「S.L.A.C.K.」と一致するもの

ISSUGI from MONJU - ele-king

 ここ数年のヒップホップで僕が衝撃を受けたひとつは、いまさらながらDJスクリューだった。ヒューストンのこのDJは2000年に他界しているので、正確に言えばDJスクリュー再評価とその影響力に心奪われるものがあったということだ。気になったのは、どろっとスローにミキシング(エディット)する手法的なことだけではない。その独特の音響は、リスナーにある種のイメージ、ある種の感覚を誘発する。それは、いわゆるハキハキとした前向きさとはほど遠い感覚だ。どうにもこうにもならない。カフカの『城』に登場する測量士のKのようだ。つまり、いつまでたっても城には辿り着けない。いや、Kと違うのは、辿り着こうとしていないことだ。そして、Kのように、辿り着かなくてもその過程には、さまざまな出来事が起こりうる。

 辿り着けなさという点において近しい感覚を、いよいよ台風の目になりつつあるDOWN NORTH CAMPのひとり、ISSUGI(MONJU/SICK TEAM)の、ISSUGI名義でのセカンド・アルバム『EARR』からも感じる。2009年にリリースされた最初のソロ・アルバム『Thursday』のアートワークにある彼のスケボーが暗示するように、動きはあって、場面はいろいろ変われども、『EARR』にも目指すべき「城」がない。城には向かわず、そこに向かわずして過ごしていることのほうが重要なのだ。そのことは、彼のCDにリリック・シートがないこととも関係しているように思える。シャイというよりも、本能的に、リリックから啓発的な意味を見いだそうとする行為を拒んでいるのだろう。

 全15曲、計33分の男前のフロウが詰まった1枚、『EARR』には、ソウル、ルーツ・レゲエ、ジャズ、ほかにも古い録音物の音がサンプリングされ、ルーピングされ、エディットされている。基本ミニマルで、ダブからの影響が注がれ、ときにJディラ風でもあり、ビートは際立っているが、ここにも(ある意味坂本慎太郎的な)反ドラマ的な抑揚のなさがある。S.L.A.C.K.や仙人掌、Mr.PUGも参加しているが、意味よりも音が耳に入ってくるという具合だ。初めて1枚通して聴いたときに覚えた言葉は「ただハイになりたい」というフレーズぐらいで、実際の話、曲そのものが陶酔的だ。要するに、音的に言って、SICK TEAMから引き伸ばされたものが『EARR』にはある。『Thursday』を軽く越えている。
 出だしが良い。レトロなR&Bからクラシックの弦楽器の演奏が交錯し、揺れながら、はじまる。トラックを担当しているのは16FLIP(昨年、アルバム『SMOKYTOWN CALLIN』を発表)、ブダモンク(Budamunk)はキーボードで2曲、パンピーもミックスで参加しているが、すべての音を手がけている16FLIPの貢献は大きい。メロウなソウル・ヴォーカルを華麗にチョップする"GET BLUN"、ビートとラップがリズミックに絡みつく"MANY WAY"といった先行発表の曲をはじめ、"FUTURE LISTNING"の瞑想的なビート、リー・ペリー的な音響の妙技を見せる"EYEWALL"、単調さの美学を貫く"BULLET"、インダスリアル調の"FIVE"、"SHADOW LIKE A MONSTA"のブロークン・ビーツ風の展開も面白い。

 「良い歌だけじゃ満たせない心」と、"ONE ON ONE"というアルバム終盤の力強いビートを持つ曲で、ISSUGIはラップしている。そして、自分が「煙に巻かれた住人」であると言っているが、彼はその「煙に巻かれた」状態を良しとしている。もちろんダブル・ミーニングだ。ひとつは言うまでもないことだが、もうひとつを僕なりに解釈すれば、「良い歌」に表象されるもの、つまり「城」、目指すべき場所、いわゆる世間でいうところの頂点とされるもの、端的に言えば、そうしたものに距離をおいているということだ。むしろそういったものごとに、警戒心が働いているのではないかと思われる。クールである。繰り返すが、彼の出自はバトルMCだ。時代のなかで、目指すべき場所の変化がここにも如実に表れている。one for the money, two for the showは、いまやセピア色である。

 もしも『EARR』のなかに、落ち込んだ人生に勇気を与えてくれると思わせられるような言葉があれば、もっとたくさんの数を売りさばくこともできるのだろう、が、しかし、裏を返せば、城には辿り着けなくてもいいじゃないかと言っているのが『EARR』だ......とSORA君に言ったら「いや、それは違いますよ」とまた言われてしまうのだろうか。コーラを飲みながら。

二木信 - ele-king

 こんにちわ二木信です。嘘です。ニック・グリフィンです。昨年アナウスされた二木信の初の単行本『しくじるなよ、ルーディ』が今週末の18日に発売されます。著者の所業の数々ゆえなのか、政治やデモの本だと勘違いされている方もいるようですが、これはヒップホップの本です。主に、この10年の日本で生まれたヒップホップ・シーンの本と言えましょう。多くのラッパーが登場します。S.L.A.C.K./SEEDA/Killer-bong/田我流/環ROY/鎮座Dopeness/haiiro de rossi/MIC JACK PRODUCTION/SHINGO☆西成/MS......他に、ビッグ・ジョー、ザ・ブルー・ハーブ、デレラ、シミラボなどについての言葉が綴られている。平岡正明やURついて書いたエッセイもある。

 日本のなにかしらについて書くとき、日本の内部のみを見ることがその手立てではない。日本の外部すなわち異文化を対立させることによって、内部の空想にひたっているだけでは見えないもうひとつの内部が浮かび上がる。二木信は、彼にとっての内部を照射させるための外部からの知恵を「ファンキー」という言葉で説明している。
 「ファンク」は、もうひとつの内部の悦びであり、生命の根源のようなものであり......まあ、とにかく、しくじることを恐れるなってことだ。勝つと思うな~思わば負けよ~と美空ひばりも歌っているように、「どんなにアホっぽく、拙く、荒削りだとしても、自分のスタイルで......(略)」と二木は書いている。
 巻末には書き下ろしで、60枚のアルバムが紹介されています。日本のヒップホップに興味がある人、とくにこれからの暗黒時代をファンキーに生きたい方、あるいは街で暴れたい人は手に取りましょう!

