「ele-king」と一致するもの

vol.29:星は天文学に無関心! - ele-king

 ナダ・サーフは青春。彼らを見るたびに、呟いてしまう。40代前半だというのに......。
 1月24日、ニューヨーク出身のナダ・サーフ(Nada Surf)のホーム・カミング・ショーだった。この日は彼らのニュー・アルバム『The Stars Are Indifferent To Sstronomy』(星は天文学に無関心)の発売だった。「このアルバムは、プラックティス・ルームにいるような感覚で、新しい曲のエネルギーを持ってレコーディングした。やり過ぎたかなと思ったけど、あえてそのままにしてみた」と、ヴォーカル&ギターのマシューは言っている。曲名もまた、希望と未来を感じさせる。"若かった頃(When I was Young)""(まっらな目と曇った心(Clear eye clouded mind)""10代の夢(Teenage dreams)""未来(The future)"......楽曲もみんなポジティブである。
 ポップとロックンロールをこよなく愛する3人から生み出される、ラッシュなビート、コード、美しく、ナイーヴな旋律。そして胸がキュンとなる甘いヴォーカル、ハーモニー。「10代の夢に遅すぎることはない(it's never too late for teenage dreams)」と歌うマシューは本当に10代のようにみえる。この言葉は、ナダ・サーフのすべてのレコードに共通する彼らの声明である。7枚目のこのアルバムで、彼らの経歴は20年目に突入する。

 バンドはこのアルバムを、ウィリアムス・バーグでレコーディングしていた。マシューは、私の家の近所に住んでいて、「いま、レコーディングをちょっと抜けてきたんだ」と言いつつ、よくカフェに現れ、ディナーをとって、赤ワインを飲み、最後にスイーツをテイクアウトして行く常連さんだった。音楽の話題になると話が止まらなくなった。仲間のパーティにも参加してくれた。気軽に話せる気の良いお兄さんである。
 このアルバムのレコーディングが終わって、彼はロンドンに引っ越し、あっという間に半年だった。彼の性格上、頻繁にコンタクトを取る人ではないので、彼らの近況はわからなかったが、何カ月か前に「ナダ・サーフが新しいアルバムをリリース。ツアー決定!」のニュースを知った。そして1週間ほど前に「来週からニューヨークに行くよ。ライヴに遊びにきて!」という彼からのメッセージがきた。見逃すことはできない。お祝いだ。
 ニュー・アルバムのアートワークの素敵なペインティングは、彼の友だちで、アーティストのグラハム・パークスが担当している。シルク・スクリーンのポスターについては、モンスター・アイランド(RIP)の住人だったカイ・ロックが10年も担当している。

 ショーはソールドアウトだったが、この日のショーは、彼らのYoutubeチャンネルでストリームされている。たまたま同じ日にYoutubeを見ていた友だちは、そのことに驚いて、私に教えてくれた。
 ライヴでは、リード・ギターにガイデッド・バイ・ヴォイシズのダグ・ジラードが参加した。ベースのダンとドラムのイラはネクタイ、マシューは黒のボタン・ダウン・シャツ。ふだんと同じスタイルである。ドラムは高いところにセッティングされていて、バスドラには黄色で「NADA SURF」を描かれている。
 演奏はほとんどが新曲だった。レコードをリリースできたことに感謝、関わってくれた人への感謝、2012年が良い年になるようになどとMCが入る。古い曲を演奏すると、会場は一緒になって歌う。アンコールでは名曲"Always Love"を演奏。最後はニュー・アルバムからの曲"Looking Through"。観客はナダ・サーフという10代の夢を心から応援する。絵に描いたような、素晴らしいロック・コンサート。

St. Vincent - ele-king

 厚い化粧と真っ赤な口紅、丈の短いドレスから覗かせた足元にはヒール靴、そして腕にはエレクトリック・ギター。数年前、US版『GQ』でのドレスアップしたインディ・ミュージシャンのフォトシュート企画で、デヴィッド・バーンとサンティゴールドとともにそんな姿でポーズをキメるセイント・ヴィンセントことアニー・クラークが自分のなかで強く印象に残っている。いよいよ彼女もアイコンめいたところにやって来たのだなとそのとき気づかされたのだが、と同時に、どこかがアンバランスなその立ち姿こそが彼女がひとの目を引きつける理由なのだと感じたのだ。それはそのまま複雑な形を持った彼女の音楽にも通じるところがあるのだが、演奏する姿はいったいどんなものなのだろう。その佇まいをどうしても見ておきたかった僕は、東京で一公演だけの来日に足を運んだ。

 ドラム、シンセ、キーボードをバックに携えたアニーはまさに、観客が期待していた姿で現れた。高いヒール靴とタイツにはどこか不釣合いに思えるエレキ、だが彼女自身はその両方が自分にとってのステージ衣装だと言わんばかりに落ち着き払っている。1曲目はスペーシーなイントロから"サージョン"。はじめギターにシールドを挿し忘れるミスがありヒヤッとさせるが、ひとたびギターのフレーズが差し込まれるとトリッキーな構造の楽曲が目の前で鮮やかに組み立てられていく。たとえばダーティ・プロジェクターズの名前がその比較に挙げられるような、やや少ない音数の絡み合い(あるいはすれ違い)の妙で耳を楽しませるセイント・ヴィンセントの楽曲だが、何よりもギターがその中心にあることが実際に目で見ると分かりやすい。曲の後半、捻じ曲がっていくシンセ・サウンドのなかでアニーによるギターが高音へとドライヴし、息を呑むテンションと高揚がもたらされる。
 続いて披露された"チアリーダー"の「でもわたしはもうチアリーダーになりたくないの」という歌詞が示唆的だが、他者(とくに男性からの視線)の期待に応えることのできない自分への葛藤がセイント・ヴィンセントの歌には内在しているように思える。だからと言って強く反抗的な態度を取ったり何かを強く主張するわけでもなく、ありがちな「等身大」の女性像にも逃げ込むこともない。いつもどこか居心地の悪そうな、「異物」としての存在感が彼女には備わっている。橋元さんがレヴューでミランダ・ジュライの名前を挙げていてなるほどと思ったが、たしかにジュライの監督作『君とボクの虹色の世界』にアニーが映っていてもおかしくはない。風変わりな人間が風変わりなままでお互いに折り重なっていく、そんな世界の住人の音楽であるように聞こえる。そうしたアニー自身の内側にある複雑さを、技巧を凝らしたギター・ワークやサウンドの多彩さで外側に軽やかに放り投げたのが『ストレンジ・マーシー』であったが、この日のライヴはまさに彼女自身のギター・プレイによっていくらかの生々しさを伴いながらその過程が再現されていた。
 曲間になると、バックでシンセを演奏するトーコ・ヤスダがMCの通訳をして観客を笑わせる場面もあった。そんな姿のアニーは紛れもなくチャーミングなのだが、艶っぽく流麗な歌声を聞かせたかと思えば突如として激しくギターをかき鳴らすし、ザ・ポップ・グループのカヴァー"シー・イズ・ビヨンド・グッド・アンド・イーヴル"ではドスのきいた声さえ聞かせてみせる。そこではアイコン的な完成度の高いクールさよりも、アウトプットがどうしても歪な形になってしまう危うさのほうが上回っていたように感じた。この日も演奏された"マロウ"における「ヘルプ・ミー」の呟きはおそらくは彼女自身の切実な悲鳴なのだろう。が、それがキッチュでごつごつした感触のエレクトロニック・ポップになってしまう回路のややこしさこそが、彼女から目を離せない理由だ。ライヴのハイライトのひとつであった"ノーザン・ライツ"で髪を振り乱しながらテルミンを荒々しく演奏し、そして終いにはブチ倒した彼女の内側の烈しさを、僕たちは歓声を上げつつもハラハラして見つめ続けるしかないのだ。
 だが、そこにはライヴならではの感情的な交感があったこともたしかだ。アンコールではアンニュイでドリーミーな"ザ・パーティ"で厳かな空気を作り上げ、ラストの"ユア・リップス・アー・レッド"でオーディエンスにダイヴしギター・ソロを弾くアニーを、東京の観客は文字通り「受け止めた」。アーティでカッコいい女、では済ませることのできないややこしさが彼女の音楽にはつねにあって、それと向き合うのは気軽なことではないだろう。だが、隠されたものが思いがけず外に飛び出してしまう様を目撃するようなスリルを伴ったその日のライヴは、どこか官能的な味わいすら含んでいたように感じられた。

