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Battles - ele-king

 先日強者ぞろいの面子が参加したリミックスEP(ブラック・ミディ、シェッド、デルロイ・エドワーズ、DJニガ・フォックス)をリリースしたばかりのバトルズが、最新作『Juice B Crypts』収録曲 “Sugar Foot” のMVを公開している。

 日本のお祭りがモチーフとなった同映像には、コロナ禍で動けない音楽関係者や祭事関係者を励ます意図が込められているそう。暗いニュースが続く毎日だけれど、明けない夜はない。このMVを観て元気を出していこう!
 ちなみに、『Mirrored』時代のTシャツが復刻されるとのことなので、下記をチェック。

Battles - ele-king

 結成17年を経ていまだなお意欲的な姿勢を崩さないバトルスが、なんとオンライン・リミックス・コンテストを開催する。指定のサイトにアクセスして最新作『Juice B Crypts』の素材をダウンロード、めいめいがそれを自由に料理し、バトルスがそれにフィードバックを返す、という流れ。詳しくは下記をご参照いただきたいが、しっかり賞品も用意されているので、われこそはという方はぜひチャレンジしてみよう。〆切は5月24日。

最新アルバム『Juice B Crypts』のリミックス・プロジェクトを開始!
優勝者には豪華賞品も!

バンド・サウンドの常識をことごとく脱構築し、音楽ファン達に強烈な衝撃を与えてきた現代エクスペリメンタル・ロック・バンドの最高峰、バトルスが、最新アルバム『Juice B Crypts』のオンライン・リミックス・プロジェクトをスタート!

Battles Remix Project
https://rmx.bttls.com

ウェブサイト上ではアルバム中に使用されているシンセ、ドラム、ギター、その他様々なサウンドが分解され、インタラクティブな地下鉄マップに配置されている。それぞれのサウンドは自由にダウンロードできるようになっており、サンプリングしたり、ストレッチしたり、歪ませたり、リミックスしたりすることが可能だ。

バトルスは様々な人からのアイデアを聴きたいとの想いからこのプロジェクトをスタートさせたという。ファンにとっては自分でリミックスした音源を直接バンドに聴いてもらうことのできる絶好のチャンスだ。最終的に数名の優秀作品が選ばれ、Native Instruments、〈Warp〉、そして Battles から賞品が贈られる。音源提出の締め切りは2020年5月24日。

賞品一覧

最優秀賞
Native Instruments Komplete Kontrol S49
Native Instruments Komplete 12 Ultimate
好きな Native Instruments の拡張音源 (Expansion)
Native Instruments Store の200ドル分のクーポン
バトルスとのスカイプでのスタジオセッション
バトルスのサイン入りグッズ
『La Di Da Di』のハンドスタンプが押されたテストプレスを含む〈Warp Records〉からの賞品
シングル、EP、アルバムに使える Spinnup の無料クーポン
Melodicsの12ヶ月分のサブスクリプション

第2位
Native Instruments Komplete 12
好きな Native Instruments の拡張音源 (Expansion)

第3位
好きな Native Instruments の拡張音源 (Expansion)

JUICE B CRYPTS
バトルスの最新アルバム『Juice B Crypts』は現在好評発売中!国内盤にはボーナストラック “Yurt” を追加収録し、歌詞対訳と解説書が封入される。

label: BEAT RECORDS / WARP RECORDS
artist: BATTLES
title: Juice B Crypts
release date: NOW ON SALE

国内盤CD
国内盤特典:ボーナストラック追加収録/解説書・歌詞対訳封入
BRC-613 ¥2,200+税

国内盤CD+Tシャツ
BRC-613T ¥5,500+税

interview with Battles (Ian Williams) - ele-king

 結成から17年。世間的には“Atlas”で一世を風靡したことでも知られるエクスペリメンタル・ロック・バンドのバトルスが、ギター/キーボードのイアン・ウィリアムスとドラムスのジョン・ステニアーのデュオ編成となって初めてのアルバム『Juice B Crypts』をリリースした。4人から3人へ、そして2人へと編成を変えながら、変わることのない鋭角的なサウンドと祝祭的なグルーヴを奏で続けてきた彼らは、11月初頭に恵比寿ガーデンホールで開催され、満員の観客が詰めかけたリリース記念ライヴでも、その圧倒的な個性を聴かせてくれた。いや、むしろプリセットされた音源やシンセサイザーなどを駆使するイアンのサウンドと、サンプラーを使用しつつあくまでも生身のドラミングを力強く披露するジョンのグルーヴは、バトルスの核にある音楽性をより剥き出しにして聴かせてくれたと言ってもいいだろう。ライヴ当日、ステージに出ていく直前のイアン・ウィリアムスに、バトルスの変化と具体的な制作手法、新作『Juice B Crypts』について、さらにはその「モダン」なありようを伺った。(細田成嗣)

オリジナル・メンバーと、新しいメンバーのヒエラルキーができるよりは、ふたりだけの方がいい。

4年前のアルバム『La Di Da Di』と今作『Juice B Crypts』の一番大きな違いとして、やはりメンバーのひとりデイヴ・コノプカが脱退したということがあると思います。トリオからデュオへと編成が変わるなかで、音楽制作にどのような変化がありましたか。

イアン・ウィリアムス(Ian Williams、以下IW):デュオになったことである意味ではとてもやりやすくなった。というのも曲ごとの方向性が明確に見えるようになったんだ。いまは俺とジョン(・ステニアー)のふたりで楽曲制作をしているんだけど、ジョンはあくまでもドラマーとして存在していて、それ以外のギターやキーボード、あるいはループを使うところのコントロールとかはすべて僕がやっている。デイヴ(・コノプカ)やタイヨンダイ(・ブラクストン)がいた時代は、俺がここにこの音を置きたいって思っていても、みんながいろんなものを持ってきたりするから、なかなか思い通りにはならなかった。でも今回は俺が行きたいところにまっすぐに進めたという意味ですごくやりやすかった。だから曲の形を作るという点でははっきりと自分の意図を出すことができたんじゃないかな。いままでは意図がぶつかり合うことがあったんだけどね。もちろんぶつかり合うことで矛盾が生まれて面白いものができるっていうこともあって、とてもクレイジーで良い方向に進むこともあったんだけど、たまにクレイジーすぎてしまうこともあった。そういったことが整理されたっていう意味では今回のアルバム制作はとてもいい機会だったと思うよ。

バンドをやめる、あるいは後釜のメンバーを入れるなどの選択肢はあったのでしょうか。

IW:新しいメンバーを入れるというのは、変な感じがするというか、俺とジョンだけの方が正直な感じがする。オリジナル・メンバーと、新しいメンバーのヒエラルキーができるよりは、ふたりだけの方がいい。

具体的にアルバムを制作するうえで方法を変えたことなどはあったのでしょうか。

IW:俺が前にやってたドン・キャバレロの終わり頃からそうだったんだけど、バトルスの曲作りにおいてつねにインスピレーションを与えてくれるものがある。というのはループ・ペダルを使って音を重ねていく作業をするんだけど、それをバンドという形でやるにあたって、重ねた音をそれぞれの生身のミュージシャンに割り振ったらどうなるだろう、っていう考えがあるんだ。EPとか『Mirrored』の頃もまさにそうで、コール&レスポンスがかなり多い音作りだったと思うんだけど、それはたぶんね、ひとりで作った音を他人と共有するときに生まれる呼びかけ合いみたいなものがあったからなんだと思う。要するにループ・ペダルで使ったものを一旦バラして人に割り振るっていうことから生まれる呼びかけ合いね。今回の新しいレコードでやったことも割とそれと同じなんじゃないかというふうに思っていて。ただ今回はメロディの情報がものすごく多いから、リズムの上にメロディを乗っけるっていうんじゃなくて、サウンドの壁みたいなものにメロディも埋め込まれているというか、構築されたもの全体の一端がメロディになっている。つまりメロディがウワモノとして乗っかっているんじゃなくて、サウンドの壁の中から聴こえてくる、っていうふうに変わったっていうのはこれまでとの違いなのかもしれないな。ただ、自分が作った音楽を表現するやり方っていうのは意外とあんまり変わっていないんじゃないかな。

