「PAN」と一致するもの

interview with Ásgeir - ele-king

コンセプトやテーマはとくになかったんだ。強いて言うならば……自分探し、かな。一生懸命自分を見つけようとする僕がそこにいるんだ。


Ásgeir - Afterglow
One Little Indian/ホステス

PopR&BElectronic

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 ジョン・グラントがアメリカから逃げ出し、放浪ののちアイスランドに移住したのはやはり傷心のせいなのだろうか。孤独な人間は北国に向かわずにいられないのだろうか……。グラントはその歌詞から偏屈な皮肉屋に違いないと思っていたら、しかし、実際に会ってみれば何てことのない気さくな中年だった。だが、たくさんの問題を抱えていた彼を再生させたのはアイスランドという土地そのものだったのではないか、とも思う。
 そのジョン・グラントが英語詞を提供したことでも話題となったアイスランド生まれのシンガーソングライター、アウスゲイルの朴訥でまっすぐなフォーク・ミュージックを聴いていると、わたしたちがアイスランドに抱きがちな、厳格で豊かな自然に囲まれた国というある種のステレオタイプさえも大らかに受け止められるように感じられてしまう。ビョークとシガー・ロスのような特例に限らず、アイスランドは何かしらの形で音楽に携わる人間の割合が高いことで知られているが、そのなかでもとくに辺鄙な土地で育ったというアウスゲイルもまた北国の大自然と向き合いつつ、すくすくと音楽で育ったことが鳴らす音と歌によく表れている。

 以下のインタヴューは、2016年夏に〈ホステス・クラブ・オールナイター〉のためにアウスゲイルが来日した際におこなったものだ。その時点では制作中だったセカンド・アルバムからは5曲のマスタリング前の音源を聴くことができ、すでにサウンド面での新たな展開も予見することができたが、完成音源は遥かに音響的に洗練された仕上がりとなった。
 インターナショナル盤としてはセカンド・フルとなる『アフターグロウ』は、全世界的に流行中のオルタナティヴなR&B解釈と、シンセ・ポップ、あるいはよりエレクトロニック・ミュージックの意匠を取りこむことによってサウンド面での大胆な更新に取り組んだ作品だ。ジェイムス・ブレイクやボン・イヴェールのような、モダンなシンガーソングライターたちに続かんとする意志が感じられる。ソングライティングの骨格自体はフォークを大きく外れることはないが、ピッチシフトやノイズの挿入、凝ったエフェクトも多用されており、ファーストにおける北欧フォークトロニカの印象を大きく覆すアウスゲイル流オルタナR&B“アンバウンド”、ミニマル・テクノ的なトラックが展開する“アイ・ノウ・ユー・ノウ”などははっきりと新基軸だと言える。『イン・ザ・サイレンス』はポテンシャルを秘めた若いミュージシャンの習作といった向きもあったが、『アフターグロウ』は現時点での彼の最新の成果を衒いなく報告してくれる。それでいてアウスゲイルが多くのひとに親しまれる所以となった、透明感のある歌声やあくまでも穏やかで温かみのあるメロディを惜しむことも隠すことも一切ない。
 この北国からやってきた青年とその歌には、曲がっているところがまるでないのだ。

アイスランドから来られたら、日本の夏はさぞおつらいと思うんですけど――。

アウスゲイル:(ため息をついて)ああ。

(笑)こんな風にツアーで海外を回っていると、アイスランドが恋しくなるのではないですか?

アウスゲイル:うーん、アイスランドはもちろんいい国だと思うんだけど、このツアーの前はブレイクを取ってずっと地元にいたからそろそろ外に行きたいとは思ってたんだよ。でも、ここまで暑いとあっという間に疲れちゃって困るね。でも、いまは日本にいて、見るものがたくさんあるから楽しいよ。

それが救いですね。今日はアイスランドのお話を訊きたいなと思っていて。というのは、アウスゲイルの音楽って、日本にいるわたしたちにも「アイスランドらしさ」みたいなものが伝わってくるものだと思うんですよ。ただ、アウスゲイルの音楽にはアイスランド以外の音楽への関心や興味もすごく織り込まれていますよね。あなた自身は、アイスランドの風土による影響と、外国の音楽の影響とどちらのほうが大きいと思いますか?

アウスゲイル:その融合だと思うね。自分では意識しているわけではないから、正直自分でははっきりとはわからないけれど、でも両方あるのは間違いないね。

アイスランドの音楽に共通する要素として自然そのものを表現するサウンドがあるよね。僕の音楽にもそういう要素があると思う。でもそれは、敢えて出そうとして出しているものではないんだよ。

アイスランドらしさというところで言うと、シガー・ロスから影響をすごく受けたとお聞きしていますが、そこには自然の厳しさに対する敬意みたいなものが表現されていると思うんです。シガー・ロスからはどのような影響が大きいですか?

アウスゲイル:たしかに自然に対しての考え方での彼らからの影響はあるんだろうなあ。僕の場合も、曲によってそういうテーマが出ている気がするね。とくに、アイスランドの自然の厳しさだね。その厳しさはアイスランドの自然の個性なんだよ。これは国外からよく指摘されることなんだけれど、アイスランドの音楽に共通する要素として自然そのものを表現するサウンドがあるよね。僕の音楽にもそういう要素があると思う。でもそれは、敢えて出そうとして出しているものではないんだよ。

あともうひとつ、僕がアウスゲイルの音楽に対して思うのは、生活と音楽がすごく近い感じがするんですよね。たとえば日本だと、何かあるとすぐ音楽みたいなことにあまりならないんですけど、アイスランドではひとが集まったらすぐ音楽が鳴っているようなイメージがあって。

アウスゲイル:ああ、そうだね。ほかの多くの国とは違って、楽器をやるひとがとにかく多いんだよ。僕も海外を回って知ったんだけど。学校でも音楽の授業があるし、みんなどこかの段階で楽器に触れるんだよ。30万人ぐらいしかいない国ってことを考えるとバンドの数は相当だし、しかもその多くが海外で成功してる。これはすごいことだな、と。僕の家族も、僕の姉もバイオリンをやっていて、母親もオルガンを弾いたりクワイアをやったり、父親がアコーディオンをやっていたり……僕はギターとドラムをやってるし、兄は何でも演奏する。だからうちには早くから楽器で溢れていたし、僕も6、7歳でギターに触れて、両親はどんどんやれって言ってくれたしね。クラシックから入って、しだいにそれはやりたいものではなくなったから19歳ぐらいで転向したけど、それがいい基礎にはなっていると思う。たしかにアイスランドにはそういう傾向があるね。

漠然としたイメージですけど、ホームパーティなんかで何人か集まったら演奏しようぜ、っていう感じというか。

アウスゲイル:ああ(笑)。僕はすごく小さい町で育ったんだけど、子どもの頃から音楽好きの仲間っていうのは何人かいて。そいつらと放課後、誰かの家のガラージで音出してってことをしょっちゅうやってた。ただ、家族ではそんなにやっていなくて……母親がクラシックのひとだったんで、譜面を読んできちんとっていうのに対して、僕はインプロで作っていくのが好きだったからね。父親もやっぱり譜面派だったから、うちのなかでいっしょに演奏するということはあまりなくて。兄がたまに実家に帰ってくるとギターを教えてくれたり、それぐらいかなあ。

なるほど。でも、お友だちとガレージで演奏するっていうのもすごく素敵ですよね。

アウスゲイル:たしかに(東京のように)こんなに大都会だと難しいだろうね。僕の場合は、4つか5つそんな場所が確保してあって、いつでも演奏していい、そんな感じだったよ(笑)。

羨ましいですねー。では、日本限定リリースの7インチ・シングル「ホェア・イズ・マイ・マインド?」の話なのですが(『アフターグロウ』国内盤のボーナス・トラックとして収録)。これまでライヴでニルヴァーナの曲をカヴァーしていたこともありましたが、今回はピクシーズのカヴァーですよね。あなたの音楽からするとちょっと意外な気もするんですけど、そもそも1990年前後のアメリカのオルタナティヴ・ロックからの影響ってけっこう大きいんでしょうか?

アウスゲイル:ああ、確実にそうだね。ものにもよるけど、幼いときは当時の音楽が好きだったよ。ニルヴァーナは、彼らを通じてああいう音楽を知ったというのが大きいね。ピクシーズのカヴァーに関しては、カヴァーをやることは決めてたんだけど、何をやるかってなったときにレコードをひっくり返してたら彼らのアルバムが出てきて、すぐにイメージが浮かんだんだ。その通りにピアノのパートを弾いてみたらいい感じに行けそうで、そのままトントン拍子で全体像が見えてきて、あっという間に完成したよ。で、いい感じのカヴァーができたから、7インチを出してみようとなったんだ。

なるほど。ただ、そのピクシーズの“ホェア・イズ・マイ・マインド?”もサウンドはロックではなくて、たとえばジェイムス・ブレイクみたいな実験的なR&Bに近いものになっています。そういったいまのR&Bやヒップホップも、サウンド・プロダクションの面で意識されているんでしょう。

アウスゲイル:ああ。そこは自分でもすごく意識してたと思う。今回はヴォーカルにオートチューンをはじめて使ったし、ビートもすごくルーズに、R&B風にした。ドラムの音の数も少ないし、ピアノもレイドバックしていて、あとはベースとギターが少しだけ。すごくスロウだし、スペースを生かしたんだ。こういうサウンドだと、ミックスしたときに分かるんだけどすべての音がちゃんと聞こえるんだよね。それだけがあればよくて、そういうシンプルなサウンドだと手拍子ひとつでもリヴァーブを効かせればバッと広がりが出るんだ。その広がりが出ればよくて、ミックスのときにトラックが50もあったらゴチャゴチャして何も聞こえなくなっちゃうから、それだけは避けたかった。この曲に関しては、全体像が見えた上でスタジオに入れたから時間もかからなかったしね。思った通りの仕上がりだったからすごく嬉しかったよ。

そういったサウンド面での挑戦が、完成目前だというセカンド・アルバムにも繋がっていくと思うんですが――

アウスゲイル:いや、じつはそうとも言えなくて。たとえば7インチのもう1曲の“トラスト”なんかはR&Bテイストとは全然違うし、アルバムも曲によってサウンドはバラバラになっているよね。そういう意味ではアルバムの参考になる7インチだと思う。

アルバムのテーマやモチーフは見えていたんですか?

アウスゲイル:コンセプトやテーマはとくになかったんだ。強いて言うならば……自分探し、かな。一生懸命自分を見つけようとする僕がそこにいるんだ。使っている「絵の具」自体は前回と同じだと思う。つまり、アコースティックとエレクトロニックなんだけど。そしてメロディに焦点を絞っていて、とりわけ進歩的なことをしようとしているわけではないんだ。とくに曲作りに関しては感覚的には前作から続いている。ただ、できた曲に施したサウンドは前作よりもドラマティックになっている部分はあるかな。

いまの時点ではアルバムから5曲聴かせていただいたんですが、まさにいまおっしゃたように、アコースティックとエレクトロニックのサウンドでの融合をさらに洗練されていますよね。なかでもダンス・ミュージックの要素が入っているのは新基軸かなと思ったのですが、もともとダンス・ミュージックを好んでお聴きになっていたんですか?

アウスゲイル:いいや(笑)。

(笑)ただ、“アイ・ノウ・ユー・ノウ”なんかは、ダンス・ミュージック的ですよね。

アウスゲイル:どうやって作ったんだっけ……思い出してみるよ。……そう、自分で作ったサンプル・ヴォイスから広がっていった曲なんだ。前半はゆったりと、どちらかと言えばオーガニックに盛り上がっていく曲なんだけれど、中盤で別の曲かっていうぐらいの展開になる。でもじつはコード進行は同じなんだ。そのまま違うチャプターに進化していく構成になってるんだ。そのせいもあって曲の色合いがかなり変わっていくから、かなりクレイジーな感触を受けるかもしれないね。で、最初に使ったサンプル・ヴォイスを最終的にはシンセサイザーにかけて、それで違う響きを作って、違う次元に持っていったっていうのかな。オーガニックな感触の、変わったダンス・チューンに仕上がったと思うよ。

なるほど、すごくよくわかりました。では時間なので最後の質問なのですが、アウスゲイルの音楽には悲しさや切なさがありながらも、最終的にはホープフルな感覚が満ちていくように感じられます。ご自身では、どうしてそのようなムードになるのだと思われますか?