Washed Out - ele-king

 ジョージア州のペリーという小さな町の彼のベッドルームの夢想はリキッドルームをターンオンさせることができるのだろうか......。サンプリングとスクリューによるフラットしたまどろみは、モラトリウムのけだるいサウンドトラックは、本人が望んだこと以上の騒がれた方をしてしまったがゆえに矢面に立ち、そしていち部の大人たちから非難を浴びていることは読者のみなさんもご存じのはずである。
 開演直前に到着、カウンターでビールをもらって、ドアを開けると照明が落ちて、12インチ・シングル「余暇の人生」に収録された"ホールド・アウト"がはじまる。中央には黒いドレスを着たブレアがシンセの前に立っている。彼女こそ「余暇の人生」のアートワークで黄昏色の海に浮いている女性で、アーネスト・グリーンの奥さんだ。その左にはグランジ・バンドでもやっていそうなベーシストが立ち、右側にはアーネスト・グリーン、そして後方にはドラマーがいる。心配されていたことだが、アーネストの手元にはiPadがあった。それがわかった瞬間、「やばっ」と思った人は少なくなかったろうが、演奏は思ったよりもしっかりしていた。バンドとしての体をなしていたし、黒い髪を振り乱しながら歌うブレアはステージ映えしていた(ビーチ・ハウスのヴィクトリアを意識しているようにも思えた)。

 チルウェイヴに限らず、打ち込み音楽(エレクトロニック・ミュージック)においてライヴPAは20年前からのテーマである。バンドと違って地道な鍛えられ方をしていないし、それ以前の問題として作り手の多くはステージング(芸人根性)というものを知らない。プログラミングされたループを垂れ流し、ミキサーをいじるだけなら生演奏とは呼べないし、ライヴをやる意味がない。が、それでも大受けすることはままある。
 僕が昨年行った打ち込み音楽のライヴに関して言えば、ベストは迷わずANBBで、次点でハーバートURだ。ANBBに関しては、照明美術からブリクサのパフォーマンス、そして周波数の魔術師たるカールステン・ニコライの驚くべき"演奏"にいたるまで見事というほかなかった。残念だった点があるとしたら客があまりに少なかったことぐらいだ。ハーバートは彼の政治的主張のユーモラスな見せ方において、URはジャズ・ファンクの迫力ある演奏において、ライヴとしての醍醐味が十二分にあった。

 ウォッシュト・アウトは、とくにはしゃぐ様子もなく、慎重に演奏しながらそのけだるさを快楽へと変換した。ダンス・ミュージックの影響下にあるゆったりとしたグルーヴのなかには、チルウェイヴ特有の甘いメランコリーがある。ほとんどレコードに忠実に演奏されていたが、彼らの催眠ループで眠たくなることはなかった。おおよそ他の音でかき消されていたとはいえ、アーネストのヴォーカリゼーションとブレアのバック・コーラスも感じの良いものだった。ウォッシュト・アウトがオーディエンスを完璧に現実逃避させるにはもう少し時間がかかるかもしれないが、バンドには美しい調和があったし、気持ちのこもったショーだった。ヨーロッパ・ツアーやATPへの出演など、けっこう場数を踏んできた痕跡がある。
 なにせ過去2回の来日ライヴを見ている人間からは芳しい感想を聞いた試しがなかった。2回とも見ている友人によれば「いままでいちばん良かった」そうで、ウォッシュト・アウトにとって不幸だったのは、内気で密室的なこの音楽が、まだライヴ慣れしていないのに関わらず野外フェスに2回も呼ばれてしまったことかもしれない。今回が初来日だったら、もっと良い反応を得られたはずだ。ちょっと可哀想に思える。
 最後の"ユール・シー・イットで何人かのオーディエンスは両手を広げて踊っている。アンコールの2曲は"デディケーション"と"アイズ・ビー・クローズド"だった。わりとあっけなく終わったが、まあ、全13曲、ほとんどのオーディエンスを惹きつけていたように思う。風評というのは本当に恐ろしいモノで、ジェームズ・ブレイクを神々しく見えてしまう人もいれば、ウォッシュト・アウトをスルーしてしまう人もいる。おかげさまで快適な状態でこの音楽に浸ることができたわけだが。

こだま和文 from DUB STATION - ele-king

 世界でもっとも悲観的で、自虐的で、感傷的なダブ・トランペッター、我らがこだま和文のバースデイ・ライブが2daysに渡って開催される。なんでも57歳だそうだ。57歳まで生きられればずいぶんご立派なものだが、『寒い男のDUB生活30周年、たんじょうび。べつにめでたくもなく』とは本人が付けたタイトルだそうである。場所はいつもの六本木通り沿いの「新世界」。乃木坂から歩いて10分弱。六本木ヒルズの筋迎え。20年前ならハウスやトランスが響いていた怪しげなエリア。いまではハウスのハの字もありゃせんが......。

 今回はターンテーブルにトランペットというレギュラーセットに加え、ゲストとしてSLEEP WALKERで活動中の実力派キーボディスト、吉澤はじめを招いてスぺシャル・セッションが実現!

こだま和文 from DUB STATION 『寒い男のDUB生活30周年、たんじょうび。べつにめでたくもなく』

1月28日(土)
開場19:00 開演20:00
こだま和文from DUBSTATION W/DJ GINZ-I(from名古屋)
ゲスト:吉澤はじめ(SLEEP WALKER)

1月29日(日)
開場18:00 開演19:00
こだま和文from DUBSTATION W/DJ-YABBY
ゲスト: 吉澤はじめ(SLEEP WALKER)

@西麻布「新世界」
https://shinsekai9.jp/
前売り予約:¥3,500(ドリンク別)/ 当日券:¥4,000(ドリンク別)

〔インフォ・チケット予約・お問い合わせ先〕
西麻布「新世界」
https://shinsekai9.jp/2012/01/28/kodama5/
TEL: 03-5772-6767 (15:00~19:00)
東京都港区西麻布1-8-4 三保谷硝子 B1F