ループ・ペダルで作ったものを生身の人間に割り振る際に、機械ではなく身体を用いることによる意想外な出来事がひとつの面白さとして出てくると思うんですが、たとえば長時間のジャム・セッション、つまりインプロヴィゼーションをおこなう中でコンポジションのアイデアを掴んでいく、といったような制作方法をすることもあるのでしょうか。

IW:いわゆるインプロはやらないな。もちろんいまふたりしかいないということもあって、一緒に曲作りをするときにジョンにドラムを叩いてもらって、なんか面白い響きがしてヒントになることはあるにしても、僕らの場合それはたぶんインプロとは違う。インプロと言うよりも「必死の試行錯誤」って言った方が合ってると思う。「あ、いまなんか面白いのができたね」ってなったときに、どうやったか覚えておこうみたいな、そういうことはよくやってる。でもそれは曲作りそのものと同じだから、僕の中では特にインプロだとは思ってない。

新しいものを使ってみるのが好きなんだ。色々なことをやってみて、努力して、事故が起きるという状態まで自分を持っていく。素敵な事故が起こるまで。自分では予測や想像できなかったであろうことが起きるまで、機械と交流するんだ。

『Juice B Crypts』のもうひとつの特徴として、大勢のゲストが参加されてるということがありますよね。ゲストはどういうふうに選んでいったのでしょうか。

IW:服を着替えるような感じだった。色々と試しては「これ似合うね」とか「他のも試してみよう」とか、そういう感じで選んでいった。だけど特に決まったメソッドがあったというわけじゃなくて、それぞれの曲についてそれぞれの理由で人選していった。曲の求めに応じて解決策を探していったと言えばいいかな。たとえばセニア・ルビーノスに関しては前から好きな声で素晴らしいシンガーだと思っていたんだけど、最初は“Fort Greene Park”をやってもらおうと思って試してみた。だけどなんだか上手くハマらなくて、洋服を色々とあてがってみる感じで彼女に合う曲を探していった。その結果あのソウルフルな感じが“They Played It Twice”に合致してクールな出来になったんだ。

つまりアルバム全体のコンセプトを先に決めてそれに当てはまるようにゲストを呼んでいったのではなく、曲ごとにそれぞれの理由でゲストとコラボレーションしていったということでしょうか。

IW:そうだね。最初から全体を見ていたわけじゃない。たとえば“Titanium 2 Step”は最初インストで録ってみて、誰だったかに聴かせてみたら「なんかオールド・ロスト・ニューヨークっぽいよね」って言われて。たしかにニューヨークのクラシックなディスコ・パンクというか、70年代終わり~80年代頭ぐらいのノーウェイヴっぽいよなと思って、その手のバンドにいた人っていうことでサル・プリンチパートの名前が浮かんだから、声をかけてみたり。曲によって理由は様々なんだよ。

台湾の Prairie WWWW とはどのような経緯でコラボレートしたのでしょうか。

IW:彼らを観たのは4年くらい前、台湾の台北だった。とてもクールで変わったバンドだと思ったのを覚えている。彼らは、俺たちがいるステージの反対側に、クラブのフロアで準備していて、大きな帽子をかぶって床に座りながら、変な音をマイクから出していた。すごく奇妙だったんだけどクールな感じだった。だから彼らのことは覚えていて、連絡も取っていた。そこで今回の曲に参加してもらうことになって、クールなコラボレーションが実現したんだ。

アルバムの構想は、いつ、どのように生まれたのでしょうか。

IW:前作のツアーが終わった後、俺はひとりで新しい音楽の制作に取り組んだ。そしてデイヴが脱退した。俺たちが作る音楽は、何をやっても、良い音楽になるという自負はあった。それが成功するかどうかは全く分からないが、俺たちの音楽はクールなものになるだろうと思っていた。そこでジョンに、「この新しい音源で何かやってみないか?」と聞いたらジョンはやりたいと言った。だからこのアルバムの元となったのは、俺がしばらくの間、作っていた素材なんだ。

なるほど。それはどのような素材だったのでしょうか。

IW:俺はいつも新しい「楽器」に興味を持っている。「楽器」とカッコ付きで呼ぶのは、エレクトロニック・ミュージックでは色々なものが「楽器」になるからだ。ある種のソフトウェアも楽器だし、シンセサイザーも楽器、伝統的なギターやベースギターもそうだし、ペダルを通すものや、モジュラーシンセサイザーも楽器になる。その全てが今回のアルバムに使われた。俺は、そういう新しいものを使ってみるのが好きなんだ。毎回、違った結果が生まれるからね。色々なことをやってみて、努力して、事故が起きるという状態まで自分を持っていく。素敵な事故が起こるまで。幸運な事故が起こるところまで色々なことを試してみる。実際に起こるまでは、自分では予測や想像できなかったであろうことが起きるまで、機械と交流するんだ。そしてそういうことが起きたときに「すごいな、こんなことが起こったんだ」と思う。そういう作業が大部分を占める。そのような事故が起きるような状況まで自分を持っていく。そのために機材やツールを組み合わせる。今回のアルバムでは、モジュラーシンセサイザー、エイブルトン、スウェーデンの会社のエレクトロン、それから何本かのギターを使ったね。

8分くらいの大曲を書くよりも3分半の短い曲を書く方が難しい。バトルスではいくらでも複雑なことができるわけで、それを一口大で提示してみるっていうのがいわゆる「歌もの」をやることの醍醐味だと思ってる。

タイヨンダイ・ブラクストンが脱退した後にリリースされた2枚目のアルバム『Gloss Drop』にも多数のゲスト・ミュージシャンが参加されていましたよね。メンバーの脱退後にゲストを呼んでアルバムを制作する、という点では似た経緯を踏んでいるように思いますが。

IW:そういうふうに言う意味はわかる。けれども僕らは『Gloss Drop』のことは意識していなかった。ゲスト・ヴォーカルをたくさん入れるのってとても楽しい試みだと思うんだよね。それはバンドという関係ではできないことができるというか、歌う側もいつもと違うことができて楽しいのかもしれないし、いつもと少し違うヴォーカルを聴いてもらえる機会にもなるのかもしれないし。僕らとしてもバンドのメンバーじゃない人とやるからいい意味でプレッシャーがかかるところもあるんだ。インストの曲ってさ、どれだけ楽器が上手いかとか、どれだけ曲が長尺で複雑で、山あり谷ありで最後には感動させてみせるぞみたいなね、そういうことが問われてしまうところがある。ひけらかし的な部分とか、どれだけ宇宙の彼方まで行って戻ってこられるか的な部分とか。でもそういった側面から自由になれるっていうのが、歌の入った割とコンパクトな曲の醍醐味だと僕は思う。単純に音楽として楽しんでもらえるんじゃないかっていうのがあるんだ。それに実を言えば8分くらいの大曲を書くよりも3分半の短い曲を書く方が難しい。それはたぶん100ページで書くことを10ページにまとめるときの難しさと同じだと思うけど、バトルスではいくらでも複雑なことができるわけで、それを一口大で提示してみるっていうのがいわゆる「歌もの」をやることの醍醐味だと思ってる。もちろんだからといって簡単なことをやってるわけではけっしてなくて、一口大の中にものすごくいろんなものが入ってるっていうことは間違いないけどね。

一方でもちろん『Gloss Drop』にはなかったような要素も『Juice B Crypts』には数多くあります。前作『La Di Da Di』から今作をリリースするまでの4年間に新しく興味を持った音楽はありましたか。

IW:シンセサイザーをいじることかなあ。具体的なレコードとか人物というよりも、新しいシンセを手に入れて遊んだりすることがすごく刺激になっている。

今作のプレス・リリースであなたは、モダニズムの概念を鍛錬した美術批評家クレメント・グリーンバーグの「メディウム・スペシフィシティ」に言及していましたよね。

IW:あれは〈Warp〉が勝手に入れたんだよ(笑)。たしかに雑談をしているときに名前を挙げたり、グリーンバーグのコンセプトを語ったりはしたかもしれない。でもそれを元に曲を作ったという話は一切してないよ。ただ、そうだね、たとえば曲の意味を問われたときに「これは恋人のことを想って書いた曲です」とか言っちゃえば簡単なんだけれども、俺の場合は「こういうビートがあります」とか「こういうテクスチャーのサウンドがあります」とか、それがそのまま曲になっているから、モダン・アートの考え方に似てるんじゃないかとは思う。モダン・アートって、たとえばブロックと木片があってそれらを組み合わせて何かを作ったときに、「これは支え合いを意味するのです」とかいう説明をしたらそうなるかもしれないけど、でも実際には単にブロックと木片があるだけだよね。白いキャンバスの上に白い輪っかを描いたとして、何を意味するのかって言われても、それは単純に白だよね。もしくはペンキをぶちまけて何かを描いたとして、それが牛みたいに見えることもあるかもしれないけど、でもそれはただのペンキなんだよね。そういうことなんだよ。素材がそのまま曲になってるっていう意味では、そういう一部のモダン・アートの考え方と近いところがあるよね。

バトルスの音楽はモダンだと思いますか?

