「Dom」と一致するもの

Narki Brillans - ele-king

 ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの再発を2枚。

 その前にギュンター・シッカートが75年にリリースしたファースト・ソロがこれまで〈メトロノーム〉から復刻されていたものをイタリアのワウ・ワウがオリジナル・ジャケットで再-再発。どっちが先なのか知らないけれど、同時期にマニュエル・ゲッチングが『インヴェンションズ・フォー・エレクトリック・ギター』で試みていたミニマリズムを荒削りなアプローチで変奏しているようで、ソニック・ユースがマニュエル・ゲッチングをカヴァーしているようなトリップ・スケールは、ダイナミックでありながらヒプノティックな感性も損なわず、複数の情報を同時に処理できるようになった現在のリスナーのほうが楽しめるのでは。もしもダメンバルトが『インプレッショネン』を録音した当時(71年)、その音源をすぐにリリースしていたらアシュ・ラ・テンペルは確実に方向性を変えていたとかなんとかいわれているのに対し(そうだったかもしれないし、あまりにノイバウテンなどの感覚を先取りし過ぎていて、結局はスルーされたかもしれないけれど)、同じ時間軸に存在しながらも『ザムトヴォーゲル』はゲッチングらに影響を与えなかったことが、むしろ、この結果につながっているともいえる。

 また、『ザムトヴォーゲル』の冒頭を飾る比較的短めの"アプリコット・ブランディ"は早くもノイエ・ドイッチェ・ヴェレを先取りしているようなところがあり(偶然だろうなー)、次の世代への橋渡しもせずに消えた人だという印象を強めるところもある。ミッシング・リンクとしては実に興味深い存在だろう。

 同じように、この春に初めてコンパイルされた〈ククク〉(というレーベル)の『クラウド・ククランド』は、これまで同レーベルからはドイターやエバハルト・シェーナーといったアンビエント系のヴェテランばかりが名を残していたので、アトモスフェリックな音楽の総本山のようなものかと思っていたんだけれど、まったくそんなことはなくて、ジミ・ヘンドリクスばりのサイケデリック・コピーからノイエ・ドイッチェ・ヴェレへの助走段階まであらゆるフォーマットが多岐に渡って並べられ、音資料としてはなかなか貴重なものになった。ファインダー・キーパーズからはサム・スペンス『サウンズ』も同時に復刻されている。

 さて、本題。
「81年」にカセットのみのリリースだったというナーキ・ブリラン『ゴーズ・イントゥ・オーボ...』が初めてアナログ化(つーか、CD化されたことはない)。コンテンポラリーばかりをリリースしてきたイタリアの〈アルガ・マーゲン〉が新たに設立したサブ・レーベルの第1弾としてリリースされ(確かに親レーベルからは出せない音です)、数あるノイエ・ドイッチェ・ヴェレのなかでもここまでヒネくれたものもそうはない。のっけっからパレ・シャブールがトリオと合体したような曲の洪水で、さらには現代音楽に通じる感性も呑みこみつつ、すべてをナンセンスという共通項によって押し進めていく。この当時にしてはベースも深々と響き、鼻声のヴォーカルも含めて典型的ともいえるパターンでも(いまごろ聴くからかもしれないけれど)どこか新鮮。楽しいのか悲しいのか感情のコードがまったく読めないのも飽きない要因のひとつかも。奇妙なSEに覆われたサーフ・ミュージックやエンディングはどう説明していいのかさっぱりわからないし、ほんとアイディアが尽きない。よくぞ復刻してくれました。ジャケットも良すぎ(リイッシュー・オブ・ジ・イアーはこれに変更でしょう)。

 80年代前半に4枚のアルバムを残したE.M.A.K.のコンピレイションは、ドイツ国内のクラフトワーク・フォロワーとして、これも当時はありがちだった情緒過多をなるべく回避してこれもラブリーなスタイルを作り出している。すでにヒューマン・リーグやOMDなどイギリスからのリアクションにも影響を受けているらしく、その辺りも吸収しつつ、それをまたドイツのフィールドに戻しているところが興味を引くところ。とはいえ、こちらはロートルのみに推薦。若い人は砂原まりんゴールド・パンダを聴こー。

interview with Mitsuru Tabata - ele-king

 ボアダムス、ゼニゲバ、アシッド・マザーズ・テンプル......いずれも日本国内にとどまらず世界的な規模で活動しているバンドであり、欧米で高く評価されているバンドだ。そしてこの3バンドにはひとつの共通点がある。それが、今回紹介する田畑満というギタリストである。ボアダムスのオリジナル・メンバーであり、現在もゼニゲバ、アシッド・マザーズ・テンプル アンド・ザ・コズミック・インフェルノに在籍、それ以外にも数限りないバンド/ユニットに参加して毎日のように世界のどこかで演奏している。

 まずは彼のプロフィールを紹介しよう。80年代前半にレゲエ・バンド「蛹」でデビュー。「関西ノー・ウェイヴ」などと呼ばれ盛り上がりを見せていたポスト・パンク/ニューウェイヴ・シーンの影響を浴びながら、和風ニューウェイヴとでも言うべき奇異なバンド「のいづんずり」に参加、ほぼ時を同じくして当時ハナタラシでの活動悪名高かった山塚アイとボアダムスを結成。

 ボアダムス脱退・のいづんずり解散の後、K.K.NULL率いるプログレッシヴ・ヘヴィ・ロック・バンド、ゼニゲバのリード・ギタリストとしてワールドワイドな活躍を開始。デッド・ケネディーズのジェロ・ビアフラによるレーベル〈Alternative Tentacles〉より数々のアルバムをリリースする。ベースレスのトリオというコンパクトな編成ながら、その緻密かつパワフルなアンサンブルはどんなメタル・バンドにも負けない鋼のようなサウンドだ。


タバタミツル
ルシファー

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 00年代に入ると参加バンド、ユニットの数は加速度的に増殖する。河端一率いる"魂の共同体"アシッド・マザーズ・テンプル関連バンドのひとつ、アシッド・マザーズ・テンプル アンド・ザ・コズミック・インフェルノでベーシストとしてデビュー。レニングラード・ブルース・マシーンは自身のリーダー・バンドであり、幾多のメンバーチェンジがありつつも現在に至るまでもっとも長く続いているジャム・バンドだ。酔いどれブルース・シンガー/ギタリスト、スズキジュンゾとのデュオ、 20ギルダーズ(20 Guilders)はエレキ・ギターの弾き語りによる歌もので、レニングラードでも垣間見せていた歌心がじっくり味わえる。関西パンクの伝説ウルトラビデのヒデ率いるアマゾン・サリヴァ(Amazon Saliva)はボガルタの砂十島Naniをドラムに迎え強力なテンションで突っ走るスーパー・パンク・バンド。「Pagtas」ではポップながらも奇妙にギクシャクしたリズムをベーシストとして支えている。その他にも個性豊かなさまざまなバンドが活動中であり、その数は依然として増え続けているようだ。
 また、ヨーロッパをはじめとした多くの国のレーベルからリリースされているソロ作品の数々は逆回転や回転数の操作など多様な音響実験の施された、世界に類を見ない奇妙なサイケデリック・インストゥルメンタル・ミュージックを聴くことができる。残念ながら国内ではあまり流通していないようなので、本人のオンライン・ショップをチェックすることをおすすめする。(https://tabata.cart.fc2.com/

 今年7月に渋谷のO-Nestで開催された高円寺円盤主催のフェスティヴァル「円盤ジャンボリー」の初日には「タバタミツル SPECIAL」と称してソロを含めた6バンド/ユニットでの大特集が組まれるなど、アンダーグラウンド・シーンにおけるその信頼と愛され方は既に揺ぎ無いものがある。そんな田畑満という人物の魅力の一端を伝えることができれば幸いだ。

変なところでいっぱいやってますよ。オハイオ州のコロンバスにランドリー・バーっていうのがあって、ランドリーとバーが合体してるんですよ。洗濯しながらライヴを見る(笑)。「こんなところ誰もやらんやろ」って思ったけど、日程見たらジーザス・リザードとか書いてあるから「みんなやってんや」って。

ご出身は京都なんですよね。

田畑:京都です。京都府立鴨沂高校中退。同じ軽音部の先輩にピアノのリクオさんがいて。彼が部長でした。

最初の本格的なバンド(蛹)はレゲエバンドだったということですが、軽音楽部で結成したんですか。

田畑:同じ軽音楽部だった小学生からの友人と、学外の人間と結成しました。ベースは『ミュージック・ライフ』で募集しましたね。最初は女の子でしたが、途中から細井尚登さん(壁画家、チルドレン・クーデター)に代わりました。当時ポニーキャニオンが日本のレゲエ・バンドのコンピを出すって言うので、デモテープを送ったら受かって。六本木のS-KENスタジオで録音したんです。中間試験の真っ最中で、それで落第して(笑)。めんどくさくなって中退しました。

軽音部時代はどんな音楽を?

田畑:いやあ......INUのコピーとか(笑)。あとピンク・フロイドとか。

INUとピンク・フロイドじゃだいぶ違いますけど(笑)。

田畑:まあ軽音バンドってメンバーがやりたい曲を1曲ずつ持ち寄ったらたいてい無茶苦茶になるから。

INUに関しては、同じ関西っていう意識はあったんですか?

田畑:まあそうですね。当時どらっぐすとぅあっていうお店が京都にあって、ライヴ・テープがたくさんあったんで聴いてました。当時SSがいちばん好きでしたね。

じゃあウルトラビデなんかもその頃から見てたんですか?

田畑:知ってましたけど、ちょっと高校生にとっては理解を超えてて(笑)。『ドッキリレコード』(INU、ウルトラビデ、変身キリン、チャイニーズ・クラブの4バンド収録のコンピレーション・アルバム)でしか聴いたことなかったんですよ。その他の音源は聴いたことなかったから。EP-4はよく行きましたね。蛹のデビュー・ライヴか何かの時に佐藤薫さんがおめでとうとか言って一升瓶を差し入れしてくれました。高校生やのに(笑)。

S-KENスタジオで録音したものっていうのは、世に出てるんですか?

田畑:『JAPAN REGGAE CRUSH』っていうコンピで。ほかにP.J & Cool Runningsとか。

その後の活動を見てると田畑さんとレゲエってあまり結びつかないんですけど、当時はレゲエがお好きだったんですか?

田畑:ギターが簡単じゃないですか(笑)。ギターが弾けるようになる前にバンドを組んだから。楽器買う前にバンドはじめてたんで。

じゃあできないものを引いていくと残ったのがレゲエだったと。

田畑:あとディレイ。

ダブですね(笑)。

田畑:あ、そうですね(笑)。

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裸のラリーズですかね。ちょっと後なんですけど、高校3年の頃に。7時開場・開演とかだったんですけど、終わったのが夜中の3時頃だったと思います。お客さんは少なかったんですけど、アンコールもあって同じ曲を3回くらいやって。僕もよくわかってないんですけど、そのくらい衝撃を受けたんでしょうね。

音源が出た後もある程度は活動されてたんですか?

田畑:すぐ終わっちゃいましたね。ベースの細井くんが辞めて、ドラムの子が進学するって言って。それで解散しました。

高校生バンドっぽい終わり方ですね。それが82、3年。その後はのいづんずりですが、誘われて入った感じですか?

田畑:いや、その前にSSでベースを弾いていた竹野さんがやっていた「アイ・ラヴ・マリー」というバンドでギターを弾いていました。あれは一発でクビになったんかな? そして「セッティング一発」。ニプリッツでギターをやってるジンさんがいまでもやってるダストってバンドがあって、そこのヴォーカルのタチメさんがやっていたバンド。そこにちょっと入ってて、その後のいづんずりに入った理由はわからないですね。志願したのかな。

音楽性は田畑さんが入る前からある程度固まってたんでしょうか。

田畑:もともとまあ、ニューウェイヴですよね。不気味な(笑)。その前にいたのが東京でカメラマンをやっている方で、わざわざ京都まで来てやってたから、その方と交代というか......最初はふたりともいたのかな、録音には。ライヴ活動は僕がひとりでギター弾いてたんですけど。

アルバムには戸川純さんも参加されてるじゃないですか。割とポップ・シーンに近いバンドだったわけですよね。

田畑:あれは何ででしょうね。リーダーの福田研さんの知り合いだったみたいですけど。ライヴもやったりしましたね、ライヴ・インとかで。レコ発だったのかな。そのときに限ってお客さんがいっぱい来て(笑)。ギャラも結構な額がもらえたから、そんなの若いもんに与えたらねえ。帰る頃にはもう一銭もなくなってましたけど。六本木とかで無茶苦茶やって(笑)。レッドシューズってお店に行ったり。

ヴォーカルのインドリ・イガミさんは結構強烈なキャラの方だったそうですが、結局クビみたいな形になるんですかね。

田畑:そうですね、最後は京都芸術大学で少年ナイフとかの出たコンサートがあって、その日にクビになりました。学祭って模擬店というかお店がいっぱい出るじゃないですか。それで早い時間から飲みすぎでほとんど歌が歌えないような状態やったんで、みんな怒って。

当時の関西ってEP-4がいたりINUがいたりして、ニューウェイヴで個性的で魅力的なバンドが多かったですよね。やっぱりそういう環境みたいなものには影響されてましたか?

