「PAN」と一致するもの

 『トレインスポッティング』や『スラム・ドッグ・ミリオネア』のダニー・ボイルが監督した新作映画『スティーヴ・ジョブズ』をロンドンで観た。脚本は、『ソーシャル・ネットワーク』『マネーボール』のアーロン・ソーキン。ソーキンお得意の、しゃべりまくる個性的な登場人物たちの言葉の応酬でドラマを展開する奇妙なセリフ劇である。ダニー・ボイルだし、iTunesやiPodを発明したジョブズを主人公にした映画なのだから、音楽的なのかと思ったら、まったくそんなことはない。皆が知ってるジョブズの功績、iPhoneやiTunes、iPadなどは影も形もないし、U2のボノみたいなミュージシャンが彼の素晴らしさを讃えるわけでもない。ただ、ジョブズのカリスマ性を炙りだすのに、彼にとってのステージ、“発表会”という場とその舞台裏にフォーカスしたという意味では、十分にライヴ的な映画とは言えるかも。

 批評家のウケは極上だったこの映画、あまりにコアなところを狙いすぎたのか、すでに公開された海外各国での興行成績はふるわなかったようだ。さて、電気グルーヴの映画のレヴューをするのに、なぜこんなに長々と別の映画のことを書いたかというと、異端の存在でありながら26年も続いてきた“電気グルーヴの歴史”を総括する映画なんてものこそが、こういう罠に簡単にはまりそうだからだ。だってあの卓球と瀧が、ストレートな回顧ものを撮らせるわけがないと思うじゃない。監督もテレビ/映像業界でサブカルのご意見番的に有名で、なおかつかなりの電気ファンを自認する大根仁だというし。それこそ、ファンのオタク度を測るようなレア映像や特殊なシーンばかりをつなげたり、主だったできごとはすでに皆当然知っているものとして省いてしまったりネタとして処理するというような作りだってありえたと思う。もしくは、ダニー・ボイルのジョブズ映画に倣うなら、野村ツアー以前(つまり、『Vitamin』以前)のライヴ3回のバックステージでの様子や会話を捉えた楽屋裏映像だけで構成しちゃう、みたいなことも。
 いや、そういう“マニアの皆さん大歓喜”な映像がまったく入ってないというわけではないんだけど、この映画がすげーまっとうに作られていることに最初はちょっと面食らって、でもどんどん自分もその映像の一部になっていくような感覚を得て、最後には「うわ〜、電気グルーヴってやっぱりものすごい存在だわ。この人たちとこんなに長い歴史の時間を共有できてホント良かった」みたいな感慨を抱いた。仕事で電気に関わったようなひとたちはもちろん、劇場にこの作品を見に行こうと思っちゃうようなひとも皆、それぞれの思い出のフラッシュバックとともに、そういう感覚に包まれるんじゃないかと思う。

 初めて世に出るという89年8月の大阪でのデビュー・ライヴの映像から、ほぼ時系列にそって電気グルーヴの歴史をなぞりつつ、国内外の17人の関係者の証言を随所に折り込むことで、内と外から電気グルーヴとは何か? をすげーまっとうに炙りだす。昨年の〈Fuji Rock Festival ‘14〉グリーンステージでのライヴは、今回の映画で主要なステージのフッテージとしてたくさん使われているんだけど、WOWOWで放送された同時期のソロ・ライヴの様子を収録した番組を見た人だったら、類似性と大きな違いに気付くはず。〈塗糞祭〉のライヴでは、CMJKや砂原良徳、DJ TASAKA、スチャダラパーといったゲスト陣にインタヴューして、やはり電気グルーヴのことを語らせていた。今回も同じようなメンツが話している。でも、やっぱり今回の方が取材に時間をかけているだろうし、楽屋コメントよりもずっと冷静に、いきなり内臓に切り込んでくるみたいな鋭さが見られる。もっと重要なのは、(僕らはよく知ってるけど)普段はほとんど表にでてこない、マネージャーの道下さん、元所属レーベル社長の中山さん、リキッドルームの山根さん、ROCKIN’ON JAPANの山崎さんといったひとたちが喋っていることだ。油断しているとすぐ足下をすくわれ毒を盛られるという、いたずら好きで辛辣で、斜に構えたイメージの電気グルーヴではなく、ある意味ものすごい愛されキャラとしての電気の本質が彼らの証言によってだんだんと見えてくるのが、いい。
 歴史的な映像の大半は、VHSテープに残っていたようなざらざらのローレゾ映像なわけで、新撮のインタヴューや最新のライヴのきれいな映像は、否応なく目立ってしまう。そんな風に暗闇のでかいスクリーンに旧知の連中の顔が大写しになって次々出てくると、「うわぁみんな老けたなぁ」と思うのは当たり前だ。でも、不思議なことに映画が進むにしたがって、どんどんその老けたおっさんたちが、卓球と瀧だけじゃなくて、彼らと一緒に歴史を作ったきたCMJKやまりんやTASAKAたちみんなが、超かっこいいじゃんという印象に変わってくる。いやいや、ほんと、マジだって。そういう効果をしっかりだすために、今現在リアルにかっこいいしルックスだけでモテそうな関係者一番の若手、agraphこと牛尾くんを出さなかったじゃないかなとか勘ぐりたくなるくらい。