IW:うん。そういうイデオロギーの方が好ましいと思う。

Battles - ele-king

 10月11日に待望のフォース・アルバム『Juice B Crypts』のリリースを控えるバトルスが、同作を引っさげ来日公演をおこなう。11月の4日から6日にかけて、東京・大阪・名古屋の3都市を巡回。イアン・ウィリアムスとジョン・ステニアーの2人組になった彼らは、いったいどんなパフォーマンスを見せてくれるのか? ロンドンでのプレミア公演は随分と盛り上がったようなので、期待大です。チケットは明日のお昼から主催者WEB先行が発売開始、売り切れる前に急ごう!

NEWアルバム『Juice B Crypts』をひっさげ
3都市を巡る来日ツアー開催大決定!
主催者WEB先行は明日正午スタート!

その独創的なアイデアとサウンドで、ロックの常識を更新し続け、音楽ファン達に強烈な衝撃を与えてきた BATTLES が帰ってくる! 11月に東京、大阪、名古屋の3都市を巡る超待望の来日ツアーが決定! そのキャリアを再び更新する型破りな最新アルバム『Juice B Crypts』は10月11日に日本先行リリース! 各公演の主催者WEB先行は明日正午スタート!

キーボード、ギター、エレクトロニクスを操るイアン・ウィリアムスと、ドラムのジョン・ステニアーの織り成すリズムとメロディーは、よりタイトに研ぎ澄まされ、この上ないほど痛快かつ刺激的な領域へと到達! 果たしてどんなライブになるのか? その緻密かつダイナミックなアンサンブルをライブで目撃せよ! これは見逃せない!

先週ロンドンで行われた超プレミアライブでは、パンパンとなった会場が熱気で包まれ爆発寸前に!
https://www.instagram.com/p/B1Ol1-vAXc2/

初めて彼らを見たときに覚えた巨大なスリルがついに戻ってきた。体と心と魂を揺さぶる並外れた音楽は、とんでもないレベルの演奏能力があってこそもたらされるが、今夜見た新生バトルスは、まさにそれを証明するものだった。 ──Quietus

BATTLES
SUPPORT ACT: TBC

前売¥6,800(税込/別途1ドリンク代/スタンディング)
※未就学児童入場不可

明日正午より主催者WEB先行スタート!

東京公演:2019年11月4日(月・祝日)
GARDEN HALL

OPEN 17:00 / START 18:00
主催:SHIBUYA TELEVISION
INFO:BEATINK 03-5768-1277

BEATINK主催者WEB先行: https://beatink.zaiko.io/_buy/1kFR:Rx:f4b65

大阪公演:2019年11月5日(火)
UMEDA CLUB QUATTRO

OPEN 18:00 / START 19:00
INFO:SMASH WEST 06-6535-5569 / smash-jpn.com

BEATINK主催者WEB先行: https://beatink.zaiko.io/_buy/1kFS:Rx:558d4

名古屋公演:2019年11月6日(水)
NAGOYA CLUB QUATTRO

OPEN 18:00 / START 19:00
INFO:BEATINK 03-5768-1277

BEATINK主催者WEB先行: https://beatink.zaiko.io/_buy/1kFT:Rx:9c3fa

チケット詳細
先行発売:
8/21 (水) 正午12時〜:BEATINK主催者WEB先行
8/24 (土) 正午12時〜:イープラス最速先行販売 *8/28 (水)18:00まで
8/30 (金) 正午12時〜:ローチケ・プレリクエスト *9/3 (水) 23:00まで
9/2 (月) 正午12時〜:イープラス・プレ(先着) *9/4 (水) 18:00まで

一般発売:9月7日(土)~

label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: BATTLES
title: Juice B Crypts
バトルス / ジュース・B・クリプツ

日本先行リリース!
release date: 2019.10.11 FRI ON SALE

国内盤CD BRC-613 ¥2,200+tax
国内盤CD+Tシャツ BRC-613T ¥5,500+tax
ボーナストラック追加収録/解説・歌詞対訳冊子封入

輸入盤CD WARPCD301 ¥OPEN
輸入盤2LP カラー盤 WARPLP301X ¥OPEN
輸入盤2LP WARPLP301 ¥OPEN

CD Tracklist
01. Ambulance
02. A Loop So Nice...
03. They Played It Twice feat. Xenia Rubinos
04. Sugar Foot feat. Jon Anderson and Prairie WWWW
05. Fort Greene Park
06. Titanium 2 Step feat. Sal Principato
07. Hiro 3
08. Izm feat. Shabazz Palaces
09. Juice B Crypts
10. The Last Supper On Shasta feat. Tune-Yards
11. Yurt feat. Yuta Sumiyoshi (Kodo) *Bonus Track for Japan

Vinyl Tracklist [2LP]
A1. Ambulance
A2. A Loop So Nice...
A3. They Played It Twice feat. Xenia Rubinos
B1. Sugar Foot feat. Jon Anderson and Prairie WWWW
B2. Fort Greene Park
C1. Titanium 2 Step feat. Sal Principato
C2. Hiro 3
C3. Izm feat. Shabazz Palaces
D1. Juice B Crypts
D2. The Last Supper On Shasta feat. Tune-Yards

WARP30周年 WxAxRxP 特設サイトオープン!
バトルスも所属するレーベル〈WARP〉の30周年を記念した特設サイトが先日公開され、これまで国内ではオンライン販売されてこなかったエイフェックス・ツインのレアグッズや、大竹伸朗によるデザインTシャツを含む30周年記念グッズなどが好評販売中。アイテムによって、販売数に制限があるため、この機会をぜひお見逃しなく!
https://www.beatink.com/user_data/wxaxrxp.php

Battles - ele-king

 00年代半ばに登場し、いわゆるマスロックの文脈に大きな衝撃を与え、10年代以降も革新的な試みを続けてきたNYの実験的ロック・バンド=バトルスが、通算4枚目となるオリジナル・アルバム『Juice B Crypts』をリリースする。前作『La Di Da Di』が2015年だから、4年ぶりのスタジオ盤だ。いつの間にかデイヴ・コノプカが脱退し、イアン・ウィリアムスとジョン・ステニアーのデュオになってしまった彼らだけれど、ゆえにもしかしたら方法論も変化しているかもしれない。イエスのヴォーカリストや台湾の落差草原 WWWW、シャバズ・パレセズにチューン・ヤーズから鼓童のメンバーまで、相変わらず独特のゲストたちが参加している模様。アナウンスとともに新曲“Titanium 2 Step”が公開されている。いまバトルスが打ち鳴らそうとする音楽とは、はたしてどのようなものなのか? リリースは10月11日(日本先行発売)。うーん、秋まで待ちきれないぞ。

[9月27日追記]
 2週間後に待望の新作『Juice B Crypts』の発売を控えるバトルスが、同アルバムより新たに“A Loop So Nice…”とセニア・ルビーノスをフィーチャーした“They Played it Twice”の2曲を公開。相変わらずかっこいいわー。11月の来日情報はこちらから。

[10月31日追記]
 まもなく来日公演を迎えるバトルズが、最新作『Juice B Crypts』より新たに“Fort Greene Park”のMVを公開した。ディレクターを務めたのは、スケートボード・ヴィデオの制作で知られる映像作家のコリン・リード。なお29日には彼らのボイラー・ルームでのパフォーマンス映像も公開されており、“Ice Cream”や“Atlas”などトリオ~クァルテット期の代表曲も演奏されている。いやー、ライヴが楽しみです。

