「!K7」と一致するもの

CRASS Remix Project - ele-king

 ビョークを発掘したことで知られる〈One Little Indian〉が、興味深いプロジェクトを始動している。

 伝説のアナーコ・パンク・バンド、クラス(CRASS)が昨年、デビュー作『The Feeding of the Five Thousand』(1979)に新たな息を吹き込むべく、同作のオリジナル・トラックをフリーでダウンロードできるようにし、みんなにリミックスを呼びかけていたのだけれど、結果、プロ・アマ問わず100ほどの応募があったそうで、このたびその成果が12インチEPとしてリリースされる。〈XL Recordings〉のボス、リチャード・ラッセル(rLr 名義)と、グラッサーによるリミックスだ。すべての収益は、DV被害に遭っている女性や子どもたちを支援する慈善団体の Refuge に寄付されるとのこと。

 プロジェクトの詳細はこちらから、リチャード・ラッセル・リミックスの試聴・購入はこちらから。

artist: Crass
title: Normal Never Was
label: One Little Indian
release: 24th July 2020

tracklist:
A: Bomb (rLr Remix)
AA: Do They? (Glasser Remix)

「実用向け音楽」の逆襲 - ele-king

 この度、〈Pヴァイン〉の新たなリイシュー・シリーズ「A JOURNEY TO LIBRARIES」が始動し、第一弾として2タイトルがリリースされた。これを機会に、ライブラリー・ミュージックとはいったいどんな音楽なのかをイントロダクション的に紹介しつつ、その魅力について考えてみよう。

 ライブラリー・ミュージックとは、主にヨーロッパを中心とした各地で制作された(ている)、非市販音楽の総称である。一般的に、テレビ、映画、ラジオ、CM等の放送業界では、その映像コンテンツになにがしかの音楽を使用する際、主に3通りの手段を用いる。一つは、既存市販音源を使用するパターン。ここでは、使用希望者は原盤を管理するレーベルと使用料の交渉のうえ覚書を結び(新譜作品などの場合、当該楽曲のプロモーションを企図する「タイアップ」という扱いで、使用料が免除されることも多々ある)、著作権管理団体(JASRAC等)へ使用申請をおこない、使用料を支払う。二つ目は、例えばCM制作などで、音楽制作会社が受注しオリジナル音楽を新制作する場合。ここでは原盤使用料を支払わなくてよい反面、新制作であるがゆえの制作業務やミュージシャンのブッキング作業などが発生することになる。そして三つ目が、ライブラリー・ミュージックを使用する、という場合だ。この方法によれば、使用希望者は過去の(あるは常にアップデートされる)膨大なアーカイヴ(この性質が図書館に似ていることからも、「ライブラリー」ミュージックと呼ばれる)から、雰囲気に合わせた任意の曲をピックアップし、自由に使用することができる。また、ライブラリーミュージックの専門業者は、基本的に著作権・著作隣接権を一元的に管理しており、規定の使用料さえ支払ってしまえば、煩雑な事務処理も省かれるというわけだ。ライブラリー・ミュージックとは、まずもってこういった業界的背景の中で、利便的に供給され、使用されてきたものだ。

 世の中に日々リリースされる「アーティストによるオリジナル作品」に慣れきってしまっている我々音楽リスナーの感覚からすると、こうした「実用向け音楽」というのは、いかにも「魂の抜けた」「積極的に聴く価値のない」音楽と思われるかもしれない。たしかに大方のライブラリー・ミュージックは、(当然ではあるが)いかにもお手軽かつ保守的な「聞き流し用」音楽なので、その見方が間違っているとはいい難い。しかしながら、膨大に残されてきた音源の中には、現代の聴取感覚で接してみてもブリリアントとしかいいようのない逸品も隠されているのだ。
 こうした「再発見」は、主に90年代、ロンドンを中心としたDJシーンで推進されていった。60年代以来様々な専門レーベルで制作され、80年代にむけて更に需要が膨らんでいったライブラリー・ミュージックだが、アナログからCDへの変遷に際して、過去の「古臭い」ヴァイナル音源が大量に破棄されるという潮目がやってきたのだった。それまではごく少数が一般の中古レコード店やバザールに「流出」する程度だったそれらヴァイナルが、この期に及んで多数一般へセコハンとして出回るようになり、常に「未だ知られざる音楽」を求めるDJたちに発掘されることとなった。いわゆる「ディグ」の遡上に載せられたライブラリー・ミュージックは、それ以来加速度的に注目をあつめることになり、まめまめしいDJやアーカイヴィストの手によって様々なコンピレーションが発売されるという事態が起こった。かねてより中古レコード市場では、ラウンジ・ミュージックやヨーロッパ映画のサントラ盤などの発掘ブームが興っていたこともあり、そうした志向にもうまく共振したということも大きいだろう。また、主に70年代産のものはサンプリング・ソースとして相当に優れたものも多く、こうした視点から徐々にビートメイカーの間へも浸透していった。

*ランダムに、私のお気に入りのライブラリー・ミュージック有名どころをピックアップしたので、本記事のBGM代わりにどうぞ。

 今回、リイシュー・シリーズの第一弾にラインナップされたノルウェーの音楽家、スヴェン・リーベク(Sven Libaek)がライブラリー名門英〈Bruton Music〉傘下の〈Peer International Library Limited〉に吹き込んだ74年作『Solar Flares』も、まさにこうしたレア・グルーヴ的観点から評価された作品だ。本格的なソウル~ファンク系のオリジナル作品の水準からするといかにも甘やかに聴こえるかもしれないが、気品を感じさせるオーケストラル・サウンド、ソフトロック的とすらいえるポップなメロディー(ただし、ライブラリー作品なのでノン・ヴォーカル)、ときにアナログ・シンセサイザーが闖入するスペーシーな味付けなど、ライブラリー・ミュージックならではの華やぎが何より素晴らしい。あくまで付随すべき映像を邪魔することなく「引き立てる」ために制作された作品ゆえの、清涼感と喉ごしの良さは、他のジャンルには得難い魅力といえる。

 これまで述べてきた通り、ライブラリー・ミュージックというのは、はじめから映像等の副次的な存在として自らを規定する音楽であるがゆえ、使用目的物それ自体より目立ってはいけない。そのため、実際の使用にあたっては、なにがしか特定のテクスチャーや時代性が(「未来的」とか「ノスタルジー」とかあえてそうする場合を除いて)取り除かれていることが求められる。したがって、「古臭い」ものは忌避され(フューチャリスティックな映像に、カクテル・ピアノ音楽は(異化効果を狙うとき以外は)フィットしないだろう)、そのときどきのポピュラー音楽の流行へ、主に音色面において相乗りしようとする傾向がある。具体的にいえば、16ビートのファンキーなジャズ・ファンクが流行ればそのようなものが量産されるし、ディスコやテクノポップ、あるいはヒップホップの流行を察知すれば、シンセサイザーやシーケンサー、サンプラーを用いた「それ風」のトラックが量産される、と言った具合だ。この良い意味での軽薄さこそが、(実はかつてライブラリー・ミュージックを制作していたのはヨーロッパでも有数の実力派ミュージシャンばかりであったという事実や、彼らの高度なスキルや実験精神と接合されるとき)我々後年のリスナーをしていかにも好ましい「時代性」を愛でさせることになっているのだ。その折々の流行が、ときに拡大的にときにいびつな形で昇華されているのを聴くのは、普段から過去よりの音楽にロマンを感じてしまう(私のような)人間からすると、たまらない体験なのだ。

 さて、ここ近年のライブラリー・ミュージックへの興味も、かつてのレア・グルーヴ的なものが主導する感覚からやや変異してきているようにも思う。ポピュラー音楽シーンにおいても、80年代リヴァイヴァルなどを経由し、シンセウェイヴやヴェイパーウェイヴが勃興して以降、かつては唾棄すべきものとされていた「いかにも」なシンセサイザー・サウンドやデジタル・リヴァーヴ等の特徴的イコライジングが、むしろクールなものとして再帰してきたという流れがあるが、ライブラリー・ミュージック再発見においても、そういった視点が立ち現れてきた。主に80年代を通して盛んに制作されたライブラリー作品は、一部を除きいまだ深く発掘されているとはいい難い状況なので、ライブラリー発掘の第一世代に間に合わなかった者にとっては、探求の楽しみが残されているというのも魅力だし、それゆえにオリジナル盤を(ライブラリー・ミュージック発掘の主戦場であるネットに限らず実店舗でも)お手頃価格で入手する可能性も残されている。音楽的なバラエティという点においても、著名アーティストが作る「シリアス」なテクノやアンビエントにも通じるような(ある意味でより先鋭的とすらいえる)逸品もあったりして、侮れない。

*ランダムに、個人的お気に入りをピックアップしたので、本記事のBGM代わりにどうぞ。

 上述のスヴェン・リーベクと同時再発となった、英音楽家ジェフ・バストウ(Geoff Bastow)による独〈SONOTON〉からの86年作『The AV Conception Volume 1』(ライナー執筆は筆者。お買い上げよろしくお願いします!)も、そういった文脈から味わってみたい一作だろう。ジェフ・バストウは70年代からジャズ・ファンク的ライブラリー・ミュージックを作ってきた音楽家だが、ドイツへ移住し、ミュンヘン・ディスコ〜イタロ・ディスコ・シーンでも活躍した人。その経歴から推測されるように、電子音を扱わせても一級品で、80年代を通じて様々な電子ライブラリー・ミュージックを量産しているのだが、中でも本作はあのテレビ朝日系の長寿討論番組『朝まで生テレビ』のオープニング・テーマとして長く使用されている “POSITIVE FORCE” (テーテーテッテレッテー!というアレ)が収録されているという飛び道具的ネタもある。同曲のヴァージョン違いの各トラックはいかにもサンプリング向けだし、全体的にもまさしく「ルーツ・オブ・シンセウェイヴ」というべきレトロ・フューチャリスティックな魅力に満ちている。