 もっとディテールのこと(特にKAGAMIへの言及のことなんか)を本当は話したいんだけど、まだ公開前だし、それはこれから観る皆さんの楽しみをスポイルしちゃうと思うので、やめておきます。どっかのパーティーのバー・カウンターとかで、誰かと語りあいたいわ。
 でも、実はこの映画の一番のターゲットって、電気グルーヴのことをあまりよく知らない人じゃないかなとも思うんだよね。テレビや映画に瀧が出てるの見て「へぇ、この人ミュージシャンなんだ」って興味持ったり、偶然フェスでライヴを体験してとか、そういう入り口でいきなりこの映画観たら、最高だろうなぁ。僕も、自分の子供がもう少し大きくなったら絶対これ見せようと思ったし!

Myths Of The Far Future - ele-king

 12月15日、原宿のVACANTでアシッド・フォークのイヴェントが開催される。出演は、UKからGrimm Grimm(Koichi Yamanohaによる)。今年、〈ATP Recordings〉からデビュー・アルバム『Hazy Eyes Maybe』をリリースしたばかり。
 他に、マヒトゥ・ザ・ピーポー(GEZAN)とKohhei Matsuda(Bo Ningen)と、強力なラインナップ。映像はTakashi Watanabe。



Future Brown - ele-king

 〈ハイパーダブ〉からのリリースでも知られるファティマ・アル・カディリ。LAのビート・ミュージック・デュオであるエングズングズのダニエル・ピニーダ&アスマ・マルーフ。シカゴ・ジュークの天才児Jクッシュ。この4人によるプロデューサー集団、フューチャー・ブラウンが来日する。今年の頭に〈ワープ〉よりリリースされたファースト・アルバムでは、グライム、ジューク、トラップ、ゲットー・ハウスなどが起こす鮮やかな音の化学反応が大きな話題を呼んだ。アルバムには多くのMCが参加していたように、今回の来日講演にはMCのローチ―が4人とともにステージに上がる。ファティマ・アル・カディリは去年も日本へやってきたが、フューチャー・ブラウンの来日は今回が初となる。スーパー・グループのセットを是非体感してほしい。


Yasuyuki Suda (inception records) - ele-king

2015.11.29

 今年もっとも輝いた顔のひとつである。ハープを抱いた歌姫、フリーフォークのアイコン、確実にUSインディの一時代を築いたこのシンガー・ソングライターは、しかし同じところにはとどまっていない。ディヴェンドラ・バンハート『クリップル・クロウ』から10年、アニマル・コレクティヴ『フィールズ』からも10年だ。はやすぎて恐ろしい。

いま彼女は街に両足をつけ、ひとりの女として、歌うたいとして、そのなかに渦巻く感情のドラマツルギーでこそわたしたちを魅了する
(木津毅によるレヴュー、ご一読をお奨めしたい! )

 そう、新しいジョアンナは新しい歌をうたっている。それは今作を支えた編成とともに見るときもっとも鮮やかに、そしてもっとも直接的に感じられるだろう。東京はグローリア・チャペルでの公演も楽しみだ。

■Joanna Newsom Japan Tour 2016
ジョアンナ・ニューサム ジャパン・ツアー2016

 2015年秋にリリースされた最新アルバム『ダイヴァーズ』の興奮冷めやらぬ中、その歌声とハープで世界を魅了しつづけるジョアンナ・ニューサム6年ぶりのジャパン・ツアーが決まりました。彼女の歌とグランド・ハープ、ピアノを囲む今回の演奏家はライアン・フランチェスコーニ、ミラバイ・パート、ピーター・ニューサム、そしてヴェロニク・セレットの4人。もちろん『ダイヴァーズ』の大きな音楽世界を支えた選り抜きのメンバーたちです。さて、手を伸ばせば、世界でもっとも鮮やかなユートピアがそこで待ち受けています。息を吐き、足で蹴り、浮かび上がるダイヴァーたちの群れ。もちろん次はあなたが飛び込む番!

■ジョアンナ・ニューサム(Joanna Newsom)
米カリフォルニア州ネヴァダ・シティ生まれのハープ奏者/シンガー・ソングライター。グランド・ハープの弾き語りというユニークなスタイルで2000年代音楽シーン最大の「発見」のひとりでもある。これまでに『ミルク・アンド・メンダー』(2004年)、『Ys』(2006年)、『ハヴ・ワン・オン・ミー』(2010年)、『ダイヴァーズ』(2015年)と4枚のアルバムを米ドラッグ・シティ(国内盤はPヴァインから)より発表し、その世界観を大きく拡張。その音楽要素をジャンル名で回収することはおろか、もはや大きな「音楽」としか名づけられない唯一無二の個性となった。近年は2014年のアカデミー賞2部門にノミネートされた映画『インヒアレント・ヴァイス』に女優として出演、ナレーションも手がけるなど活躍の場を広げている。