Tyondai Braxton - ele-king

 2000年代のバトルズ、すなわちタイヨンダイ・ブラクストンが在籍していた頃のバトルズは、リズムの面でもテクスチャーの面でも、そして何よりバンドであるということの最大の武器であるアンサンブルにおいても、あの時代に唯一、世界に対して戦争を吹っかけていたバンドだったのではないかと思う。当時、グライムやダブステップの強度に太刀打ちできるロック・バンドがどれだけいただろうか。かれらのアイデアにどれほどユーモラスな要素が垣間見られたとしても、リスナーはそれを「いま」という状況のなかでどこまでもシリアスに受け止めざるをえない――バトルズはそういう強制力を持つバンドだった。

 ミニマル・ミュージックを経て、ファンクを経て、パンクやハードコアを経て、クラブ・ミュージックを経て、ポスト・ロックを経た後の世界で、ロックという文脈のなかで何ができるのか。様々なアイデアがほぼすべて出し尽くされてしまった時代に、ロックという文脈のなかで何をすべきなのか。バトルズはそういう「いま」鳴らされるべきサウンドに極めて意識的なバンドだったし、そしてそれを実行する技術があった(いまさらわざわざ言及する必要はないかもしれないが、バトルズは、各々長いキャリアを積んだメンバーが一堂に会したいわゆる「スーパー・バンド」である)。

 そのエクスペリメンタリズムの中核を担っていたのがタイヨンダイ・ブラクストンであったのは間違いない。1作目の『History That Has No Effect』(2002年)やパーツ&レイバーとのスプリット『Rise, Rise, Rise』(2003年)などのタイヨンダイの初期作品を聴くと、まさに彼の音楽的欲動こそがバトルズというバンド全体の「コミュニズム」(と、共同作業のことをあえてそう呼んでみる)を突き動かしていたのだろうと思えてくるし、実際、彼が脱退した後のバトルズはかつて自らが担っていた戦争性・状況性から背を向け、ひたすらジャム・バンドとしての成熟を目指しているように聴こえる。

 バトルズ在籍中に発表された2作目『Central Market』(2009年)はストラヴィンスキーなどに触発され、現代音楽とポップとの共存を見事に達成してみせた意欲作ではあったが、いまだバトルズの昂奮冷めやらぬ時節に鳴らされたそのオーケストラ・サウンドは、聴き手に「なぜいまこれなのか?」という疑問を生じさせるものでもあった。徹底的に作り込まれた細部は確かに耳の肥えたリスナーたちの想像力を強く刺戟するものではあったが、全体としてはロック・ミュージシャンがオーケストラルなクラシックを導入したときの「あちゃー」という感覚の拭えないアルバムでもあった(タイヨンダイ本人は自身がロック・ミュージシャンであるという意識など微塵も持ち合わせていなかっただろうが)。

 だから3作目『HIVE1』(2015年)でのミュジーク・コンクレートへの軌道修正は正解だったと思う。おそらくはフィリップ・グラスとの交流が転換点となったのだろう。打楽器とモジュラー・シンセによって織りなされる最先端のリズムとテクスチャーは、2015年のタイヨンダイ・ブラクストンがソロ・アーティストとして表現しうる、そのすべてがぶち込まれた作品だった。

 そして、本作である。このEPは一言で言ってしまえば、『HIVE1』の延長である。だがそれはアルバムの単なる焼き直しではない。ここには、『HIVE1』の先へ突入しようというタイヨンダイの音楽的欲動が明確に表れ出ている。細かく刻まれたサンプル・ヴォイスに電子音が絡みつく "Oranged Out" は、タイヨンダイ・ブラクストンという音楽家のアイデンティティの更新を宣言しているかのようだし、規則的なビートの上を泳ぐシンセが印象的な "Hooper Delay"、シンセのみで白昼夢を演出してみせる小品 "Fifesine"、日本盤『HIVE1』にボーナス・トラックとして収録されていた "Phono Pastoral"、打楽器の躍動性にそのテクスチャーとしての可能性をもぶち込んだ "Greencrop" と、どの曲も実験的でありながらどこかエロティックでもある。この官能性は『HIVE1』にはなかったものだ。それに、銃規制団体を支援するという本作の制作目的も、いまの合衆国の状況を鑑みると非常にタイムリーである。タイヨンダイはこの2016年に、かつてとは異なる手法で「いま」という時代や状況に応答しようとしている。


 こんなことを言ってもしかたがないのだけれど、本作を聴くとやっぱりどうしても、いまのこのタイヨンダイがまたあの3人とやったらどうなるのだろう、と思わずにはいられない。本作のような官能的エクスペリメンタリズムが、あの圧倒的なバンド・サウンドと共存することができたら……本作はそんな夢想と余韻を与えてくれるEPである。

interview with Tyondai Braxton - ele-king

 さきほど深夜の原稿書きの息抜きにたまには豪勢にセブンイレブンのすばらしい100円のコーヒーでも飲んでこましたろかと外に出たらビジネスパーソンふうの男性(草食系)とおそろしくコンサバないでたちの女性が暗がりでいちゃついていてギョッとしたのである。公然とベタベタするカップルはなぜ割れナベに綴じブタのような方々ばかりなのか、あるいは私が数年来目撃してきたのはことごとくこのふたりなのか、ぞんじあげないが、ある種の協和の関係が再帰する構造はミニマリズムを想起させなくもない。俗流のそれである。ミニマル・ミュージックおよびそれをうちにふくむ現代音楽なることばがひとに難解なイメージをもたらすのは、彼らはその背後にスコアをみてとり、スコアは音楽に構成や構造や概念のあることをほのめかすからだが、いかに明確な指示や意図であってもひとが介在するかぎり、もっといえばそれが時間軸に沿った音による表現形態、つまり音楽であるかぎり、厳密な再現をもたないのはミニマル・ミュージックの第一世代はすでに喝破していた。むしろズレを包括したものとしてミニマル・ミュージックは後世に影響をあたえ、おそらくそれはミュジーク・コンクレートもおなじだろう。このふたつのクラシカルな形式の影がロックやクラブ・ミュージックのもはや短いとはいえない歴史に何度もあらわれるのはこのことと無縁ではない。そしてタイヨンダイ・ブラクストンほど、シリアス・ミュージック――と呼ぶのがふさわしいかどうはさておき──とポピュラー・ミュージックの先端に位置し、そのふたつの突端を見事に結わえたミュージシャンはまたといない。


Tyondai Braxton
Hive1

Nonesuch / ビート

ElectronicAvant-GardeJazz

Tower HMV Amazon iTunes

 いまさらタイヨンダイについてバトルズからときおこす必要はないだろうけれども、2000年代のオルタナティヴ・ミュージックを体現したこのバンドのフロントマンだった彼はバンド在籍時の2009年に実質ファーストにあたる2作めのソロ『セントラル・マーケット』を出し、翌年バンドを脱退した。『セントラル~』で彼はストラヴィンスキーのバレエ音楽に範をとり、バトルズのあの色彩感覚はおもに彼のカラーだったのだとあらためて納得させた先鋭性とポップさを同居させる離れ業をやってのけたのだがそれからしばらく音沙汰はなかった。『ハイヴ1』は6年ぶりのアルバムで、タイヨンダイは今度はリズムに主眼を置いている。打楽器からヴォイス・パーカッション、グリッチ・ノイズまで、リズムを構成するすべての音の音価と音色について。『ハイヴ1』ではそれらが交錯し干渉し逆行し、忘れてはならないことだが、ユーモラスでダンサブルでもある。お定まりの割れナベに綴じブタの関係ではないのである。

 質問の冒頭でザッパのことを訊ねているのは、『ハイヴ1』はヴァレーズを参照したと聞いたからで、ストラヴィンスキー~ヴァレーズはともにザッパが影響を受けた作曲家ということです。訊きたいことはもっといっぱいあったのだけど、時間もかぎられていたので仕方がない。彼は人気者なのだ。

■タイヨンダイ・ブラクストン / Tyondai Braxton
ポストロック/ポスト・ハードコアの重要プレイヤーが集結するスーパー・バンド、バトルスの元メンバーとしても知られるニューヨークの実験音楽家。バトルス時代の『ミラード(Mirrored)』(2007)のほか、ソロ・アーティストとしては2009年に〈ワープ(Warp)〉からリリースされた『セントラル・マーケット(Central Market)』がヒット。現代音楽の巨匠、フィリップ・グラスとのコラボーレション・ライヴなどを経て、本年、6年ぶりとなるソロ・アルバム『ハイヴ(Hive1)』を発表する。

僕とフランク・ザッパの関係性は複雑なんだ。

前作『セントラル・マーケット』がストラヴィンスキー、『ハイヴ1』ではヴァレーズの“イオニザシオン”を参照されたということですが、この影響関係はフランク・ザッパとまったくいっしょです。彼のことは(直接本作とは関係ないにしても)意識しますか?

