「K Á R Y Y N」と一致するもの

Craig Leon, Jennifer Pike - ele-king

ようやく“ただの楽器”になったシンセサイザー 吉村栄一

 2015年はムーグ(本来はモーグという発音が正しいが、ここでは従来どおりにムーグと表記します)・シンセサイザーの生みの親であるロバート・ムーグ博士の没後10年にあたる年だ。

 ムーグ博士とムーグ・シンセサイザーが電子楽器と音楽の世界に与えた影響の大きさはここで語るまでもないが、それでも、ムーグ・シンセサイザーが世に出た1964年から今日まで、ムーグのシンセサイザー、とりわけその代名詞とも言えるモジュラー・シンセサイザーはつねに音楽の世界の第一線で活躍を続け、世紀を超えていまではすっかりあって当たり前の存在になっている。
 去年から『YMO楽器展』という、70年代末から80年代初めにかけてイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が使用したシンセサイザーその他の楽器を展示するイヴェントを企画している(これまで東京と大阪で開催。この夏には横浜でも開催します https://momm.jp/70/)。
 そこで並べた多くのヴィンテージのシンセサイザーの中で、もっとも注目を集めるのは、やはり“タンス”という通称で知られる巨大なムーグのモジュラー・シンセサイザー。そして、このイヴェントでやや意外だったことは、リアル・タイムのYMOファンだった年代よりもそうとうに若い10〜20代が多く来場し、“タンス”に熱い視線を送ることだった。これはとくに大阪会場で顕著で、話を聞いてみると、YMOそのものよりも、むしろモジュラー・シンセサイザーへの憧れや興味があるという。実際、いま日本のみならず世界中でモジュラー・シンセサイザーへの関心が高まっており、新作の発表やヴィンテージ機器の復刻が相次いでいる。
 先頃、東京や京都ではモジュラー・シンセサイザーのフェスティヴァルが開催されて大盛況にもなっていた。

 かつて1960年代、時代の最先端の楽器であったシンセサイザーでバッハの名曲を録音してシンセサイザーの存在を世に大きく知らしめたのがウェンディ(ウォルター)・カルロスの『スイッチト・オン・バッハ』だった。


Wendy Carlos /
Switched on Bach (1968)

 1968年に発表された同作は、シンセサイザーという新たな時代の新たな楽器に光を当て、世界中に大きな衝撃を与えた。
 それから半世紀近く経ったいま、クレイグ・レオンが突如発表したのが本作『バッハ・トゥ・モーグ』。『スイッチト・オン・バッハ』同様、ムーグのモジュラー・シンセサイザーでバッハの名曲を演奏という内容で、クレイグ・レオン自身も『スイッチト・オン・バッハ』の影響で本作を制作したと発言している。

 しかし、ウェンディ・カルロスが当時まだ使い道が未知の領域にあった新しい楽器、シンセサイザーでバッハを演奏したアルバムを作ることと、21世紀のいま、つまりシンセサイザーが未知の楽器から最先端〜先端の楽器という時代を通り抜けて普遍的な存在となっているいまとでは、その意味合いは大きく異なる。

 本作は先頃ムーグ社によって復刻された1970年代初期のモジュラー・シンセサイザーの名器システム55を使用して録音されている。最新の楽器どころか、およそ40年近く昔の楽器の音でのバッハ。多くの人は「なぜいまこんなアルバムを?」という疑問を抱くだろう。
 しかし、このアルバムを聴いていると、じつは人がそんな疑問を抱くことこそが不思議な気持ちにもなってくる。
 というのも、いまもなお世界中でバッハの曲はピアノで演奏され、それを録音したアルバムが多く作られている。
 誰も「なぜいまバッハの曲をピアノで?」と疑問に思ったりはしない。
 それはピアノという楽器は1700年代初めに開発されて以来、音楽の世界で浸透し、いまでは多くの人びとに愛される日常の楽器となっているからだ。
 おそらくピアノが開発された当初は、クラヴィコードやチェンバロといった楽器のために書かれたバッハの曲が、それらとは音色もオクターブもちがう新参の未知の楽器、ピアノで演奏されることに、多くの人が衝撃を受けたにちがいない。バッハがあずかり知らぬピアノなどという新楽器による演奏は、バッハの曲への冒涜だと感じた人もいただろう。
 シンセサイザー演奏による『スイッチト・オン・バッハ』も同様だった。

 しかし、半世紀近く経ったいま、シンセサイザーはすでにピアノ同様、音楽の世界に膾炙した日常の楽器だ。クレイグ・レオンはむしろこう考えたのだろう。「ピアノのバッハはたくさんあるのに、なんでシンセのバッハは最近ないんだ?」あくまで想像だが、クレイグ・レオンは、シンセサイザーはピアノと同様のすでに日常にある普遍的な楽器であり、クラシックでもジャズでも「ふつうに」演奏に使われるべきと考えたのだろう。

 それを前提に本作を聴くと、そうしようと思えばいくらでもできたはずなのに、どの曲でもいかにもそれらしい電子音は使用されていない。『スイット・オン・バッハ』ではシンセサイザーという新しい楽器の特色を強調するためにあえて使っていたいかにもな音色はここではほぼ使われていないのだ(ブランデンブルグ協奏曲など一部使っているが)。
 シンセサイザーという楽器を強調するためのアルバムではなく、バッハを演奏するのが主眼のアルバムだからだ。よくもわるくもここでのシンセサイザーはただの楽器。だから、同じくただの楽器であるヴァイオリンもシンセサイザーで音色をシミュレートするのではなくヴァオリニストを招聘して生音を躊躇なく使う。

 ムーグ博士がムーグ・シンセサイザーを世に送りだして60年。シンセサイザーはここに至って、ようやく新奇の異端楽器ではなく、ピアノやヴァイオリンやギターと同じようなただの楽器として日常に浸透したのである。本アルバムがそのなによりの証左だ。

 英語圏ではBachをバッハではなく、バックと発音することが多い。
 本作はすなわち「バック・トゥ・ムーグ」。バッハをムーグのもとに一度バックする(返す)ことによりくっきりと浮かびあがる「シンセサイザーがようやく楽器としての市民権を得たこの時代」を、寿いでいるように思えてならない。

文:吉村栄一

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モーグにとって“バッハ”とは? 前島秀国

 30年ほど前、某クラシック評論家がウェンディ・カーロスのモーグ・シンセサイザーを聴いて、「クラシックがオモチャにされているようだ」と宣った。カーロスをはじめ、多くのシンセシストたちが酔狂でクラシックを演奏していると思っていたのだろうか? おそらくその評論家は、たったひとつの音色を初期ムーグ・シンセサイザーから引き出す作業が、どれほど困難で時間のかかることなのか、まったく無知だったに違いない。

 カーロスの『スイッチト・オン・バッハ』の登場以降、シンセシストたちがベートーヴェンでもモーツァルトでもなく、バッハをこぞって演奏した理由もそこにある。つまり、彼ら彼女らが苦労して作り上げたモーグの音色をデモンストレートするのに、バッハの音楽が最適だったからだ。ハーモニーが音楽の重要な要素のひとつとなるモーツァルト以降のクラシック曲よりも、2本または3本のすっきりとしたメロディラインが対位法的に戯れていくバッハのほうが、モーグ独特の音色の特徴が伝わりやすい。せっかく作った音色も、分厚い和音の海に溺れてしまっては、元も子もないから。
 モーグの“オタマジャクシたち”にふさわしい泳ぎ場は、ドラマティックな転調やノイズすれすれの不協和音が渦巻く荒海より、むしろ音楽がなだらかに流れる“せせらぎ”のほうである。ドイツ語でバッハ(Bach)という言葉は「小川」を意味するけれど、水草のようにケーブルが生い茂ったモジュールから生まれた“オタマジャクシたち”にとって、これほど自由に泳ぎ回れる居心地のいい“小川”は、いまも昔も他に存在しないのだ。

 今回の『バック・トゥ・モーグ』では、その“オタマジャクシたち”がヴァイオリンや室内オーケストラの生楽器とともに“小川”に入り、なんら遜色のない泳ぎを披露している。胡弓のような雅をまとった、エレガンスあふれる“ヴァイオリン・ソナタ第4番”。こびとがリコーダーを吹いているような、微笑ましい“ブランデンブルク協奏曲第4番”。もう、オモチャなんて言わせない。

文:前島秀国

interview with Jim O'Rourke - ele-king


Jim O’Rourke
Simple Songs

Drag City / Pヴァイン

Rock

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別冊ele-king ジム・オルーク完全読本 ~all About Jim O'Rourke~
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 1999年の『ユリイカ』は、80年代末から90年代初頭、ハードコアな作風で頭角をあらわした彼のポップな側面を示したもので、実験性とポップさとの混淆は当時音響とも呼ばれ、往時を偲ぶよすがにいまはなっている。そこから16年、『ユリイカ』を継いだ『インシグニフィカンス』(2001年)から数えても干支がひとまわりしてあまりあるあいだ、ジム・オルークは自身の名義のポップ・アルバムを江湖に問うことはなかった。ブランクを感じさせないのは、彼はプロデュースやコラボレーション、あるいは企画ものの作品に精を出してきたからだろうし、おそらくそこには心境と環境の変化もあった。ひとついえるのは、『シンプル・ソングズ』ほど、「待望の」という冠を戴くアルバムは年内はもう望めないだろうということだ。そしてその形容は過大でも誇大でもないことはこのアルバムを手にとったみなさんはよくわかってらっしゃる。まだの方は、わるいことはいわない、PCのフタを閉じてレコ屋に走るがよろしい。ついでに本屋に立ち寄って『別冊ele-king ジム・オルーク完全読本』をレジにお持ちいただくのがよいのではないでしょうか。『シンプル・ソングズ』のあれやこれやはそこに書いてある。

 余談になるが、今回の別エレでつきあいの古い方々に多く発注したのは、彼らが信頼のおける書き手であるのはもちろん、かつて勤めていた媒体が復活すると耳にはさんだせいかもしれない、とさっき思った。対抗するつもりは毛の先ほどもなかったけれども、意識下では気分はもうぼくたちの好きな隣町の七日間戦争ほどのものがなかったとはいいきれない。つーか内ゲバか。と書いてまた思いだした、『完全読本』の巻頭インタヴューでジムさんは「Defeatism」つまり「敗北主義」なる単語を日本語でも英語でも思い出せなかった。話はそのまま流れたので、そのことばはどの文脈に乗せたものか、もはやわからないが、メジャーとマイナーという二項対立では断じてなかった。

 本稿は『完全読本』掲載のインタヴューより紙幅の都合で割愛した部分と、別日に収録したものをミックスしたものであり、『シンプル・ソングズ』のサブテキストのサブテキストの位置づけだが、ジム・オルークにはこのような夥しい聴取の来歴があることをみなさんにお伝えしたかった。まったくシンプルにはみえないが、すべては音楽の話であるという意味ではシンプルこのうえない。

当時は〈Staalplaat〉が勢いがあった時期で、毎日レーベルのオフィスに顔を出していたね。

ジムさんがヨーロッパによくいたのは何年から何年ですか?

ジム・オルーク(以下JO):88年からですね。そのときはまだ大学生だったので、学校が休みになったときにヨーロッパにいっていました。

アイルランドに行ったついでに大陸に足を伸ばしたということですか?