公演

1月26日(火)
大阪 大阪倶楽部 4階 大ホール(06-6231-8361)
大阪府大阪市中央区今橋4-4-11
開場 6:00pm/開演 7:00pm
5,000円(予約)/5,500円(当日)*全席自由席
予約受付は12月7日正午より開始します。
予約:Cow and Mouse(cowandmouse1110@gmail.com)
予約方法:件名に「ジョアンナ・ニューサム大阪公演」と明記の上、お名前(フルネーム)、お電話番号、チケット枚数をご記入いただき、上記メール・アドレスまでご送信ください。確認後、購入方法を折り返しお知らせいたします。なお、携帯電話から申し込まれる方は、PCメールの拒否設定をされていませんようご確認ください。また、会場内はすべて自由席、ご来場順でのご入場となります。
大阪公演問い合わせ先:ハルモニア(080-3136-2673)、
Cow and Mouse
cowandmouse.blogspot.jpwww.facebook.com/cowandmouse

1月27日(水)
東京 キリスト品川教会 グローリアチャペル(03-3443-1721)
東京都品川区北品川4-7-40
開場 6:30pm/開演 7:30pm
5,000円(予約)/6,000円(当日)*全席自由席

1月28日(木)
東京 キリスト品川教会 グローリアチャペル(03-3443-1721)
東京都品川区北品川4-7-40
開場 6:00pm/開演 7:00pm
5,000円(予約)/6,000円(当日)*全席自由席

東京公演前売りチケット:
スウィート・ドリームス・プレス・ストア(sweetdreams.shop-pro.jp
*12月7日正午より、上記ウェブサイトにて特製チケットの販売を開始します。なお、送料として一律200円がかかりますので、あらかじめご了承ください。また、会場内はすべて自由席、チケットの整理番号順でのご入場となります。

企画・制作:スウィート・ドリームス・プレス
招聘:Ourworks合同会社
協賛:株式会社P-VINE
共催:Cow and Mouse(大阪公演)
音響:Fly-sound(東京公演)

Sweet Dreams Press
www.sweetdreamspress.com
info.sweetdreams@gmail.com

JOANNA NEWSOM: Divers
ジョアンナ・ニューサム/ダイヴァーズ
発売日:2015年10月23日
品番:PCD-18803
価格:定価:¥2,480+税

TRACK LISTING:
1. Anecdotes
2. Sapokanikan
3. Leaving the City
4. Goose Eggs
5. Waltz of the 101st Lightborne
6. The Things I Say
7. Divers
8. Same Old Man
9. You Will Not Take My Heart Alive
10. A Pin-Light Bent
11. Time, As a Symptom


世界はまだダニエル・クオンを知らない - ele-king

ダニエル・クオン - ele-king

Ha Ha, Just notes 増村和彦

 ──『ノーツ』というアルバム・タイトルが象徴する掌編的小曲は、集合体となって、永遠に未完のまま無限に続く可能性を燻らせている。

 Pヴァインのオフィシャル・インフォにも「ポピュラーミュージック症の重篤患者」とある通り、彼の音楽的な素養には驚くばかり。アルバムに収録された小曲はトラック数の数倍に及ぶというメロディ・メイカーぶりはビートルズを彷彿させるほどであるし、奇抜でありながら普遍性を身に纏うアレンジやミックスにキース・オルセンやカート・ベッチャーを重ね合わせるかもしれない。その手のことは、枚挙に暇がないが、裏側から対象を眺めるような観察観の鋭さは、言わば「aに対するa´」を勝ち得ている。作品からaを探し出すことは簡単かもしれないが、さまざまな音楽遺産の中から彼のa´を見出した時一つの幸福感を味わえるに違いない。それは同時に、音楽遺産の上に新たな視点を提示してくれる。
 そのような経験的な音楽の領域に説得力を持たせているのが、詩的な領域だ。何もコンセプトや歌詞のことではない。各曲は物語としては掌編的に完結していくが、そこにカタルシスはない。不満なき完結はある意味では死を意味する。はちきれんばかりのリビドーが(#5“mr.kimono”の頭のローズ・ピアノなんて手で掴めそうだ)、浄化されることなくアルバム全体を流れつづけることによって、長編のようないつ終わるとも知れない味わいを持たせている。タイトルの「note」と「複数形」の意味をそこに見た気がした。

 彼にそんなことを言ってもきっと「haha, just notes」と言うはずだ。それはそうにちがいない。矛盾するように同居するムードの気楽さが作品をしてベタつかせていない。各所に散りばめられたフィールド・レコーディングが、自己の中に入り込もうとするものでなく、映画の1コマのような効果を与えていることも象徴的だ。時に顔を出すシニカルな側面にも深刻さはない。これもタイトルが示すところであろう。

 たしかに、このアルバムにハイライトやメッセージ性はないかもしれない。彼の場合は、さまzまな倒錯や幻想の形態化自体がユーモアや物語を帯びながら音楽をなしていくところがあるように思う。それは、自己満足の空しい作業かもしれないが、閉ざされた空間で日曜日にしか愛好されない音楽の中にあって、稀有な存在であり、われわれはそのようなものに心酔するはずだ。

