![]() 松永孝義 QUARTER NOTE ~The Main Man Special Band Live 2004-2011~ Precious Precious Records ライナーノーツ:こだま和文 / エマーソン北村 |
80年代の日本で、ふたりの偉大なベーシストを見つけるとしたら、ひとりはじゃがたらのナベ、もうひとりはミュート・ビートの松永孝義である、と言いたくなるのは僕だけではないでしょう。ニューオーリンズのファンクからジャマイカのレゲエ、UKのポストパンクまで、異種交配を繰り返しながら、ビート・パンク全盛期の日本で、ふたりはグルーヴを意識したダンス・ミュージック作りのひとりとして演奏に励んでいた。1986年には、インクスティック芝浦ファクトリーの「東京ソイソース」がそのうねりの拠点となって、S-KENのホットボンボンズ、ミュート・ビート、じゃがたら、そして松竹谷清のトマトスの4バンドが集まった。
初期のじゃがたらは、いまからざっと30年ほど前の下北沢のとあるバーにたびたび集まっていた。当時その店で働いていたのがトマトスを結成する松竹谷清、通称、清さんだった。パンクの熱が容赦なく残っている時代において、音楽の探求者たちは同じ場所と同じ時間を共有した。トマトスには、ベースがナベ、ギターがEBBY──じゃがたらのメンバーして知られたふたりが加入している。
トマトスはミュート・ビートと同様に、80年代前半の東京の、レゲエのリズムを取り入れたバンドだった。インストのミュート・ビートに対して、しかし、トマトスには日本語の歌があった。やがて初期のフィッシュマンズや一時期のチエコ・ビューティー、あるいはロッキン・タイムなどへと展開する、日本語ロックステディのはじまりと言えるかもしれない。ちなみに、広くはミュート・ビートのベーシストとして記憶されている松永孝義だが、1989年からはトマトスでも演奏している(また、一瞬だが今井秀行もドラムを叩いている)。
松竹谷清とミュート・ビートとの共演は、1枚の素晴らしい名盤を残している。スカタライツのサックス奏者、ローランド・アルフォンソとの共演盤だ。1988年、松竹谷清はギタリストとして、ローランド・アルフォンソ+ミュート・ビートのライヴに参加していている。それが後に『ROLAND ALPHONSO meets MUTE BEAT』としてリリースされた。また、1992年にはニューヨークの伝説的なレゲエ/ダブ・レーベルのワッキーズにて、『ROLAND ALPHONSO meet GOOD BAITES with ピアニカ前田 at WACKIES NEW JERSEY』の録音にも参加している。後者は、たったの2曲の複数ヴァージョンの収録なのにも関わらず、まったく飽きさせない出来だ。
この6月、松永孝義の3回忌にあわせての未発表ライヴ音源がリリースされる。2004年に、松永孝義にとって生涯で最初で最後のスタジオ録音のソロ・アルバム『The Main Man』を契機に生まれたバンド、The Main Man Special Bandによるライヴ演奏だ(ライナーノートは、こだま和文とエマーソン北村)。ちなみに、カヴァー曲の多いくだんの『The Main Man』のなかで、オリジナル曲を書いているのが松竹谷清である。
写真撮影のときは、チエコ・ビューティーの『ビューティーズ・ロック・ステディ』(こだま和文がプロデュースした日本のロックステディの名作)のなかの1曲、“だいじょーぶ”を弾き方ってくれた松竹谷清は、近年は、日本語レゲエの先駆者として、地味ながらも再評価されている。今回は、清さんに、松永孝義のベースと80年代のミュート・ビート周辺について語ってもらった。
やっぱりミュートからですね。ミュート・ビートが好きで、という感じですかね。それで衝撃を受けましてね。松永は「すげえベースだな」っていうので、まずは音楽ですごく感動しまして。
■今回松永孝義さんの3回忌ということで、未発表のライヴ・アルバム『QUARTER NOTE』発売がされます。今回のそのためのインタヴューということで、松竹谷清さんにお時間をいただきました。清さんは松永さんとはもちろん古いつき合いであり、松永さんの唯一のソロ・アルバム『The Main Man』のなかでも作曲されてもいます。
松竹谷清:教えた曲も含めると半分ぐらいになるかもしれないけど(笑)。
■松永さんを若い世代にも知ってほしいということで今回の企画があるのですが、まず最初に松永さんがどういう方だったのかのかお話していただきたいなと思ういます。そもそもいつお知り合いになられたんでしょうか?