 今後も「A JOURNEY TO LIBRARIES」では様々なライブラリー・ミュージックの名盤(ときに珍盤)がリイシューされていくようなので、是非引き続きチェックしてほしい。

 最後に、新録のライブラリー・ミュージック・シーン(?)にも触れておこう。レコード・ディグ文化との結びつきが強いためどうしても過去のカタログに注目が集まりがちなライブラリー・ミュージックだが、もちろん現在でも盛んに制作はおこなわれている。もしかすると制作曲的にいえば、70~80年代の勢いを上回っているのではないかと思う。現在のライブラリー・ミュージックは、かつてのようにフィジカルメディアとしてまとめられることはごく少なく、各ライブラリー・ミュージック配給社がオンライン上で公開し、ダウンロード販売するのが主流となっている。日々テレビで耳にするような「いかにも」な実用音楽が多数を占めてはいるが、一般的な音楽リスナーへは可視化されていないだけで、ときにかなり先鋭的なトラックがまじり込んでいたりするので油断がならない。主にエレクトロニック・ミュージック(あるいはその亜種としての各種プラグインを駆使した生音風サウンド)が多くを占めるが、DAWの浸透によって音楽制作の簡便性が格段に飛躍したこととも連動しているだろうし、またこのような傾向は、それまでの専門性の高い(=ある意味閉鎖な)プロ作家中心の制作体制から、徐々にインディペンデントなアーティストがライブラリー・ミュージックへ参入する新しい体制の萌芽を促してもいるようだ。例えば〈Hyperdub〉の主要アーティストのひとり Ikonika こと Sara Chen や、ベルリンを拠点とする BNJMN こと Ben Thoma など、普段のオリジナル作品制作とリリースという枠組みを超えて音楽的な(「実用」向けという制限付きの)冒険に臨む音楽家にとって、新たなフィールドとなりつつある。また、70年代を中心に人気作の多いライブラリー・ミュージック大手〈KPM〉の再発を手掛けてきた〈Be With Records〉からは、〈KPM〉ブランドのもと、あのバレアリック系デュオ SEAHAWKS のライブラリー作品が発表されるなど、注目すべき例も出てきている。こうした動きは、通常リリース以外の形態を模索するアーティストたちの経済的なインセンティヴとも合致したフィールドとして、今後も活性化していくだろう。そういった動きにも是非注目してもらいたい。

追記:手前味噌な話になってしまうが、実をいうと私自身も現在、新録ライブラリー・ミュージック企画のディレクションに関わっており、近々詳細をお知らせできるのではないかと思っている。お楽しみに。

ライブラリー・ミュージック(放送用音源)として制作されながらも音楽作品としても決して聴き逃すことのできない “今だからこそ聴くべき” 名盤2作品がついにリイシュー!

-ライブラリー・ミュージック名盤リイシューシリーズ:A JOURNEY TO LIBRARIES-
「ライブラリー・ミュージック」とは、TV/映画/CMその他のために制作されたプロユース用音楽の総称。「BGM」として旧来のリスナーからは看過されがちだったといえるが、一流のプロフェッショナルたちが手掛けた作品には、今こそ多くの音楽ファンに広く聴かれるべき黄金の鉱脈が眠っているのだ!

レア・グルーヴのディガー達によって発掘されてきた、ジャズ/ファンク/イージー・リスニングといった視点からも高いクオリティを備えた70年代の諸作、そして、電子楽器の普及とともに拡がりをみせた当時の “シンセサイザー・サウンド” が、シンセウェイブやヴェイパーウェイヴを経た今だからこそ再評価すべき80年代の作品など、時代やカテゴリを越えたライブラリー・ミュージックの魅力を多角的に紹介していきます!

【第一弾リリース!】

『ジ・AV・コンセプション ヴォリューム・ワン』ジェフ・バストウ
テーテーテッテレッテー!あの『朝まで生テレビ』テーマ・ソング収録作がついに再発! UKの名ライブラリー作家ジェフ・バストウが1986年にドイツの名ライブラリー・レーベル〈SONOTON〉からリリースしたルーツ・オブ・シンセウェイブ~フューチャリスティック・ファンク~アンビエントなキラー盤が世界初リイシュー!
* 試聴可 https://smarturl.it/GeoffBastow_AV

『ソーラー・フレアズ』スヴェン・リーベク・アンド・ヒズ・オーケストラ
あの海洋パニックムービー『ジョーズ』にも影響を与えたと言われるカルト・ドキュメンタリー『インナー・スペース』など数多くのオリジナル・サウンドトラックやTV音楽を手掛けてきたノルウェー出身の鬼才、スヴェン・リーベクが1974年に発表した激レア・ライブラリー作品が世界初紙ジャケットCD仕様でリイシュー!
* 試聴可 https://smarturl.it/SvenLibaek_Solar

[アルバム情報]



タイトル:The AV Conception VOLUME 1 / ジ・AV・コンセプション ヴォリューム・ワン
アーティスト:GEOFF BASTOW / ジェフ・バストウ
レーベル:P-VINE
品番:PCD-24942
定価:¥2,400+税
発売日:2020年6月3日(水)
世界初CD化&紙ジャケット仕様/初回限定生産/日本語解説:柴崎祐二

最終金曜日、テレビで夜更かしをしたことのある全国民が知っているであろう、あの、「テーテーテッテレッテー!」というフレーズ。テレビ朝日が誇る長寿番組『朝まで生テレビ』のテーマ・ソングとして有名なそれは、実はUKの名ライブラリー音楽作家ジェフ・バストウによる “POSITIVE FORCE” という楽曲だったのだ! ジョルジオ・モロダーに師事し、80年代シンセ・サウンドの真髄を継承する彼が作り出した「新しいオーディオ・ヴィジュアル時代」を賛美するライブラリー・ミュージックは、シンセウェイブ~ヴェイパーウェイヴを経て、新時代DTM全盛の今と激共振する、スーパーデューパーな逸品! “POSITIVE FORCE” のクールなヴァージョン違いを含め、今こそ聴きたいフューチャリスティックなキラー・トラックが満載! アートワークも最高! 【1986年作品】

《収録曲》
01. Current Advances 1
02. Current Advances 2
03. Current Advances 3
04. Current Advances 4
05. Current Advances 5
06. Horizons 1
07. Horizons 2
08. Horizons 3
09. Horizons 4
10. Positive Force 1
11. Positive Force 2
12. Positive Force 3
13. Positive Force 4
14. Positive Force 5
15. Positive Force 6
16. The AV Conception 1
17. The AV Conception 2
18. The AV Conception 3
19. The AV Conception 4
20. Expo 1
21. Expo 2
22. Expo 3
23. Expo 4



タイトル:Solar Flares / ソーラー・フレアズ
アーティスト:SVEN LIBAEK AND HIS ORCHESTRA / スヴェン・リーベク・アンド・ヒズ・オーケストラ
レーベル:P-VINE
品番:PCD-24943
定価:¥2,400+税
発売日:2020年6月3日(水)
世界初紙ジャケットCD仕様/初回限定生産/日本語解説:小川充

1960年代から作曲家/アレンジャーとして数多くの映画、TV音楽を残してきたスヴェン・リーベクですが、その幅広い音楽性とハイセンスな作曲能力でライブラリー音楽も手掛けていたのは有名な話で本作はロンドンの “ピア・インターナショナル・ライブラリー” にて制作された1枚。放送用BGMというにはあまりにもクオリティが高く、ジャズ・ファンク、フュージョン、ラウンジ、イージー・リスニング、エキゾといった幅広いスタイル、さらにはモーグ・シンセをフィーチャーしたまさにコズミック・ファンクとも言うべきサウンドも取り込んだレア・グルーヴファンの間でも非常に評価の高いアルバムです! 【1974年作品】

《収録曲》
01. Solar Flares
02. Stella Maris
03. Lift Off
04. Destination Omega 3
05. Conversations With Hal
06. No Flowers On Venus
07. Quasars
08. Meteoric Rain
09. Space Walk
10. Infinite Journey
11. In Nebular Orbit
12. And Beyond

interview with Marihiko Hara - ele-king

 静謐で流麗なピアノを軸に電子音やフィールド録音を配置(コンポーズ)した霊妙な音響空間でモダン・クラシカルの俊英と目される原 摩利彦は、ジャンルを意識して曲をつくることはあるかとの私の問いにPCの画面の向こう側で柔らかな笑顔をうかべて以下のように述べた。「モダン・クラシカルについては意識することはあります。ただこれは僕の作曲のポリシーなのですが、ジャンルから音楽をつくらないようには心がけています。だからといって僕の音楽が独自のジャンルだとは思っていませんが」ひかえめながら表現の土台にある倫理というほど大袈裟ではないにせよ、誠実さをおぼえるこの発言は原 摩利彦の音楽のたたずまいにも通じるものがある。
 2000年代後半に本格的な活動をはじめたことをふまえるとはや10年選手。自作曲のみならず、現代アートから舞台芸術や映像作品にも活動領域を広げつつ、野田秀樹やダムタイプとの協働作業などをとおしてかさねやキャリアはけっして浅くはないが、原 摩利彦の音楽はアルバムのたびに清澄さを増すかにみえる。環境音までもが響きに還元し楽音と交響する2017年の『Landscape In Portrait』から3年ぶりのソロ作はダイナミックな和声進行と質朴な旋律で幕を開ける。ピアノ一台、選び抜いた音で奏でる響きが原 摩利彦の現在地をしめすかのような、アルバム・タイトルも兼ねるその曲の題名を“Passion”という。その語義について作者は「情熱」や「熱情」という私たちのよく知る意味のほかに「受け入れること」があると注意をうながしている。バッハの“マタイ受難曲(Matth?us-Passion)”や今年3月に世を去ったペンデレツキの代表曲のひとつ“ルカ受難曲(St. Luke Passion)”にもみえるキリスト教でいうところの「受難=Passsion」の原義に中世にいたって感情をあらわす意味が加わったと原 摩利彦は説明するが、この言葉を掲題した理由については、十代のころ、音楽家になることを決意したさい、やがて訪れるにちがいないよろこびと苦難に思いをいたしたことにあるという。そのことを証すように『Passion』には十代のころにつくったという溌剌とした“Inscape”はじめ、邦楽器の使用など、近年の舞台~展示作品への参加で得たアイデアをもとにした楽曲など、幅広い傾向をとらえるが、作品の総体は原 摩利彦という音楽家の原点である清澄な場所を照らすかのようである。
 そこにある「受難」と「情熱」、あるいは「受け入れるつよい気持ち」──「Passion」という単語の両価的な意味がこれほど身につまされることもない、緊急事態宣言下の5月14日、京都と東京をオンラインで結んで話を訊いた。

