「Man」と一致するもの

ウィズネイルと僕 - ele-king

 英国映画の定番。というか、誰の家に行っても必ず本棚に並んでいるDVDがある。で、そういう映画ほどなぜか日本では観ることができないことが多い。
 例えば、シェーン・メドウズ監督の『メイド・オブ・ストーン』が日本公開された時。
 宣伝する側は(わたしも含めて)「『This Is England』の監督が撮ったストーン・ローゼズのドキュメンタリー」と書いた。しかし、実際にメドウズが初めてイアン・ブラウンに会った時、イアンは「僕は君の『Dead Man’s Shoes』が大好きだよ」とメドウズに言ったのであり、ジョン・スクワイアも「『Dead Man’s Shoes』の監督だからシェーンに(ドキュメンタリーを)任せようと思った」と『メイド・オブ・ストーン』のUKプレミアで語った。
 つまり、英国の音楽や映画が好きな人々の間では、シェーン・メドウズといえば『Dead Man’s Shoes』の監督なのだが、残念なことに日本では公開されていない。見れない映画について書いたところでしょうがないと思いつつ、拙著にこの映画のレヴューを入れたのは、UKの音楽やカルチャーが好きな人は押さえておくべき1本だと思ったからだ。

 そしてこの『ウィズネイルと僕』こそ、そういう映画の代表的作品である。
 わたしが10年前にHP活動をはじめた時、ジョン・ライドンの応援ページ(当時、世間はB級セレブ番組に出演したライドンへの非難と怒号に満ちていた)と共に作成したのが、この映画のページだった。
 その後、この映画の邦版DVD発売を求める運動を行っている方々の存在を知った。日本でも吉祥寺バウスシアターで単館上映されたことがあると知った。で、そのバウスシアターが閉館するという。そのクロージング・イヴェントが行われている5月を通じて、同館が上映しているのが『ウィズネイルと僕』らしい。バウスの閉館を飾るのに、これほど相応しい作品があるだろうか。別の言葉で言えば、『ウィズネイルと僕』を日本で唯一上映したような映画館が閉じるのである。日本の人々はそれでいいのか。わたしが日本にいたら暴れる。

************

 いまデーモン・アルバーンのソロを聴いているのだが、デーモンも『ウィズネイルと僕』ラヴァーであることを公言している(そう思うと、彼のソロはパロディ・アルバムじゃないかというわたしの疑念はいよいよ強まる)。
 そういえば、ブリットポップ期は『さらば青春の光』と『ウィズネイルと僕』人気の再燃期でもあった。ブラーとオアシスがこの2作を「好きな映画」に挙げたからだ。オアシスがモッズの『さらば青春の光』派で、ブラーが『ウィズネイルと僕』派といえばいかにもの構図だが、実はその辺が微妙にクロスオーヴァーもしていて、デーモンは“パークライフ”で『さらば青春の光』のフィル・ダニエルズとデュエットし、リアムは『ウィズネイルと僕』でリチャード・E・グラントが着用したコートをTV司会者と取り合って話題になった(リアムはオークションで競り負けた)。

 モリッシーの『Vauxhall & I』のタイトルが『ウィズネイルと僕(“Withnail & I”)』にちなんだものであることは知られているし、米国のキングス・オブ・レオンの曲の歌詞にも「Withnail & I」は登場する。元ミュージシャンのジョニー・デップは「死ぬ前に見たい映画」に本作を挙げているし、UKでもっとも激辛な映画批評を書くガーディアン紙の名物ライター、ピーター・ブラッドショーがレヴューで5つ星を付けた奇跡のような映画でもある。

 この映画がそれほど人びとを魅了するのは何故だろう。
 それは、一言でいえば「UKらしさ」だとわたしは思っている。
 ここでわたしが言うUKとは、ガーデニングとかアフタヌーン・ティーとかのUKではない。それらの要素はどうでもいいんだけど、それでも「UK好き」を自認する人は、好きな要素がすべてここにあるだろう。
 悲喜劇。は英国人が得意とする分野だ。しかし『ウィズネイルと僕』は喜悲劇の域に達している。
 「後にも先にも、この映画のような作品は存在しない」
 と、あのピーター・ブラッドショーが書く所以である。
 これは「笑って泣かせる」映画じゃない。あるシーンでは笑わせ、次のシーンでは泣かせるような作品ではないのだ。全編を通じて「大笑いしながらも心の奥底で泣きたい」ような映画だ。
 ふたりの売れない俳優志望の青年が、だらだらといい加減に日常を生きているというだけのストーリーは、誰も死なないし、何らの衝撃的なツイストがあるわけでもない。ただ全編ふざけているだけのような映画でもある。だが、大笑いさせられながらも何故か奥底にくすぶっていたせつなさを一気に噴出させるようなラストシーン。雨の中でウィズネイルがロンドン動物園のオオカミたちを前に「ハムレット」のセリフを朗々と叫ぶ場面は英国映画史上に残る名シーンである。

 やることなすこと失敗し、アル中になったブランメルみたいなウィズネイルというキャラクターは、セックス・ピストルズのジョニー・ロットンやグレアム・グリーンの「ブライトン・ロック」のピンキーに匹敵するアンチ・ヒーローでもある。
 UKほど魅力的なアンチ・ヒーローを生み出す国はない。
UKほど滑稽なルーザーをクールに見せる国はない。
 それは英国が負けるということの美学を、勇ましく竹槍を突き上げることのダサさを知り抜いている国だからだろう。この国のヒーローは「勝つ」なんて無粋なことをしてはいけないのだ。
 その証拠に、リアム・ギャラガーだけではない。人生のある時点で、猛烈にウィズネイルのコートを着てみたかったという英国人の男性をわたしは何人も知っている。

DJ WADA (Sublime, Dirreta) - ele-king

今年セルフレーベルDirretaを始動させました!
1枚目のEPからCloudy Spaceです。
よろしくお願いします!
https://www.youtube.com/watch?v=gbta_1GYz5g
https://www.facebook.com/beetbeat

DJ WADA chart


1
Jah Wobble, PJ Higgins - Watch How You Walk (Red Rack'em Remix) - Sonar Kollektiv

2
DJ Koze- Nices Wolkchen (Robag's Bronky Frumu Rehand) - Pampa Records

3
Pharaohs - If It Ever Feels Right (Tornado Wallace Remix) - ESP Institute

4
Santos - Garlic (Original Mix) - Dissonant

5
Jacob Husley, August Jakobsen - Blue (Minilogue Remix) - WetYourSelf Recordings

6
Kenny Larkin - You Are (C2 Remix) - Planet E Communications

7
Petar Dundov - Rise (Original Mix) - Music Man Records

8
DJ Kaos - Swoop (Club Edit) - Jolly Jams

9
DJ WADA - Cloudy Space - Dirreta

10
Richter - Natura Contro (Dj Wada Remix) - The Zone Records

服部 (PIGEON RECORDS) - ele-king

名古屋のPigeon Recordsでバイヤーをやっています。FKトリビュートからの新譜
& レコードバック常駐盤を何枚か選びました。

www.pigeon-records.jp
https://twitter.com/pigeonrecords

2014.05.09.Fri Black Cream presents Nina Kraviz @ Club Mago
2014.05.17.Sat Familia feat.威力 @ Kalakuta Disco
2014.05.23.Fri The Human Cannon Ball with Conomark & Sonic Weapon @
Kalakuta Disco


1
Jago - I'm Going To Go (Frankie Knuckles Remix) - Full Time Records

2
I:Cube - Cubo Rhythm Trax - Versatile

3
The Jaydes - Area 89 (Boo Williams Tech Dub Remix) - Dame-Music

4
Mr. G - Moments - End Recordings

5
Butric - Up - Sei Es Drum

6
Lisa Moorish - I'm Your Man (Green Velvet Mix) - FFRR

7
Earnest & Just - Still Here - Misterio

8
Heller & Farley Project - Ultra Flava (Any Mixes) - AM:PM

9
Steve Silk Hurley & The Voices Of Life - The Word Is Love - Silk Entertainment

10
James Blake - Limit To Your Love (Daniel Bortz Re-Edit) - White

11
Sydney Youngblood - Anything (Classic Frankie Mix) - RCA

interview with Swans - ele-king


スワンズ - To Be Kind
[解説・歌詞対訳 / 2CD / 国内盤]
MUTE / TRAFFIC

Amazon

 4月8日に保坂さんと湯浅さんとディランのライヴ──モニターがトラブったあの日である──にいった翌週、季節はずれのインフルエンザにかかりタミフルでもうろうとしながらこのインタヴューの質問を考えていたら、ボブとジラが二重写しになったのは、テンガロン・ハットをかぶったいかめしい男を真ん中にした男臭い集団のもつムードに似たものをおぼえたからだろうが、それはアメリカの国土に根づく、というより、いまも澱のようにこびりつくアメリカン・ゴシックの、無数の歴史的諸条件によりかたちづくられた感覚を、一方は60年代のフォーク・ロックとして、他方は80年代のインダストリアルと00年代のフリーフォークがないまぜになった感覚で表出するからではないか。音楽の貌つきはまったくちがう。映し出す時代も、住処も地表と地下ほどにちがうかもしれない。ところがともにフォークロアではある。それはポピュラリティさえもふくむ複層的な場所からくる何かである。

 私は前回のインタヴューで再活動をはじめてからのスワンズの宗教的ともいえる主題について訊ねたところジラはそれを言下に否定した。それもあえていうまでもなくそれはディランが70年代末から80年代初頭キリスト教ににじりよったように彼らの一部でありいうまでもなかったのかもしれないと思ったのだった。

 『To Be Kind』は前作『The Seer』を引き継ぎ、長大な曲が占める。セイント・ヴィンセント、コールド・スペックスを招き、ジョン・コングルトンが録音で参加した布陣も今回も冴えている。朗唱のようなジラのヴォーカルと豪壮な器楽音の壁が長い時間をかけ徐々に徐々に変化する作風は前作以上に有機的で、1年前の日本公演をふくむワールド・ツアーの成果を反映した現在のスワンズの音楽を指してジラは「音の雲」と呼ぶのだが、刻刻と変化するのにそれは同時に豪壮な構築物でもある。矛盾するような得心するような、こんな音を出せるバンドは彼らをおいてやはり他にいない。

ハウリン・ウルフは私のヒーロー、アイコンなんだ。彼の自伝も数年前読んだ。すごい人生を歩んだ人だ。1900年代初頭のミシシッピの貧しい小作人の子どもでね、13歳になるまで靴もはいたことがないほどだった。8、9歳くらいから畑を耕しはじめ、もちろん教育など受けたこともなかったが缶を叩きながら畑の中で歌った。

2013年2月の来日公演からすでに1年経ち記憶も定かでないかもしれませんが、とはいえ、その前の来日公演となると20年以上前だったわけですが、なにか印象に残っていることがあれば教えてください。

MG:その来日ではライヴは1回こっきりだったんだけど、日本のファンはとても熱狂的だったのを憶えているよ。あと、これはいつも思うことなんだけど、日本人の礼儀正しさにはほんとうに関心するね。

資料によれば『To Be Kind』の素材となった部分はこのときのツアーで練り込んでいったとあります。じっさい2013年2月の東京公演では“To Be Kind”ではじまり、“Oxygen”などは“The Seer”とメドレーで演奏していました。そのときすでに『To Be Kind』のコンセプトはできあがっていたのでしょうか?