松竹谷:やっぱりミュートからですね。ミュート・ビートが好きで、という感じですかね。それでおお! という衝撃を受けましてね。
■清さんがトマトスをやるのはちょっとあとですよね。
松竹谷:実際はミュートよりもトマトスのほうがちょっと早いんですよ。全然マイナーなんですけど。トマトスは82年ぐらいからやってるんで、トロンボーンズとかルード・フラワーとかやってる頃で。だいたい85年ぐらいだと思うんですけど、こだまとかと知り合ったりとかして、それでミュートのライヴなんかも観ていって。
スタッフ:トマトスがはじまってるのってニューウェイヴより前なんですか?
松竹谷:もうニューウェイヴだね。だから東京ロッカーズのあとだね、ミュートも俺らも。だから80年代入ってからだね。それで松永は「すげえベースだな」っていうので、まずは音楽ですごく感動しまして。で、あとでよくよく考えると、かなり前にライヴハウスで違うバンドで対バンしたこともあったんですけど。やっぱり(意識したのは)ミュート・ビートですね。86年かなあ? 85~6年、そのぐらいですね。
スタッフ:当時は〈クロコダイル〉で?
松竹谷:うん、〈クロコダイル〉とかですね。あと六本木のインクスティックですね。
■ミュートもトマトスも、お互いそれぞれ作品を発表された頃ですね。
松竹谷:ミュートが出したのとだいたい同じ時期なんですよ。ミュートが出したのも、86年、87年……『TRA』のカセットが86年で、ファーストの『FLOWER』が87年じゃない。トマトスも87年なんで。一緒ぐらいなんです。まあうちはインディでしたけどね。
■その頃パンク/ニューウェイヴがあって、と同時にレゲエがありました。清さんは、じゃがたらやミュート・ビート、S-KENといった、のちの東京ソイソースに繋がるコミュニティのひとりだったわけですけれど、その当時のバンド間の関係っていうのはどんな感じだったんでしょう?
松竹谷:ちょっとこう……俺らはちょっと違うよっていう意識だけは持ってたかもしれないですね(笑)。ツッぱって。あの頃やっぱりイギリスに目が行ってたと思うので。イギリスのクラブ・シーンや音楽が変わっていくっていうのと、俺らも同じところにいるような気持ちでやってたと思いますね。要は、クラッシュにしてもレゲエに影響を受けて変わったり、いろいろあるでしょう。リップ、リグ&パニックとか、あとはファンクとかね。レゲエとかサルサとかアフリカの音楽とかがこう、ぐしゃぐしゃっとなってきた時期だったんで。僕らも同じ気持ちがありましたね。
■ちなみに清さんご本人のそれまでのバックボーンっていうのは?
松竹谷:アメリカの黒人音楽ですね。ブルース/ロックンロールですね。しかも、プレスリーのように、違う文化のフィルターがかかって、化学反応が起きているものが好きです。何て言うんだろう……ワープ感というか、そういうようなイメージなんで、僕のなかの音楽って。そのものをやるっていうじゃなく。自分が持ってるものじゃなくて、何かのところに行ってヘンな化学変化が起きたような感じで。根っこはロックンロールやブルースがあったところで、っていうね。この前イエローマンがたまたま日本でツアーしてまして、サポートでバッキングしたんですけど、同世代なので、持っているものは同じというか。アメリカからの影響がレゲエという形で出ていくという。どんなジャンルもそういうのがあっていいと思うので。
■トマトスの靴のジャケット(「ROCK-A-BLUE BEAT」)、よく覚えています。ミュート・ビートの『FLOWER』もそうですけど、ああいうのがひとつのメッセージというか。レゲエみたいなものがたんに輸入音楽ではなく、のちに日本に根付いていくきっかけになったんだと思います。
松竹谷:そうですよね、ええ。ありがとうございます。だってねえ、世界中でその国の言葉で歌ってるじゃないですか。いろんなものの影響を受けて。それがグルーヴにすごく影響があるんでね。それが面白いですよ。
■ちなみに清さんはレゲエみたいなものはどこから入ったんですか?