能管を使用した「Meridian」などでは電子音と区別がつかないようなトランジションを施しています。邦楽器のものとされている音の響きと西洋に由来するとされている電子音響がひとつながりにつながっていくようなイメージといいますか、因襲的なものから響きだけをきりとって配置する、コンポジションですよね。

原さんはいま京都ですか。

原 摩利彦(以下原):京都です。ずっと自宅です。

街の雰囲気はいかがですか。

原:一昨日ぐらいからちょっとずつ、僕の家のちかくのお店は開きはじめています。近くのカフェも、テイクアウトの営業ははじまっているみたいですね。

日常が戻りはじめている、というほどはないにせよ──

原:その準備をはじめていると感じでしょうか。僕は窓から眺めているだけですが。

『Passion』の制作はコロナ・パンデミックの前にはじまっていたんですか。

原:そうです。(音楽にかかわる)テキストについてもこうなる前にしあがっていました。ですからアルバムにはいち個人の気持ちは反映していますが、世界状況を考えていたわけではありません。

とはいえ結果的には暗喩的といいますか、現在の状況につながる側面が生まれてしまった。

原:自分の出した言葉の意味が変わってきたと思っています。

制作作業の開始はいつだったんですか。

原:集中して作業したのは去年の1月から8月ですね。それまでにいろんなほかのプロジェクトの断片などをつくりためていたので、その期間を入れるともう少し前になりますが。

いつも断片からアルバムをつくりあげていかれるんですか。

原:かならずしもそうではありません。アルバムをつくろうというとき、ある断片、断片といってもまとまった部分もあるんですが、入れたいというのが集まってきたらアルバムになる感じですね。それが全体の半分以下くらい。サウンドトラックなどのプロジェクトでは作曲したすべての作品を発表できるわけではないですし、舞台などでは再現がむずかしかったりもするので、つくりかえて自分のディスコグラフィに入れたいというのがあります。

原さんは舞台の劇伴などにも携わっておられますが、お仕事以外の曲づくりも日常的にされているんですか。

原:いま家にはピアノがないんですが、キーボードなどでつくっていますね。練習を兼ねた即興のような作曲のようなことをふだんからやっています、その一方でコンピュータはつねにさわっていて気になるソフトウェアを試したりしています。そこで生まれたアイデアをノートに記したりして最終的に曲になることもありますよ。

そのような積み重ねがあって去年のはじめにアルバムになりそうだと気づいたということですね。

原: 6月だったと思うんですが、アルバム1曲目の“Passion”という曲に意図的に書こうと思ってとりくみました。それができてきたとき、いけるんじゃないかなと思いました。

アルバムを象徴する曲が必要だと考えたということでしょうか。

原:たしかにそう考えました。

どういった曲が必要だとお考えになったんですか。

原:すっごく具体的にもうしあげますと(笑)、いきなりテーマがはじまる、これまでの楽曲よりも力強いメロディをもったテーマですね。形式としてはピアノのソロをやりたいと思っていました。ほかの曲はこれまでのものや新しいもの、いろいろですが、流れていくような感じがあると思うんです。1曲目にはリスナーと面と向かっている曲が必要だと思い、試しているうちにできました。

そのころにはおぼろげながらアルバムの輪郭も浮かんでいたんですよね?

原:はい、最後につくったのがアルバムでも最後の“Via Muzio Clementi”なんですが、それは8月のなかばにアルバムのまとめ作業をするためにローマに滞在したときに、もう1曲つくれないかと試してできた曲です。それもあって柔らかい雰囲気になっていると思います。


Photo by Yoshikazu Inoue

おだやかさという観点からイタリアの作曲家ムチオ・クレメンティをモチーフにとりあげたんですか。

原:(笑)いえ、滞在したアパートの前の通りが“Via Muzio Clementi”日本語でいうと「ムチオ・クレメンティ通り」というクレメンティが生まれた土地だったんですね。

牧歌的なピアノ曲を書く作曲家でその作風を意識したかと思ったんですが、ちがいましたね(笑)。

原:そうなんですが(笑)、ひとつめの和音がGメジャーのすごくシンプルなんですね。クレメンティの音楽は和音構成がすごくシンプルで、その点はちょっと関連があるかもしれません。

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Photo by Yoshikazu Inoue

ページをめくったら、シュトックハウゼンの直筆で「いまきみのデモを聴いているけど、すごくパーソナルでSomething Magicalだから音楽をつづけろ」とあったんです。そのあと、ループはとりのぞけとか6thは止めろとかあるなかに、「less Sweet」と書いてありました。

『Passion』では笙や能管やサントゥールといった邦楽器、民族楽器を使用されていますが、これらの楽器の音色の使用にはなにか意味的なものはございますか。

原:邦楽器にかんしてはじつはかかわりがこれまでもありました。というのは、僕の通っていた中高一貫校では中学校のころから週に一度能の謡(うたい)の授業があったんですね。火曜日の5時間目でしたが、6年間謡を習って高校3年生のときに文化祭で仕舞を舞って卒業するというのが伝統だったんです。そのときは「小袖曽我」という演目でした。僕には瑠璃彦という弟がいて、弟もそこで能をやって、卒業後素人弟子(註:能楽師の子でないもので、能楽師より直接指導を受けるもの)になって、いまでは能に携わる仕事しています。2013年に山口県のYCAMで野村萬斎さんが坂本龍一さんや高谷史郎さんと協働で制作された《LIFE-WELL》のドラマトゥルクに入ったり、能の研究をやったりしているので邦楽は身近な存在でした。仕事でも、実際にナマで聴ける機会、これは《繻子の靴》という2016年京都芸術劇場でのお芝居でも自分の音楽とともに邦楽器を鳴らす機会がありました。そのときは能管でしたが、笙にも別の機会で接する機会がありまして、そのとき、楽譜を書いて、邦楽器にメロディを担ってもらってこちらが伴奏をするというやり方ではなくて、電子音響的なアプローチで楽曲としてなりたたせられるのではないかと思ったんです。それがいまならできるのではないかと思い挑戦しました。じつは『Passion』で吹いてもらっているのはすべて古典曲をベースにしたものなんです。サントゥールのほうもやり方は同じです。

楽器の歴史性や記名性とよりも響きに着目されたと。

原:笙はいわゆる「日本の和」のような音ではないと思うんですね。ティム・ヘッカーしかり、アプローチの方法はいろいろあると思うんです。電子音楽との親和性も高いこともわかっていましたが、今回重視したのは音色の部分です。能管を使用した“Meridian”などでは電子音と区別がつかないようなトランジションを施しています。邦楽器のものとされている音の響きと西洋に由来するとされている電子音響がひとつながりにつながっていくようなイメージといいますか、因襲的なものから響きだけをきりとって配置する、コンポジションですよね。

笙や能管とちがってサントゥールは中東の楽器ですね。なぜとりいれたのでしょう。

原:京都の法然院でのコンサートあと、若いサントゥール奏者の方からSNSでコメントをいただいて交流がはじまったんです。僕はSNSを通じて親交深めることはふだんあまりないんですが、和楽器をとりいれることで日本と西洋の対比がテーマだと思われるとイヤだなと思ったとき、ペルシャ楽器の演奏者とつながりができたので、流れに身を任せました。

西洋と東洋の対比はいかにものテーマですものね。

原:僕は(西洋と東洋の)融合というテーマも好みではないんです。対比だったら武満(徹)さんがバリバリやられていることですし。

武満さんは無視できないですよね。

原:武満さんは音楽はもちろん、文章も僕は好きなんです。武満さんの作品の主要な舞台はコンサートホールでしたが、たとえば「November Steps」ではそこにオーケストラと尺八や薩摩琵琶をならべる、いうなれば対比ですよね、そうやって対比をつくったのもそうですし、笙とオーケストラのための「セレモニアル(An Autumn Ode)」でも笙とオーケストラに重なるところがほとんどなくて、宮田(まゆみ=笙奏者)さんの吹かれる笙の音が客席後ろから来て移っていって戻っていく。「ふつう」という語弊がありますが、邦楽器をオーケストラと一緒にバーンと鳴らした気持ちいいところを敢えてせず、深いところまで考察されていたのを知ったときは感動しました。それに、京都にいるとわかりますが、和と西洋の融合をテーマにした企画が多いんですよ。そういうのを横目でみながら、自分はそういうアプローチじゃないな、と思ったこともあります。武満さんのどの曲から具体的な影響を受けたとはいえませんが、武満さんの書かれる文章の文体もそうですし、映画もが好きで、映画音楽については武満さんはキャッチーな曲を書かれるじゃないですか。