JO:アイルランドは高校生のときですね。大学のときはまっすぐアッヘンに行っていました。アッヘンを拠点にしていました。

アッヘンに行ったのは――

JO:クリストフ(・ヒーマン)さんがそこに住んでいたからです。彼のご両親はビルをもっていて、その1階は狭かったのでドイツの法律ではたぶん賃貸に適さなかった。それで倉庫というか、実際はクリストフさんのスタジオになっていたんですが、彼はあまりそこを使っていなくて、それで欧州滞在時の私の部屋になったんですね。あのときはライヴをするといっても、一ヶ月の間に2回、せいぜい3回くらいで、アムステルダムでライヴがある場合は当時アムステルダムに住んでいたジョン・ダンカンさんのところに2、3週間やっかいになる、そんな生活でした。アンドリュー・マッケンジーさんも近くに住んでいました。当時は〈Staalplaat〉が勢いがあった時期で、毎日レーベルのオフィスに顔を出していたね。

クリストフ・ヒーマンと出会ったきっかけはなんだったんですか?

JO:88年だったと思いますが、クリストフがオルガナムとスプリットの12インチを出すことになっていたんですね。オルナガムのデイヴ・ジャックマンはそのとき私の出したカセットを聴いていたらしく、ジャックマンがクリストフに「ジム・オルークといっしょにやったほうがいい」と手紙を書いたんですね。それでクリストフさんに誘われて、船に乗ってアッヘンに行ったんです。

デイヴィッド・ジャックマンがつなげたことになりますね。

JO:その大元はエディ・プレヴォーさんです。私は13歳のときにデレク・ベイリーと知り合って、15歳のときにエディさんとも面識ができました。私はエディ・プレヴォーとデイヴィッド・ジャックマンとスプリットLP(『Crux / Flayed』1987年)が大好きでしたから、エディさんにそういったら「じゃあデイヴィッドと会ったほうがいいよ」と。デイヴィッドさんに会ったら、オルガナムを手伝ってくさい、となり、デイヴィッドさんがクリストフさんに紹介して――といった感じですね。オルガナムには6、7年間参加していました。クレジットはあったりなかったりですが。

なぜクレジットがあったりなかったりするんですか?

JO:それがデイヴィッドさんのスタイルなんです。彼の音楽なのでクレジットは私は気にしない。でもときどき書いてありました。だから私もどのレコードに自分が参加したのが100%はわからないんですね。

憶えていない?

JO:録音したのは憶えていますが、音楽を聴いてもわからない(笑)。

オルガナムではジムさんはなにをやったんですか?

JO:ギターとベース。ですが演奏というよりミックスでした。最初にやったときは演奏だけだったんですが、そのとき録っていたスタジオのエンジニアのミックスをデイヴィッドさんは気に入らなかったらしく、私に試してみてくれといったんですね。それで私のほうを気に入ったから、それからお願いされるようになりました。94、95年くらいまではやっていたと思います。でもそれは仕事ではありません。チャンスがあればいつでも参加しました。

デイヴィッド・ジャックマンはどういうひとですか?

JO:いわゆる「英国人」です(笑)。60年代の共産主義ラディカルを体現したようなひとでした。キース・ロウと同じ世代ですから。

コーネリアス・カーデューもそうですね。

JO:そうです。キース・ロウさんはスクラッチ・オーケストラですから。でもじつはキースさんよりデイヴィッド・ジャックマンのほうがキンタマがあったね(笑)。これは簡単にはいえませんが、彼らの政治的なスタンスにかんしては、そういうひとたちは反対意見にたいして、自分たちが正しいと意固地になる傾向があると思うんです。ところがデイヴィッドさんは相手が共産主義者であるかそうでないか気にしない。かたいひとですが、かたいだけじゃない。

いまでも連絡することがありますか?

JO:ときどきありますが、彼は頻繁に連絡をとりあうタイプの方ではないです。私はあのとき、イギリスにいましたから連絡は簡単でしたが、いまは日本ですからほとんど連絡しません。彼はインターネット世代ではない。インターネットを使ったこともほとんどないでしょう。連絡はもっぱら手紙。電話もなかったかもしれない。私もいまはすこしそういった感じですが(笑)。

メディアがひとの聴き方をコントロールする時代ではなかったのですから。いまの日本のようにAKB一色じゃなかった。どうしてフランク・ザッパを知ったんですか、と訊かれることがありますが、フランク・ザッパはファッキン人気だった。

ジムさんはそういう世代から考え方の面で影響は受けましたか?

JO:もちろん受けました。意識してはいませんでしたが。というか、私はまだ10代でしたから、なにもわかりませんよ。私はアメリカ生まれでしたが、両親はアイルランド人でアメリカは関係なかったですから、あのひとたちのほうがかえってわかりやすかったんです。

ヒーマンさんなんかはエディさんやデイヴィッドさんより、近い世代ですよね?

JO:ヒーマンさんは私より年上ですが、私と会ったとき、私は18、19で彼は23、24。ちかい感じはありました。あのとき彼はまだH.N.A.S.をやっていましたね。

H.N.A.S.についてはどう思いました?

JO:『Im Schatten Der Möhre』は好きでした。クリストフさんの先生はスティーヴン・ステイプルトンなんですね。でも私はそのとき彼は好きではなかった。

でもジムさんはナース・ウィズ・ウーンドといっしょにやっていますよね?

JO:うぅ。でも会ったことはありません。一度だけ電話で話しました。いいひとだと思うけど、NWWは私は好きじゃない。

どういうところが?

JO:スティーヴン・ステイプルトンはすごくレコードを蒐集しているんですが、彼がつくるほとんどの音楽は現代音楽のコピーだと思う。たとえば、この曲はロバート・アシュリーの“シー・ワズ・ア・ヴィジター”とかね。クリストフさんはスティーヴン・ステイプルトンのお陰で現代音楽にめざめたところがある。私は逆でした。コピーするのは問題ないんですよ。でもなにかが足りないだね。現代音楽のカヴァー・バンドに聞こえる。当時私は大学でそういった音楽を勉強していましたから、なおさらコピー、チープなコピーに思えたんです。それでよくクリストフとケンカなった(笑)。それでNWWは好きじゃなかったんですが、ときどきほんとうに音楽が彼のものになることがあって、それはおもしろかった。

ジムさんは10代の頃から現代音楽には深く親しんでいたんですね。

JO:そうですが、現代音楽はけっしてアングラなものではありませんよ。ジョン・ケージは生きていましたし――

だからといってだれもが聴くわけではないですよね。

JO:それは関係ない。メディアがひとの聴き方をコントロールする時代ではなかったのですから。新聞で雑誌でそういうものを読むこともできました。いまの日本のようにAKB一色じゃなかった。どうしてフランク・ザッパを知ったんですか、と訊かれることがありますが、フランク・ザッパはファッキン人気だった。彼は有名人。普通のレコード屋にも彼のポスターが貼っていたんですよ。これは30年前の話ですが、いまから30年後には「どうしてあの時代、灰野敬二を聴いていたんですか?」ともしかしたら訊かれるかもしれませんが、灰野さんは現役でライヴもやっています。レコード屋にはいればレコードがある。ふつうのレコード屋にもジョン・ケージもフィリップ・グラスもヘンリー・カウの仕切りもあったんです。まったくヘンなものではなかった、だれもが見つけることができる音楽。
 そう訊かれるのが私のいちばんのフラストレーションでもあります。私とだれかが同じタイミングでレコード屋にはいれば、そのひとがヒット曲のレコードを買うように、私はオーネット・コールマンのレコードを買うことができた。私がえらいわけではありません。もしそのひとが左に曲がれば、同じようにオーネット・コールマンのレコードを買ったかもしれない。フィリップ・グラスもスティーヴ・ライヒもCBS、メジャー・レーベル・アーティストですよ。インディペンデント・レーベルの文化がまだない時代のことですね。独立レーベル、プライベート・プレスはありましたが。

私は最初のカセットには「Composed by Jim O’Rourke」と書きましたが、それ以来書かなくなったのは、最初のカセットではシュトックハウゼンとか、そういった作曲家の影響があったにしても、20歳のころ、あの世界とは関係しないと決めたからです。

ジムさんはそういったインディペンデント・レーベルができたことで音楽が区別されるようになったと思いますか?

JO:たとえば大学では、音楽を勉強して修士になり博士になる。大学に残りつづけて先生になり、生徒が自分の作品を演奏する。死ぬまでの目的が決まっている感じがしました。同時にハフラー・トリオやP16.D4のような音楽、RRRレコーズのような音楽とピエール・アンリやリュック・フェラーリのどこがちがうのか。そこから私は、自分をコンポーザーと定義するのが好きじゃなくなったんです。現代音楽の世界――それは音楽そのものではなくて、そのやり方です――にアレルギーを覚えはじめた。これは正しい言い方ではないと思いますが、ブルジョワジーの歴史をつづけることに荷担するのがイヤになったんです。彼らがそれに気づいているかどうかは関係ありません。ただそこには参加したくなった。それで、私は最初のカセットには「Composed by Jim O’Rourke」と書きましたが、それ以来書かなくなったのは、最初のカセットではシュトックハウゼンとか、そういった作曲家の影響があったにしても、20歳のころ、あの世界とは関係しないと決めたからです。私が電子音楽をやる場合でも、私が自分の曲をコンポジションと定義し、そういうひとに評価され、その世界で仕事するようになればその世界の住人になる。そこには参加したくないから意識的に「Composed by」のクレジットはいれないことにしました。これはほんとうに私の人生ですごく大事なことです。

心情的にイヤ?

JO:その世界の10%はいいものですが、のこりの90%はゴミです。そんな世界、ゴメンです。大事なのは作品です。私が人間として大事なのではない。あのゲームはやりたくない。

ジムさんが好きだった作曲家といえば当時どういったひとでした? フィリップ・グラスとか――

JO:グラスは75年までですね。だって私はそれまでずっとそんな音楽ばっかり聴いていたんですよ。チャールズ・アイヴズはもちろん好き。電子音楽はもっといっぱいいます。リュク・フェラーリだってそうですし、ローランド・ケインは電子音楽のなかでもいちばん好きで、オブセッションさえあります。彼の音楽だけは、どうしてそうなっているのか、まだわからない、秘密の音楽なんですね。ほとんど毎日勉強する、ちゃんと聴いていますよ。彼は電子音楽についてはもっとも影響力のあるひとだと思います。影響という言葉とはちがうかもしれない。彼の音楽はそうなっている理由がわかりませんから、具体的な影響とはいえないかもしれない。大学のころに聴いていた現代音楽の作曲家の作品はほとんど聴かなくなりました。

いま、たとえばトータル・セリエル、ミュジーク・コンクレート、偶然性の音楽、そういった現代音楽の分野でいまだ有効性があるものはどれだと思いますか?

JO:大学のころ、私はピエール・ブーレーズにすごいアレルギーがありました。ぜんぜん好きではなかった。それが過去5年の間に、偶然入口を見つけました。もちろん全部の作品が突然好きになったのではなくて、とくに“レポン”という作品はよく聴いていて、すこしわかるようになりました。
 トータル・セリエルの問題は音楽がスコアにはいっているということです。100%そうだとはいいませんよ。でもそれはすごい問題です。

ミュジーク・コンクレートのようなスコアで表せない音楽を、ジムさんは評価するということですか?