タイヨンダイ:僕とフランク・ザッパの関係は不思議だ。彼のことはすごく尊敬している。彼の活動すべてを好きでなくても、アーティストとして尊敬することはできる。フランク・ザッパの音楽も一部は良いものだと思う。なかには、僕の好みでない音楽もある。僕とフランク・ザッパの関係性は複雑なんだ。僕は大学時代、ザッパについての授業を受けるはめになった。それまでザッパの音楽には興味をもたなかったし、彼のユーモアのセンスも理解できなかったから、はじめは授業を受けたくなかった。でも、授業を受けて、彼がどんな人物かを学んでから、彼に対する新たな尊敬の意が生まれた。だから、彼の音楽は共感できないものがほとんどだけれど、彼のことはとても尊敬している。彼がいままでやってきたことに、驚かされたものがいくつかある。

“イオニザシオン”は西洋音楽初のパーカッション・アンサンブルための楽曲だといわれます。『ハイヴ1』には、人間による打楽器演奏、リズム・マシーン、グリッチノイズなど、現在の音楽を構成する無数の打楽器音を総動員してつくった趣があります。このような作品を着想するにいたったきかっけを教えてください。

タイヨンダイ:きっかけはいくつかある。まず、打楽器に関して僕が興味を感じはじめたのは、打楽器をリズム楽器として演奏するのではなく、テクスチャーを生み出すものとして扱うということ。メロディとしては、扱えないかもしれないが、少なくともテクスチャーとして扱う。このアイデアは刺激的だと思った。僕はいまでもドラムがリズムを演奏するようなリズミカルな音楽も好きだ。だが、楽器にひとつの役割しか与えられていないという制限が好きではない。この機会を利用して、僕にとっての打楽器音楽がどのようなものかという探求をしたいと思った。リズミカルなサウンドとテクスチャルなサウンドが行き交うものにしたかった。それが第一のきっかけ。そこに、ヴァレーズやクセナキスなどの初期の打楽器音楽の影響が加わって今回のアルバムにとりかかった。

打楽器の演奏者と具体音、合成音でアンサンブルを組むにあたり、どのような手法、コンダクションをとったのでしょう?

タイヨンダイ:レコーディングしたときは、僕の意図など具体的な指示を演奏者に出すことができた。ライヴ演奏をするときは、演奏者はヘッドホンから鳴るキューを頼りにしているから、コンダクションは音声のキューがメインで、僕が実際にコンダクションをとっているというわけではないんだ。テクニック(手法)に関しては、先ほど話したように、リズミカルなパーツとテクスチャルなパーツをシームレスに行き交うというアイデアを追求した。テクニックとして、特定のパーツの焦点は何かということを理解することが求められた。あるパーツがテクスチャーを生み出しているとしたら、そのパーツのリズム要素にはあまり焦点を当てない……いや、そういうわけでもないか。テクスチャーを生み出しているからといって、テンポに合う演奏ができないともいいきれない。音楽がすべて楽譜で書かれているかぎり、テンポ通りに進むということだから。簡潔に答えるとすれば、アルバム制作で手法としたのは、リズミカルな要素に加えてテクスチャーとなる要素も意識するということ。

この機会を利用して、僕にとっての打楽器音楽がどのようなものかという探求をしたいと思った。リズミカルなサウンドとテクスチャルなサウンドが行き交うものにしたかった。

「ハイヴ」はもともとグッゲンハイム美術館でインスタレーションも含めたかたちで上演された、つまりサイトスペシフィックな作品だったわけですが、そういった作品を音楽作品におとしこむのはそもそもあったはずのある側面を捨象することになるのではないでしょうか? あるいは『ハイヴ 1』はそのヴァリエイションであり、その意味で問題なかったということですか?

タイヨンダイ:問題ないというわけではない。それが次なるいちばんの課題だった。「ハイヴ」は、インスタレーションとしてはじまったプロジェクトなのだけど、今回のアルバムが、ヴィジュアル要素や演奏される場所に依存することなく、ひとつの作品として機能することが重要だった。複数の次元で機能する作品でなければならなかった。僕がソロ・アーティストとして、この音楽を別のヴァージョンで披露した場合にも同じことがいえる。僕の演奏する音楽が、アルバムの様式を超越したもので、かつ、興味深いものでなければならない。また、それをやる理由も存在しなければならない。僕がソロの演奏をするとなった場合、バンドといっしょに演奏したものをどうやってソロでやるんだ? と疑問に思うだろう。その答えになるのが、アルバムの音楽で、僕が一人でやれることで、他の演奏者がいたらできないようなことを思いつくということなんだ。僕が今回、アルバムの音楽をつくる上では、そのような使命が課されていた。複数の次元で使える音楽で、様々な状況下で使える音楽をつくるということだね。


グッゲンハイム美術館にて

ミュジーク・コンクレートには現実音を抽象的にあつかう、または現実音を現実音そのものとしてあつかう、というふたつの考え方があると思います。あなたはどちらですか? またその理由について教えてください。

タイヨンダイ:アルバムを聴くと、その考え方の両方を行き来している感じがあると思う。限定された、定義しやすい要素を使うのは大切だが、その一方で、僕はその考え方を分解することも大好きだ。僕は、ふたつの考えのうち、どちらかを選択するというよりも、両方を取り入れられるという方法に刺激を感じる。たとえば、最初から抽象的なものから入るのではなく、あるアイデアを呈示してから、それを抽象化させる、など。もしくは、抽象的なアイデアから入り、それが徐々に明確なものに変化していき、題材のソースが明確になったり、題材自体が何であるかが明確になったりする、など。そういうバランスの取れた感覚が好きだね。

ミニマリズムという美意識は、テクノとクラシカルだけに存在するものではない。

『ハイヴ1』ではあなたのひとつの魅力である「声=ヴォイス」も全体を構成するいち要素としてあつかわれています。あなたはヴォイス・パーカッションも演奏されますが、その経験が『ハイヴ1』には影響していますか?

タイヨンダイ:もちろん。アルバム5曲めの“Amlochley”では、ビートの構成はすべてビートボクシングでできている。僕がビートボックスをしてつくったんだ。その他のサンプルにも、僕の声ではないが、他のひとの声を使っている。今回のアルバムでは、機能する領域が限られていたけれど、自分の声を使うという実験はとても重要だった。だが、自分の声をあまり使わないようにする、というのも強く意識した点だ。僕はバトルズというバンドでは歌っていたから、僕と声を連想するひとも多いと思う。そのイメージから離れて、他の試みをするというのは僕にとって重要なことだった。声という要素にちがったアプローチで取り組み、ミニマルな方法で扱いたいと思っている。

声といえば、ロバート・アシュリーのような音楽家の作品はどう思いますか?

タイヨンダイ:ロバート・アシュリーは大好きだよ。彼の作品の演奏を観られたことを光栄に思っている。近日、僕がまだ見たことがないオペラがニューヨークで上演される。彼が亡くなったことを知ってとても悲しかった。だが今後も、彼の音楽の数々を追求していきたいと思っている。

OPNやメデリン・マーキー(madalyn merkey)、D/P/Iなどの最近の作品を聴きましたか? 聴いたとしたらどう思われましたか?