二木信評論集 ──しくじるなよルーディ
Pヴァイン

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5lack - ele-king

 「よろしければどうぞ」と、告知らしい告知もなくリリースされた5lackの『情』は、非営利目的でMediaFireにアップされたzipファイルである。いま現在、ヒップホップにおける最新音源が、フリーのミックステープとしてタイムライン上を無限に流れていくものだとしても、本作を思いつきの企画ものとして聞き流すことは、少なくとも私にはできそうにない。『情』(譲)は、まぎれもなく『我時想う愛』(2011)以降のメランコリアの延長に立つ作品である。いや、もっと露骨に言おう。大ネタ使いのサービス感が吹っ飛ぶくらいの想いを、彼はこのミックステープに込めている。これはすでに削除されているので内容への言及は避けるが、7月12日ごろ、恐らくは本作のリリースと関係していたのであろう心の内側を、彼はブログで苛立つように綴っている。

 思えば、とくに震災以降、You Tubeの突発的な利用やDommuneへの出演などを通じて、彼は聴き手に要求する金銭的な対価を下げていった。『この島の上で』(2011)には値段こそ付いたものの、リリースは異様なほど突然で、ほぼノン・プロモーション。「ヒップホップで自立する方法」以前にあるべき志のようなものを、彼はまず自分自身に対して強く必要としたのかもしれない。それは、あるいは理想主義者のロマンか虚勢だったのだろう。だが、私はその変化をいまでは違和感なく受け止めている。結局のところ、人生は一度きりであり、不可逆であり、その一回性の上に刻印されたあの圧倒的な破壊の余韻は、日々が隠し持つ偶然性(自分は今日、たまたま生きているのだという雑感)を顕在化させるには、十分すぎやしなかったか。その時、彼にとって、いったいどれだけの物事が不要に思えたのだろう? 例えばtofubeatsら平成以降の新世代が、無料配信の文化圏からiTunesチャートをおそるおそる(だが鮮やかに)駆け上がっていったのと逆行するように、彼はむしろ、トーナメントの階段を静かに降りて行った。

 全体的な雰囲気で言えば、『情』は、『我時想う愛』にさらけ出した「不安や罪の意識」の延長線上に、私たちが共通の記憶として持つ久石譲のピアノ、そして重厚なオーケストレーションを大胆に引用した作品である。それだけでレジュメできると言えばできるだろうし、当然、スタジオジブリ作品群の断片が、記憶のそこかしこをかすめていく。さまざまな冒険や旅、恋の記憶がよみがえる。最初の数回を聴いているうちは、そうした大ネタのサービス感にこちらも調子づくが、次の数回では、そのトラックがしかし、これまでの作品となかなか矛盾しない質感だと気付き、その後の数回ではむしろ、元ネタの持つ属人的・属作品的なブランド感が、トラックの後景へと少しずつ退いていくのを感じることになる。それくらい、『情』のビート・プロダクションは彼のディスコグラフィーと整合している(例えば、メロディアスなピアノ・ループが夜遊び後の空虚さを優しく染め上げる"朝の4時帰宅"は、"東京23時"のアフター・ストーリーのようで、フィンガースナップが幻想的なアンビエンスの上に響き渡る"想い出す"は、初期のクラシック"I Know About Shit"を文字通り、想い出す)。

 だが、いやだからこそ気になるのは、やはりその主題である。「何か良いことを言わなければならない、何か気の利いたことを言わなければならない」(野田努)というオブセッション、それをドメスティック・ラップの領域で仮に<パンチライン症候群>と呼ぶなら、その風潮のなかであえて「俺はテキトーである」ということを表明しなくてはいけなかったS.L.A.C.K.の辛さは、いま思えば彼の真面目さのコインの表裏としてあったのだろう。そんな彼が、震災後の言語表現におけるプレッシャーをむしろ進んで受け入れたのは、それゆえに飛躍ではなかったと思っている。あえて断じて言うなら、『この島の上で』は、リスナーを選び直し、シーンから選ばれ直そうとするような、ごくヘヴィな試みだった。そして本作『情』においても、彼はこの国を、あるいは強固に続いている(ということにされている)日々の風景を、ごく低温度で見つめている("朝の4時帰宅")。そこには、自戒と挑発が蠢く。そう、"テキトー"から出発したS.L.A.C.K.が、やがて5lack、そして"娯楽"へと当て字されていくに伴って、彼の眼差しはむしろその深刻さを強めている。

 だが、震災以後という文脈に対して、頭からがんじがらめになっているわけではない。もちろん、一定の確率で今日も生きていられる人間として、彼がある種の重荷を背負ったのは間違いないだろう。だがここには、そこからもう一度パーティ(=あくびが出るほどの退屈さ)へと出かけていくための、模索の手振りが垣間見える("これがなければ")。ある程度、正常に引き継がれている日々の、表面的にはごく平和な断片を不可避なものとして受け止め、今度はその先に言葉を置いている。そして、割れるような喝采のライヴ・サンプルが飾られた"気がつけばステージの上"は、ステージという遊び場であり、また処刑台でもある場所へともう一度向かう徒労感、義務感、そしてそれでも沸き起こる、果てるような高揚感を丹念に描く。が、そんな自分さえをも外から見てしまう再帰性が、この作品に翳りを与えていることも指摘しておきたい。どれほどテキトーを気取っても、もう以前のようには笑えない。ならば、重い足取りで泥のなかを進むまでだ。

 もちろん、自然主義の位相における現実描写・内省吐露という、純文学めいた詩作表現が、必ずしもポップ・ミュージックにおいて特別な効力を発揮するわけではない。あえて皮肉めいた言い方をすれば、いまもっとも安易な方向性であることもまた事実だ。だが、このセンチメンタリズムを内破したとき、彼はまた美しく、気怠そうに笑うだろう。彼の真摯な遠回りを私は楽しんでいる。いまはまだ、決して華麗ではない、撤退するようなネクスト・ステップを踏んだ(「何も怖くねえ/俺は進むyeah」"想い出す")。だが現時点でのそれは、この国のポップ・ミュージックに対する切実な疑問符でもある。ウォーク・オン・ザ・ダーク・サイド、暗闇を行け。

interview with Simian Mobile Disco - ele-king


Simian Mobile Disco
Unpatterns

Wichita Records/ホステス

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 ロックが不況である......というのは、いかにも白々しいクリシェであるが、しかしそういったお手軽な悲観を使いたいときも、正直、なくはない......。三田/野田世代の『ele-king』読者であれば、あるいは言うかもしれない。「そんなもの90年代後期からずっと死にっぱなしじゃないか......」
 いやだとしても、ゼロ年代のなかごろ、いわゆるインディ・ロックに活気が感じられた季節がたしかにあったのだ。少なくない人が、それをダンス・ミュージックとの交配の季節として振り返る。LCDサウンドシステム、ラプチャー、あるいはシミアン・モバイル・ディスコ(以下SMD)。その後、ニュー・エレクトロの新勢力がむしろロックの巨大さを取り入れていった。SMDは、その分水嶺とも言える存在だった。

