「Flying Lotus」と一致するもの

Flashback 2009 - ele-king

写真左:旅人&やけのはら。七尾旅人は年明け早々の1月9日に恵比寿リキッドルームでライヴあり。
写真右:モーリッツ・フォン・オズワルド・トリオ。こちらは七尾の前日の1月8日に恵比寿リキッドルームでの来日ライヴが決まっている。

  整合性というのはつねづね僕のテーマのひとつである。が、気が変わるのは人間の性分であるし、だいたい雑誌というのはせっかちだ。2009年のベストを選ぶのに、早いところでは11月前半にその締め切りを言い渡される。12月初旬に売られるからだ。だから下手したら最後の2ヶ月はその年から除外されることになる。2ヶ月もあれば、人間、恋に落ちることもあるだろうし、死にたくなることだってある。運命を変えるには充分な時間だ。こういうとき、webは良い。本当に年末になって、それを書くことができるのだから。

 2009年は自分にとって、僕の長いようで短い人生の平均値を基準に考えた場合、ずば抜けて最低レヴェルの経験をするという忘れがたい年となった。非常ベルは鳴りだし、事態は臨界点に達した。デヴィッド・クローネンバーグの映画に放り出され、未知の絶望を感じするほか術がなかった。事態が信じられなかった......なんて惨めな! ときに自虐的で、まるで『地獄の季節』の最初の10ページのような呪いに満ちた茫洋たる暗黒大陸においても、僕にとって幸いだったのは、信じるに値する友人知人が何人もいたことだった。ありがたいことだ。

 いまこれを書きながら、僕はイギリスのプロト・パンク・バンドとして知られるザ・デヴィアンツのリーダーであり、『NME』の名物ライターでもあったミック・ファレンの著書『アナキストに煙草を』を読んでいる。ちなみにこの素晴らしい本を、こともあろうかこのご時世に刊行している「メディア総合研究所」は、他にもここ数年、『アメリカン・ハードコア』や『ブラック・メタルの血塗られた歴史』といったとんでもなく喜ばしい本を出している。このように、政権が代わっても思ったよりアッパーにはならない世のなかにおいて、貴重な光を届けてくれている稀な出版社だ。で、そう、60年代のカウンター・カルチャーから70年代のパンクにいたるまでの現場感覚に満ちたその『アナキストに煙草を』読みながら、僕はどこの国においてもいつでも同じことは同じなのだなと確認したことがある。そのひとつ、60年代の回想の下りだ。「特筆すべきは、我々全員の頭の中を独占していたひとつのこと、すなわち自分の人生がこれからどうなっていくのか、何が起こるのか、そういう類のことはほとんど話題に上がらなかったことである。地球の未来について語ることはあったかもしれないが、自分個人の未来について話すことはめったになかった。この点において我々は、十年以上経って出現するパンクと似ていた」(赤川夕起子訳)

 まったく......僕のまわりにいる連中はたいがいそうだ。個人の人生の未来など、考えていないわけではないだろうが、まず語らない。それがゆえに勝ち負け社会の確固たる敗者として生きているのかもしれない。我々は結局のところ「政治理論などほとんどどうでもよかった。それが我々の魅力であり同時に没落した原因」(前掲同)だった。

 しかし......、ところが僕はこの夏、自分の将来――といっても半年後だが――についていろいろ考えた。せこい未来だけれど、事態は思ったより深刻だった。さすがに考えざる得なかった。ど、ど、ど、どうしようか? と妻に訊いた。し、し、静岡に帰ろうかな? 僕は焼き鳥を焼いている自分を想像した。臆病な僕はしばらく妻の顔を直視できなかった。が、妻は、考えてみれば僕のようなデタラメな人間と結婚するくらいであるから、それなりの覚悟はできていたのかもしれない。まあ、そんなわけで、ずーっと家にいるようになって肩身の狭い思いをすることはなかったけれど、とりあえずできる仕事はぜんぶした。5歳の息子は「なんで仕事いかないの?」と訊いたが、「これが仕事だ」と言った。

