Home > Regulars > チクチクビー、チクチクビー > 第5回 2011年のリイッシュー・ベスト3
発掘音源の豊かさに舌を巻き、その点数もピークに達したと思われる2010年。なかでもナーキ・ブリラン『ナーキ・ゴーズ・イントゥー・オーボ』(81)にジャン・クロード・エロワ『シャンティ』(79)、そしてシコ・メロ『アグア』(84)はこのような音楽が当時のリスナーにやすやすと見過ごされてきたかと思うと、自分も含めてがっかりするしかないほど、よくできた音楽だった。発想だけでなく、スキルも申し分ないし、当時の気分だってちゃんと反映されている。なるほどヒネリは存分に効いているし、並外れたセンスではある。しかし、ありとあらゆる要素がシーンから掛け離れていたとも思えない。アウシュビッツへのこだわりだけを見ても『シャンティ』はそれこそスロッビング・グリッスルのすぐ隣にあった音楽だったことはたしかだし。
ダメンバートの例もあるように10年ほどシーンを先取りできたミュージシャンは意外といるものである。そのようなミュージシャンに誰ひとりとして光を当てなければ簡単に潰れてしまうこともよくあることだろう。あるいは、一時的に活躍したミュージシャンでも次の時代に伝える力と結びつかなければ、これもあっさりと忘れ去れてしまうことはベルナール・フェーヴルの例を見ても明らかだろう。彼の後半生を彩ったブラック・デヴィル・ディスコ・クラブを〈リフレックス・レコーズ〉が再発しようと思わなければ『ザ・ストレンジ・ニュー・ワールド・オブ・ベルナール・フェーヴル』(75/09)などという奇妙な作品に出会うことはなかった。そして、そこから彼の本当の後半生がはじまったのである。〈リフレックス・レコーズ〉は2011年、ブリットコアのレア盤だったザ・クリミナル・マインズの集大成も再発している。
21世紀になると、人びとはTVディナーを食べながら20世紀につくられたTVドラマばかり観ているというSF小説があった。大きな回顧モードに入ったスロッビン・グリッスル周辺だけでなく、シンセ-ポップとインダストリアル・ミュージックの境界線上に位置する音楽がやたらとリイッシューされた2011年。その頃のSF的なムードはまさにそのような事実と相俟って、驚くほどの相乗効果をもたらした。本当に小説のなかにいるような気がしつつ(現実があれだしね)、その辺りは適当に避けつつも、他の発掘音源に過大な注意を向けざるを得なかったことも2011年という異常な年の余計な楽しみのひとつではあった。
ファンク好きには36年ぶりのリイッシューとなったプレジャー『ダスト・ユアセルフ・オフ』は絶対に外せないだろうし、たかがイージー・リスニングとはいえ、インパルスがトム・スコット『ハニーサックル・ブリーズ』(67)を蘇らせたことも事件ではあった。流行りとの連動ではジェフ・アンド・ジェイン・ハドスン『フレッシュ』(83)などというものもあった。それこそ数え始めたら切りがない。そのなかから勝手にベスト3を選んでみた。以下、オリジナルのリリース順に。
Pekka Airaksinen / One Point Music
Pekka Airaksinen / One Point Music O Records |
72年に〈O・レコーズ〉からリリースされたフィンランドの古典的実験音楽がついに。03年に〈ラヴ・レコーズ〉からリリースされたコンピレイション『マダム・アイム・アダム』(ナース・ウイズ・ワウンドやミラ・カリックスらによるリミックス盤との2CD仕様)以外、正規に流通していた作品は皆無だったものが、ようやく同レーベルから39年目にして再プレス(ほぼ同時期に8人編成で活動していたスペルマ『シッ!』をディ・スティルが08年にリイッシューしたことに刺激を受けたのだろう)。
全体を通して非常に即物的な音の羅列といえ、情緒過多だった同時期の瞑想音楽やドローン・ミュージックと較べても、その無機質かつストイックな音楽性はまさに80年代の先取り。前半で不条理な気分を醸し出そうとすると、なるほど70年代の初期という感じにもなるけれど、フィードバック・ギターをメインとした中盤以降は音の悪いウォール・オブ・ノイズというのか、ある種のパルス・ミュージックにダブのような効果を与えることで最終的には金属的なサイケデリックへと歪んだ音像を導いていく。その酷薄なセンスはパンクを通過していないスロッビン・グリッスルかノイバウテン、ないしはアナログ時代のパン・ソニックとも。
フィンランドはフリー・ジャズの伝統ではよく知られている国だけど、これもまたアンダーグラウンドの歴史の深さを感じさせる1枚である。先達にこんなことをやられていたら、トムトンツやアーエス(ES)が不可解なことをやり出すのも不思議はないというか。
