「KING」と一致するもの

■表紙/ロング・インタヴュー:砂原良徳
──これまでの活動を振り返りつつ、現在の心境および今後の展望を語る
新作『ALL HAZE』が待たれるTESTSET、全メンバー(LEO今井、永井聖一、白根賢一)インタヴュー

■ダブ・ブームのなか、13年ぶりのアルバムを投下するエイドリアン・シャーウッド、特別インタヴュー掲載

■特集:テクノ・ポップの奇妙な世界
“TOKIO(トキオ)” はいったいどこにあるのか?/時代の先をいった〈Yen〉の軌跡/いま再評価される「スケッチ・ショウ」/“テクノ歌謡” の片隅から/後追い世代のテクノ・ポップ考(by 柴田碧)/テクノ・ポップ必聴盤40枚

■第2特集:ハウス・ミュージックの現在地
アンダーグラウンドにおける実験が、いま成熟のときを迎えている。ハウス・ミュージックがみせる新たな展開を追跡──いま聴くべき40枚紹介、ほか
インタヴュー:カオス・イン・ザ・CBD、DJパイソン、Stones Taro、Soshi Takeda

撮影協力:LIQUIDROOM

菊判/160ページ

目次

TESTSETはアンドロイドの夢を見るか──砂原良徳、インタヴュー(by 野田努)
TESTSETへのテレポーテーション──LEO今井+永井聖一+白根賢一、インタヴュー(by 野田努+小林拓音)

エイドリアン・シャーウッド──UKダブに革命を起こし、なおも冒険を好み、サウンドに磨きをかける(野田努)
インタヴュー(by 河村祐介)

特集:“テクノポップ” の奇妙な世界

“TOKIO(トキオ)”はいったいどこにあるのか?──テクノポップの生まれ故郷(イアン・F・マーティン/江口理恵訳)
時代の先をいった〈Yen〉の軌跡(デンシノオト)
いま再評価される「スケッチ・ショウ」について(デンシノオト)
“テクノ歌謡” の片隅から(松本章太郎)
後追い世代のテクノポップ考(柴田碧)
テクノポップは自由を手放したか?(三田格)

ディスク紹介──テクノポップへの道
(イアン・F・マーティン、デンシノオト、三田格)

第2特集:ハウス・ミュージックの現在地

ライトハウス・レコーズ店主、森広康晴に聞くここ5年の傾向と変遷

インタヴュー
カオス・イン・ザ・CBD──ハウス・ミュージックの良き伝統を継承する(by 野田努)
DJパイソン──“ディープ・レゲトン” の先を目指して(by 小林拓音)
Stones Taro──京都から世界へ(by 小林拓音)
Soshi Takeda──ラリー・ハードを愛するニューカマー(by 小林拓音+渡部政浩)

ディスク紹介──2020年代ハウスへの案内
(三田格、猪股恭哉、河村祐介、渡部政浩、DNG、小林拓音)

ハウス・ミュージックの近況報告(猪股恭哉)

VINYL GOES AROUND PRESENTS そこにレコードがあるから 番外編
日本中のアナログレコード・ファンのみなさまへ──VINYLVERSEをご存知ですか?

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前半から続く


『日本のジャズ・ソング~戦前篇・服部良一和製ジャズ・コーラス傑作集/戦時下の和製ポピュラー南海音楽』(BRIDGE INC.)

 服部の曲の特徴である和洋折衷については興味深い話がある。食通としても有名だった映画監督の山本嘉次郎は、著作『日本三大洋食考』の中で、ライスカレー、コロッケ、トンカツを“日本三大洋食”と定義したという。いわば日本が世界に誇る洋食である。
 これは音楽評論家の渡辺亨が細野晴臣『泰安洋行』のレビュー(『レコード・コレクターズ00年5月号』)で引き合いにだした逸話だが、戦前の音楽に精通している細野も、どこかで服部を意識していたのではないだろうか。米国のジャズから調達した食材を、日本人なりの調理法でさばいていったという意味で、両者は一脈通じている。そして、先述のピチカート・ファイヴが細野のレーベル“ノン・スタンダード”からデビューしたのも機縁を感じさせるではないか。なお、上田賢一『上海ブギウギ1945 服部良一の冒険』にも音楽を洋食に喩えた記述がある。

「音楽の洋食」——「東京行進曲」「君恋し」を聴くとそんな言葉が思い浮かぶ。ハヤシライスやオムライスといった洋食屋の味。今でも日本料理の多くは、食材、調味料から見ても、完全な西洋料理とはいえない。完全な西洋料理を求めようと思えば、よほどの所に行かなければ不可能で、多くは西洋料理という名の和食だ。