 河出書房新社の阿部さんのおかげで1冊の本を作ることもできた。三田格、松村正人、磯部凉、二木信というひと癖もふた癖もあるライターと一緒に作った『ゼロ年代の音楽――壊れた十年』という本だ。「壊れているのはお前だろ!」と言われそうだが、それはまったくその通りで、しかしそうした個人の属性とはまた別の次元で、我々はこのゼロ年代の音楽ついて語り、書いた。150枚のアルバムも丁寧に紹介した。僕は編集者としてバランスを整えようと努めたが、結局はいくぶん偏ってしまった。それは二木信がネプチューンズやミッシー・エリオット他3枚のレヴューを辞退したからではなく、まあ著者全員が偏執的といえばそうだし、言い訳すればそもそも時代がそういう時代である(断片化されている)、と僕はその本のなかで解説した。欠点もあるが、それを補うほどの長所もある本が完成した(1月末に刊行します!)。

 つまりそんな事情もあって、僕は12月のある時間を集中的に、ゼロ年代というディケイドについて頭を使い、スケジュール管理に神経をすり減らしていたので、クリスマスのこの時期、正直言えば2009年という1年についていまさら強い気持ちがあるわけではない。たしかに2ヶ月前まではあった。が、いまはもう薄れてしまったのだ。

 僕は11月上旬に『EYESCREAM』誌でまずそれをやって、半ば過ぎに『CROSSBEAT』誌でアンケートに答え、続いて『SNOOZER』誌の特集に参加した。ところがこの2ヶ月は年末ということもあってやけにバタバタしていた。清水エスパルスは悪夢の5連敗を喫して、坂道をゴロゴロ転がった。僕はそれにいちいち打ちひしがれている暇もなく、原稿を書いて書きまくって、そして音楽を聴いていた。

 10月30日にユニットでiLLのライヴを見終わった後そのままクワトロで湯浅湾のライヴに行って、11月に入って2本のトークショーをこなし、静岡でDJ(もどき)をやって、七尾旅人のライヴに行って、新宿タワーレコードでXXXレジデンツの発売記念トークショーを宇川直宏とやった。12月は〈ギャラリー〉に踊りに行って、中原昌也のライヴに行って、で、その数週間後に毛利嘉孝の司会で中原昌也と東京芸大で話した。そしてそれから......久しぶりに"締め切り"という名の絶対的概念に苦しめられた。もちろんこの2ヶ月、僕はこの「ele-king」に情熱を注ぎつつ、と同時に、いま平行して作っているアーサー・ラッセルの伝記本の編集もしている(これがまた面白いのよ)。ここに記したすべてが僕にとって刺激的で、思考の契機となる。

 そしてこの数ヶ月というもの、僕は自分でも信じられない量の音楽を聴いている。まだ文字にしていないものを含めると自分の限界まで挑戦したと言っていい。寝ている時間と人と会っている時間以外は、ほとんど聴いていた。僕の長いようで短い人生の平均値を基準に考えた場合、ずば抜けて最高レヴェルの密度だろう。もうそうなると、2009年を回想することなど、ホントにどうでもよくなってくる。

 せっかくなので、いくつか気になったことを書き留めておく。2009年の最高の曲のひとつは七尾旅人+やけのはらによる"Rollin' Rollin'"だ。奇しくも、東京NO1ソウルセットとハルカリが90年代のバブルな感覚を懐かしむように"今夜はブギーバック"をカヴァーするかたわらで、"Rollin' Rollin'"は"現在"を表現した。この曲の良さは水越真紀さんがレヴューで書いている通りだと思う。つまりこれは、この10年、バブルな思いとは無縁だった世代の素晴らしい経験が凝縮されたアーバン・ソウルだ。

