「IR」と一致するもの

interview with LUH - ele-king


Spiritual Songs for Lovers to Sing - LUH
Mute / トラフィック

Indie RockPunk

Tower HMV Amazon

 怒りなどというとあまりに陳腐だ。エラリー・ロバーツの怒っているようなヴォーカルには感情のありったけがある。能面がたったひとつの表情、あのなめらかな稜線の中に喜怒哀楽の無限のスケールを持つのだとすれば、エラリーのそれは千も万もの異なる表情をひとつひとつすべて具現化して結合させたような、異常な激しさと質量をともなった塊。タイタス・アンドロニカスやモデスト・マウスといったバンドを引き合いに出せばいくらかイメージしてもらえるだろうか? 声量の問題ではなしに、それは大きくて膨張的で、そして感動的だ。いや、なぜ感動するのかわからないほどに大きいというべきだろうか……。

 ラーというユニットのファースト・アルバムに注目が寄せられている。理由は音を聴いて納得してもらうよりほかないけれども、なんといってもウー・ライフのフロント・マンによる別プロジェクトであるということへの期待がある。2008年に結成され、わずか4年で解散したUKのロック・バンド、ウー・ライフは、なかなかかつてのような勢いや新しさを生むことの難しいロック・シーンにおいて、勢いや新しさではなく一個のバンドとしての替えがたい存在感によってまさに彗星のようなインパクトを残していった。

怒りや反抗という感情を減耗させることなく表現にかえ、人の心を揺さぶる。彼らについては覆面というテロリスト的な装いも特徴的だったが、「World Unite Lucifer Youth Foundation」というバンド名は連帯のテーマを掲げるものでもあった。フロントのエラリー・ロバ―ツはフガジからザ・KLFにジジェクまでを敬愛しているようだが、そこには彼個人がDCハードコアの政治性やKLFのポップ・フィールドを舞台にした対社会規模のパフォーマンスへの憧れ、共感、そして現行の世界に別の秩序を期待する気持ちを見てとることができるだろう。成熟した思考や表現であったとは言いにくいが、彼らの音には理屈を従わせてしまうほど心に訴える強さがあった。

 バンドを離れたエラリーがそうしたモチベーションを失うことはなかったようだ。以前の彼らを突き動かしたのは10代の若さだったかもしれないが、いまそのエネルギーはひとりになることでより鋭利なものになっている。解散後、彼女であるエボニー・ホールンとともにはじめたこのユニット、ラーのデビュー・アルバム『スピリチュアル・ソングス・フォー・ラヴァーズ・トゥ・シング』にはそのことがよく表れている。プロデューサーに2010年代のインダストリアルやダーク・アンビエントの盛り上がりをビョークの『ヴァルニキュラ』にまでつなげたハクサン・クロークを迎えているところは、ラーの印象をウー・ライフから断ち切り、また、彼らがただのポップ・ユニットではないということを示すに十分だ。クラムス・カジノがサンプリングされ、ヤング・サグやスワンズにインスパイアされたという本作は、そもそものロックやハードコア的なスタイルを逃れることなく、ヒップホップからインダストリアル、果てはEDM的な表現にまで及んでいるけれども、いろんなスタイルをミックスしたというよりは、エラリーが彼にとっての理想や目的に向かって驀進する勢いにさまざまなものが巻き込まれてしまっているという呈をみせている。

 ひとまず今回彼らがテーマとしているものは「神話」──個々の宗教をこえたところで、人の歴史や真理をあらわすもの、というようなニュアンスのようだ──だが、思い浮かべるのは混沌としての神話の世界だ。しかしどんなに激しくさまざまなものが渦巻いていても、エラリーというひととその声や叫びがわれわれの心にもたらすものにブレはない。タイトルでことさら表現しなくとも彼の怒りはいつも愛であったということにわたしたちはあらためて気づかされるだろう。

■LUH / ラー
ユニット名は「Lost Under Heaven」の頭文字に由来。エラリー・ロバーツ(Ellery Roberts)とエボニー・ホールン(Ebony Hoorn)による二人組。エラリー・ロバーツは、元ウー・ライフのフロント・マン。ウー・ライフ末期の2012年に出会い、アムステルダムでともに生活をはじめる。2014年より音楽、アート、写真、フィルムなどの作品を次々と発表、ヴィジュアル面は、主としてエボニー・ホールンが担当している。2016年5月、プロデューサーにザ・ハクサン・クロークを起用したデビュー・アルバム『スピリチュアル・ソングス・フォー・ラヴァーズ・トゥ・シング』をリリース。

ボビー(ハクサン・クローク)との最終的な制作段階で最初に決めたことは、音像的意味での攻撃性にはいっさいの制限をしないこと、要するにそれは、音による懲らしめのようなものだった。

“$ORO”に圧倒されました。エレリーさんの中でR&B、ヒップホップ、ハードコア、インダストリアル、ボディ・ミュージックみたいなものまでが現代風にまとめられていますね。異形のEDMとも呼べそうです。この曲の着想について、それから、もしハクサン・クロークからのアイディアやアドヴァイスなどがあったら教えてください。

エラリー:“$0R0”は、もともとは2013年夏のバンコクで、ピアノで作った曲なんだ。その旅の間にスラヴォイ・ジジェクの『終焉の時代に生きる(原題:Living in the End Times)』を読んでいて、『イーザス』(カニエ・ウェスト)も出たばかりだったから、ある意味、“$0R0”はその二つを融合させたもの。書きたかったのは略奪的な資本主義者——彼らの狂気じみたロジック上では大目に見られ、品格があるとされるようなキャラクターだった。アムステルダムに戻る間に僕がトラックを作ったんだけど、フィリップ・グラス的なオーケストレーションを組み込んで、時代を象徴するような、漆黒に浮かぶクラブ美学のような曲を目指したんだ。
 ボビー(ハクサン・クローク)との最終的な制作段階で最初に決めたことは、音像的意味での攻撃性にはいっさいの制限をしないこと、要するにそれは、音による懲らしめのようなものだった。思うに彼がやってくれたのは、音をいろいろ洗練させてくれたのと、それまではブラシで大きくペイントされたような作品に繊細さをもたらしてくれたことだった。

“ラメント”ではクラムス・カジノがサンプリングされていますね。クラムス・カジノへの共感があるのですか? 彼の音楽や存在をどう思いますか?

エラリー:僕らは彼の音楽のファンで、ここ数年何回かコラボレーションできないかトライしてるんだけどまだ実現できてないんだ。彼にはおもしろいアプローチ、それに美学があると思ってる。

デス・グリップスは、ハードコアとヒップホップに政治的なスタンスを重ねる点では、エレリーさんの影響や理想とされるものに近いのかもしれませんが、彼らの活動スタイルは近づきがたいまでに挑戦的ですよね。彼らを「ポップ」だと思いますか?

エラリー:デス・グリップスはものすごくパワフル、それに文化的な逸材揃いで興味深く、メインストリームにも明らかな影響を及ぼしていくようなとても実験的なものに向かっている。ザック・ヒルは詩のような人生を過ごしていて、10代の頃からずっと大ファン。MC Rideとはちょっとだけど意味のある話をして、彼らの作品から見える力や進路に最大限のリスペクトを感じたよ。

ヤング・サグ、それにスワンズの『エンジェルズ・オブ・ライト』。その二つの間の「揺らぎ」、僕らはそのどこかに存在している。

クラムス・カジノ、デス・グリップス、ハクサン・クローク……あなたがインスパイアされるアーティストは、一見あなたの音楽性と距離があるようにも見えます。まず、あなたはあなたの音楽と彼らをどのように比較していますか? そして、彼らも三者三様だと言えますが、彼らの音楽に共通するものは何だと思いますか?

エラリー:カルチャーが寄せ集めのようになって相当な消費をされている中で、影響というものは無数に存在する。この想像を超えるような状況でLUHが出てきたんだ。同様にインスパイアされたのはヤング・サグ、それにスワンズの『エンジェルズ・オブ・ライト』。その二つの間の「揺らぎ」、僕らはそのどこかに存在している。僕が考える(彼らと僕らの)共通点は、時代背景との関係性で、2016年現在のカルチャーを反映しているということ。レトロフェチではなく、つねに前進的。

コペンハーゲンのシーンにシンパシーはありませんか(アイス・エイジ、ラスト・フォー・ユースなど)? また、ロック・バンドというフォームはロック先進国であった英国においてはまだまだ強い発信力を持っており、やるべきこともあると思いますか?

エラリー:そうだね、とくにマーチング・チャーチには持ってかれたね。シーンに直接つながってはいないけど彼らのコミュニティのセンスには憧れているし、彼らが取り上げている旧約聖書、聖ニコラウスも僕が何年もやろうとはしたけどちゃんとできてないものなんだ。

エラリーさんはフガジからの影響とともにKLFからの影響についても語っておられますね。これはとても興味深いです。このふたつをつなぐものは何だと思いますか?
また、KLFの精神を現代流に受け継ぐとしたら、どんなことをするべきだと思いますか?

エラリー:The KLFの政治性と詩性は、僕たちの生きている極度に見世物じみたこの世の中ではありえないものではなく、はっきりとしたもの。その規模たるや、彼らが活動できていた頃は、いまでは考えられないくらい音楽業界も裕福で、百万枚も作るような楽しさで成功することができた。ぼくがいま知っているアーティストは誰もがやり手で、彼らの政治性がどんなに懐疑的、破壊的であろうと関係なく、資本家の報酬のためにせっせと働いている。すべてはみな沈みゆく船の中だよ。

ジョーゼフ・キャンベルからの影響について教えてもらえますか? 

エラリー:僕らはバックミンスター・フラーとともにジョーゼフ・キャンベルのことも、若者を導きつづけるような豊富な知恵を述べる年長者の感覚で、語ってきた。彼らの考えは適切で、少なくとも彼らの世界と同じく僕らの世界でもそうなんだ。ジョーゼフ・キャンベルの荒地と旅の対話:至上の幸福に従うこと、それは私の人生の考え方に対する根源的な思いだ。

語ることのできるものすべてが神話。その理解を怠り、集中するための時間を欠けさせてしまっているから、僕らのポピュラー・カルチャーは浅くて文化的に不毛な方向へと向いてしまっているんだ。

現在のポップ・ミュージックには神話としての機能が残っていると思いますか?

エラリー:語ることのできるものすべてが神話であって、それは誇張されミステリアスなかたちで文書化されている。その理解を怠り、集中するための時間を欠けさせてしまっているから、僕らのポピュラー・カルチャーは浅くて文化的に不毛な方向へと向いてしまっているんだ。

今作のタイトル『スピリチュアル・ソングス・フォー・ラヴァーズ・トゥ・シング』の中の「スピリチュアル」とは、どういう意味合い、ニュアンスを持っているのでしょうか?

エラリー:僕の理解では、「spiritual」という言葉は、人間の潜在能力、それに物質世界との関係性というアイデアと一致している。経験した中では、科学的合理主義をはるかに超えた生命、その深淵さに気づいたことかな。

今作の“主人公”は誰ですか? 「I」や「We」とはあなたたち以外にどんな人のことでしょうか?

エラリー:思うに僕らのこの小さい星全体には、普遍的と感じられるものが一定数あって、もしかしたらこの星のどの街にも僕のストーリーや願望、感情をわかってくれようとする子が一人はいるかもしれない。それから、典型的な恋人たちの奔放さや、僕たちが出会った瞬間、僕とエボニーが作った独自の世界も……。LUHは僕たちが描いてきたものの一つの印なんだ。

思うに僕らのこの小さい星全体には、普遍的と感じられるものが一定数あって、もしかしたらこの星のどの街にも僕のストーリーや願望、感情をわかってくれようとする子が一人はいるかもしれない。

今回のアルバムでは録音のされ方自体にも何かコンセプトや意味があるように見えます。オセア島という場所について、またそこで集団生活を営んだ意図について教えてください。

エラリー:ボビーが、オセアは完璧に外界とは遮断したかたちで作業ができると提案してくれたんだ。僕とエボニーはそれまでにこのアルバムをいろんなデモから18ヶ月以上かけて練り上げてきていたから、それを仕上げるためにはさらに相当なエネルギーを費やして、すべての楽器やヴォーカルを2週間の強烈なセッションでレコーディングし直した。統一したアイデンティティを生み出しながら、幅広いレンジを持った野心溢れる作品になった。

ラヴ・ソングと呼ばれるものの中であなたが素晴らしいと思っているものを教えてください。

Stay With Me Till Dawn - Judy Tzuke

Never Let Go - Tom Waits

願わくば僕は年老いるまでには、友川カズキやカマロン・デ・ラ・イスラのように誇らしく放浪の身となって生きていきたい。

歌(歌唱/ヴォーカル・スタイル)という点で尊敬する存在、またはおもしろいと感じるひとは誰ですか?

エラリー:願わくば僕は年老いるまでには、友川カズキやカマロン・デ・ラ・イスラのように誇らしく放浪の身となって生きていきたい。生々しく素直な声が素晴らしいと思う。

あなたがたは自分たちの作品がパーソナルなレベルではなく、社会にとって何か作用を及ぼすものであってほしいと思うのでしょうか?
 そうだとすれば、このあと歌っていくべきテーマはどんなものであると考えますか?

エラリー:個人的なことは政治的というけど、僕は社会から生まれてきたから、その(社会の)病の数々も僕自身のもの。僕が書こうと目指してるのは自己変革への欲求を持った、それはすなわち社会変化への力につながるような曲。しかし、その(自己変革までの)旅は各々の個人がするものであって、リーダーとか崇拝対象となるような人物などは過去の危険な障害物でしかない。

いまあなた方から見て興味深い活動をしている存在について、ジャンルにこだわらず教えてください。

エラリー:
Anohni!
Dilly Dally!
Show Me The Body!
Jerusalem in My Heart…!
Ynobe Nrooh!

OPNはどこからきたのか? - ele-king

 電子実験音楽家、ひとまずはそう呼ぶとして、もはやその存在をどう位置づけていいかわからないほど鋭く時代と交差するこのプロデューサーについて、興味深いリイシューが3作届けられた。

 ジャネット・ジャクソンにルトスワフスキにナイン・インチ・ネイルズ、ソフィア・コッポラにANOHNIにFKAツイッグス……一つ一つの作品には緻密に詰められたコンセプトがあるものの、コラボもカヴァーも交友も、多彩にして解釈のつけにくい軌跡を描くOPNは、その旧作のカタログにおいてもかなりの整理しづらさを見せている。しかしそれもふくめて『Garden Of Delete』(2015年)――削除のあとに楽園があるのだと言われれば、なんとも居心地悪く笑うしかないが、この感覚はOPNを聴く感覚でもあるだろう。ともあれその複雑さを整理する上で、今回のリイシューは無視できない3枚である。

それでは簡単にそれぞれの内容説明を。

ライナーがどれもすばらしくおもしろいので、お買い上げになるのがよろしいかと思います。

 〈ワープ〉からリリースされ、ワールドワイドな出世作となった2013年の『R Plus Seven』、その同年に制作された『The Fall Into Time』は、初期のエッセンスが抽出されたものとして注目だ。

これは、2009年当時のシングルやライヴ音源などを含めたアンソロジー的内容の5枚組LPボックス作品『Rifts』を構成する1枚であり、コンパクトなアンソロという意味でも、また、純粋にノスタルジックなアンビエント作品を楽しむという意味合いでも、手にしておきたい再発である。

 じつは、その初期集成『Rifts』を構成する5枚のうち、3枚はそれぞれ独立した作品としてすでにリリースされている(『Betrayed In The Octagon』『Zones Without People』『Russian Mind』)。今回は先ほどの『The Fall Into Time』に加え、残りの『Drawn and Quartered』もリリース、これで5枚すべてがバラで買えるかたちとなった。これには“Transmat Memories”といった曲なども収録され、彼のやって来た道がほの見えるとともに、OPNによる「テクノの源流へと遡る旅」(ライナーより)とさえ言えるかもしれない。

 そして、今回の再発の中ではもっとも馴染みの方が多いであろう『Replica』。歯医者で聴こえるの摩擦音にTVゲームにイージーリスニングなど、雑多で儚いマテリアルを幽霊のように拾うプレ・ヴェイパーウェイヴ――いまやOPNの特徴のひとつとしてよく知られるようになった音が生まれた作品だ。

 リイシュー作品一挙3タイトル同時リリースを記念し、特典CDや〈Software〉のエコ・バッグがもらえるスペシャル・キャンペーンも開催される。特典CDの内容は下記をチェック!