こだま和文 from DUB STATIONプロフィール

1982年、ライブでダブを演奏する日本初のダブ・バンド「MUTE BEAT」結成。通算 7 枚のアルバムを発表。1990年からソロ活動を始める。ファーストソロアルバム「QUIET REGGAE 」から2003年発表の「A SILENT PRAYER 」まで、映画音楽やベスト盤を含め通算8 枚のアルバムを発表。プロデューサーとしての活動では、フィッシュマンズの1stアルバム「チャッピー・ドント・クライ」、チエコ・ビューティの「ビューティズ・ロック・ステディ」等で知られる。また、DJ KRUSH、UA 、エゴラッピン、LEE PERRY、RICO RODRIGUES等 、国内外のアーティストとの共演、共作曲も多い。

ASIAN KUNG-FU GENERATION - ele-king

こんなにも遠くまで......希望を探す迷子犬としてのAKG文:竹内正太郎

嗚呼......なくす何かを
ほら 喪失は今にも口を開けて僕を飲み込んで
"ムスタング"



ASIAN KUNG-FU GENERATION
『BEST HIT AKG』

Ki/oon E王

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 ロスト・ジェネレーション――辞書的には、「第一次世界大戦中に育ち、戦争体験や混乱期を経て人生の方向を見失った人たち」(『GENIUS』)とある。しかし、もはやそれは、"第一次世界大戦中"と限定されてはいない。いわゆる「大きな物語」が放つ磁場に羅針盤をやられ、手元の小さな矢印がグルグルになったまま、自己責任社会をあてもなくさまよう人たち。この国においては、1975-80年前後に生まれ、いわゆる就職氷河期に学生生活を終えた世代、とされている。アジアン・カンフー・ジェネレーション(以下、AKG)が「さよならロストジェネレイション」(2010)を発表したとき、その言葉を直接使用したことに、なにか決意めいたものを感じるとともに、もう後には引けない舞台に立ってしまったのだと思った。彼らはある時期において、虚構の世界を脱し、ダラダラと夢を語り(騙り)続けるよりはそこから徹底的に醒めていることを選んだのであり、とくに『ロッキン・オン・ジャパン』界隈では、タブーであるかのように不自然に切り離された、現実と虚構の関係性をめぐる文学(AKGの場合は、もちろん"ロック")の再考を自覚的に試みてきたバンドでもあった。

それを拒むように世界は揺れて 全てを奪い去る
夢なら覚めた
だけど僕らはまだ何もしていない
"アフターダーク"

 とはいえ、AKGが最初からそのような思想を持っていたとは思えない。自らがロスト・ジェネレーションでもある後藤らがまず志したのは、ロックによる含意なき衝動であり、バンド演奏によるフィジカルな発散であった。代表曲が時系列で並べられた『BEST HIT AKG』を順に聴いていけば、それが、頭から突っ込んでいくようなギター・ロックの無謀さから、より慎重な、内省を直視する言葉と、複雑なリズム・パターンを持つ(いわば)モラリスティック・ロックへと少しずつシフトしていく歴史が体感できるはずだ。
 もっとも、その後の変化への伏線となるモチーフが、初期の楽曲にも散見されるのもたしかだろう。本作に収録こそされていないが、羅針盤、 デリート&リライト、鳴らせサイレン......。『君繋ファイブエム』(2003)は、いま思えば、AKGにとって最後の思春期だった。そして、本格的な転機は、500,000枚以上を売った『ソルファ』(2004)を殺すかのように、訪れる。
 おそらくは彼らの、メインのリスナー層にあたる年代が抱えるなにがしかの精神的トラブルを念頭に置いたのであろう、第三者の自閉的な態度に対する真正面からの介入を試みた『ファンクラブ』(2006)は、その親密なタイトルとは裏腹に、多くのファンを突き放すことになる。例えば9.11に象徴される、同じ空の下に確実に実在する暴力、破壊と、シェルターにくるまれた過敏な自意識を、彼らは強制的に接続しようと試みたわけだが、アルバム全体に散りばめられた具体性が、リスナーの実生活とショートしてしまったのかもしれない。「逃げ切ることはできない」と、彼らはある意味で警告していたのだろう。

 そして、『ファンクラブ』による商業的な文脈でのバックラッシュなのか、AKGはその後、『ワールド ワールド ワールド』(2008)、『未だ見ぬ明日に』(2008)と、関係性の具体的な思索をなかば放棄し、スピーディなビートによる撤退戦のなかで、摩耗しながらもキャッチーな希望を虚構のなかで優しく語って(騙って)いく道を選ぶことになる。また、ロックンロールに対するメタ言及もじょじょになされるようになり、自らの批評精神に対してどこまでも誠実であろうとする姿は、その過敏さにおいて悲痛でもあった(筆者は、リスナーとしてはここでいちど離れている)。
 もちろん、彼らは『サーフ ブンガク カマクラ』(2008)という小休止を挟み、そのいっさいを放棄することもできた。しかし、AKGはうんざりするような困難の方角を選び、『マジックディスク』(2010)では、楽曲のアレンジにはブラスなどによる祝祭的なムードさえ散見されるようになるいっぽうで、後藤のリリックが抱える世界観においては、「(何かが)失われた」という感覚がいつからか支配的になっていく。それは、後藤が読者であることを明かしている村上春樹の作品に度々登場する、「(何かが)損なわれた」という感覚に近いのかもしれない。少しずつ失われていく、損なわれていく何か。心が内側から少しずつ破れていくような。

朝方のニュースでビルに飛行機が突っ込んで
目を伏せるキャスター そんな日もあった
愛と正義を武器に僕らは奪い合って
世界は続く 何もなかったように
"新世紀のラブソング"

 もっとも、最初から持っていなかったものを、どうやったら失えるのか? 同様に、どうしてそれを奪い合うことができるのか? さらには、失ってもいないものに対して、しかも失っていないことを自覚した上で、どうして悲しくなれるのか? という疑問を、私は隠すべきではないだろう。そう、いつの間にか与えられた喪失感に対して、出口のみが提示される、AKGの前向きさを私はときに危うくも思う。そして、彼らのデリート&リライトは続く。新曲"マーチングバンド"(2011)もそうだが、彼らの音楽は、結局のところ顔の見えない不特定多数に向けられ、輪郭のない希望を歌うことの不可能性を前に、確信を持てずにいるように思える。
 そして、原罪のように背負った、先天的な喪失からくる断念は、3.11による暴力的な喪失と交わりつつ、"LOST"(後藤正文、2012)にも大きく影を落としている。アレンジはやや平坦だが、そこで後藤は、ほとんどすべてのものを失うことを自覚したうえで、それでも得ることを明確に肯定する。ある種の逆説をテコに、「喪失できるものがある」ことをそのまま反転させてしまうこと。それをロックンロールのカタルシスと呼べるほど、私はもう若くはないけれど、彼がたどり着いた暫定的な答えは、その一点のみにあると、ほぼ言い切れる。希望を探す迷子犬としてのAKGにも、この曲は大きな指針を与えるかもしれない。

 最後に......もう少し実際的なことを述べておこうと思う。あらゆるベスト・アルバムがそうであるように、『BEST HIT AKG』も、決して完璧なコレクションではないし、筆者の満足する選曲にはなっていない(おそらくは、あなたもそうだろう)。全体的に、ロック・バンド然とした、大味の、ややざっくりとした曲が多いし、そんな風にケチをつければキリがないが、少なくとも"ソラニン"の代わりに収録されるべきは"ワールドアパート"だったし、ベスト盤と言えども、作品としては"迷子犬と雨のビート"で終わるべきだった。様々な事情があるにせよ、仮に自身が、『マジックディスク』に自信を持ち切れていないのだとしたら、それはとても残念なことだと思う。
 そして、これだけは付記しておかなくてはならない。ある意味でいま、ここに集められた17のどの曲よりも耳を傾けるべきなのは、"砂の上"(後藤正文、2011)である。他人の現実的な喪失に寄せて録音されたこの曲は、洗練とはかけ離れた場所で、むきだしの理想を掲げている。悪意やディスリスペクトはあるだろう。しかし、それを冷笑せずに受け取るリスナーを獲得できたことが、AKGが賭した10年そのものなのだと思う。思えば、本当に遠くまで来たものだ。拍手よりも敬礼を贈りたい。