アウスゲイル:うん、昔から感じてきたインスピレーションから来るものなんだと思う。17歳くらいから僕はずっと曲を書き続けているんだけど、ずっと同じ書き方をしているんだ。なぜと訊かれて正確に答えるのは難しいけれど、いまはこれが僕の曲作りのスタイルなんだと思うし、自分が心地いいと思うやり方に純粋に従っているんだよ。僕という人間の一部分が音楽を通じてたしかに出てきているんだ。

Run The Jewels - ele-king

エル・Pは「黒さ」という価値観に従属しないところが際立っていたというか、音もサンプリングの仕方が独特でプログレを彷彿とさせるサウンドが生まれたり、トレント・レズナーやマーズ・ヴォルタとも共演したりとロック寄りでもある。 (吉田)

黒いグルーヴじゃなくて、インダストリアルとして表出したのが、エル・Pとカンパニー・フロウの特異性だったんですよね。(二木)


Run The Jewels
Run The Jewels 3

Run The Jewels Inc. / Traffic

Hip Hop

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前作がさまざまなメディアで年間ベストに選ばれたヒップホップ・デュオ、ラン・ザ・ジュエルズ。かれらがついに3枚めのアルバムを発表しました。ポリティカルなメッセージを発する一方で、じつはダーティなリリックも満載、そのうえトラックはかなりいびつ。にもかかわらずチャートで1位を獲っちゃうこのふたり組は、いったい何者なんでしょう? いったいRTJの何がそんなにすごいのか? このデュオのことをよく知る吉田雅史と二木信のふたりに、熱く熱く語っていただきました……そう、あまりに熱すぎて長大な対談に仕上がってしまいましたので、前後編に分けてお届けします。まずは前編をご堪能あれ。

二木信(以下、二木):小林くん(編集部)からのメールの中で、「カンパニー・フロウやエル・P、〈ディフィニティヴ・ジャックス〉、ラン・ザ・ジュエルズは欧米の音楽メディアやUSのヘッズには高く評価されているけど、日本ではそこまで評価されていない。その理由とは何か」という問いがありましたよね。でも実は日本のコアなヒップホップ・リスナー、特にヘッズと言われる人たちの間ではカンパニー・フロウとか〈デフ・ジャックス〉、〈ローカス・レコーズ〉って確固たる人気があると思うんですよ。そもそもがインディペンデントでアンダーグラウンドな音楽だから、例えばいまでいえばケンドリック・ラマーとかと比較するとそこまで人気がないように見えるんですけど、日本のアンダーグラウンドのリスナー、ヘッズの間ではカンパニー・フロウ、〈デフ・ジャックス〉、〈ローカス〉の影響はいまだに根強いと思いますね。おそらく小林くんが言いたかったのは、エル・Pのリリシズムや言語表現の文脈が日本の中で理解されて伝わっていないんじゃないのか、ということじゃないですか。そこは僕も非常に興味深い点で、今日は吉田さんにもいろいろ教えてもらいたいなと(笑)。まず、エル・Pのリリシズムは英語がネイティヴの人が聴いたり、読んでも難解な側面があると思います。わかりやすいストーリーテリングではないし、それこそフィリップ・K・ディックとか、トマス・ピンチョン、テリー・ギリアムからの影響を公言するようなラッパーですし、サイエンス・フィクション色が強く、ディストピアめいた世界を描いていたりもする。だからまず、英語がネイティヴではない人間にとってはリリックの難解さは大前提としてありますよね。

吉田雅史(以下、吉田):そうですね。だから先ほど指摘のあったように日本でも受け入れられていたというのは、実はリリック面の特異性が評価されたというより、サウンド面も革新的だったからそこだけでも十分に評価されたということですよね。だけど実際アメリカではサウンド以上に評価されているのは、さっき仰っていたみたいにやっぱりリリックであり、ボキャブラリーであるわけで。カンパニー・フロウの曲で最初に注目を浴びて日本にも入ってきた12インチが「Eight Steps To Perfection」で、そのエル・Pのヴァースは、1979年のSF映画『ブラックホール』に登場する「マクシミリアン」というロボットを冒頭から引用しながら「俺をマクシミリアンと呼んでくれ/狂ったロボットだ/宇宙空間の端っこを彷徨いながら/ブラックホールに飲み込まれるまで/弾丸をばら撒くようにラップする」というラインで始まるんですね。この曲がリリースされた1996年の状況としては、まず数年前の1993年にウータン・クランのファースト・アルバムがリリースされて、ある種サブカル的なものを取り入れたと。

二木:カンフーとかね。

吉田:そうですね。ウータンはそのことによって、新しいボキャブラリーを持った奴らが出てきたというふうに思われたところがあった。エル・Pはその前例を経た上で、サイファイ的なボキャブラリーや世界観を取り入れる形で、ヒップホップにサブカルを持ち込んだということですね。たとえばギャングスタとかストリートといったそれまでの価値観とは全然違う抽象的かつサブカルを引用したスキルフルなラップで、しかもあのサウンドという。

二木:ドロドロ・サウンド。

吉田:そうそう。で、当時のニューヨークで現場を見ていた人間から話を聞くと、本当にカンパニー・フロウ以前と以後で世界が変わったような感じで、ものすごく衝撃的だったと。何を言っているかよく分からない抽象的で難解なライムだけど、やたら攻撃的で、しかもフィリップ・K・ディックの世界を参照するようなSFフレイヴァーも入ったリリックをスピットする白人ラッパーが現れた衝撃ですよね。ブラック・ミュージックの系譜でSF的と言うと、連想されるのはいわゆるアフロ・フューチャリズム的な想像力や、サミュエル・R・ディレイニーのような作家だったりすると思うんです。一方でエル・Pは「黒さ」という価値観に従属しないところが際立っていたというか、音もサンプリングの仕方が独特でプログレを彷彿とさせるサウンドが生まれたり、トレント・レズナーやマーズ・ヴォルタとも共演したりとロック寄りでもある。RTJ(ラン・ザ・ジュエルズ)の音もブラック・ミュージックというよりもダンス・ミュージック、クラブ・ミュージックの系譜ですよね。日本でもヒップホップと言ったときに、非ブラック・ミュージック的なダンサブルなサウンドにラップが組み合わさるものは珍しいと思うんです。共演もしているダニー・ブラウンの異質さなんかもそういう意味では近いのかもしれないですけど(笑)、だからRTJも、いわゆるヒップホップ・ファンというより、ダンス・ミュージックの系譜としてマニアックな層に聴かれることが多いのかなという気もします。

RTJはポリティカルだから知的と捉えられる向きがあって、もちろんそれは間違いじゃないんですけど、エル・Pの知性に関していえば、言葉にしても音にしても文脈を理解した上で意味をいかに組み替えていくかという発想力にあると思う。(二木)

二木:だから、カンパニー・フロウが『Funcrusher』(1996年)や『Funcrusher Plus』(1997年)をリリースして登場したとき、日本のコアなヒップホップ・リスナーに大きな戸惑いを与えつつ、そのいびつなサウンドがかなり求心力を持ちましたね。というのも、当時はパフ・ダディによるヒップホップのビッグ・ビジネス化や、ティンバランドのいわゆるチキチキ・ビートが席巻しはじめた時代で、そういう流れやサウンドに乗れないヘッズたちが彼らに可能性を感じてのめり込んでいったのはあると思う。ただ、いまあらためて『Funcrusher』や『Funcrusher Plus』を聴き直して印象的だったのは、エル・Pのビートはサンプリング・ヒップホップに忠実だったんだなということでしたね。

吉田:そうですよね、あくまでもブレイクビーツの打ち換えとネタのオーソドックスなスタイルで。時代背景的にもニューヨークではサンプリング・ベースのビートが主流で、まだシンセ・サウンドを足すようなケースはあまり見られなかった時期ですしね。

二木:例えばDJプレミアのフリップへのリスペクトを感じるし、その手法をいかに自分なりに解釈して表現するかという挑戦をしているように思いましたね。それが結果として、黒いグルーヴじゃなくて、インダストリアルとして表出したのが、エル・Pとカンパニー・フロウの特異性だったんですよね。エル・Pはブルックリン生まれですが、彼はセント・アンズ・スクール(Saint Ann's School)という芸術系のプライヴェート・スクールに通っていた経験があるんですよね。バスキアとか、ビースティ・ボーイズのマイク・D とかも通っていた学校らしいんです。元々そういった芸術志向があって、ヒップホップというアートフォームの中で言葉と音でどこまで、何を表現できるかを模索していたように思いますね。

吉田:そうですね。カンパニー・フロウの2枚目の『Little Johnny From The Hospitul: Breaks & Instrumentals Vol.1』はインスト・アルバムじゃないですか。エル・Pは元々少年時代にラップをしたかったからビートメイクを始めたと言っていますが、インスト・アルバムをリリースするくらいにビート・メイカーとしての自意識もかなり強いわけですよね。先ほども言ったようにサンプリング・ビートの時代だった当時、カンパニー・フロウの頃はエンソニックのEPS16+というサンプラーをメインに、サンプリングのアートを追求していた。当時、例えばDJプレミアとか、ATCQ(ア・トライブ・コールド・クエスト)とかがやろうとしていたことって、複数のレコードからネタを持ってきて、それらを重ねてもキーやリズムがうまくあってハーモニーやグルーヴが生まれるという、どちらかと言うと調和に重きが置かれていたわけですよね。この曲のこの部分と、また別の曲のこの部分がこんなにうまく融合するぞ、みたいなことじゃないですか。

二木:まさにトライブの『The Low End Theory』(1991年)ですよね。

吉田:そうそう。ATCQの最初の3枚は、それを体現してますよね。

二木:あの作品のエンジニアであるボブ・パワーは「ヒップホップ版の『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』だ」とも言っていますね。

吉田:そうですよね。エル・Pはそれに対してある種逆をやろうとしたというか。いびつさの美学とも言うべき、調和の対極を目指したところがあったと思うんです。昔ミスター・レンやビッグ・ジャスがインタヴューで言っていたのは、デモ段階ではクソみたいなビートらしくて(笑)。聴けたもんじゃないみたいな。それが最終的に仕上げる段階で素晴らしいものに生まれ変わるらしいんですよね。要するにデモの段階での制作プロセスは、ゴミクズを集めて何か造形できないか、みたいなことを彼はやっているイメージですよね。だからサンプリング・ネタも明らかにグルーヴがあって音楽的な旋律を成しているようなものではないという。本人もいわゆるネタの掘り師というわけではないと言っていますが、どこにでもある価値のないレコードのネタを生まれ変わらせる錬金術に長けているというか。“Population Control”とか“The Fire In Which You Burn”のように、旋律のないノイズっぽいネタに、ドラムの打ち方も変則的でヨレたビートというか、クオンタイズせずにグリッドに合ってないんだけど、それを当時積極的にやっていたのはRZAとかエル・Pくらいでしたよね。

二木:たしかに。

吉田:それをどこまでずらしたらイケるかとか、ハットを打たないで変則的にやってみるとか、エル・Pはビートメイクは「実験」だし、1曲完成までに5回も6回もやり直すと言っていますが、カンパニー・フロウの初期の方が、権威のない素材からいびつなビートを造形するという、直接的にアートっぽい作り方をしている気はしますよね。

二木:聴いている側に驚きを与えようというか、そういう意図はかなりあったと思う。エル・Pのインタヴューで「El-P’s 10 Favorite Sample Flips」って記事があって。読まれました?