田畑:そうでしょうね。聴いてる音楽は違いましたけど。高校生のときに京都にDee Beesっていうお店があったけど、あんま行かなかったですね。

当時は京大とか、大学でも東京のニューウェイヴバンドを招聘してやったりしてましたけど、あんまりそういうのは行ってないですか?

田畑:いや、それは行ってますね。お店系に行かなかっただけで。あの頃の京都ってだいたい3つの大きいグループに分かれてたんですよ。EP-4とかのスタック・オリエンテーション。あとは西部講堂のビートクレイジーですよね。コンチネンタル・キッズとか。それと僕らは「服屋系」って呼んでた人たちがいたんですけど。ノンカテリアンズっていう、ノーコメンツにいた人たちが作ったバンドで。あとHIP-SEE-KID(ハープシコード)って、モンド・グロッソの大沢伸一さんがいたバンド。それはお洒落な人たちで、だいたい服屋でバイトしてたから「服屋系」(笑)。だいたい大きくその3つの流れがありました。

のいづずりというか、田畑さんはそのなかではどちらに?

田畑:のいづんずりのファーストLPは〈テレグラフ〉からリリースされたんですけど、EP-4の佐藤薫さんがプロデュースする話もあったりしたから、その周辺ということになるんでしょうね。個人的に良く遊びに行ってたのはビートクレイジーでしたけど。

当時もっともよく覚えてるライヴってありますか? 衝撃を受けたライヴとか。

田畑:裸のラリーズですかね。ちょっと後なんですけど、高校3年の頃に。7時開場・開演とかだったんですけど、終わったのが夜中の3時頃だったと思います。お客さんは少なかったんですけど、アンコールもあって同じ曲を3回くらいやって。僕もよくわかってないんですけど、そのくらい衝撃を受けたんでしょうね。終わった後に駐車場のところに水谷孝さんが立ってて、駆け寄って「おつかれさまです!」とか言ったら「煙草持ってる?」って言われて、ピースを差し出して。「何かバンドやってるの?」って言われたんだけど、そのときなぜかボブ・マーリーか何かのTシャツを着てて(笑)。で、「レゲエ・バンドやってるんですわ」って言ったら「あ、そう」みたいな、それはよく覚えてます(笑)。あの頃でいちばん印象に残ったライヴっていったらそれですねえ。わけわからんかったですけど。事前情報も何もなくて、謎のバンドが来るみたいな。

7時から3時までって言ったら8時間ですよね。

田畑:それも何か曖昧な......あっと言う間に過ぎたのか。途中で1回寝てるんですけど(笑)。他にはINUの町田さんがアーント・サリーのビッケさんとやりだした「ふな」ってバンドがいて。あれはすごく印象に残ってます。

キャプテン・ビーフハートみたいなことやってましたよね。

田畑:ちょっとレゲエも入ったりしてて。

あれはすぐ終わっちゃいましたよね。音源とかも出さないで。

田畑:最後のライヴはメンバーが全員いなくなって、ひとりで出たっていうのがありました。経緯を覚えてないんですけど、そのあとで大阪の町田町蔵さんの家まで遊びに行ったことがありますね。停電になったか何かでアルコール・ランプで火をつけようって言って、でもアルコールがなかったからライターのガス入れたらどうやって。やってみたら爆発して眉毛が焦げたっていう(笑)。その後はもう全然会ってないですね。うちの実家に来たこともあったんですけど。何かサンマの頭も食べたはったのは覚えてますね。たんについて回ってただけなんでしょうけどね。子供が兄貴分みたいなのについていくっていう。僕がそのとき17とかだから、向こうも21とかじゃないですか。

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木造の4畳半で、当時家賃が9000円。6畳の部屋もあってそっちは1万ちょっとかな。部屋交換しようやとか言って僕が山塚さんの使ってた部屋に移ったら、ハナタラシのマークが壁にでっかくペンキで描いてあって「うわ、何やこれ!」って(笑)。


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ハナタラシはボアダムスをやる前から見てたんですか?

田畑:のいづんずりのライヴで知り合ったのかな。あ、ノイバウテンのライヴがあって、そのときにアマリリスのアリス・セイラーさんから紹介してもらったのか。アマリリスのライヴが血糊とか使ったホラーショウみたいな演出になってて、そこに山塚アイさんが出てたんですよ。これまた経緯が前後しててよく覚えてないんですけど、いっしょのアパートに住んでたんです。京都に安田荘っていうアパートがあって、そこに間借りしたりしてた。ハナタラシがサイキックTVの前座をやったときに爆弾を持ち込んだ事件のときも、僕はその日バイトで、スタッフも同じアパートやったから「まあ頑張ってきてやー」って送り出した覚えがある(笑)。それで夜中に帰ってくる音がして、「アカンかったわー」とか言って。

すごいですね(笑)。同じ部屋に住んでたんですか?

田畑:いや部屋は一応バラバラでトイレは共同でしたけど。いまでもあるんですよ、そのアパート。木造の4畳半で、当時家賃が9000円。6畳の部屋もあってそっちは1万ちょっとかな。部屋交換しようやとか言って僕が山塚さんの使ってた部屋に移ったら、ハナタラシのマークが壁にでっかくペンキで描いてあって「うわ、何やこれ!」って(笑)。......アイちゃんもずっと会ってないな。

いっしょに音楽を作ろうってなっていくわけですよね

田畑:とりあえずハナタラシがライヴできないからバンドをやりたいって言ってて。どこも出入り禁止だったから。最初はバズコックスみたいなバンドっをやろうてことで、ボアダムスって名前もバズコックスの曲名から取ったんですよ。メンバーは身近なところで、竹谷郁夫さん(元ハナタラシ、現在はヴァーミリオン・サンズのリーダー)がドラムで、細井尚登さんがベース。でもアイちゃんが持ってくる曲はバズコッコスとは全然違うんですよ。ブラック・サバスみたいなのとか。デビュー・ライヴは映像があるはずなんですよね。こないだハイライズがDVDを出したんですけど、そのときのライヴが入ってたので。デビュー・ライヴはハイライズとオフマスク00が対バンでエッグプラントでやったんです。どんな曲やってたかな。バットホール・サーファーズのコピーとか、あとはブラック・サバスみたいな曲。

山塚さんが曲を持ってくるような感じだったんですか

田畑:そうだったと思うんですけど、うーん......よく覚えてないな。何かもうワケわからんことをやってて、みんなもたぶんわかってなかったと思うんですけど(笑)。

ファースト・シングルの「Anal By Anal」はふたりで録音したんですよね。

田畑:そうです。アイちゃんのアパートで。

同じアパートですか?

田畑:いや、それもよく覚えてないんですけど、そのときはもういなかったんですよ、安田荘には。八尾にアパートを借りて住んでて。ひょっとしたら両方に住んでたのかな。八尾まで行って録音したんですよ。何を録ろうかって喫茶店で相談して、焼き飯を食って。その焼き飯がめちゃ旨かった(笑)。それで録音は村上ポンタさんのドラム教習ヴィデオに音を被せて、歌は後で入れとくわとか言ったのかな。それで帰りにいっしょに駅に行く途中に曲名を考えてて、ずっと「アナルなんとか」って、アナルアナル言うてたのはよく覚えてる。

その頃から曲名にこだわってたんですね。

田畑:そうですよ。そういうノート見たことがある。「アル&ナイナイズ」とか(笑)。

バンド名をいっぱい考えるのが好きみたいな話はよくしてましたよね。

田畑:その前にたしか〈トランス・レコード〉のコンピに参加してるんですよ。そのときは一応録ろうって言ってスタジオで全員で録音したんですけど、使われたのは最後の五秒くらいで。前半はずっとアイちゃんがひとりでやってるノイズみたいなので、何でそうなったのかわからない(笑)。

その頃からそういう、素材を後からいじり回すような感じだったんですね。それはのいづんずりと並行してやってた感じなんですよね。ボアダムスでもライヴは結構やったんですか、そのメンバーで。

田畑:10回以上はやってますかね。まあだんだん客は減ってくる(笑)。途中から吉川豊人くんがドラムになって、その経緯もよくわからないですけど。しばらくしたら細井くんも辞めてベースがヒラくんになって。ヒラくんが入ってからは吉川くんの家で練習するようになりましたね。けっこう大きい家だったんで。集まりが悪いんですよ。それで遅刻したら罰金ってことにして、30分千円とかにしたらピタっとくるようになったんですけど(笑)。それで何回かライヴをやりましたね。

ボアダムスを辞めたのは?

田畑:のいづんずりのメンバーからセカンド・アルバムを出すって話が来て、そのときに「お前、ボアダムスとのいづんずり、どっちを選ぶねん」みたいな掛け持ちに対する圧力があったんですよ(笑)。ウルトラビデのヒデさんとアマゾン・サリヴァを結成したときにその話をしたんですよ。ヒデさんはニューヨークに行ってたから事情を知らないんで。それで「僕ボアダムスにいたんですよ」「ほんま!?」「あのときボアダムスとのいづんずりどっちを選ぶって言われてのいづんずりを選んだんです」って言うたら、「それ人生最大のミステイクちゃうの」って(爆笑)。でもたぶん、俺があのままいたらボアダムスは存在してないですよ。ギターが山本精一さんに変わって、ヨシミちゃんが入ってバッチリ形になった感じがする。

それで、のいづんずり一本でいこうって決めてからは。

田畑:それがその後すぐにイガミさんがクビになった事件っていうのがあって(笑)、宙ぶらりんになった。ベースの福田研さんがボーカルをやるからって言って、ベースを入れたような気もするんだけど全然印象にないんですよ。インパクトが薄れてて。何回かライヴもやってるはずなんですけど。そのうち東京に行くとか言い出したんで、「俺は行かないから辞めるわ」って。イガミさんがインドリイガミ&ワイルド・ターキーっていうのをやってて、もう分裂状態。たしか僕は一時期両方やってたんちゃうかな。それで両方やるとはどういうことだってまた責められた記憶が(笑)。

当時はちょうどバンド・ブームとかインディーズ・ブームがあったじゃないですか。『宝島』あたりの。ああいうのはどういうふうに思ってましたか?

田畑:いやもう、載ったらモテるかなと(笑)。でも自分が載ったときは白塗りで阪神タイガースのユニホームを着てて、これじゃあかんやろっていう(笑)。もうちょっと見栄えのいいバンドに入ったらよかった。でも読んでましたね、時々は。『宝島』とか『フールズメイト』とか。ただ、雑誌がレーベルやるってどうなのかなって思った覚えがある。悪く書けないじゃないですか。

じゃあボアダムスも辞めてのいづんずりも失速していったと。

田畑:その頃何やってたんでしょうね。

レニングラード(LENINGRAD BLUES MACHINE)ってその頃からですよね

田畑:あ、そうですね。ベースが林直人くんって、アウシュヴィッツ(AUSCHWITZ)の林さんとは同姓同名なんです。ドラムが山崎くんっていう。いまはオショーと呼ばれたはるみたいですが、ユニ(UNI)っていうふたり組のバンドをやってます。ドラムと打ち込みの四つ打ちで、すごい人気あるらしいけど世界が全然違うんでまったくわからない(笑)。その3人でやってました。

レニングラードはメンバーを変えながらずっとやってる感じですけど、原型はこの時期に出来てたんですかね。

田畑:その後、僕がいない時期があったんですよ。

ああ、リズム隊のふたりでやってた時期が。そのときって田畑さんはハカイダーズっていうのやってましたよね。

田畑:あー、やってましたね! あれは東京出てきてからちゃうかな。

あ、じゃあもうゼニゲバに入った後ですね。

田畑:そうですね。ゼニゲバは竹谷さんがドラムだったので、関西でやってたんですよ。

ゼニゲバにはどういう経緯で入ったんですか?

田畑:NULLさんから電話があって、やってみようかなという話になったんですよ。それで何回かライヴをやった後に、『Maximum Love & Fuck』というLPをリリースしました。そして竹谷さんが辞めたあとで、吉田達也さんが加入して暫く叩いてました。今のメンバーですね。それでゼニゲバで東京に行くことになって。

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東京に出てきてまずびっくりしたのが家賃が高いことで。このくらいだったら払えるっていうところだと国立とかになるんですよ。国立で、音の出せるピアノ可みたいな部屋にしたら電車の真横で。引越しの仕事をしながらやってましたね。

東京へ出てきた理由は何なんですか?

田畑:当時CBGBってライヴ・ハウスに勤めてて、その上に住んでたんですよ。そこの店長が何と言うか難儀な人で。俺このまま一生ここにいるんやろかって思って。

それで心機一転というか。

田畑:そうですね、環境を変えたかった。

新しいバンドで環境も一新して。関西の人が東京に出てくるときってそれなりに決意とかがあるじゃないですか。

田畑:いないですよ、実際あんまり。俺が知ってる人だと芳垣安洋さんとか向井千恵さんくらいですよね、関西生まれでいまもこっちに住んでる人は。東京に来なくてもできるじゃないですか。東京に出てきてまずびっくりしたのが家賃が高いことで。このくらいだったら払えるっていうところだと国立とかになるんですよ。国立で、音の出せるピアノ可みたいな部屋にしたら電車の真横で。引越しの仕事をしながらやってましたね。アメリカに初めて行った頃には。

ディスクユニオンで働いてたのはゼニゲバで出て来てすぐですか?