MG:いや、一部の(と強調)要素はライヴを通じて、インプロヴァイズしながら練り込み、そこから私がリフやグルーブを足して、一年をかけてひとつの大きな作品として形を変えていった。たとえば、はじめの段階では歌詞はまだなかったのがその当時読んでいた本を元にライヴで徐々に歌詞をつけたしたりした。それがこのアルバムの半分くらいの曲で、残りの曲のグルーブやサウンドに関しては、アコギでつくりあげたんだ。“A Little God in My Hands” “Some Things We Do” “Kirsten Supine”“Natalie Neil”、それと“To Be Kind”もコアの部分はすべてアコギでつくった。『To Be Kind』の多くはそういった手法でメンバーと集まってつくりこんだ。スタジオでは他のミュージシャンも参加して私がアレンジを加え、練り込み、映画のサウンドトラックのような感じにつくりあげた。

『The Seer』と『To Be Kind』は長尺曲を中心としたCD2枚+DVD1枚にわたる作品という両者の構成もよく似ています。このような構成にこだわった理由を教えてください。あるいては楽曲の要請としてこれは必然だったのでしょうか。

MG:ライヴ音源は長時間に渡っていたからね、34分っていう曲もあったし。そういう曲のことをどういえばいいのか、音の雲とでも呼ぼうか。曲の長さを気にすることなく、流れに任せて演奏して、その曲の存在価値を見い出そうと決めたんだ。素材が集まった段階でどういうフォーマットに落とし込んでリリースするかを決めた。それで今回はCD2枚、ヴァイナル3枚という構成になったんだ。DVDはボーナス・ディスクだ。ほら、われわれは心優しいからね(笑)。

とはいえ、前作と本作では音の表情はかなりちがっています。よりブルージーになったといいますか。要因のひとつにレコーディングを担当したジョン・コングルトンの存在があったのではと思うのですが、彼とは事前にどのような音づくりを目指しましたか。またレコーディング中で印象に残ったトピックがあれば教えてください。

MG:メンバーは私が集めてきた要素よりも、ライヴでやったものを意識していた。どういうサウンドのアルバムにしたいかということはすでに頭にあったし、曲ごとにどの楽器を使うか、どういう構成にするかなどのリストもつくっていた。他のミュージシャンが参加して、別のものをもってくると私のアイデアよりもいいと思うものが出てきたりもした。ブルージーになったかどうかはわからないな。ブルースの雰囲気くらいはとりいれていたかもしれないがコード進行までは意識してはいない。どちらかというと、グルーブとか深い音という面でだろうね。ジョンとはそれぞれの曲がどのような相互作用を持つかを重点に考えていた。スタジオで録音されたものをきっちり演奏するというよりも、ライヴで演奏を重ねることによってより大きな建造物をつくりあげていきたいと思ったんだ。

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Jennifer Chruch

ルーヴェルチュールは奴隷の反乱の扇動者で、ナポレオンの失脚の一因ともなった人物だ。1700年代後半から1800年代前半のハイチで初めて奴隷の反乱が成功したのはルーヴェルチュールのおかげだった。その後にナポレオンの部隊に捕まり、フランス国内で投獄されそこで人生を終えた。

音楽の形式としてゴスペルに対する憧憬をあなたは前回のインタヴューで述べておられました。『To Be Kind』ではそれがより直裁に表現されたと考えられないでしょうか。

MG:実際ゴスペルは詳しくないんだけど、永遠に続くクレセントがゴスペルに通じるものがある、という意味でその当時そういったんじゃないかな。ゴスペルの熱気のようなものはスワンズとの共通項だね。

ジョン・コングルトン氏はセイント・ヴィンセント氏からの紹介ですか?

MG:いや、その反対だ。ジョン・コングルトンが以前からスワンズといっしょにやりたいといっていたんだ。もともと、スワンズのパーカッションのソー・ハリスがジョンとかかわりがあり、いちどShearwaterというジョンがプロデュースしたバンドとライヴをしたんだ。ソーはあと、スモッグの……えーっと誰だっけ? そう、ビル・キャラハンともいっしょにやって、それもジョンがプロデュースした。そういうわけでソーがジョンのことを薦めていっしょにやるようになった。ジョンは長年のスワンズ・ファンなんだけど、3年程前にスワンズの曲をセイント・ヴィンセントに聴かせたら、えらく気に入ってくれてわれわれのライヴに来るほどのファンになったんだ。今回のアルバムでは構想段階で女声ヴォーカルがほしかったから、セイント・ヴィンセントに連絡をしたというわけだ。レコーディングではダラスまできてくれて、すばらしいヴォーカルを録ることができたよ。

彼女以外に『To Be Kind』でも前作と同じく多彩なゲスト・ミュージシャンを起用されています。準メンバーのビル・リーフリン氏以外に、上述のセイント・ヴィンセント氏、コールド・スペックス氏のふたりの女声ヴォーカルが特徴的ですが、彼女たちに声をかけたのはそのような理由だけですか。

MG:コールド・スペックスはソウルフルでゴスペルなすばらしい声のもち主だ。“Bring the Sun”にぴったりだった。彼女を起用したのは、すばらしいシンガーだから。この一言に尽きる。彼女は以前、スワンズのカヴァーをやったこともあるんだ。いままで聴いてきたスワンズのカヴァーで唯一いいと思えたのが彼女がやったものだった。『My Father Will guide Me Up A Rope To The Sky』に収録した“Reeling The Liars In”という曲で、いうことなしのできだった。そこから繋がったんだ。

「Chester Burnett(ハウリン・ウルフ)」「トゥーサン・ルーヴェルチュール」といった歴史上の人物を本作ではとりあげたのはどのような理由からでしょうか? またこれら歴史上の人物からあなたはどのようなインスピレーションを得たのでしょうか。

MG:ハウリン・ウルフは私のヒーロー、アイコンなんだ。彼の自伝も数年前読んだ。すごい人生を歩んだ人だ。1900年代初頭のミシシッピの貧しい小作人の子どもでね、13歳になるまで靴もはいたことがないほどだった。8、9歳くらいから畑を耕しはじめ、もちろん教育など受けたこともなかったが缶を叩きながら畑の中で歌った。ほどなくギターも習った。苦境に立たされているからそこから逃避したい気持ちがあったんのだろうね。後に南部を中心に酒場のドサまわりをはじめ、知名度もあがってきたところで、シカゴに移り、マディー・ウォーターズらとともにエレクトリック・ブルース、つまりシカゴ・ブルースだ、それを確立した。それがのちに多くのひとに多大な影響を与えることになった。その意味では魔法使いという呼び名がふさわしい。苦境から這いあがり世の中に多大な影響を与えるすばらしい人生であると同時にすばらしい声のもち主でもありひと息で低いバリトンから高いヨーデル調の声まで幅広く出る。彼の曲には楽しくてダーティで性的な要素がすべて詰まっている。
 ルーヴェルチュールはまったく別のところから引っ張ってきた。“Bring the Sun”はインプロヴァイズを重ねてつくった曲で歌詞はなかった。その頃私はルーヴェルチュールの伝記を読んでいて、それで彼の名を歌詞の中で連呼することを決めた。そこから歴史的瞬間を捉えるような音的な言葉をつけ加えて曲を構築したんだよ。ルーヴェルチュールは奴隷の反乱の扇動者で、ナポレオンの失脚の一因ともなった人物だ。1700年代後半から1800年代前半のハイチで初めて奴隷の反乱が成功したのはルーヴェルチュールのおかげだった。その後にナポレオンの部隊に捕まり、フランス国内で投獄されそこで人生を終えた。
 彼もハウリン・ウルフと同じく、奴隷としての人生から自由の身となり、働いていた農園のオーナーからは努力を認められ、オーナーや修道士から読み書きを教えてもらったそうだ。そこから、ルソーなんかのフランス啓蒙思想家やマキャヴェッリについて読み、軍事戦略について学んだ。彼も奴隷からはじまり歴史を変えた人物だった。ルーヴェルチュールによるナポレオンの失脚がなければ、ナポレオンはアメリカへルイジアナを譲渡することなどなかったにちがいない。ルーヴェルチュールの軍に勝つには、軍事強化のための資金が必要だったかね。だから彼も世界の歴史を変えた人物の一人だよ。私が読んだのは、マディソン・スマート・ベルの著書(マディソン・ベルはルーヴェルチュールとハイチ革命について『All Souls' Rising』『Master of the Crossroads』『The Stone That the Builder Refused』の三部作を著し、『Toussaint Louverture : A Biography』なる評伝もある)。フランスの歴史上重要な時代だからおさえておいた方がいい。

『To Be Kind』はなぜ〈Young Gods〉ではなく〈Mute〉からのリリースなのですか?

MG:〈Mute〉のダニエル・ミラーがスワンズのことを再結成後からずっとフォローしてくれていたんだ。私は1990年から〈Young Gods〉をやっていてスワンズをはじめ、他のアーティストのリリースもしてきているから、あえて他のレーベルと契約するのは頭になかったのだけどアメリカ国外のディストリビューションには弱かったから、ダニエルがミュートとの契約の話をもちかけてくれてよかったよ。どちらかというとパートナーシップだね。われわれは若いバンドでもないし、懐の広い叔父さんのレーベルと契約をしたわけではない(笑)。音楽を心から愛して、サポートの厚いダニエル・ミラーのことは私自身とても尊敬しているし、ミュート・レコードからのリリースはとても名誉なことだ。だからこういう流れになってうれしいよ。

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Sibastian Sighell

音楽を心から愛して、サポートの厚いダニエル・ミラーのことは私自身とても尊敬しているし、ミュート・レコードからのリリースはとても名誉なことだ。だからこういう流れになってうれしいよ。

『To Be Kind』は繊細かつ実験的な音づくりだと思いました。あなたは前回のインタヴューでベーシック・トラックを録った後、どのような音が必要か考え、音を追加するとおっしゃっていました。今回はそれが非常に緻密におこなわれていると思いましたが、そこにもジョン・コングルトン氏のアイデアが活かされているのでしょうか。

MG:うん。彼は今作ではプロデューサーではなくエンジニアだ。だいたいにおいて、私がアイデアを出して練り込むんだけど、彼に「これも試してみなよ」ってな感じでいわれたり。プロデューサーではないんだけど、アイデアを提供してくれたりはしたよ。どんなエンジニアにもそうあってほしいと思うよ。たとえば、エンジニアにはピッチがおかしかったりしたら、それをすぐに察知して教えてほしい。私はそれ以外のことで頭が一杯だからね。ジョンはその役割も果たしてくれている。私のアイデアをうまくまとめて、さらに広げてくれもした。そういった意味ではジョンのアイデアはかなり活かされているよ。

逆にいえば音盤をライヴで再現するのは難しいと思いました。その点についてはどう思われますか。ライヴはスタジオワークとはまったく別ものでしょうか? スワンズとってレコードとライヴをそれぞれ定義してください。

MG:まず、音源をライヴで忠実に再現することには一切興味はない。ライヴでプレイするのであれば、まったく別のものにしたいと思っている。アルバムをプロモートするためにライヴをしたいんじゃない。ライヴの「いま」を体験してほしいんだ。ツアーをすれば、要素はつねに変化するし、1週間後2週間後のライヴではセットもまったく異なってくる、たとえ同じ曲を演奏していても。だからライヴとスタジオワークはまったくもって異なったものだ。アルバムは録音された曲の集合体。曲を組み立てて、アルバムを構築して、ひとつのアート作品をつくるという行為は私は好きだ。そのプロセスが終わっても音楽はコンセプトとして生き続けるのだがそれをライヴで演奏するとなるとつねに自由自在に変化できるようにしていかなければいけない。
 ニーナ・シモンの“Sinner Man”を考えてごらん。ライヴごとに変化していっているよね。いいアーティストはそれができるのだと思うよ。いわゆるポップ・ソングじゃないかぎりね、われわれはまるっきりのアヴァンギャルドではないけれどもつねにフレッシュで予測できない音楽をつくっていきたい。自分のためにもオーディエンスのためにも。

