捉えてるのかもしれないですね。ひとの名前が一番ねえ......一度覚えたら自分のなかにぱっと入ってきて、物語の仕組みを作ってくれるひとっていうと変なんですけれどもね(笑)。
■なるほどねえ。
三上:これはだからまあ......謎っていうか、隠してるわけでも何でもないんですけれども。不思議ですよね。たとえば人名でも土地の名前でもいいから、固有名詞に力があるんだったら全部羅列でラップでもやってみようかっていう。でもこれはまったく違う話ですよ。それを「固有名詞でございます」って周りで仕掛けてやらないと、固有名詞にならないですよ。ばーっとやったからって、誰も固有名詞と思わない。いかに固有名詞で、そこを浮かせないとね(笑)。
だからこういうことかもしれないね。拒絶させたと見せかけて、入り込む、あるいは入ってもらうっていうね。これは隠しですよね。意外と。だからね、音楽には絶対隠しがないとダメ。
■トリックみたいなものですよね。
三上:ええ。でないと、風化しちゃうんですよ。つまり権力、お上、既成事実に吸い込まれちゃうんですよ。だからわかるやつにしかわからない部分がないと。
■隠語みたいなものですね。
三上:隠語がないと。ちゃんと「訓練がいる」っていう風に緊張感を持ってないと、音楽っていうかありとあらゆる芸術はここまで伸びてこなかったと思うんですよね。力のあるものは壊すことができるわけですから。
■それこそ日本の大衆音楽に「うたごえ運動」(注)があったことを忘れちゃいけない、ってことをおっしゃられてましたけど。
三上:それだよ。だって全部バレちゃったらさ。
■とは言え僕は、三上さんの言葉からはこう漠然としたイメージというか、「どうとでも取れる」ってものではなく、ある方向性というものはすごく強く感じまして。近年の作品に。たとえばまあ、それこそ「丘の上で転んで乞食に笑われる」とかね。あるいは「覚えたての英語を忘れる」とかね。何かを失っていく感覚。それは先ほどから言われている死っていうことに繋がるのかもしれないですけれども。
三上:100パーセント伝わってるっていうかね、お互い入れ替わることができるんならそうですけど、それはないですよね。音楽っていうのは完全に入れ替わることはできない。それはありますよね、おそらくはね。
■入れ替わるっていうのは?
三上:要するにつまり、わたしはね、人間のなかにある語彙っていうものはね、同じだと思ってるんですよ。わたしが知らない言葉をみなさんがいっぱい持ってるだけでね。言葉の仕組み、ひとのDNAを支える言葉のロジックというものは、それを支えている言葉っていうものは、まず立って歩いている限り、みんな同じだと思ってるんですよ。
大学の先生が多いっていうわけではなく、たとえばうちのじいちゃんなんて本なんか読んだことあるかっていうか、まず字が書けるのかよっていうまさに無学なひとだったですけれども、それでも何万という言葉を持ってるわけですよね。魚の動きから、風の流れ。それはわたしがわからないだけで。で、残る言葉、自分を支えているっていうか気になる言葉っていうものが同じではないにしろ、配置が同じだから気になるんじゃないですか。この言葉を歌ったとか、あるいは「何でここにこういう言葉があるの?」とか(笑)。で、「何でここにこういう言葉があるのか」っていう、自分の番号とあってるんじゃないですか? そこに反応してるんじゃないでしょうか。
(注)
「うたは闘いとともに」、1950年代に日本で大きく展開された、おそらく唯一の政治的な大衆音楽のムーヴメント。三上寛は自分の音楽の源流のひとつをこのうたごえ運動にも求めている。
田舎にはね、死があるんですよね。ひとの死があるんですよ。近代化っていうのは死から遠ざかることだって言ったひとがいますけれども、死人からつき離れていく状態ですよね。田舎イコール死人ですよ。父が死に、母が死に、兄弟が死に、っていうね。
■ある種の虚無であったりとか、うまくいかなさ。たとえば寺山修司さんはね、ニヒリズムってことをよく言ってますけれども、そういうニヒリズムみたいなものっていうのは、三上さんのなかで意識されてるんですか?
三上:それはあります。いや、わたしはニヒリズムありますよ。スイスのジュネーヴにね、わたしはライヴでそこに寄るんですけれどもね。そこの連中がネットで配信するわけですよ。わたしの音楽はね、彼らにとってはね、究極のニヒリズムなんですよ。ジュネーヴとかね、いろんな人間見てるでしょ? いろんな人種がいて。でね、説明を見ますとね、「究極のニヒリズム」だって。
■ああ、書かれるんですね。
三上:それは実際わたしの出発はそこなんですよね。それはね、本に書いたんじゃないかと思いますけどね、15歳のときに父親が死んだんですよね。そのときちょうどいまごろ、雪が降っていて。15歳ですよ。父親が死んだ、って聞いて、死んだんだなあって。病院の外行ったら雪が降ってて、何も変わってなかったんですよね、世界は。わたしにとって父親が死ぬってことは全部の崩壊ですよ、価値観から何から。死ぬと思ってなかったですから。それはね、まさに恐ろしいまでの虚無感ですよね。ニヒリズムですよね。
ただわたしはニヒリストではないかもしれないけれど、わりとその虚無からはじまってますよ。わたしの音楽的な出発点はまずそこで、それはトラウマじゃないけどそういう風にまず感じてしまったから。それを超える思想にも哲学にも会ってますね。それを受け入れながらいきてますよ、いまはもちろんね。うん。
だから「もっとも行動的なやつはもっともニヒリストだ」って言葉があるんだよね。これはまさにそのとおりだよね。何か欲があったらね、行動って限定されますよ。ニヒリストっていうのは行動が無限ですよね。変な話はじめからやる気ねえんだから。
■ハハハハ!