Oneohtrix Point Never
The Fall Into Time

Software / ビート

■amazon
https://goo.gl/LjxosM

収録内容
1.Blue Drive
2.The Trouble With Being Born
3.Sand Partina
4.Melancholy Descriptions Of Simple 3D Environments
5.Memory Vague
6.KGB Nights



Oneohtrix Point Never
Drawn and Quartered

Software / ビート

■amazon
https://goo.gl/KIiaMu

収録内容
1.Lovergirls Precinct
2.Ships Without Meaning
3.Terminator Lake
4.Transmat Memories
5.A Pact Between Strangers
6.When I Get Back From New York
7.I Know It's Taking Pictures From Another Plane (Inside Your Sun)




Oneohtrix Point Never
Replica

Software / ビート

■amazon
https://goo.gl/oKcY6F

収録内容
1.Andro
2.Power Of Persuasion
3.Sleep Dealer
4.Remember
5.Replica
6.Nassau
7.Submersible
8.Up
9.Child Soldier
10.Explain


特典CD内容

1.Replica [ft. Limpe Fuchs] (Matmos Edit) (Bonus Track For Japan)
2.Replica [ft. Roger Robinson] (OPN Edit) (Bonus Track For Japan)
3.Remember (Surgeon Remix) (Bonus Track For Japan)
4.Nassau (Richard Youngs Remix) (Bonus Track For Japan)
5.Replica [ft. Roger Robinson] (Falty DL Remix) (Bonus Track For Japan)

Leftfield Groove 3 - ele-king

 クラブに遊びにいき、大音量で延々と紡がれるグルーヴに身を任せていると、時間感覚が麻痺することがある。酩酊と陶酔が増してくる深い時間帯に特有の状態だ。ただ音楽に没頭していると、自分の意志で体を動かしているのかどうかさえ曖昧になり、意識と体が蛇行運転しているかのような気分になる。
 ずっと聴き続けていられるループとでも呼べそうな、展開の少ないミニマルなトラックをそうした酩酊状態で聴くと、暗がりのダンスフロアに轟く反復グルーヴの中に意識が深く浸透していき、数十秒を数分間のように感じることがあるのだ。
 そんなとき、トラックに起こるちょっとした展開が劇的な音楽体験をもたらすことがある。特に派手な展開は必要ない。モノトーンなビートに切れのいいハイハットやクラップが加えられるだけで、黙々と揺れ動く人々で埋め尽くされたフロアから絶叫が上がる、そんな光景を目にしてきた人は少なくないはずだ。そこで今回は前回までの流れをくんだうえで、深い時間に聴くと映えそうな陶酔性溢れる個性的なグルーヴの5曲をピックアップした。

MGUN – NVR (Don't Be Afraid)

うねる低音、大きく間を取ったキック、そして、少し歪んだスネアとハイハットからなる殺伐としたイントロ部を経て、不穏なパッドがじわじわと空間を侵食していくワルい1曲。カウベルの挿入と同時にキックのシーケンスが変化する2分30秒あたりの展開がたまらない。

Unknown Artist - Spirit 1 (Booma Collective)

スザー(Szare)のトラックを音数少なくアレンジしたようなミニマルな1曲。虫の音のように細やかに揺れ動く電子音が輪郭のハッキリとした金属音へ移行していく様子に意識が引きつけられる。シンコペートするビートが厚みを増していく後半部も深い時間に合う。

A Sagittariun - The Naming Of The Names (Elastic Dreams)

中盤に薄っすらとしたパッドを使ったブレイクがあるが、えぐるようなキックとベースで組まれたUKガラージ風ビートは使い勝手がいい。16分刻みのハイハットが音場を縦にも横にも動き回るので、大きな展開がなくても飽きがこない。

A Made Up Sound - I Repeat (Delsin)

これまでに“テイク・ザ・プランジ”など素晴らしい変化球の数々を編み出してきたア・メイド・アップ・サウンドがまたしてもやってくれました。1拍目のキックと最深部に激震する低域を軸にパーカッションフレーズが抜き差しされる中、パッドが全体を包み込んでいくドリーミーなトラック。

ASOK - Side Scrolling (Creme Organization)

ひび割れたシンセのゆるやかな起伏とざらついたドラムマシンによるファンクネスが絡み合うことで生まれる静かな熱狂と退廃的なムード。ハマりにハマりまくったパーティーの終盤ではこんなトラックも映えそうだ。

FORESTLIMIT 6th Anniversary - ele-king

 東京は渋谷区、幡ヶ谷にあるアンダーグラウンド実験スペースForestlimit。質の高い音響システムを用いた音楽イベントだけではなく、ライヴ・ペインティングから古着店の移動販売に至るまで、東京のあらゆる文化の交差点兼発信地として重要な役割を果たしている場所だ。
 今年で6周年を迎えるForestlimitが、海外より豪華なアーティストを招きアニヴァーサリー・パーティを数日に渡って開催する。ピンチが主宰する、〈Tectonic〉から昨年に発表したアルバムが好調の、今回初来日を果たすマンチェスターの若手最重要プレイヤー、Acre(エイカー)。前回の来日公演が記憶に新しい、〈PAN〉のなかでもよりレフトフィールドに属するロンドンのHelm(ヘルム)。どちらも昨今のシーンにおいて無視することはできない存在だ。
 もちろん、東京のローカル・シーンで活躍する1-Drink、CARRE、DJ Soybeans、S-Leeらもプレイ。東京の地下が世界と繋がる瞬間を見届けよう。今週の28日木曜日には、AcreとHelmはForestlimitクルーらと共にDommuneにも出演する予定。

■ACRE (Codes / Tectonic from Manchester)

イングランド北部最大の都市、マンチェスターを拠点に活動するプロデューサー。ピンチ主宰の〈Tectonic〉や〈PAN〉のサブレーベル〈Code〉からのリリースや、マンチェスターを拠点の集団、Project13の創設メンバーとして活動。プロフィール写真のほとんどで顔を隠し、ネットには情報がほとんど上がっていなかったため、謎のプロデューサーとして知られていた。グライム、ジャングル、テクノを横断しつつも、そのどれにも固着しないサウンドは、UKアンダーグラウンドの多面性を反映していると言えるだろう。2015年に〈Tectonic〉よりリリースされたファースト・アルバム『Better Strangers』からは、彼が目指す漆黒の未来音響世界が垣間見られる。最近では、Project13のクルーとはじめたイングランドの人気ネットラジオ番組、NTSでのレギュラー番組が話題を呼んでいる。

■HELM (PAN / Alter from London)

ロンドンを拠点とする電子音楽作家ルーク・ヤンガーによるソロ・プロジェクト。ハードコア・バンド等様々な経歴を経て、2008年にソロ・デビュー以来、フィールド・レコーディング、エレクトロアコースティック、エレクトロニクスを織り交ぜたサンプリングを主体の多種多様なアンビエント/ドローン作品を〈PAN〉を軸に音響/インディ・レーベルから発表。2010年に立ち上げた自身のレーベル〈Alter〉ではHieroglyphic Being、Bass Clef、Basic House、Lumisokeaといったインダストリアル〜ポスト・パンク〜クラブ/ダンス・ミュージックにまで連なった実験的な作品を次々とリリース。ここ数年はよりノイジーでメタリックなインダストリアルな趣へと傾倒し、〈PAN〉からの6枚目となる最新作『Olympic Mess』(2015)ではオリンピックで解体されていく都市部の情景を映し出すような、退廃的な閉塞感と開放感が共存したリズミックなループ・ベースのアンビエント/ドローン作品を発表。昨年にはデンマークのポスト・パンク/ハードコア・バンドIceageのツアーとの帯同を果たし、アートや実験電子音楽シーンの枠を超えインディともクロスオーバーしながらを着実に注目を集めている。

【Acre Japan Tour】

■東京公演
Isn't it? x Forest Limit 6th Anniversary
日時:4月30日 土曜日 23:00-Open/Start
会場:幡ヶ谷Forest Limit
料金:Door 1500yen +1Drink
出演 :
Acre (Codes,Tectonic) from Manchester
1-Drink
THE KLO
TUM(VOID)
S-Lee(Riddim Noir)
DJ Soybeans

info: https://forestlimit.com/fl/?page_id=11019

■大阪公演
-merde-
日時:4.29 FRI Open/Start
会場:Socorefactory 19:00
料金:Door 2500yen
出演:
Acre(Tectonic/PAN×Codes/Project13)
ALUCA(FACTORY)
satinko(Cm3)
YOUNG ANIMAL(merde)
ECIV_TAKIZUMI(merde)

info: https://socorefactory.com

【Helm Japan Tour】

■東京公演
Forest Limit 6th Anniversary
日時:4月29日金曜日 OPEN / START : 18:00
料金:DOOR Only : ¥2,500 + 1D
出演 :
HELM [PAN / from London]
CARRE
CVN
7e
Dirty Dirt

more info : https://forestlimit.com/fl/?page_id=11019

■新潟公演
experimental room #22
日時:4.30 sat OPEN 17:00 / START 17:30
会場:砂丘館 (Sakyu-Kan)
料金:ADV ¥3,000 | DOOR ¥3,500 Ouside Niigata ¥2,500 | FREE Under 18
出演:
HELM [PAN from London]
食品まつり a.k.a foodman
PAL
JACOB

チケット・メール予約 : info@experimentalrooms.com
※件名を「4/30チケット予約」としてお名前とご希望の枚数をご連絡下さい。
more info : https://www.experimentalrooms.com/events/22.html

■大阪公演
BFF #002 HELM Japan Showcase
日時:5.2 mon OPEN : 19:00 START : 19:30
会場:Conpass Osaka
料金:ADV ¥2,800 DOOR¥3,000 Falus Sticker¥2,500
出演 :
HELM [PAN / Alter from London]
bonanzas
行松陽介
Falus

more info : https://birdfriendfalus.tumblr.com/

AHAU - ele-king

最近聴いていた音楽の中から

R.I.P. Prince - ele-king

松村正人

 とりとめない不快な夢で目をさまし寝つけなくなったので、やむなくたまった仕事を片づけようとパソコンをたちあげて飛びこんできた急逝の報。「歌手のプリンスさん、死す」一瞬で目がさめた。
 月曜のディランのコンサートの帰り、保坂さんと湯浅さんとはいった居酒屋で、ボブの身長はいかほどかという話から、ロック界いちののっぽはサーストン・ムーアだとして、ではもっとも低いのはだれかと議論になり、湯浅さんが86年の横浜でのコンサート終演後、その日の主役が六本木に流れると耳にはさみ、半信半疑まま、おしのびで行くと聞いたディスコにたどりつくと屈強なガードマンふたりに脇をかためられたプリンスがほんとうにいた。トイレですれちがったんだけど、俺とたいして変わらなかったんだよ、たぶんシークレットブーツ履いてさ、と平日夜の居酒屋で殿下が酒のサカナになった。そのとき彼が鬼籍にはいろうとはだれひとり想像していない。御年とって五七――といえば、2009年に歿した一歳下のマイケルより長らえたが、すくなくとも長命でない。2014年、ほぼ同時期にリリースした『アート・オフィシャル・エイジ』、サードアイガールとの『プレクトラムエレクトラム』、たてつづけに出した2作の『ヒット・アンド・ラン』で変わらぬソングライターとしての筆の冴えを見せていた矢先の訃報は青天の霹靂であり、書きはじめたいまも放心を禁じえない。お見苦しいところあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。なんといっても、私にとってプリンスは、「I Wanna Be Your Love」冒頭のイントロどころか、一音目のスネアの一発が鳴る前のスティックが裂く空気の振動で、この曲をはじめて聴いた生家の6畳の子ども部屋にトリップするほどのかけがえないミュージシャンのひとりなのである。あの溌剌としたギターのコードカッティング、鍵盤の和音の刻み、リズムには隙間があり、休符を縫ってプリンスは歌い出す。「I ain't got no money」ストーンズが「まったくこれっぽっちも満足できない」ように金がない。とはいえ、あなたの恋人にはなりたいし、なれるにちがない多幸感が音楽にみなぎり、きっちり3分におさめたポップ・ソングは、78年のファースト『フォー・ユー』では七分咲きだった才能の、この曲を収録した翌年のセルフ・タイトルなる2作目での開会宣言とでもいうべきもので、邦題を『愛のペガサス』といったこのアルバムについては、私はたしか、『空洞です』のころだったはずだが、ゆらゆら帝国の坂本さんにインタヴューしたとき、新作をつくるにあたって参照された作品はありますか、という愚にもつかない質問に、プリンスのセカンドを聴こうとしたんだけど、ジャケを見ると松村くんの顔を思い出しちゃってね、とかえされたほど思い出ぶかい。いや、そんなことをいえばすべての作品になにがしかの記憶がはりついている。『ダーティ・マインド』『Controversy(戦慄の貴公子)』『1999』『パープル・レイン』『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』『パレード』『サイン・オブ・ザ・タイムズ』――80年代のプリンスはロック~ポップスとソウル~R&B~ファンクの境界を軽々と跨ぎこす実験をくりかしながら、実験性をおくびもださないしなやかなポップだった。完璧だった。自動車業界から音楽へ、地場産業の看板を奪還したデトロイトのモータウンがブリティッシュ・インヴェイジョンとブラックミュージックを接近させ、ジミやスライが交配させ生み出した白黒混淆の音楽の奇妙な果実を、ミネアポリスのプリンスは引き継ぎ育てあげた。いま思えば、殿下の映画へのこだわりもおそらくベリー・ゴーディの映画産業への進出を意識したものであり、おなじように成功したとはいいがたかったが、音楽はたわわに実った。プリンスの音楽としかいいようのない特異性は、ギター、ベース、ドラムの演奏にも長けた彼一代かぎりのものだとしても、かつて「密室的な」と形容された音楽のつくり方を範とする者は今後もあとをたたない――というより、作家、歌手、演奏者としての完璧主義は音楽がひとりの手になる時代をさきかげてもいた。テクノロジーが音楽を進化させるとともにそのあり方を規定する逆説。『ブラック・アルバム』のブートレグ騒動もワーナーの副社長への就任とその後のゴタゴタ、たびかさなる改名も、さらには2000年代以降のインターネットへの敵対的な活動も、産業構造をふくむシステムとの不断の闘争の歴史であり、2010年代もなかばになって、プリンスは当面の結論を出したかにみえた。「人工的な」を意味する「アーティフィシャル」にひっかけたであろう『アート・オフィシャル・エイジ』はEDMがわが世の春を謳歌する時代を見越したサウンド・プロダクションだったが、いたずらな諦念や韜晦よりも、いまここでなにをすべきか、自身と時代との対話の末のつきぬけた肌ざわりがあった。ファンキーかつエモーショナルであるとともにエヴァーグリーンなメロディがあり、トラックの独創性はそれを支えた。エロスは往時ほどではないにせよスウィートだった。『Lovesexy』が座右の盤である私にとってそれらのぬきさしならぬ関係こそプリンスであり、あのアルバムのジャケットをひきのばした雑誌の付録ポスターを部屋に貼っていたときは、ふだん子どものやることにまるで口出ししない父親にも「なにかあったのか」と声をかけられたものだが、学生時代は、どうしても就職しなければならないなら、ニュー・パワー・ジェネレーションかザッパのマザーズかマイルスのバンドにしたいとわりと真剣に考えていたこともある。うちふたつは学生を終える前になくなってしまった。最後にのこったプリンスももはや地上にはいない。いま就職活動に血眼になっているみなさんには、親と音楽はいつまでもあると思わないほうがいいと忠言したい。殿下ものびのび音楽だけやっていれば命を縮めることもなかったかもしれない、という仮定がなりたたないのは百も承知だが、ペイズリー・パーク・スタジオで息をひきとったとの続報を知るにつけ胸が痛む。慰めとなるのは、おそらくプリンスは無数の未発表曲を残しているだろうということだ。もしかしたら、私たちの痛めた胸さえ踊らせる楽曲が陽の目をみるときを待っていないともかぎらない。
 亡き王子によるパヴァーヌはいまはじまったばかりだ。(了)

野田努

 今日ここにぼくたちが集まったのは
 人生なるものを過ごすため

 遺作となった2015年の『HITNRUN Phase Two』の1曲目“Baltimore”は、彼の当時の政治的主張が歌われ、現在の抗議運動として知られるblacklivesmatterへの共感も表現されている。ポップのスーパースターのサポートとしてはもっとも早かったのではないだろうか。

 1980年代初頭、プリンスがとくにデトロイトで人気があったことは有名な話だ。のちのテクノの主要人物たちに思想的な影響を与えたエレトリファイン・モジョと交流があったことも知られてる。その記憶は、やがてモデル500が“I Wanna Be Your Lover”をサンプリングすることで広く共有された。
 最初によく覚えているのは、実家の部屋にポスターが貼られたときだった。紫のビキニにコートにギターで決めているそれをレコード店でもらった弟が冗談で貼ったもので、ぼくたちは笑った。そんな具合なのだから、男性的な黒人社会でその外見がいかに過激なシロモノであったのかは容易が察しが付く。が、映画を見ればわかるように、プリンスは、ナイーヴでみみっちく、センチメンタルな思いを、壮麗で、さすまじい叙情詩にまで高めてオーディエンスを圧倒した。
 黒人文化における男の感性を解放/更新したスターが、やがては、公民権運動が生んだもっとも有名な組織、NAACPから表彰されたということはあまりにも美しい話である。ほぼ1年に1枚のペースで作品を出し続けながら、言わなければならない(正しい)ことを絶えず言い続けたということも、彼のずば抜けた才能以上に、あまりにもすごいことだ。
 80年代プリンスの代表作の1枚、『パレード』ばかりを聴いた時期があった。最後にトレイシーが死ぬアルバム、そう、その曲“Sometimes it snows in April(4月でも雪が降ることがある)”だけは、その後も能動的に聴き続けている。4月でも雪が降るがことがある──プリンスにはキラーなラインが多いけれど、これがぼくにとっては最高にキラーだ。

今では春になるとぼくはトレイシーの涙を思い出す
誰もトレイシーにように泣くことはできない

Under The Cherry Moon

三田格

 ファン・ボーイ・スリーのライヴをユーチューブで観ていたらバッキングはすべて女性だった。ドラムも。キーボードも。トロンボーンも。テリー・ホールだけがいわゆる白人の男で、あとは黒人と女しかいない。どうしてこのような編成になったのかはわからないけれど、1983年のロック・コンサートとしてはけっこう不思議な光景だったのではないだろうか(https://www.youtube.com/watch?v=HXQpuN45xTA)。ランナウェイズのように女だけか、フロントに女がひとりかふたりというのはそれほど珍しくはなかった。しかし、女性のミュージシャンが特別な位置ではなく、組織の一員をなしているという印象を与えたのはほかにトーキング・ヘッズかニュー・オーダー、あるいはアート・オブ・ノイズや初期のノイバウテンぐらいで、いずれにしろニューウェイヴが生み出した価値観だったのではないかと思う。ローリング・ストーンズが醸し出してきたようなホモ・ソーシャルな美学には、こういった発想が入り込む余地はなかった。