Pete Shelley / Sky Yen
Pete Shelley / Sky Yen Drag City |
バズコックス以前に録音されていたエレクトロニック・インプロヴァイゼイションのソロ作。パンク・ムーヴメントが一段落した後にシンセ-ポップばかりリリースしていたのも、これを聴けばなるほどで、むしろ、シェリーにとってはフリップ&イーノやクラウス・シェルツェのほうが身近な表現方法だったのだろう。とはいえ、バズコックスをスタートさせた時期の早さからも推測できるように、ここで展開されているのは落ち着いたメディテイション・ミュージックではなく、波打つように電子音が暴れ、サイレンが鳴り渡る様を模したような表現で、それこそパンク・スピリットに通じるメソッドを電子音楽の文脈で独自に確立したものといえる。近い表現を探せばジュリアン・コープの『クイーン・エリザベス』か、バカ陽気なスロッビング・グリッスルとでもいうしかないか。
どのような衝動に突き動かされてつくったものなのか、聴く人を気持ちよくさせるでもなく、実験音楽の様式性からもかけ離れ、かといって何も訴えてこないというわけでもなく、最初から最後まで同じといえば同じなのに、どこか体験的だというのはどうしたことだろうか。ノイズという方法論がまだなかったからこうなったのかなと思える節もあって、ということはノイズという方法論がこのような創作の可能性を封じてしまったと考えることも......考えるだけなら可能だろう。あるいは当時のリスナーはこのような表現よりもノイズを好んだという言い方もできなくはないし、いずれにしろ、どこにも繋がっていかなかった点でしかなかったにもかかわらず、いまだにその強度を保っている点のままでいるということには素直に驚かされる。パンク・ロックというムーヴメントが起きなかったら、そして、ピート・シェリーという男はいったいどんな音楽をやっていたのだろう......(元々はバズコックスのメンバーだったハワード・ディヴォートがソロになってから元ゼッドのベルナルド・ソジャーンと組んだこともシェリーの影響だったのかもしれない)。
同作はシェリー本人が設立した〈グルーヴィー・レコーズ〉から80年にリリースされ、今回は、〈ドラッグ・シティ〉と共同で同レーベルからリリースされた4点すべてがまとめて復刻されている。どれもユニークな作風で、傾向というものすら持っていなかったといえるなか、ミーコンズから変名で挑んだサリー・シュミット・アンド・ハー・ミュージシャンズ『ハンゲイハー』(80)もオリジナルな作風では引けをとらない出来となっている。あるいは、いま、この作品がイギリスではなく、グルーパーやサン・アローが人気のUSアンダーグラウンドで再発されるのは非常に納得が行くというか。いずれにしろシェリーには、そのA&R能力の点でも感服せざるを得ない。
Die Welttraumforscher / Herzschlag Erde
Die Welttraumforscher Herzschlag Erde PLANAM |
スイスからクリスチャン・フリューゲルが81年に初めてリリースしたカセット・テープのアナログ化。82年に録音されたまま未発表だった4曲が補充され、LPサイズの分厚いブックレットもプラスされている。現在でもシンセ-ポップのヴェテランとして創作活動に衰えは見せないものの、けれんみの点ではやはり、その後とは比較できないものがあり、洗練とはまた別の圧縮された衝動に耳を奪われる。一筋縄ではいかない諧謔性にノイバウテンめいた荒々しいコンクレート音との折衷、あるいは伝統的な音楽の脱構築(この頃はとにかくそれが様になった)や肩透かしともいえるチープさと、ひと言でいえば(文化圏的にも)ノイエ・ドイッチェ・ヴェレのヴァリエイションといえる。当時の感覚でいえば消費社会そのものを音の素材としながらも、そのなかから呪術的要素を正確に抜き出した結果、都会的なアニミズムを編み出したとかなんとか。イーノをパロディ化したようなアンビエントもどきに至っては、他とのバランスを完全に欠いているようで、実は裏側から全体を補強しているようにさえ感じられる。稚拙なのに知的、モダンであり、原始的ともいえる円環構造が仕掛けられている......とも。