 そして、ポスト・ダブステップの拡張、あるいはジュークの登場がシーンに新たな風を吹かせているなか、SMDのフルレンス・アルバムが届いた。シリアスなテンション、冷え冷えとしたシンセ・アンビエンス、そしてミニマルな展開がビート・プロダクションを通底している。アンチ・クライマックスの美学......ここに愛想笑いの類はない。サービスのようなアップリフトもない。早い話、誤解の余地を排したストイックなテクノ・ミュージックが硬質な音色を叩き付けている。『Attack Decay Sustain Release』(2007)のアッパーさや『Temporary Pleasure』(2009)の弾けるような乱雑さの記憶からすれば、季節の変わり目を実感せずにはいられない、というのもたしかだ。

 彼らはいま、どこにいるのだろう? 当時の活況、それは音楽的な交配ではなく、単にダンスとロックにおけるリスナーの重なりがあっただけではないか、その錯覚を自覚できていないだけではないか、という声もある。不躾ながらも、そういった所感を含めてSMDのふたり、プロデューサーとしてはここ数年トップ・クラスの売れっ子ぶりのジェイムズ・フォード、そしてジェイムス・ショーに話を訊いた。
 結果から言えば......彼らのポップ・ミュージック、そしてシーン(という概念がまだ有効ならば、ということだが)に対する認識は、実に中立的である(途中、ややトンチンカンな質問にも真摯に答えてくれた)。彼らは変化を受け入れているし、何も背負っていない。そのニュートラルな姿勢は、ある種達観めいてもいる。そう、私はS.L.A.C.K.によるあの象徴的なリフレインを思い出す。ただミュージックのみ、ただミュージックのみ......。

シーンは確実に変わったと思う。「ダンス/ロックの融合」みたいなのってまずあんまり上手くいかないし、結局そこの地域で根付いているロックの要素が混じったダンス・ミュージック、っていうものになってしまっている。

あなたたちの出身でもあるSimianは、歌とメロディを大切にしたインディ・ポップのバンドだったと思うのですが、ダンス・ミュージックへの傾倒というのは、何がきっかけとなったのでしょう?

SMD:Simianをはじめるずっと前からダンス・ミュージックは大好きだった。歌とメロディを大事にしながら同時にダンス・ミュージックにも傾倒するっていうのは当然可能だよ。

なるほど。ちょっと古い話をさせてください。『Attack Decay Sustain Release』(2007)におけるあなたたちの初期のスタイルは、ロック・ミュージックとエレクトロニック・ミュージックのクロスオーヴァーである、という言い方が当時、少なくなかったと思うのですが、こうした見方には賛同できますか?

SMD:まったくもって不賛成だよ! 僕らが作ってきたのはいつだってダンス/エレクトロニック・ミュージックなんだ。『Attack Decay Sustain Release』にはギターも生のドラムも入ってないし、ロックの要素は全然なかった。あれって、ちょうどあの頃はダンス・ミュージックがいろんなロック/インディ・バンドとそのファン達に人気が出てきた時期だったからそのシーンと関わりがあっただけで、それ自体が僕らのスタイルだったってわけじゃないよ。

わかりました。ところで現在、ポップ・ミュージックは細分化していると、私たちの国ではよく言われています。つまり、異なるジャンルや異なる価値観はお互いに関わらないよう、細かく分断されている、と。こうした見方を、あなたたちは共有しますか?

SMD:イギリスではむしろ逆だと思うよ。いまは違うジャンル同士の交流が盛んだし、とくにダンス・ミュージックの間ではそれが顕著だね。

なるほど。ゲスト・ヴォーカルのパレードとなった2009年の『Temporary Pleasure』もそうでしたね。そこから一転して、2010年の『Delicacies』で、あなたたちはミニマルなテクノ・ミュージックへとスタイルの比重を大幅にずらしたようにも思えました。ヴォーカル・パートがなくなり、曲の長さも8分ほどに長くなりました。当時、何があなたたちを変化させたのでしょう?

SMD:『Delicacies』は、DJのための音楽を作るっていうことに特化したプロジェクトだった。僕ら自身もDJするときにテクノをよくかけるから、自分たち自身のための音楽でもあった。だから新しい方向性っていうのじゃなくて、サイド・プロジェクトっていう方が近いね。どのバンドも自分たちのスタイルを変えて進化させていかなきゃいけないと思う。同じようなアルバムを2回作るなんてことはしちゃいけないんだ。

私もそう思います。さて、では本題です。新作の『Unpatterns』を聴かせてもらいました。『Delicacies』よりもさらにストイックなエレクトロニック・ミュージックで、ミニマルなビートが心地よいですね。ヴォーカル・パートは、歌というよりは声の素材、という小さい扱いになっている。また、ビートは以前よりもソフトなタッチになっているように思えます。これらの変化は意識的なものですか?

SMD:うん、かなりいい表現だね。確かに僕らはこのアルバムを控えめで抑えたものにしたかったし、ヴォーカルはカットアップやループしてミックスすることで楽器のように使っている。さっきも言ったように、『Delicacies』とはまた違ったアルバムを作りたかったんだ。前のアルバムからの要素はいち部残しつつも、同じような思い切りクラブっぽいレコードにはしたくなかった。

どの曲も、たんにアップリフトというだけでなく、沈鬱なフィーリングを時間をかけてときほぐしていく、といった趣があるように思います。自分たちは変化したと思いますか?

SMD:典型的なダンス・ミュージックの美学って、ゆっくりと盛り上げていつまでもクライマックスに達しないままずっと続いて行ったり、緊張感を引き延ばしすぎだったりする。そういう盛り上げて、落としての繰り返しの手法はもう過去数年でやりつくされているんだ。だから僕らはそこから抜け出して、なにかもっと新しいことがやりたかった。

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シーンの細分化? イギリスではむしろ逆だと思うよ。いまは違うジャンル同士の交流が盛んだし、とくにダンス・ミュージックの間ではそれが顕著だね。


Simian Mobile Disco
Unpatterns

Wichita Records/ホステス

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"Unpatterns"というアルバム・タイトルは、どういった意味なんでしょう? 字面通り、"模倣ではない"という意味なんでしょうか。本作のコンセプトに関係が?