 その次の年にプリンス&ザ・レヴォリューションが全米のメジャー・チャートを席巻し始める。「レッツ・ゴー・クレイジー」のような激しい曲を演奏する彼らを見て「ギターが女かよ」と思わなかったキッズはいなかったのではないだろうか。ウェンディ&リサだけではない。シーラ・Eから最近のサード・アイ・ガールズに至るまでプリンスの周りには常に過剰なほど女性のミュージシャンがいて、プリンスがいつも女をはべらせているように感じていた人も多かったことだろう。しかし、テリー・ホールやプリンスは単純に女性の才能を認めることができた人だったのではないかと僕は思う。女性を活用すると宣言しながら、女性の閣僚が一向に増えない日本の内閣を見るだけで、それが実はどれだけ既存の組織には難しいことか、誰にだってすぐにわかることである(現カナダを除く)。

 こんなエピソードがある。プリンスのステージにキム・カーダシアン(現カニエ・ウエストの妻)が客席から上がった時のことである。上がっただけで何をするでもないカーダシアンを見てプリンスはすぐにも「ステージから消えろ!」と怒鳴りつける。アメリカを代表すると言えなくもない無能なタレントにそれこそ容赦なく、ダンスもできない女はうせろと、プリンスは言い放つのである。プリンスが認めるのは才能のある女性であって、女ならなんでもいいわけではなかった。そういうことではないだろうか。プリンスにはたくさんのエピソードがある。あのアリアナ・グランデでさえ、プリンスの勇ましさを無条件で称えている。しかし、僕にとって最も印象深いのはザ・レボリューションにウェンディ&リサを加えたことである。最も大事な時期に。ここが勝負だというタイミングで。

周回遅れの「雨にまつわる曲」


ブレイディみかこ
 

 数年前、エレキングで雨にまつわる曲を各ライターが選ぶという企画があった(確か梅雨のシーズンだったように思う)が、そのとき、わたしの頭に真っ先に浮かんだのはプリンスの「パープル・レイン」だった。が、わたしはあえてその曲のことは書かなかった。ベタすぎるからではない。そう気楽には書けない思い出があったからだ。

 二十代の頃、何年か同じ姓を名乗る間柄だったことのある男性に口説かれたときのBGMがそれだったし、もうその人との生活がそれ以上は続けられないことがわかって草履ばきで逃げた時にタクシーのラジオからどういうわけか同じ曲がかかってきて、どうして人生というやつはこんな風に悉くどこまでもクソなのかと思って窓の外を睨んでいたわたしの顔も土砂降りだった。

 その人とわたしは聴く音楽も着る服も、政治に対する考え方もまるで違っていた。が、恋愛というものは「相手のことを理解したい」という狂気に人を駆り立てるもので、相手の好きなアーティストを聴き始めたらいつしかこっちも好きになってた、なんてことがあるのもご愛嬌だが(……実はいまでも。去年前半のわたしの携帯のリングトーンは「FUNKNROLL」のイントロだった)、彼はわたしにプリンスを与え、わたしは彼にニック・ケイヴを与えた。と思う。

 プリンスは知的なミュージシャンだった。逆説的なトリッキーさも天然であるかのように振るまえた冷徹なまでの才人だったのだけれども、それでいてどこかおっとりと無防備なほどロマンティックで性的なところがあり、実は本人は自分のそういうところが一番好きだったろうと思う。
 こういうアーティストは、これもまた逆説的だが、セクシーなんて言葉とは対極に位置するストイックでひねた人種だと思われている英国人から愛されるのも事実で、そもそもプリンスが先にブレイクしたのは米国ではなく英国だった。プリンスの曲で男から口説かれた経験のある英国人を少なくとも3人は知っている(2人は女性で1人は男性だ)。

 タクシーの中でわたしの顔を土砂降りにさせた人がいま生きているのかどうかわたしは知らない。向こうだってそうだろう。そろそろリアルにそういうことを考える年齢になってきた。プリンスだって忽然といなくなってしまったのだから。
 (ところで「パープル・レイン」がすごい理由は、そんな効果音など入っていないのに、サーッと降る糸のように細い雨の音が聞こえるところだ。やはり数年前の「雨にまつわる曲」特集で素直にそう書くべきだった)

 プリンスという天才の音楽やその功績を分析する文章は無数に出て来るだろう。
 だけど本人は意外とこういう痴話ネタが一番聞きたかったんじゃないかと思って書いてみた(彼と誕生日をシェアしているという頼りない根拠をもって乱暴に推測している)。
 恋と音楽も。革命も。
 つまるところはユニティーだ。異質のものさえ結合させ、何ものにも閉ざされず、階層を横断するユナイトだ。
 ああだけど人は、なんてそれができないことだろう!
 わたしにとってのラヴ&ピースは、いつだってジョン・レノンではなくプリンスだった。



Some Day My Prince Will Come

岩佐浩樹

 1994年発表のアルバム『Come』の日本盤キャッチコピーに「プリンス、逝くーー」などと書いてあったのを見た自分は悪趣味なことをするもんだ(棺桶ベッドで寝る女優か)、と思ってそのアルバムは買わず、シングル曲”Letitgo”の12インチだけを何度も再生していた。ただし6曲入りのそのアナログ盤の中で一番好きだったのは”Letitgo ((-)Sherm Stick Edit)”というタイトルの、プリンスのヴォーカルすら入っていない、という訳の判らないトラックだった。

 それから15年。2009年にトレイ・ソングスがアルバム『Ready』の中で歌った”Yo Side of the Bed”はまんま”Purple Rain”だったのでこれはどういうことでしょう、と思っていたらこの2曲をメドレーにした2010年のBETアワードでのライヴ映像(しかも客席にはプリンスがいる)があった。ここでのトレイのパフォーマンスはお世辞にも素晴らしいとは言えないが、クライマックスで「Prince! I love you!」とシャウトした直後に自曲のサビで音程を外すトレイはまるで「だって好きなんだもん、好きなんだもん!」と駄々をこねてる子供のようでありました(一瞬カメラに抜かれたプリンスの横顔は、甥っ子の発表会をハラハラしながら見守る親戚のおばちゃんみたいな微妙なものでしたが)。

 フランク・オーシャンが「いまだに『安らかに眠れ』などと言う気にはならない。死よりも大きなものがそこにあるからだ。」という一文に始まる追悼文をタンブラーに投稿した。その中でフランクはこう綴っている。「彼が誇示した自由や、明らかに時代遅れな性規範など意に介さない様子が、それだけで自分と自分のセクシュアリティーをどう統一したらいいのか、という僕の気持ちを楽にしてくれた」と。そしてそのフランク・オーシャンを解放したプリンスが他の誰よりも不自由そうな佇まいであったことを思えば──やはり”R.I.P.”とは言えない。

 「プリンス、逝く」の一報を聴いた時に自分が真っ先に探したのはどこかに仕舞ってあるはずの『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』のレコードで、聴きたいのは”Purple Rain”なんぞではなく"Raspberry Beret”、とレコード棚を引っ繰り返しても出てこないので泣きたい気持ちになり、でもよく考えたらベスト盤CD『The Hits/The B-Sides』をiTunesに入れてたわ、と気が付いて"Raspberry Beret”を聴き終わり、で油断していたら次の曲がTLCのカヴァーも秀逸だった“If I Was Your Girlfriend”で、それでも涙は出てこない。

 とにかくヘン(な声の)人だった、と思う他はない。この人の「変」の質はマイケル・ジャクソンのそれと大して違わない、と自分は思っているが、MJが自分の「変」を力技で「人類愛」や「世界平和」などで厚塗りに覆い隠そうとした(そのひび割れた箇所からどうしても漏れてしまうエピソードがいかにもタブロイド的に判りやすく面白いために「キング・オブ・ポップ」)、その果てに力尽きたのだとすれば、服を脱ごうが着ようが剥いても剥いても「変なもの」が出てきてしまうせいで、却って判りやすい箇条書きにして消費することができないプリンスが創ってしまった音楽には、未来の誰か(いつか王子様)がそこにまた新しく書き込むための余白が、果てしなく残されているはずだ。


Nothing Compares 2 U

小林 拓音


 好きな人が好きな人。ぼくにとってプリンスとは、そういう存在だった。

 プリンスが亡くなった日の夜、「究極のギフトとは、インスパイアすることである」とジェイミー・リデルは追悼の言葉を述べている。プリンスに刺戟されて音楽を作り始め、プリンスを模倣しながら、しかしどうやってもプリンスをコピーすることなどできないというまさにその葛藤にこそ自らのオリジナリティを見出していったジェイミー・リデルにとって、今回の訃報は青天の霹靂だっただろう。
 ぼくは彼ほど熱心なプリンスのリスナーではなかったけれど、それでもプリンスの死の知らせを聞いたときは全身に衝撃が走った。ボウイのときもそうだったが、スターの死というものは、その熱心なファンではない者にまで何がしかの感慨を抱かせるものだ。そういう意味で、プリンスもまた正真正銘のスターだった。

 先日、ファティマ・アル・カディリの2枚目のレヴューを書いたときに、一枚目の方も聴き直した。そのオープニング・トラックである "Shanzhai (For Shanzhai Biennial)" は、中国語による "Nothing Compares 2 U" のカヴァーである。初めてそのトラックを聴いたとき、なんて美しい旋律なのだろうとため息が出たことをいまでも覚えている。もちろん、それ以前にもプリンスの代表作とされるアルバムは聴いていたけれど、そのカヴァーを耳にして以来、ぼくにとってのプリンスの代表曲は "Nothing Compares 2 U" になった。 
 とはいえ、アル・カディリが実際に参照したのはおそらく、ザ・ファミリーによるオリジナルのトラックではなく、シネイド・オコナーによるカヴァー・ヴァージョンの方だろう。つまり "Shanzhai" はカヴァーのカヴァーということになるが、そもそもアル・カディリは、ヘレン・フォンによって中国語で歌われたこの "Nothing Compares 2 U" のアカペラ音源を受け取ったことがきっかけとなって、『エイジアティシュ』というアルバムを作り始めたのだそうだ。すなわち、プリンスがシネイド・オコナーを刺戟し、シネイド・オコナーがヘレン・フォンを刺戟し、ヘレン・フォンがファティマ・アル・カディリを刺戟したということである。要するに、プリンスがいなければアル・カディリのファースト・アルバムが生み出されることもなかったということだ。ここには確かに「インスパイアすること」の幸福な連鎖がある。

 これはほんの一例だけれども、そんなふうにプリンスは、誰かをインスパイアするという「究極のギフト」をたくさん残していった。「シャンツァイ(山寨)」とはいわゆる模造品のことだが、模造品はそれが模造品であるがゆえに、逆説的にオリジナルを際立たせることができる。直接的に影響を受けたジェイミー・リデルにせよ、間接的に影響を受けたアル・カディリにせよ、それら数多くの「模造品」の存在がかえってプリンスの類なさを証明しているのだ。つまり、「あなたと比べられるような人は誰もいない」と、そういうことである。

 好きな人が好きな人は、好きな人が好きであるがゆえにこそ、唯一無二の王子様だったのだ。

囚人服のケンドリック・ラマーに王冠を渡すべきだったのはプリンスなのかもしれない。

泉智

 ボルティモアの運動へのいち早い支持表明にしてもそうだけれど、それ以前、昨年2015年のグラミーのアルバム・オブ・ザ・イヤーの発表時に、プリンスは「アルバムはいまだ重要だ。本や黒人の命と同じように、アルバムもいまだ重要さ(Albums still matter, like books and black lives, albums still matter)」とコメントして歓声を浴びた。デジタル配信時代において忘れられがちなアルバムという単位…あるインタヴューでレコーディングにおいて一番大切なものは? と質問されて「プロット」と即答したというケンドリックは、まさにスキットや構成をふくむアルバムというそのクラシカルなユニットにこだわり続けてきた。ライムとビートによる3分間の快楽、それだけじゃとても伝えきれないものがあるのだ。ケンドリックは今年、『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』でかつてのマイケル・ジャクソンに次ぐ歴代2位、11部門にノミネートしてグラミー5冠を達成し、囚人服姿で壮絶なパフォーマンスをおこなった。

 その『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』に収録された“コンプレクション(ア・ズールー・ラヴ)”のコーラスは元々、プリンスが歌うはずだったんだそうだ。結局はスケジュールの都合でプリンス不在となってしまったその作品で、ケンドリックはついにベスト・ラップ・アルバムの王冠を戴くことになったのだけれど、もちろんここで重要なのは、アルバムの製作スタイルうんぬんの話ではなく、ポップ・ミュージックがアクチュアルな社会問題に対してどうリアクションするのか、ということだ。
 全米で吹き荒れるデモの熱気に水をさすような発言をしていたケンドリックは、しかしアルバムで誰よりも生々しくアフロ・アメリカンの現在地点をえぐりだし、“オールライト”の一節がデモで合唱されるチャントになったとか思えば、デモを組織するblacklivesmatterはドナルド・トランプに勢いよく中指を突き立てるとともに、ヒラリー・クリントンにも、バーニー・サンダースにさえ鋭い批判を向けている……。この状況は、素晴らしい才能を持つミュージシャンが、その音楽とは別にコンシャスな活動にコミットすべきか否か、なんて退屈きわまりない問題圏をはるかに超えている。それは、アートと政治を几帳面に切りわけるようなお行儀のいい態度をそろそろゴミ箱に放り込んでしまえ、という合図にもとれる。

 それでも、プリンスの“ボルティモア”は優しかった。そしてなにより愚直だった。去年の4月にボルティモアで黒人青年が殺されて抗議運動が発生するとプリンスはすぐさま現地で大規模なフリー・ライヴを敢行し、そのレイドバックした爽やかなギター・ナンバーをウェブで無料公開した。ファレル・ウィリアムスの“フリーダム”が詩としての普遍性をまとっていたのに比べれば、女性コーラスが終始「ボルティモア」と呼びかけ続け、マイケル・ブラウンやフレディ・グレイといった警官に殺された犠牲者の個人名が飛び出し、デモのコールっぽいリフレインまで登場するこの曲の愚直さはほんとに……不格好とさえいっていい。この不格好なまでの愚直な優しさだけが、あのときのボルティモアの怒りと哀しみを抱きしめることができた。優しさとは、恐れないことだ。なりふり構わずに誰かを抱きしめなければいけないとき、プリンスはそれを恐れない。“ボルティモア”は、プリンスの最後のアルバムの、最初の曲になった。偶然といえばそれまでだが、すくなくとも象徴的ではある。

 ボルティモアでのフリー・ライヴの1ヶ月後、プリンスはホワイトハウスに呼ばれてバラク・オバマの前で演奏している。そこで彼とオバマがどんな会話を交わしたのかは不明だけれど、今年のグラミーのすこし前、ケンドリックもオバマに会うためにホワイトハウスに乗りこんだ。面会後のケンドリックのステートメントは、アフロ・アメリカンの子どもたちにとってのシニア・メンターの重要性についてだった。年端もいかない子どもが、初めてドラッグを目の前にしたとき、震える指で銃を手にしたとき、孤独にさいなまれて自殺を考えたとき、ロクでもない男のせいで望まない妊娠をしたとき、みずからのセクシャリティについて悩みを抱えたとき。その瞬間、彼や彼女の脳裏にいったい誰の顔が、どんな言葉が浮かぶのか。その一瞬が子どもたちのその後の人生や、へたをすれば生死をわけてしまうこともある。ときにその誰かの顔や言葉というのはアーティストのものだったりする。それがポップ・スターという言葉の意味だ。

 いまじゃアメリカのキッズたちは実の親よりも政治家よりもラッパーやアーティストの言葉に真剣に耳を傾ける。もしかすると日本でもすでにそうなりつつあるのかもしれない。それはオピニオン・リーダーどうこうの話じゃなく、もっと切実で、パーソナルな次元でのことだ。プリンスのクィアネスに救われたフランク・オーシャンが、彼の死をうけてもレスト・イン・ピースと言えなかったのは、そういうことだ。今年のグラミーでケンドリックの名を読みあげたプレゼンターは、元N.W.A.のアイス・キューブとその息子オシェイ・ジャクソン・ジュニアだった。ギャングスタ・ラップの聖地コンプトンの若き王子としてのケンドリック、というのもたしかに重要ではあるけれど、もう一方で、もし現在プリンスから王冠を与えられるにふさわしいラッパーを1人選ぶとすれば、それがケンドリックであることも事実だ。それはなによりそのメッセージの愚直さと、そしてなにより音楽的な怪物性において。そのふたつの要素の共存は、プリンスの大きな音楽的源泉のひとつがPファンクであり、2パックとの対話で終わるケンドリックのアルバムの冒頭に、他でもないジョージ・クリントンが呼び出されていた事実と、とても無関係には思えない。すべて偶然じゃないのだ。