ジャズなんかをよく使われますね。

原:ジャズの響きはありますね。僕が好きなのは『波の盆』というハワイの日系人たちを描いたドラマ(1983年、日本テレビ系列。実相寺昭雄監督、倉本聰脚本)のサウンドトラックで、あれほど美しいストリングスオーケストラはないと感じますし、劇伴ではないですが武満さんがハープとフルートで復元したサティのコラール「星たちの息子」も大好きです。勅使河原宏監督の『利休』(1989年)のサウンドトラックではいまの「ザ日本」の源流でもある室町時代が舞台であるにもかかわらず、音楽では同時代のルネサンス期の音楽を引用するセンスにはものすごくしびれます(笑)。

原さんも劇伴のお仕事をされていますが、付随音楽を書かれるさい、いま言及された武満さんのような方法論は意識されますか。

原:野田秀樹さんの『贋作 桜の森の満開の下』の30年ぶりのリメイクのときは笙を使いました。夜長姫というすごく不思議な主人公がいて、音色によるライトモチーフ的な意味合いで笙をもちいました。

キャラクターにあてはめる音色ということですね。

原:いちおうメロディもつけたんですが、子どものような鬼のような夜長姫の人物像をふまえて音色から笙を選択しました。とはいえ方法論としては模索しているところで、構築するのはこれからだという気がしています。

劇伴をつくるのとご自分を作品を手がけられるときの構えでもっともちがうのはどの部分ですか。

原:ふだんの自分の語法を、かかわる作品が拡張する感じはあります。そこに甘えて、自分では控えているやり方をやってしまうとか、そういうこともありますけど(笑)。

原さんにとっての禁じ手とはなんですか。

原:甘くなることです。油断するとメランコリックといいますか、甘くなりすぎるんです。甘くなるという言葉で思い出したんですけど、2005年にシュトックハウゼンが品川に「リヒト」の公演で来日したんですね。

私もそれ行きました。

原:僕も行ったんですよ。21歳のときで、長いサインの列に並びながらドキドキしていたんですけど、そのときデモテープを持参したんです。サインをもらうとき、シュトックハウゼンにデモの入ったCDRを渡して、それから3ヶ月ぐらいしてからだったと思いますが、シュトックハウゼンの事務所からフェスティヴァルの冊子が届いたんです。ところが日づけをみると会期はもうすぎている。どういうことなんだろうと思って、ページをめくったら、シュトックハウゼンの直筆で「いまきみのデモを聴いているけど、すごくパーソナルでSomething Magicalだから音楽をつづけろ」とあったんです。そのあと、ループはとりのぞけとか6thは止めろとかあるなかに、「less Sweet」と書いてありました(といって原氏は小冊子を画面にむける)。

(画面を凝視して)あっほんとだ、直筆ですね。「Dear Marihiko」とありますね。

原:最後に「きみは映画音楽の作曲家になるんじゃないか」と書いてくれてあるんですね。

シュトックハウゼンの戒めだったんですね(笑)。

原:冊子が出てきて思い出しました(笑)。

2005年というと原さんが本格的に音楽活動にとりくみはじめた時期ですね。

原:そうですね。

野田:そこでちゃんと返事を送ってくるシュトックハウゼンも偉いというか意外に律儀ですね(笑)。

原:横暴(!?)だというウワサをよく聞いたこともあり(笑)、たしかに意外でした。冊子がみつかってシュトックハウゼンの「甘くなりすぎるな」という助言を思い出しました。とはいえここはいいかなといいますか、意識的に甘くするのは問題ないと思うんですが、無意識のうちに手癖でそうなるのは抑えるようにしています。

シュトックハウゼンにはセリー音楽のころのピアノ曲から電子音楽まで、幾多の形式の作品がありますが、原さんにとって電子音響とピアノの響きに差異や優劣はありますか。

原:電子音響とはいえ、これまでシンセサイザーはほとんど使ってこなくてピアノの残響をドローンとして伸ばした音を転調させたり重ねたりしていたので抽象的な電子音響であっても僕の場合ピアノと地続きなんです。ピアノ、電子音響とフィールドレコーディングも等価ですし、その点ではさきほど話題になった邦楽器も同じです。等価の意味も平面的な等価性ではなくて、たとえば見方を変えたとき、楽曲のなかでは音量だったりするんですが、笙の音量をあげると前に出てくるように聞こえるけれども、しばらくすると背景になる。フィールドレコーディングでもそうです。ただ背景を担うだけではなく、ときどきそれが主役になる。つねに相対的に動くようにオートメーション音量などを書いています。

フィールドレコーディングが効果音の役割を担うわけでないわけですね。

原:それだけではないということですね。よくやる方法としてはフィールドレコーディングとピアノを同じトラックに入れるとして、ピアノをミュートしたときフィールドレコーディングだけで流れがちゃんとできているかはちゃんと確認します。流れというのは変化ですね。音のシナリオとでもいえばいいでしょうか。波の音があってしばらく静かになって鳥の声が聞こえるとか、それがうまく構成できればフィールドレコーディングはたんなる雰囲気とは一線を画した音になるのだと思います。ある意味では西洋音楽でいう多声音楽(ポリフォニー)的な思考だとは思うのですが。

複数の声部が動きながら関係し合う関係ということだと思いますが、原さんの音楽で特徴的なのはそれが楽音だけでなく現実音でも意識されている点だと思います。

原:そういっていただけるとうれしいです。

たとえばメシアンは鳥の声を楽音に置き換えますが、原さんは現実音をもってきて楽音と同じ目線で考えようとする。

原:テクノロジーの恩恵もあるとは思います。メシアンの当時はいまほどハンディには記録もできなかったでしょうし。


Photo by Yoshikazu Inoue

フィールド録音はどれくらいの頻度でやられますか。

原:最近はけっこうご無沙汰で、こないだ雷が鳴ったときくらいですね、キッチンでいろんな音を録ったりしたこともありましたが。いまは外出できませんが、僕は出張が多いので、宿泊先で朝起きたときその周辺で録ったり劇場に行くまでずっとレコーダーをまわしたり、そういうふうにしてフィールドレコーディングしています。

都会と自然の音はちがうと思います。日本と海外でも音はちがいますか。

原:たしかバルセロナには野生のインコがいたと思うんですよ。すごくやかましい元気な鳴き声なんです。そういう音が特徴的だと思いましたし、東北の山で音を録ったときは鹿の猟をしている銃声が入ったり、土地土地に特徴はありますよね。余談になりますが、東北の件は映像作品のための取材といいますか、音集めだったんですが、録音した日の夜に地元の寿司屋さんに行ったら年配の常連さんのご夫婦とうちとけてお話をしたことがあったんです。その方がいうには、ここの音はほかとなにがちがうのかとことで、作品のために関係のある土地の音を録るのは大事なんだというのは僕の意見としてあったんですが、それだけだと納得していただけなくて、それがフィールドレコーディングのむずかしいところだと思いました。よほどの特徴がなければクレジットやキャプションがなければ伝わらないというむずかしさですよね。その意味では今回はフィールドレコーディングは僕ではない、ちがうひとにたのみましたし、どこで録ったかということは書いているんですけど。

『Passion』でほかの方が録音したフィールド録音の音源を使用されたのはなぜでしょう。

原:メシアンの話ではないですが、さいきんの録音はすごくハンディなので自分で録るということがあたり前になってきていると思うんです、とくに音楽制作の場においては。それをもう一回問い直すといいますか、大問題というよりは素朴な疑問としてフィールドレコーディングは自分で録らなくてもよいのではないかと考えたということです。ただデイスクをつくるとき、パートの役割としてピアノはこのひととか、アレンジはこのひと、フィールドレコーディングはこのひと――ということはよくあったと思うんですね。僕の場合はそうではなくて、自分もそれ(フィールドレコーディング)をするけど、今回はあえて別の方に依頼したということです。

『Passion』はアルバムとしては前作『Landscape in Portrait』から数えて3年ぶりになります。アルバムからは表題曲が、ついでこの取材の直前に「Vibe」が公開になっています。「Passion」の次に「Vibe」を選んだのはなぜですか。

原:「Passion」の語義には「情熱」と「受難」という二面性があって、そのことを敷衍すると僕の音楽をおもうに構成する要素はピアノと電子音響というふたつの要素で、リズムの面ではビートがある楽曲とビートレスな音楽、静謐な音楽という二面性があると思うんです。1曲目の軸となるものを最初に解禁したので、もうひとつ側面を象徴するのはどれかとなったとき「Vibe」であろうということですよね。

そしてアルバムのリリースまぎわに世界は変わってしまいました。そのなかで原さんの音楽はどのようにうけとめられるとお考えですか。

原:ああ(といってしばし考えこむ)自分の音楽のひとつの特徴としては聴きやすいといいますか、受け入れやすい、耳にやさしいとかよく寝られる、とよくいわれていて、今回もそう聴かれることが多いとは思いますが、それに加えて、『Passion』というタイトルもふくめて、かつて僕が曲にこめていて密かにわかってほしいと思っていた側面が自然と伝わるような、無意識でもそこを聴いていただけるのではないかとも思っています。ただし『Passion』はこの世界にたいして、こう思うんだと表したくてつくったものではなくて、じっさいリリースがおくれてこの状況になったんですが、言葉はむずかしいですが「自然」、ここでいう「自然」はなるべくしてそうなったという意味での自然ですが、この作品がたどった課程のように自然に末永く聴いてもらえるとうれしいです。

野田:緊急事態宣言が出て、音楽シーンは甚大な被害を被りました。そのなかで音楽はなぜ人々の生活に必要なのか、ということを考える機会があると思うんです。原さんはどういうふうに思われますか。

原:いま家の前の通りはものすごく静かです。これまでと比べものにならないくらい静かです。静かなのは一瞬は気持ちいいと思うんですが、これまでの世界は音楽があるなかでの静寂だったから気持ちよかったと思うんです。今度はそれが音楽がなくなったときの静けさはまったく意味がちがうと思います。静かになっていい、という意見は音楽がたくさんあるなかでの発言であって、音楽がなくなった世界はだれも想像していないと思いますが、音楽にかぎらず、映画も演劇も文化が完全になくなったのを想像して、そこで気づくこと、あるいは想像したとき胸が一瞬ドキッとすることがあれば、その一瞬の感覚を大事しながら、考えていけたらいいなと思っています。

野田:コロナウイルスというものが音楽に影響をあたえると思いますか。

原:一時的には影響はあると思いますが、それが永続的につづくかといえば、循環していく気はするんですね。

野田:パンデミックが終わったあともまたもとの世界に戻ると思います、それともちがった世界がはじまると思います?