SMD:そういう意味ではないな......ループやパターンがじょじょに崩壊したり、変化したり、お互いに干渉しあったりすることで、新しくてもっと複雑なパターンや進行が生まれることを指しているんだ。アルバムの楽曲の多くはその考え方に基づいて作られている。シンセのシーケンサーやドラムのパターンがテンポの間でずれたり合ったりするところとか、細かいディテールにそれが表れていると思うよ。アルバムのアートワークにもその考え方が反映されているんだ。モアレ縞(干渉縞)っていう、単純な図形が干渉しあうことで複雑な図形が生まれる効果を利用している。

なるほど。ユニークなタイトルが並んでいるのですが、言葉を使わない曲に、どうやってタイトルを付けているのですか? "The Dream of the Fisherman's Wife"は、葛飾北斎? 日本の文化には影響を受けていますか?

SMD:その通り! 訊いてくれたのは君が初めてだよ、よく気付いてくれたね! 僕らは北斎が大好きだし、あの絵はすごく奇妙で異世界的な作品だよね。その雰囲気が、あの曲に使われている変な水中の音とよく合っていると思ったんだ。
 インストゥルメンタルの曲に名前を付けるのは大抵難しいね。僕らは大体いくつか興味のあるコンセプトを持っていて、それにいちばん合う曲を見つけてタイトルをつけるようにしているよ。
 日本の文化にはすごく魅力を感じているし、日本に行ってプレイするのも大好きだよ。直接的な影響っていう意味で言えば、僕らの音楽に対する日本からの一番の影響はシンセサイザーのパイオニアであるトミタ(筆者注:富田勲)だね、彼の大ファンなんだ。

あなたたちの音楽で変わらない点があるとすれば、やはり、それがダンス・ミュージックである、ということだと思います。なにが、あなたたちをいまでもダンスへと向かわせるのでしょう? 踊ることはやはり大事?

SMD:はは、僕ら自身はもう前ほど踊らなくなったよ! 僕らをダンス・ミュージックに向かわせるのは共有される体験、あのクラブで感じる、長々と進化を続けるダンス・ミュージックの音、そこにいて何時間も音楽を聴き続けることで得られるサイケデリックな空間といったものだね。

最近、一般に、ネットに依存しているような若いリスナーはクラブやライヴでもハメを外さなくなったと話す人もいます。あなたたちの目にはどう映りますか?

SMD:答えるのが難しいな......実際、いまでもまだダンスするために出かけたり、羽目を外す人たちもたくさんいるしね。ネット依存の傾向のある人たちが他に比べてそういうことをしないかどうかはよくわからないよ。

少し乱暴な質問をさせてください。あなたたちのダンス・ミュージックは、現状の生活に満足している人たちと、そうでない人たちのどちらに捧げられるものだと思いますか?

SMD:そんな風に人びとを分けてしまうっていうのは僕らのやり方じゃないよ。権力を持つ人たちが悪用しがちな、「あっちとこっち」や「敵と味方」と分けてしまう考え方を助長してしまうと思う。

なるほど。ちなみに、ここ日本では、政府の世論調査で、「6割以上の若者が現状の生活に満足を感じている」という結果が出て、話題になっています。あなたの国の若者は現状の生活に満足を感じていると思いますか? ロンドンなどからは、大規模な暴動のニュースなども伝わってきましたが。

SMD:なんとも言えないな......どの地域に住むどんな層の若者に聞いたのかにもよるし。ある人たちは満足しているし、そうでない人もいる、そもそも60%って多いと思うかい? 本当ならもっとたくさんの人がそれぞれの人生に満足しているべきじゃないかな。

たしかに、そうですね。ところで、あなたたちと同じく、ロック・ミュージックとエレクトロニック・ミュージックのミックスを実践したと言われる同時期のミュージシャンに、LCDサウンドシステムがいたと思うのですが、すでに活動にピリオドを打っています。2000年代の終わりごろ、なにかシーンの価値観が変わってしまったような雰囲気を感じましたか?

SMD:うん、シーンは確実に変わったと思うよ。「ダンス/ロックの融合」みたいなのってまずあんまり上手くいかないし、結局その代わりにそこの地域で根付いているロックの要素が混じったダンス・ミュージック、っていうものになってしまっている(アメリカでのダブステップの流れみたいに)けど、LCDサウンドシステムはダンス・ミュージックの要素を持ったロック・ミュージックを作っていたよね。

シーンの変化があったとすれば、その原因はどのようなことだと想像しますか?

SMD:自然な進化じゃないかな。シーンっていうのは、絶えず新しいミュージシャンが登場して新しい解釈を与えることでどんどん変わっていくものだと思うよ。

なるほど。その後、新たな潮流として、ロンドンから発信されたダブステップが大きな盛り上がりを見せました。あのシーンに対する共感はありますか? 支持できるアーティストなどはいる?

SMD:そのシーン自体にそれほど共感っていうのはないかな......ただJoy Orbison、Blawan、Martyn、Boddikkaみたいな「ポスト・ダブステップ」って呼ばれるシーンの音楽はよく聴いているし、DJするときにもよくかけているよ。

「ポスト・ダブステップ」という言葉を聞かない日はないくらいですよね。いっぽう、あなたたちが裏方を担ったアークティック・モンキーズやクラクソンズ以降、UKのインディ・ロック・バンドは、盛り上がりに欠けているようにも見えます。こうした見方には賛同できますか?

SMD:エキサイティングなバンドはいつでもいるよ、ただ見つけるのが難しくなっているだけさ。

では、いま注目のインディ・バンドなどを教えてください。あるいは、いま、プロデュースで仕事をしてみたい若いバンドはいる?

SMD:最近JasがPlant Plantsっていうバンドをプロデュースしているけど、いいバンドだよ。(筆者注:https://soundcloud.com/plantplants/sets/plant-plants-ep/)

わかりました。ところで本誌『ele-king』は、1994年にはじまったのですが、最初はテクノの専門誌でした。あなたたちを入り口として、テクノ・ミュージックの世界に足を踏み入れる若いリスナーも少なくないと思いますが、彼らに聴いてほしいテクノ作品はありますか? クラシックから最近のものまで、なにかあれば。

SMD:古いものを振り返ってみるといいと思うよ。初期のPlastikmanとか、Joey Beltram、Jeff Millsとか。

もちろん、「SIMIAN MOBILE DISCOも!」ですよね。では最後に、今後の展望を教えてください。何か夏の予定は決まってる?