 個人的な追想を許してもらえば、俺のプリンスとの出会いは福岡の定時制高校に通っていた頃、シンナー中毒の友人にオリジナルのヒップホップ・ミックスを作ってもらったときのことで、2パックにエミネムにスヌープにナズ…まあそのあたりで占められたミックスのラストが、なぜか“パープル・レイン”だった。その頃の南の街ではマリファナさえなんとなくヒップなドラッグだったから、ハードコアな不良はだいたいローティーンの頃にシンナー漬けになっていた。シンナーは比喩ではなく文字通り脳みそを溶かしてしまうドラッグなので、一度それにハマるとハッパなんかじゃ全然トベない、バッドなときは黒い雨の降る幻覚がみえるんだぜ、と語っていた友人は、どうやらベロベロの状態で“パープル・レイン”を聴いていたようだ。ミネアポリス産のセクシーなパープルというよりは、南部ヒューストン産のコデインのパープルに近い。とくにリアル・タイムでその軌跡を追ってきたというわけじゃない世代、しかも日本の地方都市で生まれ育った人間にとっての、それがプリンスの原体験だ。そこにはプリンスのメッセージどころか、その音楽そのものさえ、ひどくゆがんでしか届いていなかったと思う。その感覚はもしかすると、東京で太平洋の向こう岸のラップを聴いているいまも、べつに大差ないのかもしれない。

 プリンスの訃報をうけて全米が紫色に染まる中、ボルティモアのシアターでは“パープル・レイン”の劇場版の特別緊急上映が決まったそうだ。俺に“パープル・レイン”を教えてくれた友人はその後かなり大変な状況になってしまって、長いこと音信不通だったけれど、2、3年前にひとづてにその生存報告を聞いた。疎遠になった昔の友達が生きていたことを知って感傷に浸るようなナイーヴさは自分の中にもう残ってはいなかったので、そうか、よかったな、ただそう思っただけだった。それでも、たまにプリンスの歌声を聴くときはいつも、有機溶剤のあの甘ったるい匂いを想い出す。それはきっと、“ボルティモア”でプリンスと出会ったボルティモアのローカルのキッズたちからすれば、怒りを感じてもしょうがない記憶のリンクだ。これからも世界中のいろんな場所で、いろんな世代のいろんな連中が、いろんなエピソードとともにプリンスと邂逅するだろう。それがポップ・スターという言葉の、もうひとつの意味だ。

 フランク・オーシャンとはまったくべつな理由で、というのも俺にとってプリンスはもともと雲の上にいるような存在でレスト・イン・ピースと呼びかけるのもなかなか実感が湧かないので、マイケルやボウイのときと同じく、しばらくは彼の遺した音楽を自分勝手に聴くことにする。あいかわらず甘く、けれど昔よりはいくらかクリアなはずの豊かなインスピレーションに圧倒されながら、サンキュー、とだけ言っておく。この先の未来のぶんもふくめて、めいっぱい。


GLOBAL ARK - ele-king

 DJ MIKUは90年代世代にとっては司祭。この男が、1992年から1995年のあいだの都内のアンダーグラウンド・テクノ・パーティにおいて、どれほど多くの人間を踊らせたことか。この時代の関東在住のテクノ好きで、彼がレジデントを務めたウェアハウス・パーティ「キーエナジー」で踊っていない人間はまずいない。「キーエナジー」で朝まで踊って青山マニアック・ラヴのアフターアワーズに行くというのが当時のお決まりのコースだった。
 その東京オリジナル・レイヴ世代の司祭と有志ある仲間のDJたち、ミュージシャンらが集い、「GLOBAL ARK」という本格的な野外レイヴ・パーティがはじまっている。今年でもう5回目になるそうだ。
 簡単な話だ。昔はクラブもレイヴも安かった。だから音楽を楽しみたい金のない若者は(コンサートよりも)クラブやレイヴを好んだ。DJ MIKUがいまやりたいのはそれで、しかもあの頃のパーティはみんな手作りだった。その手作り感もじつはものすごーーーく重要だった。誰も金のかかった内装を欲しかったわけではないから。
 (マニアック・ラヴなんか照明も手動でやったり、ぼくたちも自分たちでDJパーティを企画したときは、当然自分たちで場所を借りて、掃除から機材の運搬まで何から何までぜんぶ自分たちでやった。DIYをそれで学んだといったら格好良すぎだけど、いい意味でいまよりハードルが下だったし、いい意味で商売気がなかった)

 以下は、「GLOBAL ARK」の開催主旨の原稿からの抜粋です。

 「本来の野外ダンス・パーティの基本形である、近い・安い・楽しい! を実現する野外パーティはどうだろうか? 最近ないな……。(略)誰もが気軽に楽しめるFEEと都心からも近いキャンプ場。ピースフルな雰囲気。踊りに行くのに貯金しなくても大丈夫! 選ばれしリッチマンじゃなくても大丈夫! ひとりで来ても大丈夫! そんなパーティがまた復活したらいいな。という単純なきっかけで開催を決意したのが5年前でした」

 6月4日昼から6月5日までのあいだ、奥多摩をずうっと進んで山梨県に入るとある【玉川キャンプ村】にて「GLOBAL ARK」は開催される。入場は、前売りで5千円、当日で6千円。儲けるとか考えない。なによりもオリジナル・レイヴの精神によって生まれたこの野外レイヴ・パーティ、とくに「レイヴっていったいどんなものなの?」という若い人たち、梅雨入り前のいい季節だし、行ってみる価値は大いにありです!

■GLOBAL ARK

2016.6.4.sat - 6.5.sun at Tamagawa Camp Village(Yamanashi-ken)
Gate Open:am11:00 / Start: noon12:00
Advance : 5,000 yen Door : 6,000 yen
Official Web Site : https://global-ark.net

■ Line up

- Ground Area -

Eduardo de la Calle (Analog Solution / Cadenza / Hivern Discs / SPA)
Nax_Acid (Aconito Records / Phorma / Informa / Kontrafaktum / UK, ITA)
ARTMAN a.k.a. DJ K.U.D.O.
DJ MIKU
KAORU INOUE
HIDEO KOBAYASHI
GO HIYAMA (Hue Helix)
TOMO HACHIGA (HYDRANT / NT.LAB)
MATSUNAMI (TRI-BUTE / EXPECTED)
NaosisoaN (Global Ambient Star)

Special Guest DJ :
DJ AGEISHI (AHB pro.)

- River Area -

DJ KENSEI
EBZ a.k.a code e
DJ BIN (Stargate Recordings)
AQUIRA (MTP/Supertramp)
R1(Horizon)
DJ Dante (push..)
DJ MOCHIZUKI (in the mix)
Shiba@FreedomSunset - Live
山頂瞑想茶屋
ENUOH (ΦΤΦ / THE OATH)
OZMZO aka Sammy (HELL m.e.t)
Kojiro + ngt. (Digi-Lo-t.) - Live
SHIGETO TAKAHASHI (Time and Things)
NABE (Final Escape)
KOMAGOME (波紋-hamon-)
PEAT (ASPIRE)
VMIX (Twinetrax)
AGBworld (INDIGO TRIBE)
TMR Japan (PlayGroundFamily / CANOES BAR TAKASAKI)
Nao (rural / addictedloop / LivingRoom)

- Wood Lounge -

TARO ACIDA (DUB SQUAD)
六弦詩人義家 - Live
Dai (Forte / 茶澤音學館)
ZEN ○
Twicelights (ADSR) - three-man cell - Live
DJ Kazuki (push..)
ALONE (Transit / LAw Tention)
Yamanta (Cult Crew / Bio Sound)
TORAgon (HIPPIE TWIST / NIGAYOMOGI)
DUBO (iLINX)
MUCCHI (Red Eye)

Light Show : OVERHEADS CLASSIC - Ground Area -

Vj : Kagerou - River Area -

Sound Design : BASS ON TOP

Decoration : TAIKI KUSAKABE

Bar : 亀Ba

Food :
Green and Peace
Freewill Cafe
赤木商店
Food Studio ODA家
Gypsy Cafe

Shop:
Amazon Hospital
Big ferret
UPPER HONEY

FEE :
前売り(ADV) 5,000円 当日(DOOR) 6,000円
駐車場(parking) : 1,000円 / 場内駐車場1,500円
(場内駐車場が満車になった場合は
キャンプ場入口から徒歩4-5分の駐車場になります)
テント1張り 1,500円
Fee: Advanced Ticket 5,000yen / Door 6,000yen /
Parking(off-track)1,000yen /(in the Camp Site)
1,500yen
Tent Fee 1,500yen

【玉川キャンプ村】
〒490-0211 山梨県北都留郡小菅村2202
TEL 0428-87-0601
【Tamagawa Camp Village】
2202 Kosuge-mura, Kitatsuru-gun, Yamanashi-ken,
Japan

● ACCESS
東京より
BY CAR
中央自動車道を八王子方面へ→八王子ジャンクションを圏央道青梅方面へ
→あきる野IC下車、信号を右折して国道411号へ→国道411号を奥多摩湖方面へ約60分→奥多摩湖畔、深山橋交差点を左折7分→玉川キャンプ村

BY TRAIN
JR中央線で立川駅から→JR青梅線に乗り換え→青梅駅方面へ→JR青梅駅で奥多摩方面に行きに乗り換え→終点の奥多摩駅で下車→奥12[大菩薩峠東口経由]小菅の湯行バス(10:35/13:35/16:35発)で玉川停留所下車→徒歩3分

Tamagawa Camp Village
2202 Kosuge-mura, Kitatsuru-gun, Yamanashi-ken, Japan
Shinjuku(JR Chuo Line) → Tachikawa(JR Ome Line) → Okutama → Transfer to the Bus to go Kosuge Onsen.Take this bus to Tamagawa Bus Stop

Okutama Bus schedule:10:35 / 13:35 / 16:35
(A Bus traveling outward from Okutama Station)
(Metropolitan Inter-City Expressway / KEN-O EXPWY)
・60 minutes by car from KEN-O EXPWY "Hinode IC"Metropolitan Inter-City Expressway
・60 minutes by car from KEN-O EXPWY "Ome IC"(Chuo Expressway)
・60 minutes by car from CHUO EXPWY "Otuki IC"Chuo Expressway
・60 minutes by car from CHUO EXPWY "Uenohara IC"

● NOTICE
※ ゴミをなるべく無くすため、飲食物の持ち込みをお断りしておりますのでご協力お願いします。やむおえず出たゴミは各自でお持ち帰りください。
※ 山中での開催ですので、天候の変化や、夜は冷え込む可能性がありますので、各自防寒着・雨具等をお忘れなく。
※ 会場は携帯電波の届きにくい環境となってますのでご了承ください。
※ 違法駐車・立ち入り禁止エリアへの侵入及び、近隣住民への迷惑行為は絶対におやめください。
※ 駐車場に限りがあります、なるべく乗り合いにてお願いします。
※ お荷物・貴重品は、各自での管理をお願いします。イベント内で起きた事故、盗難等に関し主催者は一切の責任をおいません。
※ 天災等のやむ終えない理由で公演が継続不可能な場合、アーティストの変更やキャンセル等の場合においてもチケット料金の払い戻しは出来かねますので何卒ご了承ください。
※ 写真撮影禁止エリアについて。
GLOBAL ARKではオーディエンスの皆さまや出演者のプライバシー保護の観点から各ダンスフロアでの撮影を禁止させていただいております。 そのため、Facebook、Twitter、その他SNSへの写真及び動画の投稿、アップロードも絶対にお控えくださるようお願いします。尚、テントサイト、フードコートなどでの撮影はOKですが、一緒に来た友人、会場で合った知人など、プライベートな範囲内でお願いします。

special talk:峯田和伸 × クボタタケシ - ele-king

 ここで問題にするのは3部作完結編の新曲「生きたい」そのものではなく、そこに収録された“ぽあだむ”のリミックス。これが、銀杏BOYZ史上初のクラブDJによるリミックス・ヴァージョンなのだ。リミキサーはクボタタケシ。ぼくは、個人的に、これは偏見かもしれないけれど、銀杏BOYZのファナティズムとクラブ・カルチャーの陶酔とは、決して親和性が高いとは思えていなかったので、こんなことが具現化されることがとても意外で、驚きを覚えたのだった。しかしながら、取材で対面したおふたりは、すでに仲良し状態で、ものすごく打ち解けている様子。実際、リミックス・ヴァージョンの出来は素晴らしく、原曲の歌メロを活かしながら、誰の耳にも心地良いであろう滑らかなグルーヴが注がれている。新曲“生きたい”が過剰なまでに生々しい(バンドの崩壊の過程?)を歌っているので、“ぽあだむ”の軽快なリミックスはこのシングルにおいて素晴らしい口直しになっている。
 それでは以下、おふたりの対談をお楽しみください。

個人的にリミックスをやって欲しかったんです。本当に大好きなひとだったので。クボタさんを知ったきっかけはキミドリですね。高校のときに友だちの影響で、洋楽だったり当時のパンクだったりをリアルタイムで聴いていて「うわー! すげー!」って生活を山形で送っていたときです。──峯田


銀杏BOYZ
生きたい/ぽあだむ クボタタケシ REMIX Version II

初恋妄℃学園/UK.PROJECT

RockJ-Pop

Amazon

今回の“ぽあだむ”ですが、そもそもDJにリミックスを依頼すること自体が初めてなんですよね?

峯田和伸(以下、峯田):はい。

クボタタケシ(以下、クボタ):いやいや、そんなたいしたアレじゃないんですけどね。

峯田:“ぽあだむ”って曲がもともと持っているポップな部分を、クボタさんがもっと引き出してくれると思ったんですよ。

その点は見事に具現化されてますよね。曲のメロディアスな魅力が活かされていると思いました。

峯田:ぼくは制作過程にいっさい顔を出さないで、出来上がりを聴いただけなんですよ。いいものができる予感はあったので、注文も何もしてないんです。

クボタさんにリミックスを頼むまでに、どのような経緯があったんですか?

峯田:個人的にリミックスをやって欲しかったんです。本当に大好きなひとだったので。最近はリミックスをやっていないとのことだったんですが、やってくれないかなと。クボタさんを知ったきっかけはキミドリですね。高校のときに友だちの影響で、洋楽だったり当時のパンクだったりをリアルタイムで聴いていて「うわー! すげー!」って生活を山形で送っていたときです。そこに友だちがキミドリを持ってきたんですよ。ヒップホップなんでしょうけど、ぼくはソニック・ユースとかダニエル・ジョンストンをガーッと鳴らしたあとに、キミドリをバーンと流して遊んでいたんですよ。

なるほど。サウンド的には、ある意味、自然な流れですよね。

峯田:俺、当時はヒップホップの流れがわかんなかったんですよ。ただ、キミドリはぼくのなかでパンクでしたね。ファーストの最後の曲とかパンクっぽかったし(“つるみの塔”)。銀杏ボーイズになってからも、登場のSEでキミドリの“自己嫌悪”って曲を使っていた時期があって。

クボタ:それ知らなかったからびっくりしたんだよね。

元キミドリって話で言えば、1-Drinkではなくクボタさんだったのは?

峯田:〈ユースレコーズ〉の庄司信也くんが、高校でぼくのひとつ下なんですけど、話しているとそいつの口から、クボタさんやオルガンバーのことが出てくるんですよ。でも、「なんでこいつがクボタさんのことを話してんの?」っ感じで悔しかった。俺、ミックス・テープも持ってたので、一緒にいつか仕事をしたいなって思ってたんですよ。

20年くらい前からやりたいと思っていたことだったんですね。

峯田:ぼくが東京に来たのは96年なんですけど、その頃って下北にスリッツって箱があるのを知っていても、実際に行ってみたら無くなっていたりして。だから直接触れ合えたりとかはなかったですね。

クボタ:スリッツが終わったのが95年か。

峯田:それでようやく知り合えて、当時の思い出とかを聞いてみたって感じです。

クボタさんは依頼をもらったとき、どのように思ったんですか?

クボタ:ちょうど最後にやったリミックスが、2004年のワックワックリズムバンドだから、12年ぶりだったんですよ。それまでは依頼されたものをやっていたんですけど、ちょっとDJだけでやってみたいなと思って、制作は全部断ることにして。それで2年くらい前に、そろそろ制作をやりたいなと思っていたときに、庄司くんの紹介で初めて会ったんだよね。庄司くんやゴーイングアンダーグラウンドの松本素生くんとDJイベントで全国を回っていたんですよ。いつも銀杏の話は出ていたんですけど、峯田くんは全然来なくって(笑)。なんで来なかったのか会ったときに聞いたら、「仕事で会ってからレコード屋さんとかに行きたいです」って言ってた。
 それで制作がやりたいなと思っていたときに話をいただいて、銀杏の曲を聴かせてもらったらすごくいい曲で。曲があまりにも完成されちゃっているから、もうどうしようかなと。悪い言い方だけどリミックスって完成されていないものの方が作りやすいけど、逆だとさらによくするのが難しい。しかも一見シンプルに聴こえても、メロディの後ろにコードがすごくいっぱいあって。

歌がすごく綺麗な曲ですよね。

クボタ:聴いた瞬間にどういう風にするのかはすぐに思いつきました。

第三者的な立場から見ると、銀杏ボーイズとクボタさんとはそれなりの距離があったように思ったんですよね。銀杏ボーイズはある時代のファナティックなライヴハウス文化を象徴するバンドだった。いっぽうでクボタさんが出演されているオルガンバーなどは、オシャレ感があるじゃないですか? いい意味で。

クボタ:そんなふうに見えてるんですね。全然オシャレじゃないっすけどね。

とくに90年代末~2000年代初期にかけては、渋谷と下北沢って文化的な距離感がそれなりになかったですか?