松竹谷:ボブ・マーリーとかジミー・クリフとか初期のも好きだったんですが、80年代前後に古いスカやロック・ステディのレコードが若干買えるようになりまして。トリオでトロージャン・ストーリー出たり。あれがまず大きくて。80年代頭の当時は「あのレコード屋に〈スタジオ・ワン〉のレコードが何枚入るぞ」ってスカフレのメンバーとかミュートのメンバーで取り合ってましたよ。早く行って買わないとない、っていう。「ウッドストックに10枚入る」だの……。
■はははは。そういうなかでミュート・ビートを通じて松永さんとお会いすると。清さんから見てミュート・ビートというのはどういうバンドでしょう?
松竹谷:いや、もうあのひとたちはワン・アンド・オンリーなんでね。早い話、演奏は素晴らしいですけど、ぶっちゃけて言っちゃうとオーガスタス・パブロの80年代前後のサウンドにかなり近いアレンジとかもしてる。でもこだまの演奏は、日本でないと成り立たないものになってるっていうのが、一番僕がグッときたところですね。日本でないと成り立たないレゲエだっていう。
■それはメロディであったり?
松竹谷:メロディであったりですね。でも同じようなトラックの作り方してても……同じような叩き方やベースの弾き方してても、にじみ出てくるものがあって、それがすごく大きかったです。
スタッフ:暗いアルバムってヨーロッパやイギリスでもあるけど、ああいうマイナーな曲が入ってるってないですよね。暗いっていうと違うかもしれないですけど。
松竹谷:いや、暗くていいんじゃない(笑)?
[[SplitPage]]何て言うんだろう……ワープ感というか、そういうようなイメージなんで、僕のなかの音楽って。そのものをやるっていうじゃなく。自分が持ってるものじゃなくて、何かのところに行ってヘンな化学変化が起きたような感じで。
■ニーナ・シモンと美空ひばりとどっちに近いかって言われたら、必ずしもニーナ・シモンとは言い切れないという?
松竹谷:いやいや、ほんとそういうことですよ。僕らはパンク/ニューウェイヴを通ったっていうのが大きかったと思いますね。70年代からロックを聴いていた世代にしたら、パンク/ニューウェイヴっていうのは子どもの音楽だったんですね。僕はそういう風には絶対に思わなかった。壊して新しくなっていくってところにすごく喜びを感じていまして。
■ブルースとかブラック・ミュージックをずっと聴いていた方でパンク/ニューウェイヴを受け入れるって――。
松竹谷:だからほんと周りにいなかったですよ。
■どちらかと言うとアンチな立場の方のほうがね。
松竹谷:多いですよね。当時だと実際問題「何やってんだ」みたいな感じもありましたからね。
■そういうなかで松永さんっていうのは……。
松竹谷:松永なんていうのは、ある種ファウンデーションというか、しっかりと基本的なところを押さえたプレイをする人間なんですけど。人間的には壊していくというか、オリジナリティを出していくことがすごく好きなひとなんでね。だから俺みたいなヘンなのも好きだったんじゃないですか(笑)。こだまとか(笑)。
■(笑)じゃあキャラで言うと、こだまさんとは正反対の方だったんですね。いつまでもビールを飲んでいるような感じじゃなくて。
松竹谷:いやーでも、当時は松永もヒドかったよ。朝起きたらビール飲んで、飲酒運転して来てリハして、リハしてるときビール飲んで。(スタッフを指して)こいつなんてミュートのライヴで「このヤロー、ステージにビールないだろ!」って松永に怒られてたからねー。
■松永さんは出自がクラシックだから、それが清さんやこだまさんとも違ってらっしゃるというか。
松竹谷:でもあいつ元々は、高校ぐらいまではエレキ・ベースでツェッペリンとかああいうロックをやっていて、ジャズやりたくてウッド・ベースやり出して、足がおかしくなったりで真面目に、ってことで音大でコントラバスやり出したんですよ。根っこはロックなんですよ。
■それでレゲエのベースを。
松竹谷:それでレゲエをやりたいっていうんで、ミュートのベースがいなくなるときにピアニカ前田が松永をこだまに紹介したという。それで松永がミュートに入ったんですね。
■清さんから見て松永さんのベーシストとしての魅力というのは?