三上:変なことになっちゃったけど(笑)。だからいつでもね、やる気ができると言おうか、さっきの話じゃないけど、「何か落ち込まないなあ」っていう。それは最初から落ち込んでるのかもしれない(笑)。
だからニヒリズムってね、もうちょっと馬鹿らしいですよね、ある意味ではね。いまの子たちはね、あれですよね、答え探しですよね。世界中のあらゆる情報があるのに、自分ひとりのたったひとつの言葉を探せないで悪戦苦闘しているんだと思いますよ。要するにね、思い込めない世代ですよね。たとえば僕らは何もなかったから、答がなかったらてめえで勝手に答を作って思い込むんですよね。そういう処理の仕方ができたんですよね。ほとんど思い込みでオーケーだったわけですよね。ところがいまは情報でその思い込みが、自分の思い込みとまったく違うっていう裏がちゃんと出てきたりする。これも違う、あれも違う、だけど答は探しているからあるんでしょうね。疑問と答っていうのは、脳のなかでは同じらしいじゃないですか。ぽーんといっしょにはじまって真んなかで繋がるっていう。だから物凄く複雑で、さっきのデジタルの話みたいに、狼煙なんていちばん単純な伝達方法なんだけれども。だから選択する、チョイスするっていう新しい革命っていうか、頭のなかで。だから何でしょう、誤訳・誤読・思い込み、そういうもので伝達したほうがまだわかりやすいって気がしますけどねえ。でもそれが作れない。もっとも核になる言葉が作れないっていうか。だからインスピレーションがなくなるんですよね、情報があるから。考え込んじゃうんですよねえ。だからインスピレーションって非常にわがままなものでしょ?
■いまはみんな何が怖いかって言うと、貧乏が怖いんじゃないのかなって思うんですよね。
三上:わたしなんかはね、まあ極貧だったからね。貧乏って言ったらね、いまの若い世代について言うならばね、消費社会のなかで育ってるわけでしょ。ものを買わなきゃいけないっていう半分強迫観念っていうか。ものを買うっていうことで自分を作ってきたわけじゃないですか。わたしはね、むしろ「いつか反乱を起こせ」って言ってるんですよね。
■ああ......UKの去年の暴動がまさにそうですよね。
三上:そうですそうです。みんなね、欲しくて買ってんじゃないんだよな。あれは自分の呼吸と同じように、ものを買うっていうことで自分の暮らしが成り立ってる。だから金が欲しいんでも、貧乏が怖いんでもないんだと思うんですよ。そういう風に改造されちゃってる。完全にダメにされてる。ロボコップじゃないけど(笑)。「買いなさい」っていう。
■でもそれがいま行き着くところまでいって、消費社会の暴走した結果が、たとえばUKの暴動なわけですよね。
三上:そうだね。俺はだけど、人類は突然変異っていうのが出てくる可能性があるからね。まったく違う観念っていうか。それで人類がここまで来てるわけだけれども。だから期待しているって言うとちょっと何だけれども、やっぱり180度転回するような、ショックなことがあるかもしれない。
まだ震災から1年も経ってないんであれだけど、これがじわじわと来れば。いま、「結婚なんてどうでもいいや」っていう若いひとたちが、結婚しはじめたりしてるじゃない。ああいうものを見ちゃうと、「何だろうなこれは?」と思いますよね。だから「ものを買うだけじゃない」「何か変だ」ってことをみんな目の当たりにしたでしょう。多少意識は変わるんじゃないかなと思うけどね、うん。
だからあの、きっとこの意識の変化っていうのは確実に起こってるはずなんだけれども、まだ世のなかにそういう意識が変革するよっていうことがね、現れていないのはね、いままでのように「せーの」の意識革命じゃなくて、まったく違う個人的な革命が同時に起きてるっていうわけで。全世界的に。だからマスでは捉えられないと思ってる。マスメディアは。そういう意識が変革されているのに、大きく変わっていないっていうのは捉えられないですよ。だってひとりずつインタヴューしなけりゃいけないわけじゃん。そういう風になったら。実際はそれぐらい意識は変わってると思うんですよ。ひとりずつ変わってるから。だからますますマスっていうのは気づかなくなっていくというか。
■そういう意味で、原発の話にもいかがわしさもあるんですよね。
三上:だからあれがなければ、マスメディアはものすごく非難されてましたよね。こういう津波とか災害みたいなものを、これだけ無視してきたある種の精神構造にいろいろ問題があるんじゃないかとか。ほんとはある種の哲学的な議論っていうのができるはずなのに、原発一個のことを言ってれば、ジャーナリストは仕事してるっていう気分になってるから。まったく進んでないですよ、逆に。
つまり、人間の若い子たちの「ものを買う」っていうところから少しずつ目覚めて、世界同時に個々のなかでものすごく意識が変わってきているんじゃないかと。それをマスメディアを捉えることはできないだろうってことで話をしてたんだけども。結局そのひとりずつ聞かなきゃいけないわけじゃないですか、要するに「せーの」の革命じゃないでしょ。災害に対する意識って物凄く意識が違うわけですよ。見るひとによって。確実に若いひとたちのなかで結婚するであるとか、意識の変化が起こっているのは事実なんだけれども、それが大きいムーヴメントとして、世のなかに出てくることはないけれども、しかし、変わっているだろうという。でもマスメディアはそれを捉えきれないから、原発をとりあえず取り上げておくとテレビにはニュース流せるなと、いうことじゃないかという話をいましてたんですけど。でも確実に意識変わってますよ、確実に。
■なるほど。
三上:ただね、さらにね面白いのがね、意外にこれでも変わらないっていうのが、この日本の極東の小島のね、いちばんすごいテクなんじゃないかっていうね(笑)。
■テク(笑)?