吉田:はいはい、ありましたね。

二木:これがすごく面白くて、その『エゴトリップランド』の記事を『探究HIP HOP』というブログをやっているGen(ocide)AKtion(@Genaktion)さんが日本語に訳していて。この記事を訳していることが本当に素晴らしいんですけど。この中でエル・PはDJプレミアが手がけたジェル・ザ・ダマジャの“Come Clean”や、ラン・DMCの“Peter Piper”とか、エド・OG・アンド・ダ・ブルドッグスの“I Got To Have It”とか、マーリー・マールがアン・ヴォーグの“Hold On”をサンプリングしたLL・クール・Jの“The Boomin' System”とかを挙げて、サンプリングの真髄について熱く語っていくんです。Gen(ocide)AKtionさんの訳をそのまま引用させてもらうと、エル・Pはサンプリングに関してこんなことを言っているんです。「サンプリングというモノの大きな役割は、人々の予想を裏切る所にあるんじゃないかと思うんだ。知的に物事を変化させるって事さ。使うべきだとは思えないモノを使用し、いざそのサンプルを使った時に皆が他の曲を加えたがる場合は、敢えてそのやり方に背く事でね」。まさに「ゴミクズ」を集めて新たなものを生み出すサンプリングの発想ですよね。“Peter Piper”はボブ・ジェームスの“Take Me to the Mardi Gras”をサンプリングしているんですけど、ここでエル・Pはリック・ルーヴィンが“Peter Piper”を作った偉業を知るためには“Take Me to the Mardi Gras”の一部のブレイク以外がどれだけダサいかを知らなければいけないとも語っているんですよ。RTJはポリティカルだから知的と捉えられる向きがあって、もちろんそれは間違いじゃないんですけど、エル・Pの知性に関していえば、言葉にしても音にしても文脈を理解した上で意味をいかに組み替えていくかという発想力にあると思うんです。吉田さんが磯部(涼)さんと大和田(俊之)さんと作った本(『ラップは何を映しているのか――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで』)の中でエル・Pについて語っていましたけど、彼はフリー・スタイルで出てきたリリックを並べ替えたりしてヴァースを作ったりもするそうですよね。

吉田:そうそう。あれもカット・アップの手法ですよね。

二木:そう、彼はカット・アップの手法にすごく忠実にやっているというのがすごく面白いところで。

吉田:だからそういう意味ではウィリアム・バロウズなんかも好きかもしれない(笑)。

二木:そうですよね。

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キラー・マイクとエル・Pのコンビは、ポリティカル・ラップとコンシャス・ラップみたいな捉え方もできると思うし、具象と抽象とも言えるし、だからこそ対照的なふたりのコンビネーションというのが光っている。 (吉田)

吉田:好きそうだなあ(笑)。で、いま仰ったようにポリティカル対コンシャスということについても話したいんですけど、直接的に政治的なメッセージをラップするポリティカル・ラップに対して、コンシャス・ラップの中には寓話的な語りで現代社会の有り様を考えさせるようなスタイルがあると思っているんですが、エル・Pにも後者の寓話タイプの特性があると思うんですよね。1曲丸ごと物語調という曲はあまりないけれど、マイク・ラッドの“Bladerunners”で「俺は見たんだ/奴隷船がオリオン座の沿岸で火を吹く姿を」とか“Krazy Kings Too”で「錬金術/アートでお前の苦痛を癒せ/そのやり方を学ぶことだ」とか、ヴァースの最後のラインでストーリーをまとめる力も光っていて。彼はいわゆるコンシャス・ラッパーには分類されないけれど、SFマナーのディストピア的な世界観がインストールされているから、それらを描くことで逆にいまの世界の問題に光を当てている。それは近未来の人間社会を映すタイプのコンシャスなSFの書き方そのものでもあると思うんですが。でも彼自身『Fantastic Damage』をリリースしたときに自分はSFのつもりでは書いていない、現実を書いているだけだと言ってもいるんですけどね。9.11以降の世界では、現実が十分に終末論的だと。だからキラー・マイクとエル・Pのコンビは、ポリティカル・ラップとコンシャス・ラップみたいな捉え方もできると思うし、具象と抽象とも言えるし、だからこそ対照的なふたりのコンビネーションというのが光っている。まあ、僕はどうしてもエル・Pの話の方に力が入ってしまうところがありますが……(笑)。

二木:やっぱりエル・Pのほうが好きですか?

吉田:いや、実際持っている資質が違うので簡単に比べられないと思うんですけどね。やはりカンパニー・フロウの衝撃が大きい世代なので。一方のキラー・マイクは最早ブラック・コミュニティのご意見番のような感じになっていますよね。

二木:いまやそうですよね。

吉田:で、バーニー・サンダース支援についても、ラッパーであそこまで堂々と長々と本人とも対談していて、しかもコメントもすごく的を射ている。コミュニティからの信頼感もすごくある。で、なんでそういうふうに信頼される存在になったのかというと、エル・Pもインタヴューで言っているんですけど、ふたりは一見ポリティカルなメッセージを発信したり、シリアスな曲もあるんだけれど、一方で下品なジョークやFワードも連発するという(笑)。要するに二面性があるわけです。

二木:いや、これねえ、ライムは本当にダーティ(笑)! キラー・マイクは床屋でバーニー・サンダースにインタヴューしていましたよね。バーニー・サンダースが大統領候補として民主党から出馬しているときに黒人からの支持があまりないとも言われていて、キラー・マイクは床屋と言えばブラック・ピープルが集う場所だからと、そういう設定もすごく考えて、床屋でバーニー・サンダースにインタヴューするということをやったと思うんです。で、キラー・マイクってある種原則的な左派なんですよ。というのも、彼はあるインタヴューでプロレタリアートという単語を使っていました。いわゆるコンシャス・ラッパーと言われる人でもなかなかプロレタリアートという言葉までは使わないと思うんですよ。そういうのもあって明確な理念や理想があって活動しているアクティヴィストだと思いました。彼の話を聞いていると、自由や平等、社会的な公平性の重要さを真摯に説いたり、例えば家を出て玄関の前に穴が開いていたらちゃんと行政に言おうとか、コミュニティに根差した模範的なアクティヴィスト然としているんですよ。なのに、それとは対照的にリリックのほうはびっくりするくらいダーティで(笑)。もちろんドラッグやマリファナのライムも多い。

吉田:そう(笑)。一方のエル・Pもサイファイ好きでサブカル・ラップみたいなものを代表していて、それでナードだったり文学的だったりするのかというと、そんなことはなくて結局マッチョなんですよね。要するにボースティングするとかヒップホップ的であることは全く捨てずにそれをやっているから、そこが文系みたいな感じでもないじゃないですか。

二木:ないですね。

吉田:で、キラー・マイクも、俺はパブリック・エネミーが好きだけどトゥー・ライヴ・クルーも好きだし、ふだん奥さんとストリップ・バーに行ったりしてるし、そういうダーティな自分とポリティカルな自分と両方あるから、その両方を見せないとある意味信頼も勝ちえられないと思っていると。だから俺は全部見せるんだと言っていて。それでエル・Pはすごくシニカルな人でもあるけれど、「そんな正しいことばかりできるわけじゃないんだから、俺はバカなことや間違ったことも言うし、そういうところを持っているのが人間だろ」とふたりとも別々のインタヴューで言っていて。だから、彼らはポリティカルなメッセージを発信していると見られているけれど、実際にリリックを見ていくと「アレェ?」みたいな(笑)。


ラン・ザ・ジュエルズの場合は、今回のアルバムでダンス・ミュージックに振り切りながら、時代性もありポリティカル/コンシャスなメッセージを今までよりも大幅に投入しているのが面白いと思うんですよね。両方とも減らすんじゃなくて、両方とも増しているという。 (吉田)

二木:今回のアルバムの“Hey Kids”という曲でキラー・マイクが「馬鹿げたライムの野蛮なラップ」と言っていて、これは自分がやっている表現についての説明的なリリックですね。エル・Pも同じ曲で「1/2パウンドのウィードを吸って逃げるのさ」とかライムしているんですが、そうかと思ったら後半のヴァースで「ラン・ザ・ジュエルズがブレグジットの息の根を止めるんだ」というフレーズが飛び出してくる。そういうリリックが混在していますよね。エル・Pが全面的にプロデュースしてキラー・マイクの出世作になった2012年の『R.A.P. Music』に“Big Beast”って曲があるじゃないですか。このPVがだいぶスプラッターですよね(笑)。露悪趣味ともとられかねない。けれども、これはただの露悪趣味ではないと思います。ラン・ザ・ジュエルズがBBCのチャンネル4って番組でインタヴューを受けている動画がYouTubeに上がっているんですが、キラー・マイクは「グラヴィティ(重力)から解放されるために音楽をやっている」というようなことを語るんです。おそらくここで言うグラヴィティってシリアスネスってことだと思うんですけど、これはさっき吉田さんが仰った「ストリップ小屋に行くことも大事なんだ」って話と同じことだと思うんですね。また面白いのが、そのインタヴューでエル・Pがなんだか退屈そうにしているんですよ(笑)。

吉田:ははは(笑)。

二木:その対比がまた良くて(笑)。キラー・マイクが「異なる人種が仲良くして友達になることが、いまのトランプが大統領になった世界に対する対抗策だ」というようなことを真摯に語る一方で、エル・Pのほうはニヒルな笑いを見せたりして、ちょっと達観した主張を語るんです。僕の印象ですけど、エル・Pはどちらかと言えば、皮肉屋でペシミスティックな性格なんじゃないかなと。そういうエル・Pのパーソナリティとディストピアめいたリリシズムは無縁ではないように思います。


吉田:後はユーモアに溢れているというか、さっきの言葉遣いやライミングの仕方もそうだし、たとえばYouTubeに上がっている「NPR Music Tiny Desk Concert」なんかのライヴ映像も、とにかくヒップホップのMCであることを楽しんでいる感じですよね。カンパニー・フロウの時代は、エル・Pもステージ上ではアングラのアイコンとばかりにシリアスに振る舞っていた印象でしたが。それから昨今のポリティカル・ラップの文脈で考えると、ラン・ザ・ジュエルズの、特に今回のアルバムの場合はダンス・ミュージックの上にポリティカルなメッセージというのがポンポンと出てきて、特に後半にかけてシリアスな曲が何曲かあるけど、ビートのグルーヴは最後までキープされてリスナーを引っ張っていきますよね。昔ECDがライヴで反原発の曲なんかをやるときに、クラブに踊りにきたり、現実逃避しにきたりしているお客さんに向かって、そういう現実的で政治的な曲をやることに躊躇もあるってことを言っていたんですよ。ラップに限らず多くのリスナーを相手取る音楽にはそういう側面があって、どうしてもポリティカルなメッセージを発信するときに「僕はそういうのはトゥー・マッチです」というお客さんもいるわけじゃないですか。さらにBLMや大統領選の影響もあって、最近は政治的なメッセージをはっきり持つラップと、そういったものは食傷気味で、ポストテクスト・ラップとも言われるような、サウンドやフレーズ重視のラップに向かう傾向も見えたりすると。つまり意味と無意味、あるいは記号の対立みたいなことにある種なっていますよね。ラップ・ミュージックは、メッセージなんて要らない、ただラップ・ミュージックで踊りたいという欲望に応える。でも、ダンス・ミュージックだからこそ、普通に語られたらトゥー・マッチに思ってしまうメッセージも乗っけられるという側面もあって。ラン・ザ・ジュエルズの場合は、今回のアルバムでダンス・ミュージックに振り切りながら、時代性もありポリティカル/コンシャスなメッセージを今までよりも大幅に投入しているのが面白いと思うんですよね。両方とも減らすんじゃなくて、両方とも増しているという。

※ 後編に続く。

interview with YungGucciMane - ele-king


YungGucciMane
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 YungGucciManeの音楽、そして発言はまた極めて感覚的だ。このインタヴューを読んで興味が湧いたなら、まずはYouTubeにアップされている新作アルバム『JADE』の楽曲をぜひ聴いて頂きたい。KOHHの『YELLOW TAPE3』、そして『Concrete Green13』にその名を見れば、YungGucciManeが一部好事家の支持を集めるのも頷けるのではないか。YungGucciManeが鳴らすのは新しいヒップホップだ。ほとんどYungGucciManeというジャンル、そう言ってもいいほどに日本には類を見ない音楽である。初めてのインタヴューの日(今回は3度目だった)、YungGucciManeに影響を受けた音楽について聞くと、彼はチーフ・キーフとビートルズ、そして久石譲と即答した。これらの音楽の影響が渾然一体となり、YungGucciManeというアウトプットで鳴らされたものが『JADE』だ(『NO PAPERS』『Static』といったこれまでの作品は、主にTRAPのみを取り込んでアウトプットした楽曲だ)。これについては1曲目の“I CAN’T WAIT”、2曲目“Across The Universe”と聴いて、なるほどと頷けるものがあると期待したい。
 初めてのインタヴュー時と同じく、この日も彼のクルーHASA MONEY(ハザ・マネー)のラッパーJUICY Bと一緒に話を聞いた。

僕に対する僕自身のイメージなんですけど、リンだったり……トラップの、なんていうか…ドラッグネタというか、そういう音楽を作るイメージが強いと思ったんですよね。そういうのを作るのもいいんですけど、まぁそれだけじゃないというか。『JADE』に関しては、そういうものを廃除していきたかったんですよ。

アルバム『JADE(ジェイド)』には「JADE」という楽曲が収録されているわけではありません。このタイトルは何を意味しているのですか?