SMD:夏の間中はDJをたくさんやって、いま取りかかっている新しいライヴセットも今年中に準備を終わらせたいと思ってるよ。あとは新しい曲にも少しずつ取り掛かっている、将来のシングルや、『Delicacies』シリーズのリリース向けてね。

ECD - ele-king

「しあわせな人っているの?」
「しあわせなようにふるまってる人はたくさんいるね」
「どうしてそんなことするの?」
「しあわせじゃないってことが、恥ずかしいんだね。認めるのがこわいんだ。勇気がないんだ」
チャールズ・ブコウスキー著『日常のやりくり』(原著1983年)青野聰訳

 少しばかり2009年の秋に戻ろう。現代の東京におけるボヘミアンの足跡を追った『remix』誌(219号)、その特集に根差す、ある種のロマンティシズムに冷や水をぶっかけるようなECDの寄稿、「ボヘミアン・ラプソディ」は衝撃的だった。引用するのがためらわれるほど直截的な、平成20年の年収・雑所得の1円単位までの記載。「自発的に貧しい生活」をするのがボヘミアンの前提であると言われれば、メジャーからの脱離とそれに伴う年収の大幅な減額を、「まあ、成り行きである」とあっさり振り返る。かっこつける、という振る舞いが根本的に嫌いなのかもしれない。それにECDは、幸せぶるということをしない。塞いだ傷口を自ら破るように、ECDはすべてを語る。少しずつ沈んでいく自分を見つめる、諦めたような視線。しかし、そこから最終段落に待つパンチ・ラインに向けての告白は、まさに自発的な人生、クラシックな表現を使えば、人間の思想と呼べる類のものだ。引用は無粋なので控えるが、重要なのは、ECDは決して貧しさの賞賛者ではない、ということだろう。ECDは、ただ金がある生活も、ただ金がないだけの生活も否定する。必要なのは、いつも、そう......

 さて、「社会的・日常的現実に対する、音楽という夢(を見続けるのか/醒めてみるのか)」という対立の図式は、これまでの原稿にも度々持ち出している、筆者のなかでは重要なテーマのひとつだが、そんな人間からすれば、本作『Don't Worry Be Daddy』に数回登場する目覚まし時計のベル音は、実に両義的に響いて聞こえる。人の睡眠を効率的に妨げるためだけに空気を揺らすその目障りな連続音は、「起きろよECD!」、それこそ「働けECD!」と言っているようにも聞こえるし、「この人、どれだけベル鳴らしても起きないんですけど......」「やれやれ」と言っているようにも聞こえる。
 経歴25年、もう14枚目だそうだ。"まだ夢の中"とは言いつつ、たぶん、現在のドメスティック・ラップのシーンでもっとも夢から醒めているのはECDだろう。本作に、ベテランらしい余裕はない。早い話、ECDはここ数年、植本一子がブログに綴っているような個人的な現実的生活から、反原子力運動に関わる社会的生活までに加えて、「ラッパーはどう歳を取ったらいいのか?」というややこしいテーマ、より大きな枠で言えば、「ユース・カルチャーの草分けとなった存在は、いつまでそのシーンにいていいのか(いられるのか)?」という問題に直面している。

 もちろん、それくらいのことはECD本人も自覚しているはずだし、その本音は、SEEDA以降/S.L.A.C.K.以降の感覚でははっきり「ダサい」とも言われかねない、無骨なフロウと飾り気のない言葉によって、ごつごつと積み重ねられている。「あっちもこっちもやばい新人の/うわさでもちきりの界隈を/にっちもさっちももうどうにも/こうにも行き詰まりのクソオヤジの/ラップでジャックする今回も」"Recording Report"
 奇しくも3月7日は、今年いちばんの人気者・SALUのアルバム・デビュー日でもある。ECDはTR-808の頑丈なチキチキ・ビートや"Flip the Script"(Gang Starr、1992)のまんま使いで対抗、もしくは開き直っている。また、家庭を持った切実な50代男性として、あるいは活動開始から25年を数えるベテラン・ラッパーとして、ECDはしかし自分を必要以上に大きく見せることをせず、むしろ誰よりも大きな声で自分を笑ってみせるのだ。「眉毛ねー目の下くま/頬こけた自称ラッパー/歳のせいかシミ小じわ」"対自核"、「まちがいなく父親先にいなくなる/はたちになるころ70だぞオヤジ/のことはマジあてにするな」"まだ夢の中"、「外を出歩くと減るかかと/針を載せると削れる溝/同じだ自分のことのような気分」"家庭の事情"

 そう、ECDはライフ・スタイル誌のいう「美しい歳の取り方」とは遠く離れた場所で逃げ場もなく歳を取り、ユース・カルチャーの世界にとどまるべく懸命にしがみついている。「昔はよかった」なんていう無根拠な昭和懐古を、昭和歌謡(ジャズ?)を引用しながら皮肉たっぷりに否定する"大原交差点"は、現代を生きることに対する覚悟の裏返しだろう。しかしここに、かつての鬱屈さはない。朝5時に起きて夜9時に寝るいまの生活に、充実感にも似た感慨をにじませる"5to9"は、粋なタイトルが与えられた本作に辛うじて前向きさを打ち出している。
 とはいえ、家族ができて、小さな共同体のなかでECDが素朴に救われたと思ったら大間違いだ。ECDはいまでもアルコール中毒に怯え、レコード中毒に生き、家庭を愛しつつもひとりの時間を切実に求め、掛け持ちの仕事と、保育園と、原発のあいだで相変わらずもがいている。そう、本作『Don't Worry Be Daddy』は、ブログに綴られているいまの実生活に初めてECDの表現が追いついた作品だ。たぶん、これはボヘミアンの表現とは呼ばない。いわばオルタナティヴな特殊労働者、その生き様、破れかかった傷物の履歴書そのものだ。