松竹谷:もう言い切れないくらい好きなんですけど……音良しリズム良しセンス良しで、言うこと何にもないですね。で、今回のアルバムのタイトルは俺がつけたんですけど。
■『QUARTER NOTE』。
松竹谷:『QUARTER NOTE』って四分音符ってことなんで。そのことで言うと、松永さん四分音符が長いんですよ。それに応える形で俺と松永でグルーヴを作っていったってところがあるんで。「ドゥーン、ドゥーン、ブン、チャッ、チッ」とかね、そういう感じで。簡単な、けど一拍であのしっかりとした四分音符にはまあほんと、しびれましたね。
■独特のリズム感ということですか?
松竹谷:うーん、タイム感ですね。独特というか……テンポが遅いわけじゃないんですよ。
■僕が思うのは、清さんのトマトスなんかもそうですけど、じゃがたらやミュート・ビートがそれまでの日本のバンドと何が違ってたのかと言うと、それまで日本でロックを聴くって言ってもグルーヴっていうことを言うひとっていなくて。ダンス・ミュージックってことを意識するバンドってそんなにはいなくて。ロックっていうと個人でハマって聴く感じっていうのがどうしてもあったので。
松竹谷:ああー、それがね! それはだから、70年代にそうなっちゃったんじゃないかなあ、主に。
■そういう感じがあったところに、たぶんダンス・ミュージックってことをすごく意識されてて。グル―ヴってことをすごく意識したバンドじゃないですか。
松竹谷:それは意識してますね!
■レゲエっていうよりはね。そういうなかではベースってすごく重要なポジションですもんね。
松竹谷:重要ですよ。ほんっとに。
■そのグルーヴっていうのはトマトスも研究されてましたけど、松永さんもそこなんですね。
松竹谷:ほんとに松永がいなかったらないですね。
■たとえばジャマイカのダブの名ベーシストはいろいろいますけど、そういうのと比較して松永さんの持ち味といいますと。
松竹谷:うーん……日本人っぽいのかなあ、それが。カチっとしてますね。柔らかい音で弾いても響きは硬質というか。音色がまず違いますしねえ。まあありがちな言い方だけど、アンプが鳴ってるんじゃなくて、ストリングスが鳴ってますね、松永は。弦が鳴ってますね。極端な話、アンプを選ばないですね。もちろんそれはウッド・ベースにしてもそうなんで。なんせ音色がほんとに色っぽくて、いいですね。
■松永さんの唯一のスタジオ録音のソロ・アルバム『The Main Man』っていうのは、彼が初めて主役となって……「メイン」となって作ったアルバムでもありますけれども、そういうときに普通ならもうちょっとベーシストとしての自分が前に出てもおかしくはないじゃないですか。
松竹谷:ブーツィー・コリンズですか(笑)?
■ああいうベース・ソロがあっても別に誰も嫌味とは思わないわけじゃないですか。でも、『The Main Man』という作品は、あくまでもひとりのベーシストに徹しているっていう。
松竹谷:それが松永の音楽観だと思うんですよ。メロディあるならメロディを、グルーヴでどれだけ上げるかがベースの役目なんですね。それに徹しているんですよ、ほんとに。
■ソロを弾かなかったのは?