 和洋折衷という意味ではこんなエピソードもある。日本では昭和2年、現在のコロムビアやビクターにあたる日本最古の蓄音器商会が、英・米コロムビアと合併の形で設立された。各社は、本国から持ち込んだ洋盤をプレスして発売したが、一方で、民謡、童謡、浪曲、長唄などの邦盤も大量生産している。そのうち、外国の曲に日本語の詞をつけ、日本人の歌手に歌わせることを発案し、このアイディアが成功。一連の舶来流行歌をいつしか“ジャズ・ソング”と称するようになった。これは和製英語で、“ナイト・ゲーム”を“ナイター”と言ったり、“カリー・アンド・ライス”と言うべきところを“ライスカレー”と代用していたのと同じである。命名者は不明だが、音楽レコード会社の文芸部ではないかとの推測が有力らしい。
 ハヤシライスやオムライスが庶民の味だったように、服部良一にとって、歌は庶民のものという意識が根柢にあったのではないだろうか。海外からの新鮮な輸入品を日本人なりに加工/変形したものが服部のジャズ・ソングだった。新しい音楽を求めてアメリカのジャズを参照し、庶民が歌える歌を作ることを服部は考えていたように思う。つまり、ジャズのセンスを流行歌の面にも援用しようとしたのだ。
 ここであらためて服部の来歴を振り返りたい。ただ、数々の逸話を知らずとも、最近になって服部良一の名前を耳にした人は多いに違いない。ブギの女王と呼ばれた笠置シヅ子の波乱の歌手人生を追ったNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』に服部が登場するからだ。笠置を演じる主役は趣里。服部は羽鳥善一という名前に変えられて草彅剛が演じている。
 服部良一は、1907年、浪花節を得意とする父と河内音頭の本場・富田林で育った母の間に生まれた。下町育ちで、小唄などが子供の頃から身にまわりにある環境で育ったという。〈当時の日本の庶民の歌に親しんでいて、江戸からつながる日本の娯楽音楽に対する教養があった〉と評論家/音楽家の大谷能生は述べている(瀬川昌久+大谷能生『日本ジャズの誕生』)。服部良一が子どものころに聴いていた曲として「書生節」があり、その影響が彼の作曲にも及んだことが大谷と瀬川の対話からわかる。また、服部がニットー・レコードにいた頃に、小唄芸者だった美ち奴が歌った「〇〇節」「〇〇小唄」といった曲はすべて服部のアレンジによるものだ。
 西洋音楽に触れたのは近所の教会での讃美歌、小学校での唱歌やハーモニカだったという。当時の唱歌という言葉には子供の合唱といった意味合いはなく、“シンギング”“ヴォーカル・ミュージック”を意味していたそうだ。やがて学校では、イギリスの民謡を文語体の訳語で歌うようになる。「蛍の光」や「埴生の宿」などがその代表例である。15歳の時出雲屋少年音楽隊に入隊。出雲屋というのは実は鰻屋のことで、今となっては不思議な感じがするが、当時は三越や高島屋や松屋など百貨店が宣伝用に音楽隊をつくって、それが日本のポップスの基礎となったのである。
 その第一期の入隊式が行われたのは1923年9月1日だが、この日、おそろしいことに関東大震災が関東圏を襲った。結果、多くのバンドマンが関東から大阪に移動してきて、道頓堀はジャズのメッカとなる。この頃、道頓堀、千日前にダンスホールが初めて竣工。3年後には、20のダンスホールができ、道頓堀川には芸者のジャズ・バンドが乗った屋形船まで出現したという。そんな環境下で、大正15年、服部が19歳の時に大阪フィルハーモニック・オーケストラに入団。これは大阪放送局(JOBK)の専属オーケストラとして発足したもので、服部はオーボエを担当した。
 翌年、服部は彼の才能を見抜いたロシア人指揮者のエマヌエル・メッテルに師事し、作曲家リムスキー・コルサコフの和声を学ぶ。メッテルの指導が厳しかったのは服部の自叙伝『ぼくの音楽人生』を読むとよく分かるが、それでも服部は必死で食らいつき、和声学やコルサコフの代名詞である管弦楽法などの音楽理論を習得。メッテルはクラシックが専門だったが、服部が“実はジャズをやりたいんだ”とおそるおそる言いだすと、音楽にジャンルの垣根はないとメッテルに激励されたというエピソードが象徴的だ。
 バンドでサックスを吹く一方、服部は同時並行で編曲も手掛けるようになっていた。なお、彼が編曲という名称を覚えたのは井田一郎の仕事を通じてのこと。井田は、1923年に日本初のプロのジャズ・バンドとして名高いラフィング・スターズを結成したキーパーソンだ。当時、編曲という作業を行っていたのが井田くらいしかおらず、二村定一など初期のジャズ・ソングのレコーディングはほとんどが井田の編曲/指揮であった。
 なお、編曲に秀でていた才人として、コロムビア所属だった仁木多喜雄の名前も挙げなければならないだろう。夭逝したため服部よりも知名度は低いが、リキー宮川の「マーチャン」は端正で瀟洒、モダンそのものである。アメリカのビッグ・バンド・ジャズ人気を担ったグレン・ミラーやジーン・クルーパのサウンドをうまく翻案/消化した印象もある。その仁木と比較すると、服部の曲は日本的な響きが強い。例えば、コロムビアで制作した和声ジャズ・コーラスもの。昭和14年の「お江戸日本橋」では、ベニー・グッドマンの「シング・シング・シング」を独自に解釈して採り入れ、管楽器のアレンジも完璧だった。
 服部は1933年に上京。作曲や編曲の仕事を手掛けるようになり、36年にはコロムビアの専属作曲家となる。コロムビア入社第一回の作品が淡谷のり子の歌う「おしゃれ娘」で、米国で勃興していたスウィング・ジャズの意匠を施した同曲は多くの日本人を驚かせた。同じく、淡谷のり子「別れのブルース」は、黒人のブルースをベースにした作品。服部の意向を汲み、本来得意ではなかったアルトの音域で歌ったという。もちろん、李香蘭(山口淑子)の歌唱による「蘇州夜曲」もヒット。以降、レコード、ステージ、放送、映画音楽など多彩な活動を展開してゆく。戦中は陸軍報道班として中国へ渡り、文化工作に従事。中国の作曲家とも密な関係を築いた。戦後は、ブギウギのリズムを採り入れた「夜来香ラプソディ」の他、「青い山脈」「銀座カンカン娘」とヒットを連発し、人気音楽家として一躍その名を轟かせることになる。
 指導者としての服部についても触れないわけにはいかない。戦前、多少なりともジャズの編曲を手掛けた音楽家は、ほとんど全ての人が一度は“響友会”なる服部塾の生徒だったといっても過言ではないからだ。ここで連想されるのが、渡辺貞夫のことである。バークリー音楽大学(筆者註、当時はバークリー音楽院)で学んだ渡辺は帰国したのち、自宅に後輩や同輩を呼び集めて、アメリカで学んだことを若いジャズメンに伝授した。このふたつの私塾は、それぞれ、戦前戦後の一大業績と言えるのではないだろうか。瀬川昌久が監修を手掛けた『日本のジャズ・ソング~戦前篇~シリーズ』の解説などでその重要性を説いている。
 また、先述のダンスホールがさかんになってくると、外国だけではなくて日本の流行歌もアレンジして混ぜてゆくことになる。日本で流行っている歌をジャズやタンゴにすると、聴衆が思いのほか喜んだというのだ。ダンス・バンドにはそうした需要が徐々に増え、服部に依頼して「雨のブルース」を(社交ダンスの一種である)フォックス・トロット風にアレンジし、演奏したこともあったとか。
 ダンスホールに来場する客では、学生には瀟洒でモダンなアレンジのものがウケる。一方、その他の人はアンサンブルやダンス・リズムには凝っていない歌謡曲を好む。服部はその両方をつなぐような仕事をされている、と瀬川は述べている(『日本のジャズの誕生』)。コロムビアの専属作曲家として業績をあげるには、そういった仕事も必要だったのだろう。服部は意識して古賀政男風のメロディもずいぶん作ったそうだ。
 そんな服部が人生最後の音楽会でメインに選んだのはシンフォニック・ジャズだった。コンサートは昭和42年の還暦記念にあわせて開催。クラシックの上海交響楽団と共演し、41分にわたる交響詩を披露した。これは服部の積年の夢であり願望だった。というのも服部は、アメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィンに強い憧れを抱いていたのだ。ガーシュウィンは1898年NYのブルックリン生まれ。少年時代にピアノを勉強し、1919年、21歳の時に作曲した歌曲「スワニー」で世に出る。
 “キング・オブ・ジャズ”を名乗るポール・ホワイトマンがガーシュウィンの才能に目をつけ、ジャズの交響楽的作品を書くことをすすめ、ピアノ独奏と管弦楽のための作品「ラプソディー・イン・ブルー」が完成。初演は1924年(日本では大正13年)で、服部が17才の時だ。服部はかねがね、ガーシュウィンのようにジャズの大交響楽団で演奏することを夢見ていた。大阪にいた頃、服部は「ラプソディ・イン・ブルー」をアメリカ帰りの作編曲家、紙恭輔が東京で舞台にかけたと聞いて、いてもたってもいられなかったという。
 服部は、クラシックとポピュラー音楽の間に明確な区別がなく、西洋音楽が一括りにされていた1920年代に音楽家としての訓練を受けた。10代からカフェやダンスホールでジャズを演奏しながら、大阪フィルハーモニック・オーケストラでクラシックを演奏している。そんな風にクラシックもジャズも等価なものとして享受してきた彼が、いま一度自分の音楽人生を総ざらいし、複数のジャンルを統合することを望むのは自然だったはず。服部のスタンスはこの発言に端的に表れている。

音楽にはクラシックとポピュラーといった区別は本質的にないというのがぼくの考え方で、とにかくいい音楽を大衆に親しんでもらいたいという気持ちからだった。この考え方はぼくの一生を通じて変わっていない。音楽に大衆音楽も高級音楽もないと考えるぼくは、当面、学びつつある音楽理論や技法を、ジャズや歌謡曲の世界で生かしたいと苦心していた。(服部良一『ぼくの音楽人生』)

 なお、1992年10月20日には大阪で“服部良一音楽祭‘92”が催された。会場は大阪城ホール。歌謡界以外のポップス系の音楽家や歌手が、服部良一作品を積極的にレパートリーに入れているのを受けてのコンサートだった。出演した面々は実に豪華。括弧内に演奏/歌唱した曲を入れると、サンディー(「蘇州夜曲」)、東京スカパラダイスオーケストラ(「ラッパと娘」)、山崎ハコ(「東京ブギウギ」)、アメリカのブレイヴ・コンボ(「青い山脈」)、シンガポールのディック・リー(「ジャジャムボ」)など。上記のコンサートのように『ブギウギ』の放映によって一気に押し寄せたように見える服部良一再評価の波だが、それ以前からその功績は着々と引き継がれている。服部良一と笠置シヅ子と雪村いづみと小西康陽を繫ぐ一本の太い幹は現代の日本の音楽にも確実に影を落としているのである。

ピチカート・ファイヴ
『さ・え・ら・ジャポン』
(日本コロムビア)

荒井由実
『ひこうき雲』
(EXPRESS)

雪村いづみ
『フジヤマ・ママ 雪村いづみ スーパーアンソロジー1953-1962』
(ビクターエンタテインメント)

雪村いづみ
『スーパー・ジェネレイション』
(日本コロムビア)

George Gershwin
『エッセンシャル・ジョージ・ガーシュウィン』
(ソニー)