タイヨンダイ:最後のふたりはよく知らないけれど、OPNの作品はすごく好きだ。彼は、すばらしいプロデューサーで作曲家だと思う。彼の活躍は、いつも僕をワクワクさせてくれる。

たとえばテクノにおけるミニマルと、クラシカルなミニマル・ミュージックのどちらに親近感をおぼえますか?

タイヨンダイ:両方だね。ミニマリズムという美意識は、テクノとクラシカルだけに存在するものではない。僕は、構成に対するミニマリストなアプローチに親近感をおぼえる。それがオーケストラ音楽であっても、エレクトロニック音楽であっても。各様式において、ミニマリズムという概念の解釈が独自の方法でなされていると思う。だから、こちらの方がもうひとつの方より興味深い、というわけではなくて、どちらもすばらしい音楽を生み出していると思う。

また、あなたはフィリップ・グラスの楽曲をリミックスした経験がありますが、ミニマル・ミュージックといえばグラスですか?

タイヨンダイ:もちろん、フィリップ・グラスは好きな作曲家の一人だ。すばらしい音楽家だと思う。スティーヴ・ライヒやジョン・アダムスといった、アメリカのミニマル・ミュージシャンが好みだ。彼らの音楽は大好き。とくにジョン・アダムスの音楽。みんな偉大な音楽家たちだ。

あまり情報量のない音楽でも、ある一定の音量で聴くと、非常に強いインパクトがある、というのはおもしろいことだよね。多くの人は、ミニマル音楽をそういうふうに聴こうと思わない。

以前ジム・オルークは「フィリップ・グラスを大音量で聴いて、これはファッキン・ロックンロールよ、と思った」といっていました。そして私は『ハイヴ1』も大音量で聴いてぶっ飛びました。この意見についてどう思いますか?

タイヨンダイ:その言葉はすごくうれしいね。僕の音楽で誰かがぶっ飛んだと聞けばうれしいにきまってる。あまり情報量のない音楽でも、ある一定の音量で聴くと、非常に強いインパクトがある、というのはおもしろいことだよね。注目を必要とする要素自体が少ないから、特徴がさらにはっきりとする。多くの人は、ミニマル音楽をそういうふうに聴こうと思わない。ミニマルとは、小さいと思われがちで、音量も小さくしなければいけないと思ってしまうからだ。だが本当は、ミニマル音楽は、大音量で聴いた方がインパクトが大きい。僕は元から音楽を大音量で聴くのが好きなんだけど、ミニマル・ミュージック全般を大音量で聴くと、すごくパワフルな体験ができると思っている。そういうふうにアルバムを聴いて、リスナーのみんなもアルバムを気に入ってくれるといいな。

「ハイヴ」アンサンブルでの来日公演の可能性はありますか?

タイヨンダイ:そういう機会があったらぜひやりたい。今回予定されている来日は、僕ひとりだけれど、「ハイヴ」を日本に連れてきて、アンサンブルをやる機会があればぜひやってみたいね。

では、ソロの予定はあるということですか?

タイヨンダイ:ああ。7月1日と2日。大阪と東京で公演がある。「ハイヴ」のソロ・ヴァージョンを披露するよ。

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つまり識は「テクノ」にへと 文:三田 格

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 「踊れるサムラ・ママス・マンナ」。それがバトルズの正体だろう。SMMは70年代にスウェーデンで結成されたプログレッシヴ・ロックの4人組で、例によって解散→再結成を経てゼロ年代からはドラムスにルインズの吉田達也が参加している。悲しいかなバトルズは超絶技巧だけでなく、ユーモアのセンスまでSMMを模倣していて、オリジナルといえる部分はレイヴ・カルチャーからのフィードバックと音質ぐらいしか見当たらない。疑う方はとりあえずユーチューブをどうぞ→
https://www.youtube.com/watch?v=yqSmqh-LdIkhttps://www.youtube.com/watch?v=ZYf7qO9_MV8https://www.youtube.com/watch?v=jkWL1lOi1Hg、etc...

 ......といったことを割り引いても、昨年の『グロス・ドロップ』はとても楽しいアルバムだった。バーズやP-ファンクにレイヴ・カルチャーを掛け合わせたらプライマル・スクリームで弾けまくったように、SMMにレイヴ・カルチャーを掛け合わせてみたら、思ったよりも高いポテンシャルが引き出された。そういうことではないだろうか。おそらくはまだロックにもそうした金鉱は眠っているはずである。テクノやハウスだって、どう考えてもそれ自体では頭打ちである。何かを吸収する必要には迫られている。アシッド・ハウス前夜にもどれだけのレア・グルーヴが掘り返されたことか。そう、アレッサンドロ・アレッサンドローニやブルーノ・メンニーなんて、もはや誰も覚えちゃいねえ(つーか、チン↑ポムなんてザ・KLFのことも知らなかったし......)。ためしに誰かブルース・スプリングスティーンにレイヴ・カルチャーを掛け合わせてみたらどうだろう......なんて。

 本題はそのリミックス・アルバム。人選がまずはあまりにも渋い。しかも、様々なジャンルから12人が寄ってたかってリミックスしまくっているにもかかわらず、おそろしいほど全体に統一感がある。シャバズ・パレス(元ディゲブル・プラネッツ)の次にコード9だし、Qのクラスターからギャング・ギャング・ダンスなどという展開もある。しかも、そこから続くのがハドスン・モーホークとは。全員がバトルズに屈したのでなければ、セルフ・プロデュースの能力が異常に高いとしか思えない。

 オープニングからいきなりブラジルのガイ・ボラットーが情緒過多のミニマル・テクノ。マカロニ・ウエスターンに聴こえてしまうギターがその原因だろう。ミニマルの文脈を引き継いだシューゲイザー・テクノのザ・フィールドは、一転してヒプノティックなテック-ハウス仕上げ。続いてドラマ性に揺り戻すようにしてヒップホップを2連発。このところ壊疽=ギャングルネとしての活動が目立っていたアルケミスツはソロで90年代末に流行ったダンス・ノイズ・テラー風かと思えば、昨年、一気にダブ・ホップのホープに躍り出たシャバズ・パラスは彼の作風に染め上げただけで最もいい仕事をしたといえる。ダブステップからUKガラージに乗り換えつつあるコード9はそれをまたコミカルに軌道修正し、2年前に"エル・マー"のヒットを飛ばしたサイレント・サーヴァントやラスター・ノートンからカンディング・レイはそれぞれのスタイルでダブ・テクノに変換と、いささかテクノの比重が高すぎる気も。これは自分たちにできないことをオファーしているのか、それとも自分たちが次にやりたいことを先行させているのか。いずれにしろ、その結果はユーモアの低下とリズムの単調さを招き、チルアウト傾向ないしはリスニング志向を強めることになった(クラスターの起用はまさにその象徴?)。

 後半で最大の聴きどころは、珍しく同業のパット・マホーニーを起用した"マイ・マシーン"で、シンプルなリズム・ボックスに絡むゲイリー・ニューマンのヴォーカルは最盛期の気持ち悪さを思わさせるインパクト。ジャーマン・トランスにありがちなリズム・パターンなのに、ロック・ミュージックとして聴かせてしまう手腕はかなりのもので、思わず、ほかにはどんなリミックスを手掛けているのだろうと調べてみたら、まったくデータが見つからなかった(これが初仕事?)。エンディングはヤマタカ・アイで、トライバルとモンドの乱れ打ちはこの人ならでは。ダイナミズムよりもリスニング性を優先したことで最後に置くしかなかったのかもしれないけれど、それはちょっと消極的な判断で、僕ならギャング・ギャング・ダンスとハドスン・モーホークのあいだに置いただろう(バトルズの意識が「テクノ」に向かっている証拠ではないか)。