三上:テクですよ、これは! 津波もあと5年したら忘れるだろうなみたいなね(笑)。
■なんでしょう、ある種の無常観、これは三上さんの音楽のなかにあると思いますか?
三上:無常観はないですね。それはね、無常の反対の言葉何て言うか知らないけれどもね、無常って「常が無い」でしょう? わたしは常はあるっていう考え方なんですよ。いまここでこうしているじゃない。またいつかこうなるだろうな、永遠にこうだろうなっていう。わたしが死んでもまた生まれ変わってきて、またこうやってコーヒー飲んでるだろうな、とか。それは無常じゃないですよね、わたしの場合は。常常ですかね(笑)。
■常常(笑)。それはどういうところからなんでしょうかね?
三上:どうだろう、仏教的なものかわからないですけれども。子どもの頃からわたしは何となくそういうことを考えるやつでしたね。子どものころはそこそこ普通だったけれども、まあ性格っていうのはあるからね、考え方だったりね。どうなんでしょう、どっちかって言うと楽天的なんですかね。性格で言うなら。
■「落ち込まれたことがない」って言っていたように(笑)。
三上:究極の落ち込みを経験してるからね、それは恐ろしい世界でしたよ。
■そこでやめなかったっていうのは?
三上:そこでやめるひとはもちろんいるし、ほかのやり方に向かうひともいるけれども。どん底までいちど落ちないと......何て言うんでしょうかね、いちど負けなきゃね、相手の奥の手がわかんないんですよね。わたし自身にも敵がいますよね、自分の歌をやめさせようとする力。それは70年代にじゅうぶん感じてきましたからね。そのときにやっぱり若いながらも直観力で、ギリギリわざと負けるしかないって。何が俺の歌を潰そうとしてるのか、っていうのは身体で何となくわかってますよ、いまは。それはもう寸前に見たっていう瞬間はありますから。
■生きるか死ぬかみたいな。
三上:そりゃそうですよ。負けた瞬間に相手の顔を見てるわけですから。奥の手を使ったみたいな。そういう部分はありますよね、命がけと言いますかね。
[[SplitPage]]わたしはね、人間のなかにある語彙っていうものはね、同じだと思ってるんですよ。大学の先生が多いっていうわけではなく、たとえばうちのじいちゃんなんて無学なひとだったですけれども、それでも何万という言葉を持ってるわけですよね。魚の動きから、風の流れ。それはわたしがわからないだけで。
■なるほど。だいぶ時間も経ってますが、まだ訊きたいことがありまして(笑)。90年代以降は吉沢元治さんや石塚俊明さんなどとのコラボレーション、とくに灰野敬二さんとのバサラ(Vajra)とか、いろんなインプロヴァイザーと共演されてますね。
三上:灰野からはいろいろと学びましたしね、もちろん吉沢さんからも。勉強って言っちゃあれだけれども、やっぱり自分のいないところでやってるひとたちっていうのからはね。だってえ灰野なんかは、(ライヴの最中、歌が)全然聴こえてないわけです、爆音すぎて。それでもね、一緒に歌って、演奏できる、何か伝わるっていうことが、さっきの話じゃないけれども、驚きというか、音楽っていうのはこういう力があるんだなと思ったり、「耳ってすげーな」と思ったりね。最近では、そのことをさらに教えてくれたのはね、古澤良治郎さんだよねー。まったくわたしが歌っている音楽と違う解釈で叩いて、わたしの歌を変えちゃうわけですからね。
■ドラミングで変えてしまう。
三上:変えてしまう。最初に驚いたのはね、高校の先生に呼ばれて高校生の前で歌ったことがあるのね。そしたらわたしの歌が彼らには難解っちゅうか、言葉が。それを古澤さんのドラムで翻訳してみせたんだから。だからね、そのときはね、「音ってなんだろう?」ですよね(笑)。
■なるほど、伝わってしまう。
三上:だからコラボレーションはそうですよ、わたしは。そういうのに限らずね、いまの若いひとたちとやるのもそうだし。「この子たちって何だろう」っていうね。テクニックや年齢は関係ないですよ。だって同じステージに立ってるってことはそこでタメですからね。どっちを聴いてるかっていうのは感じたりするし。これはもう、いつも驚きですよ。何気にやってることだけれども、スケベ心っていうか欲ですよね。物好きっていうと失礼だけども(笑)。やっぱり必ずもらうものがあるんですよね。まあわたしが与えたものもあるでしょうけれど。
■最後に、あともうひとつ訊きたかったことがありまして、三上さんにとって寺山修司さんからの影響とは、どういうものだったんでしょう?
三上:いちばん大きい影響ですか、それはやっぱり家を出たことですね。それは昔で言うなら出家ですよね。そこでカタギじゃなくなるわけですから。やくざものになるわけですからね。言うならば、素人じゃないわけですから。曲がりながらも家を捨てたっていうことは、自分の好きなように生きるってわけで。好きなようにって言うと格好いいですけど、まあ世間じゃなくなるってことですからね。家にいて世間じゃないっていう。だからわたしを取り出してくれたっていうか。頭剃ってくれたようなもんですわな。
■ははははは(笑)。なるほど。
三上:やっぱりね、大きいことをやっていけばいいと思うんですよね、若いひとたちが。プロとしてのシニカルってあるんだよね。素人とは違って。わたしが世界に行ってわかったのは、要するに「世界には二種類しかいない」ってことで、カタギかやくざか、プロかアマチアか、ふたつしかない。だから若いひとたちがいま置かれているなかに、情報だけじゃなくてある種のやる気、一歩踏み出す感じをい持ってほしい。我々のときはそういうものがありましたからね。「一歩前へ」とか「やっちゃえ」とかね。身体が動いちゃう感じっていうかですね。いまそういう文化がなくなってるよね。みんな同じで、そこがちょっと足りないところじゃないですか。
■一線を踏み越えられなくなってるってことですか?