YungGucciMane:JADE(翡翠)という緑色の石があるんですけど、『NO PAPERS』(YungGucciManeの第1作目収録)の「Emerald Splash」から連想していって、このタイトルになりました。

ああ、エメラルドも緑の宝石ですね。では、これもまた曖昧な質問なのですが、そもそも発端となった「エメラルド」はどこから出てきた言葉なんですか? 

YungGucciMane:一番最初に『NO PAPERS』を従兄弟の宮下慎二と一緒に制作している時に、こう…なんですかね……「エメラルドスプラッシュ!」っていう言葉が出てきたんですよ。

JUICY B:ハッハッハ(笑)。

YungGucciMane:そのときの感覚のイメージですね。ああ、エメラルドスプラッシュだわ、いまヤバいわっていう……感じの言葉から生まれてきました。そこからまだ使っているという感じです。

なるほど……。でも『JADE』全体の印象は『NO PAPERS』とはまったく違いますね。

YungGucciMane:これまでの僕のイメージだと……それは僕に対する僕自身のイメージなんですけど、リンだったり……トラップの、なんていうか…ドラッグネタというか、そういう音楽を作るイメージが強いと思ったんですよね。そういうのを作るのもいいんですけど、まぁそれだけじゃないというか。『JADE』に関しては、そういうものを廃除していきたかったんですよ。絵を勉強したりしたこともありますし、もっと自分の内面を出したいと思って作ったアルバムで、だから結構幻想的なアルバムになったのかなとは思います。

『JADE』の制作期間は絵を描いたり、生活そのものがクリエイティブなモードだった感じなんですね。

YungGucciMane:できあがったのは多分、リリース前の3、4か月くらいで、その前は私生活ですごいゴタゴタしたりしていたんですよ。トラブルに巻き込まれたりしたこともあって。それが済んで、芸術と音楽の世界に浸れる期間になって一気に作っていった感じですかね。

いろいろトラブルみたいなことがあった分、かえって高まったんですかね。

YungGucciMane:完全にそうですね。そういうことを全部処理して自由になった後に……

JUICY B:気分的には最高の状態でやっていた感じ?

YungGucciMane:そうそう。でも、そういう期間でも曲はずっと録り続けてましたけどね。ゴタゴタを片付けながら、でも音楽はずっと作っていた。それが完璧になる状態を待って、なった状態でそれまで作っていた曲を完璧に仕上げていった感じですね。

評判や反響はどうですか?

YungGucciMane:iTunesStoreのデータは見てないので詳しいことはわからないんですけど、ただ聴いたと言ってくれる人は結構いて、その人たちの評判はすごい良かったですね。Twitterとかインスタの感触も結構いいですね。いろんな人がいるので全部に対応はできないんですけど、気になった人とはそれで繋がったりもしています。

僕もこのアルバム、すごい好きです。ちなみにどの曲からできたんですか?

YungGucciMane:“Across The Universe”です。それが去年(2016年)の冬ぐらいですね。この曲から発想が広がっていった感じです。

 Across The Universe これは歌い出す壁画
 頭の中に洗濯機 グルグル飾り付ける石器
 “Across The Universe”

『JADE』を出した後に、また『NO PAPERS』みたいなふざけてる、そのまんまの俺を次は出そうかなと思っています。『JADE』で一度内面的なものを出して、次はもろトラップで遊んでいるアルバムを出してやろうかなと。

先ほど内面を出したかったという話や幻想的なアルバムになったという話が出ましたが、こういうリリックは象徴的ですね。

YungGucciMane:ちょっと宇宙の感じというか、瞑想じゃないですけど、サイケデリックに近い感じはしますけどね。音楽を創るときにすごい集中すれば、そういう世界に行けちゃうタイプなんで、そういう感じで作りました。

“アンレムスイミング”もまさにそういう世界観を連想させる曲です。どこかサイケデリックな感覚ですね。

YungGucciMane:これは後半にできた曲です。この曲はダジャレなんですよ。ノンレム睡眠てあるじゃないですか。それだとつまらないので、そこからアンレム睡眠という言葉が思いついて、睡眠をスイミングにしたらどうなのかなと。そのイメージで作った感じですね。ちょっと「エメラルドスプラッシュ」っぽい……自分のなかの言葉が生まれた感じだったんですよね。

造語というんですかね。それをパッと出して使えるというのは、僕が自分の感覚に置き換えて考えるとすごい難しい行為です。でもたしかに“エメラルドスプラッシュ”も“アンレムスイミング”も独特のきらめきや浮遊感を持った言葉で、何か伝わるんですよね。そもそもYungGucciManeさんは人に何かを伝えたいという思いはあるんですか?

YungGucciMane:ありますよ。言葉でというよりは、音楽でという感じですが。

ああ……今回“グリーンエメラルド”という曲もありますが、これにしても言葉というよりは、音楽でエメラルド感は伝わります。

YungGucciMane:そうですね。それに尽きます。エメラルド感ですね。それを出したかった。このアルバムは“Across The Universe”の世界観に始まり“グリーンエメラルド”まで繋がっていった感じです。

アルバムを通して伝えたかったことみたいなのはあるんですか?

YungGucciMane:『NO PAPERS』の時は絶対これがあったほうがいいって感じで出して、『JADE』はこういうのがあってもいいんじゃないかっていう感覚ですかね。

それはあえて言えば、“どこ”に“それ”があったほうがいい、あってもいいということなんですか?

YungGucciMane:それはもう全体ですね。

全体というのは世界の音楽シーンにということですか?

YungGucciMane:そうですね……って感じで思ってました。世界的に見てもこういうヒップホップがあってもいいんじゃないかっていうことですね。『NO PAPERS』みたいな世界観を壊したかったというのもありますね。さっきも話しましたけど『JADE』の制作は絵やアートに目覚めていた時期でもあったので、そういう世界観のなかで録った。これはコンセプトを作ったタイプのアルバムだったと思います。

ここまでお話を伺うと「内面的」「瞑想」みたいな単語からシリアスな作品と誤解されそうですが、そういうわけではないですよね。本当に、もっといままでどこにもなかった音楽という強さがあるというか。とくに“ナッシング”という曲がそれを象徴していると思っているのですが、この曲の客演のフィーメルラッパー、ド着☆幽霊テレサのバースがまた凄まじくて。この名前も凄まじいのですが(笑)。

YungGucciMane:(ド着☆幽霊テレサの客演は)単純にあのラップはかっこいいから入れたんですけど、ちょうどいいバランスで入れられたかなとは思ってるんですよね。超イケてるんですよ。ラップがいかれてるんで。いきなり「やる」と言いはじめて、「いいよ、やりなよ」と言って。最初は俺にかぶせてくるのかなと思ったんですよ。フロウだったり。そうしたら全然関係ないことをラップしはじめて、そこがめっちゃ面白くて。なんだこいつ、クソ関係ねぇこと歌いはじめたと思って(笑)。そこが最高でしたね。あれはマジで最高だった。ぶっ潰されたなぁみたいな。

JUICY B:(笑)。

(笑)。YungGucciManeさんからのディレクションは一切なかったんですか?

YungGucciMane:いきなりっすよ。ハンパないですよね。

ハンパないですね。ハンパないといえば、このアルバムのジャケットがまた……イケていて……。超かっこいいですね。

YungGucciMane:あれはすごい気に入ったアーティストの人がいて、その人の作品を使わせてもらったんですよ。ツイッターで知り合ったんですけど、美大生の女の人の作品なんです。僕の音楽を聴いてくれていて、仲良くなって使わせて欲しいとお願いしたらぜひ使ってくれと言ってくれて。あの作品に惚れちゃったんですよね。この作品は実物があるんですけど、それを撮った写真がこれなんです。

JUICY B:マジで? なるほどね。加工しているのかと思ってたわ。マジでヤバイね。

そのアーティストのお名前を伺ってもいいですか?

YungGucciMane:マザーファッ子さんですね。ツイッターでもマザーファッ子で出てます。

JUICY B:名前がウケるね。ははは(笑)。

こちらもすごい名前ですね(笑)。これはマスターピースだと思いました。もうひとつ、『JADE』の制作中にCherry Brownさんとのシングル『新世界』をリリースしています。こちらの動きはどうなっているんですか?

YungGucciMane:チェリー君とはまだアルバムの制作が続いてます。そっちは作りたいように作って、かっこいい曲を入れてこうって感じです。最近、新しいのを送ってくれて、それでデモで乗っけたりしたのが何曲かありますね。もう結構できてます。

JUICY B:(できてるのは)全部かっこいいよね。

そういった楽曲を作りつつ『JADE』を作っていたということですよね。ふたつの作品に相互の影響や関係はありますか?

YungGucciMane:チェリー君とやるときも、普通に俺の世界は俺の世界、チェリー君にはチェリー君の世界があるので、それを合わせればいい。だからあんまり切り替えはしないですね。俺が中心になってチェリー君がそれに付け足してくれるパターンとチェリー君が中心になって俺がそれに付け足すパターンがあって、お互いの世界を侵し合わない。そういう感覚のノリを保って作り続けている感じです。

『新世界』も広く聴いて欲しい曲ですし、こちらのアルバム完成も楽しみです。では、最後にYungGucciManeさんの今後の動きや展開があれば教えて下さい。

YungGucciMane:『JADE』を出した後に、また『NO PAPERS』みたいなふざけてる、そのまんまの俺を次は出そうかなと思っています。『JADE』で一度内面的なものを出して、次はもろトラップで遊んでいるアルバムを出してやろうかなと。いまドープ目なトラップを録りためているので、そこら辺を次は出そうかなと思っています。

ありがとうございました!

 インタヴュー中にはCHIEF KEEF、YOUNG THUG、Migos、J $tashの曲が鳴り響き、筆者が訊くとYungGucciManeがそれぞれの音楽が持つ魅力についてレクチャーしてくれる(大抵、それは「ノリ」という言葉で説明される。例えば「YOUNG THUGはクソオリジナルなノリが好きなんです。Lil’ Wayneからつながっているけど、完全にオリジナルなノリにしてる」「Migosはノリが好きですね。合いの手的な感じの独特なノリが……」など)。その合間合間に、ロヒプノールは、ベンザリンは、ザナックス(ソラナックス)は、ドグマチールは……というレクチャーまで挟み込まれ……。
 やがて最近外国から送ってきたというビートを鳴らしながらYungGucciManeとJUICY Bはレコーディングを始める。ふたりとも相変わらずリリックは一切書かない。

『NO PAPERS』 

「Across The Universe」

「ナッシング」

CLAP! CLAP! - ele-king

 クラップ!クラップ!といえばリズム、リズムといえばクラップ!クラップ!です。これまでリリースされた2枚のアルバムは、いずれも魅惑的なリズムを聴かせる伝統的かつコンテンポラリなダンス・ミュージックでした。そりゃあポール・サイモンも魅了されるわけです。そんなクラップ!クラップ!が5月20日に来日公演を開催します。しかも今回のライヴは、ドラム2台を従えてのバンド・セットになるそうです。あの個性的なサウンドがいったいどう再現されるのやら、いまから気になってしかたがありません。きっと深夜帰りの病んだ気持ちに優しく作用することでしょう!