 ……なんだか難しいように書いてしまったかもしれないが、最後に一つ。ここまで歌が聴けるアルバムもなかなかないだろう。

増村和彦

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呪われたようにポップ 松村正人

 さきほど『ele-king』本誌にジム・オルークの原稿を書き終えた勢いというか熱さめぬままというか惰性というか、そういうもののまま、ジョン・フェイヒィの“Requiem For Molly”を聴いていたとき、それとアイヴズの交響曲4番と異同にあらためて慄然とし、本稿でそれをもちこんだのはそこに書き漏らしたためなのだが、この傾向を、かつて私たちはジムの音楽を述べるにあたりアメリカーナと呼びならわしたものの、ことばの深いところでそのことを考えてはこなかった。不在あるいは架空のルーツといい条、語りの構造を語らないことで片手落ちになっており、これは保坂和志が『遠い触覚』でリンチ(のおもに『インランド・エンパイア』)を語るさいのフィクションがたちあがるときの「遠さ」とも重なるが、このことについては別稿に譲るとして、私たちは音楽にドリームないしドリーミィの単語を被せるときその形容詞を甘くみすぎている。

 もっとも私は夢をほとんど見ないし、見たとしても脈絡のないものばかりなので実感はないが世の中にはどうも楽しい夢もあるらしい。願うだけであるものが手に入る万能感、おしよせる多幸感──それを音楽にこじつけると、いや、音楽はいまや思うことのすべてをだれもがひとりでたやすく実現できる、まさに夢の世界だが、想像できる範疇でできた音楽などとるにたらない。私はなにがいいたいかというと、夢の力学とはガタリがカフカを述べるにあたりもちだした「夢の臍」から来るもので、それはほとんど受動的な万能感といえるほどのある種の恐慌状態を指すとものであり、万能なのは夢そのものであり見る側ではない。というと付け焼き刃のフロイト派のようであり、しかも音楽をふくむフィクション全般を語るにそれをもちいることの、ジジェクめいたあやうさももちろんあるのだけど、なんかしっくり来ないのよ、柳沢慎吾に「いい夢見ろよ」といわれるたびに、うーむとなってしまう私としては。いい夢見たことないし。

 私はシンガー・ソングライター、ダニエル・クオンを知ったのは、このレヴューを引き受けてからという、はずかしながらクオンさんヴァージンの私だが『ノーツ』には巷間のドリーム・ポップに私の抱いてきたどこか食えない感じとは似ても似つかないものをもっている。略歴そのほかは健筆な著者の別稿をご参照いただきたいが、森は生きているの岡田拓郎、増村和彦はじめ、牛山健、小林うてなといった、数年前の日本移住後、東京インディ界隈で培った人脈を投入した『ノーツ』は、私は浅学ぶりをさしひいても確実にポップ度は増した。私が空手形を切っていると思われる方もおられようが断言します、『ノーツ』以上にポップな作品がおいそれとつくれるわけがない。それほどこのアルバムは呪われたようにポップだ。作者ではなく音楽がそうなっている。

 幕開けの“fruit, not apple”の果実(リンゴではない)を囓る音のほのめかすもの、つづく“hop into the love van”でダニエル・クオンは私たちをトリップに誘い出す。飛び乗るのはラヴ・ヴァン。ケン・キージーのバスを思わせるところもあるがあれほどトリッピーではない。行く先々には見知った顔も見える。ある停留所ではポール・マッカートニー卿のまわりをパイロットとエミット・ローズをはじめ、その音楽的遺伝子を受け継いだ無数の子どもたちがとりまき、たがいのポップ・センスの捻れぶりを競い合っている、人垣をかきわけるとジョンストンのほうのダニエルと鉢合わせして意気投合しないともかぎらない。どこを切っても、口ずさめそうなほど耳なじみがいいのに、場面はくるくる展開する。飛躍するというほどではないのに、全体的には断片の集積の印象を残す。『ノーツ』の表題はそこに由来するのかもしれないが、そこにはキース・オルセンやロイ・トーマス・ベイカーといった彼の偏愛の対象だというプロデューサーの手がけた作品名がメモってあるだろう。前者はフリートウッド・マックとかフォリナー、後者となるとクイーンであり、前述のパイロットもサードはロイのプロデュースだった。これだけ見ると音楽性はさておき、先日のレヴューされたジェームス・フェラーロに通じるガジェット感があり、クオンはそれをある種の付随音楽──というと即座に映画音楽を想起される方がいるかもしれないが、私がいいたいのは部分と全体のかかわりであり、クオンの『ノーツ』は全体がすべてに先行する。ところがそれはテーマとかコンセプトとかではない。まっしろなノートがまっさきにあるのである。ソフト・ロックにせよ、ロウファイであれラウンジであれ、そこには自由に書き込む余白がある。ブライアン・メイの亡霊さえ召還可能だろう(まだ死んでないが)。フィールド録音の多様は音楽と外との流通をはかる。そうすると音楽はフェイヒィにかすかに似た歪みをともなうが、特異なソングライティング・センスは埋もれないどころか、ますます際だっていく。このような作品はバンドではなかなか難しい。ゆえに『ノーツ』は東京のアンダーグラウンドの若い住人たちにも新風を吹きこむ作品として歓迎されるにちがいない。お年を召した方のなかにはモンドを想起される御仁もおられよう。しかもメロディが中心にしっかりあるから、訴えかけるのは好事家にとどまらない。肌ざわりから、カセットを出すのもひとつの手だとも思いました。