田畑:国立で働いてたときに、駅のそばに国立店があったんですよ。それで前をいつも通ってて、肉体労働がキツくなってきた頃に募集してたから。

じゃあ最初から新宿店ではなかったんですか。

田畑:じゃなかったんですけど、そのうちに新宿店から来いよって言われて異動して。

やっぱりレコードに詳しいっていうのがあったんですか。たしかその頃ディスクユニオンのフリーペーパーがあってサイケのマイナー盤を紹介するような連載をやってましたよね。レコードマニアだったのかなと思ってたんですけど。

田畑:いや、あそこにいると詳しくなるんですよ。西口にヴィニールってレコード屋があるじゃないですか。昼休みになると走ってあそこにレコード買いに行ってて。レコード買いすぎて金銭感覚がおかしくなってきて「○○のオリジナルを2万5千円で見つけたよ!」「安いですね!」とか言って。2万5千円のLPのどこが安いねんっていまは思うけど、その頃は真剣に「安いですね」って言ってた(笑)。全部売りましたけどね(笑)。

ゼニゲバは海外ツアーを精力的にやってますけど、最初から海外を視野に入れてやろうっていうのはあったんですか?

田畑:いや、そんなことは全然ないと思います。最初NULLさんがソロで呼ばれて、その後バンドもってことになって。『全体去勢』ってアルバムのレコーディングをシカゴのスティーヴ・アルビニのスタジオでやったんですよ。スティーヴ・アルビニのスタジオはいまは「エレクトリカル・オーディオ」って言ってますけど、その頃は普通の民家の地下にあって、トイレが流れる音がすると録音に入っちゃうようなとこでしたね。当時は8チャンネルで。アルバムのレコーディングを5日くらいでやって、録り終わったら初ライヴがあって、対バンがバストロやったんです。

ああ、じゃあ今日のTシャツはそのときに。

田畑:そのときもらったやつです。そのときはXLでブカブカやってんけど(笑)。

アメリカでライヴをした体験は、その後どのようにフィードバックされましたか?

田畑:ほんまに人気あったんやって思いましたね(笑)。アメリカに行く前はお客さんも少なくて、〈トランス・レコード〉周辺なんかのシーンも終わりかけてた頃で。そんな時期に向こうに行ったら、日本の音楽っていうのがこんなに求められてるのかって。その頃からボアダムスとかもみんな知ってましたね。ボアも行く前やったんですけど。それが91年。

日本ではいわゆるバンド・ブームが終わった頃ですね。

田畑:呼んでくれた人の家がマディソンってところにあって、小さい街だったんですけど、そこでライヴをやったりしてて。そこに行ったら対バンがメルヴィンズやったんです。当時は全然知らなくて、そのときに知り合いになったんですけど。その後はNULLさんがツテがあったからサンフランシスコに行って。

ほぁ。

田畑:ペイン・ティーンズが知り合いで、シスコでいっしょにやったんですが、最初に出たのがニューロシス(NEUROSIS)やったんですよ。まだみんな20歳とかで。そのときにジェロ・ビアフラが来てて、うちから出さないかって話になって。

どういう人でした、ビアフラは。

田畑:いや、よくしゃべる親爺やなって(笑)。そのときに録った『全体去勢』ってアルバムは、マディソンの人がやってた〈パブリック・バス(Public Bath)〉ってところから出たんですよ。〈パブリック・バス〉っていうのは日本のバンドをアメリカに紹介するレーベルで。最初にそこから出して、その次からがビアフラの〈オルタナティヴ・テンタクルス〉で。

93年の『苦痛志向』ですね。その前にNULLさんのレーベルから『内破』(92年)が出てますけど、これも録音はアルビニですね。

田畑:そうです。その時から2ヶ月とかツアーするようになって。わけわからへんですよ、2ヶ月も回ってると。最初は全然英語しゃべれへんかったんですけど、しゃべれるようになったからねえ。

じゃあもうそういうツアー生活っていうのも20年近いんですね。アメリカのバンドは、ほんとに小さいところまでツアーを回りますよね。

田畑:変なところでいっぱいやってますよ。ランドリー・バーっていうのがあって、ランドリーとバーが合体してるんですよ。洗濯しながらライヴを見る(笑)。オハイオ州のコロンバスってところで。「こんなところ誰もやらんやろ」って思ったけど、日程見たらジーザス・リザードとか書いてあるから「みんなやってんや」って。あとゲームセンターね。日を空けたらあかんので、移動の距離が開いてるときは間に無理矢理ライヴを入れたりするんですよ、ゲームセンターでオールエイジ・ショーとか。やらないよりマシやから。最後のほうはここがどこだかわからなくなってきますね。

ゼニゲバって日本のバンドで長い海外ツアーをやるっていうスタイルの先駆けに近かったんじゃないかと思うんですよ。

田畑:どうなんでしょうね。いまだったらメルト・バナナがすごいやってますけど。

そうですね。メルト・バナナもやっぱりゼニゲバの影響はあったんじゃないですか。

田畑:NULLさんが最初にメルト・バナナのアルバムをリリースして、そのときから海外ツアーをはじめたんじゃないかと思います。

91年ならスティーヴ・アルビニってもうかなりのビッグ・ネームでしたよね。

田畑:そうなんでしょうけど、あまりそういう感じを与えない人ですよ。日本にも呼んだりしましたね。シェラックとか。あ、シェラックの前にひとりで呼んだのか。ゼニゲバ&スティーヴ・アルビニで。あのときは初めての日本だったんですけど、ツアーするバンドと違ってひとりで来るから、着いていきなり日常に放り込まれて。大学の寮に泊まってました。

ゼニゲバ&スティーヴ・アルビニでライヴ・アルバムが出てますね。『内破』の録音もそのときで。ゼニゲバのヨーロッパ・ツアーはどういういきさつで行くことになったんですか?

田畑:〈サザン・レコーズ〉っていう〈オルタナティヴ・テンタクルス〉の支社があって、ヨーロッパでのディストリビュートもやってるところで。結構もう確立されてたんですね。いろんなバンドが使うバンを貸す会社みたいなのもあった。93年くらいで。そのときのツアーマネージャー兼ドライバーがアメリカ人なんやけどヨーロッパに来て気ままにやってるような女の子で、後でGREEN DAYのマネージャーになりました。フランスからイギリスに入るときにワーキングビザが絶対必要じゃないですか。そしたらイギリスのオーガナイザーがその女の子の分だけ取ってくれてなかったんです。だから前日に物販担当の女の子とふたりで先に行ってるからってことになって。それでバンドだけでワゴンを運転して行ったら、フェリーに乗り込む段階で警官に囲まれて犬がぶわーっと出てきて。いろんなバンドに貸してるから、怪しい匂いでも染み付いてたのか(笑)、身ぐるみ調べられてるあいだに「ああー、フェリーが行っちゃうー」とか。ポーランドで車ごと機材を盗難に遭ったりとか、いろいろとタフな経験もしてます。

ヨーロッパだとどこがいちばん受けましたか?

田畑:当時はイタリアでしょうかね......。いちばんクールな感じなのはドイツで。でもドイツがいちばん重要で、いちばん回らなきゃいけないって言われますけど。

ゼニゲバが活動休止状態になったり、レニングラードも2000年前後にはあんまり活動しなくなった時期があったと思うんですけど。

田畑:あのときはまあプライヴェートでややこしかった時期やったんで、生活をまず立て直さないとあかんかった(笑)。

2002年くらいからまた活動が活発になって、バンドやユニットも爆発的に増えていきますね。

田畑:ちょうどその頃またゼニゲバをやるようになったんですよ。オール・トゥモローズ・パーティーズに呼ばれて。それが2002年だったと思います、ワールドカップがあった年だから。そのときはワイヤーとかチープ・トリックとか。俺らはチープ・トリックの前の前の前くらいやったんです。会場の2階が2000人くらい入る大きいボールルームになってて、ゼニゲバのときも結構満員だったんですけど、チープ・トリックの番になったらごそーっと減って。1階の1000人くらいのホールでザ・フォールがやってて満員になってて、うわ可哀想って思った。ああいうところではやっぱチープ・トリックとか人気ないねんな。

日本じゃ武道館なのに。

田畑:毎日のヘッド・ライナーがワイヤーとチープ・トリックとブリーダーズ。シェラックがキュレーターだったんですけど、シェラックは一階の小さいほうのホールで毎朝オープニングでやるんですよ。普通キュレーターのバンドがトリじゃないですか。シェラックは毎日前座(笑)。

アルビニもチープ・トリック好きですもんね、たしか。

田畑:たぶんはよ終わって観たかったんやないかな。

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いまレギュラーでやってるバンドがたくさんありますけど、それぞれ簡単に紹介していただけますか。まずは20GUILDERS。

田畑:これはスズキジュンゾくんとやってる歌もののデュオで、エレキギター弾き語りです。ギューンカセットからアルバムが11月に発売になります。いっしょには曲作らないんですよ。それぞれの作品で、コーラス入れる程度だったんですけど、最近やっと形になってきたかなと。前は本当に勝手にやってるっていうか、各自の曲をやるだけだったので。


タバタミツル
ルシファー

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じゃあここでアルバムが出るっていうのはタイミングとしてはいいですね。20ギルダーズで最近よくやってる、高校のときに初めて作ったって曲がありますよね。名曲だと思うんですけど。

田畑:中学のときですね。あれはアルバムに入りますよ。"ストロベリー・キッス"(笑)。歌詞書いたのはこの前ですけど。30年間ずっとハナモゲラで。最近やっと日本語で歌うようになって。こないだ山本(精一)さんたちのグレイトフル・デッドのトリビュート・ライヴっていうのが大阪であって、練習で入ったときに「お前よく歌詞覚えられるな」って言われて「いやハナモゲラですよ」「うそ!」って。30年間ハナモゲラだって言ったらビックリしてました、それもすごいなって(笑)。ハナモゲラでも良かったんやけど、レコーディングしたらそれはマズいんちゃうかなと思って(笑)。

アシッド・マザーズ・テンプルは、ベーシストとしてはあれが最初のバンドになるんですか?

田畑:そうです。実はベースやってたバンドもあるんですけど、本格的には。

あれはどういう経緯で参加することになったんですか。

田畑:どうやったかな。アシッド・マザーズ・テンプルっていうのはもともと河端一を中心にしたいろんなメンバーの集団であって、それが途中からメルティング・パライソ・UFO(Melting Paraiso UFO)っていうひとつのバンドっぽくなってきたんです。それである時期からまた元の形に帰ろうみたなことで、もうひとつバンドを作るっていう時に「ベースでやらん?」って。同じアシッド・マザーズ・テンプルって名前の下にいろいろ違う名前がつくっていう形で、僕が入ったのはアシッド・マザーズ・テンプル アンド・ザ・コズミック・インフェルノ。

スタート当時といまではだいぶ感じが変わってると思うんですが。

田畑:変わってますね、最初はもっとワン・グルーヴ一発でハードにやる感じだったんですけど、いちばん大きいのはツインドラムの片方が変わったんですよ。最初はサバート・ブレイズ(SUBVERT BLAZE)の岡野くんと、志村浩二(みみのこと他)さんだった。岡野くんに代わってピカ(あふりらんぽ)が入ってイメージが変わってきましたね。

たしかに、ピカチュウさんの色はかなりありますね。何か大らかな感じがするようになった。いまのレニングラードはいつ頃から今のメンバーになったんですか?

田畑:2004年くらいかな。これがいちばん活動がマイペースで、こうしなきゃいけないみたいなのは全然なくて、ライヴを楽しんでやってる感じですよね。

最近はレニングラードのことを「ジャム・バンド」って言ってますよね。それは昔から感覚としてはそういうものだったけど、当時はそういう言葉がなかったって感じですか?