峯田:ぼくはリスペクトしているからこそ、簡単に立ち入っちゃいけないなと思っていたかもしれない。もし知り合いになるなら、遊びで「こんにちは。ファンでした」って感じじゃなくて、仕事がしたかったんです。

銀杏ボーイズがDJにリミックスを頼むってこと自体、2000年代初頭では考えられなかったと思うんですよね。だからこの企画そのものが事件ですよね。クボタさんにもそういう感覚ってあったんじゃないんですか?

クボタ:(銀杏ボーイズが)リミックスをひとに頼んだことがないんだもんね?

峯田:全部自分たちでやろうと思っていたし、なるべくそっちの畑には近寄らないようにしてました。ヒップホップだけじゃなくて、いろんなシーンがあると思うんですけど、でもクボタさんはその場所にいながらそこにはいないっていうか。ぼくもその気持ちはなんとなくわかったというか。周りに迎合しないところを見て、たぶんクボタさんはこういうことを思っているんじゃないかなと考えてみたりしましたね。

クボタさんはたしかに一匹狼なところはありますよね。

クボタ:東京がホームなんですけど、あんまりホーム感がない。だからホームレスって呼んでいるんですが(笑)。だから地方へ行ってどんなジャンルのところでやっても、居場所がないなっていうか。昔からそうなんですけどね(笑)。

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いま和物や7インチのブームだったりって言ってるけど、やっと来ました(笑)。今回やってみたら楽しくなっちゃって、頼まれてもいないのに2バージョン作っちゃって。──クボタ

峯田:素人意見ですけど、2003年に出していた『ネオ・クラシック』とか、ヒップホップのDJが作るミックスとはまるっきり違うんですよね。ブラック・ミュージックと関係がない曲を、精神的なヒップホップで繋げているというか。他の方のミックスは、元ネタが聴けるって意味で面白いんですけど、まったくそれとは違う。たぶん根っこにあるのがパンクなんだと思うんです。ブラック・ミュージックなんですけど、ブラック・ミュージックではないところが面白かったんですよね。まさにパンクとヒップホップというか、そこが自分のツボにハマった。このひとはとんでもないなと。

クボタさんはガチガチの洋楽ファンの集まる場所で邦楽をかけていた、数少ないDJのひとりなんです。そういう意味で言えば、銀杏ボーイズをクボタさんがリミックスするのは不自然ではないんですよね。みんながハウスとかヒップホップとか踊っている時代に、クボタさんはサザンオールスターズをかけていましたもんね。

クボタ:サザンのファーストの無名な曲を……(笑)。

そこがクボタさん的には、パンクなんですよね?

クボタ:いま和物や7インチのブームだったりって言ってるけど、やっと来ました(笑)。今回やってみたら楽しくなっちゃって、頼まれてもいないのに2バージョン作っちゃって。

峯田:いや、どっちもすごいですよ。


銀杏BOYZ
生きたい/ぽあだむ クボタタケシ REMIX Version II

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クボタ:最初聴いてもらったときはどんな反応をするのかドキドキしましたよ(笑)。だって依頼するのが初めてで、自分たちの曲をすごく大事にしてるっていうからさ。あと曲が長めで6分くらいあって。だいたいリミックスをするときは、ヴォーカル・パートは全部使って、あとは全部変えていたから、今回はコードも複雑だし辛そうだなって創る前は思ってたんだよね。聴いてもらったら「すごくよかったです!」とかって言うんだけど、本人を前にして他に何にも言えないでしょうと(笑)。

クボタさんは銀杏ボーイズにどんな印象を持っていたんですか?

クボタ:名前はもちろん知っていましたけど、申し訳ないんですが、銀杏BOYZは聴いてなかったんですよ。いろんなひとから「銀杏ボーイズの峯田くんがキミドリのこと好きらしいよ」って聞いていたんだけどね。リミックスをするときに全部聴かせてもらって見事にはまってしまって。クラブでかけたりして、「クボタさんどうしたんですか?」って言われたり(笑)。

銀杏ボーイズには単に売れたロック・バンド以上の何かがありますよね。誰もがイエスと言うことをやっていないといいますか。クラブってどっちかっていうと、なるべく誰もがイエスと言うというものを選ぶってところがあるじゃないですか?

クボタ:俺、それはしてこなかったんですよ。それでよくやってきたなと思いますけど(笑)。

リミックスに対するお客さんの反応はどうだったんですか?

クボタ:マスタリング前にCDRで試しにかけていたんですが、反応はすごくよかったです。お客さんが銀杏ボーイズのファンだったのかはわからないけどね。

峯田:お客さんからクボタさんが銀杏の“ぽあだむ”をかけたって聴いてたんですよ。しかも銀杏ヴァージョンじゃなくてストリングスが入っていると。「あれは何なんですか?」って質問がけっこうきましたからね。

クボタさんは一風変わったDJなので一括りにはできないですけど、やっぱりクラブ・カルチャー側の感想に興味があるんですよね。で、今回のシングルに同時に収録されている“生きたい”って曲、やばすぎるじゃないですか。正直に言って、驚きました。内面の葛藤をこれでもかとさらけ出して、克服していくっていうことをやっているんだろうなと思ったんですけど、ある意味で圧倒的な何かがこの曲にはあるんですね。
 それに対して、クラブ・ミュージックって、銀杏ボーイズが抱えているような内面にはあまり触れてこなかったと思うんですね。どちらかというとフィジカルにくるものであるというか。耳から入るものであってハートから入るものではないというかね。もちろん、音楽はすべてハートからと言ったらそれまでなんですけど、優れたソングライターの曲をリミックスするだけには止まらないような気がしたんですよね。

峯田:でも、(クボタさんは)クラブ・イベントでちあきなおみとかをかけるDJですからね。

ちあきなおみは昔のものだからまだわかるんですよ。でも銀杏ボーイズは現在進行形だから意味が違うものだよね。

クボタ:この“生きたい”ができたときが記憶に残っていて。去年の5月4日かな。三重でのDJ帰りに久しぶりに峯田くんに電話したら「“生きたい”って曲ができました」と。実はその日って、俺の親友だったデブラージが亡くなった翌日だったんだよね。しかもタイトルが“生きたい”でしょう? だから「うお」って。それで聴いてみたらすごい曲で、全く長さも感じさせないし。

峯田:最初は歌詞だけメールで送ったんですよ。

クボタ:前の日にあいつの顔は見てきたんだけど、お葬式に行けなくてさ。ホテルでも眠れなくてね。その時にメールで歌詞が送られてきたんですよ。それでタイトルが“生きたい”でしょう? すごいなぁと。歌詞はもちろん全然違うんですけど、ぼくのなかではくるものがあった。だからリミックスではもっとよくしようと思いましたね。

銀杏ボーイズというバンドが無くなっていくプロセスが今回のテーマとしてあるじゃないですか? バンドの崩壊に対する内面的な苦しみみたいなものと、それを克服したい気持ちのせめぎ合いみたいな曲ですよね?

峯田:ひとりになってしまったけど、これからも俺は頑張っていきますよ、という決意表明とは違うんですよ。前向きな気持ちと無念さというか……。だから最初にあの無念さは間違っていたと言わないと、次の一歩に進めないような気がして。簡単に胸を張って心機一転頑張っていきますっていう曲は作れなかったんですよ。そうじゃなくて、一回後悔の念みたいなものを出しておかないと、ポップな曲は作れないんじゃないかと思って。これを作ることによって、なんとなくだけど決着がついたような気がします。それで“生きたい”とは対極にある「まぶしさ」や「ときめき」があれば、作品として面白いかなと。

そういう意味ではバランスが取れて、いまおっしゃっていたような感じにはなっていると思います。だって、このシングルにクボタさんのリミックスがなくて、“生きたい”だけだったら……あまりにも重たいもんね(笑)。

峯田:うん、重たいです(笑)。最初はどういう音でリミックスしてくれるのか予想していたんですよ。オフビートでめっちゃダブでくるのかなとか(笑)。
 でもリミックスを聴いてみたら、ぼくの考えていたものとは全然違ったんですよね。“ぽあだむ”の真ん中にある表情をストリングスを駆使してうまく抽出してくれて、それは銀杏ボーイズには絶対にできなかったことなんで。例えば、ぼくは結婚もしてないし子供もいないですけど、子供はこういう体型で、こういう体質で、こういう洋服が似合うというのをクボタさんに考えてもらった感じなんです。

クボタ:ははは(笑)。

峯田:あー、そうだー似合うなぁっていうか。だから信じてよかったと思いました。

ぼくもさすがだなと思いましたよ。

クボタ:誉め殺し~。

いや本当ですよ! 

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ラヴソングなんですけど、いざ女の子と付き合ってみると、いろいろ汚いところとかも見えてくるじゃないですか? そういう汚いところが前のラヴソングだったら全体の6割を占めていたところを、2割くらいにしとくみたいな。そんな感じですかね。いい曲を作っていきたいです。──峯田


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クボタ:“ぽあだむ”は速さ的に、ステッパーズ・レゲエみたいにしようかなとか考えたけど、やってみたら全然しっくりこなかった。だったらもっと被せていって、さらに違う方向へ行ってキラキラさせようと。だけどキラキラさせすぎないで、絶妙なところで止めました。だいたいリミックスの場合って、ヴォーカルは小さいんですよ。でも今回は音量を上げて声で引っ張ってもらう感じにしようかなと。

さっきもクボタさんが言っていましたけど、曲の歌メロがすごく残るんですよね。クボタさんは今回のリミックスでそれを狙っていたのかなと思いました。

クボタ:もちろん。原曲のよさは損なっちゃダメだと思ってましたから。

リミックスをするときにふた通りあると思うんです。まずリミキサーの個性がでるパターン。それはそれですごく面白いんですが、今回のクボタさんは明らかに裏方に徹していると言うと変ですが、楽曲のよさをより引き出す点を重視しているというか。

峯田:最初は自分の部屋で聴いたんですけど、その様子は見せられるもんじゃないですよ。クボタさんには「よかったです」と伝えたんですけど、スタッフの軽部くんが音を持ってきてくれたときは、「いやぁ、音楽やっていてよかったな」って言いましたからね。

クボタ:いやぁ、それはよかったな。

峯田:ぼくは音楽を聴くのが好きだから、いろんなリミックスのチェックはしていたんですよ。だから2016年の空気感とかもだいたいはわかるんです。でも、そういう頭でクボタさんのリミックスを聴いたときに、「やっぱりこれだよね」ってなっちゃいましたもん。いまはこれが流行っているとか、これからはこれが来るとかって言われているけど、「これなんだよな」と。

クボタさんがすごいのは、この曲をクラシックにしたというか、10年経っても聴けるものにしたいって思っていたことですよね。

峯田:古びない普遍的なところをついているというか。

大局的に言えば、メロウグルーヴってあるじゃないですか? ああいう括りにこの曲が入っていてもおかしくないですよ。クボタさんはそこを狙っていたでしょ?

クボタ:狙ってないですよ(笑)。ただ単に自分でもびっくりするような曲を作りたいなとは思っていましたけど。だから、気持ち悪いかもしれないけど、この曲は何回も自分で聴いているんですよね。いろんなレコードを聴いたあとにこのリミックスを聴いてみたりね。

峯田:これはぼくの勝手ですけど、たぶん音楽への取り組み方が自分と近いような気がするんですよ。

クボタ:そうかも。

峯田:どこにも属したくはない。あと、聴くひとを信じているってとこですよね。

パンクがルーツなのも同じですよね。

峯田:「俺はこうだから頼むよ」って感じじゃないと思うんですよね。聴いたひとがご自由にって感じで限定したくはないんですよね。銀杏ボーイズはこういうバンドだからとか。そういう時期もあったんですけど、メンバーがいなくなったので、銀杏ボーイズの峯田が主人公なんじゃなくて、曲が主人公でもいいなと思うようになって。この曲をたくさんのひとに聴いてもらえるといいなぁと。

クボタ:できあがってマスタリングに入る前に、ふたりでパンクのレコードの話とかをしていて、俺どうしても欲しいレコードがあったのね。ビッグ・ボーイズ(Big Boys)のレコードだったんだけど、峯田くんがそれをくれたんだよね(笑)。あれは嬉しかったよ。

峯田:ぼくはキミドリの最初のリリースのチラシをいただきました(笑)。

クボタ:あと“オ・ワ・ラ・ナ・イ”のアドバンス・カセット。あとジャックスのカヴァー。リカっていうふたり組の女の子のプロデュースをしたとき、カップリングでジャックスのカバーをしてて。キミドリのときにも、ジャックスをサンプリングしてデモテープを作ったりしてました。

峯田:あと、昔からオシャレなところに怨念を持ち込んでるというか。

ははは(笑)。それは怨念ですか?

峯田:ぼくはキミドリの“自己嫌悪”に怨念を感じたんですよね。コレクターズってバンドがいるじゃないですか? モッズなスタイリッシュさのなかに加藤ひさしさんの怨念があるんです。『さらば青春の光』って映画も、すごく主人公が憂鬱ですよね。スタイリッシュと相反する怨念があるものが好きなんですよね。それはモッズでもヒップホップでもロックでもそうですけど、どこかで様式美とは反対のものがうまい割合で入っているものが惹かれる気がして。

クボタ:そうね。俺も様式美はダメだったから。

過剰なものに対しても思いがあるようにも見えるんですよね。クボタさんってそういう意味でいうと、逆にバランスがいいというか。

峯田:バランスはホントにすごいと思います。言っちゃ悪いんですけど、セックスたぶんうまいんだろうなぁと。

クボタ:ははは(笑)。

峯田:流れを作ったりするのが絶対うまいだろうなぁ(笑)。

クボタ:イントロが長いとかね(笑)。

峯田:ぼくはDJをやったことがないんですけど、この曲を20曲流すとしたら、この曲を主人公にもってくるとか、この曲を引き立たせるためにこの曲を使うっていうのがあると思うんですよ。

クボタ:ある。

峯田:その持っていき方というか、それってバランスとか空気を読むって能力がないとできない気がするんですよ。バンドでもハイライトにたどり着くまでの道のりがやっぱりあるし。ただ盛り上がるだけじゃないような気がする。

クボタさんは構築した空気を自分で壊すのも好きですからね。そこがすごく似てるのかもしれないですね。

クボタ:うん。大好き。すごく盛り上がっているときに静かな曲をかけてやり直したり。

“生きたい”という曲と同じように、クボタさんのリミックスも次の銀杏の方向性につながると思うんですけど、次にやる予定ですか?

峯田:いまスタジオに入っているメンバーには、固有名詞を使ってわかりやすく言うと、オアシスとジャックスをやろうって言ってますね(笑)。前のアルバム2枚でシーケンサーを使ったりノイズを入れたりという意味では、音楽ファンとして額縁は作れたような気がするんですよ。でも歌詞に関してはまだまだだから、あとはそこに絵を入れるというか。音楽ファンにも届くけど、一発聴いてメロディを覚えられるような、そういうものをやりたいですね。あとは風通しのいいものを真ん中にドーンと作りたいです。

ジャックスはわかるんですけど、オアシスはちょっと意外でしたね。でも“ぽあだむ”みたいな曲は、ちょっとメロディはオアシスっぽい感じがします。

峯田:歌とことばでわかりやすいものを作りたいですよね。

ことばで書きたいテーマってありますか?

峯田:ラヴソングなんですけど、いざ女の子と付き合ってみると、いろいろ汚いところとかも見えてくるじゃないですか? そういう汚いところが前のラヴソングだったら全体の6割を占めていたところを、2割くらいにしとくみたいな。そんな感じですかね。いい曲を作っていきたいです。

峯田くんって、好き嫌いを抜きにして強いことばを持っているじゃないですか。クボタさんはそれはどう思いますか?

クボタ:キミドリのときもそうでしたけど、もともとあんまり歌詞って聴かないんですよ。でもちゃんと聴いてみると、一貫しているなというか、自分と違うジャンルではないなというのがよくわかるんです。ただ、いまもあえて歌詞は聴かないようにしてますね。リミックスを依頼されたときはもちろん聴きますけど。

これほど強いことばがあっても音ですか?

クボタ:音です。キミドリのときもそうだったんですけど、歌詞なんか書いたことがなかったし。ジャックスも大好きだったけど、あんまり歌詞とか聴いてなかったんですよね。だけど自分でいざ書いてみると、あんな感じになるから間違ってなかったのかなと(笑)。

峯田くんの場合、ジャックスはやっぱり歌詞ですよね。

峯田:うん。

クボタ:俺は音だったんですよ(笑)。

峯田:ぼくがジャックスを初めて聴いたのはタクシーのなかだったんですよね。タクシーの運転手がAMラジオをつけてて、ジャックスが流れてきた。

クボタ:“からっぽの世界”とかかな。

峯田:そうです。10年くらい前です。ラジオの音質も含めて、あれがもうね。家に帰って急いで調べて、「あれがジャックスか!」と。早川義夫は聴いていたんですけど。あれにはすごく興奮しましたね。

クボタ:だってGS全盛期のときにあの音ですよ。すごいなぁと思って。

そうですよね。お互いそうやって違うからこそ、ミラクルのミックスになった気がします。何か言い残されたことはありますか?

