Home > Reviews > Live Reviews > 三上寛- @西麻布「新世界」
「カモメよカモメ~、この世の終わりが~」、こうしたディストピア・ソングを得意とするのは、この国ではほかに野坂昭如と......そして坂本慎太郎がいる。ゼロ年代においてゆらゆら帝国が表現した"ソフトに死んでいる"のようなディストピア・ソングが、逆説的に硬直したリスナーの気分をずいぶんと楽にしたように、その晩の三上寛の喉から絞り出る「この世の終わり」という言葉は、リスナーを正しい方向に高揚させる。前向きな空気を充満させ、生きる力、勇気のようなものを与えたように思う。
フロントアクトをつとめたのがリトル・テンポの土生剛だったので、若い女性客も多く、なかには驚愕の極みに達していた方もいるのかもしれないが、誰ひとり席を立つことなく、このベテランのシンガーソングライターのステージを温かく見守っていた。
赤いグレッチのギター(ロカビリーの永遠のシンボルであるばかりか、ネオアコの英雄、オレンジ・ジュースのトレードマークでもあった)をかき鳴らしながら、そして浄瑠璃と酒場をまわるギターの流しの語りが混ざったような節回し、あるいは60年代のフォークとロカビリー、そうしたものが渾然一体となった三上寛のスタイルは、じつにインパクトが強く、その絶望をともなう言葉の意味が聞き取れなくても、つまり音だけでも楽しめるものである。三上寛の名前は、ちょうどゆらゆら帝国が『Sweet Spot』(2005年)を出す前に、坂本慎太郎の口から聞いた。ヨーロッパでは彼はとても評価が高く、そして熱心なリスナーをもっていると彼は教えてくれたのだ。
つい先日は、坂田明のライヴを観てきたのだけれど、われわれよりも上の世代のなんとも元気なことか。いや、そんなこともないか......、たとえば、そういえば半年前、DOMMUNEでZEN-LA-ROCKがMCで登場したときに、「うるさい」「空気を読め」などといった心ないツイッターが流れていたけれど、それを気にせずMCを続ける彼の姿を見て、誰に何を言われようが自分が好きなようにやっているパフォーマンスを久しぶりに見た気がして嬉しくなった。これと同じように、三上寛の完成された反時代的な佇まいの凄さは、ツイッターの反応などいちいち気にしていたら生まれなかったものだろう。
僕は必ずしも三上寛にとっての良いリスナーではないけれど、しかし浄瑠璃とロカビリーの混合のなかで言葉の断片は深く突き刺さる。彼の演奏を聴きながら僕は嬉しくて嬉しくて笑いが止まらなかった。
文:野田 努