原:世界としては戻らないと思います。早く日常の世界に戻りたいというよりは、僕は新しい世界に切り抜けたいという気持ちのほうがつよいです。ちょっと暖かくなったらすぐにみんな街に出るように、人間はすぐに忘れるので、日常に戻っていくという感覚になるとは思いますが、世界は変わっていくのだと思います。

INFORMATION

オフノオト
〈オンライン〉が増え、コロナ禍がその追い風となった今。人や物、電波などから距離を置いた〈オフ〉の環境で音を楽しむという価値を改めて考えるBeatinkの企画〈オフノオト〉がスタート。
写真家・津田直の写真や音楽ライター、識者による案内を交え、アンビエント、ニューエイジ、ポスト・クラシカル、ホーム・リスニング向けの新譜や旧譜をご紹介。
フリー冊子は全国のCD/レコード・ショップなどにて配布中。
原 摩利彦、agraph(牛尾憲輔)による選曲プレイリストも公開。
特設サイト:https://www.beatink.com/user_data/offnooto.php

Bearcubs - ele-king

 家から15分ほど歩くと遠くから小さな悲鳴が聞こえてくる。そのまま「悲鳴」に向かって歩いていくと、どんどん悲鳴は大きくなり、複数の声になっていく。やがて視界にメリーゴーラウンドが飛び込んできて悲鳴の正体がジェットコースターだと判明する(ゴーよりヒヤアーの方が遠くまで聞こえるんですよ)。豆乳や野菜ジュースを買おうと後楽園のドンキホーテに向かって歩いていると、いつも経験することである。最初の頃はなんだかわからなくて気味が悪かったけれど、最近は悲鳴が小さいと少し物足りなく感じたり。夕方ぐらいに行くと東京ドームから「ドーン」という地鳴りが轟いてくることも。一拍遅れて「ワー」という歓声。野球だろうか。それともコンサートか。中日戦の時は試合が終わる前に帰らないと道が通れなくなってしまう。嵐のコンサートの時は「友だちの1人に加えてください」という札を持った少女がポツポツと道に並んでいる(多分「チケット売ってください」の意)。後楽園の周囲にはマンションも多いので、僕のように散歩ついでに悲鳴を聞くどころか、1日中、一定間隔で悲鳴を聞いている人もいるのだろう。いまは静まり返っているけれども。観覧車もピタッと止まったまま。

 都会の喧騒や佇まいをテーマにして子熊ちゃん(Bearcub)はセカンド・アルバムをつくったという。子熊ちゃんことジャック・リッチーは映画のサウンドトラックをつくるために半年前からベルリンで暮らし、パブで働いていたロンドンとの違いをあれこれと噛み締めたものらしい。アルバム・タイトルの『Early Hours』というのは朝までクラブで遊び、そのあとの時間=午前中のこと。別な目で見た日常。もつれた日常や友だちと喧嘩して仲直りしたとか、そういう些細なことを歌詞にしたと本人は話している(基本的にはどうにでも取れるような書き方だという)。クラブからの朝帰りは確かに妙な体験である。同じ風景が同じ機能を果たしているようには思えない。牛丼屋が何のためにそこにあるのかもわからず、みんなで大笑いしてしまう(キマっているわけではありません)。会社に向かって行く人たちと逆方向に進んで行くことも、それだけでレッドピルを飲んだような気分になれた。誰かの家に転がり込んで、そのままグズグズと寝てしまうまでの時間。少しでも資本主義の外側に出た気分だろうか。

 デビュー・アルバムはジェームス・ブレイクの下手くそな模倣という印象だったものが(本人はベリアルやフライング・ロータスに影響を受けたそうだけど)、2年ぶりとなる新作は格段の成長を遂げている。リズムが全体にしっかりとしてきたというか、マック・デ・マルコがエレクトロニック化したといえば細野ファンなどの関心を引けるだろうか(引かなくていいんだけど)。オープニングからもの悲しくてテンポのいいタイトル曲。淡々としてクールな“Diversions”へと受け継がれ、日常の隙間に溶けていくような淡いメランコリーが持続する。ザ・XXを思わせる“Même Langue”から、まさかのゴムを取り入れた“Everyplace Is Life”。ブレイクでゆっくりと曲の叙情性にひたらせるあたりは前作にはなかったスキル。セイント・エティエンヌやヴァンパイア・ウイークエンドのファンもこれは納得だろう。スティール・パンを取り入れた”Overthinking”は「考えすぎ」というタイトル通り、内省的なラテン・ポップスで控えめなアレンジはもう職人技の域。短いインストゥルメンタルを挟んで“Rubicon Guava”ではシクスティーズを思わせつつペイル・ファンテインズがトラップやUKガラージを取り入れたような展開に……残りはお楽しみということで。最後の最後までとてもいい。


Marihiko Hara - ele-king

 今後のモダン・クラシカルを担う新世代のホープ、電子音やピアノ、フィールド・レコーディングを駆使する作曲家の原摩利彦、その最新作たる『PASSION』が本日6月5日、ついにリリースされている。
 発売に合わせ、原みずからがしたためたという収録曲それぞれにまつわるエッセイが公開されているのだけれど、穏やかな筆致でさまざまなエピソードが綴られていて、これがまた味わいのあるテキストなのです。1曲ごとに写真もあり、世界各地の風景やポール・クローデル『繻子の靴』など、アルバムを聴きながら想像力を膨らませるのにぴったり。

アルバム《PASSION》全曲によせる小文
 https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11181

 また同時に、リリース記念ライヴの開催も発表されている。明日6月6日(土)20時より、原のインスタグラム・アカウントにて配信、トークもあるとのこと。

ライヴ配信はこちらから(6月6日20時~)
 https://www.instagram.com/marihikohara/

ピアノと電子音、世界各地の音が共存することで描かれる、新しい音世界
森山未來や坂本龍一、野田秀樹など各界のアーティストから称賛される音楽家、原 摩利彦。
最新作『PASSION』が本日リリース!

label: Beat Records
artist: 原 摩利彦
title: PASSION
release date: 2020.06.05 FRI ON SALE

国内盤CD BRC-619 ¥2,400+税
購入特典:「Scott Walker - Farmer In The City (Covered by Marihiko Hara)」CDR

TRACKLISTING:
01. Passion
02. Fontana
03. Midi
04. Desierto
05. Nocturne
06. After Rain
07. Inscape
08. Desire
09. 65290
10. Vibe
11. Landkarte
12. Stella
13. Meridian
14. Confession
15. Via Muzio Clementi

【『PASSION』購入特典】
録り下ろしのスコット・ウォーカーの名曲 “Farmer In The City” カヴァー音源をプレゼント。

今作の購入特典に、このために原がアレンジし録り下 ろした、Scott Walker の名曲のカヴァー音源を収録したCDR「Scott Walker - Farmer In The City (Covered by Marihiko Hara)」が決定! 数量限定なので、お見逃しなく!

Shabazz Palaces - ele-king

 '90年代に2枚のアルバムをリリースし、'92年にリリースしたシングル「Rebirth of Slick (Cool Like Dat)」が大ヒットし、同曲でグラミー賞も受賞したヒップホップ・グループ、Digable Planets(ディガブル・プラネッツ)。日本ではコアなヒップホップ・ヘッズよりも、ライトな音楽ファンに受け入れられていたという印象があるが、15年ほど前にLAにて彼らの再結成ライヴを観たことがあり、そのときのオーディエンスの盛り上がりは相当なものであったのを記憶している。当時、メンバーのなかの紅一点、Ladygug MeccaはDigable Planetsのイメージに沿ったソロ活動を展開していたが、一方で、もう1人のメンバー、Butterfly(バタフライ)ことIsmael Buttler(イシュマイル・バトラー)が'09年に地元シアトルで結成したグループ、シャバズ・パレセズは、良い意味でDigable Planetsからのイメージを裏切ってくれた。そんなシャバズ・パレセズの5枚目のアルバムが本作『The Don Of Diamond Dreams』である。

 デビューの時点から、シャバズ・パレセズのサウンドはヒップホップをひとつの基盤としながらも、非常に混沌に満ちている。そして、作品を重ねるにつれて、その混沌は方向性を持ち、洗練されたものに進化していく。オールドスクールや'90年代のヒップホップにエレクトロ、Gファンク、そしてPファンクにも通ずる宇宙的、宗教的なイメージが掛け合わされ、さらにトラップの要素もスパイスとして調合されているのは、Ismael Buttlerの息子であるラッパー、Lil Tracyの存在も少しは関係しているだろう。個人的にはSa-ra Creative Partnersなどを思い起こさせるが、シャバズ・パレセズの音楽性はプリミティヴなファンク感というのものがより強烈に迫ってくる。その象徴とも言える1曲がアルバム中盤の“Chocolate Souffle”だ。Ismael Buttlerのヴォーカルは、ラップというよりもポエトリーに近いが、オートチューンとはまた異なるタイプのエフェクトを効かせまくって、リフレインするシンセのメロディとともに中毒性の高いグルーヴを作り出す。スローチューンでありながらも攻撃性の高い“Fast Learner”でも、同様にエフェクトの効いたボーカルが散文的に展開され、さらにゲストMCのPurple Tape Nateのエモーショナルなラップも実に深く響いてくる。すでに50歳を過ぎているIsmael Buttlerであるが、突き抜けたクリエイティヴィティをいまなお生み出し続けていることに感服する。