フライング・リザーズやパレ・シャンブールを楽しんだことがない(若い)人にどう聞こえるかは見当もつかないけれど、ポスト・パンクの時期に撒き散らされた毒が新鮮味を伴って響くことは間違いがない。そのようなものにもノスタルジーがあり、その毒が自分の体から抜けきっていないことが僕の場合は嫌というほど思い知らされた。いまだに哄笑を伴う音楽が好きなのは、この時代を通過しているからなのか、それとも新しい時代の笑いに気がついていないだけなのか。エレキングでも若い人たちの取り上げるレヴューには笑いというものがまったくないと思うのは僕だけなのだろうか。それとも本当に若い人たちは正しくて真面目なことしか考えていないのだろうか(だとしたら、あー、ホントに息がつまる)。
次点で、大野松雄 / そこに宇宙の果てを見た
大野松雄 そこに宇宙の果てを見た EM Records |
ナース・ウイズ・ワウンド『スペース・ミュージック』のアウトテイクとか言われて聴いていたら果たして信じただろうか......。レイ・ハラカミの恩師にあたり、エレキングVol.3でも取り上げた「音効さん」のファースト・ソロ。『スペース・アンド・マリファナ・トリップ・イズ・セイム』という英題が付けられ、78年に東宝からリリースされていたもので、マリファナのスペルはなぜか「Maryjuane」とミス・スペルになっている(詳しい経緯はライナーに長々と記されている)。これが最近まで30万円から50万円という高値が付けられていて(05年に〈キング・レコーズ〉から『大野松雄の音響世界 The World Of Electro-Acoustic Sound And Music - 2』として『惑星大戦争』とカップリングでCD化はされている)、宇宙の前にサイフの果てを見るしかなかったところ、映画『アトムの足音が聞こえる』の公開に併せたのか、〈エム・レコーズ〉がホログラム・ジャケットでアナログ・リイッシュー。
効果音からミュージック・コンクレートへ踏み出した先達にトッド・ドックステイダーがいる(裏アンビエントP27)。それに較べれば大野は効果音止まりといえる。あるいは効果音以上の音楽へと発展させる気はなく、あくまでも効果音としてその可能性を広げようとしたのだろう。もしくは「聴かせる効果音」という奇妙なものを作り出したとも。なるほど自分の集中力を変化させることで図にも地にも聞こえ、音に集中したり、しなかったりを繰り返して聴いていた時が最も面白く聴けた(やはり効果音だからか、集中しっ放しで聴いていると、つまらなくなってくる)。それはそのままリミックスの可能性を示唆しているようにも感じられた。
ちなみにドミューンに大野松雄が出るというので湯山玲子さんと観に行ったところ、僕が驚いたのは88歳で頭がしっかりと回転しているということよりは、大野松雄がいまだにシャイな部分を残していることだった。自分が主役だということは理解しているはずなのに、隙があれば、後ろに引っ込もうとするのである。それはつまり、タメをつくるということでもあり、「次」があると思うから、そのようにできるとも言える。適いませんね。
番外で、V.A./Klangstudie and Komposition
V.A. Klangstudie and Komposition Other Sounds |
厳密に言えばリイッシューではなく、エレクトロニック・ミュージックについて書かれたデイヴ・ヘンダースン『ジャーニー・トゥ・ア・プラグド・イン・ステイト・オブ・マインド』(チェリー・レッド・ブックス)との連動企画で、〈チェリー・レッド〉が新たにスタートさせた過去音源の編集レーベル(Other Sounds)から第1弾はいわゆるモンド・ミュージックが テーマ(V.A./『Music for a Retro-Future』)。これが、トム・ディッセルヴェルトやジュリアード・パーカッション・オーケストラなどレア音源が手軽に聴けたのはいいけれど、希少性にこだわり過ぎたか、全体の出来はまあまあだったのに対して第2弾はミュージック・コンクレートが題材。〈チェリー・レッド〉というフィルターを通した選曲とそのセンスは、なるほどミュージック・コンクレートの相貌を一変させ、快楽性の高さと同レーベルらしい抒情性の豊かさを堪能させてくれる。ミュージック・コンクレートといえば不条理という連想がまったく働かないのも新鮮なら、コミカルに響く展開の多さもイメージとはかけ離れている。どこからどう聴いてもミュージック・コンクレートには違いないのでヘンな暗示にかかっているとしか思えないんだけど、これは掛けられて損なマジックではないでしょう。この分野は中途半端にしか知らないという人に、むしろオススメしたい。
......第3弾以降は何があるのかなと思っていたら、トレイにはこんなアテンションが印刷されていた。「助けてくれる? ヒントがあったら教えて欲しい。チェリー・レッドに相応しいと思うコレクターズ・シリーズが何かあったらEメールを送って下さい。ideas@cherryred.co.uk 感謝します」だって。