クボタ:早く聴いてほしいし、どう感じられるのかすごく楽しみですね。

峯田:まだクボタさんにリミックスをお願いしたい曲が何曲かあるんです。だから是非またやってほしいですね。

Washington square park 4/13 - ele-king

 選挙キャンペーン #BerninUpNYC - Get Out the Vote (GOTV) Party & more
 以下、ワシントンスクエア・パークのバーニーショー(サンダース応援コンサート)の模様です。ヴァンパイア・ウィークエンドとダーティー・プロジェクターズが演奏、ものすごい人です。ヴァンパイア・ウィークエンドはバーニーショーに出るのはこれで3回目。

PHOTOS:via Brooklyn vegan



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Vampire weekend & dirty projectors


Vampire weekend






interview with Hiroshi Watanabe - ele-king









Hiroshi Watanabe

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 人生には何が待っているかわからない。当人にとっての自然な流れも、はたからは意外な展開に見えることがある。ヒロシ・ワタナベといえばKaito、KaitoといえばKompakt。Kompaktといえばドイツのミニマル・ハウス、ポップ・アンビエント、水玉模様……ヒロシ・ワタナベといえばKaito、Kaitoといえば子どもの写真、美しい風景、クリーンな空気……。

 しかしヒロシ・ワタナベのキャリアは──90年代半ばのNY、DJピエールのワイルド・ピッチ・スタイル全盛のNY、エロティックでダーティーなNY、それは世界一ハードなクラバーのいるNY──そこからはじまっている。

 そして2016年、彼はデリック・メイのレーベル、──デトロイトの名門中の名門とでも言っておきましょうか──、〈Transmat〉から作品をリリースする。アルバムは『MULTIVERSE(マルチヴァース)』というタイトルで、12インチEPはすでに出ている。EPのほうは〈Transmat〉からの初の日本人作品という話題性もあって、あっという間に売れたし、好評だった。アブドゥール・ハックによるアートワークも良かった。

 それで『MULTIVERSE』だが、これはヒロシ・ワタナベらしい繊細さをもちながら、じつにパワフルで……というか寛容さと力強さを兼ね備えていて、些細な瞬間に大きな喜びを見いだすことさえ可能な、前向きな心によって生まれた作品であることは間違いない。人生に挫折した男も女もふと空を見上げ、ひょっとしたらこの苦境を乗り越えられるかもしれない、そう思うだろう。

 これを〈Transmat〉サウンドと呼ばずして何と言おうか。初期ヒロシ・ワタナベが荒々しいダンスの渦中で生まれた音楽なら、Kaitoはダンスフロアに草原の清々しさを吹き込む音楽、そして『MULTIVERSE』は……こうも言えるだろう、デリック・メイとの二人三脚で生まれた音楽であると。

 このインタヴューではヒロシ・ワタナベの20年以上のキャリアを振りながら、彼のダンス・ミュージック/電子音楽への考え方を紹介している。長い話だが、初めて聞けることばかり。デリック・メイとの熱い(!)やり取りのところまで、どうぞお付き合い下さい。


2016年正月の神戸公演にて。

理論上のことだったり、テクニカルな部分は、自分がやりたい音楽にはほぼほぼ当てはまらない感覚がずっとあったんですね。だからこそダンス・ミュージックを聴いたときに、「もう自分にはこれしかないじゃん」という気持ちに駆られましたね。

今回の新作、表面的には「〈コンパクト〉から〈トランスマット〉へ」──という風に見えると思うんですよ。やっぱりカイト名義の〈コンパクト〉からの作品は、ある時代(2000年代の最初)を象徴するものでもあったし、その印象がまだ強いんじゃないでしょうかね。

ヒロシ・ワタナベ(以下、HW):たしかに、長い期間やってきましたからね。

〈トランスマット〉から日本人が出るらしい、それがヒロシ・ワタナベって知ってびっくりする人は少なくなかったと思いますよ。

HW:でしょうね。

ただ、ちょうど2000年代に入ったばかりの頃、ぼくがデトロイトに行ったとき、車のラジオから〈コンパクト〉が流れてきたことがあったんですよね。ラジオのDJが「コンパクトからの新譜で〜」みたいな紹介の喋りがあって、あのミニマル・ハウスがかかるみたいな。

HW:意外というか、オープン・マインドというか。

そういう意味でいうと、今回のヒロシ・ワタナベの〈トランスマット〉リリースも、ヨーロッパ経由なわけでデトロイトと繋がらなくはないんですよね。だって彼らはヨーロッパ大嫌いで大好きじゃん。

HW:ヨーロッパのひとたちも、アメリカのシーンに絶対に興味を持っているけど、アメリカという国に対してはめちゃめちゃアンチだったりする。
 ぼくが結果的にデトロイトの〈トランスマット〉からのリリースにたどり着いた経路にも、不思議で面白いところがあるんです。ぼくは、もともとはボストンで大学に通いながらダンス・ミュージックを作りはじめたんですね。メインストリームも消化しつつ、自分なりの音を探っていたんですが、それがのちのちクァドラ(Quadra)というプロジェクトになっていきます。で、卒業後にボストンからニューヨークに行って、当時もっとも衝撃だったDJピエールやジュニア・ヴァスケス 、ジョニー・ヴィシャスなどのハード・ハウスのスタイルに影響を受けました。ゲイ・カルチャーに根ざしながら、ゲイ・シーンだけではないものを一生懸命に聴いていましたね。

90年代のニューヨークにとってハウスは本当に大きかった。ヒップホップも大きかったけど、ハウスもすごかった。ジャネット・ジャクソンのようなポップ・スターも、みんなハウスをやっていたよね。

HW:あのマンハッタンと狭いその近隣のエリアにガッツリ組み込まれていたハウス・シーンに、ぼくもドップリ入っていたわけです。

どのような経緯で?

HW:1990年にボストンに渡って音楽の学校(バークリー音楽大学)へ通って、1994年に卒業したあとにニューヨークで曲を作りはじめました。学校でかぶってはいないんですけど、DJゴミ(DJ GOMI)さんがぼくの先輩なんです。ゴミさんがバークリーに遊びに来ていたので、ちょっとお会いして挨拶したりとか、ニューヨークのシーンについて伺ってみたりしました。卒業する間近にゴミさんの家に泊まらせてもらって、ニューヨークをいろいろ案内してもらったり、いろいろお世話になったんです。「じゃあ、これからがんばってね」と言われて、ぼくはニューヨークへ渡るんですけど。

なんでハウス・ミュージックにそこまでのめり込んだんですか?

HW:ボストンで楽曲を作りはじめたときは、基本的にテクノなサウンドの方が好みだったんです。中学のときはYMOも聴いていたし、レコードもほとんど持ってました。とにかく、シンセサイザーを使って打ち込みが盛り込まれている音楽が、ひと通り好きだったんです。でもクラフトワークはあんまり聴いてないんですよね。アンダーグラウンドの音楽に対する自分の着目点は、王道のクラフトワークまで遡らずに、当時流行っていたブレイクビーツ系のテクノや〈XL〉のものでしたね。ドイツの〈EYE Q〉なんかもも聴いていました。学校には、打ち込みをやっている仲間がいっぱいいたんです。

お父さんが作曲家で、お母さんがジャズのピアニストなんですよね。

HW:そうです。

ご両親に対する反発心からテクノへ行ったんじゃないかと(笑)。

HW:ははは(笑)! 反発心からじゃないんですよね。

テクノって、音楽をちゃんと学んだひとからするととんでもない音楽でしょう?

HW:ぼくはとんでもないスタイルで作られた音楽に完全に魅了されたんです。高校は東京音楽大学の付属へ通ってクラシックも勉強したし、バークリーではジャズや音楽理論も多少なりとも勉強しました。でも自分が音楽を作って放出するときに、そういうアカデミックなものとはどうも違う。オーケストラでのコントラバスの経験ももちろん肥やしになっていますけど、理論上のことだったり、テクニカルな部分は、自分がやりたい音楽にはほぼほぼ当てはまらない感覚がずっとあったんですね。だからこそダンス・ミュージックを聴いたときに、「もう自分にはこれしかないじゃん」という気持ちに駆られましたね。

テクノって、多くが感覚で作られているし、単純じゃないですか? クラシックを学んでいると、その辺が逆に新鮮だったりするの?

HW:それで間違いないと思いますよ。理論やテクニックの部分を取っ払ったとこでどこまで勝負できるかという点において、テクノってすごく素敵な音楽なんです。ただ、もっと幼少期にさかのぼると、うちの父親が当時アナログ・シンセサイザーを多用して、マルチ・レコーディングやフィールド・レコーディングをした音を組み合わせて、夜な夜な楽曲を作っていたのを見ていた体験があるんです。

お父さんの影響が大きんだ。

HW:大きいです。かつ、当時はニューエイジ・ミュージックと呼ばれていた、いまでいうアンビエント・ミュージック、それこそアンビエントの原点というか。

UKのある有名なテクノのアーティストが、なんでテクノを好きになったのかという話をして、それは5歳の頃、オーディオ好きの父親に、部屋を真っ暗にして冨田勲を聴かされたことがきっかけだったと。そのとき、自分が本当に別世界へ行ってしまった感覚を覚えてしまったと言っていたんだけど、そんな感じですよね?

HW:それにほぼ近いですね。当時小学生のころ住んでいたのは平屋の木造民家だったんですけど、父親がバンドの練習をするためにひと部屋を手作りでかなり強力な防音室にしたんですよ。その防音室にぼくは忍び込んで当時全盛だった『スター・ウォーズ』の2枚組LPを真っ暗にして大音量で聴いていたんですよね。するともう、そこは宇宙になわけですよ。右も左もわからない状態で音だけに浸るって、その体験とまったく同じなんですよ。

しかしヒロシ・ワタナベをその気にさせた音楽って、〈XL〉であり、レイヴ・カルチャーであり、ダンス・ミュージックなわけですよね。

HW:サンプラーとブレイクビーツに興味があったんですよね(※レイヴ・ミュージックは基本、ブレイクビーツだった)。
 当時はアカイのサンプラーが一世を風靡していたんですけど、ヒップホップのスタイルはかっこいいけど自分が作る音楽ではないなとずっと思っていたんです。ヒップホップのスタイルは自分が経験してきた文化と違うし、最初はサンプリング・ミュージックを作ることには前向きにはなれなかったんです。でも、〈XL〉やオルタン8などブレイクビーツのサンプルは、ヒップホップとはまったく別のやり方でしたね。ヒップホップは無理だけど、こっちは全然いけるじゃんって思った(笑)。

その手のダンス・ミュージックは、どうやって知ったんですか?

HW:最初は、学校のシンセサイザー科の友人から教えてもらいましたね。彼はテクノを聴いて、自分でも作っていたんですけど、そこからテクノの仲間がどんどん増えていきます。学校外にも仲間がたくさんいることがわかって、いろんな人たちと出会うんですけど、そのうちのひとりがいま大阪にいるエニトクワ(Enitokwa)で、彼は同じ時期にボストンにいました。

レイヴに行って踊ってました?

HW:最初は聴いてるばかりでした。音楽と出会ってしまい、音楽を聴きまくる感じでした。クラブにも行ってないですし。

じゃあベッドルーム・プロデューサーとしてスタートしたわけですね?

HW:最初はそうです。ただ、そのあとボストンに808ステイトやエイフェックス・ツインなどがボストンに来ているので、見に行ったんです。そこでクラブ・サウンドの凄さを体感して、「DJをしないと、ダンス・ミュージックは作れないんじゃないの?」くらいに思いはじめました。
 作品もリリースしていないときに、何曲も作って自分で聴くんですけど、やっぱ何か足りないわけですよ。こんだけ頑張って作って、音もいいし質感もよくなってきている。しかし、何が足りないんだろうと考えてみたら、「これは俺が踊ってないからだ!」って思ったんです(笑)。
 それで、踊るんだったら躍らせる側に回った方が早いじゃないかと。それで中古の機材を集めてDJをはじめたんですが、そのころに知り合ったDJの友人がニューヨーク・ハウスのレコードを持っていたんです。それを自由に使っていいと言ってくれたので、わけもわからないままレコードを漁って、いいなと思ったものを友人のところでかけていたんですよ。そこでDJピエールのワイルド・ピッチ・スタイルを聴いちゃって、「これ何!?」みたいになって(笑)。

DJピエールで4つ打ちの良さに目覚める。

HW:ブレイクビーツを聴いていると、シンプルな4つ打ちがスカスカに思えてしまうんですね。だけどDJピエールは、普通の4つ打ちなのに、なんでこんなにかっこいいんだろうと。そこからハウス・ミュージックに興味を持つんです。ニューヨークへ行ったきっかけもDJピエールでしたね。


いきなりニューヨークという、その行動力はすごいです。

HW:若いエネルギーがすごいなと思うのはそこですよね。若さゆえに何にも考えずに、どんどん入っていけちゃうじゃないですか。これはもういても立ってもいられないから、ニューヨークへ行くしかないと。それ以前の歴史やアンダーグラウンド・シーンの流れをあまりわかっていないまま、いまその街で起こっていることに夢中になって追っかけていくんですね。
 それでぼくはサウンドを追い求めてニューヨークへ行くんですけど、実際はこんなにゲイ・カルチャーなんだと。

カルチャー・ショックでしたか?

HW:ぼくはけっこうすんなり受け入れましたね。彼らが巻き起こしているシーンがこれなんだって、サウンド・ファクトリーへ行ったとき、そう思いました。あまりにも強烈なサウンドシステムと、すさまじい盛り上がり方。そこではジュニア・ヴァスケスが延々とプレイしている……セットのなかで、ドープな時間だったり歌物の時間だったりハッピーだったりと展開していくわけだけど、そのシーンに触れたときに、「このために音楽が生まれているんだな」というのも思い切り体感して。ここでかかるような音楽を作って勝負したいと思いましたね。

ニューヨークではどんな生活だったんですか?

HW:最初はゴミさんの紹介で、〈Dr.Sound〉というところに勤めていたんです。クロサワ楽器系列で、経営は日本人だったんですね。その楽器屋さんには、DJデューク(※90年代のNYハード・ハウスの中心人物のひとり)が遊びに来たりとか、いろんなDJが来たので、用意していた自分の新作デモカセットをすかさずデカい音でかけていました(笑)。「これ誰の曲だ? お前のか?」とか、そう言われるのを待って(笑)、それで知り合いになってオフィスに呼んでもらって、デモ・テープを渡しまくりました。もちろんデュークのところ(※〈セックス・マニア)レーベル〉からも出したかったんだけど、ぼくはあそこまでダーティ・ハウスじゃなかったから(笑)。


働いていた楽器店の入口にて。

ヒロシ・ワタナベがDJデュークや〈セックス・マニア〉といっているのが面白いんですけど、カイトのイメージとは真逆だよね(笑)。

HW:カイトのサウンドは、小中学校のときに触れたニューエイジ・ミュージックにまで遡れる。あるいは映画音楽だったりとか。音でイメージが空想できるようなスタイルというか。クアドラの音楽はそのイメージに自分が解釈したテクノを融合させたイメージだったんです。クアドラ名義では1995年に〈フロッグマン〉から1枚目を出しました。その前にはコンピレーションにも参加していたんですよね。あの曲は、ボストンで学生だったときに作った曲です。ああいう、クアドラのイメージはとっておきながら、それとは別にニューヨークで自分が勝負したいと思うものを探求していくと、ハード・ハウスのスタイルだったんですね。

なるほど。面白いね。

HW:ぼくはニューヨークにいたけど、ガラージみたいなものにはいかなかったんですよ。さっきのヒップホップといっしょで、ガラージは日本人が勝負をかけても無理だろうと思っていたんですよね。あのグルーヴ感は、真似て作るものではないと。自分が勝負できるのはハード・ハウスだと。とにかく、ピエールの、じわじわ構築していくようなワイルド・ピッチ・スタイルが大好きでした。当時、ヒサさんのレーベル(〈キング・ストリート〉)からも、あの手法を取り入れた作品がリリースされていました。

しかし、DJデュークなんか、ポルノみたいなハウスじゃないですか(笑)。

HW:ラベルとかもひどいし(笑)。



ヒロシ・ワタナベのイメージとは著しく異なっている(笑)。

HW:現場でぼくが追い求めていたハードで熱いシーンと、ぼくがオリジナルで作品を出し続けた自分のイメージはけっこうズレているんです。

90年代半ばは人気がすごかったもんね。

HW:そうなんです。音はすごく良いんです! 

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作品もリリースしていないときに、何曲も作って自分で聴くんですけど、やっぱ何か足りないわけですよ。こんだけ頑張って作って、音もいいし質感もよくなってきている。しかし、何が足りないんだろうと考えてみたら、「これは俺が踊ってないからだ!」って思ったんです(笑)。


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DJは、どんなふうにはじめるんですか?