三上:そういうことでしょうね。そしてまず一線を踏み越えるという感覚がまずないですよね。ただね、要するに権力そのものもいま(一線を踏み越えることが)できてないでしょ。意味わかりますか(笑)。権力そのものも同じ飽和状態なんですよ。だから、要するに反権力ってものもないんですよ、若いひとにとっては。同じなんですよ、情報社会のなかで。「あいつらは違う」って感覚ていうのがないんだよ。
要するにあれでしょ、昔は孤立・孤独っていうのは自分は選んだもんだからね、そこにこそ自由があったんですよ。進んで孤立したわけでしょ。俺なんかは先頭きって孤立してたし、俺は自由だったわけですよ、ある意味では。そういうセンスはいまないかもしれないですね。それは何て言うのかねえ、孤立が怖いっていうのとか、ひとりぼっちになるのが怖いっていうのと違うと思うんだよね。
要するにね、わたしはですよ、なんで若いひとたちに興味持ってるかっていうとね、やっぱり俺たちよりレヴェルが上だと絶えず思っているわけ。これはほめ言葉でも何でもなくね。後から生まれてきたやつはやばい、といつもわたしは思ってるわけね。というのはこの一瞬でわたしの人生が終わっても、そいつらはその先を経験してるわけじゃないですか。それはおそらくその先と繋がってるわけですよね。ていうことは、俺が見たことのない世界を見る能力が備わってるってことでしょ? それはすごいと思ってますね。
そうすると、いまのように喋っている孤立・孤独ってものに対する防衛、あるいは利用の仕方っていうのは、我々のときの孤独感や孤立感というものと比べることはできないと思うんです。別の能力で通じ合ってるんじゃないかなと思うな。たとえば若いひとたちが仲がいいって言っても、話聞いてるとそれともちょっと違うんだね。だから40年前の感覚とは違うあり方っていうんでしょうか、人間関係なんじゃないかなあ、きっと。うん。それはまさにその場の連中じゃないと確認できないことだと思います。
■でも三上さんの歌には、それこそさっきの17歳とお父さんの話じゃないですけれど、若いひとたちにも強くアプローチできるものがあると信じてますけどね。それでは、いま録音されてるアルバムについて、がんがんプロモーションしてください(笑)。
三上:ありがとう(笑)。わたしは韓国のキム・ドゥスとすごく友人になって。たまたま去年遊びで「ちょっと行ってみようかな」ってなって。韓国のフォーク・ソングの親分みたいなやつだけどね。やっぱりあの、行ったら行ったで、「どうせ来たんなら歌っていけよ」ってことになって(笑)。楽器持って行ってなかったんですけれども、ギターを用意してくれて。で打ち上げかなんかでみんなでガンガン飲んで、朝起きて、フラーっとしてたらね、さっきの津波じゃないけどインスピレーションが沸いてきてですね。古い古い農家からね、いかにも死にそうな真っ白い大きな犬が出てきたんですね。で、犬はその何十年前にも捨てられたガチョウの小屋を守ってるんですよ。ガチョウも逃げちゃったわけ。でもそのガチョウを守ってるんだよね。「これはちょっと、歌だよなあ」っていう(笑)。それが、今度も来ちゃったんですよね(笑)。そういう韓国でのこともあって......まだ全然固まってませんけどね。
■リリース予定とかは?
三上:まだないけど、秋頃になりますかねえ。
■じゃあ、目先のことで言うと、3月20日の62歳を迎える、生誕記念ライヴ(@西麻布「新世界」)ですね。
三上:そのための話だった(笑)!
私は黙って下を向いたままで
彼らの話を聞かないように
下を向く
"冬の午後"(2010)
三上寛 生誕記念 スペシャルワンマンLIVE
『まだ解らないのか!』

今回の生誕記念ライヴはサプライズとして、三上寛をリスペクトすべくDJ 2741も駆けつけて来てくれる!"ふなよい"っていうだけに、あのお方が? リキッドルーム以来の顔合わせ、万感胸に迫る!
●日時:
3月20 日(火・祝日)
開場18時30分 / 開演19時30分
●出演:
LIVE:三上寛 (Vocal & Guitar)
DJ:DJ 2741
●会場:西麻布「新世界」https://shinsekai9.jp/
●料金:
前売予約:¥2,700(ドリンク別) / 当日券: ¥3,000(ドリンク別)
※〔インフォ・チケット予約・お問い合わせ先〕
西麻布「新世界」
https://shinsekai9.jp/2012/03/20/mikami/
https://shinsekai9.jp/
TEL: 03-5772-6767 (15:00~19:00 )
東京都港区西麻布1-8-4 三保谷硝子 B1F
以下に紹介するのは、三上寛の膨大な作品のなかのほんのいち部である。これから聴いてみたいという人のガイドになれば幸いである。1990年代以降の大量リリースに関して筆者なりに言えば、『閂 』や『弥吉』も捨てがたいが、まずは『-1(minus 1)』と『門』、そしてバサラの『Live 』をとくにお薦めしたい。また、挙げてはいないが、手頃なベスト盤としては、『寛 Best Selection (1975~1976) 』(1992)がこのアウトサイダーの70年代の軌跡を知りたい方には便利である。
|
三上寛の世界
Nippon Columbia (1971)
デビュー・アルバムで、音楽的にはまだフォークからの影響を多分に引きずっている。「星を見ると悲しくなるから/小便だらけの湖にあなたと二人でとびこんで」「なんでもいいからぶち壊せ」、これをパンク・ソングと言わずして何と言おう。永山則夫歌った"ピストル魔の少年"も収録。
|
|---|---|
|
怨歌集:ひらく夢などあるじゃなし
URC (1972)
もっとも有名な初期のアルバム。"ひびけ電気釜!!""あなたもスターになれる""夢は夜ひらく""パンティストッキングのような空""昭和の大飢饉予告編"など代表曲が収録されている。必聴盤。
|
![]() |
Bang!