文:竹内正太郎

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「セカイ」から「世界」へと 文:加藤綾一


ASIAN KUNG-FU GENERATION
『BEST HIT AKG』

Ki/oon E王

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 アジアン・カンフー・ジェネレーションはいまからちょうど10年前、インターネット文化がいよいよ僕たちの生活に大きく介入しはじめた頃、それらに染まることを拒否するかのように登場している。「偽る事に慣れた君の世界を/塗り潰すのさ、白く、白く」("遥か彼方"、2002年)
 彼らにとって初めてのフルレンスのタイトルが『君繋ファイブエム』であるように、そこには「君」と「僕」との半径5mの「セカイ」が中心に描かれていた。理想と現実の狭間で揺れ、独り善がりな存在証明、承認欲求、絶望、後悔、そして自己懐疑と自己啓発を繰り返しながらがむしゃらになって「世界」に立ち向かう――しかしそれは結局のところ「セカイ」であって、「僕」は再び落胆することになる――姿は、図らずもこのポストモダンを生きるユースが抱える閉塞感とリンクした。
 湿っぽい日本情緒とそれを振り払うように叫ぶ荒々しいエモーションはイースタン・ユースから、諸行無常の観念を想起させる抽象性を帯びた言語感覚はナンバーガールから、パワー・コードで突っ切る瑞々しい蒼さはアッシュやジミー・イート・ワールドから、過剰な自意識と内省を多分に孕んだパワー・ポップはウィーザーから......90年代のオルタナティヴな季節を経てきたそれらのギター・ロックを参照した彼らの音楽性は、そのときどきでポスト・ロックや管弦楽に片足を突っ込むことはあれど、いまでもそこから大きくはみ出ることはない。その曲がダンスのビートであっても、「見え透いたフォームの絶望で空回る心がループした/何気なく何となく進む淀みあるストーリー」("君という花"、2003年)といった冷めた現状認識があり、そして「由縁/失って彷徨って垂れ流す僕の今日を/走り出すエンドロール/つまらないイメージを壊せ/そうさ」("ループ&ループ"、2004年)といった前向きさもある。彼らがもっとも敬愛するバンドのひとつ、オアシスのように。
 しかしAKGは、さらにまた、時代の重たさを背負う方向へと舵を取る。より社会的な「世界」と向き合うことになった2008年の『ワールド ワールド ワールド』において、「夢なら覚めた/だけど僕らはまだ何もしていない/進め」("アフターダーク"、2007年)と歌えば、"No.9"では日本国憲法第9条の改正反対の意を表している。そして続けるように、「出来れば世界を僕は塗り替えたい/戦争をなくすような大逸れたことじゃない/だけどちょっと/それもあるよな」("転がる岩、君に朝が降る"、2008年)と、より直接的な表現によって、その政治的主張を述べる。その後の"新世紀のラブソング"(2009年)にて、9.11の悲劇に触れながら絶望と希望を力強く歌う彼らは、かつてないほどシリアスな表情を見せるようであった。

 本作は、AKGにとって初めてのベスト盤であり、ゼロ年代を通して「セカイ」から「世界」へと向き変えることで、社会派へとゆっくりとシフトしていった彼らのこの10年の変遷をたどる記録である。そしてここには、10年のなかのわずか1年であるのにもかかわらず、3.11が大きな意味を持たされている。彼らにとって今回の震災と原発事故がいかにショッキングなものであったかは、ヴォーカリストの後藤正文が新たに立ち上げたWEBメディア/フリーペーパー『TheFutureTimes』)、そして昨年末に発表された"マーチングバンド"のカップリング曲"N2"における脱原発の主張を聴けば明白だ。この国のメインストリームの音楽にもU2やレディオヘッドのアティチュードと共振するバンドがいることを感慨深く思うのと同時に、複雑な気持ちにもなる。悲劇が彼らを強くさせたのも事実だからだ。
 『TheFutureTimes』にてダウンロード販売されている後藤正文によるソロ曲"LOST"には、震災の前に書き上げたとはにわかに信じがたい、3.11のアフターマスを連想せずにはいられない示唆的なラインが含まれている。「まるで僕らは初めから/全てを失うために生まれたみたいだな/いまならまだまだ/そうさ僕らこの場所から/全てを失うために全てを手に入れようぜ」

 選挙権を得てから6年が経っている僕にとっては、漏れ続ける放射性物質や不手際だらけの政治などこの国の散々たる現状について考えたとき、D.Oの"イキノビタカラヤルコトガアル"(2011年)での「いまから生まれてくる君へ/こんな世の中でごめんよ」という自虐的な嘆きのほうがまだ気が楽になる。いまのAKGには良くも悪くも、こうしたユーモアの入る隙がない。たとえば神聖かまってちゃんがいみじくも「いまは起こさないでね」("コタツから眺める世界地図"、2011年)と歌うように、前向きな現実逃避としてのチルウェイヴは世界規模で拡大している。AKGの生真面目さは、こうしたトレンドのなかでは浮いているかもしれない。だとしても彼らは、いまや無視することなど到底できないバンドとして存在している。『BEST HIT AKG』は、よりいっそう重苦しい時代へと進んでしまった僕らにのしかかる虚無を振り払おうとする、AKGの実直なまでの気概を伝えている。
 それゆえか、初回盤に付属されるDVDに収められた『君繋ファイブエム』全曲のスタジオ・ライヴを観ていると、当時には感じなかったある種の親密さをもって聴こえるのは興味深い。なかでも、歪んだ鬱屈さえも肯定する"アンダースタンド"、オアシスの"リヴ・フォーエヴァー"のギター・ソロを引用した"E"は感動的ですらある。それは、かつて「セカイ」のなかで佇んでいた「君」と「僕」のナイーヴな感情をいまこそ揺り動かそうとしているかのようだ。

できる限り可能な限り遠くまで/溶け出して沈みそうな泥の船
ここから僕のスタート/そうさすべてが窄みゆくとも
ここから君のスタート/その手伸ばせば目の前さ、ほら
広がりゆく未来へ/君の未来へ
"E"

文:加藤綾一

V.A. - ele-king

 行ったことはないので、詳しいことは知らないけれど、05年に大阪でスタートし、橋下徹によるクラブ粛清を察知したか(紙エレキングVol.4参照)、09年からは東京に拠点を移したディスコトピアというパーティから初のフィジカル・リリース(これまではスターキーやアイコニカをリミックスに起用したBD1982のEP「VHSナイト」など配信オンリー)。オーガナイザーの名前がマット・リン、アム・ライン、ショーと、おそらく日本人ではないようで、これにニューヨークからBD1982が加わって、ベース・ミュージックやテクノなど、センスのいいダンス・ミュージックがまとめてコンパイルされている。このような曲がかかっているパーティが東京にあったんですねー。