たった一人のパンク・ロック - ele-king

 最初に結論を──Kazuma Kubota のノイズは人間讃歌である。
 本稿はその命題から始められ、その命題に向かって終えられる。

 Kazuma Kubota。日本のハーシュノイズ作家。
 フィールド・レコーディングとアンビエント・サウンド、具体音とカットアップ・ノイズを、高度に・複雑に・立体的に──繊細な織物のように──、高い解像度で組み上げたスタイルを築き上げたその作家は、ノイズ音楽シーンに新たな地平を切り拓き、東西南北・老若男女問わず、多くのノイズ作家に影響を与え続けている。
 たとえば──伝説的ノイズ・ミュージシャンと言って過言ではないであろう──非常階段/INCAPACITANTS の美川俊治は、Kazuma Kubota の作品集『Two of a kind』に次のような言葉を寄せて絶賛している。
「Kazuma Kubota、この名前は覚えておいた方が良い。年寄りが跳梁跋扈する日本のノイズを、この男はいずれ背負って立つことになるのだから。理由? この作品を聴きなさい。それで分からないようなら、自分を諦めることだ」

 カット・アップによる切断。アンビエントによる縫合。音によって切り刻まれ混ぜ合わされるのは時空を把握する認識そのものであり、つまるところそれは、歴史そのものである。
 ぱっくりと切り開かれた傷口。そこから覗く時間と空間。飛び交う断片が再接続されたあとで浮かび上がる、全く新たなノイズの地平。そこでは徹底して人間の物語が奏でられている。都市の喧騒、秋の散歩道、冷たい料理を囲む何気ない雑談。ささやきと咆哮、呼吸──言葉以前の音──それらの音の数々は、意味を持たない端的な雑音=ノイズであり、記号の外にある非‐記号であり、認識されず、理解されないままに、見過ごされ忘れられていく日々の泡である。

 うつろいゆく雑音。
 そう、雑音は果てなくうつろい続けてゆく。

 Kazuma Kubota は、それらの雑音=ノイズを拾い上げ、無関係だったはずの音と音の間に連関を見出し、繋ぎ、磨き、大量のエフェクターによって加工し、スピーカーを通して再生し、名もなき雑音に名を与える。そうすることで彼は、顧みられないまま失われた、しかしかつてはたしかに存在したはずの風景を、音と音の間に現出させる。──1月30日。週末、駅前で待ち合わせ。秋の朝を歩く。枯葉が敷き詰められた道。息が白くなり始めている。音楽を聴いている。たくさんの時間が混在する。思い出が混濁する。自分がわからなくなる。わけもなく涙が溢れる。その場にうずくまる。「January thirty」と「A Sense of Loss」。音楽を聴いている。無数の音の粒子が、世界をふたたびかたどりはじめる。物語が、私に生きることをふたたび働きかける。私は立ち上がり、ふたたび歩きはじめる。都市の喧騒、秋の散歩道、今ここにある風景。

 全ての人間は物語によって世界に触れる。
 全ての人間は物語によってのみ世界に触れることができる。
 物語とは、人間の情緒に訴求することで情報を効率的に伝達する情報伝達形式ではない。
 物語とは、人間の情緒に訴求することで情報の外にある世界の広がりを想起させる表現形式である。

 これまで、多くのノイズ作家は物語を否定し、物語性を拒否し、自身の作品に物語性が混入することに抵抗してきた。物語という表現形式は人間の持つ認識機能の特性にあまりにも近しいがゆえに、情緒に訴え共感を呼び起こし安易に連帯をもたらす危険なものであり、世俗的で卑小で恥ずべきものである──ノイズに限らず現代の表象文化においてはそうした主張が知的なものだとされてきた。そして、そうした思想の傾向は今なお強く、むしろ深化し過激化しつつあるように思われる。

 たとえば、自身もノイズ演奏を行う哲学者のレイ・ブラシエは、雑音=ノイズも含め、人間の認識領域外にある「他なるもの/多なるもの」の生の実在を認め肯定し、彼らについての思索を展開する。ブラシエは、地球上から人間がいなくなり、「他なるもの/多なるもの」のみが残された「人類絶滅後の世界」において、いかに存在は在り続けるのかと考える。人類はいない、それでも宇宙はあり、人類がもはや認識することのない世界のなか、認識されえない存在は、どのようにして存在を続けているのかと。
 それはこう言い換えることもできる。存在を存在足らしめるものは人間などではなく、仮に「人類の絶滅」が訪れたとしても、作者とも聴者とも関係のない場所で、音楽は鳴り続けるのだと。そうした思想の背景には、根本的な人間性への否定が横たわっている。そして、多くのノイズ作家/ノイズ作品が体現する思想もまた、ブラシエの論理と同様の構造を持っている。人の介在を問わず、それ自体で立つノイズと呼ばれる音楽は、過剰な──完全な──人間性の否定へと繋がる危険性を孕んでいるのだ。

 一方で、Kazuma Kubota はそうではない。私はそう思う。
 Kazuma Kubota のノイズには、今ここに生きる人間の物語がある。Kazuma Kubota のノイズは、徹底して、あなたや私や彼や彼女など、今目の前に生きている人間に捧げられている。Kazuma Kubota は、そうした自身の音楽性について、インタビューで次のように語っている。
「僕は作品を作る上で映像的なストーリー性と、自身の感情を表現することが重要だと考えています。僕はハーシュノイズを単に暴力的な表現として使用するのではなく、もっと深い感情の爆発のピークを切り取ったイメージとして使用しています。アンビエントは悲しみ、孤独、喪失感、憂鬱、等の現実の生活の中で感じる、行き場の無い感情を表現する為に使用しています」

 Kazuma Kubota のノイズは人間の生活の中にあり、人間の感情を写し取り、人間に徹底的に寄り添うようにして鳴らされている。
 ノイズでありながら人間を肯定すること──それは、幸福も不幸も、快楽も苦痛も、自由も不自由も含め、あらゆる人間の生活を「既に在るもの」としてとらえ、人間の限界を引き受け、その上で肯定しようとする、絶妙なバランス感覚が必要とされる取り組みである。そして Kazuma Kubota は、そうした高度なアクロバットを成し遂げ、今なお成し遂げ続けている。そのようにして Kazuma Kubota のノイズは、人間讃歌として、私たち人類に向けて、まっすぐに奏でられ続けている。

 最後に一つ、私的な思い出について話したい。

 私が Kazuma Kubota の存在を知ったのは2013年のことだった。
 私は当時、大学を卒業して会社員になったばかりで、右も左もわからないまま、右へ行ったり左へ行ったりを繰り返していた。私は社会の中で混乱していた。私は疲れていた。もう何ヶ月も、月間の労働時間は400時間を超えていた。かつては映画を観ることや小説を読むことが好きだった。その頃には映画を観ることや小説を読むことはできなくなっていた。けれども幸いなことに、音楽を聴くことはできた。聴くのは決まってノイズだった。──ノイズを聴くと、自分が失われていくような感覚を覚えることがある。自分自身がノイズを構成する一つの粒子になっていくような感覚を覚えることがある。私はその感覚が好きだった。

 そうした日々の中で、私は Kazuma Kubota のノイズを聴いた。それは不思議な感覚だった。新しいと思ったが、新しいだけでもないと思った。そこには妙な懐かしさがあった。奇妙な音楽だと思った。それはたしかにノイズだったが、そこにあるのはノイズだけではなかった。そこには、記憶の中に堆積していたハーモニーやメロディの数々が鳴っていた。私は私の思い出を思い出していた。私は思い出の中を彷徨していた。そのとき私は、私が十代だった頃に聴いた、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやコールター・オブ・ザ・ディーパーズ、シガー・ロスにレディオヘッド、エイフェックス・ツインや七尾旅人を思い出していた。──いや、白状しよう、私の記憶はさらに過去へと遡り、私は小学生の頃に聴いた X JAPAN やブルーハーツすら思い出していた。
 それはなぜか。そこには何があったか。私はここで最初の文に立ち返る。「Kazuma Kubota のノイズは人間讃歌である」。──そう、結論はこうだ。そこには非‐人間に捧げられた、非‐意味の塊としてのノイズだけでなく、人間に捧げられた、意味の塊としての物語があったのだ。

「ノイズ・ミュージックは、たった一人でもできるパンク・ロックだ」と Kazuma Kubota は言った。
 たとえばそれがそうだとして、パンク・ロックが自分と他人の間に生まれる軋みを表した音楽だとすれば、ノイズとはまさにその字義通り、自他の間隙に生まれる〈軋み〉そのものではないだろうか。
 そう。軋みはここで鳴っている。いつものことだ。
 軋みはつねにすでにここにあり、そもそも自分と他人は隔てられているのだが、多くの音楽は隙間を満たすことで隔たりを隠そうとするその一方で、ノイズは、隔たりを隠そうとしないどころか軋みを浮き彫りにしさえする。ノイズは、私たちは一人ぼっちなのだと指し示し、そうであっても音楽の中で、一人ぼっちの私はこの上なく自由なのだと教える。

 Kazuma Kubota によって構成された新たなノイズ音楽=〈たった一人のパンク・ロック〉──フィールド・レコーディングとアンビエント・サウンド、具体音とカットアップ・ノイズ。「January thirty」と「A Sense of Loss」。都市の喧騒、秋の散歩道、今ここにある風景──それはたしかに一人ぼっちの音楽だが、一人ぼっちであるがゆえに、かつてブルーハーツが歌ったパンク・ロック=人間讃歌のような、優しさと愛に満ちた、現代の人間の物語が可能となっている。私はそんな風に考えている。

 人間は永遠に一人ぼっちだが、それは絶望ではない。
 kazuma Kubota が鳴らすノイズ──たった一人のパンク・ロックが、私にそれを教えてくれたのだ。


新世代の先進的リスナーを中心に幅広い注目と支持を集める Post Harsh Noise の旗手 “Kazuma Kubota” の現在廃盤となっている代表作品をCD化し6月3日(水) 2タイトル同時リリース!