■参考文献一覧
丸山眞男著『現代政治の思想と行動』(未来社)
梅棹忠雄著『文明の生態史観』(中公文庫)
内田樹著『日本辺境論』(新潮新書)
相倉久人著・松村洋編著『相倉久人にきく昭和歌謡史』(アルテスパブリッシング)
マイケル・ボーダッシュ著・奥田佑士訳『さよならアメリカ、さよならニッポン』(白夜書房)
瀬川昌久+大谷能生『日本ジャズの誕生』(青土社)
服部良一著『ぼくの音楽人生』(日本文芸社)
上田賢一著『上海ブギウギ1945 服部良一の冒険』(アルテスパブリッシング)
『レコード・コレクターズ』00年5月号「特集・細野晴臣」(ミュージック・マガジン)
小沼純一監修『あたらしい教科書 音楽』(プチグラパブリッシング)
末越芳晴著『ラプソディ―・イン・ブルー ガーシュインとジャズ精神の行方』(平凡社)
『ミュージック・マガジン』01年2月号(ミュージック・マガジン)
『ミュージック・マガジン』2024年2月号「特集・『ブギウギ』と笠置シヅ子の時代」(ミュージック・マガジン)
山本嘉次郎著『日本三大洋食考』(昭文社)
内田晃一郎著『日本のジャズ史』(スイングジャーナル)
大谷能生著『20世紀ジャズ名盤100』(イースト・プレス)
井上寿一著『理想だらけの戦時下日本』(ちくま新書)

 近年の映画音楽は実に多様化しているが、それでも商業的な作品では伝統的なクラシック音楽を基盤としたオーケストラ作品が多いように思われる。しかしいまから50〜60年前、ミッドセンチュリー・モダンの感性が息づいていた時代には、“ジャズ”の要素を取り入れた楽曲がメジャー映画で数多く使用され、先駆的な音楽表現のひとつとして定着していた。
 ジャズをバックグラウンドに持ち、そのセンスを映画に活かしたこの時期の作曲家といえば、『ピンク・パンサー』で知られるヘンリー・マンシーニ、『スパイ大作戦(のちの『ミッション:インポッシブル』)』や『ダーティーハリー』のラロ・シフリン、そして『キャンディ』や『コンドル』を手がけたデイヴ・グルーシンなどが思い浮かぶ。また、クインシー・ジョーンズもキャリア初期に多くの映画音楽を手がけ、この分野においても大きな足跡を残している。
 ヘンリー・マンシーニは1950年代初頭から活動していたため、やや早い時期の登場といえるが、彼らはおおむね1950年代後半から1980年代にかけて、同時代にハリウッドで活躍した作曲家たちと言って差し支えないだろう。出身国に目を向ければ、アルゼンチン出身のラロ・シフリンを除き(とはいえ、彼の活動拠点もアメリカにあったが)、いずれもアメリカ人である。
 ジャズはアメリカがその中心地であり、次々と新しいスタイルや演奏技法が生まれていた。そうしたアメリカのジャズ文化に対し、ヨーロッパの音楽家たちは強い影響を受け、憧れを抱いていた。その代表的な存在の一人がフランス出身の作曲家ミシェル・ルグランである。彼もまた、ジャズの語法を巧みに取り入れながら、映画音楽の分野で国際的な成功を収めた人物だ。

 ルグランはパリ国立高等音楽院でクラシック音楽と作曲を学び、恩師ナディア・ブーランジェのもとで修練を積んだ。ブーランジェは20世紀を代表するクラシック音楽の作曲家、指揮者、そして教育者であり、彼女の門下には実に多彩な作曲家たちの名前が連なっている。
 例えば……レアグルーヴ好きには、ムーグ・ファンクの金字塔“Psyche Rock”や“Jericho Jerk”で知られるフランスの実験音楽家のピエール・アンリ、クラシックの素養が作品に深みを与えるブラジルの奇才エグベルト・ジスモンチ、ミニマル・ミュージックの旗手フィリップ・グラス、タンゴを革新したアストル・ピアソラ、さらにはクインシー・ジョーンズ、キース・ジャレット、ドナルド・バードまでもが彼女の門下生として名を連ねる。近年の音楽シーンに計り知れない影響を与えた(個人的にも大好きな)音楽家たちを指導したナディア・ブーランジェは、ある意味、相当な“やばい”教育者だったのかもしれない。
 ルグランもまたその一人であり、クラシックの厳格な教育に裏打ちされた音楽性と、それとは対照的に、自由な精神性の象徴でもあったジャズへの深い興味を併せ持っていた。1950年代にはマイルスやコルトレーンといったトップクラスのジャズ・ミュージシャンたちとも積極的に交流を持ち、その後映画音楽の世界へと進出する。1961年にはジャン=リュック・ゴダール監督の『女は女である』の音楽を皮切りに、ヌーヴェルヴァーグ初期において実験的かつ自由な音楽表現を展開し、従来の映画音楽の枠を超えた新たな可能性を切り拓いた。1964年の『はなればなれに(Bande à part)』における、アンナ・カリーナとクロード・ブラッスール、サミ・フレーの3人の有名なダンス・シーンは、ルグランの軽やかで洒脱でファンキーな音楽があってこそ成り立った名場面だろう。
 同じく1964年には、フランス映画界の黄金コンビとなるジャック・ドゥミ監督と出会い、『シェルブールの雨傘』の音楽を担当する。ここでは、セリフがすべて音楽で歌われるという革新的なスタイルを採用し大きな注目を集めた。以降もこのコンビで『ロシュフォールの恋人たち』や『ロバと王女(Peau d'Âne)』など数々のスタイリッシュな作品を手がけた。なお、この『ロシュフォールの恋人たち』は1990年代の渋谷系ムーヴメント、とくにピチカート・ファイヴに代表されるアーティストやそのファンたちに多大な影響を与えた、デザイン/ファッション的バイブルとも言える作品である。色彩感覚、リズム感、そして軽やかさをもった世界観は、当時の日本のポップ・カルチャーに深く影響を及ぼしている。
 こうした一連の作品は、フランス国内にとどまらず、やがてハリウッドにも波及していく。ルグランのハリウッドでの成功は周知のとおりだが、個人的に印象に残っているのは、映画『The Happy Ending』のテーマ曲“What Are You Doing the Rest of Your Life?”である。近年では、ビル・エヴァンスによるローズ(エレクトリック・ピアノの一種)での演奏ヴァージョンが、アンビエント系や静謐で内省的な音楽を好むリスナー層からも高く評価されている。この曲は、ルグランにとっては長いキャリアのなかの小さな一コマにすぎないかもしれないが、作曲に込められた繊細な情感は、いまなお多くの人の心をとらえ続けている。

 クラシックの構成美とジャズの即興性が融合したミシェル・ルグランの音楽は、1960〜70年代の映画音楽のスタイルをある意味で決定づけた存在の一人といえるが、こうした楽曲一つひとつを支えていたものは何だったのか……。ルグランの音楽に向き合ってみると、彼の音楽性の本質が少しずつ見えてくる。特筆すべきは、彼の卓越したオーケストレーションの技術だ。あくまで個人的な感想にすぎないが、前述のジャズ出身の作曲家たちや同時代のヨーロッパの映画音楽家と比べても、その楽曲自体の安定感はかなり高いと思う。ルグランのオーケストラ作品には、重厚さと繊細さ、旋律の美しさが非常にバランスよく共存している。
 なぜ彼が非常に安定した完成度を生み出せたのか、その謎を解くヒントが多く描かれているのが、『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』だ。映像を通して彼の本質が見て取れた。とくに印象に残ったのは、ルグランは極めて高いピアノ演奏力を有していたという事実だ。作品の完成度との明確な因果関係はわからないが、こうしたたしかな演奏力に裏打ちされていたからこそ、ミシェル・ルグランはオーケストラをコントロールし、映画の血や肉となるような、情熱的でクオリティの高い音楽を生み出すことができたのだろう。
 そんなルグランの軌跡を証言する関係者のなかに、1980年代にフランス映画音楽を革新した作曲家ガブリエル・ヤレドの姿があったのには驚かされた。ガブリエル・ヤレドといえば、まだ若手の時代に、ジャン=リュック・ゴダールの注文を跳ね除けて「だったら他の人に頼むがいい」と言い放ち、ゴダールが折れて好きにやらせたという破天荒なエピソードの持ち主だ。彼がルグランへの敬意を熱く語る様子を目の当たりにし、「ヤレドはこんなにもルグランをリスペクトしていたのか」と、これにはかなり意外に感じた。
 そういえば、ヤレドもルグランも映画音楽家として飛躍するきっかけとなったのはジャン=リュック・ゴダールであり、それぞれの時代に新たな地平を切り拓いてきたという点で、その軌跡はどこか響き合っているのかもしれない。さらに考えてみると、ヤレドとジャン=ジャック・ベネックス監督のコンビにも、どこかルグランとジャック・ドゥミの関係に通じるものを感じる。作曲家と映画監督が深く共鳴し合い、作品全体の世界観を形づくっていく。その関係性の在り方には共通する空気があるように思えた。

 さて、本作『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』を観終えたあと、あらためてルグランの音楽に耳を傾けてみると、映画という総合芸術の奥深さとともに、音楽が“時間”という、目に見えず手で触れることのできないキャンバスに描かれる芸術であることの凄みを、あらためて実感させられる。そして、表現とは、卓越した技術や形式だけでなく、創り手の内側にある情熱や愛情が注がれてこそ、人の心に深く響くのだということを、しみじみと感じる。
 ゆえに、一人のアーティストの人生を描いた本作から感じ取るべきは、現代で希薄になりがちな“熱い何か”を私たちがいまこそ見つめ直すべきだというメッセージではないだろうか。

(ミシェル・ルグランの名盤の数々。筆者のコレクションより)

アメリカとはいったいどんな国?