HW:楽器屋さんに来てくれるお客さんでDJもしていた大事な旧友と知り合うんです。最初は、彼といっしょにDJができる場所を探すことにしたんですよね。彼はイースト・ヴィレッジに住んでいて、ぼくはクイーンズのグリーンポイントというところにはじめはいたんですけど。で、マンハッタンのイースト・ヴィレッジにあったセイヴ・ザ・ロボッツ(Save The Robots)という、めちゃめちゃアンダーグラウンドでアフターアワーズ・パーティが盛んなクラブがあったんですね。アヴェニューB沿いの、かなり危険な区域なんですけど。


Save the robotsでのDJシーン。

90年代には、まだ70年代のニューヨークが残っていたんですね。

HW:そうなんです。アヴェニューA、B、Cとかにいっちゃうとヤバいんですよ。ジャンキーやフッカーだらけの怪しくて危ない場所でしたね。でもそこにかっこいいクラブがあるから行こうぜ、と。レコードを持ってお店が開いたら直ぐに入って、「DJやりたいんだけど、やれないかな?」とオーナーに直接訊いてみたんです(笑)。そしたら「お前ら上のラウンジの方でちょっとかけてみろよ」と言われて、ふたりで一生懸命かけるんですよ。

すごい強引な(笑)。

HW:はい(笑)。でも、そうしたら運良く、「空いてる曜日があるから、お前たち上でよかったらいいよ」って誘われて、毎週そのクラブでふたりで時間をわけてDJをやるんです。で、上のフロアなのに、がっつり盛り上げてハードに攻めていたら、お店のひとが面白がってくれて、「お前ら、下のメインフロアでやっていいよ」となったんです(笑)。そこで実験がはじまるんです。
 ある日、あるパーティにヒサさんが遊びに来ていて知り合いになるんですね。それで、早速次の日にすぐヒサさんのところに自分のトラックを持っていきました。そうしたら「アーバン・ソウル(Urban Soul)とサンディー・ビー(Sandy B)の“バック・トゥギャザー(Back Together)”をリミックスしてみないか?」と言われて、「DATをくれて好きにやっていいよ」と。それでもう、必死になって作ったら、それが出たんですよ。

ヒサさんも知名度ではなく、音で選んだんですね。

HW:はい! 音でいけました。セイヴ・ザ・ロボッツでDJ をしていて面白かったのは、わけのわからない日本人がDJをしているわけじゃないですか? でも曲やプレイがすごいと「お前何てやつだよ?」って訊いてきてくれるし、ガンガン踊ってくれるから、その反応を素直に体感できたというか。作ったばっかりの楽曲をDATでかけたりとか。アセテート盤を作ってかけてみたりとか。

ニューヨークには何年いたんですか?

HW:丸5年ですね。1999年の夏に帰ってきているんで。

ある程度ニューヨークで活動しながら、帰ってきたのはなぜだったんですか?

HW:アーティスト・ビザを取っていたので、半永久的にいれたんです。だけど、ぼくは目的があってニューヨークにいたわけで、ただアメリカ生活がしたかったわけじゃないんですよね。音楽に魅了されてニューヨークまでやってきたので、自分の音で勝負しないと何の意味もないと思っていました。
 当時はジュニア・ヴァスケスが頂点の時代で、みんながジュニアがプレイしている晩に自分のレコードやDATを持って、ジュニアのブースまで行くわけですよ。ぼくもほんの数回それをやりました。でも、自分がジュニアのところまでわざわざ音源を持って行ってもかけてくれないんだったら、なんか嫌だなという違和感もあって、それよりジュニア本人がレコード屋さんで選んだものが自分の音楽だったら、そんな最高なことはないじゃんと思ったんですよ。目標はそれだと。それで、まずはいろんなハウスのレーベルに作品を持っていって、自分の作品をリリースしようと思ったんです。

初めてのリリースは、1996年に〈Nite Grooves〉から出した「Bad House Music」?




HW:それはニューヨークで出したオリジナルの最初で、その前に“Back Together”リミックスが先に出るんですよ。

盤としては、ひょっとして〈フロッグマン〉から出た「SKY EP」が最初だったりして。

HW:レコードとしては〈フロッグマン〉からの方が早いです。でも、いちばん最初はクアドラが入ったコンピレーションですね。続いてイエロー(Yellow)が出した『East Edge Compilation 2』にDefcon 5という名前で参加しました。それが95年で、ほぼ同時期。

1996年にはジョニー・ヴィシャスの〈Vicious Muzik〉からもシングルを出していますね。

HW:ニューヨークへ行っていろいろ模索しているうちに、クラブでジョニー・ヴィシャスにも出会うんですよ。ジュニアもかけていたジョニーの曲があって、それを聴いて「やべーな、こいつとは会うしかない」と。かつてトンネルでDJをしていたヤング・リチャードが HouzTown 名義で、先にそのレーベルから「Brooklyn A Train」という曲を出したんです。それもすごくドープな曲で。それからぼくもナイト・システム(Nite System)名義で出すんです。

なんでそんなに名義を使い分けていたんですか?

HW:ひとつには色分けですよね。全然コンセプトが違うからクアドラでやるわけにもいかないし。言ってしまえば、ハードハウスはぼくにとっては実験だったので、それで生きていきたいというよりもニューヨーク・シーンに対しての自分なりの挑戦というか。

ハード・ハウスは、もう、とにかくクラブでダンスするための音楽だよね。トランスさせる音楽というか。

HW:さっきも言ったように、音楽の学校へは行ったけど、ぼくが求めている音楽にはいっさいがっさいそれが必要なかったんだなと気づいてしまった(笑)。

とにかく、ハウスのアンダーグラウンドな世界に入って、順調な活動ができていたんですね?

HW:DJもやっていてネットワークもできていたので、週末の金曜日にトンネルで回せたりとか。サウンド・ファクトリーがトワイロ(Twilo)という名前に変わったときも、友人がオーガナイザーになってイベントを立ち上げたとき、メインフロアでDJができましたね。いろんなクラブでDJができるようになった。レコードも出せて活動の幅の広がった。

すごいですね。

HW:ただ、ぼくは、デモを渡さずにジュニアがいつ自分の曲をかけるのかという一点だったんです。それであるとき、友人から電話がかかってきて「ジュニアが先週ヒロシの曲をかけたよ!」って教えてくれたんです。次の週に急いで駆け込んで、ずーっとかかるか何時間も見ていたんです(笑)。

フロアで(笑)?

HW:そう、ずーーーっと。そしたらかけてくれたんですよね。スタジオでちまちま作った音楽がレコードとなって、そしてジュニアが見つけてくれて、そしてフロアでかけてくれて。

なんていう曲だったんですか?

HW:〈Deeper〉からナイト・システム名義で出した曲です。

嬉しかったでしょぅ、それは。

HW:はい。と同時に、ニューヨークでのミッション・コンプリートみたいな感じになっちゃったんです。当時ぼくはもう結婚していました。籍入れたのは1996年の終わりころ! なので新婚生活真っ只中だったんです。DJと曲作りが基本だったからお金が全然なくて本当にひどい生活だったんだけど……。

早い!

HW:本当にただ一緒にいたくて。若くて熱かったっすね。

息子さんのカイトくんはまだ生まれてないわけでしょう?

HW:生まれてないです(笑)。






NY時代の自宅スタジオの風景。


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アーティスト・ビザを取っていたので、半永久的にいれたんです。だけど、ぼくは目的があってニューヨークにいたわけで、ただアメリカ生活がしたかったわけじゃないんですよね。音楽に魅了されてニューヨークまでやってきたので、自分の音で勝負しないと何の意味もないと思っていました。


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話を戻すと、ジュニアがヒロシ君の曲をかけて?

HW:嬉しかったと同時に、目標を果たしてしまったというか。自分の気持ちがそこで変わっていくんです。 当時はお金がなかったから、マンハッタンからクイーンズへ引っ越して、住んでいたアパートは屋根に上がれたんですけど、そこに寝そべって星空を見ていたときに、ふっと「俺、日本帰ろう」と思ったんです。奥さんにもその気持ちを伝えて、日本に帰る決断ができて、帰国を決めて段取りを整えているときに、奥さんのおなかに赤ちゃんがいることがわかったんです。このタイミングにはある意味運命を感じた。それがカイトなんですけど。日本に帰ってきて1月後に生まれるのかな。
 だから、子供が生まれるから帰ってきたのねってみんなに言われてたんだけど、全然そうじゃなかったんです。ある意味アメリカでのミッションをクリアし、高校を出てから日本の社会にも触れてなかったから。頭も高校生のまま! で、音楽を作ってきて、ちょっと社会的にまずいんじゃないかとも思ったんです。日本を知らなさ過ぎていたし、日本で社会人の経験がないのがまずいんじゃないのかと。それで戻ったんです。

ニューヨークでは、DJやって、EPを出しているぐらいでは、食っていけない?

HW:ギリギリです。1タイトルを売ると、当時多くて2000ドルくらい。少ないと1300ドルくらい。

それを毎月出すわけでもないしね。

HW:それをコンスタントに繋げて、あちこちでDJをしながら小さなお金をかき集めるって感じでしたね。それでギリギリです。結果的に自分の修業の場になってやれてよかったですけど。
 イースト・ヴィレッジのアヴェニュー・A沿いに、ものすごくハイプなアヴェニュー・A・スシ・バーというのがあったんですよ。やばくって、内装もいっちゃってるんですけど、ニューヨーク中のクラバーが日本食を食べに来るヒップな場所なんですね。入ってすぐに席とDJブースがあって、その奥にまた席があって、さらに奥に寿司を握る場所があるんです。そこに毎日入れ替わりでDJが入っていて、そこに勤めていた友人がやめちゃうんですけど、「ヒロシくん、よかったらやる?」と話をくれて毎週木曜日に回すことになったんです。そこのお客さんは耳が肥えているから、スシ・バーなんだけど本気でDJをしてないといけない。しかも時間も長くてロングセットなんです。そこでいいDJをすると、お客さんが帰るときに名前やスケジュールを聞いてくれるんですね。「ここでご飯を食べている連中を踊らせてやるぞ」くらいな感じで、毎週そこでDJをやってました(笑)。

当時のニューヨークって、いまのベルリンじゃないけどさ、クラブ・カルチャーの中心地だったものね。

HW:その通りですね。そこにテイ(・トウワ)さんとかもいたんですよね。

90年代末は、でも、ちょうどひとつの時代の終わりでもあったよね。それを肌で感じたということもあるんですか?

HW:あります。

ワイルド・ピッチ系のニューヨークのハード・ハウスの流れも、そのころにはピークに達していたもんね。

HW:成熟しきっちゃっていて。言ってみれば、それ以上先はルーティン・ワークになって飽きちゃうギリギリのところで、ぼくはニューヨークから引き上げたんです。ぼくが帰国した2年後にテロがありますよね。それでニューヨークは一気に変わってしまう……。

当時は、日本の状況を何も知らないわけでしょう?

HW:そうです。ニューヨークにいたとき、3ヶ所くらいツアーで日本を回らせてもらったことがありましたけどね。マニアック・ラヴと沖縄のヴァンプと福岡のO/D。マニアック・ラヴやイエローが盛り上がっていたのは知っていました。
 それに、アメリカに10年いようが、日本人は日本人じゃないですか。だから日本で起きているテクノ・シーンのことを、ぼくはすんなりと受け入れられたんですよね。「こんな面白いことをやっているのか!」って見れたんです。日本のシーンがうごめくすごさに関しては、とてつもないものがありましたからね。


Kompaktの昔のレコ屋さん内でDJ中のヒロシ。

しかし当時は多くの日本人はニューヨークに学ぼうとしていたわけですよ。

HW:ただ、ぼくはニューヨークでドラッグ・カルチャーもモロに見てしまったんです。ぼくは正直一切ドラッグはやらなかったので、葛藤はありましたよ。ぼくは音楽でぶっ飛んで欲しいと思っていましたからね。

そこはデリック・メイと同じスタンスですね。

HW:おこがましい話だけど、ぼくはデリックに強いシンパシーを感じるんですよね。ぼくは自分が持っている感覚をフルに使って「さらにぶっ飛ばせる音楽を作ってやろうじゃん」と決意をあたらにしたんです。

帰国して、それからカイトをやるわけですが、その経緯を教えて下さい。

HW:日本に戻って子供が生まれて、家庭を持つことになり、日本の社会に揉まれるんですよね。最初は日本についていくのが大変でした。
 そういう時期、EMMAくんが〈NITELIST MUSIC〉を立ち上げたばっかりで、曲を集めていたんです。ぼくの作った曲の半分はニューヨークくさいもの、半分は日本に戻ってきてもう一度構築しようと実験していたものでした。〈NITELIST MUSIC〉からは、ヒロシ・ワタナベとナイト・システム名義で作品を出してもらうんですけど、ニューヨークでやってきたことを踏まえながら、新しいことをやりたいなとも思っていたんです。ちょうどその頃に、のちにいっしょにトレッドというユニットを組んでアルバムを出すことになる、グラフィック・デザイナーのタケヒコ・キタハラくんに会うんです。彼はヨーロッパの音を当時僕より断然追っていて、とくに〈コンパクト〉レーベルという存在を意識していましたね。彼から「ヒロシくん、〈コンパクト〉にデモを送った方がいいよ」と言われたんです。で、曲を送ったら、1週間後くらいにウルフガング・ヴォイトからメールで連絡が来たんですよ。
 ミヒャエル・マイヤーが言うには、送ったタイミングもすごくよかったみたいです。〈コンパクト〉は、1998年にレーベルがはじまってから、ひと通り出し切っちゃった感があったみたいで、自分たちがどこに向かうべきか話し合っていたときらしく。そこにぼくのデモテープが送られてきた。オフィスでかけてみたら、みんなが反応したそうです。メールには、「ちょうど新しいものを探していたんだよ。お前の音はバッチリだから出そう!」と書かれていましたね。

デザインもよかったですよね。〈セックス・マニア〉の猥雑さとは真逆でしょ。いかにもドイツ的なデザインで。なぜカイト名義にしたんですか?

HW:自分の本名でもよかったんですけど、ヒロシ・ワタナベだと印象がニューヨークすぎるんじゃないかと。でも彼らは日本語名がいいと言っていたんです。日本語名って難しいじゃないですか。日本人にとって日本語名プロジェクトがダサく感じることもあると説明していたんですよ。なかなか良い案が出なかったんですけど、「ちょうど生まれて間もない息子のカイトの名前はこういう漢字で、こういう意味(宇宙の謎を解く)があるんだよ」って伝えたら、「もうそれしかねぇよ!」と決まったんです(笑)。そうやってカイトのプロジェクトが生まれたわけです。だから最初に曲を作っていたときに、息子をイメージしていたわけではないです。

親バカからきたわけじゃないんですね(笑)。

HW:全然違います(笑)! ゼロからはじめて、日本で暮らしながら生まれる音楽ってなんだろうという模索の中から作ったのがカイトです。で、セカンド・シングルの「Everlasting」にジャケをつけることになって、子供の写真を送ったらあのジャケになってたんです。



あれがカイトのひとつのイメージを作ったもんね。

HW:自分が意図的にそのイメージを作り上げたわけじゃないけど、一度出した以上はそれでプロジェクトは走っていく。あの当時はダンス・ミュージックにあんな子供がドーンと露骨に出ちゃうって、なかった。だから自分でも面白いかなと思ったんですね。

当時売れたでしょう?

HW:かなり売れましたね。

だって、2000年代からは、ヒロシ・ワタナベといえばカイトですよ。

HW:自然とそうなっちゃいましたよね。


Kaito Live at Studio 672 in 2002

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デリック・メイと一緒に。

日本でデリックに会ったときに、「お前のサウンドは、俺がデトロイトで追い求めていたものと、はっきり言ってまったく同じものだと思っている」と言ってくれたんです。言っていることが飛びすぎていたから、信じられなかったんですけど、「本当だぞ」って言うんですよ。









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ニューヨークのハウスは、12インチ・カルチャーですよね。しかし、ヨーロッパのテクノにはアルバムを出すというスタンスがある。結果、カイト名義では6枚以上のアルバムを出すことになりますよね。

HW:2002年、最初のアルバムを作り終えたあと、〈コンパクト〉がぼくのライヴ・ツアーを組んでくれたんです。そのとき、ケルンのまだ小さかった頃のオフィスに行ったんです。そこで、カイトの音楽のもとになったビートレス・ヴァージョンをミヒャエル・マイヤーに聴かせたんです。そしたらビートレス・ヴァージョンもこのまま出そうって、その場で決まったんです!

ああ、それが有名な『ポップ・アンビエント』シリーズにも発展するのかぁ。ヒロシ君の曲の特徴のひとつは、メロディだから、ビートレスの作品というのはすごくわかります。また、〈コンパクト〉というレーベルにすごく勢いがあった時代だった。クラブだけではなくて、アメリカのインディ・ロックの連中も、〈コンパクト〉と〈WARP〉はチェックしていたでしょ?

HW:ジェラルド・ミッチェルが「俺はカイトのビートレス・アルバムが大好きで、毎朝起きると聴いてんだぞ。本当だぜ」と言ってくれました。「デトロイトの連中はみんなお前の曲好きだよ」って(笑)。本当なのかなぁと思ってたんですけど、デリックも「デトロイトの奴らはお前の音楽をずっと追っかけてるぞ!」って教えてくれたんです。それって、お世辞じゃなかったみたいで、ぼくは正々堂々と自分の音楽で彼らとつながることに自信が持てたというか。
 そういう人たちって、ぼくにはレジェンド過ぎるので、会うたびに緊張していたんです。デリックとも最初は全然話せなかったんですよ。イエローが閉店する週の同じ日に、デリックがDJでカイトがライヴというときがあったんですね。そのとき初めて話ができたんです。ちょうどデリックの子供が生まれたばかりで、ぼくも三男が生まれたばかりで、子供の話で盛り上がりましたね(笑)。
 それから数年後、日本でデリックに会ったときに、「お前のサウンドは、俺がデトロイトで追い求めていたものと、はっきり言ってまったく同じものだと思っている」と言ってくれたんです。言っていることが飛びすぎていたから、信じられなかったんですけど、「本当だぞ」って言うんですよ。

2003年に〈Third-Ear〉から出た12インチ「Matrix E.P」は、たしかにデトロイティシュでした。メロディの作り方は、いま思えばデリック・メイの好みだったのかな。






「いいかヒロシ、〈トランスマット〉の称号を手にするのはとんでもないことなんだぞ?」と返信が来まして(笑)。「その称号をお前が手にするには、こんなレベルじゃダメなんだ」って(笑)。


HW:デトロイト・テクノって、メロディアスで、哀愁的な感覚も入ってますからね。マイク・バンクスにはジャズやいろんな要素が入って、音楽のアカデミックな部分が盛り込まれてくるけど、旋律的な部分ではみんなに共通項があると思うんです。

なぜいまデトロイトなんでしょうか?