松村正人

『ノーツ』についてのノート - ele-king

 今回のアルバムのA&Rを務めました、柴崎と申します。日々、いろいろなアーティストの皆さんのCDやレコードの制作を担当させてもらっています。そんな中、今回はダニエル・クオンというこの特異なアーティストとアルバム『ノーツ』について、制作に関わったものとして、その魅力と妙味が皆さんへ伝わって欲しい…という思いのもと、おこがましくも筆を取らせていただいております。アルバムの内容の論評については他執筆陣の皆さんが手がけられていると思いますので、ここではレコーディングを進めていくにあたってのエピソードや私が感じたことを中心に、記してみたいと思います。

 私が初めてダニエルと出会ったのは、東京・高円寺の〈円盤〉で月例開催されているイヴェント「不明なアーティスト」において。一般的には未だ名が広く知られているとはいえないけれど個性的なアーティスト諸氏を迎え、まずはじめに演奏を披露してもらい、その後に企画者の新間功人氏(1983, ENERGISH GOLF etc)と不肖私を交え、昨今ミュージシャンに訊く機会もなかなか無いであろう「最近お気に入りの音楽」について改めてじっくりトークをするという趣旨の集まりなのですが、2013年6月に行われたその第1回目ゲストの一人としてダニエル・クオン氏を迎えたのでした。それまで私は漠然とした知識で彼の活動や存在は把握していたのだけれど、実際にどんな音楽を奏で、どんな人となりなのかといったことはその時点では失礼ながらよく知らずにいました。また、その時のライヴ演奏もじつをいうとあまり記憶に残っていなくて(本イヴェントの第1回目ということもあり「自分もこの後トークショーへ登壇する」ということへの緊張が烈しかったもので……)なんとも不甲斐ない限りなのですが、よく憶えているのは、彼の特異なキャラクターとその音楽趣味でありました。6月にもかかわらず外套を羽織り、終始俯き気味の姿勢で、日本語と英語を交えてポロリポロリと語るその姿容のインパクトもさることながら、彼が好む音楽として紹介していた数々のレコードのチョイスの興味深かったこと。チャールズ・アイヴス、ポール・マッカートニーの『マッカートニー2』、石川セリ、スコット・ジャレットなどなど……。その乱脈なチョイスからうかがわれる音楽嗜好に強く惹かれた私は、さまざまなレコード・トリビアでダニエルともども大盛り上がり、お陰様でトークショーは快調、お客様にもご満足いただいた(のではないか)……という一幕となりました。

 その後私も何やかやと日々を過ごす中、当時ファースト・アルバムをリリースしたばかりだった森は生きているのメンバー岡田拓郎氏よりある日、「ダニエル・クオンの『Rくん』(*1)聴きました? すごいですよ」と聞かされ、「ダニエルってあのダニエルか」と思った私は早速入手し、果たしてびっくりしたのでした。すごくて。あの、嬉しそうにレコードの話をするうつむき加減の青年の姿容と、この極めて刺激的な作品の内容が非常にすんなりと自分の中で結合していくのでした。「エクスペリメンタル」や「アヴァンギャルド」と形容しても、どこかそれだけでは捉え得ないユーモアや諧謔も色濃く匂い立ち、すっかり気に入った私は人に会うと「『Rくん』、いいよねー」などと喧伝する日々となったのでした。そんな知ったようなことを喧伝しながらも、実際に彼に再会する機会には恵まれること無く日々は過ぎていったのですが、2013年の冬ころだったかと思いますが、ある時ダニエルが新しいアルバムを作ろうとしているという情報をキャッチし、実際本人に再度会ってみて、どんな作品つくりたいのか、聞いてみましょうということになりました。その再邂逅の場でもはじめは俯き気味の彼でしたが、お互いにアルコールがからだに入ると饒舌になるという生理現象を最大限に活用し、具体的なアルバム制作のことはうちやって、エミット・ローズやクイーン、スパークス、フリートウッド・マック、フランク・ザッパなどなどのレコードについて、前述の岡田氏の他に同席していたPadok氏も巻き込んで、ただただみんなしゃべりまくり……その日のことはよく覚えていません。

 いま振り返って思い出したのですが、ダニエルと会うとお酒を飲んでばかり……。ひたすら最近聴いているレコードの話や彼の日々の生活の鬱屈についてなど、まるで制作と関係無いようなことばかりを話していた気がしますが、もちろんダニエルも私もサボっていたわけではなく、ゆっくりとしたペースではあれど、アルバム制作に向けての準備は着々と進んでいき、2014年春頃には録音担当のPadok氏と具体的な製作方法を吟味し、スタジオを選定(*2)するなど具体的な作業がはじまっていきました。