松竹谷:いやー、必要ないんじゃないですかね、あのひとにとっては。何て言うんだろう、一音のなかでそういうことを全部表せるっていうか。特別なソロっていうパートは必要ないんですよ。曲のなかでドーンとあることが……だから普通のバッキングで主張しまくってますよ(笑)。
■しかも、収録曲はカヴァーであり、あるいは清さんの曲であったり……、要するにご自身で作曲したりしないんですよね。
松竹谷:最初、全部俺の曲だけでやるかって話もあったんですよ。でもそれだと俺のソロ・アルバムみたくなりすぎるんで、で、わざわざ松永が札幌まで来て話して、10曲ぐらい曲作ってあげたんだけど。で、自分で考えて「この曲をこのひとに歌ってもらおう」とか「セッション的に生まれたこの曲を入れよう」とか、そういう風に悩みに悩んでああいう形になったと思うんですよ。松永は、曲のなかに自分の解釈を出したかったんじゃないですか。
[[SplitPage]]70年代からロックを聴いていた世代にしたら、パンク/ニューウェイヴっていうのは子どもの音楽だったんですね。僕はそういう風には絶対に思わなかった。壊して新しくなっていくってところにすごく喜びを感じていまして。
■松永さんはミュート・ビートでベースを弾いて、清さんはトマトスをやってて、そのふたつのバンドの最高の邂逅を音源として残しているものをひとつ挙げるとすれば、やっぱりローランド・アルフォンソとの共演だったと思うんですよね。ワッキーズで録音したヤツ(『ROLAND ALPHONSO meet GOOD BAITES with ピアニカ前田 at WACKIES NEW JERSEY』)です。90年代初頭の美しい隠れ名盤ですよね。
松竹谷:内容は最高ですよね。まずローランド・アルフォンソを呼びたいという石井さ(志津男)んの話があって。その後に、今度はローランドのソロ・アルバムを作らないかってことになりまして。で、トラックをミュートのドラムの今井に作ってもらって、僕らは前田とバッキングして音楽をアレンジして。それをこっちで録って、テープを持ってニューヨークでダビングっていう。1曲は昔やってた“テンダリー”って曲で、もう1曲はまあ俺の曲をやったんですけど……ローランドさんは目が悪くて譜面が読めなかったという(笑)。
だから前田にメロ吹かせたのを送るんだけど。こんなでっかいお玉(音符)を前田に書かせて(笑)、それを持って行って吹いてもらったりしたんですけど。完璧にはできなかったですけど、でもいいムードになりましたね。
■ローランドさんはそのときおいくつだったんですか?
松竹谷:その頃ねえ……だからあれをやったのが20数年前でしょう?
■ミュートでもやられてるし、あとはワッキーズでもやってますよね。
松竹谷:そうです。だから……ひょっとすると、いまの僕らぐらいかもしれないですね。僕57なんですけど、60ちょっと手前かぐらい。そんな歳いってなかったと思いますよ。
■その当時はほかにもジャッキー・ミットゥが来たりとか。
松竹谷:そうですね。
■ただ当時のジャマイカ国内は、スレンテン以降のああいうコンピュータライズした時代で。ジャマイカってやっぱりトレンドが早いんで。
松竹谷:そうですね。ちゃんとしたヒット・ミュージックなんでね。みんなニューヨークにいるって言ってましたね、当時。
■そういうなかで、日本で自分たちの曲をこんなにも演奏できる連中がいるっていうのは、やっぱりすごく嬉しかったんじゃないかなって想像するんですけど。
松竹谷:ものすごく喜んでいただきましたね。まずライヴのときにね。
スタッフ:ローランドが来たのは、ミュートとのライヴの当日ですからね。たしかリハぐらいに来て。
松竹谷:いやいや、リハじゃないよ。開演10分前に来たんですよ。で、開演時間30分押して。
■それを、ぶっつけ本番の一発でやって、しっかり息が合っちゃったんですからね。すごいですよねえ。
松竹谷:しびれましたけどね、ほんとに。一応、(ローランドは)なしで、こうやって(笑)、練習してました。これは松永の話だからネタとして。じつはリハは松永も京都で足止め食らって来てなかったですからね。で、松永も来ないしローランドも来ないし、どうすんだろって、俺たちしぶーく練習してたんですよ、最初。そのうち松永も戻って来れたんだけど。
■今回三回忌ということで、The Main Man Special Bandのライヴ盤が出たわけですけれども、このリリースに関して清さんはどのような感想を持ってらっしゃいますか?