田畑:そうですね。一般的なジャム・バンドよりはもうちょっと曲があるとは思いますけど。でもそれやったらフィッシュもそうやし、僕らもロック系のジャム・バンドって感じですね。最近はサックスで狂うクルーのアックンが入って。

よりジャム・バンドっぽくなったというか。

田畑:ええ。

ベースを弾いてるバンドだと、最近はグリーン・フレイムス(GREEN FLAMES)がありますね。

田畑:それはほんとについ最近ですね。ハイ・ライズのギターの成田宗弘さんと。ドラムは最初はナツメン(NATSUMEN)の山本達久くんだったんですけど。それがもともとハイ・ライズにいた氏家さんに変わりまして、活動中。

アマゾン・サリヴァはヒデさんがニューヨークから帰ってきて結成したわけですか。

田畑:高校生の頃から知ってるんですけどね、ヒデさんのことは。それでいつの間にかニューヨークに行ったって聞いてて。それで忘れてたんですけどゼニゲバでオルタナティヴ・テンタクルス〉のツアーを回ってたら、ATの次のリリースはこれだって、あの道頓堀のジャケットのやつで。それで「あれ、これって?」と思って裏見たら写真にヒデさんがおるし(笑)。それでイギリスで対バンしたんですよ。イギリスのツアーは全部ウルトラビデといっしょで、アリス・ドーナッツ(ALICE DONUTS)と3バンドで。そのときに久々に会って、またしばらく音信不通になってて。それで帰ってきてるでって話は聞いてたんですけど、東京でウルトラビデの何周年ってことで、オリジナル・ウルトラビデのライヴがモストとかと対バンで、クアトロでやったのかな。そのときに「うち泊まりや」って言ったら泊まりに来たんです。それでいきなりその次の日にイギー・ポップのトリビュート・ライヴみたいなので「ベースで弾き語りしよう思うんやけどいっしょにやらへん?」って言われて、そのままリズムボックス入れてやって。大阪のライヴは対バンがズイノシン(Zuinosin)で、「若くてええのおるやん」ってことで「いっしょにやらへん?」って現ボガルタ(BOGULTA)のナニくんを誘った。

じゃあ結構なりゆきで。

田畑:この前ようやく『AMAZON PUNCH』ってアルバムが出まして。

それまで出してたCD-Rってライヴと全然感じが違いましたよね。

田畑:CD-Rは、物販がないとツアーしてもギャラが......っていう。新人バンドなんで(笑)。いつの間にかたくさん出してますけど、3枚目くらいまで1曲も3人揃ってやってない。

ライヴでヒデさんが「ナニくんの生ドラムを録るのが夢だったんです!」って言ってましたよね。やっぱり基本的にはヒデさんが中心のバンドなんですか。

田畑:全員ヴォーカルは取ってますけど、まあリーダーはヒデさんってことですね。みんな自分のバンドもいろいろあるし、住んでるところもバラバラだから。大阪と京都と東京で、もうツアー・バンドですね。全然新曲が増えない(笑)。もう5年くらい同じ曲やってますね。やらなくなった曲をまた戻したりしてるだけで、ずーっといっしょ。

青春18切符でツアーをするんですよね。

田畑:してますね(笑)、このバンドだけですよ。

あれはヒデさんが言い出したんですか。

田畑:まあそうなんですけど、こないだも疲れたとか言ってサウナに行ってマッサージ受けてるんですよ。その金を回して新幹線乗ったほうがええんちゃうかって言われて、そういえばそうやなって(笑)。18切符の時期しかツアーしてないです。

『AMAZON PUNCH』はたしか高知のレーベルからのリリースですよね。

田畑:高知のカオティック・ノイズっていうところから。

ライヴ・ハウスなんでしたっけ。

田畑:いや、レコード屋ですね。インストアライヴをやってるんですよ。レコード屋の棚を片付けてライヴをやってる。だから週末しかライヴはやってなくて普段はレコード屋。すごくいいレコード屋ですよ、パンク中心で。

あとPagtasはちょうどアルバムが出たところですね(『poi』)。

田畑:〈ペダル・レコード〉から。

昔からやってるバンドというかユニットですよね。

田畑:基本的には坂田律子さんがひとりでやることもあるんですけど、バンド編成でやるときには僕がベースで、NATSUMENの山本達久くんがドラム。それでレコーディングはゆらゆら帝国のエンジニアの中村宗一郎さんが録音してくれました。〈ペダル・レコード〉って中村さんのレーベルなんで。

Pagtasではサポートメンバーみたいな感じなんですかね。

田畑:そうですね、メンバーの都合が悪いときもライヴを断るんじゃなくて坂田さんがひとりでやったりするから。いちばん難しいんですよ、曲が。

独特ですもんね。もともとひとりでやるのが前提で作った曲にメンバーが合わせていく形だからなんですかね。

田畑:拍子とかがクルクル変わるんです、感覚でやってるから。難しいんですよ。

あとWabo-Chaoは。

田畑:それはMandogの宮下敬一くん(ギター)と前にゼニゲバのドラムをやってた藤掛正隆くんの三人で。これは即興ですね。歌ったりもしますけど。活動もそんなに頻繁ではないですけど、今度ダモ鈴木さんがまた来るのでそのときにやります。

あとデュエル(DUEL)っていうのがありますね。

田畑:ああ、あれはギターのケリー・チュルコっていう、オジー・オズボーンのプロデューサーのケヴィン・チュルコの弟なんです。あとASTRO(元C.C.C.C.の長谷川洋、エレクトロニクス)さんとヒグチケイコ(ヴォイス)さんで、これはインダストリアル・ノイズですね。新しく組んだバンドなので、これからです。

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それで河端くんがアシッド・マザーズはいつも吉田達也さんにマスタリングやってもらってるからって言うので、じゃあいつもの調子でお願いしますって言ったら「いつもと全然違うじゃん」(笑)。吉田さんも最初困ってたみたいです。だいたいドラムが入ってないし(笑)。

田畑:それだけやったっけ、バンドって。

まだまだたくさんあるとは思いますけど(笑)、ここらでソロの『ルシファー』の話を聴きたいと思うんですが。


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田畑:事前に作ってた曲は1曲しかなかったんですよ。ゼニゲバの関西ツアーを3箇所くらいやった後にアシッド・マザーズの河端くんの家の山寺まで行って録音したんやけど、それまで全然準備してなくて。ツアーの最終日が神戸で、打ち上げが朝まであって、酔っ払ってその時にみんなでしゃべってた話を歌詞にしたんです。「キブンハショウニ」ってヤバい歌があるんですけど、それはライヴ・ハウスの店長が何かの拍子に「気分はショウニや」って言ってたから「これや」とか。

今回はソロでは初めての歌ものですが、これまでのソロは全部インストでしたよね。

田畑:今回は〈Mapレコード〉からそもそも歌を入れることって言われてたんですよ。いままでソロは海外のレーベルからしか出してなかったから、日本語で歌うのはどうなんかなってのもあったんですよね。まあギタリストやからギターのアルバムを出さないかんのかなって単純に思って何枚か出してたんですけど。

いままでのソロアルバムと今回のアルバムでは作り方で違いはありましたか?

田畑:まず自分ちで録ってたのと違うのは、帰る日を決めてたんです。だからそれまでにやらなきゃいけない。3日で録ったんですけど、正味2日ですね。毎日終わるたびに鍋とかやってたんでずっと二日酔いで(笑)。声とか擦れてるんですよ。曲はない、アイデアない、ないない尽くしで(笑)。

とてもそうは聴こえないですけどねえ。仕上がりは割と構築感があると思うんですけど。録音がすごくいいですよね、空間処理とか。音数が少ないのも逆にいい。

田畑:それはもうプロデューサーのおかげです。それで河端くんがアシッド・マザーズはいつも吉田達也さんにマスタリングやってもらってるからって言うので、じゃあいつもの調子でお願いしますって言ったら「いつもと全然違うじゃん」(笑)。吉田さんも最初困ってたみたいです。だいたいドラムが入ってないし(笑)。何か参考になるものないかって言ってCD棚探してたけど、「ないな」って。それでレインコーツ出してきて聞いてたんですけど、全然ちゃうやんけ(笑)。

ギター以外の楽器が結構少ないながらも効果的に使われてますが、録音するときには河端さんからのアイデアも結構あったんですか。

田畑:そうですね、それはすごくありましたね。あと自分が弾けない楽器をリクエストしたり。ハーディガーディ弾いてくださいよとか。本当にアイデア無かったので。

「ルシファー」っていうのはどこから来たんですか。

田畑:それは最初から決まってましたね、なぜか。日本語タイトルは"世界最古のヤクザ"で、「ルシファーってヤクザやったんや」っていう(笑)。

何でルシファーなんですか。

田畑:いや、それが何だったのか......悪魔憑きみたいなのに凝ってたことがあったんですよ。エクソシスト系の映画が好きで片っ端から観てたんです。取り憑くやつ。

もともとあった曲っていうのは?

田畑:"海の藻屑"って曲。あとは全部その場で作りました。

"月の石"あたりは結構ちゃんと曲になってるというか、もとからあったのかと思ってたんですけど。

田畑:あれは録る5分前に作った(笑)。かなり焦ってましたね。

歌もので3日間ってすごいですよね。昔のノイ!とかも3日とかで作ってるけど、あれはほとんどインストだから。

田畑:そういうノリで作ってますよ、たぶん。歌は入ってるけど何かワケがわからん音楽なんで(笑)。

たしかにフォーク的な歌ものとは違いますけど、でも歌詞は書いたわけですよね。

田畑:メモ帳が残ってますよ。よく聴くとわかるんですけど、書いて歌ってるのと、頭の中だけでやってるのがあって、書いてないのは歌がちょっと出遅れてるんです。自分だからわかりますけど。よくそんなんで出してくれたな(笑)。

〈Map〉から田畑さんの歌もののソロが出るって話を最初に聞いたのは実は1年以上前なんですけど、随分かかりましたよね。

田畑:だからやるぞって締め切りを作らないとやらないですよ。それまでに準備しとけよって感じですけど(笑)、何かと忙しくて。たくさんバンドやってるのも余裕でやってるように見えるけど結構いっぱいいっぱいなんです。もうわけがわからない(笑)。Pagtasも「パグタスノート」っていうのがあって、そこに自分の演奏メモが書いてあるんです。覚えられないくらい難しいし、それがないと演奏できない。もうそんな状態ですよね。ゼニゲバだけは長くやってるんで身体で覚えこんでますけど、あとは最近やり出したバンドばっかりなんで、曲があるバンドは苦労してますね。

あれだけたくさんのバンドを掛け持ちするっていうのはどういう感じなんですか。

田畑:わけがわからないですよ。

意図して増やそうと思ってたわけでもないんですね。

田畑:まだ楽は楽かもしれないですね。バンド・リーダーとかじゃないんで。

そうか、リーダー・バンドはあまりないですね。

田畑:リーダー・バンドはないけど社長やってるバンドはありますよ。

社長?

田畑:物販の(笑)。リーダーではないけど物販業はずっとやってますね。アシッド・マザーズでもそうだし。

アシッド・マザーズの物販はメルティング・パライソ・UFOのほうは津山篤さんがずっとやってますよね。

田畑:津山さんはたとえマジソン・スクエア・ガーデンでやっても、物販は俺がやるって言ってますね(笑)。

出番までにステージに行くのが大変ですよね(笑)。それでは今後のリリース予定とかを最後にお聞きしたいと思いますが。

田畑:まずこないだ『ルシファー』の後に『Mankind Spree』っていうソロアルバムが出ました。それはインストゥルメンタルで。

いろいろゲストが入ったりしてますよね。

田畑:そうですね、山本達久くんとか、一楽誉志幸くん(FRATENN他)とか、アシッド・マザーズのシンセの東洋之くんとか。あとはPagtasが出たところで、11月に20ギルダーズ。それとGREEN FLAMESを録音するかも。ゼニゲバは今月、イギリスのバーミンガムでスーパーソニックっていうフェスに出ます。対バンがスワンズにゴッドフレッシュにナパーム・デス(笑)。「いつやねん」っていう、どれも微妙に古い(笑)。メルト・バナナもいっしょですね。あ、そのときノイ!も出るんですよ。ミヒャエル・ローターがノイ!の曲をやるっていう。20ギルダーズのレコ発ツアーもやりますね。それは国内ですけど。帰ってきてすぐなんですよ、ゼニゲバのツアーから。かなり音楽性が違うんで頭切り替えんと。その後、11月25日にゼニゲバで初のワンマン・ライヴが新大久保のアースドムであります。

Sufjan Stevens - ele-king

 ワールズ・エンド・ガールフレンドが「気のふれたファイナル・ファンタジー」なら、『ジ・エイジ・オブ・アッズ』はさしずめ「気のふれたハリウッド映画」とでも言えばいいのか......。ああそうだ、こういう音楽はアメリカ人に説明してもらうのがいい。「スフィアン・スティーヴンスの『ジ・エイジ・オブ・アッズ』による最新の宇宙・未来派・教会・少年・モンスター映画・幻覚系を聴いたあとでは、あなたは、彼はスタジオから出てセラピストの診察台の上でヤバくなったという結論に達するかもしれない。彼は狂気の"創造的可能性"の探求者であり、彼はおそらく不遜にもアメリカのアウトサイダー・アートの文化的明るさを利用している。あるいはまた、彼が彼の創造的な忠誠心を失っているという非難から逃れるために狂気を装っている。わからないけど、それらは実は大した問題じゃない。僕にとって重要なことは、『ジ・エイジ・オブ・アッズ』がたまらなく楽しくて、そして複雑なまでにマスターピースであるということである」......、以上は『タイニー・ミックス・テープ』のレヴューからの引用。

 ついでにもうひとつ。『ピッチフォーク』から。「スフィアン・スティーヴンスの6枚目は、われわれが彼に期待するものと一戦を交える。今回は、彼のアメリカに関する雑学や歴史上の人物、そして特定の場所と人間らしさの代わりに、彼は自分自分の精神状態に接続している。バンジョーはない。不機嫌なエレクトロニクス、深いベースとドラムは湯沸かし器のように爆発する。2005年の『イリノイ』ではもっとも長い曲名は53字あったが、今回のそれは"I Want to Be Well"(17字)。彼は囁いていない。叫んでいる。そして『ジ・エイジ・オブ・アッズ』のクライマックスでは、この敬虔なキリスト教徒にして行儀の良いインディの気取り屋は、少なくとも16回は思い切り叫んでいる。『僕はふざけちゃいない!(I'm not fuckin' around!)』と」