URC (1974)
名盤として知られる1枚。山下洋輔や坂田明、古澤良治郎らによる躍動感溢れるジャズと三上寛の言葉のアクロバティックな出会い。友部正人も参加。ミュージック・コンクレートとフリー・ジャズによる圧倒的なタイトル曲の"Bang! "は必聴。 |
![]() |
負ける時もあるだろう Bellwood Records (1978)
バブル期へと突入、1980年代を控え、1960年代的な空気がいっそうされていく気配を見事に嗅ぎ取る。アルバムのいたるところには死が待っている。そしてクローザー・トラックの"負ける時もあるだろう"には素晴らしいクライマックスが待っている。 |
![]() |
三上寛,吉沢元治, 灰野敬二 / 平成元年Live! 上/下 P.S.F. Records (1990)
この20年の三上寛の活動において、吉沢元治と灰野敬二との共演は強烈な閃光である。"Bang! ""なんてひどい唄なんだ""きちがい""サマータイム"といった過去の曲は、新たな演奏とともに混沌の闇のなかに蘇る。 |
![]() |
古澤良治郎+三上寛 / デレキ ゆうげい出版 (2007)
1945年生まれのジャズ・ドラマーとのコラボレーション。歌と語りの境界線をゆらめくような三上寛の音楽、もしくはそのアンチ・ロマンのなかの自由をさらに拡張する。古澤良治郎のドラミングの、なんと軽快なことか。 |
![]() |
Vajra / Live P.S.F. Records (2008)
竜巻のようなノイズと言葉の、強力なライヴ盤。1995年『東日流』から1998年の『声聞 』まで4枚のアルバムを発表、そして2002年の『Mandalaキ・『やっと』』の次にリリースされた石塚俊明(頭脳警察として知られる)と灰野敬二とのバサラ名義の最新作。 |
![]() |
-1(minus 1) P.S.F. Records (2009)
曲名は"#501 "~"#506"、計6曲。間合いの効いたギター、言葉は音となってさらに反響する。誰も三上寛のように弾けないし、歌えない。「丘の上で滑った/滑ったそして転んだ/それを見ていた乞食に笑われた/村人が集まり/唄が始まり/喧嘩が始まる」......"#505"は涙を誘う名曲のひとつである。 |
![]() |
閂 [Sun] Chaotic Noise Recordings (2011)
2010年のアルバム『弥吉 』の収録曲、"ぞうきんをしぼる理由""古谷くんとふくろう""とんかつ日和"......などを中心に構成されたライヴ盤だが、これを聴くと三上寛がいまもなお前進を続けている歌手であるということがよくわかる。最後で歌われる"負ける時もあるだろう"は発表から30年を経てさらに凄みを増している。 |
![]() |
門[Mon] Chaotic Noise Recordings (2011)
現時点での最新オリジナル盤。"台風十五号 二千十一年九月二十日""KOSHI空港""ボーンボーン"など......すべての曲(ギターも歌も言葉も)が胸を貫くが、『負ける時もあるだろう』をアップデートさせたような、破滅の予感に満ちた"アンコ椿外伝"はとくに圧巻。高知の〈Chaotic Noise〉からのリリース。 |
![]() |
『三上寛 怨歌(フォーク)に生きる』 彩流社 (2000)
津軽の漁村~板前見習い~フォーク歌手という三上寛は、バイオグラフィーそのものが魅力的で、大ざっぱな自伝として本著をお薦めする。その半生はもちろんん、彼の音楽に関する思想に関しても詳しく記されている。 |
![]() 1 |
![]() 2 |
||
|---|---|---|---|
![]() 3 |
![]() 4 |
||
![]() 5 |
![]() 6 |
||
![]() 7 |
![]() 8 |
||
![]() 9 |
![]() 10 |
いつもの駅前 いつもの通りいつものビルの隙間に特別な星
うんざりするほど変わらない景色も
本当に何時までも同じわけじゃない
煌めきは一瞬 だから美しい
しっかりと目に焼き付けろ すぐに
JUST ONE DAY いつか思い出すかな
こんな日々を 意味を 夏の抜け殻
やけのはら"I Remember Summer Days"(2010)
あなたにとって、音楽が鳴る「現場」とは、どこだろうか。行きつけのライブ・ハウス? お目当てのあの娘が通っているクラブ? 愛聴するDJが選曲するFM? 年に一回のフェスティヴァル? それとも、フリー音源がくそみそに散乱するウェブ? 都会の喧騒をシャットアウトするために装着したi-Podの白いイヤホーン? あるいは、地方生活の退屈を埋めるためのスピーカー? 磯部涼は......そのどれをも否定しない。「音楽の"現場"について、ずっと考えてきた」、そう語り始める現在33歳の著者は、ライフ・スタイルの変化などによって「ゲンバ」から離れてしまった人たちの選んだ「現場」の一切を否定しない。「"現場"という概念は、ライブ・ハウスやクラブといった狭い枠を飛び越えて、ポップ・ミュージック・カルチャーそのものであると言うことも出来るはずだ」、それが2010年4月時点での著者の結論である。
少しだけ、個人的な話をするのを許して欲しい。