松竹谷:まあ……いいんじゃないですか。スタジオ盤じゃなく、こういうライヴのグルーヴというかムードがちゃんと伝わるものをしっかりまた聴いていただけるっていうのは。
■レゲエ以外に、ハワイアン、島唄もありますけれども、そういったものは80年代レゲエをずっとやられてきたなかでの次のステップみたいな風に考えてらしたんですか?
松竹谷:もともと好きでね、松永さん。ああ見えていろんな音楽好きなんで。沖縄にしても小笠原にしてもハワイアンにしてもスウィング感、グルーヴがあるんでね。あと、まず松永は音色でグルーヴするっていうのを大事にしてた。要するにマイク一本で生音でやるハワイアンのCDなんかをあいつよく聴いてたりしたんですけど。昔のジャズとかラテンなんかも同じなんで。音色で、音量も合わせてグルーヴするっていうのがあるんでね、そういうところをすごく大事にしてたことが、よりいっそうそういうところに行ったんだと思いますよ。
極端に言うと、いまのレコーディングと全然違うんで。たとえばの話、1小節弾けりゃいいでしょ、っていう感じのがあるでしょう? あれってダメですからね。1曲でグルーヴしてないと。何でも直せちゃうとダメなんですよね、やっぱり。いい場合もあるけど。グルーヴが止まったらダメなんでね。影響があるんで、細切れには絶対できない。それって音色も含めてのことなので。
■その80年代末、活動のなかでターニング・ポイントだったことは何か覚えてらっしゃいますか?
松竹谷:うーん……自分自身は松永とやることでよりいっそうシンプルになっていったというか。レゲエだアフロだサルサだっていうんじゃなく、ポップスのなかでもロックしているっていう。自分の解釈だったり音色っていうところも含めてやって行きたいっていう風になっていった時期ですかねえ。
■松永さんがひとまず入られたのが89年?
松竹谷:そうですね。半年ぐらいミュートとダブってるのかな? ミュートのリズム・セクションに「やれ」って(笑)。引き抜いたっていうより並行してやってもらったんだけど(笑)。
■エマーソン北村さんってじゃがたらのキーボードがミュートだったりで。
松竹谷:まあ、ルースターズとかああいうやつらも俺ら仲いいんですけど、ロックンロールが好きなんでね。僕らの好みの音楽をやるにはセンスがやはり、ということで、ただドドドドドドドドってやるわけじゃないんでね。16ビートもラテン色というか。そういうセンスのひとがなかなかいなかったというか。そうするとやはり近場になってきてしまったというのが現状ですね。あんまりいなかったんで、やっぱり。ソイソースやってたメンバーになっちゃうんでね。
■ちなみにソイソース・チームのリズム隊が一番お手本にしたものって何かありますか?
松竹谷:僕らはいつも言ってるんですけど、みんなが好きだったのはイアン・デューリーとブロックヘッズかなあ。
■それはこだまさんもよく言いますね。
松竹谷:じゃがたらも好きだし、こだまも好きだし、俺も好きだし。松永も大好きだしね。イアン・デューリーとブロックヘッズはね、あれだけフュージョンっぽいアレンジしてもロックだっていうね。あれはほんとにカッコいいですね。ほんっとに大好きですね。ミュートなんてブロックヘッズの曲ちゃんとカヴァーしてるんでね。ブロックヘッズは、71年ぐらいにキルバーン&ザ・ハイローズって名前でデビューしてるんで。もうカリプソとかレゲエやってるからね、そのときに。大好きですね。カッコいいです。
ちなみに松永に聴かせたいぐらいに、去年出たノーマン・ワット・ロイ(元ブロックヘッズのベーシスト)のソロ・アルバムがいいんですよ。なんか似てるよ。多少ベース・ソロみたいなの入ってるんだけど、松永のセンスとなんか似てるね。曲で(グルーヴを)やるっていうのがあるんで。すごいいいわ。