トランプ大統領と彼のチームは時代を読んでいた
カウンター・カルチャーに対するカウンター、そしてアメリカ右派における革命とは……?

インタヴュー:渡辺靖、大澤真幸、酒井隆史、三牧聖子、岡本裕一朗、石田健
コラム:イアン・F・マーティン、水越真紀、緊那羅:Desi La、三田格、ジリアン・マーシャル、二木信、土田修、木津毅

*アメリカを知るためのブックガイド付き

▶刊行のお知らせ──ニュースからは見えない、いまアメリカで起きている文化戦争について知ろう

インタヴュー:
・基本をおさらい、アメリカのはじまりから現在トランプがしていることの意味まで ▶渡辺靖
・アメリカを知るために、まずは二つの大きな矛盾に気づこう ▶大澤真幸
・ブラック・カルチャーが超重要な理由 ▶酒井隆史
・直近、ここ半年ほどのアメリカの状況を押さえておこう ▶三牧聖子
・話題の「新反動主義」ってなに? ▶岡本裕一朗
・いま「カウンターエリート」と呼ばれる人たちが出てきている ▶石田健

コラム:
・試しにアメリカから生まれた音楽がいっさいなかった世界を想像してみると…… ▶イアン・F・マーティン
・歴代大統領が掲げたキャッチフレーズからヴォネガットを連想してみる ▶水越真紀
・ケンドリック・ラマーを単純に支持できない理由 ▶緊那羅:Desi La
・数々の映画からアメリカの深層心理を探ってみる ▶三田格
・アメリカでは自分たちが世界の中心だと教えられる ▶ジリアン・マーシャル
・ヒップホップとトランプの親和性はつねにあった、でもそれだけじゃなくて…… ▶二木信
・トランプ的なもののルーツは、じつはヨーロッパにあり? ▶土田修
・アメリカへの複雑な思い、ウィルコの音楽を聴きながら ▶木津毅

菊判/192ページ

目次

序文──もしくは21世紀の文化戦争から(野田努)

■インタヴュー
渡辺靖 アメリカは再び求心力を取り戻すことができるのか──破壊者にして救世主、トランプがもたらした「分断」のゆくえ
石田健 リベラルを敵視する「カウンターエリート」たちが夢見る未来──トランプ政権に影響を与えたピーター・ティールとカーティス・ヤーヴィンの思想
大澤真幸 アメリカという国の特殊性──過剰な宗教性、根強い黒人差別、そして異様なまでの冷戦への情熱
三牧聖子 いまこそ本当のポピュリストが求められている──2025年、アメリカ合衆国の現在地
岡本裕一朗 新反動主義が共感を集めることができた理由──ピーター・ティールやカーティス・ヤーヴィンが登場してきた背景
酒井隆史 カウンター・カルチャーを再構築すること──ブラック・カルチャーからネオリベラリズムをとらえるとアメリカが見えてくる

■コラム
さよならアメリカ、さよなら日本(イアン・F・マーティン/江口理恵訳)
多様性の夢と包摂のパラドックス(水越真紀)
我が魂を引き裂くもの(緊那羅:デジ・ラ/野田努訳)
アメリカは「世界の終わり」を夢見ている(三田格)
国のない女──アメリカでアメリカ人として生まれ育つということは?(ジリアン・マーシャル/江口理恵訳)
ヒップホップの「抵抗」について考える──彼らはただ韻を踏んでいるだけではないのだ(二木信)
「米国第一主義」の源流はヨーロッパにあった?──欧州「極右」勢力の台頭とトランピズム(土田修)
アメリカを巡る曖昧な愛情(木津毅)

アメリカを知るためのブック・ガイド
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MC Yallah & Debmaster - ele-king

 日本や世界各地のクラブ・シーンを席巻しているエモ寄りのメロディック・ラップの氾濫からひととき解放されるかのように、ヤラ・ガウデンシア・ムビデ( Yallah Gaudencia Mbidde)、すなわちMCヤラー(MC Yallah)のセルフタイトル新作『Gaudencia』は、Nyege Nyege のサブレーベル〈Hakuna Kulala〉からフランス人プロデューサーのデブマスター(Debmaster)との共作として登場した。これはすでに熱気を帯びた夏にさらにスパイスを振りまく、革新の清新な空気であり、意識を覚醒させるバンガーの数々だ。2023年のブレイク作『Yallah Beibe』が放った生々しいエネルギーと昂揚を継承しつつ、今回のヤラーとデブマスターはさらにいっおう音響的一貫性を獲得している。まるで宿命に導かれた音響的な結婚のごとく、互いが互いを突き動かし、より高みへと刺し合うようにして。
 ケニアに生まれ、ウガンダで育った背景は、言語の仕組みを自在に連結するためのコードをヤラに授けた。彼女はルガンダ語、ルオ語、スワヒリ語、そして時折の英語を切り替えながら、それぞれの言語がもつ力を最大限に引き出し、すべてを猛烈な韻律のなかで機能させている。
 これはマムブル・ラップでも、2分間に40語しか吐き出さないエモ的な歌唱でもない。これはバトルラップ・スタイルだ。週末のニューヨークのバスケットコートに持ち込まれるような、あるいはあらゆるコンテストに投じられるようなものだ。英語を母語とする私にとって、ラッパーの言葉を理解できないことに多少の寂しさはある。だが“Omulinji”のようなトラックでは、そのもどかしさはメロディとフロウに慰められ、魅了される。優れたラッパーは、外部の聴衆が渡れる旋律の橋を築くのだと、そこには単純に示されている。

 アルバムのテンポは冒頭から狂騒的で、ハイプを積み上げていく。冒頭曲“Higher”のシンセサイザーの響きからして、その昂ぶる予感が全身に伝わってくる。トラックメイカーとしてのデブマスター(Debmaster )の手腕は、必要な余白と緊張感を残し、MCヤラにマシンガンのようなケイデンスを浴びせるだけの空間を与えている。そして続く“Kujagana”では夏らしいバウンス感を解放し、どこの都市でも通じるメロディを響かせる。地下鉄のなかで自然と口ずさめるような、記憶に残る旋律だ。
 1曲目以降、このアルバムの大部分はディープでスローなリズムに身を委ねている。現代アフリカのスロービートやアフロビーツと、西洋で人気のグルーヴィなエレクトロニクスとのあいだに心地よく収まり、クラブで多用されるガバの硬質な音を相殺するかのようだ。

 ヤラーにとりわけ惹かれるのは、そのラップのフロウ、歌唱、パフォーマンス・スタイルはもちろんだが、全体的な美学において、セクシュアリティを最優先にしていない点にもある。だいたいこのご時世、裸同然の格好をせず、言葉を発する前から腰をくねらせたりしない女性ラッパーがバズったりすることは困難だろう。実力派のDoechii(https://www.ele-<https://www.ele-/>http://king.net/review/album/011615/)でさえも、注目を集めるため、真っ裸になってヴィデオを制作したほどである。しかし、『Gaudencia』におけるヤラーは、ゲストなしでアルバム全体を牽引する女王の風格を見せつける。13曲すべてにおいてゲストも客演プロデューサーも存在しない。サウンドは一貫しており、メッセージは純粋無垢で、そのゆえに圧倒的な磁力を放っている。そして率直に言えば、リリックを完全に理解できなくとも、ヤラの才能はジェイ・Z級だ。
 願わくは、ヤラーがアメリカのしばしば言語的排外主義に陥りがちなラップ・カルチャーを突破してほしい。現実にはそれが起こるとは思えないが、それでもなお願わずにはいられない。