文:三田 格

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そして『グロス・ドロップ』の完全なる分解 文:松村正人

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 アンダーグラウンドのスーパーバンドから『ミラード』で転身したバトルズはタイヨンダイ・ブラクストンは抜けたが、『グロス・ドロップ』で前作をさらに発展させ、そこでは初期のハードコアを構築し直した鋭利な、しかし同時に鈍器のようだったマス・ロックの風情は退き、かわりにポップな人なつこい音が顔を出した。強面だった数年間からは考えられない柔和な表情をしていたが、いまのパブリック・イメージはむしろこっちである。それまでのいくらかすすけたモノトーンはツヤめいた内蔵の色に塗りこめられた。ジャケットがそれを暗示する。有機的であり抽象的であり生理的でもある。私は以前にレヴューを書いてから聴いていなかった『グロス・ドロップ』を、『ドロス・グロップ』を書くために、しばらくぶりに苦労してひっぱりだして聴いたが、おもしろかった。たしかここに書いたレヴューは最初おもしろくないと思ったと書いたと思ったが、聴き直したらやはりおもしろくないことはなかった。私は『ドロス・グロップ』を先に聴いて、原曲をたしかめるために聴いたからかちがいがおもしろさを後押ししたが、オリジナルとリミックスの幸福な相乗効果がうまれたのは、前者が音で語ることに腐心したアルバムであったことに多くを負っている。そこには内面は投影されていない。語るのはあくまで音楽であり、バトルズの連中ではない。それに任せる。タイヨンダイというアイコニックな人材を欠いた逆境がある種のスプリングボードとなり、バンドを、音楽の生成を何よりも彼ら自身がたのしんでいる(たのしまざるを得ない)、陽性の作品性へ追いこんだのだと穿つこともできなくはないが、この結果はいってみれば、往時のダンスカルチャーの匿名性を思わせるものであり、その意味で、リミックスという行為との親和性はいうまでもなかった。
 
 アルバムは先行した4枚の12インチを若い順に並べた。テクノ~ヒップホップ~(ポスト)ダブステップ~ミニマル~ワールド~ディスコパンクなど、ゼロ年代以降のダンスミュージックを巡礼する構成で、総花的なつくりでもあるが、散漫な印象を与えないのは、カテゴリーの遍歴そのものが音楽を前のめりにさせるからだろう。サンパウロのギ・ボラットとストックホルムのザ・フィールド、〈コンパクト〉勢のループは『ミラード』までのバトルズの交響的な――つまり縦軸の――ループを横倒しにしたように、渦を巻き滞留するようでありながら、前方へジワジワと音楽を煽り、ヒップホップ/ブレイクビーツ~2ステップ/UKファンキーのブロックへバトンタッチすることでアルバムのタイムラインは最初の山と谷(もちろん逆でもいい)を経過する。山はすくなくともあとふたつはあるようである。3つかな?と思うひともいるであろう。それはどっちでもいいが、この高低差は現行のダンスカルチャーの地形図であり、すくなくともリミキサーたちは所属するジャンルに奉仕する職人的な仕事に徹することで、楽曲を解体するだけでなく、原曲とリミックスとの間の、あるいはトラックごとの偏差が彼らの特質をあぶりだしもする。なんであれ解釈が生じる場合、ズレがうまれる。その隙間を広げるか埋めるかが、音を仲立ちにした対話では焦眉の問題になるが、原曲はどうあがいても完全な姿で回帰しない。このあたりまえのところにうまみがある。
 私は先に職人的な仕事と書いたが、解釈はいずれも大胆である。とくにクラスター、ブライアン・デグロウ(ギャング・ギャング・ダンス)、ハドソン・モホークのブロックは原作を再定義したというか、たとえばデグロウのリミックスは原曲のリフの音色が喚起するリズムのつっかかりをビートに置き直し『グロス・ドロップ』でいちばんポップでカラフルだった"Ice Cream"をデジタル・クンビア的な疑似アーシーな場所にひきつけることで、スラップスティックかつフェイク・トロピカリアとでも呼ぶべき原作のムードを二重に畳みこんでいく。ハドソン・モホークの着眼点もたぶん同じで、クラスターの作家性とはちがう――しかしそれはこのアルバムのアクセントでもある――が、デグロウ=モホークの視点はバトルズのそれとも同期し、元ネタの笑いをトレースし、さらに展開する、難儀な作業を的確にやっている。もっともそのユーモアはモテンィ・パイソンがミンストレル・ショーを実演するような、ねじれた、くすぶった笑いではなく、現代的な抑制が利いたものなのだが、であるからこそ、LCDサウンドシステムのドラマー、パット・マホーニーのディスコ・パンク調の"My Machine"という最後の山だか谷だかのあとのヤマンタカ・アイの、原作にひきつづきシンガリをつとめた"Sundome"で『グロス・ドロップ』は完全に分解したように思える。そして私は聴き終えたあと、ヘア・スタイリスティックスが聴きたくなった。

文:松村正人

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 『グロス・ドロップ』に最初興奮できなかったのは、1曲目を聴いて、このメジャー2作目はハードコアの緊張感をデジタルな感性で再構築した『ミラード』の方法論の延長線上にあり、私は彼らも自己模倣と無縁でなかったのかと複雑な気持ちになったからだが、真剣に何度も聴くうちに『グロス・ドロップ』は『ミラード』の圏域に留まるというよりも、その領域の外へ向かう"ベクトル"を音で描けばこうなるのではないかと思った。反射した鏡像が無限に増殖する数列的なイメージから直線をもたないフラクタルな空間認識へ、ドラスティックなきりかえしがこの2作のあいだにあるということは、アートワークにある種象徴的にあらわれているが、それ以上にバンドにとってタイヨンダイ・ブラクストンの脱退は小さくない事件だった。私は残念ながら今回彼らに取材する機会はなかったので、ことの次第はメディアの伝えることで知るに過ぎないが、メンバーがひとり欠ければバンドの力関係は決定的に変わる。バトルズのように(ほとんど)主従関係をもたない、グループ全体の運動そのものを音楽に転化するスタイルではなおさらで、イアンもジョンもデイヴも途方にくれたにちがいない。しかし私は思うのだが、半分以上作業が進み、完成形が見えた作品を放棄し、いちから作り直すことこそ、モノを作る人間の生き甲斐である。制作過程という、いちばん濃密な空気に戻ることができるからだ。そのとき、発表するあてのない作品は彼らだけのものになり、彼らはこのメジャー1.5作目ともいえる音源をのりこえるべく、3人のバトルズとして作業を再開することになった。

 その結果できた『グロス・ドロップ』の第一印象は先に書いた。書き忘れたが1曲目の曲名は"Africastle"という。アフリカとキャッスル(城)を組み合わせた造語だが、アフリカを思わせるところはほとんどないストレートなリズム・ストラクチャーを時間軸に沿って提示する。ところが嵐のような曲調が嵐のように去った後の後半のノンビート部分で曲調はだしぬけにファニーになり、それが2曲目の"Ice Cream"へのブリッジになる。"Ice Cream"はタイヨンダイのヴォコーダー・ヴォイスが印象的だった『ミラード』のシングル曲"Atlas"に対応していて、彼の不在を埋めるようにこの曲では客演に招いた〈Kompakt〉のチリ人、マティアス・アグアーヨの歌声を加工し、"Atlas"路線を伸張しているが、"Africastle"よりこっちの方がアフリカといわないまでもファンキーである。アウトロなどデイヴィッド・モスがドゥーワップをやってるみたいだと書くと苦笑されそうだが、この2曲で例示するまでもなく、『グロス・ドロップ』では各曲のモチーフが他の曲で微妙に変化し反復される。"Futura"と"Inchworm"のリズムの表裏――それが音楽の南と北の関係を暗示するのはいうまでもない――、"Wall Street"のせわしない情景描写とかつて「知っているのは 君と機械のことだけ」("Engineers")と歌ったゲイリー・ニューマンに歌わせた"My Machine"の文明批評......『グロス・ドロップ』の前半はアルバム全体を鏡像のように反転させた『ミラード』(あるいはそのプロトタイプとしてのEPシリーズ)のガッチリした構築性とはちがう、有機的なつながりをもつ。というか、楽曲そのものがシンコペートさせることでプログレ風の組曲形式と似て非なる、ある種の即興音楽に通ずる対話がそこでは行われているだけど、スティールパンを思わせるギターの音色とハンドクラップが跳ねる7曲目の"Dominican Fade"でバトルズの問答はロックからワールドミュージックに意図的に逸れはじめる。もちろんそれはオーソライズされたワールドミュージックではなく、皮膚感覚を頼りにしており、必然的にエキゾチシズムと無縁ではない。ブロンド・レッド・ヘッドのカズ・マキノとボアダムスのEYEの参加をエキゾチシズムとみなすのは異論があるかもしれないが、外国との障壁がほとんどなくなったいまでも、いや、だからこそ、海外のシーンに影響を与えつづけるふたりの日本的な身体性ないしは訛のようなものは『グロス・ドロップ』の"揺らぎ"を象徴するものとして逆説的に浮上せざるを得ない。