さらに昇華したカットアップ・ノイズの復興を告げる基本資料。クボタの鋭く研ぎ澄まされた作品はどれも、多くのアーティストがその生涯をかけても生み出せないほどのアクションやアイデアに満ちている。 ──William Hutson (clipping. / SUB-POP)
真面目で甘酸っぱい音楽/ 音。フィルムや小説の短編集に近い感触。今後どうなっていくか聴いてみたいと思わせる作品でした。 ──朝生愛

タイトル:A Sense of Loss (ア・センス・オブ・ロス)
形態:CD (スリーヴケース+ジュエルケース+8Pブックレット)
品番:OOO-35
小売価格:2000 円+税
JANコード:4526180518259

トラックリスト:
1. Ghost
2. Memories
3. Sleep
4. Regret
 Total 25:16

タイトル:January Thirty + Uneasiness (ジャニュアリー・サーティー・プラス・アンイージネス)
形態:CD (スリーヴケース+ジュエルケース+8Pブックレット)
品番:OOO-36
小売価格:2000円+税
JANコード:4526180518266

トラックリスト:
1. January Thirty
2. Uneasiness
 Total 29:35

◆本年初頭の RUSSIAN CIRCL ES (US / Sargent House) 来日公演で共演を務めUKの〈OPAL TAPES〉からもリリースする等、新世代の先進的リスナーを中心に幅広い注目と支持を集める Post Harsh Noise の旗手 Kazuma Kubota の現在廃盤となっている代表作品をCD化し2タイトル同時リリース!
◆OOO-35 は2010年に米国のレーベル〈Pitchphase〉から限定リリースされたオリジナルEP。日常を思わせるフィールド・レコーディングや感傷的なドローン/アンビエントと切り込まれるカットアップ・ノイズのコントラストが単なるノイズ・ミュージックを越えた唯一無比のドラマを生み出す傑作。さらに本来収録される筈であった1曲を追加、晴れての完全版仕様となっている。
◆OOO-36 は2012年にイタリアのレーベル〈A Dear Girl Called Wendy〉から限定リリースされたワンサイドLP と、2009年に20部(!)限定でセルフリリースしたEPを1枚のCDにコンパイル。断続と反復を多用したブレイク感溢れる冷たくも激しいハーシュノイズと穏やかなアンビエントの狭間を揺らぎながら突き進んで行く “January Thirty”、雨音のフィールド・レコーディングとギターのアルペジオから幕を開け従前のノイズ観を独自の美意識で更新した意欲作 “Uneasiness”。ともに新時代のノイズ・ミュージックの発展性を示した
重要な内容だ。
◆本再発にあたってはリマスタリングエンジニアに SUMAC, ISIS, CAVE-IN 等のポストメタルの名盤から映画音楽まで幅広く手がける名匠 James Plotkin を起用。スリーヴケースに保護されたジャケットには Kubota 本人による撮りおろしの風景写真が収録された8Pフルカラーブックレットを同梱、Kazuma Kubota 独自の世界観を視覚面からも表象している。
◆国際シーンで人気を獲得し既に各地にフォロワーをも生み出している新たなるノイズ・フォーマットの提唱者として注目すべき作家の隠されたマスターピース、いまここに初の正規流通!

Pharoah Sanders - ele-king

 COVID-19によって以前のようにライヴに行くことができないときは、ライヴ・アルバムを楽しむに限るということで、今回はジャズ・サックス奏者のファラオ・サンダースのライヴ・アルバムを紹介したい。
 1960年代から活動するジョン・コルトレーン世代のジャズ・ミュージシャンでは、去る3月にマッコイ・タイナーが亡くなってしまったが、ファラオ・サンダースはいまなお現役のリヴィング・レジェンドのひとりである。同じくコルトレーン門下出身のアーチー・シェップが、最近はダム・ザ・ファッジマンクとコラボ・アルバムを出してなかなか面白い内容となっているのだが、ファラオの場合は2010年代以降もロブ・マズレクやマウリツィオ・タナカらによる実験集団のシカゴ/サンパウロ・アンダーグラウンドと共演するなど、意欲的な取り組みも見せている。日本公演も継続的に行っていて、東京JAZZやモントルー・ジャズ・フェスティヴァル・イン・ジャパンなどにも出演している。

 そんなファラオ・サンダースの公式ライヴ・アルバムでは、1971年にニューヨークのザ・イーストで録音した『ライヴ・アット・ザ・イースト』(1972年、〈インパルス〉よりリリース)、ロサンゼルスとサンタ・クルーズのカリフォルニア公演を収めた『ライヴ・・・』(1982年、〈テレサ〉よりリリース)などが知られるところだ。意外に少ない印象なのだが、『ライヴ・・・』では彼の代表曲のひとつである“ユーヴ・ゴット・トゥ・ハヴ・フリーダム”を聴くことができるなど、ファラオ・ファン、ジャズ・ファンから人気が高い。
 『ライヴ・アット・ザ・イースト』は1970年代初頭のフリー・ジャズ全盛期の混沌とした演奏、『ライヴ・・・』は1980年代になってカリフォルニアへ移住し、心機一転した明るさを感じさせるネオ・バップ演奏と、それぞれの時代の特徴が表われたような演奏となっていて、当然ながら参加メンバーも大きく異なっている。そして、年代的にはそのちょうど中間にあたる1975年の未発表ライヴ音源が、このたび発掘された。
 発掘したのは〈トランスヴェルサルス・ディスク〉というフランスのレーベルで、フィリップ・グラスからエンニオ・モリコーネまで、主に未発表のライヴ音源やサントラなどを扱っているところだ。フィリップ・サルドやフランソワ・ド・ルーベなどフランスの作曲家の作品が多いのだが、フィリップ・グラスもファラオ・サンダースも1975年のパリ公演の音源を蔵出ししている。

 この『ライヴ・イン・パリ』には、1975年11月17日にフランス国営ラジオ局の大ホールで行われた演奏が収められている。演奏メンバーはファラオ・サンダース(テナー・サックス)以下、ダニー・ミクソン(ピアノ、オルガン)、カルヴィン・ヒル(ダブル・ベース)、グレッグ・バンディ(ドラムス)というカルテット編成。
 この前の作品は1974年録音の『ラヴ・イン・アス・オール』で、〈インパルス〉最終作となっている。次の作品は〈インディア・ナヴィゲーション〉からリリースした1976年録音の『ファラオ』で、ファラオにとって『ライヴ・イン・パリ』はちょうどこの空白の2年間を埋める貴重な音源と言えるだろう。
 演奏家としては35歳と脂がのってきたころだが、〈インパルス〉との契約が終わり次を模索していた時代だ。カルヴィン・ヒルは〈インパルス〉時代の『ヴィレッジ・オブ・ザ・ファラオズ』(1973年)、『エレヴェイション』(1973年)などに参加していて、一方グレッグ・バンディは『ファラオ』で演奏している。
 ファラオのバンドのピアニストは、ロニー・リストン・スミス、ジョー・ボナー、ジョン・ヒックスなど歴代の名手が務めてきたが、1975年は〈ストラタ・イースト〉でのピアノ・クワイアへの参加でも知られるダニー・ミクソンが演奏している。バンドもちょうど新旧メンバーが入れ替わる狭間の過渡期であったようだ。〈インパルス〉時代はパーカッションなど鳴り物や多数のホーン奏者が参加し、ヴォイスも交えながら集団即興を展開する場面が多かったが、それからするとワンホーンの本作はすっきりとコンパクトに整理した録音と言える。

 収録曲はファラオ最大の代表曲である“ザ・クリエイター・ハズ・ア・マスター・プラン”(1969年の『カーマ』収録で、レオン・トーマスとの共作)、『ラヴ・イン・アス・オール』や『ウィズダム・スルー・ミュージック』(1973年)に収録された人気曲“ラヴ・イズ・エヴリホエア”、後年『ラヴ・ウィル・ファインド・ア・ウェイ』(1978年)でも演奏している“ラヴ・イズ・ヒア”のパート1と2、コルトレーンも『ソウルトレーン』(1958年)や『ライヴ・アット・バードランド』(1964年)で演奏するスタンダードのバラード曲“アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー”、そして“フェアウェル・チューン”の全6曲。
 “フェアウェル・チューン”は1971年の『ゼンビ』の表題曲の別ヴァージョンと言える曲だ。演奏形態はフリー色は影を潜め、モードやポスト・バップ中心としたオーセンティックなスタイルとなっている。“ラヴ・イズ・ヒア”に見られるようにファラオのサックスはメロディアスさが目立っているが、そうした旋律が印象に残る楽曲をこの公演では選んでいるようだ。そして、時折彼のトレードマークと言える咆哮のようなフラビオ奏法も随所で披露する。
 同曲のパート2にも見られるように、ダニー・ミクソンの美しいピアノとのコンビネーションも素晴らしく、後の〈テレサ〉時代のジョン・ヒックスとの名コンビぶりを予見させるところもあり、中間では土着的なヴォイスを交えた即興パートも見せてくれる。
 印象的なベース・ラインが循環するモーダルな“フェアウェル・チューン”は、ゆったりとした中から次第にアップ・テンポで飛ばしていく展開が見事だ。非常にライヴ感の溢れる演奏で、エモーションが高まるにつれてヴォイス・パフォーマンスも飛び出す。