In a welcome break from the plethora of emo-driven melodic rap taking over the club scenes here in Japan and in many parts of the world, Yallah Gaudencia Mbidde aka MC Yallah`s new self titled work “Gaudencia” with Debmaster on the the Nyege Nyege`s sub-label HAKUNA KULALA, is the fresh air of innovation and mind-awakening bangers necessary to bring spice to an already hot summer.
In a continuation of the raw energy and excitement around her breakthrough 2023 “Yallah Beibe,” Yallah and Debmaster go even further into sonic coherence showing that they were meant to each other, an ordained sonic marriage by fate, each half needling each other toward greater excellence.
Being Kenyan, raised in Uganda showered Yallah with the codes necessary to interconnect with the inner-workings of number languages. Yallah toggles between Luganda, Luo, Kiswahili, and brief moments of English accessing the greatest parts of each language and making them all work in rapid fire cadences.
This isn`t mumble rap or 40 words in a 2 minute emo-sing song, this is battle rap style. The type one would take to the basketball court in New York City on the weekend or any contest. For myself as a native English speaker, there is a little sadness in not being able to understand anything a rapper is saying. But in a track like “Omulinji," my mental frustrations are put to rest with melodies and flows that mesmerize, showing simply the best rappers build melodic bridges outsiders can cross.
The pace of the album from the beginning is manic, hype building. You can feel the anticipation from the opening synths in opening “Higher.” Debmaster`s craft as a track maker leaves space and just enough tension giving MC Yallah tons of air to fire machine gun style cadences. And then allows summer bounce vibes in the following “Kujagana,” easily translatable in any city with melodies, memorable and hummable on any subway.
Beyond the first track, the majority of the album grooves in deep slow rhythms fitting comfortably between modern African slow beat or afrobeats and groove heavy electronics popular in the Western world to offset much of the gabber music played in clubs.
What particulary attracts me to Yallah is her rap flow, singing, performance style or overall aesthetic, not prioritizing sexuality first. It`s difficult now to find viral female rappers that aren`t near naked or gyrating before they even say a word. Even equally as talented Doechii has made video(s) completely butt naked to attract attention. In “Gaudencia” Yallah shows queen status carrying the whole album without any guests. 13 tracks without any guests or even guest producers. The sound is consistent and the message is pure, and by being so, incredibly magnetic. And truth be told, Yallah is Jay Z level talented, even without understanding fully her lyrical content.
It would be my hope that Yallah could break through the often linguistically xenophobic rap culture of America. I don`t see that happening but it is still a hope.

Urban Echoes - ele-king

 長野の音楽フェス、「EACH STORY〜THE CAMP〜を」主催する実行委員会が新たな公演をローンチさせた。
 東京で3夜にわたって開催される「Urban Echoes」がそれだ。
 第一夜となる10月6日(月)には、〈ECM〉のギタリスト、ヤコブ・ブロと高田みどりの共演が実現。会場は表参道の銕仙会能楽堂。
 第二夜の10月8日(水)は、シカゴのシンガー・ソングライター、ジア・マーガレットによる初めての来日公演。会場は池袋の自由学園明日館 講堂。
 第三夜の10月9日(木)は、ちょうど本日最新作『winterspring/summerfall』の日本限定CD盤がリリースされたオランダ出身のマルチ楽器勝者、フェルボム(Felbm)が登場する。会場は多くのの淀橋教会の小原記念チャペル。
 自然に囲まれながら体験する音楽もいいけれど、繁華街でちょっと特別な音楽に耳を傾けるのもまた味わい深いものです。詳しくは下記より。

Urban Echoes
一 都市にひそむ余自と共鳴ー

Resonating with the Hidden Spaces of the City
都市には、さわめきの奥に静けさが潜み、時間の際間に醤きが宿る。
Urban Echoes は、そうした見えない余白を音と空間で呼び覚まし、
会場ごとに異なる物語を立ち上げていく試みです。
能楽堂や歴史的建築、チャベルなど、息づく記憶をまとった場所で、
国内外のアーティストがその夜だけの音を奏でる
都市に眠る気能が共鳴し、音楽とともに新たな記憶となる
ーーEACH STORYが届ける、特別な音のシリーズ。

DAY1

2025年10月6日(月)
Jakob Bro × 高田みどり
銕仙会能楽堂(表参道)

時間 : OPEN 18:00 / START 19:00
   LIVE時間 : 60min
料金 : 前売り ¥10.000_ / 当日 ¥11.000_
出演 : Jakob Bro × 高田みどり
HP / チケット販売サイト: https://www.urbanechoes.live
主催 : 合同会社EACH STORY実行委員会
協力:rings
助成:東京芸術文化創造発信助成 カテゴリーⅠ 単年助成 芸術創造活動
後援:デンマーク王国大使館

DAY2

2025年10月8日(水)
Gia Margaret
自由学園明日館 講堂(池袋)

時間 : OPEN 18:00 / START 19:00
   LIVE時間 : 60min
料金 : 前売り ¥8.000_ / 当日 ¥9.000_
出演 : Gia Margaret
HP / チケット販売サイト: https://www.urbanechoes.live
主催 : 合同会社EACH STORY実行委員会
協力:plancha
助成:東京芸術文化創造発信助成 カテゴリーⅠ 単年助成 芸術創造活動

DAY3

2025年10月9日(木)
Felbm
小原記念チャペル(大久保)

時間 : OPEN 18:00 / START 19:00
   LIVE時間 : 60min
会場 :ウェスレアン・ホーリネス教団 淀橋教会 小原記念チャペル
料金 : 前売り ¥7.000_ / 当日 ¥8.000_
出演 : Felbm / H.Takahashi(DJ) / Yudai Osawa (VJ)
HP / チケット販売サイト: https://www.urbanechoes.live
主催 : 合同会社EACH STORY実行委員会
協賛: Adam Audio
協力;Knkyo Records
助成:東京芸術文化創造発信助成 カテゴリーⅠ 単年助成 芸術創造活動
後援:オランダ王国大使館

Chip Wickham - ele-king

 ブライトン出身のサックス奏者、チップ・ウィッカムは、モダン・ジャズを基盤としつつ、クラブ・ミュージックとも接点をもちながらスピリチュアルなサウンドを探求してきた音楽家だ(昨年はフジロックで来日)。そんな彼が、ロンドンとはまた異なる角度からジャズを盛り上げてきたマンチェスターのレーベル〈ゴンドワナ〉に合流したのが前作『Cloud 10』。これにつづく通算5枚目のニュー・アルバム、『The Eternal Now』が9月5日にリリースされる。
 また、これにあわせ、単独来日公演も決定していて、11月15日(土)@大阪 Umeda Shangri-la、11月16日(日)@東京 Shibuya Club Quattroの2都市を巡回。新作リリース直後という絶好のタイミングでのライヴ、見逃す手はありません。


【リリース詳細】
アーティスト:CHIP WICKHAM / チップ・ウィッカム
タイトル:The Eternal Now / ジ・エターナル・ナウ
フォーマット:CD/DIGITAL
発売日:2025.9.5
価格:¥2,750(税抜¥2,500)
品番:PCD-25494
レーベル:P-VINE

【Pre-order/Download/Streaming】
https://p-vine.lnk.to/00FYw3

【Track List】
1.Drifting
2.Nara Black
3.The Eternal Now
4.Lost Souls
5.No Turning Back
6.The Road Less Travelled
7.Falling Deep
8.Ikigai
9.Outside
10.Solar Opposites*
*Bonus track for Japanese edition