『To Be Kind』では器楽音意外の具体音(馬の歩み、いななきなど)も使われており、それもあって音による(言葉ではありません)大河ドラマを聴くような気がしました。たとえば『To Be Kind』をサウンドトラックにするとしたら、どのような映画がよいと思いますか。古今東西誰のどんな映画でもかまわないのであげてください。

MG:黒澤明の『蜘蛛巣城』(1957年)とラース・フォン・トリアーの『メランコリア』(2011年)だね。あと、ギャスパー・ノエの『アレックス』(2002年)かな。勇気があったら観てごらん(笑)。ところでギャスパー・ノエの『エンター・ザ・ボイド』(2009年)は映画館で観たかい? 私は家のスクリーンで観たんだが映画館で観たらまた違った体験ができたんじゃないかと思った。家だとトイレに行ったり、スナックを取りに行ったりできるけど映画館じゃできないだろ。だからあの映画の間映画館の椅子に縛りつけられていたらどんな気分だろうと思ったんだ。ストーリーも映像もすごく美しい。当初ストーリーはなかなか入り込めなかったが終わってから作品について読んでもういちど観たらようやくどういうことかわかってきた。よくできた作品だと思うよ。キャラクターの視点からの録り方がよかったね。あと、体内に入りこむところも。

アートワークにはボブ・ビッグスの作品を使っていますが、1981年に彼の目にした彼の作品をなぜ本作でまた使いたいと思ったのでしょう。資料によれば、この作品はボブ・ビッグス氏の家の壁に描かれた水彩画だということですが、ビッグス氏とあなたは旧知の間柄なんですか。

MG:その当時からボブとは面識はあったが親しい仲ではなかった。例の作品は壁の水彩画じゃなくて、黒い用紙上のパステル画だ。その作品がとても気に入ったんだ、ジャスパー・ジョーンズの旗や標的の作品のようにアイコン的でね。表現方法が不思議で興味をそそられた。神秘的なシンボルのようでね。意味が込められているかそうでないのかもわからない。面白いのは、ずっとみていると、意味と無意味が交互に共鳴しはじめるんだ。実際に自分が何をみているのかもわからなくなってくるようでね。30年の時を経て、使用許可をもらったんだけど、黒のバックグラウンドから頭だけを切り取ったんだ。今みてもらっているベージュの部分は実際は段ボール用紙で、その上に作品がエンボス加工でプリントされている。ツヤ加工もしてあるから、段ボール用紙からまるではがせるような風合いだよ。当初の予定では、実は赤ちゃんの代わりに女性の乳首を使おうと思っていたんだ(爆笑)。でも実際画像を集めはじめたら、乳首に焦点を当てると美しくも何ともないことがわかった。これは使えないとなった。そこでなぜかボブのことが思い浮かんだんだ。ほら、赤ん坊と乳首は同じような感情を呼び起こすだろ(笑)? それでボブに例の赤ちゃんの作品について訊ねたわけだ。

上記質問と同じ意味で、あなたが長年あたためながらまだ実現していないことのひとつをこっそり教えてください。

MG:もしかしたら知っているかもしれないけど、私は以前に本を書いたことがある。時間があればぜひまた執筆活動をはじめたいね。いまは本を読む時間もなかなかとれないから、時間ができたらまずは読むことからはじめたい。読むときに使う脳の部分をまずは活性化させないとね。だからそれができる時間がとれれば、また書きはじめられる。それが死ぬ前にやりたいことだね。

スワンズは現在のシーンでは孤高の存在だと思われます。ジラさんにとって現在のシーンで共感できるバンドないしミュージシャンはいますか? もしくは他者の存在はさほど気にすることはないですか。

MG:最近の音楽にはさほど興味がないんだけど、ベン・フロストやシューシューはいいと思うね。サヴェジーズやリチャード・ビショップの音楽もいい。いわゆるメジャーなポップ・ミュージックには興味はないね。

次回の来日公演はいつになりますか? まさかまた20年後ということはないと思いたいですが再々来日を待ちわびる日本のファンにコメントをお願いします。

MG:I love you very much(笑)!

The Correspondents - ele-king

 エレクトロ・スウィングというUKでちょっとした盛り上がりを見せているシーンがある。スウィング・ジャズとハウス、ヒップホップ、エレクトロ・ダンスの交合によって生まれたこのジャンルは、90年代に出現してなんとなく消えたスウィング・ハウスの流れを汲むと言われているが、数年前から復活の兆しを見せており、わが街ブライトンはロンドンと並ぶその聖地に数えられている。
 2009年にこのジャンル専門の初めてのパーティ、ESC(エレクトロ・スウィング・クラブ)がロンドンに登場すると、それに呼応してブライトンにもホワイト・ミンク・クラブが現れ、ロンドンのESCとブライトンのホワイト・ミンクはUKエレクトロ・スウィング界の2トップになった。ブライトンに同性愛者やアナキストが多いということはこれまでも書いてきたが、ブライトンについて言われているもうひとつの要素としてクラブが多いということがあり、骨董の街ということもある。なのでエレクトロ・スウィングのメッカとなる地盤はあった。UKのイビサとも呼ばれるブライトンのクラブ文化と、骨董品屋や古着屋が立ち並ぶザ・レインをうろつくレトロな若者の文化が交合すれば、それはそのままエレクトロ・スウィングというジャンルそのものになる。
 んなわけで、ブライトンのホワイト・ミンクとロンドンのESCは、このジャンルのアーティストやDJをキュレートして様々なダンス・イヴェントを主催しており、The Correspondentsもその周辺から出てきたアーティストである。ロンドン在住のDJ Chucksとフロントマンのイアン・ブルース(この人は将来を期待される画家でもあり、Courvoisier社の「英国の未来を担う全業界混合500人」のひとりにも選ばれた)のデュオであるThe Correspondentsは、イヴニング・スタンダード紙に「キング・オブ・ヒップホップ・スウィング」と称された。その形容がぴったりだったEP「What's Happened to Soho?」を聴いたときには、わたしは少なからず動揺したのであり、“Washington Square”のPVを見たときには、「オスカー・ワイルドがラップしてる」と思ったものだった。

 同曲や“Jive Man”など6曲が収録された2011年リリースのEP「What's Happened to Soho?」は「これがエレクトロ・スウィングだ!」とジャンルを丸ごとぶち投げて来た点で、本当はあれこそが彼らのデビュー・アルバムになるべきだったと思う。というのも、待ちに待っていた彼らのファースト『Puppet Loosely Strung』は、彼らを以前から知っている(とくにステージ)人間からすると、「へっ?」な違和感があるからだ。
 これはおそらく、彼らがエレクトロ・スウィングという狭いサークルから卒業し、ポップ界への進出を宣言したアルバムなのだろう。だからこそスウィングのエレメントは希薄になり、代わりに80年代エレクトロ・ポップのフレイヴァーが色濃く加味されている。リスナー層を広げたいという野心が本来の持ち味を薄めたと思うと悲しいが、それでも『Puppet Loosely Strung』はここ数カ月間わたしが一番聴いているアルバムである。全くそこにある必要性を感じない冒頭曲をすっ飛ばして2曲目の“Fear & Delight”から聴けば、これはこれでやはり新しいムーヴメントの息吹を感じさせるし、昨年のMelt Yourself Down同様、理屈や薀蓄抜きでまず踊れるのがいい。『華麗なるギャツビー』のリメイク映画のサントラでブライアン・フェリー・オーケストラやウィル・アイ・アムもそれっぽいことをやっていたが、アンダーグラウンドなエレクトロ・スウィング・シーンの熱さを伝えるのはやはり彼らのような人々のサウンドだ。

 それと呼応するのかどうかはわからないが、日本では、菊地成孔がホットハウスというダンスパーティを主催していると聞いた。紙版エレキングで、ペペの新アルバムが『戦前と戦後』というタイトルであることを知り、そう言えば、スウィング・ジャズが流行したのも第二次世界大戦の直前だったのだよなあ。なんてことを考えていた。

          *******

 話は唐突に変わるが、4月前半は日本にいた。
 今回の帰省でこれまでにない衝撃を受けたのは、「(戦争は)100%ないとは言い切れない」と言った人がいたことである。
 スウィング・ジャズが流行したのは……。とまた眉間に皺を寄せて考えそうになったが、ふと、ケン・ローチの『The Spirit Of 45』のBGMにもスウィングが使われていたことを思い出した。終戦直後の英国人たちが、戦争に勝った名相チャーチルではなく、地べたの庶民のための政治を選んだピープルズ・パワーの時代にも、あの音が鳴り響いていたのである。
 そして今。
 21世紀のブロークン・ブリテンのアンダーグラウンドでエレクトロ・スウィングが鳴っている。
 と書くと過剰に浪漫的かも知れないが、そのサウンドをヒットチャートに入れる可能性を持ったアーティストがいるとすればThe Correspondentsだ。というのはしごく現実的なファクトである。

interview with Teebs - ele-king


Teebs
Estara

Brainfeeder/ビート

Amazon iTunes

 いったい何故にどうして、いつからなのか……。自分がどうしてこの地上に存在しているのかを考えたときに、倉本諒なら迷わず、ぶっ飛ぶためだと言うだろう。ティーブスにしろマシューデイヴィッドにしろ、そしてフライング・ロータスにしろ、LAビート・シーンの音は、どうにもこうにも、フリークアウトしている。それらは、「ビート」という言葉で語られてはいるが、サイケデリック・ミュージックとしての表情を隠さない。日本で言えば、ブラックスモーカー、オリーヴ・オイル、ブン、ダイスケ・タナベ、ブッシュマインドなどなど……。彼らはストリートと「あちら側」を往復する。
 ティーブスは、そのなかでもとくに内省的で、ひたすら夢幻的だ。僕は恵比寿のリキッドルームにあるKATAで開催中のTeebs展に行った。12インチのレコード・ジャケをキャンパスにした彼の色とりどりの作品がきちんと飾られている。幸いなことに平日の昼下がりでは、客は僕ひとりしかいなかったので、ゆっくり見ることができた。鮮やかな色彩で塗られらコラージュは、どう考えても、ピーター・ブレイクがデザインした『サージェント・ペパーズ〜』のアップデート版で、また、彼の音楽世界をそのままペインティングに変換しているかのようだ。ヒップホップのビートに液状の幻覚剤が注がれているのだ。
 ティーブスの新作『Estara』には、プレフューズ73、ラーシュ・ホーントヴェット(Jaga Jazzist)、ジョンティ(Stones Throw)、そして、シゲトも参加している。僕がKATAに展示された彼のアートでトリップしていると、Teebsはふらっと姿をあらわした。感じの良い、物静かな青年だ。

マッドリブの初期のものとか、カジモトとか。僕は当時12歳で、そんな変な音楽を聴いている12歳は僕だけだったと思う。かなり主流からは離れている音楽だけど、僕はそういうのが大好きだった。

生まれはブロンクスだそうですが、いつまでそこに住んでいたのですか?

Teebs:良く覚えていないんだけど、2歳くらいだったかな。

通訳:かなり小さいときだったんですね。

Teebs:そう、でも10歳くらいの時まで毎年NYには帰ってたんだ。親戚がいるからね。

どんなご両親でしたか? 