 オープニングはほぼストリングスだけで構成されたBD1982"サンシャイン"。いかにもオーヴァーチュアーといった雰囲気で、続いてヴィジョニスト(=ワイアーのジャーナリスト、ジョー・マッグス)によるエレクトロとダブステップの交錯点へと導かれる。さらにサヴェージのBD1982によるリミックスを経て、日本からRLPによるハドスン・モーホークへのアンサー風味。ここまではストレートにベース・ミュージックの動向を意識していたものが並び、アイコニカとともにハム+バズを設立したオプティマスからトランス・エレクトロとでもいうような変わった作風へと雪崩れ込む。同じくロンドンからシャイ・ワンは抑制されたメランコリーを窺わせるダーク・ステップとマットリンによるア・トート・ラインは正調デトロイト・テクノ、07年に結成され、昨年はデビュー・アルバム『マイ・ファントムズ』をリリースしているホンコン・イン・ザ・60ズはメイ・ヤウ・カンのヴォーカルをフィーチャーしたボサ・ノバ風ラウンジ・エレクトロ、これをディスコトピア・チームがダブ・ヴァージョンに仕上げている。続いて日本からアワはチルウェイヴ......といっていいのか、ジャズ・ギターをさらりと響かせて、"チューブラー・ベルズ"のイントロダクションを思わせるグリーン・ライズ(マット・リン+ホンコン・イン・ザ・60ズ)と共に洒脱なアーバン・スタイルを披露。06年にデビュー・アルバム『アイ・アム・ノット・トーキング・アバウト・コマーシャル・シット!!!!!』をリリースしているブンことフミタケ・タムラは唐突にジャズ・モードで、ひとり粘っこいリズムを練り上げ、デイダラスに見出されたというLDFDはテキサスからサイケデリック・ステップとも言うべき驚愕のベース・ミュージックを届けてくれる(これだけでも!)、デックス・ピストルズからDJマールは一転して浮き足立ったようなトライバル・ハウス......と、まだまだ続くけれど、ダンス・ミュージックのコンピレイションで、これだけダブステップもテクノもといったようなものはあまりスムーズに聴けないことが多いのに、まったくそのようなことは感じさせず、どこかザックリとした清涼感のようなもので一気にまとめ上げている力量は大したものといえる。DJミックスでもそういうことができるのはローラン・ガルニエぐらいしか思いつかないし、「バリアリック」という言葉の本来的な意味を取り戻した感もある。

 ある種のコンピレイション・アルバムには、ネット上のサンプル音源をランダムに聞くだけではわからないトータル性のようなものがきっちりと備わっていて、それがときには時代性というものをはっきりと表していることがある。ちょうど1年前に〈イグジット・ミュージック〉からリリースされたニュー・スクール・オブ・ドラムン・ベースのコンピレイション『モザイク ヴォリウム1』などもそうで、そのような「意志」に出会えることはいわゆるアーティスト・アルバムから感じられるそれとは少し違うものだし、とくにダンス・ミュージックにおいては重要なヴィジョンになりうるものだろう。『ディスコトピア』が1年後にはどう聞こえるか、かなり興味のあるところである。

 ちなみに昨2011年に編み出されたコンピレイション・アルバムからベスト3を僕なりに選んでみた。

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V.A./Mosaic Volume One (Exit)
 ハーフ・ステップで統一されたアトモスフェリックなドラムン・ベースは確実に次の時代を射程に置いていた。この優雅さと内に秘められた熱量はまるでダンス・ミュージックがその根本に立ち返ったかのような理想像にさえ思えてしまう。なかでも主催のD-ブリッジはA&R能力の優秀さだけでなく、彼自身の曲があまりにソウルフルに響き渡るため、間をおかずにセカンド・ソロを完成させれば大騒ぎになることは間違いない。

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V.A./Invasion of the Mysteron Killer Sounds Vol.1 (Soul Jazz)
 人類の魂を浚おうとするエイリアン対ディジタル・デフェンダーズ......とかなんとかいう設定でまとめれたフューチャー・ダンスホール宣言(コミック・ブック付き)。ヴォリウム1はザ・バグことケヴィン・マーティンによるセレクトで、これがあまりにスゴい。ディプロとかウォード21といった知った名前もなくはないけれど、大半が新人のようで、なにがなんだかわからない新機軸ばかり。ヴォリウム2はソウル・ジャズのスチュアート・ベイカーによる歴史的な補足の意味もあるのか、キング・タビーやスライ・ダンバーもエントリーさせつつ、多少は落ち着いた内容になっている。各々2枚組みでCDはアナログ計4枚を2CDにコンパイル。

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V.A./Portable Shrines Magic Sound Theatre Vol.1 (Translinguisticother)
 シアトルからドローンやサイケデリック・ロックを中心に実験的なUSアンダーグラウンドの全貌をまとめた意欲的コンピレイション。全18組。ブラザー・レイヴンが入っていたので、思わず手が伸びてしまいましたが、プリンス・ラマ(レイマ?)やナイトビーツからマスター・ミュージシャンズ・オブ・ブッカケなど新人から中堅までいいテンションで曲が出揃っている。ギリシャでやたらと実験音楽が活発になっているのと同じく、経済があそこまでダウンしているというのに音楽に関しては疲れを知らない子どものようです、現在のUSは。

Charlemagne Palestine - ele-king

Photo courtesy of Charlemagne Palestine

 よもやシャルルマーニュ・パレスタインのパフォーマンスを日本で体験できる日が来るとは、と考えられないわけではないが、あまり現実味のある話とも思えず、ほとんど考えたことはなかった。なぜならパレスタインは、ラ・モンテ、ライリー、ライヒ、グラスのミニマル四天王がそろって戦前(1930年代なかば)うまれなのに対して、戦後派(1945年うまれ)であり、問題意識をゆるやかに共有しながら作家性のベクトルをうまく差異化できたオリジナル・ミニマリストたちの影で仕方なく鬼才あつかいされてきた節がなくもないからだ。パレスタイン自身、70年代なかばから80年代にかけて、かねてから表現方法のいちぶであった動物の剥製やヌイグルミによるインスタレーション(彫刻)を使ったミクストメディア活動に軸足を移したことで、作品は音楽からサウンドアートへ、つまり複製メディア(レコード、CD)を媒介にした聴取から展示(大規模なものもふくむ)による体験型へスライドし、海のこちら側のファンはいよいよ全貌をとらえがたくなった。幼少期にユダヤ教会の聖歌隊員だったパレスタインの神秘主義的な傾向もそれに拍車をかけていたと、いまにして思うのだけれど、あらゆる音楽を再定義した90年代をある種の境に、エレクトロ・アコースティック~ミニマルにも再評価の波がおよんだのと同じく、パレスタインもまた、過去の作品がCD化され、現行のパフォーマンスが形になり、何世代も下のリスナーに「発見」されいった。最初はカルトなミニマリストとして。しだいにミニマルの枠を超えたサウンド・アーティストとして。
 パレスタインの曲の多くはたしかに長時間の反復を基調にしている。ところがそれは基本的にはパターンのくりかえしでも、音と音の間を極端にひきのばす時間操作でもない。たとえば、ピアノの両手によるトレモロ/トリルでわずかな音程差の音が微少なズレで間断なく重なることで、音の残像が倍音をうみだす代表作『Strumming Music』(74年)のタイトルにもなっている手法「ストラミング」は、私は彼なりのフェイズ、ドローン解釈とも思うのだが、延々とつづく音響の連続体をひと皮剥くとデュオニソス的な熱量――が宗教性のせいかどうか、即断はしかねるが――が張りつめていて、ミニマルという最小単位がゴシックに、つまり過剰に反転するチャンスをうかがっているようすがある。この両義性が本人いうところの「マキシマル」ミュージックなのか。ラ・モンテほどヒプノティックすぎず、ヘルマン・ニッチのように儀式偏重でもない、ブランカとも通底するメカニカルな倍音へのアプローチでありながら、舞台の上ではカジュアルなどこかひとを喰った雰囲気のシャルルマーニュ・パレスタインの音楽を理解するには、体験するがいちばんてっとりばやい。いずれの音楽でも、音楽でなくてもそれは何よりものをいうのだろうが、パレスタインの場合、私は強迫的にそう思うのである。(松村正人)