 たしかに最後から二番目の曲、アルバムを最初から40分以上聴き続けたときに出てくる10曲目の"アイ・ウォント・トゥ・ビー・ウェル"の後半の叫びとコーラスの掛け合いはすさまじいものがあって、それは黒い笑いというよりは、もはや正真正銘の錯乱状態と呼ぶに相応しい。『僕はふざけちゃいない!』、その叫びはリスナーをますます混迷のなかに突き落とす。『イリノイ』のヒューマニズムと叙情詩は混乱に取って代わり、その音楽性も多彩というよりはケオティックである。IDMスタイルを応用しながら、古きアメリカの音楽(教会音楽からレス・バクスター、スティーヴ・ライヒからプリンスまで)が掻き混ぜられているのだが、それらは甘いようでいてどこか居心地が悪く、陶酔的なようでいてどこか苛立っている。

 そしてサイモン&ガーファンクルのようなハーモニーではじまるこのアルバムで、スティーヴンスは過去の愛、自殺願望、自己欺瞞、利己主義と自己嫌悪、破局、あるいは炎や神話......などについて歌う。20分以上もある組曲風の最後の曲"インポシブル・ソウル"は、もがき苦しむ魂の遍歴であり、最後もやはりサイモン&ガーファンクルのようなハーモニーで終わる。「きみに言ってやりたい:ああ! 力をあわせたら/ああ! ひどいことになったね」

 それが彼の本心なのか、素振りなのか、寓意なのか、悪意なのか、はっきりとわからない。そして、この壮大な内面のドラマについて深く首を突っ込みたくないというのも、正直ある。実際の話、訳詞を読みながら聴いていたら、ひどい船酔いにあったように、頭がくらくらしてきた。いや、だからそうではなく、エレクトロニカ・ポップの優れた結実としてこれを楽しもうと、少なくとも9曲目まではそのセンで聴いていられる......が、それもまあ、無理がある。美しい歌とたたみかけるコーラスを擁したパライノアックでスピリチュアルなこの音楽は、えもしれぬ複雑な幻覚を与えるのだ。容赦なく、それも圧倒的なまでに。

 これはアメリカ文化の廃墟の上で鳴り響く、異端者たちの交響楽団による分裂症的シンフォニーである。いずれにせよ、『ミシガン』と『イリノイ』でソングライターとして大きな賞賛を与えられたデトロイト出身ブルックリン在住のアーティストによる最新作は、ジャケットに使用されたロイヤル・ロバートソンのアートワークを見事に反映する、実にインパクトの強いものとなった。

interview with Gold Panda - ele-king


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 フライング・ロータスの『パターン+グリッド・ワールド』を聴いてひとつ思うのが、「ああ、この人は本当に自分が真似されているのが我慢ならないん だな」ということだ。『ロサンジェルス』以降の、自分のイミテーションたちと距離を置きたくて仕方がない、という思いがヒシヒシと伝わってくる (笑)。取材のなかでも、"グリッジ"や"ウォンキー"といった言葉に対する彼の嫌悪はハンパない。フライング・ロータスのファンの方々にはあの手の言葉を使 わないほうが身のためである......と言っておこう。
 で、"グリッジ"や"ウォンキー"っぽいサウンドからはじまるのがゴールド・パンダの『ラッキー・シャイナー』である。そして、そうした"いまっぽさ"から はじまるそのアルバムは、しかし、面白いようにそこから離れていく。『ロサンジェルス』以降のグリッジ・リズム、あるいはダブステップ以降のビートを追っ ていたヘッズ諸君は、途中で迷うだろう。「違うじゃねーか」と思うだろう。そこで停止ボタンを押す人間も少なくないかもしれない。
 が、むしろその"いまっぽさ"から離れていったときのパンダの音楽を楽しめる人は、何か新鮮な、新しい場所に辿り着けるだろう。どんどん登っていったら 突然視界が開ける。心地よい風が吹き、草原が広がっている。あたりを見回してもまだ誰もいない。『ラッキー・シャイナー』はそういう作品である。

ジェームス・ブレイクやマウント・キンビーは僕よりも若い世代で、影響もR&Bやヒップホップからで、僕とは違うんだ。彼らはデジタル世代だけど、僕はまだアナログに影響を受けている世代だし、ラップトップで音楽を作ることに何かまだ変な感じがする世代なんだよ。僕の音楽はもっとシンプルだ。

ゴールド・パンダという名前にしたことを後悔していない?

パンダ:している。最初はゴールドで後悔して、いまはパンダで後悔した。動物系の名前がすごく多いから。そういうハイプなものから離れていたいから、ちょっと後悔しているんだ。

いやね、この『ラッキー・シャイナー』、ホントに僕は好きなアルバムで、知り合いと会ったりすると「最近、何が良かった?」って訊かれるじゃない。そのときに、「ゴールド・パンダ」って言うと、知らない人だと「ゴールド・パンダ?」って、なんか複雑な表情をされることがあるんだよね。ゴールド・パンダって響きに、ユーモラスで可愛らしいイメージがあるからだと思うんだけど、ダーウィン(パンダの本名)の音楽は基本的にはシリアスな音楽じゃない。

パンダ:恥ずかしい。

だから、ゴールド・パンダという名前からこの音楽を想像するには、ちょっと距離があるんじゃないのかなと。

パンダ:そうだね。でも、いま名前を変えちゃうと、何々......(元ゴールド・パンダ)って長くなっちゃうから、もう変えられないんだよ。

なるほど。ところで『ラッキー・シャイナー』は前回の『コンパニオン』発表後に作ったんですか?

パンダ:いや、去年のクリスマスにはほとんどできていたんだよ。でもまだ気に入ってなくて、で、今年の4月から6月にかけて新しい曲を入れて、完成させたんだ。

"ユー"が最初にシングル・リリースされたのはダーウィンの意志なの?

パンダ:もちろん。

〈ゴーストリー・インターナショナル〉から何か言われたんではなくて。

パンダ:すべて僕の意志だよ(笑)。

そうか。

パンダ:オープニングにパワフルなトラックが欲しいと思っていたんだ。それで、まあ"ユー"だろうと。

『ラッキー・シャイナー』は"ユー"ではじまって、"ユー"で終わるんですけど(日本盤はボーナストラックが収録)、曲のタイトルもとても面白い。小説の章立てみたいに読めますよね。だからコンセプト・アルバムなのかなと思って。

パンダ:そう、歌詞はないけど、小説のようにコンセプトがあり、テーマがある。アルバムとはそういうものだと思うから、

で、僕なりにストーリーを推理したんですけど。

パンダ:ふーん。

今回のコンセプトは、恋人の話じゃないかと。

パンダ:トラックのいくつかはそうです。女性に対する歌もあるし、他の人への思いもあるし、実はパーソナルな話で統一されている。

9曲目の"アフター・ウィー・トークト"がすごく淋しい曲でしょ。これを聴いたときに「ああ、ダーウィンはきっと失恋したに違いない」と......

パンダ:何(笑)?

そう思いました(笑)。

パンダ:違うよ。それにはふたつ意味があって、ひとつは、実はフィル(サブヘッド、前回のインタヴューを参照)についてなんだよ。

あー、そうなんだ。

パンダ:6曲目の"ビフォア・ウィー・トークト"とともに対になっている。

うん、なってるよね。

パンダ:以前、eBayでヤマハのキーボードを安く買ったんだ。フィルはバンを運転してくれて、僕と一緒にそのキーボードを取りに行ってくれた。旅する感じでドライヴしてね。車のなかでフィルとずっと喋りながらドライヴしたんだ。そのキーボードのみで作ったのが"ビフォア・ウィー・トークト"と"アフター・ウィー・トークト"なんだよ。で、キーボードはどんどん壊れていってしまうんだけど、壊れていったときに出てきたカスカスの音がドラム・サウンドみたいに聴こえて、だから、それをドラムに見立ててみた。いずれにしても、そのキーボード一台で作った曲なんだよ。

なるほど、面白いアイデアだね。とにかく、曲の背景にはいろんなストーリーが隠されているんだね。

パンダ:その2曲も、フィルへの思いだけではなく、僕たちの日常生活のなかの"話す前(ビフォア・ウィ・トークト)"のハッピーな感覚と、"話した後(アフター・ウィ・トークト)"の寂寥感のようなものを意識しているんだ。だから"アフター・ウィー・トークト"は淋しいんだ。

失恋じゃなかったんだね。

パンダ:違う。

では、アルバムのはじまると終わりが"ユー"なのは何で?

パンダ:より人間の関係性を意識したって言えると思う。実は"ユー"という言葉は出てこないんだけど、音が"ユー"と聴こえるから、そう付けたというのもある。あと、イントロとアウトロじゃないけど、アルバムのブックエンドのようにしたかったんだ。だから、最初と最後をそうした。最初の"ユー"はとても力強い"ユー"で、最後は......まあ、エンディングらしく。

何か隠していることはないですか?

パンダ:はははは。たぶん、いっぱいあると思う。

はははは。あのね、すごく良いアルバムだと思うんだけど、音が、ダブステップ全盛の現在のUKからするとかなり異端というか、流行の音ではないよね。シーンの音に対する目配せはどの程度あるの?

パンダ:マウント・キンビーは知ってる?

まだ知らないんだよね。

パンダ:ダブステップから来ているんだけど、ものすごくUKっぽい音。R&Bやヒップホップに影響されているようなね。

ジェームス・ブレイクみたいな?

パンダ:そう。ジェームス・ブレイクやマウント・キンビーは僕よりも若い世代で、影響もR&Bやヒップホップからで、僕とは違うんだ。彼らはデジタル世代だけど、僕はまだアナログに影響を受けている世代だし、ラップトップで音楽を作ることに何かまだ変な感じがする世代なんだよ。僕の音楽はもっとシンプルだ。

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僕も一時期はフライング・ロータスがとてもクールに思えて、『ロサジェンルス』みたいなビートを作ろうと腐心したこともあったけど、あまりにもその亜流が多いし、僕自身も飽きてしまった。だって、ダブステップの連中だって、多くがフライング・ロータスの物真似じゃないか。

プラグインを使って、わけのわからないものにしているような。

パンダ:彼らはインターネットからコンピュータ・ゲームから、いろんなものから影響を受けている。電話しながら音楽を作れる世代なんだよ。だから彼らの音楽はより複雑になってきているんだろうね。

じゃあ、ちゃんといまのシーンをわかっていて、今回の音にしたんだね。

パンダ:新しい音楽にはつねに興味を持っている。僕も一時期はフライング・ロータスがとてもクールに思えて、『ロサジェンルス』みたいなビートを作ろうと腐心したこともあったけど、あまりにもその亜流が多いし、僕自身も飽きてしまった。だって、ダブステップの連中だって、多くがフライング・ロータスの物真似じゃないか。だったら僕は違うところに行こうと思って、もっとエレクトロニックでミニマルなところを目指したんだよ。古いモノをまた聴き直しているんだよね。

そこは意識してそうなったんだね。

パンダ:今回も、そして次作も、『ロサジェンルス』ビートからはどんどん離れるよ。

ハハハハ。逆に言えばフライング・ロータスはそれだけすごいからね。

パンダ:それはもちろん。"ユー"はちょっと、いかにもいまっぽいウォンキー・テクノな感じを出しているでしょ。でもよく聴けば、BPMもそうだけど、ビートはもっとストレートなんだ。他のトラックでも、似たようなことはしていない。

僕が『ラッキー・シャイナー』を聴いて思い出したのがエイフェックス・ツインの『アンビエント・ワークス』だったんだよね。90年代初頭のエレクトロニック・ミュージックを思い出した。

パンダ:エイフェックス・ツインと言われるのはとても嬉しい。彼の音楽や、あの頃のエレクトロニック・ミュージックは、より感情が反映されて、よりメロディが重視されていた。しかしいまの音って、いかにクレイジーかってところを競っているように思えるんだ。いかにクレイジーなビートを作るかってところが強調され過ぎている。僕はそうじゃなくて、エイフェックス・ツインのように感情を表現できる音楽を作りたいんだよ。

まあ、クレイジーなビートも面白いけどね。

パンダ:エイフェックス・ツインもまさにクレイジーなビートも作っているけど、それだけじゃない。メロディもちゃんとあるでしょ。

2曲目の"ヴァニラ・マイナス"以降も、かならず良いメロディがあるよね。

パンダ:うん、すごく意識したから。僕は"ビート"というよりも"ソング"を目指したんだ。歌詞がなくても"歌"、頭に残るような"歌"を意識した。

あとは......ジャケット・デザインもそうですけど、マルチ・カルチュアラルというか、エキゾティムズみたいなのも意識しているでしょ。インドの楽器を使ったりしているし、内ジャケットに写っているこのおばさんの写真も......これ?

パンダ:僕のおばあちゃんの写真。

えー、そうなんだ。

パンダ:インド人で、名前がラッキー・シャイナー。

えー、そういうことなんだ!

パンダ:スペルを変えているけどね。

エセックスに住んでいるの?