Teebs:母親は、クールで寛容な人だった。彼女は物書きで、ブラジルやバルバドスで起こっていたことなどを小さな出版社の雑誌に書いて世界を救おうとしていた。母親は、ジミヘンやカリブ音楽なんかを聴いてた、クールな女性だった。父親は数学者で、とても厳しい人だった。僕はあまり彼のことを知らなかった。でも、仕事熱心で家庭をしっかり支えていたからクールな人だったよ。

あなたにどんな影響を与えましたか?

Teebs:父親には勤勉さを教わったよ。僕が内向的なのも父親譲りだと思う。でもそのおかげで、自分の面倒がちゃんと見れるようになった。母親は「あなたのやりたいことをやりなさい」みたいな感じだったから、父親と母親両方からの影響で一生懸命に好きなことをやる、というバランスが上手く取れるようになったんだと思う。

日本盤の解説を読むと、ご両親が音楽好きで、レゲエやアフロ・ミュージック、ジミヘンなどを聴いていたそうですが、子供の頃のあなたもそうした音楽を好みましたか?

Teebs:母親がかけていた音楽で、アメリカの音楽は馴染みもあったし好きだったね。カリブ音楽は、まあまあ好きだった(笑)。当時、僕は幼すぎたからね。家では、夜中の3時までそういう音楽をかけてダンス・パーティをしていた。

通訳:それは子供にとっては刺激が強すぎますよね。

Teebs:その通り。「もう寝たいんだよ……」って思ってた。だから当時はまったく理解できなかった。大人になるまではね。いまではそういうリズムがどこからか聴こえてくると笑みがこぼれるよ。誰がかけてるんだろう? って気になっちゃう。

当時ラジオでかかっているヒット曲や最新のヒップホップ/R&Bのほうが好きでしたか?

Teebs:僕は87年生まれだから90年代だよね。ヒップホップが僕のすべてだった。変わったものが好きだった。僕には兄がいて、彼から色々教わったんだ。僕の年齢じゃ本当はまだ知るべきじゃなかったことなんかもね(笑)。兄の影響で、とても変わったヒップホップが好きになった。

通訳:例えばどんなのですか?

Teebs:変わっているというか、ポップ・ミュージックにはないような感じのもの。MADLIBの初期のものとか、QUASIMOTOとか。僕は当時12歳で、そんな変な音楽を聴いている12歳は僕だけだったと思う。マッシュルームを食って音楽を作っているやつの作品を聴いてる12歳なんて僕だけだったと思うよ(笑)。

通訳:12歳でQUASIMOTOとは、たしかに変わってますよね。

Teebs:うん、かなり主流からは離れている音楽だけど、僕はそういうのが大好きだった。当時そういった変わったヒップホップや、アンダーグラウンドなヒップホップは、あまり良い出来ではなかったのかもしれなけど、誰にも知られてなかったていうことが、僕にとってはクールだった。その世界にどっぷりのめり込んだね。

通訳:それはやはりお兄さんの影響?

Teebs:そう。だから、当時起こっていたクールなものは全て見逃した。Q-Tipが全盛期のときも、僕は「いや、でもSwollen Membersってのもいてさ……」なんて言ってた。

通訳:カナダのグループですよね。

Teebs:そうそう(爆笑)。そういう奴らにすごくはまってて……。

通訳:アンダーグラウンドな。

Teebs:うん。本当にそれがクールだと思ってた。だから、主流な音楽は全然聴いてなかった。Living Legendsがはじまった時期は、Circusなどの複雑なラッパーが好きで、それからラップをやっていたころのAnticonも好きだった。そしてDef Jux。Def Juxには僕の人生をしばらくのあいだ、占領されたね。あと、バスタ・ライムス。彼は一番好きだったかもしれない。初めて買ったアルバムはバスタ・ライムスのだったなぁ。

通訳:彼はポピュラーな人ですよね。

Teebs:そうだね。僕が聴いていたときも既に人気があった。でもファンキーですごく奇抜だった。

ずいぶんと引っ越しをされたという話ですが、どんな子供時代を過ごしたのか話してください。

Teebs:引っ越しが多かったから、兄と遊ぶことが多かった。僕の親戚はみんな東海岸なんだけど、東海岸に住んでいるとき、アトランタにいたときは従兄たちと遊んでいた。従兄たちがやんちゃだったから、一緒にバカなこともやってた。デカいTシャツを着てね(笑)。

通訳:まさに90年代ですね。

Teebs:うん。90年代、ヒップホップ、アトランタ。で、Wu-Tangをずっと聴いてた(笑)。そんな感じで適当に遊んでたよ。それからカリフォルニアに引っ越してチノに来た。そしたら、いままでの(東海岸の)感じとまったく違った。スケボーがすべてで、僕もスケボーにはまっていった。そのきっかけが、変な話で、ビギーの曲をラップしている奴がいて、僕もそのリリックを知ってたからそいつの隣に行っていきなり一緒にラップしたんだ。そいつは「え、お前だれ?」みたいな感じだったけど、一緒にラップしたんだ(笑)。ラップが終わって握手したら、そいつが「俺はこの町でスケボーやってて友だちもたくさんいる。お前も俺らのところに遊びに来いよ」って言ってくれた。

通訳:それでスケボーをやり始めたんですね。

Teebs:うん、スケボーをはじめて、スケボーのおかげで聴く音楽もさらに幅広くなった。単なる変わったラップ、アングラなものだけじゃなくて、変わったプロダクションの音楽なんかも聴くようになった。Mr. Oizoを初めてきいたのもそのとき。
 それからエレクトロニックなヒップホップを聴くようになり、その流れでエレクトロニック音楽を聴くようになった。友だちはロックにはまってるやつらもいて、AC/DCのカヴァー・バンドをやっていて、僕も一緒になってやってみたんだけど、上手くいかなかったな。見てのとおり、その方面では芽が出なかったよ(笑)。僕はあまり上手じゃなかったからバンドにも入れてもらえなかったくらいだ。

通訳:バンドでは何をやっていたの?

Teebs:ギターを弾こうとしてた。友だちはスケボーのロック/パンクな感じが好きだったみたい。だからその方面で音楽をやってみたけど、まあ、そんなにうまくいかなかった。とにかく、スケボーが全てを変えた。たくさんの音楽を知るきっかけになったよ。音楽がどんなにクールなものか、ってね。

通訳:私もスケーターカルチャーは大好きです。スケーターはみんなカッコイイですよね。

Teebs:スケボーをやる人はいろんなことがわかってる。普通の人が持つ人間関係の悩みなんかを、早々に乗り越えて、経験や開放性を第一にして生きている。

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90年代、ヒップホップ、アトランタ。で、僕はウータンをずっと聴いてた(笑)。そんな感じで適当に遊んでたよ。それからカリフォルニアに引っ越してチノに来た。そしたら、そこはがすべてで、僕もスケボーにはまった。


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子供時代のいちばんの思い出は何でしょう?

Teebs:たくさんあるよ。バカなこともたくさんやった。僕が通っていた高校は新しくて、まだ建設中だったときがあった。僕たちが第一期生だった。最初は全校で30人しかいなかった。新設校だったんだ。まだ工事中だったとき、夜中に学校に行って鍵を盗んで建設用のゴーカートを乗ったりしてた。ゴーカートは家まで乗って帰るんじゃなくて、ただ乗りまわして遊んでた。それから、建設用の大型機械とかも乗ってたな。

通訳:ええ!?

Teebs:ああ、死にそうになったときもあったよ。そういうバカ騒ぎをやってた。

通訳:悪ガキだったんですね(笑)。

Teebs:いや、バカなだけだよ。小さな町で退屈して、何か面白いことをしたかっただけさ。そこに、機械の鍵があったから……
 そういう、バカなことをした思い出はたくさんあるよ。アキレス腱を切ったときもよく覚えている。血がものすごく出たんだ。スケボーをしていてガラスの上に転んだんだ。急いで病院に運ばれたよ。あれはクレイジーだった。

旅はよくしましたか?

Teebs:家族とは時々した。他の州に行く程度だけど。あと、ロンドンにも一度、家族で行った。それから母国のバルバドスとマラウイにも一回ずつ行った。とても美しい所だった。それはとても貴重な体験だったから、家計をやりくりして実現させてくれた両親は心から尊敬している。

画家を志そうと思ったきっかけについて教えて下さい。

Teebs:とにかく絵を描くことが好きだった。それから正直、兄の影響が大きい。兄はマンガが大好きで、アニメの絵を描くのが大好きだった。最初はグラフィティだったんだけど、次第にアニメにすごくはまっていっていた。僕たちはLAのMonterey Parkというエリアに住んでいたんだけど、そこに住んでいる黒人は僕たちだけだった。他はみんなアジア人。アジアって言ってもいろいろなアジア人がいて、中華系が一番多かったけど、日本のアニメやゲーム・カルチャーの影響はその町にも強く表れていた。僕と兄は、そういったアニメやゲームの世界に囲まれていた。ゲーセンに行ってバーチャルな乗り物に乗ったりして遊んでた。
 兄は当時からクールなキャラクターの絵を描いていた。兄を見て、アートを通してアイデアを絵にして置き換えることができるのは、クールだと思った。素晴らしいことだな、と思った。自分でもやってみようと思った。僕たちは引っ越しが多かったから、友だちを作るのが結構大変だった。だから兄にいつもくっついていたんだけど、彼には「あっちいけ!」なんて言われてたから、ひとりで遊ぶようになった。アイデアを考えてストーリーを生み出し、それを絵にすることができるんだ、と思ってペンを使って自分のヴィジョンを見つけることにしたのさ。

ちなみに何歳から画家としての活動が本格化したのでしょう?

Teebs:2005年。高校の終わりの頃。スケボーショップでバイトしていて、僕は店でもいつも落書きしてた。そしたらショップのオーナーが、店で展示会をやらないかと言ってくれた。それがきっかけで、画家としての活動をすることになった。小さな町で展示会をやった。そしたら人からの反応があった。「すごいよ、これ!」なんて言ってくれた。びっくりしたけど、そこからもっと絵を描きたくなって、それをコミュニティのみんなと共有したかった。

あなたのペインティングは、抽象的で、ときには具象的なコラージュを使います。色彩にも特徴があります。あなたのペインティング表現に関しての影響について話してもらえますか?

Teebs:中世の作品、宗教画などがすごく好き。ヨーロッパの大昔の絵。昔のキリスト教のアート。そういったものの影響はとても大きい。色彩が鮮やかなところがすごいと思う。
 宗教画を見ると、「教会に毎日来ないと神から罰せられるぞ!」というメッセージが強烈に伝わってくる。その信仰心というのはすさまじくて、狂信的なほどの信仰心から生み出される作品というのは、本当にクレイジーだ。その作品に注がれる感情も強烈だ。その真剣な姿勢がとても好きだった。構成も好きだった。初期の大きな影響は宗教画。それからスケボーがアートに影響を与えた。いまは、なんだろう、人生という大きなかたまりかな。

あなたにとって重要な主題はなんでしょう?

Teebs:人とコミュニケーションが取れるポイントを、なるべくストレートな物体を使わずに、見つけて行くこと。なるべく意味のわからないものを使って。線や記号だけを使って、人に語りかけたい。そのアプローチが気に入っている。「より少ないことは、より豊かなこと」みたいな。自分自身を作品に登場させるのも好きだし、観察者を作品の中に描写するのも好き。その概念でいろいろ遊んでみる。例えば、今回のレコード・ジャケットの展示で、4本線は人を表している。作品の中に4本線があるときがある。それは僕にとって大切で、自分や家族を表している。「U」の記号は、他の人を表す。それも頻繁に使われている。作品を見てまわると、結構見えてくるよ。そういうシンプルな形やマークを使うのが好きなんだ。

ファースト・アルバムのアートワークにも、今回のジャケにも使われていますが、青、赤、緑のリボンのようなペイントは何を意味しているのでしょう?