[5/19追記]最終ラインナップが決定しました。食品まつり a.k.a foodman、JUN KAMODA、1-DRINK、RLPが参加します!

祝! CLAP! CLAP! バンド・セットによる来日公演決定!

ビート・ミュージック~ベース・ミュージック・リスナーから辺境~民族音楽ファンやサイケ系インディ・ロック・ファンまで巻き込んで話題騒然となった大ヒット・ファースト・アルバム『TAYI BEBBA』に続く全世界待望のアルバム『A THOUSAND SKIES』を携えて CLAP! CLAP! の再来日公演が決定! しかも、今回はツイン・ドラムを配したバンド・セットでのライヴを本邦初披露! CLAP! CLAP! 衝撃のサウンドをライヴでご堪能あれ! さらに一筋縄ではいかぬメンツのブッキングが進行中、さらなる詳細は近日発表! 密林のごとき熱量マックス、そしてその物語は宇宙へと飛躍する前代未聞のパーティになること必至、乞うご期待!

*既に発表されております同日(5.20 sat)THE STAR FESTIVAL @スチールの森・京都はソロ・セットでの出演となります。バンド・セットは東京公演のみとなります。

[5/19追記]追加ライヴ・アクトとして、USツアーを目前に控えたジューク/フットワーク・プロデューサー、食品まつり a.k.a Foodman が決定。パーティを司るDJ陣は、CLAP! CLAP! のシングル「Hope feaat. OY」のリミックスを手掛けた ILLREME こと JUN KAMODA、テクノからビート~ベース・ミュージックまでボーダーレスな現場最前線でのパーティー・メイキングに絶対的信頼の 1-DRINK、海外ビート・シーンからも厚い信頼を得ている次世代ビート・サエンティスト RLP の参戦が決定!
過去2回の来日公演を確実に凌駕するであろう熱量マックスの密林グルーヴでオーディエンスを宇宙まで昇天させてくれることでしょう!

UBIK version
5.20 sat @東京 代官山 UNIT
Live: CLAP! CLAP! (Band Set), 食品まつり a.k.a foodman [5/19追記]
DJ: JUN KAMODA, 1-DRINK, RLP [5/19追記]

Open/ Start 24:00-
¥3,000 (Advance), ¥3,500 (w/ Flyer, Under 25), ¥4,000 (Door)
Information 03-5459-8630 (UNIT)
www.unit-tokyo.com

Ticket Outlets: PIA (330-316), LAWSON (72575), e+ (eplus.jp), diskunion CLUB MUSIC SHOP (渋谷, 新宿, 下北沢), diskunion 吉祥寺, TECHNIQUE, JET SET TOKYO, clubberia, RA Japan, UNIT

CLAP! CLAP! (Black Acre, IT)
CLAP! CLAP! は、ディジ・ガレッシオや L/S/D など多数の名義で活躍するイタリア人プロデューサー、クリスティアーノ・クリッシがアフリカ大陸の民族音楽への探究とサンプリングに主眼を置いてスタートさせたプロジェクトである。様々な古いサンプリング・ソースを自在に融合して、それらを極めてパーカッシヴに鳴らすことによって実に個性的なサウンドを確立している。彼は伝統的なアフリカのリズムをドラムマシーンやシンセといった現代の手法を通じて再生することにおいて類稀なる才能を持っており、その音楽体験におけるキーワードは「フューチャー・ルーツ/フューチャー・リズム」。CLAP! CLAP! の使命は、トライバルな熱気と躍動感に満ちていながらも、伝統的サウンドの優美さと本質を決して失わないダンス・ミュージックを提示することである。2014年にリリースされ翌年CD化されたファースト・アルバム『TAYI BEBBA』は、ビート・ミュージック~ベース・ミュージック・リスナーから辺境~民族音楽ファンやサイケ系インディ・ロック・ファンまで巻き込んで大ヒットを記録中、その勢いをさらに加速させる日本独自企画アルバム『TALES FROM THE RAINSTICK』を2016年5月にリリースした。さらにはポール・サイモンの最新アルバム『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』にも参加、注目を集めてきた。そして、CLAP! CLAP! 全世界待望の新作『A THOUSAND SKIES』は、2017年2月にリリースされたばかりである。

[リリース情報]

CLAP! CLAP! "A Thousand Skies"
クラップ!クラップ!『ア・サウザンド・スカイズ』
in stores now
PCD-93997
★日本独自CD化
★アーティスト本人によるストーリー仕立ての全曲解説&対訳を封入
https://p-vine.jp/music/pcd-93997


interview with Purity Ring - ele-king


Purity Ring
Another Eternity

4AD

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 楽器やエレクトロニクス担当のコリン・ロディックとヴォーカル担当のミーガン・ジェイムズからなるデュオ、ピュリティ・リングは、カナダのハリファックス/モントリオールを拠点に活動する……と思っていたのだけれど、LAへと拠点を移してからもう随分と経っていたようである。2011年にインターネット上に発表した音源が注目を集め、〈4AD〉との契約をつかみととり、2012年にファースト・アルバム『Shrines』を、2015年にセカンド・アルバム『Another Eternity』をリリース。他方でダニー・ブラウンのアルバムに参加したりソウルジャ・ボーイをカヴァーしたりチャンス・ザ・ラッパーをプロデュースしたり、はたまたジョン・ホプキンスと共演したりレディー・ガガをリミックスしたりと、精力的に横断的な活動を続けてきたピュリティ・リングだが、ここ最近はツアーに明け暮れていたそうだ。そのツアーの一環なのか、ちょうど3月に来日したかれらに運良く取材する機会に恵まれた。かれらはいま何を考えているのか。次のアルバムはどういう内容になるのか。以下よりお楽しみください。

ピュリティ・リングの音楽は、「ハッピー・アクシデント」で、本当に良い偶然でこういう音楽になったんだ。

前作『Another Eternity』が出てからしばらく時間が経ちますが、この間、何をされていたのですか?

ミーガン・ジェイムズ(Megan James、ヴォーカル。以下、MJ):ほぼツアーをしていたね。もうずっとツアー。その間に曲を書けたらと思うんだけど、まだやり方がよくわかってなくて。とにかくツアーで忙しくて書けなかった。

コリン・ロディック(Corin Roddick、楽器担当。以下、CR):でも少しは曲を書いているよ。アルバムをリリースできるまでには至っていないけどね。これからアルバムの制作に入ろうかなと思っている。

いま模索している方向性みたいなものはぼんやりとあるのでしょうか?

CR:いろんなことをいま実験している最中だね。どんな可能性があるかっていうのを見ているところ。過去のサウンドが進化したものになることは間違いないけど、まだ明確に「この方向性」っていうのは決まってないな。いろいろと試している過程が、自分たちにとってはいちばんおもしろいので、それを楽しんでいるところだね。

ピュリティ・リングの音楽は一言で言うと、ヒップホップやエレクトロのビートとシンセ・ポップの両立だと思うんですが、そもそもピュリティ・リングはどういうふうにはじまったのでしょう?

MJ:(最初はいまと)全然違った。ふたりともまったく違ったね。彼(コリン)の方はエレクトロをやっていたんだけど、じつはドラマーで、私の方はシンガーソングライターっぽい音楽をピアノで作っていた。一緒になって音楽を書き始めるようになってから、自然とこういう音楽になっていったんだ。

CR:できあがったピュリティ・リングの音楽は、「ハッピー・アクシデント」で、本当に良い偶然でこういう音楽になったんだ。最初にビートを書いたときも、以前僕がやっていたバンドや音楽ではこういう(ピュリティ・リングのような)ビートの作り方はしたことがなかった。僕はパンク・バンドにいた経験もあったし、ふたりともまったく違うところから来ていて、一緒になったことでどんどんいまのサウンドが確立されていったんだ。

ここ何年かのピュリティ・リングは、ダニー・ブラウンのアルバムに参加したりソウルジャ・ボーイをカヴァーしたりチャンス・ザ・ラッパーをプロデュースしたりと、ヒップホップのアーティストとの絡みが目立ちます。おふたりはもともと、それぞれシンガーソングライター的な音楽をやったりパンク・バンドにいたりしたとのことですが、その頃からヒップホップへの関心は高かったんでしょうか?

CR:ヒップホップの大ファンだったよ。小学校の頃からエミネムを聴いていたんだ(笑)。ドクター・ドレとか。その頃からずっとハマっているね。

MJ:R&Bとかヒップホップとか、大好きなアーティストや憧れるアーティストはたくさんいるんだけど、ピュリティ・リングのヒップホップのエレメントに関しては、私よりコリンの受けている影響が大きいと思う。

小学校でエミネムやドレを聴いていたら、親に心配されませんでしたか(笑)?

CR:母親からは禁止されていたね(笑)。使っていたソニーのCDウォークマンが中身の見えるものだったから、母親にバレないようにエミネムのCDの上に別のCDを置いていたよ(笑)。

そういうヒップホップのアーティストとコラボする一方で、ケイティ・ペリーやレディー・ガガとも絡んでいますよね。それぞれリスナー層が異なっていると思うのですが、自分たちとしては一貫しているというか、ピュリティ・リングとして特にそこは分けて考えているわけではないのでしょうか?

CR:僕は音楽のすべてのジャンルやスタイルが繋がっていると思っているんだ。プロダクションのディテールで異なる部分はあると思うけど、僕はいろんなものをブレンドしたり繋げたりするのが好きなんだ。ケイティ・ペリーのリミックスもダニー・ブラウンのトラック制作も自分にとっては同じなんだ。そこにあんまり違いは感じないな。

ピュリティ・リングの音楽にはもうひとつ、シンセ・ポップの要素もありますね。ですがそれはキラキラした感じのそれというよりは、どんよりした感じ、ダークな感じのそれです。そこで想像してみたのですが、シューゲイズからの影響はあるのでしょうか?

MJ:そうね。昔はシューゲイズを聴いていたし、影響を受けている部分はあると思う。

CR:シューゲイズというジャンルはリスペクトしているよ。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインも好きだし。でも、アルバムや曲名を全部言えるほどハマっていたわけではないんだ。とはいえ、僕らの音楽のなかのダークでどんよりした部分がシューゲイズやマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのような音楽と比べられるっていうのは、すごく納得がいくよ。

ファースト・アルバムの『Shrines』を出した後、周囲やメディアなどから「シンセ・ポップ」だとか「ドリーム・ポップ」だとか、いろいろな呼ばれ方をされたと思いますが、

MJ:「フューチャー・ポップ」なんてのも言われたよね。

自分たちでピュリティ・リングの音楽に言葉を与えるとしたら、なんと呼びますか?

MJ:それはやらないようにしてる。

CR:つねにジャンルレスでいたいんだ。

MJ:自分たちを何かに括るっていうのは絶対にしたくない。私たちの音楽は本当にいろんなものが混ざっているし、トラック単位でもアルバム単位でも違うから、ひとつ「これ」って言うことはできない。

ピュリティ・リングの音楽を届けたいのはどのような人たちでしょう?

MJ:ショウをやっていて感動するのは、お客さんたちの年齢が本当にさまざまなこと。服のスタイルもいろんな人たちがいて、それがすごく嬉しい。私たちのオーディエンスやリスナーは会場で喧嘩することもないし、言い争いをすることもない。みんな本当に音楽を聴きたいから来ているのね。そこが、自分たちがいままでショウをやってきてブレない部分だと思う。私たちの音楽が好きで、そして私たちの音楽だけじゃなくて、音楽そのものが本当に好きでハマッている人たちに聴いてほしいと思っているし、実際に聴いてもらえていると思う。

CR:忍耐強い人、かな(笑)。会場でもずっと音楽を聴いてくれているような。

MJ:私たちもそうありたい、と思えるような人たちね(笑)。

僕らの音楽のなかのダークでどんよりした部分がシューゲイズやマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのような音楽と比べられるっていうのは、すごく納得がいくよ。

私は音楽を聴くときに、ヴォーカルが入っている曲でも、最初は歌詞の内容は気にせずに音として聴いているんですが、ミーガンさんのヴォーカルはひとつのサウンドとしておもしろいと思いました。音としてのヴォーカル、というのは意識されていますか?

