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「お気をつけなさい。お気をつけなさい。.........」
海に囲まれたこのクールなジャパンは、あらゆる外来文化を不可思議な形に変えてしまうのだから。
「ことによるとデウス自身も、この国の土人に変わるでしょう。支那やインドも変わったのです。西洋も変わらなければなりません。我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにもいます。(中略)どこにでも、またいつでもいます」芥川龍之介『神神の微笑』
「我々」というのは日本の「神々」のことである。舞台は戦国時代、イエズス会の神父オルガンティノが京都の南蛮寺で日本の神々に出くわすという神秘体験を綴った短編だ。史実にはないようだが、引用部分は「日本の精神的風土」を考察する際によく用いられる。とくに補足はいらない。ビョークが森ガールになる風土である。引用箇所のニュアンスは、多くの人が思い当たるものであるはずだ。後述するが森ガールは、男女観と社会をめぐる価値転倒と逃避の契機を含んだ、日本オリジナルの女性類型だ。しかも比較的新しい言葉である。少なくとも逃避の要素のない、しかも2000年代以降の国内事情にほぼ無関係なビョークをここに結びつけるのは短絡と言えよう。
グラッサーもめでたく変化(へんげ)させられ、ここ日本で森ガール的な受容をされていくのではないかと思う。リスナー側からすれば別段悪いことでもない。さすがにもうその呼称での訴求力は弱いかもしれないが、需要がなくなるわけではない。森ガールが聴いていそうな音楽は何ですか。「ヤフー知恵袋」のベスト・アンサーは以下のとおりである。「コーネリアス、カヒミ・カリィ、高木正勝、INO hidefumi、salyu、yuki」
なるほど。「ニカ」か、霊妙な女性ヴォーカル。どだい定義があってないような概念であるが、「森ガール」は「鉄子」や「歴女」、「農ギャル」、「カツマー」とさえ共通して、「男性(社会)からどのように距離をとるか」という命題を有しているように思われる。さらにいえば「男女の性的な関係性の外にいかに脱出するか」「男性の気を引かずに(あるいは引かないことを装って)、且つ、可愛くある(女性として充実する)にはどうしたらよいか」といった問題である。その答えとして、資金を貯めて武装するという闘争路線をとるもの、森に向かい、鉄道へ向かい、非日常性と脱世界性を志向するもの等々に分かれるというわけだ。ここに「ニカ」的な音が召喚されるのはわからなくはない。社会の生々しさを脱臭する、エレクトロニカにはたしかにそうした側面もある。サリュやユキなどのエスリアルな女性ヴォーカルにも同様なことが言えるだろう。彼女たちの、つま先がわずかに地面を離れているような在り方にひかれるのである。
グラッサーはキャメロン・メジローという美貌の才媛によるひとりユニットだ。キャメロンはブルー・マン・グループのメンバーであるという父を持ち、幼い頃からモータウンやニューウェイヴを聴いて育ったという。2009年にリリースされた〈eミュージック・セレクツ〉のコンピ『セレクティッド+コレクティッド』で、ガールズやペインズ・オブ・ビーイング・ピュア・アット・ハートなど2000年代後期を象徴するバンドとともに収録されて注目を浴び、本デビュー・フルのリリースにいたる。その折の収録曲が、本作の冒頭を飾る"アプライ"である。これがアップル社のガレージ・バンドで作られているというのだから驚きだ。プロデューサーがついたとはいえ、もとのデモはかなり生きているらしい。トライバルで多層的なパーカッションと、信号音のようにぶっきらぼうなベース音以外は、彼女のヴォーカルのみ。しかしこの伸びやかで華のあるヴォーカルのために、じつにヴォリューミーな印象を受けるトラックである。ビョークと比較されることが多いようだが、華やぎと超俗性を兼ね備えたヴォーカルはたしかに共通したものを感じさせる。また、ビートや打楽器自体にはエスニックな趣味性が強いが、アルバム全体としては広がりのある、血色のよいエレクトロニカが基調となっている。要するに、品がよい。スレイ・ベルズのようにやんちゃでも、ボンジ・ド・ホレのようにホンマものの辛口でも、チューンヤーズのようにエクスペリメンタルでもない。どちらかというと美術館の白い壁によく映える音だ。
決して否定しているわけではなく、この品のよさこそが彼女にポップな存在感を与え、成功の足がかりをつくることになると思う。彼女は次のファイストにもなり得る器である。マイスペースには裸足で機織り機に向かう写真が載っているが、じつに申し分ないショットだ。ここにはキャメロンのトライバル志向や巫女性が、ハイ・プレイシズやラッキー・ドラゴンズ等のブルックリン的なモードと共鳴しながら、高級ファッション雑誌のような完成度で写りこんでいる。あの声を縦糸に、あの美貌を横糸に、ガレージバンドという織り機を彼女は美しく操る......。コアなインディ・ファンから、普段は若いアーティストをチェックしない女性シンガー・ファンのおじさん、洋楽に馴染みがないという若い女性まで広くアピールするはずである。言わずもがな、日本においてはもちろん「森ガール」押しだ。"ホーム"の反復するマリンバは、アフリカンな土俗性を離れ、森深く湧き出づる泉の音となるだろう。"トレメル"のスティールパンはニットのやわらかいベージュにくるまれるだろう。お気をつけなさい。
しかしどのようにこちらの文脈に捕われようが、音自体が変形するわけではない。グラッサーは文脈や環境にどのくらい対抗することができるだろうか。そして日本と日本の音楽ファンに何を残すことができるだろうか。
橋元優歩