 RUMIの3枚目の『HELL ME NATION 』もこの2ヶ月で好きになったアルバムだ。彼女は、このハードタイム(厳しい時代)を生きる女性のひとりとしてのリアリズムを追求する。30歳という自分の年齢まで歌詞にしながら、彼女の意気揚々とした姿はこの国の女性アーティストたちが手を付けてこなかった領域に踏み入れているように思える。とても元気づけられる作品だ。もしクレームを入れるとしたらジャケのアートワークだけ。それ以外はほぼパーフェクトだ。ラップものでは、他にも何枚か素晴らしいアルバムに出会えた。『EYESCREAM』にも書いたが、S.L.A.C.K.は最高だ。言葉も音も良い。そこには不良少年の毒と清々しさの両方がある。2009年に彼は発表した2枚、『MY SPACE』と『WHALABOUT』はどちらとも良い作品だ。出勤や登校で異様なテンションを発する朝の駅に、遊び疲れた身体を引きずりながら友だちや恋人と一緒にいた経験がある人ならこの音楽を身近に感じるだろう。疎外者たちのメランコリアだ。ファンキーという点ではTONO SAPIENSが良かった。嗅覚の鋭い連中が集まる下高井戸のトラスムンドやSFPの今里君、あるいは磯部涼が絶賛するSTICKYはまだ聴いていない。

 SFPも、4曲だが新録を発表した。リリース元の〈Felicity〉は、もともとはポリスターでフリッパーズ・ギターやコーネリアス、〈トラットリア〉をやっていた櫻木景という人物だ。例の「Rollin' Rollin'」も〈Felicity〉からのリリースで、いわば90年代前半の渋谷系に思い切り関与していた人間がいまこうして七尾旅人やSFPを出しているところが"いまの時代"を物語っていると言えよう。

 とまれ。僕は、いまこの日本にはふたりの強力なパンクがいることを知っている。真の意味での反逆者と言ってもいいし、彼らはこの国の"自由"の境界線を探り当てているという点においてパンクなのだ。そのひとりは中原昌也。彼はいわば、映画『If...』のマイケル・マクドウェルで、グレアム・グリーンが『ブライトン・ロック』で描いた17歳のピンキーだ。いずれ校舎の屋根に上って散弾銃をぶっ放すかもしれない。そしてもうひとりがSFPの今里。SFPの「Cut Your Throut」は興味深い作品で、ここがイギリスなら〈リフレックス〉や〈プラネット・ミュー〉から出ていてもおかしくない。SFPのハードコアは、いまとなっては誰もが思い描けるようなハードコア・サウンドで統一されていない。ポスト・モダン的にスキゾフレニックに展開されている。「Cut Your Throut」にはラウンジとサイケデリックとノイズコアが同居しているが、そういう意味でSFPはこのシングルで新しい領域に踏み入れたと言える。当たり前だがハードコアやパンクとは様式(スタイル)ではない。サム・ペキンパーの『ワイルド・バンチ』もまたハードコアであるように。

 電気グルーヴが彼らの20周年を祝うアルバムを発表したのも2009年だった。これを書いているたったいま(12月25日)も、僕の5歳になる息子は電気グルーヴの「ガリガリ君」を聴いている。僕が奨励したわけではない。能動的に、しかも繰り返し何度もだ。「2番がちょっと恐いんだよね」と感想を言っている。ちなみに「2番」とはオリジナルの次に入っている別ヴァージョンのこと。まあ、電気グルーヴにしてもクラフトワークにしても、何が素晴らしいかと言えば、あの罪深きトランス性によって3歳児から40歳児までをも興奮させるところだ。この年代になってわかることだが、それはエレクトロニック・ミュージックの"強み"のひとつだ。石野卓球からは、90年代に彼が体現した危うさはなくなってしまったけれど(誰も彼を責められない、あのまま突っ走っしることなんか誰にもできない)、彼の芸は円熟の領域に入ろうとしている。『20』を聴きながら、僕はそう思った。

 2010年にはマッシヴ・アタックの5枚目のオリジナル・アルバムが待っている。ヴァンパイア・ウィークエンドのセカンドも控えている。自分たちがいまどの方向性を選べばいいのか理解しているという意味において、どちらも良い内容だった。時代の空気は変わろうとしている。日本の音楽も面白い方向に転がっていくかもしれない。

 