――という原稿を書きあげたのですが、渋谷WWWのライヴはすでに定員に達した模様で......。追加チケットが、もしかしたら出るかもしれないということなので、ひきつづき、下記サイトをチェックしてください。
 また、北九州でパレスタインと共演したジム・オルーク、オーレン・アンバーチ、灰野敬二のライヴも西麻布SuperDeluxで近日行われますので、こちらもぜひ!

1/19(木)北九州市・北九州芸術劇場 小劇場
シャルルマーニュ・パレスタイン(ピアノソロ)、オーレン・アンバーチ/灰野敬二/ジム・オルーク
https://cca-kitakyushu.org/jp/index.html

1/25(水)東京・渋谷 WWW
シャルルマーニュ・パレスタイン(ピアノソロ)
https://www-shibuya.jp/schedule/1201/001382.html

1/26(木)東京・西麻布 SuperDeluxe
オーレン・アンバーチ/ジム・オルーク DUO、クリス・コール/秋山徹次 DUO
https://www.super-deluxe.com/room/125/

1/30(月)東京・西麻布 SuperDeluxe
オーレン・アンバーチ/灰野敬二/ジム・オルーク
https://www.super-deluxe.com/room/126/

ele-king vol.4 - ele-king

 僕はこう見えてもせっかちなほうなのですが、松村正人さんがとてものんびり屋さんなので、いつもハラハラしています。「なんで君はそんなにのんびり屋なんだ?」「いや、私は南の生まれなんで」「南の生まれならみんなそうなのか」......。
 以下、目次です。どうぞ、みなさん、よろしくお願いします!

ele-king Vol.4 DOMMUNE BOOKS 0007

Flashback 2011◎野田努

Camera Eye 2011 大森克己/吉野英理香/山本精一/塩田正幸/小原泰広

〈EKジャーナル〉
磯部涼『プロジェクトFUKUSHIMA!』◎水越真紀
僕と革2~NY編◎Shing02
ラース・フォン・トリアー『メランコリア』◎三田格
大阪のクラブシーン◎DJ TUTTLE

〈特集〉2011パート1
2011◎松村正人/菊池良助
座談会:木津毅×田中宗一郎×野田努×橋元優歩×松村正人×三田格
2011エレキング-ランキング100◎飯島直樹/磯部涼/加藤綾一/木津毅/九龍ジョー/竹内正太郎/田中宗一郎/南波一海/野田努/野中モモ/橋元優歩/二木信/松村正人/水越真紀/三田格

オウガ・ユー・アスホール インタヴュー◎水越真紀/菊池良助

〈コラム〉頭でわかる2011◎三田格

コード9 インタヴュー◎野田努/小原泰広

続・坂本慎太郎◎松村正人/小原泰広

〈音楽の論点〉
岡村詩野/橋元優歩/竹内正太郎/新田啓子/鮎川ぱて/吉本秀純/塚本謙 

往復書簡:実験一旦停止!◎松村正人×三田格

ラップ・ミュージック鼎談◎磯部涼×上神彰子×二木信

〈フラッシュバック・ザ・ワールド〉
LA編◎バルーチャ・ハシム
NY女子会◎沢井陽子+ニコ ・ザ・スーザン+マリコ・ニップス+ナッシー+ハルミ
ロンドン編◎ジョー・マグス
パリ編◎山田蓉子
ベルリン編◎浅沼優子

〈no ele-king〉
平賀さち枝◎磯部涼/小原泰広

〈論考〉
刀根康尚 メールインタヴュー◎粉川哲夫

〈TAL-KING1〉
渋谷慶一郎◎松村正人/鈴木心

〈連載コラム〉
キャッチ&リリース◎tomad
私の好きな◎牛尾憲輔(agraph)
二木ジャーナル◎二木信
編年体ノイズ正史◎T・美川
ピーポー&メー◎戸川純/フェミニャン
水玉対談◎こだま和史×水越真紀

〈カルチャーコラム〉
EKかっとあっぷあっぷ◎五所純子/三田格/樋口泰人/岡澤浩太郎/小濱亮介/プルサーマル・フジコ/佐々木彩

〈TAL-KING2〉
アルヴァ・ノト◎松村正人/小原泰広

〈TAL-KING3〉
KILLER-BONG◎二木信/小原泰広

〈特集〉2011パート2
マイプライベートチャート2011◎
EY∃/飯島直樹/ECD/石原洋/小山田圭吾/加藤綾一/木津毅/九龍ジョー/CUZ ME PAIN/1945 a.k.a. KURANAKA/GOTH-TRAD/Yusaku Shigeyasu/CE$/竹内正太郎/野田努/田中宗一郎/DJ TUTTLE/tofubeats/ナカコー/野中モモ/DJ NOBU/橋元優歩/浜崎(TRASMUNDO)/PUNPEE/二木信/Makkotron/三田格/mochilon/YO!HEY!!/DJ YOGURT

表紙オモテ◎宇川直宏
表紙ウラ◎高橋恭司

HACIENDA @ VISION - ele-king

 ケン・ローチの『エリックを探して』で最高なシーンのひとつは、マンチェスター・ユナイテッドのサポーター(郵便配達の仕事をするビール腹のおっさん連中)が、チームが鉄道員によって生まれたことを誇りにしているところだが、プレミア・リーグが設立されて、エリック・カントナやライアン・ギグスが台頭し、ブライアン・ロブソンが牽引した頃のオールド・トラッフォードを埋め尽くしていた若いサポーターの多くは、シーズンオフの夏になればイビサを旅行して、アシッド・ハウスで踊っていたはず。1985年5月のヘイゼルの悲劇(UEFAにおけるリヴァプールとユヴェントスの試合で大量の死者を出す)によって世界的に悪名を轟かせたイングランドのフーリガンは、サッチャー首相から公然と「イギリスの恥さらしめが」と非難され、それを受ける形でザ・スミスが"スウィート・アンド・テンダー・フーリガン"を歌ったちょうどその頃、スコットランド人の頑固オヤジ、アレックス・ファーガソンが監督に就任しているわけで、そして、やがてファーガソンによって上昇していくチームと歩調を合わせるかのようにストーン・ロゼーズやハッピー・マンデーズが登場するわけだ。
 なんでこんなまわりくどい話をしているのかって? 昨年、DVDになった『エリックを探して』を見ながら、「やっぱマンチェスターっていいよなー」と漠然と思ったからである。深い意味はないが、深い愛情が沸いてきたのだ。

ピーター・フック ベズ

 今週末(21日)の渋谷〈ヴィジョン〉にはピーター・フックとベズが登場する。説明するにはおよぶまい。フッキーはジョイ・ディヴィジョン/ニュー・オーダーのベーシスト、ベズはハッピー・マンデーズのダンサーだ。灰色のマンチェスターがマッドチェスターへと移り変わるところにおいて、もっとも核になる場所=ハシェンダにいたふたりである。ハシェンダを作ったひとりであり、ハシェンダで踊っていたひとりである。日本にいるユナイティッドのサポーターもシティのサポーターも集まらなければならない。もちろん、最近おマンチェを好きになった君や20年前にマッシュルームカットだった君もだ。ちなみにこの日は、瀧見憲司、スギウラムも出演する。
 また、前日の金曜日(20日)には、ドミューンにてプレ・パーティが開催される。7時からはハシェンダのオープン30周年を記念したピーター・フックのトークがあり、DJタイムにはベズのダンスがすぐそこで見れるだろう。DJは、いまやすっかりセカンド・サマー・オブ・ラヴ大使の役目が定着した与田太郎とDJヨーグルト。全曲おマンチェ+アシッド・ハウスを披露する!