いまでこそ、ライターの端くれとして活動の場を与えてもらっている私だが、音楽との距離感において、長いあいだ、ある種のコンプレックスを抱えていた。私に向けられる批判はいつも均質で、顔のないウェブ上の人びとは口をそろえて言ったものだった。「お前の音楽にはゲンバが足りない、もっとゲンバを知れ、知れ、知れ、ゲンバを」......しかし私は、音楽の受容スタイルに卑賤があるとはどうしても思えなかったし、仮に音楽が、私たちのうんざりするような人生を少しでも豊かにするために存在するのだとしたら、人生に幸福を感じた瞬間に、いっそ音楽と縁を切ってもいいとさえ思っていた。それを誰が責められる? ある意味でどんなに軽薄な思いであれ、人が音楽を求めることを寛容な態度でもってほぼ全肯定する磯部涼は、そんなわけで、個人的にだが、いつからかもっとも信頼を置くライターとなっていった。
病んだ町ではないものねだりさ
昨日から 今日から 明日追われながら
時の長さよりも瞬間 幸せ宿るそんな気が
soulも音楽も自由気まま 形取らないコトに素晴らしさが
奇麗事ばかりほざく日常に 嘘ばかりの世の中の流れに
取り付かれた自分 取り付かれた町 乗りつかれたぜ
町の影と光
SEEDA"Just Another Day"(2007)
とはいえ、著者は私の「現場」を否定こそしないだろうが、私のナイーヴな作品評に関しては評価してくれないだろう。そう、本書において、著者が各所で書き散らしてきた従来型のディスク・レヴューは、居心地が悪そうな顔で、各章の終わりに窮屈そうに並んでいるのみである。「音楽を聴くということは、言葉を失うということである」、「言葉が浮かんでくるようでは、まだまだ、音楽を聴いたとは言えない」、このあたりの痛烈な序文・序章を何度も読み返していたために、私はなかなかその先を読むことができなかった。議論好きの著者は、ときに好戦的な態度を隠さない。が、その後の380ページは、読者を道連れにした、ゼロ年代後期をスリリングに駆け抜ける親密で情熱的なレヴュー(評論)であり、エッセー(随筆)であり、ダイアリー(日記)であり、インタヴュー(面会)であり、ルポルタージュ(報告)であり、かつ、そのどれでもない。それは、従来の音楽評論が敷いてきた滑走路からは大きく踏み外れている。『音楽が終わって、人生が始まる』は、いわば著者の人生そのものである。
著者は、ポップ・カルチャーの社会的ポテンシャルにまで食い込む大きな問題意識を根底に抱えながら、しかし、巨視的な物言いを振りかざすよりは、パンク・ロッカーや、ハスリング・ラッパーや、ストリート・シンガーと同じ(少なくとも、限りなく"近い")視点で、街を、夜を、人びとの暮らしを、意識的に見つめてきたのだと思う。そして、音楽を前にしてすっかり失ってしまった言葉を埋め合わせるために、著者はミュージシャンの自宅に遠慮なく乗り込み、熱心に話し合い、ときに議論をふっかっけ、いくつかの客観的な事実を鋭い洞察でもって持ち帰り、そこに対する忌憚のない感想、自らの問題意識との整合、あるいは齟齬とを丁寧にマッシュ・アップしながら、その先に見える風景を、並々ならぬ愛情でもって活写している(当然、それはときとして批判的な指摘を含むものだ)。それはまるで、450グラムの重みを持つ本書を手にした読者に対して、自らの生き様をさらけ出すとともに、それぞれがそれぞれに見つけた「現場」への愛情を試しているようだ。
もちろん、物語の解体を好むポスト・モダニティ・ライフを不可避に生きざるを得なかった著者にとって、そうした小さな現場から物語を拾い上げていく地道な作業は、ある種の痛みを伴ったに違いない。例えばそう、ゼロ年代の終わりに、マイケル・ジャクソンの死を象徴的に回想してしまうくらいには。しかし、だからこそ、著者の批評的な回り道は、いまやこの場所にたくましく結実している。〈RAW LIFE〉で砂まみれになった夢や希望、アンダークラスから吐き出される痛みの作文、街を鳴らす路上のうた。著者が目撃した音楽の産声、そのどれもが生々しい。いうなれば、何十年も昔に終わっているポップ・カルチャーの共同体幻想、もっと言えば、その社会的なポテンシャルが冷却・解体されていくなかで、例えば著者と同世代である鈴木謙介(35歳、社会学者)がかつて述べたような、「なぜ私たちは夢から醒めることができないでいる、あるいは醒めようとしないでいるのか」(『カーニヴァル化する社会』、2005)と相似した疑問を、「体力の限界まで踊って、理由の分からない涙を流して」、著者はある側面において解明したのだと思う。
まっぴらだ
できればおまえを 忘れていたい けれど
あきらめたくない
傷とともに 生きてゆくしかない
しかないなんて
踊り明かす 夜通し めちゃくちゃに
坂本慎太郎"傷とともに踊る"(2011)
そして......音楽は終わらず、夢を引き裂くように現れた3月の、寒気がするような後ろ姿を視界にとらえつつも、私たちの人生はどうやら相変わらず続いている。そう、すべては通り過ぎていく。が、著者は、3.11以降におけるミュージシャンらの反応をレジュメする終章において、その日常の慣性に対して警告を発している。私たちはいまだ、音楽を捨てられずにいるが、ちょっとした行き違いで、それは手のなかからするりと抜け落ちてしまうのだと。そう、『音楽が終わって、人生が始まる』は、終わらない音楽の話だ。終わらない夢を、それでも見続ける人間の話だ。その先に開く未来も、きっとある。とはいえ、「いつまでこんな暮らしを続けていくのだろうか」、私もときどきそう思う。が、立ち止まるにはまだ早い。いつかの身が焦げるような恋を、もうすっかり忘れてしまったように、私たちの、音楽を強く欲する衝動のような想いも、もしかしたら少しずつ失われていくのかもしれないが、それでも、いつか音楽から解き放たれた場所で、音楽に振り回され、悩まされ、それでもわけの分からない涙を流した、こんな日々を、愛と笑いの、その意味を、きっと思い出すだろう。
No Music, but Life goes on....