■Top 25 Albums of 2009 by Noda

1. Atlas Sound / Logos(Kranky/Hostess)
アニコレがビーチ・ボーイズならこちらはビートルズ。毒の詰まったポップ。
2. S.L.A.C.K. / Whalabout(Dogear Records)
21世紀の薬草学におけるビートと日常生活のささやかな夢。
3. Girls / Album(Fantasy Traschcan/Yoshimoto R and C)
素晴らしきバック・トゥ・ベーシック。ここにも夢と星がある。
4. Volcano Choir / Unmap(Jagjaguwar/Contrarede)
ポスト・ロック時代の山小屋のロバート・ワイヤットといった感じ。
5. Major Lazer/Guns Don't Kill People...Lazers Do(V2 /Hostess)
ダンスホールにおけるスラップスティック。
6. Animal Collective / Merriweather Post Pavilion(Domino/ Hostess)
サイケデリック・ポップとエレクトロニカの華麗な融合。
7. The XX / XX(Young Turks/Hostess)
アリーヤとヤング・マーブル・ジャイアンツとの出会い。
8. V.A. / 5 Years Of Hyperdub(Hyperdub/Ultra Vibe)
アンダーグラウンド・サウンドにおける最高のショーケース。
9. Mortz Voon Oswald Trio / Vertical Ascent(Honest Jon/P-Vine)
『ゼロ・セット』から26年。1曲目を聴くだけで充分。
10. Grizzly Bear / Veckatimest(Warp /Beat)
ポール・サイモンが『キッドA』をやった感じ。"Two Weeks"は最高。
11. Micachu / Jewellery(Accidental / Warnner Music Japan)
批評精神に満ちたポスト・モダン・ポップのレフトフィールド。
12. Flying Lotus / L.A. EP CD(Warp/Beat)
レフトフィールド・サウンドにおける期待の星。
13. Rumi / Hell Me Nation(Pop Group)
リアリズムと世俗的だが素晴らしいファンクネス。
14. Bibio /Ambivalence Avenue(Warp/Beat)
エクスペリメンタル・ヒップホップの甘い叙情詩。
15 鎮座DOPENESS / 100% RAP(W+K東京LAB /EMI)
植木等とラップとダンスホールの出会い。
16. Moody /Anotha Black Sunday(KDJ)
アンダーグラウンド・ブラック・ジャズ・ファンク・ハウスの底力。
17. Dominic Martin / The Annual Collection(BeatFreak Recordings)
ジャングルの知性派によるエレクトロニカ・ポップ。
18. Toddla T/Skanky Skanky(1965)
モンティ・パイソンによるダンスホールといった感じ。
19. Speech Debelle / Speech Theory(Big Dada/ Beat)
取材してがっかりしたが、良いアルバムだと思う。
20. Fuck Buttons / Tarot Sport(ATP/Hostess)
スタイリッシュかつダンサブルに変貌。次作で化けるでしょう。
21. Dirty Projectors / Bitte Orca(Domino / Hostess)
NYのアート・ロックのお手本のような1枚。
22. Antony and the Johnsons / The Crying Light
(Secretly Canadian / P-Vine)
現代のディープ・ソウル。EPのみの"Crazy In Love"も最高。
23. 2562 / Umbalance(Tectonic /AWDR/LR2 )
ダブステップにおけるフューチャー・ファンク。
24. Juan Maclean / The Future Will Come(DAF / P-Vine)
ヒューマン・リーグ・リヴァイヴァルを象徴する作品。
25. Beak> / Beak (Invada /Hostess)
ポーティスヘッドによるクラウトロック賛歌。