1月21日(土) HACIENDA 特別公演第三弾 @ VISION
PETER HOOK ( JOY DIVISION / NEW ORDER ) & BEZ ( HAPPY MONDAYS ) !
https://www.fac51thehacienda.jp/

第5回 2011年のリイッシュー・ベスト3 - ele-king

 発掘音源の豊かさに舌を巻き、その点数もピークに達したと思われる2010年。なかでもナーキ・ブリラン『ナーキ・ゴーズ・イントゥー・オーボ』(81)にジャン・クロード・エロワ『シャンティ』(79)、そしてシコ・メロ『アグア』(84)はこのような音楽が当時のリスナーにやすやすと見過ごされてきたかと思うと、自分も含めてがっかりするしかないほど、よくできた音楽だった。発想だけでなく、スキルも申し分ないし、当時の気分だってちゃんと反映されている。なるほどヒネリは存分に効いているし、並外れたセンスではある。しかし、ありとあらゆる要素がシーンから掛け離れていたとも思えない。アウシュビッツへのこだわりだけを見ても『シャンティ』はそれこそスロッビング・グリッスルのすぐ隣にあった音楽だったことはたしかだし。

 ダメンバートの例もあるように10年ほどシーンを先取りできたミュージシャンは意外といるものである。そのようなミュージシャンに誰ひとりとして光を当てなければ簡単に潰れてしまうこともよくあることだろう。あるいは、一時的に活躍したミュージシャンでも次の時代に伝える力と結びつかなければ、これもあっさりと忘れ去れてしまうことはベルナール・フェーヴルの例を見ても明らかだろう。彼の後半生を彩ったブラック・デヴィル・ディスコ・クラブを〈リフレックス・レコーズ〉が再発しようと思わなければ『ザ・ストレンジ・ニュー・ワールド・オブ・ベルナール・フェーヴル』(75/09)などという奇妙な作品に出会うことはなかった。そして、そこから彼の本当の後半生がはじまったのである。〈リフレックス・レコーズ〉は2011年、ブリットコアのレア盤だったザ・クリミナル・マインズの集大成も再発している。

 21世紀になると、人びとはTVディナーを食べながら20世紀につくられたTVドラマばかり観ているというSF小説があった。大きな回顧モードに入ったスロッビン・グリッスル周辺だけでなく、シンセ-ポップとインダストリアル・ミュージックの境界線上に位置する音楽がやたらとリイッシューされた2011年。その頃のSF的なムードはまさにそのような事実と相俟って、驚くほどの相乗効果をもたらした。本当に小説のなかにいるような気がしつつ(現実があれだしね)、その辺りは適当に避けつつも、他の発掘音源に過大な注意を向けざるを得なかったことも2011年という異常な年の余計な楽しみのひとつではあった。

 ファンク好きには36年ぶりのリイッシューとなったプレジャー『ダスト・ユアセルフ・オフ』は絶対に外せないだろうし、たかがイージー・リスニングとはいえ、インパルスがトム・スコット『ハニーサックル・ブリーズ』(67)を蘇らせたことも事件ではあった。流行りとの連動ではジェフ・アンド・ジェイン・ハドスン『フレッシュ』(83)などというものもあった。それこそ数え始めたら切りがない。そのなかから勝手にベスト3を選んでみた。以下、オリジナルのリリース順に。


Pekka Airaksinen / One Point Music

Pekka Airaksinen / One Point Music O Records

 72年に〈O・レコーズ〉からリリースされたフィンランドの古典的実験音楽がついに。03年に〈ラヴ・レコーズ〉からリリースされたコンピレイション『マダム・アイム・アダム』(ナース・ウイズ・ワウンドやミラ・カリックスらによるリミックス盤との2CD仕様)以外、正規に流通していた作品は皆無だったものが、ようやく同レーベルから39年目にして再プレス(ほぼ同時期に8人編成で活動していたスペルマ『シッ!』をディ・スティルが08年にリイッシューしたことに刺激を受けたのだろう)。

 全体を通して非常に即物的な音の羅列といえ、情緒過多だった同時期の瞑想音楽やドローン・ミュージックと較べても、その無機質かつストイックな音楽性はまさに80年代の先取り。前半で不条理な気分を醸し出そうとすると、なるほど70年代の初期という感じにもなるけれど、フィードバック・ギターをメインとした中盤以降は音の悪いウォール・オブ・ノイズというのか、ある種のパルス・ミュージックにダブのような効果を与えることで最終的には金属的なサイケデリックへと歪んだ音像を導いていく。その酷薄なセンスはパンクを通過していないスロッビン・グリッスルかノイバウテン、ないしはアナログ時代のパン・ソニックとも。

 フィンランドはフリー・ジャズの伝統ではよく知られている国だけど、これもまたアンダーグラウンドの歴史の深さを感じさせる1枚である。先達にこんなことをやられていたら、トムトンツやアーエス(ES)が不可解なことをやり出すのも不思議はないというか。


Pete Shelley / Sky Yen

Pete Shelley /
Sky Yen
Drag City

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 バズコックス以前に録音されていたエレクトロニック・インプロヴァイゼイションのソロ作。パンク・ムーヴメントが一段落した後にシンセ-ポップばかりリリースしていたのも、これを聴けばなるほどで、むしろ、シェリーにとってはフリップ&イーノやクラウス・シェルツェのほうが身近な表現方法だったのだろう。とはいえ、バズコックスをスタートさせた時期の早さからも推測できるように、ここで展開されているのは落ち着いたメディテイション・ミュージックではなく、波打つように電子音が暴れ、サイレンが鳴り渡る様を模したような表現で、それこそパンク・スピリットに通じるメソッドを電子音楽の文脈で独自に確立したものといえる。近い表現を探せばジュリアン・コープの『クイーン・エリザベス』か、バカ陽気なスロッビング・グリッスルとでもいうしかないか。