 バトルズとボアダムスというオルタナティヴ・シーンの両極による幕引きの"Sundome"のトロピカ/リズムとでもいいたくなるメカニカルな祝祭性はトリオ編成になったバトルズが重から軽へ、暗から明へきりかわったことを意味するだけでなく、リズム・アプローチで行き詰まったダンスミュージックとしてのロックがポスト・ダブステップとかJUKEとか、ここしばらくのビートミュージックと拮抗するグルーヴをもちはじめたいち例であるといってもいいすぎではない。

ZETTAI-MU springup 2011 - ele-king

 震災の影響でライヴのための東京行きが全部キャンセルになってしまった僕にとって、ZETTAI-MUは久しぶりに出向くイヴェントだった。ele-kingでも告知していたし、関西の読者で足を運んだひとも多いことだろうと思う。震災の直接的な影響がなかった関西も、やはり以前よりは沈みがちだと感じることが多い。そんななか、東京の〈ソナー・サウンド・トーキョー〉と連動する形で開催された今回のZETTAI-MUは、ele-kingのニュースにもあったように久しぶりに関西の僕たちが爆発できるイヴェントとして楽しみにしていた。野田ボスに「金曜日はZETTAI-MUに行ってきます!」と張り切ってメールをしたら、どういうわけか「次の原稿の締め切りは土曜日かな」と返信が来て、僕は「あれ......」と思ったものの必死で原稿を仕上げて名村造船所跡地に向かったのだった。
 それにしても寒い。毎年この時期近所の桜はだいぶ咲いているように思うのだけど、今年はようやく蕾が膨らみ始めたくらいだった。寒がりの僕は上下ともヒートテックを着込んで、どうにか凌ぐしかない。黒木メイサはヒートテックを手に入れて苦手だった東京の冬が平気になったそうだが、僕はそれでも大阪の冬ですら苦手だ。

 toeには間に合うかなーと思って会場に入ったら、すでにステージからは人が溢れていて中に入れなかった。彼らの叙情的なアンサンブルが外に漏れてくる......のを聴きながら指を加えて突っ立っているしかない。しかし思っていたよりも大勢の音楽好きが集まっていて、toeはちゃんと観られなかったけれども僕は嬉しかった。やっぱり、みんなパーティに飢えていたのだ。それに大阪はいま、忌々しいクラブ摘発の問題もある。風営法の改正を求める署名を呼びかける告知が、会場にもいくつか貼ってあった。もちろん署名も現実的なひとつの手だとは思うのだけれど、いっぽうで大阪のオウテカが「アンチEP」を出したり、あるいは大阪の!!!が「ミー・アンド・ハシモト」を出したりしないかなー、と非現実的な空想を僕はしてしまうのだった。なんにせよ、よくわからないままクラブが閉まっているのがすごく嫌だ。遊び場が知らない間に減っている。

 よく聞かれるんだ、「ダンスのどこがそんなにすごいんだ?」って
 俺にわかるわけない
 ああ、理解することもできない
 でも音楽が流れると音楽がすべてを支配する !!!"ミー・アンド・ジュリアーニ・ダウン・バイ・ザ・スクール・ヤード(ア・トゥルー・ストーリー)"

 僕は会場をウロウロすることにした。みんな寒いなか、酒を飲んだり騒いだり、すでに楽しそうだ。名村造船所跡地はなかなかゴキゲンな場所で、その名の通り跡地なのでちょっと廃墟めいた雰囲気を醸しているパーティ会場だ。かつてのレイヴのウェアハウスもこんな雰囲気だったのかな......とまた僕は妄想する。
 ステージに向かって、クラムボンのミトによるdot i/oを観る。テノリオン2台を交互に使って、煌びやかで色彩感のあるエレクトロニカを奏でてクラウドをうっとりさせる......かと思うと、突如インダストリアル風のビートが暴れもするから油断できない。90年代のIDMの遺産の最良の部分はフォー・テットだけに引き継がれているわけではないことを実感する。奔放で茶目っ気もある、しかし独特の美とエモーションが感じられる演奏だった。
 フライング・ロータスはベースのサンダーキャットとシンセのドリアン・コンセプトを従えて、ドラゴンボールのコスプレで現れた。「カーメーハーメーハー!!!」とクラウドに叫ばせて満足げ。みんな、ちょっと苦笑い。だけれども、演奏は本当にカッコ良かった。僕がこれまで観たなかでもいちばん刺激的だった。毎回自曲と他のアーティストの曲を織り交ぜながら、意外にアッパーなビートで沸かせるのだけど、今回はベースとシンセの(たぶん)即興の絡みがあるからとにかく有機的で、ファンキー。テンポが上下しても一貫してグルーヴィー、すごくブラックな感触だ。サンダーキャット、歌うし。かなりレイヴィーな展開もあり、当然ヒップホップもあり。フライ・ローはライヴのとき、いつも機嫌良くクラウドを煽ってみせる。ああ、いいパーティの雰囲気ってこういうのやな......と僕はちょっと泣きそうになってしまったのだった。恒例のレディオヘッドの"イディオテック"使いもあくまでコズミックに、大胆にやってのける。歓声が上がる。僕はヒートテックが暑くてたまらなくなってしまった。

 フライング・ロータスの後、DJをやっている友だちに会って乾杯する。彼はタイラー・ザ・クリエイターが使われたことに大興奮していた。まわりはさらにひとが増えて、すっかり熱い空気が出来上がっていた。
 ステージに再び向かう。フライング・ロータスとバトルスに挟まれたオオルタイチも、そのノイジーで妙なダンスホールでダンスの勢いを止めさせていなかった。本人も、歌ったり踊ったり頑張っている。僕もニヤニヤしてしまう。近くにいた兄ちゃんが「変態やな」と褒めていた。
 バトルスは本当に大人気で、後ろからどんどん人が入ってきて前に押される。もうみんな知っているだろうが、タイヨンダイが抜けて初の日本でのライヴだ。正直心配していたが、これまでの曲はいっさいやらずに新曲だけに絞り、新たな体制でのアンサンブルを見せることに徹していたのは正解だったと思う。ハードコア譲りのハードなアンサンブルと、ファニーで奇天烈な上モノ。後者はほとんどタイヨンダイが担っていたと思っていたが、それはすでにバトルスのアイデンティティの一部になったということなのだろう。シングルになった"アイス・クリーム"がしっかりとピークを作っていた。まだ未消化な部分はかなりあるし、ヴォーカル曲がサンプリングになってしまうのは(やむを得ないとは言え)やや盛り上がりに欠けるが、3人でバトルスを続けていくという気概が感じられるライヴだった。3人での体制が完成するにはまだ時間がかかりそうだが、頑張ってほしい。

 すぐにもうひとつのステージに行くと、コード9を終わりのほうだけ少し観ることができた。ダブステップだけでなくジャングルやドラムンベース、2ステップなどをBPMをきっちり合わせず大胆に繋いでいく〈ハイパーダブ〉のボスのDJは、やっぱりクールで熱い。去年マーティンと来たときはブブゼラを吹きまくっていたが、アー写からはイメージできない陽気なおっさんぶりも僕は好きだ。マフィアと労働者の間のような、見た目も好きです。
 その後は復活したドライ&ヘヴィによる、パンツがビリビリするぶっといベースと脳味噌が麻痺するスネアの高音が奏でるダブでドロドロになり、そしてDUMMUNEにも出演していたKURANAKA1945の貫禄のダブにさらにドロドロになり、僕は結局朝まで踊り続けていた。

 ステージがふたつあったし、僕と違う過ごし方をした人も多かったと思うけれど、すれ違った人はみんな楽しそうにしていた。〈ソナー〉もきっと楽しかっただろうと思う。こんなときだからこそ......いや、パーティはいつだって必要だ。ヒートテックよりも。

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