僕はこう見えてもせっかちなほうなのですが、松村正人さんがとてものんびり屋さんなので、いつもハラハラしています。「なんで君はそんなにのんびり屋なんだ?」「いや、私は南の生まれなんで」「南の生まれならみんなそうなのか」......。
以下、目次です。どうぞ、みなさん、よろしくお願いします!
ele-king Vol.4 DOMMUNE BOOKS 0007
Flashback 2011◎野田努
Camera Eye 2011 大森克己/吉野英理香/山本精一/塩田正幸/小原泰広
〈EKジャーナル〉
磯部涼『プロジェクトFUKUSHIMA!』◎水越真紀
僕と革2~NY編◎Shing02
ラース・フォン・トリアー『メランコリア』◎三田格
大阪のクラブシーン◎DJ TUTTLE
〈特集〉2011パート1
2011◎松村正人/菊池良助
座談会:木津毅×田中宗一郎×野田努×橋元優歩×松村正人×三田格
2011エレキング-ランキング100◎飯島直樹/磯部涼/加藤綾一/木津毅/九龍ジョー/竹内正太郎/田中宗一郎/南波一海/野田努/野中モモ/橋元優歩/二木信/松村正人/水越真紀/三田格
オウガ・ユー・アスホール インタヴュー◎水越真紀/菊池良助
〈コラム〉頭でわかる2011◎三田格
コード9 インタヴュー◎野田努/小原泰広
続・坂本慎太郎◎松村正人/小原泰広
〈音楽の論点〉
岡村詩野/橋元優歩/竹内正太郎/新田啓子/鮎川ぱて/吉本秀純/塚本謙
往復書簡:実験一旦停止!◎松村正人×三田格
ラップ・ミュージック鼎談◎磯部涼×上神彰子×二木信
〈フラッシュバック・ザ・ワールド〉
LA編◎バルーチャ・ハシム
NY女子会◎沢井陽子+ニコ ・ザ・スーザン+マリコ・ニップス+ナッシー+ハルミ
ロンドン編◎ジョー・マグス
パリ編◎山田蓉子
ベルリン編◎浅沼優子
〈no ele-king〉
平賀さち枝◎磯部涼/小原泰広
〈論考〉
刀根康尚 メールインタヴュー◎粉川哲夫
〈TAL-KING1〉
渋谷慶一郎◎松村正人/鈴木心
〈連載コラム〉
キャッチ&リリース◎tomad
私の好きな◎牛尾憲輔(agraph)
二木ジャーナル◎二木信
編年体ノイズ正史◎T・美川
ピーポー&メー◎戸川純/フェミニャン
水玉対談◎こだま和史×水越真紀
〈カルチャーコラム〉
EKかっとあっぷあっぷ◎五所純子/三田格/樋口泰人/岡澤浩太郎/小濱亮介/プルサーマル・フジコ/佐々木彩
〈TAL-KING2〉
アルヴァ・ノト◎松村正人/小原泰広
〈TAL-KING3〉
KILLER-BONG◎二木信/小原泰広
〈特集〉2011パート2
マイプライベートチャート2011◎
EY∃/飯島直樹/ECD/石原洋/小山田圭吾/加藤綾一/木津毅/九龍ジョー/CUZ ME PAIN/1945 a.k.a. KURANAKA/GOTH-TRAD/Yusaku Shigeyasu/CE$/竹内正太郎/野田努/田中宗一郎/DJ TUTTLE/tofubeats/ナカコー/野中モモ/DJ NOBU/橋元優歩/浜崎(TRASMUNDO)/PUNPEE/二木信/Makkotron/三田格/mochilon/YO!HEY!!/DJ YOGURT
表紙オモテ◎宇川直宏
表紙ウラ◎高橋恭司
![]() 1 |
![]() 2 |
||
|---|---|---|---|
![]() 3 |
![]() 4 |
||
![]() 5 |
![]() 6 |
||
![]() 7 |
![]() 8 |
||
![]() 9 |
![]() 10 |
「カモメよカモメ~、この世の終わりが~」、こうしたディストピア・ソングを得意とするのは、この国ではほかに野坂昭如と......そして坂本慎太郎がいる。ゼロ年代においてゆらゆら帝国が表現した"ソフトに死んでいる"のようなディストピア・ソングが、逆説的に硬直したリスナーの気分をずいぶんと楽にしたように、その晩の三上寛の喉から絞り出る「この世の終わり」という言葉は、リスナーを正しい方向に高揚させる。前向きな空気を充満させ、生きる力、勇気のようなものを与えたように思う。
フロントアクトをつとめたのがリトル・テンポの土生剛だったので、若い女性客も多く、なかには驚愕の極みに達していた方もいるのかもしれないが、誰ひとり席を立つことなく、このベテランのシンガーソングライターのステージを温かく見守っていた。

赤いグレッチのギター(ロカビリーの永遠のシンボルであるばかりか、ネオアコの英雄、オレンジ・ジュースのトレードマークでもあった)をかき鳴らしながら、そして浄瑠璃と酒場をまわるギターの流しの語りが混ざったような節回し、あるいは60年代のフォークとロカビリー、そうしたものが渾然一体となった三上寛のスタイルは、じつにインパクトが強く、その絶望をともなう言葉の意味が聞き取れなくても、つまり音だけでも楽しめるものである。三上寛の名前は、ちょうどゆらゆら帝国が『Sweet Spot』(2005年)を出す前に、坂本慎太郎の口から聞いた。ヨーロッパでは彼はとても評価が高く、そして熱心なリスナーをもっていると彼は教えてくれたのだ。