MJ:ありがとう。おもしろいサウンドにしようっていうのは自分ではあまり意識していないな。偶然、その曲に合ったものができあがるんだ。たとえば、誰もが「素敵な声だよね」って認める素晴らしいシンガーっていうのがいると思うんだけど、自分は逆に、そうならないようにしている。ヴォーカル・トレーニングとかも受けるんだけど、「誰もが認める良いシンガー」になってしまうと、自分のスタイルが消えてしまうと思う。だからいま歌っているスタイルとか、聴こえ方が変わらないようにしよう、っていうのは意識しているね。でも、「この曲では、こういうサウンドに聴こえるように、こう歌おう」とか、曲作りのときにそういうプランを立てることはないかな。

フランク・オーシャンやソランジュなど、最近のR&Bの動向についてはどうお考えですか?

MJ:(R&Bは)90年代にも一度はやって、00年代にも波が来て、いままたそれが戻っている感じがするね。

CR:R&Bは5年前にも一度来て、それがソランジュやフランク・オーシャンが入ってくるスペースを作ったと思う。それでいまR&Bが再び盛り上がっている。R&Bって音楽のなかでもベストなジャンルのひとつだと思うから、その流行が終わらないで、つねに盛り上がっていてほしいなと思う。

ミーガンさんは昔シンガーソングライターのような音楽をやっていて、コリンさんはパンク・バンドをやっていたということで、おふたりはロックも聴いてきていると思うんですが、

CR:あまりロックは聴かないんだ。クラシックなロックンロールは聴いてない。ハードコアやポストパンク、あるいは「叫び」のロックとか(笑)、そういうのを聴いてきたんだ。

なるほど。個人的にはここ最近、R&Bとは対照的にロックは厳しい状況に置かれていると感じているのですが、ロックについてはどうお考えですか?

MJ:インディ・ロックが、いわゆる超「ロックンロール」みたいなものを乗っ取っているような現象があると思う。だから、そこまでインディ・ロックが下火っていうのは感じてない。いわゆる超「ロックンロール」じゃなくてインディ・ロックがはやっている傾向はあるね。そういう音楽も好きだけど、インスパイアまではされないかな。

CR:まあ、戻ってくると思うんだよね。なんでもはやったりはやらなくなったりというサイクルがあるから、みんながまたそういう音楽を新鮮に感じるまで時間がかかると思うんだ。だからR&Bのように、ロックンロールもまた帰ってくると思う。

MJ:私はギターの良い音楽がすごく好き!

日本からはなかなか見えづらいんですが、いまカナダの音楽シーンはどういう感じなのでしょう?

MJ:カナダ? 全然知らない!

CR:(僕らはLAに)移ってるからね。

MJ:私たちはあんまりカナダのシーンについて把握してないんだ。でもそれは、自分たちがLAにいるからわからないってことじゃなくて、私が19歳のとき、カナダに住んでいた頃からもう、自分たちのやっている音楽がシーンからはかけ離れたものだったから。(カナダにも)シーンが存在しているのは知っているし、それが良いシーンだっていうのもわかるんだけどね。ここ5、6年でフェスも大きくなってきたし、シーン自体もベターになってきたと思う。カナダの音楽シーンやカナダのミュージシャンたちにすごく自信がついてきていると思う。「カナダ」っていうカテゴリやジャンルができてきた。いまは政府もアーティストにお金を出していて、アーティストが音楽を作りやすい環境があるし。ドレイクや(ジャスティン・)ビーバーがすごく大きな役割を果たしているんじゃないかな。

あなたたちが最初に注目されたきっかけは、インターネットに発表した音源でした。インターネットの文化についてはどう思っていますか? 良い面でも、悪い面でも。

CR:深い質問だね。良くも悪くもインターネットっていうのは、音楽のプラットフォームになっているわけだよね。だからいろんな人がそこから音楽を発信できるし、自分たちが発見したことのなかった音楽をそこから見つけ出すこともできる。それは素晴らしい部分だと思う。でもマイナスの部分は、誰もがそれをできてしまうから、埋もれてしまう可能性もある。気づいてもらうのが大変になってきているっていうのが良くない面かな。自分たちが曲を出したときは、SoundCloudもまだそこまで浸透してなくて、新しかった。だから自分たちはラッキーだった面もあると思う。いまはどんどんみんながやるようになってきていて、難しくなっているってのはあると思うね。

MJ:まだMyspaceがあった時代だったから、(私たちは)気づいてもらうことができた。インターネットによって、人がどう音楽を聴くかっていう、聴き方が変わったと思うし、いまだにどんどん変わっていっていると思う。いまはメジャー・レーベルがインターネットを使いはじめているし、SpotifyにしろApple Musicにしろ、メジャーな音楽は大きくなってきている。だから、音楽の人への届き方や音楽の聴き方も進化して、どんどん変わっていっていると思う。それは良いことでもあるけど、小さいアーティストたち、まだビッグじゃないアーティストたちの居場所が少なくなっているっていうのも事実だと思う。それがこれからどうなっていくのかは私も注目している。

Mikako Brady × Tsutomu Noda - ele-king

 本日みすず書房より『子どもたちの階級闘争』を発売したばかりの、そして来週末には『いまモリッシーを聴くということ』の発売を控える、イギリスはブライトン在住の保育士にしてライ……って、ele-king読者に説明は不要ですよね。はい、ブレイディみかこが来日します。そして、なななんと、われらが編集長・野田努と対談しちゃいます。テーマは「UKは壊れたようで壊れていない――愛と幻想の雑談」。おお……。愛! と幻想! の雑談! だそうです。これはおもしろい話が聞けそうです。イベントは5月17日、MARUZEN & ジュンク堂書店 渋谷店にて開催。詳細は下記をご確認ください。

『いまモリッシーを聴くということ』『子どもたちの階級闘争』刊行記念

対談 ブレイディみかこ×野田努
「UKは壊れたようで壊れていない――愛と幻想の雑談」

5月17日(水)18:45-20:15 MARUZEN & ジュンク堂書店 渋谷店

待望の二著を上梓したばかりのブレイディみかこさんと、音楽ライターとしても『ele-king』誌の敏腕編集長としても長年多くの音楽ファンの信頼を集めている野田努さんに、おふたりがこれまで関心を持ってきたUKの音楽、文化的潮流など幅広い話題で“雑談”していただく夕べ。
ライターと編集者という関係でもお付き合いの長いおふたり。野田さんからはブレイディさんに、「なぜUKに住みはじめたのか」に始まり、影響を受けたものなど“現在のブレイディみかこ”に至るまでのすべてを語らせるという裏の目論見もあるとか。音楽について、人について、そしてもちろん、おふたりがご著書や雑誌で扱われたテーマについて、ディープなお話がいくつも飛び出しそうなトークに乞うご期待。

■会場  MARUZEN & ジュンク堂書店 渋谷店 7F 喫茶コーナー
■日時  5月17日(水)18:45-20:15(開場18:15)
* 対談終了後にサイン会あり
■入場料  1000円(1ドリンク付き)
* 当日、会場にてお支払いください
■お申し込み  ご予約が必要です。同店 7Fカウンター、もしくはお電話にて受付
* お問い合わせは、MARUZEN & ジュンク堂書店渋谷店(電話 03-5456-2111)へ

【出演者紹介】

●ブレイディみかこ(Mikako Brady)
保育士・ライター・コラムニスト。福岡県福岡市生まれ。1996年から英国・ブライトン在住。著書に、『子どもたちの階級闘争──ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(2017年、みすず書房)、『THIS IS JAPAN──英国保育士が見た日本』(2016年、太田出版)、『ヨーロッパ・コーリング──地べたからのポリティカル・レポート』(2016年、岩波書店)、『ザ・レフト──UK左翼セレブ列伝』(2014年)、『アナキズム・イン・ザ・UK──壊れた英国とパンク保育士奮闘記』(2013年)(以上、Pヴァイン)、『花の命はノー・フューチャー』(2005年、碧天舎。ちくま文庫より2017年改題復刊予定)。雑誌『図書』(岩波書店)に「女たちのテロル」を連載中。

●野田努(のだ・つとむ)
1963年静岡市生まれ。web版『ele-king』編集長。1995年に『ele-king』を創刊。2004年から2009年まで『remix』誌編集長。著書に、『もしもパンクがなかったら──2004-2010 SELECTED ARCHIVES A COLLECTION OF ESSAYS』(2010年、メディア総合研究所)、『ロッカーズ・ノーロッカーズ』(2004年)、『ジャンク・ファンク・パンク』(2003年)、『ブラックマシンミュージック──ディスコ、ハウス、デトロイトテクノ』(2001年)(以上、河出書房新社)。共著書に、『TECHNO defintive 1963-2013』(2012年、Pヴァイン)、『ゼロ年代の音楽──壊れた十年』(2010年)、『NO!!WAR』(2003年)(以上、河出書房新社)、『テクノボン』(1994年、JICC出版局)ほか多数。


『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)はこちら
『いまモリッシーを聴くということ』(Pヴァイン)はこちら


行松陽介 - ele-king

ZONE UNKNOWN List

DJ予定
4/21(金) at COMPUFUNK with Kane Ikin
4/23(日) at 難波Bears “line in da utopia”
4/24(月) at 京都 外 with Kane Ikin
5/12(金) at 京都METRO “KYOTOGRAPHIE x CLUB LUV+ 2017”