 どのような衝動に突き動かされてつくったものなのか、聴く人を気持ちよくさせるでもなく、実験音楽の様式性からもかけ離れ、かといって何も訴えてこないというわけでもなく、最初から最後まで同じといえば同じなのに、どこか体験的だというのはどうしたことだろうか。ノイズという方法論がまだなかったからこうなったのかなと思える節もあって、ということはノイズという方法論がこのような創作の可能性を封じてしまったと考えることも......考えるだけなら可能だろう。あるいは当時のリスナーはこのような表現よりもノイズを好んだという言い方もできなくはないし、いずれにしろ、どこにも繋がっていかなかった点でしかなかったにもかかわらず、いまだにその強度を保っている点のままでいるということには素直に驚かされる。パンク・ロックというムーヴメントが起きなかったら、そして、ピート・シェリーという男はいったいどんな音楽をやっていたのだろう......(元々はバズコックスのメンバーだったハワード・ディヴォートがソロになってから元ゼッドのベルナルド・ソジャーンと組んだこともシェリーの影響だったのかもしれない)。
 
 同作はシェリー本人が設立した〈グルーヴィー・レコーズ〉から80年にリリースされ、今回は、〈ドラッグ・シティ〉と共同で同レーベルからリリースされた4点すべてがまとめて復刻されている。どれもユニークな作風で、傾向というものすら持っていなかったといえるなか、ミーコンズから変名で挑んだサリー・シュミット・アンド・ハー・ミュージシャンズ『ハンゲイハー』(80)もオリジナルな作風では引けをとらない出来となっている。あるいは、いま、この作品がイギリスではなく、グルーパーやサン・アローが人気のUSアンダーグラウンドで再発されるのは非常に納得が行くというか。いずれにしろシェリーには、そのA&R能力の点でも感服せざるを得ない。


Die Welttraumforscher / Herzschlag Erde

Die Welttraumforscher
Herzschlag Erde
PLANAM

 スイスからクリスチャン・フリューゲルが81年に初めてリリースしたカセット・テープのアナログ化。82年に録音されたまま未発表だった4曲が補充され、LPサイズの分厚いブックレットもプラスされている。現在でもシンセ-ポップのヴェテランとして創作活動に衰えは見せないものの、けれんみの点ではやはり、その後とは比較できないものがあり、洗練とはまた別の圧縮された衝動に耳を奪われる。一筋縄ではいかない諧謔性にノイバウテンめいた荒々しいコンクレート音との折衷、あるいは伝統的な音楽の脱構築(この頃はとにかくそれが様になった)や肩透かしともいえるチープさと、ひと言でいえば(文化圏的にも)ノイエ・ドイッチェ・ヴェレのヴァリエイションといえる。当時の感覚でいえば消費社会そのものを音の素材としながらも、そのなかから呪術的要素を正確に抜き出した結果、都会的なアニミズムを編み出したとかなんとか。イーノをパロディ化したようなアンビエントもどきに至っては、他とのバランスを完全に欠いているようで、実は裏側から全体を補強しているようにさえ感じられる。稚拙なのに知的、モダンであり、原始的ともいえる円環構造が仕掛けられている......とも。

 フライング・リザーズやパレ・シャンブールを楽しんだことがない(若い)人にどう聞こえるかは見当もつかないけれど、ポスト・パンクの時期に撒き散らされた毒が新鮮味を伴って響くことは間違いがない。そのようなものにもノスタルジーがあり、その毒が自分の体から抜けきっていないことが僕の場合は嫌というほど思い知らされた。いまだに哄笑を伴う音楽が好きなのは、この時代を通過しているからなのか、それとも新しい時代の笑いに気がついていないだけなのか。エレキングでも若い人たちの取り上げるレヴューには笑いというものがまったくないと思うのは僕だけなのだろうか。それとも本当に若い人たちは正しくて真面目なことしか考えていないのだろうか(だとしたら、あー、ホントに息がつまる)。


 次点で、大野松雄 / そこに宇宙の果てを見た

大野松雄
そこに宇宙の果てを見た
EM Records

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 ナース・ウイズ・ワウンド『スペース・ミュージック』のアウトテイクとか言われて聴いていたら果たして信じただろうか......。レイ・ハラカミの恩師にあたり、エレキングVol.3でも取り上げた「音効さん」のファースト・ソロ。『スペース・アンド・マリファナ・トリップ・イズ・セイム』という英題が付けられ、78年に東宝からリリースされていたもので、マリファナのスペルはなぜか「Maryjuane」とミス・スペルになっている(詳しい経緯はライナーに長々と記されている)。これが最近まで30万円から50万円という高値が付けられていて(05年に〈キング・レコーズ〉から『大野松雄の音響世界 The World Of Electro-Acoustic Sound And Music - 2』として『惑星大戦争』とカップリングでCD化はされている)、宇宙の前にサイフの果てを見るしかなかったところ、映画『アトムの足音が聞こえる』の公開に併せたのか、〈エム・レコーズ〉がホログラム・ジャケットでアナログ・リイッシュー。

 効果音からミュージック・コンクレートへ踏み出した先達にトッド・ドックステイダーがいる(裏アンビエントP27)。それに較べれば大野は効果音止まりといえる。あるいは効果音以上の音楽へと発展させる気はなく、あくまでも効果音としてその可能性を広げようとしたのだろう。もしくは「聴かせる効果音」という奇妙なものを作り出したとも。なるほど自分の集中力を変化させることで図にも地にも聞こえ、音に集中したり、しなかったりを繰り返して聴いていた時が最も面白く聴けた(やはり効果音だからか、集中しっ放しで聴いていると、つまらなくなってくる)。それはそのままリミックスの可能性を示唆しているようにも感じられた。

 ちなみにドミューンに大野松雄が出るというので湯山玲子さんと観に行ったところ、僕が驚いたのは88歳で頭がしっかりと回転しているということよりは、大野松雄がいまだにシャイな部分を残していることだった。自分が主役だということは理解しているはずなのに、隙があれば、後ろに引っ込もうとするのである。それはつまり、タメをつくるということでもあり、「次」があると思うから、そのようにできるとも言える。適いませんね。


 番外で、V.A./Klangstudie and Komposition

V.A.
Klangstudie and Komposition
Other Sounds

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 厳密に言えばリイッシューではなく、エレクトロニック・ミュージックについて書かれたデイヴ・ヘンダースン『ジャーニー・トゥ・ア・プラグド・イン・ステイト・オブ・マインド』(チェリー・レッド・ブックス)との連動企画で、〈チェリー・レッド〉が新たにスタートさせた過去音源の編集レーベル(Other Sounds)から第1弾はいわゆるモンド・ミュージックが テーマ(V.A./『Music for a Retro-Future』)。これが、トム・ディッセルヴェルトやジュリアード・パーカッション・オーケストラなどレア音源が手軽に聴けたのはいいけれど、希少性にこだわり過ぎたか、全体の出来はまあまあだったのに対して第2弾はミュージック・コンクレートが題材。〈チェリー・レッド〉というフィルターを通した選曲とそのセンスは、なるほどミュージック・コンクレートの相貌を一変させ、快楽性の高さと同レーベルらしい抒情性の豊かさを堪能させてくれる。ミュージック・コンクレートといえば不条理という連想がまったく働かないのも新鮮なら、コミカルに響く展開の多さもイメージとはかけ離れている。どこからどう聴いてもミュージック・コンクレートには違いないのでヘンな暗示にかかっているとしか思えないんだけど、これは掛けられて損なマジックではないでしょう。この分野は中途半端にしか知らないという人に、むしろオススメしたい。

 ......第3弾以降は何があるのかなと思っていたら、トレイにはこんなアテンションが印刷されていた。「助けてくれる? ヒントがあったら教えて欲しい。チェリー・レッドに相応しいと思うコレクターズ・シリーズが何かあったらEメールを送って下さい。ideas@cherryred.co.uk 感謝します」だって。

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