まあ、そういう、もちろん(海外のミュージシャンを)お手本にして一生懸命やってたんですけど、日本人なりのノリが混ざって出てくるのも俺はいいんじゃねえかっていうのもあったからね(笑)。
■「ROCK-A-BLUE BEAT」も日本語の歌の響きにこだわってますもんね。
松竹谷:戦前からのジャズやシャンソンの替え歌を歌ったりとか、“わたしの青空”とかやってるわけで。60年代入ってから和製ポップス、弘田三枝子が“子供じゃないの”とかやってるのと全然変わらないですよ。感覚的には。向こうのメロディで自分の言いたいことを歌詞で作っていくっていうのは。さっきも言ったけど、多少ズレようがそれが日本人だからいいんじゃないかなっていう。そういう気持ちがありますね。
だから批判めいちゃうけど、いまみたいに譜割りが細かいのに日本語の歌詞乗せたりするわりと流行ってる音楽は、リズムの譜割り気にするわりに歌詞の量多くて何歌ってるかわからないですからね。それを気にしすぎな気がしちゃいますね。詰め詰めで。グルーヴしてないっていうか。
■英語で言うところの子音の部分を何とか埋めようとしちゃってるというか。
松竹谷:そうそう。あれはちょっと違うんじゃねえかなあと思うんですけどね。メロの麗しさみたいなものと一緒になってないという感じがしますね。だって外国語の語感と違うんだからしょうがないですよ。それでいいんですよ。日本人に伝わるのが好きなんで。
松永もそういうところがあるんで、まあチエコ(・ビューティー)なんかも喜んでやってたしね。英語だけにこだわってるよりは、自分たちが作っていったものをやるほうがすごく好きでしたね。
松永さん。ああ見えていろんな音楽好きなんで。沖縄にしても小笠原にしてもハワイアンにしてもスウィング感、グルーヴがあるんでね。あと、まず松永は音色でグルーヴするっていうのを大事にしてた。
■松永さんとの思い出でよく覚えているものがあれば。
松竹谷:松永との思い出はいろいろありすぎるんですけど(笑)。80年代は松永もヒドかったんでね。飲酒運転してたぐらいなんで。ライヴ終わったあとジェームズ・ブラウンかけたら松永もノってきて義足をひきずりながらこう踊ったりしてて(笑)。
■こういう言い方は誤解を招きかねないのですが、義足で、あの大きいダブル・ベースをやるっていうのがまたね。しかもダンス・ミュージックをやるわけじゃないですか。音のグル―ヴってものは、身体的なハンディキャップとは関係ないってあらためて思いますね。
松竹谷:いや、ほんと関係ないですよ。ピッキングに心こもってますからね。なんか日本調の言い方なんだけど(笑)。それで松永に車で送ってもらうんだけど、テキーラ飲みながら帰りましたからね。いまだったら恐ろしいよね。
■もう交通刑務所に入れられますよ(笑)。
松竹谷:まあくだらない話ですけどね。松永とは、お互いの楽器でグルーヴし合えたっていうのが大きかったんで。まあ(いまも)松永のことがどうしても浮かんできてしまうんでね。どうしても僕の頭のなかではノリがそうなっちゃいますかね。あまりにも綺麗ごとみたいなんだけど、なんとなくあるんでね。悪く言うと意識してるのかね、やっぱり(笑)。ひとりでやっててもいっしょにやってるような感じですね。
■今回のライヴ録音なんかもそうなんですけど、ベースが例によって出しゃばることなく、でもしっかり気持ちよく聞こえるんですよね。
松竹谷:やっぱいい音ですからね。
■ほんとライヴ盤っていうのを忘れるぐらいな感じですよね。年齢的にはみんな同じぐらいですか?