JO:そういう意味じゃない。セリエルのスコア、コンポジションの考え方は、八分音符から三連符になり、その逆行形になって――という考えを捨てない。とくにアカデミックなコンポーザーは。考え方が全部スコアにはいっている。そう考えると彼らの言語はほんとうに「細い」と思う。だから彼らは彼らの音楽を聴いたひとが「わからない」というと、それを聴いたひとのせいにするのです。でもわからない理由の半分は彼らの側にもあると思う。スコアにC(ド)の音を書く、しかしそれはただのCではない。そこには音色がありニュアンスがあります。彼らのスコアを音楽にするにも次の翻訳の段階が必要なんだと思う。どうしてそれをやらないか、私はわかりません。そういう音楽をやることがまちがっていると私はいいたいのではありません。ただそれをわからないのを聴いたひとのせいにするのは失礼です。

99.9%、ケージの音楽はフリーではありません。チャンスの音楽といいますが、ケージは彼の言葉をスコアに注ぎたくない。彼の立場は、音楽から自分の言葉や存在を消し去るということなんです。

ケージの偶然の音楽はどうです?

JO:ケージの音楽は偶然ではありません。それを語りはじめるとそれだけで本になります(笑)。ケージの音楽をやったことがないひとはたぶんわからないと思う。ケージの音楽はかなり難しい。問題は彼のスコアは表面的に理解するには苦労しません。でも簡単じゃないんです。

簡単じゃないというのは自由がないということですか?

JO:99.9%、ケージの音楽はフリーではありません。チャンスの音楽といいますが、ケージは彼の言葉をスコアに注ぎたくない。彼の立場は、音楽から自分の言葉や存在をどうやって消し去るかということなんです。それはチャンスではない。正しくとりくめばそれがわかるはずです。私は音楽家としてケージの作品を何度か演奏しましたが、いっしょに演奏したひとたちがまったくわかっていなくて、ムカついたこともありますし、逆に勉強しすぎて音楽がかたくなったこともあります(笑)。その意味でもケージの音楽は難しい。

勉強しすぎてもダメだし勉強しすぎてもダメ?

JO:しないのはいちばんダメで(笑)、でも勉強やりすぎてもね。両方地獄だね(笑)。でも私のこの考えが100%正しいといいたいのではない。

フルクサスとジョン・ケージは同じくくりに入れられることがありますが、同じだと思いますか?

JO:まったくちがいます。

フルクサスはどう思います?

JO:あんまり興味がない。ボンボンの遊び。若いときにそういった考えになるのはわからなくもないですよ、でも50代でも同じことをやっているのはちょっとどうかと思う。

ハプニングはどうですか?

JO:歴史的に、次の段階に向かうためにそういったことが必要だったのはよくわかりますよ。歴史に敬意を払うことは、いま現在、作品をどう聴くかということと無関係です。ハプニングのような作品は尊敬はしても、(私には)ほんとうに関係がないんです。それにフルクサスはアートの世界のものです。

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若い頃は意図的に録音する場所を選んでいたんですが、いまはそうしないことにしています。いまは時間がないこともありますが、偶然にいい音を発見したときに録ります。

フィールド・レコーディングはどうです? 私は『別冊ele-king』の作業中、『USE』をよく聴いていましたよ。デザイナーの佐々木暁さんに音源をもらったんですね。

JO:ホントに! あれは聴くものじゃないよ。「どうぞ、使ってください」という意味で、だから「Use」なんです(笑)。

(笑)流しているといいですけどね。

JO:私、聴いたことない(笑)。

Pヴァイン安藤氏:『Use』ってDATで出した作品ですよね?

そうそう。DATの長時間録音機能を使った4時間ちかい作品。

JO:私はもってない(笑)。『Use』はあれを出した〈Soleilmoon Recordings〉のひとがそういった作品をやりたかったんですね。それで「どうぞ、どうぞ」って。音源自体は『Scend』(1992年)で使ったものの残りですね。それをどんどんくっつけて、「はい、終わり」といって渡した。

『Scend』のマテリアルということですか?

JO:はい。

エディットしたのはジムさんですよね?

JO:編集というほどのものじゃない。

適当?

JO:はい(と声高らかに)。編集しなかった。あのときはポータブルのDATプレイヤーでいろんなところで録音していましたから、音源はいくらでもあったんです。

当時フィールド・レコーディングにハマッていたんですか?

JO:いまもやっていますよ。

どういうときにやるんですか?

JO:若い頃は意図的に録音する場所を選んでいたんですが、いまはそうしないことにしています。時間がないこともありますが、偶然にいい音を発見したときに録ります。若い頃は、そういった作品をつくりたくて、たとえば工場などですね、そういったところにわざわざ出かけていきました。いまは聴いたことのないような音を偶然見つけたときにレコーダーをまわします。

DATはまだおもちですか?

JO:もっていますけど、でもDATはほんとうにダメだね。音が悪い。とくにA-DAT。あれはヒドい。音よくないよ。レッド・クレイオラのレコーディングは全部A-DATだったんですよ。メイヨ(・トンプソン)さんはA-DATで作業するから。まだS-VHSのテープを使っているかはわからないけど。私が最初に参加したレッド・クレイオラの『ザ・レッド・クレイオラ』(1994年)はアルビニさんのスタジオで録りましたけど、『ヘイゼル』(96年)も『フィンガーペインティング』(99年)もA-DATだったね。

メイヨさんは音にこだわりがない?

JO:わけではないですけど、普通の意味でのいい音にこだわりがないということでしょう。彼にはほしい音色がわかっているんですけど、それはかならずしも正しい録音ではないということですね。

ジムさんはいっしょにやったとき、メイヨさんに「こういう音がほしい」といわれました?

JO:私はアルバムの何曲かをミックスしているんですが、私のミックスはあまり好きじゃなかったので、別の音源を使ったんですね。それで私がミックスした『フィンガーペインティング』を10年後に偶然聴いて気に入ったので『フィンガーポインティング』(2008年)として出し直した。でも逆に私があのミックスはメイヨさんの好きそうなミックスを試してみたものなので、ちょっと気に入らないところがあるんですね。

ジムさんがいま聴いて気に入らないものはほかにもありますか?

JO:いっぱいあるよ(笑)。

たとえばウイルコなんかは出世作だといわれていますよね。

JO:ウイルコは大丈夫。でも私は『ヤンキー・ホテル・ホックストロット』(2002年)より次の『ア・ゴースト・イズ・ボーン』(2004年)のほうが好き。『ヤンキー~』は途中から参加した作品ですが、『ゴースト』は最初から最後までかかわったレコードでしたから。

NYはなんというか……水が合わなかった(苦笑)。60年代か70年代だったらよかったんだけど、90年代はもうまったくちがっていました。ビジネスのディズニーランドになってしまった。いまはわからないけど。

話は戻りますが、ミニマル・ミュージックにはジムさんは多大な影響を受けていますよね?

JO:大学のころ、そういった音楽は勉強しましたが……いちばん影響を受けたのは高校生のころですね。グラス、ライヒ、ウィム・メルテン、マイケル・ナイマンも好きだった。当時はフィリップ・グラスの“Strung Out”のような、作者の考えが見える、聞こえる作品が好きでした。2+3+1+2+……のような構造ですね。私もじっさいそういった作品をつくって、カセットもありますけど、ちょっと恥ずかしいだね(笑)。

出したらいいじゃないですか?

JO:なんで(笑)!?

デジタル・リリースすればいいじゃないですか(笑)?

JO:イヤですよ。

演奏はジムさんがやっているんですか?

JO:私と、私ができない楽器は別のひとに頼みました。大学のときに、私はフィル・ニブロックはじめ、ヨーロッパのミニマル・ミュージックに傾倒していきました。なかでもマイケル・ナイマンは大好きだった。

マイケル・ナイマンは後に映画音楽で有名になりましたよね。

JO:あとのことはわかりません。私は『ピアノ・レッスン』(1992年)も知らない。『プロスペローの本』(1991年)までですね。さいきんまた追いかけるようになって、聴いていなかったCDを買いました。ギャヴィン・ブライアーズも同じ。84、85年まではリアルタイムでレコードを買っていましたが、次第に買わなくなったので聴き直したいと思ってナイマンのレコードを探したんですけど、びっくりしました。彼はこの25年でいっぱいレコードを出したんだね。でも私はむかしのほうが好きです。彼も後年“コンポーザー”になってしまった。グラス、ライヒ、ブライヤーズ、アダムズは過去25年間の作品は私はほとんど知りません。そのなかではグラスやライヒは25年前の時点ですでに私の興味を引くようなものではなくなってしまっていた。(ライヒが)『The Desert Music』を出したとき(1985年)、私はそれを買って、そういった音楽が好きな友だちと喜び勇んでいっしょに聴いたんですが、レコードが終わるころには無言になった(笑)。そのあとは『Different Trains』(1989年)ですから。もういい、と(と両手を振る仕草をする)。もちろん尊敬はしていますよ、ただ興味がないだけで。グラスは83年の『The Photographer』までですね。『Songs From Liquid Days』(86年)でやめました。

リアルタイムで聴いてそう思ったんですね。

JO:そうです。『Music In Twelve Parts』(74年)や『Einstein On The Beach』のもともとのヴァージョンは好きですよ。新録はよくないけどね。むかしのファーフィサオルガンには重さがあるんだね。

ヴィンテージとシミュレーションだとちがうでしょうね。

JO:彼らの音楽から重さが消えたらプラスチックみたいになってしまう。たぶん年をとると気になるポイントが変わるんですね。重要なのは、彼らは若いころ、演奏まで自分たちで行っていたんですね。それが“コンポーザー”になると役割は紙の上で終わり、演奏は知らないひとがやるわけです。ワーグナーの時代では作曲家はもともとそういった性格のものだった。彼らは自分たちのグループのために作曲することのできた時代のコンポーザーなんですね。その典型がグレン・ブランカで、彼の委嘱作品は自作自演には劣りますよ。音楽が手段に戻っている感じがあるんですね。これは非難ではありませんよ、作品が変わってしまうんです。

ジムさんはそこに参加したくなかった、と。

JO:そうそう。

ミニマル・ミュージックと厳密に定義できないかもしれませんが、シャルルマーニュ・パレスタインはどう思われますか?

JO:彼は音を使ってはいますが、作曲家というよりアーティストですね。人生そのものが彼の作品だと思います。

アーティストで音楽をやるひと、たとえばマイク・ケリーさんのようなひとたちはどう思いますか?

JO:ジェネレーションの問題があるんですね。尊敬していますが、ほんとうの意味で心底つながった感覚を得ることはなかなかむつかしい。彼らの前の世代に私は強く惹かれて、そのあとの世代も理解できるんですが、マイク・ケリーさんの世代、トニー・アウスラーさんもそうですね、すごく尊敬しますが、入口をいまにいたるまで見つけられないんです。ふたりともトニー・コンラッドの生徒なんですけどね。

ジムさんもそうですよね。

JO:そう(笑)。(いうなれば)兄弟子なんですよ。その葛藤がたぶん……ある。つまり尊敬の対象であっても興味のそれではないということなすね。たとえばリチャード・プリンスはわかるけど、興味を惹かないのと同じで。

『Sonic Nurse』のときはジムさんはソニック・ユースにまだいましたよね?

JO:いちばんがんばったアルバムです(笑)。

あのカヴァー・アートはリチャード・プリンスでしたね。

JO:あれを決めたのはキム(・ゴードン)さんですね。彼らはむかしからの友だちで、私も会いましたけどいいひとでしたよ。

ジムさんは、NYだとジョン・ゾーンについては言及するけど、ほかのミュージシャンについてあまり話しませんね。

JO:関係ないんですね。

そこには興味がない?