 そして……そこからはもう一気呵成、怒涛の工程で、と書きたいところであるのですが、まさしくここからが彼の真の才気と本領を思い知ることに……。溢れ出るアイデアが溢れるままに任せる彼のレコーディング・ワークに、私やPadok氏、ドラムス担当の牛山健氏も頭に「??」を浮かべながらも応えていく日々。そもそも楽曲の「構成」を決め込んでからレコーディングに臨む、といった一般的な手法は彼にとってはあくまで手法の一つでしかなく(当たり前と言っては当たり前なのですが)、次々に変化を遂げていく楽曲に、その日のその日のラフミックスを聴く私は「あれがこの曲でこれがあの曲で、これがこう録り直したからこうなって、こういう楽器が入っているファイルが最新でこれが前のやつで……」と頭のなかが沸騰寸前、というか沸騰してしまい……そこで悟ったのです。これは一度自分の中の自明性を破壊せねばならぬ、と。何を大袈裟な、というハナシですが、ダニエルの提出するアイデアのスピード感に追いついていくためには、このようなある種の達観というか、「なんでもこいや」的に自分の心身を大きなアンテナに化し、ある種のアフォーダンス状態に自分をおいて……とかとかぐるぐると考える日々。私などからすると「ここにそんなフレーズを!? え、逆にあそこはなにも手を付けないの!?」といった具合で喫驚するばかりでしたが、煩悶しつつも一方で確信めいたような態度とともに、スタジオでいろいろな想念を爆発させながら試行錯誤を繰り返しているダニエルの姿が印象的でした。この時期、増村和彦氏を招いたパーカッション録音(増村氏は後に数曲のドラムスでも演奏に参加)や、小林うてな氏を招いたスティール・ドラムの録音なども行っています。

 そして、2015年に入ってからも散発的にスタジオ作業を続けながら、入れ替わるように、牛山氏宅などでの録音や、ダニエル一人によるレコーディングとミックスの作業に入っていくことになります。同時にレコーディング機材環境の整備や新たな曲への制作などを行いながら、今回のアルバム『ノーツ』に特徴的に聴かれるフィールドレコーディングの作業も彼は日常的に行っていたようです。彼本人もその方法を私に語ってくれたことがありますが、映像的な感覚を重視して、それぞれの音を採集し、配置していくという行き方の元、モノクロの下書きに彩色されるように加えられていく音の数々。都市生活に浸っている我々には当たり前すぎて見過ごし聞き逃してしまうような日常的な雑音(電車の発車ベルであったり、街頭での演説であったり、遊戯にふける児童の嬌声であったり……)が、音として掬い取られていくようでした。

 あるとき、ダニエルがお気に入りとして挙げた小説として、19世紀末フランスの作家J.K.ユイスマンス(*3)による小説『さかしま』があります。この象徴主義の巨匠の代表作は、日本では澁澤龍彦訳によっても読まれている古典的名著でありますが、遺産を食いつぶしながら隠遁生活を送る貴族である主人公デ・ゼッサントが、蕩尽の限りを行うばかりで物語的な筋というものもとくに無い、だけれど非常に特異な魅力を湛えた小説です。デカダンの大伽藍的な作品として世に評価されていることもあり、ダニエルもそのようなデ・ゼッサントの浮世を厭うピカレスク的な一面に共感を抱いているのかな? と思ったりもしましたが、どうやらもっと違った共通点があるような気がしてきました。


ジョリ・カルル・ユイスマンス
『さかしま』(1884)
※桃源社 1962 /
光風社 1984 /
河出文庫 2002
 
澁澤龍彦訳

 デ・ゼッサントはまあ確かに、現代の視点から見ると、経済的な生産活動を忌避してただ個人的な消費と愉楽に遊ぶいわゆる「ダメ人間」ではありますが、重要な点はそうした彼の生活風紀上の特異さについてではなくて、もっと根本的な、モノや美を観るときの視点という気がするのです。たとえば、デ・ゼッサントが、色彩に対して異常なコダワリを開陳しながら屋内の調度品の配置を物語っていくところなど、まるでダニエルがさまざまな楽器の音色効果とその配置を嬉々として語っている顔が浮かんでくるみたいです(ちなみに、ダニエルはデザイナーでもあります)。また、「健康的な読み物」としてのディケンズの小説を読み触発されたデ・ゼッサントが、思い立ってロンドンへ旅行しようと外に出かけようとしたけれど、どうせ旅先では不愉快なことがたくさんあるんだろう……と月並みな旅行中に具体的に起こりうる不愉快な事案を次々に思い浮かべたとたんにロンドン行きを翻意にして、そして、そうした想念が膨らんでくるにしたがい、そもそもそういう想念をもって起こりうる自体が事細かに心に浮かんだ時点でもう彼の地(ロンドン)に行ったのも同然だからもはや行かなくてもいい、むしろ想念上のロンドンの方が事実自分にとっては気味のよいものであろうと嘯く場面……。そんな場面に見られるような、ユイスマンスならではの曲折したユーモアについても、ダニエルのそれと共振をしているのではないかと感じます。これは、単なる主人公デ・ゼッサントの負け惜しみ的述懐というわけではなく(一見そう感じさせるところにユイスマンスの卓越したユーモアセンスがあるわけですが)、頭のなかで想念がインフレーションを起こした時に現れる滑稽を愛でるような筆致で描かれたこのロンドン旅行取り止め事件は、世に広く共有される現場・経験重視的な思考法への軽蔑と撹乱、想念の側に美徳の盃を取らせる象徴的な勝利宣言でもあるとも読めるわけです。そして、ダニエルにおける「音」と小説のここでのトピックたる「旅」が並置されるとき、大勢の人に経験されることでさまざまな意味付与をされクリシェへと成り下がってしまった「意外性に乏しいポップミュージック」(=多くの人に経験されたであろう「意外性に乏しいロンドン旅行」)を珍重するよりも、自らの頭の中に渦巻く想念を培養基として、ポップ・ミュージックの意味性を撹乱し、いきおい想念の自由さを浮かび上がらせるようなダニエルの創作態度との関連性も見えてくるようです。また、デ・ゼッサントが語る、西洋宗教芸術へのペダンチックな興味や、信仰や形而上学的問題への志向性などといった部分でも、本アルバム『ノーツ』の歌詞に数々の現れる宗教的キーワードと何がしかの関係性があるのではないかしら……? あるいは、「シンガーソングライター」という形容を極度に嫌うダニエルのこと、ユイスマンスの反私小説的態度及び反自然主義的な態度にも共鳴をしているのか……? ああ、また頭が沸騰してきました……。