パンダ:住んでいる。

キューバの人かと思った。

パンダ:80歳の誕生日に行ったポルトガルで撮った写真だよ。

へー、それで"クイッターズ・ラガ"や"ユー"もインド音楽をチョップしてたんだね。言われてみればダーウィンもインド系の顔してるもんね。

パンダ:鼻とかとくにね。

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おばあちゃんは英語を話せなかったし、おじいちゃんはヒンドゥー語を話せなかった。それなのにふたりは恋に落ちて結婚した。それがすごく大きい。もちろんおばあちゃんとおじいちゃんはまだ一緒にいるし、そういう環境で育ってきているから、僕にとっては"結婚"ってすごく良いものに思える。


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今回のアルバムとおばあちゃんの関連性について話してください。

パンダ:おばあちゃんの関係している曲は3曲あるけどね。"ペアレンツ""マリッジ""インディア・レイトリー"ね。

とくに"マリッジ"は良い曲だよね。

パンダ:自分にとって"結婚"はまだ考えられないんだけどね。ただ、おばあちゃんは英語を話せなかったし、おじいちゃんはヒンドゥー語を話せなかった。それなのにふたりは恋に落ちて結婚した。それがすごく大きい。もちろんおばあちゃんとおじいちゃんはまだ一緒にいるし、僕のファミリーで結婚した人たちはいまもずっと一緒にいるんだ。そういう環境で育ってきているから、僕にとっては"結婚"ってすごく良いものに思える。僕はまだ結婚しないけど。

まあ、若いからね。

パンダ:若くない。もう30歳だよ(笑)。

じゃあ、このスリーヴ・デザインは?

パンダ:そこはおばあちゃんは関係ない。それは僕自身でデザインした。古いレコードのカヴァーをつなぎ合わせて作ったんだよ。だから、レコード盤の跡が見えるでしょ。

ああ、ホントだ。

パンダ:音楽も古い音源や古い機材で作っているし。

そういえば、イギリスでの評判もずいぶんと良いみたいだね。新聞(インディペンデント紙)の日曜版の表紙まで飾ったなんてすごいじゃないですか。

パンダ:とても変な気持ちだよね。

しかも「Next Big Thing」という見出しでしょ。

パンダ:うーん、ホント、変な気持ち。お母さんが喜んでくれたのが良かったけど。

しかもこの音楽をいま発表するのって、"賭け"っていうか、まあ、挑戦でだったわけでしょ?

パンダ:そう、なんでこんなに評判になっちゃったのか、自分でもわからないんだけどね。

とくにUKに住んでいたら、あれだけダブステップが盛りあがっているんだから、もっとウォブリーなベースがあるようなさ......。

パンダ:ね、僕の音楽にはベースがないでしょ。

だよね。それを考えると勇気のある挑戦だったと思うんですけどね。

パンダ:僕はただ他の人と同じことをしたくないだけで、勇気があるというのか、もしくはただのバカなのか......。

はははは。ホント、でもチャレンジだったんだよね?

パンダ:うん、そう。だけど、もし評判が悪かったら......ってことを考えると......。

だから"ユー"を最初にシングルにしたのも、すごく意識的にやったんじゃないんですか? 東京でもあのシングルは評判になったんですよ。ただし、"ユー"はいまの流行との接点がある曲だったからね。

パンダ:次のステップというのはすごく意識した。過去の作品で自分で誇りを持っていたのが"バック・ホーム"と"クイッターズ・ラガ"だったし、その2曲を発展させて、しかもインドの感覚をちょっと混ぜてって。

そして、2曲目以降がダーウィンがホントに聴かせたかった音楽が展開されている。とくに2曲目から4曲目の流れが良いよね。3曲目がまたおかしいよね。あれ、ギターのサンプリング?

パンダ:違うよ。あれは僕が弾いているの。自分をサンプルしたんだよ。

チューニングも狂っているし、子供がギターを触っているのかと。

パンダ:ギターのことをぜんぜん知らないからね。

アヴァンギャルドだね(笑)。

パンダ:はははは。才能がないだけ。

でも、すごく好きだよ、"ペアレンツ"っていうそのギターの曲。

パンダ:シャッグスって知ってるでしょ。

はいはい、60年代末の。

パンダ:あれに影響されたんだ。

なるほどね。

パンダ:弾けなくてもやればいいんだと、彼女たちが教えてくれたんだ。

では、最後にダーウィンがもっとも興味のある音楽を訊いて今回の取材は終わりにしましょう。

パンダ:そんなに変わってないよ。レーベルで言えば〈ラスター・ノートン(Raster-Noton)〉。アーティストで言えば坂本龍一も一緒にやっているアルヴァ・ノト(Alva Noto:カールステン・ニコライのプロジェクト)。この人はホントにすごいと思う。どうやって作っているのかまったくわからない。もうひとつはブルックリンのレーベルで〈12K〉。ここから出ているのもすごく良いね。

Tricky - ele-king

 子供の頃から朝起きるとまず吸って、そして寝る直前まで吸い続けていたという彼は、新作のジャケットでも思い切り吸っている。......が、最近は、喫煙をやめているらしいのである。「3週間止めているんだ」、そういう彼に『ガーディアン』(9月19日付)の記者は驚き、そして確認する。「止めたいと思っている」、とトリッキーは答える。明らかな変化だ。
 42歳のトリップホッパーは、そして同紙のインタヴューで、(まさに濃い煙の賜物であり、煙そのもののカオスの具現化とでも喩えられるであろう)自らの初期の作品を「醜悪に聴こえる」とまで言っている。実際に新作は、数多くの賞賛を浴びた過去のどれとも違っている。アイルランドの歌手、フランキー・ライリーとデュエットするスローなファンク"エヴィリー・デイ"、エレクトロ調のダンスホール"UKジャマイカ"、アルジェリアのギタリストをフィーチャーしたソウルフルな"ハキム"、スウィングするリズム&ブルース"カム・トゥ・ミー"、ロッキンなダンス"マーダー・ウェポン"......より多彩で、よりダンサブルで、誤解を恐れずに言えば、よりポップだ。
 
 トリッキーのアルバムはファンのあいだではよく指摘されるように、とにかく1曲目が最高である。2年前の『ノウル・ウエスト・ボーイ』の冒頭の咳き込むようなブルース"プピー・トイ"、『ジャックスタポーズ』の突き刺さるナイフのような"フォー・リアル"、そしてもちろん『マキシンクェイン』のトリップホップの頂点と言えるであろう"オーヴァーカム"......それらは、そこにいるだけで目が痛くなりそうな、モクモクと煙の充満した地下世界の魅惑的な入口として機能している。甘美な魔物が耳元で囁き、手招きしているのだ。
 そうしたトリッキーのある種サタニックな響きは、彼の特異なバイオグラフィー(母親の自殺、育ての親である叔父の家での親戚同士の血まみれの喧噪といった幼少期の記憶、あるいはドレスを着てドープを吸ってクラビングしていた日々、あるいは兄弟たちの非業の死)を知らなくても、リスナーを深いネガフィルムの世界へと沈ませる魔力を持っている、が、しかし、彼の音楽から彼の自叙伝を排除することは不可能でもある。有名な"ヘル・イズ・アラウンド・ザ・コーナー(角を曲がればそこは地獄)"は言うにおよばず、2枚目のアルバム『ニアリー・ゴッド』も彼の記憶とその恐怖の妄想の産物だったが、マッシヴ・アタックと違ってトリッキーは、ブリストルから逃げるようにまずはロンドンに住み、次はニューヨークへと、で、その次はロサンジェルスへと移り住んでいる。そしていまはパリ、新作は初のパリ録音でもある。
 
 「進むためには振り返らなければならない。過去について書かなければならない」、トリッキーは『ガーディアン』の記者にそう語っている。たしかに、『ノウル・ウエスト・ボーイ』によって長いあいだ逃げ続けてきた故郷に目を向けた彼は、マッシヴ・アタックの「デイリーミング」から20年後に発表された9枚目のアルバムにおいてもブリストルを見つめている。アルバムの題名である『ミックスド・レース』(ミックスされた人種)とは、トリッキーの説明によれば彼が経験したブリストルのマルチ・カルチュアラルな音楽シーンから来ている。このアルバムの驚くほどの多彩な音楽性は、彼の記憶のポジティヴなところによるものなのだ。アルバムには、刑務所から戻ってきた実弟マーロン、キングストンのポリティカルな女性"ハードコア"ラッパーのテリー・リン、あるいはボビー・ギレスピーらが参加している。
 政治と宗教を同等に憎むという彼は、その理由を「何も変えないからだ」と話している。ストリートワイズとはそういうところで身に付くものであり、トリッキーにとってターニング・ポイントになるであろう『ミックスド・レース』には歳を重ねたストリートワイズの寛容さが出ている、と言えるだろう。なにせアルバムにはクラブでプレイできるような曲が初めて収録されているのだ。もちろんそれらがいままでのファンをがっかりさせるようなことはない。

Solar Bears - ele-king

 かつてトラウマはトラとウマに分かれてどうのこうの......といってたのは浅田彰だけど(爆)、00年代前半の花形サウンドだったエレクトロクラッシュもいつのまにかチップチューンとチルウェイヴに分かれていた。M.I.A.のレーベルにサインしたスレイ・ベルやディスラプト、あるいはクォーター330やニール・キャンベルによるアストラル・ソシアル・クラブの新作もチップチューンで、聴いたことはないけれど、撲殺少女工房やエラーズもその筋に当たるらしい。アイコニカフライング・ロータスも部分的には手を出しているし、ペット・ショップ・ボーイズは早くも「ドィド・ユー・シー・ミー・カミング?」でリミックスに取り入れている。詳しくは書かなかったけれど、実はコレもそうだった→https://www.dommune.com/ele-king/review/album/000755/
 いっぽうのチルウェイヴはエレクトロクラッシュ(やその先祖である80年代のシンセ-ポップ)がシューゲイザー(とくにアンビエント・シューゲイザー)と結びついたもので、アリアル・ピンクウォッシュト・アウトが起源とされている。サーフ・ミュージックとの親和性も顕在化していて、このところ急速に拡大しているのは......レヴュー欄の過去ログを参照。
 
 ダブステップの狂騒に湧く〈プラネット・ミュー〉から「イナー・サンシャインEP」でデビューしたダブリンのジョン・コワルスキーとライアン・トレンチもその裾野を広げようとするニュー・カマー。ほぼ1ヶ月のインターバルでリリースされたデビュー・アルバムもチルウェイヴの例に漏れず、実にやる気のないはじまりで、EPでは『レムリアン』の成功で知られるアンビエント調ヒップホップのローンによってリミックスされていた"ツイン・スターズ"のオリジナルや続くタイトル曲に辿り着く頃には完璧にダレ切っていること請け合い。なんの深みもない音楽の谷間に意味もなく埋没してしまいます。エレクトロクラッシュからチルウェイヴを通り越してすでにラウンジ・ミュージックの域に達していると考えたほうがいいのかもしれないし、レコード・ショップのバイヤーを真似て「これがチルウェイヴの決定版だ!」と開き直ったほうがいいのかもしれない。実際、ティーンガール・ファンタジーのデビュー・アルバムはそのように書かれていた。半分ぐらいはバリアック・ハウスなんだけど。

 チルウェイヴの穏やかさにはひとつ特徴があって、それは感情的な強さを持たず、思ったほどセンチメンタルでもなければ絶望感もなく、ましてやハッピーではないし、メロディが豊富なわりにどこか淡々としていることだろう。なぜ、ここにリズムがあり、ロー・ファイのクリシェから意識的に遠ざかろうとするのか。一脈で通じる部分があるながらもピンク・フロイドのようなドラマ性はもちろんループ・サウンドの多用によって周到に回避されている(やはりアニマル・コレクティヴについてもっと考えるべきなのか?)。彼らはいったい、何を抑圧しようとしているのだろうか。それともこのシーンにフロイト的な葛藤が隠されていると判断する僕の方が何かに抑圧されているのだろうか。わからない。ぜんぜん、わからない。

 そういえば、10年ほど前に♪心の揺れを静めるために静かな顔をするんだ~と歌い出す曲があったな......