Teebs:円の中にそれがたくさんあったら、自由形式というか体を自由に動かしている、ということ。あれは僕のしるしのようなもの。僕が頭のなかをスッキリさせているとき、リラックスしているとき、パレットを白紙に戻すというとき、その絵が出来る。それを描くことによって、自分の中にあった緊張やストレスが緩和されていく。心身のバランスが取れて、安心した気分になる。

あなたが花のモチーフを好むこととあなたの音楽には何か関連性があるように思いますが、いかがですか?

Teebs:関連性はあるかもしれない。花をアートのモチーフに使う理由と、自分が音楽をつくる理由とでは結構違いがあるけど、花が生れて形を変化させながら成長して枯れる、というのは音楽と共通するところがあるかもしれない。音楽も一時的に開花して、その後は徐々に消えて行くものだから。そのパターンは似ているかもしれない。

LAにはいつから住んでいるのですか?

Teebs:LA中心部に移ったのは2009年。チノには2001年からいたけど、LAの中心部に引っ越したのは2009年。

では、音楽活動をするきっかけについて教えてください。

Teebs:最初は兄のためにヒップホップのビートを作ろうとしたのがきっかけ。クールだと思ったんだ。兄はラップができたんだけど、僕はできなかった。だから僕はビートを作ろうと思った。

通訳:ではお二人でデュオをやっていたとか?

Teebs:いいや。兄は、兄の友だち同士で音楽活動をしていた。彼の友だちと一緒に制作をしていた。兄は多方面に活動している人だった。僕は、音楽を制作するということに興味を持ち始めていた。でもひとりでビートを作っていただけ。ビートを兄と兄の友だちに提供していた。それが音楽活動のきっかけだね。

通訳:いまではエレクトロニックな音楽を作っていますが、ヒップホップからエレクトロニックへと進化していったのは、やはりクラブへ行きはじめたからでしょうか?

Teebs:そうだよ。最初は、音楽の表現方法を深めるために、いろいろな音楽を聴いた。それから、クラブにも行きはじめた。その両方をしているうちに、サウンドでも自分のアイデンティティを確立していきたいと思うようになったんだ。ヴィジュアルな要素で、自分のアイデンティティを確立していくのと同じようにね。

どのようにしてLAのシーンと関わりを持つようになったのでしょうか?

Teebs:最初はDublabを通じてだね。〈Brainfeeder〉にも所属しているMatthewdavidがMySpaceで「君はクールだね、俺たちと一緒に音楽をやろうぜ」と言ってくれた。当時、LAシーンは既に盛り上がっていたけど、僕はまだチノにいたから、シーンのみんなとはMySpaceを通じて知り合った。

通訳:MySpaceに音楽をアップしていたんですね。

Teebs:うん。で、「君はクールだね」と言われた。僕もDublabはクールだと思ってたから嬉しかった。そこから、お互い、音楽をメールで送るようになった。それからDJ Kutma。彼のおかげでLAシーンと繋がり、LAの皆に僕のことを知ってもらうことができた。

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高校の終わりの頃。スケボーショップでバイトしていて、僕は店でもいつも落書きしてた。そしたらショップのオーナーが、店で展示会をやらないかと言ってくれた。それがきっかけで、画家としての活動をすることになった。小さな町で展示会をやった。


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Teebsという名前の由来は?

Teebs:たくさんのニックネームを経てTeebsになった。僕の本名はMtendere(ムテンデレ)というんだけど、その名前を見るとMがtの前にあるから、発音がむずかしいと思われてしまう。マラウイの言葉で「Peace(平和)」と言う意味なんだ。チェチェワ語というんだけど、チェチェワ語の名前にしてくれてよかったよ。だって英語で「Peace」なんて名前だったら恥ずかしいだろ? 「Peace、お前、世界を救ってくれるのか?」なんて言われそうだ。とにかく僕の本名はそういう語源なんだけど、Mがtの前にあるから、みんな覚えにくいし言いにくい。だからニックネームになった。で、いつかTeebsになって、それがいまでもニックネームになってる。

通訳:Teebsは気に入っていますか?

Teebs:もちろんだよ。でも本名も好きだ。発音するのが難しくなければいいのにと思う。でもTeebsは楽しいし、人が発音しても楽しいし、僕の名前で遊んでもらっても楽しい。いまでも使っているのは気に入っているからだよ。本当はTeebsになった裏にはストーリーがあって、グロいから、いつか、オフレコで話すよ(笑)。

初期の頃にデイデラスとスプリット盤を出したのは、やはり彼の音楽にシンパシーを感じたからでしょうか?

Teebs:デイデラスは本当に大好きで、エレクトロニック音楽のプロダクションに興味を持ちはじめたのは、彼の音楽を聴いたからなんだ。普通のヒップホップのビートとは全く違うものだった。デイデラスのライヴを見て、すごく興奮した。そして、ダンスっぽいビートを作って彼に送ったんだ。友だちも、彼ならとくに気に入ってくれるかもしれないと思ったほどだから。何ヵ月も彼からの反応はなかった。だから、もしかしたらすごく嫌だったのかも、と心配した。ようやく彼から連絡があって、「最高だよ、毎日かけてる。一緒に音楽を作ってみようぜ」と言ってくれた。それから〈All City〉が声をかけてくれて「デイダラスと一緒に音楽制作をしないか」と言われた。すでに、デイダラスと音楽を作っていたところだったから、本当に良いタイミングだったよ。

通訳:デイデラスとは既に友だちだったんですね。

Teebs:ああ、かなりよく知っている方だった。でも、彼は西に住んでいて、僕は東というかチノに住んでいたから実際に会う機会は少なかったけどね。

Teebsの音楽にはビートがありますが、非常にドリーミーで、日本でもボーズ・オブ・カナダを聴いているようなリスナーから支持されています。ヒップホップ以外からの影響について話してもらえますか? とくに今回のアルバムには、ジャガ・ジャジストのラース、イタリアのポピュラス、シゲトなど、さまざまなスタイルのアーティストが参加していますよね。

Teebs:エレクトロニック音楽の影響は大きかった。ボーズ・オブ・カナダは、僕が音楽をはじめてからずいぶん後に知ったんだ。ボーズ・オブ・カナダを聴いたときは、「クールな音楽をやっている人がいるんだな!」ってびっくりしたよ。Dabryeの初期の作品はクールだった。ヒップホップ色が最近のものより少なかった。あとは、Vincent Galloの古い作品とかも良いね。他は、ギターだけで作られた、Bibioの初期の作品。きれいな音楽をたくさん聴いていた。ヒップホップとバランスをとるためだったのかもしれない。

通訳:ではヒップホップとエレクトロニカは同時期に聴いていたのですね。ヒップホップからエレクトロニカへと移行したのではなく。

Teebs:ヒップホップが先だったけど、それにエレクトロニカを追加した。ヒップホップは大好きだった。それから西海岸ではインディ・ロックも人気だった。IncubusとかNirvanaとか、そういのにもはまってたね。

エレクトロニカ/IDMスタイルの音楽でとくに好きなモノは何でしょう?

Teebs:いまはとくにいない。誰かを聴いて、ものすごく興奮するというのは最近ないな。

通訳:では過去においてはどうでしょう?

Teebs:ドイツの二人組がいて、Herrmann & Kleineというんだけど、かなり変態。Guilty pleasure(やましい快楽)って言うの?

通訳:ドイツのエレクトロニカですか?

Teebs:そう。ストレートなエレクトロニカで、しかもかなりハッピーなサウンド。自分の彼女にも、それが好きなんて言わない(笑)。Herrmann & Kleineは密かに好き。それからコーネリアスもすごく好き。彼の音楽を聴いたときはぶったまげた。すごくクリエイティヴで遊び心に溢れてる。でも音楽的にも、とてもスマート。彼は天才だよ、大好き。

プレフューズ73との出会いについて話してもらえますか?

Teebs:インターネットなんだ。それから、プレフューズ73がLAに来たときに、友人に紹介してもらった。Gaslamp Killerとプレフューズ73が一緒にショーをやって、その時に友人が僕たちお互いを紹介してくれた。それ以来、彼とは連絡を取り合って、彼のアルバムのアートを僕が描いたんだけど、そのアルバムは結局リリースされなかった。すごく楽しみにしていたのに残念だったなぁ。プレフューズ73も「あのアルバムについては悪かった。最後で意向が変わったんだ。その代わりと言ってはなんだが、次のアルバムは音楽の面で一緒に作業できたらと思う」と言ってくれた。なのでギアをアートから音楽に切り替えて、一緒に音楽を作った。

テクノのDJ/プロデューサーでお気に入りはいますか?

Teebs:テクノの人の名前は全然知らない。でも最近はテクノやハウスについてたくさん学んでいるところ。僕にとってテクノは、家で聴く音楽でもないし、誰が好きと言ってその人の音楽をフォローする感じでもないし、自分でコレクションを持ちたいというわけでもない。だけど、クラブで誰かが、かっこいいテクノをかけていると、メロメロになっちゃって、クラブで酔っぱらいながらそのDJに「あんた、すげえカッコイイなあ〜!!」なんて言っちゃう。ブースのそばでめちゃくちゃ興奮してるやつ、よくいるだろ? 僕はそうなっちゃうタイプでね(笑)。

通訳:好きではあるんですね。

Teebs:大好きだよ。自分がその音のなかにいるのが好き。次の展開が読めずに音をそのまま楽しむのがすごく楽しい。

ドリーミーと形容されるとのとサイケデリックと形容されるのでは、どちらが嬉しいですか?

Teebs:言葉としては、サイケデリックという言葉はとにかく最高だよね。でも僕の作る音楽はどちらかというと、サイケデリックというより、ドリーミーだと思う。でも、僕も、もともとはサイケデリックな音楽を聴いていたから、サイケデリックのほうが嬉しいかな。でもどっちでもいいや(笑)。

新作の『エスターラ』というアルバム・タイトルの意味を教えて下さい。

Teebs:Estaraは、僕がアルバムを作っていたときに住んでいた通りの名前。言葉として、とても美しと思った。言葉の意味を調べていくうちに、スペイン語の「〜である(Esta=To be)」だとわかった。「〜である」というのは、物理的にそこにいる、という意味と、その時の精神状態という意味がある。僕のファーストアルバムを振り返って、今回のアルバムを合わせると、円を一周して、元の位置・状態に戻る、ということになる。以前の状態を経て今回の状態へとなる、という意味なんだ。

曲が、“Piano Days”〜“Piano Months”と続きますが、今作におけるピアノの意味について教えて下さい。

Teebs:ピアノの美しさや簡潔さを表現したかった。本当に素敵な楽器だ。

通訳:ピアノは弾けるんですか?

Teebs:ああ、遊び感覚ではよく弾くよ。君をうっとりさせるほど、ちゃんと弾けるわけではないんだけど(笑)、僕とピアノとしばらくの時間があれば、何らかのものは生れてくる。“Piano Days”〜“Piano Months”と一緒にしたのは、理由があって、このアルバムはリスナーにとって、口直しのようなものであってほしいと思っている。このアルバムを聴いて、頭がスッキリして、心身ともに白紙な状態に戻ってもらえたらいいと思う。“Piano Days”を聴いたあとに、リスナーにもう少し、そのアイデアの余韻に浸ってもらっていたかったから“Piano Months”を次に持ってきた。

“Hi Hat”、“NY Pt. 1”、“NY Pt. 2”など、シンプルな曲名が良いのは何故でしょう? 