 "Wasted Youth"......仮に「浪費された青春」とでも訳そうか、本作中でもっともメロウなトラックの上で、ECDは鳴りやまない目覚まし時計を完全に無視し、夢の続きに待つパーティの旋律を19歳に戻ってリフレインする。この最高の1曲を聴いていると、現実と夢(音楽)は、決して対立していたり、断絶しているわけではないことがわかる。あるときはECDを追い込んだ夢がいま、ECDの日常をいっぽうでは支えている。もちろん、そうした暮らしの後味は必ずしも甘くないし、のど越しはこれでもか! というくらいにタフだ。将来、年頃になった娘に恨まれることをいまから心配する"まだ夢の中"などを聴いていると、私はとても結婚などできないなと思ってしまう。
 が、『Crystal Voyager』(2006)から聴きはじめた後追い世代の人間からすれば、本作でのECDは別人かと思うほどにパワフルだ。禁酒、定期労働、規則正しい生活習慣、例えば退廃に類するアウトサイダー・ミュージックの悪ぶったクリシェを、それらの背水的な自律によって卒業したECDは、いま、理想としての「place to be」から、切実な「be here now」へと向かう。

 これは......聴きようによっては、勇気の音楽だ。自分が自分であること、そして、自分の人生が自分のものであることを、歯を食いしばって、そして願わくば少しくらい胸を張って認めてあげるための。あなたは本作を前に、どうしようもなく自身の人生と向き合うことになるだろう。

 「つーかこれサイコロの判定/受け入れるしかないしょうがないこの不安定/まだ揺れる一生しやしない反省」
"大原交差点"

S.L.A.C.K. - ele-king

 何か良いことを言わなければならない、何か気の利いたことを言わなければならないというオブセッションがJラップにはあるんじゃないだろうか。それをいま議論したいわけではない。が、それがこのジャンルの自己啓発ないしは自己実現めいた傾向をうながしているとしたら、S.L.A.C.K.はそうした硬直さが目立つJラップのシーンにおいて「テキトーでさ」という逆説によってリスナーの気持ちを楽にしたラッパーだと言える。
 「未来はない」と言うことで前向きになれるというパンクの使った逆説は、人に聞いたところでは3.11直後ではECDの「寄付しない」という言葉ぐらいしかなかったようだけれど、いま時分「希望」などということをもっともらしく主張するのは、よほどの三文役者か、大衆を舐めているように思えてしまう(エネルギーをめぐる議論もエコ・ブームのときと同じで、どうにも胡散臭さがつきまとうのが正直なところ)。だいたい3.11以降の「ポジティヴなメッセージ」という宣伝文句ほど白けさせるものはない。
 それでも先日は下高井戸のトラスムンドで、D.O.による3.11へのリアクションとして実にエネルギッシュな新曲を教えてもらい、少しポジティヴな気持ちになれた。煙にむせながらはじまるその曲で、D.O.は政府をこき下ろし、そのふてぶてしい大らかさでリスナーの気持ちを楽にする。買うかどうかけっこう迷ったけれど、そのときあまり持ち合わせがなかったし、取り置きしてもらっていたS.L.A.C.K.の『この島の上で』1枚を買って帰った。

 S.L.A.C.K.の『この島の上で』は、3.11以降の「ポジティヴなメッセージ」という宣伝文句で売られている。ネット検索すればそのような言葉がずらーっと目に入ってくる。これを先に見ていたら買わなかったんじゃないかと思うほど、僕はこの1年、気の利いたことの言えない音楽ばかりをよく聴いている。が、そんな人間でさえもこの作品を買うことに何の迷いはなかった。3.11直後に発表したパンピーとの共作には思慮深さを感じたし、何と言ってもS.L.A.C.K.のような自由な気風を持った若いラッパーがこの重たい主題と向き合っているという事実は避けがたい魅力だ。

 実際の話、『この島の上で』はずいぶんと勇敢な作品なのかもしれない。主題もさることながら、誤解を恐れずに作ったとはまさにこれだろう。クローザー・トラックにアルバムのメッセージが集約されていると解釈するならば、シック・チームと作ったその曲"逆境"は、本人たちの意図にはないにせよ、マスメディアの「がんばれ日本」キャンペーンを補完しかねない。「つねにポジティヴ」「つねに前向き」といった身も蓋もない言い方はまだしも、曲からは「侍」や「日本刀」といったクリシェまで出てくる。これが彼らの誠実さから来たものだとしても、たとえばPJハーヴィーの『レット・イングランド・シェイク』で展開されるような、母国愛とその主体(誰にとっての共同体なのかという視点)についての確固たる説明がいまひとつ足りていないんじゃないかと思う。ゆえに"逆境"がなければ違ったアルバムに聴こえたかもしれないけれど、もし仮にそうだったとしても『この島の上で』がフレンドリーな作品だとは言えない。むしろアルバムの多くの場面においてS.L.A.C.K.は自らの内面の葛藤を露わにしている。

 アルバムには彼のさまざまな感情が先走っている。ディストピックな"とまらない街"は、音と言葉で彼の混沌とした内面をさらけ出している。ディスコ・ビートの"日々の上"はそれとは対照的に、アップリフティングな曲だ。「でもLIFEはながいし、つまらないとつらい」「答えすらないよ、この星の未来」「ギャルくどきながらまた考えつくこのひらめき」――葛藤を抱えつつ、しかし曲は意気揚々と展開される。彼の音楽活動におけるDIY精神を見せつけるような"Hatugen on Skit"も肝の据わった曲だ(RAU DEFが客演している)。三味線のサンプリングを使ったこの曲はひときわ殺気だっているが、そうした責め立てるような感情、苛立ち、苦しみ、もしくは怒りのようなものは『この島の上で』の随所で見られる。東京のアンダーグラウンド・シーンの生気を描く"In The Day"にも彼の強い気持ちがにじみ出ている。それは考えるよりも先に吐き出されているようだ。収録された曲すべてがいままで以上に衝動的にも聴こえる。

 そんなわけで『この島の上で』とは、リスナーを前向きにするような作品というよりも、3.11以降、いてもたってもいられず作ったある種の記録、ある種のドキュメンタリーのように思える。あるいは"逆境"で言うところの「異端ジャパニーズ」の将来は決して明るいとは言えないからこそ、2011年が終わらないうちに彼は出しておきたかったのだろうか......例によって何の前触れもなく、これは出た。アルバムのはじまりにある「とりあえずこれからでしょ」という彼のつぶやきは、そうした暗い現実に対して、同時に自分自身にも言い聞かしている言葉のようにも思える。この続きは、次に下高井戸のトラスムンドから「S.L.A.C.K.の新譜が入りました」というメールが来るまでの楽しみとしておこう。

Chart by TRASMUNDO 2011.11.04 - ele-king

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1

S.L.A.C.K.