こだま和文 from DUB STATION(w/DJ YABBY) - ele-king

 僕と水越真紀は乃木坂の駅を出てから西麻布の路地裏をしばらく迷い、同じ区画を一周し、途方に暮れ、問い合わせ先の番号に電話をかけたその瞬間、目の前に〈新世界〉があった。よくある話である。入口には長谷川賢司がいた。この新しいライヴ・スペースには〈ギャラリー〉を主宰するベテランDJが関わっていると知って嬉しく思った。そのこけらおとしとして、二夜連続でこだま和文のワンマンライヴとくれば、日常的には関わりのない西麻布というエリアの初めて入る会場にも親近感が湧いてくるというものだ。

 〈新世界〉はざっと50人も入ればそれなりにいっぱいの、思ったよりもずいぶんと狭い会場だが、テーブルと席があることで落ち着いた雰囲気を醸し出し、より親密な空間を作っているように感じる。この手の会場は、昔よくロンドンで経験した。実験色の強いエレクトロニック系のアーティストのライヴをメインにやっていて、客は学生が多く、集中して聴くことができた。じっくりと音と向き合えるという意味では、最適な空間だとも言える。いままでの東京にありそうでなかったタイプのヴェニューで、今後の展開が楽しみである。

 そんな感じの良い空間の、最初のライヴが4年ぶりのこだま和文のワンマンだというのは、実に贅沢な話だ。先頃このアーティストは、著書『空をあおいで』を上梓している。生活を生きるということを、とても温かく描いているその本に僕はずいぶんと勇気づけられた。彼は、何億光年も彼方の惑星から覗いた地球という星における人の営みのピーマンやミシンについての話を、宇宙よりも大きく描くことができる。疑いの目を一瞬たりとも忘れずに、たったいま生きていることの実感を控えめに滑稽に、しかし力強く描く彼のエッセイは、彼の音楽と同質の悲しみと喜びを有している。

photo: Maki Mizukoshi

 〈新世界〉の通りを渋谷方向にずっと歩いていくと、ポスト・パンク時代にその名を馳せたレッドシューズがある。ミュート・ビートはその頃のレッドシューズに出演していた最高にスタイリッシュなバンドのひとつだった。僕の世代にとっては憧れである。われわれはあの時代、細身のスラックスを穿いて、ハットを被った。襟のついたシャツを着て、踊った。それから20年以上の月日が流れ、こだま和文は燕尾服を着て、頭には白いタオルを巻いた上からハットを被って、スタージに登場する。だぶだぶのスラックスのサイドには、彼自身がミシンで縫いつけたストライプが光っている。

 1曲目は"サタ"だった。アビシニアンズの、崇高的なまでに美しいコーラスで有名なこの曲をこだま和文は演奏する。続いて2パックの"ドント・ユー・トラスト・ミー"のカヴァー......。「お前は俺を信用しないのか?」、夭折したギャングスタ・ラッパーへの思いが込められたトランペットの音色は、狭い場内を埋め尽くしたオーディエンスの感情を宙づりにする。YABBYのコンソールから来る重たいベースとレゲエのリズムは身体にリズムを取らせるが、こだま和文の静かなメランコリーが心の置きどころを簡単には与えない。彼は途中のMCでいよいよハイボールを注文すると、こだま和文らしい言葉がゆっくりと出てくる。今年の猛暑のなか、幸せそうな人たちの顔を見るとそれに落ち込む自分がいるのであります......私の曲はダークで悲しいと言われますが、どうかみなさんが少しでも嬉しくなれればと思って演奏するのであります......場内からは少しずつ笑い声も聞こえるようになる。

 "ロシアより愛を込めて"のカヴァーに続いて、彼は、縁日の屋台で売っているような、子供が遊ぶプラスティック製の水笛を吹きながら曲を演奏する。水は溢れ、彼のステージ衣装を濡らす。曲が終わるとこだま和文は、それは1986年に起きたチェルノブイリの原子力発電所事故のときに書いた"キエフの空"という曲だと説明する。ああ、これが『空をあおいで』に書いてあるそれか、と思った方も少なくないはずだ。チェルノブイリからそう離れていないキエフの空に、いまでも鳥が鳴いていることを願って水笛を吹きました......とこだま和文は続ける。そして『スターズ』に収録された"アース"を演奏して、第一部が終了した。

photo: Maki Mizukoshi

 波の音に混じって、シド・ヴィシャスの歌う"マイ・ウェイ"が流れると第二部がはじまった。スカにアレンジされた"マイ・ウェイ"を演奏すると、そのままロックステディ調の曲が続く。それから"黒く塗れ"のカヴァー......それはいままで聴いたなかでもっとも本気で「黒く塗れ」という思いが込められているであろうカヴァーだったように思う。
 それから、こだま和文はマイクを手に取り、横田めぐみさんとナポリタンの話をする。横田めぐみさんについても、ナポリタンについても『空をあおいで』に収録されている。そして、自分が料理し、食するナポリタンの大切さについて説く。しかし......何よりも大切なのは、私のナポリタンなのであります......場内から笑い......ゆっくりと上昇する場内の温度とハイボールのお陰で、こだま和文はすっかり饒舌になっている。インターネットを通じて顔の見えない相手とコミュニケーションしていると思えるほど自分は浅はかではありません、コミュニケーションとはこういう場のことを言うのです......などといったような内容の話をユーモアを交えながら話し終えると、Kodama & Gotaの"ウェイ・トゥ・フリーダム"を演奏する。
 もうその頃には、〈新世界〉の会場はその親密な空間に相応しい雰囲気を作っていた。不自然なほどの礼儀正しい言葉遣いで話しながら、トランペットと交互に水笛を吹いているこだま和文は、滑稽で悲しいわれわれの日々のなかの、ほんのささやかな喜びを、ゆっくりと手で揉みほぐしながら抽出しているようだった。そしてコンサートも佳境を迎えた頃に再度2パックの"ドント・ユー・トラスト・ミー"のカヴァーを演奏すると、メドレーでザ・ビートルズの"サムシング"を吹くのである。その予期せぬ急な展開と秋の風のように優しい調べによって感情は強く揺さぶられ、何かとても大切な経験をしたような気持ちになった。小さな喜びの、大きな手応えというささやかな経験だ。

 アンコールは2回あった。1回目では、こだま和文はマイクを握って歌を歌った。2回目で"スティル・エコー"を演奏した。場内からは心のこもった拍手がいつまでも鳴り響いた。
 こうして小さな会場の、大きなコンサートは終わった。音楽を生で聴いて、心が満ち足りたのは久しぶりのことだ。僕はその場に居られたことを幸せに思い、こだま和文の音楽がこの世にあることに感謝した。

神聖かまってちゃん - ele-king

 インターネットの普及も、ゼロ年代後半にはそのコミュニティのサークルの断片化が加速し、充足化を経たことで、薄っぺらい共感を我先に求める傾向が強まっている。何時、何処でも、さまざまな情報にコネクトできるがゆえ、目先の自由に翻弄されることも多くなり、人はその現実と理想とのギャップを何とか埋めようとする。その所業に一喜一憂しながら、以前には感じることがなかったであろう疲弊を覚えている。神聖かまってちゃんはそうした「空しい現代」の申し子のように登場した。

 今年の春に放送されたNHKの音楽番組で、神聖かまってちゃんの生演奏を観た。"ロックンロールは鳴り止まないっ"は、ドラマーであるみさこの「ワン! ツー! スリー! フォー!」という威勢のいいカウントではじまる。スティックを叩くときの彼女の笑顔は、実に晴れやかだった。の子が「ロックンロールは鳴り止まねえんだよっ」と吐き捨てる姿も、美しく思えた。の子は、最後に「俺はいまこそ輝いているのであって、俺の時代なのである。いまこそが!」「イッツ・マイ・ジェネレーション!」と吐き捨てた。大人たちからは病的に捉えられがちな彼らの音楽だが、ちゃんと聴けば彼らのそこには、この時代の歪んだコミュニケーション文化を自覚しながらも、そのなかを逞しく生きようとするポジティヴなパワーがみなぎっていることがわかる。

photo : Tetsuro Sato

 三連休の真っ直中、9月19日の日曜日、〈渋谷AX〉。アニメ・ソングのようなおかしなSEが流れはじめると、大歓声のなか、メンバーがステージに現れる。と同時に、ステージ後方には巨大ヴィジョンがゆっくり降りて来る。そこには〈ニコニコ動画〉のライヴ・ストリーミングを使用した公式生放送〈ニコニコ生放送〉の中継映像がそのまま映し出される。閲覧者たちによる「キターーーーーー!!!!!!」「始まったwwwwww」といった挨拶代わりのコメントから、「みさこ結婚してくれ」「あご(メンバーのmonoは顎が出ているから)」といったふざけたコメントまで、〈にちゃんねる〉的な煽りで埋め尽くされている。現場と電脳空間を巻き込んだ大規模な演出や、閲覧者のコメントに触発される形で、現場のオーディエンスはさらに歓声を大きくする。そう、この日のライヴは、現場の空気を共にするアーティストとオーディエンスの関係性だけによって成立するのではなく、PCの前に腰を下ろした〈ニコニコ生放送〉閲覧者も加わって、初めて成立するのだ。
 開演した時点で、すでにヴューワーの総数は8,000人近くまで上り(「8,000キタ!!」などのコメントが表示されるので、会場に居てもすぐにわかる)、現場にいる2,000人近くのオーディエンスを加えると、武道館クラスのキャパシティでこのライヴを共有していることになる。これには興奮せざるを得ない。しかしメンバーたちは、自分たちの姿とコメントが映ったヴィジョンを眺めながら、何だか他人事のように、グダグダと喋りながら戯けて楽しんでいる。この相変わらずともいえる人を食った態度は、〈にちゃんねる〉や〈ニコニコ生放送〉に慣れ親しんだ彼らの自然体なのだろう。
 
 そうした興奮に包まれたまま1曲目"夕方のピアノ"がはじまる。この曲は、の子が学生時代に受けた虐めが元ネタになっているとか、真相は定かではないが、「死ねよ佐藤/お前の為に/死ね/死ね」の叫びは、音源で聴くよりもよりいっそう痛々しい。しかもそのコーラスを、大勢のオーディエンスが力一杯に拳を掲げて「死ねー! 死ねー!」とシンガロングする。ヴィジョンには、「死ね」といった悪質なコメントの投稿は禁止されているので、代わりに「タヒね(「死ね」を崩したインターネット・スラング)、「SINE」といったコメントが嵐のように過ぎ去っていく。いったいどうして「死ね」と叫ばずにはいられなかったのか。どうしてこんなコミュニケーションが成り立ってしまうのか。いったい誰がここまで追いやったのか。自分もゼロ年代に翻弄されたユースのひとりである。自分は、の子とは同い歳だ。ネット社会のエクストリームな縮図ともいえるその空間に身を置いた自分は、その光景を観て涙をこらえ切れなかった。

photo : Tetsuro Sato

 その後も、"ベイビーレイニーデイリー""天使じゃ地上じゃ窒息死"といった目を覆いたくなるタイトルの曲が連発された。ライヴはすぐに中盤を迎え(曲間の喋りが長い)、いつの間にか〈ニコニコ生放送〉のヴューワー総数は15,000人に達している。の子は「こうやってロック史が刷新されていくのだと思います」といったようなMCをして、急に思い出したように「ディス・イズ・ヒストリー!」と叫ぶ。90年代を代表するワーキング・クラス・ヒーロー、オアシスの言葉をオマージュとして使うあたり、この状況に対して、やはりどこまでも自覚的なバンドだ。
 そしてその「ディス・イズ・ヒストリー!」のコール・アンド・レスポンスとともに、"ロックンロールは鳴り止まないっ"のイントロのピアノ・フレーズが聴こえる。このときは思わず鳥肌が立った。オーディエンスもこの日いちばんの雄叫びを上げ、ヴィジョンは「ネ申曲(神様級の曲という意味)」などといったコメントでいっぱいになる。この曲は、ビートルズもセックス・ピストルズもわからなかった少年が、ある日突然、音楽に胸を打たれる瞬間、そう、あの迸る初期衝動をただただピュアに表現した曲でもある。ディストーション・ノイズと目いっぱいに散らしながらギターをかき鳴らすの子の姿には、初めてギターを抱え、アンプのつまみをマックスまで捻り、憂鬱を振り払おうと轟音を鳴らそうとした少年時代の自分の姿がダブって見える。「遠くにいる君めがけて/吐き出すんだ」「遠くで/近くで/すぐ傍で叫んでやる」と、の子は叫ぶ。mixiやtwitterを弄ぶこの時代において、何ともリアルな叫びだ。

 その後は"学校に行きたくない"などを挟み、本編ラストには、サイケデリックなノイズ・ポップ"いかれたNeet"という、実に自虐的なタイトルの曲を披露した。穏やかな狂気じみたその曲調も相まって、ヴィジョンに映る「働いたら負けだと思っている」「今日も自宅警備が忙しい(働かないでずっと家に居ることの皮肉)」といったコメントに胸を締め付けられる。彼らはこうして今日の生き辛さを生々しく告白しているのである。
 。
 演奏終了後、興奮したの子は、自前のWEBカメラ付きノートPC(USTREAMもしていたらしい)を抱えたまま、客席にダイヴした。オーディエンスたちが、自分たちの心情を代弁してくれたの子に感激の意を込めて、フロアで手厚くもみくちゃにしていたのは、美しい光景だった。ただ、セキュリティの手によってステージに引き上げられたときに、いつも着ている割烹着のような衣装がめくれてしまい、勢いで自ら下半身局部を露出してしまったことで、〈ニコニコ生放送〉の中継がやむを得ず中断してしまったのは、「ディス・イズ・ヒストリー!」の終幕としてはあまり美ししいとは言えなかったが......。

 先日、クラクソンズは『サーフィン・ザ・ヴォイド(虚空をサーフしろ)』という素晴らしいタイトルを冠した新作をリリースした。そのタイトルが示す通り、空しい現状の自覚と、それを何とか打破しようとする彼らの力強い表現には勇気をもらった。そんな自分は、この日本で現代の空しさと真っ向に対峙し、フラストレーションをまき散らしつつ、戯けたようにサーフし続ける神聖かまってちゃんを追いかけずにはいられない。