Teebs:直接的だから。なるべく直接的であるようにしている。物事もなるべくシンプルであるのが良いと思うから。

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デイデラスは本当に大好きで、エレクトロニック音楽のプロダクションに興味を持ちはじめたのは、彼の音楽を聴いたからなんだ。普通のヒップホップのビートとは全く違うものだった。デイデラスのライヴを見て、すごく興奮した。


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同じアメリカですが、カニエ・ウェストやファレル・ウィリアムスのような文化と、あなたがたの文化との大きな違いはどこにあるのでしょう?

Teebs:カニエの文化は、オーディエンスが大勢いるからそれに対応してアイデアやサウンドを表現していかなければいけない。そして、もっとポップの要素がたくさん入っている。それに比べて、僕たちの文化はもっと実験的で、ゆるくて、独特だ。僕たちの文化から生み出される良いアイデアが、フィルターを通して彼らの文化に表れている。そういう仕組みだと思う。みんな、僕たちの世界をのぞいて良いアイデアがないかと探す。それを彼らのプロダクションに活かすというわけさ。

通訳:それに対して否定的な感情はありますか?

Teebs:いや、ないよ。僕の作品から何かを取ったと聞いたら、それは一種の称賛として受け止める。僕がやっていることが評価されて取られているわけだから称賛だと思うね。本当にそっくりそのまま盗まれていたら否定的になるけど、それ以外だったら自分が正しいことをしているという意味だから、いいや。金のことはあんまり気にしない(笑)。

今後の予定を教えて下さい。

Teebs:Obeyの服のラインから洋服をリリースする。それは夏には出ると思う。とても楽しみにしている。プレフューズ73とは今後も、さらに一緒に制作をする予定。アメリカでアートの展示会をやる予定で、海外でも、もう何カ所かでやろうかと考えてる。去年、あまり活動的じゃなかったから、今年はいろいろな分野で活動していきたいと思っているよ。

※朗報! 5月23日、フライング・ロータス率いる《ブレインフィーダー》のレーベル・パーティーが史上最大スケールで日本上陸!

FLYING LOTUS
THUNDERCAT
TEEBS,
CAPTAIN MURPHY
TAYLOR MCFERRIN
MONO/POLY
AND MORE …

2014.05.23(FRI) 新木場ageHa
OPEN/START 22:00 前売TICKET¥5,500
※20歳未満入場不可。必ず写真付き身分証をご持参ください。
YOU MUST BE 20 AND OVER WITH PHOTO ID.
企画制作:BEATINK 主催:SHIBUYA TELEVISION 協賛:BACK CHANNEL

www.beatink.com

Flying Lotus (フライング・ロータス)
エレグラ2012、昨年のフジロックと急速に進化を続ける衝撃的オーディオ・ヴィジュアルLIVE『レイヤー3』、次はどこまで進化しているのか?その眼で確かめよ!

Thundercat (サンダーキャット)
昨年の来日公演でも大絶賛された天才ベーシストのバンドによる超絶LIVE!強力なグルーブとメロディアスな唄を併せ持つ極上のコズミック・ワールドへ!

Teebs (ティーブス)
1台のサンプラーから創り出される、超絶妙なグルーブ感と限りなく美しいアンサンブル。真のアーティストの神業に酔いしれろ!

Taylor McFerrin (テイラー・マクファーリン)
ロバート・グラスパーやホセ・ジェイムズと共演するなど、その実力でデビュー前から大注目を集めるブレイク必至の逸材が、遂にアルバムと共に来日!

Mono/Poly (モノ/ポリー)
超ヘビーなベースに、コズミックなサウンドスケープとグリッチなHIP-HOPビーツで注目を集める彼が遂に来日!

and more...

WATER(POOL):BRAINFEEDER DJs ステージ
● ブレインフィーダー所属のアーティスト達などによるDJ!

BOX(TENT):JAPANESE DJs ステージ curated by BRAINFEEDER
● ブレインフィーダーがキュレーションし選んだ日本人DJ達によるステージ!

ISLAND [メイン・バー&ラウンジ]:
BRAINFEEDER ON FILM& BRAINFEEDER POP-UP SHOP

● Brainfeeder On Film:映像作品上映エリア:ブレインフィーダーにゆかりの深い映像作品を一挙上映
● Pop-Up Shop:CDやアナログはもちろん、レーベルや関連アーティストのレアグッズを販売!
  この日しか買えないプレミアム・グッズも!
● Back Channel:人気ブランドBack ChannelとBrainfeederの限定コラボTシャツを販売!

ART:[LIVE PAINTING]&[EXHIBITION]
● ブレインフィーダー関連アート作品などの展示やライブ・ペインティングを展開!

※各ステージの更なる詳細は後日発表予定!

TICKET INFORMATION
前売チケット:¥5,500
●イープラス [https://eplus.jp]
●チケットぴあ 0570-02-9999 [https://t.pia.jp] (Pコード: 225-408)
●ローソンチケット 0570-084-003 [https://l-tike.com] (Lコード:72290)
●tixee(スマートフォン用eチケット) [https://tixee.tv/event/detail/eventId/4450]
●disk union (渋谷クラブミュージックショップ 03-3476-2627 /
新宿クラブミュージックショップ 03-5919-2422 /
下北沢クラブミュージックショップ 03-5738-2971 / 吉祥寺店 0422-20-8062)
●BACKWOODS BOROUGH (03-3479-0420)
●TIME 2 SHOCK (047-167-3010)
●FAN (046-822-7237) ●RAUGH of life by Real jam (048-649-6866)
●LOW BROW (042-644-5272) ●BUMBRICH (03-5834-8077)
●NEW PORT (054-273-5322) ●O.2.6 (026-264-5947)

【ビートインクWEB販売】>>> beatkart (shop.beatink.com)
[BEATKART限定!BRAINFEEDER4特製アート・チケットをお届け!!]

※20歳未満入場不可。必ず写真付き身分証をご持参ください。You must be 20 and over with photo ID.

[ INFORMATION ]
BEATINK : 03-5768-1277 / info@beatink.com
https://www.brainfeedersite.com/
企画/制作:BEATINK 主催:SHIBUYA TELEVISION 協賛:BACK CHANNEL
www.beatink.com

GOODWEATHER presents AKKORD JAPAN TOUR - ele-king

 モイーズ監督が解任されても、シティが優勝戦線から脱落しても、いまマンチェスターは熱いのだ。いつまでもマッドチェスターとか言ってるんじゃないぜ。
 今週は、たいへんだ。なにせ、日曜日にはリヴァプールとチェルシーの決戦もあるし、週末にはアコードのDJもある。え? アコードが誰かって? やれやれ、それでは教えてあげよう。

 アコードは、マンチェスターを拠点に活動をするプロデューサーのインディゴとシンクロによるユニットだ。これまでに、4枚のシングルとEP、1枚のアルバムをリリースしている。それらの作品のなかでは複雑なビートが絡み合い、怪しげなヴォイス・サンプリングや強烈なベースが飛び交う。黄金比や数学をコンセプトに取り込んだり、サイマティクスという音の周波数が示す形状パターンをミュージック・ヴィデオに取り込んだりと、プロダクションの方法も独創的である(インディゴの身体には黄金比を取り入れたタトゥーが刻まれている)。先日のボイラー・ルームで披露したDJセットにもその独創性が表れている。



 ふたりはアコード名義以外でも多くの作品をリリースしている。最近では、インディゴはニュージーランドの実験的なドラムンベースのレーベルである〈SAMURAI MUSIC〉のサブ・レーベル〈SAMURAI RED SEAL〉から「Storm EP」を、シンクロはベルギーの〈R&S〉傘下の〈APPOLLO〉から「Lost Here EP」を発表したばかりだ。
 アンビエントからテクノやダブステップまで、常にひとつのスタイルに縛られることなく作品を発表してきたふたりだが、この2枚のEP では、動的なインディゴと静的なシンクロというふたつの個性が表現されている。

 マンチェスターが彼らのホームであることも忘れてはいけない。元インディ・キッズにはお馴染みの街だが、近年でも素晴らしい作品がたくさん生まれている。5月に来日するアンディ・ストットとデムダイク・ステア。ダブステップ界隈で活躍するコンパやエイカー。ロック・バンドではエジプシャン・ヒップホップもいる。彼らは故郷を離れることなく、現在もマンチェスターに住んでいる。

 著者は一度だけマンチェスターを訪れたことがあるが、全てがコンパクトにまとまっているという印象を受けた。シティ・センターをワンブロック歩けばレコード屋さんがあり、サウンド・システムが入ったクラブがあり、ミュージシャンにも出会える。音楽を楽しむ人にも、音楽を作る人にも最高の環境がマンチェスターにはある。だが、環境だけがアコードの幾何学的なサウンドや、アンディ・ストットの暗黒なビートを作り上げたのではない。何がシーンや彼らのサウンドを作り上げたのか。それは誰にもわらない謎だ。

 アコードを惹きつけた黄金比は自然のあらゆる場所に存在している。貝の渦巻きにも、葉っぱの並び方にも、もちろん音の波形の中にもそれはある。優れた音楽に何らかの規則性があるとするならば、それは黄金比によるものなのだろうか。彼らの音を聴けば、そのヒントくらいは掴めるかもしれない。そして、その絶好のチャンスが今回のアコードのジャパン・ツアーだ。シーンの最先端には何があるのか、そしてそれがどのように生まれたのか。そこに耳をすましてみたい。

 主催は名古屋を拠点に活動する GOODWEATHERであり、ローガン・サマやスウィンドルをゲストに迎えたパーティも記憶に新しい。東京公演では、GOODWEATHERにレギュラーで出演している日本を代表するベース・クルーのPatry2Style Sound。インディゴも所属する〈SAMURAI MUSIC〉からEPを出したばかりのBack To ChillのレジデントDJのENA。同じくBack To Chillのレジデントである100mado。独自のスタイルでテクノを追求する GONNO。 GOODWEATHERクルーからはNOUSLESSとSAVが登場する。25日は是非LOUNGE NEOへ。
(Y.T)

GOODWEATHER#35 AKKORD JAPAN TOUR “Golden Rule and Causality”
April 25, 26 and 28, 2014


Electronic Music in Mexico - ele-king

■メキシコ・エレクトロニックミュージックの現在

 メキシコの首都、メキシコシティに住んで7年が経った。
 よく人に、「なぜ、メキシコに住んでいるのか」と聞かれるが、いつまでたってもその理由をはっきりと答えられない。