JO:いやいや、ジョンさんがなにをやっているかはいつも興味をもっていて、つねに聴きたいですよ。ただルーツではないという意味です。

アラン・リクトやマザケイン・コナーズは似たようなルーツをもっているということですか?

JO:アランさんはむかしからの友だちですね。NYはなんというか……水が合わなかった(苦笑)。60年代か70年代だったらよかったんだけど、90年代はもうまったくちがっていました。ビジネスのディズニーランドになってしまった。いまはわからないけど。でもあの時代は、前のインタヴューでもいいましたけど、私はNYの部屋にほとんど住んでいなかった。ツアーに出ているか、そうでないときはプロデュースの仕事で別の街にいました。

『シンプル・ソングズ』でも、ピアノとベースがちがうリズムを刻み、建築物のように組み上げる。ポップ・ソングはリズムの拍子はヴァーティカルにみれば一致しますよね。私はそれを楽器ごとに別々に動かして、最後に全部合うようにするんです。

話は戻りますが、ミニマル・ミュージックの影響はジムさんのなかにまだ残っていますか?

JO:あるでしょう。表面的なものではなくて、作曲における構造上の影響ですね。音を垂直的に考えない。それはミニマルやチャールズ・アイヴズのような作曲家からの影響ですね。

ポップ・ソングを書くときもそうですか?

JO:ええ。『シンプル・ソングズ』でも、ピアノとベースがちがうリズムを刻み、建築物のように組み上げる。ポップ・ソングはリズムの拍子はヴァーティカルにみれば一致しますよね。私はそれを楽器ごとに別々に動かして、最後に全部合うようにするんです。それが目立たないようにも工夫しますけど。目立っちゃうとフュージョンになっちゃうから(笑)。

それはあからさまなポリリズムということですか?

JO:ポリリズムはすごく大事です。だけどいかにもなポリリズムな感じはほしくない。むしろ「なにかが正しくない」といった感じになってほしいんです。不安な、どこに坐ったらいいのかわからない感じですね。それが目立つとテーマになってしまいますから。あえて目立たせることもありますけど、それは冗談みたいなものというか、プログレやフュージョンが好きなことにたいする罪の意識かもしれない(笑)。

たとえばキング・クリムゾンの“Fracture”にも途中ポリリズムのパートがありますよね。ああいったわかりやすい感じはあまり好きじゃない?

JO:“Fracture”は難しくないよ。それよりUKですよ。UKは仕方ない、私、UK大好きですから。聴くのは楽しいけど、でもちょっと恥ずかしいかもね(笑)。

ジェネシスとキング・クリムゾンの大きなちがいはなんですか?

JO:キング・クリムゾンにはナゾがあまりないですね。聴くとわかってしまって、聴き直す気があまりおこらない。ライヴ音源には失敗があるから味があっていいんですが。

ロバート・フリップは失敗がいいとは思っていないはずですよ。

JO:ちょっと潔癖症なんだね。これも非難ではありませんよ。興味の問題であってね。

音楽史において、もっともレコードを売ったバンドはビートルズ、ローリング・ストーンズ、そしてラッシュです。

シカゴ時代まわりにいたひと、たとえばトータスのメンバーにキング・クリムゾンが好きなひとはいなかったですか?

JO:バンディ(・K・ブラウン)さんは好きだったかもしれません。私はそうじゃないけど、インディ・ロックのひとたちにとってプログレはクールじゃないんだね。「ウェザー・リポートっぽい」と褒めたつもりでいったらすごくイヤな顔をされた憶えがありますよ。

『別冊ele-king』のインタヴューではシカゴに住んでいた当時、プログレ・フレイバーの音楽が流行っていたとおしゃっていましたね。当時ジムさんのまわりでもラッシュみたいなバンドは人気だったんですか?

JO:ものすごい人気でしたよ。いつでもラジオから流れていましたから。

ジムさんはラッシュをコピーしたことはないの?

JO:高校生のとき、バスケの試合でハイスクール・ジャズバンドがハーフタイムで演奏するんですね。私はそのバンドでギターを担当していて、そのとき“Yyz”をジャズバンド用にアレンジしたことがあります(笑)。

うけました?

JO:めちゃくちゃもりあがりました(笑)。日本ではラッシュはちょっとアングラですけど、アメリカでラッシュはすごく有名でしたよ。音楽史において、もっともレコードを売ったバンドはビートルズ、ローリング・ストーンズ、そしてラッシュです。

ウソー(笑)。

JO:ウソじゃないよ! ラッシュはいまでもライヴするとなるとスタジアムですよ。彼らのファンは死ぬまでファンですよ。テレビには映らない、新聞にも載らない、でもブラジルにもスタジアムを埋めるほどのファンがいる。じつはまだ観たことがないんですよ。それはすごく残念。もし彼らが韓国でライヴするなら、私は福岡から船で行きますよ。彼らは日本ではあまり人気がないから、ギャラと釣り合わなくてコンサートができないんですよ。

安藤:84年に一度来日していますね。

大きい会場ではムリですよね。

安藤:武道館でやったと思うけどね。

JO:海外の規模を考えると武道館が彼らにはちいさすぎるんですよ。AC/DCも同じですよね。AC/DCはさいたまスーパー・アリーナで観ましたけど。彼らのすべてのレコードを聴く気はありませんが、あの手の音楽では一番でしょうね。

モーターヘッドも同じようなものではないですか? フジロックに来ますけど。

JO:モーターヘッドはAC/DCにはおよびません。『Back In Black』(80年)はものすごい傑作ですよ。当時のツアーを私はシカゴで観ましたけど最高でした(と嘆息気味に)。

『スクール・オブ・ロック』もAC/DCですものね。

JO:そうだね。ほかのそういった音楽はあまり興味ないんですけどね。残念なことに彼らも日本ではあまり人気がないんだね。

さいきんは人気出てきましたけどね。おそらくワンパターンに聞こえるんでしょうね。

JO:ヴォーカルが?

曲調じゃないですか。

JO:同じじゃないよ。だったらスマップの曲のほうが全部同じですよ(笑)。


Downtown boys ダウンタウン・ボーイズ


photo by Y.Sawai

 ダウンタウン・ボーイズは、プロヴィデンス出身のバイリンガル、ポリティカル・サックス・パンク・パーティ・バンドだ。ここ2、3年の間、プロヴィデンスのバンドに関わらず、ブルックリンのローカル・バンドのように、ブルックリンで絶えずライブをやっている。サックス2人、ギター、ベース、ドラム編成で、英語、スペイン語を織り交ぜ、音楽的にはパンク、ロック、ジャズなどをミックス、最高のエネルギーを、純粋な楽しさを、ダンスフロアにぶちまける。
 DIY会場から、ラテン・レストラン、ハウス・パーティからSXSWなどのフェスにも出演。真のDIYの彼らが、スクリーミング・フィメールズと同レーベル〈Don giovanni Records〉から、デビュー・アルバム『フル・コミュニズム(完全共産主義)』をリリースした。アメリカや世界での現在の批判的瞬間、産獄複合体、人種差別、同性愛偏見、国家資本主義、ファシズムなど、自分の精神、目、心を閉ざそうとする全ての物を破壊するためのレコードである。

 5月15日、レコードリリースを記念し、ダウンタウン・ボーイズのレコ発に行った。ブシュウィックのパリセーズ(https://palisadesbk.com)というDIY会場で、数ヶ前にはダスティン・オングと嶺川貴子やパーケット・コーツなどの新鋭のインディ・バンドがプレイしている会場である。
 かれこれ10回ほど見ているダウンタウンボーイズだが、今回のショーは今まで見た中で一番人が多かった。一緒にプレイしたバンドにもよるが、パンク・キッズが多いクラウドで、目の周りを黒く塗っている女の子や、顔中にピアスをしている男の子(タンクトップ率高し)、キスしまくっている女の子たちなど、むせ返った会場の雰囲気に圧倒された。以前、ダウンタウン・ボーイズの別バンド、マルポータド・キッズを見た時と同じ雰囲気、それがさらに倍である。


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja

 シンガー、ヴィクトリア・ルイズが、語り(叫び)はじめながらショーはスタート。パンクを注入したギター・ラインとコーラス、伝染性の強いサックス・ライン、ファンキーで不吉なホーン・ラインなど。ダウンタウン・ボーイズの曲は、エネルギーの塊だ。この世代が、時代に風穴を開ける力があることを証明する。彼らこそ、現在の声明である。
 ヴォーカルのヴィクトリアは、種差別やその他の差別、政治的なトピックを持ち出し、歌っているのと同じくらい喋ってる(叫んでいる)し、オーディエンスはそれに答え、前の方ではモッシュも起こり、会場全体が彼らのサポーターであるかのようだ。
 私自身は政治的な解説を加えるほどの知識を持たないが、この辺りは、アメリカのバンドを色濃く表しているように思える。レコードでこの熱気が伝わるかわからない。彼らが命を懸けているのは、そのパフォーマンスに、そして声を大にして叫びたいメッセージなのは間違いない。
 現在の音楽に対して、政治に対して、そして世の中に対する革命を主張する。いちどライヴ体験をすると、頭の中をスカッと風が吹く。彼らは何処でも100%だ。

 ダウンタウン・ボーイズのダニエルとノーランは、ホワット・チアー・ブリゲイドという19人バンドでもプレイしている。(https://www.whatcheerbrigade.com)
 彼らはビルディング16という会場を運営していたのだが、場所が取り壊されることになった。ラストショーに招待されたのだが、いつ見ても、彼らのストリート・バンドたる精神にど肝を抜かれる。
 人数が多いので(19人!)、ステージには入りきらない。フロアはもちろん、天井に通っているパイプによじ登ったり、手狭なステージから降り、マーチングをはじめ、会場の外で演奏を始めたり、お祭り騒ぎがオーディエンスを自然に巻き込むパフォーマンスになっている。

●ビルディング16でのホワット・チアー・ブリゲイドのラストショー:

●ビルディング16でのダウンタウン・ボーイズのショーが含まれたプロモ・ヴィデオ:

オフィサーが引張叩かれる度に、裸にされ、最後はバンドで歌ってる。

●Wave of History:

アメリカの小学校の社会の教科書に使われるべきだと思う。

 さらに、ヴィクトリアとジョーイは、マルポータド・キッズというラテン、エレクトロな別バンドもやっていて、6月全般はイースト・コーストからミッド・ウエストをツアーする。
https://www.facebook.com/MalportadoKids

 ダウンタウン・ボーイズと同郷プロヴィデンス出身の、ライトニング・ボルトは偶然にも、ダウンタウン・ボーイズのレコ発パーティの日に、ブルックリンの別会場のウィックでショーをやっていた。悩んで、ダウンタウン・ボーイズのショーに来たのだが、考えてみればダウンタウン・ボーイズとライトニング・ボルトには、たくさんの共通点がある。お互い自分たちの場所を持っていたし(ダウンタウン・ボーイズはビルディング16、ライトニング・ボルトはフォート・サンダー)、レコードよりライヴが一番、現場主義だし、とてつもないエネルギーを発散させるし、ビルディング16のラスト・ライブの時は、ライトニング・ボルトのメンバーも遊びにきていて、彼ら同士も交流がある。プロヴィデンスーブルックリンの関係も踏まえて、ダウンタウン・ボーイズが、彼らの直継承者であることは間違いない。