Flying Lotus - ele-king

 スティーヴ・エリソン、フライング・ロータスの名で知られるロスのトラックメイカーは、往々にしてJ・ディラ以降と位置づけられる(『ピッチフォーク』を参照)。が、本人がそれを歓迎している様子はない。たしかにエリソンは、神話化されはじめたデトロイトのトラックメイカーと違って、ダブステップやアンダーグラウンド・シーンとの太いパイプを持ち、その向こう側には広大なエレクトロニックな荒野も見渡せる。彼にとっての最高の影響がスヌープ・ドギー・ドッグの『ドギー・スタイル』(1993年)であろうと、彼の音楽は旧来のエクスペリメンタル・ヒップホップの領域のみならず、ダブステップはおろか、たとえばオウテカのアンビエントにまで拡張されているように思える。まずはこの幅広いアプローチにおいて、その活動領域において、彼はインスト・ヒップホップの最先端にいる。

 そして、その奇妙なハイブリッド感は、少なからず彼の育った環境によるものだと思える。「俺がヒッピーだって? そうさ、俺の連れの多くがビートニクのヴァイブを持ったヒッピーなんだよ」、エリソン、すなわちアリス・コルトレーンの甥は、『ガーディアン』がノー・エイジなど新しいLAシーンをレポートした記事のなかでこう語っている(2008年9月6日)。エリソンは続ける。「俺らはいま、経済と戦争の奇妙な移行期の真っ直中にいる。みんなが石けん箱を投げつけて、世間に向かって叫びたくなる時代なんだよ」

 彼の音楽が「世間に向かって叫ぶ」類のようなものかはわからないけれど、しかし、ロス・アンゲルスという街における独特の空気を彼が表現しようとしているのは、昨年のセカンド・アルバムのタイトルからもわかる。耳障りなビートが加速するかと思えば、それは空間に吸い込まれ、ゆったりとする。彼の特徴は、まるで静電気のようにパチパチと耳元で聴こえるノイズとスライドしてずれていくような、あるいは腐敗していくようなビートにあるが、それはラップトップの使い手とBボーイのあいだを往復するかのような感覚によって操られる。サイケデリックで実験的だが、しかしソウルフルでもある。そしてこれは、およそ10年前に同じ街でマッドリブがリサイクルしたソウルやファンクのループとは異なる、いまの時代における新たなムーヴメントの最良の部分なのだ。

 昨年の本当に素晴らしいアルバム、『ロス・アンジェルス』を発表後、スティーヴ・エリソンは、UKのダブステップ・シーンにおいていくつかの作品を発表している。ブリストルの〈テクトニック〉、ロンドンの〈ハイパーダブ〉や〈プラネット・ミュー〉、いまシーンでそれなりの力を持っているレーベルから、ファンの高まる期待に応える内容のトラックを提供している。そして『L.A. EP CD』は、昨年からこの夏にかけて彼が〈ワープ〉から発表した3枚のシングル(リミックスを含む)をまとめたものとなる。さすがに『ロス・アンジェルス』ほどの緊張感はないものの、リミキサーの人選もさることながら、このシーンの面白さがよくわかり、このジャンルの可能性を感じることができる好盤となった。リミキサーに関しては、まず彼の周辺で言えば、ラス・G、ノサジ・シング、サムアイヤ、イグザイルといった連中、ダブステップ系で言えば、ブレイケイジ、マーティン、クアトラ330......等々で、興味深いのはそれらリミックスがこのアンダーグラウンド・ミュージックをそれぞれの方向で拡張しようとしていることだ。例えば、マーティンはハウシーなダブステップに転換して、イグザイルのリミックスは〈プラグ・リサーチ〉流の歪んだ空間を創出するように。今年の夏にリリースされた3枚目「EP 3 X 3」の1曲目を飾ったディミライト――〈ソナー・コレクティヴ〉で作品を出している――によるポスト・ソウルのダウンテンポも相当面白かったけれど、そのシングルの最後を飾ったレベカー・ラフ(ビルド・アン・アーク:LAを拠点とするスピリチュアル・ジャズ集団)による美しいリミックスも印象的だった。ハープの音色を使って、アリス・コルトレーンへのオマージュとして"Auntie's Harp"を作りかえている。
 そういう意味で『L.A. EP CD』は、フライング・ロータス関係の15アーティストが参加したコンピレーションとしても楽しめる。新しいものに臆病にならなければ、やがて訪れる未来の兆候が聴こえるかもしれない。

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