 何やら下手くそなユイスマンス論めいてきてしまったのでこのあたりで止しますが、一方で大変重要なのは、デ・ゼッサントが想念のみの世界に閉じこもるのではなく様々な嗜好品や優れた芸術品の価値を積極的に愛でながら独自の思想を語っていくように、ダニエルも自らの想念のみに拘泥するわけではもちろんなく、これまでに産み落とされてきた優れたポップ・ミュージックへの憧憬を隠そうとしないということでしょう。彼と会う度に語られるエミット・ローズ、スパークス、ルパート・ホルムズ、10ccなどへの敬愛には、それらの先達たちが彼らの想念とともに作り上げた音楽が担ってきたラジカルリズムへのシンパシーと、そうして不断に蓄積されてきたポップ・ミュージックの豊穣な歴史を愛でる確かな視座、そうした重ね合わせを感じるのです。

 こういった考えは、今年夏からのアルバム制作の終盤の頃、彼自身による執拗なダビング作業と音響効果の追求(一般的な「ミックス」という工程上の用語と、ニュアンス的にどうも違うので、「音響効果の追求」と書きます)の日々の中でいろいろとやりとりしながら、私の中で徐々に深まっていったものでした。徐々に歌入れを進める中で明らかになっていく歌詞世界に窺われる、音韻そのものとしての言葉を無遠慮に配置することで意味を無力化していこうとするような鋭敏な感覚と、一方で同時に意味性の連鎖の中に違和を創出してゆくような高度なユーモア性といったもの。あるいは、「A~B~サビ~A~B」といったような一般的なポップ・ソングの構造を食い破るように「A~B~C~D~E……」と、作業を経るごと増殖分裂をしながらアップデートされていく曲構成にしても、ポップ・ソングの定石性へのラジカルな批評になっているようでいて、ポップ・ソングそのものへの理解と偏執とそのフォーマットへの愛が逆説的にほとばしってくる……。そういった二重性というものが彼の創作に通底する態度であり、突出した魅力なのではないか、という考えが日々私の中で強く沸き上がっていき、いよいよマスタリングを経て完成した時に確信となりました。

 つらつらと書き散らしてきましたが、そもそもインサイダーたる私がこのように作品をホメるのも恥ずかしいのですし、こそばゆいことおびただしい。だけれども自信を持っていうことができますが、このアルバムはいわば、ラジカルと歴史的豊穣の重ねあわせの中にたゆたっているポップ・ミュージックのイデアをはっしと掴み、作品の中で充分に輝かせることに成功している、相当に稀なる一作ではないでしょうか。そしてさらには、そうした重ね合わせ状態のテーゼが、どこまで意図的に仕組まれているのかといったこと自体がまた別のミステリーであるという、三次元的な奥行きを持った構造も見え隠れするという……。
 うーん、でもたぶん、ダニエルは苦笑を浮かべながら「柴崎、おまえは考えすぎだ」と言いそうです!
ダニエル・クオンの最新アルバム『ノーツ』、是非末永くお聴きいただけましたら幸いです。きっと、ずっとあとになっても新鮮さを失わない作品だと思いますので。

*1
ダニエルが変名「Rくん」名義でリリースした、前作に当たるアルバム『Rくん』のこと。

*2
宅録とフィールドレコーディング中心の『Rくん』の反動もあり、一般的なスタジオ環境にてドラムをレコーディングしたり、生ピアノでの録音など、いわゆる「一般的な」の制作手法を踏襲するような進め方にトライしたいというダニエルの希望もあり、何曲かのリズム・レコーディングはそうした方法で行いました。

*3
ジョリス=カルル・ユイスマンス。19世紀フランスにおいて象徴主義を代表する作家として活躍した。代表作に、本文でも触れられている『さかしま』がある。

Khalife Schumacher Tristano - ele-king

 ルクセンブルグの旗手にして、エレクトロニック、クラシックとジャズの音楽界で旋風を巻き起こし、カール・クレイグやモリッツィオとの共 演で世界にその名を知らしめた若き天才ピアニスト、フランチェスコ・トリスターノ。ヨーロッパ・ジャズ界の代表選 手の一人であるヴィブラフォン奏者、パスカル・シューマッハ。そして、この二人の演奏に補完するリズム の礎を築き、このトリオの斬新なライヴを新たな音楽領域に導かすレバノン出身のパーカッションの最高峰、バシャール・カリフェ。このトリ オのライヴには魅惑的な音楽オーラが満ち溢れ、歓喜の静穏が浮かび上がり、円熟さが感じられる。彼等の新スタンダード・ミュージックの真骨頂を遂げようとする、壮絶なライヴが、 遂に日本初上陸! 今回のトリオのライヴで手厚いDJサポートするのは、何と松浦俊夫と、フランチェスコ・トリスターノと海外で共演したHIROSHI WATANABEだ!