Punk

Downtown Boys
Full Communism Import

Don Giovanni Records

Amazon
Bandcamp
Don Giovanni Records

CARRE x SAKURA KONDO 〈GREY SCALE〉 - ele-king

 はじめて僕がロサンゼルスはエコーパークに部屋を間借りした頃、夜な夜なジョイントの煙にくすぶられてはネオン管の光に魅せられ自転車で近所を徘徊していたわけだが、気づけば毎度近所のギャラリーから聴こえる爆音に引き寄せられて、頭のおかしな連中と夜が更けるまで騒ぐハメになったし、当時の自分にとってその馬鹿馬鹿しい体験は強烈なものであった。

〈GREY SCALE〉──都内を勢力的に活動するインダストリアル・デュオ、CARREとヴィジュアル・アーティストであるSAKURA KONDOによる〈KATA〉でのエキシビジョンに足を運び、そんな過去の体験が更新されてゆくのを強く感じた。本展はSAKURA氏による平面作品へのCARREのサウンド・トラックである同名タイトルの音源発売を記念したイヴェントであり、彼女のグラファイトとアクリルを主とした大小さまざまなモノクロームのグラフィック作品に囲まれ、CARREのMTR氏による巨大構造体が中心に据えられた〈KATA〉の空間で期間中限定的に彼らがパフォーマンスを行なうというものであった。

 CARREの二人から本展で彼らが6時間ブッつづけでパフォーマンスを行うと聞いたときは耳を疑った。僕も彼らも親交が深い、オルタナティヴ・メディアであるヴィンセント・レディオの協力もあり、その姿はブロード・キャストでも配信されていたのでお茶の間からも彼らの底無しの集中力を体感できたわけだが、いやはや常軌を逸していた。僕はゆるりと自宅にて作業をしながらその様子をチラチラとうかがいながら会場に向かったのである。

 クライマックスを向かえる終盤に会場に到着してなるほど、今回の彼らのロングセットが単なる無茶な試みではないことを実感した。CARREのサウンドもSAKURA氏の平面作品も抽象的ではあれど、観覧者がそこから得るイメージの輪郭はいっさいぼやけることはない。それはサウンドトラック/サウンドスケープといった凡百の雰囲気系表現とは確実に異なる力強い存在感だ。そこには彼らの確固たる美意識や思想が見事に自然な形で具現化されていた。ゴリゴリと机上でドローイングを増幅させつづけるSAKURA氏の横で、NAG氏がベース/ドラムマシンで丁寧に紡ぐBPM70に満たない低速かつ金属的な音像、MTR氏が奏でる特異なシンセジスによって形成されるCARREのサウンドは重くはあれど不思議と楽観的である。聴者は表面的な感情の先にある混沌の海原を心地よく漂流するハメになるのだ。この日の彼らのセットは普段よりも流れるように展開していったと僕には感じられたが、後でCARREの二人と話したところ、6時間という尺が精神・肉体にもたらす変化が如実に表れたに過ぎないとのこと。どうやらCARREもSAKURA氏も3人とも休憩無しで完走したようなので、あの場を訪れた人々と彼らの心身が渾然一体となった表出を僕は幸運にも目撃できたのだと確信している。

 今回の〈GREY SCALE〉展での彼らの試みは、単なるエキシビジョン+パーティーといった形式的な企画とは異なる揺るぎない完成度を誇るマルチな現場提供に成功した。すべての人間に対して開かれた現場でありながら、日常に埋もれがちな大切な“気づき”やクロスオーバーするシーンに溢れるインスピレーションの泉だ。まーたやられたよ畜生。そう思いながらクロージング・パーティーに彼らの演奏を邪魔しに行ったのは省略。

 MTR氏主催によるレーベル、〈マインド・ゲイン・マインド・デプス(MGMD)〉より間もなくリリースされる『GREY SCALE』、毎度期待を裏切ることのない最高のパッケージングと国内最高峰のライヴ・エレクトロニクス・サウンドにぜひとも触れてほしい。

 数年前にも同じ話題で記事を書いたが、5月上旬は、文芸界のCMJと呼んでいる、ペン・ワールド・ヴォイス・フェスティヴァルがNYで開催される。5月は文芸月なのだ(https://worldvoices.pen.org/)。

 https://worldvoices.pen.org/event/2015/02/19/monkey-business-japanamerica-writers-dialogue-words-pictures

 その時期に合わせ「日本で有名なのは村上春樹だけではない」と、古典と新作の枠を越えつつ、新しい声を拾い広めていく文芸誌『モンキービジネス』も日本からNYにやって来た。
 ポール・オースター、リチャード・パワーズなどの翻訳者としても知られる柴田元幸氏が責任編集する『モンキービジネス』(英語版と日本語版あり)は、今年英語版の第5版目を刊行した。それにともない4月末〜5月上旬にかけ、ミッドウエストからNYで講演ツアーを行ったのだ。1年に1回、今回で5回目である。

 NYは、ブック・コート、アジア・ソサエティー、マクナリー・ジョンソン、ジャパン・ソサエティーの計4回の講演が行われたが、どの日も少しずつ参加する作家が違い、本格的な講演会だったり、カジュアルな本屋だったりで、『モンキービジネス』や作家をいろんな角度から知ることができる。毎回緊張感がありながら、先生たちのユーモアも交わう知的な講演会だった。

 ペン・フェスティバルのプログラムの一環としての、5/4のアジアン・ソサエティーでの公演。
https://asiasociety.org/new-york/events/monkey-business-japanamerica-writers-dialogue-words-and-pictures

 ノリータの本屋さん、マクナリー・ジョンソンでのカジュアル公演。
https://mcnallyjackson.com/event/evening-monkey-business-kelly-link-ben-katchor-and-others-8pm

 上2講演に関してのレポートである。編集長の柴田元幸氏とテッド・グーセン、編集のローランド・ケルツに加え、漫画家のベン・カッチャー、作家のケリー・リンク、絵本作家、イラストレーターのきたむらさとし氏、小説家、翻訳家の松田青子氏が参加。日本、アメリカ、ロンドン(きたむら氏は30年間ロンドン在住、現東京在)を背景とする文化的、文学的な会話を通し、それぞれの作品をリーディング(日本語、英語)、漫画、紙芝居などで紹介した。


柴田元幸氏とテッド・グーセン


テッド・グーセンと松田青子氏

ベン・カッチャー

 ベン・カッチャーの漫画は、今はなき『ニューヨーク・プレス』という新聞で、きたむらさとし氏の作品は子供の時読んだ絵本で、よく見かけていたので、今回作家本人に会えるのはかなりの特別感があった。

 リーディングだけでなく、グラフィックを重視した、漫画、紙芝居は、耳からだけでなく、目でも訴えかけることができる。講演をよりバラエティーに富んだ物にしていた。アメリカ人にも日本人にも、手作りの紙芝居は珍しく(カーテンが手動で開くようになっている!)、3作品の発表が終わった後の温かい拍手から、今は亡き物を讃えるのは、文学も音楽も同じと納得した。
 紙芝居の内容は、氏のロンドン背景もあり、イギリスの絵本を紙芝居に仕立てた感じ。主人公が暇なライオンの床屋で、人気のライオン・ロックンローラーが散髪に来て、友だちの象のイラストレーターと、ああでもないこうでもないとロックンローラーの髪型のネタを練る。コンサートでその髪型を見たファンたちが、暇だった床屋に殺到する、という内容だ。
 きたむら氏の淡々とした声と、そして癖あるキャラクターがリズミカルに動き、社会を程好く風刺している所が大人のための紙芝居と言っても良さそうだった。


きたむらさとし氏

 ちなみに『モンキー・ビジネス』の霊感の源は、チャック・ベリー不朽の名作「トゥー・マッチ・モンキー・ビジネス」。
 「誰もが知る日々生きることのかったるさをあれほどストレートに歌って、それであれほどユーモラスかつ解放的になっている芸術作品を僕は他に知らない。あの名作の解放性を我々もめざすのである、なんて大きなことはとうてい言えないが、いちおうあのスピリットをはるか向こうに見えてきている導きの星だということにしておこう」
 という柴田先生の姿勢は、この最新号にも十分に表れている。

 この英語版も翻訳者のおかげか、英語が苦手な人にも読みやすいし、アメリカ人の友だちにも「いまいちばん面白い文芸誌」だと薦めやすい。私はすでに、自分が死んだ後幽霊になり、自分の夫の行方を観察する、川上未映子の「the thirteenth month」(十三月怪談)に夢中だ。読み進めていけば、もっとお気に入りが増えるだろう。
 音楽が聴こえる文芸誌から、新しい出会いがあった。

 全ての講演の情報は以下の通りです。
https://monkeybusinessmag.tumblr.com/post/116878099492/monkey-business-issue-5-midwest-and-new-york

https://mobile.twitter.com/monkeybizjapan

interview with Prefuse 73 - ele-king


Prefuse 73
Rivington Não Rio + Forsyth Gardens and Every Color of Darkness

ElectronicHip Hopabstract

Tower HMV Amazon iTunes

プレフューズ73の帰還。これは2015年のエレクトロニック・ミュージックにおける「事件」といってもいい出来事だ。

 プレフューズ73=ギレルモ・スコット・ヘレン。彼は90年代のDJシャドウ、モ・ワックスなどのアブストラクト・ヒップホップと2000年代以降のフライング・ロータスを繋ぐ重要なミッシングリンクである。時代はプレフューズのファースト・アルバム『ボーカル・スタディーズ・アンド・アップロック・ナレーティヴス』(2000)以前/以降と明確に分けられる。彼は偉大な革命者だ。エレクトロニカとビート・ミュージックを繋げることに成功したのだから。その革命者が帰還した。これを「事件」と呼ばずして何と呼ぼうか。

安易なクラブ・ミュージックみたいな音楽が氾濫するようになって、嫌になってしまった。

 事実、プレフューズ73名義の作品は2011年にリリースされた巨大な万華鏡のような『ジ・オンリー・シー・チャプターズ』以降、リリースはされていなかった。なぜ、プレフューズは沈黙したのか。それは私たちリスナーにとって大きな謎だった。しかしどうやら、彼の沈黙は「怒り」でもあったようだ。彼はこう語る。「同じような音楽を作っている連中が増えたのも事実だ。スクリレックスが悪いとは言わない。けど皆が彼の真似をはじめて、それまでのエレクトロニック・ミュージックが否定されたような気がしてしまった」と。こうも述べている。「安易なクラブ・ミュージックみたいな音楽が氾濫するようになって、ツアーしたときにも共演するアーティストがそういう連中ばかりになって嫌になってしまった」。そして「エレクトロニック・ミュージックがしばらくつまらなくなった」とも。

2013年10月にロサンゼルスでレコーディングをスタートさせて、結局2014年9月まで時間がかかってしまった。

 むろん、ギレルモ・スコット・ヘレンは活動を止めていたわけではない。彼は「活動休止をしていたわけではなくて過渡期だった」と語っている。そのかわりティーブスやマシーンドラムなどのアーティストと活発なコラボレーションを行い、自身のレーベル〈イエロー・イヤー・レコード〉を主宰した。また、昨年にはプレフューズ73として来日もしている。「今回のリリースに関しては、作品を急に出そうと決めたわけではないんだ」と語る彼は、プレフューズとして機が熟するのを待っていたのだろう。そして新しいスタートの準備を着実に進めていた。
 彼は大長い時間かけて録音・制作を行っていたのだ。制作期間は「2013年10月にロサンゼルスでレコーディングをスタートさせて、結局2014年9月まで時間がかかってしまった」と語っている。その成果が1枚のアルバム『リビングトン・ナオ・リオ』にまとめられたというわけだ。
 むろんアルバムを聴けばその時間も納得できるはず。精密で聴きやすく、ビートも深く、なおかつポップだ。今回は音質にもこだわったようで非常にクリアなサウンドが実現している。アルバムに時間がかかったぶん、EP『フォーサイス・ガーデンズ』と『エヴリカラー・オブ・ダークネス』(日本盤はアルバムとEPをまとめて2枚組にしている)は、スムーズに制作できたようだ。驚くべきことに数多くのアウトテイクも存在するという!