HW:いままでにもいろんな出会い/出来事がありましたけど、今回の一件は強烈でした。ただ、極めて自然な流れだと思うんです。2004年あたりにぼくはギリシャのレーベルからいろいろ出しているんですけど、そのときに出した数枚のアルバムがデリックの手に渡って、DJで使っていたんですね。

そうだったんですね。ギリシャとのネットワークはどうやってできたんですか?

HW:ギリシャの〈Klik Records〉の元A&Rだったジョージっていう最高な友人がいてリアルタイムに「Matrix EP」をレコード屋さんで見つけてくれたんです。あの曲を聴いて、ぼくに直接連絡をくれた。「この音楽を見付けてからもう何回もリピートして聴いてるよ、うちのレーベルから何か出さないか?」と。ちょうど、アテネ・オリンピックが終わった後ぐらいでしたね。




アテネで開催されたBig In Japanの模様。野外の映画館が会場となり2000人以上動員した。2007年6月


2006年、ギリシャでのポスター。

ギリシャって、経済破綻しながら、なんで音楽は廃れないんだろう。いまでもレーベルがあるしね。

HW:しかもいまでもたしかにパーティ・シーンはあるんです。あそこは国柄、人間性がなんというか、すごくあっけらかんとしているんですよね。イタリアやスペインとも似ていますね。暖かくて、国のどこに行ってもオリーブの木があってっていう、そういう土地柄で、ものすごくオープンな人柄という印象です。
 それから、クラブ・ミュージックをボディではなくてマインド・ミュージックとして捉えているんじゃないかと感じます。ぼくの音楽に対しても、グルーヴもそうなんだけれど、その上に乗っかっているものにシンパシーを感じているといつも行く度に思うんです。

ギリシャはけっこうまわってますよね?

HW:アテネを中心にツアーしていますね。多くのDJは、ギリシャに行くと、だいたいミコノス島にあるカヴォ・パラディソという一番コテコテな有名なクラブでやるんです。観光客ばかりで羽振りがいいんで、有名なDJはみんなそこへ行くんですけど、ぼくはギリシャ全土にある、現地人しか来ないような小さいバーから大きなクラブまで回りました。車やフェリーを使って。それを2005年から毎年2回くらいやったんですよ。
 〈Klik Records‎〉が仕掛けたプロモーションも功を奏しました。発行部数が多い一般紙にぼくのCDをフリーで付けたこともありました。だから、一般のひとにもウケたんですよ。あるツアーでアテネのホテルに滞在していて、ちょっとお腹が空いたから何か買いに行こうと思ってホテルを出て、信号のない大きな道路を渡ったんです。そしたら近くに警察がいて「ヘイ!」って言われたんですよ。渡っちゃいけないところだったのかなと焦って立ち止まったんです、そしたら「アー・ユー・ヒロシ?」って警察が言ってきたんです(笑)。

それはありえないよね(笑)。

HW:本当なんです。「アイ・ライク・ユア・ミュージック」って。




なるほど。90年代はニューヨーク、そして2000年代はヨーロッパのシーンとリンクしているんだけど、2000年代に入ってクラブ・カルチャーも変化するじゃない?

HW:〈コンパクト〉はウルフガング・ヴォイトが社長の座を降りた頃から変わったんですよ。小さなレコード屋さんから大きなオフィスに移って、ビジネスやディストリビューションを大きくしていった。しかし、シーンはデジタルに移行していったので、運営が当時一度難しくなっていってしまった様子でした。

そうだよね。インターネットが普及していったのと反比例して、アナログ盤は減った。

HW:マーケットがデジタルへ移行していくことに関しては、僕も抵抗があったんですけど、ぼくはもともと曲作りから入っているんで、DJソフトのトラクターも早い段階で導入したんですよね。コンピュータを現場に導入する感覚って、楽曲を作っている人間にしてみれば、普通なんです。むしろパソコンがあったほうが安心できるというか。だけどよりDJという側面で強く音楽に接してきた人には、けっこう抵抗があったと思います。パソコンの状態の保ち方とか、データの整理の仕方とか、そういう基本的なところから話がはじまっちゃうから。

そういう意味では、なおさら、なぜいま〈トランスマット〉なのかと思いますね。デリックとの対談で「40代のゼロからのチャレンジ」みたいなことを言っているでしょう?

HW:20数年のキャリアを振り返ったときに、いまという現在を通過できるかできないかのチャレンジをしているってことなんです。ニューヨークでジュニア・ヴァスケスがぼくの曲をクラブでかけるか、というチャレンジと同じくらい大きな試練がやってきたというか。デリック・メイが〈トランスマット〉に求めるものを、ぼくが作れるか作れないかって、とてつもなくハードルが高いことなんですよ。

しかも〈トランスマット〉は〈コンパクト〉みたいにコンスタントに動いているレーベルじゃないからね。

HW:デリックは出したいものしか出したくないし、タイミングなんかどうでもいいわけですよ。自分が出してきたどのレーベルでもそうなんだけど、まず自分が作った音楽があって、出来上がったものを渡すのが自然の流れじゃないですか? でも今回のリリースに関してはそうじゃない。数年前ぼくはデリックに「〈トランスマット〉から出せる機会があれば光栄だし、そんな光栄な時を願わくば待っているよ」ってデリックに言ったんです。そのときは「もちろんそのチャンスがないわけじゃないぜ」って答えたんですけど、ぼくはそれをずっと覚えてたんですよね。
 それであるとき、ふたりで熊本にDJをしに行ったんです。そのときに、カイトとしての自分の今の環境や状況の相談みたいな話をしてて、ものすごく親身になってくれたんです。「もちろん俺はカイトの音楽自体ももっと世の中に認知されるべきだし、お前はカール・クレイグと同じような存在であるべきなのに、なぜもっと世界で認知されていないのか俺には理解できない」、「デリック、嬉しい言葉だけど俺もわかんねぇから、理由を教えてくれ」と(笑)。そうやって個人レベルでのやりとりが密にはじまるんですよね。

そのやりとりが面白いんですよね。そういうやりとりはいつぐらいから?

HW:震災あたりからだから、5年前くらいです。

そのときから自分のデモを聴かせていたんですか?

HW:デモを聴かせているというよりも、当時は純粋にぼくが出している曲を聴いてくれていたんです。彼がぼくの曲をDJで使っているのを知ることで、そんな嬉しいことはないと思いながら、ぼくもデリックにしっかり話していいんだなと思えてきて、あるときに、「お前はデトロイトに来てフェスに出るべきだ!」って言われたんです。そりゃいつでも出たいけど、どうしようもないじゃないですか。そしたら「俺が話をつけてやるから、ちょっと待ってろ!」と。それでしばらく経って、また会ったときに「ヒロシ、ごめんな。俺はプッシュしたんだけど、イベントの体制が純粋に音だけで選ぶような今は状況ではなかった。ごめんな」と。そういう見方をしてくれていたんですよね。
 それでデリックは、彼なりにぼくに対してできる最善のことは何かと、考えてくれるようになったんでしょうね。そこまで関係性ができたときにぼくはデリックに曲を渡すんです。忙しいだろうし返事もすぐには来ないだろうなと思ってたんですけど、「いいかヒロシ、〈トランスマット〉の称号を手にするのはとんでもないことなんだぞ?」と返信が来まして(笑)。

はははは(笑)!

HW:「その称号をお前が手にするには、こんなレベルじゃダメなんだ」って(笑)。

すごいね(笑)!

HW:「そこにたどり着く方法は自力で見つけろ。お前には絶対できる。本当に出したかったら、次の〈トランスマット〉からのリリースはヒロシだ」と。デリックがそんなこと言うなんてすごいじゃないですか? 

まあ、すごいですね(笑)。

HW:だけどそれと同時に、いままでにないプレッシャーを感じたんです。いいものができたら曲を出すって言われている以上、作らなきゃいけない。でも作っても「ヒロシ、これじゃない」と返信し続けられたら、ぼくは生きた心地がしないわけです。ずーっと自信をもって音楽を作ってきているし、自分の音楽を感じながらやってきたものの、そこで作れども作れども、もしOKが出ないなんてことが起きたら、デリックの言うポイントに到達できてないってことになる。それは自分の音楽人生であっちゃいけないし、ありえないことだと思ったんですね。

しかしデリックも直球な言葉ばかりを言ってくるんだね。

HW:だから、20年以上のキャリアを積んできたにも関わらず、もう一回ゼロから自分がチャレンジする機会をデリックがくれたとも言えるんですよ。ニューヨークで無心になって作っていた当時の自分がいま新たに蘇ったというか。デリックに「これだよ!」って言われなかったら、俺の20年間はなんだったんだろうと、そのときに思ったんです。そこからはもう、徹底的に作り続けました。

「あの山を登るのに、他の連中はこの平坦な綺麗に舗装された道を行く。しかし、お前は一人きりで裏の崖からロープ一本で登ってるんだ」とか言われたらね(笑)。

HW:「お前は荒野のなかの一人たたずむ侍だ、自身の中に潜む何かを掴むために一人きりでいるんだ」(笑)とか。

そうやって火をつけるのが彼のやり方なんだろうけど、すごいものがあるよね。

HW:最初に送った楽曲は〈トランスマット〉へというつもりではなかったにせよ、しょっぱなが「これじゃない、もっと〈トランスマット〉に相応しいものを作れ」って言われたわけじゃないですか。(笑)だから簡単には曲は送らないと決めたんですけど。なんでもいいわけじゃなくて、自分で彼のいうポイントに到達できたと思えるものでないと送っちゃいけないと思ったし、深く考えると、自分がいいと思ったものに対して「お前はこんなものをいいと思ってんのか?」と反応をされたとしたら信頼も失うことになる。だからそのときに自分は何を作るべきなのかを、いろいろ深く改めて探るようになったんです。

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カール・クレイグやケニー・ラーキンのような不動で唯一無比なデトロイト作品はすでにあるわけだし、DJでもかけてきました。でも過去に曲を作る上でデトロイトを意識したことは一度もなかったんですよね……。









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ニューヨーク時代にハウスを追求し、カイトではアンビエント的な要素もいれつつ、より多様なエレクトロニック・ミュージックをやっていたと思うんですけど、それとは別のコンセプトが必要になってきたときに、何をどうやって考えたんですか?

HW:〈トランスマット〉で選ばれてきた音楽もしっかり一通り聴き返したんです。純粋に改めて「デトロイト・サウンドって何だろう?」という観点から作っても、ヒップホップやガラージ・ハウスを真似するのと結局同じことになってしまう。そんなことでは絶対にダメだし、そんな方向をデリックが求めていないことはハナっからわかってたんです。とはいえ、カイトのまんまやることはぼく自身が納得できなかった。それは〈コンパクト〉や他のレーベルでやればいい。やっぱり〈トランスマット〉から出すのであれば、その歴史の名に恥じないものを作らなきゃいけない。ぼくが好きなカール・クレイグやケニー・ラーキンのような不動で唯一無比なデトロイト作品はすでにあるわけだし、DJでもかけてきました。でも過去に曲を作る上でデトロイトを意識したことは一度もなかったんですよね……。
 例えばグレッグ・ゴウ(Greg Gow)やステファン・ブラウン(Stephen Brown) とか、マイクロワールド(Micro World)、特にジョン・ベルトランなんかはめちゃめちゃメロディアスで、ディープで綺麗で繊細だし。デリックのすごくホットなDJプレイのシーンだけじゃなくて、彼自身の音楽の好みや〈トランスマット〉が歩んできたルートを紐解いていけば、そもそもなんでカイトにシンパシーを感じてもらえ、DJでも使ってくれている理由とかもより明確にわかってきたんですね。

自分の武器が何なのかがわかってきたということ?

HW:そういうことです。ぼくが何かに合わせるということよりも、自分が本来持っているものの何をデリックは見ていたのかを、自分でもう一度探し求めたといいますか。

今回のアルバムは、いままでのヒロシ・ワタナベ作品のなかではもっとも感情に訴える音楽ですよね。それが大局的な意味で言うところのデトロイティッシュなものですよね。ブレインでもボディでもなく、エモーションに行くっていうね。

HW:タイトルや曲の情景が出来上がるにつれて、自分が導かれていく場所はタイトルが示しているものだってわかっていきました。生きている意味だったりとか、自分が生かされている場所だったり、そんなところまでさかのぼって音に気持ちを込めざるをえなかったんです。もちろんアルバムの2曲目を聴いてみると、自分がニューヨークで体験したことが現れていたりするんです。野田さんのライナーにも書いてくれていましたけど、逆に“Heliosphere”なんかはデリックが好きなカイトのテイストだと思うんです。アルバム全体には自分のいろんな部分が散りばめられているんですよね。

そういう意味でいうと、ヒロシ・ワタナベがいままでやってきたことが集約されているんだけれども、やっぱりデリック・メイに火をつけられた部分というか……

HW:40半ばで心が少年になっちゃったんですよね。一度もレーベルから出したことのない時代にさかのぼって、気持ち的には本当にあの頃に戻っていたというか……。あの頃って、本当に血眼になって楽曲を作っていたというか……。

デリックとヒロシくんの関係がはまったんだと思います。たとえば“The Leonids”という曲は、本当に素晴らしい曲ですね。

The Leonids (ele-king exclusive preview)
https://soundcloud.com/kaito/the-leonids-eleking-exclusive-preview/s-wpIVz

デトロイティッシュであなりながら、ヒロシ・ワタナベらしい繊細さ、ソウルフルな展開……。

HW:人種を飛び越えたところでのソウル・ミュージックって何だろうって考えましたね。「特定の生まれもったルーツがないとソウル・ミュージックとは言えないのか?」と。言葉がないダンス・ミュージックってそういうところを越えていけるような、ものすごく特殊な音楽だと思うんです。本当の意味で魂や人種を飛び越えることが、どのように音が変換されていくのかを見てみたかったんですよ。

それもデトロイト・テクノの重要なコンセプトでですね。例えば、ケンドリック・ラマーというヒップホップのひとがいて、ぼくはいま大好きなんですけど、彼はソウルやファンクもちゃんとわかっていて、ジャズやフライング・ロータスのような最新のエレクトロニック・ミュージックも取り入れている。なによりも弱き者たちへの力強いメッセージもある。しかし、そこで主に参照されるのは、やはり自分たちの内なる文化、アフリカン・アメリカンの文化なんですね。
 デトロイト・テクノのすごいところは、彼らは自分たちの内側だけを参照しないところなんです。ヒロシ君もよく知っての通り、自分たちの内なる文化を誇りとしながら、ヨーロッパであるとか、他の文化にどんどんアクセスする。90年代にぼくが初めてデトロイトへ行ったときに、友だちの車で最初に流れたのがエイフェックス・ツインだったんですね。ぼくにはものすごい先入観があったんですね。黒人はエイフェックス・ツインを聴かないだろうっていう。しかし、真実はそうではなかったんです。デトロイト・テクノは、アフリカン・アメリカンであるということだけでは完結できないんです、そして、それを彼らは“未来”と言ったんですよね。
 どこまでデリックが意識しているのかわからないけど、〈トランスマット〉は早くから、アラブ系とか、中国系とか、アメリカ人でも主要ヨーロッパの人たちでもない人たちの曲を出していますよね。しかも彼は、日本のことが大好きだから、もっと早くに日本人の作品を出したかったかもしれない。だから、ヒロシ・ワタナベの作品を出せたことは、彼自身も嬉しかったんじゃないのかな。あるいは彼は気まぐれな男だし、商業ベースでレーベルを運営していくタイプでもないんで、出会いのタイミングもあったとは思うけどね。ちなみにこの「マルチヴァース(Multiverse)」というタイトルですけど、これは人種を超えた何かを表しているんですか?

HW:そうです。次元を飛び越えたところで、自分たちが存在する意義とは何かと。音や自分が生きてきた証のなかで、しっかりと正々堂々と繋がってこれた関係性でもあるわけじゃないですか。そういうなかで、もっと飛び越えた次元で自分が生きていることが最終的にどんな証になるのか、この機会に自分の気持ちを盛り込まなきゃと思ったんです。

どこで意識されたのかわからないですけど、世界情勢をみると、それはタイムリーなメッセージですね。アメリカもヨーロッパもすごく難しい時期にきていますね。もちろん日本も。

HW:本当はもっと飛び越えていかなきゃいけないんですよね。みんな本当のところはわかっているんだから。

DJカルチャーの重要さもそこにありますよね。さっきのギリシャの話もそうだけど、ぼくたちは日本に住んでいるけど、ムーディーマンのDJを通じてデトロイトのインナー・シティのソウル・ミュージックを聴くこともできる。南ヨーロッパの辺鄙な街で生まれたハウス・ミュージックを聴くことができる。大げさに言えば、普段は出会うことがない文化にDJを通して触れることができる。DJはある意味では文化の運び屋なんだけど、同時に文化をミックスすることもできるんですよね。

HW:音楽というところで繋がっているひとたちは、DJに限らずいろんな国や人種にふれたときに、問答無用にひとつになれることを体感しているわけじゃないですか。それこそ僕たちが地球全体で抱えている問題って実はすごくシンプルで、人種なんか関係ないはずです。ところが、国が大変になってくると、政治や宗教が原因でいろいろな事件が起きる……そういう意味では、ぼくがいま感じられることは注ぎました。野田さんの素敵なライナーもありがとうごいました! ぼく自身のメッセージもあえて添えましたし、きっとトータルで音や言葉からそれらを感じてもらえると思います。

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