S.L.A.C.K. この島の上で »COMMENT GET MUSIC

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H.FUTAMI

H.FUTAMI MIX CD »COMMENT

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UG KAWANAMI

UG KAWANAMI BOOTLEG »COMMENT

4

STARRBURST

STARRBURST 7inch EP »COMMENT GET MUSIC

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ILL FANTASTICO

ILL FANTASTICO STEAL MY SUNSHINE vol.3 »COMMENT GET MUSIC

6

TWIN PEAKS

TWIN PEAKS Live at OPPA-LA »COMMENT GET MUSIC

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SUN BEAM SUN

SUN BEAM SUN ALMOST THERE »COMMENT GET MUSIC

8

GRADIS NICE&SCRATCH NICE

GRADIS NICE&SCRATCH NICE TWICE IS NICE »COMMENT GET MUSIC

9

CE$

CE$ BCTRBDSS EST 2011 BEATDOWN COLLEGE »COMMENT GET MUSIC

10

KURI

KURI BLACK FOREST LIVE IN GRASSROOTS »COMMENT GET MUSIC

Chart by JET SET 2011.08.22 - ele-king

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1

QUASIMODE

QUASIMODE HI-TECH JAZZ »COMMENT GET MUSIC
Christian Prommer's Drumlessonへの日本からのアンサー!デトロイト・テクノの歴史的名曲"Hi-Tech Jazz"の生音カヴァーを収録!

2

LOVEBIRDS

LOVEBIRDS HONEYBADGER EP »COMMENT GET MUSIC
Sebastian Doring(a.k.a. Knee Deep)ことLovebirdsの新作!!昨年の傑作"Love & Happiness"以来となるVincenzoと共に主宰するTeardropからの新作。Steve Reich & Pat Methenyの永遠の名作"Electric Counterpoint

3

INGA COPELAND

INGA COPELAND INGA COPELAND »COMMENT GET MUSIC
Hyperdubへの参戦を果たしてしまった異端ユニット、Hype Williamsメンバーによる限定ホワイト盤リリース!!Sade, Drakeをネタに繰り広げた昨年リリースの問題作"Do Roids And Kill E'rything"を筆頭に、楽曲&MV共に異彩を放つ英独産スモーカーズ・ディライト・ユニットHype Williamsの女流Inga Copelandによるセルフ・リリース作品。

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JONTI

JONTI FIREWORK SPRAYING MOON »COMMENT GET MUSIC
Stones Throwが送り出す新星、Jontiのデビュー・7インチ!!Animal Collectiveラインのサイケ・ポップ感と柔らかくファットなビートを兼ね備えた、1枚です。

5

STEPKIDS

STEPKIDS LEGEND IN MY OWN MIND »COMMENT GET MUSIC
Mayer HawthorneがRotary Connectionと共演したかのようなサイケデリック・ソフト・グルーヴを聴かせる西海岸腕利きトリオ、Stepkids。早くも2枚目のシングルが到着!!

6

KOSS/HENRIKSSON/MULLAERT

KOSS/HENRIKSSON/MULLAERT ONE »COMMENT GET MUSIC
Kuniyuki & Minilogueコラボ・アルバムからの先行カット。DJ Quリミックスも収録!!Koss a.k.a. Kuniyukiと、Marcus Henriksson & Sebastian MullaertのMinilogueコンビがタッグを組んだ、想像するだに強力な内容が期待出来るアルバムからの先行カット・シングルがこちら。やはり、素晴らしい!!

7

JAMIE XX

JAMIE XX FAR NEARER / BEAT FOR »COMMENT GET MUSIC
昨年からネット上で話題を呼び続け、限定プロモが即完売したxxのJamie Smith = Jamie xxの初ソロ・トラック。待望の正規12インチが到着しましたー!

8

ELZHI

ELZHI ELMATIC »COMMENT GET MUSIC
フリーDLの時点で話題騒然だったブツがなんと2LPでリリース!Nasのデビュー作にして90'sの金字塔『Illmatic』を、ElzhiとWill Sessionsというデトロイト・コネクションが完コピ。そしてコレが実に素晴らしい出来です! お早めに!

9

SICK TEAM

SICK TEAM MY SHIT »COMMENT GET MUSIC
1stシングル"Street Wars"に続く第2弾シングルが登場!話題沸騰中Budamunk、Issugi、S.L.A.C.K.によるSick Teamの1stアルバムから第2弾12"シングルが限定リリース。アルバム未収録曲も収録です!

10

MARIA MINERVA

MARIA MINERVA CABARET CIXOUS »COMMENT GET MUSIC
100% Silkからの12インチが当店超ヒットしたMaria Minerva。Not Not Funから素晴らしすぎるアルバムが出ました!!

[Sick Team] - ele-king

 すでにご存じの方も多いと思いますが、Budamunk + ISSUGI + S.l.a.c.k. による新ユニット、シック・チーム(Sick Team)がいよいよその全貌を露わにします!
 発売日は6月2日、しかも......なんとその日にはDOMMUNEでライヴも披露することが決定しました! 7時から12時までたっぷり5時間使って、日本の新しいヒップホップの誕生をお届けします。当日は会場に来れる人は来てくださいね! 生で彼らのライヴやDJを体験しましょう!

6月2日(木曜日)
7:00~12:00 @ DOMMUNE
ライヴ:Sick Team、PUNPEE、GAPPER、etc
DJ:PUNPEE、BUDAMUNK
トーク:SORA(DOWN NORTH CAMP)、大前至、二木信、野田努......(後半、Sick Team参加予定)