テクニックでありきではなく、作るべき音楽が先にあり、ごく自然に出てきたというわけだ。

 そして、古巣〈ワープ〉から離れ、ハウシュカやウィリアム・バシンスキーなどを擁する〈テンポラリー・レジデンズ LTD〉からアルバムとEPを発表する。その新レーベル移籍の理由をこう説明する。「(テンポラリー・レジデンズ運営の)のジェレミーは近所に住んでいて、すごくいい奴なんだ。〈ワープ〉は大きなレーベルで、長年〈ワープ〉からリリースしてきたから、今回はもう少しこぢんまりしたレーベルからリリースしてみたくなった。所属しているアーティスト数も多くないのでやりやすいね」。巨大レーベルに委ねるのではなく、自らの手の届く中で着実に作品をリスナーに送り届けること。そこには彼なりに「自由」への希求があるのだろう、
 その「自由」も追い風を受けるかのように、新作においては、〈ワープ〉後期においては抑圧していたビートと、封印していたヴォーカル・チョップが復活している。これぞまさに初期プレフューズを彷彿させるマイクロ・エディット・ビート/サウンドだ。彼自身は、それら「復活」については、「意図的でない」とさらりと受け流している。「今回のビートを作っている最中に自然にまたそれが出てきたんだ」。つまりテクニックでありきではなく、作るべき音楽が先にあり、ごく自然に出てきたというわけだ。

ニューヨークに住むようになった最初の頃を連想させるタイトルなんだ。

 この新作には『サラウンデッド・バイ・サイレンス』(2005〉以降のアルバムにあった重苦しさはない。ギレルモ・スコット・ヘレンも「『サラウンデッド・バイ・サイレンス』以前の作品のように満足のいく仕上がりだ。俺は自分の音楽に対して批判的になりやすいけどこの3つの作品は自分でも聴き返すし出来に満足している」と語っているほどだ。
 本作には、新しいスタート/新しい人生をはじめるかのようなフレッシュさに満ち溢れている。現在、彼はニューヨークを生活の拠点にしているというが、不思議なアルバムタイトルもこの街に関係しているようだ。「ニューヨークに住むようになった最初の頃を連想させるタイトルなんだ。ニューヨークのロウアー・イースト・サイドのリヴィングトン・ストリートに“ABC No Rio”というコミュニティ・センターがあるんだけど、プレフューズ73として音楽を作りはじめたときにこのセンターの近くに住んでいた。いまもその近くに住んでいる」。

自分にとってのいい音楽と悪い音楽をもっとクリアに判断できるようになったわけさ

 続けて彼はこうも述べている。「このアルバムにはとくにコンセプトはない。コンセプトを先に決めると束縛されたような気持ちになるから」。そう、あくまで自由。あの重厚な『ジ・オンリー・シー・チャプターズ』の迷路を抜けた先に、このような陽光に満ち溢れた音楽世界がまっていたとは誰が予想できたか。間違いなく、プレフューズ73=ギレルモ・スコット・ヘレンは帰ってきた。
 「宇宙をしばらく旅して、地球に戻ってきて、自分にとってのいい音楽と悪い音楽をもっとクリアに判断できるようになったわけさ」。そう語る彼の「いま」のサウンドに迷いはない。清冽でメランコリックで、ポップで緻密でクリアだ。この2枚組のアルバムは、偉大なるビート/エレクトロニック・アーティストの新しいスタートなのだ。

Goku Green - ele-king

 まるでジャクソン5時代のマイケルが鼻歌混じりにラップしているかのような甘い歌声。精鋭プロデューサーたちによるレイド・バックしつつもタイトなビート。天衣無縫でフレッシュな感性が、すぐれた音楽的な洗練とともにパッケージされている。あえて名前をつけるとすれば、平成生まれの悪童による「ヒッピー・ラップ」。
 16歳でデビューし、すでにこれまで2枚のフル・アルバムをリリースしている北海道、旭川市在住の19歳、GOKU GREENの最新EP『ACID & REEFER』は、収録された5曲すべてが、ウィードによる酩酊感を表現した、いわゆる「ストーナー・ラップ」。太巻きのブラントを吹かす、童顔のスヌープ・ドッグ? けれども、ギャングスタ的な悪ぶりやハスリングの焦燥はまったく感じられない。そこで、タイトルの「ACID & REEFER」を文字通りに解釈してみるなら、むしろこれは「ヒッピー・ラップ」だ、ということになる。
 伝わってくるのは、酩酊をもたらすハーブの煙への、ただただ純粋な愛。ともすればハードコアで間口の狭いものになりがちなテーマが、天性の音楽的センスによって、希有なポップネスを獲得している。たった5曲のEPとはいえ、驚くべきことだ。

 本作についてまず目を見張るべきは、その音楽的な進化/深化だろう。ジャズ・スタンダード”CRY ME A RIVER”を歌う女の声に導かれるオープニング・トラック、“OVER”からして破格の出来だ。不穏なベースラインともたつくビート、ピッチを落としたスクリュード・ヴォイスがダウナーな酩酊感を誘い、濃い紫煙の世界に一気に引き込まれる。続くのは、トリップへの愛情を「きみ」への清楚なラヴ・ソングとして昇華させた“LOVELY”、雪深い北国の不良高校生たちのストーナー・サークルの部活動を描く“STONED CLUB”。どちらもPRO ERA以降の90’Sリバイバルを意識したビート・メイク。LiL OGI、WATT、OMSBのプロデュースするトラックのうえで、歌のような、ラップのような、子音や母音を気まぐれに、だが正確なタイミングで抑揚させる独特のヴォーカルが心地よく耳をくすぐる。秘密基地をつくる少年じみた無邪気さと、初恋に似た高揚感、そのすべてがハーブの煙へと注がれるリリックの内容もなるほど衝撃的ではある。しかし、真に驚嘆すべきは、この怖いもの知らずな感性が、熟練と呼んでいいほどの音楽的な洗練を伴って表現されていることだ。若さを売りにした勢いまかせのギミックはここにはない。散りばめられたソウルの断片がトリップをもたらし、自由自在に跳躍する歌声がこのうえないユーフォリアを演出する。この音楽そのものが、まるでアムステルダムのコーヒー・ショップに並ぶチョコレート菓子のようだ。甘くて、濃厚で、体に入れるとくすくすと笑いがこみ上げて、こわばった意識をリラックスさせる。

 だが、満ち溢れる多幸感とは別に、このEPには確かに、「ここではないどこか」への逃避願望が忍びこんでもいる。当然だ。もしもアメリカの一部州やヨーロッパの都市ならば、ちょっとした冒険に過ぎないはずの火遊びも、ここ日本では大事を招きかねない。
 自分の心から愛する生の形式が、社会や国家から徹底して拒絶されていること。誰かへの純粋な愛が、そのまま同時に、自分と周囲の世界とを隔てる壁になってしまうこと。だから、これは決して若気の至りでも、青春の過ちでもない。異人種間の婚姻が禁止されていた時代に、肌の色の違う恋人を愛してしまった人間や、同性愛が強く抑圧された社会で、同性愛者として生きる人間と同じ、孤独な愛を知る者の表現だ。彼の声にはどこか、亡命者の感覚がつきまとう。

 その意味で素晴らしいのは、雪深い北日本の地方都市に生まれ育った少年の夢想と逃避願望が見事に凝縮された、"まるでCALI"。地元旭川の短い夏の気候が、湿度の低いカリフォルニアに似ている、との話を聞いて執筆したというこの曲で、制作時点ではカリフォルニアを一度も訪れたことがなかったGOKU少年は、「まるでカリフォルニア」と繰り返し口ずさむ。旭川の何気ない夏の一日が流れるようなフロウで描写され、想像上のカリフォルニアに重ねられる。ネオンカラーの多幸感とともに、切なさが押しよせる。好きな相手ができて、だけどその恋は許されない。だから少年は秘密を持つ。暗号を織り込んでラヴレターを綴り、それでも才能ゆえの大胆さで、やっぱり本音を喋ってしまう。禁じられている相手への愛を、煙にまかれた美しい歌にして告白してしまう。
 ヒッピーの聖地、カリフォルニアの地を踏んだことのないGOKU GREENが口にする「まるでカリフォルニア」というフレーズは、ひどく無邪気で、だからこそ胸を打つ。足がもつれるまで煙に酩酊して見つけた、夢の場所。北海道の地方都市と、アメリカ西海岸のあいだのどこか、たぶん太平洋上に浮かぶ雲のなかに存在するユートピア。まるでカリフォルニア。でも、ここはカリフォルニアじゃない。

 いまや世界的な企業となったAPPLEの創業者スティーヴ・ジョブスが、アイデアの重要な源泉のひとつとして若き日のLSD体験をあげていたのは有名な話だ。そもそも、ヒッピーの源流である1960年代末の「サマー・オブ・ラヴ」は、LSDやマリファナの使用を通じてオルタナティヴな社会を求める世界的な運動だったわけだし、80年代末、エクスタシーという新種のドラッグの出現をきっかけにイギリスで勃興した「セカンド・サマー・オヴ・ラヴ」は、レイヴ・カルチャーという若者たちによるアンダーグラウンドなムーヴメントを生み出した。これに対してGOKU GREENが歌うのは、「おれ」と「きみ」だけの、あるいは気心の知れた仲間たちとだけ共有される、プライベートなユートピアだ。それでも、まだ10代の少年が作り出す、この濃い煙にまみれた音楽を、日本の新聞社やテレビ局が「地元愛を歌うラップ」だとか「10代の心の声」だとかの紋切り型の視点で取り上げることは、やはり難しいだろう。ここは世論調査で成人の過半数が大麻の合法化を支持し、実際にいくつかの州で合法化され、オバマの高校時代の大麻吸引のエピソードが半ばジョークとしてシェアされるアメリカではない。