2015年12月4日(金)
Dec. 4th, 2015 (FRI)
At CAY

開場:19:00時/開演:20:00時
Open: 19:00pm / Start: 20:00pm

前売:¥4、500 当日:¥5、500
Advance: 4,500 Yen Door: 5,500 Yen

〒107-0062 東京都港区南青山5丁目6-23 SPIRAL B1
Address: Spiral B1F, 5-6-23, Minami-Aoyama, Minato-Ku, Tokyo

For More Info: 03-3498-7840
https://www.spiral.co.jp/shop_restaurant/cay/
https://www.giginjapan.jp

特殊音楽、とは - ele-king

 来たる11月21日(土)、22日(日)の両日にわたって、六本木〈スーパー・デラックス〉にてFTARRI FESTIVAL 2015が開催される。今回で第3回めを迎えるFTARRI FESTIVALは、おもに00年代以降の日本の即興音楽を海外へと(そして国内に向けても)発信してきたウェブサイト「Improvised Music from Japan」を運営する鈴木美幸が、2006年にレコード・レーベル及びネットショップ部門の移行先として〈FTARRI〉を立ち上げ、その発足を記念して2008年に開かれた第1回と、こちらも即興音楽を世に送り出し続けてきた稀有なレーベル〈DOUBTMUSIC〉との共催によって2010年に開かれた第2回(正確にはこちらはFTARRI DOUBTMUSIC FESTIVAL)が過去に開催されている。前2回のフェスティバルの模様は一部の演奏が『FTARRI COLLECTION』(meenna-111-117)として7枚組のセットとなってCD化されているので、ライヴを体験できなかった方々はこちらでその様子を窺い知ることもできるだろう。〈FTARRI〉は2012年には水道橋に実店舗を構えており、レコード・ショップのみならずイベント・スペースとしても国内外の先鋭的なアーティストが集う貴重な場となっている。

 前回も前々回も〈FTARRI〉レーベルに馴染みの深い顔ぶれが並ぶラインナップだったことからは意外にも、というよりは、当然のことと言うべきなのかもしれないが、今回を含めたどのフェスティバルにおいても、繰り返しとなるようなプログラムはない。正確を期すならばFEN (Far East Network)だけは今回が2度めの出演となるものの、大友良英が主導するアンサンブルズ・アジアの活動がはじまる前と後とではこのグループの意味も大幅に変わってくることだろう。他にたとえば中村としまるや杉本拓ら幾人かは全3回に出演しているが、どれも同じプロジェクトあるいは演奏形態にはなっていない。それは出来事の一回性を重視する即興音楽にあらかじめ組み込まれた、西洋近代主義的な同一性への回帰を逃れようとする運動であるだけでなく、出演者のそれぞれが常に新たなる試みへと挑み続けていること、そしてそれを的確に見つけ出す鈴木美幸の慧眼の証左だとも言えるだろう。

 (余談だが、「大友良英のJAMJAMラジオ」において準レギュラーを務めているF.M.N.Sound Factoryの石橋正二郎に対する「特殊音楽紹介家」という呼称における「特殊」を、「変わりもの」といった意味に解するのではなく、西洋的=普遍的なるものに対する「特殊音楽」とするならば、多様化を極める現代の即興音楽が、その試行を推し進めるためにときには作曲をも試み――今回のフェスティバルにおいても作曲作品が演奏される――、すでにたんなる手段として即興を用いるだけではなくなっていることを鑑みるとき、漠然と「即興音楽」と呼んでいるそれらをゆるやかに包括する言葉として「特殊音楽」というのはより当を得た表現であるように思われる)。

 今回のフェスティバルでも、昨年〈FTARRI〉レーベルよりアルバムをリリースしたジョン・ブッチャーとロードリ・デイヴィスのデュオをはじめとして、海外から多数のミュージシャンが参加する。とりわけ注目に値するのは、これが初来日となる、近年のイギリスにおける即興音楽シーンの新しい世代を代表するひとり、パトリック・ファーマーの公演だろうか。日本からも、サウンド・アートの先駆者として著名な鈴木昭男が参加する一方で、10年代に入ってから目覚ましい活躍を続ける歌ものデュオju seiや、現在進行形の日本のマイナー音楽を紹介するプロジェクト「MultipleTap」を主宰する康勝栄、吉田ヨウヘイgroupやインプロ・トリオの發展でも活躍する池田若菜など、新しい世代の参加が目立つ。音楽フェス戦国時代といわれるいま、それをスポーツにもたとえられる交流の場とすることとは一線を画しながら、あくまで音楽の質にこだわり、いままさに起こりつつある「特殊音楽」の世界に存分に浸かることのできるまたとない機会になるだろう。出演者の一人ひとりが場の一回性に賭けるように、このフェスティバルもまた、ただ一度きりの出来事に賭けている。それを逃したあとで手に入れる術はない。 (細田成嗣)


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