 “ザ・クリエイター・ハズ・ア・マスター・プラン”も、スタジオ録音などと比べてテンポ・アップした演奏となっていて、ダニー・ミクソンのピアノも非常にリズミカルである。ダニーのテイストが影響しているのだろうか、『ライヴ・イン・パリ』はファラオのアルバムの中でもソウルフルな持ち味が出ていると言えよう。ただ、この“ザ・クリエイター・ハズ・ア・マスター・プラン”は中間では突如として不穏なフリー・インプロヴィゼイションへと突入し、ファラオのもう一面も見せてくれる。フリーキーなパートでダニーはオルガンへと持ち替え、ファラオのサックスと共にコズミックなムードを演出している。
 最後はお寺の鐘のような音色で締めくくられる。1990年代のファラオはバラード奏者として新境地を見せるのだが、“アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー”はそんな姿を先取りしたかのような演奏。実際に1991年の『ウェルカム・トゥ・ラヴ』でも再演していて、このアルバムも偶然かフランス録音だった。そして“ラヴ・イズ・ヒア”に始まって、ライヴの締め括りは“ラヴ・イズ・エヴリホエア”。ファラオらしいメッセージ性に富む曲順で、シャウトするヴォーカルとコール&レスポンスのバック・コーラスが楽しめる。
 前半のファラオはサックスを吹かずにヴォーカルのみに徹しているが、そのぶんダニー・ミクソンのピアノとグレッグ・バンディのドラムスが引っ張っている。そしてファラオのサックスが入ってからのラストへ向けての盛り上がりは物凄く、観客の歓声や拍手がそれを物語る。

 なお、アルバム・ジャケットのファラオの写真は、衣装やたたずまい、眼差しなどはカマシ・ワシントンそっくりであり、いかにカマシがファラオの影響を受けているかがわかるだろう。現在のカマシのファン、彼の作品を聴いてジャズに興味を持った人には是非とも聴いてもらいたアルバムだ。

編集部より - ele-king

 周知のように、いまアメリカ全土では、ミネアポリスでジョージ・フロイドが白人の警察官から暴行を受け死亡した事件をきっかけに、人種差別に反対する抗議運動が広がっている。このプロテストを支持する意味で、音楽業界全体が活動休止する「black out Tuseday」が本日起きている。
 まず、エレキング編集部に入って来ている情報を整理しながら、どう考えているかを明らかにしておきたい。コロナ騒ぎが起きる前から、たとえばロサンジェルス在住のニール・オリヴィエラ(デトロイト・エスカレーター・カンパニー名義で知られる)から、すでに冷酷な格差社会が広がっており、いつ暴動が起きてもおかしくないテンションがあるという話は2か月前に聞いていた。また、これはアメリカの他の都市にも言えることだが、黒人が多く住んでいる地区にはスーパーも数少ない上にマクドナルドの方が安上がりなので、どうしても食生活に偏りが出てしまう。結果肥満、高血圧など病気がちになってしまう。(コロナに感染して死亡してしまうケースの多さの一因であろう)
 そもそも、今回引き金となったジョージ・フロイド事件以前にも、たとえば、ジョージア州でジョギングをしていた黒人が近所の白人親子に射殺された事件(父親が元警察官で地元政治家などと懇意だったため、数か月後にヴィデオが発覚してやっと逮捕された)。NYセントラルパークで犬を放し飼いにしていることを黒人に注意された白人女性が(命の危険を感じると)嘘をついて警察を呼んだ事件。マイアミでは自分の子供を殺した母親が黒人2人組に襲われて息子を誘拐されたと嘘をついた事件。ホームレスに渡す物資をトラックで整理していた医者が警察に問いただされて銃をつきつけられた事件などなど、このところ人種差別にまつわる事件が相次いでいた。
 そして、こうした一連の人種差別事件が頻発している背景にトランプ政権があることは疑いようがない(メキシコ人しかり中国人しかり)。彼の人種差別を肯定するかのような公言もあって、このような事態が加速しているように思えるのは我々だけではないだろう。日本でもつい先日クルド人男性が警察の暴力を受けたばかりであり、他人事ではない。
 もっとも、相変わらずニュース番組にも問題がある。ジェフ・ミルズのアクシス・レーベルによれば、抗議デモは広くは平和的なのに、しかしTVは暴力的な場面だけにフォーカスし、反復しているとのこと。また、キング牧師暗殺以来の外出禁止令という言い方も少々大げさであり、コロナウイルスにおける外出禁止の勧告と同じくらいのものだという。まだ、いまのところは。(もし、万が一、トランプが軍隊を出すようなことがあればどうなるかわかったもんじゃない)
 いずれにせよ、いま大きなことが起きている。エレキングとしては現地でこの抗議デモに参加している人物のインタヴューを近々載せようと思っています。ひとりは、ベテランの詩人にして活動家のジェシカ・ケア・ムーア。昨日、彼女がデトロイトのコミュニティでやったスピーチも見たが、まったく暴力的なものではなかった。なるべく早く載せられるようにしますので、しばしお待ち下さい。(野田+小林)

追記:亡くなったジョージ・フロイドは、ビッグ・フロイド名義でDJスクリューの作品に参加していたラッパーでもあった。DJスクリューの「チョップド&スクリュード」という手法は、のちにヴェイパーウェイヴにまで影響を与えることになる。

Okada Takuro + duenn - ele-king

 岡田拓郎とダエンによる本作は極めて重要な達成を示している。アンビエント・ミュージックがミニマルなポップ・ミュージックであることを明快にプレゼンテーションしているのだ。
 アルバムには全16曲が収録されている。岡田とダエンがディスカッションのすえに導き出したコンセプトはふたつ。ひとつはアンビエントは「都市の音楽」ということ。もうひとつはメロディをダエンが担当すること。特に後者には驚かざるをえない。なんといってもダエンは「メロディのない」ドローン・アーティストとして国内有数の存在だからだ。メルツバウやニャントラとの3RENSAとしての活動も活発である。
 対して待望の新作アルバム・リリースがアナウンスされている岡田は現代随一のポップ・ミュージック・アーティストであり、その音楽性はポップスからアンビエントまで幅広い。その2人がいわば立場を逆転して創作・作曲したわけだ。しかもどうやらダエンは、はじめて「メロディ」を作曲したらしい。そのうえ「GarageBand」というもっともポピュラー(というか誰にでも使える)なソフトで作曲したのだという。
 こうしてダエンによって生みだされたメロディたちは、子守唄のように素朴で、記憶の琴線をやさしく刺激するやさしさに満ちている。岡田は「プロデューザー」という役割に徹することで、ダエンのメロディをつぶさに観察し、2020年の「環境音楽」として構築していく。その手腕は流石だ。サウンドはやわらかなカーテンのようにゆらぎ、都市の満ちる光のようにふりそそぐ。このアルバム、完成には2年の月日を必要としたらしい。それゆえかまるできずひとつない工芸品のようなサウンドに仕上がっている。聴いているうちに思わずため息すらでてしまうほどに。
 しかもどの曲も1分強という短さなのだ。この短さは意図されたものだろう。短さゆえにまた聴きたくなる。それによりサウンドが永遠に続くような感覚を得ることができる。じじつ、YouTube盤では三時間に及ぶバージョンとなっており、本作における短さと長さが永遠というテーゼによって合わせ鏡のようにつながっていることが分かる。
 最初に聴いた印象は、吉村弘、芦川聡、廣瀬豊、尾島由郎などの80年代日本環境音楽を継承しているのでないか、ということだった。じっさいアルバム名の「都市計画」は、パブリックな空間において環境と共に鳴る音楽を実践するという80年代型環境音楽の思想をつながるように思えたし、メロディがサウンドの中に融解していくさまは尾島由郎によって東京・青山の複合文化施設スパイラルのために制作された環境音楽『Une Collection des Chainons』シリーズに近いとも感じられた。もしくはエリック・サティが電子音楽化したようなサウンドのようにも。
 同時に新しい時代の、新しい都市を生きる人のための、新しいポップ・ミュージックを提案する音楽にも思えた。ポップ・ミュージックとは反復聴取により都市と生活に浸透していく音楽だ。その意味では本作は、都市生活の中に静かに反復し溶け込んでいくフラグメンツとしてポップ・ミュージックといえないか。もちろん、歌声はないし、当然、歌詞もない。ビートもない。いわゆる「アンビエント」音楽のフォームである。しかし断続的に生成し反復する「メロディ」は、ある意味で、ドローン主体の音楽よりも日々の都市生活に中に空気のように自然に溶け込んでいく。
 インターネットとリアルを往復する現代を生きるわれわれは常に短い断片的な時間を生きている。それゆえ短い曲が自然に生成変化を繰り返すアルバム構造は、日々の生活をシームレスに彩ってくれるはず。じじつ本作は「物語」ではなく、「空気」のような音楽を目指しているという。パブリックな空間に流れていても、環境に溶け込みつつ、静かに都市生活を彩ることになるだろう。
 反復と聴取。環境と浸透。本作『都市計画(Urban Planing)』は、20世紀中期・後期の録音作品によるアンビエント/環境音楽の思想を継承しつつも、21世紀のインターネット以降の断続的な時間が流れる都市/生活にアジャストするために、イーノ以降のアンビエント/環境音楽がポップ・ミュージックの一形態であったことも示唆するような作品になっている。そこに中心になっているのがドローン作家がはじめて作曲したメロディなのだ。都市、メロディ、空気。このみっつのコンセプトのもと、本アルバムはそんな都市に舞う透明な霧のようなアトモスフィアを発している。
 ぜひともサブスクで最新のポップ・ミュージック(そこにはロックもヒップホップも含まれる)を聴くように、本作を折に触れて再生してほしい。断続的/断片的な時間が不意に融解し、安心と快楽を得られることができるだろう。今、この時代を生きる現代人に必要な音がここにはある。そう、本作はあらゆるアンビエントがそうであるように、新しい時代の、新しい都市を生きる人のためのポップ・ミュージックだ。

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