#10:Last night DJ saved my life - ele-king

 デリック・メイは怒っていた。3月17日、テレビでBBCを点けっぱなしにしながら原稿を書いていたら、連日トップ・ニュースとして報じている「JAPAN DISASTER」においてアナウンサーが「それにしてもなぜ福島の人たちは怒らないのでしょう」と口走った。こんな発言を聴くと「こうした事態になっても日本人は暴れることなく落ち着いて......」という褒め言葉も皮肉に思えてくる。いや、実際には怒っているのにもかかわらずその声がマスメディアでは報じられていないだけだろう。感情も制御されているようだし、いずれにしても3.11以降、夜は余震に起こされ、福島原発からは相変わらず放射性物質が漏れているようだ。コンビニに行っても食物はないし、雨には濡れるし、水道水を使わないわけにはいかないし、奇妙な自粛ムードが日本を支配している。静岡で毎年夏におこなわれる安倍川の花火大会の中止までもがこの時期に発表された。
 デリック・メイが怒っていたのは、海外のニュース番組の報道についてだった。「あれを聞いたら誰も日本に来なくなる」と、地震から1週間後の成田に降りた彼は言った。「もう人が住む場所じゃないという感じで、とにかく大袈裟なんだ。そこで生活している人たちがいるというのに失礼だろ、このマザーファッカーめ!」と僕に向かって怒鳴った。
 実際の話、海外のロックのライヴ公演はことごとく中止になっている。来日が予定されていたDJのキャンセルも相次いでいる。ほとんどの場合、4月も見通しが立っていないところが多く、ゴールデンウィークのスケジュールも揺らいでいる。「こんなときに日本に行くなんて、さすがに熱い男ですね」とベルリンにいる浅沼優子さんは感心していたけれど、海外メディアの報道を見たうえでこの時期に来日するのはそれなりに強い気持ちがいることだと思う。
 アメリカからの成田行きの便は搭乗者が少なくことごとくキャンセルになっているので、デリック・メイはキャンセルを恐れ、スケジュールを前倒しにして入国した。彼はそれから宇川直宏に電話してDOMMUNEの出演を直訴した。あの番組を観ていた人には不自然に感じたことだろうけれど、WADAさんのDJが終わって僕と門井隆盛くんがマイクを持ってDJブースにいたのも、簡単にデリック・メイの心境を話してもらってからDJプレイに移りましょうと本人を交えて打ち合わせたうえでのことだった......が、しかし、あのように見事に裏切られた、というわけである。「さっさと出ていけ!」はないでしょう、いくらなんでも(笑)。
 そして......およそ2週間ぶりにお客さんが入ったDOMMUNEには、クラブ・カルチャーの最良の雰囲気があった。その晩はバーテンをやっていた豪邸住まいのメタルに「クラブって良いな!」と肩を叩くと、前の週末の彼のパーティにもたくさんの人が集まったと自慢された。依然として楽観できる状況にはまったくいないけれど、こういうときは音楽好きで良かったとつくづく思う。とにかくわれわれには集まる場所があるのだ。

 最初に僕に突破口を見せてくれたのはキラー・ボング(aka.ブラック・レイン)だった。僕は心底驚いた。3月20日のDOMMUNEのDJブースに立ったあの天才は、破壊されたこの世界においてさらなる破壊を試みた。慈愛の言葉があらゆる場面で飛び交い、そして自粛ムードという緊張感に覆われたこの世界において、あのプレイは誰にでもできることではない。もちろん3月13日のラリー・ハードをはじめとするすべての出演者、ムードマン、七尾旅人、ノブ、クラナカ、ロブ・スミスのプレイはまったくもって心がこもったものだったし、20日のシミラボとRAU DEF、PUNPEEとPSG、S.L.A.C.K.といった若い力もみんな美しかった。僕はその場にいなくても、ほとんどすべてを聴いていたし、それぞれの場面でずいぶんと感動したものだった。ただ......、そう、ただ、キラー・ボングだけは何か違うところを見ていた。
 それは人間の不条理への呪いのようにはじまった。エフェクトがかけられた抽象的な音の不穏な渦巻きからビートが聴こえる。しばらくするとファラオ・サンダースがけたたましく吠えている。悲しみがすさまじい勢いで押し寄せる。ターンテーブルの上には不気味極まりない骸骨、歯模型、あるいは悪魔の人形が置かれている。骸骨がぐるぐるとまわるなかで、彼のなかの激しい感情が音になって暴れている。口当たりの良い音ではないし、「これはいま聴きたくない音だな」というツイートもあったが、実は僕は、そのときもっとも聴きたかった音だった。待っていたのはこれだ! という感じだった。彼のラディカルなダブミキシングによって無秩序にうごめいている音を聴いていると、不思議なことに"自由"が見えてくる。自由......それは命と同じように尊いものだ。
 キラー・ボングの集中力が途切れることはなかった。彼は目を閉じて、始終音のみに集中していた(飲み物を差し出しても気がつかないほどに)。やがてシンク・タンクがミックスされ、それからウータン・クランとヘア・スタリスティックスの溝を埋めるような彼のミックス・ショーは、コンガのビートがファンクのうねりに絡みつくディアンジェロの"スパニッシュ・ジョイント"を最後のクライマックスとして、そしてフェイドアウトしていった......。それはアヴァンギャルドがこの瞬間(滅びた街々、汚染された環境、買い占めパニック、錯綜する情報などなど......)に向き合ったときの、素晴らしい声明に思えた。容赦のない怒りが噴出し、そして絶え間なく溢れる願いが氾濫した。音楽はときに隠された真実を引きずり出すのだ。

 僕はあの濃密な1時間半の、キラー・ボングの破壊的なミックス・ショーが道を作ってくれた気がしている。あれがなければ多様であるべき感情表現すらも、あるいは自由であるべき表現さえもいまよりも不自由なままだったかもしれない。Last night DJ saved my lifeが起きたのだ(もちろん誰もがDOMMUNEを見ているわけではないが、こうしたささやかな亀裂やさざ波がいずれ大きく広がり物事を動かすことはある)。
 ああ、そういういえば、あの日の僕は風邪で喉がガラガラで、実に聞き苦しい声で、視聴者の方にはたいへんな失礼をした。「何を悲痛な声で......」とキラー・ボングには笑われたけれど、このタイミングで風邪を引くというのも我ながら情けない。いまも身体がだるいなーと思いながらこの原稿も書いている。テレビではBBCが東電本社の前のデモをレポートしている。「こんな事態になっても人びとは無関心なようです」とイギリス人のレポーターは伝える。それから場面は浜岡原発へ......。震災のコメントでマユリちゃんや湯山玲子さんも言ってるけど、この災害を原発というものを考え直す良い機会にしなければならない。チャリティーも大切だが、これもまた未来に向けての重要な事柄。ヨーロッパでは、これは大袈裟な報道の恩恵とも言うのか、脱原発の世論が高まっている。すぐに停止というわけにはいかないだろうけれど、スイスは国民の健康を第一に考え、原発計画を凍結させ、UKも原発は必要としながらも老朽化した原発は閉鎖、イタリアでも原発再開を1年間凍結、ドイツでは25万人のデモ......。なにはともあれ、とにかく早いところ放射能の漏洩だけでも止めて欲しいわ、ホントに。

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