soundcloud
https://soundcloud.com/yousukeyukimatsu

Wolf Eyes - ele-king

 Wolf Eyes の名前を初めて知ったのは今からもう15年くらい前で、L.A.F.M.S. の木製BOXに彼らの楽曲が収録されていたからだ、とずっと思っていましたが、調べてみるとWolf Eyes の名前はどこにも見当たらず、きっとずっと Solid Eye のことを勘違いして記憶してしまっていたようで、ではいつからだといくら考えても暗中模索、Wolf Eyes に関する記憶はもやもやとした霧の中で、その音楽を聴いたことがあるのかさえ心もとない私に、そんなこととはつゆとも知らないであろう編集者の方から『ele-king』誌でReviewを始めるに当たって「Wolf Eyes の新作などどうでしょう?」と提案されて快諾、晴れて Wolf Eyes の新作をじっくり聴くことができたわけですが、なんと言ってもやはりその名前のかっこよさだけで私の心の片隅にいつの間にか鎮座し続けている Wolf Eyes という名前をかっこいいと思う感覚がどれほど一般的な感覚なのかと問われれば、これもまた心もとないけれども、例えば Boredoms という固有名詞を聞くとどこか心がウキウキする、そういう育ちの方とは共有できる感覚なのではないかと思う次第なのですが、そろそろ名前の話はこの辺りでおしまいにして、1曲目は“Undertow”。1音目が鳴った瞬間に Rashad Becker の作品を想起する。レコードのプレスは Rashad の職場でもあるドイツの〈Dubplates & Mastering〉。6拍子BPM96辺りで寄せては返す波のように揺らぎ続ける基本構造の上を、その波に寄り添うように、そしてときにフリーキーにディストーション・ギターやホーン、笛などが絡み合い、かすかに Lou Reed を思わせる陰鬱な声がポエトリー・リーディングのようにLOWに呟き続ける。2曲目はかすかな笑い声で始まる“Laughing Tides”。ドヨーンと鳴るLOWの上を甲高いホーンが響き渡り、こちょこちょした音が気持ちいい小品。ドン、という気持ち良いバスドラムの音が3曲目の“Texas”にてやっと登場。上音はますますフリークアウト、しつつも全体的な雰囲気は依然としてドヨーンとしたままであるが、最後の一瞬はち切れんばかりに膨張するディストーションの音が最高に気持ち良く、そのあとに響き渡る残響音は Emptyset のそれと同質のものだ。ミュジーク・コンクレートのような高音がかまいたちのようにBPM140 4拍の頭を刻み続ける4曲目の“Empty Island”は、間延びしたベースラインのせいなのか、どことなく漂い続ける虚無感を、埋める気があるのかないのか判然としないギター・ソロと、とりとめなくあっちこっちに散らばる音たちが最後まで空っぽな島を演出し続ける熟練の成せる演奏。そしてB面を埋め尽くす13分を超えるラスト・トラック、その名も“Thirteen”。そういえば Blur にも『13』というアルバムがありましたが、真の意味でblurな Wolf Eyes の不明瞭な音にまみれた“Thirteen”はますますスロウダウン、ますますとりとめなく進行するかに見えてやおらフリーキーなホーンがヒートアップ、ディストーション・ギターがLOWをかき鳴らし始めると同時にハイハットが刻まれ始め、このアルバム中随一の轟音ZONEに突入。そして緩やかにクールダウンしていき、アルバム『Undertow』はその幕を閉じる。全体を通して感じるのは Rashad Becker 作品との類似性。ちょうど Hecker の『Sun Pandämonium』をDJでよくかけていたときに Rashad 本人に会う機会があったので、あれもカッティングしている彼に「あなたのコンポジションに Hecker は影響を与えていますか?」と尋ねたところ、それはないとのことでした。膨大な作品をマスタリングしている彼の脳内には常人離れした音像が渦巻いているのかもしれませんが、今度会ったら Wolf Eyes は好きですか? と訊いてみようと思います。話を戻しましょう。不思議なのはこの『Undertow』を聴き終えた後に残る感覚が、Emptyset の『Borders』を聴き終えたときのそれと似通っていることです。Wolf Eyes と Emptyset の音の感触に類似性を感じるのは、私だけ? Emptyset の酩酊versionとしての Wolf Eyes、いや、当然先輩の Wolf Eyes の覚醒versionをやろうと Emptyset のふたりが思っているかどうかは、定かではありません。
 なお今回のアルバムは彼ら自身による世界流通を持つ新レーベル〈LOWER FLOOR〉からの第1弾となり、今後は志を共有できる世界中のアーティストの作品も視野に入れての活動を展開するようです。
 レコードにはMP3ダウンロード・コードとポスター、バックカタログのReview、2002年のツアー日記、そして初回プレス1000枚にはアルバムと異なる内容の6曲入りCD『Right In Front Of You』が封入されています。
 そして何よりジャケットが素晴らしいので、レコードがオススメです!

DJ DIE - ele-king

 いや、ジャングル来てますな。先日のパウウェルのライヴもジャングル、昨年末のベリアルの12インチもジャングル、ゴールディーの「インナー・シティ・ライフ」がベリアルにリミックスされる、ロンドンでは地下鉄占拠で一区間のジャングル・パーティ──ジャングルですよ、レイヴですよ、ハードコアですよ、「もうやってられっか!」ということでしょうか、そして彼の地ででは、レイヴを知らない世代がいよいよレイヴをはじめているこのとき、ブリストル・ジャングルの先人、ダイが来日します。
 絶対に行ったほうがいいです。

■東京
2017/04/28 (FRI)
at 東京渋谷回遊

BS04GF -DJ DIE Japan Tour in Tokyo-

Venue 1 at Star lounge:
open: 24:30-5:00

DJ DIE from Bristol / UK (Gutterfunk / Digital Soundboy / XL Recordings)
L?K?O
Maidable
Soi Productions
Bim One Productions

P.A.:
eastaudio SOUNDSYSTEM

Shop:
Disc Shop Zero

Venue 2 at 虎子食堂:
open: 21:00~2:00

BS04GF - Tropical Disco Lounge

Selector:
G.RINA
1-DRINK
e-mura (Bim One Productions)
1TA (Bim One Productions)

入場料:
通常前売: 3000円+1D (500円)
特別前売: 3000円+1D (500円)
当日券: 4000/1D (500円)
当日虎子のみの入場: 2000円
当日虎子からスターラウンジ : +2500円w/1Dチケット(スターラウンジ)

Webサイト
https://www.bs0.club/

前売り
特別仕様前売り券 - https://www.bs0.club/#159223881093
e+ (イープラス) - https://bit.ly/2ousjKu
Livepocket - https://t.livepocket.jp/e/n8y_g
取り扱い店舗更新中! - https://www.facebook.com/events/172307596609899

*全公演日程

■4/28(Fri) 東京 at Star Lounge / 虎子食堂〈BS0〉
■4/29(Sat) 高知 at music cafe BEAT〈RESOUND ZERO〉
■5/2(Tue) 名古屋 at CLUB MAGO / Live & Lounge Vio〈PURE______ (pure blank)〉
■5/3(Wed) 高崎 at club WOAL Takasaki〈"re"place〉
■5/5(Fri) 大阪 at Compufunk Records〈DIRT〉
■5/6(Sat) 静岡 at Rajishan〈hypnotize〉


DJ DIE
DJ DIEは、ハードコア~ジャングル~ドラム&ベース・シーンのパイオニアであり、XL Recordings、Talkin' Loud、そしてもちろんFull Cycleといった影響力のあるレーベルからリリースをしてきたブリストルのアーティスト。
彼は革新者であり続け、彼が受けてきた広範な影響と未来への確固としたヴィジョンを通じ、ルールや伝統を無視した新たな錬金術を創造してきた。
DIEの情熱は、境界の無い新しい音楽を発見し創造することに向けられており、その情熱は、彼が運営するプロデューサー/DJ/アーティストが集まるレコード・レーベルであり創造的ハブでもあるGutterfunkに集中している。
彼の最近のコラボレーションやプロジェクトには、進行中のDismantleとのDieMantleや、Addison Grooveとの共同作業、そして現時点では秘密のプロジェクトがある。
2017はDJ DIEにとってエキサイティングな1年になるに違いない。

Shobaleader One - ele-king

イーディ・ボードマン (まくし立てる。)それであいつが言うじゃない、あんたがフェイスフル通りでいい人といっしょのとこ見たわよ、あの鉄道の油差しがベッド行き帽なんかかぶっちゃってさ、って。へえ、そう、って言ってやった。よけいなお世話だよ、って。 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』丸谷才一/永川玲二/高松雄一訳

 誰かと一緒に食べるごはんはおいしい。はい。たぶんその俗説は正しいのだろう。でも、なぜあなたはひとりで食べるときよりも誰かと食べるときの方が「おいしい」と感じるのだろうか。それは単純な話で、ひとりで食べているときは料理の味に集中することができるけれど、誰かと一緒に食べているときはその相手へと意識が向かってしまい、料理に集中することができなくなってしまうからだ。あなたが誰かと食事をともにするとき、食材の良し悪しや調味料の匙加減は後景へと退き、塩分や糖分が織り成す絶妙なタペストリーの解像度は著しく低下してしまうのである。それゆえどんなにマズいメシであろうとも、それを誰かと談笑しながら口に運べば、それなりにおいしさを感じることができる。誰かという夾雑物が、あなたの味覚を曖昧にする。だからもしあなたがおいしさを追い求めるのであれば、できるだけ細部には注意を払わないようにして、料理それ自体から遠ざかればいい。

 はい。これはそのまま音楽に関しても言うことができる。たったひとりで遮音室にこもって音源に耳を傾けるよりも、誰かと一緒に「この曲いいねえ」などと雑談しながら享受した方が、音の解像度は下がる。その「誰か」は「何か」でもいい。それはその曲のMVでもいいし、その曲が生み出された背景でもいいし、その曲を作った音楽家の思想でもいいし、あるいはその曲が演奏される会場の熱気でもいい。音以外の要素が多ければ多いほど、あなたは音楽をエンジョイすることができる。あなたは純粋に音のみを聴くことなんてできない。あなたが音に耳を傾けようとするとき、さまざまな異物が邪魔をしにやってくる。アーティストの名前。写真。MV。アートワーク。クレジット。機材。譜面。歌詞の意味。コンセプト。アティテュード。バックグラウンド。ちょっとしたエピソードや制作秘話。歴史的あるいは社会的な文脈。ライヴ会場の構造や設備。これまで蓄えてきたあなた自身の知識やものの見方。音楽は、音以外のさまざまな夾雑物によって成り立っている。そう考えると、音楽とはできるだけ音そのものから遠ざかろうとする運動なのかもしれない。
 はい。そういった夾雑物を提供し、リスナーひとりひとりに名前や物語や文脈やイメージを用意する役割の一端を担っているのが音楽メディアである。さまざまな記事やインタヴューによって、音は何らかの文脈のなかに幽閉され、アーティストには何らかのイメージが付与される。そのイメージはリスナーごとに異なっているため、リスナーの数だけイメージが存在することになる。アイドルなんかはそれらをすべて引き受けようとするわけだけれど、そうすることが本業ではない音楽家にとって、そんなふうに無数に増殖していくイメージの存在が悩みの種となることはよくあることだろう。
 はい。ではアーティストの側に、そのようなイメージの氾濫と戦う術はあるのだろうか? ひとつに、無視するという方法がある。でもそれはよほどタフな精神を持った者でなければ実践するのが難しい手段だろう。あるいは、リスナーを撹乱するという方法もある。エイフェックスなんかはその代表例だ。そして彼と同郷のスクエアプッシャーもまた、撹乱する者のひとりである。彼は名を引き受けることの、文脈を引き受けることの、イメージを引き受けることの葛藤を、素直に音の周囲に撒き散らす。

 はい。スクエアプッシャーがバンドを結成するのは今回が初めてではない。彼はすでに7年前にショバリーダー・ワン(以下、SLO)というプロジェクトを実現している。2010年にリリースされた『d'Demonstrator』は、それまでひとりでエレクトロニック・ミュージックを生産しすでに大きな名声を獲得してきた男が、わざわざ覆面を被ってバンドを結成し、そのバンドという形態が頻繁に採用されるロックというジャンルの手法を導入した、非常にコンセプチュアルなアルバムだった。たしかに、ロックほど物語やイメージが先行しているジャンルもないだろう。スクエアプッシャーはそれを逆手に取ろうとしたのかもしれない。彼は夾雑物を排除しようと考えたのだろうか? 真意はわからない。でもその後SLOというプロジェクトが継続されることはなかったので、おそらく彼は失敗したのだろう。以降、ロボットに曲を演奏させたり独自のソフトウェアを開発したりしていたスクエアプッシャーだが、何を思ったのか、7年というときを経ていま、彼はふたたびイメージとの戦争を開始することにしたようだ。周到なことに今度は、音楽メディアの十八番であるインタヴューまで用意して。

 はい。本作『Elektrac』がリリースされる前に3度、SLOは『ele-king』編集部宛てにインタヴューを送りつけてきている。これがなかなかやっかいな代物で、斜め読みするかぎりではまったくもって何を言っているのかわからない奇想天外な内容なのだけれど、注意深く読めば、場を引っ掻き回すストロボ・ナザード(キーボード)とアルグ・ニューション(ギター)、比較的まじめに質問に答えるスクエアプッシャー(ベース)とカンパニー・レイザー(ドラム)、という対照が浮かび上がるような構成になっている。そして後者のふたりはどうやら、音にまとわりつく夾雑物に不満を抱いているようなのである。
 はい。「俺の意に反し、俺が神秘主義的な芸術音楽家として扱われている」(第1インタヴュー)「俺が神秘的な芸術音楽家として扱われていた」(第3インタヴュー)というスクエアプッシャーの発言や、「俺たちは名前の持つ力を妨害したいんだよ」(第1インタヴュー)「俺たちは名前の持つ影響力を削ぎ落としたいんだよ」(第3インタヴュー)というカンパニー・レイザーの発言は、まさしくアーティストにつきまとうイメージや名の問題に関するものだろう。『エレクトラック』とは何かというインタヴュワーの質問に対し、それは「エレクトリック・トラック」のことだと答え、それを「良心」と呼んでくれと嘆願するカンパニー・レイザー(第1インタヴュー)は、名ではなく音に注目してほしいと言っているかのようだ。彼はまたこうも歎いている。「音楽業界がこれまで築いてきたのは、常軌を逸した物語を求め、それを聞いたら真偽にかかわらず議論を終わらせるっていう土壌だろ」(第2インタヴュー)。この発言からは、ロック・バンドによく見られる友情や仲違いの物語、あるいはそれに付随するゴシップの類を思い浮かべることができる。音楽はイメージや物語によって支配されている。そしてそれらの夾雑物は、リスナーのベッドルームにだけでなくライヴ会場にまで影響を及ぼしている。「ステージ上にいる者と観客がアイコンタクトを取るのは危険だったんだ。ステージ/シーリング・システムの迫真性によって、そこに両者が通じ合える階段が設けられるとしたら、それは危険な前提に繋がる可能性がある。つまり、紛い物や錯覚としての連帯感だ」(第1インタヴュー)とスクエアプッシャーは主張する。たしかに、ライヴの狂熱は思考を停止させ、できるだけあなたを音から遠ざけようとする(ところでライヴって、第三帝国の演説とよく似てはいないだろうか)。だから、連帯感なんてくそくらえ。スクエアプッシャーはそう叫びたいのかもしれない。