 メキシコは好きだが、ここへやってきたのはスペイン語を本格的に勉強したかったからだ。かねてからラテンアメリカ文化のライターである以上、通訳の力を借りることなく、自分の言葉で興味のある対象にインタヴューしたいと思っていた。そこで、メキシコシティにある国立大学内のスペイン語学校が、ラテンアメリカのなかでも優れていると知り、留学することにした。その当時すでに34歳。遅い大学デビューである。1年ほどで帰国するつもりでいたが、貯金も底を尽きてしまい、帰れなくなった。
 私の実家は静岡県浜松市にあるが、家族たちから、追い打ちをかけるようにこう言われた。「この辺りに住んでいた出稼ぎのブラジル人やペルー人たちが国へ帰るほど日本は不景気だ。あんたが帰国後あてにしてた製造業での通訳の仕事も今はないみたいよ。いっそ、メキシコに居た方がいいんじゃない?」。
 そうか、覚悟を決めるしかない。幸いなことに、メキシコ在住の日本人ライターというので珍しがられ、ぼちぼち仕事も入るようになったので、なんとか食いつなげるかもと思い直した。
 石油や鉱山などの資源に恵まれ、日本の国土の約5倍の大きさのメキシコには、金は腐るほどあって景気がいいように見える。
 メキシコシティの目抜き通りは先進国並みのオフィスビルが建ち並ぶが、ちょっと通りを離れたらバラックの建物が並ぶ光景を見る。ヒップスターが高級自転車で町を徘徊する横では、ストリートチルドレンたちがシンナーを吸っている。
 権力者たちは権力を糧に横暴をふるうが、そこに取り入れられなかった者たちは忘れられた世界に生きるしかない。スペインの映画監督ルイス・ブニュエルがメキシコ在住時の60年以上前にメキシコシティで撮影し、子どもたちの厳しい運命を記した映画「忘れられた人びと」と何ら変わらぬ風景がそこにある。

 人口2000万人以上の大都会に居るにも関わらず、私の暮らしはモダンやアーバンライフからはほど遠い。いつでも偽札を掴まされるのではないか、所持品を盗まれるんじゃないかと注意をはらい、屋台だけではなく、高級レストランまで食中毒を起こす危険があるので、疑心暗鬼だ。緊急病棟に運ばれたときに、ベッドが不足していて、椅子に座ったまま2日間入院したこともある。独裁政権下でもないのに、デモに参加しただけで、刑務所に入れられる仲間がゴロゴロいる。
 この原稿を書いている今も、激しく雷が鳴り響き、また停電が起こるんじゃないかとひやひやしながら、パソコンのキーボードを打っている。ちなみに、私の住むダウンタウンの築60年の停電がよく起こるボロアパートは、ビル・ゲイツに次ぎ、世界で最も資産を持つ通信会社テルメックスの会長、カルロス・スリムの財団が大家である。メキシコシティでは、スリムのような投資家がゲットーの土地を買い漁り、ジェントリフィケーションが進んでいる。だから私が必死で稼いだ金は、家賃、携帯やネット使用料(テルメックスは国内の電話、ネットの市場をほぼ独占している)となって、スリム一家の資産の糧となっていく。
 フランスの詩人でシュルレアリスタのアンドレ・ブルトンが 、1938年に大学のシュルレアリスム講義のためにメキシコへ招待されたが、「なぜ私がメキシコに呼ばれたのかわからない。すでにメキシコは世界で最もシュールな国だ」と言ったのもうなずける話だ。
 だけど、たまらなく美味しいタコスに出会ったときや、市場のおばちゃんとたわいない世間話をして笑いがとれたときなどには、ああ、私もようやくメキシコに馴染めたんだな、という充足感で心が晴れるのだった。
 メキシコのシュールさも含め、たいていのことでは驚かなくなっている私ではあるが、未だに馴染めないのが、ここに立ちこめる暴力の匂いだ。
 メキシコの前大統領フェリーペ・カルデロンが2006年に施行した、麻薬組織撤廃政策において、ここ数年間のメキシコの治安状況は悪化し、現在までに抗争によって6万人以上の死者が出ている。気にしないようにしていても、ニュースではどこで死体が見つかったという話ばかりで、ふとした瞬間に不穏な気持ちになるのは否めない。
 残念ながら、世界中から麻薬組織の国とイメージされるようになってしまったメキシコだが、とくに米国との国境地帯での抗争が激化し、そのひとつの都市、ヌエボ・レオン州モンテレーは、クラブ内などでも銃撃戦で死者が出るほどだ。モンテレーは1990年代後半から、オルタナティヴ・ロックのバンドが続々生まれる音楽文化が豊かな土地だったが、いまでは夜には誰も出歩かないような状況が続いている。現地の企業や学校では、もし手榴弾が飛んできたらどう対応するのか、という講習が行われるほど危険な時もあった。

ティファナのグループ、ロス・マクアーノスが国境地帯の暴力に抵抗するために音楽をはじめた、と語る姿とモンテレーのフェスティヴァルの様子

 そんななか、モンテレーの若者たちが、暴力によって鬱屈した戒厳令状態を打開するために、2009年よりはじめたのが、エレクトロニックとオルタナティヴをメインにしたフェスティヴァルNRMAL (ノルマル)だ。モンテレー、ティファナ、そしてチワワ州シウダーフアレスなど、麻薬抗争の激戦区である国境周辺都市のアーティストたちをメインに集結し、少しずつ、海外アーティストも招くようになっていった。
ラテンアメリカのなかでも重要なフェスティヴァルになりつつある。

■フェスティヴァルNRMALメキシコシティのレポート

 フェスティヴァルNRMALは、今年2014年は、3月5〜9日までモンテレーで開催され、3月1日はメキシコシティでも初開催された。私はメキシコシティの方に参加したのだが、その会場は、なんとメキシコ国軍のスポーツ施設。入り口に銃を持った兵士たちが立っているのが異様だったが、中に入れば、サッカー・コートやロデオ場など4箇所に野外ステージが設置され、都会とは思えないようなのどかな雰囲気だ。
 サイケデリック・エレクトリックの伝説、シルバー・アップルズ(現在はシメオンのソロプロジェクト)や、デヴ・ハインズのエレポップなR&Bプロジェクト、ブラッド・オレンジなど、国内外の計31組が出演した。その過半数がメキシコを含めるスペイン語圏のアーティストたちだ。
 プログラムは、インディー系バンドとエレクトロニック・ミュージックのアーティストが交互に出演する構成で、ローカルの才能に発表の機会を与えるという意図からも、メキシコに蔓延するコマーシャリズムに乗ったフェスティヴァルとは全く異なる。
 今回もっとも素晴らしかったのは、チリの変態エレクトロ・レーベル〈COMEME(コメメ)〉を主宰する、マティアス・アグアヨと、アンデスの先住民音楽をコンセプトにした、ドラムとDJのデュオ、モストロとが組んだユニットといえよう。モストロが奏でる野性味あふれる音と、アグアヨの奇妙なエレクトロニック・ビートとラップが融和した祝祭的な音に、観客たちは覚醒したように踊り狂っていた。
 また、覆面黒装束で、ゴシックなデジタル・クンビアを演奏するコロンビアのトリオ、La mini TK del miedo(ラ・ミニ・テーカー・デル・ミエド)は、雄叫びをあげ続けて、観客を煙に巻いている感じが面白かった。
 いままで、さまざまなメキシコのフェスティヴァルに参加してきたが、誰もが知るアーティストばかりが出演するものよりも、意外性や発見があるほうがどれだけ刺激的か。
 今回のNRMALのメキシコシティでは、それなりに知名度があるアーティストが選出されていたが、本拠地モンテレーのほうがローカルのりで、はるかに盛り上がると聞くだけに、来年はぜひモンテレーまで足を運びたい。

FESTIVAL NRMALのオフィシャルビデオ

  • メインステージの前でくつろぐ参加者たち。芝生でリラックス © Elisa Lemus
  • 楽器販売のブース © Miho Nagaya
  • 雑貨とレモネードを販売するブース © Miho Nagaya
  • ブランコもあった © Miho Nagaya"
  • フードトラックが並び、充実した各国料理が食べられる © Miho Nagaya"
  • VANSが提供するスケート用ランページも © Miho Nagaya
  • ティファナ出身のフォークシンガー、Late Nite Howl © Miho Nagaya
  • 雑誌VICEの音楽プログラム、NOISEYが提供するステージ © Miho Nagaya
  • メヒカリ出身の新鋭テクノアーティストTrillones © Elisa Lemus
  • 会場はペットフレンドリー © Miho Nagaya
  • NRMALのスタッフたちは黒尽くめでクール © Miho Nagaya
  • マティアス・アグアヨとモストロのステージが始まる頃には満員に © Elisa Lemus
  • マティアス・アグアヨ © Miho Nagaya
  • コロンビアのLa mini TK del miedo © Elisa Lemus

 近年のNRMAL周辺の国境地帯のアーティストたちの動きは、はからずとも10年以上前の2000年初頭に国境地帯ティファナの若いアーティストたちが立ち上がった〈ノルテック(NORTE=北、TEC=テクノロジー)〉のムーヴメントと重なるところがある。
 1994年のNAFTA(北米自由貿易協定)によってメキシコで生産されたものは関税なしでアメリカに輸出でき、低賃金で労働力を得られるため、日系を含む多国籍企業が進出し、ティファナを含む国境近くの都市に工場地帯=マキラドーラを建立した。
 ティファナは、もともと、砂漠のなかに建てられた新興都市で、地方から移住してきた人たちの寄せ集め的に見られていた。首都のように伝統や歴史もなく、アメリカとメキシコの合間で、どちらにも属せないのがティファナの人びとだった。
 アイデンティティの不在をバネに、面白い文化を築きたいという若者たちのパワーによってはじまったのが、アート、音楽、文化をメインにしたムーヴメント、ノルテックだった。グラミーで幾度もノミネートされるなど、現在メジャーで活躍するメキシコのテクノ・コレクティヴの〈ノルテック〉は、その当時にこのムーヴメントの音楽部門として生まれた。
 そんなムーヴメントの中心で動いていたメンバーたちが2002年に設立したのが、ティファナのインディペンディエント・レーベル、〈STATIC DISCOS(スタティック・ディスコス。以下スタティック)〉だ。
 音楽ジャーナリストのEJIVAL(エヒバル)を代表に、〈KOMPAKT〉などの海外レーベルからもアルバムがリリースされる、バハ・カリフォルニア州メヒカリ出身のアーティスト、FAXと、ティファナ出身で、ノルテックの元メンバーのMURCOF(ムルコフ)が、レーベル・タイトルのマスタリングを手がける。FAXはデザイナーとして、アートワークも担当している。

〈Static関連写真〉

 FAXの『Resonancia』とMURCOFの『Martes』の2タイトルを皮切りに、現在までに64タイトルをリリースし、レーベルアーティストたちが、スペインのSonarやカナダのMUTEKといった国際フェスティヴァルにたびたび招聘されるまでに成長した。
 なかでも5月に来日公演が行われるMURCOFは、ジャズトランぺッターのエリック・トラファズとタブラ奏者タルヴィン・シンと組んで世界ツアーをし、テクノの曲を弾くクラシックピアニスト、フランチェスコ・トリスターノ・シュリメやヨーロッパ現代音楽界のアーティストたちともコラボレーションするなど、幅広く活躍し、最も成功しているアーティストといえよう。

MURCOFがフランスのヴィジュアル・アーティストAntiVJとコラボレーションし、ブラジルで演奏したときの映像。

 いまもなお、メキシコおよび、ラテンアメリカのシーンを牽引するレーベル、〈スタティック〉代表のエヒバルに、現在のメキシコのエレクトロニック・ミュージックについて、メールインタヴューした。彼は、前述のフェスティヴァルNRMALやMUTEKメキシコ版の制作に携わっている。