 ひるがえって、現在の日本のラップ/ヒップホップを取り巻く社会状況をみてみれば、たとえば学校指導要領にヒップホップ・ダンスが取り入れられたり、現役の中高校生たちのあいだでフリースタイル・バトルが人気を博したり、こうした現象は、多くのアーティストおよび関係者による地道な啓発のたまものだ。時代遅れの風営法への抵抗としてプロモートされた「健全な遊び場」としてのクラブのイメージ刷新も、不当な法律の運用に抗議するための必然のプロセスだった。これまでアンダーグラウンドな性格が強かった日本のクラブ・カルチャーが、ビジネス面でも社会的な責任の面でも、大きな転換を迫られているのは間違いない。
 だが、ラップ/ヒップホップがそもそも、レコードからの勝手な盗用=サンプリングによってそのビートを作り出したことを忘れてはならない。グラフィティ・ライターたちは警官に追われながらスプレー缶によるヴァンダリズムで街の壁をイリーガルな美術館に変え、ダンサーやラッパーたちは、しばしば暴力と隣り合わせの路上のバトルのなかでそのスキルを磨く。このカルチャーはやはり、マリファナの煙が漂うサウス・ブロンクスの公園の非合法なブロック・パーティで生まれ、ギャングのボスだったアフリカン・バンバータによって哲学化されたものなのだ。決してこの国の官僚や政治家たちの好む、ご都合主義の健全さに回収されてしまうものではない。いまはネクタイを締めたかつての不良たちは、そのジレンマを誰よりもよく知っているはずだ。
 そう考えると、最終曲に客演としても参加している、〈BLACK SWAN〉、〈9SARI GROUP〉の強面の後見人たちの姿は、ちょっと感動的ですらある。GOKU GREENは、昨年3月に志半ばで急逝した、〈BLACK SWAN〉の創設者であり、名だたるA&Rだった故佐藤将氏が最後に発掘し、育て上げようとしていたアーティストだった。カーリーヘアをなびかせるこの少年は、先行する開拓者たちのバトンを引き継ぐ、最年少の走者でもあるのだ。

              *

 いまを生きる若い世代にとっては、きっと最高なドキュメンタリーのようなEPで、とっくの昔に青春を終えて仕事や家庭を持った大人にとっては、忘れたはずの危険なノスタルジーを刺激する、ちょっとあんまりな作品かもしれない。GOKU GREENはもうすぐ、 かねてからの望みを実現させて、カリフォルニアに移り住むそうだ。 新天地で新たなキャリアをスタートさせることになった彼にとっても、このEPはたぶん特別なものになるんじゃないかと思う。才気ばしった10代にとっては少しばかり窮屈な環境が、この美しい白昼夢のような、空想上のカリフォルニアを生んだ。世の中でも身の回りでも、色んなことが起こる。誰かが死んだり、友達が逮捕されたり、突然の別れ、遠い国やすぐ近くから飛び込んでくる災害や戦争、嫌な事件のニュースに疲れて、息が詰まりそうなとき、この音楽はそっと、その孤独な背中によりそう。まるでカリフォルニアのようで、カリフォルニアじゃない。現実には存在しないからこそ、永遠に輝く極秘のユートピア。甘い声が導く。時計が止まる。煙のなかに美しい恋人の顔が浮かぶ。どんなときでも呼吸ができる。

JAMES WELBURN - ele-king

 夏の訪れをバシバシに感じるこの頃、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。久々の大連休ゲットで有り得ないほどスパーク、怒濤のパーティー三昧で酩酊、失禁など、やらかしまくったゴールデンウィークも終わり、五月病のズンドコで連続無断欠勤から解雇、発狂、逮捕などといった話はよくありますが、そんな真性五月病のあなたに社会復帰を徹底的に打ち砕くオススメのレコードでも紹介しましょうか。

 〈ミアズマー(Miasmah)〉をご存知だろうか? ベルリン在住のノルウェジャン、エリックによって運営される〈ミアズマー〉は、レコード・レーベルとグラフィックデザイン・スタジオの両軸から洗練された耽美主義的、退廃芸術的な世界を展開する、根暗系音楽愛好家にはお馴染み(?)の「会社」(レーベルではなく、カンパニーと呼ぶことにこだわりがあるらしい……)である。発足は、90年代のデモ音源カルチャーへの返答として、エリック自身のソロ音楽活動であるSvarte Greinerの63ものフリー音源を公開したことに由来する。Svarte Greinerは〈タイプ・レコーズ(Type)〉発足初期から定期的に音源をリリースしているのでご存知の方も多いのでは? 〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉以降、ちまたに氾濫するようなノワール・ファイ・サウンドの源流にあるものを、ポスト・クラシカル的バックグラウンドから発信したレーベルだと言っても過言ではないだろう。

 2006年、〈タイプ〉に感化されたのかどうかは定かではないが、同時期より〈ミアズマ〉はレーベル運営を本格化させ、サウンドスケープを主としたエリックの美意識と共鳴するアーティストのフィジカル・リリースを開始している。レーベルの良質なリリース群から浮かび上がる、アンビエントであり、ブラックメタル/ドゥームメタルであり、ノイズであり、ポスト・クラシカルであり、しかしそのどれにも寄り添うことがなく、激情とも絶望とも狂気とも言えない、その真の意味でグレーな暗黒世界観は、完全なる異端といえる。

 〈ミアズマ〉からの最新リリースであるドローン・ノイズ作家のジェームズ・ウェルバーンのこのアルバムもしかり。本作はベテランであるザ・ネックス(The Necks)のドラマーであるトニー・バック(Tony Buck)との見事なコラボレーションであり、タイトかつヘヴィ極まるドラミングとドゥームゲイズ的なドローンが色即是空、空即是色の関係性を創りあげている。近年の再結成スワンズファンからエンドン、カズマ・クボタなどのポスト・メタル/ノイズファン、インダストリアル・テクノ経由でドローンにうつつを抜かしているファンからシューゲイザー野郎までさまざまなリスナーにアピールできそうだ。


Jim O’Rourke
Simple Songs

Drag City / Pヴァイン

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「オビがナイス」とのお褒めをいただいております『別冊ele-king ジム・オルーク完全読本』、ジムさんの新譜とともにいよいよ本日発売です。

 お伝えしていたとおり、初回版には、赤塚不二夫生誕80周年という記念すべき年を迎えるフジオプロさんが描き下ろしてくださった「ジム・オルーク肖像画ポストカード」が綴じ込まれています! これでいいのだ! 最高の一枚、ぜひ店頭にてお手に取ってご覧ください。

 それでは目次を大公開。新作『シンプル・ソングス』を語り尽くす超ロング・インタヴューに大合評、バンドメンバーおよび関係者が語るジム・オルーク、貴重な「完全?」ディスコグラフィに、過去記事の再録など、一冊まるごとジム・オルークづくしの永久保存版。

Tribute To Jim O’Roruke~ジム・オルークに捧ぐ 五木田智央

『シンプル・ソングス』と現在の考えを語る
~ジム・オルーク ロング・インタヴュー 佐々木敦+松村正人

『シンプル・ソングス』合評 北沢夏音、木津毅、畠中実、細田成嗣、松山晋也、吉田ヨウヘイ

証言1 石橋英子 私たちはジムさんのトリックにもりこまれて、そのときを一生懸命に生きている 松村正人

証言2 山本達久 好きなドラマーは誰ですか? 即答で「ジョン・ボーナム」って(笑) 細田成嗣 写真=小原泰広

ジムさん、タコでやりましょう! 山崎春美

ジムと歌 湯浅学

ジム・オルークと電子音楽 川崎弘二

ミュージック・コンクレートを呼びさませ 三田格

古い音信 佐々木暁

プロデュース・ワークをふりかえる 岡村詩野

証言3 坂田明 ジムが座長で、俺は花形 松村正人

ジム・オルークの特殊性 岸野雄一

即興者ジム・オルーク 細田成嗣

オルーク、ビルドゥングスロマン 虹釜太郎が語る90年代のジム・オルーク ばるぼら

アメリカから来た日本人 細野晴臣とジム・オルーク 中矢俊一郎

再録 ジム・オルークの選ぶ日本の作曲家15 ジム・オルーク

対談 五木田智央×ジム・オルーク 松村正人 写真=小原泰広

証言4 前野健太 僕の中のジム・オルーク革命 磯部涼

ジム・メイクス・サウンズ ジム・オルークの音響学 國崎晋

内容と形式がたがいを満たし合う ジム・オルークと映画 品川亮

証言5 須藤俊明 めちゃくちゃバンドです。バンド以上かもしれない 松村正人

証言6 波多野敦子 どう混ざり合い、ちがうものになれるか 松村正人

ジム・オルークのニホンゴ 渡邉美帆

再録 対談:ジョン・フェイフィ×ジム・オルーク トニー・ヘリントン

資料 ディスコグラフィ

表紙写真=タイコウクニヨシ
扉写真=菊池良助
目次・表3写真=中村たまを


■ele-king別冊 3号 ジム オルーク完全読本 -all About Jim O'Rourke-

編集:松村正人
判型:菊判 / 144頁
ISBN:978-4-907276-32-4
価格:本体1,700円+税
発売:2015年5月15日

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interview with Tyondai Braxton - ele-king

 さきほど深夜の原稿書きの息抜きにたまには豪勢にセブンイレブンのすばらしい100円のコーヒーでも飲んでこましたろかと外に出たらビジネスパーソンふうの男性(草食系)とおそろしくコンサバないでたちの女性が暗がりでいちゃついていてギョッとしたのである。公然とベタベタするカップルはなぜ割れナベに綴じブタのような方々ばかりなのか、あるいは私が数年来目撃してきたのはことごとくこのふたりなのか、ぞんじあげないが、ある種の協和の関係が再帰する構造はミニマリズムを想起させなくもない。俗流のそれである。ミニマル・ミュージックおよびそれをうちにふくむ現代音楽なることばがひとに難解なイメージをもたらすのは、彼らはその背後にスコアをみてとり、スコアは音楽に構成や構造や概念のあることをほのめかすからだが、いかに明確な指示や意図であってもひとが介在するかぎり、もっといえばそれが時間軸に沿った音による表現形態、つまり音楽であるかぎり、厳密な再現をもたないのはミニマル・ミュージックの第一世代はすでに喝破していた。むしろズレを包括したものとしてミニマル・ミュージックは後世に影響をあたえ、おそらくそれはミュジーク・コンクレートもおなじだろう。このふたつのクラシカルな形式の影がロックやクラブ・ミュージックのもはや短いとはいえない歴史に何度もあらわれるのはこのことと無縁ではない。そしてタイヨンダイ・ブラクストンほど、シリアス・ミュージック――と呼ぶのがふさわしいかどうはさておき──とポピュラー・ミュージックの先端に位置し、そのふたつの突端を見事に結わえたミュージシャンはまたといない。


Tyondai Braxton
Hive1

Nonesuch / ビート

ElectronicAvant-GardeJazz

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 いまさらタイヨンダイについてバトルズからときおこす必要はないだろうけれども、2000年代のオルタナティヴ・ミュージックを体現したこのバンドのフロントマンだった彼はバンド在籍時の2009年に実質ファーストにあたる2作めのソロ『セントラル・マーケット』を出し、翌年バンドを脱退した。『セントラル~』で彼はストラヴィンスキーのバレエ音楽に範をとり、バトルズのあの色彩感覚はおもに彼のカラーだったのだとあらためて納得させた先鋭性とポップさを同居させる離れ業をやってのけたのだがそれからしばらく音沙汰はなかった。『ハイヴ1』は6年ぶりのアルバムで、タイヨンダイは今度はリズムに主眼を置いている。打楽器からヴォイス・パーカッション、グリッチ・ノイズまで、リズムを構成するすべての音の音価と音色について。『ハイヴ1』ではそれらが交錯し干渉し逆行し、忘れてはならないことだが、ユーモラスでダンサブルでもある。お定まりの割れナベに綴じブタの関係ではないのである。

 質問の冒頭でザッパのことを訊ねているのは、『ハイヴ1』はヴァレーズを参照したと聞いたからで、ストラヴィンスキー~ヴァレーズはともにザッパが影響を受けた作曲家ということです。訊きたいことはもっといっぱいあったのだけど、時間もかぎられていたので仕方がない。彼は人気者なのだ。

■タイヨンダイ・ブラクストン / Tyondai Braxton
ポストロック/ポスト・ハードコアの重要プレイヤーが集結するスーパー・バンド、バトルスの元メンバーとしても知られるニューヨークの実験音楽家。バトルス時代の『ミラード(Mirrored)』(2007)のほか、ソロ・アーティストとしては2009年に〈ワープ(Warp)〉からリリースされた『セントラル・マーケット(Central Market)』がヒット。現代音楽の巨匠、フィリップ・グラスとのコラボーレション・ライヴなどを経て、本年、6年ぶりとなるソロ・アルバム『ハイヴ(Hive1)』を発表する。

僕とフランク・ザッパの関係性は複雑なんだ。

前作『セントラル・マーケット』がストラヴィンスキー、『ハイヴ1』ではヴァレーズの“イオニザシオン”を参照されたということですが、この影響関係はフランク・ザッパとまったくいっしょです。彼のことは(直接本作とは関係ないにしても)意識しますか?