 はい。こんなふうに、一見支離滅裂なかれらの発言も、その断片から何らかの主張や思想を抽出することは可能だ。かれらの発言のひとつひとつには、おそらくちゃんと意味がある。とはいえ全体としてはやはり、この3本のインタヴューそれ自体は著しく整合性を欠いていると言わざるをえないだろう。だからあなたは、かれらの発言ひとつひとつの意味よりもむしろ、その全体の混乱状態にこそ注目しなければならない。インタヴュイーたちは取材自体を茶化し、インタヴュワーを煙に巻き、互いに喧嘩を始め、同じような台詞を反復する。挙句の果てにインタヴュワーはゲロを吐く。それは、あたかもインタヴューという形式それ自体を諷刺しているかのようだ。たしかにインタヴューには、リスナーをある方向へと誘導し音の捉え方を固定する機能がある。アーティストの発言を読んだあなたは意識的にせよ無意識的にせよ、その路線に乗っかりながらあるいはそれに反発しながら、作品を享受することになる。インタヴューという形式それ自体が、ひとつのイメージ製造機であり物語製造機なのだ。SLOの面々は、そのことを批判しているのかもしれない。であるならば、インタヴューという体制は完全に駆逐されてしかるべきものなのだろう(ところでインタヴューって、神の言葉を伝達する預言によく似てはいないだろうか)。

 はい。しかしあなたには、また別の見方も許されている。SLOの面々が繰り広げる混沌としたインタヴューは、あなたが知っている他の何かと類似していはいないだろうか。インタヴュイーたちは取材を茶化し、インタヴュワーを煙に巻き、互いに喧嘩を始め、同じような台詞を反復する。最終的にインタヴュワーはシャツを脱いで、ゲロを吐く。これはまるでひとつの劇ではないか。あの奇想天外な3本のインタヴューは、俳優たちの台詞を記した脚本なのではないか。ここであなたは思い出すだろう。この不思議なインタヴューのなかでスクエアプッシャーが、「電車の軌道整備士」について言及していたことを。そしてそのすぐ横にさりげなく、だがきわめて重要な註が付せられていたことを。そこにはジェイムズ・ジョイスの名が、そして『ユリシーズ』の名が書き込まれていたはずだ。
 はい。「電車の軌道整備士」が登場するのは『ユリシーズ』の第15挿話「キルケ」のなかである。この挿話は主人公ブルームをはじめとする登場人物たちの台詞とト書きによって構成された、戯曲の形式で書かれている。この挿話で登場人物たちは頻繁に幻覚に襲われ、どこまでが現実でどこからが幻想なのか区別のつかない奇想天外な出来事が繰り広げられるのだけれど、ここであなたは思い出すだろう。SLOに質問を投げかけるインタヴュワーの名がスティーヴンであったことを。そしてスティーヴンとは、『ユリシーズ』のもうひとりの主人公の名であったことを。スクエアプッシャーが件の謎めいたインタヴューの着想を、この「キルケ」から拝借していることはほぼ間違いない。あの一見支離滅裂な3本のインタヴューは、『ユリシーズ』第15挿話のパロディだったのである。
 はい。ジョイスの『ユリシーズ』は駄洒落やパスティーシュなどを駆使して文体に技巧を凝らすことで、小説の持つ物語性に反旗を翻した文学作品であった。つまりそれは、物語という夾雑物から文そのものを奪還する試みであったと言うことができる。その点に気づいていたからこそスクエアプッシャーは、いざSLOを再始動するにあたり自らの名が登場する『ユリシーズ』を利用することを思いついたのだろう。たしかに、物語の筋書きに基いて小説を評価することは、歌詞の内容やアーティストの発言で曲を判断することと似ている。彼は『ユリシーズ』に範を取り、インタヴューそれ自体を戯曲化することで、音楽における音以外のさまざまな要素、リスナーひとりひとりが抱くイメージや、ひいてはメディアによるその荷担を諷刺しているのである。

 はい。となれば、本作『Elektrac』がライヴ・レコーディングによって構成されていることも、その演目がかつてのスクエアプッシャーの名曲ばかりを並べた「グレイテスト・ヒッツ」の様相を呈していることも、そしてかれらの奏でるサウンドがフュージョンやロックの趣を漂わせていることも、かれらなりの戦略であると考えることができる。おそらくこのアルバムを聴いたときに真っ先に出てくるのが、「バカテクやべえ」という感想だろう。実際、バカテクである。あまりに複雑で実演など不可能にも思われるスクエアプッシャーの楽曲群を、SLOの面々はさらりと、いともたやすく演奏してみせる(特にドラムがやばい)。『Elektrac』に収められた曲たちは、見事にスクエアプッシャーの名曲たちを再現している。そういう驚きはたしかにある。でも、そんなふうにあなたを驚歎させることがこのアルバムの狙いだったのだろうか。なぜスクエアプッシャーはわざわざ自らと並び立つような卓越したプレイヤーを集め、自身の楽曲をカヴァーすることにしたのだろうか。
 はい。あなたは知っている。テクニックの高さが必ずしも楽曲の良さと等号で結ばれるわけではないことを。あなたは知っている。音楽にはテクニックよりも大切なものがあるということを。それゆえあなたは意識的にテクニックを軽視する。そうでなければ、たとえばパンクのアティテュードやニューウェイヴの発想力を擁護できなくなるから。でも他方であなたは知っている。テクニックが高いに越したことはないということも。もしかしたらSLOの面々は一周回って、そのようなテクニック軽視の傾向に抗い、改めて技巧に対して関心を向けさせようとしているのかもしれない。

 はい。けれども『ユリシーズ』のことを思い出したあなたはもう勘づいている。かれらの本当の狙いは、もっと別のところにあるはずだと。なぜならあなたは「バカテクやべえ」と感想を述べるために、トラックに集中せざるをえないから。かれらの超絶技巧を聴き取るためにあなたは、しっかりと音源に耳を傾ける。そうすると、細部が耳のなかへと滑り込んでくる。そうしてあなたはかつてのスクエアプッシャーの録音物を思い浮かべ、レコード棚から旧譜を引っ張り出し、どこがどう異なっているのかを検証し始める。あなたは『Elektrac』を聴き込めば聴き込むほど、次々と小さな違和を発見していく。アレンジが違う。雰囲気が違う。テクスチャーが違う。「ごめんね 去年の人と また比べている」。もしあなたが山口百恵なら、間違いなくそう呟いていただろう。
 はい。もっともわかりやすいのが“Anstromm Feck 4”である。これは2002年のアルバム『Do You Know Squarepusher』に収録されていた曲だが、ありがたいことにその日本盤には、2001年にフジロックフェスティバルで録音されたライヴ音源がボーナス・ディスクとして付属していた。その2枚のディスクに収められた“Anstromm-Feck 4”のスタジオ録音ヴァージョンとライヴ録音ヴァージョンは、特にその後半部において両者の違いが顕著となるが、曲としてはほぼ同じ構成をとっている。しかし『Elektrac』に収録されている“Anstromm Feck 4”は、そのいずれとも大きく異なっているのである。これはもはや別の曲と言ってもいいくらいだ。タイトルからハイフンが欠落しているのは、おそらくその差違を暗示しているのだろう。
 はい。こうしてあなたは気がつく。『Elektrac』に収められた曲たちが、かつてのスクエアプッシャーの名曲たちをまったく再現していないことに。そしてあなたは悟る。かれらが覆面を被ってバカテクを披露するのは、まさにそこで鳴っている音そのものに注意を向けさせるためなのだと。
 はい。SLOが『Elektrac』をライヴ音源で構成したのは、まずはかれらのテクニックに注目してもらうためである。そしてSLOが新曲を用意せず『Elektrac』を既存の楽曲で構成したのは、今回の録音物とかつての録音物とを聴き比べてもらうためである。そして、どんな超絶技巧をもってしても、同じ音を再現することなどけっしてできないということに気づいてもらうためである。『ユリシーズ』がホメロスの『オデュッセイア』を下敷きにし、それとの照応を目指しながら、しかしそれとはまったく異なる作品として出来したように、『Elektrac』もまたかつてのスクエアプッシャーの楽曲群を下敷きにしながら、それとはまったく別の作品であろうと奮闘する。

 はい。このライヴ録音盤グレイテスト・ヒッツ集に込められているのは、夾雑物ではなく音そのものを聴いてほしいというSLOの願いなのだ。だから、「音楽を破壊するんだよ! 音楽を破壊(笑)!」(第1・第3インタヴュー)というストロボ・ナザードの発言は冗談でも世迷言でもなく、どこまでもパフォーマティヴな宣言なのである。アーティストの名前。写真。MV。アートワーク。クレジット。機材。譜面。歌詞の意味。コンセプト。アティテュード。バックグラウンド。ちょっとしたエピソードや制作秘話。歴史的あるいは社会的な文脈。ライヴ会場の構造や設備。これまで蓄えてきたあなた自身の知識やものの見方。それらを粉砕すること。すなわち、まさに音楽を破壊することこそがこのアルバムの希望なのである。

 はい。でもあなたは知っている。かれらの願いが叶えられることはけっしてないということを。あなたは知っている。かれらの試みが頓挫するだろうということを。なぜなら、あなたはどうあがいても夾雑物を排除することなどできないからだ。だって、あなたは、紛れもなく、生きている。生きている限りあなたは、音にのみ集中することなどできない。それは、どれほど策を練り、訓練を重ね、全力で挑み、ひとつずつ夾雑物を排除していったとしても、最終的には、あなた自身が夾雑物として残り続けるからだ。あなたは純粋に音のみを聴くことなんてできない。音楽は、音そのものから遠ざかり続ける。
 はい。スクエアプッシャーはこれからも音楽を作り続けるだろう。彼とその仲間たちはこれからもライヴを続けるだろう。何度失敗してもかれらは、ふたたびSLOを結成して帰ってくるだろう。『Elektrac』は、音楽を破壊することなどけっしてできないとわかっていながら、それでもなお音楽を破壊することを目指さざるをえないひとりのアーティストが、同じ志を持った仲間たちと繰り広げる、努力と絆と敗北の物語なのである。

 今年の頭に発売された『文藝』春季号では、昨年亡くなった翻訳家・柳瀬尚紀の追悼特集が組まれている。そこには、昨年末に刊行された『ユリシーズ1-12』(河出書房新社)には収録されていない、『ユリシーズ』第15挿話冒頭部の翻訳が掲載されている。その遺稿は、大枠だけを眺めるならば、丸谷才一たちの訳とそれほど違っていないように見える。けれどしっかり細部へと目を向ければ、既存の丸谷たちの訳とは大きく異なっていることに気がつくだろう。はい。翻訳は、そのひとつひとつに固有の特異性を持っている。

エディ・ボードマン (とがり口で)そしたらあいつが言ったんだ、貞操街(フェイスフル・プレイス)で色男と歩いてるの見たわよ、下っ端の鉄道勤めがにやけた帽子かぶってただとさ。そうかいって言ってやった。あんたに言われる筋合いはないねってさ。 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』柳瀬尚紀訳

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291