【来日公演】
2025/11/15(土) 大阪 Umeda Shangri-la
2025/11/16(日) 東京 Shibuya Club Quattro
企画/制作:SMASH

https://smash-jpn.com/live/?id=4500

【Chip Wickham(チップ・ウィッカム)】
UK/ブライトン出身のサックス、フルート奏者。マンチェスターでジャズを学びそのキャリアをスタートさせると、2000年代UKのジャズ、ソウル、トリップホップ、ファンクシーンに関わり、The Pharcyde、THE NEW MASTERSOUNDS、Nightmares On Waxといったアーティストの活動に参加、さらにMatthew Halsall率いるGondwana Orchestraに加わるなどUKを中心にスペインや中東など活動の幅を拡げていく。2017年に初のリーダーアルバム『La Sombra』をスペインのジャズ・クロスオーヴァー系レーベルとして名高い“Lovemonk”からリリース、さらに同じく“Lovemonk”から2nd『Shamal Wind』(2018)、3rd『Blue To Red』(2020)と立て続けに発表しヨーロッパのジャズシーンで存在感を高めていくようになる。2022年にはGoGo Penguinなど先鋭的なジャズ・ミュージシャンを多数輩出したUKの新世代ジャズシーンを担う“Gondwana Records”から4枚目のアルバムとなる『Cloud 10』、翌2023年にはEP『LOVE & LIFE』を発表し、そのモダンでソウルフルなスピリチュアル・ジャズサウンドでUK/ヨーロッパではもちろんのこ、2024年にはFUJI ROCK FESTIVAL '24で円熟のパフォーマンスを披露し日本国内でも高い評価を得ている。2025年9月に最新アルバム『The Eternal Now』(Gondwana Records)をリリース予定。

https://www.instagram.com/chipwickham/
https://chipwickham.com/

8月28日 岸部四郎 - ele-king

 こんなに人が亡くなるものだとは思ってもいなかった。
 テレビや映画でよく観ていた俳優。贔屓にしていたスポーツ選手。若い頃に感化されたアーティスト。毎年のように、毎月のように、ひどいときは一週間のうちに何人もの訃報を目にするようになった。
 身近な、顔なじみとお別れすることも増えてきた。
 長生きすることは、すなわち、自分が知っている人で形成されている世界においてマイノリティになっていくことなのだ。
 かつて『死者のカタログ』(ニューミュージックマガジン社)という本があった。「ミュージシャンの死とその時代」の副題どおり、50年代、60年代、70年代にこの世を去った(主に)ロック・ミュージシャンたちの死について、カタログ風に構成されたユニークな本だった。1979年の刊行時には、まさか、その翌年にジョン・レノンが、2年後にボブ・マーリーが死ぬなんて誰も想像できなかった。この本が「成立」した時代、ロック文化において、死はまだ特殊だった。死者は圧倒的に少数派だったのだ。

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 私は追悼が下手だ。
 おくる言葉を心と頭でひねり出しても、その最後に「心からお悔やみ申し上げます」と口にするときの妙にしらじらしい感覚にいつまでも慣れることがない。「天国で●●さんとセッションしてください」なんて恥ずかしくて言えない。私の辞書には、はなからR.I.P.なんて文字はなかった。
 そもそも、亡くなった人へのメッセージのはずが、それを読む生きている人たちの目を意識しなきゃいけないなんて、ナンセンスな話ではないか。そう考えると、「追悼ベタ」で上等じゃん、という気にもなる。
 もっと自由に追悼したい。訃報に際して、SNSで「いいね」ボタンを押すよりも、もっと冴えた、人それぞれの追悼があってもいいのではないだろうか。

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 テリー・ジョンスンは亡くなった人を描く。一目見て、テリーさんが描いたとわかる絵で死者をひたすら描く。どの絵も笑っちゃうほど生き生きしている。そういえば、先に書いた『死者のカタログ』の表紙画もテリーさんが描いていた。
 亡くなった人にとって命日は新しい誕生日である、という。信心と縁のない私もこれは悪くない考えかただと思う。テリーさんの画に「自分だったらこう書くだろうな」という新聞の死亡記事欄のような短い文章を寄せた。今月から3ヶ月に渡って、ここエレキングwebで、その一部をご覧いただくことにした。
 まずは、「8月」に旅立たれた方々から、ご覧いただきます。

 テリーさんに描かれる人生に最大の敬意を。人は死んで星(スター)になる、とは、こういうことだったのかと腑に落ちました。

 最後に、テリーさんが提言する「似な顔」の定義を。

「似顔絵としては失敗だけど、絵としては結構面白いというところがポイントでしょうか。つまりあなたがその人をどう見ているかを素直に描けばいいんです。(中略)
その人の印象を線そのものに託せばいいんです」
『決定版 ヘタうま大全集』 (ブルース・インターアクションズ刊)


岸部四郎(タレント)

1949年6月7日生まれ。ミュージシャン。脱退した加橋かつみに代わり、ザ・タイガースの一員に。兄・一徳とはサリー&シローを結成する。とぼけた味の関西弁で俳優、タレントとして活躍。晩年は借金王として名をはせる。タイガース武道館での再結成公演、車椅子で「イエスタディ」を歌う。切なかった。

1949.6.7-2020.8.28

梨元勝(芸能リポーター)

1944年12月1日生まれ。芸能リポーター。雑誌「ヤングレデイ」の記者からフリーに。ワイドショーで芸能リポーターという職業を確立する。映画「コミック雑誌なんていらない」で梨元をモデルとしたリポーター役の内田裕也は、決め文句「恐縮でーす」を連発。クレジット無しで本人も登場する。

1944.12.1-2010.8.21

アラン・ドロン(俳優)

1935年11月8日生まれ。俳優。「太陽がいっぱい」のリプリー役でブレイク。「冒険者たち」、「さらば友よ」、「地下室のメロディー」「ショック療法」など多数の主演作で、世紀の二枚目の称号を得る。ダリダとのデュエット曲「あまい囁き」もヒット。ダーバン、セ・レレガーンス・ドゥ・ロム・モデルヌ。

1935.11.8-2024.8.18

坂本九(歌手)

1941年12月10日生まれ。歌手。ダニー飯田とパラダイス・キング脱退後、「悲しき六十才」でソロ・デビュー。永六輔と中村八大による「上を向いて歩こう」は「SUKIYAKI」の題で3週間連続全米1位に。世界で千三百万枚売れた。ボブ・ディランも86年の来日時にインストでカヴァー。

1941.12.10-1985.8.12

アイザック・ヘイズ(歌手)

1942年8月20日生まれ。ミュージシャン。デヴィッド・ポーターとのコンビで「ホールド・オン」などを作曲。音楽を手掛けた映画「黒いジャガー」のサントラ盤は全米1位。「ワッツタックス」では笑っちゃうほど劇的に登場する。スキンヘッドの黒いモーゼは地獄よりも深い場所から囁きかける。

1942.8.20-2008.8.10

沢たまき(歌手)

1937年1月2日生まれ。歌手。ジャズ・シンガーとしてデビュー。歌謡曲「ベッドで煙草を吸わないで」が大ヒット。ハスキー・ヴォイスで人気を博す。女優としてドラマ「プレイガール」に主演。バラエティ「独占!おとなの時間」の司会など活動の幅を広げる。61歳で参議院議員選挙(比例区)に当選。

1937.1.2-2003.8.9

鳳啓介(漫才師)[+京唄子(漫才師)]

鳳啓介(漫才師)

1923年3月16日生まれ。漫才師。京唄子とのコンビで唄子・啓介を結成。映画、ドラマや、作家も兼任した「唄啓劇団」などで活躍。「エー!、鳳啓助でございます」と必ず名前入りで物真似される。

1923.3.16-1994.8.8

京唄子(漫才師)

1927年7月12日生まれ。漫才師。鳳啓介と唄子・啓介を結成。相方を吸い込む大きな口がトレードマーク。「唄子・啓助のおもろい夫婦」の司会は16年間続いた。多数のドラマにも出演した。

1927.7.12-2017.4.6

前田武彦(マルチタレント)

1929年4月3日生まれ。放送作家。開局間もないNHKのラジオ、テレビで番組の構成作家に。裏方では飽き足らず、タレント活動をメインに、「夜のヒットスタジオ」の司会、5歳年下の大橋巨泉とのコンビによる『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』など、毒を含んだ軽妙な喋りで親しまれる。愛称はマエタケ。

1929.4.3-2011.8.5

渥美清(俳優)

1928年3月10日生まれ。俳優。浅草のストリップ小屋でコメディアンとして活躍。バラエティ番組「夢で逢いましょう」で人気者に。69年にはじまった映画「男はつらいよ」シリーズで48作に渡って車寅次郎を演じた。…と思いきや、没後にも49作目「男はつらいよ お帰り 寅さん」が制作された。

1928.3.10−1996.8.4

阿久悠(作詞家)

1937年2月7日生まれ。作詞家。尾崎紀世彦「また逢う日まで」、都はるみ「北の宿から」、沢田研二「勝手にしやがれ」、ピンク・レディー「UFO」、八代亜紀「雨の慕情」と5曲のレコード大賞受賞曲を手掛けた、昭和を代表するヒットメイカー。歌詞は直筆で、自身でレタリングした曲名をつけて入稿。