タイヨンダイ:僕とフランク・ザッパの関係は不思議だ。彼のことはすごく尊敬している。彼の活動すべてを好きでなくても、アーティストとして尊敬することはできる。フランク・ザッパの音楽も一部は良いものだと思う。なかには、僕の好みでない音楽もある。僕とフランク・ザッパの関係性は複雑なんだ。僕は大学時代、ザッパについての授業を受けるはめになった。それまでザッパの音楽には興味をもたなかったし、彼のユーモアのセンスも理解できなかったから、はじめは授業を受けたくなかった。でも、授業を受けて、彼がどんな人物かを学んでから、彼に対する新たな尊敬の意が生まれた。だから、彼の音楽は共感できないものがほとんどだけれど、彼のことはとても尊敬している。彼がいままでやってきたことに、驚かされたものがいくつかある。

“イオニザシオン”は西洋音楽初のパーカッション・アンサンブルための楽曲だといわれます。『ハイヴ1』には、人間による打楽器演奏、リズム・マシーン、グリッチノイズなど、現在の音楽を構成する無数の打楽器音を総動員してつくった趣があります。このような作品を着想するにいたったきかっけを教えてください。

タイヨンダイ:きっかけはいくつかある。まず、打楽器に関して僕が興味を感じはじめたのは、打楽器をリズム楽器として演奏するのではなく、テクスチャーを生み出すものとして扱うということ。メロディとしては、扱えないかもしれないが、少なくともテクスチャーとして扱う。このアイデアは刺激的だと思った。僕はいまでもドラムがリズムを演奏するようなリズミカルな音楽も好きだ。だが、楽器にひとつの役割しか与えられていないという制限が好きではない。この機会を利用して、僕にとっての打楽器音楽がどのようなものかという探求をしたいと思った。リズミカルなサウンドとテクスチャルなサウンドが行き交うものにしたかった。それが第一のきっかけ。そこに、ヴァレーズやクセナキスなどの初期の打楽器音楽の影響が加わって今回のアルバムにとりかかった。

打楽器の演奏者と具体音、合成音でアンサンブルを組むにあたり、どのような手法、コンダクションをとったのでしょう?

タイヨンダイ:レコーディングしたときは、僕の意図など具体的な指示を演奏者に出すことができた。ライヴ演奏をするときは、演奏者はヘッドホンから鳴るキューを頼りにしているから、コンダクションは音声のキューがメインで、僕が実際にコンダクションをとっているというわけではないんだ。テクニック(手法)に関しては、先ほど話したように、リズミカルなパーツとテクスチャルなパーツをシームレスに行き交うというアイデアを追求した。テクニックとして、特定のパーツの焦点は何かということを理解することが求められた。あるパーツがテクスチャーを生み出しているとしたら、そのパーツのリズム要素にはあまり焦点を当てない……いや、そういうわけでもないか。テクスチャーを生み出しているからといって、テンポに合う演奏ができないともいいきれない。音楽がすべて楽譜で書かれているかぎり、テンポ通りに進むということだから。簡潔に答えるとすれば、アルバム制作で手法としたのは、リズミカルな要素に加えてテクスチャーとなる要素も意識するということ。

この機会を利用して、僕にとっての打楽器音楽がどのようなものかという探求をしたいと思った。リズミカルなサウンドとテクスチャルなサウンドが行き交うものにしたかった。

「ハイヴ」はもともとグッゲンハイム美術館でインスタレーションも含めたかたちで上演された、つまりサイトスペシフィックな作品だったわけですが、そういった作品を音楽作品におとしこむのはそもそもあったはずのある側面を捨象することになるのではないでしょうか? あるいは『ハイヴ 1』はそのヴァリエイションであり、その意味で問題なかったということですか?

タイヨンダイ:問題ないというわけではない。それが次なるいちばんの課題だった。「ハイヴ」は、インスタレーションとしてはじまったプロジェクトなのだけど、今回のアルバムが、ヴィジュアル要素や演奏される場所に依存することなく、ひとつの作品として機能することが重要だった。複数の次元で機能する作品でなければならなかった。僕がソロ・アーティストとして、この音楽を別のヴァージョンで披露した場合にも同じことがいえる。僕の演奏する音楽が、アルバムの様式を超越したもので、かつ、興味深いものでなければならない。また、それをやる理由も存在しなければならない。僕がソロの演奏をするとなった場合、バンドといっしょに演奏したものをどうやってソロでやるんだ? と疑問に思うだろう。その答えになるのが、アルバムの音楽で、僕が一人でやれることで、他の演奏者がいたらできないようなことを思いつくということなんだ。僕が今回、アルバムの音楽をつくる上では、そのような使命が課されていた。複数の次元で使える音楽で、様々な状況下で使える音楽をつくるということだね。


グッゲンハイム美術館にて

ミュジーク・コンクレートには現実音を抽象的にあつかう、または現実音を現実音そのものとしてあつかう、というふたつの考え方があると思います。あなたはどちらですか? またその理由について教えてください。

タイヨンダイ:アルバムを聴くと、その考え方の両方を行き来している感じがあると思う。限定された、定義しやすい要素を使うのは大切だが、その一方で、僕はその考え方を分解することも大好きだ。僕は、ふたつの考えのうち、どちらかを選択するというよりも、両方を取り入れられるという方法に刺激を感じる。たとえば、最初から抽象的なものから入るのではなく、あるアイデアを呈示してから、それを抽象化させる、など。もしくは、抽象的なアイデアから入り、それが徐々に明確なものに変化していき、題材のソースが明確になったり、題材自体が何であるかが明確になったりする、など。そういうバランスの取れた感覚が好きだね。

ミニマリズムという美意識は、テクノとクラシカルだけに存在するものではない。

『ハイヴ1』ではあなたのひとつの魅力である「声=ヴォイス」も全体を構成するいち要素としてあつかわれています。あなたはヴォイス・パーカッションも演奏されますが、その経験が『ハイヴ1』には影響していますか?

タイヨンダイ:もちろん。アルバム5曲めの“Amlochley”では、ビートの構成はすべてビートボクシングでできている。僕がビートボックスをしてつくったんだ。その他のサンプルにも、僕の声ではないが、他のひとの声を使っている。今回のアルバムでは、機能する領域が限られていたけれど、自分の声を使うという実験はとても重要だった。だが、自分の声をあまり使わないようにする、というのも強く意識した点だ。僕はバトルズというバンドでは歌っていたから、僕と声を連想するひとも多いと思う。そのイメージから離れて、他の試みをするというのは僕にとって重要なことだった。声という要素にちがったアプローチで取り組み、ミニマルな方法で扱いたいと思っている。

声といえば、ロバート・アシュリーのような音楽家の作品はどう思いますか?

タイヨンダイ:ロバート・アシュリーは大好きだよ。彼の作品の演奏を観られたことを光栄に思っている。近日、僕がまだ見たことがないオペラがニューヨークで上演される。彼が亡くなったことを知ってとても悲しかった。だが今後も、彼の音楽の数々を追求していきたいと思っている。

OPNやメデリン・マーキー(madalyn merkey)、D/P/Iなどの最近の作品を聴きましたか? 聴いたとしたらどう思われましたか?

タイヨンダイ:最後のふたりはよく知らないけれど、OPNの作品はすごく好きだ。彼は、すばらしいプロデューサーで作曲家だと思う。彼の活躍は、いつも僕をワクワクさせてくれる。

たとえばテクノにおけるミニマルと、クラシカルなミニマル・ミュージックのどちらに親近感をおぼえますか?

タイヨンダイ:両方だね。ミニマリズムという美意識は、テクノとクラシカルだけに存在するものではない。僕は、構成に対するミニマリストなアプローチに親近感をおぼえる。それがオーケストラ音楽であっても、エレクトロニック音楽であっても。各様式において、ミニマリズムという概念の解釈が独自の方法でなされていると思う。だから、こちらの方がもうひとつの方より興味深い、というわけではなくて、どちらもすばらしい音楽を生み出していると思う。

また、あなたはフィリップ・グラスの楽曲をリミックスした経験がありますが、ミニマル・ミュージックといえばグラスですか?

タイヨンダイ:もちろん、フィリップ・グラスは好きな作曲家の一人だ。すばらしい音楽家だと思う。スティーヴ・ライヒやジョン・アダムスといった、アメリカのミニマル・ミュージシャンが好みだ。彼らの音楽は大好き。とくにジョン・アダムスの音楽。みんな偉大な音楽家たちだ。

あまり情報量のない音楽でも、ある一定の音量で聴くと、非常に強いインパクトがある、というのはおもしろいことだよね。多くの人は、ミニマル音楽をそういうふうに聴こうと思わない。

以前ジム・オルークは「フィリップ・グラスを大音量で聴いて、これはファッキン・ロックンロールよ、と思った」といっていました。そして私は『ハイヴ1』も大音量で聴いてぶっ飛びました。この意見についてどう思いますか?

タイヨンダイ:その言葉はすごくうれしいね。僕の音楽で誰かがぶっ飛んだと聞けばうれしいにきまってる。あまり情報量のない音楽でも、ある一定の音量で聴くと、非常に強いインパクトがある、というのはおもしろいことだよね。注目を必要とする要素自体が少ないから、特徴がさらにはっきりとする。多くの人は、ミニマル音楽をそういうふうに聴こうと思わない。ミニマルとは、小さいと思われがちで、音量も小さくしなければいけないと思ってしまうからだ。だが本当は、ミニマル音楽は、大音量で聴いた方がインパクトが大きい。僕は元から音楽を大音量で聴くのが好きなんだけど、ミニマル・ミュージック全般を大音量で聴くと、すごくパワフルな体験ができると思っている。そういうふうにアルバムを聴いて、リスナーのみんなもアルバムを気に入ってくれるといいな。

「ハイヴ」アンサンブルでの来日公演の可能性はありますか?

タイヨンダイ:そういう機会があったらぜひやりたい。今回予定されている来日は、僕ひとりだけれど、「ハイヴ」を日本に連れてきて、アンサンブルをやる機会があればぜひやってみたいね。

では、ソロの予定はあるということですか?

タイヨンダイ:ああ。7月1日と2日。大阪と東京で公演がある。「ハイヴ」のソロ・ヴァージョンを披露するよ。

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