松竹谷:松永と俺は学年一緒ですね。こだまは2コ上ですね。前田さんは3つ上です。アケミが1コ上かな。オトも1コ上だね。
■飲みの席での音楽談義が白熱したりとかは。
松竹谷:俺が一番やってましたね。オトの譜面ビリビリに破いたりとか。こんなもん見てる場合じゃねーだろ、とかって(笑)。やんちゃでしたね。何言ってんだよ、みたいな(笑)。でもケンカするって言うより音楽の情報交換が楽しかったですね、一緒に飲んでて。それはいろんなジャンルにすごく行くんで。なんせ昔は情報が少なかったからね。
だからたとえばの話、こだまと話してたりすると、昔の日本の歌謡曲いいよねとかさ、それこそ60年代のイタリアやフランスのヒット曲もいいよねとかさ、マイルスいいよねとか。あっちこっちに飛んでて、そういうとこがお互いの感情わかってる感じがあるよね。
■僕なんかからすると、当時はみんなオシャレに見えましたね。古着で着飾っている感じが。
松竹谷:それはイギリス意識であったと思いますよ。ファッションと音楽は一緒のほうが楽しいですね。
■ハットかぶってる感じとかがね。
松竹谷:対抗してますから、こだまと俺。あいつには負けねえ、みたいな。
■(笑)清さんが札幌に戻られたのはいつなんですか?
松竹谷:94年ですね。ちょっと疲れたってほどでもないんですけど、一回地元に戻ってみるかなって感じですかね。実際問題、俺のファンってこっちのほうが多いんで。当時の空気感っていうのは東京にいたひとじゃないとわからないんでね。僕らの音楽の感じっていうのは、地方にはなかなか伝わってないですね。
■それこそフィッシュマンズが有名ですけど、リトル・テンポであるとか、まさにチルドレンたちへの影響があって。
松竹谷:そんな偉そうなことは言えないですけど、いいですよね。フィッシュマンズなんて日本の音楽だって感じがして。ああじゃないとダメですよね。
■清志郎さんの音楽は好きですか?
松竹谷:いや、もう大好きですよ。尊敬してますよ。素晴らしいですよ、やっぱり。ブロックヘッズともやられてますからね、いち早く。
■でも80年代のときは別々ですよね?
松竹谷:(笑)だって向こうは売れてるから。だから清志郎さんのセンスのやり方もあるけど、俺らは俺らのやり方で日本の音やりたいんで。
■こだまさんとか清さんみたいな先達が元気でいらっしゃるのは僕なんかからしても嬉しい限りで。またこういうアルバムがきっかけで、80年代の日本の音楽でこういうのがあったんだよってひとりでも多く知ってくれればいいかなって思います。
松竹谷:過去の遺物じゃないようにね。だから偉そうに言うと、ちゃんと俺らは俺らで音楽できてるっていうことが、過去にならないってことになるんで。ほんとに松永と一緒にやれたっていうのが誇りなんでね。正直な話、そのことですごく(いまも)やってられますよ。だから、ガンになったって松永から電話あったときは音楽やめようかなって思ったんですけどね。
今回のレコードのレーベル名が〈プレシャス・プレシャス(precious precious)〉っていうんだけど、これはオーティス・クレイに“プレシャス・プレシャス”って曲があるんですよ。松永がこの曲が好きで、酔っぱらうと「プレーシャス、プレーシャス」って(笑)。70年代のリズム&ブルースで、これが好きなんだわー。それから取ってるんですよ。
~ 松永孝義 三回忌ライブ ~
松永孝義 The Main Man Special Band
『QUARTER NOTE』CD発売記念ライブ
7月11日(金)
開場:19:00 / 開演:20:00
西麻布 「新世界」 https://shinsekai9.jp/
出演:松永孝義 The Main Man Special Band:
桜井芳樹(Gt) / 増井朗人(Trb) / 矢口博康(Sax,Cl) / 福島ピート幹夫(Sax) / エマーソン北村(Key, Cho) / 井ノ浦英雄(Drs, Per) / ANNSAN(Per)/ 松永希(宮武希)(Vo, Cho) / ayako_HaLo(Cho)
ゲスト: 松竹谷清(Vo, Gt) 、ピアニカ前田(Pianica)、Lagoon/山内雄喜(Slack-key. Gt)、田村玄一(Steel. Gt)
料金: 前売り予約:¥3,500(ドリンク別)
INFO・チケット予約・お問い合わせ先:
西麻布 「新世界」
https://shinsekai9.jp/2014/07/11/the-main-man-special-band/
TEL: 03-5772-6767 (15:00~19:00)
東京都港区西麻布1-8-4 三保谷硝子 B1F