1937.2.7−2007.8.1

8月のジャズ - ele-king

 今月はベテラン・アーティストの久々の作品から紹介したい。プランキー・ンカビンデことジェイムズ・ブランチは1947年生まれのサックス奏者で、1971年にサンフランシスコでジュジュを結成したことで知られる。アフリカ音楽や民族色の濃いフリー・ジャズを展開し、次第にそれはアフロ・スピリチュアル・ジャズとして認知されるようになる。〈ストラタ・イースト〉で2枚のアルバムをリリースした後、ワンネス・オブ・ジュジュと改名したグループは1975年に名作『African Rhythms』を発表。ワシントンDCでジャズDJ/評論家のジミー・グレイが新レーベル〈ブラック・ファイア〉を創設し、彼に共鳴したプランキーが参加し、第1弾アーティストとなった。続く1976年の『Space Jungle Luv』と共にスピリチュアル・ジャズにソウルやファンクを融合した内容で、後のレア・グルーヴ・ムーヴメントやクラブ・ジャズ・シーンでも再評価が高まった。1980年にはプランキー&ワンネス・オブ・ジュジュ名義で『Make A Change』を発表するが、収録曲の “Every Way But Loose” はラリー・レヴァンによるリミックス12インチがリリースされ、ダンス・ミュージックの世界でも知られることになる。『Make A Change』はディスコやエレクトロ・ファンクの要素も交えていて、そうした具合に当時の音楽の流行を巧みに取り入れる部分もプランキーにはあった。

Plunky & Oneness Of Juju
Made Through Ritual

Strut

 その後は一時のブランクはあったが、『African Rhythms』などが再評価されていることをプランキー自身も認識していて、1996年にワンネス・オブ・ジュジュ再評価の流れで復帰作の『Bush Brothers & Spacer Rangers』を〈ブラック・ファイア〉からリリース。それ以降も地道な活動を続け、自主レーベルの〈N.A.M.Eブランド〉からコンスタントにアルバムをリリースしている。初期は混沌として原初的なジャズをやっていたジュジュだが、ワンネス・オブ・ジュジュになってからは時流に乗ってソウル、ファンク、アフロビート、ディスコ、エレクトロなどを融合し、ある意味で非常に柔軟で自由な気風を持つアーティストとも言える。1990年代は当時のアシッド・ジャズ・ムーヴメントに呼応してラッパーをフィーチャーしたり、その後もR&Bに接近した作品のリリースもある。

 2019年にプランキー&ワンネス名義で『Afroceltic』というアフロビート寄りのアルバムをリリースし、それから6年ぶりの新作が『Made Through Ritual』となる。〈ブラック・ファイア〉の諸作を〈ストラット〉が再発していたこともあり、今回はその〈ストラット〉から〈ブラック・ファイア〉創設50周年を記念してのリリースとなる。ババトゥンデやエカ・エテら往年のメンバーはいないが、シンガーのシャーレイン・グリーンや作家・詩人のロスコー・バーネムズなどが参加している。また、プロデューサーはプランキーの息子のジャマイア・ブランチで、ジミー・グレイの息子のジャマル・グレイも共同プロデュースしている。シャーレイン・グリーンによる瞑想的なヴォーカルが導く “Share This Love” は、『Space Jungle Luv』の頃を彷彿とさせるスペイシーな浮遊感に包まれる。ジャズとアフロやファンクを融合した “In Due Time” や “Made Through Ritual” は、『African Rhythms』の頃のプランキーを再現していて、コズミックな質感のジャズ・ファンクの “Broad Street Strut” は『Make A Change』にあるようなナンバーと言えるが、不思議と古びた感じを抱かせないのはジャマイア・ブランチとジャマル・グレイのプロデュースによるものだろう。ロスコー・バーネムズがポエトリー・ローディングを披露する “Children Of The Drum” はラスト・ポエッツに通じるようなブラック・カルチャー賛歌である。


Dom Salvador, Adrian Younge & Ali Shaheed Muhammad
Jazz Is Dead 24

Jazz Is Dead

 エイドリアン・ヤングとアリ・シャヒード・ムハマッドによる『Jazz Is Dead』シリーズは、伝説的なミュージシャンとのセッションをかれこれ5年ほど続けている。アジムス、マルコス・ヴァーリ、ジョアン・ドナートなどブラジルのミュージシャンとのセッションも多くおこなっていて、2024年にはジョイス、アントニオ・カルロス&ジョカフィ、カルロス・ダフェ、イルドンらとブラジル勢と共演したオムニバスを発表したが、その中のひとりであったドン・サルヴァドールとの共演作が『Jazz Is Dead 24』としてリリースされた。ドン・サルヴァドールは1960年代から活躍するピアニストで、サルヴァドール・トリオやリオ・65・トリオは1960年代半ばに沸騰したジャズ・サンバの名トリオとして伝説的に語り継がれる。1960年代後半からは時代の流れと共にロック、ファンク、ソウルなども取り入れ、アボリサオというサンバ・ファンク寄りのバンドも率いたことがある。また、アメリカに渡って活動していた時期もあり、『My Family』(1976年)というブラジリアン・フュージョンのアルバムもリリースした。

 そんなドン・サルヴァドールも、現在87歳というブラジル音楽界でも最長老に属する年齢となっているが、そんな彼をレコーディングの場に連れ出したというだけでも、『Jazz Is Dead』はとても貴重な企画と言えよう。今回のアルバムは1960年代後半から1970年代前半の時期、アルバムで言えば1969年のファースト・ソロ・アルバムから、アボリサオを率いた1971年の『Som, Sangue E Raça』あたりの時期を念頭に入れた内容である。ドン・サルヴァドール自身による獣の咆哮のような奇妙なスキャット・ヴォーカルが印象的な “Os Ancestrais”、男女コーラスを交えたノヴェラ(サントラ)風の “Nao Podemos o Amar Para”、ソフト・ロックを取り入れたブラジリアン・ソウル “Minha Melanina”、アフロビートに近似したサンバ・ファンク “Eletricidade” など、ドン・サルヴァドールならではの作品集と言える。サイケデリックな風味の “Safíra” は、アマゾン流域で発生した原初的なアフロ・ブラジリアン・サウンドがジャズと結びついたできた作品で、ドン・サルヴァドールのルーツを見せるものだ。


Organic Pulse Ensemble
Oppression Is Nine Tenths Of The Law

RR Gems

 オーガニック・パルス・アンサンブルは、グループ名こそ冠しているものの、実際はグスタフ・ホーネイというスウェーデンのアーティストによる個人プロジェクト。グスタフ・ホーネイはサックス、フルート、トランペット、ギター、キーボード、ドラムス、ベース、パーカッションなどを操るマルチ・ミュージシャンで、それ演奏をマルチ録音することでオーガニック・パルス・アンサンブルは成り立っている。グスタフ・ホーネイはほかにもデュオヤというユニットをやっていて、そちらはジャズ・ファンク系のサウンドであるが、オーガニック・パルス・アンサンブルはモード・ジャズやスピリチュアル・ジャズ系と言えるだろう。2019年からアルバムをリリースしていて、『Oppression Is Nine Tenths Of The Law』は通算7作目となるアルバムだ。

 “Oppression Is Nine Tenths Of The Law” はバンブー・フルートがフィーチャーされた、極めてプリミティヴな趣のスピリチュアル・ジャズ。スウェーデンはクール・ジャズの印象が強いが、実際にはアフリカ音楽に影響を受けたミュージシャンもいるし、民謡を取り入れた作品もいろいろ出ている。ドン・チェリーが長年住みついて活動していたところでもあり、オーガニック・パルス・アンサンブルはそんなドン・チェリーの『Organic Music Society』(1972年)に影響を受けているのだろう。“Peace As A Political Statement” という楽曲も、そんなドン・チェリーの精神性を示すタイトルだ。1960~70年代、アメリカのジャズ・ミュージシャンの中には北欧へ移住する者もいろいろおり、トニー・スコット、サブー・マルティネス、ジョージ・ラッセルなどはスウェーデンを拠点とした。中でジョージ・ラッセルはビッグ・バンドをはじめとした大編成のグループの指揮や作曲・編曲に長けていたが、オーガニック・パルス・アンサンブルにおける多種の楽器のアンサンブルや作曲技法にも目を見張る部分があり、そこにはジョージ・ラッセルの影響も見て取れる。そして、グスタフ・ホーネイはそれをひとりでやっているのが何とも凄い。