つい先日は、坂田明のライヴを観てきたのだけれど、われわれよりも上の世代のなんとも元気なことか。いや、そんなこともないか......、たとえば、そういえば半年前、DOMMUNEでZEN-LA-ROCKがMCで登場したときに、「うるさい」「空気を読め」などといった心ないツイッターが流れていたけれど、それを気にせずMCを続ける彼の姿を見て、誰に何を言われようが自分が好きなようにやっているパフォーマンスを久しぶりに見た気がして嬉しくなった。これと同じように、三上寛の完成された反時代的な佇まいの凄さは、ツイッターの反応などいちいち気にしていたら生まれなかったものだろう。
僕は必ずしも三上寛にとっての良いリスナーではないけれど、しかし浄瑠璃とロカビリーの混合のなかで言葉の断片は深く突き刺さる。彼の演奏を聴きながら僕は嬉しくて嬉しくて笑いが止まらなかった。

『プレイグラウンド』は「うた」にピントをあわせたアルバムだったので音は歌のあとに隊列を組んでつづくように思われた。それは歌を聴かせる音楽であるフォークが多くのひとの気を惹いていたゼロ年代最後の年に出した、山本精一らしい作品であるとも『プレイグラウンド』は思わせたが、淡々と歌いながら、その背後に無数の音楽を背負ってもいた。歌詞には虚無の裂け目があったが、歌の前に音楽の仕掛けは霞んでしまった。おかしないい方だが、歌を聴くのに懸命で音楽が置き去りになっていた。羅針盤が封印されたいま、山本精一の歌は過去になったものとばかり思っていた。なぜだかわからないが。それが不意に現れたものだから歌と同時に音楽全体を聴いていたにもかかわらず、呆然と聴き惚れてしまった。山本精一は巨大な歌を歌うひとだが、その巨大さを支える音楽の細部には巨大さと同じものが横たわっている。聴くほうはワンセンテンスでそれをいいあてられないから、結局は「うた」と「ポップス」が合体した「うたもの」ということで話はまとまりかけるのだが、かつてその代表格だった羅針盤からの時間の隔たりを感じさせる変化が『プレイグラウンド』にはたしかにあった。円熟を感じさせるいっぽうで、2010年代の新しい歌としてのさまざまな可能性が歌の底にうごめいている。
無数の方向性からひとつを選び1枚の作品に仕立てのが『ラプソディア』だろう。このアルバムは『プレイグラウンド』から1年経っている。今回も山本精一(ヴォーカル/ギター/ベース)と千住宗臣(ドラムス/パーカッション)のデュオ体制のシンプルな「うたもの」なのだけど、その顔つきは前作とはまるでちがう。前のアルバムはどちらかといえばフォークだったが、今回はロックである。しかも豪快に歪んだ山本精一のギターを久しぶりに堪能できる。『プレイグラウンド』にもそういった曲はあるにはあったが、ギターはややスパイス的に立場だった。ここではそれがより大ぶりな存在感をみせることで、全体がバンド的な音作りにシフトしている。千住宗臣との掛け合いは一体感を増し、セッション的なグルーヴを終始保持しているが、ギターとドラムを接着するベースの役割は前作以上に重要なものになっている。山本精一は前作のベース演奏をピーター・ペレットのイングランズ・グローリーを引き合いに出して説明したが、『ラプソディア』のベースはパンク的な硬質なものではなく、ファットかつ(やや)ファンキーである。だけでなく、手探りで音をたぐりよせる不安定さが合奏に絶妙なテンションを付加している。"ラプソディア"のハネ具合やヌキ具合はロビー・シェイクスピアもコリン・ムールディングにもマネできない。そう書いて思ったが、米国式フォーク・ロックあるいはサイケデリック・ロックの遺伝子ともに、ブリティッシュ・トラッド、UKロックの影がさすことでこのアルバムの立体感はより強くなっている。この回収不能感は伝統が属性と即断される現在においてはやはり異能のことといわねばならない。もっとも山本精一はただ孤高として別の山のように屹立するのではなく、彼の音楽には次の音楽を示唆するものが潜まされてもいる。これと較べるべきは、山本と同じくヴォーカルとギターとベースとを担当した坂本慎太郎のソロ『幻とのつきあい方』であり、両者の描き出す索漠とした風景は音楽を、音楽を奏でる主体に拮抗させることで歌をつくってきたここ数年から、主体はどうあがいても音に匹敵できないという諦念含みの分裂を前提に置きながら、その間のミゾから目を逸らさないことで、ポップ・ミュージックの折り返し地点を示すものかもしれない。というのは大袈裟だろうか。
![]() 1 |
![]() 2 |
||
|---|---|---|---|
![]() 3 |
![]() 4 |
||
![]() 5 |
![]() 6 |
||
![]() 7 |
![]() 8 |
||
![]() 9 |
![]() 10 |