Deerhunter - ele-king

ディアハンターの4枚目のアルバム『ハルシオン・ダイジェスト』が都内のレコード店でも好調なセールスを見せている。2年前の『マイクロキャッスル』によってサイケデリック・ポップ・バンドとしての才能を見せつけたアトランタ出身のディアハンターは、いよいよ魅力たっぷりなその毒を日本にも撒き散らそうとしているようだ......。

彼の少年性、そして「性別がない」音楽文:橋元優歩


Deerhunter / Halcyon Digest
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 「僕には性別がない」、あるインタヴューでブラッドフォード・コックスはそのように述べている。マルファン症候群という先天性の疾患のためとも言われる驚くばかりの痩身、長すぎる四肢、窪んだ眼窩にぎらぎらと眼球、たたずまい自体が非常に喚起的なディアハンターの中心人物だ。ドストエフスキー『悪霊』に登場するインテリ革命家の誰それを思わせる。あるいは鋭く不穏な知性を湛えたベッドルームの隠遁者。
 ゲイだという噂もある。それに応答する意味だろうか、キャミソール・ドレスを着用した攻撃的なショウの模様も確認できる。ゲイ情報に関する真偽はきわめて曖昧だが、ブラッドフォードの身体には、たしかにそうした様々な物語を収容し得る何かがある。少年のようにも老人のようにも、聖人のようにも悪魔のようにも見える。私には宗教画がイメージされるが、一方でどことなくポップなポテンシャルも感じさせる。
 アトラス・サウンド(ブラッドフォードのソロ名義)の『ロゴス』や、この『ハルシオン・ダイジェスト』のジャケットを並べてみれば、常ならざる形をしたものへのまなざしがはっきりと感じられる。本作ジャケットの被写体については、悲劇的なゲイ青年の物語が付記されてもいる。
 
 「性別がない」ということを、ブラッドフォードはバイセクシュアルだという意味では語っていない。アセクシュアル、つまり自分はセクシャルな存在ではないという言い方をする。セクシャルな存在になる前段階の少年性のようなものを指しているのだろう。彼が好む雑誌に『ボーイズ・ライフ』が挙げられるが、これがどんなものかというのはアマゾン等で検索すれば瞭然である。日本で言えば『学研』みたいなものだろうか、思春期前の少年が携える、ホビーと冒険のバイブル。ちょっとした科学実験や虫取り、子どもが喜ぶジョークやまめ知識がまとまった、男子児童ライフをめぐるトータルな情報誌で、大人の読むものではない。少年性というある種のファンタジーが、彼自身にオブセッシヴに機能していると仮定するのは的外れではないだろう。未分化であるがゆえに何ものでもあり得るというような性に、彼は追慕と理想とを抱いているのではないだろうか。成人男性の身体を持った人間に、そのような「アセクシュアル」が本当に可能かどうかわからないが、そうありたいと思う人がいるのは理解できる。まして彼の場合はかなり特殊な身体だ。世界に対するスタンスとして、自らを異物、あるいは周辺的・外部的なものであると捉えていたとしてもおかしくない。それは彼の音楽のスタンスでもある。
 
 ブラッドフォードの音楽は、翳りがあり退廃的であるとさえ評されるが、ダーティではない。むしろ汚れたものにたいしてうぶでさえある。"ドント・クライ"では少年が雨のなかでなにかを洗っている。"リヴァイヴァル"では、暗い廊下が「来るな!」と呼びかける。"セイリング"で描かれる世界はダークかもしれないが、ダーティではない。いずれの曲もディアハンターらしいリヴァーブに包まれている。夢をみるためのリヴァーブではない。魔除けのためのリヴァーブ。スローな曲でもリズムはよく締まっていて、清潔さを感じる。また、アニマル・コレクティヴの近作のような打ち込みの要素も前作に増して目立っている。それがよく表れている"ヘリコプター"は名曲である。"ベースメント・シーン"では、年をとりたくないという主体が、年をとりたいと考えるまでの過程が描かれている。年をとらずに夢を見つづけることは、人に忘れられ、自らの終わりを意味するからだ。
 
 『ボーイズ・ライフ』が、その他たくさんの書籍とともに雑然と置かれているというブラッドフォードの部屋の壁には、パティ・スミスやマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのLPが掛けられているそうだ。パティ・スミス......そう、彼は少年性に居直っているわけではない。理想を大事に扱っているだけなのだ。"ベースメント・シーン"では、年をとりたくないという主体が、年をとりたいと考えるまでの過程が描かれる。年をとらずに夢を見つづけることは、人に忘れられ、自らの終わりを意味するからだ、と詞はつづく。これほど自覚的な彼の音楽を安直にドリーミー・ポップなどと呼べるだろうか。覚醒的で孤独なブラッドフォードの心のふるえを、大雑把にシューゲイズなどと呼んでしまうことは、私にはほとんどナンセンスに思われる。
 ブラッドフォードの作家性に終始してしまった。実際には、ロータス・プラザとしてソロでも作品を出しているロケットの役割も無視できないのだが、本作はやはりブラッドフォードのアルバムだと感じる。アトラス・サウンドが、前作『マイクロキャッスル』の方法に無理なく溶かし込まれた印象である。

文:橋元優歩

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一緒にハイになろう、僕は年をとりたくないんだ文:野田 努


Deerhunter / Halcyon Digest
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 2008年のディアハンターによる『マイクロキャッスル/ウィアード・エラ・コンティニュード』、2009年のアトラス・サウンド名義による『ロゴス』、これらはここ数年のUSインディ・アンダーグラウンドの野心――IDMスタイルからノイズ、ヴィンテージ・スタイル等々――と接続しながら、明日のポップ・サウンドを模索するアルバムだ。サウンド面での工夫があるというのはもちろん大きいが、それだけがトピックではない。それら2枚はアニマル・コレクティヴと並ぶ、ゼロ年代におけるネオ・サイケデリアを代表する作品でもある。個人的な遍歴を言わせてもらえれば、『サング・タングス』(2004年)から『クリプトグラムス』(2007年)へ――というのがおおまかな流れとしてあって、その地下水脈における最初のポップ・ヴァージョンが『マイクロキャッスル』だったと記憶している。
 ポップ・サウンドとはいえ、アニマル・コレクティヴにはない妖艶なメロウネスがそこには詰まっている。ブラッドフォード・コックスが関わる音楽には、昔ながらのジャンキーの、役立たず人間のみが発することのできる香気というものがある。弱者であるがゆえの色気があり、彼にはルーザー・ロッカーとしての十二分な資質がある。いまどき珍しく、頽廃的な光沢がある。それがゆえにだろうか、ブラッドフォード・コックスにはアニマル・コレクティヴほどのピーターパン的な印象はない。
  
 CD2枚に25曲を収録した『マイクロキャッスル/ウィアード・エラ・コンティニュード』においてキャッチーな曲も書ける才能を証明したバンドは、この新作では、CD1枚46分のなかに11曲を収録している。厳選された11曲なのだろう。また、いくつかの作曲にはギタリストのロケット・プントが関わっているそうで、ディアハンターがコックスのワンマン・バンドではないことを暗に主張しているようだ(しかし、いまとなってはディアハンターとアトラス・サウンドにそれほど違いがあるとは思えないのだけれど......)。
 
 子供への自己投影を主題にした"ドント・クライ"はヴェルヴェッツ直系のロック・ソングで、"リヴァイヴァル"とともに口ずさみたくなるタイプの曲だ。恐怖をテーマにした"セイリング"はスローテンポの美しいブルース・ロックで、"メモリー・ボーイ"はテレヴィジョン・パーソナリティーズを彷彿させるキャッチーなサイケデリック・ポップ。"ベースメント・シーン"は夢見るガレージ・ポップ・ソングで、シングル・カットされた"ヘリコプター"はメロウなエレクトロニカ系ポップ・ソング、それに続く"ファウンテン・ステアーズ"はバーズ......というかより深いトリップに夢中なストーン・ローゼズといったところ。まあ要するにアルバムは多彩で、捨て曲なしの引き締まった内容になっている。『マイクロキャッスル』のとの大きな違いはそこで、ポップ・バンドとしてのディアハンターの才能がスマートに発揮されている。
  
 まあ......とはいえ、僕の場合は、間章の啓蒙主義めいた言葉で描かれたコックスの夢想を共有するにはもういい歳なのだ、という事実もある。「年をとりたくない」と歌われても、年をとってしまっている。「目を覚ましたくない」と歌われても、毎朝7時に起こされる。困ったものだ......。「一緒にハイになろう/僕は年をとりたくないんだ」、そのいっぽうでコックスは「それは僕の終わりを意味するのかもしれない/年をとりたい」と、彼の分裂した思いを打ち明ける。その曲、"ベースメント・シーン"の歌い出しはこうだ。「少しでいいから夢を見よう/地下の世界についての夢を」――リヴァーブをかけられ茫洋と響く彼の言葉と歌は、そして成長(大人)を拒否する『ハルシオン・ダイジェスト』は、"終わりなき夏"をひたすら夢想するチルウェイヴと、その他方では過去に惑溺するヴィンテージ・ポップスと、いずれにせよそれほど遠くはないどこかで混じりながら、USインディに拡がるネオ・サイケデリアをよりいっそう強固なものにしている......ように聴こえるのだ。

文:野田 努

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Dorian - ele-king

 この、山下達郎の代表作『フォー・ユー』などのジャケットでもお馴染みの、80年代を代表するイラストレーター、鈴木英人のイラスト・タッチを模したドリアンのアルバム・ジャケットを初めて見たときは、これは往年のシティ・ポップへの憧れの情景を描いているのか、それとも彼らの世代による彼らなりのシティ・ポップを新たに獲得したという宣言なのか、そのどちらかなのではないかと、アルバムの内容に期待と不安を入り交じらせた。往年のシティ・ポップといえば、読んでその名の如し、土臭い生活感が滲み出るローカル・コミュニティを基盤とする60~70年代のフォークに相反する形で80年代に拡大した、都会的な享楽を描く歌謡音楽である。戦後の高度経済成長を経てきたことで生まれたこのジャンルは、プロダクションや演奏技術の洗練を背景に、和製AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)とも呼ばれ、高年齢層へと目配せをした結果、現実の写実よりも、空想に耽ることを主としたリリックも目立っていた。

 しかし、ドリアンといえば横浜を拠点とするクルー〈パン・パシフィック・プレイヤ〉周辺とも親交が深く、それこそ、「粗大ゴミをお宝に変える醍醐味」と路上の煌めきを掬い取ってラップするやけのはらとも多くの共同作業を重ねている。グローバリズムに浸食されるこの国のポップ・ミュージック・シーンに於いて、ローカルなコミュニティで活動するアーティストの代表格として知られている存在とも言える。多くのローカル・パーティの現場で、甘くメロウでトロピカルなディスコ・サウンドを鳴らし、幾度もの高揚を生み出している。そして、そこに集まったユースたちは週末の開放感を噛み締めている。だからこそ、ドリアンがシティ・ポップの世界観へ全面的に傾倒してしまったのであれば、自分を含め、彼の音楽をナイトクラビングのサウンドトラックとして楽しんでいたうだつの上がらないユースたちは戸惑うのではないかと。これが最初に書いた「期待と不安」のうちの「不安」である。

 ところどころベタなピアノ・ハウスがあり、全体的にウェルメイドな作りではある。が、洗練された都会の音楽というよりも、裕福ではない郊外の悪ガキたちが気心知れた仲間たちと夜の海岸線へと車で繰り出ような、一時の享楽を描いたミッドナイト・クルージングといった印象を感じる。シティ・ポップの享楽性とは違っている。代わり映えのない埃っぽい日常のなか、彼らはそれが一時的なものであることも十二分に理解しているのだろう。家に辿り着いた瞬間には、散らかった部屋を見て、一気に現実の世界に戻されることもままある。そんな灰色の現実からの脱出という逃避も、都会での生活への憧れも全て内包した上で、夢見心地なディスコの世界へと放り込んでしまう彼の音楽は、ナイトクラビングの醍醐味を伝えるパワフルさがある。
 アルバムの終盤のハイライト、七尾旅人とやけのはらが参加した"シューティング・スター"という曲では、「この一瞬のキラメキを/そう/永遠に信じよう」とやけのはらはラップしている。そう、これはたしかに、一瞬でも構わない、キラメキを獲得する為の音楽なのだ。これこそが、やけのはらのラップする「鳴り響くアーバン・ソウル」であり、この日本で生き辛さを感じながら生活する現代のユースによって刷新された、新たなシティ・ポップともいえるのだ。アルバムを聴き終えると、このジャケットが妙にしっくり来るのである。

 アルバムのベスト・トラックは、中盤に配された、70~80年代に活躍したアメリカの女性ソウル・シンガー、デニース・ウィリアムスの代表曲"フリー"のインスト・カヴァー。原曲で描かれている、開放感を謳歌するリリックはないけれど、シンセサイザーのレイヤーを重ねてダイナミックに描いたこのインスト・ヴァージョンを聴いているだけでも、穏やかな自由の歓喜を感じることができる。この曲を聴いて、今宵も一瞬のキラメキを獲得しに、夜の街へと繰り出そう。

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