 「〈スタティック〉をはじめた頃は、国内で僕らのやってるエレクトロニック・ミュージックを誰も理解していなかったが、両フェスティヴァルが開催されるようになって、ようやく一般に認知された。両フェスティヴァルの立ち上げから関わっていることを誇りに思うよ。メキシコのフェスティヴァルのほとんどは大企業スポンサーのコマーシャリズム優先だが、NRMALもMUTEKも、個性を重視したフェスティヴァルがメキシコでやれる可能性を広げた。今年のメキシコシティでのNRMALの開催も成功したと思う。新しい才能に注目し、知る人ぞ知るカルト的アーティストも加えたフェスティヴァルは、リスナーを育てる良い機会だし、来年はさらに成長していくだろう。メキシコの問題は、ショービジネス界を独占するイベント企業が、すべて横取りし、ほかのフェスティヴァルの成長を阻むこと。さらにメキシコは海外アーティストへの支援は惜しみなく、法外なギャラを支払うが、国内アーティストに対するリスペクトがほとんどない。 だからこそ、NRMALやMUTEKみたいなフェスティヴァルに関わるほうが面白い。僕たちは新しく先鋭的な音楽を求めているわけで、儲け話が第一じゃないからね」

 〈スタティック〉は今年で12年を迎えたが、インディペンディエントのレーベルをここまで続けるのは簡単ではない。

 「音楽への愛があったからやってこれた。僕たちの目的は、国外でも通用するようなメキシコの才能を見つけ、紹介していくこと。正直、失敗も多いけど、それが僕たちを止める理由にはならない。何も失うものはないし、その失敗を糧に、学んだことのほうが大きい。〈スタティック〉では、2012年からCDの製造をほぼ停止し、ネットでのダウンロードによってリリースしているが、タイトルによってはCDも製造する。昨年は、アナログをリリースし、いくつかのカタログアイテムをカセットテープにする計画もある。最近では本の出版も行っているんだ。近い将来、コーヒーとビールの製造もはじめたい。というのも、いまや、多くの人びとがCDやレコードなど実体のあるものを買おうとしていないから。そのいっぽうで、ダウンロードもそれほど盛況じゃないし、この現実を受け止めなきゃいけない」

 エヒバルは、ちょっと後ろ向きな発言をしつつも、最新の〈スタティック〉のタイトルはとても充実していると嬉しそうに語る。

 「FAXはEP『MOTION』をリリースしたばかりだ。メキシコでもっとも洗練されたエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーといえる。アルゼンチンのMicrosfera(ミクロスフェラ)はハウス感覚のポップで美しい歌を交えたアルバム『Sunny Day』を生んだ。ハリスコ州グアダラハラ出身のMacario(マカリオ)のニュー・アルバム『To Pure』にも注目だ。そして、バハ・カリフォルニア州、エンセナーダ出身のChilds(チャイルズ)のセカンドアルバムのリリースを間もなく控えている。ものすごい傑作だよ。あとは、リリース予定のメキシコシティのCamille Mandoki(カミーユ・マンドキ)は、美しい声を持ち、実験的なアンビエントで素晴らしい。ティファナの作家、ハビエル・フェルナンデスとカルラ・ビラプドゥーアの音楽寄りな書籍も出版予定だ。スタティック以外では、ティファナ出身のフォークシンガー、Late Nite Howl(レイト・ナイト・オウル)がとても有望だし、メキシコシティのWhite Visitation(ホワイト・ビジテーション)もアンビエント・テクノの若手として、海外でも評価されている。メキシコシティ出身で現在ニューヨーク在住のÑaka Ñaka(ニャカ・ニャカ)も面白い。これらの新しい才能たちは、もう〈スタティック〉のようなレーベルの力を必要としないで、彼ら自身で成長していっている」

〈Static Discosの最新作のアルバムジャケット〉

 実は約10年前の2004年にティファナを訪れ、エヒバルと、その妻のノエミにインタヴューをしたことがある(後にremix誌2005年5月号の「メキシコのエレクトロニカ」の記事となって掲載された)。当時エヒバルは、ティファナのマキラドーラ内の工場で働きながらレーベルを運営していた。私はその際にノエミが言った、「ティファナは歴史も文化もないし、あまりに田舎でうんざりすることだらけよ。でも、そんな状況で育ったからこそ私たちには豊かな創造力がある」という言葉に感銘を受けたのだった。MURCOFが2006年にスペインへ移住した当時は、エヒバルとノエミも移住を考えていたが、現在もティファナを拠点にしている。

 「以前とだいぶ変わり、メキシコもずいぶん状況が良くなってきた。そして、ティファナを愛していることや、ここから何かを起こすことの方が重要だと気づかされたんだ。ヨーロッパへ行って基盤を作るのは日に日に難しくなっているし、競争も激しい。僕たちはMURCOFがヨーロッパの不況にも負けずに活動し続けていることを嬉しく思う。ただ、いろいろな意味でティファナは10年前と変わらない問題を抱え続けている。
 この土地の音楽ムーヴメントは大波のようにやってきて、優れた人びととともにメキシコシティや海外へ去って行き、ティファナには残らない。だからまたゼロから取り組まなければならない。それでもティファナは、本当に創造性を刺激する場所だ。いつでも何か面白いことを計画している人びとがいて、いまは音楽だけでなく、食文化や、社会組織(アクティヴィズム)の面において新しいことが起こり始めている。ノルテックのような国境ムーヴメントは今後起こりうる可能性はあるが、音楽だけが独り立ちできる状況ではなく、他の新しいムーヴメントと、音楽をどう絡めるかにかかっているだろう」

 以前から音楽ジャーナリストとしても活躍する彼だが、それだけでやっていくのは厳しいという。
 「生活のために、政治家や社会活動の対外向けテキストを執筆したり、ソーシャル・メディア対策の仕事をしている。工場で働いていた頃は、経済的に安定していたけれど、僕の魂は悲しみにくれていた。いまはその日暮らしだけど、以前よりはずっと幸せだ。とにかく、支援すべき面白いプロジェクトを探し続け、〈スタティック〉でリリースしていきたい。音楽と文学と魂が震えるような感覚を探し続けることに、僕は決して疲れることはないだろう」

 私は思わず、彼の言葉を自分の立場に置き換えていた。
 私がなぜメキシコにいるかの答えはいまだに見つからないし、見つからなくてもいいような気がする。でも、この言葉をきくために、いままでがあったような気がしてならない。
 思い込みだろうか? まあ、思い込みでもいいじゃないか。


〈メキシコの注目アーティストたち〉

■Los Macuanos(ロス・マクアノス)https://soundcloud.com/losmacuanos

ロサンゼルスにあるメキシコのビールメーカー、インディオが運営する文化センターで公演した際のインタヴューとライヴ映像。

2013年にNACIONAL RECORDS(チリのMC、アナ・ティジュやマヌ・チャオもリリースするロサンゼルスのハイブリッドレーベル)から「El Origen」で全世界デビューを果たしたティファナとサンディエゴ出身の3人組。オールドスクールなテクノとメキシコの大衆歌謡やトロピカル音楽をミックスし、〈メキシコ版クラフトワーク〉や〈国境のYMO〉とも呼ばれる。同アルバム収録曲「Las memorias de faro」が、2014年FIFA ワールドカップ、ブラジル大会の公式サウンドトラックに収録 され、南北アメリカ大陸で注目を集める。

■MOCK THE ZUMA(モクテスマ) https://soundcloud.com/mockdazuma


MOC THE ZUMA © Miho Nagaya 

メキシコでも最も注目される才能ある若者のひとりで、ダブステップ、アブストラクト・ヒップホップに影響を受けたその音は、いびつで強烈なインパクトを持つ。国境の町、チワワ州シウダーフアレス出身で、同都市は1990年代から現在まで女性たちが誘拐され、1000人以上が行方不明または殺害されているが、誰が犯人なのか未だに解決されていない。そして麻薬組織の抗争の激戦区であり、メキシコで最も危険な場所である。ロサンゼルスの新聞、LA TIME〈World Now〉で、2011年当時19歳だったモクテスマが、「僕の音楽はビザールな現実から影響を受けている」とインタヴューに答え、世に衝撃を与えた。

■Trillones(トリジョネス)https://soundcloud.com/trillones


Trillones © Static Discos

〈スタティック〉からEP『From The Trees To The Satelites』でデビューした、メヒカリ出身のアーティスト。スペインで最も読まれている新聞El Paisの記事「ラテンアメリカで注目すべきエレクトロニック・ミュージックの5名」の一人として選ばれたニューカマー。同郷のFAXとは親交が厚く、FAXとともにメキシコ北部の先住民音楽と、アンビエント、ロックを融合したユニットのRancho Shampoo (ランチョ・シャンプー)に参加する。

■MURCOF 2014年来日ツアー情報
5月3日、4日 東京 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2014 会場 東京フォーラム (詳細https://www.lfj.jp/lfj_2014/performance/artist/detail/art_79.html
5月9日 新潟 Red Race Riot "Sensación de bienestar de días de entusiasmo" 会場 Solero (詳細 https://www.redraceriot.com/index2.html

O.K?Tropical Ghetto HP
https://www.tropicalghetto.com/

PICK UP DJ スケジュール
・4/28 (月) 東京都 “”Second MORE of LOVE “” at 下北沢 more
・5/3 (土) 神奈川県 ””PRINS THOMAS III ALBUM RELEASE PARTY-man II man-”” at 江の島OPPA-LA
・5/1 (木) 東京都””光る夜”” at 新宿 open
・5/24 (土) 沖縄県 “”O.K?Tropical Ghetto feat. クボタタケシ”” at 熱血社交場 a.k.a NEKKE 2
・5/30(金) & 5/31(土) タイ “”GIANT SWING 4th anniversary party”” atバンコク
・6/7 (土) 神奈川県””Apache”” at江の島OPPA-LA w/KZA (Force Of Nature) / A-THUG / stickey

JAPANESE 7inch Records


1
坪山 豊 - ワイド節 - 奄美民謡ンナルフォンレコード

1
Yasu-Pacino - Spy vs Spy Remix - HONEY RECORD

1
KEN2-D SPECIAL - I Fought The Law (Re:DUB) - Reality Bites Recordings

1
田我流 feat. Big Ben - 墓場のDigger - 桃源響RECORDS

1
坂本慎太郎 - Wine Glass Women - zelonerecords/republic records

1
RC Succession - Love Me Tender (非売品) - Eastworld

1
50 (5lack × Olive Oil) - 早朝の戦士 (A Lata Mete Ill Remix) - 高田音楽制作事務所 × Oilworks Rec.

1
Popo Johny - キーストーン - Akazuchi Rec × SMR Records

1
Boogie Man - Step Up - カエルスタジオ JPN

1
Karamushi & Friends - Asia Unite - Fantastic Karamuseed

1
水前寺清子 - 三百六十五歩のマーチ - CROWN

Rainbow Disco Club 2014 - ele-king

 4月29日、晴海で開かれる注目の「Rainbow Disco Club 2014」、タイムテーブルが発表されました!
 お昼から夜の8時まで濃いですが、マジック・マウテン・ハイはどちらかと言えばゆったり目の音楽なので、やはりプリンス・トーマスから上がっていく感じでしょうか。
 ムーディーマン2時間~ヘッスル・オーディオ1時間半の後半は、ちょっとすごいですね。
 そういえば、ベンUFOのインタヴューがRAに載ってますが、彼は現在のロンドンのナイスなDJのひとりだと思います。
 あとはどうか、4月29日に雨が降りませんように……と祈るだけです。

Rainbow Disco Club 2014
-TIME TABLE-

[Rainbow Disco Club Stage]

1000 - 1230 Sisi
1230 - 1400 MMH live
1400 - 1630 Prins Thomas
1630 - 1830 Moodymann
1830 - 2000 Hessle Audio

[Red Bull Music Academy Stage]

12:00-14:00 Kez YM
14:00-15:00 Hiroaki OBA live
15:00-17:00 San Soda
17:00-18:00 Kuniyuki live
18:00-20:00 Secret Special Guest

※タイムテーブルは予告なしに変更する場合がございますので予めご了承ください。


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