Aldorande
Trois

Favorite Recordings

 アルドランドはフランスのグループで、ベーシストのヴァージル・ラファエリをリーダーに、ピアニスト/キーボーディストのフローリアン・ペリシエ、ドラマーのマチュー・エドゥアール、パーカッショニストのエルワン・ロッフェルが集まる。この中でフローリアン・ペリシエは自身のクインテットを率いて数々のアルバムを残すほか、カマラオ・オーケストラというアフロ~ラテン系のバンドや、コトネットというジャズ・ファンク・バンドでも演奏する。ヴァージル・ラファエリもカマラオ・オーケストラのメンバーで、またマシュー・エドゥアルドと共にセテンタというラテン・ファンク・バンドで演奏している。このようにフランス、主にパリのジャズ、ファンク、ラテン・シーンで活躍してきたミュージシャンが集まってアルドランデは結成された。2019年にファースト・アルバム、2021年にはセカンド・アルバムの『Deux』をリリースしているが、彼らの音楽性は1970年代のエレクトリックなジャズ・ファンクをベースに、ファンクやフュージョン、シンセ・ブギーやブロークンビーツなどのエッセンスを交えたものとなっていて、ラテンやアフロ・フレーヴァーに富むリズム・セクションも魅力だ。

 そんなアルドランドの3作目のアルバム『Trois』がリリースされた。メンバーはこれまでゲスト参加してきたギタリストのローレン・ギエも加わり、5人編成となっている。フローリアン・ペリシエはフェンダー・ローズ、エレピ、ミニモーグ、アープ・シンセほか各種キーボードやシンセを用い、これまで以上に重層的な鍵盤サウンドを展開する。“Back To Mother Earth” は重厚な出だしからソリッドなビートが始まり、軽快なブギー・ファンクへと展開する。全体的にブリット・ファンクに通じるナンバーだが、途中のヴィブラフォン・ソロやフェンダー・ローズも印象的で、アジムスやロイ・エアーズなどの影響も感じさせる。“Gulf Of Mexico” はスパニッシュ調のフュージョン・ナンバーで、フローリアンのキーボードがダークでミステリアスなムードを掻き立てる中、途中からジプシー調のコーラスも加わって盛り上げる。疾走感に満ちたリズムは思わず体が動き出すようなものであるが、このあたりはダンス・ミュージックが得意な〈フェイヴァリット・レコーディングス〉の作品らしい。

『バード ここから羽ばたく』 - ele-king

(12歳の主人公ベイリー)

 イギリスのこの手の映画、1960年代初頭の「キッチン・シンク・リアリズム」(『土曜の夜と日曜の朝』など労働者階級の生活を描く作品、いわゆる流し台ドラマ)を継承する社会派作品を日本で生まれ育った人間が観ることは、セックス・ピストルズやザ・スペシャルズ、ザ・スミスやスタイル・カウンシル、ハッピー・マンデーズやなんかの音楽体験と近いところがある、といったら言い過ぎだろうか。とはいえ、初めてケン・ローチの『リフ・ラフ』(80年代の格差社会、使い捨て労働、サッチャー政権への強烈な一撃)やハニフ・クレイシ原作の『マイ・ビューティフル・ランドレット』(アジア系移民、労働者階級と右翼、同性愛をテーマにした先駆的傑作)を観たときには、『モア・スペシャルズ』や『オール・モッド・コンズ』、『オリジナル・パイレート・マテリアル』みたいなアルバムをいいなぁと思ったときとある意味似たような感覚/感動を覚えたものだった。マーク・ハーマン監督『ブラス!』(労働者たちの連帯、コミュニティ精神)もピーター・カッタネオ監督『フル・モンティ』(労働者階級文化のぶっ飛んだ再生)も同様。まあ、長いあいだイギリスの労働者階級の音楽に親しんできたせいか、その世界に入りやすいというのもある。『エリックを探して』(労働者階級の温かい人情ドラマ)はローチにしては珍しくユーモアがあり、フットボール文化が題材だったこともあってとくに好きな映画だ。『スウィート・シックスティーン』みたいにノー・フューチャーな作品もいいのだけれど、やはり希望があったほうが健康にはいい。
 ノー・フューチャーな青春ものといえば、ダニー・ボイルの『トレインスポッティング』がよく知られるところだ。もっとも、あれは『スウィート・シックスティーン』とくらべるとずいぶんポップで、(ヘロインを扱いながらも)スタイリッシュだし、格好いいんだけど消費されるのも早かった。ボイルの『ピストル』もどうかと思ったけれど、ひとつだけあのドラマで好きなところがある。ピストルズがイギリスでのツアーの最後に、クリスマスの夜、ストライキ中の消防士の子どもたちのためにチャリティ演奏をやった場面を描いたことだ。見落とされがちだけれど、ああいう日本でいえば山田洋次的な人間味がピストルズには(ジョニーにもシドにも)あったのだろう。

 アンドレア・アーノルド監督の最新作『バード ここから羽ばたく』も人間味あふれる映画で、「キッチン・シンク・リアリズム」系の良きところを継承している。社会の底辺で生きる人たちのドラマを通して見える暗い現実、それにもめげない希望というか逞しさというか前向きさというか……、音楽もあるし、完全に好みの映画で、ぼくと似たような趣味の人には声を大にして推薦したい。なにしろこの映画の音楽はBurialが担当しているのだ。そればかり、なんとなんとジェイソン・ウィリアムソンが(ちょい役だが)役者として登場する。スリーフォード・モッズの曲だってかかるんだから、これはもうあなた、必見なのである!

(スクーターを運転しているのは少女の彼氏ではなく父親バグ。この男がオモロいです)

 社会派で、リアリスティックであるとはいえ寓話的で、『エリックを探して』的な、いや、ティム・バートン的なファンタジーも入っている。陰惨であるけれどそれに負けない陽気さがあるし、ローチ作品に出てくるような汗水流す肉体労働者もパートタイマーも、そもそも大人らしい大人が登場しない。
 舞台は不法占拠居住区なのだろう、物語の中心人物のひとり、主人公の父親は手に入れたヒキガエルから分泌される液体(かなり強力な幻覚作用で有名)を売ったりしている。その男バグとその娘ベイリー、このふたりを主軸に、少女の義理の兄、そして少女の前にとつぜん姿を現したバードと名乗る謎の男との関係を交えながら物語は進行する。いやー、映画の冒頭、フォンテインズDCの “Too Real” をバックにキックスクーターに乗って少女を家まで送る入れ墨だらけの男がその父親だったという設定、まずはここで不意打ちを食らった。この強烈なキャラクター、12歳の内向的な娘に真顔で説教しながらライン(コカイン)を引いたりしているシングル・ファーザーのバグは、じつにケシカラン男なのだが、憎めないヤツだったりもする。
 
 これは、とことん解体された貧困層における近代的家族なる共同体が、あたらしく生まれ変わろうともがいている話だ、などというと『パラサイト』や『万引き家族』を連想されるかもしれないが、印象がずいぶん違っているのは、こちらにはコミュニティ精神と音楽があって、例によってぶっ飛んでいる──というか、もはや近代家族の原型すらないくらい解体されている。だからシリアスな話ではあるが、イギリス的なユーモアのこもった、悲劇のなかの喜劇なのだ。
 たとえば、ここはとくに大笑いしたシーンだが、コールドプレイ(というじつに気真面目なバンド)の曲がかかる場面。カエルの分泌を促すにはいい音楽が必要ということで、選曲されたコールドプレイの代表曲 “Yellow” を、入れ墨だらけの男たちがカエルに向かって大合唱する光景を想像してみてくれ。スリーフォード・モッズの “'Jolly Fucker” を爆音で鳴らして父親とその仲間たちが大騒ぎするシーンもいいし、ヴァーヴの音楽に対して子どもたちが「オヤジ臭い」と反応する——そして「たまにはオヤジの音楽もいいだろう」と応答する——場面もウィットがあった(ヴァーヴの場面でかかるのはオアシスであるべきなのだが)。ブラーの “The Universal” もほとんど『フル・モンティ』的な、つまり金のない連中が集まって悪ノリする際の、イギリス的ギャグにおいて使用される。
 コメディ映画ではないし、目を背けたくなるような暴力シーンもある。だが、最後には泣けるし、見終わったときの気分はいい。思わず大阪の宮城に電話して、「俺らまだまだイケるぜ!」と言いたくなった。そうだよ、問題はなにひとつ解決していないけれど、嬉しくなるのだ。それから、電気キックスクーターにフェイドカットにエドガーカット(髪の裾を極端に刈り込んでいる髪型)、スポーツウェアにスポーツシューズと、現代のUKストリート文化の流行もちゃんと押さえている。ただし、こちらはボイルというよりローチよりで、まあなんにしてもイギリス映画の十八番というか、好きな音楽のかかる映画はいいモノだ。

(少女の異母兄)

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